武内 正康(たけうち まさやす、1932年1月1日 - )は… 武内 正康(たけうち まさやす、1932年1月1日 - )は、日本の経営者。大日本製薬社長を務めた。 東京都出身。1954年に東京大学経済学部商業学科を卒業し、同年に住友化学工業に入社。 1981年3月に取締役に就任し、1984年6月に常務、1987年3月に専務を経て、1993年3月に副社長に就任し、1995年3月には住友製薬社長に就任。 1998年6月に会長を経て、2000年6月には相談役に就任。
長岡弘芳(ながおか ひろよし、1932年1月1日-1989年… 長岡弘芳(ながおか ひろよし、1932年1月1日-1989年8月14日)は、原爆文学研究者、詩人。本名は奥村弘芳。 東京出身。東京都立大学卒。千葉ベ平連に参加。原爆関係の文献をあつめ「原爆文献を読む会」「原爆体験を伝える会」の中心となる。1980年代初頭に刊行された〈日本の原爆文学〉シリーズの編集作業の中心を担った。1989年8月14日、自宅にて自殺。
下條美智彦(下条美智彦、しもじょう みちひこ、1932年1月… 下條美智彦(下条美智彦、しもじょう みちひこ、1932年1月1日- )は、日本の行政学者、国士舘大学名誉教授。 長野県出身。1958年早稲田大学第一政治経済学部卒業。1963年同大学院政治学研究科修了。1994-95年ロンドン大学留学。20年にわたってヨーロッパ各国を巡り、行政制度、教育システム、地域文化の比較研究に専念。国士舘大学政治経済学部教授となる。1996年「イギリスの行政」により、政治学博士(国士舘大学)。2003年定年、名誉教授。専攻は比較行政・比較文化。
薄井 坦子(うすい ひろこ、1932年1月 – 2022年2… 薄井 坦子(うすい ひろこ、1932年1月 – 2022年2月)は、日本の看護学者。千葉大学名誉教授、宮崎県立看護大学初代学長、名誉教授。 広島県広島市生まれ。お茶の水女子大学文教育学部を卒業後、1961年に東京大学医学部衛生看護学科を卒業。日本医師会、東京女子医科大学病院などを経て、1965年東京女子医科大学看護短期大学教授、1975年千葉大学看護学部教授、1997年から宮崎県立看護大学で教鞭を取り (~2002年)、2011年まで初代学長を務めた。 看護学に関する文献・調査研究や、看護婦としての実践から「看護とは何か」を求めた。フローレンス・ナイチンゲールの唱えた看護論の翻訳でも知られ、日本翻訳文化賞を受賞した。
斎藤 道一(さいとう どういち、1932年 - )は、日本の… 斎藤 道一(さいとう どういち、1932年 - )は、日本のフリーライター。 北海道生まれ。北海道函館中部高等学校をへて、東京大学に進学し卒業後、NHK入局。プロデューサーとして報道番組やドキュメンタリーを担当したのち、1965年退社。以降、フリーライターになる。
池田 充男(いけだ みつお、1932年〈昭和7年〉- )は、… 池田 充男(いけだ みつお、1932年〈昭和7年〉- )は、日本の作詞家。 茨城県稲敷郡岡田村東猯穴(牛久町を経て、現在の牛久市東猯穴町)出身。岡田国民学校(現在の牛久市立岡田小学校)、岡田農業青年学校(後の牛久町立岡田中学校)、県立取手第一高等学校に進む。高校生の時に作詞家を志す。テイチクレコードより黒田春雄(後のアイ・ジョージ)歌唱の「心の十字路」で作詞家デビューし、現在も現役で活動している。 1992年の第34回日本レコード大賞歌謡曲・演歌部門で、大月みやこの『白い海峡』が大賞、1999年には服部浩子の『旅路の花』が第32回日本作詩大賞、2006年には香西かおりの『最北航路』が第39回日本作詩大賞を受賞するなど多くの作品で日本作詞家大賞を受賞する。
塙 静夫(はなわ しずお、1932年 - )は、栃木県出身の… 塙 静夫(はなわ しずお、1932年 - )は、栃木県出身の元教員で、考古学者である。 1932年(昭和7年)、栃木県芳賀郡に生まれる。1955年(昭和32年)宇都宮大学学芸学部文学科を卒業後、作新学院高等学校で教職に就く。その間、下総国府跡をはじめとする栃木県内の多くの調査発掘に携わった。栃木県考古学会会長も務める。 2000年(平成12年)10月 栃木県文化功労者に選ばれた。
飯島 光雄(いいじま みつお、1932年 - 2021年)は… 飯島 光雄(いいじま みつお、1932年 - 2021年)は、日本の外交官。内閣官房内閣審議官兼インドシナ難民対策連絡調整会議事務局長等を経て、1990年(平成2年)から1994年(平成6年)までジンバブエ駐箚特命全権大使を務めた。 日本統治時代の朝鮮で生まれる。埼玉県立浦和高等学校を経て、1956年一橋大学法学部卒業、外務省入省。国際連合日本政府代表部一等書記官、国際連合日本政府代表部参事官、外務省経済協力局書記官を経て、1976年外務省経済協力局技術協力第二課長。1978年在パキスタン日本国大使館参事官。 1981年在ノルウェー日本国大使館公使。1983年内閣審議官(内閣官房内閣審議室)兼インドシナ難民対策連絡調整会議事務局局長。
高山 信雄(たかやま のぶお、1932年 - 2025年 )… 高山 信雄(たかやま のぶお、1932年 - 2025年 )は、英文学者、電気技術者、童話作家、大正大学名誉教授。 埼玉県川口市生まれ。旧制川口中学校(現・埼玉県立川口高等学校)に入学後、15歳で就職し、31歳まで民間の工場や会社に電気技術者として勤務。その間、夜間課程の川口市立県陽高等学校卒、芝浦工業大学2部電気工学科卒業。1964-82年東京都立港工業高等学校定時制に電子科教諭として勤務。本務の傍ら、法政大学で英文学、中央大学でドイツ文学と法律学の学科を卒業し、東京大学医学部の研究生として6年間医用工学の研究に従事。法政大学大学院人文科学研究科博士課程単位修得退学。1982年大正大学に勤務。
小林 駿介(こばやし しゅんすけ、1932年 - ) は、日… 小林 駿介(こばやし しゅんすけ、1932年 - ) は、日本の電子工学者。東京農工大学名誉教授。山口東京理科大学名誉教授。元国際液晶学会副会長。元日本液晶学会会長。内田龍男と高性能液晶ディスプレイの研究開発を行い、日本学士院賞受賞。 埼玉県入間市出身。1951年埼玉県立豊岡実業高等学校(現埼玉県立豊岡高等学校)卒業。木下博元入間市長は同級生。1955年東京理科大学理学部物理学科卒業、東京理科大学助手。1964年東京大学大学院数物系研究科電子工学専攻博士課程修了、理化学研究所入所。1973年東京農工大学工学部電子情報工学科助教授。1978年同教授。1995年国際液晶学会副会長。1996年東京農工大学名誉教授、山口東京理科大学大学院基礎工学研究科教授、同大初代液晶研究所所長。
石川 哲(いしかわ さとし、1932年 - 2022年 )は… 石川 哲(いしかわ さとし、1932年 - 2022年 )は日本の医師、医学者、医学博士。北里大学名誉教授。専門は眼科学、環境医学。 1932年に東京府で生まれる。1957年に東北大学医学部を卒業した後に、東京大学医学部眼科学教室に入局する。その後、フルブライト留学生としてアメリカで研究活動を開始し、1965年にニューヨーク大学助教授となる。同年に東京大学医学部眼科講師となり、1971年に北里大学医学部眼科学技術振興調整費教授に就任する。同大学医学部教授として神経眼科、環境医学、神経毒物、自律神経学などの研究に従事し、1995年からは医学部長を務めた。1998年に定年退職し名誉教授となった後は、北里研究所病院環境センター長および森下記念病院名誉院長に就任した。
ロバートソン 黎子(ロバートソン れいこ、1932年 - 2… ロバートソン 黎子(ロバートソン れいこ、1932年 - 2020年)は、作家、ジャーナリスト。 現在の富山県高岡市能町生まれ。生家は古くからの地主であり、農地改革前は「三歩あるけば一歩は蒲田はんの地面」と言われるほどの土地を所有していた。富山県立高岡北部高等学校の同期に後の高岡法科大学学長吉原節夫がいた。東京外国語大学英語学科を経て1957年に早稲田大学第一政治経済学部卒業。岩波書店とNHKの採用試験にも合格したが、1957年、毎日新聞東京本社に入社。1年間の仙台支局勤務を経て、女性初の外信部記者となる。フルブライト奨学金を獲得し、1958年8月から日本人女性として初めてヴァージニア大学(国際関係論修士課程)に留学していた時、同大学医科大学院在学中に、宣教師の息子で高校時代にインドのダージリンで過ごした経験があるスコットランド系アメリカ人のトマス・リー・ロバートソンJrと知り合う。
今井 理一(いまい りいち、1932年または1933年 - … 今井 理一(いまい りいち、1932年または1933年 - )は、日本の政治家。元福井県大飯郡高浜町長(3期)。反原発町長。 福井県大飯郡高浜町議会議員を経て、1996年-2008年、高浜町長を3期務めた。高浜発電所プルサーマル計画の受け入れを了承していたが、1999年12月に英国核燃料会社によるMOX燃料データ改竄が発覚したことから、安全性を危惧し計画実行に慎重な態度をとるようになった。2004年3月高浜発電所プルサーマル計画が再開されたが、同年8月の美浜発電所蒸気噴出事故を受けプルサーマル計画に再度難色を示すようになり、同計画は白紙撤回されることとなった。2008年、経済産業省原子力安全功労者表彰。
福田 静夫(ふくだ しずお、1932年 - )は、日本の哲学… 福田 静夫(ふくだ しずお、1932年 - )は、日本の哲学者。日本福祉大学名誉教授。 岐阜県美濃加茂市生まれ。岐阜県立華陽高等学校卒業。名古屋大学文学部哲学科卒業。1965年同大学大学院文学研究科博士課程修了。 愛知大学講師を経て、日本福祉大学社会福祉学部教授。 「名古屋哲学セミナー」常任講師。同セミナーは1976年に真下信一を講師に迎えて始まり、1985年に真下が亡くなった後は教え子の吉田千秋と福田静夫が講師を引き受けた。2000年10月には福田を解説者とする「イタリア映画を楽しむ会」、2002年6月には福田を講師とする「ヘーゲルを読む会」が発足している。 書店大地が2004年に出版した「ヘーゲルを読む会」の記録集『ヘーゲルを読む No.1』には論文「ヘーゲルの『自然法論』のために」が収録されている。
木村 吉男(きむら よしお、1932年 - 2014年)は、… 木村 吉男(きむら よしお、1932年 - 2014年)は、日本の経済学者。名古屋市立大学名誉教授。元日本地域学会会長。 愛知県立瑞陵高等学校を経て、1956年名古屋大学経済学部経済学科卒業。塩野谷九十九ゼミ出身。1961年名古屋大学大学院経済学研究科博士課程修了。指導教官は水野正一。同年名古屋大学経済学部助手。1962年神戸商科大学専任講師。1965年名古屋大学経済学博士。1964年新設の名古屋市立大学経済学部助教授に着任。1971年名古屋市立大学経済学部教授。1975年理論・計量経済学会常任理事。1990年中京大学経済学部教授。1992年日本地域学会論文賞受賞。1993年簡易保険財団助成研究優秀賞受賞。
今泉 潤太郎(いまいずみ じゅんたろう、1932年 - )は… 今泉 潤太郎(いまいずみ じゅんたろう、1932年 - )は、日本の中国語学者。愛知県豊橋市出身。愛知大学名誉教授。現在、『中日大辞典』編集主幹を務めている。 1951年、愛知県立豊橋時習館高等学校卒業。1955年、愛知大学文学部文学科卒業、愛知大学華日辞典編纂所に勤務する。1959年、同大学教養部にて中国語を担当する。1997年、同大学現代中国学部教授。大学院中国研究科教授(中国語学)。2000年、同大学現代中国学部長。2003年、同大学名誉教授。 2012年、瑞宝中綬章受章。 1933年5月、東亜同文書院において、鈴木擇郎を責任者として『華日辞典』の編纂が始まり、「華日辞典カード」14万枚が作成された。
下井 隆史(しもい たかし、1932年 - )は、日本の法学… 下井 隆史(しもい たかし、1932年 - )は、日本の法学者。専門は労働法。学位は、博士(法学)(神戸大学・1992年)。神戸大学名誉教授、大阪学院大学名誉教授。元日本労働法学会代表理事。 東京府生まれ。1951年京都府立西舞鶴高等学校卒業。1956年神戸大学法学部卒業。1958年同大学院法学研究科修士課程修了。 熊本商科大学助手。1959年同専任講師。1964年同助教授。1965年神戸商科大学教授。1970年甲南大学法学部教授。1974年同法学部長。1974年北海道大学法学部教授。1982年神戸大学法学部教授。1983年法務省司法試験考査委員。1990年同法学部長。1991年から1994年まで放送大学客員教授。
田中 良子(たなか よしこ、1932年または1933年 -)… 田中 良子(たなか よしこ、1932年または1933年 -)は、山口県出身の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で金メダル1個を含む計7個のメダルを獲得し、日本卓球界の創成期を代表する選手として活躍した。国際卓球連盟世界ランキング最高位は5位。段級位は7段。 1949年度、柳井高校2年時の全日本卓球選手権大会ではシングルス決勝で佐藤恵子を2-1で倒し、初優勝。田舛彦介と出場した混合ダブルスでも決勝で本庄俊彦 / 西村登美江組を2-0で下し、優勝。 1950年度、高校選手権ではシングルス優勝。日本選手権シングルスでは決勝で楢原静に1-2で敗れ、準優勝。 1951年度、日本選手権混合ダブルスは峯石忠雄と出場し、決勝で溝畑司呂 / 石原れい子組を2-0で下し2度目の優勝。
井上 員男(いのうえ かずお、1932年 - )は、日本の版… 井上 員男(いのうえ かずお、1932年 - )は、日本の版画家。ペーパー・ドライポイント(紙凹版画)において独自の技法を開発した。 香川県観音寺市出身。1950年(昭和25年)香川県立観音寺第一高等学校卒業。1954年(昭和29年)香川大学教育学部美術科卒業、地方公務員として公立高校の教員となり兵庫県立高校美術教諭となる。1970年(昭和45年)紙凹版画独創技法開拓。1979年(昭和54年)香川県立高校美術教諭を辞め、東京都羽村市に転居。1988年(昭和63年)在仏日本大使館主催ユネスコ日本週間展覧会に招待出品(『版画平家物語』、『雪国』、『アヤメ』)。2003年(平成15年)8月、香川県中学校美術教育研究会の活動の一環として、香川県の中学の美術教員に対して紙凹版画の技法を教えるなど、技法の普及にも力を入れている。
望月 清人(もちづき きよと、1932年 - )は、日本の経… 望月 清人(もちづき きよと、1932年 - )は、日本の経済学者。松山大学名誉教授。経済学博士(神戸大学)。専攻は、社会政策。松友孟を中心とした愛媛県社会経済研究財団の研究会にたびたび参加し、研究報告執筆にかかわった。 このほか、愛媛県シンクタンク代表幹事、愛媛県トリガー産業推進協議会委員長など愛媛県関係の各種委員(委員長を含む)を歴任した。
木村 一生(きむら いっしょう、1932年 - 2015年)… 木村 一生(きむら いっしょう、1932年 - 2015年)は、日本の抽象画家で、多摩美術大学名誉教授。本名は木村和夫。 1932年、長崎県長崎市生まれ。1951年、長崎県立長崎東高等学校卒業。東京芸術大学絵画科在学中の1955年に浜屋百貨店で初めての個展を開催。1957年、同大学を卒業後、1958年には読売アンデパンダン展に出品。1959年、モダンアート協会展に初出品し翌1960年に同会会員となる。1989年の「木村一生の世界」展(池田20世紀美術館企画)をはじめ多数の個展を開催。また、1960年から1985年にかけて「新表現展」に出品するなどグループ展にも数多く参加。1968年より多摩美術大学で後進の指導にも取り組み、1972年に助教授、1983年に教授就任。
福島 源次郎(ふくしま げんじろう、1932年〈昭和7年〉 … 福島 源次郎(ふくしま げんじろう、1932年〈昭和7年〉 - 1998年〈平成10年〉)は、創価学会の元副会長。熊本県出身。熊本県立済々黌高等学校および東京大学経済学部を卒業。 のちに創価学会を脱会して、日蓮正宗の法華講員になった。 詳細は「創価学会#創価学会に対する批判」を参照。 全盛期には池田会長の側近中の側近と目されたが、池田にこびへつらう発言が多く「ゴマ源(ゴマスリ源次郎の略)」のあだ名があった。実際、創価学会内で池田大作を現人神として扱う教義「池田本仏論」の原型を築き、山崎正友とともに池田を仏であるかのように喧伝。内容を全国に広めた。 しかしその後、次第に池田の指導に疑問を抱くようになり、批判の側に立つようになった。
犬塚 幹士(いぬづか かんじ、1932年(昭和7年) - )… 犬塚 幹士(いぬづか かんじ、1932年(昭和7年) - )は、日本の民俗研究家。致道博物館常務理事、(元)副館長理事、庄内民俗学会代表幹事、日本民具学会監事、鶴岡市文化財保護審議委員、荘内日報客員論説委員。
亀井 節子(かめい せつこ、1932年 - )は、日本の社会… 亀井 節子(かめい せつこ、1932年 - )は、日本の社会保険労務士、行政書士。名古屋市を拠点に実務に従事するかたわら、女性の働き方に関する著作などを発表した。 愛知大学法経学部を卒業した。1967年に行政書士登録して、労務コンサルタント事務所「亀井事務所」を名古屋市千種区に設立し、制度の導入とともに社会保険労務士として活動した。当時は、労務関係では数少ない女性の専門家として、数多くのセミナー等で講師を務めるとともに、愛知県社会保険労務士会副会長などを歴任した。 事務所は1972年に亀井労務管理事務所と改称し、1994年に名古屋市昭和区に移転した後、2009年に社会保険労務士法人となった。
中條 修(なかじょう おさむ、1932年 - )は日本の日本… 中條 修(なかじょう おさむ、1932年 - )は日本の日本語学者。専門は静岡方言の研究。 青山学院大学文学部卒業。昭和47年(1972年)旧東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程修了。同年静岡大学教養部教授。同51年(1981年)教育学部教授。平成9年(1997年)静岡学園短期大学学長、のち静岡産業大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、言語学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 言語学)。
冨田 勲(とみた いさお、1932年 - )は、日本の薬学者… 冨田 勲(とみた いさお、1932年 - )は、日本の薬学者(衛生化学)。勲等は瑞宝中綬章。学位は薬学博士(大阪大学・1962年)。静岡県立大学名誉教授、公益社団法人日本食品衛生学会名誉会員、公益社団法人日本ビタミン学会功労会員。「冨」は「富」の異体字のため、富田 勲(とみた いさお)と表記されることもある。 大阪大学助手、アイオワ州立大学博士研究員、ニューヨーク州立大学博士研究員、静岡薬科大学での勤務を経て、静岡県立大学薬学部教授、静岡産業大学国際情報学部教授などを歴任した。 富山県出身の薬学者である。衛生化学を専攻しており、緑茶に関する研究などでも知られた。大阪大学、アイオワ州立大学、ニューヨーク州立大学、静岡薬科大学、静岡県立大学、静岡産業大学、などで教鞭を執った。
古谷 七五三次(ふるたに しめじ、1932年 - )は前学校… 古谷 七五三次(ふるたに しめじ、1932年 - )は前学校法人大阪産業大学理事長。 1955年大阪経済大学経済学部卒業。1956年大阪鉄道高等学校(現大阪産業大学附属高等学校)に入り、校長を歴任し、後に学校法人大阪産業大学評議員・理事を歴任し、1993年に同学校法人の第6代理事長に就任。 就任後、大阪桐蔭中学校の基盤の整備や、大阪産業大学の経営学部流通学科、経済学部国際経済学科、人間環境学部文化環境学科・都市環境学科、大学院経営・流通学研究科などの増設で総合大学化を推進。新産業研究開発センターの設置、産官学連携の推進なども行った。 これらが評価され2003年に旭日中綬章を受賞。 2009年、体調不良を理由に理事長職を退く。
大海 一雄(おおうみ かずお、1932年 - )は、日本の作… 大海 一雄(おおうみ かずお、1932年 - )は、日本の作家、建築家。 1932年、大阪で生まれる。 1955年大阪工業大学建築学科卒業。以降、神戸市役所に職員として入庁し、市営住宅や公共建築を手掛ける。また、神戸市住宅供給公社で分譲住宅も手掛ける。タウンハウスの建設は、住宅設計などに新天地を開いた。 1984年、神戸大学非常勤講師となる(〜1987年)。 1993年、神戸地下街株式会社に入社する(〜1996年)。 1996年、流通科学大学商学部教授となる(〜2001年)。 2001年、兵庫県建築士会会長となる(〜2005年)。 2003年、西神ニュータウン研究会を立ち上げる。 2022年、神戸市文化活動功労賞受賞 現在、西神ニュータウン研究会会長、NPOグレーター西神音楽ネット理事、兵庫県建築士会顧問。
佐賀枝 弘子(さがえ ひろこ、1932年 - 2003年)は… 佐賀枝 弘子(さがえ ひろこ、1932年 - 2003年)は、真宗大谷派教師で、榮明寺(富山県魚津市)の第19世坊守を務めた。 現在の新潟市南区味方にある浄土真宗本願寺派常敬寺の長女として生まれる。大谷大学文学部卒業後に結婚する。1956年から1965年まで、中外日報社編集局に勤務した。 1970年に夫の自坊である榮明寺へ帰り、1980年に坊守となる。1990年、真宗大谷派坊守会連合通信編集長に就任。2003年、行年71で示寂。
稲田 和子(いなだ かずこ、1932年- )は、民話研究者、… 稲田 和子(いなだ かずこ、1932年- )は、民話研究者、山陽学園短期大学名誉教授。岡山県生まれ。岡山大学法文学部卒業。山陽学園短期大学助教授、教授、2003年定年退任、名誉教授。1955年ころより昔話の採集・研究を始める。夫は稲田浩二、娘は絵本作家の稲田奈穂。
江口 三角(えぐち さんかく、1932年 - )は、日本の法… 江口 三角(えぐち さんかく、1932年 - )は、日本の法学者。専門は刑事法。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
酒井 豊子(さかい とよこ、1932年 - )は、日本の服飾… 酒井 豊子(さかい とよこ、1932年 - )は、日本の服飾学者、東京都立立川短期大学・放送大学名誉教授。 東京生まれ。1955年、お茶の水女子大学家政学部被服学科卒業。1958年、東京工業大学大学院理工学研究科修士課程繊維工学専攻修了、実践女子大学助手。1961年、東京都立立川短期大学講師、助教授、教授。1978年、「分散染料の染色過程と高分子高次構造に関する研究」により東京工業大学より工学博士の学位を取得。1989年定年退官、名誉教授、放送大学教授。2004年同退任、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
立花 京子(たちばな きょうこ、 1932年 - 2011年… 立花 京子(たちばな きょうこ、 1932年 - 2011年)は、日本の歴史家。東京出身。織田信長及び本能寺の変について著書がある。 お茶の水女子大学理学部数学科卒業。東京教育大学理学研究科数学専攻修士課程修了。 1987年から1996年まで、朝日カルチャーセンターで古文書講座(講師は林英夫・立教大学名誉教授)を受講した。1990から2001年、一橋大学経済学部 池享教授ゼミに参加。2000から2002年、神奈川大学経済学部 三鬼清一郎教授ゼミに参加。 2002年、「信長権力と朝廷」でお茶の水女子大学人文科学博士。 織田信長の三職推任問題に関する研究で「晴豊公記」の新解釈を示し、今谷明に評価された。
河野 博忠(こうの ひろただ、1932年 - )は、日本の経… 河野 博忠(こうの ひろただ、1932年 - )は、日本の経済学者。筑波大学名誉教授。元日本地域学会会長。元日本学術会議会員。 1955年香川大学経済学部経済学科卒業。東京大学大学院経済学研究科理論経済学専門課程を経て、1971年横浜国立大学経営学部助教授。1977年筑波大学社会工学系教授。1982年国際地域学会理事。1983年日本地域学会会長。1992年日本地域学会学会賞(論文賞)受賞。1994年日本学術会議会員(第3部経済政策)。1996年常磐大学国際学部教授、筑波大学名誉教授。1997年日本地域学会学会賞(功績賞)受賞。同年日本計画行政学会理事。
藤崎 健(ふじさき けん、1932年 - )はジャーナリスト… 藤崎 健(ふじさき けん、1932年 - )はジャーナリスト。
加賀谷 武(かがや たけし、1932年 - 2024年7月)… 加賀谷 武(かがや たけし、1932年 - 2024年7月)は、空間造形作家。本名は加賀谷 武夫。「空間生態」をテーマにした制作活動を続けていた。 1932年、富山県小矢部市に生まれる。1951年に金沢美術工芸大学に入学し、彫金を学んだ。大学卒業後の1955年から1984年まで公立学校の教員を務めた。 1962年、東京都に移住し、のちに練馬区に居住するようになった。1964年には初の個展を開催し、医療用器具を複数並べた作品を発表した。それ以降ほぼ毎年、個展を開催していた。 2002年に紺綬褒章を授与され、2008年に故郷の小矢部に移住した。 2024年7月に死去し、2025年6月に遺作展が開催された。
アレクサンドリア木星王(アレクサンドリアもくせいおう、193… アレクサンドリア木星王(アレクサンドリアもくせいおう、1932年 - )は、日本の占い師。 著作家としての別名義に鈴江 淳也(すずえ じゅんや、初期は「鈴江 淳」とも)、大前田 毅(おおまえだ つよし、おおまえだ たけし)がある。 神戸に生まれる。関西大学文学部卒。ジャーナリストを経て占い師になる。 多くのタロット翻訳や入門書を手掛け日本で一般にタロット占いを広めた第一人者で、それまでごく一部のマニアやコレクターのみが所持するに過ぎなかったタロットカードについて平易に解説し、実占に用いる方法を述べることで、タロット占いの裾野を拡大した。
洲脇 光一(すわき みつかず、1932年(昭和7年) - )… 洲脇 光一(すわき みつかず、1932年(昭和7年) - )は、日本の合唱指揮者。関西地方を拠点に活動している。 兵庫県神戸市出身。関西学院大学商学部卒業。在学中は関西学院グリークラブに在団して学生指揮者を務め、1954年(昭和29年)の第7回全日本合唱コンクール全国大会において、同年から導入された招待演奏を指揮した。大学卒業後は新月会を指揮し、1958年(昭和33年)の第11回全日本合唱コンクール全国大会一般部門、翌年の第12回と2年連続優勝を果たした。 その後、アメリカ合衆国へ留学し、南メゾジスト大学芸術学部音楽科大学院修了、宗教音楽と合唱指揮を専攻した。帰国後、神戸女学院大学音楽部専任講師を経て、甲南女子大学教授、ワイオミング州立大学音楽学部客員教授を歴任した。
柴田 稔彦(しばた としひこ、1932年 - )は、日本の英… 柴田 稔彦(しばた としひこ、1932年 - )は、日本の英文学者、翻訳家。福岡大学名誉教授。専門はシェイクスピアなど英国演劇。 福岡県生まれ。1954年九州大学文学部卒、1957年東京大学英文科大学院修士課程修了、福岡女子大学、九州大学助教授をへて1964年東大教養学部助教授、1982年福岡大学教授、2002年定年退職、名誉教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
青木 隆嘉(あおき たかよし、1932年 - )は、日本の哲… 青木 隆嘉(あおき たかよし、1932年 - )は、日本の哲学者、大阪女子大学名誉教授。 福岡県生まれ。京都大学文学部哲学科卒、同大学院文学研究科博士課程満期退学。福岡女子大学講師、助教授、大阪女子大学教授、95年定年退官、名誉教授。2007年、ハンナ・アーレント『思索日記』でレッシング翻訳賞受賞。
大久保 そりや(おおくぼ そりや、1932年 - 2016年… 大久保 そりや(おおくぼ そりや、1932年 - 2016年12月)は、日本の在野研究者(言語学、マルクス主義)。英米SF翻訳家。 別名義に、小堀 靖生、おおくぼそりやがある。徳島市生まれ、1955年に京都大学文学部言語学科卒業。 大学卒業後も『早稲田大学新聞』(早稲田大学新聞会)、『情況』第1期(情況出版)等の左派系媒体にソシュール言語学や現代思想に関する論考を数多く発表していた。大学在学時からカール・マルクスや梯明秀の影響を受け、疎外論を重視する立場であった大久保は、やがてその立場から人間存在と言語との関係性を考究するようになり、「言語共産学」と称する独自の言語思想を提起するに至っていく。 また戦後日本SFの論者としても、1962年『悪魔運動』誌に小堀名義で発表した「SF論序」において、SFを「サイエンス・フィクション」ではなく「スペキュレイティヴ・フィクション」として位置付けていた。
小野 和子(おの かずこ、1932年〈昭和7年〉 - )は、… 小野 和子(おの かずこ、1932年〈昭和7年〉 - )は、日本の東洋史学者、京都橘女子大学名誉教授。専攻は中国近世史・中国近代女性史。 1932年、大阪府生まれ。京都大学文学部を卒業。 その後は、三重大学助教授に就いた。1981年、学位論文『近代中国女性史研究』を京都大学に提出して文学博士号を取得。京都大学人文科学研究所教授。1993年に京都大学でセクシャルハラスメント事件の矢野事件が起こった際には女性教官のまとめ役として動き、矢野暢から名誉棄損で民事訴訟を起こされたが勝訴した。1996年に京都大学人文科学研究所を定年退官し、同研究所名誉所員となった。その後は京都橘女子大学歴史学科教授として教鞭をとった。
神野 慧一郎(かみの けいいちろう、1932年 - 2024… 神野 慧一郎(かみの けいいちろう、1932年 - 2024年11月)は、大阪市立大学名誉教授。京都大学文学部哲学科卒。長崎県佐世保市生まれ。京都府京都市育ち。奈良県奈良市在住。
佐々木 昭夫(ささき あきお、1932年 - )は、日本の工… 佐々木 昭夫(ささき あきお、1932年 - )は、日本の工学研究者(電子工学) 学位はPh.D.(カリフォルニア大学バークレー校・1966年)および工学博士(京都大学・1976年)。京都大学および大阪電気通信大学名誉教授、ユタ大学 Clyde Chair(招へい教授)。 「混晶半導体」を提唱し、新学術分野に発展に寄与した。「電子材料シンポジウム」を通じて若手人材の育成も行った。 研究内容は混晶半導体の物理と光デバイス。 1.省庁関連:◎文部省科学研究費補助金特定研究「混晶エレクトロニクス」研究領域代表◎科学技術庁航空・電子技術審議会専門委員◎新技術事業団個人研究者選考・推進委員◎学位授与機構審査専門委員主査2.学会関連:◎米国情報表示学会日本支部長◎電子通信学会電子デバイス研究専門委員会委員長 ◎電子情報通信学会エレクトロニクスグループ運営委員長◎電気学会情報認識技術委員会委員長◎電子情報通信学会副会長3.国内会議関連:◎電気学会「センサの基礎と応用」シンポジュウム論文委員長◎同上実行委員長◎液晶討論会論文委員長4.国際会議関連:◎第3回ディスプレイ研究国際会議論文委員長◎第9回ディスプレイ研究国際会議運営委員長◎日米科学協力日米セミナー「混晶エレクトロニクス」主宰◎第6回固体センサとトランジューサ国際会議アジア代表◎第7回気相成長とエピタキシー国際会議論文委員長◎第7回固体センサーとトランジューサ国際会議論文委員長◎米国電子材料会議アジア委員(20年間)
竹岡 敬温(たけおか ゆきはる、1932年 - )は、日本の… 竹岡 敬温(たけおか ゆきはる、1932年 - )は、日本の経済史学者(経済史・経営史・社会史)。大阪大学名誉教授。専門は、フランス経済史・経営史・社会史。経済学博士。名古屋大学の竹岡敬和は次男。総務事務次官および京セラの専務を務めた山本貞雄は義理の弟。 京都府京都市に生まれる。1954年、京都大学文学部フランス語フランス文学科を卒業。当時の京都大学フランス文学科には、高橋たか子らがいた。1957年に同大学院フランス語フランス文学科を修了したのち、大阪大学経済学部・経済学研究科において、経済史学を宮本又次教授(のち名誉教授)に師事。1964‐1966年にはフランス政府給費留学生ならびに文部省在外研究員としてパリ大学文学部、高等研究実習学院第6部門(経済学・社会学部門)に学ぶ。
中西 襄(なかにし のぼる、1932年 - )は、日本の物理… 中西 襄(なかにし のぼる、1932年 - )は、日本の物理学者。京都大学名誉教授。元プリンストン高等研究所、ブルックヘブン国立研究所研究員。学位は理学博士(京都大学)。場の量子論を専門とする。 1955年京都大学理学部物理学科卒業。プリンストン高等研究所、ブルックヘブン国立研究所研究員を経て、京都大学数理解析研究所教授、現在は京都大学名誉教授。 専門は場の量子論。「場の量子論における散乱振幅の諸性質の分析」により1973年度仁科記念賞を受賞。「QEDの中西-Lautrup 形式と不定計量の場の理論の研究」で2010年度素粒子メダル受賞。 主に数学者の在籍する数理解析研究所の教授であったことからも分かるように一貫して数学的な立場から物理学を研究してきた。
新田 一郎(にった いちろう、1932年 - )は、日本の歴… 新田 一郎(にった いちろう、1932年 - )は、日本の歴史学者。古代ローマ史およびキリスト教史専攻。京都女子大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
菊川 晋久(きくかわ のぶひさ、1932年 - )は、兵庫県… 菊川 晋久(きくかわ のぶひさ、1932年 - )は、兵庫県出身の彫刻家。女性を中心とした人物像などを発表、その多くが神戸市内に野外彫刻として設置されている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
松本 寿三郎(まつもと すみお、1932年(昭和7年) - … 松本 寿三郎(まつもと すみお、1932年(昭和7年) - )は、日本の歴史学者、熊本大学名誉教授。 朝鮮釜山に生まれる。1955年熊本大学法文学部史学科卒業。熊本大学文学部助教授、教授、1998年定年退官、名誉教授、崇城大学工学部教授、退職。
伊吹 雄(いぶき ゆう、1932年 - )は、日本のキリスト… 伊吹 雄(いぶき ゆう、1932年 - )は、日本のキリスト教神学者。旧東京都立大学名誉教授。 東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒業、同修士課程中退。上智大学大学院ラテン語哲学科修士課程修了。1963年、ボン大学カトリック神学部卒業。1965年、ケルン大学神学校卒業。1972年、ボン大学神学博士。1976年、成蹊大学経済学部教授(ドイツ語)。1987年、東京都立大学教授(哲学、倫理学)。1996年、定年退官、名誉教授。聖心女子大学講師。