山登 英臣(やまと ひでおみ、1935年1月3日- )は、… 山登 英臣(やまと ひでおみ、1935年1月3日- )は、日本の経営者。住友大阪セメント社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1957年に神戸大学工学部機械工学科を卒業し、同年に住友金属工業に入社した。1990年6月に住友セメント(のちの住友大阪セメント)取締役に就任し、1991年6月に常務、1993年6月に専務を経て、1998年7月に社長に就任。2000年6月に取締役相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岩堀安三(いわぼり やすぞう、1935年1月3日- )は、公… 岩堀安三(いわぼり やすぞう、1935年1月3日- )は、公認会計士、経営・税制評論家。 東京出身。1957年東京大学経済学部商業経学科卒。三年間三菱銀行勤務ののち再度大学で学び、公認会計士、税理士試験に合格。1968年から東海大学、国際商科大学講師。1970年岩堀公認会計士事務所を開業、事務局長、国際マネジメントを設立、代表取締役。
輿水 優(こしみず まさる、1935年〈昭和10年〉1月3日… 輿水 優(こしみず まさる、1935年〈昭和10年〉1月3日 - )は、日本の中国語学者、東京外国語大学名誉教授。 東京出身。国語教育学者・輿水実の長男。1958年東京外国語大学中国語科卒業、1960年東京大学中国語中国文学科卒業、のち東京外国語大学教授を務め、1998年定年後、日本大学客員教授、2009年佐野短期大学学長。1975年から1989年まで長くNHK「中国語講座」の講師を務めた。2015年瑞宝中綬章受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
中川 裕雄(なかがわ やすお、1935年〈昭和10年〉1月2… 中川 裕雄(なかがわ やすお、1935年〈昭和10年〉1月2日 - 2024年〈令和6年〉10月1日)は、日本の実業家。電子機器メーカー・アンリツの元社長。宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身。 宮城県古川高等学校卒業。1958年に山形大学工学部電気工学科を卒業し、安立電気(現・アンリツ)に入社。1991年に取締役、1995年6月に専務に就任。 翌年6月、菅居紳至のあとを受けて61歳で社長に昇格。海外部門の再編成に注力し、1国に複数のグループ企業が所在していた状態を1国1社に整理した。 2000年6月に退任して会長。社長の後任には塩見昭が就いた。2001年4月に藍綬褒章を受章。 2024年10月1日に死去。
木村 俊恵(きむら としえ、1935年1月2日 - 1974… 木村 俊恵(きむら としえ、1935年1月2日 - 1974年7月26日、本名同じ)は、日本の女優。末妹は女優の木村夏江。以前に木村 淑恵でも出演していた。 東京市大森区(現・東京都大田区)嶺町生まれ。 1953年、俳優座養成所五期生として入座。同期に平幹二朗がいる。舞台の他、映画やテレビドラマにも多数出演。1962年、フジテレビ『氷壁』に主演。1973年から始まる東映『仁義なき戦い』シリーズでの、金子信雄演じる山守親分の女房役は今も語り継がれている。 結婚して子供がいたが5年ほどで離婚。1974年5月、舞台に出演中過敏性腸カタルで倒れ、一時回復を見せたが、前年から同棲していた中谷一郎と結婚式を挙げる予定日の7月26日に急性心臓死で死去。
飯島 健(いいじま けんじ、1935年(昭和10年)1月2日… 飯島 健(いいじま けんじ、1935年(昭和10年)1月2日 - )は、日本のフィールドホッケー選手。1960年ローマオリンピックで男子トーナメントに出場した。
伊藤 強(いとう つよし、1935年1月2日 - 2016年… 伊藤 強(いとう つよし、1935年1月2日 - 2016年12月15日)は、日本の音楽評論家[3]。左利き。[要出典]
藤井 浩(ふじい ひろし、1935年1月2日 - 2021年… 藤井 浩(ふじい ひろし、1935年1月2日 - 2021年11月22日)は、日本の経営者。日本ペイント社長を務めた。大阪府出身。 1957年に関西学院大学経済学部を卒業し、同年4月に日本ペイントに入社した。1980年7月に理事に就任し、1981年7月に取締役、1983年7月に常務、1985年7月に専務を経て、1988年6月に副社長に就任し、1991年6月には社長に昇格した。2001年6月に会長を経て、2005年6月に非常勤相談役に就任。 2007年4月に旭日中綬章を受章。 2021年11月22日、死去、86歳没。
岩男 寿美子(いわお すみこ、本姓・古谷、1935年1月2日… 岩男 寿美子(いわお すみこ、本姓・古谷、1935年1月2日 - 2018年1月11日)は、日本の心理学者。専攻は社会心理学。慶應義塾大学名誉教授。男女共同参画審議会会長。元国家公安委員会委員。海外向け雑誌『ジャパンエコー』編集長、「皇室典範に関する有識者会議」メンバー。夫は古谷九八郎(1935 - 、一橋大学卒、元日銀検査役)。 東京出身。1957年慶應義塾大学文学部卒業、エール大学大学院で心理学博士。ハーバード大学講師、慶大新聞研究所助教授、1975年教授、1999年定年退任、名誉教授、武蔵工業大学(現東京都市大学)環境情報学部教授。2005年退職。 1981年国民年金審議会委員。1985年年金審議会委員。
坂本 恭章(さかもと やすゆき、1935年1月2日 - )は… 坂本 恭章(さかもと やすゆき、1935年1月2日 - )は、日本のタイ語・カンボジア語学者、東京外国語大学名誉教授。 台北生まれ。父は台湾総督府勤務。父が戦病死し、敗戦後引揚げ、熊本県、福岡県で育つ。長崎県立島原高等学校卒、1958年東京大学文学部言語学科卒、海外事情調査所所員、1965年東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助手、69年講師、72年助教授、80年教授。97年定年退官、名誉教授、共立女子短期大学教授。妻はタイ語の坂本比奈子(1936-2013)。
岩城 完之(いわき さだゆき、1935年1月2日 - 202… 岩城 完之(いわき さだゆき、1935年1月2日 - 2020年3月11日)は日本の社会学者。専門は地域社会学、社会・生活史、社会調査論。歌手の沼田浩正は甥にあたる。 東京出身の社会学者。1957年東京学芸大学学芸学部卒業。引き続き、青井和夫の下で東京学芸大学助手を務め、(財)日本工業立地センター研究員、和光大学助教授、北海道大学助教授、山梨大学教授を経て、関東学院大学文学部教授。その他にも非常勤講師を多数の大学で務めた。北大時代は、布施鉄治グループとたくさんの共同研究を行った。その堅実な社会調査に基づく講義と、穏和な雰囲気、特徴のあるやや高い口調はどの大学でもまじめに社会学に取り組む学生を惹きつけた。
土岐 恒二(とき こうじ、1935年1月2日 - 2014年… 土岐 恒二(とき こうじ、1935年1月2日 - 2014年10月14日)は、日本の英文学者、翻訳家。専門は英国世紀末文学だが、ラテンアメリカ文学の翻訳も行った。 1960年に旧・東京都立大学文学部英文科卒業、篠田一士の指導を受け、1965年同大学院博士課程中退。東京都立大学助教授、教授、1999年定年退官し名誉教授、文化女子大学教授。2006年退職。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
三笠山 護(みかさやま まもる、1935年1月2日 -没年不… 三笠山 護(みかさやま まもる、1935年1月2日 -没年不明 )は、出羽海部屋に所属した元力士。本名は戸田 護(とだ まもる)。現在の北海道三笠市出身。170cm、83kg。最高位は西十両13枚目。得意技は左四つ、寄り。 1952年5月場所に初土俵、1957年3月場所に十両昇進し連続6場所務めた。1958年9月場所に23歳で廃業した。
高野 价司(たかの かいし、1935年1月1日 - )は、群… 高野 价司(たかの かいし、1935年1月1日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手(外野手)。 桐生工業高校では1952年、3年生の時に背番号10の控えながら、エース島津四郎を擁し、春の選抜に出場。2回戦(初戦)で豊橋時習館高を降し準々決勝に進むが、鳴尾高の中田昌宏に延長12回サヨナラ完封負けを喫する。同年夏の甲子園予選でも北関東大会準決勝に進出するが、豊田泰光、加倉井実のいた水戸商に惜敗。 卒業後は立教大学へ進学するが中退し、1955年に大映スターズへ入団。1年目の開幕直後から左翼手として起用され、チャンスメーカーとして活躍。同年は81試合に先発出場を果たす。翌1956年も準レギュラーとして起用されるが、その後は出場機会が減り、1958年限りで引退した。
坂間 勇(さかま いさむ、1935年1月1日 - 2008年… 坂間 勇(さかま いさむ、1935年1月1日 - 2008年8月8日)は、日本の物理学者。元茨城大学助教授、駿台予備学校、駿優予備学校 物理科講師。 東京都渋谷に父:坂間小三郎、母:(中村)清子の二男として生まれる。父方の祖父:坂間小四郎は千葉県いすみ市万木の出身。父方の祖母:(柳原)べんは麻布出身の一人娘。父:小三郎は小四郎の長男で金融業。母清子は新潟県柏崎市の出身で、母方の先祖中村家は代々庄屋を営んでいた。母の実兄:中村忠雄は、一校、東京帝国大学卒業、農工大教授であった。甥の金子宗生が桜丘町に住んでいる。東京都立戸山高等学校を経て、1957年東京工業大学理学部物理学科卒、1959年同大学院修士課程修了(専攻分野は、素粒子・原子核)。
角野 栄子(かどの えいこ、本名:渡辺栄子、1935年1月1… 角野 栄子(かどの えいこ、本名:渡辺栄子、1935年1月1日 - )は、日本の童話作家、絵本作家、ノンフィクション作家、エッセイスト。日本福祉大学客員教授。江戸川区角野栄子児童文学館(魔法の文学館)館長。神奈川県鎌倉市在住。 東京府東京市深川区(現・東京都江東区深川)に生まれる。5歳の時に生母を病気で亡くし、寂しさを紛らわすために物語をよく空想した。深川で質屋を営んでいた父親は物語をよく聞かせてくれた。江戸川区立西小岩国民学校に入学する。父が再婚後すぐに出征したため父が戻るまで小岩の自宅で新しい母と弟で暮らした。小学4年生の秋、山形県西置賜郡長井町(現・長井市)に学童疎開する。深川の店は東京大空襲で焼失した。
松浪 志保(まつなみ しほ、1935年1月1日 - )は、日… 松浪 志保(まつなみ しほ、1935年1月1日 - )は、日本の女優。本名は長谷川 万里子。 新潟県出身。新潟県立新発田高等学校卒業。虹の会、東京映画、劇団現代劇場を経て、東京俳優生活協同組合に所属。 特技は華道、小唄、三味線。 テレビドラマでは、松本清張作品に多数出演している。
中島 真人(中嶋 眞人、なかじま まひと、1935年 <昭和… 中島 真人(中嶋 眞人、なかじま まひと、1935年 <昭和10年> 1月1日 - 2008年 <平成20年> 5月18日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)、山梨県議会議長、山梨県議会議員(3期)を務めた。位階は正四位。旭日重光章。 山梨県甲府市出身。山梨県立韮崎高等学校、拓殖大学商学部卒業。大学卒業後、山梨県立高等学校の教諭となる。1979年の山梨県議会議員選挙に立候補し初当選。3期務めた。在職中、1993年12月15日から1994年9月29日まで議長を務めた。1995年の第17回参議院議員通常選挙で山梨県選挙区から自由民主党公認候補として立候補し、現職の磯村修(民主改革連合)や新進党の赤池誠章らを破り初当選。
河野 旭輝(こうの あきてる、1935年1月1日 - 201… 河野 旭輝(こうの あきてる、1935年1月1日 - 2014年1月25日)は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督。 1956年に年間85盗塁を記録し、当時の日本記録を樹立。同年の最多盗塁死29はその後破られていない。セ・パ両リーグで盗塁王を獲得した唯一の人物である。 大阪府で生まれるも、戦争中に疎開で和歌山県へ引っ越した。 和歌山工業から野球部ができたばかりの松下電器に入社。主に一塁手、遊撃手としてプレーし更に投手としてマウンドに立つこともあった。1953年の都市対抗にチームとしての初出場を果たす。 1954年に阪急ブレーブスへ入団し、1年目の同年は開幕から二塁手に抜擢され定位置を獲得。
柳澤 孝彦(やなぎさわ たかひこ、1935年1月1日 - )… 柳澤 孝彦(やなぎさわ たかひこ、1935年1月1日 - )は、日本の建築家。
島田 雄二(しまだ ゆうじ、1935年1月1日 - )は、熊… 島田 雄二(しまだ ゆうじ、1935年1月1日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
平松 久司(ひらまつ ひさし、1935年〈昭和10年〉1月1… 平松 久司(ひらまつ ひさし、1935年〈昭和10年〉1月1日 - 2021年〈令和3年〉3月13日)は、日本の吹奏楽指導者で指揮者。2006年から2013年まで社団法人全日本吹奏楽連盟の理事長を務めた。 愛知県出身。国立音楽大学器楽科卒。トランペットを北野勝廣(元NHK交響楽団首席トランペット奏者)に師事。京都市交響楽団で第一トランペット奏者を務めたのち、1961年に京都橘女子高等学校(現京都橘高等学校)の音楽教諭へ転身し吹奏楽部を創設。正確な奏法と多彩な音楽表現指導を通じて日本屈指の高校マーチングバンドを作り上げた。1995年に同部顧問を勇退。 その後は社団法人全日本吹奏楽連盟第11代理事長や関西吹奏楽指導者研究会理事長をはじめとする数多の要職を務めながら後進の育成にあたっていた。
霧生 和夫(きりう かずお、1935年1月1日- )は、日本… 霧生 和夫(きりう かずお、1935年1月1日- )は、日本のフランス文学者。埼玉大学名誉教授。専門は19世紀フランス文学、特にオノレ・ド・バルザック。 北海道旭川市出身。東京外国語大学フランス科卒業。東京大学大学院人文科学研究科仏文科博士課程満期退学。1967年埼玉大学教養学部専任講師、同助教授、同教授。2000年定年退官、名誉教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
倉本 聰(くらもと そう、1935年〈昭和10年〉1月1日 … 倉本 聰(くらもと そう、1935年〈昭和10年〉1月1日 - )は、日本の脚本家、劇作家、演出家。本名は、山谷 馨(やまや かおる)。東京都渋谷区出身。妻は女優の平木久子(演劇集団 円所属)。父は俳人、日新書院取締役の山谷太郎。祖父は医学博士、日新医学社社長の山谷徳治郎。大伯父は衆議院議員の山谷虎三。 東京大学文学部美学科を卒業後、ニッポン放送を経てフリー。おもにテレビドラマの脚本家として活躍。東京から北海道へと居を移し、『前略おふくろ様』『北の国から』など多くのヒット作を生み出した。主宰した「富良野塾」にて26年間にわたり後進を指導。65歳で紫綬褒章、75歳で旭日小綬章を受章した。1977年(昭和52年)より富良野市に在住。
黒江 光彦(くろえ みつひこ、1935年1月1日 - 202… 黒江 光彦(くろえ みつひこ、1935年1月1日 - 2022年)は、日本の美術修復家(英語版)・研究家。東北芸術工科大学名誉教授。 山形県出身。1957年東京大学文学部美学美術史学科卒、1959年国立西洋美術館に勤務、ヨーロッパに留学し、ベルギー王立文化財研究所で絵画修復術を研究する。1972年退官し、絵画修復家、評論家として活動、1993年東北芸術工科大学教授。2006年定年退職、名誉教授。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
松野 陽一(まつの よういち、1935年1月1日 - 201… 松野 陽一(まつの よういち、1935年1月1日 - 2018年11月25日)は、日本の国文学者。東北大学名誉教授。専門は、中世和歌。 1935年、東京市神田区生まれ。東京都立九段高等学校を経て、1959年早稲田大学第一文学部国文科卒業。卒業論文は『六百番歌合』。1964年、立正女子大学短期大学(後の文教大学女子短期大学部)専任講師、1967年同助教授。1970年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程満期退学。1974年「藤原俊成の研究」で早稲田大学より文学博士の学位を取得。同年4月、東北大学教養部助教授、1976年同教授。1988年10月、国文学研究資料館教授。1995年、東北大学名誉教授。1997年、国文学研究資料館館長。
新宮 正春(しんぐう まさはる、本名: 瀬古正春(せこ まさ… 新宮 正春(しんぐう まさはる、本名: 瀬古正春(せこ まさはる)、1935年1月1日 - 2004年8月28日)は、日本の小説家、著述家。和歌山県新宮市出身。筆名は自身の出身地に由来する。 神奈川大学経済学部を中退した後、内外タイムスをへて報知新聞社に入社、運動部記者として勤務。V9時代の読売ジャイアンツを取材する。そのため、初期作品にはジャイアンツを題材としたスポーツ小説やノンフィクションが多い。梅本さちおの漫画『影武者ジャイアンツ』の原作も担当している。記者時代の縁から、長嶋茂雄との親交も深く、長嶋と亜希子夫人との間を取り持ったことでも知られる。 1970年には、短編「安南の六連銭」で第15回小説現代新人賞を受賞し、時代小説作家としてデビューした。
中澤 孝之(なかざわ たかゆき、1935年1月 - )は、日… 中澤 孝之(なかざわ たかゆき、1935年1月 - )は、日本のジャーナリスト、ロシア・ソ連研究家。 大連市生まれ。長野県南佐久郡佐久穂町に育つ。長野県野沢北高等学校を経て、東京外国語大学ロシア語科国際関係課程卒業。時事通信社入社、本社経済部記者、シンガポール、クアラルンプール、モスクワ特派員、モスクワ支局長、外信部次長、整理部次長、外信部長、県立新潟女子短期大学国際教養学科教授、長岡短期大学教授、長岡大学産業経営学部教授などを務めた。モスクワ勤務の期間は通算9年強。妻幸子(ゆきこ)との間に3人の子供がいる。長男は「なかざわひでゆき」の名前で、映画と音楽の評論執筆活動を行う(http://angeleyes.dee.cc/)かたわら、随時、TVチャンネル「WOWOWプライム」の木曜夕方の番組「ザ・プライムショー」に出演中。
早川 敏生(はやかわ としたか、1935年1月 - )は、元… 早川 敏生(はやかわ としたか、1935年1月 - )は、元東邦ガス代表取締役社長。愛知県名古屋市出身。 1958年、名古屋大学経済学部卒業。同年、東邦ガス入社。営業部門、企画部門、専務取締役等を経て、2000年代表取締役社長。社長を退き2004年、代表取締役会長。後任の社長は水野耕太郎専務。2008年佐伯卓常務が新社長に就任するのにともない、会長を退任し、相談役に就任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
大坪 直行(おおつぼ なおゆき、1935年1月 - )は、日… 大坪 直行(おおつぼ なおゆき、1935年1月 - )は、日本の編集者、実業家。宝石社の編集者を経て、1972年に霊友会をスポンサーとする雑誌『いんなあとりっぷ』を創刊した。 東京生まれ。父は本郷坂下町(現・文京区千駄木3丁目)時代の講談社の向かいで郵便局を営み、野間清治の家に出入りしていた。 早稲田大学大学院在学中、講談社学芸部でアルバイトしたのち、1958年、江戸川乱歩のスカウトで宝石社に入社。雑誌『宝石』の編集に従事し、主に日本人作家を担当する。 1959年6月、宝石社は『Alfred Hitchcock's Mystery Magazine』の日本版である『ヒッチコック・マガジン』を創刊した(8月号)。
豊国 孝(とよくに たかし、1935年 - )は、日本の文学… 豊国 孝(とよくに たかし、1935年 - )は、日本の文学研究者・イギリス文学者。小樽商科大学名誉教授。主な研究対象はイギリス文学(D・H・ローレンス)。 北海道出身。1958年北海道大学文学部英米文学科卒業。1962年旭川工業高等専門学校講師。1967年室蘭工業大学講師、1970年同大学助教授を経て、1979年小樽商科大学商学部助教授。1981年小樽商科大学商学部教授に就任。1991年に同大学言語センター教授。1999年に小樽商科大学名誉教授の称号を授与される。なお、1999年から札幌大学外国語学部教授、現在札幌大学外国語学部研究科非常勤講師。2008年3月退職。2015年11月瑞宝中綬章を受章。
曽根 敏夫(そね としお、1935年 - )は、日本の音響学… 曽根 敏夫(そね としお、1935年 - )は、日本の音響学者、東北大学名誉教授、秋田県立大学名誉教授。専攻は音響学、環境工学、情報通信工学。 曽根が生まれた1935年(昭和10年)は世界恐慌の余波が残る中で日本が戦時体制へと向かっていた時期であった。その後、太平洋戦争が勃発し、日本は敗戦をむかえる。戦後、日本はGHQによる占領政策のもとで復興を進め、1950年代には高度経済成長の兆しが見え始める。この時期、科学技術の発展が日本の産業復興を支える重要な要素となり、特に電気、通信、音響といった分野での研究が加速していった。 1935年(昭和10年)宮城県に生まれる。1953年(昭和28年)に宮城県古川高等学校卒業。
高橋 勇悦(たかはし ゆうえつ、1935年 - )は、日本の… 高橋 勇悦(たかはし ゆうえつ、1935年 - )は、日本の社会学者、旧・東京都立大学名誉教授。専攻は都市社会学。 宮城県に生まれる。宮城県古川高等学校卒業。1958年東北大学文学部社会学科卒。63年同大学院博士課程満期退学。立正大学講師、明治学院大学助教授、東京学芸大学助教授、東京都立大学教授、99年定年退官、名誉教授、大妻女子大学教授。2006年退職。94年日本都市学会賞受賞。
宇井 美智子(うい みちこ、1935年 - )は、日本の行動… 宇井 美智子(うい みちこ、1935年 - )は、日本の行動心理研究家、地域振興コンサルタント、コメンテーター、占星術師。 愛称は「ウイッチー」。旧名、佐藤 美智子(さとう みちこ)。 父と叔父は婦人科医、母は歯科医。 東京都立小石川高等学校、明治大学商学部商学科を卒業後、1957年4月、TBS入社。編成局アナウンス部(アナウンサー第5期生)に勤務。 1960年7月、TBSを退社、行動心理研究家として独立。1966年、松下電器産業と宣伝・販売店教育契約。 1969年、日本テレビ『朝のワイドショー』で評論活動を開始。1978年、日本テレビ『昼のワイドショー』などに出演。 1983年、UCA研究センター所長に就任、商工会・商工会議所講師として全国で講演開始。
野上 透(のがみ とおる、1935年〈昭和10年〉- 200… 野上 透(のがみ とおる、1935年〈昭和10年〉- 2002年〈平成14年〉)は、日本の写真家。本名は、根岸 秀廸(ねぎし ひでみち)。 1935年(昭和10年)、東京都台東区に生まれる。1958年(昭和33年)、日本大学芸術学部写真学科を卒業後、講談社へ入社。1964年(昭和39年)にフリーランスとなる。文士をはじめ、各界で活躍する人々の人物写真、報道写真、ルポルタージュ等を撮影。1977年(昭和52年)、第8回講談社出版文化賞を受賞。女子美術大学、NHK文化センターの講師を務める。2002年(平成14年)、死去。 作品は東京都写真美術館、JCIIフォトサロン、日本写真保存センター、日本大学芸術学部、横浜市民ギャラリーなどに収蔵されている。
隅野 隆徳(すみの たかのり、1935年 - )は、日本の法… 隅野 隆徳(すみの たかのり、1935年 - )は、日本の法学者(憲法学)。専修大学名誉教授。 東京府に生まれる。戦時中に集団疎開を経験した後に、1958年に東京大学法学部第二類卒業。1963年に同大学院博士課程を中退した。同年に専修大学法学部講師に就任、1968年に助教授、1975年に教授となり、法学部長などを歴任した。専修大学に42年間勤務し、主に憲法学の研究・教育に従事した。2005年に同大学名誉教授。 九条の会など護憲を主張する論客としての市民活動もあり、共産党推薦で参議院憲法調査会公述人として出席している。国民投票法や教育基本法改正、有事法制などに批判的である。憲法改悪阻止各界連絡会議代表幹事などを務め、共同声明での政治的意思表明をすることも多い。
小薗江 圭子(おそのえ けいこ、1935年 - 2011年)… 小薗江 圭子(おそのえ けいこ、1935年 - 2011年)は、日本の作家、作詞家、映像作家、アニメーター。本名・平川圭子。 東京生まれ。9歳まで銀座に住む。日本女子大学在学中からぬいぐるみ作家として注目され、その後イラストレーター、童話作家、エッセイストとしても活躍。初期の「みんなのうた」のアニメ作家でもあり、「この広い野原いっぱい」の作詞者としても知られる。 「うちのネコ ぼくのネコ」「魔法のワルツ(魔法使いチャッピー)」「夕やけ番長」などの作詞のほか、『モザイクの馬』『耳かきのすきな王様』『生活美人』などの著作がある。「ツビレグ ツブレグ マーチ」「新しい動画 3つのはなし」のアニメ映像も担当した。
田口 喜一郎(たぐち きいちろう、1935年 - )は、日本… 田口 喜一郎(たぐち きいちろう、1935年 - )は、日本の医学者。医師。信州大学名誉教授。 1935年 (昭和10年)長野県松本市生まれ。1954年(昭和29年)長野県松本県ヶ丘高等学校を卒業、同年信州大学医学部医学研究科入学。1960年 (昭和35年)信州大学医学部医学研究科卒業 。以降、信州大学助教授、教授。1999年(平成11年)信州大学名誉教授。 現在、耳鼻咽喉科学の講義や講演のほか、独立行政法人 労働者健康安全機構 長野産業保健総合支援センターにて産業医の研修にも力を入れ、病める人を病気だけを治すということではなく、東洋医学の思考過程を通して全人格的に観察し、精神面も含めて全身的な改善を計ることの必要性を説き、中高年者の転倒、睡眠、男女の更年期障害 、メタボリック症候群、自律神経異常などの研究を行っている。
野村 哲(のむら さとし、1935年(昭和10年) - )は… 野村 哲(のむら さとし、1935年(昭和10年) - )は、日本の地球科学者。群馬大学名誉教授。 長野県生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校、信州大学理学部を経て、1962年(昭和37年)東京教育大学大学院理学研究科修了。理学博士。 群馬大学社会情報学部教授、学部長を務めた。2000年(平成12年)定年退官。 その後、下仁田町自然学校校長を務めた。 1950年代の後半から海洋の地磁気測定が始まったが、1960年代の前半にはほぼ全海洋の地磁気の資料が出そろった。その結果、平行する磁気異常のしま模様は海底山脈の中軸部を境に左右対称であることがわかった。これは『海洋底が開いているために左右対称になった』という「海洋底拡大説」が生まれる。
岩崎 堅司(いわさき けんじ、1935年 - )は、日本の戦… 岩崎 堅司(いわさき けんじ、1935年 - )は、日本の戦後のデザイナー。 ‘64年東京オリンピック、‘70年大阪万博と、日本が産業の発達と生活の豊かさをめざしていた時代に、第一線で活躍した。'60年代に、作家の開高健らとともに「ベトナム戦争反対」を訴えるポスターを発表して脚光を浴びた。平和や自然環境、社会問題などを素材に、独特の力強さと優しさにユーモアを交えた作風で知られる。 静岡市紺屋町に誕生。少年時代に静岡大空襲を体験。1954年、静岡県立静岡高等学校卒業。1959年、東京芸術大学図案計画科卒業。同年、明治製菓入社。医薬品やキャラメルの包装デザインを手がけた。新人の登竜門と言われた日本宣伝美術会の公募展で2年連続入賞。
早瀬 勇(はやせ いさむ、1935年 - ) は、日本の実業… 早瀬 勇(はやせ いさむ、1935年 - ) は、日本の実業家。元金沢星稜大学学長。石川日独協会会長・横浜日独協会会長・全国日独協会連合会副会長を歴任。外務大臣表彰受賞。 日本統治時代の南樺太の豊原市生まれ。名古屋市育ち。愛知第一師範学校附属中学校(現愛知教育大学附属名古屋中学校)、名古屋市立菊里高等学校を経て、1959年一橋大学経済学部卒業。 同年東京銀行入行。大学ではのちに岳父となった板垣與一ゼミで学んだ。また大学のクラスの同級生に角田勝彦日本ウルグアイ協会会長がいた。1965年『海外経済協力の重要性とわが国の役割』で内閣総理大臣賞受賞。ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン留学後、ルクセンブルク東銀副支配人、オーストラリア東京銀行取締役、国際天然ゴム機関日本政府代表代理、国際錫理事会日本政府代表代理、鹿島建設国際財務部長、鹿島建設ヨーロッパ社取締役副社長、鹿島建設顧問等を歴任。
大塚 錥子(おおつか いくこ、1935年〈昭和10年〉 - … 大塚 錥子(おおつか いくこ、1935年〈昭和10年〉 - )は、日本の弁護士。愛知県初の女性弁護士とされる。 名古屋大学法学部出身。朝日大学法学部・大学院法学研究科名誉教授。夫は刑法学者の大塚仁(名古屋大学名誉教授)であり、息子は民法学者の大塚直(早稲田大学大学院教授)。 1935年(昭和10年)、愛知県碧海郡刈谷町(現・刈谷市)に生まれた。父親は裁判官である。刈谷市立刈谷南中学校卒業後に愛知県立刈谷高等学校に進学し、高校時代には陸上部に所属していた。名古屋大学では山岳部に所属していた。 大学在学中の1956年(昭和31年)、21歳で司法試験に合格した。1957年(昭和32年)に名古屋大学法学部法律学科を卒業。
林潤(はやし じゅん 1935年〈昭和7年〉-)は、日本の実… 林潤(はやし じゅん 1935年〈昭和7年〉-)は、日本の実業家。奈良生駒高速鉄道代表取締役社長、近畿日本鉄道株式会社専務取締役、土木学会理事。滋賀県近江八幡市出身。 1935年滋賀県近江八幡市生まれ。1953年近江兄弟社高等学校を卒業後、京都大学工学部土木工学科に入学。 1958年、近畿日本鉄道に入社。専務取締役を経て、1998年奈良生駒高速鉄道代表取締役社長に就任し、土木学会理事も務めた。
竹村 達也(たけむら たつや、1935年〈昭和10年〉 - … 竹村 達也(たけむら たつや、1935年〈昭和10年〉 - )は、大阪府出身の特定失踪者。1972年(昭和47年)3月、茨城県にて失踪した。失踪当時は36歳。核燃料開発事業に関わったエリート研究者である。動力炉・核燃料開発事業団(動燃)のプルトニウム製造係長も務めた。 1935年(昭和10年)、大阪府大阪市生まれ。大阪府立天王寺高等学校から600ないし700メートルほど離れた、JR西日本阪和線高架沿いに実家があった(2023年現在は空き地となっている)。天王寺高等学校から大阪大学工学部冶金学科に進み、1958年(昭和33年)に卒業した。 1958年4月、動燃(動力炉・核燃料開発事業団)の前身である茨城県東海村の原子燃料公社(原燃)に入社した。
平野 拓也(ひらの たくや、1935年 - )は、日本のフリ… 平野 拓也(ひらの たくや、1935年 - )は、日本のフリージャーナリスト、元税務官僚。 大阪府大阪市生まれ。1953年大阪府立豊中高等学校卒、大蔵省関税局大阪税関入関。税関相談官などを経て1995年退職。1988年大阪外国語大学フランス語科入学、1993年卒業。退職後は雑誌、単行本などで執筆活動。
福本 晃(ふくもと あきら、1935年(昭和10年) - )… 福本 晃(ふくもと あきら、1935年(昭和10年) - )は松下電器(現・パナソニックホールディングス)の元副理事であり、教育者でもある。鳥取大学客員教授を務めた。岡山県出身。 1935年(昭和10年)に岡山県で生まれる。小学校時代から電気工作が好きであり、高梁市内にあるラジオ屋に出入りしていた。地元の岡山県立高梁高校へ進学し、高校時代には、放送機を自作し高校の友人と通信していた。1954年(昭和29年)に同校を卒業。同年、大阪大学理学部へ入学した。その後、同大学を1958年に卒業し、マサチューセッツ工科大学へ入学、Ph.D in Physics(理学博士)を取得し1960年(昭和35年)に卒業したと同時に松下電器へ入社した。
南 智(みなみ さとる、1935年(昭和10年) - )は、… 南 智(みなみ さとる、1935年(昭和10年) - )は、日本の教育者であり、歴史家である。郷土史家として活動し、岡山県教育史編集委員、岡山県文化財保護審議会会長、元ノートルダム清心女子大学文学部教授を務めた。岡山県高梁市出身。 1935年(昭和10年)岡山県高梁市で生まれる。1950年(昭和25年)岡山県立高梁高等学校へ進学する。同期には、富士銀行頭取・日本政策投資銀行社長になる橋本徹、伊藤忠商事副社長になる森澤寛二、岡山東商を甲子園優勝に導いた向井正剛、群馬大学医学部教授の伊吹令人、新宿で高級和食料理店「車屋本店」を起業する佐藤勇がいた。1953年(昭和28年)岡山県立高梁高等学校を卒業し、岡山大学法文学部へ進学する。
寺岡 暉(てらおか あきら、1935年 - )は、日本の医師… 寺岡 暉(てらおか あきら、1935年 - )は、日本の医師(医学博士)。社会医療法人 社団 陽正会 寺岡記念病院 会長。
岩﨑 一生(いわさき かずお、1935年 - )は、日本の法… 岩﨑 一生(いわさき かずお、1935年 - )は、日本の法学者・仲裁人。専門は国際私法。名古屋大学名誉教授。立命館大学教授、名古屋大学教授、ニューヨーク大学・ロー・スクールフルブライト上級研究員、モナシュ大学客員教授等を歴任。 熊本県熊本市出身。熊本県立熊本高等学校を経て、1959年一橋大学法学部卒業、三井金属鉱業株式会社入社。 京セラ株式会社、ネッスル日本株式会社を経て、1979年愛媛大学法文学部助教授。1981年から1982年までニューヨーク大学・ロー・スクールフルブライト上級研究員。1985年から1986年までモナシュ大学法科大学院客員教授。1985年愛媛大学法文学部教授。1988年立命館大学国際関係学部教授。
郡山 史郎(こおりやま しろう、1935年 - )は、日本の… 郡山 史郎(こおりやま しろう、1935年 - )は、日本の実業家。シンガー日本代表や、ソニーPCL代表取締役社長、同社代表取締役会長、ソニー顧問、CEAFOM代表取締役、小僧com代表取締役社長などを歴任した。 鹿児島県指宿市生まれ。1954年ラ・サール高等学校卒業。1958年一橋大学経済学部卒業、伊藤忠商事入社。1959年ソニー入社。1973年シンガー入社。シンガー日本代表を経て、1981年ソニー映像事業部長 。1984年ソニー情報機器事業本部長。1985年ソニー取締役。1988年ソニー経営戦略本部長。1990年ソニー常務取締役。1991年ソニー一般地域統括本部長、資材本部長、サービス本部長、物流本部長。