森田 康之助(もりた やすのすけ、1917年1月1日 - 2… 森田 康之助(もりた やすのすけ、1917年1月1日 - 2005年)は、日本の神道学者、日本思想史家。 東京市本所区生まれ。1939年東京高等師範学校文科第四部卒業。1941年東京文理科大学史学科国史学専攻卒業。村岡典嗣教授、肥後和男博士から影響を受け、日本思想史を専攻。栃木県立今市中学校、川口市立川口中学校、東京都立第十中学校、東京都立大泉中学校教諭を歴任。1949年國學院大学文学部講師、1951年国立国会図書館主事、1952年司書、1953年支部図書館部考査奉仕課長補佐。1959年人文科学参考室。閲覧部運営課主査を経て、1966年国会分館閲覧課長、1969年連絡部支部図書館課長、1975年国会分館長、1978年連絡部長、1981年専門調査員(1982年まで)。
柴原 恒雄(しばはら つねお、1917年(大正6年)1月1日… 柴原 恒雄(しばはら つねお、1917年(大正6年)1月1日 - 1975年(昭和50年)3月30日)とは、日本の男子飛込競技選手。1936年ベルリンオリンピックに出場した。 1917年1月1日、石川県金沢市に生まれる。日本大学第三中学校を卒業後、日本大学に入学し、東京都目黒区に暮らした。1933年の全日本選手権飛板飛込で139.78点を記録し優勝、翌年の同大会でも飛板飛込で125.68点を記録し優勝した。更に1935年の同大会でも飛板飛込で優勝している。同年に開催された日米対抗試合ではリチャード・デゲナー(英語版)に次いで2位の成績を収めた。デゲナーのコーチであったキングストンは、デゲナーは9点の技を1つしか成功させていないのに対し柴原は2つ成功させているので、柴原はアメリカ合衆国の選手だったとしても国内で2位か3位は取れる実力であろうと評している。
肥田 舜太郎(ひだ しゅんたろう、1917年1月1日 - 2… 肥田 舜太郎(ひだ しゅんたろう、1917年1月1日 - 2017年3月20日)は、日本の医師。広島市への原子爆弾投下により自身が被爆しつつ、直後から被爆者救援・治療にあたった。以来被爆者の診察を続け、被爆の実相を語りつつ核兵器廃絶を訴え続けた。 銀行員の家の長男として広島市で生まれた。中津川肥田氏の肥田帯刀17代目にあたる。早稲田第一高等学院建築科に入学、登山と音楽に夢中であった。あるとき友人から誘われて東京下町の工場街にある託児所を見学、不衛生と貧困のもとにおかれた児童の実情を初めて知り度肝をぬかれたことがきっかけで、医師を志すようになり、日本大学専門部医学科に入学。「小児衛生研究会」を立ち上げ、託児所の健康管理の手伝いを始めたが、2年次のとき文部大臣荒木貞夫から「自由主義的傾向あり」と解散を命じられ、以来軍人嫌いが確固としたものになった。
羽田野 忠文(はたの ちゅうぶん、1917年1月1日 - 2… 羽田野 忠文(はたの ちゅうぶん、1917年1月1日 - 2004年3月17日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(4期)。 現大分県豊後大野市朝地町出身。1940年、法政大学専門部法律科卒業。 大日本帝国海軍法務大尉、弁護士、福岡大学教授、大分県弁護士会長、大分県議会議員を務める。 1967年の第31回衆議院議員総選挙大分1区に無所属で立候補するが、落選。1969年の第32回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で立候補し、初当選。以後4期務める。1974年11月、第2次田中角栄第2次改造内閣・外務政務次官。同年12月、三木内閣・外務政務次官。1976年、三木改造内閣・法務政務次官。1981年、衆議院法務委員長。
釜賀 一夫(かまが かずお、1917年(大正6年)1月1日 … 釜賀 一夫(かまが かずお、1917年(大正6年)1月1日 - 2003年(平成15年)11月23日)は、熊本県出身の陸軍軍人、陸上自衛官。日本陸軍における暗号作成者、暗号解読者である。戦後も陸上自衛隊で暗号解読に従事した。ペンネーム加藤正隆として暗号関係の著作がある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
音田 正巳(おんだ まさみ、1917年1月 - 1985年3… 音田 正巳(おんだ まさみ、1917年1月 - 1985年3月)は、日本の経済学者。専門は社会政策の研究。帝塚山大学元学長。 1917年生まれ。大阪府立今宮中学校、大阪高等学校を経て、1936年東京帝国大学経済学部に入学。 1939年(昭和14年)短期現役海軍主計科士官(2期)を志願。同年5月、海軍経理学校に入学し海軍主計中尉に任官。同年9月に卒業。龍驤に配属。以後、第8駆逐隊付、第8駆逐隊主計長、呉鎮守府付呉海軍工廠長承命服務、呉工廠砲熕部員兼会計部員を歴任し、1943年(昭和18年)7月、予備役に編入。同年11月応召して横須賀鎮守府出仕兼海軍航空技術廠出仕となり、1944年(昭和19年)4月、高座海軍工廠会計部員兼総務部員に転じ、同年11月、海軍主計少佐に昇進して終戦を迎えた。
本谷滋子(もとや しげこ、1917年- )は、日本の料理研究… 本谷滋子(もとや しげこ、1917年- )は、日本の料理研究家。 東京府東京市赤坂区(現・東京都港区赤坂)出身。石川県立金沢第一高等女学校(現・石川県立金沢二水高等学校)卒業。聖心女子専門学校保育科講師、相模女子大学食物学部講師、東京友の会「若い娘の料理教室」責任講師、東京都立新宿婦人高等職業技術専門校講師、朝日カルチャーセンター講師などを歴任。 和、洋、中華の家庭料理に通じ、特にイタリア料理に造詣が深く、日本にイタリア料理を紹介した草分け的存在。おいしい家庭料理をモットーに、的確な指導には定評がある[誰によって?]。1983年東京都優秀技能賞、1986年北イタリア料理人連盟技術賞などを受賞[要出典]。
今井 信雄(いまい のぶお、1917年 - 2009年)は、… 今井 信雄(いまい のぶお、1917年 - 2009年)は、日本の国文学者。信州白樺派教員に関する研究の第一人者である。 長野県諏訪郡長地村(現・岡谷市)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、國學院大学卒業。長野県内の小中高校教諭を経て、1948年成城学園中学校高等学校教諭。指揮者小澤征爾の中学の担任となり、小澤が指揮者の道に進んだのは今井の進言が影響した。成城短期大学(のちの成城大学短期大学部)助教授を経て、同短期大学教授、同短期大学学長。1983年退官、同短期大学名誉教授。
小口 忠彦(おぐち ただひこ、1917年 - )は、日本の心… 小口 忠彦(おぐち ただひこ、1917年 - )は、日本の心理学者。お茶の水女子大学名誉教授。 長野県諏訪郡下諏訪町生まれ。旧制長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)、旧制第三高等学校を経て、1945年に東京帝国大学文学部心理学科を卒業。東京学芸大学助教授、お茶の水女子大学文教育学部助教授、教授。1981年、定年退官、名誉教授。受験指南書を多く書いた。
逵原 実(つじはら みのる、1917年 - 2005年、逵原… 逵原 実(つじはら みのる、1917年 - 2005年、逵原ミレイ、姓は「辻原」とも書かれる)は、三重県出身の人物。軍歌『戦友の遺骨を抱いて』の作詞者である。 1917年(大正6年)生まれ。三重県立宇治山田中学校卒業。作家・吉川英治の青年運動に参加(土の愛の家)。1937年(昭和12年)、大日本帝国陸軍近衛歩兵第1連隊に入隊し、華中(中支)・華南(南支)・フランス領インドシナ(仏印)・タイ・マレーと転戦する。1942年(昭和17年)のシンガポールの戦いの後、『戦友の遺骨を抱いて』の詞をしたためた手帳を原嘉章に手渡した。軍の宣伝班の計らいで曲が付けられ、陣中新聞『建設戦』紙上に発表されると、たちまち全軍に流行した。
酒井 治彦(さかい はるひこ、1917年 - 1944年2月… 酒井 治彦(さかい はるひこ、1917年 - 1944年2月) は、日本の元アマチュア野球選手。佐賀県出身。 佐賀中学(現・佐賀県立佐賀西高等学校)を経て、1936年早稲田大学に入学、東京六大学リーグ戦でも投手として出場した。しかし早大卒業後応召され、1944年2月、南方諸島(正確な死没地、没月日は不明)で戦死した。享年26。 東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、同郷で、高校・大学の先輩である鶴崎俊篤と共に、彼の名前が刻まれている。
北原 昇(きたはら のぼる、1917年 - 没年不明)は、長… 北原 昇(きたはら のぼる、1917年 - 没年不明)は、長野県出身のプロ野球選手。ポジションは二塁手、遊撃手。
保手浜 明(ほてはま あきら、1917年 - 没年不明)は広… 保手浜 明(ほてはま あきら、1917年 - 没年不明)は広島県出身の元プロ野球選手。
岡本 敏男(おかもと としお、1917年 - 没年不明〈20… 岡本 敏男(おかもと としお、1917年 - 没年不明〈2004年以前〉)は、熊本県出身のプロ野球選手。ポジションは投手。
岩瀬 幸(いわせ ただし、1917年 - )は、日本の外交官… 岩瀬 幸(いわせ ただし、1917年 - )は、日本の外交官、外務省に奉職し、在ニカラグア日本大使(1978年 - 1980年)を務めた。 1937年(昭和12年)、横浜専門学校(現・神奈川大学)に進学。同級生には、戦時中、在タイ日本国大使館で副領事官を務めた西野順治郎がいる。当時、横浜専門学校では 学監米田吉盛の学校設立当初からの希望で貿易学科が設置され、貿易、国際法、語学の専門的な授業が行われていた。 1937年4月に在学中に外務省留学生試験を受験、筆記、二次の外国語会話を含む口頭試験を経て合格し、ポルトガルのリスボンへ留学する。1978年(昭和53年)、在ニカラグア日本国大使館に大使として赴任。
森修(もり しゅう、1917年 - 1987年)は、日本近世… 森修(もり しゅう、1917年 - 1987年)は、日本近世文学研究者。大阪市立大学名誉教授。 大阪府生まれ。1941年京都帝国大学国文科卒。大阪市立大学助教授、教授。1981年定年退官、光華女子大学教授。近松門左衛門を専門とした。
松本 たま(まつもと たま、1917年 - )は、日本の翻訳… 松本 たま(まつもと たま、1917年 - )は、日本の翻訳家。 東京出身。1938年津田英学塾卒、1954年上智大学大学院西洋文化修士課程修了。1948-83年上智大学に勤務し、季刊誌『ソフィア』の編修に当たる。1991年『通辞ロドリゲス』で日本翻訳出版文化賞、ヨゼフ・ロゲンドルフ賞受賞。
橋本 善次郎(はしもと ぜんじろう、1917年 - 1990… 橋本 善次郎(はしもと ぜんじろう、1917年 - 1990年)は探偵公論社の編集者兼経営者。江戸川乱歩等による連作小説『江川蘭子』や、探偵小説雑誌などを編集・発行した。日本推理作家協会所属。 中央大学・専修大学卒。 本業は会計士。江戸川乱歩によれば、「戦前の「ぷろふいる」の寄稿家で、古い探偵ファン」であり、「面白い風格の人で作家たちにも敬愛されていた」という。 1947年(昭和22年)4月に探偵公論社から『真珠』を創刊するが、1948年(昭和23年)8月発行の第7号で廃刊。1949年(昭和24年)1月に真珠文庫社から『探偵趣味』を創刊するが、1号限りで廃刊。このほか、探偵公論社からは『殺人迷路』『江川蘭子』などの探偵小説本も刊行した。
岡田 忠軒(おかだ ちゅうけん、1917年 - 1997年3… 岡田 忠軒(おかだ ちゅうけん、1917年 - 1997年3月)は、日本の英文学者、茨城大学名誉教授。 埼玉県出身。1942年、東京帝国大学英文科卒。茨城大学助教授、教授。1981年定年退官、名誉教授、城西大学女子短期大学部教授。1990年、茨城女子短期大学教授。1992年秋、勲三等旭日中綬章受勲。
木村 栄一(きむら えいいち、1917年 - 1982年)は… 木村 栄一(きむら えいいち、1917年 - 1982年)は、日本の医学者。日本医科大学学長、日本医科大学名誉教授。 東京帝国大学医学部を卒業後、東京大学大学院医学系研究科修了、医学博士。東北大学医学部教授を経て、日本医科大学循環器内科学教授、主任教授。日本医科大学学長を1980年から1982年まで務めた。1982年逝去。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
高野 史男(たかの ふみお、1917年 - 2002年)は、… 高野 史男(たかの ふみお、1917年 - 2002年)は、日本の地理学者。専門は、地誌学・都市地理学。学位は、理学博士。 千葉市に生まれ、千葉女子師範学校附属小学校(千葉大学教育学部附属小学校の前身)、千葉県立千葉中学校(千葉県立千葉中学校・高等学校の前身)を経て、東京高等師範学校文科四部(地歴)で地理を専攻した。卒業後、岡山県師範学校で教職に就いたが、後に休職して東京文理科大学地学科に入学して地理学を専攻した。卒業後は特別研究生となり、その後、長野師範学校、それが移行した信州大学教育学部、愛知学芸大学で教鞭を執った。1961年には、「都市圏パターンに関する地域構造論的研究」により、東京教育大学から理学博士の学位を取得。
内山 正雄(うちやま まさお、1917年 - 2009年)は… 内山 正雄(うちやま まさお、1917年 - 2009年)は、日本の造園学者。東京農業大学などで後進の育成にあたり、日本造園学会会長などを歴任した。 東京府東京市日本橋区葺屋町(現・中央区日本橋人形町)生まれ、豊多摩郡中野町(現・中野区)育ち。実家は商店を営む。京華中学校を経て、1934年に東京農業大学に進学した。1939年に同大学卒業後、東京市役所に勤務するが、1943年、海軍航空隊に招集された。戦後、東京都庁に復員する際、国家公務員の身分となって戦災復興院に出向し、その後建設省まで二十数年勤務した。 1969年より東京農業大学に勤務し、研究・教育の傍ら、国家公務員試験作成や造園施工管理技士試験作成にも関与した。
藤沢 袈裟利(ふじさわ けさと、1917年 - )は 元東京… 藤沢 袈裟利(ふじさわ けさと、1917年 - )は 元東京農工大学工学部教授、元神奈川大学工学部教授。 専門は軽量行政学、 経営数学、経営工学、在庫量管理。
宇田川 竜男(うだがわ たつお、1917年(大正6年) - … 宇田川 竜男(うだがわ たつお、1917年(大正6年) - 2006年(平成18年))は、日本の鳥類学者、麻布大学名誉教授。別名に宇田川辰男、宇田川龍男、宇田川育男。 1917年(大正6年)、東京に生まれる。1937年(昭和12年)に東京高等獣医学校を卒業。上野恩賜公園動物園勤務を経て、1947年(昭和22年)に農林省林業試験場鳥獣研究室に移る。後に同研究室長。1958年(昭和33年)に北海道大学から理学博士の学位を授与され、1959年(昭和34年)には日本鳥学会学会賞を受賞した。麻生獣医科大学教授。後に同大学名誉教授。鳥獣類の研究、飼育の第一人者として、総理府動物保護審議会委員、財団法人山階鳥類研究所監査役なども歴任。
浅沼 靖(あさぬま きよし、1917年 - 1999年)は、… 浅沼 靖(あさぬま きよし、1917年 - 1999年)は、日本の生物学者。 1917年北海道江別市に生まれる。 1940年北海道大学理学部卒業 資源科学研究所(1942年-1969年)、国立科学博物館(1969年-1982年) 以上、外部リンクの江原昭三「浅沼靖先生を偲んで」より 1956年に「吸血性ダニ類に関する研究」で日本衛生動物学会学会賞受賞
赤川 童太(あかがわ どうた、1917年 - 1988年)は… 赤川 童太(あかがわ どうた、1917年 - 1988年)は、日本の漫画家。函館市出身。 帝国美術学校図案科を卒業したのち、サラリーマン、兵役を経て漫画家となる。1947年(昭和22年)11月に結成された漫画家の集団である独立漫画派に参加し、1953年(昭和28年)ごろには白鷗社の『笑の泉』で作品を執筆した。「KAPPA」というサインを使用し、一枚絵や短編漫画を手掛けた。 特にサイレント漫画の名手とされ、吉行淳之介は赤川のマンガを高く評価していた。1962年(昭和37年)10月に目黒にてイワタ・タケオ、坂口たけしと共に創作集団「ちゃり」を結成。1988年(昭和63年)、死去。 もりたなるおは赤川について、天才漫画家であったが、その作品は高い知性を持つ者でなければ理解できないものであったがためにその愛好者はごく限られたものだったとしている。
島岡 茂(しまおか しげる、1917年〈大正6年〉 - 20… 島岡 茂(しまおか しげる、1917年〈大正6年〉 - 2009年〈平成21年〉)は、日本のフランス語学者。早稲田大学名誉教授。 1942年、早稲田大学文学部卒。早稲田大学法学部助教授、教授。1988年、定年退任、名誉教授。
出宮 順一(でみや じゅんいち、1917年 - 1945年6… 出宮 順一(でみや じゅんいち、1917年 - 1945年6月)は、日本の自転車競技選手。岡山県の旧玉島町(現・倉敷市)出身。 1936年ベルリンオリンピック日本代表選手に選出され、同大会の開会式には参加したが、役員の登録ミスでレースに出場できなかった。その3ヵ月後、結果的に日本人選手として、オリンピックも含めて初めて自転車競技の世界大会出場となった、スイスのチューリッヒとベルンで開催された同年世界選手権自転車競技大会に、石塚隆春、村上二三九、困見辰夫の3人とともに参加。スクラッチ及び145kmロードレース(いずれもアマチュア部門)に出場し、ロードレースにおいて7位に入る健闘を見せた。 その後、第二次世界大戦が始まると陸軍に召集されて出征。
大迫 辰雄(おおさこ たつお、1917年〈大正6年〉- 20… 大迫 辰雄(おおさこ たつお、1917年〈大正6年〉- 2003年〈平成15年〉)は、日本交通公社職員。千葉県千葉市出身。第2次世界大戦中の日本において、ユダヤ人を安全に亡命させるために尽力した人物の一人。 1939年(昭和14年)、ドイツ軍のポーランド侵攻によって、第2次世界大戦が勃発。ナチス・ドイツが占領地にてホロコースト等のユダヤ人迫害政策を行う中、ヨーロッパのユダヤ人は西ヨーロッパへの逃げ道を失い、東欧、そしてソ連方面へと逃れた。在米ユダヤ人協会がアメリカ合衆国連邦政府の許可を受け、米ウォルター・プラウンド社(後に英トーマス・クック社に合併)を通して、ジャパン・ツーリスト・ビューロー(現在の日本交通公社、JTB)にユダヤ人輸送の斡旋協力を依頼する。
國井 誠海(くにい せいかい、1917年〈大正6年〉 - 2… 國井 誠海(くにい せいかい、1917年〈大正6年〉 - 2009年〈平成21年〉12月27日)は日本の書家。現代書を開拓した巨匠で、産経国際書展を設立し、産経国際書会の副理事長や最高顧問など歴任した。作品は米国ニューヨーク近代美術館(MOMA)や文部省、伊勢神宮などにも収められている。 山形県生まれ、1935年(昭和10年)山形市立山形商業学校(現・山形市立商業高等学校)卒業、地域電力会社(現・東北電力)に勤務。1940年文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験(文検)に合格。鈴木翠軒に師事した。 太平洋戦争後に生まれた「現代書」の開拓者で、1970年代からフランスパリ、アメリカニューヨークやロサンゼルスなど海外でも個展を開くなど、国内外で書をアートとして広める活躍で、「現代書のパイオニア」と称された。
横内 寿八郎(よこうち じゅはちろう、1917年 - 200… 横内 寿八郎(よこうち じゅはちろう、1917年 - 2002年8月1日)は、日本の医師。国立病院機構東名古屋病院元院長。長野県生まれ。 1933年(昭和8年)旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。旧制松本高等学校理科を経て、1941年(昭和16年)九州帝国大学医学部を卒業。1971年(昭和46年)、国立療養所中部病院を経て、国立病院機構東名古屋病院院長を務めた。 1986年、勲二等瑞宝章を受章。2002年8月1日、多臓器不全のため死去。 当時、寿八郎のもとで医師を務めた加古健は、名古屋大学第二外科同門会誌「素友」に起稿した「横内寿八郎先生を偲んで」の中で寿八郎の人柄を偲んでいる。
居村 栄(いむら さかえ、1917年-2006年1月12日)… 居村 栄(いむら さかえ、1917年-2006年1月12日)は、日本の教育学者。 大阪府出身。大阪府立堺中学校、大阪高等学校、東京帝国大学文学部社会学科卒業。文部省に入り、山梨県教育委員会社会教育主事、1952年岡山大学教育学部助教授、教授、83年定年退官、名誉教授、就実女子大学教授。
嘉藤栄吉(かとう えいきち、1917年 - 2008年6月2… 嘉藤栄吉(かとう えいきち、1917年 - 2008年6月28日)は、兵庫県出身の元アマチュア野球選手。高校野球にて活躍した。
植村 雅彦(うえむら まさひこ、1917年 - 2006年2… 植村 雅彦(うえむら まさひこ、1917年 - 2006年2月25日)は、西洋史学者。大阪大学名誉教授。専門は英国史。 京都府生まれ。1942年京都帝国大学文学部史学科卒。1950年岡山大学助教授、教授、大阪大学教養部教授、79年大阪大学文学部教授、81年定年退官、名誉教授、愛知学院大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小野 春男(おの はるお、1917年 - 1943年12月2… 小野 春男(おの はるお、1917年 - 1943年12月2日)は、京都市出身の日本画家。日本画家小野竹喬の長男。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
中村 泰三(なかむら たいぞう、1917年 - 2002年8… 中村 泰三(なかむら たいぞう、1917年 - 2002年8月26日)は、日本の写真家。 1954年、浪華写真倶楽部に入会。花和銀吾、中藤敦、本庄光郎などの指導を受けた。ポスタリゼーション作品を得意とした。代表作に『イタリア旅情:ポスタリゼーションによる作品集』がある。 1917年に大阪市で生まれる。京都市立美術工芸学校(現京都市立芸術大学)卒。2002年没。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
丸尾 文治(まるお ぶんじ、1917年 - 2015年1月5… 丸尾 文治(まるお ぶんじ、1917年 - 2015年1月5日)は、日本の生物学者(生化学・分子生物学・農芸化学)、教育者。勲等は勲三等。学位は農学博士(東京大学・1954年)。東京大学名誉教授、社団法人日本生化学会名誉会員。 片倉製糸紡績株式会社での勤務を経て、東京帝国大学農学部助手、東京大学農学部助教授、東京大学応用微生物研究所教授、社団法人日本生化学会会長(第26代)、東京大学応用微生物研究所所長、東京大学評議員、日本大学農獣医学部教授、日本大学農獣医学部次長、埼玉第一高等学校校長(第3代)などを歴任した。 生化学、分子生物学、農芸化学などを専攻する静岡県出身の生物学者である。枯草菌の酵素に関する研究が知られており、α-アミラーゼの生成を制御する7つの遺伝子を特定し、それらを組み合わせることで生産性を従来の数千倍にまで向上させた。
酒井 琢朗(さかい たくろう、1917年 - 2005年11… 酒井 琢朗(さかい たくろう、1917年 - 2005年11月14日)は、日本の人類学者。長野県塩尻市出身。東京歯科医学専門学校(現東京歯科大学)卒。愛知学院大学名誉教授。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
井上 寛(いのうえ ひろし、1917年 - 2008年6月2… 井上 寛(いのうえ ひろし、1917年 - 2008年6月2日)は、日本の昆虫学者。 東京農業大学を卒業し、1967年から大妻女子大学で教授を務めた。日本の蛾類研究の第一人者であり、世界的にも著名な蛾類学者である。生涯で記載した新種や新亜種などの分類群は1042にのぼり、また、イノウエマダラ Inouela exiguitata やイノウエトガリメイガ Endotricha inouei など、多くの新種の献名の対象となった。中心となって編纂に関わり1982年に出版された『日本産蛾類大図鑑』は、現在でも日本産の蛾類に関する権威ある図鑑のひとつである。標本のコレクションの多くは1992年にロンドン自然史博物館に寄贈されたが、一部は農業環境技術研究所に収蔵されている。
大槻 富之助(おおつき とみのすけ、1917年 - 2011… 大槻 富之助(おおつき とみのすけ、1917年 - 2011年11月23日)は、日本の数学者。専門は微分幾何学。東京工業大学名誉教授。 微分幾何学を専門とし、曲線・曲面論からリーマン幾何、多様体、接続の理論まで幅広く講義・執筆した。講義では独自の概念として「大槻多様体」「大槻接続」を導入し、測地線の決定に複素関数論を援用する手法などを展開していた。これらは一部の数学者の間で言及されるが、広く標準的な用語として定着したわけではない。 これらの教科書は、戦後日本の微分幾何学教育に寄与した。 学生時代、期末試験で制限時間のない問題に長時間取り組み、教官と論争したエピソードがある。解けずに帰宅後一晩で解き、翌日持参したところ議論になり、「生意気だ」と怒鳴られたことに憤慨して大学をしばらく休んだという。
姜 明求(カン・ミョング、朝鮮語: 강명구、1917年 - … 姜 明求(カン・ミョング、朝鮮語: 강명구、1917年 - 2000年5月3日)は、大韓民国の建築家。元中央大学校建築科教授。 日本統治時代のソウル出身。以後渡日し1940年に早稲田高等工学校建築科卒業。1943年から1946年まで朝鮮住宅営団の設計部技師を務め、1946年より独立して設計事務所を設立した。1954年、渡米しニューヨークの建築会社で設計を務め、帰国し1955年に弘益大学校の講師を務め、1961年に助教授となった。1956年より大韓美術協会理事、1956年-1963年国展審査委員、1957年韓国建築家協会理事、1961年国会議事堂建設委員および大韓住宅営団住宅建設委員、1962年芸術家総連合会(1961)などを歴任し、1960年第3回国際造形会議に韓国代表として参加したこともある。
牧野 隆信(まきの りゅうしん、1917年 - 2006年1… 牧野 隆信(まきの りゅうしん、1917年 - 2006年1月19日)は、石川県の教育者、郷土史家。北前船研究の第一人者。日本海事史学会理事、全国北前船研究会会長。 1917年、石川県加賀市生まれ。石川県師範学校本科第1部卒業。小学校訓導を経て、1943年、文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験合格(日東史)。石川県立大聖寺高等女学校教諭となる。戦後は新制の石川県立大聖寺高等学校教諭を経て、1977年、大聖寺高等学校校長を最後に退職。退職後は1989年3月まで石川県加賀市立図書館嘱託として勤務。 教員としての勤務の傍ら、1955年、地域の教員、医師、神社宮司らと共に「江沼地方史研究会」を創設。
倉澤 清忠(くらさわ きよただ、1917年 - 2003年1… 倉澤 清忠(くらさわ きよただ、1917年 - 2003年10月29日)は、大日本帝国陸軍軍人。 陸軍士官学校航空分校(第50期)卒業、最終階級は陸軍少佐。鉾田陸軍飛行学校研究部や第6航空軍で特別攻撃隊に携わった。 東京都杉並区出身。第一東京市立中学校(のちの東京都立九段高等学校)卒業、1929年に北多摩郡保谷村(現・西東京市)に転居。士官候補生第50期在学中に航空兵科へ転科し、陸軍航空士官学校の最初の卒業者の一人となった。卒業後、浜松陸軍飛行学校で軽爆撃機の操縦を習得した。操縦の技術は高く、1940年(昭和15年)に神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った紀元二千六百年記念観兵式では選抜されて昭和天皇の前で編隊飛行を披露している。
中村 登美(なかむら とみ、1916年12月29日 - 20… 中村 登美(なかむら とみ、1916年12月29日 - 2016年4月9日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員(1期)。参議院議員先代中村喜四郎の妻、元衆議院議員(元建設大臣)中村喜四郎の母。 茨城県那珂郡出身。1935年茨城県立水戸高等女学校(現・水戸第二高等学校)卒。中村喜四郎と結婚し、夫が運営する自動車学校の役員から校長となる。1971年暮れ、夫が死去し、翌年2月の参議院補欠選挙で茨城地方区において諸派(喜友会)から立候補して、自民党公認候補などを破り当選し、茨城県初の女性参議院議員となった。当選後は自民党に入り、参議院物価等対策特別委員長などを歴任した。参議院議員は1期務め、1977年の第11回参議院議員通常選挙には出馬しなかった。
堀川 弘通 (ほりかわ ひろみち、1916年〈大正5年〉12… 堀川 弘通 (ほりかわ ひろみち、1916年〈大正5年〉12月28日 - 2012年〈平成24年〉9月5日)は、日本の映画監督。成城大学名誉教授の堀川直義は兄。 京都府京都市出身。東京市立一中(現:九段高校)、成城高等学校(現:成城大学)を経て、1940年、東京帝国大学文学部卒業。同年、東宝撮影所製作部に演出助手係として入社。最初に山本嘉次郎の『馬』の盛岡ロケから助監督として参加し、この時にチーフ助監督だった黒澤明と仲良くなり、仕事を終えるといつも2人で飲みに回ったという。入社1年後にオーバーワークがたたって肺を病み、1年半休職する。復帰後はすでに監督になった黒澤の作品に就き、『一番美しく』『続姿三四郎』に参加、1945年に軍隊に召集されるが、敗戦となり10月に復員して東宝に戻る。
文 鍾斗(ムン・ジョンドゥ、朝鮮語: 문종두、1916年12… 文 鍾斗(ムン・ジョンドゥ、朝鮮語: 문종두、1916年12月25日 - 1987年8月29日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の教育公務員、実業家、政治家。第3・4代韓国国会議員。 本貫は南平文氏(朝鮮語版)。号は悟耕。 日本統治時代の慶尚北道漆谷郡出身。大邱公立商業学校(現・大邱商苑高等学校(朝鮮語版))、中央大学法科卒。大邱市学務課長署理、慶尚北道知事官房、人事審査院慶尚北道高試課長、金泉中学期成会会長、慶尚北道理事官・教育委員、金泉時報社長、金泉商工会議所会長、金泉新聞記者団団長、民主共和党慶尚北道金泉地区党委員長・中央常任委員を務めた。 晩年は尹奉吉義士義挙55周年記念事業推進会副会長を務めた。
本間 正義(ほんま まさよし、1916年12月25日 - 2… 本間 正義(ほんま まさよし、1916年12月25日 - 2001年10月10日)は、日本の美術評論家。 新潟県長岡市出身。旧制長岡中学、旧制二高、東京帝国大学文学部美学美術史学科卒業。東京国立近代美術館次長を経て、1975年(昭和50年)大阪国立国際美術館長、1982年(昭和57年)埼玉県立近代美術館長。 サンパウロビエンナーレ、現代日本美術展など、国内外の主要美術展の審査員としても活躍した。専門の近代彫刻のほか、美術館運営や企画、国際展の審査などで活躍。ユニークな展覧会を企画する名物館長として知られた。美術評論家連盟会長。オーボエ奏者で古楽研究者であった本間正史(1947-2016)は子息。
横田 伊佐秋(よこた いさあき、1916年〈大正5年〉12月… 横田 伊佐秋(よこた いさあき、1916年〈大正5年〉12月25日 - 1998年〈平成10年〉1月14日)は、日本の物理学者。理学博士。新潟大学名誉教授。専門は物性物理学。 九州帝国大学医科大学生理学教室助手・横田武三(本籍:埼玉県)の長男として出生。1917年(大正6年)9月の父・横田武三の新潟医学専門学校生理学教室第2代教授への就任に伴って新潟県新潟市(現 新潟市中央区)に転居。 1933年(昭和8年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1936年(昭和11年)3月に新潟高等学校を卒業、1939年(昭和14年)3月に東京帝国大学理学部物理学科を卒業。 1939年(昭和14年)に北海道帝国大学理学部助手に就任、1942年(昭和17年)5月に中央気象台附属気象技術官養成所教授に就任、1946年(昭和21年)7月に新潟高等学校教授に就任。
福田 孝(ふくだ たかし、1916年(大正5年)12月25日… 福田 孝(ふくだ たかし、1916年(大正5年)12月25日 - 1998年(平成10年)8月19日)は、日本の技術者、実業家、経営者、フクダ電子創業者。 千葉県印旛郡大森町(現在の印西市)に生まれる。電機学校(現・東京電機大学)卒業後、大学で学んだ知識を医療に生かそうと、特に1930年代に登場した心電計に着目した。1939年(昭和14年)に独力で福田特殊医療電気製作所(現・フクダ電子)を創業。当時の心電計は直流電池を電源に真空管3本と可動鉄片型ガルバー、ゼンマイ式モーターを使った簡単な構造の心電計で、オシログラフペーパーに記録し現像するという代物だった。 戦後、交流電源を使うようになったが、今度は雑音が激しく専門家が操作を手助けするような状況で、まだまだ臨床での利用にはほど遠かった。
福鎌 忠恕(ふくかま ただひろ、1916年12月24日 - … 福鎌 忠恕(ふくかま ただひろ、1916年12月24日 - 1991年4月12日)は、ドイツ文学・西洋思想史学者。弟は福鎌達夫。 大阪府出身。1941年上智大学文学部独文学科卒業。東洋大学社会学部助教授、教授、1962年「モンテスキューの社会学思想」で東洋大学文学博士。1987年名誉教授。1990年『ヴィーコ自叙伝』で日本翻訳出版文化賞受賞。専攻は知識社会学、言語社会学。1991年4月12日、食道癌のため死去。