小松 茂美(こまつ しげみ、男性、1925年3月30日 - … 小松 茂美(こまつ しげみ、男性、1925年3月30日 - 2010年5月21日)は、古筆学者、美術史学者。 1925年、山口県岩国市で生まれた。1938年、広島の旧制崇徳中学校(現崇徳高等学校)に進学し、1942年、旧制山口県立柳井中学校(現山口県立柳井高等学校)を卒業。国鉄マンであった父に従い広島鉄道局に勤務。1945年8月6日、爆心地から1.7キロ、広島駅近くの庁舎内にて被爆。戦後も国鉄、次いで広島陸運局で働きながら、「平家納経」の美に魅せられ、その研究に邁進。26歳の時に、学術書としても優れた厳島観光案内書『いつくしま』を出版した。 1951年、運輸省自動車局への転勤にともない上京。私淑していた源氏学者池田亀鑑のもとで、学問への姿勢と研究方法を身に付けた。
市村 真一(いちむら しんいち、1925年3月30日 - )… 市村 真一(いちむら しんいち、1925年3月30日 - )は、日本の経済学者。京都大学名誉教授、国際東アジア研究センター名誉顧問。Ph.D.(マサチューセッツ工科大学、1953年)、経済学博士(大阪大学、1961年)。論文の題は「日本経済の構造 」[5]。専門は経済発展論(低開発国問題)、アジア経済学、計量経済学。京都市出身。妻の父は近藤伝八・陸軍大佐[6]。息子は計量経済学者の市村英彦東京大学教授[7]。
長野 重一(ながの しげいち、1925年 <大正14年> 3… 長野 重一(ながの しげいち、1925年 <大正14年> 3月30日 - 2019年 <平成31年> 1月30日)は、日本の写真家。 1925年 (大正14年) 3月30日、大分県魚町で歯科医の生野廿一、母・もと子の次男として生まれた。まもなく、子供のなかった叔父で実業家の長野善五郎・千佐夫妻の養子に出された。長野夫妻は東京在住だったが、重一は実の父母と大分で暮らしていた。 重一が大分を離れて東京に移り住むのは、1932年 (昭和7年) 以降のことである。この年、東京・高輪にあった養父母の家へ移った。ただ、前年に養父の善五郎は亡くなっている。東京に移住してからは、高輪小学校に転入したが、1935年 (昭和10年) には慶應義塾幼稚舎へ転入、その後、1938年 (昭和13年) に慶應義塾普通部へ進学、1942年 (昭和17年) に慶應義塾経済学部大学予科入学、1947年 (昭和22年) 9月に慶應義塾大学経済学部を卒業した。
大沢 浄二(おおさわ じょうじ、1925年3月29日 - … 大沢 浄二(おおさわ じょうじ、1925年3月29日 - (2020-07-22) 2020年7月22日(95歳没))は、日本のソングライター。群馬県太田市出身。本名:大澤 浄八。1954年、東京音楽大学卒。 作曲家デビューは、1957年の水原淳歌唱「おーィお月さん」。水原には後に「ふるさと航路」「元気でナ達者でナ」「山家つばき」などを提供。水原は一歳年上である。水原は2019年3月25日、95歳で死去した。
杵渕 やすお(本名:杵渕 康雄(きねぶち やすお)、1925… 杵渕 やすお(本名:杵渕 康雄(きねぶち やすお)、1925年3月28日 - 2014年8月13日)は、東京府東京市浅草区西鳥越町(現・東京都台東区鳥越)出身の画家(童画、挿絵、洋画)、漫画家、元・出版美術家連盟常任理事、日本児童出版美術家連盟(童美連)会員、元・現代童画会審査委員、元・現代パステル協会委員、麻生区美術家協会会員、元・文部省(現・文部科学省)教科書作成委員、元・東京都交通安全ノート作成委員。 初期の作品には、「杵淵康雄」、「杵淵やすお」、「きねぶちやすお」のペンネームで発表されたものが存在する。
小嶋 謙四郎(こじま けんしろう、1925年3月28日- )… 小嶋 謙四郎(こじま けんしろう、1925年3月28日- )は、日本の心理学者、早稲田大学名誉教授。 長野県上田市出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1949年早稲田大学文学部哲学科心理学卒業。1974年「乳幼児における自己制御機構の発達的研究」で文学博士。早大講師を経て、1959年文学部教授。家庭裁判所研修や国立公衆衛生院の講師も併任した。1995年定年退官、名誉教授。
麻生 文雄(あそう ぶんのう、1925年(大正14年)3月2… 麻生 文雄(あそう ぶんのう、1925年(大正14年)3月28日 - 2012年(平成24年)11月26日)は、広島県因島市生まれ[疑問点 – ノート]の真言宗の僧侶。尾道市の大本山西国寺住職、醍醐寺座主、真言宗醍醐派管長、大本山三宝院門跡。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。
渡里 杉一郎(わたり すぎいちろう、1925年3月28日 -… 渡里 杉一郎(わたり すぎいちろう、1925年3月28日 - 2017年4月12日)は、日本の経営者。東芝社長を務めた。 山形県山形市出身。1958年、東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年、東京芝浦電気(現在の東芝)に入社。1978年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1984年6月に副社長に就任した。1986年4月に社長に昇格したが、1987年7月に東芝機械ココム事件における責任を取り、社長を辞任。1987年からは相談役を務めた。 1991年から1999年までに経団連副会長を務め、東京電力監査役、日中経済協会会長なども歴任した。 1992年4月に藍綬褒章を受章した。 2017年4月12日心不全のため死去。
北川 太一(きたがわ たいち、1925年3月28日 - 20… 北川 太一(きたがわ たいち、1925年3月28日 - 2020年1月12日)は、日本の文芸評論家。 東京生まれ。東京工業大学卒。向丘高等学校教諭。高村光太郎記念会事務局長、高村光太郎一筋に研究をつづけ、『高村光太郎全集』『選集』の編纂にあたった。吉本隆明の盟友。
鷺坂 修二(さぎさか しゅうじ、1925年3月28日 - 2… 鷺坂 修二(さぎさか しゅうじ、1925年3月28日 - 2015年10月14日)は、日本の物理学者。専門は、宇宙線物理学。信州大学名誉教授であった。 1925年鷺坂清信・操夫妻の次男として東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区赤城元町)に生まれた。 1931年東京府麴町区小学校に入学。1937年、第一東京市立中学校に入学。1942年、旧制第一高等学校理科に入学。 1945年、名古屋大学理学部物理教室に入学。旧制一高・名古屋大学理学部を通じての級友に物理学者の丹生潔がいる。 入学した年の7月に長野県神川村(現・長野県上田市)に疎開。 この頃、結核を発症し、上田で結核病院に入院療養する。 1945年にはやや快方に向かい、長野県松代町にあった松代地震研究所々長を務めていた父のもとで暮らした。
中根 寛(なかね ひろし、1925年3月26日 - 2018… 中根 寛(なかね ひろし、1925年3月26日 - 2018年1月17日)は、日本の洋画家。繊細で清澄な点描が特徴である。東京芸術大学名誉教授。 愛知県額田郡豊富村夏山(現・岡崎市夏山町)に生まれた。額田郡本宿村(現・岡崎市本宿町)で少年時代を過ごす。1931年(昭和6年)4月、父親が校長を務めていた本宿尋常小学校(現・岡崎市立本宿小学校)に入学。高等科を経て、1937年(昭和12年)に愛知県岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)に入学。中学で東京美術学校(現・東京芸術大学)出身の図画教師の山本鍬太郎と出会い、山本から絵を描くことの楽しさを教えられる。 1939年(昭和14年)、愛知県岡崎師範学校(愛知教育大学の前身)に入学。
石川 栄吉(いしかわ えいきち、1925年3月26日 - 2… 石川 栄吉(いしかわ えいきち、1925年3月26日 - 2005年3月27日)は、日本の人類学者。専攻は社会人類学。東京都立大学名誉教授。 1925年、東京都生まれ。京都大学文学部史学科卒業。卒業後は神戸大学助教授、立教大学教授を経て、1972年より東京都立大学教授。1988年に定年退職して名誉教授となる。その後は中京大学教授を務めた。日本民族学会会長(現・日本文化人類学会)を務めた。 人文地理学を専攻し、オセアニアなど南太平洋を中心にフィールドワークを進め、研究活動を行った。
保昌 正夫(ほしょう まさお、1925年3月26日 - 20… 保昌 正夫(ほしょう まさお、1925年3月26日 - 2002年11月20日)は、日本の国文学者・文芸評論家。専門は近代文学。武蔵野美術大学教授・相模女子大学教授・立正大学文学部教授を歴任。 東京出身。早稲田大学高等師範部卒。早稲田高等学院教諭、早稲田大学講師をしながら同人誌『銅鑼』などに評論を発表。横光利一を中心に、牧野信一や結城信一など昭和文学を研究し、『定本横光利一全集』の編集校訂にあたる。日本近代文学館の設立にも関与。1968年武蔵野美術大学助教授、教授、1979年相模女子大学教授、1989年立正大学文学部教授、1995年退職。
丸山 吉五郎(まるやま きちごろう、1925年3月25日 -… 丸山 吉五郎(まるやま きちごろう、1925年3月25日 - 2020年8月9日)は、日本の体育学者。法政大学名誉教授、元関東学生陸上競技連盟会長。 1925年3月25日、埼玉県大里郡に生まれる。1943年に法政大学予科第二部に入学。大学では陸上競技部に属した。1944年10月、学徒出陣で前橋陸軍予備士官学校に配属され、終戦は宇都宮で迎えた。 復員後は法政大学に復学。1947年、復活した日本学生陸上競技対校選手権大会に出場し、110mハードルと走り幅跳で優勝した。 1948年に法政大学経済学部を卒業。体育教員として母校に務めた。1964年東京オリンピックでは強化コーチを務める。陸上競技に関する指導書・解説書を多く著し、NHKの陸上競技中継のテレビ解説も知られた。
田中 穣(たなか じょう、1925年(大正14年)3月25日… 田中 穣(たなか じょう、1925年(大正14年)3月25日 - 2005年(平成17年)4月25日)は、日本の美術評論家。 神奈川県平塚市生まれ。1949年(昭和24年)早稲田大学文学部英文学科卒。読売新聞社入社。1959年(昭和34年)美術部記者となり、1970年(昭和45年)から日曜版「日本の四季」の解説を担当した。1969年(昭和44年)『藤田嗣治』で直木賞候補。1981年(昭和56年)退社、美術評論家となる。写楽別人説では歌麿説を唱えた。 2005年(平成17年)4月25日、胃がんのため死去。葬儀は東京都文京区小石川の伝通院で行われた。
遠藤 豊(えんどう ゆたか、1925年3月25日 - 200… 遠藤 豊(えんどう ゆたか、1925年3月25日 - 2001年3月26日)は、日本の教育者、自由の森学園の創設者。 栃木県矢板市生まれ。1946年栃木師範学校(宇都宮大学)卒業、1947年に栃木県の中学の理科教師として教員生活をスタートさせる。栃木県矢板中学校・船生中学校教諭、宇都宮大学附属学校教官などを経て、1962年明星学園小中学校教諭。1975年明星学園小中学校校長。1985年自由の森学園を創立し、学園長となる。 2001年3月26日、心不全のため死去。
速水 優(はやみ まさる、1925年3月24日 - 2009… 速水 優(はやみ まさる、1925年3月24日 - 2009年5月16日)は日本の銀行家である。称号は名誉法学博士(LLD・聖学院大学)。
宮津 隆(みやづ たかし、1925年(大正14年)3月24日… 宮津 隆(みやづ たかし、1925年(大正14年)3月24日 - 2013年(平成25年)2月20日)は、日本の統計学者。専門分野は統計処理・応用統計学。帝京科学大学名誉教授。 日本統治時代の朝鮮・京城府(現・大韓民国ソウル特別市)に生まれる。京城帝国大学1年在学中に終戦を迎え、九州大学工学部応用化学科を1949年に卒業後、日本鋼管に入社し、川崎製鉄所(現・JFEスチール東日本製鉄所)の検査部試験課で石炭分析を担当した。1955年に技術研究所化学研究室に転じる。 1961年から石炭利用技術とコークスの研究を始め、高炉の脈動送風や高炉への重油・タール吹き込み研究も同時に行い、1960年代にコークス研究室の地歩を固めた。
潮 健児(うしお けんじ、1925年3月23日 - 1993… 潮 健児(うしお けんじ、1925年3月23日 - 1993年9月19日)は、日本の俳優。本名:益戸 正雄()。別名義:潮 建志・潮 建磁・泉 正夫。 東京府荏原郡出身。オノプロに所属していた。 旧制 専修大学予科在学中に応召し、陸軍飛行学校に入る。太平洋戦争終結後の1945年に友人の紹介で古川ロッパの一座に入団するも、1947年に退団し[要出典]、専修大学専門部経済学科に通いながら、小劇団を転々とする。 1949年、太泉映画と契約し、翌年『執行猶予』(佐分利信監督)で映画デビュー。以来、太泉映画の後身である東映において長きに渡り、脇役として活動。千葉真一主演の『ファンキーハットの快男児シリーズ』でのコミカルで憎めない役柄や『極道』シリーズ(若山富三郎主演)。
山極 圭司(やまぎわ けいじ、1925年3月23日 - )は… 山極 圭司(やまぎわ けいじ、1925年3月23日 - )は、日本近代文学研究者。 宮城県仙台市出身。旧制水戸高等学校卒、1949年東京大学文学部国文科卒。東京都立戸山高等学校教諭、白百合女子大学文学部教授。1996年定年。木下尚江を研究した。
川本 崇雄(かわもと たかお、1925年〈大正14年〉3月2… 川本 崇雄(かわもと たかお、1925年〈大正14年〉3月23日- 2020年〈令和2年〉2月8日)は、日本の言語学者、上越教育大学・創価大学名誉教授。 群馬県碓氷郡安中町(現・安中市)生まれ。東京高等師範学校を経て、東京文理科大学英文学科卒。群馬県立太田高等学校教諭、近畿大学講師、奈良教育大学助教授、上越教育大学教授、89年定年退官、名誉教授、創価大学教授、2000年退任、名誉教授。日本語について、アルタイ系の基層語の上に南島系言語が重なったと推定している。 2020年2月8日、肺炎のため八王子市内の病院にて死去。94歳没。叙従四位、瑞宝小綬章追贈。
高田 榮一(たかだ えいいち、1925年3月23日 - 20… 高田 榮一(たかだ えいいち、1925年3月23日 - 2009年10月13日)は、詩人、爬虫類研究者。ヘルスカウンセラー。 高田栄一と表記される場合もある。「へび博士」として知られる。 東京生まれ。東洋大学文学部卒業。 歌人、詩人として多くの作品を発表するかたわら、小説、エッセー、評論なども手がけていた。一方で、幼少の頃から野生動物、とりわけ爬虫類に興味をもち、飼育を始めて、独学で爬虫類の研究を行う。 1960年ごろ、爬虫類研究のために、東京・根津の自宅に「高田爬虫類研究所」(爬虫類友の会/高田爬虫類研究所/高田動物生態研究所)を創設。日本人専門家として初のコモド島調査を成功させ、コモドオオトカゲの紹介に尽くし、マダガスカルではマダガスカル・ボアやカメレオンの生態を調査する。
石川 義寛(いしかわ ぎかん、1925年〈大正14年〉3月2… 石川 義寛(いしかわ ぎかん、1925年〈大正14年〉3月23日 - 2024年〈令和6年〉)は、日本の映画監督、脚本家。 静岡県富士宮市出身。日本大学法文学部政治経済学科卒業後、映画界に入る。1957年『怪談かさねが渕』、1958年『毒婦高橋お伝』、『憲兵と幽霊』、『女吸血鬼』、(『亡霊怪猫屋敷』脚本)、1959年『東海道四谷怪談』助監督を経て1960年『怪猫お玉ヶ池』で監督を務める。 2024年死去、99歳。 『酒をたしなみ糖尿病とも闘う 人生は“心”楽しく』健友館 2001年 ISBN 978-4773705782
池田 清(いけだ きよし、1925年3月21日- 2006年… 池田 清(いけだ きよし、1925年3月21日- 2006年4月3日)は、日本の海軍軍人、政治学者。海兵73期。最終階級は海軍中尉。東北大学名誉教授。専攻は政治外交史。息子に国際政治学者の池田明史がいる。 鹿児島県日置郡日吉町(現日置市)出身。1944年(昭和19年)3月、海軍兵学校(73期)卒業。重巡洋艦「摩耶」に乗組、砲術士としてレイテ沖海戦に参加。「摩耶」が撃沈された後、戦艦「武蔵」に救助されるが、「武蔵」も撃沈され九死に一生を得た。帰還後は海軍潜水学校普通科を経て「伊四七潜」砲術長兼通信長となり、回天「多聞隊」を乗せて出撃した。 戦後は公職追放を経て、歴史学を志す。1952年(昭和27年)、東京大学法学部政治学科卒業。
村島 健一(むらしま けんいち、1925年3月21日 - 1… 村島 健一(むらしま けんいち、1925年3月21日 - 1990年10月13日)は、日本の社会評論家。戸籍名は村嶋健一。矢野 八朗(「ヤナヤロー」のもじり)の筆名でも活動。 ジャーナリストの村嶋歸之の息子として兵庫県西宮市に生まれる。静岡高等学校で吉行淳之介と知り合う。東京大学文学部独文科卒業後、毎日新聞社東京本社に入社。10年間の記者生活を経て、1959年4月からフリーとなる。『オール讀物』連載の人物論シリーズで注目され、その他、文明時評、コント、ショートショート、小説なども執筆。 長男の村嶋帰一は日興シティグループ証券チーフエコノミスト(東京大学教養学部国際関係論学科→野村総合研究所→シティグループ証券)。
信夫山 治貞(しのぶやま はるさだ、1925年3月21日 -… 信夫山 治貞(しのぶやま はるさだ、1925年3月21日 - 1977年9月2日)は、福島県伊達郡保原町(現在の伊達市)出身で小野川部屋に所属した大相撲力士。本名は本間 栄(ほんま さかえ)。最高位は東関脇(1958年9月場所、同年11月場所)。現役時代の体格は177cm、109kg。得意手はもろ差し、寄り。 上京して小野川部屋へ入門し、1940年5月場所において、15歳で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名と同じ本間。1944年、幕下入りを目前にしたところで召集され、朝鮮半島北部で敗戦を迎えた。ソ連の収容所に送られたが脱走し、偽名を使ってソウルまで逃れ、なんとか引揚船で博多港へと帰り着いた。 1946年11月場所、吾妻山の四股名(四股名はいったん本名でもある本間に戻した後、1949年10月場所で信夫山と改名した)で大相撲に復帰し、翌年11月場所で十両に昇進。
工藤 幸雄(くどう ゆきお、1925年3月20日 - 200… 工藤 幸雄(くどう ゆきお、1925年3月20日 - 2008年7月5日)は、日本の詩人、ロシア・ポーランド文学者、翻訳家。元多摩美術大学教授。別筆名に仲谷鴻介(なかや こうすけ)、篠 ひろ子。 大連にて南満州鉄道社員の家庭に生まれる。旧制中学校卒業後、第一高等学校受験に3度失敗し、1944年善隣外事専門学校露西亜科に入学。その後城北補習学校を経て、1946年9月、第一高等学校文科甲類三組に入学し、1952年頃東京大学仏文科卒。 1954年共同通信社外信部に入り13年勤め、その間ロシア、ポーランドの文学を翻訳する。1967年ワルシャワ大学に日本語講師として赴任、7年間滞在し、1975年帰国。翌年多摩美術大学教授となるが、その前には、ブレイクリー・セント・ジェイムズ『女友だち』(フランス書院、1978年)などのポルノ小説を篠 ひろ子の変名で訳し、糊口を凌いだという。
梅原 猛(うめはら たけし、1925年(大正14年)3月20… 梅原 猛(うめはら たけし、1925年(大正14年)3月20日 - 2019年(平成31年)1月12日)は、日本の哲学者、評論家。位階は従三位。ものつくり大学総長(初代)、京都市立芸術大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。東日本大震災復興構想会議特別顧問(名誉議長)。碧南市哲学たいけん村無我苑名誉村長。京都市名誉市民。 京都大学文学部哲学科卒業。立命館大学文学部哲学教授、京都市立芸術大学教授・学長の他、国際日本文化研究センター所長(初代)、社団法人日本ペンクラブ会長(第13代)などを歴任した。 西洋哲学から日本の芸能や文学の笑いまで幅広く研究し、日本文化の本質を探究する。大胆で独創的な梅原日本学を確立。
月丘 千秋(つきおか ちあき、1925年3月20日 - 20… 月丘 千秋(つきおか ちあき、1925年3月20日 - 2015年5月10日)は、日本の女優。本名:旭爪 菊江(ひのつめ きくえ)。実姉は女優の月丘夢路、実妹は月丘昌美(松竹映画「花ある星座」で共演)、義兄は映画監督の井上梅次。 広島県広島市で薬局の娘として生まれる。1942年(昭和17年)に広島県立広島第一高等女学校(現・広島県立広島皆実高等学校)卒業後、姉の月丘夢路と同じ宝塚音楽歌劇学校(現・宝塚音楽学校)に入学する。1944年 宝塚音楽歌劇学校卒業。4月の初舞台直前に、宝塚大劇場は閉鎖、海軍予科練に接収され、舞台に立てないうちに退団。姉の夢路が、轟夕起子に誘われて、轟の夫のマキノ正博が所長をしていた松竹京都へ移籍すると同時に、月丘千秋として映画界に入る。
富岡 幸雄(とみおか ゆきお、1925年3月20日 - 20… 富岡 幸雄(とみおか ゆきお、1925年3月20日 - 2023年3月4日)は、日本の租税学者、中央大学名誉教授。日本における税理士の第一号。長男は文芸評論家の富岡幸一郎。 横浜高等商業学校(現・横浜国立大学経済学部)在学中に学徒出陣を経験し、復員後国税庁に勤務。そのかたわら中央大学法学部の夜間部に通い、第1回公認会計士試験及び第1回税理士試験に合格する。在職中に日本初の節税指南書を出版。その後中央大学助教授に転じ、1965年より教授。政府税制調査会特別委員などを歴任。1995年に退任後、冨岡総研を主宰。2007年瑞宝中綬章受章。 2023年3月4日、老衰のため死去。98歳没。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
亘理彰(わたり あきら、1925年3月20日 - )は日本の… 亘理彰(わたり あきら、1925年3月20日 - )は日本の大蔵官僚。 防衛施設庁長官、防衛事務次官、石油公団副総裁、日本不動産研究所理事長、同研究所会長などを務めた。 東京府出身。東京府立第九中学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治学科卒業。 1947年12月 大蔵省入省。主計局属。1950年5月 伊予西条税務署長。1951年8月 川口税務署長。 その後は主計局総務課長補佐、主計局主計官補佐(通商産業係主査)、主計局総務課長補佐兼主計局法規課長、大臣官房専門調査官兼臨時行政調査会事務局資料課兼臨時行政調査会調査などを務める。 1965年6月 主計局調査課長。1968年6月 主計局主計官(外務、通商産業担当)。
國本 哲男(くにもと てつお、1925年3月18日 - 19… 國本 哲男(くにもと てつお、1925年3月18日 - 1996年3月10日)は、日本のロシア史学者。 兵庫県(現神戸市)生まれ。陸軍幼年学校ののち、大阪外事専門学校でロシア語を学び、1953年京都大学文学部史学科卒、同大学院経済学研究科修了。中学校教師ののち1960年大阪外国語大学助教授、大阪大学教養部助教授、言語文化部教授。1973年「ロシア国家の起源」で大阪大学文学博士。88年定年退官、名誉教授。87年『ロシア原初年代記』で日本翻訳出版文化賞受賞。
井澤 純(いざわ じゅん、1925年〈大正14年〉3月18日… 井澤 純(いざわ じゅん、1925年〈大正14年〉3月18日 - 1996年〈平成8年〉5月12日)は、日本の図書館司書・評論家・著作家・歌人。 国立科学博物館附属自然教育園園長等を歴任。 東京大学文学部卒業。1946年、愛知県公立高校の教諭となり、1958年専任司書教諭。1961年文部省初等中等教育局勤務、1977年国立淡路青年の家、1981年国立沖縄青年の家所長を務めた後、国立科学博物館附属自然教育園園長となる。道徳教育・図書館学についての著作のほか、小説・短歌をものした。 1995年、勲三等瑞宝章受章。1996年5月12日、心不全のため死去。
桐原 久(きりはら ひさし、1925年3月17日 - 198… 桐原 久(きりはら ひさし、1925年3月17日 - 1987年1月1日)は、南日本放送代表取締役社長。同局アナウンサー、マーケティング理論家、鹿児島経済大学講師。 鹿児島県薩摩郡東郷町(薩摩川内市)生まれ。熊本陸軍幼年学校を経て、1945年陸軍航空士官学校卒業(58期)、陸軍少尉任官。1949年旧制第七高等学校文科卒業。1955年神戸大学経営学部卒業。
小尾 信彌(おび しんや、1925年3月17日 - 2014… 小尾 信彌(おび しんや、1925年3月17日 - 2014年9月28日)は、日本の天文学者(天体物理学)。理学博士(1956年)。東京大学名誉教授。 東京府(現・東京都)出身。萩原雄祐の弟子だが、同じく萩原門下で小尾の兄弟子にあたる畑中武夫にも師事した。 本郷区立誠之小学校、成城高等学校 (旧制)卒業。東京帝国大学理学部天文学科卒業後、技官として東京天文台(現・国立天文台)で活動していた事からも分かるように戦後の東京天文台における観測装置復旧の最初期の技術者でもあった。そのことから萩原雄祐から習った天体物理学のみならず畑中武夫の観測装置開発手法を学んだ。どちらかと云えば研究者としてより教育者として知られ、そのため多くの啓蒙書を翻訳または著述し多くの天文家に親しまれている研究者でもある。
稲田 三吉(いなだ さんきち、1925年3月17日 - 20… 稲田 三吉(いなだ さんきち、1925年3月17日 - 2013年8月3日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。早稲田大学仏文科卒。早稲田大学教育学部助教授、教授。1985年、「アラゴンにおけるリアリズム観の変遷について」で早稲田大学より文学博士の学位を取得。1992年、退任、名誉教授。 主としてシュールレアリスムを研究、ほか翻訳も数多い。
中山 利生(なかやま としお、1925年3月16日 - 20… 中山 利生(なかやま としお、1925年3月16日 - 2004年9月30日)は、日本の政治家。衆議院議員(9期)、防衛庁長官、自民党副幹事長、衆議院安全保障委員長などを歴任。位階は正三位。 衆議院議員を務めた中山栄一の息子として、茨城県稲敷郡龍ケ崎町(現・龍ケ崎市)に生まれた。旧制龍ケ崎中学(現・竜ヶ崎一高)を経て、日本大学法学部を卒業。大学時代は水泳部に所属し、副主将を務めた。 大学卒業後、父の秘書を経て1969年の第32回衆議院議員総選挙に自民党公認で旧茨城県第1区から出馬し当選。以降9期当選した。法務政務次官や自治政務次官を経て、1992年12月12日、宮澤改造内閣で初入閣し、防衛庁長官に任命された。
舟橋 尚道(ふなはし なおみち、1925年3月16日 - 1… 舟橋 尚道(ふなはし なおみち、1925年3月16日 - 1998年8月3日)は、日本の法学者。専門は労働法。学位は、法学博士(法政大学・論文博士・1960年)(学位論文「労働法学の方法論についての研究」)。法政大学名誉教授。勲二等瑞宝章。山形県出身。 1947年東京帝国大学法学部卒、1960年「労働法学の方法論についての研究」で、法政大学より法学博士の学位を取得。 全日本炭鉱労働組合書記、1948年大原社会問題研究所に入り、1949年法政大学法学部助手、講師、助教授、1960年教授、法学部学部長、大原社会問題研究所所長、1968年社会政策学会代表幹事、1996年定年、名誉教授。1995年勲二等瑞宝章受章。
井上 泰男(いのうえ やすお、1925年3月16日 - 20… 井上 泰男(いのうえ やすお、1925年3月16日 - 2017年8月26日[要出典])は、日本の歴史学者、北海道大学名誉教授。専門はフランス史。 東京府生まれ。1948年北海道帝国大学農学部卒業、1949年北大法文学部助手。1953年同文学部助手、1954年8月北海道学芸大学助教授(札幌分校)、1960年10月北大文学部助教授。1970年5月教授。1988年定年退官、名誉教授。北星学園大学経済学部教授、1991年英知大学教授、1995年同文学部長。1998年同大学特任教授、2002年客員教授。2004年瑞宝中綬章叙勲。
大川 清(おおかわ きよし、1925年3月15日 - 200… 大川 清(おおかわ きよし、1925年3月15日 - 2004年7月10日)は、日本の考古学者。陶芸家。国士舘大学名誉教授、日本窯業史研究所社長。歴史考古学、奈良・平安期古瓦、窯業史研究。
砂川 重信(すなかわ しげのぶ、1925年3月15日 - 1… 砂川 重信(すなかわ しげのぶ、1925年3月15日 - 1998年8月7日)は、日本の理論物理学者。大阪大学名誉教授。 1925年、東京に生まれる。大阪大学理学部物理学科卒業。1960年大阪大学助教授、1963年東北大学教授を経て、1966年大阪大学教授になる。その後、1988年に退官して同大学名誉教授になる。 数多くの物理学の書物を著した。 1998年8月7日、腎不全のため逝去。享年73。
原 寿雄(はら としお、1925年3月15日 - 2017年… 原 寿雄(はら としお、1925年3月15日 - 2017年11月30日)は、日本のジャーナリスト。小和田次郎のペンネームでコラム集を著した。 神奈川県平塚市生まれ。平塚農業学校、海軍経理学校、旧制一高を経て、1950年、東京大学法学部卒業。社団法人共同通信社に入社。新聞労連副委員長、社会部記者、バンコク支局長、外信部長を経て1977年に編集局長、1985年に専務理事・編集主幹に就任。1986年から1992年まで社団法人共同通信社の傘下にある事業部門、株式会社共同通信社の社長を務めた。 2007年、松田浩・桂敬一・野中章弘が世話人を務める「原さん、永井さんをNHK会長候補に推薦する会」より、「日本における言論・報道界のご意見番的存在で、卓越した見識と知性を兼ね備えたジャーナリスト・文化人」と橋本元一の後任のNHK会長の推薦を受けた。
光吉 健次(みつよし けんじ、1925年3月15日 - 20… 光吉 健次(みつよし けんじ、1925年3月15日 - 2000年3月8日)は、日本の建築家、都市計画学者。九州大学名誉教授。工学博士。社団法人日本都市計画学会九州支部初代支部長、財団法人福岡都市科学研究所初代理事長。 鹿児島県鹿児島市生まれ。「地方都市の計画と設計における基本的考察」により工学博士の学位を取得(東京大学、1971年2月18日)。 九州大学工学部建築学科の創設期に、九州大学での講義を兼務していた丹下健三(東京大学助教授、当時)の後を受けて助教授として赴任し、定年退官まで同学科の発展に寄与した。 丹下研究室時代には、倉吉市庁舎(1956年、鳥取県倉吉市)の設計等を担当した。九州大学では、建築学教室、九州大学五十周年記念講堂、工学部七十五周年記念庭園等を設計し、キャンパスの整備に貢献するとともに、九州各地において数多くの学校建築、商業建築、公共建築等を手がけた。
室賀 三郎(むろが さぶろう、1925年 <大正14年> 3… 室賀 三郎(むろが さぶろう、1925年 <大正14年> 3月15日 - 2009年 <平成21年> 12月9日)は、日本の情報通信、コンピュータ分野の科学者。日本のコンピュータパイオニアとして知られ、アメリカのイリノイ大学教授を38年間つとめた。 静岡県沼津市生まれ。1947年、東京大学電気工学科卒業、国有鉄道技術研究所に就職。世界最初の音声タイプライタの特許を申請する。1950年電波庁に転職し、1953年フルブライト奨学金でマサチューセッツ工科大学に留学。1954年から半年間、イリノイ大学に研究助手として留学。日本人として初めての大型コンピュータの使用経験を持つ人物となった。1955年に帰国。
田江 岑子(たえ みねこ、1925年(大正14年) 3月15… 田江 岑子(たえ みねこ、1925年(大正14年) 3月15日- )は日本の歌人。岩手県宮古市出身で盛岡市に在住。2025年(令和7年)12月1日、永眠。享年100. 1925年岩手県川井村(現在の宮古市西部)に生まれる。結婚後は盛岡に住む。1961年、新墾社に入社。1973年、未来短歌会に入会。1974年、『北宴』文学会の復刊に参加。1982年、『岬』創刊に参加。1984年、季刊個人誌『淼』を発刊し、1988年に終刊。翌1989年、季刊個人誌『漨』を発刊、1994年に終刊。1982年、第28回角川短歌賞に応募し、474人中の34人の候補に残る。 第一歌集『美しと思う花いくつ覚えしか』の刊行は著者50歳の時。
田島 節夫(たじま さだお、1925年3月14日 - 200… 田島 節夫(たじま さだお、1925年3月14日 - 2007年10月15日)は、日本の哲学者。東京都立大学名誉教授。 ベルクソン以後のフランス哲学のほか、フッサールなど、実存主義、構造主義、現象学、記号論などの研究で知られる。 東京大学文学部哲学科を卒業。旧東京都立大学教授を務めた。のち名誉教授。 2007年、肺癌のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
江崎 玲於奈(えさき れおな、1925年〈大正14年〉3月1… 江崎 玲於奈(えさき れおな、1925年〈大正14年〉3月12日 - )は、日本の物理学者。日本国外においてはレオ・エサキ(Leo Esaki)の名で知られる。 1973年(昭和48年)、トンネル効果の研究に関連して、アイヴァー・ジェーバー、ブライアン・ジョゼフソンとともにノーベル物理学賞を受賞し、日本人としては4人目となるノーベル賞受賞者となった。 文化勲章受章者、勲一等旭日大綬章受章者。学位は理学博士(東京大学・1959年)。学位論文は「薄いp-n接合における新現象」。 大阪府中河内郡高井田村(後の同郡布施町、さらに布施市、現在の東大阪市布施地区)で生まれ、1947年に東京帝国大学を卒業し、川西機械製作所(後の神戸工業株式会社、現在のデンソーテン)に入社、真空管の陰極からの熱電子放出の研究を行った。
黒木 ひかる(、1925年〈大正14年〉3月12日 - 20… 黒木 ひかる(、1925年〈大正14年〉3月12日 - 2004年〈平成16年〉9月12日)は、日本の女優。本名:北村 真咲。東京市(現:東京都)牛込出身。 宝塚歌劇団26期生。夫は俳優の曽我廼家明蝶。息子は愛媛朝日テレビ代表取締役会長の北村一明。 阿倍野高等女学校(現:大阪府立阿倍野高等学校)中退。 宝塚音楽歌劇学校(現:宝塚音楽学校)を経て1940年に宝塚歌劇団に入団。「アンナ」の愛称で花組の男役で出演。 三菱航空機に勤務後、宝塚歌劇団へ復帰。その後は東宝歌舞伎にも客演。 1969年、『メナムに赤い花が散る』を最後に宝塚歌劇団を退団。同年、俳優の曽我廼家明蝶と結婚。 2004年9月12日、死去。
岩崎 福三(いわさき ふくぞう、1925年3月11日 - 2… 岩崎 福三(いわさき ふくぞう、1925年3月11日 - 2012年2月29日)は日本の実業家で、鹿児島県に本拠を置く企業集団・岩崎産業の会長。 鹿児島県出身。旧制立教中学校(現:立教池袋中学校・高等学校)を経て、1948年に立教大学経済学部を卒業。1965年千石運送社長、1968年岩崎産業副社長、1972年鹿児島交通社長。岩崎産業の創業者であった父・與八郎から同社を引き継ぎ、1981年にその社長に就任。 後に息子の芳太郎にその役を譲り、同社の会長に就任した。 鹿児島商工会議所の会頭・名誉会頭、指宿市の岩崎美術館の理事長、鹿児島経済同友会の特別幹事、鹿児島県バス協会の名誉会長、鹿児島日仏協会の会長なども務めるなど、地元鹿児島県の経済界の主導者として活躍。
山蔭 基央(やまかげ もとひさ、1925年〈大正14年〉3月… 山蔭 基央(やまかげ もとひさ、1925年〈大正14年〉3月11日 - 2013年〈平成25年〉7月4日)は、山蔭神道家第79世である。 1925年(大正14年)、岡山県に生まれる。 大東亜戦争中、「皇典講究所」にて学ぶ。途中肺炎にかかり、仮死状態の中で異次元世界を経験したとされる。回復後、「神道の修行」に入った。 1947年(昭和22年)、中山忠徳の猶子となる。応神天皇以来伝承されている山蔭神道の哲理を学び、1949年(昭和24年)、「山蔭家第79世」になる。古神道の研究を行う。 1954年に文部大臣認証法人「山蔭神道」を興し、管長となる。1960年、亜細亜大学経済学部に入学し、近代経済学を研究する。