加藤 法瑛(かとう ほうえい、1936年〈昭和11年〉1月1… 加藤 法瑛(かとう ほうえい、1936年〈昭和11年〉1月15日 - 2009年〈平成21年〉2月8日)は、日本の政治家、真宗大谷派の僧。自由民主党所属。大阪府議会議員、大阪府議会議長 (87代)を歴任。旭日中綬章受章。位階は正五位。 1958年、大谷大学卒業。のちに大阪府茨木市の慈光寺の住職となる。 1991年4月、大阪府議会議員選挙茨木市選挙区 (定数3) で1位で当選。同年5月から1年間、藤井昭三副議長とともに第87代大阪府議会議長を務めた。 1995年4月、大阪府議会議員選挙茨木市選挙区 (定数3) で1位当選し、1999年4月大阪府議会議員選挙 茨木市選挙区 (定数3) で2位当選、2007年12月大阪府選挙管理委員会委員に選挙された。
飯田 隆昭(いいだ たかあき、1936年1月15日 - 20… 飯田 隆昭(いいだ たかあき、1936年1月15日 - 2019年5月12日)は、日本の英文学者、翻訳家。専門はアメリカ文学、特に20世紀の詩。三重大学名誉教授、大東文化大学名誉教授。 東京生まれ。早稲田大学大学院修士課程修了。三重大学助教授、教授をへて、2001年定年、名誉教授、大東文化大学教授となり、2006年定年退任、名誉教授。 米国20世紀の詩が専門。ウィリアム・S・バロウズ、フィリップ・K・ディックなど、前衛的な文学及びSFの翻訳もした。山形浩生は飯田の翻訳を批判して、飯田訳作品の改訳を行っている。 2019年5月12日、肺がんのため東京都中野区の病院で死去。83歳没。
毒島 章一(ぶすじま しょういち、1936年〈昭和11年〉1… 毒島 章一(ぶすじま しょういち、1936年〈昭和11年〉1月14日 - 2023年〈令和5年〉5月14日)は、群馬県桐生市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ、解説者。戸籍上の登録は「毒嶌」。 「ミスターフライヤーズ」と称された。 桐生高校では1951年夏の甲子園に控え投手として出場するが、1回戦で西山和良のいた県和歌山商に敗退。2年上のチームメートに一塁手の中静唯八(西鉄)がいた。 1953年夏の甲子園予選では北関東大会1回戦に進むが、宇都宮商に日没コールド負け。高校ではノーヒットノーランを達成したこともあるが、肘を痛めてしまう。また左打者になったのも高校時代である。 1954年に東映フライヤーズへ入団。
大塚 榮子(おおつか えいこ、1936年〈昭和11年〉1月1… 大塚 榮子(おおつか えいこ、1936年〈昭和11年〉1月13日 - )は、日本の薬学者、遺伝子学者。核酸の化学合成技術を用いて、がん遺伝子の全合成やヒト成長ホルモンの遺伝子による合成を達成し、核酸ならびにタンパク質の構造や機能を解明した。また、RNAの化学合成技術の開発と機能の解明、RNAの配列特異的な切断技術の開発も行い、現在の核酸医薬の基礎を作った。 1936年(昭和11年)、北海道札幌市生まれ。中高一貫のミッションスクール・北星学園女子中学高等学校に学ぶ。高校時代に盲腸をこじらせて入院した際に、病院で楽しそうに働く人の姿に興味を持つ。1954年(昭和29年)北海道大学に進学し、大学2年生の10月に新設の医学部薬学科(現・薬学部)へ進学。
石田 雅亮(いしだ まさあき、1936年1月13日 - )は… 石田 雅亮(いしだ まさあき、1936年1月13日 - )は、東京都出身のプロ野球選手。ポジションは一塁手。 明治高校では、四番打者、一塁手として活躍。1952年秋季東京大会では4高校による決勝リーグに進むが、榎本喜八らのいた早稲田実に敗れ春の選抜出場を逸する。翌1953年夏の甲子園都予選でも決勝に進出、桑田武のいた荏原高に延長11回サヨナラ勝ち、夏の甲子園に出場を決める。大会では準々決勝に進み、後にプロで同僚となる阿井利治らのいた静岡商に辛勝。しかし準決勝で松山商の空谷泰に完封を喫した。 1954年に国鉄スワローズへ入団。2年目の1955年には開幕から六番打者、一塁手として起用され、120試合に出場。
山口 甚郎(やまぐち じんろう、1936年〈昭和11年〉1月… 山口 甚郎(やまぐち じんろう、1936年〈昭和11年〉1月13日 - )は、日本の建設技官。関東地方建設局長、国土地理院長を務めた。 1959年京都大学工学部土木工学科卒業、同年建設省入省。1988年12月関東地方建設局長、1990年4月国土地理院長。2003年度から2004年度までダム工学会会長を務めた。
掛川 恭子(かけがわ やすこ、1936年1月13日 - 20… 掛川 恭子(かけがわ やすこ、1936年1月13日 - 2020年代〈2023年以前〉)は、日本の翻訳家。 東京府(現・東京都)生まれ。津田塾大学英文学科に入学し、在学中に乙骨淑子、奥田継夫、山下明生、八木田宜子らと同人誌「こだま」に参加。大学卒業後、カナダのアルバータ大学に学ぶ。主に英米の児童文学・絵本の翻訳にたずさわり、キャサリン・M・ペイトンの「フランバーズ屋敷の人びと」で大人の間でも評判になる。ついでL・M・モンゴメリの「赤毛のアン」シリーズ10冊を完訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
牧野 良二(まきの りょうじ、1936年1月13日 - 20… 牧野 良二(まきの りょうじ、1936年1月13日 - 2003年11月12日)は日本の作曲家、中等教育教員。 指揮者の牧野誠は長男。 富山市出身。富山大学教育学部で黒坂富治、小澤慎一郎らに師事する。 大学在学中の1958年(昭和33年)、第13回国民体育大会開催を記念して富山県が公募した「富山県民の歌」の作曲部門で入選する。卒業後は富山市立南部中学校、芝園中学校で音楽教諭を務めた。定年退職後、校内に吹奏楽部の無い市内小規模校の生徒により編成される「富山ジュニア吹奏楽団」を創設して自ら団長に就任したのを始め、合唱団の指導に当たるなど精力的に活動していた。 2003年(平成15年)6月、膵臓癌のため入院し同年11月12日に逝去。
加藤 僖一(かとう きいち、1936年1月13日 - )は、… 加藤 僖一(かとう きいち、1936年1月13日 - )は、書の研究者、良寛研究者、新潟大学名誉教授。 東京市(現江戸川区)生まれ。1959年新潟大学教育学部書道科卒。京都大学文学部哲学科研修員、新潟大学教育学部講師、助教授、教授、2001年定年退官、名誉教授。良寛研究所所長、全国良寛会副会長、北京大学良寛研究会名誉会長、正筆会参事、読売書法会幹事。写真家でもある。2015年11月瑞宝中綬章受章。
宮川 智雄(みやかわ としお、1936年1月12日 - )は… 宮川 智雄(みやかわ としお、1936年1月12日 - )は日本の実業家。元博報堂、博報堂DYホールディングス代表取締役社長・代表取締役会長。 東京都出身。1957年に早稲田大学法学部を卒業し、博報堂に入社。同社では主に営業部門を歩み、1999年東海林隆社長の指名を受け、社長に就任。2003年に株式移転により博報堂、大広、読売広告社が経営統合して設立された持株会社の博報堂DYホールディングス社長に就任。2006年からは同社会長を務め、2009年に取締役相談役に就任。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
白根 一男(しらね かずお、本名: 小池 正一、1936年〈… 白根 一男(しらね かずお、本名: 小池 正一、1936年〈昭和11年〉1月12日または1937年〈昭和12年〉1月11日 - 2025年〈令和7年〉10月10日)は、日本の演歌歌手である。 栃木県栃木市皆川町生まれ。高校在学中の1952年(昭和27年)にテイチクレコード第1回新人コンテストに出場し、優勝。 翌1953年(昭和28年)にテイチクから「夜霧の酒場」でデビュー。1955年(昭和30年)には、市川雷蔵主演の大映映画 『次男坊鴉』の主題歌「次男坊鴉」が大ヒットし一躍スターダムに。 1957年(昭和32年)には第8回NHK紅白歌合戦に出場、ヒット曲「面影いずこ」を歌唱。1959年(昭和34年)には創設間も無い東芝レコードへ看板歌手の一人として引き抜かれる形で移籍。
渡辺 正(わたなべ まさし、1936年1月11日 - 199… 渡辺 正(わたなべ まさし、1936年1月11日 - 1995年12月7日)は、広島県広島市大手町(現・中区)出身の元サッカー選手(FW)・コーチ・監督。サッカー日本代表選手として出場したメキシコオリンピックでは、この大会から初めて怪我などの理由を伴わない選手交代が認められた為、スーパーサブ役を担い、銅メダル獲得に貢献。 実家は爆心地にあった日蓮宗本経寺で、原爆で寺に残った父を失うが、自身は集団疎開で難を逃れた。終戦後は原爆で焼け野原になった町で、壊れた墓石運びの手伝いをさせられ、これが足腰の鍛錬になった。広島市立千田小学校・広島市立国泰寺中学校を経て、崇徳高校へ進学したが、同校にサッカー部が無かったため、1年の2学期に編入試験を受けて基町高校へ転入学。
大石 正彦(おおいし まさひこ、1936年1月11日 - )… 大石 正彦(おおいし まさひこ、1936年1月11日 - )は、山梨県甲府市出身の元プロ野球選手(投手)右投げ右打ち。1960年大洋V1戦士の一人。
若美山 三雄(わかみやま みつお、1936年1月11日 -没… 若美山 三雄(わかみやま みつお、1936年1月11日 -没年不明 )は、花籠部屋に所属した元力士。名は土井 三雄(つちい みつお)。北海道紋別郡丸瀬布町(現在の北海道紋別郡遠軽町)出身。身長173cm、体重86kg。最高位は東十両15枚目。得意技は左四つ、上手投げ。 1954年9月場所に初土俵。幕下までは順調に出世したが、幕下では長い間上位に進出できずに苦戦していた。しかし、1960年9月場所に7戦全勝で幕下優勝を果たし、翌11月場所に十両に昇進した。新十両の場所は6勝9敗と負け越し、1場所で幕下に陥落した。十両を3場所務めたが勝ち越したのは1961年3月場所の1場所だけであった。十両から陥落した後も幕下上位で相撲を取っていたが、1962年1月場所限りで26歳で廃業した。
愛宕山 武司(あたごやま たけし、1936年1月11日 - … 愛宕山 武司(あたごやま たけし、1936年1月11日 - 2000年5月5日)は、愛媛県八幡浜市幸町出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は大澤 慶吉(おおさわ よしきち)。最高位は西前頭3枚目(1959年11月場所)。身長177cm、体重117kg。得意手は左四つ、突っ張り、寄り。 愛宕中学校を卒業後、前ノ山の口利きで高砂部屋へ入門し、1951年5月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵組には、後の前頭・起雲山らがいる。 初土俵の場所では番付外と新序で続けて好成績を収めたため、翌場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。 なお、当初の四股名は、本名でもある「大澤」。その後、1952年5月場所より、故郷・八幡浜市にある山に因んだ「愛宕山」へ改名した。
黒木 登志夫(くろき としお、1936年1月10日 - 20… 黒木 登志夫(くろき としお、1936年1月10日 - 2025年8月28日)は、日本の医師・医学者。医学博士(1966年)。東京大学名誉教授、岐阜大学名誉教授。 東京生まれ。1960年東北大学医学部卒。1966年医学博士。東北大学抗酸菌病研究所助手、1961年東北大学医学部助教授、1971年東京大学医科学研究所助教授、教授。1996年定年退官、名誉教授、昭和大学教授。2001-2008年岐阜大学学長、同名誉教授。2000年日本癌学会会長。2008年日本学術振興会学術システム研究センター副所長(2012年−同相談役、2016年−同顧問)。専門は、がん細胞・発がん。 2025年8月28日、虚血性心不全のため川崎市の自宅で死去。
佐藤 晟也(さとう せいや、1936年1月10日- 2018… 佐藤 晟也(さとう せいや、1936年1月10日- 2018年12月21日 )は、日本の俳優。本名同じ。 東京都出身。東洋大学経済学部卒業。東映俳優センターに所属していた。 大学卒業後、東映撮影所に入る。 趣味はゴルフ、麻雀、旅行。特技はアクション、歌。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
帆足 隆(ほあし たかし、1936年1月10日 - )は、日… 帆足 隆(ほあし たかし、1936年1月10日 - )は、日本の経営者。カネボウ社長を務めた。大分県出身。 1961年に松山商科大学商経済学部経営学科を卒業し、同年にカネボウ化粧品販売に入社。1992年6月に鐘紡取締役に就任し、1994年6月に常務、1996年6月に専務を経て、1998年4月には社長に就任。1999年5月には会長も兼任し、2004年3月までに務めた。
大野 晃(おおの あきら、1936年1月10日 - )は、日… 大野 晃(おおの あきら、1936年1月10日 - )は、日本の実業家。森永乳業名誉会長。元日本乳業協会会長、初代日本オリエンテーリング協会会長。 北海道生まれ。1958年立教大学卒業、東京食品株式会社入社。1972年東和製機株式会社常務取締役。1973年東和製機株式会社代表取締役専務。1977年エムケーチーズ株式会社代表取締役専務。1979年森永乳業株式会社常務取締役。1981年森永乳業株式会社専務取締役。1982年森永乳業株式会社取締役副社長。1984年ゼリア新薬工業取締役。1985年森永乳業株式会社代表取締役社長。1990年には日本オリエンテーリング協会の会長に就任し、2001年5月まで務める。
松田 昌士(まつだ まさたけ、1936年1月9日 - 202… 松田 昌士(まつだ まさたけ、1936年1月9日 - 2020年5月19日)は日本の実業家、会社経営者。従三位。東日本旅客鉄道(JR東日本)社長、同社会長を歴任。北海道北見市出身。 井手正敬、葛西敬之と共に「国鉄改革3人組」と称され、日本国有鉄道(国鉄)の分割民営化に尽力した。北海道大学名誉博士。 「国鉄改革3人組」の筆頭として、国鉄分割民営化に尽力した。民営化後は、JR東日本の社長・会長として経営を掌握。 また、道路関係四公団民営化に委員として参画する等、当時の内閣総理大臣・小泉純一郎が主導した聖域なき構造改革路線において、民営化の代表的な成功例の立役者の一人とされた。 2008年、日本経済新聞『私の履歴書』に寄稿し、国鉄民営化の経緯を赤裸々に語っている。
若林 奮(わかばやし いさむ、1936年1月9日 - 200… 若林 奮(わかばやし いさむ、1936年1月9日 - 2003年10月10日)は、日本の彫刻家。 東京都町田市出身。東京都立立川高等学校、東京芸術大学美術学部彫刻学科卒業。 鉄、銅、鉛などの金属素材を用いて自然をモチーフとした彫刻を制作した。1980年、1986年のベネチア・ビエンナーレに出品。武蔵野美術大学、多摩美術大学教授を歴任した。詩人の吉増剛造や河野道代と共同制作を試みている。また700点の銅版画作品も制作しており、吉増剛造は没後に銅板を譲り受けてオブジェ作品を制作している。
高津 住男(たかつ すみお、1936年1月9日 - 2010… 高津 住男(たかつ すみお、1936年1月9日 - 2010年7月31日)は、日本の俳優。
永沢 まこと(ながさわ まこと、1936年1月9日 - )は… 永沢 まこと(ながさわ まこと、1936年1月9日 - )は、日本のイラストレーターで元アニメーター。本名、永沢詢(読みは同じ)。東京都足立区出身。スケッチを題材にした著書や講演などを中心に活躍する。妻は作家の宮本美智子。
日野 正晴(ひの まさはる、1936年1月9日 - )は、日… 日野 正晴(ひの まさはる、1936年1月9日 - )は、日本の法律家、法学者。初代金融庁長官、初代法務省検察官・公証人特別任用等審査会会長。専門は刑事法、金融法。 宮城県仙台市で生まれる。1959年に東北大学法学部卒業後、同年に司法修習生となり、1961年に大阪地方検察庁検事に任官する。1978年に法務省入国管理局審判課長、1980年に東京地方検察庁総務部副部長、翌年に公判部副部長となる。 1981年5月に国際連合アジア極東犯罪防止研修所次長、1984年には同所長を務める。1986年に法務省大臣官房審議官(刑事局担当)を経て、1988年に最高検察庁(刑事部)検事、翌年に盛岡地方検察庁検事正、1990年に最高検察庁(公安部)検事を務め、1993年に最高検察庁公安部長を歴任した。
大森 暁美(おおもり あけみ、1936年〈昭和11年〉1月8… 大森 暁美(おおもり あけみ、1936年〈昭和11年〉1月8日 - )は、日本の女優である。本名:椎名 暁美。宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身。身長160cm、血液型はB型。特技はジャズダンス。東京理科大学名誉教授の大森英樹は実弟。作家の大森黎は実姉。 短大生だった19歳の時にスカウトされて日活に入社する。 テレビドラマ初出演は1957年である。 翌年から始まった『バス通り裏』にレギュラー陣の1人として出演する(十朱幸代や岩下志麻らを世に出した人気ドラマだった)。番組が終了すると活動の中心を舞台へ移し、子ども向けミュージカルで歌って踊り、1年に200本もの舞台をこなしていたという。 私生活では28歳で結婚、30代半ばで劇団を辞めて一時休業(子供はいない)。
浜田 宏一(はまだ こういち、1936年〈昭和11年〉1月8… 浜田 宏一(はまだ こういち、1936年〈昭和11年〉1月8日 - )は、日本の経済学者。専攻は、国際金融論・ゲーム理論。国際金融に対するゲーム理論の応用で世界的な業績があり、東京大学名誉教授、イェール大学名誉教授。Econometric Society終身フェロー。元内閣官房参与、理論・計量経済学会(現日本経済学会)会長、法と経済学会初代会長、Econometric Society理事、世界貿易機関事務局長助言グループのメンバーを歴任。 バブル崩壊後の失われた10年においては金融政策の失策がその大きな要因とみなし、特に岩田規久男の主張を評価している。日本銀行の金融政策を批判し、リフレーション政策の支持者の一人であり、アベノミクスをトリクルダウン理論であるとして、支持した。
小宮路 敏(こみやじ さとし、1936年(昭和11年)1月8… 小宮路 敏(こみやじ さとし、1936年(昭和11年)1月8日 - 2018年(平成30年)11月14日)は、昭和・平成時代に活動した日本の教育者、作曲家。玉川学園小学部教諭、玉川大学講師(通信教育課程で音楽を担当)。元文部科学省認定小学校音楽教科書編集委員。名前は「こみやじ びん」と音読みで呼ばれることが多かった。 関東州大連市生まれ、内地引き揚げ後は鹿児島県に住む。現在の鹿児島大学教育学部附属中学校から鹿児島県立鶴丸高等学校を経て、鹿児島大学教育学部音楽科で学ぶ。鹿児島大学卒業後、鹿児島県揖宿郡開聞町(現・指宿市)の開聞中学校で音楽教師を4年間勤めた後、玉川学園創設者小原國芳に導かれ、1962年(昭和37年)東京都町田市にある玉川学園に赴任。
仙名 紀(せんな おさむ、1936年1月8日 ‐ 2021年… 仙名 紀(せんな おさむ、1936年1月8日 ‐ 2021年)は、日本の翻訳家。 東京市(現東京都渋谷区)生まれ。上智大学文学部新聞学科卒業。朝日新聞社出版局で雑誌編集などをし、1996年定年退職。新聞社在職中から、上智大学で非常勤講師を務め、また翻訳を手がけていた[リンク切れ]。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
中山 恒(なかやま わたる、1936年1月7日 - ) は、… 中山 恒(なかやま わたる、1936年1月7日 - ) は、日本の機械工学者。元日立製作所技師長、元東京工業大学教授。元メリーランド大学客員教授。元日本伝熱学会会長。 鎌倉市出身。神奈川県立湘南高等学校を経て、1958年防衛大学校機械工学科卒業。航空自衛隊勤務を経て、1961年東京工業大学大学院理工学研究科機械工学専攻修士課程入学、1966年同博士課程修了、工学博士。1966年防衛庁第3研究所を経て、1967年カナダアルバータ大学Postdoctoral Fellow、1968年カナダシャーブルック大学Invited Lecturer。1970年日立製作所機械研究所入社、1990年-1992年同所技師長、1989年–1992年東京工業大学工学部生産機械工学科日立寄付講座教授を兼任後、1996年まで同機械知能システム学科教授。
天野 郁夫(あまの いくお、1936年1月7日 - )は、日… 天野 郁夫(あまの いくお、1936年1月7日 - )は、日本の社会学者・教育学者。専門は教育社会学。東京大学名誉教授。元日本学術会議会員。元日本教育社会学会会長。元日本高等教育学会会長(初代)。2004年から2010年まで神戸大学経営協議会学外委員、2006年から2012年まで一橋大学経営協議会学外委員。横浜国立大学経営協議会委員、京都大学外部評価委員、九州大学外部評価委員等も歴任した。日本の高等教育の構造分析、歴史社会学的分析で知られる。 神奈川県足柄下郡真鶴町の魚屋の父、助産婦の母の下に、5人兄弟の次男として生まれる。1958年一橋大学経済学部卒業後富士通に約1年勤務。1959年同社を退職、高校教師を志し東京大学教育学部3年に編入し清水義弘に師事。
明石 博義(あかし ひろよし、1936年1月7日 - 202… 明石 博義(あかし ひろよし、1936年1月7日 - 2022年9月25日)は、日本の実業家。元西日本鉄道社長・会長。 福岡県北九州市出身。福岡県立小倉高等学校を経て、1953年に慶應義塾大学経済学部を卒業後、西日本鉄道に入社。1987年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1997年から2003年まで社長を務めた。2003年から2008年まで会長を務めた。 その他、福岡交通センター会長、RKB毎日放送取締役なども歴任。 2015年に旭日重光章を受章。 2022年9月25日、大腸がんで死去。86歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
井上 宏(いのうえ ひろし、1936年1月7日 - )は、日… 井上 宏(いのうえ ひろし、1936年1月7日 - )は、日本の社会学者。関西大学名誉教授。日本笑い学会顧問。専門はメディア社会学、コミュニケーション論、笑い学研究。
加藤 義和(かとう よしかず、1936年(昭和11年)1月7… 加藤 義和(かとう よしかず、1936年(昭和11年)1月7日 - 2021年(令和3年)2月5日)は、日本の政治家。実業家。香川県観音寺市長(4期)。加ト吉(現・テーブルマーク)創業者。 香川県三豊郡観音寺町(現・観音寺市)出身。1951年、観音寺町立観音寺中学校(現・観音寺市立観音寺中学校)卒。中学卒業後、魚の行商を始め、1956年、20歳で加ト吉水産を創業し、社長となる。1967年、観音寺市議会議員となり、2期務め、1973年に市議会議長となった。1975年、観音寺市長に当選、1991年までの4期16年務めた。その一方で1974年、加ト吉会長に就任、冷凍食品開発で業績を伸ばした。1994年、居酒屋チェーン店の村さ来を傘下に入れ、社長を兼務。
京谷 昭夫(きょうや あきお、1936年(昭和11年)1月6… 京谷 昭夫(きょうや あきお、1936年(昭和11年)1月6日 - 1996年(平成8年)5月6日)は、日本の農水官僚。水産庁長官、食糧庁長官、農林水産事務次官、日本中央競馬会理事長。青森県出身2人目の事務次官。 青森県八戸市生まれ。八戸市立第二中学校、青森県立八戸高等学校、東京大学法学部を経て1958年に農林省入省。三重県農政課長、農林水産省畜産局長、水産庁長官、食糧庁長官などを経て1992年事務次官に就任。退官後、1995年に日本中央競馬会理事長に就任。在任中には日本中央競馬会としてはじめての女性ジョッキーを誕生させるなどの功績を残した。また、スーパーオトメが厩舎から逃げ出して首都高速道路を走った問題などの収拾に追われた。
関口 末夫(せきぐち すえお、1936年1月6日 - 201… 関口 末夫(せきぐち すえお、1936年1月6日 - 2017年7月25日)は、日本の経済学者。大阪大学社会経済研究所教授・成蹊大学経済学部教授を経て、成蹊大学名誉教授。国際経済学専攻。 長野県諏訪市出身。長野県野沢北高等学校を経て、1959年横浜国立大学経済学部卒。1968年日本経済研究センター研究員。1972年大阪大学助教授、74年日本経済研究センター主任研究員、81年大阪大学社会経済研究所教授、1986年成蹊大学経済学部教授、2001年名誉教授、東京経済大学教授。2006年退任。1972年日経・経済図書文化賞受賞(共著)。
古川 勝(ふるかわ まさる、1936年(昭和11年)1月6日… 古川 勝(ふるかわ まさる、1936年(昭和11年)1月6日 - 1993年(平成5年)11月21日)は、和歌山県橋本町(現・橋本市)出身の水泳(競泳)選手。1956年メルボルンオリンピック200メートル平泳ぎ金メダリスト。独自の潜水泳法を編み出し、同時期に就役したアメリカ海軍の潜水艦になぞらえ「人間ノーチラス」の異名をとった。 1936年ベルリンオリンピック金メダリストの前畑秀子とは同じ町内の出身であった。古川は幼い頃から紀ノ川で水に親しみ、中学3年で全国大会3位、さらに和歌山県立橋本高等学校在学の頃から頭角を現わす。前畑の薦めにより、平泳ぎに専念するようになった。1952年ヘルシンキオリンピックには派遣されなかったが、同じ年に行われた全日本選手権でヘルシンキオリンピック第2位を上回る記録を出した。
原 知佐子(はら ちさこ、本名:実相寺 知佐子(じっそうじ … 原 知佐子(はら ちさこ、本名:実相寺 知佐子(じっそうじ ちさこ)、旧姓名・旧芸名:田原 知佐子(たはら ちさこ)、1936年〈昭和11年〉1月6日 - 2020年〈令和2年〉1月19日)は、日本の女優。夫は実相寺昭雄。現代制作舎所属。 高知県高岡郡高岡町(現在の同県土佐市)出身。高知県立高知追手前高等学校卒業、同志社大学文学部美学美術学科中退。 高岡第一小学校に在学中、教師から「この子は宝塚に入ったらいい」と薦められ、芸能界に憧れる。 高岡中学校を経て、1954年に高等学校を卒業。宝塚歌劇団と松竹歌劇団を受験するが落ちてしまい、「芸能人の多い京都ならばコネで潜り込めるかも」と思い立ち、大学に入学。
花輪 莞爾(はなわ かんじ、1936年1月6日 - 2020… 花輪 莞爾(はなわ かんじ、1936年1月6日 - 2020年5月31日)は、日本のフランス文学者、作家、児童文学者、翻訳家。國學院大學名誉教授。フランス世紀末文学、特にアルチュール・ランボーを研究。 東京生まれ。1960年東京大学仏文科卒。65年同大学院博士課程中退。71年「渋面の祭」「触れられた闇」で二度芥川賞候補、小説集『ガラスの夏』を刊行。明治学院大学助教授、國學院大學文学部教授。2007年定年、名誉教授。レッド・サークル(Red Circle)のメンバー。
浜 慎二(はま しんじ、1936年1月5日 - )は、貸本漫… 浜 慎二(はま しんじ、1936年1月5日 - )は、貸本漫画出身の元・ホラー漫画家。 岡山県出身。 血液型:A型。 代表作品は『SF怪奇入門』、『学校で夜、幽霊が!』、『百年少女』など。 1957年、「杉田臣平」名義で『秘密の花園』にて漫画家デビュー。 間もなくして「浜慎二」のペンネームに改め、『怪談』(貸本)、『少年ブック』、『オール怪談』などへの連載や、ひばり書房、立風書房「レモンコミックス」シリーズなどに多くのホラー漫画作品を残した。なお、1990年代の『週刊漫画サンデー』でも、「杉田臣平」名義で読切作品を残している。 プロ漫画家としての活動と並行し、後期にはアマチュアによるマンガ同人会の作画グループにも参加した。
加賀見 俊夫(かがみ としお、1936年1月5日 - )は、… 加賀見 俊夫(かがみ としお、1936年1月5日 - )は、日本の実業家(株式会社オリエンタルランド代表取締役会長兼CEO)、慶應義塾評議員。千葉県在住
小林 一三(こばやし かずみ、1936年〈昭和11年〉1月4… 小林 一三(こばやし かずみ、1936年〈昭和11年〉1月4日 - )は、日本の政治家。元新潟県新津市長(3期)。 新潟県中蒲原郡新津町出身。1958年、新潟大学農学部卒。卒業後は国家公務員試験に合格し、建設省に入る予定だったが、事情により建設省が新潟県庁へ推薦したため、新潟県庁に入ることになった。土木部砂防課長、上越、新潟の各土木事務所長、土木部都市整備局長などを歴任した。 1991年、新潟県庁を退職し、新津市長選挙に立候補し、当選する。以来3期務める。3期目途中の2000年に新潟県知事選挙に立候補するが落選した。2003年の第43回衆議院議員総選挙において自由民主党から比例北陸信越ブロックで立候補するが落選した。
近藤 徹(こんどう とおる、1936年(昭和11年)1月4日… 近藤 徹(こんどう とおる、1936年(昭和11年)1月4日 - )は、日本の土木工学者、建設技監。土木学会認定特別上級土木技術者(総合)。 1959年(昭和34年)東京大学工学部土木工学科を卒業し、建設省に入省する。河川局長、建設技監等を歴任したのち民間に転じ、水資源開発公団総裁を経て、2004年(平成16年)東北電力常任顧問に就任した。建設省時代は薗原ダム、矢木沢ダム、川治ダム、長良川河口堰などに関与した。 ほか、土木学会にて会長、東北支部幹事長、中国支部長、副会長、定款委員長、論説委員、河川協会会長、応用生態工学会会長などを務めた。
甘利 俊一(あまり しゅんいち、1936年1月3日 - )は… 甘利 俊一(あまり しゅんいち、1936年1月3日 - )は、日本の工学者(数理工学)、神経科学者。勲等は文化勲章。学位は工学博士(東京大学、1963年)。東京大学名誉教授、国立研究開発法人理化学研究所栄誉研究員、帝京大学先端総合研究機構 特任教授、文化功労者。 数理神経科学を専攻し、学習理論、自己組織化理論、連想記憶、統計神経力学、神経場理論などを研究し、数理脳科学の基礎を確立した。また,微分幾何学の観点から情報学、情報理論の研究に取り組み、情報幾何学の創始者として知られている。九州大学、東京大学、理化学研究所に勤務した。 東京府東京市目黒区碑文谷生まれ。父は海軍の研究員であった。幼少期には、山梨や栃木への疎開を経験した。
新 睦人(あたらし むつんど、1936年1月3日 - )は、… 新 睦人(あたらし むつんど、1936年1月3日 - )は、日本の社会学者。奈良女子大学名誉教授。専門は理論社会学 。 東京生まれ。1960年神戸大学文学部卒業。1965年京都大学大学院文学研究科博士課程社会学専攻満期退学。1978年「都市地域社会システムの理論的・実証的基礎研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。大阪府立大学助手、1968年奈良女子大学家政学部助教授、1972年文学部助教授兼任、1978年文学部教授、1979年から一時京都大学教授を兼任。1999年奈良女子大を定年退官、名誉教授、広島国際学院大学教授。 2015年春の叙勲で瑞宝中綬章受章。
甲田四郎(こうだ しろう、1936年1月3日- )は、日本の… 甲田四郎(こうだ しろう、1936年1月3日- )は、日本の詩人。 東京都生まれ。本名・山中一雄。中央大学卒。東京の下町で和菓子店を経営しながら詩作を行う。「潮流詩派の会」、「垂線」、現代詩人会会員。1990年『大手が来る』で第23回小熊秀雄賞、2002年『陣場金次郎洋品店の夏』で第4回小野十三郎賞、2014年『送信』で第32回現代詩人賞受賞。
宇治 常美(うじ つねよし、1936年 <昭和11年> 1月… 宇治 常美(うじ つねよし、1936年 <昭和11年> 1月3日 - 2000年 <平成12年> 6月19日)は、日本の経営者。住友倉庫社長を務めた。東京都出身。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。 1959年に東京大学法学部を卒業し、同年に住友倉庫に入社。1990年6月に取締役に就任し、1992年6月に常務を経て、1994年6月には社長に就任。 2000年6月19日心不全のために死去。64歳没。死没日付をもって従四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
尾上たかし(おのうえ たかし(または、おのえ たかし)、本名… 尾上たかし(おのうえ たかし(または、おのえ たかし)、本名:澤田禎夫(さわだ さだお)、1936年〈昭和11年〉1月3日 - 2013年〈平成25年〉12月12日)は、日本の放送作家、お笑い作家。 兵庫県出身。同志社大学卒業。実兄は旧・朝日放送制作部ディレクターを経て、東阪企画創業者・お笑い作家・メディアプロデューサーの澤田隆治。 1950年代後半から、大阪を中心とした寄席やテレビ局に通い、桂文枝(旧・桂三枝)をはじめとする上方演芸の落語家・漫才師・コメディアンら約1000人以上と人脈を持っており、数多くのテレビ番組の構成・企画などに携わった。そのことから「立って原稿を書く作家」という異名を持っていた。
房錦 勝比古(ふさにしき かつひこ、1936年(昭和11年)… 房錦 勝比古(ふさにしき かつひこ、1936年(昭和11年)1月3日 - 1993年(平成5年)7月21日)は、東京府東京市(現:東京都大田区)生まれで千葉県東葛飾郡南行徳村(現:市川市相之川)出身で若松部屋(一時期、西岩部屋)に所属した大相撲力士。本名は櫻井 正勝(さくらい まさかつ)→松崎 正勝(まつざき -)。現役時代の体格は176cm、118kg。得意手は右四つ、寄り、押し、いなし。“褐色の弾丸”と異名を取った。最高位は西関脇(1959年(昭和34年)7月場所・同年9月場所)。 小学校入学後に終戦を迎えたが戦時中はスポーツ自体を行う余裕が社会に無かったため、幼少期に経験したスポーツと言えばかけっこ程度であった。
深澤 弘(ふかさわ ひろし、1936年1月2日 - 2021… 深澤 弘(ふかさわ ひろし、1936年1月2日 - 2021年9月8日)は、日本のフリーアナウンサー、スポーツコメンテーター。 元ニッポン放送アナウンサーで、ディレクTV取締役、新潟県民エフエム放送(FM PORT)東京支社長、音響芸術専門学校講師を務めた。 神奈川県川崎市出身。 高輪高等学校を経て早稲田大学卒業後、1958年東北放送にアナウンサーとして入社。1964年の東京オリンピック開催にともないスポーツ実況アナウンサーが不足することからニッポン放送にスカウトされ、同年移籍した。 プロ野球中継は1970年代後半から1990年代にかけて、『ニッポン放送ショウアップナイター』のメイン実況アナウンサーとして1,600試合以上実況アナウンスを担当した他、各種スポーツ中継(中央競馬、ボクシングなど)も実況を担当した。
中條 忍(中條 忍、ちゅうじょう しのぶ、1936年1月2日… 中條 忍(中條 忍、ちゅうじょう しのぶ、1936年1月2日 - )は、日本のフランス文学者、青山学院大学名誉教授。ポール・クローデルが専門。 横浜市生まれ。横浜市立桜丘高等学校、1959年東京大学文学部仏文科卒、1967年同大学院人文科学科博士課程満期退学。青山学院大学講師、1970年助教授、1983年教授。2003年に定年退任し名誉教授。