法華津 寛(ほけつ ひろし、1941年3月28日 - )は、… 法華津 寛(ほけつ ひろし、1941年3月28日 - )は、東京府出身の日本の馬術選手、実業家。アバロン・ヒルサイドファーム所属。 武蔵中学校・高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部を卒業後、日本石油に入社。 学生時代から選手として数々の大会に出場した。1964年に開催された東京オリンピックに出場し、障害飛越個人40位、同団体12位の成績だった。 東京オリンピック後に日本石油を退職し、デューク大学大学院へ留学し経済学専攻修士課程を修了。その後は外資系製薬会社エフ・ホフマン・ラ・ロシュ、ジョンソン・エンド・ジョンソンを経て1981年から同社傘下のオーソ・クリニカル・ダイアグノスティックス(Ortho-Clinical Diagnostics)に勤務した。
米澤 潤一(よねざわ じゅんいち、1941年3月28日 - … 米澤 潤一(よねざわ じゅんいち、1941年3月28日 - )は日本の大蔵官僚。理財局総務課長、横浜税関長、大臣官房審議官(国際金融局担当)、理財局次長(理財担当)、関税局長、日本銀行理事、(公財)金融情報システムセンター理事長などを歴任。国立政策研究大学院大学、埼玉大学大学院客員教授、同志社大学大学院非常勤講師、財政評論家として著書論文多数。 神奈川県出身。栄光学園高等学校、東京大学法学部卒業。1963年 大蔵省入省(大臣官房文書課)。1969年7月17日 徳山税務署長。1971年7月 主計局総務課長補佐(歳入・企画)。専担は歳入係と財政制度等審議会の庶務であるが、予算編成全体の特命事項も担当した。
朝倉 正昭(あさくら まさあき、1941年3月28日 - 2… 朝倉 正昭(あさくら まさあき、1941年3月28日 - 2020年3月15日)は、日本の教育学者、国士舘大学体育学部名誉教授、元同大学学長。専門分野は体育科教育学。学位は体育学(学士)、経済学(学士)。 鹿児島県姶良郡蒲生町出身。鹿児島県立加治木高等学校卒業。1963年3月、国士舘大学体育学部卒業。1967年3月国士舘大学政経学部二部卒業。 1963年より国士舘大学体育学部助手、1970年より講師、1973年より助教授。1986年より国士舘大学体育学部教授。1992年国士舘大学体育学部教務主任、同年日本体育学会体育科教育学専門分科会理事長、1996年日本体育科教育学会理事長、2000年国士舘大学体育学部附属体育研究所長、2003年全日本学生体操連盟会長、2004年国士舘大学生涯学習センター長、2006年国士舘大学学生部長、2007年国士舘大学就職センター長を歴任し、2009年12月より国士舘大学学長。
小林 克也(こばやし かつや、1941年〈昭和16年〉3月2… 小林 克也(こばやし かつや、1941年〈昭和16年〉3月27日 - )は、日本のラジオDJ、ナレーター、タレント、俳優。広島県福山市野上町出身。DJに特異な分野を築いた第一人者、DJ草分けであり、ロックの伝道者。「ミスター音楽」と呼ばれる事もある。愛称はKORBY(コービー)。福山ふるさと大使 第1号。 キッスの日本公演に同行したアメリカ人ジャーナリストが「アメリカで立派に英語の先生になれる」と評するほど流暢な英語を話す。 広島大学附属福山高等学校卒業、慶應義塾大学経済学部中退。 父親を早くに亡くし、教師だった母親の手で育てられた母子家庭。大きなラジオがおもちゃで、小学校3年生の頃、ラジオの丸ダイヤルをひねると色んな言語の放送が入ってきた。
榊原 英資(さかきばら えいすけ、1941年3月27日 - … 榊原 英資(さかきばら えいすけ、1941年3月27日 - )は、日本の経済学者、青山学院大学教授。元大蔵官僚。専門は国際金融論。元丸紅の榊原俊資は実弟。
木村 博江(きむら ひろえ、1941年3月27日 - )は、… 木村 博江(きむら ひろえ、1941年3月27日 - )は、日本の翻訳家。 東京出身。国際基督教大学卒業。エールフランス勤務、草思社勤務、編集者を経て、はじめ音楽関係の翻訳をするが、のち動物もの、恋愛論などノンフィクションや推理小説に領域を広げる。『なぜ美人ばかりが得をするのか』(ナンシー・エトコフ、草思社、2000年)はベストセラーになった。また、前野 律名義でジャズ関係の本のほか、ロマンチックサスペンスものや、幼児教育関係の本の翻訳も手がけている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
竹下 孝哉(たけした たかや、1941年(昭和16年)3月2… 竹下 孝哉(たけした たかや、1941年(昭和16年)3月27日 - )は、日本の栃木県芳賀郡益子町の益子焼の陶芸家である。 窯元の名称は「蝶風窯」。 同じく益子焼の陶芸家である竹下鹿丸の父親である。 陶芸家になる前は登山家・探検家として活動していた。 そして、南米アマゾン川流域の原住民たちの過酷な現実と実態を綴ったノンフィクション『ナパニュマ アマゾン原住民と暮らした女』の訳者の一人である。 1941年(昭和16年)3月27日、台湾台北で生まれる。終戦後に日本に引き揚げてきた。 静岡県で落ち着いた後、東京都立九段高等学校を卒業し、東京外国語大学の中国語科に入学した。 学生時代の1964年(昭和39年)、日本アルプスを登坂した。
三輪 克明(みわ かつあき、1941年3月26日 - 20… 三輪 克明(みわ かつあき、1941年3月26日 - 2007年9月15日)は、日本の経営者、銀行家。武蔵野銀行頭取を務めた。 神奈川県出身。1964年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、同年に武蔵野銀行に入行した。1991年に取締役に就任し、1994年6月に常務、1996年6月に専務を経て、1998年6月には頭取に就任。2007年8月には病気療養のために相談役に退いた。 2007年9月15日、死去。66歳没。
大橋 勲(おおはし いさお、1941年3月25日 - )は、… 大橋 勲(おおはし いさお、1941年3月25日 - )は、高知県高知市出身(兵庫県生まれ)の元プロ野球選手(捕手)。 幼少の頃に出生地の兵庫から、一家と共に高知へ移り、父・隆は高知で不動産業を成功させた。大橋は何不自由ない裕福な家庭で育ち、プロ入り後は帰郷すると、玄関に家政婦が3人も三つ指をついて出迎えてくれるという噂があった。土佐中から内部進学した土佐高では2年次の1957年に秋季四国大会県予選で決勝に進むが、高知商の山崎武昭・森光正吉の継投に抑えられて惜敗。この頃は遊撃手としてプロスカウトの目にとまる逸材であったが、当時の高知商は俊足揃いであったため、この足を封じるために肩の良い大橋が捕手に転向したというエピソードがある。
押川 壽夫(おしかわ としお、Berard Toshio O… 押川 壽夫(おしかわ としお、Berard Toshio Oshikawa, O.F.M. Conv., 1941年3月25日-)は、日本のカトリック教会聖職者でカトリック那覇教区第2代司教。コンベンツァル聖フランシスコ修道会士で、洗礼名は「べラルド」。 1941年3月25日、鹿児島県名瀬市(現奄美市名瀬)で生まれる。奄美大島で宣教の傍ら約半世紀に渡り社会福祉に貢献したゼローム・ルカゼウスキー神父の指導により司祭職を目指して、中学校3年生で長崎県長崎市の聖母の騎士学園に入学。高校3年生時には小神学校の生徒代表プレゼスとなった。東京都王子のコンベンツァル会大神学校に進学し、ローマの同修道会大神学院に留学。
濱野 成秋(はまの せいしゅう、1941年3月25日 - )… 濱野 成秋(はまの せいしゅう、1941年3月25日 - )は日本の作家・アメリカ文学者。 大阪府堺市出身。本名は濱野成生。別名義として浜野 成生(はまの しげお)とも。筆名は立木優(たつきゆう)。慶応義塾大学文学部文学科アメリカ文学専攻を卒業。1995年より日本女子大学文学部英文学科で教授を務めた。2009年、定年により退職。現在、日本浪漫学会会長を務め、同学会主催『令和オンライン万葉集』編集長。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
山崎 洋(やまさき ひろし、1941年3月22日 - )は、… 山崎 洋(やまさき ひろし、1941年3月22日 - )は、日本の翻訳家、ユーゴスラビア研究者。東京生まれで、セルビアのベオグラード在住。 ユーゴスラビアのジャーナリストであるブランコ・ヴケリッチと日本人の母親(山崎淑子、1915-2006)との間に生まれる。母は駒込の米穀薪炭商の娘で、津田英語塾卒業後三井物産に務め、来日中のヴケリッチと1940年に結婚した。洋はユーゴスラビア名としてラヴォスラヴの名を持つ。この名前は詩人であった曾祖父にちなむ。ユーゴスラビアでは通常祖父の名前をつけるが、ヴケリッチはこの曾祖父を尊敬していたからだという。ヴケリッチは山崎が生まれて7ヶ月後の1941年10月にゾルゲ事件に連座して逮捕され、1945年1月に網走刑務所で獄死した。
奥地 圭子(おくち けいこ、1941年3月22日 - )は、… 奥地 圭子(おくち けいこ、1941年3月22日 - )は、元小学校教諭、NPO法人東京シューレの元理事長、現在は学校法人東京シューレ学園長・東京シューレ江戸川小学校の校長である。 東京に生まれ、広島県三原市で育った。1963年、横浜国立大学学芸学部を卒業後、22年間にわたって公立小学校の教諭を続けた。1985年、教諭の職を退き、東京都北区東十条にフリースクール東京シューレを設立。1991年に、北区王子に移転。東京シューレを母体とする登校拒否を考える全国ネットワーク(親の会)や全国不登校新聞社の立ち上げにも尽力し、精力的に執筆・講演活動を行い、2013年、ペスタロッチー教育賞受賞。 不登校問題の黎明期に我が子が不登校(当時は「登校拒否」という言葉が一般的)となり、その一方で自らは現役の小学校教諭という板ばさみの状況の中から、子どもを第一に考えることの大切さ、現代の学校教育の歪みに気付いた。
備仲 臣道(びんなか しげみち、1941年3月21日 - )… 備仲 臣道(びんなか しげみち、1941年3月21日 - )は、日本の著述家・在野史家。日朝関係史に造詣が深い。
川端 正男(かわばた まさお、1941年(昭和16年)3月2… 川端 正男(かわばた まさお、1941年(昭和16年)3月21日 - 2018年(平成30年)6月22日 )は、日本の実業家である。大手非鉄金属メーカーであるフジクラ代表取締役・副社長を務めた。岡山県高梁市出身。 1941年(昭和16年)岡山県上房郡高梁町(現:高梁市)に生れる。高梁北小学校時代は、1学年上に、ANAホールディングス会長になる大橋洋治がいた。大橋は途中で岡大附属小学校へ転校するが、以降生涯に渡り仲が良かった。その後、市立高梁中学校を経て、地元の岡山県立高梁高等学校へ進学、1959年(昭和34年)同校を卒業する。同年、岡山大学文学部へ進学し、1963年(昭和38年)同大学を卒業する。
高桑 美子(たかくわ よしこ、1941年3月21日 - 20… 高桑 美子(たかくわ よしこ、1941年3月21日 - 2016年11月7日)は、日本の英文学者。津田塾大学名誉教授。 1963年津田塾大学英文学科卒業。1967年アメリカ合衆国ブリンマー大学大学院修士課程修了、1969年東京大学大学院博士課程満期退学、津田塾大学文学部専任講師、1973年助教授、1985年教授。2012年定年。 2016年11月7日、誤嚥性肺炎のため死去。
山本 要(やまもと かなめ、1941年3月20日 - )は、… 山本 要(やまもと かなめ、1941年3月20日 - )は、日本の政治家。北海道樺戸郡浦臼町出身。北海道月形高等学校卒業。元北海道樺戸郡浦臼町長(1988年-2008年)。 浦臼町農民協議会副会長や浦臼町議会議員を経て、1988年(昭和63年)に浦臼町長選挙に出馬し当選。以後、5期20年町政を担う。 1991年(平成3年)ウラウス・リゾート開発公社への不正融資疑惑で話題となった。この後、同町の再開発事業を手掛けた。 『ふりーたいむ』(空知新聞社、2008年)
君原 健二(きみはら けんじ、1941年3月20日 - )は… 君原 健二(きみはら けんじ、1941年3月20日 - )は、日本の男子陸上競技(長距離走・マラソン)選手。1960年代から1970年代前半の戦後日本の男子マラソン第1次黄金時代に活躍したランナーである。また、オリンピックには3大会連続で男子マラソン日本代表として出場した。福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)出身。 出生当時、実家は小倉市で小間物屋を営んでいた。5人兄弟の3番目で、姉、兄、弟2人がいる。中学時代、友人から駅伝クラブに入るよう勧められ、断り切れずに陸上を始める。福岡県立戸畑中央高等学校(現・福岡県立ひびき高等学校)時代はインターハイでも予選落ちを経験するなどとりわけ目立った選手ではなく、高校を卒業後の就職活動も思わしくない中、八幡製鐵(現在の日本製鉄)より陸上部の長距離を強化する目的でスカウトされ、卒業直前にようやく入社が決まったという。
渡邉 新(わたなべ あらた、1941年3月20日 - )は、… 渡邉 新(わたなべ あらた、1941年3月20日 - )は、日本の実業家、アルフレッサホールディングス株式会社元代表取締役会長、元社長 1941年3月20日、北海道生まれ。1963年3月、立教大学経済学部卒業。同年4月、武田薬品工業株式会社入社。 1998年12月、福神株式会社(現・アルフレッサ株式会社)入社。 2001年6月、同社常務取締役経営企画部長、2002年6月、取締役専務執行役員、2003年9月、専務取締役、2004年6月、取締役副社長就任。 2006年6月、アルフレッサホールディングス株式会社代表取締役社長就任。2009年4月、同社代表取締役会長就任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
吉村 秀實(よしむら ひでみ、1941年3月19日 - )は… 吉村 秀實(よしむら ひでみ、1941年3月19日 - )は、フリージャーナリスト・防災評論家で、元NHK解説委員。 現役記者時代、社会部記者として様々な事件・事故の取材に携わり、いつしか防災の分野に深くかかわるようになった。
嶋村 輝郎(しまむら てるお、1941年3月18日 - )は… 嶋村 輝郎(しまむら てるお、1941年3月18日 - )は、日本の実業家。ニコン代表取締役社長を務めた。全国発明表彰発明実施功績賞受賞。 北海道旭川市出身。1960年北海道旭川西高等学校卒業。1964年東北大学理学部物理学科卒業、日本光学工業(現ニコン)入社。1979年精機事業部精機営業部第二販売課長。1985年精機事業部精機営業部グループマネージャー。1995年取締役精機事業部長に昇格。1997年常務取締役精機事業本部長。1999年精機カンパニープレジデント。2001年から代表取締役社長兼COOを務め、収益性の確保にあたった。2002年度全国発明表彰発明実施功績賞受賞。
近江 誠(おうみ まこと、1941年3月18日 - )は、ス… 近江 誠(おうみ まこと、1941年3月18日 - )は、スピーチコミュニケーション教育の専門家。南山短期大学名誉教授。日本コミュニケーション学会元会長。テーマは「ドラマ・スピーチ学の方法を使っての言語習得―言語パロール観へのパラダイム転換ー」。近江メソッドはその中核。現在は近江アカデミー主宰として、英語教師対象にしたワークショップを愛知県名古屋市と神奈川県(三浦郡葉山町)で開催。2019年には瑞宝小綬章を受賞。 1941年静岡市に生まれる。1963年南山大学英語学英文学科卒業後、愛知県立時習館高等学校英語教諭。在職中に言語の研究が文学か語学に二分されている状況に疑問を抱き、第三の道ドラマ・スピーチ学を学ぶために1967年フルブライト留学生として渡米。
吹浦 忠正(ふきうら ただまさ、1941年3月17日 - )… 吹浦 忠正(ふきうら ただまさ、1941年3月17日 - )は、日本の旗章学者。 バングラデシュなどのアジア諸国、また、世界各国の国旗事情に詳しい。 秋田県秋田市出身。秋田県立秋田高等学校、早稲田大学第一政治経済学部卒業。早稲田大学大学院政治学研究科修了。 国際赤十字バングラデシュ・ベトナム各駐在代表、日本赤十字中央女子短期大学助教授、埼玉県立大学教授を経て、ユーラシア21研究所理事長、拓殖大学客員教授、難民を助ける会特別顧問、世界の国旗普及協会理事、日本国際フォーラム評議員などを歴任。 スポーツ関係の仕事も多く、第18回夏季オリンピック東京大会組織委員会国旗担当職員、第18回オリンピック冬季競技長野大会大会組織委員会式典担当顧問を務め、東京パラリンピック(1964年)では組織委員会のメンバーとして大会運営を担当している。
筒井 勝美(つつい かつみ、1941年3月17日 - )は、… 筒井 勝美(つつい かつみ、1941年3月17日 - )は、日本の教育者、進学塾英進館館長・会長。
河野 昭(こうの あきら、1941年〈昭和16年〉3月17日… 河野 昭(こうの あきら、1941年〈昭和16年〉3月17日 - 2009年〈平成21年〉9月27日)は、日本の元行政管理(総務)・内閣府官僚。初代内閣府事務次官。 1941年3月17日生まれ。1965年、東京大学文学部卒業。1966年、行政管理庁に入庁。1990年、総務庁行政管理局企画課長。1991年、総務庁長官官房総務課長。1992年4月、総務庁長官官房審議官(行政監察局担当)。1993年6月、関東管区行政監察局長。1994年7月、総務庁長官官房審議官(行政管理局担当)。1995年、総務庁長官官房長。1997年、総務庁行政管理局長。1998年、中央省庁等改革推進本部事務局長。同年、内閣審議官。
伊部 幸顕(いべ さちあき、1941年3月17日 - )は、… 伊部 幸顕(いべ さちあき、1941年3月17日 - )は、日本の実業家、ゼリア新薬工業株式会社代表取締役会長兼CEO。 1941年3月17日生まれ。東京都出身。立教大学卒業[要出典]。 ゼリア新薬工業株式会社入社後、1972年3月、同社取締役に就任。 1978年4月、常務取締役、1981年4月、代表取締役専務取締役を歴任後、1982年4月、代表取締役社長に就任。2014年6月、代表取締役会長兼CEOに就任。 社長就任以来、消化器系領域に特化した医療用医薬品事業と、特長ある製品群を主体としたコンシューマーヘルスケア事業を両輪に据え、さらにグローバル展開を推進した積極的な経営で事業拡大と企業体質の強化に努め、将来に向けた発展基盤を作ってきた。
秋山 忠右(あきやま ただすけ、1941年3月17日 - 2… 秋山 忠右(あきやま ただすけ、1941年3月17日 - 2013年6月25日)は、東京都出身の写真家。 1941年3月17日、東京都品川に生まれる。早稲田大学政治経済学部を卒業後、1964年に東京綜合写真専門学校研究科を卒業する。石元泰博の師事となったが、1965年にフリーランスとなった。同年には、佐藤晴雄と共同で制作した「若い群像(東京都写真美術館に作品収蔵)」で第2回太陽賞を受賞、1991年には第31回ACC全日本CMフェスティバルのテレビCM部門において優秀賞となるなど、数々の受賞歴を持つ。さらに、1992年に第39回カンヌ国際広告映画祭ファイナリストに入賞、1998年には伊奈信男賞特別賞を受賞している。
川田 武(かわだ たけし、1941年3月16日 - )は、日… 川田 武(かわだ たけし、1941年3月16日 - )は、日本のテレビ制作者、作家。 京都市出身。京都府立山城高等学校卒、京都大学教育学部卒、1961年にNHKに入り、報道番組などを制作。 1965年「クロマキー・ブルー」でハヤカワSFコンテスト佳作第一席。1986年NHKエンタープライズ出向。「太陽大爆発」(学研出版) をハリウッドで『クライシス2050』のタイトルで映画化、エクゼクティブ・プロデューサーを務めた。 2003年(株)ミステリチャンネル入社、2007年中部大学人文学部コミュニケーション学科教授、2009年退職。
牧 俊郎(まき としろう、1941年〈昭和16年〉3月16日… 牧 俊郎(まき としろう、1941年〈昭和16年〉3月16日 - )は、日本の政治家。熊本県菊池市議会議員(1期)。 菊池市長を2期務めた。 早稲田大学商学部卒業。卒業後は医療法人理事となる。1993年のの菊池市長選挙に立候補し、元熊本県議会議員の福村三男を破って初当選する。1997年の市長選挙でも再び立候補した福村を破って再選する。2001年の市長選挙で三度目の立候補をした福村に敗れた。2005年菊池市は菊池郡七城町・旭志村・泗水町と合併し、新たな菊池市が発足。合併後の市長選挙に立候補したが、合併前の市長だった福村に敗れた。 2026年5月24日投開票の菊池市議会議員選挙に立候補し当選。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
飯塚 哲太郎(いいづか てつたろう、1941年〈昭和16年〉… 飯塚 哲太郎(いいづか てつたろう、1941年〈昭和16年〉3月15日 - )は、日本の生物物理学者。理学博士。専攻は酵素物理学、生物無機化学。ヘムたんぱく質の構造と機能についての研究。 群馬県渋川市出身。群馬県立渋川高等学校を卒業し、1964年、東京大学理学部物理学科を卒業。1966年4月、大阪大学基礎工学部助手。1969年、東京大学理学博士、「ヘム蛋白質におけるHigh spin-Low spin間の熱平衡」。 米国ペンシルベニア大学医学部客員助教授、慶應義塾大学医学部助教授を経て、1986年9月、理化学研究所無機化学研究室主任研究員、後に生体物理化学研究室主任研究員。埼玉大学理工学研究科客員教授、法政大学工学部教授を経て、2003年10月より独立行政法人理化学研究所 播磨研究所長。
森本 敏(もりもと さとし、1941年〈昭和16年〉3月15… 森本 敏(もりもと さとし、1941年〈昭和16年〉3月15日 - )は、日本の国際政治学者、航空自衛官、外交官、政治家。防衛政策における論客家。 拓殖大学顧問、拓殖大学特任教授、21世紀臨調運営委員、防衛法学会顧問。拓殖大学第19代総長。野田内閣で民間人閣僚として初めて防衛大臣を務めた。 東京府東京市(現東京都)生まれ。大阪府立豊中高等学校を経て、防衛大学校本科(電気工学専攻、第9期生)卒業後、航空自衛隊に入隊。1977年(昭和52年)から外務省アメリカ局(現北米局)安全保障課に出向。 1979年(昭和54年)に航空自衛隊を退官し、正式に外務省入省。航空自衛官退官時の階級は3等空佐(米国などでいう「少佐」)。
井上 堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - 2… 井上 堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - 2018年5月2日)は、日本のギタリスト・作曲家・歌手・音楽プロデューサー。本名は同じ。別名は井上 孝之。愛称はイノヤン。兵庫県神戸市出身。 兵庫県立星陵高等学校卒業後は、滝の茶屋駅前の「すしひろ」で板前だったが、TVのオーディション番組をきっかけに、歌の世界に入る。 ザ・スパイダース結成時代は、「スリージェット」という3人組のコーラス&ダンスグループの一員として活躍したが、リバプールサウンド編成に伴い、ギターを独学し、ボーカルと、リード・ギターを担当するまでになった。ザ・スパイダース時代は井上 孝之と名乗っていた。 1970年のザ・スパイダース解散後、1971年にPYGに参加し、「花・太陽・雨」「自由に歩いて愛して」などを作曲した。
井上堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - )は… 井上堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - )は、日本のミュージシャン・ギタリスト・作曲家・歌手・音楽プロデューサー。兵庫県神戸市出身。本名は同じ。別名は井上 孝之。愛称はイノヤン。
林 瑞峰(はやし ずいほう、1941年3月15日 - )は、… 林 瑞峰(はやし ずいほう、1941年3月15日 - )は、日本の実業家、映画プロデューサーである。 ヒューマックス副社長、ジョイパックフィルム(のちのヒューマックスピクチャーズ、現在のヒューマックスシネマ)代表取締役社長、ギャガ・コミュニケーションズ取締役、株式会社カミングスーン・ティービー取締役を歴任、現在、ヒューマックスシネマ代表取締役社長、ヒューマックスコミュニケーションズ代表取締役社長、外国映画輸入配給協会理事、東京都興行生活衛生同業組合副理事長。 1941年(昭和16年)3月15日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。父はヒューマックスグループ創業者の林以文(1913年 - 1976年)、兄に現在の同グループ会長・林瑞祥(1935年 - )、ヒューマックス副社長・林瑞禎(1937年 - )、弟にジョイパックグループの林光男(1943年 - )がいる。
大和田 智子(おおわだ ともこ、1941年3月15日 - )… 大和田 智子(おおわだ ともこ、1941年3月15日 - )は、日本のフェンシング選手、指導者。宮城県生まれ。 気仙沼市出身。宮城県鼎が浦高等学校、専修大学卒業。鼎が浦高校での指導者は、本吉町(現 気仙沼市)出身で1958年 全日本選手権優勝の千葉卓朗であった。 1964年 全日本選手権女子フルーレ優勝、 同年 第18回オリンピック東京大会フェンシング女子フルーレ個人・団体に出場。専修大学からは小森芳江もフルーレ個人に出場した。 その後は、専修大学フェンシング部 女子監督に就任。後進の指導にあたり、2004年に功労賞(各競技団体主催の公式大会で、各部を団体優勝に導いた部長、監督に贈られる)を受賞。
蓬田やすひろ(よもぎだ やすひろ、本名:蓬田容洽(やすひろ)… 蓬田やすひろ(よもぎだ やすひろ、本名:蓬田容洽(やすひろ)、1941年3月14日 - )は北海道札幌市出身のイラストレーター。
脊山 洋右(せやま ようすけ、1941年3月14日 - )は… 脊山 洋右(せやま ようすけ、1941年3月14日 - )は、日本の生化学者。学位は、医学博士(東京大学・1973年)。東京大学名誉教授、お茶の水女子大学名誉教授。専門は、生化学・栄養学。
田中 薫(たなか かおる、1941年3月14日 - )は、日… 田中 薫(たなか かおる、1941年3月14日 - )は、日本のエディトリアルデザイン・書物評論家。 日本出版学会、日本旅行作家協会、日本グラフィックデザイナー協会会員。 埼玉県浦和市(現在のさいたま市)生まれ。1964年東京学芸大学美術学科卒業。1965年桑沢デザイン研究所修了。 図書出版二玄社を経て毎日新聞社出版局に勤務。『毎日グラフ』別冊編集長、美術出版部長、第二図書編集部長を経て、1995年宮崎公立大学人文学部国際文化学科助教授、98年教授。2005年定年退官。
長 隆(おさ たかし、1941年3月14日 - )は、日本の… 長 隆(おさ たかし、1941年3月14日 - )は、日本の公認会計士、、病院経営アドバイザー。その他、医療経営士3級、NPO日本医療流通改善研究会顧問である。 総務省公立病院改革懇談会座長などを歴任。2009年、行政刷新会議の事業仕分けに参加。全日本病院協会参与。聖マリアンナ医科大学講師。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
清田 義英(せいた よしひで、1941年(昭和16年)3月1… 清田 義英(せいた よしひで、1941年(昭和16年)3月14日 - 2014年(平成26年)9月28日)は、日本の歴史学者、多摩美術大学名誉教授。日本中世史専攻。 神奈川県藤沢市出身、在住。1964年早稲田大学文学部史学科卒、1968年小野梓記念学術賞受賞、1971年早大大学院博士課程満期退学。1994年「中世寺院法の基礎的研究 -寺院の多数決制と寺院法式」で早大文学博士。多摩美術大学教授、美術学部長、2007年学長、2011年退任、名誉教授。 2014年9月28日、膵臓癌のため死去。
石出 宗秀(いしで むねひで、1941年3月12日 - )は… 石出 宗秀(いしで むねひで、1941年3月12日 - )は、日本の官僚。元総理府次長。富山県氷見市出身。千葉県流山市西初石在住。瑞宝重光章受章。 氷見市立西部中学校・富山県立氷見高等学校・富山大学経済学部経済学科卒業。1963年 運輸省に入省。海上保安庁経理補給部補佐官、第五管区海上保安本部経理補給部長、関東海運局運航部長、運輸審議会審理官、大臣官房観光部業務課長、海上保安庁経理課長、総理府内閣総理大臣官房参事官、公害等調整委員会事務局長などを経て、1992年7月に日本学術会議事務局長。1993年6月に賞勲局長。1996年7月5日より総理府次長(~1998年1月9日まで)。退官後は神奈川中央交通監査役・JR東日本フードビジネス監査役等を務めた。
加藤 昭 (かとう あきら、1941年3月12日 - )は、… 加藤 昭 (かとう あきら、1941年3月12日 - )は、日本の建設技官。元北海道開発事務次官。 三重県出身。1963年北海道大学工学部卒業、建設省入省、近畿地方建設局。1975年建設省東北地方建設局河川部河川計画課長。1977年建設省河川局治水課長補佐。1979年建設省近畿地方建設局和歌山工事事務所長。1981年建設省近畿地方建設局河川部河川調査官。1983年建設省河川局海岸課海洋開発官。1985年岐阜県土木部河川課長。1987年国土庁長官官房水資源部水資源計画課長。1989年建設省北陸地方建設局企画部長。1990年建設省河川防災課長。1992年国土庁長官官房水資源部長。1993年北海道開発庁計画監理官。
小林 哲子(、1941年〈昭和16年〉3月12日 - 199… 小林 哲子(、1941年〈昭和16年〉3月12日 - 1994年〈平成6年〉12月9日)は、日本の女優。 東京都中野区出身。劇団俳優座に在籍。舞台、映画、テレビなどで活躍した。 幼い頃から日本舞踊を習っていた(1973年には藤間流の名取となる)。小学生時代から演劇が好きになり、学習院女子中・高等科では演劇部に所属した。高校卒業後、1959年に國學院大學に入学するが、同時期に劇団俳優座養成所(11期生)入所、1962年に俳優座準団員、1964年に俳優座正団員に昇格した。初舞台は田中千禾夫・作の『大姫島の理髪師』。なお大学は後に中退した。 養成所時代にTBSドラマ『青年の樹』でデビュー。劇団入団後には、東映の時代劇『源九郎義経』で映画デビュー。
支倉 隆子(はせくら たかこ、1941年3月11日 - )は… 支倉 隆子(はせくら たかこ、1941年3月11日 - )は、日本の詩人。 本名は川瀬 隆子(旧姓・支倉)。夫は画家の川瀬裕之。 北海道札幌市生まれ。労働基準局勤務の父親の転勤で、中学2年から高校時代まで滝川市で育つ。北海道滝川高等学校を経て、1963年北海道大学文学部ロシア文学科卒業。 1976年に詩集『音楽』、1979年に『琴座』で2度H氏賞候補となる。1995年に『酸素31』で第19回地球賞を受賞。その後2003年に『身空x』で詩歌文学館賞候補となっている。 平明な表現の中に、幻想的要素を漂わせた作風が特色。ヴィジュアル・ポエトリィの活動を積極的に行っており、近年は朗読や美術家としての活動も行っている。
古森 義久(こもり よしひさ、1941年〈昭和16年〉3月1… 古森 義久(こもり よしひさ、1941年〈昭和16年〉3月11日 - )は、日本のジャーナリスト。国際問題評論家。 麗澤大学特別教授。産経新聞ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員。一般社団法人ジャパンフォワード推進機構特別アドバイザー。国際教養大学客員教授。 ジョージタウン大学「ワシントン柔道クラブ」で指導経験がある柔道家 トランプ大統領は透明な政治家で、発言にも矛盾がないという明らかな間違いを標榜する人物として有名である(参考:BSフジプライムニュース2026年4月20日)。 1941年(昭和16年) 東京府(現:東京都)に生まれる。1956年(昭和31年)慶應義塾普通部、1959年(昭和34年)慶應義塾高等学校、1963年(昭和38年) 慶應義塾大学経済学部をそれぞれ卒業後、ワシントン大学ジャーナリズム学科留学、毎日新聞社入社。
永井 泰宇(ながい やすたか、1941年3月10日 - )は… 永井 泰宇(ながい やすたか、1941年3月10日 - )は、日本の小説家、漫画原作者、シナリオライター。 ダイナミック・プロ所属。漫画原作者としては高円寺 博(こうえんじ ひろし)のペンネームも用いた。 中華民国(当時)の上海生まれ。後に石川県輪島市に引き揚げた。本名は永井 博。漫画家・永井豪は実弟。東京都立文京高等学校卒業。 1969年、『鮮血のバプテスマ』(永井ばく名義)で江戸川乱歩賞候補となるが、ダイナミック・プロ設立のために作家活動を一時断念した(この年の乱歩賞は森村誠一の『高層の死角』が受賞した)。 作家としての再デビューは1981年の『真・デビルマン』である。
林 紘一郎(はやし こういちろう、1941年3月10日 - … 林 紘一郎(はやし こういちろう、1941年3月10日 - )は、日本の法学者。経済学博士(京都大学・1991年)、博士(法学)(慶應義塾大学・2004年)。慶応義塾大学教授などを経て、情報セキュリティ大学院大学学長を務めた。専門は、技術標準や知的財産、メディアのあり方などをめぐる法と経済学、インターネットの自由と規律、セキュリティ法など。 日本統治時代の台湾生まれ。岐阜県立岐阜高等学校を経て、1963年東京大学法学部卒業。同年旧電電公社(NTTの前身)に入社。民営化後は、国際部次長、専用サービス推進部長、NTTアメリカ社長など経て、1996年退社。この間、一橋大学商学部、早稲田大学理工学部、東京大学(教養学部、経済学部)などの非常勤講師を歴任。
真崎 守(まさき もり、本名:森 柾(もり まさき)、194… 真崎 守(まさき もり、本名:森 柾(もり まさき)、1941年3月10日 - )は、日本の漫画家、アニメーション映画の演出家、脚本家、監督。 神奈川県横浜市生まれ。5歳で岐阜県高山市に移る。ディズニー、フライシャーといった短編アニメや杉浦茂、手塚治虫などの漫画作品、貸本劇画などに没頭する少年時代を過ごす。 1959年に岐阜県立斐太高等学校卒業。様々な職業に就いた後に、1960年に劇画短編誌『街』(セントラル文庫)に『雨の白い平行線』『暗い静かな夜』が掲載されて貸本漫画家デビュー。だが、漫画家を続ける意思を持てず1963年に虫プロダクションに入社、『佐武と市捕物控』などのTVアニメーションの演出に携わる。
高嶋 良充(たかしま よしみつ、1941年(昭和16年)3月… 高嶋 良充(たかしま よしみつ、1941年(昭和16年)3月10日 - )は、日本の政治家。参議院議員(2期)、参議院内閣委員長、参議院総務委員長、民主党筆頭副幹事長兼参議院幹事長などを歴任。 大阪府出身。大阪府立城東工業高等学校卒業。枚方市役所職員、枚方市労連、自治労大阪府本部役員、全日本自治団体労働組合本部書記長、日本労働組合総連合会中央執行委員、政府生活環境審議会委員などを経て1998年の第18回参議院議員通常選挙にて民主党の比例区から出馬し初当選。2004年再選、2009年10月に民主党筆頭副幹事長兼参議院幹事長に就任。2010年の第22回参議院議員通常選挙には立候補せず、政界引退。民進党分裂後は自治労が支持する立憲民主党ではなく、国民民主党に参加し、党大阪府連顧問を務める。
宮地 克実(みやじ かつみ、1941年3月10日 - )は、… 宮地 克実(みやじ かつみ、1941年3月10日 - )は、日本の元ラグビー選手及び指導者。 大阪府立四條畷高等学校を経て、同志社大学へと進む。同大学在籍時代には坂田好弘らとともに第2回日本協会招待NHK杯で近鉄を下し、事実上のラグビー日本一を経験した。その後、東京三洋に加入した。日本代表選手の経験もあり、1969年のアジア選手権に出場し、キャップ1を獲得している。 現役引退後は1978年と1984年に日本代表監督を2度務めた。そして恩師でもある前任者の岡仁詩の突然の辞任により、第1回のラグビーワールドカップが開催された1987年に3度目の代表監督に就任し、同大会での指揮を執った。 その後、三洋電機(現在の埼玉パナソニックワイルドナイツ)の監督を務めた。