礪波 護(となみ まもる、砺波 護、1937年〈昭和12年〉… 礪波 護(となみ まもる、砺波 護、1937年〈昭和12年〉9月6日 - 2024年〈令和6年〉11月13日)は、日本の東洋史学者。三国時代から隋唐代の中国史が専門。恩師の宮崎市定をはじめとする東洋史学者についての論考も多数ある。京都大学名誉教授。京都大学人文科学研究所名誉所員。 1937年(昭和12年)、大阪府(後に東大阪市)で生まれた。生家は浄土真宗大谷派の寺で、後年得度した。大阪府立八尾高等学校を経て、京都大学文学部史学科に入学。東洋史学を専攻して宮崎市定に師事、1960年に卒業。同大学院文学研究科東洋史学専攻に進み、1965年に博士課程を単位取得退学した。 同1965年、京都大学人文科学研究所助手に採用された。
中川 茂一(なかがわ しげかず、1937年9月6日 - 20… 中川 茂一(なかがわ しげかず、1937年9月6日 - 2010年4月3日)は、大阪市西淀川区出身の元競輪選手。日本競輪選手会大阪支部に在籍していた。 日本競輪学校第79期生の中川大祐(1973年10月25日 - 2012年5月30日)は実子。 大阪商業高等学校出身。 日本競輪学校第14期生。同期に寺澤節男、松本秀人らがいる。 1960年8月19日、宇都宮競輪場でデビューし1着、及び同開催の完全優勝を記録。 1969年の秩父宮妃賜杯競輪(西武園競輪場)において優勝。なお、同大会の決勝戦は万車券決着となった。また中川のこの優勝から、45年後の2014年に稲川翔が高松宮記念杯競輪(宇都宮競輪場)で優勝するまで、GI相当大会で、大阪支部所属の選手が優勝することはなかった。
志保田 務(しほた つとむ、1937年9月6日 - 2023… 志保田 務(しほた つとむ、1937年9月6日 - 2023年12月26日)は、日本の図書館情報学者。学位は博士(図書館情報学)。桃山学院大学名誉教授。図書館を学ぶ相互講座主宰。LISSASPAC JAPAN CHAPTER 会長。 大阪府出身。1963年関西大学法学部卒、2004年図書館情報大学大学院博士課程修了。1965年大阪府立大学附属図書館司書。1978年桃山学院大学社会学部助教授、1990年文学部教授。1994年から1995年アリゾナ大学大学院客員研究員。1999年から2010年放送大学客員教授。2002年桃山学院大学経営学部教授、2008年定年退任、名誉教授。2004年『日本における図書館目録法の標準化と目録理論の発展に関する研究』(で博士(図書館情報学)の学位を取得
近藤 克彦(こんどう かつひこ、1937年(昭和12年)9月… 近藤 克彦(こんどう かつひこ、1937年(昭和12年)9月5日 - )は日本の銀行家。第一勧業銀行頭取やみずほフィナンシャルグループ名誉顧問を務めた。 山口県の現在の光市出身。山口県立光高等学校を経て、一橋大学経済学部に入学。大学では体育会バレーボール部に所属。大学卒業後の進路としては、自動車メーカーを希望していたが、先輩の顔をたてて、第一銀行人事部の面接を受け、大学を卒業した1960年に入行。主に人事部門、営業部門を歩む。 スタンフォード大学留学、ニューヨーク支店勤務、国際金融部長等を経て、1990年から第一勧業銀行取締役。その後人事第二部長、人事企画部長等を務めた。人事第二部長時代には旧日本勧業銀行出身者の人事を扱う人事第一部と旧第一銀行出身者の人事を扱う人事第二部を統合した。
五藤 康之(ごとう やすゆき、1937年〈昭和12年〉9月4… 五藤 康之(ごとう やすゆき、1937年〈昭和12年〉9月4日 - )は、日本の政治家。元広島県三原市長(3期)。旭日小綬章受章。 広島県出身。広島県立三原高等学校卒業。関西学院大学商学部卒業。三原市教育委員を経て、2001年三原市長選挙に立候補し、当選。2005年に三原市は近隣の豊田郡本郷町、御調郡久井町、賀茂郡大和町と合併し、新たな三原市が発足、合併後の市長選挙に立候補し、当選。2009年の市長選挙は無投票当選となった。市長は2013年まで務めた。 2014年 春の叙勲で地方自治功労により旭日小綬章を受章。 1954年の夏の甲子園に野球部員として出場した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
佐藤 真理子(さとう まりこ、1937年9月4日 - 202… 佐藤 真理子(さとう まりこ、1937年9月4日 - 2024年12月18日)は、日本の翻訳家。 東京生まれ。上智大学文学部ドイツ文学科卒業。1974年から1985年までミュンヘン国際児童図書館の日本部門に勤務。ミュンヘン大学で民俗学・中世ドイツ文学を専攻。 1989年、真理子の誕生日である9月4日にドイツの児童文学作家であるミヒャエル・エンデと結婚。 2024年12月18日死去。87歳没。終の棲家()はミュンヘンにあるナーシングホームであった。葬儀は2025年1月23日アザム教会(ドイツ語版)において執り行われた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
熊野 英昭(くまの ひであき、1937年(昭和12年)9月3… 熊野 英昭(くまの ひであき、1937年(昭和12年)9月3日 - 2004年(平成16年)12月30日)は、日本の官僚。元通商産業事務次官。広島県出身。正四位瑞宝重光章受章。 東京大学経済学部経済学科をトップで卒業。通商産業省入省。貿易局長、大臣官房長、機械情報産業局長、産業政策局長を歴任し、1993年(平成5年)6月から1994年(平成6年)12月まで通商産業事務次官を務める。次官在任中には日米構造協議を受けて、引き続き新社会資本整備たる公共事業政策を推進した。小沢一郎や熊谷弘通産大臣の下で次期次官最有力だった内藤正久を退官させたが、これは巷間「通産省4人組事件」などとマスメディアで報じられた。
土居 章助(どい しょうすけ、1937年9月3日 - )は、… 土居 章助(どい しょうすけ、1937年9月3日 - )は、高知県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
古川 吉彦(ふるかわ よしひこ、1937年9月3日 - )は… 古川 吉彦(ふるかわ よしひこ、1937年9月3日 - )は、日本の実業家。映画プロデューサー。 福岡県に生まれる。1956年福岡県立修猷館高等学校を経て、1962年早稲田大学政治経済学部を卒業。 1962年全国朝日放送(現・テレビ朝日)に入社し、編成局長を経て、1993年6月取締役となる。このころ、東宝映画「居酒屋ゆうれい」(1994年)、松竹映画「写楽」(1995年)の製作をしている。1998年6月常務取締役となる。 1999年6月広島ホームテレビ専務取締役に転じ、2002年6月同代表取締役副社長に就任。
平塚 柾緒(ひらつか まさお、1937年9月3日 - )は、… 平塚 柾緒(ひらつか まさお、1937年9月3日 - )は、日本の戦史研究家。 1937年(昭和12年)茨城県常総市生まれ。徳間書店勤務後、編集プロダクション文殊社代表取締役。取材・執筆・編集グループである太平洋戦争研究会、近現代フォトライブラリー主宰。数多くの従軍経験者への取材を行う、戦争証言アーカイブス編さんを多く行っている。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
尾島 俊雄(おじま としお、1937年9月2日 - )は、日… 尾島 俊雄(おじま としお、1937年9月2日 - )は、日本の建築家、建築学者、教育者、環境学者、都市環境工学者、都市科学者。工学博士。早稲田大学名誉教授。 富山県生まれ。早稲田大学で建築都市環境に関する教育と研究、また研究成果の実践につとめた人物。 1970年に、早稲田大学にて日本で初めての都市環境工学講座を建築学科に設けた。 2008年からは 財団法人建築保全センター理事長ほか。アジア都市環境学会会長。 大阪万国博覧会、国際科学技術博覧会など、日本国内で開催された博覧会会場環境設計ほか多数。また、新東京国際空港や多摩ニュータウン・センター地区などの基本設計なども手がけている。 2008年、都市環境工学の発展に対する貢献で、日本建築学会賞受賞。
阿南 準郎(あなん じゅんろう、1937年9月2日 - )は… 阿南 準郎(あなん じゅんろう、1937年9月2日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。
加藤 力雄(かとう りきお、1937年9月1日 - )は、愛… 加藤 力雄(かとう りきお、1937年9月1日 - )は、愛知県蟹江町出身の元プロ野球選手。 松蔭高校では二塁手であったが中京大学準硬式野球部では投手で4番を打ち、1960年に中日ドラゴンズへ入団。1961年に外野手へ転向。1963年引退。
梅林 宏道(うめばやし ひろみち、1937年9月1日 - )… 梅林 宏道(うめばやし ひろみち、1937年9月1日 - )は、平和運動家。NPO法人ピースデポ代表。工学博士。兵庫県洲本市出身。 ほか、核軍縮議員ネットワーク(PNND)東アジア・コーディネーターなどを務める。
河原 主尚(かわはら きみなが、1937年9月1日 - )は… 河原 主尚(かわはら きみなが、1937年9月1日 - )は、岡山県久米郡久米町坪井出身のプロ野球選手(内野手→外野手)。 岡山県立津山高等学校から、1957年に大阪タイガースにテスト入団。当初は打力を買われて、内野手の入団だったが、やがて強肩に注目が集まり、外野手にコンバートされてウエスタン・リーグに出場するようになった。一軍では打席に経つ事はなかったが、4試合代走で出場した事がある。翌1958年に引退。
後藤 武晴(ごとう たけはる、1937年9月1日 - )は、… 後藤 武晴(ごとう たけはる、1937年9月1日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手。 脇町高校から東洋大学を経て1960年に東映フライヤーズへ入団。1軍試合出場は1年目の2試合のみとなり1963年に引退。
菊地 彰穂(きくち あきほ、1937年9月1日 - )は、愛… 菊地 彰穂(きくち あきほ、1937年9月1日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。 八幡浜高校から1956年に大映スターズへ入団。1957年に退団。
増田 熙男(ますだ ひろお、1937年(昭和12年)9月1日… 増田 熙男(ますだ ひろお、1937年(昭和12年)9月1日 - )は、日本の銀行家、大蔵官僚。元東和銀行頭取、元岩手県副知事。 東京大学法学部卒業後の1962年4月に大蔵省に入省。1987年7月より2年間岩手県副知事を務める。大蔵省大臣官房審議官、生命保険協会常務理事を歴任後の1992年7月に東和銀行に顧問として入行。1993年6月に取締役副頭取、1994年6月に代表取締役頭取に就任。在任中はATMの365日稼動や郵便貯金やセブン銀行との相互利用・利用提携の開始などの施策を実行したが、2007年5月、経営赤字の責任を取り、辞任した。
比屋根 毅(ひやね つよし、1937年9月1日 - 2020… 比屋根 毅(ひやね つよし、1937年9月1日 - 2020年6月4日)は、日本の洋菓子職人、実業家。エーデルワイス創業者。石垣市名誉市民。 1937年9月1日、沖縄県八重山郡石垣町(現在の石垣市)のサトウキビ農家で、8人兄弟の3番目として生まれる。15歳の時に石垣島を出て那覇市で2年を過ごした後、17歳の時に大阪府の製菓会社に就職。全国菓子大博覧会で大賞を受賞したことを機に、1966年3月29日、兵庫県尼崎市の立花商店街に7坪の店舗を構え、エーデルワイスを創業。同社の代表取締役社長、会長として、80店舗を展開する企業に成長させた。 旭日双光章、レオポルド2世勲章コマンドゥール章を受章。兵庫県洋菓子協会会長、日本洋菓子協会連合会副会長、尼崎商工会議所副会頭を歴任。
太田 真一(おおた しんいち、1937年9月 - )は、元日… 太田 真一(おおた しんいち、1937年9月 - )は、元日本放送協会(NHK)、テレビ朝日のアナウンサーである。早稲田大学第一文学部演劇学科卒業。アメリカ野球学会会員。日本スポーツ経営学会会員。東京都出身。
勝己(かつみ、1937年(昭和12年)8月31日 - 200… 勝己(かつみ、1937年(昭和12年)8月31日 - 2004年(平成16年)4月13日)は、大相撲の三役呼出。本名は加藤 克己。東京都江戸川区出身。高島部屋→吉葉山道場→宮城野部屋所属。 12年先輩の3代目立呼出米吉と生年月日が一緒である。
狭間 直樹(はざま なおき、1937年8月30日 - )は、… 狭間 直樹(はざま なおき、1937年8月30日 - )は、日本の歴史学者。京都大学名誉教授。専門は中国近現代史。財団法人孫中山記念会副理事長。兵庫県出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
薬眞寺 克尚(やくしんじ かつひさ、1937年8月30日 -… 薬眞寺 克尚(やくしんじ かつひさ、1937年8月30日 - 2026年3月8日)は、日本の実業家。ヤクシングループの創業者。 株式会社ヤクシン運輸代表取締役社長、アート引越センター大分株式会社代表取締役社長、株式会社ヤクシン代表取締役社長、ヤクシンモーター株式会社代表取締役社長(かつてはボルボ・カーズ大分を運営していた)、株式会社ヤクシンプラス代表取締役社長、株式会社大分センチュリーホテル 代表取締役社長等を歴任。現在はヤクシングループの会長である。 1937年(昭和12年)8月30日、大分県北海部郡津久見町堅浦(現・津久見市)の生まれ。高校入学後、父の経営する家業の青果問屋を手伝っていたが、1956年(昭和31年)、臼杵市野津町に転居し父と運送業を始めた。
井川 高雄(いかわ たかお、1937年8月28日 - 201… 井川 高雄(いかわ たかお、1937年8月28日 - 2019年9月19日)は、日本の実業家・経営者である。大王製紙創業家2代目で、同社社長・会長等を歴任した。 大王製紙の創業者である父伊勢吉の社長時代に、倒産という修羅場を経験したが、父と力を合わせて大王製紙を再建。家庭用紙への参入など時代の先を読む経営手腕を発揮して、同社を王子製紙、日本製紙に次ぐ業界3位の総合紙パルプメーカーに育て上げた。 1937年(昭和12年)、当時愛媛県宇摩郡三島町(現在の四国中央市)で製紙原料商を営んでいた井川伊勢吉の長男として生まれた。 1943年(昭和18年)、父・伊勢吉は大王製紙を創立、社長に就任した。 大阪府立北野高等学校を経て、慶應義塾大学文学部英文学科を1年ずつ浪人留年して卒業。
峰岸 慎一(みねぎし しんいち、1937年〈昭和12年〉8月… 峰岸 慎一(みねぎし しんいち、1937年〈昭和12年〉8月28日 - )は、日本の実業家、放送作家。文化放送代表取締役社長、社団法人日本音楽事業者協会専務理事を務めた。 東京府生まれ。慶應義塾幼稚舎から慶應義塾に通い、慶應義塾大学経済学部卒業。1960年文化放送入社。 プロデューサー、1984年7月編成部長、1985年6月編成局次長、1986年6月編成局長等を歴任。 1987年6月取締役編成局長、1988年6月常務編成局長、1990年6月専務、フジテレビジョン取締役、1991年6月文化放送ブレーン取締役。 1992年、赤尾一夫から指名され社長に就く。学生時代から加山雄三のバックバンドを務め入社後も続けた自身を「サラリーマン出世物語の好見本」というのが口癖であった。
大久保 泰甫(おおくぼ やすお、1937年8月28日- )は… 大久保 泰甫(おおくぼ やすお、1937年8月28日- )は、日本の法制史家。名古屋大学名誉教授。 主な研究テーマは、明治政府のフランス人法律顧問ギュスターヴ・ボワソナード(ボアソナード)(1825年-1910年)の人物・業績を中心として、「19・20世紀フランスにおける法制史、および法学・法学部の歴史」ならびに「日本近代法史、とくに、近代日本における法典編纂」等。 福井県福井市出身。1960年(昭和35年)、東京大学法学部第2類を卒業。 1961年(昭和36年)より東京大学法学部助手(いわゆる「学士助手」。指導教授は西洋法制史の久保正幡、またフランス法の野田良之の教えを受ける)。1964年(昭和39年)より名古屋大学法学部助教授を経て、1975年(昭和50年)より2001年(平成13年)まで名古屋大学教授を務めた。
竹内 善徳(たけうち よしのり、1937年 <昭和12年> … 竹内 善徳(たけうち よしのり、1937年 <昭和12年> 8月27日 - 2006年 <平成18年> 5月14日)は、日本の柔道家。1962年全日本選手権の覇者。国際柔道連盟副会長、筑波大学名誉教授らを歴任。叙従四位、授瑞宝中綬章。 北海道札幌市出身。北海道札幌東高等学校で本格的に柔道をはじめ、北海道チャンピオンとなる。高校卒業後は柔道の道を志し東京教育大学(のちの筑波大学)へ進学。大学での同級生に学生初の全日本選手権覇者となる猪熊功がいたが、2人の先輩にあたる長谷川博之(埼玉県柔道連盟副会長)は「荒武者でファイターの猪熊に対し、竹内は理論派で紳士」と語っている 1960年に大学を卒業すると、大分の大分上野丘高校にて教師に。
赤羽 尭(あかばね たかし、1937年8月26日 - 199… 赤羽 尭(あかばね たかし、1937年8月26日 - 1997年1月22日)は、日本の作家。本名は庄司英樹。 青森県弘前市生まれ。明治大学文学部卒。 20代の前半に世界各地を放浪し、国際情勢を身をもって体験。帰国後、週刊誌の記者を経て、『スパイ特急』で文壇にデビュー。1986年『脱出のパスポート』が第96回直木賞候補に選ばれた。主として海外を舞台にしたスパイ小説・歴史小説を書く。
森 正武(もり まさたけ、1937年8月26日 - 2017… 森 正武(もり まさたけ、1937年8月26日 - 2017年2月24日)は、日本の数学者。学位は、工学博士。京都大学名誉教授、筑波大学名誉教授。京都大学数理解析研究所元所長。専門は、数値解析・応用数学。 1937年に東京で生まれる。1961年に東京大学工学部応用物理学科を卒業後、東京大学大学院数物系研究科修士課程・博士課程へ進学。1965年に中退。 1965年に東京大学工学部助手となり、1967年に工学博士の学位を取得した。1970年に京都大学数理解析研究所助教授となる。 1979年に筑波大学電子・情報工学系教授に就任した。1987年に同大学電子・情報工学系長および評議員を経て、1989年-1997年に東京大学大学院工学系研究科教授を務める。
竹下 元章(たけした もとあき、1937年8月26日 - 1… 竹下 元章(たけした もとあき、1937年8月26日 - 1985年8月12日)は、兵庫県出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。 兵庫県立西宮高等学校を卒業。 1956年に広島カープへ入団。 1958年に公式戦初出場を果たすも、田中尊らの壁に阻まれて出場機会には恵まれず。 1961年オフに現役を引退した。 その後は三菱電機グループである指月電機製作所に転職し、同社の北関東営業所に配属されたため群馬県に在住していた。 1985年、第67回全国高等学校野球選手権大会に群馬県代表として出場する東京農業大学第二高等学校野球部在籍の息子・政宏(まさひろ)の応援で阪神甲子園球場へ向かうため、8月12日に羽田発伊丹行の日本航空123便に搭乗し、墜落事故に巻き込まれ死亡。
白鳥 令(しらとり れい、1937年8月26日 - )は日本… 白鳥 令(しらとり れい、1937年8月26日 - )は日本の政治学者。獨協大学・東海大学名誉教授、国際教養大学特任教授。専門は、政治学。
野上 道男(のがみ みちお、1937年(昭和12年)8月26… 野上 道男(のがみ みちお、1937年(昭和12年)8月26日 - )は、日本の自然地理学者、東京都立大学名誉教授。 新潟県生まれ。東京大学理学部地理学科卒、同大学院理学研究科博士課程満期退学、1972年「Andes地帯の氷河と気候変化」で理学博士。東京都立大学理学部助教授、教授、1995-98年 理学部長・研究科長、1999年退職、名誉教授、日本大学文理学部教授。2008年退職。日本学術会議会員。 1997-99年日本地形学連合会長、2002-03年日本地理学会会長、地理情報システム学会会長、2013-2019年 東京地学協会会長。 地理情報学、自然地理学、地形学、地球温暖化問題、地形発達シミュレーション、古代測量術・暦法が専門。
京 建輔(きょう けんすけ、1937年8月26日 - )は、… 京 建輔(きょう けんすけ、1937年8月26日 - )は、日本の作曲家、編曲家、クラリネット奏者。 本名は安野 健三。京都府出身。筆名の「京」は出身地に、「建輔」は次男の名前に由来する。 同志社大学工学部卒業。大学在学中からのスウィング・ジャズの演奏活動を経て、音楽出版社に勤めた後、作曲活動を開始する。以降、多くの歌謡曲(特に演歌)を編曲、古賀政男記念音楽大賞や藤田まさと賞などを受賞している。 1974年の映画『エスパイ』より映画・テレビの音楽を担当する。1977年の特撮テレビドラマ『快傑ズバット』の主題歌「地獄のズバット」では、当時小学生だった長男の「派手な音色がいいんじゃない」という意見をヒントにして、演奏に琵琶を用いている。
前田 富祺(まえだ とみよし、1937年8月26日 - 20… 前田 富祺(まえだ とみよし、1937年8月26日 - 2025年11月12日)は、日本の国語学者。大阪大学名誉教授、神戸女子大学名誉教授。 北海道生まれ。1965年に東北大学大学院文学研究科博士課程満期退学。宮城学院女子短期大学助教授、東北大学教養部助教授、大阪大学文学部助教授、同教授。1986年に「国語語彙史研究」で文学博士。2001年に定年退官、名誉教授、神戸女子大学教授、2008年に退職、名誉教授。
石原 健太郎(いしはら けんたろう、1937年8月25日 -… 石原 健太郎(いしはら けんたろう、1937年8月25日 - 2020年7月5日)は、日本の元政治家。位階は従四位。 衆議院議員(3期)、参議院議員(2期)、新自由クラブ国会対策委員長、通商産業政務次官(第1次海部内閣)、参議院選挙制度に関する特別委員会委員長、衆議院国会等の移転に関する特別委員会委員長などを歴任。 父石原幹市郎、母石原三起子の長男として生まれる。幼少期は内務官僚だった父とともに東京都、北海道、大阪府、福島県等で過ごした。福島時代には父親が福島県知事を務めている。 慶應義塾大学法学部卒業後は日本勧業銀行に入行するが、1年足らずで退職。北海道大学農学部研修生になり、福島県福島市荒井に入植して酪農業を営んだ。
宇江 敏勝(うえ としかつ、1937年8月25日 - )は、… 宇江 敏勝(うえ としかつ、1937年8月25日 - )は、日本の小説家、著述家。 現在の三重県尾鷲市出身。炭焼きの家で育ち、和歌山県立熊野高等学校卒業後、和歌山の山林で働く。同人誌『VIKING』に参加し、小説やエッセイを書く。1980年に自伝「山びとの記」を発表し話題となった。
見田 宗介(みた むねすけ、1937年8月24日 - 202… 見田 宗介(みた むねすけ、1937年8月24日 - 2022年4月1日)は、日本の社会学者。東京大学名誉教授。学位は、社会学修士。専攻は現代社会論、比較社会学、文化社会学。瑞宝中綬章受勲。社会の存立構造論やコミューン主義による著作活動によって広く知られる。筆名に真木悠介がある。著書に『現代社会の理論』(1996年)、『気流の鳴る音』(1977年)、『時間の比較社会学』(1981年、真木名義)など。 東京生まれ。父はヘーゲル研究者の見田石介(甘粕石介)。母は東京音楽学校(現東京芸術大学)ピアノ科助教授で、長澤實導の姉の見田公子。 小学生の頃に父から渡されたヘーゲルの『論理学』を愛読した。6歳で母と死別し、また戦中に日大でドイツ語を教えていた父がナチス批判により一時投獄され、戦後も失業が続くなど、幼少期は貧困のうちに過ごす。
滝沢 真里(たきざわ まり、本名同じ、1937年8月24日 … 滝沢 真里(たきざわ まり、本名同じ、1937年8月24日 - )は、日本の脚本家。別名:滝沢 真理。東京都北区出身。1970年代に東映の特撮ヒーロー番組を多く手掛けた。 1937年、東京都北区に生まれる。戦時中は8歳の時に新潟県へ疎開し、戦後は18歳まで福島県で暮らした。18歳で就職するが、22歳で結婚し退職した。 ミステリが好きで、桂千穂や紀田順一郎・大伴昌司らも所属していたミステリ愛好会SRの会にも参加していた。29歳の時に離婚し、職を得るため八住利雄の主催するシナリオ研究所研修科へ入り、講師を務めていた新井一の紹介により『東京バイパス指令』で脚本家としてデビューした。 東宝のテレビドラマや、東宝からの繋がりで円谷プロダクションの『恐怖劇場アンバランス』などを担当した後、『アンバランス』で知り合った市川森一の紹介で『仮面ライダー』へ参加し、以後東映の特撮ヒーロー番組を中心に活動した。
藤田 久一(ふじた ひさかず、1937年(昭和12年)8月2… 藤田 久一(ふじた ひさかず、1937年(昭和12年)8月23日 - 2012年(平成24年)11月7日)は、日本の法学者。専門は国際法。学位は、法学博士(京都大学・論文博士・1985年3月)(学位論文「国際人道法」)。東京大学教授・神戸大学教授を経て、関西大学名誉教授。万国国際法学会正会員。京都府京都市出身。 国際人道法の大家であるが、核兵器規制や軍縮、戦争犯罪などに関する研究も多い。 指導教官は田畑茂二郎。学部生時代は加藤新平(法哲学)のゼミナリステンであった。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
若生 忠男(わこう ただお、1937年8月22日 - 199… 若生 忠男(わこう ただお、1937年8月22日 - 1998年)は、宮城県仙台市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 1970年シーズンの登録名は若生 忠泰(わこう ただやす)。 東北高校時代は若生智男・若生照元と共に「東北の三若生」と呼ばれたが、甲子園には届かなかった。 1955年に西鉄ライオンズへ入団。 1957年には6月から先発陣の一角となり9勝を挙げ、同年の巨人との日本シリーズでも最終戦の第5戦に先発し、チームの2年連続日本一に貢献。背番号が見えるくらい全身を捻り、下手投げからキレの良い変化球を投げる「ロカビリー投法」で一世を風靡。 1960年には初の2桁勝利となる13勝、同年のオールスターにも選出されるが出場を辞退した。
小林 皓正(こばやし こうせい、1937年8月21日 - )… 小林 皓正(こばやし こうせい、1937年8月21日 - )は、福島県会津出身のフリーアナウンサー。 神代高校卒業後の1956年に中央大学法学部へ進学し、在学中は読売新聞で昼間アルバイトをしながら夜間通学していた。 大学卒業後の1960年に日本短波放送へアナウンサーとして入社するが、大学を夜間通学していたため「それなら、昼間は会社へ」と、4か月早くから出社していた。月曜日から土曜日までの午前中は先輩からアナウンスの講習を受け、時には兜町の東京証券取引所へ、株の値読みの放送をしに出かけたりしていた。ある時に、競馬放送をしている先輩アナウンサーに「競馬場に来ないか」と声をかけられたのがきっかけで、土曜日は午後、日曜日は朝から競馬場に行くようになった。
田村 貞雄(たむら さだお、1937年8月21日- )は、日… 田村 貞雄(たむら さだお、1937年8月21日- )は、日本の歴史学者、日本史研究者、静岡大学名誉教授。
伊与田 浩一(いよた ひろかず、1937年8月21日 - )… 伊与田 浩一(いよた ひろかず、1937年8月21日 - )は、日本の経営者。近畿車輛社長を務めた。 大阪府出身。1960年に大阪大学工学部機械工学科を卒業し、同年4月に近畿日本鉄道に入社。1978年6月に近畿車輛常務に就任し、1998年6月に専務、2001年6月に副社長を経て、2002年6月には社長に就任。2004年6月には取締役相談役に退いた。
山根 久幸(やまね ひさよし、1937年8月21日 - )は… 山根 久幸(やまね ひさよし、1937年8月21日 - )は、日本の俳優。本名は同じ。 東京府出身。日本大学卒業。劇団民藝、アクターズカンパニー、日活、を経て、アクロス エンタテインメント所属。 身長175cm、体重65kg、血液型はO型。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
久野 猛(ひさの たけし、1937年8月20日- )は日本の… 久野 猛(ひさの たけし、1937年8月20日- )は日本の教育者、作家。都立高等学校校長等を歴任。 鹿児島県いちき串木野市出身。鹿児島県立串木野高等学校卒業。1962年東京大学理学部地学科を卒業し、都立高校教諭となる。都立北園高校教頭などを経て、都立足立高校校長に就任する。その後、都立日比谷高校校長となり、1993年~1997年まで全国高等学校体育連盟会長を兼務した。退任後は警視庁教育参与を務めるなど要職を歴任した。 また、松崎陽平名義の小説『狂いだすのは三月』で1977年第14回文藝賞を受賞した。
本田 威志(ほんだ たけし、1937年8月20日 - 201… 本田 威志(ほんだ たけし、1937年8月20日 - 2010年7月27日)は、日本の元プロ野球選手(内野手)。愛知県岡崎市出身。
筈見 有弘(はずみ ありひろ、1937年8月20日 - 19… 筈見 有弘(はずみ ありひろ、1937年8月20日 - 1997年6月14日)は、日本の映画評論家である。本名は松本有弘。 父は映画評論家の筈見恒夫で、筆名は父の筆名にちなむ。妻も映画評論家の渡辺祥子。 東京都新宿区生まれ。1960年、慶應義塾大学文学部仏文学科卒業。大学時代は演劇に熱中し、毒蝮三太夫・影万里江らと劇団山王を創立。 卒業後、イタリフィルム(のち、東京第一フィルム)、日本ヘラルド映画の宣伝部を経て、1975年からフリーの映画評論家。1977年に創刊された『映画宝庫』の責任編集を石上三登志、増淵健らとともに担当。日本大学芸術学部講師も務めた。 1993年、妻と共同監修した著書『映画・ビデオ・テレビ外国俳優大事典』の刊行により淀川長治賞を受賞。
平瀬 誠一(ひらせ せいいち、1937年8月20日 - 20… 平瀬 誠一(ひらせ せいいち、1937年8月20日 - 2021年10月4日)は、日本の小説家。雑誌『民主文学』の編集長をつとめた。 早稲田大学卒業後、東京都内の私立学校に勤務しながら小説を書く。その過程で、組合運動に参加、解雇撤回闘争をたたかい、復職をかちとった。作品の中には、その体験を作品化したものもある。 1982年、『光の中に歩みいでよ』で、日本共産党創立60周年記念文芸作品の長編小説部門に入賞し、本格的な執筆活動にはいる。私学の職場に取材した作品が多い。2000年には、『鳥たちの影』で多喜二・百合子賞を受賞した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
水田 宗子(みずた のりこ、1937年8月19日 - )は、… 水田 宗子(みずた のりこ、1937年8月19日 - )は、日本の比較文学者、詩人。学校法人城西大学理事長や理事を歴任したが、不適切な支出で理事長を2016年に辞任し、理事を2017年9月に解任された。 東京府東京市大森区生まれ。父は城西大学創立者で大蔵大臣の水田三喜男。第二次世界大戦時に父の故郷千葉県安房郡曽呂村と勝山町で疎開する。 雙葉小学校、雙葉中学校、高等学校を経て、東京女子大学文理学部英米文学科を卒業後、1970年にイェール大学大学院で博士(アメリカ文学)。1970年からメリー・マウント大学、スクリップス大学英文学部で助教授として現代英米文学、批評理論などを担当し、1974年から南カリフォルニア大学で比較文学部助教授、準教授を務め、アメリカ文学、日欧米比較文学、フェミニズム批評理論などを講義した。
下山田 裕彦(しもやまだ やすひこ、1937年8月19日- … 下山田 裕彦(しもやまだ やすひこ、1937年8月19日- )は、日本の教育学者。静岡大学名誉教授。 国際基督教大学教育学科卒、東京教育大学大学院博士課程満期退学、白梅学園短期大学講師、1973年静岡大学教育学部助教授、1982年教授、静岡大学教育学部附属養護学校長、国立音楽大学教授。