雲英 末雄(きら すえお、1940年3月28日 - 2008… 雲英 末雄(きら すえお、1940年3月28日 - 2008年10月6日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(早稲田大学・論文博士・1986年)(学位論文『元禄京都俳壇研究』)。早稲田大学名誉教授。 1940年3月、愛知県幡豆郡一色町(現西尾市)生まれ。1964年、早稲田大学文学部国文科卒。1972年、同大学院博士課程退学。同年、窪田空穂賞受賞。 愛知淑徳短期大学専任講師、大阪女子大学助教授を経て、早稲田大学文学部教授、早稲田大学文学学術院教授。1985年芸術選奨文部大臣賞受賞。1986年『元禄京都俳壇研究』で、早稲田大学より文学博士の学位を取得。2008年、急性骨髄性白血病のため、68歳で逝去。
藤井 良清(ふじい よしきよ、1940年3月27日 - )は… 藤井 良清(ふじい よしきよ、1940年3月27日 - )は、日本の経営者。日本ハム社長を務めた。香川県出身。 1962年に同志社大学経済学部を卒業し、同年に日本ハムに入社。1988年11月に取締役に就任し、1996年6月に常務を経て、2002年6月に社長に就任。2007年4月に会長に就任。 2019年春に旭日重光章を受章。
海老原 博幸(えびはら ひろゆき、1940年3月26日 - … 海老原 博幸(えびはら ひろゆき、1940年3月26日 - 1991年4月20日)は、日本の男性元プロボクサー。東京都福生市出身。本名は松田博幸。協栄ボクシングジム所属。元世界フライ級王者。東京都立第五商業高等学校中退。
丸山 剛郎(まるやま たかお、1940年3月26日 - )は… 丸山 剛郎(まるやま たかお、1940年3月26日 - )は、日本の歯学者。サンマルティン大学名誉教授、大阪大学名誉教授、元大阪大学大学院歯学研究科 統合機能口腔科学専攻 顎口腔機能再建学講座 顎口腔咬合学分野(歯科補綴学第一講座)教授。歯科医師。元国際歯科補綴学会会長、元国際歯科審美学会会長、元アジア歯科審美学会会長、元アジア頭蓋顎機能異常学会会長、元日本顎口腔機能学会会長、元日本歯科審美学会会長、日本咬合学会理事長、日本全身咬合学会顧問。
犬島 伸一郎(いぬしま しんいちろう、1940年〈昭和15年… 犬島 伸一郎(いぬしま しんいちろう、1940年〈昭和15年〉3月26日 - )は、日本の経営者。北陸銀行頭取を務めた。 富山県出身。富山県立富山高等学校(70回)を経て、1963年に京都大学経済学部を卒業し、同年に北陸銀行に入行した。1991年6月に取締役に就任し、1994年6月に常務、1996年6月に専務を経て、1998年6月には頭取に就任。2002年6月に特別顧問に就任し、2004年6月には特別参与に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小川 光明(おがわ みつあき、1940年3月26日 - )は… 小川 光明(おがわ みつあき、1940年3月26日 - )は、日本のアナウンサー。日本テレビ放送網(日テレ、NTV)に在職ののち、フリー。血液型はAB型。 中華民国上海市生まれ、兄、姉、弟2人の5人きょうだいの3番目で、父が上海で商店を経営しており、当時の生活は豊かだったが、終戦し状況が一変、翌年の春、家族で母の故郷・佐賀県江北村(現在の江北町)に引き揚げ、親戚の家に身を寄せる。引き揚げ後は耐乏生活だったが、小学5年の時に父が病気のため65歳で急死し、父の知り合いを頼り、家族で東京に東京へ転居(東京都出身)。同級生と野球に熱中し、甲子園を目指して高校野球の強豪・日大三高に行きたかったが、学費の負担を考え、東京都立赤坂高等学校へ進学。
北沢 拓也(きたざわ たくや、1940年3月26日 - 20… 北沢 拓也(きたざわ たくや、1940年3月26日 - 2008年4月5日)は、日本の官能小説家。本名多羅尾 嘉一(たらお よしかず)。 東京に生まれ、中央大学文学部を卒業。出版社や広告代理店に勤めながら、雑誌やスポーツ新聞に官能小説を発表。1986年に初の単行本『人妻の金曜日』を刊行。以来、人妻・熟女ものを中心に生涯にわたり500冊以上に及ぶ官能小説を刊行した。 2008年4月5日、十二指腸癌のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
古川 利彦(ふるかわ としひこ、1940年(昭和15年)3月… 古川 利彦(ふるかわ としひこ、1940年(昭和15年)3月26日 - 2018年(平成30年)7月6日)は、日本の実業家、ソディック創業者。自ら創業したソディックを一代で放電加工機の世界大手企業に育てあげた。 岡山県倉敷市の出身。東京電機大学電機学校卒業後。1976年(昭和51年)8月株式会社ソディック創業と同時に代表取締役社長に就任。1990年(平成2年)6月株式会社ソディック代表取締役会長に就任。2003年(平成15年)2月株式会社ソディックハイテック取締役会長に就任。2013年(平成25年)3月、母校の東京電機大学から名誉博士の称号を授与される。 2015年(平成27年)4月旭日小綬章を受章。
4代目 笑福亭 円笑(しょうふくてい えんしょう、1940年… 4代目 笑福亭 円笑(しょうふくてい えんしょう、1940年3月26日 - )は、東京都品川区出身、京都市北区在住(2025年現在)の落語家。本名:鈴木 義男。出囃子『駕屋』。 上方落語協会所属であるが、江戸弁による江戸落語を高座にかけている。2025年時点で上方落語協会で最年長の会員である。芸能事務所には所属していない。 小学校の頃から落語に興味を持ち後にアマチュア落語で名をはせる。この頃に同学年の柳家小三治と出会っている。[要出典]攻玉社高等学校を卒業した。 卒業後は、6代目三遊亭圓生への弟子入りを家族から反対される。家出同然で家を出て、アマチュア落語家を続けながら生計を立てるためにサラリーマンや板前などの職に就いていたが、諦めきれず30代半ばで大阪府大阪市に移住する[要出典]。
齋藤 章児(さいとう しょうじ、1940年3月25日 - 2… 齋藤 章児(さいとう しょうじ、1940年3月25日 - 2019年4月4日)は、日本のアマチュア野球指導者・解説者。 中学生の頃から野球を始め、立教高校から立教大学経済学部卒業。社会人野球のヤシカを経て、1967年4月から東京農業大学第二高等学校の教諭になると同時に硬式野球部の監督に就任し、以降27年間で春2回、夏4回、甲子園に出場する。群馬県での高校野球監督就任については、群馬県立桐生高等学校監督であった稲川東一郎への思いがあったと語っている。 2000年から4年間、立教大学野球部監督。2007年に育成功労賞を受賞。 監督から退いた後も野球のシーズンになると地元群馬テレビの高校野球関連番組に出演したり、上毛新聞紙上に観戦コメントを掲載したりなど活動した。
志茂田 景樹(しもだ かげき、1940年〈昭和15年〉3月2… 志茂田 景樹(しもだ かげき、1940年〈昭和15年〉3月25日 - )は、日本の作家(小説家・絵本作家)、タレント。株式会社志茂田景樹事務所代表取締役。日本文芸家クラブ会長。よい子に読み聞かせ隊隊長。日本ペンクラブ会員。芸能プロダクション「ビッグ・ブッキング・エンターテインメント」所属。本名は下田 忠男(しもだ ただお)。 ペンネームの由来は、「茂る田んぼを志す」という気持ちから変名し、また「景樹」は昔、父親の書斎でよく目にしていた本に、江戸時代の国文学者である香川景樹の著作があり、その賑やかな名前が気に入って拝借したという。また、一時期は境 忠雄(さかい ただお)のペンネームを使用していた時期もあった。
坂野 日出一(さかの ひでかず、1940年3月25日 - )… 坂野 日出一(さかの ひでかず、1940年3月25日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手。 赤穂高校から播磨造船所を経て1961年に阪急ブレーブスへ入団。 1963年に国鉄スワローズへ移籍。同年に引退。
竜崎 勝(りゅうざき かつ、1940年(昭和15年)3月25… 竜崎 勝(りゅうざき かつ、1940年(昭和15年)3月25日 - 1984年(昭和59年)12月18日)は、日本の俳優・グルメレポーター。本名および旧芸名は高島 史旭(たかしま ふみあき)。長男は元俳優の高島郷、長女はフリーアナウンサーの高島彩。 東京都世田谷区出身。出生地は高知県高知市で、法政大学経済学部卒業。 法政大学4年在学中、日活ニューフェイス(第5期)に合格。第5期の同期に高橋英樹や中尾彬がいた。 その後、劇団俳優座付属養成所を経て文学座の研究生となる。俳優座養成所には1963年に第15期生として入所しており、同期は夏八木勲、栗原小巻、原田芳雄、前田吟、林隆三、地井武男、高橋長英、秋野太作、浜畑賢吉、赤座美代子、太地喜和子、小野武彦、村井国夫、柴田侊彦、溝口舜亮らがおり、後に「花の15期生」と呼ばれた。
大森 彌(おおもり わたる、1940年3月24日 - 202… 大森 彌(おおもり わたる、1940年3月24日 - 2023年9月18日)は、日本の政治学者(自治体行政学・地方自治論)。東京大学名誉教授。東京都出身。
鈴村 照男(すずむら てるお、1940年3月24日 - )は… 鈴村 照男(すずむら てるお、1940年3月24日 - )は愛知県出身のプロゴルファー。 愛知大学卒業後の1963年9月にプロ入りし、1967年の関西オープンで初優勝を飾る。同年の日本シリーズではシリーズ初登場の学士プロとして出場し、河野高明・橘田規・佐藤精一に次ぐと同時に宮本省三を抑え、杉原輝雄と並んでの4位タイに入った。 1968年の日本プロでは、最終日の午前を69で回って通算5アンダーで首位に立つ。最終18番パー5でバーディーを奪って通算5アンダーでホールアウトしたが、島田幸作に1打及ばず2位に終わった。 1969年の中日クラウンズでは2日目に1、2番と連続バーディ発進の後、10番からも3ホール連続でバーディを奪う。
友枝 昭世(ともえだ あきよ、1940年(昭和15年)3月2… 友枝 昭世(ともえだ あきよ、1940年(昭和15年)3月24日- )は、喜多流能楽師。 友枝喜久夫の長男として東京に生まれる。1946年喜多流十五世宗家喜多実に師事。1947年『鞍馬天狗』花見で初舞台。1950年『西王母』で初シテ。 1978年芸術選奨新人賞受賞。1982年重要無形文化財「能楽」保持者に認定(総合認定)。2000年紫綬褒章受章。2003年日本芸術院賞受賞。2008年能シテ方として重要無形文化財保持者に各個認定(人間国宝)。2011年日本芸術院会員。2020年旭日中綬章受章。 喜多流職分協議会代表。「友枝会」・「友枝昭世の会」主宰。國學院大學文学部卒業。 戦後の能の世界におけるカリスマの一人であった観世寿夫の芸風をもっとも受け継いでいるのが友枝昭世であるとも言われている。
松平 宗紀(まつだいら むねとし、1940年〈昭和15年〉3… 松平 宗紀(まつだいら むねとし、1940年〈昭和15年〉3月23日 - )は、越前松平家(旧福井藩主家)第20代当主。 学習院大学理学部物理学科卒業。学位は理学士(学習院大学)。福井市立郷土歴史博物館名誉館長。社団法人茶道裏千家淡交会福井支部名誉顧問。東京福井県人会会長。 1940年(昭和15年)3月、田安徳川家第10代当主徳川達成の四男として生まれる。旧姓名は徳川 宗紀(とくがわ むねとし)。1946年(昭和21年)、学習院初等科入学。 1963年(昭和38年)、越前松平家第19代当主松平康昌の未亡人である綾子(徳川宗家・徳川家達の二女)の養子となり、1945年(昭和20年)に戦死した康愛(康昌の長男)の長女である智子と婚姻、越前松平家第20代当主となる。
吉池 正博(よしいけ まさひろ、1940年3月23日 - 2… 吉池 正博(よしいけ まさひろ、1940年3月23日 - 2018年7月17日 )は、日本の経営者。太陽生命保険の社長・会長を務めた。 埼玉県浦和市(現在のさいたま市)出身。1963年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、同年に太陽生命保険に入社した。1990年7月に取締役に就任し、1991年4月に常務を経て、1995年7月に社長に就任。2004年4月に会長に就任。 2018年7月17日、肺炎のために死去。78歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
阿知波 信介(あちは しんすけ、1940年3月21日 - 2… 阿知波 信介(あちは しんすけ、1940年3月21日 - 2007年5月4日)は、日本の俳優、芸能プロモーター。本名、阿知波 信雄(あちは のぶお)。元妻は女優の多岐川裕美、娘はタレントの多岐川華子。元娘婿は俳優の仁科克基(俳優の松方弘樹と女優の仁科亜希子の息子)。 島根県益田市出身。島根県立益田高校卒業。明治大学政治経済学部卒業。 俳優活動の後マネージャーへ転身、田中プロモーション副社長、アクターズプロモーション副社長、兼アクターズエージェンシー社長を務めた。 元々は司会者志望で、大学卒業後に同郷である漫談家の徳川夢声に弟子入りを希望したが、徳川の勧めでテレビタレントセンターに所属。この間、美容研究家である竹腰美代子の体操の門下生となり、竹腰のリサイタルに出演する。
横川 紀夫(よこかわ のりお、1940年3月21日 - )は… 横川 紀夫(よこかわ のりお、1940年3月21日 - )は日本の実業家。 すかいらーく創業者の一人であり、現在はヴィア・ホールディングスで代表権の無い会長職を経て代表取締役社長を務めている。 横川家の四男として長野県諏訪市に生まれる。1958年(昭和33年)3月に長野県諏訪清陵高等学校を卒業し、1962年(昭和37年)に兄弟と共に設立した、ことぶき食品有限会社の取締役になる。 1974年(昭和49年)11月にすかいらーく常務取締役に就任、その後、すかいらーく代表取締役副社長、代表取締役会長、最高顧問を歴任。 2002年(平成14年)6月、あかつきビーピー(現・ヴィア・ホールディングス)取締役会長に就任、一時はヴィアホールディングス代表取締役会長を務めていた。
立岡脩二(たつおか しゅうじ、1940年(昭和15年)3月2… 立岡脩二(たつおか しゅうじ、1940年(昭和15年)3月20日 - )は、岡山県邑久郡(現・瀬戸内市)出身の映画プロデューサー、地方政治家。元山陽映画プロデューサー、元岡山県瀬戸内市長。 災い転じて福となす。常にプラス思考。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
室伏 次郎(むろふし じろう、1940年3月20日 - )は… 室伏 次郎(むろふし じろう、1940年3月20日 - )は、日本の建築家。神奈川大学工学部建築学科名誉教授。東京生まれ。
中留武昭(なかどめ たけあき、1940年3月19日 - )は… 中留武昭(なかどめ たけあき、1940年3月19日 - )は、日本の教育行政学者、九州大学・鹿児島県立短期大学名誉教授。学校経営が専門。 横浜市生まれ。旧姓・稲葉。1964年明治学院大学文学部英文科卒、同大学院修士課程修了、1970年青山学院大学大学院文学研究科教育学博士課程満期退学。九州学院大学講師、1978年埼玉工業大学助教授、奈良教育大学助教授、教授、九州大学教育学部教授、人間環境学府研究院教授、1994年「アメリカにおける学校評価に関する研究」で九大教育学博士。2003年定年退官、名誉教授、九州女子短期大学教授、2004年西南女学院大学教授、2006年鹿児島県立短期大学長、名誉教授。元日本教育経営学会会長。
清水 まゆみ(しみず まゆみ、1940年3月19日 - )は… 清水 まゆみ(しみず まゆみ、1940年3月19日 - )は、日本の女優。旧芸名は清水 マリ子、本名は小高 鞠子(おだかまりこ)。 北海道室蘭市出身。室蘭文化学園(現・北斗文化学園)中退。 1950年代後半から1960年代半ばまで日活全盛期に人気となり活躍、芦川いづみ、吉永小百合、浅丘ルリ子らと共に日活を代表する女優の名称である「日活パールライン」と呼ばれた女優の一人。 1957年、日活映画『月下の若武者』製作にあたり津川雅彦の共演者を探すオーディションに受かり、同作でデビュー。高校を2年で中退して上京、清水マリ子の芸名でデビューする。 1958年、石原裕次郎主演『紅の翼』で、清水まゆみに改名。
福永 嫮生(ふくなが こせい(旧姓:愛新覚羅)、1940年(… 福永 嫮生(ふくなが こせい(旧姓:愛新覚羅)、1940年(昭和15年)3月18日 - )は、愛新覚羅溥儀の実弟である溥傑の次女。 1940年(昭和15年)3月、溥傑と嵯峨浩(日本の侯爵家出身)夫婦の次女として、一時的に戻っていた母の出身地・東京の順天堂病院で生まれる。同年6月に父のいる満洲(現在の中華人民共和国東北部)に渡った。 1945年(昭和20年)日本の降伏とともに満洲国は崩壊し、父と母娘は生き別れとなった。嫮生は母とともに1年4か月にわたって国共内戦のなか中国大陸を流転した末、1947年(昭和22年)日本に引き揚げた(詳細は嵯峨浩#流転の日々を参照のこと)。 日本に引き揚げた後は、日吉(神奈川県横浜市港北区)に移っていた母の実家の嵯峨家で育つ。
浅葉 克己(あさば かつみ、1940年3月18日 - )は、… 浅葉 克己(あさば かつみ、1940年3月18日 - )は、アートディレクター。日本グラフィックデザイン協会(JAGDA)五代目会長。東京タイプディレクターズクラブ会長。 広告、タイポグラフィ制作の第一人者。ライトパブリシティ出身。卓球六段。 神奈川県横浜市金沢文庫に生まれる。神奈川県立神奈川工業高等学校図案科を卒業後、友人の父親の紹介で 伊勢佐木町の松喜屋百貨店(後のピアゴイセザキ店)宣伝部に入り広告制作や内装に携わる。そこでの先輩の紹介で5年ほど佐藤敬之輔タイポグラフィ研究所において文字設計を学ぶ。1年勤めた後、桑沢デザイン研究所リビングデザイン科基礎コースに入る。 1964年ライトパブリシティに入社、東レ、キユーピーマヨネーズなどの仕事で注目を集める。
清水 榮三(しみず えいぞう、1940年(昭和15年)3月1… 清水 榮三(しみず えいぞう、1940年(昭和15年)3月18日 - )は、群馬県前橋市在住の日本画家。退職までは群馬県前橋市にあったフランスパンで働く傍ら日本画を描き続ける。他にも前橋市盆栽会会長も務める。 1940年(昭和15年)、群馬県前橋市に生まれる。1962年(昭和37年)、日本画の絵画館や思想にひかれ、日本画家、日本画府(日府展)審査員京都出身成田一方に師事す。1963年(昭和38年)、群馬県美術家連盟展で初出品し初入選。その後、1964年(昭和39年)、群馬県美術家連盟展に出品しY氏賞を受賞。1965年(昭和40年)、群馬県美術家連盟展に出品、東京新聞者賞を受賞。同年、日本画府、日府展に初出品し初入選。
梶田 功(かじた いさお、1940年(昭和15年)3月17日… 梶田 功(かじた いさお、1940年(昭和15年)3月17日 - )は、日本の政治家。元大阪府箕面市長(1期)、B&G財団元会長。 大阪府出身。大阪府立園芸高等学校卒。箕面市役所に入り、職員課長、市民生活、生涯教育推進、総務の各部長、消防長、助役などを務める。 2000年箕面市長橋本卓が病気を理由に辞職。これに伴う市長選挙に立候補し、当選する。市長を1期務め、2004年の市長選挙では再選を目指したが、元箕面市議の藤沢純一に敗れた。2004年より2017年までブルーシー・アンド・グリーンランド財団会長。 2010年、旭日双光章を受章。
小林 辰興(こばやし たつおき、1940年3月17日 - 2… 小林 辰興(こばやし たつおき、1940年3月17日 - 2023年5月2日)は、日本の実業家。(株)栃木銀行相談役会長。前取締役会長。元頭取。公益社団法人栃木県経済同友会筆頭代表理事。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
郷田 勇三(ごうだ ゆうぞう、1940年(昭和15年)3月1… 郷田 勇三(ごうだ ゆうぞう、1940年(昭和15年)3月17日 - )は、日本の空手家で、極真会館(松井派)最高顧問である。東京都出身。極真空手九段。 東京都豊島区雑司が谷生まれ。高校時代に「牛と戦う空手家の大山倍達」の噂を耳にするも、道場移転の関係で入門できず、高校卒業直後の1959年(昭和34年)4月、大山道場へ入門した。ボクシングか空手かで迷った結果、月謝の安かった大山空手を選択したという。これが空手家として生きていく運命のきっかけとなる。 入門後は大山以下、石橋雅史・安田英治・黒崎健時らの指導を受けながら修行し、黒帯を取得をする。一時空手から離れるが、芦原英幸に中村忠の渡米の見送りに誘われ、羽田空港で大山と再会、これが縁で道場に復帰する。
大久保 尚武(おおくぼ なおたけ、1940年3月16日 - … 大久保 尚武(おおくぼ なおたけ、1940年3月16日 - )は、積水化学工業相談役・元社長・会長。北海道出身。 北海道札幌南高等学校10期生。東京大学法学部卒業後、1962年同社に入社。1989年取締役、1993年常務取締役、1997年専務取締役、1999年1月に副社長、同年6月から代表取締役社長。2009年より代表取締役会長を経て、2017年現在・現職。 1960年ローマ五輪ボート競技、舵手付きフォア(4+)に出場した経歴を持ち(敗者復活戦敗退)、現在、公益社団法人日本ローイング協会(旧名:日本ボート協会)の会長を務める。 2021年4月の春の叙勲で旭日重光章受章。
佐々木 克已(ささき かつみ、1940年3月16日 - )は… 佐々木 克已(ささき かつみ、1940年3月16日 - )は、日本の地方公務員。東京都出納長や、東京都住宅供給公社理事長、首都高速道路代表取締役社長などを歴任した。 1963年中央大学法学部卒業、東京都庁入庁。1987年東京都企画審議室調整部庶務課長。1993年東京都企画審議室調整部長。1994年東京都清掃局理事。1995年東京都企画審議室長。1996年東京都政策報道室長。1999年東京都出納長。2001年東京都地下鉄建設株式会社代表取締役社長。2002年東京都住宅供給公社理事長。2003年首都高速道路公団副理事長。2005年首都高速道路株式会社専務取締役。2006年東京都人事委員会委員。2008年首都高速道路株式会社代表取締役社長・最高執行責任者。
星野 克美(ほしの かつみ、1940年3月15日 - )は、… 星野 克美(ほしの かつみ、1940年3月15日 - )は、多摩大学名誉教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
原 好男(はら よしお、1940年3月14日 - )は、フラ… 原 好男(はら よしお、1940年3月14日 - )は、フランス文学者、立教大学名誉教授。18世紀フランス文学・思想が専門。 東京都生まれ。1958年に大分県立日田高等学校を卒業後、電気通信大学に入学するも退学し、1960年に東京大学文科2類に入学し、1964年に東京大学を卒業。1971年同大学院人文科学研究科仏文科博士課程単位取得退学、立教大学助教授、教授、2006年定年退職。
松野 孝一郎(まつの こういちろう、英: Koichiro … 松野 孝一郎(まつの こういちろう、英: Koichiro Matsuno、1940年3月14日 - 、ニックネームは"江夏")は、長岡技術科学大学名誉教授。観測理論である内部観測の発見者である。 北海道出身。東京大学工学部卒。日本電気中央研究所、東洋大学工学部助教授、長岡技術科学大学助教授、教授。2005年定年退官、名誉教授。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
村井 祐児(むらい ゆうじ、1940年3月13日 - 202… 村井 祐児(むらい ゆうじ、1940年3月13日 - 2025年4月7日)は、日本のクラリネット奏者。東京芸術大学名誉教授。日本音楽コンクール運営委員。 東京都出身。北海道札幌西高等学校から東京都立駒場高等学校を経て、1963年に東京芸術大学器楽科を卒業。三島勝輔、北爪利世に師事。 その後、東京交響楽団に入団。在団中に日独交換学生として、ドイツのデトモルト北西ドイツ音楽アカデミー(現デトモルト音楽大学)に留学。クラリネットをヨースト・ミハエルス、室内楽をヘルムート・ヴィンシャーマンに師事。1972年、同校にてソリスト試験を修める。日本ではヒンデミットのクラリネット協奏曲を東響定期にて日本初演している。
鳥越 俊太郎(とりごえ しゅんたろう、1940年〈昭和15年… 鳥越 俊太郎(とりごえ しゅんたろう、1940年〈昭和15年〉3月13日 - )は、日本のジャーナリスト。辺野古基金共同代表。 鳥越製粉の創業者・鳥越彦三郎の曾孫で、歌手の鳥越さやかは次女。 1940年、福岡県浮羽郡吉井町(現:うきは市)出身。父親は俊雄といい、その俊の一字をとって俊太郎という名前がついた。父親は大学を卒業して企業に入り、現場で様々ないじめにあい神経症を発症、俊太郎が生まれたときは九州大学の精神科の病棟に入院していた。 1946年、小学校へ入学し、戦後教育の第一期生となる。久留米大学附設高等学校を経て、1965年、京都大学文学部(国史学専攻)を学生運動にのめり込んだため、二年留年した後に卒業。
丸目 敏栄(まるめ としひで、1940年3月12日 - 19… 丸目 敏栄(まるめ としひで、1940年3月12日 - 1980年8月4日)は、日本中央競馬会に所属した騎手、調教師。鹿児島県大口市生まれ。 橋本輝雄厩舎に所属し、1959年3月8日に騎手としてのデビューを迎え、3着。3か月後の6月14日に初勝利を挙げた。デビュー初年度からエドヒメで目黒記念に優勝して重賞勝利を挙げると、2年目には36勝を挙げて全国リーディングで10位に付けるなど、早くから関東若手有力騎手の一人として高く評価されていた。1964年には内臓疾患により長期離脱を余儀なくされたが、復帰後も順調に勝ち星を積み重ねる。1969年には「上がり馬」として知られるアカネテンリュウに騎乗して菊花賞に優勝し、八大競走を初制覇。
渡辺 勝治(わたなべ かつじ、1940年(昭和15年)3月1… 渡辺 勝治(わたなべ かつじ、1940年(昭和15年)3月11日 - 2021年(令和3年)2月7日)は、日本のボクサー。 福島県福島市出身。中央大学在学中に、1960年ローマオリンピックに男子ライトウェルター級で出場し、2回戦敗退した 。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
大空 眞弓(おおぞら まゆみ、本名;中田 佐智子、1940年… 大空 眞弓(おおぞら まゆみ、本名;中田 佐智子、1940年3月10日 - )は、日本の女優。オフィスのいり所属。 東京市赤坂区(現在の東京都港区)生まれ。父親は沖縄県宮古島、母親は広島県の出身。目黒、深川に転居後、1歳半の時、父親が貿易会社に就職したため中国北京に一家で渡る。終戦間際に帰国し母親の郷里・広島に住む。1945年、5歳の夏、同県佐伯郡五日市町(現在の広島市佐伯区)で原爆に遭遇。爆心地が遠かったため、その時は誰も症状は出なかったが、姉は20代後半に胃ガンで亡くなっている。終戦後、父親が大分県別府市で家具の製造会社を始めたため転居、その後父親が北京時代の人脈を活かし東京で貿易会社を興したため小学校2年の時、一家で東京に戻り九段に落ち着く。
足立 光宏(あだち みつひろ、1940年3月10日 - )は… 足立 光宏(あだち みつひろ、1940年3月10日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。現在は関西学院大学硬式野球部投手コーチ。
羽田 節子(はねだ せつこ、1940年3月9日 - )は、日… 羽田 節子(はねだ せつこ、1940年3月9日 - )は、日本の翻訳家、動物学者。昆虫生理学専攻。 東京生まれ。1963年東京農工大学農学部卒業。生物学関係の翻訳執筆にたずさわる。日高敏隆に師事し、共訳が多い。1995年『キャプテン・クックの動物たち』で吉村証子記念日本科学読物賞受賞。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
西沢 信孝(西澤、にしざわ のぶたか、1940年3月8日 -… 西沢 信孝(西澤、にしざわ のぶたか、1940年3月8日 - 2015年3月4日)は、日本のアニメーション監督、アニメプロデューサー。 代表作にテレビアニメ『銀河鉄道999』、『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』、『SLAM DUNK』など。 熊本県出身。日本大学芸術学部映画学科在学中は、東京放送(TBS)でラジオの仕事のアルバイトをし、卒業後は新聞社に入社、2430!名義で競馬の予想記者をする、もすぐに退社。1964年、東映動画(現東映アニメーション)の助監督の募集に応募して入社。同期は、白川大作に師事し、翌1965年『ハッスルパンチ』の4話で演出デビュー。1974年に『マジンガーZ対暗黒大将軍』で初の劇場作品の監督を手がける。
上條 恒彦(かみじょう つねひこ、1940年〈昭和15年〉3… 上條 恒彦(かみじょう つねひこ、1940年〈昭和15年〉3月7日 - 2025年〈令和7年〉7月22日)は、日本の歌手、俳優、声優。長野県東筑摩郡朝日村出身。生前はケイセブン中村屋に所属していた。ひげと眼鏡の風貌で親しまれた。 長野県東筑摩郡朝日村の農家の出身。朝日村立朝日中学校(現:松本市山形村朝日村中学校組合立鉢盛中学校)を経て、長野県松本県ヶ丘高等学校を卒業後、1958年4月に上京。 大森の雑貨品問屋の住み込み店員を手始めに、新聞配達、サンドイッチマン、新宿のうたごえ喫茶「灯」で週6日、1日に50曲以上を歌ってバリトンの歌声を鍛えるなど、約15種類の職業を経験する。1964年3月、初めて労音で勤務し、のちに歌手としてデビューするきっかけとなる。
佐藤 勝彦(さとう かつひこ、1940年3月7日 - 201… 佐藤 勝彦(さとう かつひこ、1940年3月7日 - 2017年3月13日)は、日本の画家・書家・陶芸家。 旧関東州大連生まれ。奈良県在住していた。 画壇に属さない画家として、独特の仏教観に根ざした豪放な書画を描き続けている。富士山と仏像を好むほか、朱色を多用し紙に余白を残さない点が特徴。作品を手がけるだけでなく、陶磁器や骨董品の蒐集家としても知られている。 7歳で生家の岡山県賀陽町(現・吉備中央町)に引き揚げたのち岡山県立高梁高等学校を経て、1958年、鳥取大学学芸学部入学。1960年、重度の結核で入院するが快癒。以来プラス思考に転じる。 1963年、帝塚山学園小学部で教師となるも、1968年、中川一政の作品展に影響を受け創作活動を開始。
葉 祥栄(よう しょうえい、1940年3月7日 - )は、日… 葉 祥栄(よう しょうえい、1940年3月7日 - )は、日本の建築家。熊本県熊本市出身。本名、葉村祥栄。絵本作家の葉祥明、写真家の葉山祥鼎は実弟。イラストレーターの葉山賢英は甥。
桐谷 滋(きりたに しげる、1940年3月7日 - )は、日… 桐谷 滋(きりたに しげる、1940年3月7日 - )は、日本の言語学者。専門は心理言語学・音声言語科学。
小林 秀資(こばやし ひですけ、1940年3月7日 - 20… 小林 秀資(こばやし ひですけ、1940年3月7日 - 2020年1月9日)は、元厚生省の官僚。元財団法人長寿科学振興財団理事長。名古屋大学医学部卒業。愛知県名古屋市出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
上村 一夫(かみむら かずお、1940年〈昭和15年〉3月7… 上村 一夫(かみむら かずお、1940年〈昭和15年〉3月7日 - 1986年〈昭和61年〉1月11日)は、日本の漫画家・イラストレーター・エッセイスト。 大正の浮世絵師と呼ばれた竹久夢二を連想させる女性像と独特の劇画タッチの画風を確立し、その作風から「昭和の絵師」とも呼ばれた。『ヤングコミック』、『週刊プレイボーイ』、『漫画アクション』、『ビッグコミック』等の雑誌を舞台に多くの連載を手がけ、最盛期には月産400枚という驚異的な執筆量をこなした。『修羅雪姫』、『同棲時代』、『しなの川』、『悪魔のようなあいつ』、『サチコの幸』など、映像化された作品も多い。 神奈川県横須賀市に生まれる。1964年、武蔵野美術大学デザイン科を卒業。
相川 堅治(あいかわ けんじ、1940年(昭和15年)3月6… 相川 堅治(あいかわ けんじ、1940年(昭和15年)3月6日 - 2024年(令和6年)3月25日)は、日本の政治家。千葉県富里市長(4期)。位階は従四位。旭日中綬章。 千葉県印旛郡富里村(現富里市)に生まれる。成田高等学校卒業。1983年(昭和58年)、富里村議会議員に初当選。 1985年(昭和60年)4月1日、富里村は町制施行。1987年(昭和62年)、富里町議会議員に2期目の当選。5期目の2002年(平成14年)4月1日、富里町は市制施行。この間、議長を7年間務めた。 2003年(平成15年)8月3日に行われた富里市長選挙に初当選。投票率は34.63%。8月25日、市長就任。2015年(平成27年)8月、元市議会議長の杉山治男を破り4選。