大宮 信光(おおみや のぶみつ、1938年8月10日- )は… 大宮 信光(おおみや のぶみつ、1938年8月10日- )は、日本の科学ジャーナリスト、SFファン活動家。 東京神田生まれ。東京教育大学(中退)在学中から家庭教師、塾経営をはじめる。 1967年にSF同人誌『宇宙塵』に参加。SFファン時代の1967年、ハインラインの『宇宙の戦士』が翻訳され、石川喬司の否定的なレビューにより『SFマガジン』誌上で論争となった際、論争に参加しており、のちの石川の著書『SFの時代』で投稿が紹介されている。 1968年から石原藤夫、柴野拓美らと「SFファン科学勉強会」(SFフ科会)を結成して活動。のちに草場純、志水一夫、鹿野司らもメンバーとなる。 1979年頃からSF乱学者を名乗る(「蘭学者」のもじり)。
猪木 快守(いのき よしもり、1938年8月6日 - 201… 猪木 快守(いのき よしもり、1938年8月6日 - 2011年3月23日)は、日本の実業家、政治活動家(初代・第4代スポーツ平和党代表)、テノール歌手(芸名:パブロ猪木)。 兄弟には相良寿一(松涛流空手道師範、伯オリンピック委員)、アントニオ猪木(元プロレスラー、新日本プロレス創始者、本名:猪木寛至)らがいる。 神奈川県横浜市鶴見区出身。1958年に一家でブラジルに移住し、コーヒー豆、落花生農家、牧場を営んでいた。現地で崇教真光に入信。 アントン・ハイセル事業を推進する傍ら、フィデル・カストロ、アルベルト・フジモリ、サッダーム・フセインら各国の指導者にネットワークを広げた。 1989年の第15回参議院議員通常選挙に際し、弟のアントニオ猪木が結党したスポーツ平和党に参画。
和田 周(わだ しゅう、1938年8月6日 - )は、日本の… 和田 周(わだ しゅう、1938年8月6日 - )は、日本の俳優、声優、劇作家。演劇組織「夜の樹」主宰。現代制作舎所属。
西川 善文(にしかわ よしふみ、1938年〈昭和13年〉8月… 西川 善文(にしかわ よしふみ、1938年〈昭和13年〉8月3日 - 2020年〈令和2年〉9月11日)は、日本の実業家。「ザ・ラストバンカー」の異名をとった。 住友銀行頭取(1997年 - 2001年)、三井住友銀行頭取(初代、2001年 - 2005年)、三井住友フィナンシャルグループ代表取締役社長(初代、2002年 - 2005年)を歴任し、全国銀行協会会長を二度にわたって務めた(2000年、2004年)。三井住友銀行のトップを退いた後、郵政民営化を推進する小泉純一郎首相の要請を受けて日本郵政社長(初代、2006年 - 2009年)、日本郵政公社総裁(2007年4月 - 同年9月)を務めた。
須田 開代子(すだ かよこ、1938年〈昭和13年〉8月2日… 須田 開代子(すだ かよこ、1938年〈昭和13年〉8月2日 - 1995年〈平成7年〉11月20日)は、日本のプロボウリング選手。東京都出身。 ライセンスナンバー1の女子第1期生。日本国内初の女子プロボウラーとしても知られる。通算タイトル43勝。永久シード権者。永久A級ライセンス取得者第1号。川崎スターレーン→日本ブランズウィック社所属。ジャパンレディースボウリングクラブ(JLBC)初代代表。JPBA日本プロボウリング協会元副会長。 東京都中野区で次女として生まれる。物心ついたときにはすでに父が亡くなっており、母が賄い婦として夜遅くまで働いて女手一つで一家の生活を支えていた。それでも生活は貧しく、たまに早く帰宅した母は一人晩酌をしながら「並みの人間じゃダメなんだよ開代子、並みの人間じゃ私みたいに一生苦労するよ」とよく説いていた。
井尻 千男(いじり かずお、1938年8月2日 - 2015… 井尻 千男(いじり かずお、1938年8月2日 - 2015年6月3日)は、日本の評論家、コラムニスト。拓殖大学名誉教授、拓殖大学日本文化研究所顧問(前所長)。新しい歴史教科書をつくる会顧問。 山梨県出身。立教大学文学部日本文学科卒業後、日本経済新聞社入社。文化部に勤務し、読書面のコラム『とじ糸』 『活字のうちそと』などのコラムを25年間執筆し、コラムニストとして活動。 1982年7月、月刊誌『Voice』誌上において、佐々木敦というペンネームでコラム「ベストセラー最前線」の執筆を開始。連載は1991年3月に『流行の言説・不易の思想―ベストセラー書評社会学』、1996年4月に『読書の醍醐味―ベストセラーで読み解く世紀末』としてまとめられている。
長尾 龍一(ながお りゅういち、1938年8月2日 - )は… 長尾 龍一(ながお りゅういち、1938年8月2日 - )は、日本の法学者。東京大学名誉教授。専門は法哲学・政治思想史・憲法思想史。
丹羽 勝海(にわ かつうみ、1938年(昭和13年)8月2日… 丹羽 勝海(にわ かつうみ、1938年(昭和13年)8月2日 - 2019年(平成31年)1月29日)は、日本のテノール歌手。レオ・やまもとの名義でカウンターテナーとしても活動していた。 日本大学芸術学部音楽学科元主任教授。日本声楽発声学会元理事長(1989年から2000年まで)。優秀外国映画輸入配給賞審査員、アメリカ歌曲研究会名誉会員、芸研連オブザーバー、COMET会員、二期会会員、NATS会員。 1938年、神奈川県横浜市に生まれる。芝高等学校を卒業後、東京芸術大学に入学する。東京芸術大学では、磯谷威、古沢淑子、中山悌一、ロドルフォ・リッチに師事。1961年、東京芸術大学音楽学部を卒業。1961年から1966年にかけてアメリカに留学し、UCLA大学院、ジュリアード音楽院でヤン・ポッパー、ロッテ・レーマン、ジェニー・トゥーレルに師事する。
佐藤 好夫(さとう よしお、1938年8月1日 - )は、宮… 佐藤 好夫(さとう よしお、1938年8月1日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。 東北高校から1958年に西鉄ライオンズへ入団。58年は11試合出場するも全て偵察要員での出場だった。 1959年に1軍初登板するも同年に退団した。
吉原 健一郎(よしはら けんいちろう、1938年8月1日 -… 吉原 健一郎(よしはら けんいちろう、1938年8月1日 - 2012年3月22日)は、日本の歴史学者。成城大学名誉教授。専門は日本近世史、文化史。 1938年に東京府で出生する。1967年に東京教育大学大学院文学研究科日本史学専攻修士課程を修了。東京都公文書館主任調査員を経て、成城大学文芸学部文化史学科教授に就任する。江戸時代を中心に主に近世庶民文化を研究した。2009年に成城大学名誉教授となる。また、成城大学民俗学研究所所長、歴史学会会長を務めたほか、千代田区、港区、墨田区、江東区などの文化財保護審議会委員を歴任した。 2012年3月22日、肺がんのために死去。73歳没。
ユミ・シャロー(Yumi Charraut、1938年8月1… ユミ・シャロー(Yumi Charraut、1938年8月1日 - )は、日本人ファッションデザイナー。出生名は高木弓。 1938年、東京都港区麻布の鳥居坂に生まれる。父は建築家の高木秀寛。祖父は医学者・貴族院議員の高木喜寛。曽祖父は東京慈恵会医科大学を創設した高木兼寛。祖母・シマは有島武郎と有島生馬の妹で、里見弴の姉。学習院幼稚園、田園調布雙葉小学校、田園調布雙葉中学校・高等学校を経て、女子美術大学油絵科に進学。大学在学中から既にセツ・モードセミナーで学び、当時より「装苑」のスタイル画の仕事をする。 1967年、パリに渡り、高田賢三らと活躍。フリーで「ELLE」「ジャルダン・デ・モード」のデザイン活動やファッション・ジャーナリストとして活躍後、デザイン会社レラシオン・テキスタイルに入社。
ジャッキー吉川(ジャッキー よしかわ、1938年8月1日 -… ジャッキー吉川(ジャッキー よしかわ、1938年8月1日 - 2020年4月20日)は、ジャッキー吉川とブルー・コメッツのメンバーでドラムを担当。東京都出身。 本名は板岡公一(いたおか こういち)。ジャッキーの由来はジャッキのように力強い腕が由来。 小中学校時代を八王子市で過ごした。その後、法政大学第一中・高等学校(現:法政大学中学高等学校)を経て、法政大学経済学部に入学。高校時代、ジーン・クルーパへの憧れから独学でドラムを始める。最初は歌手希望であったが、高校2年の時、法政の先輩でブルー・コメッツのリーダーだった大橋道二(後に大橋プロを設立)の紹介で同バンドのバンドボーイとなった。 高校3年の時に母が癌で亡くなり(父も7年後に亡くなる)、間もなくそれまでのアルバイトから本業としてバンドボーイ兼ドラマー扱いでメンバーの一員となるが程無くして一時的にバンドを離れ、新宿のキャバレー専属バンドへ参加、しかし相変わらずの貧乏生活に加え、バンドの女性歌手からドラミングを酷評されたことをきっかけにブルー・コメッツへ戻り、再びバンドボーイをこなしながらドラムの演奏技術を磨き続けた。
渡辺 豊和(わたなべ とよかず、1938年8月1日 - )は… 渡辺 豊和(わたなべ とよかず、1938年8月1日 - )は日本の建築家。渡辺豊和建築工房主宰。博士(工学)。
中島 順三(なかじま じゅんぞう、1938年8月1日 - 2… 中島 順三(なかじま じゅんぞう、1938年8月1日 - 2022年8月14日)は、日本のアニメーションプロデューサー。東京都墨田区出身。公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団評議員。日本大学芸術学部写真学科卒業。 日本アニメーションには設立から加わり、プロデューサーとして、世界名作劇場を始めとする日本アニメーション作品の製作を行なった。 大学在学中からスチルカメラマンとして新東宝が制作したテレビ映画の宣伝用スチル写真を撮影するアルバイトを行っていた。テレビ映画はフィルムで撮影されたテレビドラマで、映画会社系の制作プロダクションの作品をこう呼んだ。大学を卒業すると、東映の子会社の東映テレビ映画株式会社に契約社員として就職。
鏡味 国彦(かがみ くにひこ、1938年8月 - )は、日本… 鏡味 国彦(かがみ くにひこ、1938年8月 - )は、日本の英文学・比較文学者。学位は、文学博士(立正大学・1987年)(学位論文「ジェイムズ・ジョイスと日本の文壇 -昭和初期を中心として」)。立正大学名誉教授。 名古屋市生まれ。愛知県立昭和高等学校、国際短期大学から立正大学に編入し卒業、1964年立正大学大学院英文科修士課程修了。1968年立正大大学院博士課程単位取得満期退学。立正大助手、助教授、教授、1987年学位論文「ジェイムズ・ジョイスと日本の文壇 -昭和初期を中心として」で立正大学より文学博士の学位を取得。2003年定年退任、名誉教授。
川上 玲子(かわかみ れいこ、1938年〈昭和13年〉8月 … 川上 玲子(かわかみ れいこ、1938年〈昭和13年〉8月 - )は、日本のインテリアデザイナー。実業家。武蔵野美術大学客員教授。元昭和女子大学非常勤講師。 女子美術短期大学卒業。桑沢デザイン研究所卒業。福岡県出身。長女は女優の川上麻衣子。 福岡県出身。1958年(昭和33年)に女子美術短期大学を卒業し、前川国男建築設計事務所で勤務。1959年(昭和34年)にスウェーデン王立工芸学校に留学し、1965年(昭和40年)にはスウェーデン国王・グスタフ6世アドルフに作品が認められる。 帰国後は武蔵野美術大学、昭和女子大学などで非常勤講師を務め、後に武蔵野美術大学の客員教授に就任する。 またテキスタイルアートやインテリアデザインでは岡山県庁、盛岡グランドホテル、横浜市中央図書館、スウェーデン輸入住宅のモデルハウスデザインなどのデザインに携わった。
田中 重弘(たなか しげひろ、1938年7月30日- )は… 田中 重弘(たなか しげひろ、1938年7月30日- )は、日本の文筆家、翻訳家。 和歌山県生まれ。和歌山県立和歌山工業高等学校染織科卒、上智大学文学部哲学科卒。 染色工場を経営したのち1968年からウィーン大学で哲学、文学を学ぶ。1979年からハンガリーのブダペスト在住。
宮城 能鳳(みやぎ のうほう、1938年7月30日 - )は… 宮城 能鳳(みやぎ のうほう、1938年7月30日 - )は、組踊実演家、琉球舞踊実演家。宮城本流鳳乃會家元。本名は德村正吉(とくむら まさきち)。 沖縄県出身。幼少期から琉球古典舞踊を習い、宮城能造(宮城流の流祖)に師事して組踊や琉球舞踊などを習う。1990年より沖縄県立芸術大学教授。現在名誉教授。1995年には宮城本流鳳乃會を設立した。2006年、国の重要無形文化財組踊立方保持者(人間国宝)に認定された。2019年、日本芸術院賞を受賞し、国の文化功労者となった。
千田 隼生(せんだ はやお、1938年7月30日 - 202… 千田 隼生(せんだ はやお、1938年7月30日 - 2020年4月25日)は、日本の俳優である。プロダクション・タンク、劇団銅鑼所属。岩手県出身。 東京学芸大学卒業。劇団民芸に所属していた。 2020年4月25日、肺癌のため死去。81歳没。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
堤 富男(つつみ とみお、1938年〈昭和13年〉7月29日… 堤 富男(つつみ とみお、1938年〈昭和13年〉7月29日 - )は、日本の官僚。通商産業事務次官、中小企業金融公庫総裁 三菱商事特別顧問、世界貿易センター(東京)理事長を歴任。 群馬県前橋市出身。群馬県立前橋高等学校卒業。東京大学法学部第2類(公法コース)卒業後、通商産業省入省(入省時の配属先は繊維局繊政課)。 貿易局長、生活産業局長、立地公害局長を経て、1993年(平成5年)資源エネルギー庁長官、1994年(平成6年)2月産業政策局長、同年12月に通商産業事務次官に就任。1996年(平成8年)に退官。 退官後、1998年(平成10年)に中小企業金融公庫副総裁、1999年(平成11年)から2003年(平成15年)まで中小企業金融公庫総裁を務めた。
浄弘 美津子(じょうぐ みつこ、1938年7月29日 - )… 浄弘 美津子(じょうぐ みつこ、1938年7月29日 - )は、日本の経営者。上新電機社長、会長を務めた。和歌山県出身。 1957年に和歌山県立桐蔭高等学校を卒業し、上新電機に入社。1985年11月に相談役に就任し、1986年5月に相談役を経て、1988年11月には会長に就任。1991年1月には社長も兼任し、1993年6月に相談役に就任。
関 哲夫(せき てつお、1938年(昭和13年)7月29日 … 関 哲夫(せき てつお、1938年(昭和13年)7月29日 - )は、日本の実業家。新日本製鐵副社長や商工組合中央金庫社長を歴任した。 大阪府出身。1963年、大阪大学経済学部卒業後、八幡製鐵(現・新日鐵住金)入社。経理畑を中心に歩み、2000年に新日本製鐵の代表取締役副社長に就任した。日本郵政社外取締役を経て、2008年からは商工組合中央金庫の民営化後初の社長に起用され、2013年退任した。他にサッポロホールディングス、東京金融先物取引所の社外取締役などを歴任した。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
久里 千春(くり ちはる、1938年7月29日 - )は、日… 久里 千春(くり ちはる、1938年7月29日 - )は、日本の歌手、女優。本名は山崎 慈子(旧姓 - 栗原)。東京都墨田区出身。所属事務所はイーグル・ベイ。実弟は「トリオ・ザ・パンチ」で活躍した久里みのる。 共立女子高等学校卒業。ピーギャンヴォイスと称される独特な声で知られた。 元々オペラ歌手を目指しており、藤原義江が主宰する藤原歌劇団の研究科に入団。高校卒業後は劇団青春座、新作座を経て、1958年に20歳で女優としてデビュー。デビュー作は日本テレビのCMガール。以降、映画『渡り鳥シリーズ』『男はつらいよ』やテレビドラマ『あばれはっちゃく』シリーズのほか、毎日放送・東京12チャンネル(現在のテレビ東京)共同制作のワイドショー『ファミリースタジオ230』や中部日本放送の長寿番組『天才クイズ』の初代司会者も務めた。
小笠原 日出男(おがさわら ひでお、1938年(昭和13年)… 小笠原 日出男(おがさわら ひでお、1938年(昭和13年)7月28日 - 2025年(令和7年)10月9日)は、日本の銀行家。三菱東京UFJ銀行名誉顧問、東海銀行頭取、名城大学理事長などを務めた。 高知県高知市出身。東京大学経済学部卒業。1962年に東海銀行入行。営業畑を中心に、企画、融資、資金証券など行内の幅広い分野を経験。1998年頭取に就任し、旧あさひ銀行(現りそな銀行)との統合を模索し、関西地区で強固な経営基盤を持っていた三和銀行をグループに迎え入れることを決めたが、統合の交渉は難航し、最終的にあさひ銀行が離脱。三和銀行との経営統合を実現させ、合併によるUFJ銀行の誕生では、会長を務めた。
鯉江 良二(こいえ りょうじ、1938年7月27日 - 20… 鯉江 良二(こいえ りょうじ、1938年7月27日 - 2020年8月6日)は、日本の陶芸家、現代美術家。愛知県常滑市出身。 14歳のときにアルバイトにより右手指二本の第一関節を失う。「制作に支障はないが、就職では心を傷つけられた。このハンディを背負ったことが、ぼくの今の底力になっている。」と鯉江自身が語る。タイル工場に5年間勤めた後、常滑市立陶芸研究所に入所するが、1966年に退所し独立開窯する。伝統陶芸、前衛陶芸という言葉にこだわらない作風が特徴である。「土に還る」シリーズは、衛生陶器を粉砕したシェルベンという粒状の材料を自らの顔でとった型で押し固め釉薬をかけずに焼成している。反核を題材とした「チェルノブイリシリーズ」等の代表作を持つ。
三平 晴樹(みひら はるき、1938年7月26日 - 201… 三平 晴樹(みひら はるき、1938年7月26日 - 2016年7月25日)は、秋田県出身のプロ野球選手(投手)。 秋田市立土崎中学校卒。秋田商では、エース三浦清(慶大-日本石油-大昭和製紙)の控えにとどまる。1年上に嵯峨健四郎、1年下には佐々木吉郎がいたが、在学中に甲子園には届かなかった。 高校卒業後は、社会人野球の日本鉱業日立に入団。 1957年の産業対抗野球に出場、東洋紡富田から大会新記録となる15三振を奪い一躍注目を浴びる。 1958年に大毎オリオンズに入団。1年目から一軍に上がり6月には先発として起用される。7月12日には近鉄の伊藤四郎と投げ合い初完封勝利を果たした、1960年には初の2桁勝利となる12勝を挙げ、チームのリーグ優勝に貢献、規定投球回(防御率リーグ10位)にも達する。
岡村 正(おかむら ただし、1938年7月26日 - )は、… 岡村 正(おかむら ただし、1938年7月26日 - )は、日本の経営者・財界人。東芝名誉顧問、日本商工会議所名誉会頭、NPO法人日本防災士機構評議員などを務めている。父は元陸軍大佐で孫子研究家の岡村誠之。兄は元警視庁副総監の岡村健。 東京都立戸山高等学校から東京大学に進学。大学ではラグビー部、斎藤眞ゼミにそれぞれ所属した。1962年に東京大学法学部を卒業し、東京芝浦電気(現:東芝)に入社。1973年にウィスコンシン大学経営学修士課程を修了。1994年に取締役(情報処理・制御システム事業本部長)、1996年に常務取締役となった。 2000年6月に東芝社長に就任し、肥大化して脆弱になった東芝グループの事業再編を進め、経営体質の強化を進めた。
中尾 正(なかお ただし、1938年7月26日 - )は、日… 中尾 正(なかお ただし、1938年7月26日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンターに所属した調教師。主な管理馬に、それぞれGI級競走に優勝したイブキマイカグラ、ビッグテースト、ビッグウルフなどがいる。 中尾秀正(調教師)は実子、中尾謙太郎(調教師)、中尾銑治(騎手・調教師)は実兄、宮本悳(騎手・調教師)は義兄である。京都府出身、平安高等学校卒。 1938年、京都競馬場で厩務員を務める中尾嘉蔵の三男として生まれる。 長兄・謙太郎、次兄・銑治がそれぞれ厩務員、騎手見習いとして競馬界に入ったのに対し、正は父より一般企業に入ることを望まれ、私立平安高等学校に進学した。一方で、この頃から謙太郎が所属していた武田文吾厩舎でアルバイトの厩務員として勤務を始めた。
永竹 由幸(ながたけ よしゆき、1938年7月26日 - 2… 永竹 由幸(ながたけ よしゆき、1938年7月26日 - 2012年5月9日)は、オペラ研究家、評論家、昭和音楽大学教授。 東京都中央区築地生まれ。慶應義塾中等部の頃から歌舞伎を観るほか、藤原歌劇団の練習所に通い詰める。慶應義塾高等学校演劇部に在籍し、市川猿之助作「宝島」の作曲を担当、猿之助と共に白木劇場の舞台に立つ。慶應義塾大学ではオペラ研究会を創立、慶應義塾創立100年記念に若杉弘指揮、メノッティの「電話」を演出。1961年慶應義塾大学商学部を卒業、三井物産に入社、1965年同社イタリア修業生としてボローニャ大学に留学。その後二回にわたり計11年、同社ミラノ店に勤務し、1988年退社。ANFコーポレーション、サウンド・バンク社長を歴任し、1996年退任。
福部 信敏(ふくべ のぶとし、1938年7月26日 - 20… 福部 信敏(ふくべ のぶとし、1938年7月26日 - 2006年11月1日)は、日本のギリシア美術史研究者。 横浜生まれ。1963年東京教育大学卒業、同大専攻科入学、1965年早稲田大学大学院入学、72年博士課程満期退学、跡見学園女子大学講師、助教授をへて、80年教授、1990―92年副学長を務める。2000年東京芸術大学教授、2006年退職。
浜田 康敬(はまだ やすゆき、1938年7月25日 - 20… 浜田 康敬(はまだ やすゆき、1938年7月25日 - 2025年11月16日)は、日本の歌人。短歌結社には無所属。日常の閉塞感・倦怠感を、皮肉とユーモアを交えて詠み上げた作品は、塚本邦雄らに高く評価されている。 北海道釧路市にて、真言宗の僧侶の次男として生まれる。6歳で母と死別し、父は気落ちして郷里の高知県に帰り、48歳の若さで死去。兄とともに神奈川県の母の実家に引き取られた。姉の影響で作歌を始め、相模原市の印刷所の文選工として働きながら、「童牛」「相模野」などの結社に所属した。神奈川県立湘南高等学校定時制に通っていたとき、昼間部の教師が「心の花」会員であり、学校新聞の投稿作を見ていたその教師の勧めで、1961年度の角川短歌賞に応募。
川合 隆男(かわい たかお、1938年7月25日 - )は、… 川合 隆男(かわい たかお、1938年7月25日 - )は、日本の社会学者、慶應義塾大学名誉教授。社会学博士(慶應義塾大学・1975年)(学位論文「社会的成層の研究」)。社会調査に関する史的研究や近代日本社会学史研究を行う。山形県上山市生まれ。 1957年山形県立山形工業高等学校(建築科)卒業。1961年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1966年、慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。1964年慶應義塾大学法学部助手、1967年同専任講師、1970年同助教授。同年から1年間プリンストン大学に学ぶ。1975年社会学博士(慶應義塾大学)。1977年同教授。2004年定年退職、名誉教授。
沖藤 典子(おきふじ のりこ、1938年7月24日 - )は… 沖藤 典子(おきふじ のりこ、1938年7月24日 - )は、日本のノンフィクション作家。 北海道室蘭市生まれ、池田町育ち。北海道池田高等学校、北海道大学文学部卒業。1961年に日本リサーチセンター調査研究部に入社。第二企画室長を経て1976年に退職する。1979年初の単著『女が職場を去る日』を上梓して注目され、同年ドラマ化もされた。 以後、介護問題、人生行路全般について著書多数。合田一道らとともに北海道ノンフィクション集団にて活動した。
林 紘義(はやし ひろよし、1938年7月24日 - 202… 林 紘義(はやし ひろよし、1938年7月24日 - 2021年2月10日)は、日本の政治活動家、経済学研究家。社会主義労働者党委員長、マルクス主義同志会代表を経て、労働の解放をめざす労働者党(略称・労働者党)代表委員。旧組織名・栗木伸一。 元東京女子大学教授・林道義の弟。保守派・反フェミニズムとなった兄については厳しい批判を展開している。 長野県出身。父が教師だっため転居を繰り返す。長野県伊那北高等学校卒業後、東京大学文学部入学。青木昌彦に勧誘され、19歳の時に日本共産党に入党するが半年で離党。離党理由については「お粗末な実態に愛想をつかした」と述べている。その後共産主義者同盟の一員として60年安保闘争に参加。
山口 寿一(やまぐち じゅいち、1938年7月24日 - … 山口 寿一(やまぐち じゅいち、1938年7月24日 - )は、日本の経営者。紀陽銀行頭取を務めた。 和歌山県出身。1961年に同志社大学商学部を卒業し、同年に住友銀行に入行した。1971年5月に紀陽銀行に転じ、取締役に就任し、1979年6月に常務、1981年4月に専務を経て、1990年6月に頭取に就任。1993年10月に頭取を辞任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
勝又 浩(かつまた ひろし、1938年7月24日 - )は、… 勝又 浩(かつまた ひろし、1938年7月24日 - )は、日本の文学者、文芸評論家。法政大学文学部名誉教授。 神奈川県生まれ。法政大学文学部卒業。学部生時代に「山月記」を読んだことがきっかけで中島敦の研究に取り組み始める。卒論指導教官の小田切秀雄の薦めで大学院に進学し、研究者となる。「我を求めて―中島敦による私小説論の試み」で、1974年に群像新人文学賞評論部門を受賞する。2004年、『中島敦の遍歴』でやまなし文学賞を受賞する。法政大学文学部日本文学科教授を務め、『私小説研究』を刊行、2009年3月に退職し、名誉教授となる。 2016年、『私小説千年史 日記文学から近代文学まで』(勉誠出版)により第28回和辻哲郎文化賞(一般部門)を受賞する。
楡木 満生(にれぎ みつき、1938年7月23日 - 201… 楡木 満生(にれぎ みつき、1938年7月23日 - 2012年10月11日)は、日本の臨床心理学者。臨床心理士・上級産業カウンセラー・日本カウンセリング学会認定カウンセラー/スーパーバイザー。医学博士(自治医科大学)。栃木県生まれ。立正大学心理学部教授を経て、同大学名誉教授。専攻は発達臨床心理学。
ミッキー・カーチス(Mickey Curtis、1938年7… ミッキー・カーチス(Mickey Curtis、1938年7月23日 - )は、イギリス系日本人のロック・ミュージシャン。 ロック歌手、音楽プロデューサー、ハーモニカ奏者、俳優でもある。 東京府東京市赤坂区(現在の東京都港区)出身。 出生名はマイケル・ブライアン・カーチス(Michael Brian Curtis)、帰化後の本名は加千須 ブライアン(かちす ぶらいあん)。 作詞家としては川路 美樹(かわじ みき)、レーサーとしてはブライアン・カーチス、落語家としてはミッキー亭 カーチス、華道家としては加千須 岩水(かちす がんすい)を名乗る。主演作品である『ロボジー』出演時に使用した五十嵐 信次郎(いがらし しんじろう)は、出生名が英語であり、また、ハーフであることから戦時中に非国民とされ、いじめを受け、日本語の名前と日本人に憧れて子供の頃に作ったもの。
三船 忠志(みふね ただし、1938年7月23日 - )は、… 三船 忠志(みふね ただし、1938年7月23日 - )は、日本の機械工学者。大阪工業大学工学部機械工学科元教授、工学博士(大阪大学)。大阪工業大学校友会参与。 専門は、機械力学・材料力学・構造工学、機械計測工学。 1963年大阪工業大学工学部機械工学科(「計測研究室」; 増尾竜一研究室)卒業。同大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了。のちに、大阪大学大学院にて工学博士号を取得。大阪工業大学工学部機械工学科助手・講師・助教授などを経て、同学科教授。大阪工業大学校友会参与。 30年近くの長きに渡り大阪工業大学機械工学科にて教鞭を執り、特に高専(奈良工業高等専門学校、阿南工業高等専門学校)との共同研究など高大連携に貢献した。
浜田 光正(はまだ みつまさ、1938年7月23日 - )は… 浜田 光正(はまだ みつまさ、1938年7月23日 - )は、日本の騎手(国営競馬、日本中央競馬会)、調教助手(日本中央競馬会)、調教師(日本中央競馬会)。 2009年に定年のため引退し、2012年現在は競馬評論家。栗東トレーニングセンター所属であった。 JRAにおける表記では浜田となっているが、濱田が正しい。 東京都荒川区の千住大橋付近で生まれる。競馬との出会いは1951年の東京優駿(日本ダービー)を父の友人である馬主に招待され観戦したことによるという。トキノミノルが優勝したこのレースを見たことをきっかけに騎手を目指すようになり、その馬主の紹介で18歳のときに騎手見習いとなった。 1957年3月1日に騎手免許を取得し、東京競馬場の内藤潔厩舎所属でデビューした。
布垣 豊(ぬのがき ゆたか、1938年7月22日 - 202… 布垣 豊(ぬのがき ゆたか、1938年7月22日 - 2021年1月12日)は、日本の経営者。京都中央信用金庫理事長を務めた。 京都府京都市出身。立命館中学校・高等学校を経て、1961年に立命館大学法学部を卒業。両親や親戚が京都中央信用金庫の原型である京都市中央市場組合で働いていたこともあり、同年に京都中央信用金庫に入社した。1989年に理事に就任し、1997年に副理事長を経て、2002年6月に理事長に就任。理事長就任の半年後に、京都中央信用金庫立てこもり事件を経験した。2015年11月に会長を経て、2018年6月には名誉会長に就任。 2021年1月12日に死去。79歳没。
山本 一義(やまもと かずよし、1938年7月22日 - 2… 山本 一義(やまもと かずよし、1938年7月22日 - 2016年9月17日)は、広島県広島市出身のプロ野球選手(外野手)・監督、野球評論家。
福田 雅章(ふくだ まさあき、1938年7月22日 - )は… 福田 雅章(ふくだ まさあき、1938年7月22日 - )は、日本の法学者、弁護士。専門は犯罪学、刑事政策。一橋大学名誉教授。
第24代 田部 長右衛門(たなべ ちょうえもん、1938年(… 第24代 田部 長右衛門(たなべ ちょうえもん、1938年(昭和13年)7月22日 - 1999年(平成11年)11月7日)は、日本の実業家。「たたら御三家」田部家の第24代当主で、株式会社田部代表取締役社長、山隂中央テレビジヨン放送株式会社代表取締役社長、有限会社松陽印刷所代表取締役社長、日新林業株式会社代表取締役社長を歴任した。出生名は田部 智久(たなべ ともひさ)。位階は従四位。勲二等瑞宝章。 父は島根県知事を務めた第23代田部長右衛門朋之。 島根県飯石郡吉田村(現・雲南市)出身。父の知事就任に伴い、慶應義塾大学学生の身分でいくつかの企業の社長に就任した。 1967年(昭和42年)のUHF開放時、島根をカバーしていたテレビ局は、鳥取県米子市に本社を置くVHFの山陰放送(BSS)だけだった。
川地 民夫(かわち たみお、1938年〈昭和13年〉7月21… 川地 民夫(かわち たみお、1938年〈昭和13年〉7月21日 - 2018年〈平成30年〉2月10日)は、日本の俳優。神奈川県逗子市出身。本名は河地猛。 1938年、神奈川県逗子市に生まれる。逗子開成高等学校卒業、関東学院大学工学部中退。 大学1年の頃に逗子の家の隣に石原裕次郎が住んでいたのが縁で裕次郎の勧めもあり日活に入社する。1958年、『陽のあたる坂道』でデビュー。小林旭、沢本忠雄と「三悪トリオ」として売り出し、アクション物、青春物に次々と主演する。その後、脇役に転じてから独特の個性に磨きがかかり、特に1963年の『野獣の青春』以来、鈴木清順監督に重用された。 日活退社後は、東映への出演が多く、特に1971年から9本作られた『まむしの兄弟』シリーズで見せたユーモラスな演技は、大いに人気を博した。
則定 衛(のりさだ まもる、1938年7月21日 - )は、… 則定 衛(のりさだ まもる、1938年7月21日 - )は、日本の元検察官、弁護士。大阪府出身。 1999年、月刊誌「噂の眞相」5月号が「高検検事長が愛人ホステスを公費出張に同伴し偽名で宿泊、愛人と別れる際には慰謝料をパチンコ業者に肩代わりさせた」という女性スキャンダルをスクープとして報道し、朝日新聞が同年4月9日付でこれを引用する形で一面トップ記事としたことから主要新聞、スポーツ紙、週刊誌も大々的にこの問題を報じ、混乱の責任をとらされる形で辞任に追い込まれた。女性スキャンダルがここまで大きくなった背景には、時の法相・中村正三郎が指揮権を発動しようとするなど権力の私的行使により辞職するなど法務省・捜査当局に対する世間の厳しい風当たりや、ゴシップ誌の「噂の真相」を新聞が引用する形で一面記事にするという極めて異例な報道展開であったことも一因にある。
田村 滋美(たむら しげみ、1938年7月20日 - )は、… 田村 滋美(たむら しげみ、1938年7月20日 - )は、公益財団法人東電記念財団理事長。東京電力会長(2002年-2008年)、東京電力自然学校校長、ビューティフル・エージング協会理事長、産業創造研究所理事長などを歴任した。 岡山県出身。岡山県立岡山朝日高等学校、東北大学工学部卒業。東北大学時代に1960年ローマオリンピックのボート競技(エイト)に出場した経験を持つ。2002年、東京電力原発トラブル隠し事件で退任した経営陣の後を受けて会長に就任、2008年まで務めた。 三菱重工業長崎造船所の世界最大級の容量を誇る液化天然ガス運搬船「アルト アクルクス」を命名した人物でもある。
三宅 興子(みやけ おきこ、1938年7月20日- 2022… 三宅 興子(みやけ おきこ、1938年7月20日- 2022年10月21日)は、日本の英国児童文学研究者、梅花女子大学名誉教授。大阪生まれ。 大阪市立大学大学院修士課程修了。大谷女子短期大学講師、梅花女子大学教授、2007年定年、名誉教授。絵本学会会長などを歴任。一般財団法人大阪国際児童文学振興財団の設立に関わり2010~2015年に理事長、その後は特別顧問を務めた。 1983年『児童文学はじめの一歩』(共著)で日本児童文学学会賞奨励賞受賞。1996年『イギリスの絵本の歴史』で日本児童文学学会賞受賞。2019年国際グリム賞受賞。 2022年10月21日、悪性リンパ腫のため死去。84歳没。
尾崎 洋二(おさき ようじ、1938年7月20日 - )は、… 尾崎 洋二(おさき ようじ、1938年7月20日 - )は、日本の天文学者。専門は恒星物理学。学位は、理学博士。東京大学名誉教授。海野和三郎に師事。 愛知県出身。1961年、東京大学理学部物理学科卒業。1964年東京大学大学院数物系研究科天文学専攻博士課程中退。 1964年東京大学理学部天文学科助手、のち助教授を経て、1985年東京大学教授。 この間コロンビア大学、コロラド大学、ニース天文台、マックス・プランク天体物理研究所の研究員として海外生活を送った。1999年に退官、長崎大学教育学部教授に就任。 京都大学基礎物理学研究所教授の嶺重慎は尾崎の弟子にあたる。 南山大学教授の尾崎俊治(工学博士)は実弟である。
坂田 貞二(さかた ていじ、1938年7月20日 - )は、… 坂田 貞二(さかた ていじ、1938年7月20日 - )は、ヒンディー語・文学者、拓殖大学名誉教授。 1938年、東京で生まれた。東京外国語大学インド・パーキスターン語学科で学び、1963年に卒業。1963年から1965年まで、バナーラス・ヒンドゥー大学(英語版)に留学。 1974年、拓殖大学専任講師に就いた。1976年に助教授、1983年に教授昇格。2001年、デリー大学客員教授として在外研究。2009年に拓殖大学を定年退職し、名誉教授となった。 専門はインドの文学で、ヒンディー語地域で方言調査、民話採録、宗教行事の観察などを進めた。民話や昔ばなしの翻訳も多く、親しまれている。