斉藤 京子(さいとう きょうこ、1936年(昭和11年)6月… 斉藤 京子(さいとう きょうこ、1936年(昭和11年)6月19日 - 2022年(令和4年)1月2日)は、日本の民謡歌手。秋田県北秋田郡栄村(現・北秋田市)太田生まれ。本名は齋藤京子。 「江差追分」の名人であった父・二代目大船繁三郎と、民謡歌手の母・函青白糸との間に生まれる。両親とともに巡業で各地を回り、4歳のとき函館で初舞台を踏む。 秋田・東北を中心に全国の民謡を手がけ、さらに端唄・小唄などの俗謡や、ご当地ソング・舞踊歌謡とレパートリーも幅広い。 1953年、17歳のときコロムビアから「新タント節」「もみすり唄」他でデビュー。20歳でキングレコードに移籍し、「おんな白虎隊」「あゝ川中島」などをヒットさせる。
大槻 義彦(おおつき よしひこ、1936年6月18日 - )… 大槻 義彦(おおつき よしひこ、1936年6月18日 - )は、日本の物理学者(放射線物性、核物性、大気電気学)。早稲田大学名誉教授。理学博士(東京大学、1965年)。テレビタレント。 身長169センチメートル。宮城県角田市出身(その後茨城県古河市に在住し、東京都に拠点を持つ)。 球電(プラズマ)の物理学的研究の第一人者。1990年、電磁波で火の玉を作ることに世界で初めて成功。それまで鬼火、狐火などと呼ばれ心霊的現象とされてきた火の玉(怪火)が科学現象である可能性の一つを提示した。 超常現象のひとつとして一時期話題となった「ミステリーサークル」という呼称の先駆者でもある。 長男の大槻東巳は、父親同様に物理学者(東京大学理学部卒、上智大学理工学部物理学科教授)。
末森 法典(すえもり ほうてん、1936年6月18日 - )… 末森 法典(すえもり ほうてん、1936年6月18日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。 山口高校から1955年に南海ホークスへ入団。1958年に退団。
宮崎 道公(みやざき みちひろ、1936年(昭和11年)6月… 宮崎 道公(みやざき みちひろ、1936年(昭和11年)6月18日 - 2022年(令和4年)8月22日)は、日本の政治家。元宮崎県えびの市長(2期)。元えびの市議会議員(7期)。 1959年、名城大学薬学部卒業後、1975年(昭和50年)10月にえびの市議会議員に初当選。以来、2002年2月まで通算7期務める。この間、1987年11月から1989年11月まで同議会副議長、1993年11月から1995年11月まで議長を歴任。 2002年(平成14年)3月10日、えびの市長選で初当選。3月16日、市長就任。2009年(平成21年)6月20日、えびの市発注の土木事業で、入札前に予定価格を地元業者に漏らしたとして競売入札妨害容疑の疑いにより逮捕された。
田代岩 弘道(たしろいわ ひろみち、1936年6月15日 -… 田代岩 弘道(たしろいわ ひろみち、1936年6月15日 - 没年不明 )は、北海道札幌市出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は羽賀 弘道(はが ひろみち)。173cm、85kg。最高位は東十両18枚目。得意技は右四つ、寄り。 北海道札幌北高等学校では陸上競技で活躍して3年生で円盤投げや砲丸投げの記録を作り、その評判を聞いた立浪部屋の世話人中ノ島が訪ねて来て勧誘し、北光山と名乗って土地相撲で活躍した父は入門を承諾した。自身は小学校時代から絵画と漫画描きに熱中しており、それを活かせる商業デザイナーを志望していたが、相撲は嫌いではなかったので高校3年生で中途退学して入門した。1954年9月場所に初土俵。
長坂 信夫(ながさか のぶお、1936年6月15日 -)は日… 長坂 信夫(ながさか のぶお、1936年6月15日 -)は日本の歯科医師、歯学者。朝日大学顧問、元朝日大学学長、広島大学名誉教授、元広島大学歯学部長。元日本小児歯科学会理事長。 1962年、大阪歯科大学卒業。以後、愛知学院大学小児歯科助教授を経て、1977年岐阜歯科大学小児歯科学教授に就任。以後、1979年に広島大学教授、1997年広島大学歯学部長、2000年に朝日大学副学長、2001年に朝日大学学長に就任。
深見 弾(ふかみ だん / ただし、1936年6月15日 -… 深見 弾(ふかみ だん / ただし、1936年6月15日 - 1992年7月28日)は、ロシア・東欧SFの翻訳家、研究家。 ストルガツキー兄弟(ロシア)やスタニスワフ・レム(ポーランド)など、多くの作品を日本語に翻訳した。また、逆に日本の作品をロシア・東欧に紹介することにも取り組んだ(矢野徹によるとレーニン図書館へ資料を送るため毎月1万円以上を使っていたという)。日本ペンクラブ、日本SF作家クラブ、日本推理作家協会、各会員。 主な訳書に『収容所惑星』、『ストーカー』、『そろそろ登れカタツムリ』(以上ストルガツキー)、『泰平ヨンの航星日誌』、『ロボット物語』、『宇宙飛行士ピルクス物語』(以上レム)などがある。
片岡 宏雄(かたおか ひろお、1936年6月15日 - 20… 片岡 宏雄(かたおか ひろお、1936年6月15日 - 2021年12月6日)は、大阪府出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ。 ヤクルトスワローズ元取締役編成部長。 浪華商業高校では捕手として甲子園に3回出場。2年生時の1953年、エース中下悟(法大 - 日本石油)を擁し第25回選抜高等学校野球大会決勝に進むが、加藤昌利のいた洲本高に敗れ準優勝。同年夏の第35回全国高等学校野球選手権大会では準々決勝に進むが、この大会準優勝の土佐高に敗退。翌1954年の第26回選抜高等学校野球大会は藤田徳男(全鐘紡)とバッテリーを組み、1回戦は中京商のエース中山俊丈を攻略して辛勝。しかし2回戦では藤田と飯田長姫高の光沢毅との投げ合いとなり、0-1で完封負けを喫した。
山根 成之(やまね しげゆき、1936年6月14日 - 19… 山根 成之(やまね しげゆき、1936年6月14日 - 1991年12月27日)は、日本の映画監督、脚本家。1970年代に松竹の映画で活動した。 東京府東京市向島区寺島町(現・東京都墨田区東向島)で帽子屋の息子として生まれた。小学生の頃から浅草の映画館に通うほどの大の映画好きで、都立両国高校3年の時には年間800本を記録した。その一方で演劇部で活躍し、舞台俳優を目指し劇団俳優座への入団を志したが、方向転換して日本大学芸術学部映画学科に入学し、1960年に卒業後、松竹に入社。高橋治、小林正樹、中村登、篠田正浩、野村芳太郎らの作品の助監督につく。作風では、他社(日活)であるが鈴木清順の作品の影響を受けたという。
奥村晃作(おくむら こうさく、1936年6月14日 - )は… 奥村晃作(おくむら こうさく、1936年6月14日 - )は、日本の歌人。歌誌「コスモス」選者。 長野県飯田市生まれ。長野県飯田高等学校を経て、1962年東京大学経済学部卒業。三井物産に入社後、2年程で退職し学士入学して教員免許を取得。のち芝中学校・高等学校社会科教諭に着任。大学在学中に『コスモス』に入会、宮柊二に師事する。1967年、「荒涼たる風景」で第13回角川短歌賞候補。1985年には「コスモス」の仲間である桑原正紀や高野公彦らと同人誌『棧橋』を創刊。 橘曙覧などの近世和歌を消化し、現代短歌の一領域として「ただごと歌」を認知させた。教師時代の奥村に短歌の手引きを受け、後に『コスモス』に入会した教え子に、影山一男や大松達知がいる。
井上 敦(いのうえ あつし、1936年(昭和11年)6月14… 井上 敦(いのうえ あつし、1936年(昭和11年)6月14日 ‐ 2011年(平成23年)3月20日)は、日本の政治家。日本共産党所属の衆議院議員。 和歌山県生まれ。三重県南牟婁郡鵜殿村出身。1955年(昭和30年)和歌山県立新宮高等学校を卒業。同県新宮市議会議員、紀南地区労働組合協議会書記次長、和歌山県振動病をなくす会顧問、日本共産党紀南地区委員長、同党和歌山県常任委員などを務めた。 1979年(昭和54年)の第35回衆議院議員総選挙で旧和歌山県第2区から出馬し初当選。当選1回。議員在職中の1980年(昭和55年)4月25日、衆議院建設委員会にて浜田幸一元代議士の土地転がし問題を暴露した。同年の第36回総選挙で落選。
村上 豊(むらかみ ゆたか、1936年6月14日‐)は静岡県… 村上 豊(むらかみ ゆたか、1936年6月14日‐)は静岡県出身の画家。
大工 勝(だいく まさる、1936年6月13日 - )は、京… 大工 勝(だいく まさる、1936年6月13日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手(投手)。 京都府立桃山高等学校卒業後、1955年に毎日オリオンズに入団。 大友工(巨人)ばりのシュートとスライダーを投げ、スタミナもあったので、新人にして開幕一軍入りを果たした。同年4月23日の大映スターズ戦(駒澤野球場)でデビューを果たした。しかし、6試合に登板したが勝利を挙げることができず、1957年に退団した。 プロ野球退団後は、社会人野球に転じ、富士製鐵広畑に入団。都市対抗野球大会に4回出場(うち1963年の大会では松下電器の補強選手として出場)した。1961年の都市対抗では準々決勝でエース田中勉を擁する東洋高圧大牟田を再試合の末に降す。
井上 美代(いのうえ みよ、1936年6月13日 - 202… 井上 美代(いのうえ みよ、1936年6月13日 - 2022年5月21日)は、日本の政治家、女性運動家、元外交官。日本共産党所属の元参議院議員。党中央委員会憲法改悪反対闘争本部員。新日本婦人の会元会長。女性「九条の会」世話人代表。 佐賀県出身。中央大学法学部政治学科卒業。外務省に入省した。 1990年、新日本婦人の会会長となる。 1998年の第18回参議院議員通常選挙に東京都選挙区(改選数4)より日本共産党公認で立候補。自民党は現職の小野清子と新人の塚原宏司の2人を擁立したが共倒れし、井上は3番目の得票数で初当選した。 その後、病気療養のため、2004年の第20回参議院議員通常選挙には立候補せず、議員を引退した。
本間 基文(ほんま もとふみ、1936年6月13日 - 20… 本間 基文(ほんま もとふみ、1936年6月13日 - 2020年10月4日)は、日本の材料科学者。東北大学名誉教授。元東北職業能力開発大学校長。元日本金属学会会長。 長野県大町市出身。1959年東北大学工学部金属工学科卒業。1964年東北大学大学院工学研究科金属工学専攻博士課程単位取得退学、東北大学工学部助手。1966年東北大学工学博士。1968年東北大学工学部講師。1969年東北大学工学部助教授。1970年服部公報会服部賞受賞。1979年日本金属学会功績賞受賞、日本鉄鋼協会西山記念賞受賞。1980年東北大学工学部教授。同年アメリカ泌尿科学会 1st Prize Exibition Lab. Research。
江副 浩正(えぞえ ひろまさ、1936年(昭和11年)6月1… 江副 浩正(えぞえ ひろまさ、1936年(昭和11年)6月12日 - 2013年(平成25年)2月8日)は、株式会社リクルートの創業者として知られる日本の実業家。「昭和最大の起業家」「東京大学が生んだ最大のベンチャー起業家」とも評されるが、「リクルート事件」の贈賄側人物としても知られる。また奨学金財団として江副育英会を創設し理事長を務めた。 東京大学在学中に就職斡旋の事業に着手してリクルートを創業し、大企業に成長させた。情報をビジネス化するという発想がなかった時代に、就職、転職、住宅などの情報を提供にはじまり、情報産業の旗手となった。「自ら機会をつくり、機会によって自らを変えよ」は江副の遺した社訓として知られ、江副の作ったリクルートは起業家集団としても知られ、日本最大のビジネスモデルとして現在も影響を与え続けている。
野田 弘志(のだ ひろし、1936年 6月11日 - )は、… 野田 弘志(のだ ひろし、1936年 6月11日 - )は、日本の画家。近縁の画風で知られる中山忠彦、森本草介とは同世代で旧知の間柄。 野田は、凡そ10年単位でその個人様式を大きく転換させるという特徴的な変遷を見せる。しかしその核心は一貫しており、モチーフを細密に写真で記録し徹底した描写でカンバスに再現する粘り強いリアリズム表現が際立つ。1992年以降は低彩度の明るい色(ライトグレーや白)などを中心としており、安定している。 1970年代から1997年頃まで、藤田吉香にも似た、シンプルな大面積の背景を特徴として画面を構成してきた所があるが、近年では、大面積でシンプルな背景は影を潜めている。 1970年から絵画制作に専念し先ず制作された絵画は、黒い背景によって特徴づけられる絵画である。
木下 毅(きのした つよし、1936年6月10日 - )は、… 木下 毅(きのした つよし、1936年6月10日 - )は、日本の法学者(英米法)、弁護士(第一東京弁護士会)。法学博士(東京大学・課程博士・1971年)。 山口県下関市出身。伊藤正己に師事。 大木雅夫から盗作を指摘され、中央大学から調査を受けたが、著作権法違反とは断定できないが、引用先を明示していない個所が多数あり、学者として倫理上問題があったとして、2004年に職務停止3か月の懲戒処分を受けた。問題となった著書は『比較法文化論』と『アメリカ法入門・総論』の2冊。
遠藤 博也(えんどう ひろや、1936年6月10日 - 19… 遠藤 博也(えんどう ひろや、1936年6月10日 - 1992年4月6日)は、日本の法学者。専門は行政法。学位は、法学博士(東京大学・1966年)。元北海道大学教授。指導教授は当初田中二郎だったが、田中が指導途上で最高裁判事になった後は、雄川一郎に師事した。徳島市生まれ。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
佐藤 健一郎(さとう けんいちろう、1936年6月10日- … 佐藤 健一郎(さとう けんいちろう、1936年6月10日- 2014年)は、国文学・民俗学者、武蔵野美術大学名誉教授。 東京に生まれる。1962年、東京都立大学を卒業後、同大学院に進み、修士課程を修了した。 武蔵野美術大学で講師、助教授、教授を歴任した。2007年、定年で名誉教授となる。 いずれも田村善次郎との共著。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
青木 日出夫(あおき ひでお、1936年6月10日 - 20… 青木 日出夫(あおき ひでお、1936年6月10日 - 2006年8月3日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家、風俗史研究家。 京都府生まれ。早稲田大学大学院英米文学研究科修了。学生時代から神田神保町でペーパーバックを買いあさり、勇名を馳せた。同じように神田神保町でペーパーバックを買いあさった仲間に早稲田大学の同級生でもある小鷹信光がおり、1962年からはその小鷹や片岡義男とともに雑誌『マンハント』でペーパーバックを紹介する「ポケットの中の本棚」を担当した。また、常盤新平と知り合い、ハヤカワミステリやハヤカワノヴェルズへの企画を担当した。なお、小鷹によれば、リチャード・スタークの悪党パーカー・シリーズは「私が当時の仲間(片岡義男、青木日出夫)たちと一緒に売り込んだ」ものという。
小野 賢二(おの けんじ、1936年6月10日 - 2005… 小野 賢二(おの けんじ、1936年6月10日 - 2005年10月14日)は、日本の経営者。 愛知県出身。1959年に早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業し、同年に国土計画に入社。1985年に西武トラベル社長に就任し、1988年6月に西武鉄道取締役と西武ハイヤー社長に就任。1993年に西武ライオンズの取締役に就任し、翌年には球団代表に就任した。1998年に球団社長も兼務したが2000年に松坂問題の責任を取る形で球団社長を辞任し、2003年には体調不良により球団代表を辞任した。 2005年10月14日、脳腫瘍のため死去。69歳没。
柳田 邦男(やなぎだ くにお、1936年〈昭和11年〉6月9… 柳田 邦男(やなぎだ くにお、1936年〈昭和11年〉6月9日 - )は、日本のノンフィクション作家、評論家。 航空事故、医療事故、災害、戦争などのドキュメントや評論を数多く執筆している。妻は絵本作家の伊勢英子。娘にカメラマンの石井麻木がいる。 栃木県上都賀郡鹿沼町(現在の鹿沼市)生まれ。栃木県立鹿沼高等学校を経て、1960年東京大学経済学部を卒業する。同年NHKに入局し、広島放送局へ配属される。1963年東京へ戻り、社会部に配属になる。1966年に遊軍記者として全日空羽田沖墜落事故、カナダ太平洋航空機墜落事故、BOAC機空中分解事故を取材する。1971年にこれらの事故を追ったルポルタージュ『マッハの恐怖』を発表し、第3回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。
丸山 尚(まるやま ひさし、1936年6月9日- 没年不明)… 丸山 尚(まるやま ひさし、1936年6月9日- 没年不明)は、日本の社会運動家、編集者。 長野県下高井郡富倉村(現飯山市)生まれ。1960年國學院大學文学部卒、現代評論社編集部に入り、『現代の眼』編集部をへてフリー。63年日本経営協会『NOMAプレスサービス』編集長。65年現代ジャーナリズム出版会編集長。「明日のジャーナリズムを考える会」を作る。71年日本ミニコミセンターを設立。76年住民図書館を設立、館長。住民図書館は2001年12月に廃館となり、所蔵資料は埼玉大学に引き継がれ、その後、2010年4月から立教大学共生社会研究センターに引き継がれている。 正木ひろしを人生の師、鈴木均をジャーナリズムの師として仰いでいる。
星野 晃一(ほしの こういち、1936年6月9日- )は、日… 星野 晃一(ほしの こういち、1936年6月9日- )は、日本の日本近代文学研究者。城西国際大学名誉教授。 東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。城西大学女子短期大学部助教授、教授、城西国際大学教授、2007年定年退職、武蔵野大学客員教授。2010年退職。室生犀星が専門。
矢嶋 長次(やじま ちょうじ、昭和11年(1936年)6月9… 矢嶋 長次(やじま ちょうじ、昭和11年(1936年)6月9日 - 2019年(令和元年)10月20日没)は、日本のヤクザ。山口組直参。初代矢嶋組組長。二代目森川組組長。兵庫県明石市出身。 兵庫県明石市に博徒・矢嶋清の息子として生を享ける。博打打ちとして全国を放浪するも愛媛県今治市を本拠に森川組を構えていた森川鹿次の目に適い、昭和30年(1955年)に森川鹿次の娘(森川鹿次の妻・春子の連れ子だった)・栄子と結婚。森川邸の向かいに新居を構え、矢嶋組を結成した。 昭和35年(1960年)7月15日、三代目山口組・田岡一雄組長から盃を貰い、山口組直参となった。当時、24歳、山口組最年少直参昇格であった。
逢坂 貞夫(おおさか さだお、1936年6月8日 - )は、… 逢坂 貞夫(おおさか さだお、1936年6月8日 - )は、日本の元検察官(13期)。弁護士。元大阪高等検察庁検事長。大阪大学法学部出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
高瀬 弘一郎(髙瀨 弘一郎、たかせ こういちろう、1936年… 高瀬 弘一郎(髙瀨 弘一郎、たかせ こういちろう、1936年6月8日 - )は、日本の歴史学者、慶應義塾大学名誉教授。東京都出身。専攻は近世日欧交渉史、キリシタン史。 東京都立西高等学校を経て、慶應義塾大学文学部史学科卒業、同大学院博士課程単位取得退学。1977年「キリシタン時代の研究 とくに教会の政治的、経済的活動を中心に」で慶大文学博士。慶應義塾大学文学部助教授、教授、2002年定年、名誉教授。 ヨーロッパ各国に保存されている一次史料の調査・解読作業の成果を基礎に、戦国時代~江戸時代初期の日本において布教活動をおこなったカトリック教会の経済的基盤や、スペイン・ポルトガルの国家政策とのかかわりについて明らかにした。
西川 渉(にしかわ わたる、1936年6月8日 - 2020… 西川 渉(にしかわ わたる、1936年6月8日 - 2020年2月16日)は、日本のドクターヘリ事業の普及発展に寄与した航空ジャーナリスト。東京都出身。 宮崎県に生まれ、中学2年生の時に東京都に移住した。1960年に東京大学理学部を総代で卒業した。 1960年に西武百貨店に入社、その後、同じグループであった朝日ヘリコプター(現在の朝日航洋)に転籍、1980年に代表取締役専務、1989年に地域航空総合研究所代表取締役所長に就任した。朝日航洋では、ベル 47、KH-4、シコルスキー S-58C、S-62A、アルウェットII、AS350B、AS355、Bo105、BK117、ベル 206B、206L、204B、212、412、214B、214ST、MD900、ピューマ、スーパーピューマ、ミル Mi-8、カモフ Ka-26など、数多くの機体に携わった。
清水 マリ(しみず まり、1936年〈昭和11年〉6月7日 … 清水 マリ(しみず まり、1936年〈昭和11年〉6月7日 - )は、日本の声優、女優、YouTuber。埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)出身。81プロデュース所属。父親は俳優の清水元。本名は山内 鞠(やまのうち まり)。 第2子として埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)で誕生。4歳上の兄がおり、その兄はNHKディレクターの清水満。 浦和市立仲本小学校、浦和市立原山中学校、埼玉県立浦和西高等学校卒業。 中学1年時に父・清水元の劇団で『ピノキオ』の舞台を上演することになったが、劇団に子役がいなかったため、マリがピノキオ役で出演することになり、それがきっかけで役者の道に進む。父親は役者になることについては反対していた。
水野 良太郎(みずの りょうたろう)、1936年6月7日 -… 水野 良太郎(みずの りょうたろう)、1936年6月7日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター、エッセイスト、モデラー(鉄道模型他)。三重県四日市市出身。漫画集団同人、日本ペンクラブ会員。NPO日本鉄道模型の会理事。
戸張 規子(とばり のりこ、1936年6月7日 - 2020… 戸張 規子(とばり のりこ、1936年6月7日 - 2020年4月3日)は、日本のフランス文学者。慶應義塾大学理工学部教授を経て、慶應義塾大学名誉教授。専門はジャン・ラシーヌ、フランス古典劇。夫は戸張智雄。 東京都出身。1959年、学習院大学文学部フランス文学科卒業、1961年同大学院人文学研究科フランス文学専攻修士課程修了。1969年仏蘭西政府派遣スタジエール、1973年フランス政府派遣プロヴァンス大学派遣。1969年、共立女子大学文芸学部専任講師、1973年、同大学助教授。1979年、パリ第3大学言語音声学研究所。1982年、慶應義塾大学理工学部助教授、1988年、同大学教授。2002年、定年退職、名誉教授。
赤堀 千恵美(あかほり ちえみ、1936年6月6日 - 20… 赤堀 千恵美(あかほり ちえみ、1936年6月6日 - 2019年3月25日)は、日本の料理研究家。赤堀料理学園名誉校長。本名は赤堀 綾子。 1959年、日本女子大学家政学部卒業。翌1960年に赤堀料理学園理事長であった赤堀有宏と結婚。(有宏は代々料理指導を家業とする赤堀全子の長男で、早稲田大学大学院文学研究科修了後、北海道放送に入り、1960年に退社後、家業の赤堀料理学園理事兼副校長となり、1963年より5代目学園理事長を務めた。) 1965年9月20日に長女・赤堀 博美、1969年5月8日に次女・赤堀 友美、1970年9月15日に長男・赤堀 有一が誕生。 1972年6月6日、千恵美36歳の誕生日に、夫の有宏が死去(享年41歳)。
立石 信雄(たていし のぶお、1936年6月6日 - 202… 立石 信雄(たていし のぶお、1936年6月6日 - 2022年4月12日)は、日本の実業家。オムロンの会長などを務めた。 1936年、立石電機(現・オムロン)創業者の立石一真の二男として大阪市に生まれる。第二次世界大戦中の小学校時代には山でマムシや食用ガエルを捕まえるなど、活発な少年だった。1945年6月の大阪大空襲で立石電機の工場が焼けたため、会社とともに京都市に転居した。この頃に姉に連れられて日曜学校に行き、聖歌隊に入った事がきっかけで英語に興味を持ったという。 市立中学に入ったものの、自身の希望で英語教育が充実していた同志社中学校の編入試験を受け、中学1年の2学期から同校に編入した。英語への関心は根強く、同志社高校を経て、1955年に同志社大学文学部英文科に進学した。
内山田 洋(うちやまだ ひろし、本名:内山田 道生(みちお)… 内山田 洋(うちやまだ ひろし、本名:内山田 道生(みちお)、1936年(昭和11年)6月6日 - 2006年(平成18年)11月3日)は、日本の歌手・作曲家。血液型AB型。 福岡県柳川市出身。 父親は戦争中に松永伍一と同じ軍需工場に勤務していた。高校時代は水泳選手として活躍。水泳は後々まで趣味としており、営業には欠かさず水着を持参していた。また隠れマッチョ芸能人として知る人ぞ知る存在であり、晩年まで腕立て伏せ150回を日課としていた。 1957年ころから福岡県内のベースキャンプで音楽活動を開始。クラブやキャバレーでの営業を経て、1967年に小林正樹・岩城茂美・森本繁・宮本悦朗らと「内山田洋とクール・ファイブ」を結成、長崎市のキャバレー「銀馬車」の専属となる。
谷野 作太郎(たにの さくたろう、1936年6月6日 - )… 谷野 作太郎(たにの さくたろう、1936年6月6日 - )は、日本の外交官。東京都出身。
野本 亀久雄(のもと きくお、1936年6月5日 - )は、… 野本 亀久雄(のもと きくお、1936年6月5日 - )は、日本の免疫学者。愛媛県松山市生まれ。九州大学名誉教授、元社団法人日本臓器移植ネットワーク理事長、元日本移植学会理事長。九州大学生体防御医学研究所の創立者。九州大学医学部卒業、九州大学大学院修了。 野本教授は生命科学を理解するための新しい学問領域として「生体防御学」を提唱し、その理論体系である生体防御論の確立と科学的実証を行ってきた。生体防御論では、生体防御機構を、外来異物あるいは異物的自己を排除することにより生体の恒常性を維持するメカニズムの全体と位置付けている。現在では、この「生体防御」が学術用語として定着し、大きな学問領域として認知されるに至った。
髙野 公男(たかの きみお、1936年6月5日 - 2015… 髙野 公男(たかの きみお、1936年6月5日 - 2015年6月6日)は、日本の都市計画家、建築家で「まちづくり家」と称した。東北芸術工科大学名誉教授。マヌ設計連合(現マヌ都市建築研究所)創始者。 山形県都市計画審議会会長、日本学術会議社会環境工学研究連絡委員会都市地域計画専門委員会委員長、最上川水系流域委員会委員、草加市緑の基本計画策定委員会委員長、出羽三山地域世界遺産登録 育成推進委員会委員長などを歴任。専門は建築学、都市計画・都市防災計画など。一級建築士、技術士。工学博士。 神奈川県横須賀市逸見町生まれ。1959年(昭和34年)千葉大学工学部建築学科卒業。東京大学生産技術研究所研究生に。
瀬川 昌也(せがわ まさや、1936年6月4日 - 2014… 瀬川 昌也(せがわ まさや、1936年6月4日 - 2014年12月14日)は、日本の医学者、小児科医、医学博士、専門は小児神経学。1972年に報告した「著明な日内変動を呈する遺伝性ジストニア(Hereditary progressive dystonia with marked diurnal fluctuation=HPD)」「dopa responsive dystonia 5 =DRD5」には、瀬川病(Segawa Disease)の名前がつけられている。瀬川小児神経学クリニック(現:瀬川記念小児神経学クリニック)院長、獨協医科大学特任教授、日本小児神経学会理事、日本睡眠科学研究所顧問、などを務めた。
沢 邦彦(さわ くにひこ、1936年6月3日 - )は、日本… 沢 邦彦(さわ くにひこ、1936年6月3日 - )は、日本の実業家。富士電機ホールディングス代表取締役社長や、電気学会会長、富士通取締役、日本原子力発電取締役、月島機械取締役、パナソニック電工取締役などを歴任した。 1955年北海道室蘭清水丘高等学校卒業。1959年北海道大学工学部電気工学科卒業、富士電機製造入社。1987年富士電機取締役。1991年富士電機常務取締役。1994年富士電機専務取締役。1995年富士電機代表取締役副社長。1998年富士電機代表取締役社長、富士通取締役。2000年電気学会会長。2002年室蘭市ふるさと大使。2003年日本原子力発電取締役。2006年富士電機ホールディングス相談役、月島機械取締役。
市川 慎一(いちかわ しんいち、1936年6月3日 - 20… 市川 慎一(いちかわ しんいち、1936年6月3日 - 2019年1月6日)は、フランス文学者、日欧交渉史研究者、早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。同大学院博士課程修了。1966-1970年フランスのモンペリエ大学に留学。早稲田大学文学部教授。2002年に定年後は、学習院女子大学非常勤講師。慶應義塾大学特別招聘教授、マドリッド・アウトノマ大学客員教授を歴任。2016年春、瑞宝中綬章受勲。2019年1月6日、肺炎のため死去。82歳没。叙従五位。 百科全書・18世紀啓蒙思想を中心とするフランス思想・文学および比較文化専攻。
別府 恵子(べっぷ けいこ、1936年6月3日 - )は、日… 別府 恵子(べっぷ けいこ、1936年6月3日 - )は、日本のアメリカ文学者、神戸女学院大学・松山東雲女子大学名誉教授。 大阪府豊中市生まれ。神戸女学院高等部卒、神戸女学院大学文学部英文学科卒業、ミシガン大学大学院で文学修士、教育学博士号取得。1970年神戸女学院大学英文学科専任講師。留学のため3年ほど休職。1974年助教授、1982年教授、1999年定年退任、名誉教授、松山東雲女子大学学長。2007年退任、名誉教授。2015年春、瑞宝中綬章受勲。
小田 襄(おだ じょう、1936年6月3日 - 2004年1… 小田 襄(おだ じょう、1936年6月3日 - 2004年1月24日)は、日本の彫刻家国際的金属造形作家で、ステンレスを使った作品で知られる。紫綬褒章受章・日本美術家連盟理事長・教育者として多摩美術大学・東北工業大学において多数の後進の教育に携わった。
茂木 雅夫(もぎ まさお、1936年6月3日 - )は、 日… 茂木 雅夫(もぎ まさお、1936年6月3日 - )は、 日本文学研究者、作家。 茨城県行方市に生まれる。茨城県立麻生高等学校普通科を卒業した後に作家を志望して上京。1960年に早稲田大学文学部日本文学科を卒業。この年の4月から聖光学院中学校・高等学校の国語教諭として2000年3月まで勤務。1994年9月から2012年3月まで日本大学(大学院)芸術学部文芸科の非常勤講師を勤めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
今野 由梨(こんの ゆり、1936年〈昭和11年〉6月2日-… 今野 由梨(こんの ゆり、1936年〈昭和11年〉6月2日-)は、日本の実業家。ダイヤル・サービス株式会社創業者、代表取締役。公益財団法人日本ニュービジネス協議会連合会顧問、東京商工会議所特別顧問、一般社団法人日本介護事業連合会副会長(理事)、一般財団法人全国SNSカウンセリング協議会常務理事。 三重県桑名市生まれ。津田塾大学英文科卒業。 就職面接で「定年まで働いて社長を目指します!」とアピールしたことが災いして就職失敗。 1964年、今野はニューヨーク万博の日本館コンパニオン/広報担当者として渡米した。この年は日本人の海外渡航が自由化された年。円ドル交換レートは1ドル360円。日本からの往復航空運賃だけでも40万円以上、現在に置き換えると400万円に匹敵する時代だった。
西元 徹也(にしもと てつや、1936年〈昭和11年〉6月1… 西元 徹也(にしもと てつや、1936年〈昭和11年〉6月1日 - 2024年〈令和6年〉4月3日)は、日本の陸上自衛官、軍事評論家。第23代陸上幕僚長、第20代統合幕僚会議議長。元隊友会会長。1佐までの職種は機甲科。 鹿児島県垂水市出身。父親の仕事の関係で小中学校の時に二度ほど横浜に住んだが、中学一年の時に垂水市にもどる。県立垂水高校卒業後、防衛大学校に入校するが、高校の野球の試合の時に鹿児島の桟橋で防大生に出会ったことがきっかけであった。防大卒業後の1959年(昭和34年)に陸上自衛隊に入隊。幹部候補生学校卒業後は機甲科に進み、初任地は北恵庭の第101戦車大隊。ここでの勤務がその後の部隊勤務の基礎ができたと語っている。
斎藤 末弘(さいとう すえひろ、1936年5月31日 - )… 斎藤 末弘(さいとう すえひろ、1936年5月31日 - )は、日本近代文学研究者、西南学院大学名誉教授。 北海道生まれ。1955年に北海道滝川高等学校を卒業、1959年に國學院大學文学部を卒業。角川書店編集部、日本キリスト教団出版局、東京電機大学非常勤講師を経て、1978年西南学院大学文学部講師に就任。助教授を経て、1986年に教授となる。国際文化部長、文学研究科長を歴任し、2004年に学校法人西南学院理事長に就任。2007年に西南学院大を定年退職し、名誉教授となる。2015年春、旭日中綬章受勲。 1960-73年、椎名麟三、高見沢潤子、佐古純一郎らと共に「たねの会」結成に参加。個人研究誌『椎名麟三研究』主宰。
山本 祐司(やまもと ゆうじ、1936年5月31日 - 20… 山本 祐司(やまもと ゆうじ、1936年5月31日 - 2017年7月22日)は、満洲国奉天市生まれ、山口県萩市育ちの元毎日新聞記者。「ルパン文芸」を主宰した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
東 八郎(あずま はちろう、本名:飛田 義一(ひだ ぎいち)… 東 八郎(あずま はちろう、本名:飛田 義一(ひだ ぎいち)、1936年〈昭和11年〉5月31日 - 1988年〈昭和63年〉7月6日)は、日本のコメディアン、タレント。昭和を代表するコメディアンの一人。妻との間に3男2女があり、次男はお笑いコンビ・Take2の東貴博、三男はタレントの東朋宏。タレントの安めぐみは義娘(次男・貴博の妻。ただし、東の死去から23年後の2011年に結婚したため、生前に面識は無い)にあたる。 東京府東京市浅草区 (現・東京都台東区浅草) 出身。父は岐阜県大垣市の出身で皇宮警察官であった。戦時中に家族とともに名古屋市に疎開し、名古屋時代の親友にプロゴルファー塩谷育代の父親がいた。
山下 勇三(やました ゆうぞう、1936年5月30日 - 2… 山下 勇三(やました ゆうぞう、1936年5月30日 - 2008年1月31日)は、グラフィックデザイナー。広島県広島市観音(現・広島市西区)出身。 広島市立観音小学校、山陽中学校(現・山陽高等学校)、崇徳高等学校を経て、1960年多摩美術大学図案科卒業、ライトパブリシティに入社。和田誠は大学の同窓でデザイン会社も同僚の盟友。1963年に独立して「山下勇三事務所」を設立した。1969年、矢崎泰久の推薦により、日本のタウン誌第一号と呼ばれる「新宿プレイマップ」のアートディレクターとなる。「新宿PLAY MAP」というタイトルとロゴ文字を作成し、創刊号に斬新なイラストレーションの表紙画を書いた。「新宿プレイマップ」は第3号で降板したが、「話の特集」では、井上ひさしが15年にわたって長期連載した小説「江戸紫絵巻源氏」のイラストレーションを担当したほか、同誌に30年間掲載された永六輔との「せきこえのどに浅田飴」の広告を手がけた。