西村 彦次(にしむら ひこじ、1920年10月26日 - 2… 西村 彦次(にしむら ひこじ、1920年10月26日 - 2003年1月25日)は、日本の経営者。マンダム社長、会長を務めた。大阪府出身。 1941年に関西学院大学文学部英文科を卒業。桃谷順天舘での勤務を経て、1947年に金鶴香水に転じ1949年に専務を経て、1961年5月には丹頂(のちのマンダム)社長に就任。1980年8月に会長、1995年6月に取締役相談役を経て、1998年6月には相談役に就任。 1983年11月に藍綬褒章を受章。 2003年1月25日、腎臓癌のために死去。82歳没。
平山 敏雄(ひらやま としお、1920年10月26日 - 2… 平山 敏雄(ひらやま としお、1920年10月26日 - 2005年4月27日)は、日本の経営者。 新潟日報社社長を務めた。東京都出身。 1944年に東北帝国大学法文学部を卒業し、1945年に新潟日報社に入社。1971年に取締役に就任し、1976年に常務、1979年に専務を経て、1983年には社長に就任。1990年から取締役相談役を務めた。 1990年11月に勲三等瑞宝章を受章した。 2005年4月27日胃がんのために死去。84歳没。
降矢 敬義(ふるや けいぎ、1920年10月25日 - 没年… 降矢 敬義(ふるや けいぎ、1920年10月25日 - 没年不明)は、日本の官僚、政治家。自治事務次官を経て、自由民主党参議院議員(2期)。 山形県山形市出身。山形県立山形中学校、旧制山形高等学校を経て、1942年に東京帝国大学法学部を卒業。高等文官試験に合格し内務省に入省(地方局配属)。しかし、翌年に応召され、1947年の復員までシベリアに抑留された。1950年に静岡県商工課長。 その後、自治庁行政課長、自治大臣官房参事官、自治省選挙局長、同税務局長、自治大学校長等を歴任。1970年に消防庁長官、1973年に自治事務次官を最後に退官。安孫子藤吉山形県知事が国政に転じるにあたって、その後継として一時、擬せられた。
平原 毅(ひらはら つよし、1920年10月25日 - 19… 平原 毅(ひらはら つよし、1920年10月25日 - 1999年4月24日)は、外交官。 中国広東生まれ。鹿児島県鹿児島市出身。外交官藤田栄介の二男。旧制東京高校を経て東京帝国大学入学。1941年高等文官試験外交科合格。1943年東京帝国大学法学部卒業後、ハルピンでロシア語研修中に学徒動員で出征。戦後の1946年外務省に戻る。在パリユネスコ本部アジア局長、ミラノ総領事、1968年臨時代理でベルギー公使。1969年外務省経済局次長。1970年外務省経済局長時には日米繊維交渉にあたる。1972年モロッコ大使、75年OECD代表部大使、81年英国大使。 1982年フランス政府からレジオンドヌール勲章コマンドール章受章。
江口 友鉱(えぐち ともなる、1920年10月25日 - 2… 江口 友鉱(えぐち ともなる、1920年10月25日 - 2014年10月22日)は、日本の経営者。ダイハツ工業社長を務めた。愛知県出身。 1941年に早稲田大学専門部を卒業し、1942年にトヨタ自動車工業に入社。 1969年12月にダイハツ工業取締役に就任し、1971年12月に常務、1974年12月に専務を経て、1979年9月に副社長を就任。1982年9月に社長に昇格し、1988年6月から1992年6月までに会長を務めた。 1984年11月に藍綬褒章を受章し、1991年4月に勲二等瑞宝章を受章。
平 修二(たいら しゅうじ、1920年10月22日 - 19… 平 修二(たいら しゅうじ、1920年10月22日 - 1978年10月23日)は日本の機械工学者。 兵庫県出身。甲陽中学校(19回卒)、姫路高等学校 (旧制)(現在の神戸大学)を経て、京都帝国大学卒。昭和32年京都大学教授となる。1971年、金属材料の強度に関する研究で、横堀武夫とともに、日本学士院賞を受賞。X線フラクトグラフィの権威。 姫路高校時代は水泳に打ち込んだ。その著書はしばしば大学の機械工学科で教科書として用いられた。 元衆議院議員の平智之は息子。
高橋 三郎(たかはし さぶろう、1920年10月20日 - … 高橋 三郎(たかはし さぶろう、1920年10月20日 - 2010年6月24日)は、無教会主義の独立伝道者。キリスト教無教会精神によって設立された、島根県のキリスト教愛真高校の創立責任者。 日本統治時代の朝鮮の忠清南道生まれ。1939年に姫路中学を卒業すると、東京帝国大学工学部に進学。1945年の卒業後は、1948年恵泉女学園高等学校教師、1950年昭和女子大学助教授、1954年東京大学教養学部卒、同大学院で西洋古典を学ぶ。1955年から1958年まで西ドイツ・マインツ大学大学院博士課程、1958年神学博士。始めに三谷隆正の元で聖書を学び、三谷亡きあと矢内原忠雄に師事してその聖書集会に列席した。
高松 敬治(たかまつ けいじ、1920年(大正9年)10月2… 高松 敬治(たかまつ けいじ、1920年(大正9年)10月20日 - 1989年(平成元年)8月27日)は、日本の内務・警察官僚。富山県出身。 東京帝国大学法学部卒業後、高等試験に合格し、1942年に内務省に入省し、警保局に勤務。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、1942年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。 1946年に内務省調査局に勤務。1947年に新潟県警察部警務課長、1948年に国家地方札幌警察管区本部刑事部捜査課長、1949年に国家地方警察本部刑事部捜査課課長補佐、1954年に警視庁刑事部捜査第二課長、1956年に山形県警本部長、1957年に北海道警察本部警務部長、1958年に大阪府警察本部刑事部長、1960年に警察庁刑事局鑑識課長、1961年に防衛庁人事局人事第一課長、1963年に警察庁刑事局捜査第二課長、同年に警察庁刑事局捜査第一課長、1966年に静岡県警本部長を歴任した。
杉内 雅男(すぎうち まさお、大正9年(1920年)10月2… 杉内 雅男(すぎうち まさお、大正9年(1920年)10月20日 - 平成29年(2017年)11月21日)は、囲碁棋士。宮崎県出身、日本棋院所属、井上一郎五段門下。主な実績はタイトル獲得2回(日本棋院早碁名人戦優勝、囲碁選手権戦優勝)、本因坊挑戦2回など。常に囲碁一筋であることから「囲碁の神様」と呼ばれた。夫人は杉内寿子九段。 昭和12年(1937年)に入段してから平成29年(2017年)に死去するまでの現役棋士生活は80年を超え、97歳の最年長現役棋士(当時)として最終対局を打ったのは死去の19日前であった。90歳を超えても打ち分けに近い年間成績を維持し、死去した2017年にも2勝を挙げるなど、その実力は最後まで健在であった。
塩谷 饒(しおや ゆたか、1920年10月19日 - 199… 塩谷 饒(しおや ゆたか、1920年10月19日 - 1996年6月11日)は、日本の文学者・言語学者。専門は、ドイツ文学・ドイツ語。 東京出身。1947年、東京大学文学部独文学科卒業。1950年、同大学院文学研究科修了。1951年、東京藝術大学美術学部専任講師。1955年、京都大学教養部助教授。その後、同教授。1970年、北海道大学文学部教授。1975年、同文学部長。1979年、北海道大学附属図書館長。1984年、北海道大学停年退官。同名誉教授。北星学園女子短期大学英文学科教授。1985年、北星学園女子短期大学7代学長に就任。1993年、北星学園女子短期大学退職。
大島 隆夫(おおしま たかお、1920年10月17日 - 2… 大島 隆夫(おおしま たかお、1920年10月17日 - 2008年2月27日)は、日本の実業家。富士火災海上保険社長。
中牟田 栄蔵(なかむた えいぞう、1920年10月17日 -… 中牟田 栄蔵(なかむた えいぞう、1920年10月17日 - 1997年7月18日)は、日本の経営者。岩田屋社長を務めた。福岡県出身。 1943年に同志社大学経済学部を卒業し、1945年に岩田屋に入社した。1947年に取締役に就任し、1956年に常務、1971年に専務、1979年に副社長を経て、1985年5月に社長に就任した。1989年5月から相談役を務めた。 1997年7月18日肺癌のために死去。76歳没。
新田 庚一(にった こういち、1920年10月16日 - 1… 新田 庚一(にった こういち、1920年10月16日 - 1983年10月2日)は、日本の経企官僚。元経済企画事務次官。地域振興整備公団副総裁在任中死去。 山形県出身。1943年に高等試験行政科試験に合格し、同年東京商科大学(現在の一橋大学)学部を卒業し、商工省に入省した。物価局に配属。通商産業省企業局企業第一課長等を経て、中小企業庁次長、経済企画庁調整局長、経済企画事務次官を歴任。 1974年(昭和49年)通商産業省からの提案を受け電気料金の値上げの審査にあたった。また春闘について、賃上げ率が下がれば実質成長率が高くなるとの調査報告を、田中角栄内閣総理大臣に行った。1975年(昭和50年)経済企画庁顧問。
坂元 貞一郎(さかもと ていいちろう、1920年10月15日… 坂元 貞一郎(さかもと ていいちろう、1920年10月15日 - 1984年5月18日)は、日本の官僚、厚生事務次官。厚生省年金課長時代に国民年金制度を作り、児童家庭局長時代には1971年の予算編成で児童手当制度創設に尽力。正四位勲二等旭日重光章。 鹿児島県阿久根村生まれで、阿久根小学校卒業後に鹿児島市の伯母に引き取られ、鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を卒業し1938年4月第七高等学校造士館 (旧制)文科甲類入学、1941年3月に同校を卒業。1943年9月に東京帝国大学法学部政治学科卒業。卒業前の文官高等試験行政科に合格しており、9月27日に厚生省へ入省し大臣官房総務課勤務。翌年兵役に従事し、敗戦とともに復員復職。
水本 浩(みずもと ひろし、1920年〈大正9年〉10月15… 水本 浩(みずもと ひろし、1920年〈大正9年〉10月15日 - 1999年〈平成11年〉12月3日)は、日本の法学者(民法)。借地借家法、土地法の研究で知られる。立教大学名誉教授。 熊本県出身。1944年、東京帝国大学法学部卒業(指導教授は我妻栄)。同法学部助手。1949年、神奈川大学商経学部専任講師。1950年、同法経学部専任講師。後に、同法経学部助教授。1962年、法学博士(東北大学)(学位論文「借地借家法と不動産賃貸借法の構造 」)。1963年、立教大学法学部教授に就任。1969年、立教大学法学部長。1986年3月、立教大学を定年退職。立教大学名誉教授。同年4月獨協大学法学部教授。1991年獨協大学退職。
杉元 恒雄(すぎもと つねお、1920年(大正9年)10月1… 杉元 恒雄(すぎもと つねお、1920年(大正9年)10月15日 - 1997年(平成9年)2月16日)は、日本の税理士、司法書士、政治家。参議院議員(1期)。 1920年、現在の宮城県大和町にて出生。 明治大学専門部商科卒後、杉元会計事務所を設立、税理士、司法書士として活動する。 政界に転じ、神奈川県議会議員から、県議会議長に就任し、党県連幹事長、県経営診断協会理事長、県遺族会副会長などを兼務。 1983年、第13回参議院議員通常選挙に神奈川県選挙区より自由民主党公認で立候補し、初当選。環境政務次官などを務めた。 任期中、体調を崩す。1988年10月24日、自民党神奈川県連は、病気療養中で政治活動が困難と判断し、翌年の参院選をめぐり杉元の出馬とりやめを決めた。
竹村 健一(たけむら けんいち、1920年〈大正9年〉10月… 竹村 健一(たけむら けんいち、1920年〈大正9年〉10月14日 - 1993年〈平成5年〉5月7日)は、日本の政治家。長野県駒ヶ根市長。 長野県上伊那郡赤穂村(現駒ヶ根市)で、竹村季一、いくゑ の長男として生まれた。東京市京橋区に移り、1938年(昭和13年)3月、旧制東京府立第二中学(現東京都立立川高等学校)卒業。同年9月、赤穂村役場に入り書記となり、その後、兵役についた。1954年(昭和29年)駒ヶ根市に合併後、総務課長、福祉事務所長、税務課長、昭和伊南総合病院事務長を経て、1970年(昭和45年)9月7日に収入役となる。 1975年(昭和50年)12月22日に収入役を退職した。1976年(昭和51年)1月、駒ヶ根市長選挙に保守系候補として立候補して、革新系の新人を破って初当選を果たした。
小倉 馨(おぐら かおる、1920年(大正9年)10月13日… 小倉 馨(おぐら かおる、1920年(大正9年)10月13日 - 1979年(昭和54年)7月13日)は、広島平和文化センター事務局長、広島平和記念資料館館長等を歴任した広島市職員である。日系アメリカ人2世。 広島県佐伯郡廿日市町(現・廿日市市)出身である。1920年、両親のアメリカ在住中にワシントン州シアトル市で生まれた。現地の小学校を卒業後に帰国する。帰国後は旧制崇徳中学校を経て、1942年(昭和17年)に旧制山口高等商業学校(現・山口大学経済学部)を卒業し、兵役に就いてセレベス島で終戦を迎える。 1948年(昭和23年)から広島アメリカ文化センター、1953年(昭和28年)から東京国際文化会館に勤務している。
北本 正雄(きたもと まさお、1920年〈大正9年〉10月1… 北本 正雄(きたもと まさお、1920年〈大正9年〉10月13日 - 2023年〈令和5年〉3月12日)は、日本の政治家。位階は従四位。元東京都北区長。 東京府東京市王子区(現在の東京都北区)出身。 1950年(昭和25年)中央大学法学部を卒業する。 東京府北区に奉職し、同区立図書館長、教育委員会社会教育課長、財政課長、総務課長、総務部長、助役を歴任した。 1983年(昭和58年)北区長に就任、2003年(平成15年)まで5期20年務める。 2023年(令和5年)3月12日に死去。102歳没。日本政府は没日付にて従四位に追叙した。
野田 只夫(のだ ただお 1920年10月13日 – 200… 野田 只夫(のだ ただお 1920年10月13日 – 2009年5月13日)は、日本の歴史家。 京都府生まれ。1941年に京都府師範学校本科を、1942年に同校専攻科を卒業。その後終戦まで兵役につき、1947年に立命館大学文学部史学科に入学し、1950年に卒業。卒業論文は「酒屋土倉の一考察」。同年、京都学芸大学助手に任じられ、1960年に同大学助教授に昇任。1966年に京都教育大学助教授となり、1975年に同大学教授に昇任。1984年に定年退官し、京都教育大学名誉教授。逝去にあたり、従四位に叙せられ、勲四等瑞宝小綬章を受章する。 専門は日本中世史で、社会経済史、文化史、部落史の研究につとめ、『丹波国山国荘史料』と『丹波国黒田村史料』の編さんを行ったことでも知られる。
真板 益夫(まいた ますお、Masuo Maita、1920… 真板 益夫(まいた ますお、Masuo Maita、1920年(大正9年)10月12日 - 2015年(平成27年)11月23日)は、日本の教育者。学校法人君津学園の創立者であり、学園の理事長、設置各校の学長・校長・園長を務めた。木更津市名誉市民。 第二次世界大戦の終戦により帰郷後、祖国再建には教育による他にないと確信し、青少年教育、特に女子教育に着目し、自らの教育理念とする「真心教育」の理想実現に向け、学校法人君津学園の創立をはじめとする教育活動を行った。 清和大学・清和大学短期大学部の校名は、出身地の三島村が町村合併に伴って後年に清和村となったことに由来する。 1920年(大正9年)、千葉県君津郡三島村(現在の君津市)で、7人兄弟の3番目として生まれる。
尾島 隆利(おじま たかとし、1920年〈大正9年〉10月1… 尾島 隆利(おじま たかとし、1920年〈大正9年〉10月11日 - 1962年〈昭和37年〉)は、日本の食肉業者、会社役員。グリコ相模ハム常務取締役兼屠畜場長。 神奈川県藤沢市出身。2代目尾島正吉の嗣子。日本大学商科卒業。藤沢屠場主となる。1947年、神奈川県屠場協会専務理事、同県食肉商業協同組合専務理事。1951年、日本食肉協会理事。 1954年、神奈川県屠場協会長。1956年、日本食肉協会理事、神奈川県食肉組合連合会専務理事各辞任。1957年、グリコ相模ハム常務に就任。 尾島家は父祖3代にわたる屠畜・食肉業者で、尾島隆利は近代感覚と教養を身につけた紳士として知られた。住所は神奈川県藤沢市藤沢。
長島 喜平(ながしま きへい、1920年〈大正9年〉10月1… 長島 喜平(ながしま きへい、1920年〈大正9年〉10月11日 - 2001年〈平成13年〉3月11日)は、日本の教員、郷土史家。位階は正五位。 埼玉県生まれ。1942年埼玉師範学校を、1953年日本大学文理学部を卒業。埼玉県で高校教師を務めながら、郷土史研究を行った。1982年に埼玉県立坂戸高校校長をもって教員を退職した。その後、埼玉県郷土文化会会長、埼玉県文化振興基金幹事、嵐山町文化財保護委員長、嵐山町博物誌編さん委員会委員と同委員会中世部会部会長などを務めた。 1990年に勲四等瑞宝章受章。没日をもって正五位に叙せらる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
竹井 博友(たけい ひろとも、1920年(大正9年)10月9… 竹井 博友(たけい ひろとも、1920年(大正9年)10月9日 - 2003年(平成15年)7月29日)は、日本の実業家。不動産会社である地産の代表取締役社長。徳間書店と致知出版社の事実上の創業者。 栃木県黒磯町生まれ。福島県立白河中学校、明治大学政治経済学部を卒業後、1943年(昭和18年)に読売新聞社 に入社 する。読売新聞社会部記者などを歴任し、読売争議の際は急進的な組合側の急先鋒となる。 1946年(昭和21年)に読売新聞を退社してアサヒ芸能新聞社を経営し、『アサヒ芸能新聞』、『日東新聞』を創刊する。 1952年(昭和27年)の大阪讀賣新聞創刊と1975年(昭和50年)の中部讀賣新聞創刊に「読売の大番頭」務臺光雄の命で携わり、「務臺(読売)の黒子役」とも言われる。
井上 勝也(いのうえ かつや、1920年10月9日 - )は… 井上 勝也(いのうえ かつや、1920年10月9日 - )は、日本の化学者、千葉大学名誉教授。 東京生まれ。1943年東京帝国大学理学部化学科卒業、工業技術院資源環境技術総合研究所、1948年燃料研究所(公害資源研究所)、1954年「石炭のレオロジー的研究」で東京大学理学博士。1959年八幡製鉄(新日本製鉄)先端技術研究所、1967年千葉大学理学部教授、84年定年退官、名誉教授、神奈川大学理学部教授、91年退職。
高橋 清孝(たかはし きよたか、1920年10月8日 - 2… 高橋 清孝(たかはし きよたか、1920年10月8日 - 2013年5月24日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、自由民主党)。 岩手県花巻市出身。花巻農学校(現岩手県立花巻農業高等学校)卒。近衛兵となった後、笹間農業協同組合専務理事、同組合長理事となり、1959年から岩手県議会議員を7期務め、自民党岩手県連幹事長、同副会長。1974年に議長に就任し3期務め、1984年に全国都道府県議会議長会会長に就任した。1986年の参院選に岩手県選挙区から立候補して現職の増田盛らを破って当選する。第1次海部内閣で科学技術政務次官を務めた。参議院議員は1期務め、1992年に引退した。同年、秋の叙勲で勲二等瑞宝章受章。
岩山三郎(いわやま さぶろう、1920年10月8日-1996… 岩山三郎(いわやま さぶろう、1920年10月8日-1996年5月24日)は、日本の美学・美術史学者。 東京生まれ。奈良県立奈良中学校、松山高等商業学校を経て、1943年東北帝国大学法文学部美学藝術学科卒、阿部次郎に師事した。卒業と同時に海軍予備学生隊に入隊、教育班に配属され、海軍兵学校教官を務めた。終戦後、東北大学大学院に進学し、49年より神戸大学文理学部に勤務。小林太市郎のもとで助手となった後、文学部・教養部等で講師・助教授・教授を務め、70年より文学部で芸術学の講座を担当した。84年定年退官、名誉教授となり、87年から91年にかけて宝塚造形芸術大学教授を務めた。95年勲三等旭日中綬章受章。
片柳 鴻(かたやなぎ こう、1920年10月8日 - 201… 片柳 鴻(かたやなぎ こう、1920年10月8日 - 2019年8月15日)は、日本の教育者、芸術家。創美学園(現:学校法人片柳学園)の創立者、同学園理事長。1985年4月29日、藍綬褒章受章。 2017年4月29日、旭日小綬章受章。 学生時代を経て、東京芝浦電気(現:東芝)に勤務していたが、学生教育を志して依願退職し、1947年に絵画と洋裁を専門とする学校「創美学園」を立ち上げた。 創美学園は日本電子工学院などを経て、大学や専門学校などを運営する片柳学園となり、教育機関の経営者としての手腕と貢献が認められて1985年に藍綬褒章を授与された。2008年に学者や研究者を奨励する目的で設立された片柳コンピュータ科学賞へ資金提供するなど、理想の教育を目指して教育環境の充実に務めていた。
武部 文(たけべ ぶん、1920年(大正9年)10月7日 -… 武部 文(たけべ ぶん、1920年(大正9年)10月7日 - 2001年(平成13年)4月24日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(7期)。位階は正四位。 鳥取県米子市出身。1938年(昭和13年)鳥取県立米子商蚕学校(現鳥取県立米子南高等学校)商業科卒。1945年(昭和20年)米子郵便局に入局。1955年(昭和30年)鳥取県総評議長に就任し10期務めた。 1963年(昭和38年)第31回衆議院議員総選挙で鳥取県全県区から日本社会党公認で立候補し次点で落選。1967年(昭和42年)第31回総選挙で初当選。1986年(昭和61年)の第38回総選挙で落選。1990年(平成2年)第39回総選挙で復帰。
宮崎 啓一(みやざき けいいち、1920年10月7日 - 2… 宮崎 啓一(みやざき けいいち、1920年10月7日 - 2006年6月13日)は、日本の裁判官。徳島市生まれ。第二水俣病裁判の裁判長を務めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
林 摶秋(りん でんしゅう、ウェード式:Lin Tuan-c… 林 摶秋(りん でんしゅう、ウェード式:Lin Tuan-chiu、1920年10月6日 - 1998年4月4日)は、台湾の映画監督・劇作家。日本統治期から演出家として活動し、戦後は映画界に転身して台湾映画の近代化をすすめた。日本留学時には「林博秋(りん・はくしゅう)」を名乗っていた。 林は台北で8つの鉱山を管理する富裕な家に生まれ、1938年に高校を卒業後、明治大学政治経済学部へ留学した。この間に新劇への関心を深め、ムーランルージュ新宿座の座長の仲介により、在学中から東宝映画で助監督として働き始める。このときマキノ正博や阿部豊など著名監督の作品にも関わっている。卒業後はムーランルージュ新宿座の文芸部につとめ、このとき初の自作戯曲『奧山の社(深山的部落)』を執筆・上演。
霜田 光一(しもだ こういち、1920年〈大正9年〉10月5… 霜田 光一(しもだ こういち、1920年〈大正9年〉10月5日 - 2023年〈令和5年〉5月29日)は、日本の物理学者。理学博士。東京大学名誉教授。理化学研究所名誉研究員。日本学士院会員(第2部第5分科)。位階は正四位。文化功労者。勲二等瑞宝章受章者。 埼玉県北足立郡浦和町(現・さいたま市)出身。明星学園小学部、明星学園中学部、旧制武蔵高等学校を経て、1943年(昭和18年)東京帝国大学理学部物理学科卒業。 東京大学理学部教授、理化学研究所主任研究員、慶應義塾大学理工学部教授、レーザー学会会長、日本物理教育学会会長を歴任。専門はレーザー分光(laser spectroscopy)、量子エレクトロニクス、物理教育。
藤村 隆男(ふじむら たかお、1920年10月5日 - 19… 藤村 隆男(ふじむら たかお、1920年10月5日 - 1993年12月25日)は、広島県呉市山手町出身のプロ野球選手(投手)・監督。
川崎 七三郎(かわさき しちさぶろう、1920年10月5日 … 川崎 七三郎(かわさき しちさぶろう、1920年10月5日 - 1995年11月29日)は、日本の経営者。日本火災海上保険社長、会長を務めた。東京都出身。 1942年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1946年に日本火災海上保険に入社。。 1969年6月に取締役に就任し、1974年6月に常務、1975年6月に専務を経て、1976年7月には副社長に就任し、1981年7月には社長に昇格。1984年7月に会長に就任し、1989年6月には取締役相談役に就任。 1985年11月に藍綬褒章を受章。。 1995年11月29日呼吸不全のために死去。75歳没。
秋田 稔(あきた みのる、1920年10月5日 - 2017… 秋田 稔(あきた みのる、1920年10月5日 - 2017年4月28日)は、日本の神学者。恵泉女学園名誉学園長。 現中国東北部(満洲)生まれ。大連第一中学校、第一高等学校卒、東京帝国大学文学部倫理学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科倫理学専攻(旧制)修了、ハーバード大学ハーバード燕京研究所客員研究員、国際基督教大学助教授、準教授、教授、1973年北星学園大学学長、恵泉女学園長、1995年退任、名誉学園長、山梨英和学院長。
鳴海 要(なるみ かなめ、1920年10月5日 - 2004… 鳴海 要(なるみ かなめ、1920年10月5日 - 2004年8月28日)は、日本の陶芸家。りんご釉の開発者。 青森県中津軽郡岩木町(現 弘前市)出身。1951年県工業試験場窯業部研究員、1954年加藤土師萌に師事。1956年東京藝術大学美術学部副手。1961年現代日本陶芸特選。1964年に帰郷し、賀田で築窯する。 1977年岩木町褒賞、1996年青森県文化賞、1999年青森県褒賞、2003年青森りんご勲章をそれぞれ受賞した。2003年、鳴海要記念陶房館を開設し、同年地域文化功労者文部大臣表彰を受けた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
半澤 良一(はんざわ りょういち、1920年(大正9年)10… 半澤 良一(はんざわ りょういち、1920年(大正9年)10月4日 - 1990年(平成2年)12月9日)は、日本の政治家。元千葉県館山市長(4期)。位階は従五位。 千葉県出身。旧制千葉県立安房中学校(現・千葉県立安房高等学校)、旧制第一高等学校を経て、1942年東京帝国大学法学部政治学科に入る。翌年学徒動員で兵役に就く。1944年に大学を卒業。1946年復員と同時に帰郷し、家業の酒造会社を継いだ。1961年館山市教育委員、1968年千葉県教育委員、1972年館山市商工会議所会頭となる。 1974年館山市長選挙に保守系無所属で立候補し、当選。4期務める。就任当初、館山市は財政赤字で、財政改革を断行し、市の財政を黒字に転換した。
三枝 佐枝子(さいぐさ さえこ、1920年(大正9年)10月… 三枝 佐枝子(さいぐさ さえこ、1920年(大正9年)10月4日 - 2023年(令和5年)1月12日)は、日本の編集者、著述家。中央公論社編集局長、商品科学研究所所長などを務めた。旧姓、若尾。 若尾金造の三女として山梨県甲府市に生まれる。生家の若尾家は甲州財閥の中心的存在だった。 1938年東洋英和女学院高等部、1941年日本女子大学を卒業。1942年、同郷の三枝守雄と結婚。守雄は東大生時代に本郷追分のYMCAに寄宿していたことから佐枝子と知り合った。 守雄が気付いた新聞の三行広告をきっかけに、1946年4月に中央公論社に入社。 1958年9月、嶋中鵬二に代わって『婦人公論』編集長となり、日本で初めて商業誌の女性編集長となった。
竹内 潔(たけうち きよし、1920年10月4日 - 198… 竹内 潔(たけうち きよし、1920年10月4日 - 1984年8月21日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員(2期)。三木派。従四位勲二等
向井孝(むかい こう/たかし、1920年10月4日 - 20… 向井孝(むかい こう/たかし、1920年10月4日 - 2003年8月6日)は、日本の詩人、社会運動家。 東京都出身。中央大学卒。1947年日本アナキスト連盟に加盟。1952年WRI(戦争抵抗者インター)に参加、1956年WRI日本部書記。「自由連合」「イオム通信」を発行。詩誌「コスモス」同人。
樋口 善典(ひぐち よしのり、1920年10月4日 - 20… 樋口 善典(ひぐち よしのり、1920年10月4日 - 2006年11月23日)は、日本の経営者。共同印刷社長、会長を務めた。 福岡県出身。1938年に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業し、同年に第一銀行に入行。1969年1月に取締役に就任し、第一勧業銀行でも務め、1971年10月常務就任、1973年4月に清和興業社長を経て、1975年8月に共同印刷副社長に就任し、1977年8月には社長に昇格。1988年6月に会長に就任し、1992年6月には相談役に就任。 1986年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2006年11月23日肺炎のために死去。86歳没。
北村 文男(きたむら ふみお、1920年10月4日 - 19… 北村 文男(きたむら ふみお、1920年10月4日 - 1993年1月14日)は、将棋棋士、囲碁棋士。三重県鈴鹿市出身。将棋では板谷四郎九段門下。日本将棋連盟棋士番号76。囲碁では関西棋院中部総本部所属のプロ三段、伊神肇六段(関西棋院中部総本部代表)門下。 現代の棋士制度上での、唯一の、囲碁・将棋双方のプロ棋士であった。 早稲田大学卒業後、教員の傍ら、1948年10月の第2回全日本アマチュア将棋名人戦で三重県代表として出場し優勝。1950年の第4回では西日本代表(西名人)となり全国準優勝。 その後、1956年に奨励会初段試験に合格し同年奨励会「予備クラス」に入り、当時順位戦から陥落して「予備クラス」入りしていた浅沼一、後に棋士となる木村嘉孝・内藤國雄・佐伯昌優・伊達康夫らを相手に、内藤に1敗のみの11勝1敗の成績で1期で昇段を決め、翌1957年に四段昇段。
石田 勝彦(いしだ かつひこ、1920年10月3日 - 20… 石田 勝彦(いしだ かつひこ、1920年10月3日 - 2004年7月9日)は、北海道出身の俳人。本名は和郎(かずろう)。1938年、旧制日本大学中学校(現、日本大学第一中学校・高等学校)卒業、國學院大學中退。戦後、結核のため清瀬の国立東京病院に入所。1952年、東京療養所俳句サークル誌「松濤」の加藤楸邨の選を受け、翌年、「寒雷」に入会。また石田波郷に師事し、1954年、俳誌「鶴」に入会。「鶴」支部句会で小林康治からも学んだ。波郷没後、1974年、小林康治の「泉」創刊に参加、編集を担当、1980年より「泉」を辞した小林に代わり選を務める。1988年、俳人協会評議員。1990年、健康上の理由で「泉」主宰を綾部仁喜に譲る。
長倉 三郎(ながくら さぶろう、1920年10月3日 - 2… 長倉 三郎(ながくら さぶろう、1920年10月3日 - 2020年4月16日)は、日本の化学者(物理化学)。学位は、理学博士(東京大学・論文博士・1953年)。「電荷移動理論」を提唱・実証し、分子科学・スピン化学を開拓した。東京大学物性研究所教授、分子科学研究所所長、岡崎国立共同研究機構機構長、総合研究大学院大学初代学長、国際純正・応用化学連合 (IUPAC) 会長、日本学士院第23代院長などを歴任。位階は従三位、勲等は勲一等。文化勲章受章者。 1920年、静岡県駿東郡鷹根村(現沼津市)柳沢生まれ。静岡県立沼津中学校を経て、1943年東京帝国大学理学部化学科卒業。大学院進学同日に休学し海軍技術見習尉官に任じられ青島方面特別根拠地付を命じられる。
福田 信之(ふくだ のぶゆき、1920年〈大正9年〉10月3… 福田 信之(ふくだ のぶゆき、1920年〈大正9年〉10月3日 - 1994年〈平成6年〉11月27日)は、日本の物理学者。理学博士 東京教育大学教授、筑波大学副学長・学長を歴任。世界平和教授アカデミー元会員、日韓トンネル研究会元顧問。香川県高松市出身。 香川県高松市出身。高松中学校(現・香川県立高松高等学校)、第一高等学校(現・東京大学)、北海道帝国大学理学部を卒業後、理化学研究所に入所。仁科芳雄博士のもとでニ号研究 (原子爆弾開発研究) に携わった。この研究で福田は六フッ化ウランの熱拡散分離の理論を担当した。 世界的水準の「筑波研究学園都市」を建設し、そこに東京教育大学を移転させて核になる総合大学にしようという計画があった。
岡 茂男(おか しげお、1920年9月30日 - 1992年… 岡 茂男(おか しげお、1920年9月30日 - 1992年12月14日)は、日本の経済学者。経済学博士(九州大学)。大分県大分郡庄内町(現由布市)出身。 1939年に大分県立大分中学校(現大分県立大分上野丘高等学校)、1941年に大分高等商業学校を卒業。 1943年、学徒として出陣。翌年、大日本帝国海軍海軍対潜学校卒業。1945年には海軍中尉となるが、終戦で復員。 1946年、九州帝国大学法文学部経済学科を卒業。翌年、九州大学経済学部助手となる。1952年、武蔵大学経済学部専任講師。1953年に同助教授、1958年に教授。1961年、同学生部長。 1966年11月、九州大学にて「戦後日本の関税政策」で経済学博士号を取得。
木村時夫(きむら ときお、1920年9月30日- 2009年… 木村時夫(きむら ときお、1920年9月30日- 2009年2月17日)は、日本の政治史学者。 埼玉県春日部市生まれ。1944年早稲田大学文学部史学科卒業。学徒出陣で入隊、復員後は早稲田大学高等学院教諭をへて、68年早稲田大学社会科学部教授。75-83年社会科学研究所長。91年定年退任、名誉教授。
平野 龍一(ひらの りゅういち、1920年〈大正9年〉9月2… 平野 龍一(ひらの りゅういち、1920年〈大正9年〉9月29日 - 2004年〈平成16年〉7月16日)は、日本の法学者。専門は刑事法。学位は、法学博士(東京大学、1962年〈昭和37年〉、学位論文は「刑事訴訟法」)。東京大学名誉教授。元東京大学総長。日本学士院会員。勲一等瑞宝章受章。文化功労者。熊本県熊本市出身。 父は鹿本選出の県会議員、のち熊本市長の平野龍起。同郷(熊本県鹿本町来民)の内閣総理大臣清浦奎吾(内務官僚、検事、司法次官、司法大臣、総理大臣、戦前の刑事訴訟法策定)の影響を受け、刑事法研究の世界に入り、小野清一郎に師事する。その後、アメリカ合衆国に留学。 かつて自著で「欧米の裁判所は有罪か無罪かを判断する所であるのに対して、日本の裁判所は有罪を認定するだけの所である」という痛烈な司法行政批判を行った事がある。
松浦 健郎(まつうら たけお/けんろう、1920年9月29日… 松浦 健郎(まつうら たけお/けんろう、1920年9月29日 - 1987年5月7日)は、日本の脚本家、小説家。 埼玉県秩父郡大滝村大血川(現・秩父市)出身。1942年日本大学専門部国文科中退、満州映画協会に入社。1944年東宝に移籍し、黒澤明、山本薩夫らの助監督を務める。1948年脚本家に転向、代表作に「風速40米」(1958年)、「電光石火の男」(1960年)、「青年の椅子」(1962年)など。弟子に雪室俊一、曽田博久がいる。1966年からは小説も書いた。 生涯に映画脚本を約170本、テレビなどの脚本を含めると約340本を手掛けた敏腕だったが、その作業は弟子との共同作業が多く、作成の多くが弟子たちに口述筆記、清書させるものであった。
伊東 孝一(いとう こういち、1920年(大正9年)9月28… 伊東 孝一(いとう こういち、1920年(大正9年)9月28日 - 2020年(令和2年)2月19日)は、日本の陸軍軍人。 最終階級は陸軍大尉。 宮城県大崎市で出生、生後間もなく一家が神奈川県横須賀市へ転居し当地で育った。横須賀中学校を経て陸軍予科士官学校に進み、1938年(昭和13年)末、同校を卒業。歩兵第32連隊付となる。1939年(昭和14年)、陸軍士官学校に進み、1940年(昭和15年)9月、同校(第54期)を卒業。同年10月、歩兵少尉に任官。 1941年(昭和16年)10月、陸軍中尉に昇進。歩兵団司令部、第5軍司令部における勤務を経て、原隊である歩兵第32連隊へ復帰し、第2大隊第8中隊長に就任。