島村 宜伸(しまむら よしのぶ、1934年〈昭和9年〉3月2… 島村 宜伸(しまむら よしのぶ、1934年〈昭和9年〉3月27日 - )は、日本の政治家、教育者。衆議院議員(9期)、文部大臣(第118代)、農林水産大臣(第26・36代)、自由民主党国会対策委員長(第40代)、自由民主党総裁特別補佐、志帥会名誉会長、学校法人杉並学院(杉並学院高等学校)理事長等を歴任した。元日本プロスポーツ協会会長。 元衆議院議員で石橋派や宏池会に属した島村一郎の六男。 東京都江戸川区生まれ。東京都立両国高等学校、学習院大学政経学部政治学科卒業。学習院大学入学後、学習院院長の安倍能成から頼まれ、皇太子(明仁親王)の学友になった。また島村は唯一、自身の同級生たる天皇から国務大臣に認証された政治家である。
竹内 和夫(たけうち かずお、1934年3月27日 - 20… 竹内 和夫(たけうち かずお、1934年3月27日 - 2017年6月18日)は、日本の作家。 兵庫県龍野市(現・たつの市)出身。本名岸本和夫。大阪学芸大学(のち大阪教育大学)卒。同人誌『VIKING』に所属。1966年「孵化」が第56回芥川賞候補になった。中学校の教諭を務めながら作家活動を続けた。
高原 宏文(たかはら ひろふみ、1934年3月27日 - )… 高原 宏文(たかはら ひろふみ、1934年3月27日 - )は、日本の作曲家。 鳥取県米子市出身。1958年、国立音楽大学作曲科卒業。作曲を高田三郎、島岡譲に師事。1959年、国立音楽大学専攻科(作曲専攻)修了。同年、第28回日本音楽コンクール作曲部門第3位入賞。 1974年〜1979年、国立音楽大学助教授、1980年〜1999年、同大学教授、現在、同大学名誉教授。 日本現代音楽協会、日本作曲家協議会で作品発表や楽譜の出版の活動を続けている。
富沢 志満(とみざわ しま、1934年3月27日 - )は、… 富沢 志満(とみざわ しま、1934年3月27日 - )は、東京都出身の日本の声優、女優。ラジオ東京放送劇団に所属した後、フリーランスで活動し、シナリオ文芸協会に所属していた。本名同じ。父親は作家の冨澤有爲男。名付け親は父の友人である佐藤春夫。 フェリス女学院短期大学卒業。声楽家を志していたが、ラジオ東京放送劇団の募集に応募し合格。1955年に同劇団に入団。主にラジオ東京(現・TBS)のテレビドラマとラジオドラマに出演していた。 1958年に公開されたディズニー映画『白雪姫』の日本語吹替版にて、ヒロインである白雪姫の声を担当。その後も1961年公開の『シンデレラ』でシンデレラを演じるなど、初期のディズニー映画のいくつかの吹替に参加していた。
根岸 明美(、1934年〈昭和9年〉3月26日 - 2008… 根岸 明美(、1934年〈昭和9年〉3月26日 - 2008年〈平成20年〉3月11日)は、日本の女優。本名は同じ。東京市麻布区出身。大妻高等女学校(現・大妻中学校・高等学校)中退。富士企画に所属していた。 高校中退後、1948年、日劇ダンシングチーム(6期生)に入団。母親の美代子は戦前に宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)の宝塚歌劇団9期生の元タカラジェンヌだった。 1953年、アナタハンの女王事件をジョセフ・フォン・スタンバーグが映画化した際に、オーディションで見出されて『アナタハン』で主演デビュー。以後、映画、テレビを中心に活躍。 166cmと大柄で豊満でありながら引き締まった肢体で人気を集めたが「肉体派女優」と見られることを嫌って、演技を磨いて『赤ひげ』『どですかでん』などに出演。
山崎 正和(やまざき まさかず、英語: Masakazu Y… 山崎 正和(やまざき まさかず、英語: Masakazu Yamazaki、1934年〈昭和9年〉3月26日 - 2020年〈令和2年〉8月19日)は、日本の劇作家、評論家、演劇研究者。文化功労者、文化勲章受章者。 関西大学文学部教授、大阪大学文学部教授、東亜大学学長、文部科学省中央教育審議会会長(第4期)、LCA大学院大学学長、サントリー文化財団副理事長、大阪大学名誉教授、経済産業省参与、日本芸術院会員などを歴任した。 『世阿弥』(1963年)、『後白河法皇』(1966年)、『冬の花火』(1968年)など多数の話題作を発表し、劇作家としての地位を築く。一方、評論の分野でも活動。『劇的なる日本人』(1971年)では、従来劇的でないとされてきた日本人の生活の中に、西洋とは異質の劇的精神があることを指摘した。
吉田忠(よしだ ただし、1934年3月26日 - )は、日本… 吉田忠(よしだ ただし、1934年3月26日 - )は、日本の経済・農業統計学者、京都大学名誉教授。 茨城県岩瀬町(現桜川市)生まれ。1957年京都大学農学部農林経済学科卒業。1962年同大学院博士課程中退、67年「関西における鶏肉流通の展開過程」で北海道大学より農学博士の学位を取得。1962年滋賀県立短期大学助手となり、講師を経て、1967年中央大学商学部助教授、教授、1973年京都大学農学部助教授、86年教養部助教授、教授。1991-92年文部省統計数理研究所教授併任。92年京都大学総合人間学部教授、97年定年退官、名誉教授となる。
泉 巌夫(いずみ いわお、1934年3月26日 - 2003… 泉 巌夫(いずみ いわお、1934年3月26日 - 2003年10月9日)は、日本の実業家。讀賣テレビ放送(よみうりテレビ、読売テレビ)元代表取締役社長。富山県出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
三代目 貴音 三郎助(さんだいめ きおん さぶろうすけ、19… 三代目 貴音 三郎助(さんだいめ きおん さぶろうすけ、1934年(昭和9年)3月25日 - 2025年(令和7年)11月30日)は、長唄唄方、人間国宝。本名は宮田 哲男(みやた てつお)。長らく東音宮田哲男(とうおん みやた てつお)を名乗っていたが、2009年に「貴音三郎助」の名跡を三代目として襲名した。
遠山 慶子(とおやま けいこ、1934年3月25日 - )は… 遠山 慶子(とおやま けいこ、1934年3月25日 - )は、日本のピアニスト。旧姓藤村。主にモーツァルトやフランス近代音楽の演奏で知られる。東京府出身。
布施 浄慧(ふせ じょうえ、1934年(昭和9年)3月25日… 布施 浄慧(ふせ じょうえ、1934年(昭和9年)3月25日 - )は、真言宗智山派の僧。管長。智積院第72代化主。大正大学大学院修了。京都府京都市出身。 埼玉県出身。大正大学卒業後、同大学大学院に進学し博士課程後期を満期退学。その後、大正大学の講師に就任。 埼玉県久喜市の吉祥院住職を務める傍ら、成田山勧学院教授・智山講伝所上座阿闍梨・宗機顧問などを歴任。2019年(令和元年)6月28日に真言宗智山派の管長と智積院の第72代化主に就任。2021年(令和3年)に後七日御修法大阿闍梨を務め、真言宗長者となる。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
笹村 二朗(ささむら じろう、1934年〈昭和9年〉3月25… 笹村 二朗(ささむら じろう、1934年〈昭和9年〉3月25日 - 2022年〈令和4年〉7月11日)は、日本の実業家、トカプチアイヌ協会代表、北海道ウタリ協会理事長、アイヌ文化振興・研究推進機構副理事長。帯広市議会議員。 1934年、北海道帯広市生まれ。和人の父とアイヌ人の母を持つ。 1961年に建設業「笹村組」を開業し、1972年に法人化し社長に就任。 帯広市にあった古戦場のチョマトー埋め立て問題で、1975年ごろより、北海道ウタリ協会の活動に関わる。 1996年、北海道ウタリ協会の理事長に就任する。「日本国政府による補償も必要だが、アイヌ民族の自立が重要である」との姿勢をとる。 アイヌ文化振興法の1997年の制定に、理事長として動き回る。
植村 泰一(うえむら やすかず、1934年3月24日 - 2… 植村 泰一(うえむら やすかず、1934年3月24日 - 2022年5月16日)は、日本のフルート奏者・指導者。元日本フルート協会副会長・東京音楽大学学長。 父は東宝の前身の一つP.C.L.映画製作所の創立者の一人植村泰二、伯父は第3代経済団体連合会会長を務めた植村甲午郎。祖父はオリエンタル写真工業会長などを務めた植村澄三郎。 フルートを川崎優、ガストン・クリューネル、オーレル・ニコレに、作曲を清瀬保二に師事した。東京音楽大学にて学長及び理事長を務めた。門下生には著名なフルーティストも多い。また各種コンクールの審査員も務めた。 横溝正史のミステリ小説『悪魔が来りて笛を吹く』にフルート曲が登場するのは、横溝が隣家の植村の練習を聴いて着想したものである。
梅木 恒明(うめき・つねあき 1934年3月24日 - 20… 梅木 恒明(うめき・つねあき 1934年3月24日 - 2013年10月29日)は、日本のラグビーフットボール指導者。玖珠農在学中ラグビー部に所属している。当時は二足の草鞋を履いて、複数の部活に所属する事は普通であった。 1934年3月24日、大分県玖珠郡玖珠町出身。大分県立玖珠農業高等学校時代は野球部に入り、高校球児として甲子園を目指した経歴を持つ。高校卒業後は法政大学に進学し、法政卒業後に保健体育教師の教員免許を取得するべく日本体育大学に入学した。 教員免許取得後、1961年に私立目黒高等学校に教師として赴任。同校ラグビーフットボール部監督に就任する。同校ラグビーフットボール部監督時代に当時、多摩川べりに在った自宅に部員を下宿させ、毎朝10㎞をランニングさせたり、多摩川の河川敷で真夜中まで練習をさせ、又は梅木の実家がある玖珠町の陸上自衛隊玖珠駐屯地で夏合宿を敢行するなど、「常軌を逸した」(松尾雄治の述懐)猛特訓を行ったという。
大村 文武(おおむら ふみたけ、1934年3月24日 - )… 大村 文武(おおむら ふみたけ、1934年3月24日 - )は、日本の俳優。東京市小石川区出身。本名同じ。 1956年に明治大学文学部演劇科を卒業し、東映ニューフェイスの第3期生となる。同期には里見浩太朗・桜町弘子・大川恵子らがいた。主演作は『月光仮面』シリーズのみで、1966年に退社。フリーとなりテレビドラマへ進出。悪人役をメインとした。その後は群馬県でスナック・喫茶店等を経営し、1989年には村西とおる率いるダイヤモンド映像でAV監督として活動した。 2013年に発売された『'60年代 蘇る昭和特撮ヒーロー』では連絡先不明としており、消息は明らかになっていない。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
布上 正之(ぬのがみ まさゆき、1934年3月24日 - 2… 布上 正之(ぬのがみ まさゆき、1934年3月24日 - 2023年6月25日)は、日本の元陸上競技選手、指導者。熊本県山鹿市出身。中央大学卒業。 2年時の第30回箱根駅伝では9区を走る。2位の早稲田大学とは13秒差と首位で襷を受け、少しずつ差を離していたが、中継所から約300mにある戸塚踏切の警報器が鳴り始め、布上が通る直前に遮断機が降り始める。すると、遮断機をくぐるのにロスタイムがあってはいけないと、ムキになって駆け抜けた。しかし、このペースアップの影響で後半に失速し、早稲田大学に抜かれ、2位に後退。10区でも日本大学に抜かれて順位を一つ落とし、中央大学は総合優勝を逃した。この失敗が布上の選手、そして指導者としての原点になっているという。
園部 勝(そのべ まさる、1934年〈昭和9年〉3月23日 … 園部 勝(そのべ まさる、1934年〈昭和9年〉3月23日 - )は、日本のスキー指導者。群馬県出身。 1934年(昭和9年)、群馬県利根郡水上町(現・みなかみ町)に、園部良雄の次男として生まれる。幼少から園部ヒュッテ前インターハイ発祥の地大穴スキー場でスキーを学ぶ。群馬県立沼田高等学校卒業後、国鉄大井工場で勤務。 法政大学に入学し、全日本学生選手権・全日本選手権を制覇。法政大学を中退し、1961年(昭和36年)プロに転向。1962年(昭和37年)に苗場スキースクールを立ち上げた。 プロ団体「日本職業スキー教師連盟」(SIA)を有志と発足。現在は、全日本スキー連盟(SAJ)でスキースクール代表を務める。
鈴木 克美(すずき かつみ、1934年3月23日 -2024… 鈴木 克美(すずき かつみ、1934年3月23日 -2024年12月28日 )は、日本の魚類学者・水族館学者、東海大学名誉教授。 静岡県浜松市生まれ。興誠高等学校を経て1956年東京水産大学増殖学科卒。1980年「日本産ハナダイ類の生態学的研究」で東京大学農学博士。江の島水族館飼育主任、金沢水族館副館長、1968年東海大学講師、助教授、1975年同海洋研究所助教授、1981年教授、海洋科学博物館副館長、館長、社会教育センター学芸室長。1999年定年退任、名誉教授。
大橋 巨泉(おおはし きょせん、1934年〈昭和9年〉3月2… 大橋 巨泉(おおはし きょせん、1934年〈昭和9年〉3月22日 - 2016年〈平成28年〉7月12日)は、日本のテレビタレント、司会者、俳人、放送作家、政治家。この他、競馬評論家、ジャズ評論家、時事評論家としての活動も行い、馬主でもあるなど、日本のマルチタレントの先駆けとなった。実業家・芸能プロモーターとしてもオーケープロダクション(旧・大橋巨泉事務所)を創業し、取締役会長を務めたほか、一部の国で、お土産物屋「オーケーギフトショップ」を経営するオーケーギフトショップグループの取締役社長を務めた。また、政治家として参議院議員を務め、会派は民主党・新緑風会に所属した。 本名は大橋 克巳(おおはし かつみ)。
松平 直樹(まつだいら なおき、1934年(昭和9年)3月2… 松平 直樹(まつだいら なおき、1934年(昭和9年)3月22日 - 2022年(令和4年)6月11日)は、日本の歌手。和田弘とマヒナスターズのメンバーとして知られていた。 東京府東京市出身。本名:松平壽夫。立教大学卒業。大学在学中より、学生バンドとして活動し、1955年(昭和30年)、和田弘とマヒナスターズのメンバーとなり、ボーカルを担当。独特の甘い歌声で、同じくボーカル担当の三原さと志と共にマヒナの黄金期を支え、一世を風靡した。 1970年(昭和45年)に、和田弘とマヒナスターズから独立し『松平直樹とブルーロマン』を結成。「幸せになってね」(のちに敏いとうとハッピー&ブルーが「わたし祈ってます」の題名でヒットさせる)などを発表する。
棚下 照生(たなか てるお、本名:田中 輝夫(読み同じ) 、… 棚下 照生(たなか てるお、本名:田中 輝夫(読み同じ) 、1934年3月22日 - 2003年)は、日本の漫画家。児童向け剣戟漫画で人気となったが、その後は青年誌に活動の場を移し、「女侠客・股旅もの」の作品を多数発表、映像化作品も多い。代表作は『ヒマラヤ天兵』『めくらのお市物語』『旅がらすくれないお仙』など。妻は元女優の松山容子。 宮崎県延岡市生まれ。16歳のときに単身上京し、戦災で焼けた公衆便所をねぐらにしながら、新聞配達や給仕で生計を立て、独学で漫画を勉強した。1951年、17歳の時『ハンスと魔王』(鶴書房)でデビュー。1959年から1月から1960年6月まで「少年ブック」に連載された『ヒマラヤ天兵』が人気を博し、テレビドラマ化(KRテレビ、1959年8月~1960年9月)。
大和田 明(おおわだ あきら、1934年3月21日 - 20… 大和田 明(おおわだ あきら、1934年3月21日 - 2001年3月4日)は、茨城県西茨城郡友部町(現在の笠間市)出身で、1950年代後半から1960年代にかけて活躍したプロ野球選手。現役時代のポジションは、外野手(捕手としての試合出場もあり)。1965年の登録名は大和田明良。 茨城高等学校では1950年秋季関東大会県予選準決勝に進むが、水戸商に惜敗。翌1951年夏の甲子園県予選でも準決勝で水戸一高に敗れる。 卒業後は高崎理研を経て、1955年に西鉄ライオンズへ入団。終盤の9月16日に毎日オリオンズ戦で同試合5人目の捕手としてマスクを被るも、気分が舞い上がってしまい、本堂保弥のスクイズバントに対応できずサヨナラ負けを喫する。
中野 健一(なかの けんいち、1934年3月21日 - )は… 中野 健一(なかの けんいち、1934年3月21日 - )は、毎日オリオンズ に在籍したプロ野球選手(内野手)。 法政一高では1951年春季東京大会で準決勝に進むが、沖山光利のいた明治高に敗退。同年夏の甲子園都予選では3回戦で成城高に惜敗。卒業後は法政大学に進学。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、遊撃手として活躍。1955年秋季リーグでは打率.383で首位打者を獲得、ベストナインにも選出された。大学同期に長谷川繁雄がいる。 卒業後は 日本石油に入社。1956年の都市対抗では一番打者としてエース藤田元司を擁し決勝に進出。熊谷組を降しチームを優勝に導く。この時のチームメートに花井悠らがいる。
齊藤 寛(さいとう ひろし、1934年〈昭和9年〉3月21日… 齊藤 寛(さいとう ひろし、1934年〈昭和9年〉3月21日 - 2024年〈令和6年〉8月10日)は、日本の実業家。シャトレーゼホールディングス創業者。 1934年、山梨県東山梨郡勝沼町(現:甲州市)生まれ。山梨県立日川高等学校卒業。1954年に今川焼き風の焼き菓子店「甘太郎」を出店し、創業。1959年に有限会社甘太郎を設立し、代表取締役に就任。1964年に大和アイス株式会社を設立し、1967年に2社を合併して株式会社シャトレーゼを設立。代表取締役に就任し、2008年に会長に昇格。2010年に株式会社シャトレーゼを株式会社シャトレーゼホールディングスに商号変更し、代表取締役社長に。2018年社長職を次女の齊藤貴子に譲り、同社の会長に。
日比 英一(ひび えいいち、1934年3月21日 - 201… 日比 英一(ひび えいいち、1934年3月21日 - 2016年10月23日)は、日本の実業家、中部日本放送元常務取締役、元同社アナウンサー。 愛知県名古屋市熱田区出身。愛知県立瑞陵高等学校、名古屋大学文学部卒業。 1957年、中部日本放送にアナウンサーとして入社。入社当初から10数年間はラジオ音楽番組『0時半です松坂屋ですカトレヤミュージックです』など主に芸能番組や社会情報番組の司会・レポーター業を中心に活動する。 その後、1974年10月に中京広域圏の放送局としては初のワイドローカルニュース番組として「CBCニュースワイド」が立ち上げられると同時に同番組の初代キャスターに抜擢。以後、1989年9月までは平日版のメインキャスター、1997年3月までは週末版のメインキャスター、1998年3月までは土曜版のコメンテーターとして23年半に渡って同番組に関わり続けたほか、同局の衆議院 ・参議院議員総選挙時の開票特別番組の東海地区パートの総合司会や、新春恒例の東海地区の財界人を招いての対談番組『新春中部財界人サロン』の司会なども長期に渡り担当、CBCの報道の顔として活躍した。
原 哲男(はら てつお、1934年〈昭和9年〉3月21日 -… 原 哲男(はら てつお、1934年〈昭和9年〉3月21日 - 2013年〈平成25年〉1月11日)は、日本のお笑い芸人、俳優。本名:柳原 哲也。吉本興業所属。 熊本県熊本市上近見町に生まれる。九州学院高等学校卒業後、剣戟の「富士川昇一座」に入って、九州を巡業する。また「島陽之助一座」にも籍を置いた。 1953年、大阪に出て、「堀江洋子一座」に入る。その後、ストリップ劇場のコメディアンに転向して、新世界のジャンジャン横丁にあった「温泉劇場」などに出演していたが、生活に困窮し、堀江洋子一座で一緒で「島陽之助一座」にいたころからの旧知の島田洋之介に誘われ1963年、吉本興業に入社する。 以後、吉本新喜劇で活躍、1969年には座長に就任、『てなもんや三度笠』では、毎回CM時に藤田まこと、白木みのると掛け合いで登場し、レギュラー出演していた。
菊池 昌弘(きくち まさひろ、1934年3月21日 - 20… 菊池 昌弘(きくち まさひろ、1934年3月21日 - 2012年4月28日)は、日本の病理学者。「菊池病」発見者。
上野 利雄(うえの としお、1934年3月21日 - 201… 上野 利雄(うえの としお、1934年3月21日 - 2016年9月30日)は、日本の経営者。小野薬品工業社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1957年に大阪市立大学経済学部を卒業し、同年に小野薬品工業に入社した。1981年に取締役に就任し、1983年4月に常務、1985年4月に専務、1989年4月に副社長を経て、1993年6月に社長に就任し、2001年6月には会長に就任した。2005年6月に取締役相談役に就任し、2008年6月から非常勤取締役相談役を務めた。 2016年9月30日、肺炎のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
伊藤 康子(いとう やすこ、1934年3月21日 - )は、… 伊藤 康子(いとう やすこ、1934年3月21日 - )は、日本の女性史学者。 瀋陽生まれ。1957年東京大学文学部国史学科卒業。『歴史評論』編集部、日本福祉大学講師、中京女子大学短期大学部教授、2002年定年退職。愛知県史編纂委員会特別調査委員、愛知女性史研究会会員。
児玉 更太郎(こだま こうたろう、1934年〈昭和9年〉3月… 児玉 更太郎(こだま こうたろう、1934年〈昭和9年〉3月21日 - 2026年〈令和8年〉1月11日)は、日本の政治家、初代広島県安芸高田市長(1期)。 広島県高田郡高宮町(現・安芸高田市)出身。鳥取大学農学部卒。高校講師や来原農協専務理事、郡農協支所長を歴任した。1969年(昭和44年)高宮町議会議員に当選して、3期務める。その間、1978年(昭和53年)に同議長に就任した。1980年(昭和55年)高宮町長に当選。高宮町議時代から地域振興会の活動に取り組む。高宮町長を6期務めた。2004年(平成16年)、高田郡全域の6町が合併し、安芸高田市が発足。合併後の市長選挙に立候補し無投票で当選した。
多賀 弘明(たが ひろあき、1934年3月21日 - )は、… 多賀 弘明(たが ひろあき、1934年3月21日 - )は、日本のレーシングドライバー。早稲田大学卒業。東京都出身。日本のモータースポーツ黎明期に活躍したドライバーの一人として、日本グランプリなどに出場。 早稲田大学の自動車部に所属し、ラリーやフィギュアなどの競技に出場。 1963年の第1回日本グランプリでは、トヨペット・クラウンを駆ってC-VIクラスに出場し、優勝を飾っている。 1964年には「トヨタモータースポーツクラブ(TMSC)」の設立に関与し、2代目のTMSC会長に就任。 当初TMSCの主催で行われていた富士1000kmなどのレースや、1966年のトヨタ・2000GTによるスピードトライアル運営にも携わっていた。
菊間 崇祠(きくま たかし、旧名:卓、1934年3月20日 … 菊間 崇祠(きくま たかし、旧名:卓、1934年3月20日 - 2024年12月4日)は、八王子実践高等学校女子バレーボール部の元監督である。 東京府東京市池袋出身。 1956年中央大学法学部を卒業後、1958年から八王子実践高校に社会科の教員として赴任し、バレー部顧問をかって出る。 以来、女子バレー部監督歴50年余りとなる名将として知られる。指導のスタンスは「求めよ、されば与えん」。大林素子が「私はレシーブしなくてもいいのですか」と申し出て初めて猛烈な特訓をはじめたという。 これまで大林や三屋裕子、福田記代子、多治見麻子、狩野美雪・舞子姉妹ら、多くのプロバレーボール選手を育成してきた一方、その指導方針であるスパルタ指導に対しては賛否がある[要出典]。
佐藤篤士(さとう とくじ、1934年3月20日-2006年5… 佐藤篤士(さとう とくじ、1934年3月20日-2006年5月31日)は、日本の法学者。 山形県鶴岡市出身。1952年、山形県立鶴岡南高等学校卒、1958年、早稲田大学第一法学部卒、1961年、同大学大学院法学研究科修士課程修了。同年、早稲田大学法学部助手、1964年、同専任講師、1966年、同助教授、1971年、同教授。1977年、法学博士。1980年法制史学会理事。2000年早稲田大学大学史資料センター所長。2004年、定年、名誉教授。専門は古代ローマ法。 恩師は、中村吉三郎 (法学者)。門下生に西村隆誉志(愛媛大学名誉教授)、原田俊彦(早稲田大学教授)、熊丸光男(帝京大学教授)、足立清人(北星学園大学教授)、藤野奈津子(千葉商科大学教授)らがいる。
秋浜 悟史(あきはま さとし、1934年3月20日 - 20… 秋浜 悟史(あきはま さとし、1934年3月20日 - 2005年7月31日)は、日本の劇作家。岩手県岩手郡渋民村(現在の盛岡市)出身。 1956年、早稲田大学文学部演劇科在学中は学生劇団「早大自由舞台」に参加、戯曲『英雄たち』を発表。大学卒業後、岩波書店の系列会社岩波映画製作所を経て、1962年に劇団三十人会に参加。1967年に『ほらんばか』で第1回紀伊国屋演劇賞、1969年に 『幼児たちの後の祭り』に至るまでの諸作品の成果で第14回岸田國士戯曲賞を受賞。それ以降数々の作品を世に送り出した。故郷岩手を舞台にした盛岡弁の戯曲が多く、同郷の石川啄木を描いた『啄木伝』などがある。 大阪芸術大学教授として教鞭を執り、いのうえひでのりをはじめ劇団☆新感線のメンバーの多くは教え子である。
北川 陽一郎(きたがわ よういちろう、1934年〈昭和9年〉… 北川 陽一郎(きたがわ よういちろう、1934年〈昭和9年〉3月20日 - )は、日本の俳優。本名・旧芸名は細川 隆一(ほそかわ りゅういち)。北海道小樽市出身。 日本大学芸術学部中退。 1950年代後半ごろに東宝の専属俳優となって、本名の細川隆一名義で数多くの作品に出演した。専属制度が崩壊した1971年以降は北川陽一郎と芸名を付け、エヌ・エー・シーの専属として主にテレビで活動する。 その後、活動の拠点を北海道に移し札幌市に「NACタレントセンター札幌」を開設、1980年には劇団「劇団道」を創設する。 2005年にNACタレントセンター札幌を「北海道俳優養成所」と独立改称し、現在代表、主宰を務めている。
山形 和美(やまがた かずみ、男性、1934年3月19日 -… 山形 和美(やまがた かずみ、男性、1934年3月19日 - 2019年5月21日)は、日本の文学研究者、翻訳家。筑波大学名誉教授。専門は、近代イギリス文学、日本・欧米比較文学及び文学理論、日本近代キリスト教文学。 1934年、山口県で生まれた。1957年、西南学院大学文学部を卒業。東京教育大学大学院文学研究科(英文学専攻)に進学し、1959年に修士課程を修了。博士課程に進学したが、中途退学。 1959年、母校の西南学院大学短期大学部助手に採用された。1960年より同大学文学部専任講師。1963年に専修大学法学部専任講師となり、1967年に助教授、後に教授昇格。1973年、フェリス女学院大学文学部助教授に転じ、後に教授昇格。
勝部 義夫(、1934年〈昭和9年〉3月19日 - 2023… 勝部 義夫(、1934年〈昭和9年〉3月19日 - 2023年〈令和5年〉5月)は、日本の元俳優。島根県大田市波根町出身。日本大学芸術学部映画科卒業。 1953年、大学入学と同時に帝国劇場の研究生となり、翌年に正式な劇団員となる。 1955年に東宝専属となり、1956年に公開された東宝配給作品『白夫人の妖恋』(豊田四郎監督)でデビュー。 その後も多数の作品でバイプレイヤーとして活躍。合計327本の映画に出演。書籍『ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』では、「決定打的な役はないが、常に何らかのかたちで画面に登場してくる不思議な俳優」と評している。 テレビドラマでも『ウルトラセブン』の準レギュラー・ウエノ隊員をはじめ多数の作品に出演。
小島 秀哉(こじま ひでや、1934年〈昭和9年〉3月19日… 小島 秀哉(こじま ひでや、1934年〈昭和9年〉3月19日 - 2012年〈平成24年〉7月17日)は、日本の俳優。本名、小嶋 秀哉(読み同じ)。広島県呉市出身。松竹・関西演劇部所属。桃山学院高等学校卒業。血液型B型。 曾我廼家十吾に弟子入り。 1953年に松竹新喜劇へ入団し、「藤山寛美に次ぐナンバー2」と目された。 1977年に退団後、小沢昭一主宰の芸能座に参加。なお、退団は藤山との不仲が噂されたが、藤山の娘・直美主演の舞台に数多く出演していた(2009年の松竹新喜劇結成60周年記念公演にも出演)。 1978年、『ダイナマイトどんどん』で野球の試合前に「ダイナマイト〜!」と気合を入れる主人公の相棒・留吉役で出演。
佐藤 允(、1934年〈昭和9年〉3月18日 - 2012年… 佐藤 允(、1934年〈昭和9年〉3月18日 - 2012年〈平成24年〉12月6日)は、日本の俳優。身長173 cm、体重71 kg。 佐賀県神埼郡神埼町(現:神埼市)出身。日本大学第三高等学校卒業。息子は映画監督の佐藤闘介。 4歳の頃に父が戦死し、教員の母の手一つで育てられた。なお佐藤の父親は生前、陸軍の久留米連隊に所属しており、後年に役者として軍人を演じる際は幼少期に見た父親の立ち居振る舞いが大いに影響されているとのこと。 高校卒業後、1953年に俳優座養成所に第4期生として入団。同期には宇津井健・佐藤慶・仲代達矢・中谷一郎らがいる。なお、佐藤、仲代、中谷の3人は、後年に岡本喜八の「喜八一家(ファミリー)」の一員と見なされた。
中西 立太(なかにし りった、1934年3月18日 - 20… 中西 立太(なかにし りった、1934年3月18日 - 2009年1月11日)は、日本のイラストレーター。「歴史画」の第一人者といわれている。 長野県上田市生まれ。1952年長野県上田松尾高等学校卒業。 1955年小学館で小さなカットなどの仕事をはじめる。 1962年小学館科学図説シリーズ『人類の誕生』で第8回サンケイ児童出版文化賞受賞。1964年小学館科学図説シリーズ全体で第11回サンケイ児童出版文化賞大賞受賞。
高谷 好一(たかや よしかず、1934年3月18日 - 20… 高谷 好一(たかや よしかず、1934年3月18日 - 2016年3月12日)は、日本の生態学者。京都大学名誉教授、滋賀県立大学名誉教授。専攻は東南アジア地域研究。 滋賀県守山市出身。京都大学理学部を経て、同大学院理学研究科修了。京都大学東南アジア研究センター助手・助教授を経て、1975年より同教授。1995年から2004年まで滋賀県立大学人間文化学部地域文化学科教授。2005年より、聖泉大学総合研究所所長・教授。2013年に瑞宝中綬章受章。 2016年3月12日、滞在先のインド・チャンディーガルのホテルにて81歳で没した。
渡辺 邦彦(わたなべ くにひこ、1934年3月17日 - 2… 渡辺 邦彦(わたなべ くにひこ、1934年3月17日 - 2017年3月28日)は日本の映画監督。京都府京都市出身。
まつい のりこ(松井紀子、1934年3月17日 - 2017… まつい のりこ(松井紀子、1934年3月17日 - 2017年2月12日)は、日本の絵本作家、紙芝居作家。 絵本の代表作は『じゃあじゃあびりびり』、『かずのほん』、『とけいのほん』など。紙芝居では『おおきくおおきくおおきくなあれ』などを発表し、紙芝居の普及に努めた。 1934年3月17日、和歌山県和歌山市生まれ。和歌山大学学芸学部を卒業後、東京で小学校教員(図工)となる。 子育ての中で絵本に関心を持ち、28歳で絵を学ぶべく武蔵野美術大学に入学、卒業。 自分の子供に手作りの絵本を作ったことが、のちに絵本作家に進む出発点となる。絵本作家となる。1976年、『ころころぽーん』でボローニャ世界児童図書展エルバ賞を受賞。
塙 義一(はなわ よしかず、1934年3月16日 - 201… 塙 義一(はなわ よしかず、1934年3月16日 - 2015年12月18日)は、日本の実業家。日産自動車の元社長、元会長、相談役名誉会長。 都立千歳高校を経て、東京大学経済学部卒業。1957年に日産自動車入社。主に、米国を中心に工場開設や販売台数増に尽力。1985年、取締役に就任。以後、1988年常務取締役、1990年専務取締役、1991年代表取締役副社長を経て、1996年に代表取締役社長に就任した。 1990年代、2兆円という膨大な有利子負債を抱え、経営危機的状況に陥っていた日産自動車を立て直すため、提携先を模索する。第一候補としてダイムラークライスラーが上がったが、話はまとまらず、最終的にルノー傘下で救済を受けることを決断した。
宮原 巍(みやはら たかし、1934年3月16日 - 201… 宮原 巍(みやはら たかし、1934年3月16日 - 2019年11月24日)は、日本出身のネパールの実業家、政治家。 長野県小県郡青木村出身。長野県上田高等学校、日本大学理工学部工業化学科、機械工学科(二部)卒業。在学中は山岳部に所属していた。 理研ビニル工業、千代田化工建設に勤務。1958年に南極地域観測隊第4次隊、1962年にヒマラヤ登山隊、1965年にグリーンランド遠征隊(隊長)に参加。1966年、自転車でインドからネパールに入る。同年ネパール政府通商産業省中小企業局に勤務。1968年にトランス・ヒマラヤン・ツアー社(カトマンズ)、1969年にヒマラヤ観光開発株式会社(本社・東京)を設立。
渡辺 泰造(わたなべ たいぞう、1934年3月16日 - )… 渡辺 泰造(わたなべ たいぞう、1934年3月16日 - )は、東京府出身の外交官。駐エジプト大使、駐インドネシア大使、外務省顧問、全日空顧問、青山学院大学教授などを務めた後、2005年日本国際博覧会政府代表。
秋定 嘉和(あきさだ よしかず、1934年3月16日 - 2… 秋定 嘉和(あきさだ よしかず、1934年3月16日 - 2021年8月9日)は、日本の差別問題研究者、池坊短期大学名誉教授。京都部落問題研究資料センター所長。 兵庫県生まれ。立命館大学文学部卒、同大学院修士課程修了、兵庫県立尼崎工業高等学校教諭ののち、京都大学人文科学研究所、同志社大学人文科学研究所で共同研究に参加、のち池坊短期大学教授。大阪人権博物館館長。京都部落問題研究資料センター所長。2021年8月9日死去。享年87歳。
竹山 実(たけやま みのる、1934年3月15日 - 202… 竹山 実(たけやま みのる、1934年3月15日 - 2020年9月24日)は、日本の建築家。竹山実建築綜合研究所所長。イリノイ大学名誉教授。武蔵野美術大学名誉教授。アメリカ建築家協会(AIA)名誉会員。 北海道札幌市出身。フルブライト奨学金で留学したハーバード大学大学院修士課程を修了後、ホセ・ルイ・セルトや、イサム・ノグチの事務所に勤務し、その後、1962年、デンマークに渡る。デンマークでは、ヨーン・ウツソン、アルネ・ヤコブセン、フィン・ユール、ヘニング・ラーセンの事務所に勤務、また、1963年から一年間、教師としてデンマーク王立アカデミー建築科に勤めた。 1964年に帰国し、竹山実建築綜合研究所を設立。
安藤 元雄(あんどう もとお、1934年3月15日 - )は… 安藤 元雄(あんどう もとお、1934年3月15日 - )は、日本の詩人・フランス文学者。明治大学名誉教授。2002年紫綬褒章受章。2022年文化功労者。 東京生まれ。東京都立日比谷高等学校、東京大学文学部仏文科卒業。大学在学中に多田富雄、江藤淳らとともに同人雑誌『Perute』のち『位置』に詩などを寄稿。卒業後の1958年、時事通信社入社。パリ特派員ののち、1965年から國學院大學助教授、1973年から明治大学政経学部助教授、1980年教授、2004年定年退職、名誉教授。2005〜2006年日本現代詩人会会長。 1980年、詩集『水の中の歳月』で高見順賞、1988年『夜の音』で現代詩花椿賞、1999年『めぐりの歌』で萩原朔太郎賞受賞、2002年紫綬褒章受章。
安城 欽寿(あんじょう きんじゅ、1934年3月15日 - … 安城 欽寿(あんじょう きんじゅ、1934年3月15日 - 2024年9月25日)は日本の実業家。京セラ株式会社代表取締役社長を務めた。 新潟県西蒲原郡味方村(現新潟市南区)出身。1954年新潟明訓高等学校を経て、1960年東京経済大学経済学部卒業。京セラで副社長を経て、1986年から創業者稲盛和夫から譲られ代表取締役社長を務めた。副会長、相談役を経て、2007年財団法人京都花鳥館理事長。 2024年9月25日、京都市内の病院で死去。