砂原 美智子(すなはら みちこ、1923年〈大正12年〉2月… 砂原 美智子(すなはら みちこ、1923年〈大正12年〉2月19日 - 1987年〈昭和62年〉8月27日)は、日本の声楽家(ソプラノ)、音楽教育者。 広島県呉市出身。呉市立吾妻小学校(現・呉市立明立小学校)在学中の1930年(昭和5年)、音楽を学ぶために一家で東京移住。東京府立第六高等女学校(現・東京都立三田高等学校)卒業。1942年(昭和17年)東京音楽学校入学。1944年(昭和19年)東京音楽学校本科声楽科卒業(戦時中のため、卒業時期短縮で9月卒業)。平原寿恵子に師事。1947年(昭和22年)藤原歌劇団公演のプッチーニ『ラ・ボエーム』ムゼッタでデビュー。翌年にかけてビゼー『カルメン』のミカエラ、ロッシーニ『セビリアの理髪師』のロジーナ、プッチーニ『蝶々夫人』などを演じて一躍同劇団のプリマドンナになる。
西田 誠(にしだ まこと、1923年〈大正12年〉2月19日… 西田 誠(にしだ まこと、1923年〈大正12年〉2月19日 - 2008年〈平成20年〉11月19日)は、日本の政治家。熊本県宇土市長(2期)。 熊本県宇土郡不知火村(のち不知火町、現在の宇城市)出身。1942年(昭和17年)熊本高等工業学校(現在の熊本大学工学部)卒業。卒業後は東京製綱に勤務し、その後帰郷し、西田鉄鋼所を開く。のちに株式会社に改組し、社長となる。 1990年(平成2年)宇土市長選挙に無所属で立候補し、現職の田代捨己を僅差で破って当選した。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:86.54%(前回比:-pts) 同年4月に第3代市長に就任した。 1994年(平成6年)の市長選は元市議会議長との争いとなったが、これを破って再選を果たした。
小栗 了之(おぐり りょうし、1923年2月19日 - 20… 小栗 了之(おぐり りょうし、1923年2月19日 - 2004年7月31日)は、日本の歴史学者、北海道教育大学名誉教授。フランス近代史専攻。兄はドイツ文学者の小栗浩。 北海道函館市生まれ。1949年東北大学文学部西洋史学科卒業。北海道教育大学講師、助教授、教授、1987年定年退官、名誉教授。1999年秋、勲三等旭日中綬章受勲。 2004年7月31日、多臓器不全のため死去。
井上 鋭夫(いのうえ としお、1923年2月18日 - 19… 井上 鋭夫(いのうえ としお、1923年2月18日 - 1974年1月25日)は、日本の歴史学者。学位は、文学博士(東京大学・1971年)(学位論文「中世末期における一向一揆の研究」)。一向一揆研究の権威。 石川県生まれ。1942年9月、第四高等学校文科乙類卒業。1948年東京大学文学部国史学科卒。跡見学園を経て、1951年新潟大学人文学部助手、1952年講師、後に同学部助教授、1968年4月に教授となり、同年5月に金沢大学法文学部教授となる。1971年に「中世末期における一向一揆の研究」で東京大学から文学博士の学位を取得。 中世・近世の生活、宗教、合戦、日本海文化の総合的研究をすすめながら史料の編纂につとめ、多数の著書がある。
杉山 栄太郎(すぎやま えいたろう、1923年2月18日 -… 杉山 栄太郎(すぎやま えいたろう、1923年2月18日 - 2023年4月25日)は、日本の地方公務員。石川県副知事を務めた。 石川県金沢市出身。旧松任農学校(現・石川県立翠星高等学校)卒業後、従軍を経て1947年に石川県庁に入庁。 秘書課長、総務部長などを経て1979年12月より県副知事を務める。 1991年、副知事を退職し石川県知事選挙に立候補したが、現職の中西陽一に約1万1000票及ばず落選した。 1997年、勲二等瑞宝章を受章。 2019年時点では世界連邦運動協会石川県連合会の名誉会長を務めていた。 2023年4月25日、誤嚥性肺炎のため死去。100歳没。
菊地 規(きくち のりみ、1923年〈大正12年〉2月17日… 菊地 規(きくち のりみ、1923年〈大正12年〉2月17日 - 1989年〈平成元年〉1月26日)は、日本の教育者。作詞家。『北上夜曲』作詞者。 岩手県江刺郡田原村(現在の奥州市)出身。岩手県立水沢農学校(現岩手県立水沢農業高等学校)を経て、岩手師範学校(現・岩手大学教育学部)卒。羽田、藤里各国民学校、藤里、厨川各中学校に勤務。1961年(昭和36年)日本音楽著作権協会正会員、1963年(昭和38年)日本作詞家協会会員、1967年(昭和42年)岩手県教育委員会社会教育主事、のち、葛巻小、雫石中の各校長を務め、1983年(昭和58年)に緑ヶ丘小校長で定年を迎えた。定年後は岩手県社会教育指導員協議会会長、県民運動協議会参事などを歴任した。
荒田 俊雄 KBE(Sir Arata Toshio , K… 荒田 俊雄 KBE(Sir Arata Toshio , KBE , あらた としお、大正12年(1923年)2月17日 - 2009年(平成21年)12月22日)は、日本の銀行家、ベアリング実業家。日本精工代表取締役社長、会長、名誉社友。ナイト、従四位勲二等瑞宝章。名誉法学博士(ダラム大学)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
福田 純(、1923年〈大正12年〉2月17日 - 2000… 福田 純(、1923年〈大正12年〉2月17日 - 2000年〈平成12年〉12月3日)は、日本の映画監督、脚本家。満洲出身。日本大学芸術学部卒業。 1923年、中国吉林省長春県(現・長春市)で生を受ける。父が南満洲鉄道に勤務していたため、幼少期を満洲で過ごす。 1941年(昭和16年)、日本本土へ渡り、松山高等学校へ入学。1943年、日本大学に進学したが、講義にはほとんど出ず、1日の大半を読書と映画鑑賞に費やしていた。在学中、学徒動員に従事。第二次世界大戦中に外地で鑑賞した映画『無法松の一生』に感銘を受け、映画監督を志す。 1946年(昭和21年)、東宝へ入社。助監督募集を聞いて試験に参加し、200人が応募する中で合格であった。
橋本 郁雄(はしもと いくお、1923年2月16日-2009… 橋本 郁雄(はしもと いくお、1923年2月16日-2009年1月22日)は、日本のドイツ語・ドイツ文学者。学習院大学名誉教授、一橋大学元教授。ドイツ語学およびドイツ語史が専門で、特に日本の中世ドイツ語研究においては中枢を占める学者だった。また、小学館の『独和大辞典』など、独和辞典の編纂に注力した。 鹿児島県鹿児島市皷川町出身。父は第七高等学校造士館 (旧制)漢文学教授の橋本精次。祖父の自聽(よりさと)は明治初期に東京から招かれ谷山小学校校長などを務めた人物。 鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を経て、1942年3月に第七高等学校造士館文科乙類を卒業。1944年に東京帝国大学文学部独文科を卒業したが、学年短縮や学徒出陣在隊中の卒業のため実際に大学で学ぶことができたのはわずか1年半だった。
佐野 泰彦(さの やすひこ、1923年2月16日 - 199… 佐野 泰彦(さの やすひこ、1923年2月16日 - 1996年12月5日)は、日本の歴史学者、ポルトガル語学者。 福岡県北九州市生まれ。父の死で叔父を頼って上京し東京・赤坂で育つ。東京帝国大学卒。ブラジルへ留学し、東京外国語大学ポルトガル語助教授、上智大学外国語学部助教授、教授、1992年定年、名誉教授。
美空 ひばり(みそら ひばり、1923年2月16日 - )は… 美空 ひばり(みそら ひばり、1923年2月16日 - )は、日本の昭和の戦前期の女優である。 東京府北豊島郡日暮里町(現在の東京都荒川区日暮里地域)生まれ。本名:高城富久子(結婚後、山本富久子)。松竹少女歌劇学校第5回卒業生として1938年に松竹歌劇団に入団。美空ひばりという芸名はこの入団のときからのもの。先輩に類似した名前の「御空ひばり」がいるが別人。同歌劇団では、小月冴子や並木路子、加藤治子(御舟京子)の一期後輩。幾野道子の一期先輩。初舞台は浅草・国際劇場。 1940年に大都映画に入社し、複数の映画に主演または準主演で出演した。代表的な出演映画は、『大陸は微笑む』(弥刀研二監督、1940年)、『時代の狼火』(大伴龍三監督、1941年)、『太閤への使者』(益田晴夫監督、1941年)。
佐野 勝男(さの かつお、1923年2月15日 - 2013… 佐野 勝男(さの かつお、1923年2月15日 - 2013年)は、日本の心理学者、慶應義塾大学名誉教授。 北海道生まれ。1933年より徳島で育つ。1944年応召、軍曹で敗戦。1949年慶應義塾大学文学部心理学科卒、慶大助手、1956年慶大文学部専任講師、1957年助教授、1964年「パースナリティ診断におけるテスト・バッテリィの構成 SCT,INT,TATによる構成」で慶大文学博士。1965年教授、1988年定年、名誉教授、東京国際大学教授、1992 - 1995年特任教授、1995年同常任理事。イリノイ大学訪問研究員など。
藤本 泉(ふじもと せん、1923年2月15日 - 生死不明… 藤本 泉(ふじもと せん、1923年2月15日 - 生死不明)は、日本の小説家、推理作家。 伝奇ミステリ「えぞ共和国」シリーズで、東北地方において古代から受け継がれた原始共産国家が存在しているという設定で、土俗の民と中央権力との相剋を描いた。 また、『源氏物語』、『枕草子』など王朝文学の作者は紫式部、清少納言など一人の作者でなく多作者によるとの説についての著作を出した。 篠田節子『聖域』の登場人物は、藤本泉をモデルにしたものと言われている。 東京都生まれ。日本大学国文科卒業。 後に『文芸首都』および『現象』の同人として創作活動を行う。処女作は1955年ごろ『文芸首都』に発表した「作為の他」である。
小橋 一郎(こばし いちろう、1923年(大正12年)2月1… 小橋 一郎(こばし いちろう、1923年(大正12年)2月14日 - )は、日本の法学者。専門は、商法・会社法)。学位は、法学博士(大阪大学・論文博士・1962年)。同志社大学名誉教授。勲三等旭日中綬章受章。 京都府京都市生まれ。1940年(昭和15年)3月京都府立京都第一中学校卒業。1945年(昭和20年)、立命館大学法文学部卒業。学位は、法学博士(大阪大学、1962年)(学位論文「手形行為論」)。2000年(平成12年)4月、勲三等旭日中綬章受章。
戸田 修三(とだ しゅうぞう、1923年2月14日 -201… 戸田 修三(とだ しゅうぞう、1923年2月14日 -2018年5月21日)は、日本の法学者。専門は商法。中央大学名誉教授。元中央大学学長。初代日本私立学校振興・共済事業団理事長。 愛知県一宮市生まれ。法学博士(中央大学・論文博士・1962年)。論文は 海上運送法における責任の体系。 名誉博士(エクス・マルセイユ第三大学)。 1944年中央大学専門部法学科卒業。1947年中央大学法学部卒業。1948年中央大学大学院(旧制)法学研究科中退。 中央大学法学部助手。1951年中央大学法学部助教授。1959年中央大学法学部教授。1965年中央大学評議員。1965年中央大学法学部長。1967年中央大学大学院法学研究科長。
山本 潤造(やまもと じゅんぞう、1923年〈大正12年〉2… 山本 潤造(やまもと じゅんぞう、1923年〈大正12年〉2月13日 - 1994年〈平成6年〉7月29日)は、日本の政治家。徳島市長。京都帝国大学工学部卒業。徳島県徳島市出身。 1923年(大正12年)、名東郡八万村沖浜(現在の徳島市沖浜町)で生まれた。 1940年(昭和15年)、徳島県立徳島中学校を卒業。1944年(昭和19年)、第五高等学校を卒業し京都帝国大学工学部に進学、1947年(昭和22年)に卒業した。 1963年(昭和38年)4月に徳島県議会議員に当選、1971年(昭和46年)まで3期を務める。1973年(昭和48年)に徳島市長選に出馬し当選。3期に渡って市長を務める。1982年(昭和57年)、徳島県体操競技振興会の会長に就任。
松岡 阜(まつおか ゆたか、1923年2月12日 - 200… 松岡 阜(まつおか ゆたか、1923年2月12日 - 2008年5月9日)は日本の彫刻家。大阪府出身。 東京美術学校彫刻科を卒業。平櫛田中に師事し、写実的な作風を受け継いだ。 1955年、行動美術協会に入会。1956年、行動美術賞を受賞した。 代表作は、阪神甲子園球場敷地内に建つ「野球王ベーブ・ルースの碑」レリーフ(ブロンズ製・縦90cm・横90cm)。プロ野球選手ベーブ・ルースが他界した翌年の1949年、同球場が彼の来場した史実を記念して松岡に依頼し制作された。なお2005年、ルースの生誕地であるアメリカ合衆国メリーランド州ボルチモアに「総合スポーツ記念館」が開館し、ルースの生家にある記念館が移設された際、阪神球団は松岡が保管していたオリジナルより作成されたレプリカを同記念館に寄贈している。
佐伯 有一(さえき ゆういち、1923年2月11日- 199… 佐伯 有一(さえき ゆういち、1923年2月11日- 1998年2月24日)は、日本の中国史学者。専門は東洋経済史(明代以降)、中国近現代史。 兵庫県生まれ。1950年東京大学文学部東洋史学専攻卒業、51年同大学院退学、東京大学東洋文化研究所助手、1957年東京都立大学 (1949-2011)助教授、1963年東大東洋文化研究所助教授、68年教授、74-76年所長。1983年定年退官、名誉教授、お茶の水女子大学教授、1988年川村学園女子大学教授。 (書評や雑文は除く) 濱下武志、加藤祐三、信州大学の久保亨などがいる。
高橋 浩二(たかはし こうじ、1923年(大正12年)2月1… 高橋 浩二(たかはし こうじ、1923年(大正12年)2月11日 - 2009年(平成21年)5月31日)は、昭和から平成時代の土木工学者。運輸官僚。実業家。鉄建建設社長。 旧制五高を経て1945年(昭和20年)東京帝国大学第二工学部土木科を卒業後、運輸省に入り盛岡地方鉄道部に配属され建設線調査、青函トンネル調査などに従事。1959年(昭和34年)から1964年(昭和39年)まで東海道新幹線建設工事に参画し、1968年(昭和43年)門司鉄道管理局長、1972年(昭和47年)建設局長、1975年(昭和50年)常務理事、1979年(昭和54年)技師長を経て、1984年(昭和59年)退任した。この間、大都市通勤対策、鉄道の高速化、超電導マグレブの推進に尽力した。
山本 学治(やまもと がくじ、1923年2月11日 - 19… 山本 学治(やまもと がくじ、1923年2月11日 - 1977年5月20日)は、日本の建築学者。建築研究家。建築史家。建築構造学者。構造史家。建築教育者。建築評論家。 構造工学から建築歴史学などからのアプローチによって、多くの建築批評を展開。また、東京美術学校、東京藝術大学の教員として長く教鞭を執り、多くの建築人材の育成に当たった。また勤務先の東京藝術大学では山岳部長をつとめ、芸大山岳部の歌「ぼくらの故郷(原曲 Lustig ist das Zigeunerleben)」を制作している(『山と雪の歌』理論社、1955年 所収)。 東京出身。東京帝国大学第二工学部建築学科卒業後、東京帝国大学大学院に進学。
石垣 博美(いしがき ひろみ、1923年2月10日 - 20… 石垣 博美(いしがき ひろみ、1923年2月10日 - 2013年7月6日)は、日本の経済学者。北海道大学名誉教授。専門は国際経済学。経済学博士。 北海道に生まれる。1948年東京帝国大学経済学部卒業。同年、北海道大学法文学部助手。後に、北海道大学法経学部助手。1952年北海道大学法経学部助教授。1953年北海道大学経済学部助教授。1968年北海道大学経済学部教授。1973年北海道大学評議員に就任。1980年北海道大学経済学部長に就任。1981年文部省大学国際交流調査研究プロジェグト委員会委員。1984年大学基準協会国際交流委員会委員。1986年3月北海道大学停年退官。同名誉教授。北星学園大学経済学部教授。
大場 啓二(おおば けいじ、1923年(大正12年)2月10… 大場 啓二(おおば けいじ、1923年(大正12年)2月10日 - 2011年(平成23年)9月1日)は、日本の政治家。東京都世田谷区長(7期)、特別区長会会長を務めた。 現在の山形県最上郡舟形町出身。1940年、東京市経済局に入局。同局に在籍しながら日本大学法学部を卒業した。1943年に世田谷区役所に配属され、農務係長、広報係長、区議会事務局長を歴任した。 1975年、東京都の特別区において区長の公選選挙が復活。社会・共産・民社3党の推薦と公明党の支持を受け、世田谷区長選挙に立候補。自民党推薦の前選任区長の佐野保房、諸派の高田巖を破り初当選した(大場:129,894票、佐野:123,803票、高田:4,231票)。
坂口 三千代(さかぐち みちよ、1923年〈大正12年〉2月… 坂口 三千代(さかぐち みちよ、1923年〈大正12年〉2月7日 - 1994年〈平成6年〉11月2日)は、日本の随筆家。「無頼派」として知られる小説家・坂口安吾の妻。旧姓は梶。長男は写真家の坂口綱男。 1923年2月7日、千葉県銚子市に生まれる。千葉県立銚子高等女学校に通う。卒業後、向島に母と共に引っ越す。1943年、当時学生であった政治家の子息鈴木正人と結婚し、一女をもうける。のちに離婚した。実家は向島で料亭を営む。 1947年3月初め、24歳のとき新宿のバー「チトセ」で坂口安吾と出逢い、毎週水曜日に荏原郡矢口町字安方127番地(現・大田区東矢口)の坂口家に通う秘書となる。4月に三千代が盲腸炎から腹膜炎となり緊急入院。
嶋中 鵬二(しまなか ほうじ、1923年〈昭和7年〉2月7日… 嶋中 鵬二(しまなか ほうじ、1923年〈昭和7年〉2月7日 - 1997年〈平成9年〉4月3日)は、中央公論社社長。総合雑誌『中央公論』を中心に戦後の出版界に大きな業績を残したが、晩年は経営危機を招いた。嶋中雄作の次男。妻雅子(1924年 - 2004年)は政治学者蠟山政道の長女。子に中央公論社社長の嶋中行雄、エコノミストの嶋中雄二がいる。 1935年、東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。同級生に鶴見俊輔や永井道雄、中井英夫がいた。 1940年、東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。旧制府立高校を経て東京帝国大学文学部独文科卒業。太平洋戦争中は、勤労動員で中島飛行機(現在の富士重工)の研究所に勤務。
山城 彬成(やましろ よしなり、1923年2月7日 - 19… 山城 彬成(やましろ よしなり、1923年2月7日 - 1996年2月6日)は、日本の経営者。日本鋼管社長、会長を務めた。新潟県新潟市出身。 1946年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、翌年に日本鋼管に入社した。経理部長などを経て、1976年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1982年に副社長に就任し、1985年6月に社長に昇格した。1992年6月から会長を務めた。 経済同友会副代表幹事も務めた。 1986年に藍綬褒章を受章した。 1996年2月6日肺炎のために死去。72歳没。
生田 正輝(いくた まさき、1923年2月6日 - 2012… 生田 正輝(いくた まさき、1923年2月6日 - 2012年5月7日)は、日本の社会学者・大衆伝達学者。学位は、法学博士(慶應義塾大学・1960年)。慶應義塾大学名誉教授。勲二等旭日重光章受章。 兵庫出身。1941年慶應義塾大学予科入学、1943年学徒動員にて応召、1944年陸軍延吉予備士官学校卒業、1945年復員復学、1947年9月慶應義塾大学法学部政治学科卒業。10月助手、1951年助教授、1957年教授、1960年「マス・コミュニケーションの諸問題」で法学博士の学位を取得。同年ハーバード大学訪問研究員、1969年慶應義塾常任理事、1972年塾長代理、1973年慶應義塾大学新聞研究所長、1977年慶應義塾大学法学部長、1988年定年、慶應義塾大学名誉教授、常磐大学教授、1979年日本新聞学会会長、1991年郵政省(現総務省)電波監理審議会会長、2000年勲二等瑞宝章受章、2012年逝去(89歳)。
窪田 金次郎(くぼた きんじろう、1923年2月6日 - 2… 窪田 金次郎(くぼた きんじろう、1923年2月6日 - 2006年5月24日)は、日本の解剖学者。山梨県出身。 1923年山梨県生まれ。1944年東京医学歯学専門学校卒、1948年千葉医科大学医学科卒、1955年東京大学医学博士。東京大学医学部助手、東京医科歯科大学助教授をへて同大学顎構造研究部門教授、1988年3月定年退職。東京医科歯科大学名誉教授。明海大学歯学部教授。日本咀嚼学会会長。 1999年、勲三等旭日中綬章を受章。2006年5月24日に脳出血のため死去。享年83。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
榎本 茂(えのもと しげる、1923年2月5日 - 生死不明… 榎本 茂(えのもと しげる、1923年2月5日 - 生死不明)は、東京都出身の元プロ野球選手。 京王商業から東京鉄道局を経て、1950年に創設された国鉄スワローズへ参加。 同年3月10日の記念すべき開幕戦では6番ライトとして先発出場するも、その後は出場機会に恵まれず同年限りで引退した。
蓮井 良憲(はすい よしのり、1923年(大正12年)2月5… 蓮井 良憲(はすい よしのり、1923年(大正12年)2月5日 - 2019年(令和元年)9月26日[要出典])は、日本の法学者。専門は商法。九州大学教授、福岡大学教授を歴任。香川県出身。 九州地方鉱業協議会委員、福岡県水洗炭業審議会委員、福岡県消費生活審議会会長等を歴任。
中森 義宗(なかもり よしむね、1923年2月5日 - 没年… 中森 義宗(なかもり よしむね、1923年2月5日 - 没年不明)は、日本の美術史家、翻訳家。 東京生まれ。1946年中央大学経済学部卒、1950年東京大学文学部美術史学科卒。1955年同・大学院修了。1952年中央大学附属図書館司書、1965年武蔵野美術大学講師、1970年成城大学短期大学部助教授、1978年千葉大学教養部教授、1986年定年退官、多摩美術大学教授。 1976年、『ホーガス ヨーロッパ美術に占める位置』で日本翻訳出版文化賞受賞。
杉山 忠一(すぎやま ちゅういち、1923年(大正12年)2… 杉山 忠一(すぎやま ちゅういち、1923年(大正12年)2月5日 - 2014年(平成26年)3月30日)は、日本の英語学者、東京大学名誉教授。位階は従四位。 東京出身。1948年東京帝国大学文学部英文科卒業。第一水産講習所講師、東京大学教養学部助教授を経て、1969年教授に就任。1983年定年退官し、名誉教授号を授与。同年、電気通信大学教授に就任。他、帝京大学文学部英文科教授等を歴任。1999年勲三等旭日中綬章受勲。 2014年3月30日午前11時25分、誤嚥性肺炎のため東京都港区の病院で死去。91歳没。歿日付で従四位。
桃井 真(ももい まこと、1923年2月4日 - 2004年… 桃井 真(ももい まこと、1923年2月4日 - 2004年4月18日)は、日本の陸軍軍人、国際政治学者、軍事アナリスト。 翻訳家・編集者としても活躍した。女優の桃井かおりの父。位階は従四位。 神奈川県鎌倉市生まれ。長野県佐久市出身。陸軍委託学生として東京外国語学校英語科を卒業、陸軍中野学校へ送られ参謀本部第二部に属した後、陸軍予備士官学校を卒業し、任官と同時に参謀本部第二部第六課で放送傍聴に従事。 終戦後は、経歴を偽り進駐米軍属として一時勤務。のち、北日本貿易、エイジアン・エコノミックレビュー、ブリティッシュ・インポート、日本商工会議所アジア経済研究会などを経て、1954年に防衛庁防衛研修所(のち防衛研究所)に入所、ハーバード大学に派遣された。
中浜 元三郎(なかはま もとさぶろう、1923年(大正12年… 中浜 元三郎(なかはま もとさぶろう、1923年(大正12年)2月4日 - 2012年(平成24年)6月26日)は、日本の政治家。北海道登別市長(3期)。 北海道幌別郡幌別村(のち幌別町→登別町、現・登別市)出身。鉄道教習所卒。国鉄に入り、その後、帰郷し、登別町役場に勤務し、観光課長、開発、総務の各部長や助役を歴任し、1979年、登別市長選挙に立候補し、現職を破って当選した。1983年に再選。1987年に三選した。翌1988年、贈収賄事件で助役が逮捕され、その責任を取って市長を辞職した。
増岡 博之(ますおか ひろゆき、1923年2月3日 - 20… 増岡 博之(ますおか ひろゆき、1923年2月3日 - 2011年7月24日)は、日本の政治家。位階は従三位。 自由民主党衆議院議員(8期)、厚生大臣(第64代)を歴任。元鉄鋼ビルディング代表取締役会長。 広島県呉市出身。増岡組創業者・増岡登作の次男。1948年(昭和23年)早稲田大学政治経済学部卒業。 1948年(昭和23年)増岡組に入り、取締役東京営業所長、1952年(昭和27年)専務。1959年(昭和34年)呉商工会議所会頭に選ばれる。 池田勇人元首相の地盤を継いで1967年(昭和42年)衆議院議員に初当選。以来通算8期。運輸政務次官、自民党交通部会長、衆議院運輸委員長、大蔵委員長の他、議院運営委員会理事、国会対策副委員長などを歴任し、1984年(昭和59年)第2次中曽根内閣の厚生大臣に就任。
戸村 政博(とむら まさひろ、1923年2月3日 - )は、… 戸村 政博(とむら まさひろ、1923年2月3日 - )は、日本の牧師。 山口県出身。日本基督教神学専門学校(東京神学大学の前身)卒。日本基督教団の伝道委員会・社会委員会幹事をへて1975年浅草北部教会、のち日本堤伝道所の牧師。教団内の紀元節復活反対、戦争責任告白発表などを推進してきた。83年教団靖国神社問題特別委員会委員長。
羅 吉祚(ナ・ギルジョ、朝鮮語: 나길조、1923年2月3日… 羅 吉祚(ナ・ギルジョ、朝鮮語: 나길조、1923年2月3日 - 2008年4月11日)は、大韓民国の法曹、政治家。第11代韓国国会議員。本貫は羅州羅氏。 元教育部政策企画官の羅向栯(朝鮮語版)は従甥。 日本統治時代の慶尚南道馬山府出身。1943年に明治大学法学部卒。1947年に第1回朝鮮弁護士試験合格。釜山地方検察庁、全州地方検察庁、ソウル地方検察庁、大邱地方検察庁で検事を務めた後、1962年に清州地方検察庁検事長、1964年に全州地方検察庁検事長、1966年に法務部企画管理室長、1969年に大検察庁検事、1971年に釜山地方検察庁検事長、全国密輸合同捜査本部長、1973年に光州高等検察庁検事長、1975年に大法院判事、憲法委員、1981年に第11代国会議員を歴任した。
野平 健一(のひら けんいち、1923年2月2日 - 201… 野平 健一(のひら けんいち、1923年2月2日 - 2010年7月5日)は、東京府出身の編集者。
北條 舒正(ほうじょう のぶまさ、1923年〈大正12年〉2… 北條 舒正(ほうじょう のぶまさ、1923年〈大正12年〉2月1日 - 2021年〈令和3年〉3月13日)は、日本の化学者。専門は高分子化学。位階勲等は従三位勲二等。 福岡県戸畑市(現・北九州市戸畑区)出身。1945年大阪帝国大学応用化学科卒業、1949年旧制上田蚕糸専門学校助教授、1960年から1年間ニューヨーク州立大学化学教室で研究に従事し、1962年信州大学繊維学部教授、1975年学部長、1981年学長、1990年長野県短期大学学長を歴任。1991年繊維学会会長。1999年勲二等旭日重光章受章。2021年(令和3年)3月13日、死去。98歳没。死没日付で叙従三位。
首藤 堯(しゅどう たかし、1923年2月1日 - 2012… 首藤 堯(しゅどう たかし、1923年2月1日 - 2012年10月10日)は、日本の官僚。自治事務次官、公営企業金融公庫総裁、地域総合整備財団理事長。大分県出身。従三位勲一等瑞宝章。長男は脚本家の首藤剛志。 大分県大分市に生まれる。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。石垣島で終戦を迎える。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 旧制福岡高校を経て、1946年を九州大学法学部卒業。福岡県の地元の新聞社で一年務めた後、1947年に内務省入省。福岡県に配属される。
武山 泰雄(たけやま やすお、1923年2月1日 - 200… 武山 泰雄(たけやま やすお、1923年2月1日 - 2005年4月20日)は、日本のジャーナリスト。 東京都生まれ。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年(昭和19年)2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、光海軍工廠に配属され、会計部材料課員として製鋼原料入手を担当。同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年(昭和20年)4月、海軍航空本部出仕・海軍艦政本部出仕・広島監督官兼呉運輸部員に転じた。同年8月6日、広島駅で被爆し負傷したが命を取り留め、同年9月に主計中尉に進み、同年11月予備役に編入され解員(復員)した。 1946年(昭和21年)東京商科大学卒。
北の洋 昇(きたのなだ のぼる、1923年2月1日 - 20… 北の洋 昇(きたのなだ のぼる、1923年2月1日 - 2002年1月8日)は、北海道網走郡網走町(現:網走市)北浜出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は緒方 昇(おがた のぼる)。最高位は西関脇。 1923年2月1日に、北海道網走郡網走町北浜(現:北海道網走市北浜)で料理屋を営む家に次男として生まれた。幼少期から地元では有名な腕白だったが、小学4年生の時に実兄が事故で没したことでショックを受け、それ以降は腕白な性格から内気な性格へ変わっていった。実家が地元で人気の料理屋だったことから、厳しい父親に毎日家の手伝いをさせられていた。当時の網走郡は網走刑務所のイメージから陰惨とした場所であると勘違いされやすかったが、本人が入幕後に語ったところによると冬の寒さは厳しいが、道立公園には6月頃から9月頃まではハマナス、エゾキスゲ、カンゾウ、スズラン、ヒオウギアヤメなど50種類程度の花が咲き誇る明るい街であったという。
小高 登貫(こだか のりつら、1923年2月 - 1992年… 小高 登貫(こだか のりつら、1923年2月 - 1992年3月)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争における撃墜王。第三四三海軍航空隊に所属し、紫電改を乗機とした。 1923年2月長野県東筑摩郡島内村(現:松本市)に生まれる。1938年、島内尋常高等小学校卒業後、名古屋市千種区陸軍工廠に勤務。1941年5月、横須賀海兵団に入り、新兵として二か月間の教育を受けた。第12海軍航空隊に勤務。海軍航空兵を志願し、1942年、第10期普通科海軍操縦練習生卒業。飛行訓練を受け、戦闘機搭乗員となる。同年、第25期高等科海軍操縦練習生卒業。九六式艦戦で実用機訓練を受ける。練習生時代の射撃で一番の成績だった。富高空に配属。
加来 彰俊(かく あきとし、1923年1月29日 - 201… 加来 彰俊(かく あきとし、1923年1月29日 - 2017年7月18日)は、日本の哲学者。法政大学名誉教授。専攻はギリシア古代哲学。 鳥取県西伯郡大山町生まれ。1950年京都大学文学部哲学科卒。同大学院中退。田中美知太郎に師事。弘前大学助教授、法政大学教授、1993年定年退任。1998年、勲三等瑞宝章受勲。
安立 スハル(あんりゅう すはる、1923年1月28日 - … 安立 スハル(あんりゅう すはる、1923年1月28日 - 2006年2月26日)は、昭和・平成期の歌人。京都府京都市東山区出身。 1939年、肺結核の療養中に作歌を始める。1940年、京都府立桃山高等女学校卒業。1941年、北原白秋主宰の歌誌「多磨」入会。1949年、宮柊二に初めて会い、指導を受けるようになる。1953年、宮柊二主宰の歌誌「コスモス」創刊に参加。1956年、第三回コスモス賞受賞。1964年、第一歌集『この梅生ずべし』を刊行。生前に歌集はこの一冊のみである。母親の介護を終えて間もなく、83歳で死去。生涯独身だったという。 少女時代から肺結核による長い療養生活を送り、多くの歌人にその作品を慕われながらも素顔さえあまり見せないという地味な生涯だった。
神尾 久美子(かみお くみこ、1923年1月28日 - 20… 神尾 久美子(かみお くみこ、1923年1月28日 - 2014年10月26日)は、日本の俳人。 福岡県出身。本名・洋子。福岡県京都郡立京都高等女学校(現・福岡県立京都高等学校)卒。野見山朱鳥に師事し、1953年『菜殻火(ながらび)』同人。神尾季羊と結婚し、季羊主宰の『椎の実』に参加する。97年季羊没後『椎の実』主宰。飯田龍太に師事し『雲母』同人。俳人協会顧問。
浅居 喜代治(あさい きよじ、1923年 <大正12年> 1… 浅居 喜代治(あさい きよじ、1923年 <大正12年> 1月28日 - 2012年 <平成24年> 4月25日)は、日本の経営情報学・経営工学者。大阪府立大学名誉教授。工学博士 。大阪工業大学工学部経営工学科元教授。日本ファジィ学会(現:日本知能情報ファジィ学会)初代会長。日本経営工学会第19期副会長。ファジィシステム理論のパイオニア。勲三等旭日中綬章受章。位階は正四位。 専門は、経営工学・経営情報学(特にファジィシステム理論)・技術経営、社会システム工学・経営意思決定。 大阪府出身。旧制大阪高等工業学校(のちの大阪府立大学)卒業。1951年大阪大学工学部通信工学科卒業。同年、大阪市立大学助手。
相沢 治夫(あいざわ はるお、1923年1月28日 - 19… 相沢 治夫(あいざわ はるお、1923年1月28日 - 1995年3月10日)は、日本の俳優。東京市牛込区(現:東京都新宿区)出身。 昭和工業技術学校製図課程卒。 シベリア抑留後、舞台芸術学院に所属。1959年には八田元夫と下村正夫と共に東京演劇ゼミナール(現:劇団東演)を結成。 東京俳優生活協同組合所属中の1995年3月10日、肺がんのため死去。72歳没。
桑原 瑛子(くわばら えいこ、1923年〈大正12年〉1月2… 桑原 瑛子(くわばら えいこ、1923年〈大正12年〉1月28日 - 2023年〈令和5年〉9月8日)は、日本の声楽家(ソプラノ)、オペラ歌手、音楽教育者。 東京府出身。東京音楽学校 (旧制) 卒業。ヘルマン・ヴーハープフェニッヒに師事。 1947年(昭和22年)に團伊玖磨と結婚。 1948年(昭和23年)藤原歌劇団を率いる藤原義江にモーツアルト『ドン・ジョヴァンニ』(本邦初演・帝国劇場)のドンナ・アンナの役を頼まれオペラデビュー。以後、藤原歌劇団の興隆期の大プリマとして活躍した。1950年代にはイタリアに留学。1958年(昭和33年)の藤原歌劇団によるプッチーニ『トスカ』でタイトル・ロールを歌った。
寺尾 晃洋(てらお こうよう、1923年1月26日 - 20… 寺尾 晃洋(てらお こうよう、1923年1月26日 - 2003年6月23日)は、日本の経済学者。関西大学名誉教授。専門は、公企業論、水道事業論。商学博士(関西大学、1990年)。 公益事業学会理事、国際公共経済学会理事、京都市交通事業審議会委員、大山崎町・大阪府・吹田市・東大阪市・堺市・摂津市・川西市・豊中市の水道事業審議会委員、大阪市政調査会理事などを歴任。
山口 年一(やまぐち としかず、1923年1月26日 - 2… 山口 年一(やまぐち としかず、1923年1月26日 - 2006年2月12日)は、日本の会計学者。亜細亜大学名誉教授。 神奈川県足柄下郡生まれ。1954年早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了。 1957年亜細亜大学商学部専任講師、62年助教授、65年教授、70年経営学部教授。93年定年、名誉教授となる。