村田 宏雄(むらた ひろお、1919年(大正8年)4月9日 … 村田 宏雄(むらた ひろお、1919年(大正8年)4月9日 - 2002年(平成14年)11月)は、日本の社会心理学者。 東洋大学社会学部教授を経て、同大学名誉教授。 大阪府生まれ。1943年東京帝国大学文学部社会学科卒業、最高裁判所事務官を経て、1959年東洋大学社会学部助教授、1962年教授、1989年定年退任、名誉教授、常磐大学教授。 1995年勲三等瑞宝章受勲。妻のいとこに小林信彦がいる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鄭 喜沢(チョン・ヒテク、朝鮮語: 정희택/鄭喜澤、1919… 鄭 喜沢(チョン・ヒテク、朝鮮語: 정희택/鄭喜澤、1919年4月8日 - 2000年2月10日)は、大韓民国の政治家、検察官、弁護士。第11代韓国国会議員、第10代監査院長。 本貫は延日鄭氏(朝鮮語版)。資産家の鄭雲漢は父、第4代国会議員の鄭南沢は兄、1950年の第2代総選挙に出馬した実業家の鄭春沢も兄弟である。 日本統治時代の慶尚北道高霊郡高霊面出身。1942年に中央大学法学部卒、米国コロンビア大学にて国際法修学、日本高等文官試験司法科合格。1946年以降は司法部監察官、ソウル地方検察庁検事・部長検事、大邱地方検察庁次長検事、釜山地方検察庁次長検事、大邱高等検察庁次長検事、ソウル高等検察庁次長検事、大検察庁(朝鮮語版)検事、中央捜査局長、連合情報委員会議長、統一主体国民会議運営委員(1972年〜1980年)、第5共和国憲法改正審議委員会委員、国家保衛立法会議法制司法委員長、民主正義党結党発起人、第11代国会議員、第10代監査院長(1982年9月21日〜1984年4月7日)、放送委員会委員長(1984年〜1986年)、言論仲裁委員会委員長(1986年〜1993年)を歴任した。
服部 謙太郎(はっとり けんたろう、1919年 <大正8年>… 服部 謙太郎(はっとり けんたろう、1919年 <大正8年> 4月6日 - 1987年 <昭和62年> 9月1日)は、日本の経営者。服部時計店(現・セイコーグループ)の第4代社長・会長を務めた。位階は正四位。 東京都出身。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾大学予科を経て、1940年に慶應義塾大学経済学部を卒業。 終戦後の1946年4月、京都帝国大学文学部に入学。1949年に京都大学文学部国史学科卒業。卒業後、日本中世史の研究を継続するために京大3年次から東京に戻り、通い続けてきた東大史料編纂所への入所を希望したが、採用者がなく、紆余曲折の末に1950年、母校の慶大経済学部副手に採用。1951年、同経済学部助教授に昇格するも、翌1952年度限りで辞職した。
高木 文雄(たかぎ ふみお、1919年(大正8年)4月6日 … 高木 文雄(たかぎ ふみお、1919年(大正8年)4月6日 - 2006年(平成18年)2月14日)は日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、弁護士、日本国有鉄道(国鉄、現JR)総裁等を歴任した。位階勲等は従三位勲一等。 大阪国税局長在任中の1968年1月31日、部落解放同盟中央本部と7項目の密約を結ぶ。大阪府同和建設協会(同建協)加盟業者など同和地区出身業者が提出する税務申告書は無審査で通すという内容であり、これ以降、部落解放同盟傘下企業は国税庁黙認のもとに脱税する特権を得たとされる。いわゆる同和利権問題の起源の一つである。 官僚時代は、官界の頂点とされる大蔵事務次官をつとめたが、人事慣行では主計局長から昇格するところを、高木は主税局長から昇格している。
中田 易直(なかだ やすなお、1919年4月6日 - 201… 中田 易直(なかだ やすなお、1919年4月6日 - 2015年1月21日)は、日本の歴史学者。学位は、文学博士(國學院大學・論文博士・1985年)(学位論文「近世対外関係史の研究」)。中央大学名誉教授。日本近世史専攻。特に近世経済史・近世対外関係史を専門とする。米国初期日本占領政策の研究も行った。 秋田県仙北郡角館町(現仙北市)生まれ。本籍は大館町(現大館市)。1943年東京帝国大学文学部国史学科を卒業。中村孝也、辻善之助、坂本太郎に師事する。中村孝也『徳川家康文書の研究』編纂に尽力した。1985年「近世対外関係史の研究」で國學院大学より文学博士の学位を取得。 1945年文部省国史編修院編修官補となり、その後、文部省科学局科学官補として文部省史料館の設立の事務に携わる。
野村 武史(のむら たけし、1919年4月5日 - 1985… 野村 武史(のむら たけし、1919年4月5日 - 1985年1月29日)は、岐阜県出身のプロ野球選手(投手)。
神前 五郎(こうさき ごろう、1919年(大正8年)4月5日… 神前 五郎(こうさき ごろう、1919年(大正8年)4月5日 - 2015年(平成27年)3月22日)は、日本の外科医、元大阪大学教授。 千葉県出身。大阪帝国大学医学部出身の外科医で、専門は癌、血栓止血学。阪大医学部第二外科教授、後に日本外科学会会長、定年退官後は東京都立駒込病院の院長をつとめた。山崎豊子『白い巨塔』の財前五郎のモデルとされるが、山崎が主治医であった神前の名前と地位を借りたのみで、直接的なモデルではないとされる。孫に作曲家・編曲家の神前暁がいる。2013年、「がんもどき」理論を提唱する近藤誠に反論し、『週刊朝日』誌上で直接討論を行った。2015年3月22日 肺炎のため95歳で死去した。
原 信太郎(はら のぶたろう、1919年(大正8年)4月4日… 原 信太郎(はら のぶたろう、1919年(大正8年)4月4日 - 2014年7月5日)は、日本の実業家、鉄道模型収集家。 日本で初めて旅客車としての地下鉄(東京地下鉄道。現:東京メトロ銀座線)に乗車した乗客第一号の人物としても知られる。長男はアライアンス・フォーラム財団代表理事の原丈人。義父はコクヨ創業者の黒田善太郎。 原正次・千恵の長男として東京都に生まれる。 1940年(昭和15年)慶應義塾高等部、1942年(昭和17年)東京工業大学工学部機械工学科各卒業。1951年(昭和26年)コクヨに入社。同社取締役技術部長、常務開発本部部長兼管理部長、関連会社役員を経て、1983年(昭和58年)専務に就任。
三潴 信邦(みつま のぶくに、1919年4月4日 - 201… 三潴 信邦(みつま のぶくに、1919年4月4日 - 2010年10月2日)は、日本の経済学者。学位は、経済学博士(東北大学・論文博士・1984年)(学位論文「経済統計分類論」)。筑波大学名誉教授。父は法学者で東京帝国大学法学部教授を務めた三潴信三。兄は法学者の三潴信吾。 義兄(姉の夫)は法学者の山田晟。 東京市麻布区生まれ。1943年東北帝国大学法文学部経済科卒。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年(昭和20年)3月、主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 解員(復員)し、1946年東北帝国大学助手、1947年内閣府統計委員会事務局、1949年東京教育大学助教授、1960年教授、1974年筑波大学教授、1983年定年退官、名誉教授、城西大学経済学部教授、1990年退職し招聘教授。
有末 武夫(ありすえ たけお、1919年4月1日 - 202… 有末 武夫(ありすえ たけお、1919年4月1日 - 2020年12月21日)は、日本の地理学者。交通地理学を専門とする。1950年代に日本の交通地理学を発展させ、体系化を進めた人物の1人である。 北海道出身。1946年東京文理科大学地理学科卒。1959年「わが国における旅客交通の地理学的研究」で、理学博士(東京教育大学)の学位を取得。東京文理科大副手、助手、群馬大学教育学部助教授をへて、教授。84年定年退官、名誉教授、上武大学教授を務めた。
永井 厚(ながい あつし、1919年4月1日 - 2006年… 永井 厚(ながい あつし、1919年4月1日 - 2006年11月16日)は、日本の経営者。日立マクセル社長、会長を務めた。 北海道出身。1941年に北海道帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年に日立製作所に入社。1973年11月に取締役に就任し、1977年6月に常務を経て、1979年6月には日立マクセル社長に就任。1989年6月に会長を経て、1993年6月から相談役を務めた。 1989年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2006年11月16日急性心不全のために死去。87歳没。
山口 秀和(やまぐち ひでかず、1919年〈大正8年〉4月1… 山口 秀和(やまぐち ひでかず、1919年〈大正8年〉4月1日 - 2004年〈平成16年〉4月30日)は、日本の社会慈善活動家、朝日新聞社嘱託社員。岩手県出身。 戦災孤児支援を目的として山口児童文化研究所を設立し、その活動は子どもにとどまらず、障がい者や高齢者など社会的弱者へと広がった。サンタクロースの姿で北海道から沖縄まで全国の保育園や福祉施設を巡ったことから、「山口サンタ」の名で親しまれた。 1979年「国際児童年」に、児童福祉の功績により、内閣総理大臣・大平正芳から表彰を受けた。 1919年、4月1日、岩手県岩泉町(母親の実家とされる)に生まれる。幼少期を奥州市前沢区で過ごした後、一関市に移る。
堀 新助(ほり しんすけ、1919年3月31日 - 2013… 堀 新助(ほり しんすけ、1919年3月31日 - 2013年9月28日)は、日本の外交官。イタリア大使などを務め、また、プロ野球のパシフィック・リーグ(パシフィック野球連盟。以下、パ・リーグ)会長も務めた。長男は経営コンサルタントで(株)ドリームインキュベータ会長の堀紘一。
石濱 渉(いしはま わたる、1919年3月31日 - 200… 石濱 渉(いしはま わたる、1919年3月31日 - 2005年2月5日)は、日本の工学者。工学博士(東北大学)。専門は鉱山工学・安全工学。東北大学名誉教授。茨城県下妻市出身。恩師は佐山総平。 北海道大学出身でありながら東北大学教員になった数少ない研究者の1人。クラシック音楽、分けてもモーツァルトを好むという。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
朴 甲東(パク・カプトン、朝鮮語: 박갑동、1919年3月3… 朴 甲東(パク・カプトン、朝鮮語: 박갑동、1919年3月31日 - 没年不詳)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、朝鮮民主主義人民共和国の官僚、ジャーナリスト、日本の実業家、大韓民国の人権活動家。朝鮮民主統一救国戦線常任議長。 日本統治時代の慶尚南道山清郡出身。16歳の時に渡日し、早稲田大学政治経済学部政治学科卒。1941年に帰国し独立運動に参加した。解放日報政治部記者、労力人民編集部長などを務め、1950年4月に南朝鮮労働党地下総責となるも同年6月に朝鮮戦争に非協力だったという理由で解職された。その後、文化宣伝省(現在は廃止)欧州部長を務めるが、1953年に金日成による粛清に巻き込まれ逮捕・監禁されたが、釈放された。
有吉 林之助(ありよし りんのすけ、1919年〔大正8年〕3… 有吉 林之助(ありよし りんのすけ、1919年〔大正8年〕3月31日 - 2008年〔平成20年〕12月1日)は、昭和から平成時代の政治家。福岡県筑紫郡太宰府町長、太宰府市長。 太宰府市出身。ハルピン学院卒業。 1947年(昭和22年)太宰府町議会議員、1971年(昭和46年)助役、1979年(昭和54年)町長、市制施行後、1983年(昭和58年)太宰府市長を歴任し、1987年(昭和62年)引退した。 ほか、古都太宰府を守る会理事長、九州アジア国立博物館を誘致する会会長を務めた。
大村 襄治(おおむら じょうじ、1919年〈大正8年〉3月3… 大村 襄治(おおむら じょうじ、1919年〈大正8年〉3月30日 - 1997年〈平成9年〉12月15日)は、日本の政治家、官僚。衆議院議員(8期、自由民主党)、防衛庁長官(第39代)。父も防衛庁長官を務めた大村清一。 東京府出身。旧制東京高等学校卒業。1940年10月に高等試験行政科合格。1941年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、内務省に入省。土木局属。短期現役海軍主計科士官(6期)を志願し、1941年4月、海軍経理学校に補修学生として入校し海軍主計中尉に任官。同年8月、経理学校を卒業。古鷹に配属。同年11月、南西方面艦隊所属・第3設営班主計長に転じ、ダバオ、ホロ、メナド、アンボン方面で飛行場等の設営に従事。
根本 順吉(ねもと じゅんきち、1919年3月30日 - 2… 根本 順吉(ねもと じゅんきち、1919年3月30日 - 2009年9月22日)は、日本の気象研究家。雅号は迷亭翁。 東京都文京区本郷出身。1941年、中央気象台附属気象技術官養成所(現・気象大学校)卒業。戦時中は海軍軍属として航空気象業務に従事。戦後は気象庁予報課、長期予報課各種予報技術担当「気象百年史」編纂などの後、1975年退官。1963年日本付近の異常低圧に気づき、以後異常気象の解析を行う。1975年『気象百年史』を完成、退官後は啓蒙家として子供向けの著書などを多く執筆した。 1970年~1985年埼玉大学教養学部兼任講師。1981年「十代の会」の発起人の一人として同会創立に参加。 1970-80年に地球寒冷化を予測していたが、その後の温暖化現象について、温室効果ガスを原因とする説をとらず、予測を超えた変化であるといった立場をとった。
崔 泰奎(チェ・テギュ、朝鮮語: 최태규、1919年3月30… 崔 泰奎(チェ・テギュ、朝鮮語: 최태규、1919年3月30日または1923年 - 2009年10月16日)は、大韓民国および朝鮮民主主義人民共和国の政治家、ジャーナリスト。制憲韓国国会議員、最高人民会議代議員(代不明)。 崔 泰圭(読み、ハングル表記同じ)という表記も見られる。 日本統治時代の江原道旌善郡出身。軍花洞公立国民学校を卒業後、専修大学法学部3年時に徴兵のため帰国した。戦災同胞援護会消費組合理事、大韓日報政経部、大東新聞の記者などを務めた後、1948年の初代総選挙に旌善郡選挙区より無所属で出馬し当選した。その後、国会フラクション事件に関与したとして投獄中、1950年6月ごろに北朝鮮に拉致された。
鈴木 重三(すずき じゅうぞう、1919年3月30日 - 2… 鈴木 重三(すずき じゅうぞう、1919年3月30日 - 2010年9月1日)は、日本の近世文学・美術の研究者。白百合女子大学教授を歴任。 東京生まれ。東京帝国大学文学部国文学科卒。国立国会図書館司書監、白百合女子大学教授を歴任。浮世絵研究に始まり、晩年は曲亭馬琴の中期読本を編纂していた。1989年、勲三等瑞宝章を受章。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
齋藤 進六(さいとう しんろく、1919年3月30日 - 1… 齋藤 進六(さいとう しんろく、1919年3月30日 - 1994年11月21日) は、日本の材料科学者。東京工業大学名誉教授。第11代東京工業大学学長。第2代長岡技術科学大学学長。紫綬褒章受章。 栃木県宇都宮市生まれ。1943年、東北帝国大学工学部航空学科卒業。1960年、東京工業大学にて工学博士の学位を取得。 1945年久我山工業専門学校教授。1967年、東京工業大学工学部材料工学科教授。1973年東京工業大学工業材料研究所所長。 1977年東京工業大学学長。1981年東京工業大学より名誉教授の称号を授与される。1982年、紫綬褒章受章。1983年長岡技術科学大学学長。1985年、日本セラミックス協会会長。
古澤 憲吾(ふるさわ けんご、1919年〈大正8年〉3月30… 古澤 憲吾(ふるさわ けんご、1919年〈大正8年〉3月30日 - 1997年〈平成9年〉1月16日)は、日本の映画監督。佐賀県鳥栖市出身。 1943年(昭和18年)、日本大学専門部美学科を卒業し、東宝に入社[要出典]。同年、海軍の航空戦隊に入隊。 1944年(昭和19年)、東宝が陸軍省の至上命令で製作した『加藤隼戦闘隊』(山本嘉次郎監督)に助監督参加。 1945年(昭和20年)、復員後、日大に復学。 1947年(昭和22年)、日大を卒業。 1948年(昭和23年)、東宝の監督部に入社。東宝復帰後は、市川崑、渡辺邦男、松林宗恵、本多猪四郎、稲垣浩、鈴木英夫らの助監督を務めた。 1959年(昭和34年)、『頑張れゴキゲン娘』で監督に昇進する。
後藤 磯吉(ごとう いそきち、1919年3月30日 - 20… 後藤 磯吉(ごとう いそきち、1919年3月30日 - 2011年8月22日)は、兵庫県神戸市出身の実業家。はごろもフーズ元社長。シーチキンの生みの親。静岡県静岡市の名誉市民。 はごろもフーズ代表取締役会長の後藤康雄は、磯吉の次男。社長の後藤佐恵子は、康雄の長女(磯吉の孫)である。 1919年、兵庫県神戸市生まれ。山口高等商業学校経済研究科(現・山口大学経済学部)卒業。はごろもフーズの前身である後藤物産を創業者の先代から引き継ぎ、1947年後藤物産社長に就任。その後、社名を後藤物産缶詰、後藤缶詰、はごろも缶詰に改称。社長を務める。1987年にはごろもフーズに改称して同社長から同会長。2007年同社顧問に就任する。
藤井 和郎(ふじい かずろう、1919年3月29日 - 20… 藤井 和郎(ふじい かずろう、1919年3月29日 - 2012年8月29日)は、日本の経営者。不二家社長、会長を務めた。神奈川県横浜市出身。 1937年に東京府立第一商業学校を卒業し、同年に不二家に入社。1946年に取締役に就任し、1970年に専務を経て、1985年に社長に就任し、1989年には会長に就任。 1994年には勲三等瑞宝章を受章。 2012年8月29日心不全で在任中に死去。93歳没。
高島 隆平(たかしま りゅうへい、1919年(大正8年)3月… 高島 隆平(たかしま りゅうへい、1919年(大正8年)3月28日 - 2014年(平成26年)12月3日)は日本の実業家、元朝日生命保険社長・会長。岐阜県出身。
寺山 義雄(てらやま よしお、1919年3月28日 - 20… 寺山 義雄(てらやま よしお、1919年3月28日 - 2002年10月26日)は、農政ジャーナリスト。 埼玉県大宮市(現さいたま市)出身。1943年早稲田大学政治経済学部卒、同盟通信社に入社、1945年共同通信社、1962年論説委員。79年退社。農政について多くの記事を書き、取材を行った。 2002年10月26日死去。83歳没。
海原 幸夫(かいはら ゆきお、1919年3月26日 - 没年… 海原 幸夫(かいはら ゆきお、1919年3月26日 - 没年不詳)は、日本の録音技師である。戦前の日活京都撮影所、および戦時統合による大映の成立後も引き続き戦後も大映京都撮影所で技師を務めた。 1919年(大正8年)3月26日、京都府京都市に生まれる。 京都市立商工専修学校(現在の京都市立堀川高等学校)を卒業し、1935年(昭和10年)、日活京都撮影所に入社する。録音技師として記録に残るもっとも古い作品は、1937年(昭和12年)6月17日に公開された池田富保監督の『唐人お吉 黒船情話』であり、同作公開時に海原は満18歳であった。同年は、剣戟スター俳優の阪東妻三郎が阪東妻三郎プロダクションを解散、映画監督のマキノ正博(のちのマキノ雅弘)がマキノトーキー製作所を解散し、それぞれ同撮影所に入社した年で、海原は同年末に公開された阪東主演・マキノ監督による正月映画『血煙高田の馬場』の録音技師に抜擢されている。
上野 公夫(うえの きみお、1919年〈大正8年〉3月26日… 上野 公夫(うえの きみお、1919年〈大正8年〉3月26日 - 2007年〈平成19年〉11月17日)は、日本の経営者。中外製薬第2代社長を務めた。位階は従四位。中外製薬創業者上野十蔵の娘婿。公夫の娘婿に永山治(同社第4代社長)、息子に上野幹夫(同社副会長)らがいる。 東京都出身。1941年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に日本銀行に入行。1953年11月に中外製薬に転じ、1955年5月に取締役、1956年11月に専務、1958年6月に副社長を経て、1966年4月に社長に就任。1987年3月に会長に就任し、2000年6月には名誉会長に就任。 1990年10月に勲三等旭日中綬章を受章。 2007年11月17日に肺炎のために死去。
浜野 豊(濱野 豊、はまの ゆたか、1919年〈大正8年〉3… 浜野 豊(濱野 豊、はまの ゆたか、1919年〈大正8年〉3月25日 - 1972年〈昭和47年〉9月7日)は、日本の経営者。 北海道でリゾートホテルグループを経営する株式会社萬世閣(ホテル万世閣)の2代目社長。晩年、父の功績にあやかり、通称「2代目増次郎」を襲名。 薪炭商をしていた父・浜野増次郎の長男として北海道で生まれる。翌年には弟も生まれる。家は薪炭商として商売が軌道に乗りつつある時期で、幼児期は比較的、不自由のない生活をしていた。しかし小学生時代は父が事業に失敗。その後父は精肉店を開業したが、生活はドン底であったと言われる。精肉店時代は同級生と遊ぶ暇もなく、学校から帰宅後、弟と家業を手伝っていた。
福田 正臣(ふくだ まさおみ、1919年3月25日 - 20… 福田 正臣(ふくだ まさおみ、1919年3月25日 - 2012年3月28日 )は、日本の医師、医学者。内科医。医学博士。心筋梗塞研究の権威だった。 鹿児島県の奄美大島名瀬の生まれで、大島郡龍郷町出身。1942年第七高等学校造士館 (旧制)理科卒業。1945年九州帝国大学医学部を卒業して、操坦道教授の第一内科に副手として入局し、1951年九州大学第一医学部内科助手。1952年鹿児島市立病院内科医長に就く。1953年九州大学より医学博士授与。論文の題は「抗痙攣剤の人体脳波に及ぼす影響について」。1955年1月鹿児島大学医学部第一内科助教授に就任。鹿児島大学助教授を長く務めた後、再び鹿児島市立病院に転じて循環器内科部長。
原 二郎(はら じろう、1919年3月25日 - 2000年… 原 二郎(はら じろう、1919年3月25日 - 2000年8月21日)は、日本の哲学研究者。 宮城県亘理郡生まれ。第二高等学校卒、1941年京都帝国大学経済学部卒、大阪商船入社。1942年応召、1944年召集解除、大阪商船退社、宮城県築館中学校嘱託、1949年東北大学法文学部哲学科卒、同大学院中退、東北大学教養部講師、1961年助教授、1965年教授。1982年定年退官、名誉教授となる。没する直前に、師の河野与一の新訂再刊も行った。
高山 廣子(たかやま ひろこ、1919年3月25日 - 没年… 高山 廣子(たかやま ひろこ、1919年3月25日 - 没年不詳)は、日本の女優である。新漢字表記高山 広子、旧芸名仲上 八洲子(なかがみ やすこ)、君千代(きみちよ)、藤原 八洲子(ふじわら やすこ)、のちに高山 裕子とも名乗った。出生名仲上 ヤスエ(なかがみ やすえ)、結婚後本名上田 ヤスエ(うえだ やすえ)。『阿波狸合戦』、『歌ふ狸御殿』等の主演女優として知られる。 1919年(大正8年)3月25日、福岡県嘉穂郡飯塚町(現在の同県飯塚市)に生まれる。 1927年(昭和2年)、子役として、妹の仲上萩江とともに「仲上 八洲子」の名で、京都の阪東妻三郎プロダクションに入社、映画界にデビューした。
水戸 光子(みと みつこ、1919年〈大正8年〉3月23日 … 水戸 光子(みと みつこ、1919年〈大正8年〉3月23日 - 1981年〈昭和56年〉4月5日)は、日本の女優。本名は関場 ミツ子。 福島県大沼郡新鶴村(現・会津美里町)境野出身。 愛知県岡崎市立高等女学校(現・愛知県立岡崎北高等学校)を中退した翌1934年(昭和9年)、名古屋万平ホテルから熱海の万平ホテルへ移って働いていたところ、たまたま宿泊していた松竹の井上伊三郎取締役にスカウトされ、松竹蒲田撮影所に入社。 同年大晦日封切りの正月映画『大学の若旦那・日本晴れ』端役にてデビュー。いわゆる「大部屋」の無名女優として3年間の下積みを重ね、1938年(昭和14年)1月に準幹部へと昇進。その後はB級作品ながら主役をつとめるようにもなった。
中川 静子(なかがわ しずこ、1919年(大正8年)3月22… 中川 静子(なかがわ しずこ、1919年(大正8年)3月22日 - 1994年(平成6年)1月27日)は、日本の作家。 宗教団体 幸福の科学を設立した大川隆法(現・総裁)の伯母(大川隆法の父・善川三朗の姉)である。 1919年(大正8年)、徳島県麻植郡東山村(現・吉野川市)生まれ。川島尋常高等小学校卒、私立順心高等女学校中退。後、様々な職を経験する。 1942年(昭和17年)、第3回『文庫』懸賞短篇小説で、二等当選。受賞作「寄附徴収員」。徳島県の同人誌『飛行船』などで執筆を始める。小説「幽囚転々」が直木賞候補になって間もなく出版社のすすめで上京した。中野あたりのアパートで執筆生活をはじめたが、充分な準備の無いままの都会の一人暮らしゆえ、作品の完成もままならず、1年後には故郷徳島に帰ることになった。
小島 貞二(こじま ていじ、1919年3月21日 - 200… 小島 貞二(こじま ていじ、1919年3月21日 - 2003年6月24日)は、日本の著作家、相撲・プロレス・演芸評論家にしてそれらの歴史研究者、作詞家。 相撲関係の雑誌などでは大須 猛三(おおす もうさん)のペンネームを使っていたことがある。 愛知県豊橋市出身。旧制豊橋中学校(現:愛知県立時習館高等学校)を卒業後、漫画家を志して上京し、川原久仁於に師事して絵を描いていたが、身長182cmの体格を見込まれて大相撲の出羽海部屋に入門することになり、1938年5月場所に本名で初土俵を踏む。双葉山の70連勝を阻止した平幕時代の安芸ノ海の付け人を経験し、その70連勝阻止の瞬間を裏方からの目線で見た著作がある(別冊1億人の昭和史 昭和大相撲史)。
肥田 真幸(肥田 眞幸、ひだ さねゆき、1919年(大正8年… 肥田 真幸(肥田 眞幸、ひだ さねゆき、1919年(大正8年)3月21日 - 2012年(平成24年)9月12日)は、元大日本帝国海軍軍人、海上自衛官。海兵第67期卒業。第9代航空集団司令官(海将)。 鹿児島県鹿児島市生まれ、日置郡串木野村(後の串木野町、串木野市、合併によりいちき串木野市)出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)から、1936年(昭和11年)に海軍兵学校入学。1939年(昭和14年)7月25日、海軍兵学校(第67期)卒業。任海軍少尉候補生、「八雲」乗組。兵学校同期には中村悌次(元海上幕僚長)がいた。
木原研三(きはら けんぞう、1919年3月21日 - 200… 木原研三(きはら けんぞう、1919年3月21日 - 2008年)は、英語学者、お茶の水女子大学名誉教授。 愛媛県出身。1941年東京帝国大学英文科卒、1942年中央気象台附属技術官養成所講師。1947年教授、1949年お茶の水女子大学助教授、1959年教授、1970年同附属高等学校校長、1971年文教育学部長、1983年定年退官、名誉教授。気象論文英訳の功績で気象庁から感謝状。1992年秋、勲三等旭日中綬章受勲。『コンサイス英和辞典』などの編纂で知られた。
和田 教美(わだ たかよし、1919年3月21日 - 200… 和田 教美(わだ たかよし、1919年3月21日 - 2001年1月12日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)、朝日新聞論説委員。 和歌山県和歌山市出身。1939年官立和歌山高等商業学校(現和歌山大学経済学部)卒業、朝日新聞社入社、東京本社政治部次長、大阪本社経済部長を歴任。 1964年東京12チャンネル(現テレビ東京)、21時朝日新聞ワイドニュース司会。1969年朝日ジャーナル編集長就任。その後、東京本社出版局次長、朝日新聞論説委員となる。 1983年第13回参議院議員通常選挙に公明党から比例代表で初当選。なお非創価学会員であった[要出典]。1989年第15回参議院議員通常選挙にて再選。1994年新進党結成に加わる。
吉井 四郎(よしい しろう、1919年3月20日 - 199… 吉井 四郎(よしい しろう、1919年3月20日 - 1992年10月20日)は日本のバスケットボール指導者である。埼玉大学教授。日本バスケットボール協会理事。勲三等瑞宝章。
木下 貞一(きのした ていいち、1919年3月20日 -20… 木下 貞一(きのした ていいち、1919年3月20日 -2007年12月5日 )は静岡県出身のプロ野球選手。旧姓は松本 貞一(まつもと ていいち)。
内田 隆滋(うちだ たかしげ、1919年(大正8年)3月20… 内田 隆滋(うちだ たかしげ、1919年(大正8年)3月20日 - 2016年(平成28年)7月29日)は、昭和から平成時代の土木工学者、鉄道官僚、実業家。位階は従四位。東武鉄道社長。 1943年(昭和18年)東京帝国大学工学部土木工学科卒業、海軍技術将校として教育に当たる。戦後、鉄道省に入省し、施設局附となる。1963年(昭和38年)建設局計画課長、1968年(昭和43年)幹線調査室長、1970年(昭和45年)建設局長、1972年(昭和47年)常務理事を経て、1975年(昭和50年)退官。民間に転じ、1976年(昭和51年)東武鉄道常務、専務を経て、1983年(昭和58年)日本鉄道建設公団総裁となる。
佐藤鬼房(さとう おにふさ、1919年3月20日 - 200… 佐藤鬼房(さとう おにふさ、1919年3月20日 - 2002年1月19日)は、日本の俳人。岩手県釜石市出身。本名は喜太郎。 塩竈町立商業補習学校(現・塩釜市立第一小学校)卒業。10代からロシア文学を耽読する一方で俳句に目覚め、1935年より新興俳句系の「句と評論」に投句、渡辺白泉の選句を受ける。1936年より長谷川天更の「東南風」同人。1940年、徴兵により入隊、中国・南方に転戦。なお占領地の南京でそれまで面識のなかった鈴木六林男に出会っている。 戦後は西東三鬼に師事し、「青天」「雷光」「梟の会」などに参加。1953年「風」同人。1954年、第3回現代俳句協会賞受賞。1955年、「天狼」同人。
太田 敏夫(おおた としお、1919年(大正8年)3月20日… 太田 敏夫(おおた としお、1919年(大正8年)3月20日 - 1942年(昭和17年)10月21日)は日本の海軍軍人。太平洋戦争における撃墜王。最終階級は海軍飛行兵曹長。 1919年(大正8年)、長崎県の農家に生まれる。軍に入ってから弟の中学学費の仕送りを続ける、家族思い、親孝行の好青年であった。1935年(昭和10年)、佐世保海兵団に入団。戦艦金剛勤務を経て、1939年(昭和14年)1月、第46期操縦練習生課程修了。1941年(昭和16年)6月、十二空に配属。漢口に進出するが、戦闘の機会はなかった。 1941年(昭和16年)10月、台湾の台南基地に新設された台南海軍航空隊(以下、台南空)に配属。
中西 珠子(なかにし たまこ、1919年3月19日 - 20… 中西 珠子(なかにし たまこ、1919年3月19日 - 2008年4月3日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。 国連ハビタット推進議員連盟事務局長。議員引退後も同活動の支援を続けたことから国連ハビタット賞(英語版)を授与されている。 京都府京都市出身。法学者、中島重の長女。 1940年、津田英学塾卒業。 戦後、GHQに勤務。のち国際労働機関に転じ、東京支局次長を経て、津田塾大学理事、津田塾会理事長を務める。 1983年、第13回参議院議員通常選挙比例区に公明党から出馬し、初当選。 1989年、第15回参議院議員通常選挙比例区再選。 1995年春の叙勲で勲二等瑞宝章受章。同年の第17回参議院議員通常選挙に立候補せず、引退。
高木 貞敬(たかぎ さだゆき、1919年(大正8年)3月19… 高木 貞敬(たかぎ さだゆき、1919年(大正8年)3月19日 - 1997年(平成9年)10月11日)は、日本の神経生理学者。 京都府京都市生まれ。1944年東京帝国大学医学部卒。1952年「後索後根標品に見られる遲電位」で東大医学博士。東大医学部講師、1954年群馬大学医学部生理学科教授。1954年から1957年までイリノイ大学、1964年から1965年までミシガン大学に留学した。1983年定年退官、名誉教授。1997年、膵臓癌のため死去。
佐瀬 勇次(させ ゆうじ、1919年3月17日 - 1994… 佐瀬 勇次(させ ゆうじ、1919年3月17日 - 1994年3月25日)は、将棋棋士。千葉県山武郡松尾町(後の山武市)出身。石井秀吉七段門下。1990年引退。棋士番号41。 戦前のアマ名人戦の県代表となる。1938年入門。軍隊生活を経験し、復帰後の1944年に四段となる。1946年より順位戦に参加。 1974年、日本将棋連盟専務理事。 現役生活44年間対局不休、無遅刻の記録を続けながら1990年3月に引退。生涯成績は458勝599敗。 1994年3月、尿毒症のため死去。享年75。 この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:ボードゲーム/プロジェクト:人物伝)。
塚谷 晃弘(つかたに あきひろ、1919年〈大正8年〉3月1… 塚谷 晃弘(つかたに あきひろ、1919年〈大正8年〉3月16日 - 1995年〈平成7年〉10月13日)は、日本の経済学者・作曲家。経済学博士。國學院大學名誉教授。戸籍名、塚谷博通。 東京府本郷区湯島にて、鉄道照明機工場経営者の長男として生まれる。豊島師範附属小学校(現在の東京学芸大学附属小金井小学校)から武蔵高等学校 (旧制)尋常科・同高等科文科甲類を1937年に卒業。この間、14歳のとき母からピアノの手ほどきを受け、16歳で塚谷留太(国立音楽大学講師)からヴァイオリンを習い、旧制高校在学中から鯨井孝に師事、声楽を約2年間習う。 1938年、東京帝国大学経済学部入学。東大時代は同校の管弦楽団で1年間コントラバスを演奏。
春名 和雄(はるな かずお、1919年3月15日 - 200… 春名 和雄(はるな かずお、1919年3月15日 - 2002年3月3日)は、日本の経営者。神奈川県横浜市出身。 1940年に東亜同文書院大学を卒業し、同年に丸紅の前身である大同貿易に入社。 ロンドン支店長などを経て、1968年に取締役に就任し、常務、専務、副社長を歴任し、1983年に社長に就任した。1987年から1997年までに会長を務めた。 経済界における中国通とも知られており、社長時代には対中ビジネスを切り開き、1991年から1999年までに日中経済協会副会長を務めた。 2002年3月3日心不全のために死去。82歳没。
矢橋 浩吉(やばし こうきち、1919年3月15日 - 20… 矢橋 浩吉(やばし こうきち、1919年3月15日 - 2016年10月6日)は、昭和期の実業家。元揖斐川電気工業(現・イビデン)社長。愛知県名古屋市出身。旧制名古屋高等商業学校卒。 旧姓は亀山。父・亀山恭平、母・正子の三男。時期は不明だが、矢橋家(大垣市赤坂町の県内屈指の旧家)に婿入りしている。 在任中はプリント配線板、セラミックスといった事業を育て、今日のイビデンの主力事業の礎を築いた。その一方、オイルショック等の影響で業績が悪化したため、1976年に緊急合理化対策を発表し、大量の人員整理等を行った。さらに事業の分社化を行い、イビデン電子工業、イビデングラファイト、イビデン計算センター(現・タック)、イビデン興産)などを設立した。
安西 均(あんざい ひとし、1919年3月15日 - 199… 安西 均(あんざい ひとし、1919年3月15日 - 1994年2月8日)は、日本の詩人。日本現代詩人会会長、日本文芸家協会会員。作家の増田俊也は従甥。 福岡県筑紫郡筑紫村(現・筑紫野市筑紫)生まれ。福岡師範学校(現・福岡教育大学)中退。師範学校在学中に文学を志す。1943年朝日新聞社福岡総局、東京本社学芸部記者などを務める。学芸部では詩壇を担当した[要出典]。戦後は「九州文学」に参加し、火野葦平や劉寒吉、野田宇太郎などと出会い、「母音」の丸山豊に師事する。また、伊藤桂一主宰の「山河」、高田敏子主宰の「野火」をはじめ、「歴程」「地球」「山の樹」などの詩誌に参加する[要出典]。1983年『暗喩の夏』で第1回現代詩花椿賞受賞。