藤井 德夫(ふじい とくお、1941年2月13日 - )は、… 藤井 德夫(ふじい とくお、1941年2月13日 - )は、日本の実業家。イフジ産業株式会社創業者最高顧問。 天津租界生まれ。日本の降伏後引き揚げ、桜坂で農業や畜産業を営むようになり、福岡県福岡市で育った。福岡県立福岡中央高等学校を経て、九州大学法学部卒業後、家業の養鶏場経営に従事し、加工卵事業に業態転換を行い1972年にイフジ産業を設立。山崎製パンに採用されて以降全国展開が進み、その後M&Aなどにより業容を拡大させ、2001年にはJASDAQに上場した。2010年に役員報酬の個別開示が始まった際は、九州の主要企業ではピエトロの村田邦彦とともに1億円以上の役員報酬を受けたことが話題になった。2012年には東京証券取引所市場第二部に上場し、ホテルニューオータニ博多で祝賀会を開催した。
山尾 孝雄(やまお たかお、1941年2月13日 - )は、… 山尾 孝雄(やまお たかお、1941年2月13日 - )は、大阪府大阪市 出身の元プロ野球選手(外野手)。
権上 康男(ごんじょう やすお、1941年2月13日 - 2… 権上 康男(ごんじょう やすお、1941年2月13日 - 2021年11月11日)は、日本の西洋経済史学者、横浜国立大学名誉教授。 神奈川県川崎市出身。1964年横浜国立大学経済学部卒、1972年東京大学大学院経済学研究科理論経済学・経済史学博士課程満期退学、1972年横浜国立大学経済学部助教授、1983年教授、2006年定年退官、名誉教授。1999年『フランス資本主義と中央銀行 フランス銀行近代化の歴史』で日経・経済図書文化賞受賞。フランス経済史が専門。2019年、瑞宝中綬章受章。2021年11月11日死去。叙正四位。
32代 木村 庄之助(さんじゅうにだい きむら しょうのすけ… 32代 木村 庄之助(さんじゅうにだい きむら しょうのすけ、本名:澤田 郁也(さわだ いくや)、1941年2月13日 - )は、大相撲の立行司の一人。木村庄之助としての在位期間は2006年1月〜2006年2月。北海道網走市出身。出羽海部屋所属。 後に「泉の親方」と呼ばれた名行司22代木村庄之助に入門。兄弟子に28代木村庄之助が、同期生には30代庄之助、31代庄之助、33代庄之助がいる。30代庄之助は同部屋で同期である。1955年5月に木村郁也の名で初土俵。幕下格時代の1972年3月に木村咸喬(しげたか)に改名。以後三役格まで咸喬で通す。1973年1月に十両格に昇格。1988年1月に幕内格に昇格。
植村 直己(うえむら なおみ、1941年〈昭和16年〉2月1… 植村 直己(うえむら なおみ、1941年〈昭和16年〉2月12日 - 1984年〈昭和59年〉2月13日)は、日本の登山家、冒険家。 兵庫県出身。1970年に世界最高峰エベレストに日本人で初めて登頂した。同年、世界初の五大陸最高峰登頂者となる。1978年に犬ぞり単独行としては世界で初めて北極点に到達した。1984年、冬期のマッキンリー山(デナリ)に世界で初めて単独登頂したが、下山中に消息不明となった。1984年、国民栄誉賞を受賞した。 1941年2月12日、兵庫県城崎郡国府村(現:豊岡市日高町)上郷で、父・植村藤治郎と母・梅の7人兄弟の末子として生まれた。実家は農業とわら縄製造。 藤治郎の3代前の「植村直助」から「直」の字を取り、干支の「巳」と合わせて「直巳」と名付けられたが、村役場の戸籍担当職員が戸籍簿に誤って「直已」と記入したことから、戸籍名は「直已」として登録された。
南里 宏(なんり ひろし、男性、1941年2月12日 - )… 南里 宏(なんり ひろし、男性、1941年2月12日 - )は、日本の武道家・空手家(七段)。佐賀県小城市出身。佐賀県立佐賀工業高等学校出身。NPO法人全世界空手道連盟新極真会の東京東支部支部長。 空中のブロックを粉砕するなど試割りの第一人者。 昭和16年(1941年) 東京に生まれ、少年時代を九州で過ごす。高校時はボクシング部に所属。その後上京。 昭和46年(1971年)、30歳の時に極真会館入門。極真会館本部道場師範代と合宿時の隊長を長きに渡り務める。 昭和53年(1978年)、37歳の時で初めて全日本空手道選手権大会に出場を果たす。その時の様子は、真樹日佐夫著『極真空手27人の侍たち』“第18話中年で全日本に挑んだ情熱…南里 宏参段”に詳しい。
田中 隆雄(たなか たかお、 1941年2月12日 - 20… 田中 隆雄(たなか たかお、 1941年2月12日 - 2006年10月11日)は、日本の会計学者。公認会計士第2次試験委員(平成13年)。日本管理会計学会会長、日本原価計算研究学会常任理事。青山学院大学経営学部教授。同学部長。 1941年大阪府大阪市に生まれる。同志社大学商学部卒業。同志社大学大学院商学研究科博士後期課程単位取得退学。経営学博士(明治大学)。 2006年10月11日、転落事故による肝臓出血のため、鎌倉市内の病院で死去。享年65。
板井 康明 (いたい やすあき、1941年(昭和16年)2月… 板井 康明 (いたい やすあき、1941年(昭和16年)2月12日 - )は、日本の農林水産官僚。農林水産省東海農政局長を務めた。 大分県津久見市出身。大分県立津久見高等学校を卒業。 1963年4月に農林省に入省し、1993年7月に東海農政局長に就任した。1995年1月に退官。 退官後は2004年に家畜改良事業団理事長、2005年7月に中央畜産会専務理事といった役職に就いている。
澤 光代(さわ みつよ、1941年2月11日 - )は、日本… 澤 光代(さわ みつよ、1941年2月11日 - )は、日本の政治家。元神奈川県逗子市長(1期)。 現在の東京都新宿区出身。1963年、聖心女子大学文学部英文学科卒。貿易会社に勤務し、その後、結婚し、逗子市に住む。1982年、在日米軍施設である池子弾薬庫跡地への住宅建設計画が公表され、2年後の1984年、計画受け入れを表明した逗子市長三島虎好に対するリコール運動に参加、市民団体の運営委員長となった。その後、逗子市議会議員となる。 1992年、逗子市長富野暉一郎が10月の市長選挙に不出馬を表明、池子弾薬庫跡地への米軍住宅建設反対派から逗子市議だった澤が推される形で立候補し、当選し、芦屋市長北村春江に次ぐ全国で二人目の女性市長となった。
大沢 悠里(おおさわ ゆうり、1941年(昭和16年)2月1… 大沢 悠里(おおさわ ゆうり、1941年(昭和16年)2月11日 - )は、日本の男性フリーアナウンサー。 東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区)の出身で、1964年(昭和39年)4月1日にTBSアナウンサー第9期生として入社。1991年2月に50歳でTBSを退社してからは、個人事務所「大沢企画」を拠点に活動している。 ※TBSラジオでのCMをメインに担当している。 第二次世界大戦の最中に浅草で出生すると、4歳の頃まで浅草で暮らした。当時からラジオ番組を聴いていた影響で、ラジオから流れる「東部軍管区情報」(大本営発表)を真似ながら実家の近所を触れ回っていたことから、「大本営」との異名を取ったという。
荻上 紘一(おぎうえ こういち、1941年2月11日 - )… 荻上 紘一(おぎうえ こういち、1941年2月11日 - )は、日本の数学者。大学評価・学位授与機構特任教授。 長野県松本市出身。長野県松本深志高等学校卒、東京大学理学部卒。元東京都立大学教授・第10代総長、公立大学協会長。元中央教育審議会委員。趣味はテニス、俳句。「国家の品格」の著者である藤原正彦とは非常に親しい。大学セミナーハウス館長も務める。2021年、瑞宝中綬章受章。旧都立大学の廃校が決定された時の総長であり、石原慎太郎都知事ら当時の都幹部と廃校をめぐり対立した。2012年から2016年まで大妻女子大学学長を務めた。
内田 麟太郎(うちだ りんたろう、1941年2月11日 - … 内田 麟太郎(うちだ りんたろう、1941年2月11日 - )は、日本の詩人、童話作家。 1941年福岡県大牟田市生まれ。父は詩人内田博(本名・弘喜智)。大牟田市立中友小学校、大牟田市立松原中学校、福岡県立大牟田北高等学校卒業。 19歳にて上京。看板職人をしながら詩を書き始める。詩人遠地輝武、秋山清に私淑。『新日本詩人』『潮流詩派』を経て現在『方方』詩友、『騒』同人、『0』同人。詩集に「これでいいへら」潮流詩社、「あかるい黄粉餅」石風社、「なまこ饅頭」無極堂がある。 38歳より児童書を書き始める。 絵本『さかさまライオン』(絵本にっぽん賞)、絵本『うそつきのつき』(小学館児童出版文化賞)、絵本『がたごとがたごと』(日本絵本賞)、絵本『すやすやタヌキがねていたら』(日本絵本賞)、絵本『かあちゃんかいじゅう』(けんぶち絵本の里大賞)、絵本『ともだちできたよ』(日本絵本賞)、絵本『くじらさんのーたーめならえんやこーら』(日本絵本賞)、絵本『ひとのなみだ』(日本絵本賞)を受賞。
瀧 安治(たき やすはる、1941年2月11日 - 2003… 瀧 安治(たき やすはる、1941年2月11日 - 2003年11月19日)は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(二塁手)。実兄に阪神の捕手であった瀧英男がいる。
長峯 基(ながみね もとい、1941年2月11日 - )は、… 長峯 基(ながみね もとい、1941年2月11日 - )は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。宮崎県都城市出身。元参議院議員・元都城市長の長峯誠は長男。 1965年に福岡大学薬学部を卒業、山之内製薬に入社する。 1979年に宮崎県議会議員に初当選。以後4期を務める。1990年には宮崎県議会副議長に就任。 1995年7月、第17回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で宮崎県選挙区より出馬し初当選。総理府総括政務次官などを歴任。 2001年7月の第19回参議院議員通常選挙では、自民党宮崎県連幹部による投票の結果自民党の公認を得られず無所属で出馬。自民党公認の小斉平敏文に敗れる。 2004年7月の第20回参議院議員通常選挙では自民党公認候補である上杉光弘を支援せずに、長峯の元公設秘書である松下新平を応援したため、公示日後に自民党宮崎県連から除名処分を受ける。
福田 アジオ(ふくた アジオ、1941年(昭和16年)2月1… 福田 アジオ(ふくた アジオ、1941年(昭和16年)2月10日 - )は、日本の歴史学者・民俗学者。国立歴史民俗博物館名誉教授、元・神奈川大学外国語学部・大学院歴史民俗資料学研究科教授。柳田國男研究者。 三重県四日市市出身。 1963年に東京教育大学文学部史学科を卒業した。その後同大学大学院文学研究科に進み、1971年に文学研究科修士課程を修了した。 1977年に武蔵大学助教授となり、1984年に教授に昇進した。同年、国立歴史民俗博物館教授となる。 1993年に新潟大学に移る。1998年に神奈川大学教授となり、2011年まで務める。神奈川大学では非文字資料研究センター長を2010年3月まで兼務した。
鈴木 恒夫(すずき つねお、1941年〈昭和16年〉2月10… 鈴木 恒夫(すずき つねお、1941年〈昭和16年〉2月10日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(6期)、文部政務次官(宮澤改造内閣・第2次森内閣)、環境政務次官(第2次橋本内閣)、衆議院文教委員長、文部科学大臣(第10代)を歴任した。 神奈川県横浜市港北区師岡町で出生。1953年3月 横浜市立大綱小学校卒業。1956年3月 横浜市立大綱中学校卒業。1959年3月 神奈川県立横浜翠嵐高等学校卒業。 1963年3月 早稲田大学政治経済学部卒業。4月 毎日新聞東京本社に入社。政治部記者として15年間勤務。 1977年7月 衆議院議員・河野洋平(新自由クラブ代表)の秘書になる。1983年12月 第37回衆議院議員総選挙に神奈川1区(中選挙区制)から初めて立候補し、落選。
遠藤 剛生(えんどう たかお、1941年(昭和16年) 2月… 遠藤 剛生(えんどう たかお、1941年(昭和16年) 2月10日 - )は、日本の建築家。遠藤剛生建築事務所代表。神戸芸術工科大学特別教授。 山形県出身。1964年、大阪工業大学工学部建築学科卒業、1969年、遠藤剛生建築設計事務所設立。同年生まれに伊東豊雄や安藤忠雄など世界的に著名な建築家がおり、日本建築界において花の16年といわれる昭和16年生まれの建築家の一人である。
柏木 征夫(かしわぎ いくお、1941年(昭和16年)2月1… 柏木 征夫(かしわぎ いくお、1941年(昭和16年)2月10日 - )は、日本の政治家。和歌山県御坊市長(7期)。 1964年京都大学農学部卒業後、京都大学助手、福岡県農業試験場を経て、1979年に和歌山県庁に入庁。農業振興課副課長を務める。 1992年、和歌山県選出の二階俊博衆議院議員の誘いを受けて御坊市長選挙に立候補し、柏木以外に立候補者がいなかったため、無投票で初当選した。自由民主党所属だった二階はその後新生党、新進党、自由党、保守党、保守新党を経て自民党に復党するが、柏木は一貫して二階の支援を受け、御坊市長に当選し続けた。なお、2012年までの6度の市長選のうち、4度は無投票による当選であった。
村井 恒夫(むらい つねお、1941年2月10日 - 201… 村井 恒夫(むらい つねお、1941年2月10日 - 2018年1月21日)は、日本の経営者。綜合警備保障社長、会長を務めた。 東京都出身。1964年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年に日本勧業銀行に入行。1968年9月に綜合警備保障に転じ、1970年8月に常務に就任し、1980年11月に副社長を経て、1986年9月には社長に就任。1994年6月に会長に就任し、2009年4月には相談役に就任。 2018年1月21日大動脈解離のために死去。76歳没。
佐藤 俊一(さとう しゅんいち、1941年2月10日 - )… 佐藤 俊一(さとう しゅんいち、1941年2月10日 - )は元・外交官、ナカノフドー建設監査役、パイオニア社外取締役。岡山県出身。趣味・特技はゴルフ、スキー、器楽。 1964年に東京大学教養学部を卒業と同時に外務省に入省。1983年に国際連合局政治課長、1984年に国際連合局政策課長、1985年に在フランス日本国大使館参事官、1987年4月にフランス大使館公使、1989年に官房外務参事官・兼・内閣官房外政審議室審議官、同年に官房審議官、1991年9月に在モントリオール総領事、1994年2月に文化交流部長、1995年8月に中南米局局長、1997年7月に在ポーランド日本大使、2000年5月から2003年11月まで在ベルギー日本大使を勤め、同年12月に退官。
勇崎 恒也(ゆうざき つねや、1941年(昭和16年)2月1… 勇崎 恒也(ゆうざき つねや、1941年(昭和16年)2月10日 - )は、日本のフィールドホッケー選手。 明治大学出身。1960年ローマオリンピック、1964年東京オリンピック、1968年メキシコシティーオリンピックに出場した。 安倍忠俊 | 飯島健 | 岩橋邦雄 | 神戸勝 | 木原征治 | 小島博 | 小島芳夫 | 佐土市良 | 中村敏治 | 中山弘 | 藤原博之 | 矢口照夫 | 山崎久寿 | 勇崎恒也 | 綿田道則 | 監督: 五百木一雄 岩橋邦雄 | 岡部道夫 | 加奥成雄 | 木原征治 | 高島昭男 | 滝沢健治 | 武田守洋 | 田中博司 | 橋本征治 | 松本紀彦 | 三輪宏 | 山岡敏彦 | 山口順一 | 勇崎勝弘 | 勇崎恒也 | 吉村実 | 若林徹也 | 渡辺寛 | 監督: 小林定義 井出信夫 | 大塚智万 | 恩田昌史 | 加奥成雄 | 上村幸夫 | 河村一夫 | 工藤明朗 | 高島昭男 | 田中博司 | 長屋恭一 | 松本紀彦 | 安田善治郎 | 勇崎勝弘 | 勇崎恒也 | 西村省三 | 吉村実 | 和田明仁 | 監督: 市川日出男 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。
34代 式守 伊之助(さんじゅうよんだい しきもり いのすけ… 34代 式守 伊之助(さんじゅうよんだい しきもり いのすけ、本名:棚田 好男(たなだ よしお)、1941年2月10日 - 2022年1月4日)は、大相撲の立行司の一人である。式守伊之助としての在位期間は2006年1月〜2006年2月。花籠部屋→放駒部屋→二子山部屋→貴乃花部屋所属。北海道赤平市出身。 1955年9月場所に木村光彦の名で初土俵。長く譲り名がなかったため、実に45年もの間この名で通していた。 1977年1月場所より十両格に昇格。1989年1月場所より幕内格に昇格。2001年1月場所より三役格昇進と同時に2代木村光之助と改名。 2005年11月場所で31代木村庄之助が停年。もう一人の立行司である33代式守伊之助と光之助は翌2006年1月場所後に停年を迎えるため2人とも昇格するか注目されたが、33代伊之助は32代木村庄之助を襲名、光之助も立行司に昇格、34代式守伊之助を襲名した。
鈴木 洋邦(すずき ひろくに、1941年〈昭和16年〉2月9… 鈴木 洋邦(すずき ひろくに、1941年〈昭和16年〉2月9日 - )は、日本の政治家、元千葉県君津市長(3期)。元千葉県議会議員。 千葉県君津市出身。千葉大学園芸学部卒。造園土木会社社長となり、1995年、千葉県議会議員に当選する。県議を3期務め、2006年、君津市長選挙に立候補し、5人の争いを制し、初当選する。2010年は無投票で再選。2014年は福祉・保健・医療分野などを中心に、2期8年の実績を強調し、築き上げた人脈を生かした東京五輪関連施設の誘致なども訴え、元市議ら2人を破って三選した。2018年に退任した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
笹山 登生(ささやま たつお、1941年〈昭和16年〉2月8… 笹山 登生(ささやま たつお、1941年〈昭和16年〉2月8日 - )は、日本の政治家。 農林水産政務次官(竹下改造内閣)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長、同労働委員長、衆議院議員(5期)などを歴任。 埼玉県浦和市常磐町生まれ。1964年に慶應義塾大学経済学部を卒業すると農林中央金庫へ就職。1977年に退職し、衆議院議員秘書を務めた後、父・笹山茂太郎の地盤を継いで、1979年の第35回衆議院議員総選挙に秋田2区より自由民主党公認で出馬するも落選。それからは衆議院議員伊東正義の秘書を務める。翌1980年の第36回衆議院議員総選挙で初当選し、自民党内では宏池会(鈴木派、後に宮沢派)に所属。
田口 興輔(たぐち こうすけ、1941年(昭和16年)2月8… 田口 興輔(たぐち こうすけ、1941年(昭和16年)2月8日 - )は、日本の声楽家(テノール・カウンターテノール)・オペラ歌手・音楽教育者。息子はチェリストの田口裕。 鳥取県出身。鳥取県立境高等学校卒業。1963年(昭和38年)国立音楽大学卒業。1965年(昭和40年)同専攻科修了。武岡鶴代、渡邊高之助、疋田生次郎に師事。 オペラ初出演の記録は1969年(昭和44年)藤原歌劇研究所レオンカバッロ『道化師』ペッペ。出演6本目のオペラ1971年(昭和46年)オッフェンバック『ホフマン物語』ホフマンに抜擢される。1972年(昭和47年)にはプッチーニ『ラ・ボエーム』ロドルフォを務め、以降は、特にイタリアオペラの第一人者として今日に至っている。
尾崎 八郎(おざき はちろう、1941年2月8日 - )は、… 尾崎 八郎(おざき はちろう、1941年2月8日 - )は、日本の教育者。関西学院中学部・高等部部長、啓明学院名誉院長。啓明学院相談役。 啓明学院校長時代には同校を共学化させ、啓明学院中学校・高校と改称したほか、姉妹校だった関西学院と系列校の提携を結んだ。その他にも各種改革に尽力し、定員割れしていた啓明学院を人気校に引き上げた。現在は啓明学院の名誉理事である。 この項目は、教育者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:教育)。
星宮 望(ほしみや のぞむ、1941年(昭和16年)2月8日… 星宮 望(ほしみや のぞむ、1941年(昭和16年)2月8日 - 2017年(平成29年)1月25日)は、宮城県仙台市出身の工学者で東北大学名誉教授。元東北学院大学学長および元学校法人東北学院院長。工学博士(東北大学)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
小林 稔侍(こばやし ねんじ、1941年〈昭和16年〉2月7… 小林 稔侍(こばやし ねんじ、1941年〈昭和16年〉2月7日 - )は、日本の俳優である。本名は、「こばやし としじ」。 身長180cm、血液型はA型。鈍牛倶楽部所属。かつらぎ町観光大使。和歌山県伊都郡かつらぎ町出身。和歌山県立笠田高等学校卒業。 長男に小林健、長女に小林千晴。 父親は洋服の仕立て職人。母親と10歳年上の兄が居た。猛勉強をし、国立の和歌山大学教育学部附属中学校に入り、1時間かけて通学していた。この学校を受験した理由は、当時恋愛に憧れを持っていた小林に友達が「あのな、和歌山大学(学芸学部)附属中学に通う女の子はかわいいらしいで」と耳打ちしたことにより、心底行きたいと思ったからで、通学時も歩きながら勉強していたという。
鈴木 基之(すずき もとゆき、1941年(昭和16年)2月7… 鈴木 基之(すずき もとゆき、1941年(昭和16年)2月7日 - )は、日本の工学者(工学博士)。東京大学名誉教授。
笹田 剛史(ささだ つよし、1941年(昭和16年)2月7日… 笹田 剛史(ささだ つよし、1941年(昭和16年)2月7日 - 2005年(平成17年)9月30日)は、日本の工学者、大阪大学教授。
吉野 晴夫(よしの はるお、1941年〈昭和16年〉2月7日… 吉野 晴夫(よしの はるお、1941年〈昭和16年〉2月7日 - )は、日本の政治家。元奈良県五條市長(1期)。 奈良県出身。近畿大学理学部卒。2007年〈平成19年〉五條市長榎信晴は3期目途中で体調不良のため市長を退任。その後継の市長選挙に立候補し、当選。市長を1期務める。 吉野は就任以来、消防庁舎建設予定地の見直しを一方的に表明。また、市内の岡中継施設築造工事の中止を突然決定、市内の幼稚園及び保育所の統廃合に対する保護者や市民への無責任な対応など、議会と衝突した。さらに市長が提出した議案が委員会で否決されたにもかかわらず、副市長に一部市議会議員の自宅などに出向かせ、当該議案の可決の必要性を説明させたことが、議決機関としての議会の存在意義を全く無視した行動とされた。
中西 啓介(なかにし けいすけ、1941年〈昭和16年〉2月… 中西 啓介(なかにし けいすけ、1941年〈昭和16年〉2月6日 - 2002年〈平成14年〉1月27日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期)、防衛庁長官(第53代)を歴任した。 和歌山県和歌山市生まれ。和歌山県立桐蔭高等学校を経て、1965年、早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業し、山口喜久一郎事務所に就職した。 1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧和歌山1区から無所属で立候補するも最下位で落選。以後、4年間地道な政治活動を続けて支援者を増やした。 1976年の第34回衆議院議員総選挙では、旧和歌山1区から自由民主党公認で立候補。35歳の若さをアピールするとともに、東京から芸能人を応援に呼ぶなどの積極的な選挙活動が功を奏して初当選を果たした(当選同期に中村喜四郎・鳩山邦夫・中島衛・西田司・池田行彦・堀内光雄・相澤英之・津島雄二・鹿野道彦・塚原俊平・与謝野馨・渡辺秀央・中川秀直・甘利正など)。
鈴木 皖武(すずき きよたけ、1941年2月6日 - )は、… 鈴木 皖武(すずき きよたけ、1941年2月6日 - )は、愛媛県四国中央市出身の元プロ野球選手。 土居高校では、1957年秋季四国大会県予選準々決勝に進むが北宇和高に敗退。 1958年、グラウンドに土を運ぶ作業中に土砂崩れで左骨盤を骨折し、卒業後に約束されていた伊予銀行への入社を断念する。卒業後は大毎オリオンズの入団テストを受けるも不合格。 1959年に東京鉄道管理局へ入社。 1961年の産業対抗では全国鉄のエースとして活躍、準々決勝に進むが熊谷組に惜敗。同大会の優秀選手に選出される。 1962年に国鉄スワローズへ入団。1年目から41試合に登板し、中継ぎ、抑えとして活躍する。 1966年はリーグ最多の62試合に登板し、初の規定投球回(リーグ7位、防御率2.33)にも達する。
藤原 秀樹(ふじわら ひでき、1941年2月6日 - )は、… 藤原 秀樹(ふじわら ひでき、1941年2月6日 - )は、日本の化学者。大阪工業大学名誉教授・桜花会元幹事。工学博士(大阪市立大学)。元近畿化学協会ビニル部会会長・化学技術アドバイザー。高分子学会1995幹事。元日本化学会代議員。 専門は、高分子化学・有機合成化学(特にブロック共重合、ポリマー、超音波化学)。 1963年大阪工業大学工学部応用化学科卒業(応用化学科第2期生)。同大学工学部応用化学科助手となり、応用化学教室を担当。1970年同学科講師、クラークソン工科大学(現:クラークソン大学)に留学(1年間)。1977年大阪市立大学(現:大阪公立大学)大学院にて工学博士の学位を取得。 1978年大阪工業大学工学部応用化学科助教授。
粟國 安彦(あぐに やすひこ、1941年2月6日 - 199… 粟國 安彦(あぐに やすひこ、1941年2月6日 - 1990年1月14日)は、日本のオペラ演出家。 沖縄県南大東島に生まれる。 東京声楽専門学校(昭和音楽大学の前身)を卒業し、藤原歌劇団に参加、1969年5月の藤原歌劇団公演「ラ・ボエーム」で演出助手を務める。その後1970年にイタリアへ渡り、ローマの聖チェチーリア音楽院卒業後、日本人としては初めてローマ歌劇場の演出助手になった。 1977年に帰国し、以降、藤原歌劇団や二期会などのオペラを数多く演出し、昭和音楽大学助教授も務めた。1979年にジロー・オペラ賞、芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。 晩年の粟國は癌を患っていたが、家族は本人に告知をしなかった。
吉田 旺(よしだ おう、1941年2月6日 - )は、福岡県… 吉田 旺(よしだ おう、1941年2月6日 - )は、福岡県若松市(現北九州市若松区)出身の作詞家。旧名:吉田央。 なお、1960年から1968年にかけて、フジテレビのテレビドラマの専属演出家として活躍していた吉田央は同姓同名の別人。 多摩美術大学卒業後、広告代理店に2年間勤務。以降、フリーデザイナーと作詞の二足の草鞋を履く。そして、賞金の3万円とステレオの商品が欲しくて月刊「平凡」の募集歌に応募。ちあきなおみのデビューシングルである「雨に濡れた慕情」で吉田も作詞家としてデビューを果たす。 第14回日本レコード大賞を受賞した「喝采」を始めとして、ちあきなおみの楽曲の中でも数多くの作詞を担当している。
大内 脩吉(おおうち しゅうきち、1941年2月6日 - 2… 大内 脩吉(おおうち しゅうきち、1941年2月6日 - 2014年9月27日)は、東京都出身、日本の経営者。元日本農薬代表取締役社長、代表取締役会長。 1941年(昭和16年)、東京都生まれ。千葉大学園芸学部卒業後、1964年(昭和39年)3月に日本農薬入社。1991年(平成3年)12月、同社取締役。1994年(平成6年)12月、同社常務取締役社長室長。1996年(平成8年)12月、同社常務取締役管理本部長。1998年(平成10年)12月、同社専務取締役企画管理本部長。1999年(平成11年)12月、代表取締役社長。2008年(平成20年)12月、取締役会長。2013年(平成25年)12月、同社相談役。
川久保 勲(かわくぼ いさを、1941年2月5日 - )は日… 川久保 勲(かわくぼ いさを、1941年2月5日 - )は日本の右翼系の政治活動家、学習塾経営者。 東京都出身。1959年東京都立大森高等学校、1965年東京大学農学部卒業。その後日本ユニシスに勤務。退職後1996年より個別指導学習塾の経営を始める。 2004年の第20回参議院議員通常選挙に、維新政党・新風の候補として神奈川県選挙区から出馬するも、落選する。 稲田朋美や西村真悟を支援している。 2001年7月7日、慰安婦問題に関し昭和天皇有罪論を主張する「日中友好神奈川県婦人連絡会」主催による討論会が開かれた。川久保は同志である西村修平とともにこの集会に参加する。討論会中に上映されたビデオ中の日本兵が強姦したとの台詞に憤りを感じ、川久保らは"反日的"台詞のたびに野次を飛ばした。
松浦 章(まつら あきら、1941年2月4日 - )は、日本… 松浦 章(まつら あきら、1941年2月4日 - )は、日本の茶人。茶道鎮信流宗家、号は宏月。旧平戸藩主松浦家第41代当主、松浦史料博物館理事長。 1941年2月4日生まれ。旧平戸藩主松浦家の41代目。 1964年、立教大学文学部英米文学科卒業。1967年、カリフォルニア州立大学新聞学科卒業。 1967年に日本放送協会へ入局し、同局に22年間勤務する。 1981年、松浦史料博物館理事に就任。1994年、同資料館理事長に就任。 2024年11月9日には、鄭成功が長崎県・平戸で生誕してから400年を記念する献茶式が台湾南部の台南市で開かれ、平戸藩主・松浦家の第41代当主で茶道鎮信流宗家である松浦が献茶を行った。
三谷 邦明(みたに くにあき、1941年2月4日 - 200… 三谷 邦明(みたに くにあき、1941年2月4日 - 2007年9月3日)は、日本の国文学者。横浜市立大学名誉教授。専門は中古文学。 国文学者・三谷栄一の子として東京に生まれる。1963年、早稲田大学第一文学部卒業、1970年、同大学院日本文学専攻博士課程満期退学。早稲田大学高等学院教諭を経て、1981年、横浜市立大学文理学部文科人文課程助教授。その後、同大学国際文化学部教授、2005年、名誉教授。 2007年、8月28日に死去した父の後を追うように9月3日に死去した。妻は同じく中古文学研究の三田村雅子。 主として『源氏物語』を文学理論、および左翼的な立場から研究した。物語研究会、日本文学協会会員。
中村 雅知(なかむら まさとも、1941年2月3日 - )は… 中村 雅知(なかむら まさとも、1941年2月3日 - )は、日本の実業家。日本製紙グループ本社代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。 北海道出身。1963年北海道大学工学部卒業、十條製紙(現日本製紙)入社。1993年日本製紙技術本部技術企画部長。1995年日本製紙石巻工場長代理。1996年小松島工場長。1998年取締役旭川工場長。2000年取締役旭川工場長兼勇払工場長。2001年常務取締役旭川工場長兼勇払工場長。2002年常務取締役企画本部長。2003年専務取締役企画本部長兼日本ユニパックホールディング取締役企画・IR担当。2005年から日本製紙グループ本社代表取締役社長兼日本製紙代表取締役社長を務め、王子製紙による北越製紙株式公開買付けに対抗し、北越製紙株式の8.5%の取得を行うなどした。
中塚 勝人(なかつか かつと、1941年2月2日 - )は、… 中塚 勝人(なかつか かつと、1941年2月2日 - )は、日本の資源開発工学者。東北大学名誉教授。東北大学副総長や、物理探査学会副会長、日本工学教育協会副会長などを務めた。 長野県生まれ。1959年長野県飯田高等学校卒業。1964年東北大学工学部鉱山学工学科卒業。1966年東北大学大学院工学研究科鉱山工学専攻修士課程修了、東北大学工学部助手。1974年東北大学工学博士。1976年東北大学工学部講師。1978年東北大学工学部助教授。1987年東北大学工学部教授。1992年紛体粉末冶金協会理事。1993年資源・素材学会理事。1994年東北大学評議員。1996年東北大学国際交流会館副館長、宮城県自然環境保全審議会委員。
牟田 秀敏(むた ひでとし、1941年2月2日 - 2021… 牟田 秀敏(むた ひでとし、1941年2月2日 - 2021年3月12日)は、日本の政治家。第5代佐賀県鳥栖市長(2期8年)。 佐賀県出身。1941年(昭和16年)、満州と朝鮮の国境付近で誕生し、終戦後日本に引き揚げ。佐賀県立三養基高等学校卒業。参議院議員秘書 を経て佐賀県議会議員を4期、自民党佐賀県連総務会長(1990年 - 1991年)、政調会長(1991年 - 1993年)を務める。1999年(平成11年)3月から鳥栖市長を2期8年務める。市の行財政改革をはじめ、鳥栖流通業務団地整備事業、九州新幹線鹿児島ルートの建設、新鳥栖駅周辺整備事業をすすめた。 2007年(平成19年)の市長選で橋本康志に敗れる。
山辺 芳宣(山邊 芳宣、やまべ よしのぶ、1941年2月1日… 山辺 芳宣(山邊 芳宣、やまべ よしのぶ、1941年2月1日 - )は、日本の政治家。元石川県羽咋市長(3期)、元羽咋市議会議員(4期)。 1959年(昭和34年)3月、石川県立羽咋高等学校卒業。 1986年(昭和61年)から株式会社八幡(本社:羽咋市)で総務部長などを務め、1993年(平成5年)6月30日に退社。同年の羽咋市議会議員選挙に初当選した。2004年(平成16年)3月24日から2005年(平成17年)2月22日まで議長を務めた。 2008年(平成20年)9月26日、市議を辞職。同年10月の羽咋市長選挙で初当選し、11月1日に市長就任。2012年(平成24年)、2016年(平成28年)の選挙で再選した。
高城 敏美(たかぎ としみ、1941年2月1日 - ) は、… 高城 敏美(たかぎ としみ、1941年2月1日 - ) は、日本の機械工学者。大阪大学名誉教授。元日本機械学会熱工学部門長。 1963年大阪大学工学部機械工学科卒業。1965年大阪大学大学院工学研究科修士課程修了。1968年大阪大学大学院工学研究科博士課程修了。 その後、大阪大学助教授。1981年大阪大学教授。1997年日本機械学会熱工学部門長。2004年大阪大学名誉教授、大阪産業大学客員教授。2010年大阪産業大学客員教授退任。 専門は熱工学、燃焼など。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
元山 登雄(もとやま たかお、1941年2月1日 - 202… 元山 登雄(もとやま たかお、1941年2月1日 - 2025年7月24日)は、日本の経営者。三井造船社長を務めた。京都府出身。 1964年に大阪大学工学部を経て、1966年に大阪大学大学院工学研究科を修了し、同年に三井造船に入社。1997年6月に取締役に就任し、1999年6月に常務を経て、2001年6月に社長に就任。2007年6月には会長に就任。2011年6月に相談役に退いた 2025年7月24日死去。84歳没。
長田 鞆絵(おさだ ともえ、1941年(昭和16年)2月1日… 長田 鞆絵(おさだ ともえ、1941年(昭和16年)2月1日 - )は、日本の童話作家、児童文学者。兵庫県出身、東京女子大学短期部卒業。小説家の大岡昇平の長女。 短大を卒業後、父である大岡昇平の伝手で、出版社に就職。一般の図書の出版部署は父との縁があるために避け、児童図書の出版部署で働く。 大学時代の友人と結婚した後、再び学業を希望して、就職から6年後に退職する。明治学院大学英文科、同大学院を経て、父の勧めで執筆業を始め、中央公論社から出版されていた全集の月報に、感想を書く。 出産を機に、編集者から童話の執筆を勧められ、処女作として、父と娘と愛犬をモデルにした幼年童話『もじもじびすけっと』を刊行する。
土屋 公幸(つちや きみゆき、1941年2月1日 - 201… 土屋 公幸(つちや きみゆき、1941年2月1日 - 2018年6月5日)は、日本の哺乳類学者。学位は、農学博士(東京農業大学・論文博士・1975年)。東京農業大学名誉教授。 1941年、東京都生まれ。1964年、東京農業大学農学部卒業。 元東京農業大学野生動物学研究室教授、元太美生物研究所所長、元株式会社応用生物生物資源研究室特任研究員。ネズミやモグラを中心とした幅広い研究を行う。 1975年、「日本産アカネズミ類の種分化に関する核形態学的および生化学的研究」で、東京農業大学より農学博士の学位を取得。 学芸員資格をもち、宮崎県および山梨県のレッドデータ哺乳動物部門の調査・執筆を担当する。 2010年、野生小哺乳類の染色体・系統分類と実験動物化に関する長年の研究業績を認められ、平成22年度(第3回)日本哺乳類学会賞を受賞した。
石井 孝郎(いしい たかお、1941年2月1日 -2015年… 石井 孝郎(いしい たかお、1941年2月1日 -2015年8月4日 74歳没 )は、日本の射撃競技(ライフル射撃)選手。1960年ローマオリンピック・1964年東京オリンピックに出場。このほか、アジア競技大会でメダル2、アジア射撃選手権大会でメダル1を獲得した。 茨城県出身。明治大学卒業。 明治大学2年生であった1960年、ローマオリンピックに男子スモール・ボア・ライフル伏射および男子スモール・ボア・ライフル3姿勢の2種目で参加。 1962年アジア競技大会(ジャカルタ)では、50mライフル3姿勢で金メダルを獲得。 1964年東京オリンピックには、男子スモール・ボア・ライフル伏射および男子スモール・ボア・ライフル3姿勢の2種目で参加(当時は会社員)。
徳吉 一己(とくよし かずみ、1941年2月1日 - )は鹿… 徳吉 一己(とくよし かずみ、1941年2月1日 - )は鹿児島県姶良郡牧園町(現・霧島市)出身の元騎手・現評論家。 騎手出身者として初めてJRA競馬学校騎手課程の教官となった。 同じくJRA騎手であった徳吉孝士は実子。 実家は数頭の馬を飼っており、中学生の時から競馬好きの兄に連れられて公営・鴨池競馬場を訪れ競馬にも親しんだ。中学3年次には小柄であったことから騎手になることを勧められ、中央競馬の騎手養成長期課程を受験。合格後騎手養成所に入り、1958年に東京・森末之助厩舎よりデビューし、同年9月7日にイチツバメで初勝利。 1968年の目黒記念(秋)・メジロタイヨウをはじめ、ヤマブキオーで重賞3勝を挙げるなど、数々の重賞勝利馬に騎乗した。