秋元 律郎(あきもと りつお、1931年〈昭和6年〉7月8日… 秋元 律郎(あきもと りつお、1931年〈昭和6年〉7月8日 - 2004年〈平成16年〉6月28日 )は、日本の社会学者。早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。旧制成蹊高等学校、成蹊大学政治経済学部卒業。早稲田大学大学院文学研究科社会学専攻単位取得退学、79年「日本社会学史 形成過程と思想構造」で文学博士の学位を取得。早稲田大学文学部助教授、教授、2002年定年退任、名誉教授、大妻女子大学人間関係学部教授、放送大学客員教授。早大時代の教え子には、犬飼裕一(社会学者)田中伯知(社会学者)などがいる。2004年6月28日午後10時25分、肺がんのため埼玉県入間市の病院で死去した。
木村 現(きむら あらわ、1931年7月8日 - 2007年… 木村 現(きむら あらわ、1931年7月8日 - 2007年2月21日)は、広島県広島市出身のサッカー選手、サッカー指導者。名前の読みを「げん」とする資料もある。 長沼健、樽谷恵三は広島大学附属小学校からの幼馴染み。1945年被爆。広島高等師範学校附属中学(現広島大学附属高校)では、長沼・樽谷との超強力スリートップの高速右ウイングとして全国中等学校選手権(現・全国高等学校サッカー選手権大会)の戦後初優勝に貢献。3人のスピードは、当時の中学生レベルでは止められなかったと言われ、4試合で計21得点をたたき出した。決勝戦7-1のスコアは、戦後最多得点、及び大会最多得点差記録として現在も残っている。翌年国体も制覇。
森上 史朗(もりうえ しろう、1931年7月8日 - 201… 森上 史朗(もりうえ しろう、1931年7月8日 - 2019年8月4日)は、日本の幼児教育学者。 岡山県真庭郡久世町(現・真庭市)生まれ。1955年東京教育大学教育学部心理学科卒業、北海道教育研究所勤務、東京成徳短期大学助教授、1970年大妻女子大学家政学部助教授、1975年文部省初等中等教育局幼稚園課教科調査官、1980年日本女子大学家政学部助教授、教授、附属児童研究所主事、1997年青山学院大学教授、2001年同大定年退職、子どもと保育総合研究所代表。
田中 恭一(たなか きょういち、1931年7月8日 - 20… 田中 恭一(たなか きょういち、1931年7月8日 - 2024年3月10日)は、日本の実業家で、株式会社メニコンの創業者、会長。日本コンタクトレンズ協会名誉会長。愛知県葉栗郡木曽川町(現:一宮市)出身。 国民学校高等科を卒業後、手先の器用さを買われて名古屋市の老舗眼鏡店、玉水屋に勤務。そこに訪れたアメリカ軍将校夫人からコンタクトレンズを持っているという話を聞くものの、どうしても見せてもらえなかったことに発奮し、独学でレンズの開発に取り組む。デザインの設計から加工、装用実験など全て独自に行ない、1951年、それまで国内で研究されていた白目まで全てを被う強角膜コンタクトレンズではなく、現在のハードコンタクトレンズとほぼ同じ黒目のみを被うタイプを、日本で初めて開発した。
小川 英雄(おがわ ひでお、1931年7月7日 - 没年不明… 小川 英雄(おがわ ひでお、1931年7月7日 - 没年不明)は、高知県出身のプロ野球選手。
中村 久雄(なかむら ひさお、1931年7月7日 - )は、… 中村 久雄(なかむら ひさお、1931年7月7日 - )は、日本の経営者。蝶理社長を務めた。父親は衆議院議員を務めた中村清。 三重県出身。1956年に東京大学法学部を卒業し、同年に旭化成に入社。 1983年6月に取締役に就任し、1987年6月に常務、1990年6月に専務を経て、1992年6月に蝶理社長に就任。2001年6月に会長に就任し、2003年4月までに務めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
芳野嶺 元志(よしのみね もとし、1931年7月7日 - 2… 芳野嶺 元志(よしのみね もとし、1931年7月7日 - 2012年2月17日)は、青森県東津軽郡後潟村(現・同県青森市小橋)出身で友綱部屋(入門から1961年5月場所前までは、高嶋部屋)に所属した大相撲力士。本名は山口 政志(やまぐち まさし)。得意手は右四つ、寄り、押し。身長173cm、体重96kg。自己最高位は、東前頭8枚目(1958年9月場所)。 同郷であった当時の高嶋親方(元前頭4・八甲山)と、彼の弟子で同じく同郷の眺望山(後の神錦)を頼って、16歳の時に角界入り。 その切っ掛けとなったのは、1947年6月に岩手県和賀郡黒沢尻町(現在の同県北上市)で行われた巡業であった。 同年11月場所にて初土俵を踏み、1948年5月、「八潟錦」の四股名で序ノ口に付いた。
倉知 俊彦(くらち としひこ、1931年〈昭和6年〉7月7日… 倉知 俊彦(くらち としひこ、1931年〈昭和6年〉7月7日 - 2018年〈平成30年〉12月2日)は、日本の政治家。位階は正五位。勲等は旭日中綬章。豊田市名誉市民。 愛知県豊田市選挙区選出の愛知県議会議員(自由民主党所属、11期)。第67代愛知県議会議長、自由民主党愛知県支部連合会会長、幹事長、自由民主党愛知県議団団長などを歴任した。 1931年(昭和6年)愛知県豊田市に生まれる。愛知県立豊田西高等学校卒業後、愛知県職員や建設会社員を経て1971年(昭和46年)4月、愛知県議会議員選挙に初当選。 2003年(平成15年)12月20日、自民党愛知県連会長に就任。県議が会長に就任したのは同県連で初めて。
藤野 幸雄(ふじの ゆきお、1931年7月6日 - 2014… 藤野 幸雄(ふじの ゆきお、1931年7月6日 - 2014年11月15日)は、日本の図書館学者。 群馬県前橋市に生まれる。1955年東京外国語大学ロシア語科卒業。1957年文部省図書館職員養成所を卒業し、財団法人国際文化会館職員となる。1961年から翌年にかけ、カリフォルニア大学ロサンジェルス校大学院図書館サービス学科に学ぶ。1970年国際文化会館図書室長となる。1979年図書館短期大学教授、翌年図書館情報大学教授。1993年図書館情報大学副学長(1999年まで)。1995年定年退官[要出典]、名誉教授、2000年東京農業大学教授(2002年まで)、愛知学院大学客員教授。専門は図書館史、出版文化史。
佐藤 隆三(さとう りゅうぞう、1931年7月5日 - )は… 佐藤 隆三(さとう りゅうぞう、1931年7月5日 - )は、日本の経済学者。専門は理論経済学、中でも経済成長理論。ニューヨーク大学C.V.スター冠講座名誉教授。 秋田県湯沢市高松出身。Ph.D(ジョンズ・ホプキンス大学)、経済学博士(一橋大学)。ブラウン大学教授を経て、ニューヨーク大学レナード・スターン経営大学院C.V.スター冠講座教授、同大学日米経営経済研究所所長、ハーバード大学ケネディスクール兼任教授、東京大学大学院経済学研究科客員教授を歴任。 独ボン大学、英ケンブリッジ大学、京都大学、一橋大学客員教授を務めた。 元全米経済研究所(NBER)研究理事。米グーゲンハイム財団賞、日経図書文化賞、読売論壇賞受賞。
高橋 千年美(たかはし ちとみ、1931年7月5日 - 20… 高橋 千年美(たかはし ちとみ、1931年7月5日 - 2022年4月3日)は、埼玉県児玉郡出身のプロ野球選手(投手)、プロ野球球団経営者。 深谷商業高校卒業後、社会人野球のいすゞ自動車を経て1953年に広島カープに入団。手首の故障等で変化球に活路を見出し、打撃投手も兼任していた。 現役引退後、球団職員に転身し、後に球団常務取締役や球団代表、セ・リーグ理事長を歴任。球団幹部だった1990年代には川口和久のFA移籍やロビンソン・チェコの契約問題などに立ち会った。2003年に退職。 2022年4月3日に89歳で死去したことが同年4月6日に球団から発表された。同日の読売ジャイアンツ戦てはMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島に半旗を掲げ、選手たちは喪章を着けてプレーした。
藤本 永治(ふじもと えいじ、1931年7月5日 - 201… 藤本 永治(ふじもと えいじ、1931年7月5日 - 2018年11月)は毎日放送(MBS)の元アナウンサーである。愛称は「MBSの永ちゃん」(矢沢永吉に対抗して)。 東京都出身。中央大学卒業後、1954年に新日本放送(NJB。現在の毎日放送)のアナウンサーとして入社。同期には小池清。 毎日放送ではラジオ番組中心に出演。1984年6月1日より秘書室へ人事異動となった小池の後を継いでアナウンサー室長を1992年まで務めた。アナウンサー室長時代は「ひょうきん室長」と呼ばれていた。その後は主幹となり、1993年まで在籍して退職。退職後も、年に1回ほどのペースで、毎日放送のラジオ番組にゲストで出演していた。
小島 啓示(こじま けいじ、1931年7月5日 - )は、日… 小島 啓示(こじま けいじ、1931年7月5日 - )は、日本の経営者、工学博士。明電舎社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1954年に東京大学工学部電気工学科を卒業し、同年に住友電気工業に入社し、1956年には東京大学大学院電気工学士課程を修了。1980年6月に取締役に就任し、1984年6月に常務、1989年6月に専務を経て、1991年6月に明電舎副社長に就任し、1992年6月に社長に昇格。1998年6月に会長に就任し、2002年6月から相談役を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
窪田弘(くぼた ひろし、1931年7月4日 - 2013年1… 窪田弘(くぼた ひろし、1931年7月4日 - 2013年1月31日)は日本の大蔵官僚。経済企画庁長官官房長、理財局長、国税庁長官、国民金融公庫副総裁、北海道東北開発公庫総裁、日本債券信用銀行頭取、同行会長などを歴任した。 岡山県生まれ。祖父は行政裁判所長官の窪田静太郎。埼玉県立浦和高等学校から東京大学に入学。1953年10月 東京大学法学部第1類(私法コース)在学中に国家公務員試験(法律職)を合格。東大法学部第1類(私法コース)卒業。1954年 大蔵省入省(銀行局検査部審査課)。課長補佐時代は主計局総務課長補佐(歳入・企画)など、主計局を中心に勤務。1974年12月 内閣総理大臣秘書官(事務担当)。
三井 信雄(みい のぶお、1931年7月4日 - 2015年… 三井 信雄(みい のぶお、1931年7月4日 - 2015年7月14日)は日本出身の技術者、技術系管理者を経て、実業家。NHKで番組編成補助・自動送出などのコンピュータ化を行い、IBMで技術系部門の高級管理者として活躍し、IBM退社後には技術系投資ファンドを管理。
芝崎 亨(しばざき とおる、1931年(昭和6年)7月4日 … 芝崎 亨(しばざき とおる、1931年(昭和6年)7月4日 - 1999年(平成11年)10月20日)は、昭和から平成時代初期の政治家。埼玉県東松山市長。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 埼玉県出身。1953年(昭和28年)明治大学商学部卒業。1959年(昭和34年)以来東松山市議会議員を3期務め、1974年(昭和49年)同市長に就任し、5期務めた。退任後は、東松山市施設管理公社理事長を務めた。1999年死去。死没日付をもって正五位に叙され、勲三等瑞宝章を追贈された。
石井 進(いしい すすむ、1931年7月2日 - 2001年… 石井 進(いしい すすむ、1931年7月2日 - 2001年10月24日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。専門は日本中世史。 1931年、東京都で生まれた。東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)に入学し、同校では後に東京大学教授となる芳賀徹、平川祐弘、高階秀爾、平田賢と同じクラス(第1部)であった。1944年に卒業し、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に進学。1950年に卒業し、東京大学文学部に進学。文学部国史学科で学び、在学中は佐藤進一に師事。1955年に卒業し、同大学大学院人文科学研究科国史学専門課程に進んだ。1957年に修士課程を修了し、1960年に博士課程を単位取得退学。
小野 純朗(おの じゅんろう、1931年7月2日 - 202… 小野 純朗(おの じゅんろう、1931年7月2日 - 2025年7月10日)は、日本の経営者。近畿車輛社長を務めた。 大分県出身。1955年に東京大学工学部機械工学科を卒業し、同年に日本国有鉄道に入社。1986年1月に日本鉄道運転協会顧問に就任し、同年6月に理事、1987年7月に帝都高速度交通営団理事、1991年6月に近畿車輛専務を経て、1992年6月には社長に就任。2002年6月に相談役に就任。 2025年7月10日、老衰のために死去。94歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
清水 正之(しみずまさゆき、1931年7月2日 - 2016… 清水 正之(しみずまさゆき、1931年7月2日 - 2016年5月12日)は、日本の地方公務員、造園家。元大阪府理事、元大阪芸術大学教授、元NPO国際造園研究センター理事長、日本イエメン友好協会理事長など歴任。農学博士(東京大学、1997年)。 1954年東京大学農学部農学科を卒業。北村徳太郎に師事。同年大阪府庁入庁。農林部林務課勤務。1957年大阪府土木部計画課勤務で以降の府営公園整備や府内の自然公園に関わる、1963年土木部服部緑地管理事務所主査、1964年土木部公園課施設係長、1972年南部公園事務所長、1977年大阪芸術大学芸術学部非常勤講師、1978年からイエメン国でJune13公園の設計や首都サナアの緑化・レクリエーション地計画・駐車場配置計画策定指導などに尽力、1979年土木部公園課長、1985年社団法人大阪府公園・都市緑化協会理事長、1986年財団法人国際花と緑の博覧会協会事務次長を歴任し、1988年に大阪府を退職。
前ノ山 政三(まえのやま まさぞう、1931年7月2日 - … 前ノ山 政三(まえのやま まさぞう、1931年7月2日 - 1973年4月8日)は、愛媛県八幡浜市堀川町出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は菊池 秀介(きくち ひですけ)。最高位は東前頭14枚目(1958年5月場所)。現役時代の体格は176cm、102kg。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。 1931年、中国北東部の奉天市(現在の中華人民共和国遼寧省瀋陽市、当時は満洲国の統治下にあった)附近で生まれ、第二次世界大戦の終結とともに愛媛県八幡浜市に引き揚げて来た。 15歳の時に高砂部屋へ入門し、1947年6月場所(※現在の5月場所に相当)で初土俵。翌11月場所、「前ノ川」の四股名で序ノ口に付いた。
富永 健一(とみなが けんいち、1931年〈昭和6年〉7月1… 富永 健一(とみなが けんいち、1931年〈昭和6年〉7月1日 - 2019年〈平成31年〉2月23日)は、日本の社会学者。 社会学博士(東京大学・論文博士・1967年)、博士(経済学)(京都大学・論文博士・1998年)。東京大学名誉教授、文化功労者、日本学士院会員。 1931年、東京都杉並区生まれ。満洲から引き揚げ都立六中1年次に転校。同期に吉原健二(元厚生事務次官)らがいた。1950年3月に新制都立新宿高校を卒業。同年、東京大学文学部社会学科に入学。1955年3月に卒業し、同大学大学院社会学研究科に進んだ。1959年9月、博士課程を中退。 1959年10月に東京大学文学部助手に採用される。1962年4月に同専任講師、1966年11月に同助教授に昇格。
椙本 勝(すぎもと まさる、1931年7月1日 - )は、山… 椙本 勝(すぎもと まさる、1931年7月1日 - )は、山口県萩市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手、外野手。 萩北高校では、速球とドロップを武器に、エースとして1950年春の選抜に出場。1回戦で八幡高のエース渡辺雅人(法大-三重交通)に抑えられ敗退。八幡高には松永怜一、森下正夫がいた。 1951年に松竹ロビンスへ入団。1952年には開幕から先発陣の一角として起用され、4勝を挙げる。しかし同年には6ボークを記録、これは2003年に広島東洋カープのクリス・ブロックが更新するまでセ・リーグのシーズン記録だった(2007年に阪神タイガースのエステバン・ジャンがブロックの記録を更新したので椙本の記録は現在リーグ3位)。
宗内 徳行(むねうち のりゆき、1931年7月 - )は、日… 宗内 徳行(むねうち のりゆき、1931年7月 - )は、日本の元全日本バレーボール女子代表監督、日本体育大学名誉教授である。山口県徳山市出身。 この項目は、バレーボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Pバレーボール/PJバレーボール)。
井上 博道(いのうえ はくどう、1931年6月28日 - 2… 井上 博道(いのうえ はくどう、1931年6月28日 - 2012年12月12日)は、日本の写真家。産経新聞のカメラマンを経て、フリーに。大和路の世界をライフワークにしていた。
伊藤 邦幸(いとう くにゆき、1931年6月28日 - 19… 伊藤 邦幸(いとう くにゆき、1931年6月28日 - 1993年8月8日)は、日本の医師。 広島県出身。1955年東京大学文学部倫理学科卒、1957年同大学院修士課程修了、1963年京都大学大学院基督教学博士課程満期退学。1960-61年南極探検隊に参加。1963-67年京大医学部学生。1963年医師黄聡美と結婚。1968年医師免許、日本キリスト教海外医療協力隊としてネパールへ医師として派遣。インドで生活。以後数次、インド、ネパールへ出張。妻・伊藤聡美(そうび、1937-86)。
海野 恒男(うんの つねお、1931年6月28日 - 200… 海野 恒男(うんの つねお、1931年6月28日 - 2000年10月30日)は、日本の経済官僚、エコノミスト。経済企画庁で物価局長、国民生活局長、総合計画局長、経済企画審議官等を歴任した。 静岡県静岡市出身。静岡市立高等学校を経て、1957年一橋大学経済学部経済学科卒業後、経済企画庁入庁。計画局計画第一課に配属され、大来佐武郎(計画局長)、大田亮一(計画第一課長)の部下として働く。後に当時の課員であった宮崎勇(経済企画庁長官)、新藤稔(国際証券顧問)らとともに「大田会」と称して、毎年忘年会を開くようになる。 1962年から64年までスタンフォード大学留学。1970年から1971年まで第3次佐藤内閣の佐藤一郎経済企画庁長官事務秘書官を務めた。
秋月 俊幸(あきづき としゆき、1931年(昭和6年)6月2… 秋月 俊幸(あきづき としゆき、1931年(昭和6年)6月27日 - 2023年(令和5年)9月23日 )は、日本の歴史学者。北海道大学付属図書館の職員として勤めた後、大学教員に転じ、日露関係史や日本北辺地図学史を研究した。 長崎県佐世保市で生まれる。佐世保北高等学校を経て、1955年(昭和30年)に東京教育大学文学部卒業。文部省図書館職員養成所で司書資格を取得した後、北海道大学附属図書館で勤務する。北大図書館では、長年北方資料室主任を務め、北方資料や札幌農学校資料の整理などを精力的に行った。1992年(平成4年)に図書館を定年退職した後は北海道大学法学部講師となり、1995年(平成7年)2月には法学部助教授に昇任、同年3月に退官した。
寺田 和雄(てらだ かずお、1931年(昭和6年)6月27日… 寺田 和雄(てらだ かずお、1931年(昭和6年)6月27日 - 2015年(平成27年)5月2日)は、日本の政治家。元東京都町田市長(4期)。 市内原町田にて寺田要と母アイの長男として生まれる。父が失明したため働きながら、東京都立町田高等学校に通い卒業。1958年、法政大学経済学部卒業。 1949年、小松製作所(現在の相模工業)に入社。1957年、東京都職員となる。1970年に大下勝正が町田市長となると、誘われて町田市役所に転職。町田市秘書課長、企画部長、開発部長、総務部長、教育長、助役を歴任。 大下の後任として、1990年から2006年までの4期16年に渡って町田市長を務める。人口急増期の町田市の秩序ある発展をはかりながら、多摩丘陵の誇れる緑と自然環境を守り、福祉と文化のまちづくりを推進した。
出縄 茂(いでなわ しげる、1931年6月27日 - 202… 出縄 茂(いでなわ しげる、1931年6月27日 - 2021年4月11日)は、日本の銀行家。 神奈川県中郡旭村(現平塚市)出身。元横浜銀行常務取締役、元浜銀ファイナンス代表取締役社長、元横浜ファイナンス代表取締役会長を歴任した。 孫は、シュティフター研究者の出縄祐介である。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
鈴木 保巳(すずき やすみ 1931年6月26日 - 200… 鈴木 保巳(すずき やすみ 1931年6月26日 - 2008年2月9日)は、競輪評論家、元競輪選手。群馬県出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第1期生。現役時は日本競輪選手会群馬支部所属。選手登録番号5808。 夫人も、実子の鈴木一正(48期)も元競輪選手。この他、甥にあたる鈴木大介(37期)も元競輪選手だった。 群馬県立前橋高等学校時代は野球部の主将として活躍し、1948年に行われた第30回全国高等学校野球選手権大会に出場。その後は日本大学に進学した後、競輪に転向する形で競輪学校に第1期生として入学。 競輪選手としては1951年9月に京王閣競輪場でデビューし、35歳まで現役を続けたが、1966年9月9日に選手登録を消除して引退。
栗原 蘆水(くりはら ろすい、1931年6月26日 - 20… 栗原 蘆水(くりはら ろすい、1931年6月26日 - 2010年6月30日)は、日本の書家。本名は靖。広島県福山市駅家町出身。 1950年広島県立府中高校卒業後、4年間天満屋デパートに勤務。1954年、脱サラして村上三島に師事し、大阪に住む。1962年、第5回日展で特選受賞。1965年、蘆交会を主宰し、書道文化の普及や後進の育成に尽力。1969年、改選第1回日展審査員就任、以後12回務める。1988年、日展文部大臣賞、1994年、日本芸術院賞などを受賞。日本を代表する書家として活躍した。翌1995年、日展理事就任。2001年、日本書芸院理事長に就任。同年、勲四等旭日小綬章受章。日展常務理事、全国美術振興会常務理事なども務めた。
中原道喜(なかはら みちよし、1931年6月26日-2015… 中原道喜(なかはら みちよし、1931年6月26日-2015年6月)は、日本の英語教師・受験参考書の著者。 大阪府出身であり、玉川大学文学部英文科卒、開成高等学校教諭を務めた。開成高校にて原仙作に師事した。
沢田 一彦(さわた かずひこ、1931年6月26日 - )は… 沢田 一彦(さわた かずひこ、1931年6月26日 - )は、日本の経営者。学習研究社(現在の学研ホールディングス)社長を務めた。東京都出身。 1954年に東京大学文学部英文学科を卒業し、同年に学習研究社に入社。 1983年11月に取締役に就任し、1993年1月に副社長を経て、1993年4月に社長を就任。1997年6月に会長に就任。
千野 陽一(ちの よういち、1931年6月26日 - )は、… 千野 陽一(ちの よういち、1931年6月26日 - )は、日本の教育学者、歴史学者、東京農工大学名誉教授。 愛知県安城市生まれ。1955年東京大学教育学部教育行政学科卒。東京農工大学工学部助教授、教授。96年定年退官、名誉教授。その後、帝京大学教授、2002年定年退職。戦時下の婦人団体の歴史、農村での教育などを研究した。
芹川 有吾(せりかわ ゆうご、1931年6月26日 - 20… 芹川 有吾(せりかわ ゆうご、1931年6月26日 - 2000年10月4日)は、日本のアニメーション演出家、脚本家、映画監督である。東京都小石川区水道町出身。ペンネームに、浜田 稔、山中 肇、金子 健がある。父は、東京シネマ商会会長の芹川政一。 映画人の家庭に育ち、新東宝では、助監督として並木鏡太郎、中川信夫に師事した。渡辺邦男の早撮りの技術も勉強になったという。ウォルト・ディズニーの『バンビ』でアニメーションに魅了され、『白蛇伝』を見て制作した東映動画(現・東映アニメーション)へ入社。初監督作品『わんぱく王子の大蛇退治』は、内容的な評価も高く、それまでの東映動画になかった本格的な演出を持ち込み、監督という職制を確立した歴史的作品である。
小笠原 町子(おがさわら まちこ、1931年6月25日 - … 小笠原 町子(おがさわら まちこ、1931年6月25日 - )は、日本の女優。身長160 cm。体重62 kg。血液型はA型。大阪府東大阪市出身。 高知中学高等学校卒業。1955年に制作座に入座。『第三の証言』のサヨ子役が初舞台。1957年の劇団統合により関西芸術座の所属となる。
井出 嘉憲(いで よしのり、1931年6月25日 - )は、… 井出 嘉憲(いで よしのり、1931年6月25日 - )は、日本の政治学者、東京大学名誉教授。 東京都生まれ。1954年東京大学法学部卒業、同大学院法学政治学研究科博士課程修了。1960年、論文「行政における統合 -現代合衆国における行政の構造と機能-」にて、東京大学法学博士。 国際基督教大学助教授、東京大学新聞研究所助教授、同大学社会科学研究所教授。1992年定年退官、名誉教授。信州大学教授、岩手県立大学教授、長野大学教授、同学長等を歴任。第14期日本学術会議員。 1964年に翻訳家の末松氷海子と結婚。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
松原 英多(まつばら えいた、1931年6月25日 - 20… 松原 英多(まつばら えいた、1931年6月25日 - 2022年9月6日)は、医学博士・日本東洋医学界専門医、良導絡学会専門医。 東京都生まれ。代々医者の家系に生まれる。東邦大学医学部卒業後、アメリカ・カナダに4年間遊学。。帰国後、母校において大脳生理学を研究する傍ら、東洋医学・臨床心理学・催眠療法を学ぶ。 日本テレビ系『午後は○○おもいッきりテレビ』のホームドクターとしてレギュラー出演し、数々の企画を監修した。 東京・恵比寿で開業医として活動する一方で、執筆活動も最晩年まで行っていたが、2022年に入り体調を崩して都内の病院に入院し、同年9月6日に死去した。経営していたクリニックは当人の死去により閉院している。
林 壮司(はやし そうし、1931年6月25日 - 2019… 林 壮司(はやし そうし、1931年6月25日 - 2019年)は、日本の実業家。信越放送代表取締役社長を務めた。 長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。信越放送代表取締役社長。 2003年、旭日中綬章を受章した。 長野県知事を務めた林虎雄の長男。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
田村 竜騎兵(たむら りゅうきへい、1931年〈昭和6年〉6… 田村 竜騎兵(たむら りゅうきへい、1931年〈昭和6年〉6月24日 - 1990年〈平成2年〉2月14日)は、朝日新聞社の記者、囲碁ライター。群馬県出身、本名は田村孝雄。観戦記者として著書多数。朝日新聞東京本社編集委員をつとめた。本名・孝雄。 群馬県山田郡大間々町(現・みどり市)に生まれる。群馬県立桐生高等学校卒業、群馬大学医学部中退。その後、早稲田大学に転じ、囲碁部で村上文祥と同期生となる。1955年に早稲田大学商学部を卒業、日本棋院の『棋道』誌編集部に所属し、編集長だった宇崎玄々子に師事。『棋道』で記事を書いた他、東京新聞、産経新聞で牧伸太郎の筆名で観戦記を執筆。 宇崎玄々子の引退後、1960年より朝日新聞観戦記者となり、囲碁・将棋ともに観戦記を執筆した(将棋は「龍」名義)。
岡松 和夫(おかまつ かずお、1931年6月23日 - 20… 岡松 和夫(おかまつ かずお、1931年6月23日 - 2012年1月21日)は、日本の小説家、国文学者。 福岡県福岡市出身。旧制福岡中学校、旧制福岡高等学校を経て、東京大学文学部仏文学科卒。1954年に東京大学文学部国文科に学士入学。 1955年、「百合の記憶」が「文藝」全国学生小説コンクール佳作第一席として青柳和夫の筆名で『文藝』に掲載される。この時の佳作同期に大江健三郎がいる。1956年に国文科卒業。大学院に入るがほどなく池田亀鑑が死去。翻訳家の平井呈一の姪である瀬山梅子と1957年に結婚。横浜学園高等学校に勤務。 1959年に「壁」で第9回文學界新人賞受賞。1964年に立原正秋が編集長格の同人誌『犀』に参加。
吉村 徳重(よしむら とくしげ、1931年(昭和6年)6月2… 吉村 徳重(よしむら とくしげ、1931年(昭和6年)6月23日 - )は、日本の法学者。専門は、民事手続法・民事訴訟法。九州大学名誉教授。元日本学術会議会員。2010年瑞宝中綬章受章。弁護士。福岡県生まれ。
香内 三郎(こううち さぶろう、1931年6月23日 -20… 香内 三郎(こううち さぶろう、1931年6月23日 -2006年1月20日)は、日本の社会学者。東京経済大学名誉教授。マス・コミュニケーション論、イギリス言論史専攻。 大連生まれ。東京大学文学部社会学科卒。同大学院社会学研究科修士課程修了、東京大学新聞研究所助手、講師、助教授、教授、東京経済大学教授。2002年定年、名誉教授。 2005年「「読者」の誕生 活字文化はどのようにして定着したか」で東京経済大学で博士(コミュニケーション学)号。1982年の『活字文化の誕生』で日本出版学会賞受賞。
細田 勝(ほそだ まさる、1931年〈昭和6年〉6月23日 … 細田 勝(ほそだ まさる、1931年〈昭和6年〉6月23日 - 2021年〈令和3年〉12月31日)は、東京都新宿区出身のアナウンサー、大相撲評論家。 早稲田大学文学部卒業。1954年4月、文化放送にアナウンサーとして入社。以来、スポーツアナウンサーとして、33年に渡って活躍。大相撲に対する造詣が深く、1相撲番組を15年に渡って担当。進行を担当した『大相撲熱戦十番』は「大相撲熱戦十番の狂言回し」と自らを紹介した。 文化放送の定年退職後は大相撲評論家として、著書出版の他、講演会活動を行った。 2021年12月31日、腎不全のため死去。その死去は文化放送の後輩アナウンサーである坂信一郎が雑誌『相撲』(ベースボール・マガジン社)に寄稿したことで明らかにされた。
酒巻 俊雄(さかまき としお、1931年6月22日 - )は… 酒巻 俊雄(さかまき としお、1931年6月22日 - )は、日本の法学者、法学博士。専門は商法、会社法。名古屋経済大学大学院法学研究科教授。弁護士(渡部喬一法律事務所所属)。
二世 野村 万作(にせい のむらまんさく、旧字体:萬作、本名… 二世 野村 万作(にせい のむらまんさく、旧字体:萬作、本名・野村 二朗(のむら じろう)、1931年(昭和6年)6月22日 - )は、狂言方和泉流の能楽師。「万作の会」主宰。東京出身。東京都立小石川高等学校、早稲田大学文学部卒業。称号 (現学位)は文学士。紫綬褒章。人間国宝。練馬区名誉区民。
前川 道郎(まえかわ みちお、1931年6月22日 - 20… 前川 道郎(まえかわ みちお、1931年6月22日 - 2000年11月10日)は、日本の建築学者・建築史家。専門は、西洋建築史・建築学。工学博士。京都大学名誉教授、九州大学名誉教授。 フランスのゴシック建築を中心とする西洋中世建築の空間論的研究に取り組むとともに、ゴシック建築および空間論に関する海外の主要な著作を日本に紹介し、ゴシック建築研究の第一人者と目された。また、晩年には、プロテスタントにおける教会建築の研究にも関心を向けた。
花崎 皋平(はなざき こうへい、1931年6月22日 - )… 花崎 皋平(はなざき こうへい、1931年6月22日 - )は、日本の著述家、翻訳家、詩人、哲学者。 東京出身。1954年東京大学文学部哲学科卒業。1964年より、北海道大学の西洋哲学の教員となる。マルクス主義の研究などが専門。北海道大学助教授を務めたのち、1971年に自主退官。 1966年、「ベトナムに平和を!市民連合」の札幌の運動「札幌ベ平連」の結成に加わる。立上げ集会は、すすきのの東本願寺での、アメリカの反戦活動家ハワード・ジンと小田実の講演会であった。アメリカ軍兵士の脱走支援運動にも、参加している。1970年11月16日、デモ参加者の女性をかばい公務執行妨害罪で逮捕されるが、釈放となる 1970年、北大全共闘関係者による北大本部封鎖事件の被告人の学生の特別弁護を行う。
満坂 太郎(みつさか たろう、1931年6月22日 - 20… 満坂 太郎(みつさか たろう、1931年6月22日 - 2003年10月18日)は日本の小説家、推理作家、時代小説家。 東京生まれ。本名は川崎九越。東京学芸大学卒業。シナリオライターとして活躍後、1996年、新人物往来社主催の第20回歴史文学賞に「倫敦の土産」で佳作入選、同年『海賊丸漂着異聞』で東京創元社主催の第7回鮎川哲也賞を受賞しデビューした。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
小林 武夫(こばやし たけお、1931年(昭和6年)6月22… 小林 武夫(こばやし たけお、1931年(昭和6年)6月22日 - )は、日本の政治家。元栃木県小山市長(1期)。元栃木県議会議員(2期)。 栃木県下都賀郡小山町(現・小山市)出身。1949年、栃木県立栃木農業高等学校卒。1963年、小山市議会議員に初当選し、3期務める。1975年から栃木県議会議員を2期務めた(無所属→自由民主党)。1984年、小山市長の栗田政夫は病気のため辞任。小林は市長選挙に立候補し、当選する。1988年、市内の中学校の建設に関わる贈収賄事件で逮捕され、6月に市長を辞任した。同年10月宇都宮地裁で懲役2年、執行猶予4年、追徴金300万円の有罪判決を受けた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。