清水 一行(しみず いっこう、1931年(昭和6年)1月12… 清水 一行(しみず いっこう、1931年(昭和6年)1月12日 - 2010年(平成22年)3月15日)は、日本の小説家。本名:清水和幸(しみず・かずゆき)。 実際に起きた経済事件に関わった実在の人物をモデルに、企業の実態や事件の内幕を描く作風を確立した。高杉良、城山三郎らと並ぶ経済小説の第一人者として知られる。息子に自動車評論家の清水草一、孫に元テレビ朝日アナウンサーの竹内由恵、元俳優の竹内太郎がいる。 東京府南葛飾郡吾嬬町(現在の東京都墨田区八広)の2階屋が4軒続く長屋で、大工の次男として生まれた。父は忠助、母ははな。清水が生まれた吾嬬町は、『玉の井』と呼ばれる私娼街(娼家が密集している地域)の南側に隣接していた。
岡本 康雄(おかもと やすお、1931年1月12日 - 20… 岡本 康雄(おかもと やすお、1931年1月12日 - 2015年8月2日)は、日本の経営学者。 東京生まれ。東京大学経済学部卒、1958年同大学院社会科学研究科博士課程修了。福島大学助教授、武蔵大学助教授、青山学院大学助教授、東京外国語大学助教授、東京大学経済学部助教授、教授、91年定年退官、名誉教授、青山学院大学国際政経学部教授。2000年退任。
大海 赫(おおうみ あかし 1931年1月12日 - 男性)… 大海 赫(おおうみ あかし 1931年1月12日 - 男性)は日本の児童文学作家。イラストレーターとして挿絵も兼任。人間心理のダークサイドをえぐる作品を書く。 東京都港区新橋生まれ。生家はファーストホテルヨシカワの正面にあった。3歳でぜんそくをわずらい、学校行事どころか朝礼もなかなか出席できなかった。兄弟も二人は乳児の時、一人は27歳で亡くなっている。食肉加工業者の父と異なる仕事につきたいと考え、将来の夢が小学生の時は漫画家だったが、16歳の時に作家を目指す。早稲田大学第一文学部仏文科でブレーズ・パスカル、大学院ではアンリ・ベルクソンに傾倒する。 卒業後は就職したくなく、神奈川県横浜の下宿先の大家がたまたま書道塾を兼業しており、ふとしたはずみでここを利用して学習塾を営むことになった。
内藤 繁春(ないとう しげはる、1931年1月12日 - 2… 内藤 繁春(ないとう しげはる、1931年1月12日 - 2013年8月12日)は、愛知県碧海郡高浜町(現・高浜市)出身の元騎手・元調教師・元馬主。管理馬通算出走11201回という中央競馬の史上最多記録を打ち立て、調教師として定年引退間際の2000年に騎手復帰を試みたことで話題を集めた。 実兄・博司は東海地方で飲食店をチェーン展開する株式会社だるまの創業者、同社会長で馬主の内藤耕造は甥である[要出典]。 実家は名古屋コーチンを生産する養鶏場を営んでおり、太平洋戦争を経て、戦後は定時制高校に通いながら鉄工所や瓦の製造会社に就職したが、工場内で排出される煤煙で肺を病み休職を余儀なくされて高校も中退。
岡地嶺(おかじ みね、1931年1月11日- )は、日本の英… 岡地嶺(おかじ みね、1931年1月11日- )は、日本の英文学者、中央大学名誉教授。 埼玉県出身。青山学院大学文学部英文科卒、同大学院博士課程中退。中央大学商学部助教授、教授、2001年定年、名誉教授。英国ロマン派が専門。
田口 富久治(たぐち ふくじ、1931年(昭和6年)1月11… 田口 富久治(たぐち ふくじ、1931年(昭和6年)1月11日 - 2022年5月23日)は、日本の政治学者。名古屋大学名誉教授。マルクス主義の立場から、資本主義国家論、政党論、政策論、民族問題を論じた。 秋田県出身。1953年、東京大学法学部卒業。明治大学政経学部教授を経て、1975年から名古屋大学法学部教授。1994年-2001年、立命館大学政策科学部教授。 田口は、丸山真男に代表される近代主義的政治理論のマルクス主義による内在的な批判を意図。日本共産党の党員であったが、ユーロコミュニズムの立場に近づき、『先進国革命と多元的社会主義』をめぐって不破哲三との間に論争を繰り広げた。論争の結果、田口は日本共産党中央委員会付属社会科学研究所での自己批判に追い込まれた。
宮田 親平(みやた しんぺい、1931年1月11日 - 20… 宮田 親平(みやた しんぺい、1931年1月11日 - 2018年12月18日)は、日本の医学・科学ジャーナリスト。 東京府北豊島郡(現・東京都北区)生まれ。1954年東京大学医学部薬学科卒業。薬剤師を経て、文藝春秋社入社。『週刊文春』編集長、『文藝春秋』編集委員を経てフリー。2008年『毒ガス開発の父ハーバー 愛国心を裏切られた科学者』で科学ジャーナリスト賞大賞受賞。 2018年12月18日に肺炎のため死去。87歳没。
佐藤 健次郎(さとう けんじろう、1931年1月10日 - … 佐藤 健次郎(さとう けんじろう、1931年1月10日 - 2015年5月14日)は、日本の彫刻家 、国画会会員。 栃木県、のちの那須塩原市出身。具象彫刻、新宿中央公園、栃木県総合運動公園、北海道から屋久島まで各地にモニュメントがある。また、評論家の草柳大蔵とも親交があり、新宿中央公園の「燮(やわらぎ)」の像は草柳が名付けたもの。日本交渉学会理事。 下野新聞「談話室」、栃木新聞「渡辺美智雄氏の胸像を作る彫刻家佐藤健次郎さんが来社」
小塩 節(おしお たかし、1931年1月10日 - 2022… 小塩 節(おしお たかし、1931年1月10日 - 2022年5月12日)は、ドイツ文学者。中央大学名誉教授。フェリス女学院理事長。妻・小塩トシ子(1931- 、フェリス女学院大学名誉教授)は英文学者。 長崎県佐世保市生まれ。父は牧師小塩力。旧制松本高等学校文科乙類を経て、東京大学独文科卒、同大学院修了。 1958年、国際基督教大学専任講師、準教授、1967年からNHKの「ドイツ語講座」を1985年まで担当。 1970年、中央大学文学部教授、のち常任理事、在職のまま1985年から1988年まで駐西ドイツ・日本大使館公使、ケルン日本文化会館館長。 1997年中央大学退職、名誉教授、フェリス女学院院長、2004年理事長。
井上 安雄(いのうえ やすお、1931年1月10日 - 20… 井上 安雄(いのうえ やすお、1931年1月10日 - 2014年1月2日[1])は、和歌山県[2]出身のプロ野球選手。
小川 英次(おがわ えいじ、1931年1月10日 - 201… 小川 英次(おがわ えいじ、1931年1月10日 - 2019年7月4日)は、日本の経営学者。専門は生産管理論、中小企業経営論。名古屋大学名誉教授、学校法人梅村学園名誉理事長。第6代中京大学学長、第5期日本中小企業学会会長等も務めた。日経・経済図書文化賞受賞、瑞宝重光章、豊田市市政功労章受章。 名古屋市出身。1953年旧制名古屋大学工学部機械学科卒、1955年名古屋大学経済学部経営学科卒業、1960年名古屋大学大学院経済学研究科経営学専攻博士課程単位取得満期退学。64年「生産計画論」で名古屋大学より経済学博士の学位を取得。末松玄六研究室出身。 60年名大経済学部助手となり、62年生産管理論専任講師。
猪熊 重二(いのくま じゅうじ、1931年〈昭和6年〉1月9… 猪熊 重二(いのくま じゅうじ、1931年〈昭和6年〉1月9日 - 2007年〈平成19年〉1月28日)は、日本の政治家、弁護士。中央大学卒業。公明党参議院議員(2期)。 娘は東京都副知事の猪熊純子。 1931年、群馬県北群馬郡子持村(現・渋川市)の農家に生まれる。旧制渋川中学校(現・群馬県立渋川高等学校)を経て1953年中央大学法学部を卒業。小学校教諭、弁護士を務める。東京都港区西新橋に猪熊重二法律事務所を設立。 1983年、第13回参議院議員通常選挙に公明党公認候補として立候補したが落選する。1986年7月6日、第14回参議院議員通常選挙に、比例区から公明党公認候補として立候補し、初当選する(以降2期)。
千野 武廣(ちの たけひろ、1931年1月9日 - 2012… 千野 武廣(ちの たけひろ、1931年1月9日 - 2012年)は日本の歯学者、歯科医師。松本歯科大学名誉教授、松本歯科大学付属病院元院長。医学博士。 長野県南安曇郡豊科町(現安曇野市)生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て、1959年(昭和34年)大阪大学歯学部卒業。 1962年(昭和37年)九州大学より医学博士号の学位取得。 札幌医科大学教授、松本歯科大学教授を務めた後、定年退官。松本歯科大学名誉教授。松本歯科大学副学長、松本歯科大学付属病院院長を務めた。
滝沢 武久(たきざわ たけひさ、1931年1月9日 - 20… 滝沢 武久(たきざわ たけひさ、1931年1月9日 - 2015年7月5日)は、日本の心理学者、翻訳家。電気通信大学名誉教授。 東京出身。東京大学教育学部卒。同大学院をへて、東京大学新聞研究所助手、新潟大学助教授、電気通信大学助教授、1975年教授。1995年定年退官、大妻女子大学教授。 1964年フランス政府招聘留学生としてパリ大学発達心理学研究室に留学 (1965年まで)。ピアジェの影響を受け、発達心理学や教育心理学を研究。
佐藤 哲男(さとう てつお、1931年1月9日 - )は、日… 佐藤 哲男(さとう てつお、1931年1月9日 - )は、日本の薬学者。 学位は薬学博士(北海道大学・1966年)。 千葉大学生物活性研究所助手、シカゴ大学毒性研究所准教授、ミシシッピ大学メディカルセンター客員教授、東京薬科大学薬学部教授、国際毒性学会連合(IUTOX)副会長、アジア毒性学会(ASIATOX)初代事務局長、理事、同アドバイザー、米国及び日本の毒性学会関係専門誌の編集委員、編集委員長などを歴任した。 1931年、秋田県秋田市楢山生まれ。1955年に富山大学薬学部を卒業。1966年に北海道大学大学院薬学研究科博士課程を修了。薬学博士(北海道大学)。 2019年1月、日本毒性学会において、佐藤哲男賞(国際貢献賞)が創設された。
稲畑 汀子(いなはた ていこ、1931年1月8日 - 202… 稲畑 汀子(いなはた ていこ、1931年1月8日 - 2022年2月27日)は、神奈川県出身の俳人。俳人高浜年尾の娘で、俳人高浜虚子の孫。『ホトトギス』名誉主宰、日本伝統俳句協会名誉会長。 神奈川県横浜市に、父高濱年尾、母喜美の次女として生まれる。幼児期を鎌倉で過ごしたのち、1935年に兵庫県芦屋市に転居する。小学校のころから祖父高濱虚子と父年尾のもとで俳句を教わった。小林聖心女子学院高校卒業、1949年同英語専攻科在学中に病を得て中退する。英語専攻科中退後、俳句修行に専念し、祖父と父に同行して全国を廻る。1956年、24歳で稲畑勝太郎の孫、稲畑順三と結婚。のち2男1女の母となる。1965年『ホトトギス』同人。
伊海田 弘(いかいだ ひろし、1931年1月8日 - 199… 伊海田 弘(いかいだ ひろし、1931年1月8日 - 1997年10月24日)は、日本の俳優である。1967年(昭和42年) - 1972年(昭和47年)の一時期、二階堂 浩(にかいどう ひろし)と名のった時期がある。東宝資料室では伊海田 宏と表記されている。テッサロニキ国際映画祭等に出品されて再評価される『㊙湯の街 夜のひとで』(監督渡辺護、1970年)に「トリ金」役で出演しているほか、テレビドラマ『スーパーロボット レッドバロン』(1973 - 1974年)の「デビラー総統」役、『スーパーロボット マッハバロン』(1974年 - 1975年)の「ララーシュタイン」役で知られる。 1931年(昭和6年)1月8日、新潟県北蒲原郡(現・阿賀野市)に生まれる。
田中 重信(たなか しげのぶ、1931年1月8日 - 202… 田中 重信(たなか しげのぶ、1931年1月8日 - 2021年8月26日)は、日本の経営者。フジクラ社長、会長を務めた。東京都出身。 1953年に千葉大学工学部電気工学科を卒業し、同年に藤倉電線(のちのフジクラ)に入社。1978年に取締役に就任し、1981年6月に常務、1986年6月に専務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1992年12月には社長に昇格。1999年6月に会長に就任し、2002年6月から相談役を務めた。 1997年4月に藍綬褒章を受章し、2003年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2021年8月26日死去。90歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
塚越 恒爾(つかごし つねじ、1931年1月8日 - 201… 塚越 恒爾(つかごし つねじ、1931年1月8日 - 2016年3月21日)は、元アナウンサー、児童文学作家。 神風号のパイロットとして名前を知られた塚越賢爾の長男として東京に生まれる。 1955年横浜国立大学工学部卒業。当初は父と同じく朝日新聞社に入って航空分野で活躍しようとした節があるが、相談相手で賢爾を知っていた斉藤寅郎に「君は本流を歩きなさい」と反対され、NHKにアナウンサーとして入局。あさま山荘事件やアポロ11号月着陸の報道特別番組における現場からの中継に携わった。 1987年の定年退職後は対話総合研究所を設立して後進の指導を行う一方、児童文学の執筆も行い、「ファンタ爺さん」として全国の小学校で口演などを行い、語り伝えの普及に努めた。
三好 徹(みよし とおる、1931年1月7日 - 2021… 三好 徹(みよし とおる、1931年1月7日 - 2021年4月3日)は、日本のジャーナリスト、作家。東京生まれ。推理小説、スパイ小説、歴史小説などを発表した。本名は河上 雄三。 小学生時代は「雷電為右衛門」などの少年講談や推理小説を愛読。旧制中学校1年の時に陸軍幼年学校を目指したが不合格、2年修了時に合格して、14歳で第二志望だった名古屋陸軍幼年学校に入学した。東京幼年学校の同期に西村京太郎、名古屋幼年学校の2期上に加賀乙彦がいた。敗戦で元の学校に戻り、東京府立第一商業学校(現・東京都立第一商業高等学校)卒業後、横浜高等商業学校(在学中に横浜国立大学経済学部に改名)に進学、卒業後1950年、読売新聞社に入社。
湯浅 武(ゆあさ たけし、1931年1月7日 - 2020年… 湯浅 武(ゆあさ たけし、1931年1月7日 - 2020年12月24日)は、日本の経営者。東京都出身。 1953年に早稲田大学文学部を卒業し、同年に読売新聞社に入社。一般事業部長、スポーツ事業部長、事業本部次長、事業本部総務、読売興業常務を経て、1987年に読売ジャイアンツ球団代表に就任し、専務を経て、1992年にはオーナー代行に就任。1998年からは非常勤顧問を務め、読売旅行取締役も務めた。 2020年12月24日心不全のために死去。89歳没。
荒岡 昭(あらおか あきら、1931年1月6日 - )は、神… 荒岡 昭(あらおか あきら、1931年1月6日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(投手)。 逗子開成中学校から横浜専門学校を経て、1950年に大映スターズへ入団。1952年に退団。 1954年に西鉄ライオンズで復帰し、同年引退。
八千草 薫(、1931年〈昭和6年〉1月6日 - 2019年… 八千草 薫(、1931年〈昭和6年〉1月6日 - 2019年〈令和元年〉10月24日)は、日本の女優。 大阪府大阪市出身。宝塚音楽学校卒業。所属事務所は柊企画。愛称は「ヒトミ(ちゃん)」(本名に由来)。公称身長154cm。 幼少時に父を亡くし、母子家庭で育つ。思春期がちょうど戦時中であり、自宅も空襲で焼け、「色のある」「夢のある世界」に飢えていたことから華やかな世界にあこがれた。 聖泉高等女学校(現:プール学院中学校・高等学校)在学中に宝塚音楽学校に合格し、1947年に宝塚歌劇団34期生として入団。入団時の成績は50人中19位。入団当初は『分福茶釜』の狸などコミカルな役を当たり役としたが、1952年『源氏物語』の初演で可憐で無垢な若紫(紫の上の少女時代)を内・外面とも見事に表現し、人気を博した。
福嶋 一雄(ふくしま かずお、1931年1月6日 - )は、… 福嶋 一雄(ふくしま かずお、1931年1月6日 - )は、日本の野球選手(投手)。1940年代から1950年代にかけてアマチュア野球でプレーした。
桑原 洋子(くわはら ようこ、1931年(昭和6年)1月6日… 桑原 洋子(くわはら ようこ、1931年(昭和6年)1月6日 - )は、日本の社会福祉学者。 北海道生まれ。1953年大阪女子大学文芸学部社会福祉学科卒業。56年大阪市立大学大学院法学研究科修士課程修了。佛教大学講師、1971年ロンドン大学上級法律学研究所に学ぶ。花園大学文学部教授、龍谷大学社会学部教授、2001年四天王寺国際仏教大学教授。 1994年「英国児童福祉制度史研究」で専修大学より博士(法学)の学位を取得。
瀬木 慎一(せぎ しんいち、1931年1月6日- 2011年… 瀬木 慎一(せぎ しんいち、1931年1月6日- 2011年3月15日)は、日本の美術評論家。 東京府生まれ。中央大学法学部卒業後、1950年代から岡本太郎、花田清輝らの前衛芸術運動「夜の会」に参加するなど美術評論に関わり、多くの著述を執筆した。東京芸術大学でも美術論や芸術史の講義をした。日本に多くの西洋美術を紹介する。とくに社会や経済の視点から美術を論じた美術社会学研究が著名で、海外でも知られている。 総合美術研究所所長・国際美術評論家連盟会長・ジャポニズム学会常任理事・国際浮世絵学会理事などを歴任。 テレビ東京の番組「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士としても、たびたび出演した。 2011年3月15日、肺炎のため80歳で死去。
矢野 祐弘(やの すけひろ、1931年1月6日 - 1993… 矢野 祐弘(やの すけひろ、1931年1月6日 - 1993年6月11日)は、愛媛県出身のアマチュア野球の野球指導者。 西条高校(旧制西条中学校)を経て、立教大学に進学し野球部に属したが、2年で中退。1950年3月に母校の西条高校の監督に就任した。1956年の選抜高校野球で初めて甲子園への出場を果たし、1959年の全国高校野球では、エースの金子哲夫を擁し、初めて全国制覇を果たした。1962年の岡山国体でも優勝を果たした。 実績を買われて、1965年から1977年までの間、亜細亜大学の監督を務めた。山本和行投手を擁し1971年春に東都大学野球リーグで亜大3回目の優勝を果たすと、全日本大学野球選手権大会で法政大学を破り亜大を全国大会初優勝に導いた。
多田 治夫(ただ はるお、1931年1月5日 - 2016年… 多田 治夫(ただ はるお、1931年1月5日 - 2016年4月24日)は、日本の心理学者。金沢大学名誉教授。 第四高等学校出身。1953年(昭和28年)、金沢大学法文学部哲学科(心理学専攻)卒。同大学助手、助教授、教授を経て、1996年(平成8年)定年退官、同大学名誉教授。放送大学石川学習センター所長を経て、2001年(平成13年)より金沢工業大学学生相談室顧問、2004年(平成16年)から同大客員教授。 専門はカウンセリング心理学、被害者心理学に関する研究を展開しており、多数の著書がある。石川被害者サポートセンター代表理事、「金沢こころの電話」会長などを経験し、各種の地域臨床活動の実践で知られる。
吉井 光照(よしい みつてる、1931年1月4日 - 201… 吉井 光照(よしい みつてる、1931年1月4日 - 2017年1月18日)日本の政治家。山口県防府市出身。山口県立防府高等学校卒業。元衆議院議員(4期)。 党派を超えた人気があり、今も「山口県の公明党を築いた立役者」の評価を受ける[要出典]。
木原 啓吉(きはら けいきち、1931年1月4日 - 201… 木原 啓吉(きはら けいきち、1931年1月4日 - 2014年)は、日本のジャーナリスト、環境学者。千葉大学名誉教授 鹿児島県鹿児島市生まれ、出身。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)を経て、1950年第七高等学校文科卒業。1953年東京大学法学部卒。朝日新聞社に入り、盛岡支局勤務から始め、小繋事件を取材、のち公害キャンペーンと環境問題を担当、編集委員をへて、1981年千葉大学教養部教授となる。1996年定年退官、江戸川大学教授。環境庁の自然環境保全審議会委員、ナショナル・トラストを進める全国の会幹事長。
岡 道男(おか みちお、1931年1月4日- 2000年3月… 岡 道男(おか みちお、1931年1月4日- 2000年3月3日)は、日本の西洋古典文学者。
藤多 哲朗(ふじた てつろう、1931年1月4日 - 201… 藤多 哲朗(ふじた てつろう、1931年1月4日 - 2017年1月1日)は、日本の薬学者・天然物化学者。京都大学名誉教授。 多発性硬化症治療薬フィンゴリモド (FTY720) の開発において、基礎となる重要な発見をした。京都大学評議員、日本生薬学会会長(第16代)、一般財団法人生産開発科学研究所評議員を歴任。京都市左京区出身。 1953年 京都大学医学部薬学科卒業。1958年 京都大学大学院薬学研究科博士課程(新制大学院1期生)を修了。生薬学教室にて刈米達夫教授に師事。 1959年 京都府立医科大学助手(生化学教室:能勢善嗣教授主宰)。1963年 京都大学化学研究所助手(生理活性部門:藤田榮一教授主宰)。
岸部 清(きしべ きよし、1931年1月3日 - 2019年… 岸部 清(きしべ きよし、1931年1月3日 - 2019年2月11日)は、日本の歌手、実業家、元「東京ウエスタンボーイス」のメンバーで「ザ・サンズ・オブ・ドリフターズ」(現在の「ザ・ドリフターズ」)の初代リーダー。第一プロダクション創業者である。群馬県出身。
横溝 亮一(よこみぞ りょういち、1931年1月3日 - 2… 横溝 亮一(よこみぞ りょういち、1931年1月3日 - 2015年2月17日)は、日本の音楽評論家。 探偵小説家の横溝正史の長男として東京に生まれる。少年時代に音楽評論家の属啓成から音楽理論を学んだ。東京府立第十中学校(現・東京都立西高等学校)在校中に疎開で転校し、岡山県矢掛中学校(現・岡山県立矢掛高等学校)及び早稲田大学第一文学部英文科をそれぞれ卒業。 大学卒業後に東京新聞に入社、23年間、文化部音楽担当記者を務め、1977年に退社、音楽評論家となる。 100回を超える渡航を重ね、2005年にフィンランド政府よりフィンランド獅子勲章騎士第1級章を授与される。その他、武蔵野音楽大学、東京音楽大学、昭和音楽大学、成城大学短大などで教鞭をとった。
田内 幸一(たのうち こういち、1931年1月3日 - 19… 田内 幸一(たのうち こういち、1931年1月3日 - 1996年11月18日)は、日本の経営学者。一橋大学名誉教授。 専攻はマーケティング論で、田島義博らと日本マーケティング学会の期成に関与したが発足時には早世、故人となった。 満洲国奉天市出身。桐朋高等学校を経て、1954年一橋大学商学部卒業、1959年一橋大学大学院商学研究科博士課程単位取得退学。深見義一ゼミ出身。経営学者の田島義博第24代学習院院長は大学時代からの友人。 1959年文部教官に採用され一橋大学商学部助手に就任。1960年一橋大学商学部専任講師。シカゴ大学経済学部留学を経て、1965年一橋大学商学部助教授、1971年同教授。1984年文部省短期在外研究員としてミラノ大学でファッション産業研究に従事。
吉原 英雄(よしはら ひでお、1931年(昭和6年)1月3日… 吉原 英雄(よしはら ひでお、1931年(昭和6年)1月3日 - 2007年(平成19年)1月13日)は、日本の画家、版画家。 広島県因島市出身。大阪府立天王寺高等学校卒業。京都市立芸術大学名誉教授。2007年に膵臓癌のため死去。 初期にはリトグラフの制作を行なうが、後にリトグラフと銅版を併用した。女性や静物などをモチーフとし、臨場感のある虚構空間を描き出すことで知られる。作品は現代人の不安や心理的真空感を反映したものと評される。
塚脇 伸作(つかわき しんさく、1931年1月3日 - 19… 塚脇 伸作(つかわき しんさく、1931年1月3日 - 1993年9月15日)は、福岡県大牟田市出身の元体操選手。1956年メルボルンオリンピック体操男子団体銀メダリスト。 三池中学校、福岡県立三池高等学校を経て、1953年東京教育大学体育学部卒業。東京都立新宿高等学校教諭、早稲田大学教育学部・人間科学部教授を歴任。 1956年(昭和31年)のメルボルンオリンピックに出場、団体で銀メダルを獲得、個人総合で12位、吊り輪7位、平行棒8位だった。1958年(昭和33年)の世界選手権団体で銀メダル、個人総合9位。全日本選手権で個人総合2位。1962年(昭和37年)欧州遠征監督、日ソ対抗コーチ、1963年(昭和38年)欧州遠征監督、1964年(昭和39年)欧州遠征コーチ、同年の東京オリンピック、1968年(昭和43年)のメキシコシティーオリンピック、1966年(昭和41年)世界選手権各チームリーダー、1970年(昭和45年)世界選手権、1972年(昭和47年)ミュンヘンオリンピック各審判員、1974年(昭和49年)世界選手権コーチ、1978年(昭和53年)アジア大会本部役員を務める。
石川良輔(いしかわ りょうすけ、1931年1月3日- )は、… 石川良輔(いしかわ りょうすけ、1931年1月3日- )は、日本の昆虫学者、東京都立大学名誉教授。初期には膜翅目の系統分類学の研究に携わり、やがてオサムシの種分化の研究を開拓した。 京都府生まれ。横浜国立大学理学部生物学科卒業。九州大学大学院農学研究科昆虫学専攻博士課程満期退学。1971年「日本産コツチバチ属の検討」で、理学博士(北海道大学)。国立科学博物館研究員、東京都立大学理学部教授、95年定年退官、名誉教授。
平田 寛(ひらた ゆたか、1931年1月3日 - 2013年… 平田 寛(ひらた ゆたか、1931年1月3日 - 2013年9月14日)は、日本の美術史学者、九州大学名誉教授 1931年、佐賀県で生まれた。九州大学文学部を卒業し、同大学大学院に進んだ。 修了後は九州大学文学部助手に採用され、その後奈良国立文化財研究所所員となった。1971年、九州大学文学部助教授に就いた。1978年に教授昇格。1995年に九州大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は長崎純心大学教授として教鞭をとった。1996年、学位論文『絵仏師の時代』を九州大学に提出して文学博士号を取得。2004年1月、講書始で「絵仏師」を御進講。 2013年9月、膀胱癌のため、自宅で死去。82歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
磯村 修(いそむら おさむ、1931年1月3日 - 2018… 磯村 修(いそむら おさむ、1931年1月3日 - 2018年11月10日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
原 昌(はら しょう、1931年1月3日 - )は、日本の児… 原 昌(はら しょう、1931年1月3日 - )は、日本の児童文学研究者、翻訳家、中京大学名誉教授。 名古屋市生まれ。本名・昌一。南山大学文学部英文科卒、市邨学園短期大学(現・名古屋経済大学短期大学部)教授、1980年中京大学文学部教授、2002年名誉教授。台湾国立成功大学客員教授。日本イギリス児童文学会会長、日本児童文学学会会長を務めた。1974年新美南吉文学賞を『児童文学の笑い』で受賞。2004年児童文化功労者褒章。
道場 六三郎(みちば ろくさぶろう、1931年〈昭和6年〉1… 道場 六三郎(みちば ろくさぶろう、1931年〈昭和6年〉1月3日 - )は、日本料理の料理人。勲等は旭日小綬章。 赤坂常盤家チーフ、銀座ろくさん亭店主、懐食みちば店主などを歴任した。 石川県江沼郡山中町(現在の加賀市山中温泉地区)出身の日本料理の料理人である。「赤坂常盤家」のチーフなどを経て「銀座ろくさん亭」の主人となる。その後、銀座に「懐食みちば」も新たに出店した。身長168cm。 1931年1月3日、三男三女の末っ子として誕生。「六人兄弟の三男」という意味で「六三郎」と名付けられた。実家は老舗の山中漆器を扱う店であり、地元が歴史のある有名な温泉街だったこともあって、幼少時から料理に親しむ環境で育った。
石指 集三(いしざし しゅうぞう、昭和6年(1931年)1月… 石指 集三(いしざし しゅうぞう、昭和6年(1931年)1月3日 - 昭和57年(1982年)10月28日)は日本の実業家。元・丸神海産取締役社長、キング食品工業代表取締役、神和工業取締役、神港商事取締役。 妻春子は弁護士、公証人雑賀愛造の次女。なお日本商工会議所会頭、王子製紙社長などを歴任した足立正の足立家と雑賀家は姻戚関係にある。 鳥取県境港市生まれ。 昭和22年(1947年)丸神海産入社、昭和28年(1953年)社長に就任。大篠津食品工業(株)、神和工業(株)各代表取締役のほか、日本輸出水産缶詰組合理事も務めた。 趣味は読書。住所は境港市明治町。
富樫 実(とがし みのる、1931年(昭和6年)1月2日 -… 富樫 実(とがし みのる、1931年(昭和6年)1月2日 - 2020年11月25日)は、日本の彫刻家。成安造形大学名誉教授、櫛引町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)。第47代横綱柏戸剛は再従兄弟にあたる。
新井 章(あらい あきら、1931年〈昭和6年〉1月2日 -… 新井 章(あらい あきら、1931年〈昭和6年〉1月2日 - 2025年〈令和7年〉1月27日)は、日本の法学者、弁護士。茨城大学名誉教授。 群馬県高崎市末広町に生まれる。高崎市立北小学校、旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)、旧制第一高等学校を経て、1954年(昭和29年)に東京大学法学部を卒業。1953年(昭和28年)司法試験に合格し、1956年(昭和31年)第二東京弁護士会登録の弁護士となる。1959年(昭和34年)から日本教職員組合の顧問弁護士。 砂川事件・朝日訴訟・堀木訴訟・全逓中郵事件・家永教科書裁判など数々の憲法裁判に携わる。茨城大学人文学部教授、1996年定年退官、名誉教授。
行天 豊雄(ぎょうてん とよお、1931年1月2日 - )は… 行天 豊雄(ぎょうてん とよお、1931年1月2日 - )は、日本の大蔵官僚、財務官。 神奈川県出身。1943年(昭和18年)に間門国民学校卒業、1948年(昭和23年)には神奈川県立横浜第一中学校卒業した。 同年、第一高等学校に入学。同校文科乙類(ドイツ語)のクラスメートには、本間長世(東大名誉教授、アメリカ史)、芳賀徹(東大教授、比較文化史)、高階秀爾(東大教授、美術史)らがいた。翌年、学制改革に伴い新制東京大学を受験するも不合格となり、1950年(昭和25年)に早稲田大学政治経済学部新聞学科に入学した。同大学新聞学科のクラスメートには、早坂茂三(田中角栄秘書)、岡村喬生(オペラ歌手)、越智勝幸(日本経済新聞政治部長)らがいた。
左近 淑(さこん きよし、1931年1月2日 - 1990年… 左近 淑(さこん きよし、1931年1月2日 - 1990年9月7日)は、日本の牧師・聖書学者。 日本画家であった父・木下茂・イクの次男として神奈川県横浜市に誕生。旧制神奈川県立横浜第一中学校を卒業。肺病による療養生活、並びに敗戦による心身両面の挫折を契機に1947年、日本基督教団横浜明星教会にて洗礼を受け、同時に伝道者としての召命を与えられて、1948年、日本基督教神学専門学校(現・東京神学大学)に入学。 1955年、「アリステアスの手紙」の研究で、同校より神学修士を授与される。日本基督教団四谷新生教会伝道師を経て、1958年から1963年にかけてフルブライト奨学金を得てニューヨークのユニオン神学大学大学院Th.D.課程に学ぶ。
海部 俊樹(かいふ としき、1931年〈昭和6年〉1月2日 … 海部 俊樹(かいふ としき、1931年〈昭和6年〉1月2日 - 2022年〈令和4年〉1月9日)は、日本の政治家。位階は正二位、勲等は大勲位菊花大綬章(没後叙勲)。 衆議院議員(16期)、労働政務次官(第1次佐藤第2次改造内閣 - 第2次佐藤内閣)、内閣官房副長官(三木内閣)、自由民主党国会対策委員長(第21代)、文部大臣(第98・107代)、自由民主党総裁(第14代)、大蔵大臣(第95代)、内閣総理大臣(第76・77代)、新進党党首(初代)などを歴任した。 国際天文学連合(IAU)会長の海部宣男、2008年にノーベル物理学賞を受賞した小林誠の従兄である。 名古屋市東区七曲町(現・東区東桜一丁目)に生まれる。
藤井 凡大(ふじい ぼんだい、1931年1月2日 - 199… 藤井 凡大(ふじい ぼんだい、1931年1月2日 - 1994年7月24日)は、日本の作曲家、指揮者、音楽教育家である。 大分県竹田市生まれ。 幼児の頃から母に生田流箏曲を学ぶ。旧制福岡高等学校時代、福岡合唱協会で知り合った指揮者の石丸寛から影響を受ける。 九州大学工学部造船学教室へ進学し、1953年卒業。在学中より作曲を始める。同年、東京新聞主催の全国邦楽コンクール作曲部門で「和楽器と管弦楽協奏の為の一楽章」を自演(箏)して作曲部門の第1位となり、文部大臣賞、NHK賞を受賞。以後、放送音楽を中心とする作曲・指揮活動に入る。 作品には「東洋の楽器による交響曲・西遊記」(1967年文部省芸術祭レコード部門受賞)、「絲竹交響」、「伊勢物語抄」などの邦楽器楽曲、「北原白秋の詩による9つのカノン」、「筑紫のわらべ唄」などの合唱曲、オーケストラ作品等、作曲・編曲多数。
根井 正利(ねい まさとし、1931年1月2日 - 2023… 根井 正利(ねい まさとし、1931年1月2日 - 2023年5月18日)は、日本出身のアメリカ合衆国の集団遺伝学者・進化生物学者。ペンシルベニア州立大学教授 (the Evan Pugh Professor of Biology)・同大学分子進化遺伝学研究所所長。日本遺伝学会、日本人類遺伝学会名誉会員。 最先端の分子生物学の知識を考慮しつつ、単独または学生との共同研究により分子進化の分野での新しい統計的理論を開発してきた。それとともに、進化理論に関するいくつかの新しい概念を提唱した。 遺伝子間に相互作用がある場合、自然選択は常に遺伝子座の連鎖を強めるか、または同じ連鎖関係を維持する傾向のあることを最初に数学的に証明した。