シゲ福山(しげ ふくやま、1950年1月28日 - )は、日… シゲ福山(しげ ふくやま、1950年1月28日 - )は、日本の元プロボクサー。本名は福山 茂文(ふくやま しげふみ)。鹿児島県川内市出身。協栄ジム所属。 1968年デビュー。日本ランキング入りした1970年にアメリカ武者修行を敢行、ロサンゼルスで4勝2敗の成績を残して帰国。1972年3月12日、金炫の持つOBF東洋ジュニアフェザー級王座に挑戦したが、10回KO負けで王座獲得ならず。 その後再度ロスに渡り、晩年のエデル・ジョフレを始めとする強豪とグローブを交え、その果敢なファイターぶりで現地の人気を博す。1974年、強打のホープ、ダニー・ロペスと対戦、後の名王者を9回KOに破る貴重な勝ち星を挙げた。
西田 宜正(にしだ よしまさ、1950年1月27日 - 20… 西田 宜正(にしだ よしまさ、1950年1月27日 - 2026年5月1日)は、日本の経営者。オリエントコーポレーション社長、会長を務めた。 静岡県出身。1972年に学習院大学法学部を卒業し、同年に第一勧業銀行に入行。2000年6月に執行役員に就任し、2002年4月にみずほ銀行常務、2005年6月にオリエントコーポレーション専務を経て、2006年6月に副社長に就任し、2007年6月には社長に昇格。2011年6月から2016年6月までに会長を務めた。
堅田剛(かただ たけし、1950年1月27日-2015年2月… 堅田剛(かただ たけし、1950年1月27日-2015年2月27日)は、法制史学者、獨協大学教授。 1950年、栃木県宇都宮市で生まれた。上智大学法学部で学び、1975年に卒業。明治大学大学院法学研究科に進み、1980年に博士課程を満期退学。 卒業後は獨協大学法学部講師に就いた。後に助教授、教授昇格。同時に、明治学院、中央大学、埼玉大学でも非常勤講師も務めた。 ベルリンの壁崩壊の後の1990年から1991年まで、旧西ドイツ(1990年10月からはドイツ連邦共和国)のハイデルベルク大学哲学部に研究留学。1992年、学位論文『歴史法学研究:歴史と法と言語のトリアーデ』を明治大学に提出して法学博士号を取得。
植木 まり子(うえき まりこ、1950年1月27日 - )は… 植木 まり子(うえき まりこ、1950年1月27日 - )は日本の元女優。本名、植木 マリ子(読み同じ)。 東京都出身。出生地は群馬県沼田市。中央大学文学部卒業。西岡昭事務所に所属していた。 4歳の時に劇団若草に入団。その後劇団こまどりに移籍して、子役として活動。 1970年に劇団を退団してフリーとなり、NHK『おかあさんといっしょ』の1コーナー「これなあに?」で司会を担当する。当時の紹介記事では「いつも子供と一緒にいるので楽しい」と述べている。 1972年にNHKドラマ『霧の旗』で正式デビュー。以来、1974年のポーラテレビ小説『やっちゃば育ち』(TBS)などのテレビドラマに出演。『やっちゃば育ち』では、当初はシリーズ途中で難産のために死亡する設定であったが、演技が認められてシリーズ終了まで出演することになった。
杉本俊多(すぎもと としまさ、1950年1月26日- )は、… 杉本俊多(すぎもと としまさ、1950年1月26日- )は、日本の建築史学者、広島大学名誉教授。西洋・近代建築史専攻。 兵庫県生まれ。1972年東京大学工学部建築学科卒業。1975-77年にカールスルーエ大学、ベルリン工科大学に研究留学。1979年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了、「ドイツ新古典主義建築の造形理念に関する研究」で工学博士の学位を取得。1979年広島大学工学部助手、助教授、1997年教授となり、工学研究科教授をへて、2015年定年退任、名誉教授。 1999年、日本建築学会賞受賞。
阿木津 英(あきつ えい、1950年1月25日 - )は、日… 阿木津 英(あきつ えい、1950年1月25日 - )は、日本の歌人。短歌結社「八雁(やかり)」主宰。本名は末永英美子(すえなが えみこ)。現代短歌にフェミニズム思想を導入し、女歌運動に影響を与える。 福岡県行橋市生まれ。福岡県立京都高等学校卒業。九州大学文学部哲学科心理学専攻卒業。 出版社、児童相談所の心理判定員、塾の教師などの職歴を重ねながら、作歌活動を続ける。石田比呂志に師事し、1974年、石田が主宰する短歌結社「牙」に参加。後に石田と結婚(その後、協議離婚)。この時、筆名を阿木津とする。 1979年、「紫木蓮まで」30首にて短歌研究新人賞を受賞。同年、短歌結社「未来」に所属するが後に退会。
森田 芳光(もりた よしみつ、1950年1月25日 - 20… 森田 芳光(もりた よしみつ、1950年1月25日 - 2011年12月20日)は、日本の映画監督、脚本家である。
司城 志朗(つかさき しろう、1950年1月25日 -)は、… 司城 志朗(つかさき しろう、1950年1月25日 -)は、日本の小説家。愛知県出身。 南山高等学校を経て、名古屋大学文学部卒業。放送作家などを経て小説家に。1983年、矢作俊彦との共著作品『暗闇にノーサイド』で第10回角川小説賞、1994年、『ひとつぶの砂で砂漠を語れ』で第3回開高健賞奨励賞、1998年、『ゲノム・ハザード』で第15回サントリーミステリー大賞読者賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
後藤 茂夫(ごとう しげお、1950年(昭和25年)1月24… 後藤 茂夫(ごとう しげお、1950年(昭和25年)1月24日 - )は、栃木県芳賀郡益子町の益子焼の陶芸家である。 窯元の名は「獅子吼窯(ししくがま)」。 益子で登り窯を焚き、飴釉や鉛釉や白釉、炭化や塩釉など、様々な手掛けた陶芸技法を手掛けた陶芸家である。 1950年(昭和25年)1月24日、栃木県那須郡那須町に生まれる。 栃木県立宇都宮工業高等学校に入学するが、すぐに「間違って入学してしまった」と気が付いた。実習では部品をうっかり壊してしまうなど器用で無く、そもそも機械に興味が無かった。当然、授業も面白くなかった。 そんな時、下野新聞の「須恵の丘」という記事を読んで、益子焼と「益子」を知った。
ジュディ・オング (本名・帰化名:翁ジュディ、帰化当時は翁玉… ジュディ・オング (本名・帰化名:翁ジュディ、帰化当時は翁玉恵「おきな たまえ」)、旧名・台湾名:翁倩玉(Ong Chhèng-gio̍k)、英語名:Judy Ongg、1950年1月24日 - )は、台湾出身の歌手、女優、版画家。上智大学国際学部卒業。出生地は台北市、貫籍(本籍地)は台南県柳営郷。語学が得意で、母語である台湾語のほか、日本語、英語、標準中国語の4言語を話すことができる。血液型はA型。 1950年1月24日、台湾台北市にて翁家の長女として誕生し、倩玉と名づけられた。上に兄が1人いる。 1952年、自身が2歳のときに父の仕事(米軍GHQ報道工作)の都合で一家そろって訪日。小学校は東京中華学校に入学、学校で国語(標準中国語)を勉強しつつ、家庭教師について英語を勉強するようになる。
松崎 秀樹(まつざき ひでき、1950年(昭和25年)1月2… 松崎 秀樹(まつざき ひでき、1950年(昭和25年)1月24日 - )は、日本の政治家。千葉県浦安市長(5期)、千葉県議会議員(2期)などを歴任した。 東京都世田谷区生まれ。板橋区立板橋第六小学校、町田市立町田第一中学校、日本学園高等学校、明治大学商学部を卒業。大学卒業後、サラリーマンを経て小坂徳三郎や衛藤晟一の秘書を務めた。 1991年、千葉県議会議員選挙に自由民主党公認で浦安市選挙区から出馬し、初当選した。1995年、千葉県議に再選されるが、1997年に2期目の任期途中で辞職。浦安市長選挙に立候補したが、現職の熊川好生市長に敗れ、落選した。1998年、熊川が体調不良を理由に市長を辞職し、熊川の辞職に伴う浦安市長選で当選した。
本阿弥 周子(ほんあみ ちかこ、1950年1月23日 - )… 本阿弥 周子(ほんあみ ちかこ、1950年1月23日 - )は、日本の女優。 実家は元々足利将軍家の同朋衆で刀剣の鑑定や研磨を担当していた名門・本阿弥家。 川村学園高校卒業後、青山杉作記念俳優養成所、俳優小劇場付属養成所に在籍。 ドラマでは時代劇(主にゲスト出演)と2時間ドラマ(特に「木曜ゴールデンドラマ」)への出演が多いが、ポーラテレビ小説『吉井川』、ライオン奥様劇場『片隅の二人』では主演を務めた。 「秋月佐江子」と改名していた時期がある。 特技は日舞、スキー。B級ライセンス保持者。 明確な引退発表はなかったものの、1999年以降は出演作品が確認されていない。
でんでん(本名:緒方 義博(おがた よしひろ)、1950年1… でんでん(本名:緒方 義博(おがた よしひろ)、1950年1月23日 - )は、日本の俳優、元・お笑い芸人である。福岡県中間市生まれ、水巻町育ち。アルファエージェンシー所属。 福岡県立八幡中央高等学校卒業後、19歳の時に渥美清に憧れ、弟子入り志願のために上京するが、本人には会えず断念。しかし東京に居れば何かしらチャンスが巡って来ると信じて帰郷せず、遠い親戚で丸井に勤めている人のツテで、夏場にあった丸井の就職試験を受けて、丸井に就職。丸井で4年ほど、下北沢→池袋→横須賀と転勤しながらサラリーマンとして働く。 そんな時に丸井時代の後輩が劇団ひまわりの募集広告を見せてくれたのをきっかけに、退社して劇団ひまわりに入団し、エキストラとして3か月ほど活動。
〜藤沼彰久(ふじぬま あきひさ 1950年1月23日 - )… 〜藤沼彰久(ふじぬま あきひさ 1950年1月23日 - )は東京都出身の日本の実業家。野村総合研究所会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
畑山 博史(はたやま ひろし、1950年1月23日 - )は… 畑山 博史(はたやま ひろし、1950年1月23日 - )は、日本のジャーナリスト。文化人タレント。大阪市天王寺区出身。吉本興業所属。 1972年、同志社大学文学部社会学科新聞学専攻(現在の社会学部メディア学科)を卒業し、同年に毎日新聞社に入社する。大阪本社社会部記者(1978年 - 1987年)時代には、三菱銀行人質事件、グリコ・森永事件、山一抗争、豊田商事事件(豊田商事会長刺殺事件を含む)、日本航空123便墜落事故などの取材・報道を担当した。 次いで1992年まで大阪本社運動部編集委員となり、阪神タイガースや大相撲を担当した。大阪本社学芸部編集委員(1992年 - 1994年、吉本興業や映画などを担当)を経て、1994年より大阪本社夕刊編集長となる。
海老沢 泰久(えびさわ やすひさ、1950年1月22日 - … 海老沢 泰久(えびさわ やすひさ、1950年1月22日 - 2009年8月13日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家。 茨城県真壁郡真壁町(現在の桜川市)酒寄出身。茨城県立下妻第一高等学校、國學院大學文学部卒業。國學院大學折口博士記念古代研究所に勤務し岡野弘彦に師事した。1974年に『乱』で小説新潮新人賞を受賞してデビュー。1979年、ヤクルトの監督として優勝を成し遂げた広岡達朗をモデルにした『監督』を初の著書として上梓、話題を呼んだ。 1988年にホンダF1(第1期 - 第2期前半)を取り上げたノンフィクション『F1地上の夢』で新田次郎文学賞を受賞。1994年には『帰郷』で第111回直木賞を受賞した。
おきらく亭 はち好(おきらくてい はちこう、本名:中川 功、… おきらく亭 はち好(おきらくてい はちこう、本名:中川 功、1950年1月22日 - 2021年4月7日)は、千葉県・市川市出身の落語家。フリーの落語家として沖縄を中心に活躍した。 生家は豆腐店を営んでいた。 亡くなって一年後の2022年4月9日、那覇市の達磨院で、おきらく亭一門による一周忌一門会が催された。 一門の「おきらく亭すい好(本名:宜野座 一)」は、大阪府池田市で開催されている社会人落語日本一決定戦に第1回から出場、2022年12月に開催された第14回大会で池田市長賞を受賞、沖縄からの出場者として初入賞。2024年の第16回大会では準優勝となった。
伊藤 洋一(いとう よういち、1950年1月22日 - )は… 伊藤 洋一(いとう よういち、1950年1月22日 - )は、日本の経済評論家、エコノミスト、ジャーナリスト。 株式会社三井住友トラスト基礎研究所主席研究員。CS-TBS番組審議委員。コメンテイターとしてテレビ番組やラジオ番組に出演することもある。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て1973年早稲田大学政治経済学部卒業。 1973年 時事通信社入社。外国経済部の報道記者。1976年 ニューヨーク特派員として4年間を過ごすが、国内での記者経験はない。その後中途入社で1986年 住友信託銀行に為替営業室長として入社。資金為替部為替カスタマー調査役、市場金融部調査役、為替営業室長を歴任。
寺本 光照(てらもと みつてる、1950年1月22日-)は、… 寺本 光照(てらもと みつてる、1950年1月22日-)は、日本の鉄道研究家、鉄道写真家、鉄道作家、鉄道評論家、元公立小学校教諭(地方公務員)、鉄道友の会会員、鉄道運輸史研究会会員。 大阪府八尾市出身。柏原市在住。 幼き頃より鉄道に興味を示し、義務教育在籍中から鉄道写真を撮影するようになり、また並行して鉄道雑誌に投稿したり、鉄道の歴史を研究する活動を行っていた。趣味活動対象は主に日本国有鉄道(国鉄、なかでも旧大阪鉄道管理局や天王寺鉄道管理局管内を中心とした関西地区関連)・JRグループ(特に地元のアーバンネットワーク関連)であるが、近畿日本鉄道(近鉄)や京阪電気鉄道(京阪)や南海電気鉄道(南海)などの大手私鉄関連も行っている。
樋澤 良信(ひざわ よしのぶ、1950年1月21日 - )は… 樋澤 良信(ひざわ よしのぶ、1950年1月21日 - )は、岩手県久慈市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 東北高等学校から日本電信電話公社東北支社(電電東北、現在のNTT東日本宮城支店)へ入社した後に、同社硬式野球部(現在の東北マークス)所属の内・外野手として社会人球界で活躍。1970年のNPBドラフト会議において、読売ジャイアンツ(巨人)から4位で指名された。 電電東北からは1970年に佐藤政夫(高校の後輩にも当たる左投手)が巨人に入団していたが、1年在籍しただけで(この年から1972年までシーズン終了後に年に1回開催されていた)プロ野球選抜会議(ドラフト会議と同じ趣旨・要領で開催された「トレード会議」)を通じてロッテオリオンズへ移籍した。
香坂 優(こうさか ゆう、1950年1月21日 - )は、日… 香坂 優(こうさか ゆう、1950年1月21日 - )は、日本のアルゼンチン・タンゴ歌手。愛知県名古屋市出身。本名、太田 多恵子(おおた たえこ)。タレント活動時は「どんぐり音楽会」の歌のお姉さん、ポッポちゃんの愛称で親しまれた。 タンゴ界において、パリージャ(譜面のない即興の伴奏)による歌唱を得意とする希少な歌手。 1950年1月21日、愛知県名古屋市にて出生。3歳の時、飛び入りで出場した中部日本放送主催の「子供のど自慢」にて優勝。中部日本放送児童合唱団に所属する。1968年愛知県立愛知商業高校卒業(第15回生)。その後、名古屋テレビタレントセンター卒業を経て、CBCにてテレビ・ラジオのタレント司会者・アナウンサーとして週7本のレギュラーを持つほどになる。
柳居 俊学(やない しゅんがく、1950年1月21日 - )… 柳居 俊学(やない しゅんがく、1950年1月21日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の山口県議会議員(9期)、元自由民主党山口県支部連合会長、山口県大島郡周防大島町神宮寺住職。山口県議会議長(7期)、元山口県大島郡東和町長(3期)。山口県東和町(現周防大島町)出身。
貞岡 義幸(さだおか よしゆき、1950年1月21日 - )… 貞岡 義幸(さだおか よしゆき、1950年1月21日 - )は、日本の外交官。内閣審議官等を経て、初代駐パラオ特命全権大使を務めた。 高知県出身。1974年(昭和49年)一橋大学経済学部卒業。1974年4月、外務省入省。 内閣官房内閣審議官、デトロイト総領事、埼玉大学国際交流担当参事役、参議院事務局国際部長、2008年(平成20年)9月から国家公務員共済組合連合会常任監事。 2010年(平成22年)1月に在パラオ兼勤駐在官事務所が大使館に昇格。同年常駐の初代パラオ駐箚特命全権大使に就任。日本の捕鯨の円滑化のため、2011年に締結されたシーシェパードとパラオ政府との間の協定を破棄させた。 この項目は、外交官に関連した書きかけの項目です。
岩崎 博(いわさき ひろし、1950年1月21日 - )は、… 岩崎 博(いわさき ひろし、1950年1月21日 - )は、元NHKアナウンサー。 横浜市出身。明治大学卒業後、1972年に入局した。初任地は帯広で、松江、ラジオセンターなどで勤務した。 ラジオセンター 時代
大泉 博子(おおいずみ ひろこ、1950年1月20日 ‐ )… 大泉 博子(おおいずみ ひろこ、1950年1月20日 ‐ )は、日本の政治家、厚生官僚。衆議院議員(1期)、山口県副知事などを務めた。 東京都立西高等学校を経て1972年に東京大学教養学部(国際関係論分科)を卒業し、当時の厚生省に入省。国連児童基金(ユニセフ)インド事務所計画評価官、児童家庭局企画課長、社会・援護局企画課長などを歴任。この間、1977年にミシガン大学大学院で行政学修士を取得している。 1998年から3年間、山口県副知事を務めた。
ハービー・山口(ハービー やまぐち、1950年1月20日 -… ハービー・山口(ハービー やまぐち、1950年1月20日 - )は、写真家、エッセイスト。 作家名の由来は、自身が傾倒していたジャズ・フルート奏者のハービー・マンから。 正則高等学校を経て東京経済大学経済学部卒業後、渡英。ロンドンでデビュー前のボーイ・ジョージと共同生活するなどして、ロンドンのミュージシャン達と交流した。 中山美穂、福山雅治、大江千里、THE BOOM、THE MODS、桑田佳祐、岡村孝子、稲垣潤一、BOØWY、ASKA、エレファントカシマシ、由紀さおり、林浩司などのCDジャケットを手がける。また、布袋寅泰のアルバム、『GUITARHYTHM』で8曲の英語詞での作詞を行った。写真集、エッセイ集発表の他、ラジオDJや俳優として映画出演などの活動も行う。
坂庭 省悟(さかにわ しょうご、 1950年1月20日 - … 坂庭 省悟(さかにわ しょうご、 1950年1月20日 - 2003年12月15日)は日本のブルーグラス歌手、フォークシンガー、ギタリスト、作曲家。 高石ともや、杉田二郎、はしだのりひこらとともに関西フォークシンガーの旗手的な役割をなした。プロデビュー時に楽曲の提供を受け、1971年のヒット曲で『花嫁』作詞・作曲のコンビを組んだきたやまおさむとの親交も長く、きたやまの著作にもエピソードが残されている。 1965年、高校入学。高校ではブラスバンド部に所属。サクソフォーンを担当するも、ドラムスを密かに自主練習。高校のブラスバンド部の先輩のバンドで、ギターに触れる。京都会館第二ホールで行われた『第一回 TAKE IVY キャンペーン(ヴァンヂャケット主催)』のライブで、同志社大学の学生・藤原洪太らの「ドゥディ・ランブラーズ」(後にはしだのりひこも参加)が唄ったアメリカン・フォークソングに魅了される。
柳田 和久(やなぎだ かずひさ、1950年〈昭和25年〉1月… 柳田 和久(やなぎだ かずひさ、1950年〈昭和25年〉1月19日 - )は、日本の歴史学者、郷土史家。 福島県郡山市に生まれる。郡山商業高等学校を卒業、法政大学大学院博士課程を修了。財団法人郡山市埋蔵文化財発掘調査事業団(現・公益財団法人郡山市文化・学び振興公社文化財調査研究センター)職員として、郡山市史および福島県内の各市町村の歴史を中心に郷土史の研究に当たる。郡山市に伝わる歴史上の課題に果敢に挑戦してその解明に努力している。郡山市文化・学び振興公社文化財調査研究センター長を経て、郡山市文化財保護審議会副会長を歴任した。 中世16世紀における郡山城 (陸奥国安積郡)の城跡比定については、これまで長い間その位置は未詳であるとされてきた。
中津濱 健(なかつはま つよし、1950年1月19日 - )… 中津濱 健(なかつはま つよし、1950年1月19日 - )は、日本の実業家。ローマイヤ社長を経て、スターゼン会長兼社長。 鹿児島県出身。1972年3月 駒澤大学文学部卒業。ゼンチク(現スターゼン)入社。2004年取締役、2010年ローマイヤ社長、2011年スターゼン専務を歴任。2012年、社長に就任。2018年4月、会長兼社長。 2012年8月に株式交換によりローマイヤを完全子会社化、本社移転を実施。2013年4月に子会社のスターゼン東日本販売、スターゼン北日本販売、スターゼン西日本販売、スターゼン南日本販売の4社を合併し、スターゼン販売を設立。2014年3月に東京部分肉センター(現・スターゼン東京物流センター)を完全子会社化。
金子 晴美(かねこ はるみ、1950年1月19日 - )は、… 金子 晴美(かねこ はるみ、1950年1月19日 - )は、東京都出身のジャズシンガーである。 獨協大学を卒業後、水島早苗ジャズ・ヴォーカル研究所を経て歌手活動を開始する。 1980年、ボブ・ドロープロデュースでデビュー。 1990年、『マイ・ロマンス』の録音でルー・タバキン、ウォーレン・ヴァシェらと共演した。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
植月英俊(うえつきひでとし、1950年1月18日 - 201… 植月英俊(うえつきひでとし、1950年1月18日 - 2016年7月3日)は、日本の画家である。岡山県勝央町(旧植月村)出身。2016年に胆管癌で亡くなる。 父親は、広島県御調町出身。父とは離婚により幼児期に生別。 母親は、岡山県勝田郡勝央町出身。母とは中学時代に死別。 大学進学まで親族(植月家)の援助のもとで暮らす。 若くにして両親を失ったことが自身の芸術に大きく影響している。 高校時代から美術に興味を抱き、大学時代はシュールレアリズムに大きく影響を受ける。その後、写実主義・シュールレアリズム的表現・細密模写等にも多く影響を受けることとなる。 教員としての仕事に従事しながらも、画家として数々の展覧会を開く。
小島 英雄(こじま ひでお、1950年1月18日 - )は、… 小島 英雄(こじま ひでお、1950年1月18日 - )は、日本の政治家、行政書士。岐南町議会議員(8期)。岐阜県岐南町長(1期)を務めた。 愛知学院大学法学部卒業後、行政書士となる。開始時期は不明だが、将棋教室を主宰する。 2000年、岐南町議会議員の補欠選挙に立候補し初当選。 2008年8月23日、岐南町発注の公共工事の業者選定をめぐり、業者側から多額の借金をしたとして、岐南町長の片桐博彰が収賄容疑で逮捕された。片桐の辞職に伴い同年11月16日に行われた町長選挙に立候補するも、元町職員の松原秀安に敗れ、次点で落選。 2009年、町議選に立候補しトップ当選。 2012年、町長選挙に立候補するも、現職の松原との一騎打ちに敗れ落選。
福住 俊一(ふくずみ しゅんいち、1950年(昭和25年)1… 福住 俊一(ふくずみ しゅんいち、1950年(昭和25年)1月18日- )は物理化学者。大阪大学教授。名古屋市生まれ。 電子移動反応の第一人者。電子移動反応の制御、光触媒、光エネルギー変換、生物無機化学等が専門である。
遠藤 利明(えんどう としあき、1950年〈昭和25年〉1月… 遠藤 利明(えんどう としあき、1950年〈昭和25年〉1月17日 - )は、日本の政治家。日本スポーツ協会会長(第16代)。 東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣(第3次安倍内閣・第3次安倍第1次改造内閣)、文部科学副大臣(第1次安倍内閣)、建設政務次官(小渕内閣・小渕第1次改造内閣)、衆議院青少年問題に関する特別委員長、同農林水産委員長、衆議院議員(10期)、自由民主党総務会長(第60代)、同選挙対策委員長(第9代)、同2020年オリンピック・パラリンピック東京大会実施本部長、同政務調査会長代理、同教育再生実行本部長、同国際局長、同幹事長代理、同スポーツ立国調査会長、同財務委員長、同中央政治大学院学院長、山形県議会議員(2期)を歴任した。
金井 誠太(かない せいた、1950年1月17日 - )は、… 金井 誠太(かない せいた、1950年1月17日 - )は、日本の自動車技術者、実業家。マツダ株式会社相談役。在広島メキシコ合衆国名誉領事。 広島県出身。広島大学附属高等学校を経て、東京工業大学工学部卒業後、1974年に東洋工業(現在のマツダ)に入社。一貫して開発畑を歩み、チーフエンジニアを務め2002年に発売された初代アテンザは132の賞を受賞し、世界的に高い評価を得た。2010年に発表されたSKYACTIV TECHNOLOGYの開発も指揮し、マツダ車の全ての要素を刷新した。2014年に代表取締役会長に就任し、2018年に退任。座右の銘は「敬天愛人」。マツダ財団理事長、中国経済連合会副会長、蔵前工業会広島県支部長なども務めた。
白井豊(しらいゆたか:英語表記Yutaka Shirai、1… 白井豊(しらいゆたか:英語表記Yutaka Shirai、1950年1月17日 - )は、日本の技術士、コンピュータプログラマ。鹿児島県阿久根市生まれ。鹿児島大学理学部物理学科を卒業したが、卒業論文の実験解析に使ったコンピュータに魅せられてソフトの世界へ進む。ソフト会社の構造計画研究所に入社した当初は有限要素法や振動解析などの工学系ソフト開発に従事するが、マイコン普及とともに、メーカや国立の研究所関連で通信制御装置の試作品や研究目的のコンピュータ試作等の請負に従事する。 このため科学技術計算ソフトだけでなく、組込み計算機、言語処理関連ソフト、人工知能ソフト等、幅広い分野のソフト開発を手掛ける。後、LISPマシン、Pascalマシンなど高級言語計算機のCPU制御を専門としている。
原島 功(はらしま いさお、1950年1月17日 - 201… 原島 功(はらしま いさお、1950年1月17日 - 2015年3月20日)は、日本の実業家、株式会社ベルク元代表取締役社長。 1950年1月17日、埼玉県秩父市生まれ。1973年3月、立教大学経済学部卒業。同年4月、株式会社西友入社。1976年4月、家業である株式会社主婦の店秩父店へ入社。 1983年、営業地域の拡大等に対応し、株式会社主婦の店ベルクに商号変更。1992年、株式会社主婦の店を株式会社ベルクへ商号変更。 1995年、原島功が同社代表取締役社長に就任。 2006年には、イオン株式会社と業務・資本提携する。 2008年に、東京証券取引所市場2部上場、2009年、東京証券取引所市場1部銘柄に指定された。
山田 正紀(やまだ まさき、1950年1月16日 -)は、日… 山田 正紀(やまだ まさき、1950年1月16日 -)は、日本の小説家。 愛知県名古屋市生まれ。明治大学政治経済学部卒業。日本推理作家協会会員。本格ミステリ作家クラブ会員。日本冒険作家クラブ元会員。日本の「SF作家第二世代」を代表する作家の一人。 日本SF作家クラブでは第9代事務局長、第12代会長を務めたが、後に退会、2021年に再入会した。 子供時代は漫画家を目指していた。60年代後半、雑誌『話の特集』の編集者をしていたこともある。 大学を1年間休学して、イスラエルのキブツで暮らすなど海外放浪。 帰国して大学卒業後、同人誌『宇宙塵』に投稿し、処女作「終末曲面に骰子を投げ入れて」が掲載、さらに「襲撃のメロディ」が掲載される。
野地 照樹(のじ てるき、1950年1月16日 - )は、広… 野地 照樹(のじ てるき、1950年1月16日 - )は、広島県広島市出身の元サッカー選手(DF)、指導者。 現高知大学教育学部教授、サッカー部監督。 中1からサッカーを始める。広島大学附属高時代に福原黎三から指導を受けた。同世代に高田豊治がいる。 東京教育大学(現筑波大学) 体育学部体育学科に進み、蹴球部では主にセンターバックとして活躍、成田十次郎から指導を受け、高田や木之本興三らとプレーした。在学中に関東大学サッカーリーグ戦や第20回全国大学サッカー選手権大会で優勝した。1972年には成田が監督を兼務していた日本サッカーリーグ2部の読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ)の選手として7試合に出場した。
内山 節(うちやま たかし、1950年1月15日 - )は日… 内山 節(うちやま たかし、1950年1月15日 - )は日本の教員、哲学者。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科客員教授。特定非営利活動法人森づくりフォーラム代表理事。 70年代から東京と群馬県の上野村との二重生活をし、存在論、労働論、自然哲学などについて独自の視点で探究する『労働過程論ノート』(1976年)などで注目され、『山里の釣りから』(1980年)などの思索的エッセイでも知られる。 現代日本人の主体性の喪失と自然破壊との関連性を訴え、自然との共生による人間性の回復を実践的に考察している。 東京都世田谷区出身。東京都立新宿高等学校卒業。高校卒業後、大学などの高等教育機関を経ておらず、大学などの研究職についていなかったが、2004年から2009年まで立教大学の特別任用教員(大学院異文化コミュニケーション研究科特任教授)としても活動、その後、東京大学大学院人文社会系研究所兼任講師、東京大学農学部兼任講師、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授、三重大学生物資源学部兼任講師を歴任。
国島 芳明(國島 芳明、くにしま みちひろ、1950年〈昭和… 国島 芳明(國島 芳明、くにしま みちひろ、1950年〈昭和25年〉1月15日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日小綬章。元岐阜県高山市長(3期)。 岐阜県高山市西町出身。高山市立南小学校、高山市立松倉中学校、岐阜県立斐太高等学校卒業。1973年(昭和48年)3月、愛知大学法経学部法学科卒業。同年4月、高山市役所に入庁。 2008年4月、高山市副市長に就任。 2010年の高山市長選で、市長の退職金廃止、副市長を2人から1人に削減、斎場建設の着手、JR高山駅西側の総合交流センター計画の見直しなどを公約に掲げ、前市長が推した対立候補を破って初当選した。 2022年5月28日、同年8月に予定されている市長選挙に「持つべき集中力や胆力といった資質を次の4年間も持ち続けられないと判断した」として立候補しない意向を表明した。
大沼 啓延(おおぬま ひろのぶ、1950年1月15日 - 2… 大沼 啓延(おおぬま ひろのぶ、1950年1月15日 - 2018年5月9日)は、日本のテレビキャスター、プロデューサー、司会者、歌手。大沼企画代表取締役。 静岡県静岡市葵区出身。妻は作家の相沢早苗。 静岡市立高等学校、明治大学商学部を卒業後、総合レジャー企画会社に入社して勤務した後、1974年にTBS映画社(のちのTBSビジョン(TBS-V)、現在のTBSスパークル)に入社し数々の番組制作を手がけた。1978年に『がんばれライオンズ』(TBS)のコーナー「広岡君と田淵君」の取材中に球場に来られなくなったリポーターの代理を務める。その反響が大きかったことで番組プロデューサーの勧めにより、1982年にディレクターとしてテレビ出演し、『朝のホットライン』(TBS)でスポーツキャスターを務める。
川添 哲夫(かわぞえ てつお、1950年〈昭和25年〉1月1… 川添 哲夫(かわぞえ てつお、1950年〈昭和25年〉1月15日 - 1988年〈昭和63年〉3月24日)は、日本の剣道家。段位は教士七段。 上段の遣い手で、全日本剣道選手権大会優勝2回・準優勝1回・第三位3回、全国教職員剣道大会個人優勝5回、世界剣道選手権大会団体優勝1回などの戦績を残した。 高知県香美郡土佐山田町(現・香美市)生まれ。父は剣道範士八段・高知県剣道連盟副会長の川添恵美(かわぞえ めぐみ)。 高知中学校・高等学校で剣道に励み、高校2年・3年にはインターハイに出場。3年から上段の構えを執る。 国士舘大学体育学部4年時の1971年、第19回全日本剣道選手権大会で初出場初優勝した。大学生で全日本選手権を制覇したのは川添が史上初であり、これは2014年の第62回全日本選手権で竹ノ内佑也(筑波大学)が川添と同じく初出場初優勝を果たすまで43年間現れなかった。
八丁地 園子(はっちょうじ そのこ、1950年1月15日 -… 八丁地 園子(はっちょうじ そのこ、1950年1月15日 - )は、日本の女性実業家。日本航空社外取締役・独立役員。津田塾大学学長特命補佐・戦略推進本部長。 津田塾大学学芸学部数学科を卒業し1972年、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。金融商品開発やコーポレートファイナンス業務等でキャリアを積み、子会社のIBJ International副社長、興銀リース執行役員、共立リスクマネジメントシニアコンサルタント等を歴任。 2005年、明治大学大学院グローバルビジネス研究科に入学し、経営管理修士(専門職)を取得。2009年、藤田観光執行役員に就任。常務取締役兼常務執行役員企画本部長を経て、2015年に同社顧問。
岩倉 博文(いわくら ひろふみ、1950年〈昭和25年〉1月… 岩倉 博文(いわくら ひろふみ、1950年〈昭和25年〉1月15日 - 2025年〈令和7年〉4月18日)は、日本の政治家。位階は正五位。 北海道苫小牧市長(5期)、衆議院議員(1期)を務めた。 北海道苫小牧市生まれ。岩倉組創業者・岩倉巻次は祖父。宗教は天理教。中学卒業後上京し、立教高等学校、立教大学経済学部経営学科卒業、アメリカ合衆国アンカレッジコミュニティ・カレッジ基礎経済学講座修了。日本に帰国後、1974年(昭和49年)岩倉組土建入社(1989年1月岩倉建設へ社名変更)社員・役員を経て、2000年(平成12年)退社。1989年に日本青年会議所副会頭に就任した。 2000年(平成12年)、第42回衆議院議員総選挙に北海道9区から自由民主党公認で立候補。
筑紫 磐井(つくし ばんせい、1950年1月14日 - )は… 筑紫 磐井(つくし ばんせい、1950年1月14日 - )は、日本の俳人・評論家・文部科学官僚。俳誌「豈」発行人。本名は國谷実。東京都出身。 東京都豊島区生まれ。獨協中学校・高等学校を経て、一橋大学法学部に入学。大学在学中の1971年「馬酔木」に投句し、1973年「沖」に入会、能村登四郎に師事。1974年に大学卒業した後は科学技術庁に入庁、官僚として勤めながら俳人、俳句評論家として活動する(職歴参照)。1990年「豈」に入会、1991年より同誌編集人、2001年より同発行人を務める。 諧謔味の強い句風で、第一句集『野干』は「女狐に賜る位・扇かな」「みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな」といった、王朝文学の世界を素材とした擬古典的な句を収め、第二句集『婆伽梵』では同じ路線で万葉時代から昭和戦中期までの世界を表現している。
高田 康成(たかだ やすなり、1950年1月14日 - )は… 高田 康成(たかだ やすなり、1950年1月14日 - )は、日本の英文学者。東京大学名誉教授、名古屋外国語大学名誉教授。日本学士院会員。専攻は中世英文学、表象古典文化論(古典ラテン文学)。 東京生まれ。東京都立航空工業高等専門学校中退。1972年国際基督教大学教養学部卒業。1976年東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。同年、大阪大学言語文化部助手。1978年から1980年にケンブリッジ大学留学。1984年東北大学文学部助教授、1989年東京大学教養学部助教授、1994年同大学大学院総合文化研究科教授。2015年定年退任、名誉教授、名古屋外国語大学現代英語学部教授。2020年定年、名誉教授。
辰野 登恵子(たつの とえこ、1950年1月13日 - 20… 辰野 登恵子(たつの とえこ、1950年1月13日 - 2014年9月29日)は、日本の抽象絵画画家・版画家。東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。多摩美術大学教授。長野県岡谷市出身。 1968年、長野県諏訪二葉高等学校を卒業。同年、東京芸術大学美術学部に入学。大学時代に柴田敏雄(写真家)や鎌谷伸一(版画家)とともにグループ「コスモス・ファクトリー」を結成。名前は、彼らが好きだったクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのアルバム『Cosmo's Factory』(1970年)からとられた。アンディ・ウォーホルやロバート・ラウシェンバーグの影響を受けた写真製版によるシルクスクリーンをいち早く試みる。
古屋 一樹(ふるや かずき、1950年1月13日 - )は、… 古屋 一樹(ふるや かずき、1950年1月13日 - )は、日本の実業家。セブン-イレブン・ジャパン代表取締役社長を経て、同社取締役会長、日本フランチャイズチェーン協会副会長。 神奈川県出身。成城高等学校を経て、1973年明治学院大学商学部卒業。1982年セブン-イレブン・ジャパン入社。2000年取締役ゾーンマネジャー。2002年取締役オペレーション本部長。2004年常務取締役リクルート本部長。2007年取締役専務執行役員リクルート本部長。2011年取締役副社長執行役員。2016年から代表取締役社長を務め 業容拡大を進め、2018年には国内店舗数2万店舗突破を実現した。2019年取締役会長。日本フランチャイズチェーン協会副会長、セブン-イレブン記念財団評議員会長 なども務めた。
神余 隆博(しんよ たかひろ、1950年(昭和25年)1月1… 神余 隆博(しんよ たかひろ、1950年(昭和25年)1月11日 - )は、日本の国際政治学者、外交官。大阪大学教授、国際連合日本政府代表部次席代表特命全権大使、ドイツ駐箚特命全権大使を経て、2012年より関西学院大学教授・副学長を務めた。博士(法学)。2024年、瑞宝中綬章受章。 香川県仲多度郡琴平町出身。大阪大学法学部に入学。阪大法学部では英語研究会(ESS)と川島慶雄の国際法のゼミに所属。英語研究会(ESS)の先輩である藪中三十二が外務省に入省したことに刺激を受け、阪大法学部在学中に外務公務員採用上級試験を受験。合格し、1972年(昭和47年)阪大を卒業し外務省に入省した。 外交官のかたわら、以下の大学で教壇に立ち、国際関係の講座を持った。