三田 きえ子(みた きえこ、1931年9月29日 - 202… 三田 きえ子(みた きえこ、1931年9月29日 - 2025年7月8日)は、日本の俳人。本名は三田 きい。 1931年9月29日、茨城県結城市に生まれる。1968年、産経学園自由ヶ丘教室で秋元不死男の指導を受け「氷海」入会。あわせて上田五千石に師事。1974年、氷海賞受賞、「氷海」同人となる。1975年、「畦」同人。1994年、第九回俳句研究賞受賞。2000年1月、「かなえ」改め「萌」の主宰となる。俳人協会評議員、日本文芸家協会会員、国際俳句交流協会評議員。 2025年7月8日、老衰のため死去。93歳没。
小倉 基(おぐら もとい、1931年(昭和6年)9月28日 … 小倉 基(おぐら もとい、1931年(昭和6年)9月28日 - 2015年(平成27年)11月19日)は、日本の政治家。世界連邦東京都渋谷区連合会会長。 東京都選挙管理委員会委員長、東京都渋谷区長(2期)、東京都議会議員(5期)、渋谷区議会議員(2期)を務めた。 鹿児島県鹿児島市生まれ。1948年に旧制高梁中学(現在の岡山県立高梁高等学校)を卒業、國學院大學予科を経て、國學院大學へ入学する。その後、同大学政経学部卒業し、岡崎英城衆議院議員の秘書を務める。 1959年、渋谷区議会議員選挙に出馬し、初当選。区議は2期務める。1973年、東京都議会議員選挙に渋谷区選挙区から出馬し、当選。東京都議会議員を5期20年の長きにわたり務め、1988年には藍綬褒章受章。
森谷 司郎(もりたに しろう、1931年(昭和6年)9月28… 森谷 司郎(もりたに しろう、1931年(昭和6年)9月28日 - 1984年(昭和59年)12月2日)は、日本の映画監督。 東京市四谷区番衆町(現・東京都新宿区新宿)出身。1937年に台湾に転居し、中学2年生の時に終戦とともに岡山県へ引き上げる。岡山県第一岡山中学校から岡山県立岡山朝日高等学校を経て、1955年に早稲田大学第一文学部仏文科卒業。卒業後はジャーナリストを志望していたが[要出典]、東宝の助監督試験に合格し入社する。同期には恩地日出夫、木下亮。成瀬巳喜男・黒澤明の作品で助監督を務める。監督昇進まで10年以上、助監督を経験し1966年に加山雄三主演『ゼロ・ファイター 大空戦』で、監督デビューを飾る。
矢﨑 新二(やざき しんじ、1931年(昭和6年)9月28日… 矢﨑 新二(やざき しんじ、1931年(昭和6年)9月28日 - )は、日本の官僚。元防衛事務次官。元会計検査院長。長野県茅野市出身。 関東信越国税局長、国税庁調査査察部長、主計局次長を経て、1981年(昭和56年)防衛庁経理局長に転じ、1983年(昭和58年)防衛局長、1985年(昭和60年)防衛事務次官。 1987年(昭和62年)に退官し、1989年(平成元年)検査官に就任。1994年(平成6年)に会計検査院長となり、1996年(平成8年)に定年退官。1997年(平成9年)に日本銀行監事。2003年(平成15年)の秋の叙勲で瑞宝大綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
福田 一雄(ふくだ かずお、1931年9月26日 - )は、… 福田 一雄(ふくだ かずお、1931年9月26日 - )は、日本の作曲家、指揮者である。 東京都出身。母の方針によって5歳のときから絶対音感教育を受け、モスクワ音楽院の教授を務めていたポール・ヴィノグラードフにピアノを学んだ。 1937年、学習院初等科に入学し、学習院中・高等科を経て、学習院大学政経学部に進んだ。この頃から、幼時から習得していたピアノの腕を生かして音楽関係のアルバイトを始め、ジャズバンドでピアノを弾いたり、進駐軍のクラブ回りなどに参加したりしていた。やがて友人の近衛秀健(近衞秀麿の子)の紹介によって東宝交響楽団(後の東京交響楽団)や東京フィルハーモニー交響楽団、近衛管弦楽団などでもピアニストを務めた。
小笠原 暁(おがさわら さとる、1931年9月26日 - 2… 小笠原 暁(おがさわら さとる、1931年9月26日 - 2020年9月28日)は、日本の経済学者、地方公務員、実業家。兵庫県副知事や、芦屋大学学長、日本オペレーションズ・リサーチ学会会長等を歴任した。また、実弟の久野暲ハーバード大学教授とともにロゴヴィスタを興し、同社代表取締役社長も務めた。父は英語学者の久野朔郎。兄は哲学者の久野昭。 1953年名古屋大学理学部数学科卒業。1955年名古屋大学経済学部経済学科卒業。1958年名古屋大学大学院経済学研究科中退。1960年神戸商科大学講師に着任し、1962年同助教授に昇格。1963年には経営管理学科を創設した。1968年同教授。その後日本の学生運動を嫌気し、1972年に兵庫県企画部長に転じ、総合計画の策定などにあたった。
大社 淑子(おおこそ よしこ、1931年9月25日 - )は… 大社 淑子(おおこそ よしこ、1931年9月25日 - )は、日本の英文学者、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 福岡県北九州市生まれ。青山学院大学文学部卒業、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了、法学部教授、2002年定年、名誉教授。ほか、梅光女学院大学専任講師、関東学院大学助教授を歴任した。 英文学を専攻し、現代の英国女性作家を研究、翻訳、特に米国黒人女性作家のトニ・モリスンの翻訳で知られるが、アイヴィ・コンプトン=バーネットの研究書も出した。
早坂 忠(はやさか ただし、1931年9月25日 - 199… 早坂 忠(はやさか ただし、1931年9月25日 - 1995年7月10日)は、日本の経済学史・経済思想史学者。 山形県山形市生まれ。東京大学教養学科卒業、大学院社会科学研究科理論経済学専攻博士課程単位取得退学(木村健康に師事)。1958年、東京大学教養学部助手。外国語部会英語科の講師、助教授を経て、1983年8月、教授。1990年3月、定年を待たずに退職し、4月より学習院大学経済学部教授、1992年5月、退職。1995年、叙正四位、叙勲三等授瑞宝章。 ケインズを中心に研究を行っていたが、東大では教養学部の英語科に所属しており、経済学ではなく英語の教授だった。
加瀬 昌男(かせ まさお、1931年9月25日 - 2011… 加瀬 昌男(かせ まさお、1931年9月25日 - 2011年8月29日)は、神奈川県出身の実業家。草思社創業者。 横浜市にて洋服店経営者の息子として生まれる。1945年5月29日、中学2年生のとき、空襲で実家を失う。 早稲田大学文学部演劇科の同期に中村八大や宇津井健、一級上には和田勉がいた。1950年、レッドパージに絡むイールズ事件で警視庁渋谷署に逮捕・勾留され、在学1年目にして大学を除籍となるも、のち復学を許され、1年遅れで大学を卒業。卒業時「早稲田演劇」誌に一幕物の戯曲を応募して入選。卒業後日産自動車に入社し、工員などの職3年間ほど転々とする。この間、「早稲田演劇」誌に二幕物の戯曲を応募して再び入選。
渡部 一郎(わたなべ いちろう、1931年(昭和6年)9月2… 渡部 一郎(わたなべ いちろう、1931年(昭和6年)9月24日 - 2017年(平成29年)12月1日)は、日本の元政治家。元公明党衆議院議員(9期)。 満洲・大連出身。東京大学工学部応用化学科に学び、在学中に東京大学法華経研究会(創価学会の学生組織の走りといわれる)を結成した。1956年に卒業後に聖教新聞社へ入社し、1964年に公明党へ移籍し公明新聞編集長。 1965年(昭和40年)の参院選に兵庫地方区から立候補するが落選。このときは「渡部城克」名義で活動していた。1967年(昭和42年)2月の衆院選で旧兵庫1区より公明党公認で立候補、当選し以後1993年(平成5年)に引退するまで通算9期務めた。
中山 豊(、1931年〈昭和6年〉9月23日 - )は、日本… 中山 豊(、1931年〈昭和6年〉9月23日 - )は、日本の元俳優。兵庫県姫路市出身。日本大学芸術学部卒業。 1950年に演劇で活動していたところを千葉泰樹や藤本眞澄に認められ、千葉の監督作品『山のかなたに』(藤本プロ・新東宝)でデビューする。 1954年に東宝と専属契約し、千葉の監督作品に常連として出演するほか、岡本喜八、谷口千吉、本多猪四郎、須川栄三らの各監督にも多く起用され、特撮、時代劇、戦争映画などジャンルを問わずに出演する。コミカルな演技でバイブレイヤーとして活躍し、東宝の映画に数多く出演するなか、テレビドラマにも出演し、活動の幅を広げていった。 1970年代に入り、東宝俳優専属システムの崩壊を経て数多くの専属俳優が引退する中、中山もそれに伴って引退し、映画界から姿を消した。
神山 栄作(かみやま えいさく、1931年9月22日 - )… 神山 栄作(かみやま えいさく、1931年9月22日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手。 桐生高校から1950年に東急フライヤーズへ入団。1951年に退団。 その後は大生相互銀行でプレーした。
室伏 稔(むろふし みのる、1931年9月22日 - 201… 室伏 稔(むろふし みのる、1931年9月22日 - 2016年1月27日)は、日本の実業家。位階は従三位。伊藤忠商事社長や、日本政策投資銀行社長、日本貿易会会長を務めた。 静岡県駿東郡小山町出身。静岡県立沼津東高等学校では柔道部で黒帯を取得。1956年東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1990年から伊藤忠商事社長を務め、タイムワーナーやファミリーマートへの出資などを行った。1994年初代日本トルクメニスタン経済委員会会長。2004年4月旭日大綬章受章。2007年から日本政策投資銀行総裁として民営化にあたり、2008年に民営化された日本政策投資銀行の初代社長に就任した。2016年1月27日死去。
貞永 方久(さだなが まさひさ、1931年9月22日 - 2… 貞永 方久(さだなが まさひさ、1931年9月22日 - 2011年7月14日)は、日本の映画監督。 満洲国新京の生まれ。敗戦と同時に無一文のまま日本に引き上げ、戦後の動乱を身いっぱいに受けて育つ。大分県立別府鶴見丘高等学校から九州大学法学部を1956年に卒業。 大学時代は演劇活動に熱中し、木下惠介、黒澤明らを通じて日本映画に強い関心を抱いており、卒業後、松竹京都撮影所演出部に入社。大曾根辰保、五所平之助、篠田正浩、野村芳太郎の作品の助監督を務めた。1961年からはテレビのドキュメンタリー番組の演出も手がけ始めた。1965年、京都撮影所の閉鎖に伴い大船に移籍。1968年、助監督職のまま山根成之との共同監督で、原田芳雄主演のハードボイルド作品『復讐の歌が聞える』で監督デビュー。
直井 明(なおい あきら、1931年9月22日 - 2025… 直井 明(なおい あきら、1931年9月22日 - 2025年2月2日)は、日本の海外ミステリ研究家。エド・マクベイン研究者として知られる。マクベイン本人とも交流があった。 東京で生まれて、東京外国語大学インド語科を卒業する。商社時代には、パキスタンのカラチ、ヒューストン、 ルーマニアのブカレスト、ニューヨークに赴任した。2003年に商社を退職。 エド・マクベインに感銘を受けて、「87分署シリーズ」を研究した『87分署グラフィティ―エド・マクベインの世界』で1989年に日本推理作家協会賞(評論部門)を受賞。晩年のマクベインとも交流があり、マクベインが新作を書く際に「過去の自作についての情報」を直井に尋ねるほどだった。
浦野 光(うらの ひかる、1931年9月22日 - 2018… 浦野 光(うらの ひかる、1931年9月22日 - 2018年5月2日)は、日本の声優、俳優、ナレーター。神奈川県出身。 神奈川県小田原市で育ち、父親の仕事の都合で東京府(現:東京都)、三重県四日市市と移り住む。 早稲田大学商学部を経て、設立されたばかりの中部日本放送放送劇団に応募した。一度は落選するが、1953年(昭和28年)春、二期生の募集に再度応募し合格した。養成期間を経て、ナレーションでデビュー後、3年でラジオ東京放送劇団に移籍した。吹き替えの仕事を開始した後、フリーとなり、タレントエージェント、シナリオ文芸協会、グループだいこん、セブンセンター、クリエイティブオフィスZなどに所属した。
佐藤 耕一(さとう こういち、1931年9月21日 - )は… 佐藤 耕一(さとう こういち、1931年9月21日 - )は、1950年代に活躍した日本の元ノルディック複合、スキージャンプ選手。北海道小樽市出身。 旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)-明治大学卒業後、クロバー乳業入社。1958年会社合併により雪印乳業に移籍。 1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピックでは2種目に出場、ノルディック複合で33位、ジャンプで39位の成績を残した。 1960年スコーバレーオリンピックではジャンプで22位。 1955年第33回全日本スキー選手権複合優勝。1959年第37回全日本スキー選手権ジャンプ競技優勝。
眞鍋 淑郞(まなべ しゅくろう、新字体:真鍋 淑郎、英語: … 眞鍋 淑郞(まなべ しゅくろう、新字体:真鍋 淑郎、英語: Syukuro "Suki" Manabe、1931年(昭和6年)9月21日 - )は、日系アメリカ人一世の地球科学者(気象学・気候学)。プリンストン大学上席研究員。国立研究開発法人海洋研究開発機構フェロー。米国科学アカデミー会員。2021年ノーベル物理学賞受賞。 理学博士(東京大学、1958年)。アメリカ国立気象局大循環研究部門の研究員、アメリカ海洋大気庁地球流体力学研究所の上級研究員、プリンストン大学大気海洋科学プログラムの上級研究員などを歴任した。 国際的には専ら Suki Manabe(スーキー・マナベ)として知られる。 気候モデルの研究者であり、地球科学分野でコンピュータでシミュレーションを行うための数値モデルの開発の先駆者の一人として知られる。
榊原 康夫(さかきばら やすお、1931年9月21日 - 2… 榊原 康夫(さかきばら やすお、1931年9月21日 - 2013年1月6日 )は、日本の牧師、神学者、説教者、著作家。 新改訳聖書のイザヤ書、エレミヤ書、哀歌を翻訳した。福音主義神学会の創立に関わった。 兵庫県芦屋市出身。灘高等学校卒業。大阪大学工学部機械科中退。1957年、神戸改革派神学校卒業。日本基督改革派教会の和歌山伝道所、甲子園教会牧師を歴任し、1967年(昭和42年)より東京恩寵教会牧師となる。1977年(昭和52年)- 1981年(昭和56年)日本基督改革派教会大会議長。 2001年(平成13年)に定年によって正牧師を引退し、東京恩寵教会名誉牧師となる。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。
花山 勝友(はなやま しょうゆう、1931年9月21日 - … 花山 勝友(はなやま しょうゆう、1931年9月21日 - 1995年6月16日)は、浄土真宗僧侶、仏教学者。 1931年、東京で仏教学者・花山信勝の次男として生まれた。東京大学文学部印度哲学科で学び、卒業。1962年、学位論文『十住心論の研究』を東京大学に提出して文学博士号を取得。 修了後、ニューヨーク州立大学・シートン=ホール大学客員教授を務め、また米国仏教団開教使。帰国後、武蔵野女子大学教授に就いた。後に副学長、仏教文化研究所主任を務めた。宗門においては、仏教伝道協会研究室主任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
信多 純一(しのだ じゅんいち、1931年9月20日 - )… 信多 純一(しのだ じゅんいち、1931年9月20日 - )は日本の国文学者。専攻は日本近世文学。大阪大学名誉教授。号は「志水」。
高橋 輝(たかはし あきら、1931年9月19日 - 199… 高橋 輝(たかはし あきら、1931年9月19日 - 1992年5月27日)は、埼玉県出身のプロ野球選手。左投左打で、ポジションは投手。 大宮実科工業学校から中央大学へ進学し、同大学野球部に所属。1949年春の東都大学リーグ戦で、1990年春に亜大小池秀郎に更新(111個)されるまで長らくシーズン最多奪三振記録だった107個を樹立するが2年で中退し、1950年に国鉄スワローズへ入団。3月11日の広島カープ戦で球団は初勝利を挙げるが、この時の勝利投手が高橋だった。1年目は52試合に登板し、10勝15敗で球団最初の二桁投手になった。2年目も10勝し2年連続二桁勝利を記録した。1954年は7勝するが、以降の年からは勝利を挙げる事ができず1956年に引退となった。
小林 敏峯(こばやし としみね、1931年9月19日 - 1… 小林 敏峯(こばやし としみね、1931年9月19日 - 1999年12月10日)は、日本の実業家。マイカルの創業者の一人。京都府京都市出身。位階は正五位。 1950年に洛陽高等学校を卒業。1954年1月にヤマト小林商店代表取締役に就任し、1963年11月にはニチイ(のちのマイカル)副社長に就任し、1982年11月には社長に昇格。1996年5月に会長に就任。 1994年11月に藍綬褒章を受章。 1999年12月10日心不全のために死去。68歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
村岡 博人(むらおか ひろと、1931年9月19日 - )は… 村岡 博人(むらおか ひろと、1931年9月19日 - )は東京府小石川区(現:東京都文京区)出身のジャーナリスト。また、サッカー選手としてもプレーし、日本代表として国際Aマッチ2試合に出場した。現役時代のポジションはGK。
秋本 守英(あきもと もりひで、1931年9月19日 - 2… 秋本 守英(あきもと もりひで、1931年9月19日 - 2013年10月 )は、日本の国文学者・国語学者。学位は、博士(文学)(龍谷大学・1994年)。龍谷大学名誉教授、元副学長。大阪府出身。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
小野寺 健(おのでら たけし、1931年9月19日 - 20… 小野寺 健(おのでら たけし、1931年9月19日 - 2018年1月1日)は、日本の英文学者、翻訳家。横浜市立大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。東京大学英文科卒、同大学院に学び、1958年茨城大学専任講師、1962年横浜市立大学助教授、1967年英国リーズ大学に留学。横浜市立大学教授を96年定年退官、日本大学教授、2002年退職。文化学院・文芸学科講師。2018年1月1日午前3時5分、老衰のため死去した。86歳没。 20世紀の英国小説を専門とし、ジョージ・オーウェル、アニータ・ブルックナー、E・M・フォースターなど翻訳多数、またエッセイ集もある。
小町 昭(こまちあきら、1931年9月18日 - 2017年… 小町 昭(こまちあきら、1931年9月18日 - 2017年1月25日)は、北海道釧路市出身 の作曲家・編曲家。 北海道釧路湖陵高等学校を経て、明治大学ではマンドリン倶楽部に入部。アコーディオンの演奏は当時、六大学一の腕前と言われた。卒業後はキングレコード専属の作家として活躍し、主に歌謡曲の編曲を手掛け、川上英一とともに三橋美智也のヒット曲を数多く担当した。その傍らでNHK紅白歌合戦・演歌の花道・にっぽんの歌のオーケストラ、母校・明大マンドリン倶楽部の指揮者も務めた。
野崎 次郎(のざき じろう、1931年9月18日 - 199… 野崎 次郎(のざき じろう、1931年9月18日 - 1995年5月4日)は、日本の経営者。日本酸素社長を務めた。 東京都出身。1935年に一橋大学経済学部を卒業し、同年に富士銀行に入行。1978年9月に日本酸素取締役に就任し、1983年9月に常務、1984年9月に専務を経て、1986年9月に副社長に就任し、1991年6月には社長に昇格。 1995年5月4日急性心不全のために死去。63歳没。
曽野 綾子(その あやこ、1931年9月17日 - 2025… 曽野 綾子(その あやこ、1931年9月17日 - 2025年2月28日)は、日本の小説家、政治評論家。日本財団会長、日本郵政取締役を務めた。日本芸術院会員。文化功労者。 「曾野 綾子」とも表記される。本名は三浦 知壽子(旧姓:町田)。夫は三浦朱門。カトリック教徒で、洗礼名はマリア・エリザベト。 聖心女子大学文学部英文科卒業。『遠来の客たち』が芥川賞候補に挙げられ、出世作となった。以後、宗教、社会問題などをテーマに幅広く執筆活動を展開。エッセイ『誰のために愛するか』はじめベストセラーは数多い。有吉佐和子と共に「才女」として注目された。晩年は生き方や老い方をテーマとしたエッセイが多く、保守的論者としても有名だった。
杉浦 範茂(すぎうら はんも、男性、1931年9月17日 -… 杉浦 範茂(すぎうら はんも、男性、1931年9月17日 - )は、日本のイラストレーター、デザイナー。児童文学の挿絵を多数担当する。 愛知県生まれ。1958年に東京芸術大学美術学部図案科卒業。製薬会社やデザイン事務所の職歴を経由した後、現在は画業のみに専念。日本児童出版美術家連盟、東京イラストレーターズ・ソサエティなどに所属。 芸術選奨新人賞(1985年)、紫綬褒章受章。 現在、東京都世田谷区在住。
桜井 好朗(さくらい よしろう、1931年9月17日 - 2… 桜井 好朗(さくらい よしろう、1931年9月17日 - 2014年5月8日)は、日本の国文学者、文学博士。花井純一郎の筆名で詩人。椙山女学園大学名誉教授。元佛教大学教授。1960年代から、中世日本紀研究において先陣を切り、中世神話の研究地平を切り拓いた先駆者。1982年、芸術選奨文部大臣賞(『中世日本文化の形成-神話と歴史叙述』東京大学出版会)。 1931年9月17日、愛知県瀬戸市に生まれる。1954年3月、名古屋大学文学部史学科卒業。 1954年4月に名古屋市立志賀中学校教諭となる。1957年4月から名古屋市立中央高等学校教諭を経て、1961年4月から名古屋市立桜台高等学校教諭。 1967年4月からの豊田工業高等専門学校講師を経て、1969年4月に豊田工業高等専門学校助教授就任。
高橋 秀雄(たかはし ひでお、1931年9月17日 - 20… 高橋 秀雄(たかはし ひでお、1931年9月17日 - 2002年9月5日)は、日本伝統芸能研究者。 奈良県奈良市出身。早稲田大学第一文学部演劇科卒業。文化庁に入り、主任文化財調査官として日本伝統芸能(無形文化財)の全国調査、重要無形文化財の指定にあたる。国立劇場の指導・助言も行い、1986年度民謡文化賞受賞、1992年文化庁を退官。日本伝統芸能研究所所長として伝統芸能の企画・制作などで活躍。 2002年9月5日、肝臓癌のため死去。
小沢和秋(おざわ かずあき、1931年〈昭和6年〉9月15日… 小沢和秋(おざわ かずあき、1931年〈昭和6年〉9月15日 - 2021年〈令和3年〉7月14日)は、日本の政治家。日本共産党所属。衆議院議員を4期務めた。 愛知県稲沢市出身。東京都立立川高校、東京大学法学部を卒業後、八幡製鐵(現・日本製鉄)に入社。1963年から福岡県議会議員を3期務めた後、1980年の衆院選で旧福岡2区から出馬し初当選。以後通算4期衆議院議員を務め2003年に引退を表明した。 2021年7月14日、福岡県北九州市内の高齢者施設で死去。89歳没。 1979年、第35回衆議院議員総選挙 福岡2区 落選。 1980年、第36回衆議院議員総選挙 福岡2区 当選。1983年、第37回衆議院議員総選挙 福岡2区 当選。
安水 稔和(やすみず としかず、1931年9月15日 - 2… 安水 稔和(やすみず としかず、1931年9月15日 - 2022年8月16日)は、日本の詩人。神戸松蔭女子学院大学元教授。 兵庫県神戸市須磨区生まれ。1950年、詩誌「ぽえとろ」を創刊。1954年、神戸大学文学部英米文学科卒業。在学中から詩誌に関わり、のち『歴程』『たうろす』同人。現代詩人会所属。 1963年、多田武彦作曲の合唱組曲「京都」の作詞で文部省芸術祭奨励賞。1973年、ラジオドラマ「旅に病んで」で芸術祭優秀賞受賞。1984年、井植文化賞受賞。1989年、詩集『記憶めくり』で第14回地球賞。1990年、神戸市文化賞受賞。1996年、兵庫県文化賞受賞。1997年、『秋山抄』で第6回丸山豊記念現代詩賞。
青木 秋夫(あおき あきお、1931年〈昭和6年〉9月15日… 青木 秋夫(あおき あきお、1931年〈昭和6年〉9月15日 - 2021年〈令和3年〉1月1日)は、日本の政治家。前橋市議(1期)、群馬県議(6期)、第70代群馬県議会議長を歴任した。 1931年9月15日、勢多郡桂萱村(現前橋市)で生まれる。1956年、東洋大学社会学部を卒業し、明和高等学校教諭となった。1960年、久保田円次の公設第一秘書となり、その後国務大臣秘書官となった。1967年、前橋市議会議員選挙に無所属で立候補して当選した。1969年7月、任期途中で辞職した。1974年、桐生短期大学講師となった。1983年4月10日、群馬県議会議員選挙に勢多郡選挙区から立候補して初当選を果たし、以後6期務める。
奥谷 喬司(おくたに たかし、1931年9月15日 - 20… 奥谷 喬司(おくたに たかし、1931年9月15日 - 2025年1月10日)は、日本の動物学者、東京水産大学名誉教授。専門は軟体動物の分類・生態・資源。 福岡県門司市(現:北九州市門司区)出身。1954年東京水産大学増殖学科卒業、1966年「相模湾およびその周辺海域の深海性貝類の分類、分布生態ならびに古生態学的関連についての研究」で東京大学より理学博士の学位を取得。 1954年水産庁東海区水産研究所、1961年から1962年米国スクリプス研究所に学び、1979年国立科学博物館動物研究所研究室長、1984年東京水産大学教授となり、1996年定年退官、名誉教授、日本大学生物資源科学部教授、海洋科学技術センター。
林 成年(はやし なりとし、1931年9月14日 - 200… 林 成年(はやし なりとし、1931年9月14日 - 2008年2月6日)は、日本の俳優。京都府京都市伏見区出身。慶應義塾大学文学部卒業。本名は長谷川 寿(はせがわ ひさし)。父は俳優の長谷川一夫。女優の長谷川季子、長谷川稀世は妹。妻は上田吉二郎の養女。 1937年、大阪歌舞伎座で初舞台、同年に父・一夫主演の映画『土屋主悦』で映画デビューした。大学卒業後は大映に入社し、『新・平家物語』、『赤胴鈴之助』シリーズなど数多くの映画に出演。1960年に大映を退社し、1962年、東宝に移った。以降は東宝歌舞伎にレギュラー出演するなど、舞台を中心に活躍した。他に杉良太郎などの舞台に客演した。 2008年2月6日、心不全のため死去、76歳だった。
古屋 奎二(ふるや けいじ、1931年9月14日 - 200… 古屋 奎二(ふるや けいじ、1931年9月14日 - 2000年8月11日)は、日本のジャーナリスト、中国研究家。 山梨県生まれ。1953年信州大学文理学部卒、産経新聞社に入り、1981年論説副委員長。文部省国語審議会委員。近畿大学人文学部教授となる。妻は新藤涼子。
真鍋 正(まなべ ただし、1931年9月14日 - 1994… 真鍋 正(まなべ ただし、1931年9月14日 - 1994年4月30日)は、日本の経営者。ナムコ社長を務めた。愛媛県出身。 1957年に中央大学第二経済学部経済学科を卒業し、1964年に中村製作所(のちのナムコ)に入社。1972年に取締役に就任し、1981年に常務、1986年6月に専務を経て、1990年6月に社長に就任。1992年4月には副会長に就任。 1994年4月30日大腸がんのために死去。62歳没。
行方 昭夫(なめかた あきお、1931年9月14日 - )は… 行方 昭夫(なめかた あきお、1931年9月14日 - )は、日本の英文学者、翻訳家。東京大学・東洋学園大学名誉教授。日本モーム協会会長。 東京生まれ。父は朝日生命保険社長を務めた行方孝吉。東京都立九段高等学校卒、1955年東京大学教養学部イギリス科卒業、1958年同英文科大学院修士課程修了、1966年東大教養学部助教授、1983年教授。1992年定年退官、東洋学園大学教授、学長を務めた。 朱牟田夏雄、上田勤に師事し、アメリカ文学者としてヘンリー・ジェイムズを専攻していたが、英文読解者としても多くの著作を刊行し、英文学、英語学の専門誌である英語青年において英文解釈練習のコーナーを長年隔月で担当。
山田 洋次(やまだ ようじ、1931年〈昭和6年〉9月13日… 山田 洋次(やまだ ようじ、1931年〈昭和6年〉9月13日 - )は、日本の映画監督、脚本家、演出家。 大阪府豊中市出身。東京大学法学部卒業。川島雄三、野村芳太郎の助監督を経て1961年に『二階の他人』でデビュー。『男はつらいよ』シリーズなど人情劇を発表し、現役でキネマ旬報ベストテンに最多入賞した監督。紫綬褒章(1996年)、文化功労者(2004年)、日本芸術院会員(2008年)。文化勲章(2012年)受章。財団法人いわさきちひろ記念事業団理事長。関西大学大学院文学研究科および立命館大学映像学部の客員教授、文化学院の特別講師。日本映画監督協会会員。 妻は「平塚らいてうの記録映画を上映する会」副会長を務めた山田よし恵(1932年5月23日 - 2008年11月8日)。
和田 淑弘(わだ よしひろ、1931年9月13日 - 201… 和田 淑弘(わだ よしひろ、1931年9月13日 - 2015年4月7日)は日本の実業家。マツダ社長や日本自動車工業会副会長、中国経済連合会副会長等を務めた。コロンビア共和国国家功労大十字勲章。 島根県出身。1955年一橋大学商学部を卒業し、住友銀行(のちの三井住友銀行)入行。審査畑を歩む。住友銀行取締役を経て、1983年、東洋工業(のちのマツダ)顧問就任。専務を経て、1985年マツダ副社長。なお、和田が副社長を務めていた際、和田の役員秘書を務めていた岸田裕子は、内閣総理大臣夫人である。 1991年に社長に就任、原価低減活動を推進するとともに、フォード・モーターとの提携強化を進めた。またボンゴフレンディを発売、カペラセダンを復活させた。
中野 謙二(なかの けんじ、1931年9月12日 - 200… 中野 謙二(なかの けんじ、1931年9月12日 - 2004年11月19日)は、日本のジャーナリスト、中国問題評論家。現代中国学会会員。 富山県高岡市生まれ。1954年、東京外国語大学中国語科卒業。 1954年毎日新聞社入社。1970年ソウル支局長、1973年香港支局長、東京本社外信部副部長を経て、1976年北京支局長、1979年論説委員。 1986年高岡短期大学教授に就任。1989年東海大学教授、2002年定年退職。 2000年、アジア人口・開発協会評議員。
高橋 俊夫(たかはし としお、1931年9月12日 - 20… 高橋 俊夫(たかはし としお、1931年9月12日 - 2012年8月8日)は、日本の文学者。近世から近代にかけての日本文学の研究者。元清和女子短期大学教授。 1931年、東京府東京市本所区本所緑町(現在の東京都墨田区緑)生まれ。旧制東京開成中学校卒、早稲田大学文学部国文学科卒業。稲垣達郎・岩本素白に傾倒、同人誌『鉄砧雲』に評論・翻訳などを発表。アテネ・フランセに通い、バカロレア資格を得る。法政大学大学院博士課程満期退学、重友毅・長沢規矩也に師事し江戸文学・書誌学を研究、博士課程を修了。漢文学を竹谷長二郎に師事。東京都立第三商業高等学校教諭を経て、土浦短期大学、聖徳大学講師、清和女子短期大学教授。
上島 建吉(かみじま けんきち、1931年9月11日 - 2… 上島 建吉(かみじま けんきち、1931年9月11日 - 2015年7月2日)は、英文学者。 東京生まれ。東京都立大森高等学校卒、1954年東京大学教養学部イギリス科卒、同大学院人文科学研究科英文学博士課程満期退学。武蔵大学講師、1962年東大教養学部助教授、81年教授。92年定年退官、名誉教授、岐阜女子大学教授。2002年退職。英国ロマン主義が専門。
八木 充(やぎ あつる、1931年9月11日 - )は、日本… 八木 充(やぎ あつる、1931年9月11日 - )は、日本の歴史学者、山口大学名誉教授。学位は、文学博士(京都大学・1967年)。 山口県防府市生まれ。1954年山口大学文理学部国史学専攻卒、1959年京都大学大学院文学研究科博士課程中退。1967年「律令国家成立過程の研究」で京大文学博士となる。1959年山口大学文理学部助手、1961年同大講師、1966年に同大助教授、1974年に同大教授、1978年に同大人文学部教授、1985年から1991年まで同大学部長。1993年同大を定年退官、名誉教授となる。その後、奈良産業大学教授、京都学園大学人間文化学部教授を務め、2003年に退職した。
中原 隆雄(なかはら たかお、1931年9月11日 - 20… 中原 隆雄(なかはら たかお、1931年9月11日 - 2009年1月7日 )は、日本の経営者。紀陽銀行頭取を務めた。 和歌山県出身。1954年に和歌山大学経済学部を卒業し、同年に紀陽銀行に入行した。1985年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1991年6月に常任監査役、1994年6月に常務、1995年6月に専務を経て、1998年6月に頭取に就任。2002年4月に取締役相談役に就任。 2009年1月7日、死去。77歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
永瀬 洋治(ながせ ようじ、1931年(昭和6年)9月10日… 永瀬 洋治(ながせ ようじ、1931年(昭和6年)9月10日 - 2012年(平成24年)2月11日)は日本の政治家。埼玉県川口市長(第15代 - 第18代)。 埼玉県川口市出身。市立浦和高等学校を経て1954年に立教大学を卒業し、川口市役所に就職、1967年に川口市議会議員に初当選、この年の第22回国民体育大会では事務局長を務めた。 埼玉県議会議員を経て1981年から1997年まで4期16年川口市長を務めた。市長退任後も日本体育協会の理事、埼玉県体育協会の副会長、埼玉県国際交流協会の副会長、日本オペレッタ協会の理事を務めた。 市長在任中、「文化の香る街づくり」を掲げて川口駅前の公害資源研究所跡地の払い下げを受けて川口リリアを建設すると共に川口市民音楽協会会長(市長を退任した1998年から名誉会長)に就任、第九の会などを設立した。
佐々木 元治(ささき もとじ、1931年9月10日 - 20… 佐々木 元治(ささき もとじ、1931年9月10日 - 2013年7月5日)は、京都府出身のプロ野球選手。 堀川高校から法政大学を経て1955年に中日ドラゴンズへ入団。1956年に引退。
西山 太吉(にしやま たきち、1931年〈昭和6年〉9月10… 西山 太吉(にしやま たきち、1931年〈昭和6年〉9月10日 - 2023年〈令和5年〉2月24日)は、日本のジャーナリスト、政治活動家。西山事件で知られる。 山口県下関市出身。生家の西山青果はバナナなどの輸入を手掛ける地元の有力企業であり、読売新聞政治部記者として接点のあった渡邉恒雄によれば「ちょっとした地方財閥」というほどの資産家の子息であった。山口県立下関西高等学校、慶應義塾大学法学部を経て、慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程を修了後、毎日新聞社に入社。政治部記者に配属。 1971年、沖縄返還時の日米間の密約について、既婚者である外務省女性事務官と男女関係をもった上で情報を入手し、その情報を国会議員の横路孝弘と楢崎弥之助に提供。