齋藤 行(さいとう こう、1953年 - )は、日本のクラリ… 齋藤 行(さいとう こう、1953年 - )は、日本のクラリネット奏者、指揮者。 岩手県立黒沢尻北高等学校卒業後、1973年4月に国立音楽大学器楽科に入学し、クラリネットを大橋幸夫、浜中浩一に師事。 1977年3月大学卒業と同時に西ドイツ(当時)の国立北西ドイツ音楽アカデミー・デトモルト(ドイツ語版)に留学。デトモルトに於いてはクラリネットをヨースト・ミヒャエルス(ドイツ語版)、ゲルハルト・アーベルト、ハンス・ディートリッヒ・クラウスに、室内楽をヨースト・ミヒャエルス、F.ヴィルヘルム・シュヌーアに師事した。1980年6月にデトモルトを首席卒業後は引き続き指揮科に在籍し、マルティン・シュテファーニ、ヘリベルト・バイセルに師事した。
丸山 市郎(まるやま いちろう、ビルマ語: အိချီရို… 丸山 市郎(まるやま いちろう、ビルマ語: အိချီရို မာရုယာမ、1953年 - )は、日本の外交官。外務省外交政策調整官等を経て、2018年から2024年までの駐ミャンマー特命全権大使。上月豊久駐ロシア大使の離任後は、現職の日本大使のうち最も在任期間が長く、平成時代に任命された唯一の大使となっていた。 宮城県仙台市出身。宮城県仙台第二高等学校を経て、1978年中央大学経済学部卒業、専門職職員として外務省入省。ミャンマーの専門家となり、当時のラングーン外国語研修所で二年間のビルマ語研修を受け、1981年から1985年まで当時の在ビルマ日本国大使館に在勤し、1992年、2002年にもそれぞれ在ミャンマー日本国大使館に赴任。
佐々木 治樹(ささき はるき、1953年、)東京六大学野球選… 佐々木 治樹(ささき はるき、1953年、)東京六大学野球選手(野手)。右投右打。慶應義塾大学硬式野球部所属。
佐藤 登(さとう のぼる、1953年 - )は、日本の工学者… 佐藤 登(さとう のぼる、1953年 - )は、日本の工学者。名古屋大学未来社会創造機構客員教授、エスペック上席顧問、イリソ電子工業社外取締役。前サムスンSDI株式会社 Vice President(常務役員)、元株式会社本田技術研究所 チーフエンジニア、元秋田県教育視学監。 秋田県横手市(旧平鹿郡十文字町)出身。1972年、秋田県立横手高等学校卒業。1978年、横浜国立大学大学院工学研究科電気化学専攻修士課程を修了、本田技研工業株式会社に入社。社内研究成果により1988年、東京大学で工学博士の学位を取得。1991年、か株式会社本田技術研究所・和光基礎技術研究センターに車載電池研究開発機能を創設、1992年、同社チーフエンジニア、1997年度には名古屋大学非常勤講師を併任。
阿部 政文(あべ まさぶみ、1953年 - )は、秋田県出身… 阿部 政文(あべ まさぶみ、1953年 - )は、秋田県出身の元アマチュア野球選手(投手)である。 大館鳳鳴高校では1971年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、秋田市立高の船木千代美(法大-熊谷組-TDK)らに抑えられ完封負け。西奥羽大会には進めなかった。 早稲田大学に進学。東京六大学野球リーグでは在学中2回優勝。1974年春季リーグでは1年上の矢野暢生とともに投の二本柱として優勝に貢献する。直後の全日本大学野球選手権大会は、決勝で駒大を降し優勝。同年の第3回日米大学野球選手権、1975年の第11回アジア野球選手権日本代表に選出されている。リーグ通算37試合登板、12勝7敗、防御率2.13、82奪三振。
熊田 泰章(くまた よしのり、1953年 - )は、日本の文… 熊田 泰章(くまた よしのり、1953年 - )は、日本の文学研究者。専門はテクスト論、文化記号論。法政大学国際文化学部教授。元法政大学副学長、元学校法人法政大学常務理事。元日本国際文化学会会長。 福島県出身。福島県立安積高等学校を経て、1979年東京外国語大学外国語学部ドイツ語学科卒業。1981年立教大学大学院文学研究科博士課程前期課程修了、文学修士。1982年立教大学大学院文学研究科博士課程後期課程中途退学、防衛大学校人文科学教室助手。1985年防衛大学校専任講師。1992年法政大学第一教養部助教授。1996年法政大学第一教養部教授。1999年法政大学国際文化学部教授。2001年法政大学国際文化学部長、学校法人法政大学評議員。
セツ・スズキ(1953年 - )は、茨城県在住の日本の彫刻家… セツ・スズキ(1953年 - )は、茨城県在住の日本の彫刻家。 1953年、茨城県結城郡八千代町に生まれる。高校卒業後、警察官、仏像彫刻家の内弟子等を経て1980年、東京造形大学(彫刻専攻)を卒業。本格的な作家活動を始める。 セツ・スズキの彫刻家の概念は、通常のそれではなく、もっと大きな視野を含めたものである。「彫刻家とは、世界の事物を、モノのみに囚われるのでなく、広く社会のコトをも視界に入れ、思考し(彫り)、分析し(刻み)、再構成する(くっつける)者のことです」とコンセプトで述べているように、あらゆるモノ、コトが彫刻となりうるという表現の可能性を表明している。 このような社会彫刻の概念は、ドイツの現代美術家ヨーゼフ・ボイスの意図を理解しつつ、彼の従来の彫刻家像への挑発に応戦する形で、レデイ・メイドをあえて使わず、すべてスズキのハンドメイドによる、より困難な制作とプロジェクトに挑戦し続けている。
川島 英夫(かわしま ひでお、1953年 - )は、群馬県出… 川島 英夫(かわしま ひでお、1953年 - )は、群馬県出身のトレーナー、実業家。株式会社メジャー・トレーナーズ代表取締役社長。 群馬県立桐生工業高等学校、亜細亜大学時代は硬式野球部に所属。大学4年時に肘を故障したことからスポーツトレーナーを志す。 大学卒業後は小守スポーツマッサージに師事。その後、読売ジャイアンツのトレーナー・井上龍男に師事。 1979年4月に「メジャー・トレーナーズ」を新宿区四谷左門町に開業。 1983年3月には株式会社メジャー・トレーナーズを設立。 1984年8月のロサンゼルスオリンピックの野球日本代表のチームトレーナーとしてチームに所属。 1988年8月のソウルオリンピックの際も野球日本代表のチームトレーナーとしてチームに所属。
天沼 春樹(あまぬま はるき、1953年 - )は、日本のド… 天沼 春樹(あまぬま はるき、1953年 - )は、日本のドイツ文学者、作家、翻訳家。 日本児童文芸家協会元理事長。日本グリム協会副会長。日本ツェッペリン協会会長。 埼玉県川越市生まれ。川越市立仙波小学校、城南中学校、埼玉県立浦和高等学校卒業。中央大学大学院文学研究科博士課程満期退学。 『水に棲む猫』で第21回日本児童文芸家協会賞受賞。著述のほか、ドイツ硬式飛行船ツェッペリンをはじめ、飛行船の歴史・文化史の第一人者としても知られる。2005年日本国際博覧会(愛・地球博)を契機に環境にやさしい新時代の飛行船ツェッペリンNTを日本に導入した日本飛行船の顧問として参画し、飛行船事業の発展にも寄与している。
戸矢 学(とや まなぶ、昭和28年(1953年) - )は、… 戸矢 学(とや まなぶ、昭和28年(1953年) - )は、日本の史家・作家。 埼玉県出身。埼玉県立熊谷高等学校、國學院大學文学部神道学科卒。
鈴木健司(すずき けんじ、1953年 - )は、日本文学の研… 鈴木健司(すずき けんじ、1953年 - )は、日本文学の研究者。文教大学教授。 埼玉県立春日部高等学校、埼玉大学教育学部卒業。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程修了。埼玉県公立学校教員を務めた後、高知工業高等専門学校助教授を経て、高知大学人文学部人間文化学科教授。2006年から文教大学文学部教授。宮沢賢治学会イーハトーブセンター理事・編集委員会委員。野口冨士夫文庫運営委員(越谷市立図書館)。博士(学術)(早稲田大学)「宮沢賢治研究-文学における宗教と科学の位相」(2004年)。
岩永 雅也(いわなが まさや、1953年 - )は、日本の教… 岩永 雅也(いわなが まさや、1953年 - )は、日本の教育学者。放送大学長。専門は、教育社会学・社会調査法・生涯学習。 佐賀県藤津郡嬉野町(現・嬉野市)生まれ。就学前に千葉県に転居。 以後、大阪大学人間科学部助手、放送教育開発センター(メディア教育開発センター)を歴任。1989年放送大学教養学部助教授就任。 2000年放送大学教授、2018年副学長に就任。 2014年、筑波大学大学院図書館情報メディア研究科に於いて博士(学術)の学位を取得《論文博士》。 2021年4月から放送大学長。
伊藤 貫(いとう かん、1953年 - )は、日本の評論家、… 伊藤 貫(いとう かん、1953年 - )は、日本の評論家、国際政治アナリスト、米国金融アナリスト、政治思想家。アメリカ・ワシントンD.C.在住。東京大学経済学部卒業。姉は政治家の山谷えり子。 東京都出身。東京都立新宿高等学校を経て、東京大学経済学部卒業。 ワシントンD.C.のビジネス・コンサルティング会社とロビイスト事務所で国際政治・米国金融アナリストとして勤務。 17世紀のヴェストファーレン体制(ウェストファリア体制)や19世紀のウィーン体制のように、勢力均衡を目指す古典的な外交思想の復活を唱えている。 エドマンド・バーク、アレクシ・ド・トクヴィル、T・S・エリオット、ジョージ・ケナン、シャルル・ド・ゴールなどを支持する古典的自由主義者で、保守派の言論人である。
上山 俊幸(うえやま としゆき、1953年 - )は、千葉商… 上山 俊幸(うえやま としゆき、1953年 - )は、千葉商科大学商経学部教授。
島田 陽一(しまだ よういち、1953年 - )は、日本の法… 島田 陽一(しまだ よういち、1953年 - )は、日本の法学者。専門は労働法。早稲田大学法学学術院名誉教授。元学校法人早稲田大学副総長、元中央労働委員会公益委員。弁護士。 早稲田大学高等学院を経て、1975年早稲田大学法学部卒業。1983年、早稲田大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得満期退学。 1984年、小樽商科大学専任講師、助教授、1994年同教授。1997年から早稲田大学法学部教授。2010年、早稲田大学理事、2014年同大学副総長就任。2018年の総長選挙では落選。2023年3月末をもって定年により退任した。最終講義のタイトルは「早稲田での教員生活を振り返って -労働法研究と教員の4つの役割-」。
澁谷 司(しぶや つかさ、1953年 - )は、アジア太平洋… 澁谷 司(しぶや つかさ、1953年 - )は、アジア太平洋交流学会会長。元拓殖大学海外事情研究所 附属華僑研究センター長、元拓殖大学海外事情研究所教授。 専門は、現代中国政治、現代台湾政治、東アジア国際関係論。中国語が堪能で、現代中国の情報を駆使して、多数のメディアで中国共産党の崩壊への過程を論評している。 1953年、東京生まれ。 明治大学付属明治高校 卒業。 東京外国語大学中国語学科卒。東京外国語大学 大学院「地域研究」研究科 修了。 関東学院大学、亜細亜大学、青山学院大学、東京外国語大学などで非常勤講師を歴任。 2004年夏から2005年夏の間、台湾の明道管理学院(現・明道大学)で教員。
岩沢 建一(いわさわ けんいち、1953年 - )は、東京都… 岩沢 建一(いわさわ けんいち、1953年 - )は、東京都出身の元アマチュア野球選手。ポジションは捕手、内野手、外野手。 日本大学第三高等学校では同期のエース渡部良克(日大-名古屋日産)とバッテリーを組み、四番打者として2年生時に1970年春の選抜に出場。2回戦に進むが、淡口憲治、羽田耕一、中西清治らのいた三田学園に敗退。同年夏の甲子園都予選は準決勝で日大一高の保坂英二に抑えられ惜敗。翌1971年春の選抜にも連続出場。準々決勝で深谷商、準決勝では坂出商に完封勝ち。決勝でもエース奥田直也を擁する大鉄高を完封で降し初優勝を飾る。同年夏は都予選準決勝でまたも日大一高の保坂に完封負けを喫する。1年下のチームメイトに吉沢俊幸、待井昇がいた。
深作 秀春(ふかさく ひではる、1953年 - )は、眼科医… 深作 秀春(ふかさく ひではる、1953年 - )は、眼科医、美術家である。現在、医療法人社団秀仁会 深作眼科理事長をしている。日本美術家連盟会員。医療法人社団秀仁会 深作眼科の一部を画廊としてアーティストに提供し、FEI PRINT AWARD 大賞を開催するなどメセナ活動をしている。
草間 文彦(くさま ふみひこ、1953年 - )は、日本の著… 草間 文彦(くさま ふみひこ、1953年 - )は、日本の著作権、商標権学者。元東京理科大学大学院イノベーション研究科知的財産戦略専攻専任教授、専攻研究分野は、著作権、商標権、キャラクター、ブランドの商品化権、およびWIPOで提唱されている Character Merchandising(『キャラクター・マーチャンダイジング』)。コンサルティングファーム、ブランドッグ 代表実務としては、主に日欧米の企業ブランド、アートブランド、スポーツブランドの日本でのライセンス展開のコンサルティング活動、代理人活動、共同事業を行っている。特にコーポレイト(企業名、商品名)ライセンスに関しては定評がある。 父は俳人の 草間時彦、祖父は鎌倉市長を務めた俳人草間時光、曾祖父は教育者で自由民権運動家の草間時福と文系の家系である。
布施 広(ふせ ひろし、1953年 - )は、日本のジャーナ… 布施 広(ふせ ひろし、1953年 - )は、日本のジャーナリスト。毎日新聞記者。 新潟県東頸城郡大島村(現・上越市大島区)生まれ。1972年新潟県立高田高等学校卒業、1978年、京都大学文学部仏文科を卒業し、毎日新聞社に入社。1989年にカイロ特派員になり1991年の湾岸戦争など取材。1995年イスラエル・ヘブライ大学のトルーマン研究所に留学(客員研究員)、1998年からワシントン特派員、北米総局長として米同時多発テロなど取材。2002年に帰国し政治部編集委員。2004年10月に論説委員。論説副委員長などを経て2013年現在、論説室専門編集委員(Senior Editorial Writer)。
越村 勲(こしむら いさお、1953年 - )は、日本の歴史… 越村 勲(こしむら いさお、1953年 - )は、日本の歴史学者。 専門は東欧史で、クロアチアのアニメーションなどの表象文化と社会史の関係等を研究対象とする。 東京造形大学教授。東京造形大学副学長や、東欧史研究会委員長等を務めた。現在、東京造形大学名誉教授。 富山県南砺市出身。富山県立福野高等学校を経て、1977年一橋大学法学部卒業後、ユーゴスラビア政府奨学生として留学し、1980年ザグレブ大学大学院政治学研究科修士課程修了、政治学修士。1985年一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得。1992年『東南欧農民運動史の研究』で一橋大学社会学博士。審査員油井大三郎、土肥恒之、加藤哲郎。 1985年一橋大学社会学部助手。
北村 聖(きたむら きよし、1953年〈昭和28年〉 - )… 北村 聖(きたむら きよし、1953年〈昭和28年〉 - )は、日本の内科医。東京大学医学教育国際協力研究センター教授、東京大学医学部附属病院総合研修センター長。専門は医学教育、臨床研修、血液学、免疫学、臨床検査など。弟は日本医科大学特任教授の北村義浩。
國本 桂史(くにもと かつし、1953年 - )は、インダス… 國本 桂史(くにもと かつし、1953年 - )は、インダストリアルデザイナー。元名古屋市立大学教授。 金沢市生まれ。石川県立金沢桜丘高等学校、金沢美術工芸大学美術工芸学部産業美術学科工業デザイン専攻卒業。三菱自動車工業株式会社開発本部入社後、パジェロ、デリカ、ミニカのデザイン開発に従事。その他、シグマ、ラムダ、コルディア、デボネア、スタリオンも担当した。また、東京モーターショー・ショーカーの計画及びデザイン担当、三菱ふそう大型バスのデザインコンサルタント(エアロクィーン)、近未来のクルマ社会と自動車の研究をアドバンス・デザインスタジオ担当、三菱ニューデリカのインテリアデザインを担当した。 1986年、株式会社デルコ(日本デザイン開発研究所)を設立し、代表取締役就任。
三宅 弘(みやけ ひろし、1953年 - )は、日本の弁護士… 三宅 弘(みやけ ひろし、1953年 - )は、日本の弁護士。日本テレビ番組審議会委員長。自由人権協会代表理事、第二東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長、関東弁護士会連合会理事長等を歴任した。 福井県小浜市生まれ。1978年東京大学法学部卒業。1983年弁護士登録。1993年筑波大学大学院経営・政策科学研究科修士課程修了、修士(法学)。1999年情報公開クリアリングハウス理事、内閣府高度情報通信社会推進本部個人情報保護検討部会委員。2004年獨協大学法科大学院特任教授。2008年自由人権協会代表理事。2015年第二東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長。2018年関東弁護士会連合会理事長。
鳥居 建男(とりい たつお、1953年 - )は、日本の工学… 鳥居 建男(とりい たつお、1953年 - )は、日本の工学者(原子力工学)。福島大学環境放射能研究所特任教授。福井大学附属国際原子力工学研究所客員教授。 環境中における放射線変動要因の研究、特に雷雲から発生する高エネルギー放射線の挙動、及びそのメカニズムについて研究し、現在は福島第一原発事故によってもたらされた環境中、及び建屋内の放射性物質の分布の可視化を中心に従事している。 専門分野は、放射線計測、環境放射線、大気電気。
山口 又宏 (やまぐち またひろ、1953年(昭和28年) … 山口 又宏 (やまぐち またひろ、1953年(昭和28年) - )は日本の外交官。ジッダ総領事等を経て、レバノン駐箚特命全権大使。 長野県出身。1972年長野県小諸商業高等学校卒業。1977年に明治大学政治経済学部を卒業し、1978年に外務省入省。 在外では、エジプト、スーダン、ニュージーランド、イスラエル、シンガポール等で公務。本省では、日米安全保障課沖縄担当、経済協力局技術協力課青年海外協力隊事業担当、中東アフリカ局中東第二課(サウジ担当)、領事局邦人安全課(緊急事態担当)などで勤務。 2010年、本省国際協力局民間援助連携室長。2013年ジッダ総領事。2016年からレバノン駐箚特命全権大使。
合津 直枝(ごうづ なおえ、1953年 - )は、日本のテレ… 合津 直枝(ごうづ なおえ、1953年 - )は、日本のテレビプロデューサー・映画プロデューサー・ディレクター・映画監督・脚本家。脚本家としては、野々山 花見(ののやま はなみ)という筆名を用いることもある。テレビマンユニオン所属。長野県大町市出身。 長野県松本深志高等学校を経て早稲田大学第一文学部心理学科を卒業後、テレビマンユニオンに参加。音楽番組、ドキュメンタリー番組などの制作を経て、テレビドラマのプロデュースに携わる。1994年放送のテレビドラマ『真昼の月 続・病院で死ぬということ』は放送文化基金賞奨励賞、ATP賞優秀賞、ギャラクシー賞奨励賞を受賞。ドラマ番組では以降も単発・連続もののプロデュースを主に行うが、2013年のNHK連続ドラマ『書店員ミチルの身の上話』では、プロデュース・演出・脚本の三役を務めた。
白木 俊彦(しらき としひこ、1953年 - )は、日本の会… 白木 俊彦(しらき としひこ、1953年 - )は、日本の会計学者。南山大学経営学部教授。 静岡県立沼津東高等学校卒業。慶應義塾大学大学院商学研究科修士課程修了、同博士課程単位取得満期退学。 中部大学経営情報学部教授などを経て、2005年から現職。
中 相作(なか しょうさく、1953年- )は、日本の江戸川… 中 相作(なか しょうさく、1953年- )は、日本の江戸川乱歩研究者。 三重県出身。三重県立上野高校卒業。名張市立図書館乱歩資料担当嘱託を務めた後、編集業。嘱託時代に江戸川乱歩の詳細な書誌書を刊行し、フリーとなっても活動を継続している。 2018年、初の商業出版本『乱歩謎解きクロニクル』を刊行し、本格ミステリ大賞評論部門を受賞した。 2019年、名張ユネスコ協会から、名張市内で文化や自然の継承に取り組む個人や団体を顕彰する「なばりのたからもの功労者」に認定された。
佐藤 文彦(さとう ふみひこ、1953年 - )は、日本の農… 佐藤 文彦(さとう ふみひこ、1953年 - )は、日本の農学者。2022年から公益財団法人サントリー生命科学財団生物有機科学研究所所長。京都大学名誉教授。学位は農学博士。京都市出身。 1975年に京都大学農学部農芸化学科を卒業後、1977年に同大学大学院農学研究科修士課程修了、1979年博士課程を中退して京都大学農学部農芸化学科植物栄養学研究室助手、1982年京都大学農学部付属生物細胞生産制御実験センターの設立に伴い、山田康之教授とともに、同センター助手に移籍。1990年組織改変による農学部農芸化学科への再編入ののち助教授に昇進、1995年山田教授退任を受けて教授となる。京都大学農学部の大学院重点化に伴い1997年より大学院農学研究科教授、独立研究科設立に伴い1999年より大学院生命科学研究科教授。
松山 健士(まつやま けんじ 1953年 - )は、日本の経… 松山 健士(まつやま けんじ 1953年 - )は、日本の経済企画官僚。元内閣府事務次官。 和歌山県出身。大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎を経て、東京大学経済学部を卒業し、1978年に経済企画庁に入る。 1997年に経済企画庁長官官房参事官、2003年に内閣府大臣官房人事課長、2007年に内閣府大臣官房総括審議官、2008年2月から2009年9月に内閣審議官を兼務し消費者行政一元化準備室長として消費者庁創設を担当、2012年1月に内閣府審議官を経て、2013年6月に内閣府大臣官房長となる。 2014年1月に内閣府事務次官に就任し、2016年6月まで務めた。 退官後、日本総合研究所の顧問となる。
伊藤 忠通(いとう ただみち、1953年〈昭和28年〉 - … 伊藤 忠通(いとう ただみち、1953年〈昭和28年〉 - )は、日本の経済学者、奈良県立大学の学長・副理事長。ラーニング・コモンズを深化させた少人数対話型「学習コモンズ制」導入や公立大学法人化などの改革を指揮した。専門は地方財政論。 大阪府東大阪市出身。大阪府立清水谷高等学校卒業、1977年(昭和52年)3月関西学院大学経済学部卒業。1982年関西大学大学院経済学研究科博士課程修了、経済学修士(博士後期課程単位取得)。 沖縄国際大学専任講師を経て、1989年(平成元年)助教授。1990年奈良県立商科大学(現・奈良県立大学)助教授に。教授を経て2010年(平成22年)奈良県立大学の学長に就任。2015年副理事長に(学長と兼務のまま)就任した。
尾崎 哲夫(おざき てつお 1953年 - )は、元大学教授… 尾崎 哲夫(おざき てつお 1953年 - )は、元大学教授、法律全般研究者、著作家。 松下電送機器勤務、代々木ゼミナール、帝京大学、明海大学、関西大学、同志社大学、追手門学院大学、大阪女学院、の各講師、関西外国語大学短期大学部特任教授、近畿大学経済学部教授を歴任。 近畿大学退任後は、オーストラリアに14ヶ月、続いてアメリカに8ヶ月移住し、現在は日本においてフリーの研究者となる。父親は回路理論の権威で大阪大学工学部教授(のち名誉教授)を務めた尾崎弘。実兄は2016年現在関西学院大学副学長の尾崎幸洋。祖父国分政次郎は日銀から三和銀行常務取締役、叔父平田豊は三和銀行専務取締役からユニチカ社長を歴任。
石田 英敬(いしだ ひでたか、1953年 - )は、日本のフ… 石田 英敬(いしだ ひでたか、1953年 - )は、日本のフランス文学者、メディア情報学者。東京大学名誉教授。記号論・メディア論専攻。フランスの思想家、ミシェル・フーコーの研究者として知られている。 千葉県生まれ。1972年甲陽学院中学校・高等学校卒業、東京大学入学、教養学部二年生時に世田谷区東大生内ゲバ殺人事件で友人二人を喪う。同大学文学部卒業。1975年パリ第4大学留学、1976年パリ第3大学留学、1983年パリ第10大学大学院修士課程修了、1985年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了、同博士課程退学、1989年パリ第10大学大学院博士課程修了(人文科学博士)。 同志社大学専任講師、助教授を経て、東京大学教養学部助教授。
杉原 達(すぎはら とおる、1953年 - )は、日本の歴史… 杉原 達(すぎはら とおる、1953年 - )は、日本の歴史学者、日本学、文化史研究者。経済学博士。大阪大学大学院文学研究科教授を経て、大阪大学名誉教授。 京都市生まれ。帝国主義時代のドイツ経済史研究から出発し、日本・アジア関係史、日本学を専門とする。在日朝鮮人史、中国人強制連行問題など近代の文化・経済の交流や移動、越境に関する研究がある。 父は経済学者(経済学史研究)の杉原四郎、実兄は経済史家(アジア圏貿易史研究)の杉原薫。
梅本 哲也(うめもと てつや、1953年 - )は、日本の政… 梅本 哲也(うめもと てつや、1953年 - )は、日本の政治学者(安全保障論)。学位は、Ph.D.(政治学)(プリンストン大学・1985年)。静岡県立大学名誉教授。 財団法人日本国際問題研究所研究員、東京大学教養学部助手、静岡県立大学国際関係学部教授などを歴任した。 専門は国際政治学であり、特に核兵器問題を中心とする安全保障論を研究している。東京大学や静岡県立大学にて教鞭を執った。 1953年(昭和28年)、岡山県にて生まれた。国が設置・運営する東京大学に進学し、教養学部にて学んだ。1977年(昭和52年)3月、東京大学を卒業した。東京大学大学院に進学し、社会学研究科の国際関係論専攻にて学んだ。
片岡 徹(かたおか とおる、1953年 - )は日本の医学者… 片岡 徹(かたおか とおる、1953年 - )は日本の医学者。神戸大学医学部教授を経て、医学研究科特命教授。 淳心学院中学校・高等学校を経て、1977年東京大学医学部卒業。医学博士(大阪大学)。 コールドスプリングハーバー研究所研究員を経て神戸大学医学部教授。2009年兵庫県科学賞。2013年より神戸大学大学院医学研究科長・医学部長。
服部 正策(はっとり しょうさく、1953年 - )は、日本… 服部 正策(はっとり しょうさく、1953年 - )は、日本の哺乳類学者・爬虫類学者。元東京大学医科学研究所奄美病害動物研究施設准教授。博士(農学)(東京大学・論文博士・1998年)(学位論文「ワタセジネズミ(Crocidura watasei)に関する研究」)。 1953年島根県生まれ。島根県立浜田高等学校、東京大学農学部畜産獣医学科卒業。東京大学医科学研究所奄美病害動物研究施設に在職中、ハブ・ウミガメなどの爬虫類やワタセジネズミやトゲネズミなど哺乳類の研究をおこなった。1998年、東京大学より「ワタセジネズミ(Crocidura watasei)に関する研究」で博士(農学)の学位を授与される。
土井 康作(どい こうさく、1953年(昭和28年)- )は… 土井 康作(どい こうさく、1953年(昭和28年)- )は、教育学者である。鳥取大学地域学部教授を務めた後、鳥取大学名誉教授となる。この他、日本産業教育学会・元理事、ものづくり文化振興協会理事長も務める。岡山県高梁市出身。 1953年(昭和28年)岡山県高梁市に生まれる。幼少期は活発であり、よく田圃でチャンバラなどをしていた。また、刃物で遊び道具やおもちゃ等もつくるなど手先が器用であった。この幼少期の田舎での体験が後に半世紀以上長くものづくりに携わる礎となった。その後、地元の岡山県立高梁高等学校へ進学し、1971年(昭和46年)に同校を卒業し、同年福岡教育大学教育学部に入学した。1975年に同大学卒業を経て、東京学芸大学大学院へ進学。
林 晋(はやし すすむ、1953年 - )は、日本の歴史学者… 林 晋(はやし すすむ、1953年 - )は、日本の歴史学者・情報学者・数学者。神戸大学名誉教授、京都大学名誉教授。 広島県生まれ。1972年広島大学附属福山高等学校卒業。1976年立教大学理学部数学科卒業。1978年立教大学大学院理学研究科博士課程前期修了(理学修士)。1981年筑波大学大学院数学研究科修了(理学博士)。 同年文部技官任官(数学系準研究員)。1982年東京都立工科短期大学専任講師。1984年京都大学数理解析研究所助手。1988年スタンフォード大学計算機科学科客員研究員、フランス国立情報学自動制御研究所ソフィア・アンティポリス客員研究員。1989年龍谷大学理工学部数理情報学科助教授。
平岩 正樹(ひらいわ まさき、1953年 - )は、日本の外… 平岩 正樹(ひらいわ まさき、1953年 - )は、日本の外科医。 広島県広島市生まれ。広島学院高等学校を経て、東京大学理科一類に入学。1977年に東京大学工学部物理工学科を卒業後、富士写真フイルムの研究所に勤務。3か月間の勉強期間を経て、翌年東京大学理科三類に合格。1984年に東京大学医学部医学科を卒業後、東京大学医学部附属病院、国立がんセンター、共立蒲原総合病院、同愛記念病院に勤務。がん治療についての著書を数多く執筆。50歳を超えてから受験勉強を再開し、2007年東京大学文科三類に合格。2011年に東京大学文学部東洋史学科を卒業。
上綱 克彦(かみつな かつひこ、1953年 - )は、日本の… 上綱 克彦(かみつな かつひこ、1953年 - )は、日本のミュージシャン、キーボードプレイヤー。作詞・作曲家、音楽プロデューサー。柳ジョージ&レイニーウッド元リーダー。 広島県広島市南区宇品出身。 学生時代からバンドを組み広島フォーク村に参加したり多くのコンテストに出場した。崇徳高校卒業後も地元・広島のディスコやキャバレーで演奏を続ける。浜田省吾はこの頃の音楽仲間だった。実力が県外にも知れ渡り、関西や関東のミュージシャンとセッションを繰り返し1973年、崇徳高校の同級生・石井清登らと5人組バンド「メイフラワー」を結成。1974年、広島にギタークリニックに来た柳ジョージとセッション、意気投合し、柳に誘われ翌1975年、上京し「柳ジョージ&レイニーウッド」としてバンドを結成した。
齋藤 宗房(さいとう むねふさ、1953年 - )は、日本の… 齋藤 宗房(さいとう むねふさ、1953年 - )は、日本の実業家。勲等は旭日小綬章。山口トヨタ自動車代表取締役社長、テレビ山口代表取締役社長。 1972年山口県立山口高等学校卒業。同年慶應義塾大学法学部に入学。同大卒業後、山口トヨタ自動車に入社。 山口ケーブルビジョン社長及びテレビ山口社長、山口商工会議所会頭、山口銀行社外取締役、ヤマグチ・ベンチャー・フォーラム理事、山口大学経営協議会学外委員、山口県バレーボール協会会長等を歴任した。2024年4月時点で、表千家同門会山口県支部長。 2025年秋の叙勲で旭日小綬章を受章した。
早田 幸政(はやた ゆきまさ、1953年- )は、日本の教育… 早田 幸政(はやた ゆきまさ、1953年- )は、日本の教育行政学者、中央大学教授。 山口県生まれ。山口県立下関西高等学校卒、1977年中央大学法学部卒、1980年同大学院法学研究科博士前期課程修了。地方自治総合研究所常任研究員を経て、1985年大学基準協会に入局。2001年より大学評価・研究部長。2003年金沢大学大学教育開発・支援センター教授。2008年大阪大学大学教育実践センター教授、2012年同学評価・情報分析室教授。2014年中央大学理工学部教授。
中村 良平(なかむら りょうへい、1953年 - )は、都市… 中村 良平(なかむら りょうへい、1953年 - )は、都市経済、地域経済を専門とする日本の経済学者、岡山大学社会文化科学研究科教授。 香川県高松市に生まれ、幼い時期は岡山市、新居浜市、丸亀市などに住んだ。香川県立高松高等学校を卒業し、補習科を経て京都大学に進んだ。 1977年に京都大学工学部衛生工学科を卒業し、筑波大学大学院社会工学研究科に進んで都市・地域計画学を専攻し、1984年に「Econometric analysis of urban agglomeration economies and amenity values(都市における集積の経済とアメニティ価値に関する計量経済分析)」により筑波大学から学術博士を授与された。
伊藤公朗(いとう こうろう、1953年 - )は、北インド音… 伊藤公朗(いとう こうろう、1953年 - )は、北インド音楽で奏でられる楽器シタールの演奏家。愛媛県出身。宇和島東高校卒業。北インド音楽は、インドの伝統音楽のひとつ、ヒンドゥスターニー音楽である。 1977年、ヒマラヤのガンジス河源流のヒンドゥー教の聖地、バドリーナート(ウッタラーカンド州、標高3,133mにあるヴィシュヌ神の聖地)で、バドリーナート寺院の聖者である音楽修行僧(ナーダヨギ)Dattatreya Rama Rao Parvatikarに弟子入り。ナーダヨギというのは音楽を通して修行する僧侶のことで、インドの人々からは「ヴィーナ マハラジ」と呼ばれていた。ヴィーナは楽器の名前。マハラジは特に聖者に対して使われる。
尾﨑 春樹(おざき はるき、1953年 - )は、目白大学や… 尾﨑 春樹(おざき はるき、1953年 - )は、目白大学や目白研心中学校・高等学校を運営する学校法人目白学園理事長。長らく文部官僚として教育行政の政策決定に関わり、国立教育政策研究所の所長としてPISA(OECD生徒の学習到達度調査)の開発や調査、運営を指揮した。特に、ゆとり教育の主要政策の一つであった総合的な学習の時間の学校現場での習熟と、ゆとり教育後の全国学力学習状況調査の導入等があいまって、活用力等の学力の向上につながったと主張したことで知られる。 福岡県立小倉高等学校に学び、東京大学法学部を卒業して、1982年に当時の文部省に入省した。 厚生労働省保育課長などを経験した後、文部科学省では、初等中等教育局財務課長(2006年7月 - 2007年6月)、大臣官房政策課長(2007年7月 - 2008年6月)、大臣官房審議官(スポーツ・青少年局担当)(2008年7月 - 2010年6月)、大臣官房審議官(初等中等教育局担当)(2010年7月 - 2012年7月)などを歴任した。
酒井 治孝(さかい はるたか、1953年 - )は、日本の地… 酒井 治孝(さかい はるたか、1953年 - )は、日本の地質学者。京都大学名誉教授。 福岡県北九州市生まれ。福岡県立東筑高等学校を経て、1980年から83年まで九州大学大学院を休学し、青年海外協力隊でトリブバン大学理工学部地質学教室講師。1984年九州大学大学院理学研究科博士課程修了、理学博士。 1985年日本学術振興会特別研究員。1989年九州大学教養部地学教室助教授。1997年九州大学大学院比較社会文化研究院環境変動部門教授。2007年京都大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻教授。2018年京都大学名誉教授。
外尾 悦郎(そとお えつろう、1953年 - )は、日本の彫… 外尾 悦郎(そとお えつろう、1953年 - )は、日本の彫刻家。カタルーニャ、バルセロナのサグラダ・ファミリア主任彫刻家。 福岡県福岡市出身。京都市立芸術大学美術学部彫刻科卒業。サン・ジョルディ・カタルーニャ芸術院会員。京都嵯峨芸術大学客員教授。 福岡雙葉小学校附属幼稚園、福岡教育大学附属福岡小学校、福岡教育大学附属福岡中学校、福岡県立福岡高等学校、京都市立芸術大学美術学部彫刻科卒業。中学校・高校定時制の非常勤講師を経て、1978年にスペインのバルセロナに渡りアントニ・ガウディの建築、サグラダ・ファミリアの彫刻に携わる。2013年からはサグラダ・ファミリア主任彫刻家に任命され、ガウディの残した設計図からサグラダ・ファミリアに組み込まれる彫刻などの装飾を総監督している。
柿木 隆介(かきぎ りゅうすけ、1953年 - )は、日本の… 柿木 隆介(かきぎ りゅうすけ、1953年 - )は、日本の脳科学者。神経内科医。臨床脳研究の第一人者。自然科学研究機構生理学研究所名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。 福岡市に生まれる。1972年福岡県立修猷館高等学校を経て、1978年九州大学医学部を卒業。 卒業後、神経難病の解明を目指し、九州大学医学部附属病院(現・九州大学病院)において研修(内科、神経内科)の後、1982年佐賀医科大学(現・佐賀大学医学部)内科助手となる。その後、従来ほとんど研究されていなかった、人間の脳における感覚認知のメカニズムの究明を目指し、より深い次元で人間の脳機能を研究するため、1985年より1987年までロンドン大学医学部神経研究所において研究を行う。