佐藤 俊一(さとう しゅんいち、1932年〈昭和7年〉1月1… 佐藤 俊一(さとう しゅんいち、1932年〈昭和7年〉1月10日 - 2006年〈平成18年〉9月27日)は、新潮社相談役。東京府出身。 1954年に慶應義塾大学文学部を卒業と同時に大日本印刷に入社。その後、家族が経営する新潮社に移り、1974年に取締役、1983年に専務取締役、1987年に高畑勲監督の『火垂るの墓』をプロデュース、1998年に相談役に退く。 2006年9月27日に腎不全で死去。74歳没 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
吉田 義昭(よしだ よしあき、1932年1月8日 - 198… 吉田 義昭(よしだ よしあき、1932年1月8日 - 1989年5月9日)は、日本の脚本家、劇作家である。初期の別名に吉田 貴彰(よしだ たかあき)がある。日本脚本家連盟信託者。『山ねずみロッキーチャック』、『アルプスの少女ハイジ』、『フランダースの犬』等のテレビアニメーションの脚本のメイン作家として知られる。 日本映画データベース等で混同されている、同時代に活動した脚本家の吉田喜昭(1937年 - 2001年)は同音異字の別人。また、第20回小野十三郎賞(2018年)を受賞した詩人の吉田義昭も別人。 1932年(昭和7年)1月8日、青森県青森市に生まれる。 1950年(昭和25年)3月、青森県立青森高等学校を卒業、満20歳を迎えた1952年(昭和27年)に東京に移る。
鈴木 幸雄(すずき さちお、1932年1月8日 - 2022… 鈴木 幸雄(すずき さちお、1932年1月8日 - 2022年9月26日)は、和歌山県和歌山市小松原出身のプロ野球選手(投手)・解説者。 幼少期に通学していた吹上小の先輩に真田重蔵がいる。戦後光風工業高等学校に入学し、そこで野球を始める。卒業後、1951年に阪急ブレーブスへ入団。1年目から一軍に出場し、南海キラーとして活躍。アンダースローからカーブ、シュートを武器とした。 その後はサンテレビボックス席解説者(1974年)を経て、2002年から2016年まで智弁学園和歌山高校で投手コーチを務め、在任中は岡田俊哉らを育て上げた。2008年秋から半年間は髙嶋仁に代わり同校の監督として大分国体、秋季県2次予選、秋季近畿大会で指揮を執った。
星野 昌子(ほしの まさこ、1932年1月8日 - 2022… 星野 昌子(ほしの まさこ、1932年1月8日 - 2022年12月2日)は、日本のNGO活動家。特定非営利活動法人日本国際ボランティアセンター特別顧問。元敬愛大学教授。 東京都生まれ。慶應義塾大学文学部社会学科卒業。 1965年、青年海外協力隊初代隊員としてラオスの首都で日本語教育に従事。1968年、在ラオス大使館大使秘書。1971年、ベトナム戦争の激化でラオスを離れ、タイ王国に移住、引き続き途上国支援に携わる。1980年、日本国際ボランティアセンター(JVC)をバンコクに設立。事務局長、東京本部事務局長、特別顧問を歴任。 1991年、神奈川県立かながわ女性センター館長。その後、日本NPOセンター代表理事、敬愛大学国際学部教授、2008年G8サミット・NGOフォーラム代表などを歴任。
山口 博(やまぐち ひろし、1932年1月8日 -2024年… 山口 博(やまぐち ひろし、1932年1月8日 -2024年8月8日 )は、日本の国文学者。富山大学名誉教授・聖徳大学名誉教授。。専門は日本古代文学。 1932年、東京都生まれ。1961年、東京都立大学大学院国文学博士課程を満期退学。 その後は富山大学人文学部講師となり、助教授、教授に昇格。1982年に学位論文『桓武朝より円融朝に至る王朝歌壇の研究』を都立大学に提出して文学博士号を取得。1983年、『万葉集』の編者を菅原道真とする説を唱えた。1985年から1986年、北京の日本学研究センターに研究滞在。1991年、富山大学を退職した。その後は新潟大学教授として教鞭をとり、1997年に定年退官。次いで聖徳大学教授を務めた。
鶴羽 伸子(つるわ のぶこ、女性、1932年1月7日 - 2… 鶴羽 伸子(つるわ のぶこ、女性、1932年1月7日 - 2002年12月8日)は、日本の翻訳家・文芸評論家。本姓は斎藤(さいとう)。 石川県金沢市生まれ。石川県立金沢第二高等女学校在学中の1945年5月に、東京から疎開転校してきた曽野綾子と出会う。1954年金沢大学法文学部卒業。大学の同級生に、後に金沢女子短期大学教授となる森井道男がいる。1957年から1967年まで、金沢アメリカ文化センター図書主任を務める。 曽野綾子の評伝を表し、曽野や夫の三浦朱門とともに翻訳を手がけるが、1981年には曽野に対し「もう付き合わない」と通告し絶縁状態となった。晩年には癌に冒され、聖路加国際病院の緩和ケアー病棟に入院した1999年に、曽野と連絡を取り復縁する。
山崎 朋子(やまざき ともこ、1932年1月7日 - 201… 山崎 朋子(やまざき ともこ、1932年1月7日 - 2018年10月31日)は、女性史研究家、ノンフィクション作家。夫は児童文化研究家の上笙一郎。 長崎県佐世保市生まれ、広島県呉市と広島市で育つ。呉市立仁方小学校卒(文芸春秋講演会での発言から)。本籍地は福井県。父は大日本帝国海軍中佐の大畑正、母は若山喜志子門下の歌人で三冊の歌集を持つ大畑晴子。1940年、父が艦長を務める伊号第六十七潜水艦が沈没し、父を喪う。 1945年、広島市への原子爆弾投下前に母親の郷里福井県に移り終戦を迎える。1952年、福井大学教育学部二部を2年修了。福井県で小学校の教師をした後、1954年、女優となることを夢見て上京、再度小学校教諭を務めるが一年で辞め、演劇の勉強をするうち、知り合った東京大学院生・金光澤と事実婚。
渡利 陽(わたり あきら、1932年1月7日 - 2015年… 渡利 陽(わたり あきら、1932年1月7日 - 2015年10月7日)は、日本の経営者。ニチメン社長を務めた。兵庫県出身。 1954年に大阪市立大学経済学部を卒業し、同年に日本綿花に入社。1984年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1993年6月に副社長に就任し、1994年6月には社長に昇格した。2000年10月に会長に就任し、2001年6月から相談役を務めた。 1998年11月に藍綬褒章を受章した。 2015年10月7日心不全のために死去。83歳没。
柴野 昌山(しばの しょうざん、1932年1月7日 - )は… 柴野 昌山(しばの しょうざん、1932年1月7日 - )は、日本の教育社会学者。京都大学名誉教授。 京都市生まれ。1956年京都大学教育学部教育社会学科卒、61年同大学院博士課程退学。1969年「人格形成の構造 教育と社会の基礎理論」で京大教育学博士。金城学院大学講師、京都大学教育学部助教授、教授、95年定年退官、名誉教授、早稲田大学教育学部教授、特任教授。2001年関西福祉大学特任教授。
吉川 道夫(よしかわ みちお、1932年1月7日 - 199… 吉川 道夫(よしかわ みちお、1932年1月7日 - 1997年5月7日)は、日本の英文学者。元中央大学教授。 英語学者・吉川美夫の子として富山県富山市に生まれる。1953年、富山大学卒。1955年、東京大学大学院修士課程修了。鳥取大学講師、金沢大学助教授を経て、1959年、中央大学法学部助教授、同教授。 1997年、脳梗塞のため死去。
中村 禎里(なかむら ていり、1932年〈昭和7年〉1月7日… 中村 禎里(なかむら ていり、1932年〈昭和7年〉1月7日 - 2014年〈平成26年〉3月13日)は、日本の生物学・生物史学者、立正大学名誉教授。専攻は科学史、民族生物学。日本科学史学会会員、日本医史学会会員。 東京生まれ。1958年東京都立大学生物学科卒業。同大大学院理学研究科生物学専攻博士課程修了。早稲田実業学校教諭を経て、1967年立正大学教養部講師。助教授、教授、1995年仏教学部教授。2002年定年退任、名誉教授。 生物学を中心に社会現象としての科学のあり方を研究。生物学周辺の歴史・民俗について多くの著書を著す。
石橋 大吉(いしばし だいきち、本名:石橋 操(いしばし み… 石橋 大吉(いしばし だいきち、本名:石橋 操(いしばし みさお)、1932年(昭和7年)1月7日 ‐ 2022年〈令和4年〉8月26日) は、日本の元政治家。位階勲等は従四位勲二等。元衆議院議員(通算4期)。 島根県松江市出身。安来第二中学校卒業。 卒業後、公務員として奉職するかたわら労働運動に加入。島根県労働組合評議会議長、自治労島根県本部委員長等を歴任。 1980年の第12回参議院議員通常選挙及び1983年の第13回参議院議員通常選挙に、日本社会党公認で島根県選挙区から立候補するが、いずれも落選。1986年に行われた第38回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧島根県全県区から立候補し、初当選を果たす。
江波戸 昭(えばと あきら、1932年1月6日 - 2012… 江波戸 昭(えばと あきら、1932年1月6日 - 2012年10月23日)は、日本の地理学者、民族音楽研究家。明治大学名誉教授。 東京生まれ。1955年、東京大学理学部地理学科卒業。1960年、同大学院博士課程修了、「蚕糸業地域の地理学的研究」で理学博士。1965年、明治大学商学部専任講師、のち助教授、教授。2002年、定年退任、名誉教授。 経済地理学を専攻し、蚕糸業地域の研究や、東京大都市圏の研究で業績をあげたほか、世界の民族音楽についての研究でも知られ、1970年から2000年までNHK-FMの番組『世界の民族音楽』を担当していた。また、楽器などを図案に取り込んだ切手の収集でも知られ、この方面の著作も多数ある。
佐藤 富雄(さとう とみお、1932年1月6日 - 2012… 佐藤 富雄(さとう とみお、1932年1月6日 - 2012年11月5日)北海道北見市生まれの自己啓発書作家。東京農業大学、早稲田大学卒業。医学博士、農学博士。スピール・ハーレ大学(ルーマニア)教授、ルーマニア名誉領事。大脳・自律神経系と人間の行動・言葉の関連性を研究していた。 2012年11月5日、肺炎のため死去。
水谷 伸治郎(みずたに しんじろう、1932年〈昭和7年〉1… 水谷 伸治郎(みずたに しんじろう、1932年〈昭和7年〉1月6日 - 2025年〈令和7年〉11月10日)は、日本の地球科学者。専門は堆積地質学・構造地質学。三重県四日市市生まれ。学位は、理学博士(名古屋大学・1964年)。名古屋大学名誉教授。弟に経済評論家・中京大学名誉教授の水谷研治。 1954年(昭和29年)名古屋大学理学部を卒業し、同地球科学科大学院修士課程へ進学。当時の木村敏雄助教授の影響を受け、堆積地質学を専攻。1956年同博士課程へ進学。松澤勲教授のもとで、構造地質学を専攻。 1958年3月同課程中退。同年4月名古屋大学理学部地球科学科の助手となる。 1964年名古屋大学より理学博士の学位を取得。
富岡喜平(とみおか きへい、1932年1月6日-2007年8… 富岡喜平(とみおか きへい、1932年1月6日-2007年8月14日)は日本の男子自転車競技選手。青森県八戸市出身。 日本大学在学時代の1951年にニューデリーで開催されたアジア競技大会に出場し、個人ロードレースで金メダルを獲得した。1952年にはヘルシンキオリンピックに出場しているが、個人ロードレースは途中棄権、スクラッチレースとタンデムで予選敗退している。 八戸市やぐら横丁にて「富岡輪業」自転車店を開業、のちに1980年代中頃、中居林字平に移転した。 2007年8月14日に肺炎により75歳で亡くなった。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
井上 一成(いのうえ いっせい、1932年〈昭和7年〉1月5… 井上 一成(いのうえ いっせい、1932年〈昭和7年〉1月5日 - 2025年〈令和7年〉8月25日)は、日本の元政治家、元大学教授。位階は従三位、勲等は勲一等。大阪府摂津市長、衆議院議員、衆議院運輸委員会委員長、日本社会党副委員長、郵政大臣を歴任した。 大阪府三島郡鳥飼村(現在の摂津市鳥飼野々)で農家の長男として生まれる。1950年(昭和25年)に大阪府立茨木高等学校、1954年(昭和29年)に同志社大学経済学部卒業。 1968年(昭和43年)、地元摂津市の市制施行後最初の市長選挙に36歳で当選し、前身である三島町の成立以来町長・市長を12年務めた深田丈夫に代わって市長に就任した(当時の史上最年少市長)。
高畠 正明(たかばたけ まさあき、1932年1月5日 - 1… 高畠 正明(たかばたけ まさあき、1932年1月5日 - 1980年5月30日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 父は洋画家の高畠達四郎。妻は津村秀夫の娘。 東京生まれ。1954年慶應義塾大学経済学部卒、文学部仏文科に学士入学し、1961年慶應義塾大学仏文科大学院博士課程満期退学、文学部助手、1965年専任講師、1970年助教授、1976年から1978年フランスに留学、1979年教授。 アルベール・カミュのほか、ボードレールなど19世紀の詩人を研究、翻訳し、講じたが50歳を前に早逝。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
尾形 悦郎(おがた えつろう、1932年(昭和7年)1月5日… 尾形 悦郎(おがた えつろう、1932年(昭和7年)1月5日 - 2009年(平成21年)11月1日)は医学者、医学博士。専門は内科学、内分泌学。 1956年東京大学医学部卒。同大内科助手を経て、1963年米国に留学。ヴァンダービルト大学、ウィスコンシン大学、ペンシルベニア大学を経て1967年帰国。1975年筑波大学臨床医学系内科教授。1979年より東京大学医学部第四内科教授を務め、1992年に退官し、同大名誉教授。1993年より癌研究会附属病院長、2002年に癌研究会附属病院名誉院長。2009年、悪性リンパ腫のため77歳で死去。 主な著作は以下のとおり。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
渡邊 一民(わたなべ かずたみ、1932年1月5日 - 20… 渡邊 一民(わたなべ かずたみ、1932年1月5日 - 2013年12月21日)は、フランス文学者、文芸評論家。立教大学名誉教授。 東京生まれ。父は日東製粉代表取締役専務(常務)・渡辺昇。1955年東京大学文学部仏文科卒。1960年同大学院博士課程満期退学、立教大学一般教育部専任講師、1963年助教授。1965年立教大学文学部フランス文学科助教授、1970年教授。1981-1983年文学部長。1982年『岸田国士論』で亀井勝一郎賞を受賞した。1997年立教大学を定年退職。同年立教大学名誉教授の称号を受ける。 前妻は酒匂秀一の娘。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
安藤 靖彦(あんどう やすひこ、1932年1月5日 - )は… 安藤 靖彦(あんどう やすひこ、1932年1月5日 - )は、日本近代文学研究者。愛知県立大学名誉教授。 愛知県一宮生まれ。東京教育大学国文科卒、1964年同大学院博士課程単位取得。愛知県立大学文学部助教授、教授、1996年定年退官、名誉教授、金城学院大学教授、特任教授。
小林 昭七(こばやし しょうしち、1932年1月4日 - 2… 小林 昭七(こばやし しょうしち、1932年1月4日 - 2012年8月29日)は、日本の数学者。カリフォルニア大学バークレー校名誉教授。研究領域は、リーマン多様体、複素多様体およびリー群。小林久志 (計算機科学者)は弟の一人。 東京府で出生、父の故郷の山梨県甲府市で育つ。旧制長野県立野沢中学(長野県野沢北高等学校)を経て、旧制第一高等学校、1953年に東京大学理学部数学科を卒業。1956年、ワシントン大学で博士号を取得。論文は(Theory of Connections)。 1970年にニースで開催された国際数学者会議で招待講演を行った。
曽根 薫(そね かおる、1932年〈昭和7年〉1月4日 - … 曽根 薫(そね かおる、1932年〈昭和7年〉1月4日 - )は、日本の政治家、元広島県江田島市長(1期)。旭日双光章受章。 広島県出身。広陵高等学校卒。広島県安芸郡江田島町役場に入り、企画課長、総務課長、助役などを経て、2003年江田島町長に当選、1期務める。2004年江田島町は近隣の町と合併し、江田島市が発足。合併後の市長選挙に立候補し当選した。市長は1期務め、2008年に退任した。このほか広島県地方港湾整備促進期成同盟会会長を務めた。2009年春の叙勲で旭日双光章を受章。
中井 貞次(なかい ていじ、1932年1月4日 - )は、京… 中井 貞次(なかい ていじ、1932年1月4日 - )は、京都市出身の日本の染織家。日本芸術院会員。京都市立芸術大学名誉教授。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
安芸 哲郎(安藝、あき てつろう、1932年 <昭和7年> … 安芸 哲郎(安藝、あき てつろう、1932年 <昭和7年> 1月4日 - 2007年 <平成19年> 1月17日)は、日本の経営者。東急不動産社長、東急リバブル会長を務めた。位階は従四位。 徳島県出身。1954年に中央大学法学部を卒業し、同年に東急電鉄に入社。1955年に東急不動産に転じ、1975年5月に取締役に就任し、1977年12月に常務、1982年12月に専務を経て、1984年12月に副社長に就任し、1985年7月には社長に昇格。2000年6月に会長に就任し、2004年4月に取締役相談役に就任。 1993年4月に藍綬褒章を受章し、2005年11月に旭日重光章を受章。 2007年1月17日に敗血症のために死去。
波多野 敬雄(はたの よしお、1932年(昭和7年)1月3日… 波多野 敬雄(はたの よしお、1932年(昭和7年)1月3日 - )は、日本の外交官。第25代学習院長。元国連大使。 学習院幼稚園から戦後の学制改革を経て新制学習院高等科まで一貫して学習院で過ごした。伏見宮博明王の学友。東大法学部3回生在学中に外交官試験に合格し、1953年外務省入省。1990年代の在国際連合日本政府代表部大使在任中、日本が国連安保理常任理事国入りを目指す外交方針のなかで現場にいた事務方の代表者。 第25代学習院長。学習院長田島義博の急逝に伴い選出された。任期は田島義博の残任期間となる2006年(平成18年)6月1日から2008年(平成20年)9月30日までであったが、2008年8月6日に再選され、2014年(平成26年)9月30日退任。
水平 豊彦(みずひら とよひこ、1932年1月3日 - 19… 水平 豊彦(みずひら とよひこ、1932年1月3日 - 1986年6月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)、内閣官房副長官、愛知県議会議員(5期)などを歴任。 愛知県愛知郡天白村(現在の名古屋市天白区)生まれ。愛知県立明和高等学校卒業。1958年(昭和33年)、名古屋工業大学建築科卒業。日本住宅公団勤務から早稲田柳右衛門の秘書となる。 1959年(昭和34年)、愛知県議会議員(名古屋市昭和区選出)に初当選。1974年(昭和49年)5月、最年少(42歳)にて県議会議長となる。 1976年(昭和51年)12月の第34回衆議院議員総選挙に、定数が3から4に増えた旧愛知6区から無所属で立候補。得票数4位で初当選した。
梅谷 馨(うめたに かおる、1932年(昭和7年)1月3日 … 梅谷 馨(うめたに かおる、1932年(昭和7年)1月3日 - )は、日本の政治家。元兵庫県養父市長(1期)。 兵庫県立豊岡高等学校卒。1991年から兵庫県養父町長を4期務め、2004年合併により、養父市が誕生、市長職務執行者となった。2005年養父市長佐々木憲二の死去による市長選挙に立候補し当選。市長は1期務め、2008年に引退した。
サーロー 節子(サーロー せつこ、英語: Setsuko T… サーロー 節子(サーロー せつこ、英語: Setsuko Thurlow、1932年〈昭和7年〉1月3日 - )は、広島県広島市南区出身でカナダのトロント市在住の被爆者、反核運動家。セツコ・サーローの日本語表記がある。 中村節子として、広島市南区で生まれた。中村家はかつて広島藩士だったが、明治時代になると生活が楽ではなくなったという。祖父・弥太郎は広島県令(知事)千田貞暁に賛同し、難事業だった宇品築港計画に奔走した。 父・弁吉はドイツ人の共同経営者とともにアメリカ合衆国(米国)カリフォルニア州で「西部フルーツ会社」を起業し果実業を営んでいた。 広島女学院(現広島女学院中学校・高等学校)に進学、後に学徒勤労動員され、大日本帝国陸軍第2総軍司令部で暗号解読作業の訓練を受けた。
江崎 実生(えざき みお、本名:江崎 雅一、1932年1月3… 江崎 実生(えざき みお、本名:江崎 雅一、1932年1月3日 - )は、日本の映画監督。熊本県熊本市出身。
沢田 茂生(さわだ しげお、1932年1月3日 - )は日本… 沢田 茂生(さわだ しげお、1932年1月3日 - )は日本の郵政官僚。郵政事務次官、郵便貯金振興会理事長、NTT副社長、同会長などを歴任した。 愛知県出身。京都大学法学部卒業。1954年 郵政省に入省。大臣官房文書課長補佐、貯金局規画課長などを経て、1974年7月 貯金局管理課長。1975年7月 大臣官房文書課長。1976年7月 大臣官房郵政参事官。1977年7月 電波監理局放送部長。1978年7月 中国郵政局長。1980年7月 大臣官房経理部長。1981年7月 大臣官房長。1983年7月 貯金局長。1984年7月 大臣官房付。同年8月 電気通信局長。1986年6月17日 郵政事務次官。1988年6月3日 退官。
岩野 貞雄(いわの さだお、1932年1月3日 - 1998… 岩野 貞雄(いわの さだお、1932年1月3日 - 1998年9月13日)は、日本のワイン醸造家・ワイン研究家。 東京市出身。東京農業大学農学部農芸化学科卒業。東京大学大学院応用微生物研究所で学び、1955年にイタリアのトリノ大学に留学し、ブドウ栽培とワイン醸造学を学ぶ。 帰国後、大黒葡萄酒、名城大学を経て、1964年に北海道池田町のブドウ・ブドウ酒研究所の初代所長に就任し、十勝ワインを開発。 その後、北海道富良野市、新潟県大和町、神戸市で地場のワイン作りに携わる。中国の新疆ウイグル自治区でのブドウ栽培を指導したこともある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山形 孝夫(やまがた たかお、 (1932-01-03) 1… 山形 孝夫(やまがた たかお、 (1932-01-03) 1932年1月3日(94歳)- )は、日本の宗教人類学者、宮城学院女子大学名誉教授。 宮城県仙台市に生まれる。東北大学文学部宗教学科卒業。同大学院博士課程修了。東北大学講師、宮城学院女子大学教授、学長。1988年『砂漠の修道院』で日本エッセイストクラブ賞受賞。
二上 達也(ふたかみ たつや、1932年(昭和7年)1月2日… 二上 達也(ふたかみ たつや、1932年(昭和7年)1月2日 - 2016年(平成28年)11月1日)は、将棋棋士。渡辺東一名誉九段門下で棋士番号は57。タイトル獲得通算5期。1990年引退。 1989年から2002年にかけて日本将棋連盟会長を務めた。加藤治郎・原田泰夫の後任として将棋ペンクラブ名誉会長でもあった。 弟子に羽生善治がいる。 1932年、北海道函館市の網元の家で8人兄弟の末子として生まれた。1939年に母が亡くなり、京都帝大を卒業した兄は太平洋戦争で北千島に出征した後にシベリア抑留を受けた。比較的裕福な家庭だったが、戦後の農地改革で土地を失い、インフレにより貯蓄の価値が失われ、父は1946年に病気で亡くなった。
野末 陳平(のずえ ちんぺい、本名:同じ、旧本名:野末 和彦… 野末 陳平(のずえ ちんぺい、本名:同じ、旧本名:野末 和彦〈のずえ かずひこ〉、1932年〈昭和7年〉1月2日 - )は、日本の放送作家、経済評論家、政治家。野末陳平事務所代表。 レイク浜松カントリークラブ(引佐観光開発)代表取締役会長。落語立川流顧問。駄句駄句会同人、俳号は「野ざらし」。 参議院議員(4期)、税金党党首(初代)、参議院大蔵委員長、WWF常任理事、サイバー大学客員教授などを歴任した。 父親は鉄道院の役人で、各地の駅を設計していた。母親は岡山県岡山市の出身で、薬剤師になるため上京し、明治薬学専門学校を卒業後、薬局で働いていたとき、見合い結婚。父親が山口県立工業の教師として赴任した山口県宇部市で陳平(和彦)は生まれた。
神津 善行(こうづ よしゆき、1932年〈昭和7年〉1月2日… 神津 善行(こうづ よしゆき、1932年〈昭和7年〉1月2日 - )は、日本の作曲家。早稲田大学理工学部特別研究員。東京交響楽団理事、日本民謡協会理事。 東京府(現:東京都)出身。麻布中学校、 国立音楽高等学校、国立音楽大学器楽科卒業。作曲を信時潔、トランペットを中山冨士雄に師事する。主に映画音楽を中心に約300曲を作曲し、歌謡曲や吹奏楽曲も作曲している。エッセイなども執筆している。 1992年に民族音楽の復興のため、琵琶など日中伝統楽器を使った女性11名のグループ「六華仙」を結成する。植物と音楽による研究を早稲田大学で行っており、植物の微弱な信号音で小交響詩「依代」を作曲するという活動もしている。
木村 富雄(きむら とみお、1932年1月2日 - )は、石… 木村 富雄(きむら とみお、1932年1月2日 - )は、石川県出身の元プロ野球選手。 松任高校から1950年に東急フライヤーズへ入団。1951年退団。
塩野谷 祐一(しおのや ゆういち、1932年1月2日 - 2… 塩野谷 祐一(しおのや ゆういち、1932年1月2日 - 2015年8月25日)は、日本の経済学者、一橋大学名誉教授、名古屋大学特別教授。1991年日本学士院賞、2002年文化功労者。経済哲学やヨーゼフ・シュンペーターの研究の第一人者。第12代一橋大学学長、国立大学協会副会長、国立社会保障・人口問題研究所長等を歴任。愛知県豊橋市生まれ。 父は経済学者の塩野谷九十九(元名古屋大教授)、妻は山内得立(哲学者、文化功労者、京都大学名誉教授)長女。一橋大学大学院で山田雄三の指導を受けた。スタンフォード大学教授等を務めた経営学者の今井賢一は山田ゼミの同期。著書に『シュンペーターの経済観』『価値理念の構造』など。
大津 淳(おおつ あつし、1932年1月2日 - )は、昭和… 大津 淳(おおつ あつし、1932年1月2日 - )は、昭和中期(1950年代後半~1960年代前半)に活躍した元プロ野球選手。
宮脇 磊介(みやわき らいすけ、昭和7年(1932年)1月2… 宮脇 磊介(みやわき らいすけ、昭和7年(1932年)1月2日 - 平成26年(2014年)2月9日)は、日本の警察官僚。元皇宮警察本部長。元内閣広報官。
田口 利夫(たぐち としお、1932年1月2日 - 1998… 田口 利夫(たぐち としお、1932年1月2日 - 1998年8月26日)は、日本の経営者。西濃運輸社長、会長を務めた。長野県木曽郡南木曽町出身。 1955年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に西濃運輸に入社した。1961年に取締役に就任し、1965年に常務、1966年に専務を経て、1981年7月に社長に就任。1987年7月から会長を務めた。 社長時代は、分社化を進め、西濃運輸を「総合物流商社」として、育て上げ、硬式野球部の初代部長を務めるなど、スポーツ振興にも力を入れた。趣味は山登り。 1998年8月26日心筋梗塞のために死去。66歳没。
久米 是志(くめ ただし、1932年1月2日 - 2022年… 久米 是志(くめ ただし、1932年1月2日 - 2022年9月11日)は、日本の実業家。自動車エンジニア。1983年から1990年まで本田技研工業代表取締役社長を務めた。兵庫県出身。 静岡大学工学部機械工学科卒業後、本田技研工業に入社。専門はエンジンの設計で、マン島TTレースの競技車両用エンジンや、ホンダF1初の空冷エンジンカー、RA302のエンジン開発に携わる。若手の頃は、空冷エンジン採用を主張する本田宗一郎に対して、水冷エンジン採用を主張して譲らず、ホンダ1300やRA302の開発時には辞表を出して数度にわたり出社を拒否したという逸話を持つ(詳しくはホンダ・RA302の記事を参照)。 その後、社運を賭けて取り組んだ初代シビックの開発責任者(LPL)として、開発初期のクルマのコンセプトづくりに参画。
佐々木 雄司(ささき ゆうじ、1932年1月2日(昭和7年)… 佐々木 雄司(ささき ゆうじ、1932年1月2日(昭和7年) - )は、日本の精神医学者。 埼玉県川越市生まれ。1957年東京大学医学部卒。58年東大精神科に入局。1963年「我国における巫者(shaman)の精神医学的研究 "神憑り"の成立と展開」で医学博士。1966年東京都立精神衛生センター分室長、1971年埼玉県精神衛生センター所長。1977年琉球大学精神衛生学教授、1981年東京都立精神衛生センター所長。1985年東京大学医学部精神衛生学教授。1992年獨協大学経済学部教授兼保健センター診療所長。
定村 忠士(さだむら ただし、1932年1月2日 - 200… 定村 忠士(さだむら ただし、1932年1月2日 - 2001年10月30日)は、日本の編集者、評論家、劇作家。日本フェノロサ学会、日本浮世絵協会会員。 福岡県北九州小倉出身。旧制五高卒業。1954年、東京大学文学部仏文科卒業。のちに日本読書新聞・日本エディタースクールで同僚となる吉田公彦(旧名:谷川公彦。谷川雁ら谷川兄弟の末弟)とは、五高・東大とおしての同級生。 日本読書新聞に入社し編集者に。1958年の週刊読書人創刊による分裂時にも編集部に残り、編集長の巌浩の片腕として活躍。1962年からは編集長もつとめた。 1965年には谷川雁らが創設したラボ教育センターに入社。のちの、ラボ教育センターの分裂時には、谷川と行動をともにし、1981年「十代の会」の発起人の一人として同会創立に参加。
鈴木英一(すずき えいいち、1932年1月2日 - )は、教… 鈴木英一(すずき えいいち、1932年1月2日 - )は、教育行政学者、名古屋大学名誉教授。 東京生まれ。東京大学教育学部大学院博士課程満期退学、北海道大学教育学部講師、助教授、名古屋大学教育学部助教授、教授、1984年「日本占領と教育改革」で名大法学博士。1994年定年退官、名誉教授、帝京平成大学教授。
村田 正夫(むらた まさお、1932年1月2日 - 2011… 村田 正夫(むらた まさお、1932年1月2日 - 2011年11月25日)は、日本の詩人。妻は詩人の麻生直子。 東京府生まれ。早稲田大学法学部卒業。1955年から詩誌「潮流詩派」を主宰。日本現代詩人会、日本文藝家協会員。2011年11月25日、呼吸不全のため、東京都内の病院で死去。79歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
上田 和子(うえた かずこ、1932年(昭和7年)1月2日 … 上田 和子(うえた かずこ、1932年(昭和7年)1月2日 - )は、日本のピアニスト。元徳島文理大学音楽学部教授。姉は鳴門教育大学名誉教授である石井永子。 徳島県徳島市出身。1953年、東京藝術大学音楽学部別科を卒業。1960年、徳島女子高等学校講師、1961年、徳島女子短期大学(現在の徳島文理大学短期大学部)専任講師、1963年、助教授、1991年、徳島文理大学短期大学部教授に就任。 2010年、日本私立短期大学協会より短期大学教育60周年を記念して、短期大学教育功労者表彰を受賞。また、これまでに全日本ピアノ指導者協会徳島支部長やピティナ淡路中央ステーション代表などを歴任。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。
起雲山 世志介(きうんざん よしすけ、1932年1月2日 -… 起雲山 世志介(きうんざん よしすけ、1932年1月2日 - 1977年6月8日)は、新潟県古志郡宮内町(現・同県長岡市宮内町)出身で追手風部屋に所属した大相撲力士。本名は小川 美輔(おがわ よしすけ)。最高位は東前頭19枚目(1957年1月場所)。現役当時の体格は180cm、81kg。得意手は左四つ、吊り、上手投げなど。 19歳の時、元大関・清水川が率いる追手風部屋へ入門し、1951年5月場所で初土俵。 同場所では番付外と新序でともに好成績を残したため、次の場所では序ノ口を飛び越して、いきなり序二段に付いた。なお、当初より四股名は、「起雲山」であった。 以来順調に番付を上げ、1955年1月場所で十両昇進、1956年3月場所で新入幕を果たした。
森 實(森 実、もり みのる、1932年1月1日 - )は、… 森 實(森 実、もり みのる、1932年1月1日 - )は、日本の会計学者、香川大学・神戸大学名誉教授。 香川県高松市生まれ。高松第一高等学校を経て1955年に香川大学経済学部を卒業。1957年、神戸大学大学院経営学研究科博士課程を満期退学する。同年、香川大学経済学部助手に就任。講師(1958年)、助教授(1960年)を経て、1967年に教授に昇進した。 1971年、「近代監査思考の展開に関する研究」で経営学博士の学位を取得。 1985年に香川大学名誉教授となり、同年神戸大学経営学部教授に転任。1995年に定年退官し、神戸大学名誉教授となる。同年より大阪学院大学教授。
西澤 進(にしざわ すすむ、1932年1月1日 - 2002… 西澤 進(にしざわ すすむ、1932年1月1日 - 2002年12月29日 )は、日本の経営者。兵庫県出身。 1954年に大阪大学工学部応用化学科を卒業し、同年に積水化学工業に入社。1979年7月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1993年7月に副社長に就任し、1994年1月から1999年までに社長を務めた。 2002年12月29日肺癌のために死去。70歳没。