赤塚 忠(あかつか きよし、1913年〈大正2年〉4月9日 … 赤塚 忠(あかつか きよし、1913年〈大正2年〉4月9日 - 1983年〈昭和58年〉11月28日)は、日本の中国学者。東京大学名誉教授。古代中国哲学・中国文学・金石学に広く業績がある。角川書店『新字源』編者の一人。 1913年、茨城県取手市に生まれた。東京帝国大学支那哲学科で学び、学生時代は宇野哲人や塩谷温に師事した。1936年に大学を卒業。1937年から1941年まで同大学大学院で学びつつ、郁文館中学と神戸商業大学(神戸経済大学)予科に勤務。二度応召して中国大陸に赴き、陸軍大尉として敗戦を迎えた。 戦後、神戸大学と神戸経済大学に勤務。神戸時代には京都大学人文科学研究所の貝塚茂樹の研究会に参加した。
中山 正敏(なかやま まさとし、1913年(大正2年)4月6… 中山 正敏(なかやま まさとし、1913年(大正2年)4月6日 - 1987年(昭和62年)4月15日)は、昭和時代の空手家。山口県出身。日本空手協会設立者、初代首席師範。松濤館流空手道の中興の祖。日本空手協会主席師範で九段。死後、十段を授与された。 1913年4月13日、 山口県で生まれたが 、先祖は信濃国(現在の長野県)出身で剣術師・ 真田家の家臣で、後の信州松代藩で先祖代々剣術指南を務めていた家柄である。 曾祖父の中山兵右衛門は神道無念流の剣術家としてしられ、中山の祖父は東京で外科医を開業し家族の中で最後に剣術を教えていた。 中山の父親は軍医で柔道家の中山直道。父親は台北に配属されたので形成期の時期はそこで過ごした。
伊木 正二(いき しょうじ、1913年4月6日 - 2010… 伊木 正二(いき しょうじ、1913年4月6日 - 2010年12月3日)は、日本の鉱山学者(工学博士)。 1936年(昭和11年)に東京帝国大学工学部鉱山及冶金学科を卒業後、三菱鉱業(現・三菱マテリアル)に就職。 1941年(昭和16年)に東京帝国大学助教授となり、1954年(昭和29年)には東京大学教授に昇任。 1974年(昭和49年)4月に定年退官、東京大学名誉教授の称号を授与された。 石炭鉱山における安全工学が専門分野。中でも坑内温度・坑内粉塵制御用の通気管理技術の研究に携わった。 昭和30年以降の石炭産業関連の重大災害時には、政府の依頼で災害調査団長としての任務を数々遂行した。 なお、功績を称えて、「伊木賞」(功績賞と奨励賞)という賞が設立(平成9年3月14日)されている。
西口 克己(にしぐち かつみ、1913年4月6日 - 198… 西口 克己(にしぐち かつみ、1913年4月6日 - 1986年3月15日)は、京都市出身の小説家、政治家。 京都府紀伊郡伏見町(現在の京都市伏見区)の中書島遊廓の貸座敷の家に生まれる。第三高等学校から東京帝国大学文学部西洋哲学科卒業、1946年に日本共産党に入党するが、1950年のいわゆる「五十年問題」による党分裂の際、「除名」される。1955年には、日本共産党の統一・正常化と同時に党へ復帰。 この間に義母名義の娼家(第2次世界大戦後は「お茶屋」名目で営業)の片隅で自伝的小説『廓』を執筆。第一部を1956年に刊行。ベストセラーとなり、小説家として認められる。同作は第35回(昭和31年上期)直木賞候補となり、「『廓』より 無法一代」(1957年、監督滝沢英輔)として映画化された(第二部は同年末、第三部は1958年に刊行)。
佐橋 滋(さはし しげる、1913年〈大正2年〉4月5日 -… 佐橋 滋(さはし しげる、1913年〈大正2年〉4月5日 - 1993年〈平成5年〉5月31日)は、日本の官僚。通商産業事務次官。 高度成長期日本の官僚主導型政治システムにおける典型的トップ官僚として知られる一方で、その官僚らしからぬ大胆さでも有名であり、城山三郎の『官僚たちの夏』(ISBN 4101133115)の主人公・風越信吾は佐橋をモデルとしている。作中では風越の一派に庭野が描かれているがその庭野のモデルは三宅幸夫であり、八高、東大の後輩・同窓にあたる。娘の夫に中小企業金融公庫副総裁であった横田捷宏がいる。合気道を趣味のひとつにしていた。 岐阜県土岐市出身。東海中学、第八高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業。
辻 清明(つじ きよあき、1913年4月5日 - 1991年… 辻 清明(つじ きよあき、1913年4月5日 - 1991年7月30日)は、日本の政治学者、行政学者。東京大学名誉教授。 京都生まれ。三高を経て、1937年東京帝国大学法学部政治学科卒業、同学部助手となる。1938年6月、臨時召集のため歩兵第9連隊に入隊、1940年5月、同除隊し、研究に戻る。1942年東京大学法学部助教授、1951年同教授、1967年から1968年まで法学部長を務める。1974年定年退官、名誉教授、国際基督教大学教授。1979年文化功労者。1985年日本学士院会員。1987年12月、品川区名誉区民(服部良一(作曲家)ともに授賞)。1989年春、勲二等旭日重光章受勲。
斉藤 誠(さいとう まこと、1913年〈大正2年〉4月4日 … 斉藤 誠(さいとう まこと、1913年〈大正2年〉4月4日 - 1992年〈平成4年〉12月13日)は、日本の農林官僚。食糧庁長官を務めた。島根県出身。 1938年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に農林省に入省した。1957年8月に大臣官房長に就任し、1963年9月に食糧庁長官に就任し、1965年6月から1966年7月までに農林事務次官を務めた。 1983年11月に勲二等旭日重光章を受章。 1992年12月13日急性肺炎のために死去。79歳没。
登坂 重次郎(とさか じゅうじろう、1913年4月3日 – … 登坂 重次郎(とさか じゅうじろう、1913年4月3日 – 1997年3月22日)は、日本の政治家。元衆議院議員(自由民主党所属)。現在の茨城県常総市出身。 会社員・登坂長吉の三男として生まれる。生後間もなく父母と死別し、父方の伯父・豊島重太郎に育てられる。1932年茨城県立水海道中学校(現在の茨城県立水海道第一高等学校)を卒業後、母校・水海道中学校の事務職員等を経て、1940年土浦税務署に入職する。1944年大蔵省本省に出向し、東京財務局(現在の関東財務局)長・池田勇人の秘書となる。以後池田に師事し、1948年池田の総選挙出馬を期に大蔵省を退官し、個人秘書となる。 1963年の第30回衆議院議員総選挙に、旧茨城3区から無所属で立候補し当選(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。
金田一 春彦(きんだいち はるひこ、1913年〈大正2年〉4… 金田一 春彦(きんだいち はるひこ、1913年〈大正2年〉4月3日 - 2004年〈平成16年〉5月19日)は、日本の言語学者、国語学者、邦楽研究家。日本語の音韻が専門。国語辞典などの編纂、日本語の方言におけるアクセント研究で知られる。邦楽にも造詣が深く、平曲研究の第一人者。著書に『日本語の特質』(1980年)、『日本語(新版)』(1988年)、『平曲考』(1997年)など。文学博士。栄典は勲三等旭日中綬章、紫綬褒章、瑞宝重光章。 その他の表彰歴として文化功労者、東京都名誉都民など。 父の京助も文学博士で日本学士院会員。長男の真澄も文学博士で慶應義塾大学名誉教授、次男の秀穂は言語学者で杏林大学外国語学部教授、長女の美奈子はフリーライター。
金 煥基(キム・ファンギ、朝鮮語: 김환기、1913年4月3… 金 煥基(キム・ファンギ、朝鮮語: 김환기、1913年4月3日〈太陰暦: 1913年2月27日〉 - 1974年7月25日)は、大韓民国の洋画家。全羅南道新安郡の安佐島(朝鮮語版)出身。 本貫は金海金氏。号は樹話(スファ、수화)。金 煥其(読み、ハングル同じ)という表記も見られる。卞東琳の夫であった。 日本統治時代の全羅南道新安郡に生まれた。1936年に日本大学美術学部卒業。その後吉鎮燮などと白蛮会を組織する一方、東京で個展を開いた。1946年から1949年までソウル大学校美術大学で教授を務め、新写実派展に出品した。幾度となく国展審査委員を務め、1952年に弘益大学校美術大学教授、1954年に芸術院の会員となった。
猪野 謙二(いの けんじ、1913年4月2日 - 1997年… 猪野 謙二(いの けんじ、1913年4月2日 - 1997年9月11日)は、文芸評論家、近代日本文学研究者。 宮城県仙台市生まれ。東京府立第六中(現都立新宿高等学校)を経て1937年東京帝国大学文学部国文科卒。在学中に立原道造らと『未成年』を創刊。戦後日本文学協会に属し、歴史社会学派の立場から日本近代文学の研究・評論を行った。1954年神戸大学助教授、1975年学習院大学教授。1984年定年退職。
鈴木 聞多(すずき ぶんた、1913年4月1日 - 1939… 鈴木 聞多(すずき ぶんた、1913年4月1日 - 1939年7月10日)は、日本の陸上競技(短距離走)選手。 埼玉県比企郡三保谷村(現在の川島町)に生まれる。父は同村の村長も務めた鈴木庸三で、三人兄弟の末っ子。鈴木家は江戸時代には名主を務めた家で、生家(鈴木家住宅)は国登録有形文化財となっている。 1926年(大正15年)4月、旧制埼玉県立川越中学校(現在の埼玉県立川越高等学校)に入学し、陸上競技に取り組む。旧制中学5年次の1930年(昭和5年)、第16回全国中学校陸上競技選手権大会(インターハイの前身。神戸)に出場、100m(11秒7)と200m(22秒7)で優勝。 1931年(昭和6年)4月、旧制川越中学から慶應義塾大学予科に進学。
黒田 正巳(くろだ まさみ、大正2年(1913年)4月1日 … 黒田 正巳(くろだ まさみ、大正2年(1913年)4月1日 - 没年不詳)は日本の建築学者。熊本大学名誉教授。工学博士。 鳥取県西伯郡境町(現・境港市)栄町出身。 境尋常高等小学校(現・境港市立境小学校)、鳥取県立米子中学校(現・鳥取県立米子東高等学校)、旧制松江高等学校理科甲類を経て1938年(昭和13年)、東京工業大学工学部建築学科卒業。 1943年(昭和18年)、熊本高等工業学校(現・熊本大学工学部)教授。 1960年(昭和35年)、工学博士(東京工業大学)。論文は「建築における大きさと形の恒常視に関する実験的研究」。
鈴木 治雄(すずき はるお、1913年(大正2年)3月31日… 鈴木 治雄(すずき はるお、1913年(大正2年)3月31日 - 2004年(平成16年)7月3日)は、日本の実業家。昭和電工社長・会長や企業メセナ協議会初代会長、経団連常任理事、東京商工会議所監事などを歴任。経済同友会設立や湘南国際村発起にも関わった。フンボルト大学ベルリン名誉博士。 神奈川県葉山村生まれ。東京に転居後、麹町の永田町小学校(現・麹町小学校)に入学するも、一家の転居に伴い、3年時に白金小学校に転入し卒業。卒業後は旧制東京高等学校に入学。1936年、東京大学法学部を卒業し野村合名会社(現・野村証券)へ入社するが、1939年に昭和電工創立に伴い同社へ入社した。軍需産業を推進した理由で戦後公職追放されたものの、1951年に同社に復帰し、1971年に社長、1981年には会長に就任。
大島 清(おおしま きよし、1913年3月31日 - 198… 大島 清(おおしま きよし、1913年3月31日 - 1984年5月15日)は、日本の経済学者。法政大学名誉教授、元法政大学大原社会問題研究所所長。マルクス経済学における農業経済学専攻。1941年、東北帝国大学卒業。1960年、法政大学経済学博士。 なお、同時期に同一大学でマルクス経済学を専攻していた金融論の大島清とは別人である。しかし、ともに傍系入学(旧制高等学校を卒業せずに入学すること)であり、しかも優秀だったことから、よく間違われた。
石川 徹(いしかわ とおる、1913年〈大正2年〉3月30日… 石川 徹(いしかわ とおる、1913年〈大正2年〉3月30日 - 1997年〈平成9年〉9月10日)は、日本の国文学者。専門は、源氏物語を中心とした中古文学研究。愛知教育大学名誉教授。東京市芝区高輪生まれ。 東京府立第六中学校(現:東京都立新宿高等学校)、東京府立高等学校(現:首都大学東京)を卒業した。1936年(昭和11年)に東京帝国大学(現:東京大学)文学部国文学科を卒業した(卒業論文「古代小説の構想の展開」)。 旧制新潟県立新潟中学校(現:新潟県立新潟高等学校)・愛知一中・府立第六中学校教諭を務めた。1945年(昭和20年)9月に神戸女学院専門学校教授に就任し、関西学院大学講師を兼務した。
井本 農一(いもと のういち、1913年3月30日 - 19… 井本 農一(いもと のういち、1913年3月30日 - 1998年10月10日)は、日本の国文学者・俳人、お茶の水女子大学名誉教授。実践女子大学第8代学長で、勲二等瑞宝章受章者。 1913年、山口県新南陽市(現周南市)に生まれた。1933年、旧制成蹊高等学校文科甲類を卒業。1936年、東京帝国大学文学部国文科を卒業。 卒業後は、お茶の水女子大学教授をつとめた。1961年、学位論文『蕉風を中心としたる俳諧史の問題的研究』を東京大学に提出して文学博士号を取得。1976年にお茶の水女子大学を定年退官し、名誉教授となった。その後も聖心女子大学教授として教鞭をとり、1984年からは実践女子大学第8代学長をつとめた。
田中 清太郎(たなか せいたろう、1913年3月30日 - … 田中 清太郎(たなか せいたろう、1913年3月30日 - 2000年6月3日)は、日本の英文学者、翻訳家、詩人、俳人。 東京生まれ。1936年東京帝国大学文学部英文学科卒業。 武蔵大学助教授、学習院大学助教授、1951年教授。1983年定年退職、名誉教授。1970年「D・H・ロレンス詩集」の翻訳により日本翻訳文化賞受賞。 専門はイギリスの詩、特にディラン・トマス。 俳人でもあり、日本の近代詩についての評論もある。
林 克己(はやし かつみ、1913年3月30日 - 没年不詳… 林 克己(はやし かつみ、1913年3月30日 - 没年不詳)は、日本の翻訳家、医学博士。東京生まれ。東北大学医学部卒。小児科医のかたわら英米のSF、ミステリ、ファンタジーの翻訳を行った。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
飯田 新一(いいだ しんいち、1913年(大正2年)3月29… 飯田 新一(いいだ しんいち、1913年(大正2年)3月29日 - 1987年(昭和62年)8月12日)は、日本の実業家。髙島屋社長を務めた。 髙島屋3代目社長飯田直次郎の長男として、京都府に生まれる。 旧制甲陽中学(現・甲陽学院中学校・高等学校)を経て、早稲田大学専門部商科卒業後、1941年髙島屋へ入社。 1945年大阪支店総務部長、1948年理事、1951年5月にはアメリカに渡り、先進国の同業を視察。1952年8月取締役大阪支店長、1954年常務、1956年専務を歴任。 1960年10月に社長に就任。この間、1974年と1984年に日本百貨店協会会長に就任している。 1987年4月に日高啓に社長を譲り会長に退いた。
太田 晶二郎(おおた しょうじろう、1913年(大正2年)3… 太田 晶二郎(おおた しょうじろう、1913年(大正2年)3月29日 - 1987年(昭和62年)2月20日)は、日本の歴史学者。東京大学史料編纂所教授。財団法人前田育徳会常務理事。専門は漢籍史。 研究人生のほとんどを史料編纂所で費やし、大日本史料第1篇・第2篇、大日本近世史料の『幕府書物方日記』の編纂を担当した。漢籍等の典籍の考証を主にしていたが、その研究は豊かな学識に基づいた堅牢かつ緻密なもので、太田の前では、ほとんどの歴史学者が物も言えないくらい緊張したという逸話がある。また生前は論文の執筆のみで、一冊の著書も残さなかった。没後、飯田瑞穂等を中心に、著作集5巻が編まれた。
扇谷 正造(おうぎや しょうぞう、1913年3月28日 - … 扇谷 正造(おうぎや しょうぞう、1913年3月28日 - 1992年4月10日)は日本の文筆家、編集者、ジャーナリスト。 "週刊誌の鬼"の綽名で知られた。 宮城県遠田郡涌谷町出身。旧制石巻中学、旧制二高を経て、1935年に東京帝国大学文学部国史学科を卒業し、朝日新聞社に入社。青森支局、仙台支局を経て、1937年に社会部記者、1938年に従軍記者として第101師団に配属され、武漢作戦に参加。1941年12月、再度従軍記者となり、フィリピンのリンガエン湾に上陸。 1944年(昭和19年)3月に補充兵として召集され、歩兵第4連隊に入営。朝鮮の羅南で三カ月の訓練を受け、通信兵となる。湘桂作戦(ト号作戦)に参加。
篠田 桃紅(しのだ とうこう、本名:篠田 満洲子、1913年… 篠田 桃紅(しのだ とうこう、本名:篠田 満洲子、1913年〈大正2年〉3月28日 - 2021年〈令和3年〉3月1日)は、日本の美術家、版画家、エッセイスト。 映画監督の篠田正浩は従弟、建築家の若山滋は甥にあたる。 日本の租借地だった関東州大連に生まれる。父の篠田頼治郎は東亜煙草の大連支社長で、職場と自宅があったジョサイヤ・コンドル設計の元ロシア帝国の3階建洋館で三男四女の第五子として生まれ、満洲子と命名された。 2歳で東京に戻り、5歳頃から父に書の手ほどきを受ける。その後、女学校時代以外はほとんど独学で書を学ぶ。 1950年から数年、書道芸術院に所属して前衛書の作家たちと交流を持つが、1956年に渡米。
保田 克己(やすだ かつみ、1913年3月28日 - 201… 保田 克己(やすだ かつみ、1913年3月28日 - 2015年8月23日)は、日本の経営者。住友林業社長を務めた。 山口県出身。1936年に東京帝国大学林学科を卒業し、同年に住友本社に入社。 のちに住友林業に転じ、常務を経て、1966年6月に社長に就任し、1974年11月には会長に就任。1976年4月には取締役相談役に就任し、1978年12月からは相談役を務めた。 1981年11月に藍綬褒章を受章。 2015年8月23日、老衰のために死去。102歳没。
高橋 義孝(たかはし よしたか、1913年3月27日 - 1… 高橋 義孝(たかはし よしたか、1913年3月27日 - 1995年7月21日)は、日本のドイツ文学者・評論家・随筆家。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1961年)(学位論文「文学研究の諸問題」)。九州大学教授、名古屋大学教授などを歴任。 1913年、東京府東京市神田区生まれ。錦華尋常小学校、第二東京市立中学校(現東京都立上野高等学校)で学び、その際には福田恆存と同級であった。旧制高知高等学校を経て、東京帝国大学独文科に進んだ。1935年、東京帝国大学を卒業。その後は同大学大学院に進学し、1936年に卒業。翌1937年よりフンボルト財団給費生としてベルリン大学へ留学。1938年、ケルン大学へ移りドイツ文学を学んだ。
植田 正治(うえだ しょうじ、1913年3月27日 - 20… 植田 正治(うえだ しょうじ、1913年3月27日 - 2000年7月4日)は、日本の写真家。 出生地である鳥取県境港市を拠点に70年近く活動。前衛的な演出写真は「植田調」として知られ、写真誕生の地であるフランスでも日本語表記そのままに「Ueda-cho」として紹介されている。 鳥取県西伯郡境町(現・境港市)に生まれる。生家は履物店(商号は「下駄屋」)である。 小学生の頃に写真をはじめ、米子写友会、日本光画協会、中国写真家集団、銀龍社などに参加。写真雑誌のコンテストでも、多数の入選を得るなど、戦前、戦中、戦後にかけて活躍。特に1980年代以降、多数の展覧会開催や写真集出版を行った。数ある作品の中でも、鳥取砂丘を舞台にした「砂丘シリーズ」はよく知られている。
長谷川 正男(はせがわ まさお、1913年 <大正2年> 3… 長谷川 正男(はせがわ まさお、1913年 <大正2年> 3月27日 - 1990年 <平成2年> 2月16日)は、日本の経営者。日本精工社長、会長を務めた。位階は正四位。 愛知県出身。1938年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に安田銀行に入行。1961年に日本精工取締役に就任し、1973年12月には社長に就任。1984年7月に会長に就任。 1981年に藍綬褒章を受章し、1986年に勲三等旭日中綬章を受章。 1990年2月16日脳梗塞のために死去。76歳没。死没日付をもって正四位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
井上 正蔵(いのうえ しょうぞう、1913年3月27日 - … 井上 正蔵(いのうえ しょうぞう、1913年3月27日 - 1989年11月2日)は、日本のドイツ文学者。旧・東京都立大学名誉教授。東京出身。 東京市京橋区(現中央区)新富町生まれ[要出典]。東京府立高等学校卒、1935年東京帝国大学文学部独文科卒業。在学中、滝川事件が起こり、滝川シンパとして戦う[要出典]。第11次『新思潮』に参加して小説を書く[要出典]。卒業後は東京帝国大学大学院に残り、1938年専修大学講師、1942年興亜工業大学教授、1945年成蹊高等学校講師、1946年旧制東京高等学校専任講師、1947年教授、1949年東京工業大学助教授、1955年旧・東京都立大学助教授、1963年教授。
高田 秀二(たかだ ひでじ、1913年3月27日 - 199… 高田 秀二(たかだ ひでじ、1913年3月27日 - 1992年2月15日)は、日本のジャーナリスト。 福島県郡山市生まれ。1936年東京帝国大学文学部仏文科卒。同盟通信社、共同通信社の社会部長、パリ支局長、編集局長、筆頭常務理事。日本記者クラブ理事長、電通取締役、財団法人草月会館館長、財団法人科学技術振興財団理事。1972年、1977年の二度、郡山市長選に立候補するが二位落選。 1992年2月15日、胃癌のため死去。 息子は実業家の高田茂行。
戸塚 文子(とつか あやこ、1913年〈大正2年〉3月25日… 戸塚 文子(とつか あやこ、1913年〈大正2年〉3月25日 - 1997年〈平成9年〉11月7日)は、日本の紀行文作家、編集者。1983年(昭和58年)に第1回日本旅行作家協会賞を受賞した。 東京府(後の東京都)日本橋浜町生まれ。父の仕事の関係で、5歳の頃から小学4年までを横浜市神奈川区で過ごし、日本国外への憧れを抱いて育った後に、東京への転居を経て兵庫県神戸市に移った。 1934年(昭和9年)に日本女子大学英文科卒業後、女性として初めてジャパン・ツーリスト・ビューロー(JTB)に入社した。東京駅案内所の案内係を経て、同社発行の雑誌『旅』編集部に移り、世界各国の数々の旅行情報を読者へ紹介した。
五代 夏夫(ごだい なつお、1913年3月25日- 2016… 五代 夏夫(ごだい なつお、1913年3月25日- 2016年9月30日)は、日本の作家。 宮崎県(現日向市)生まれ。本名・松尾強。満州建国大学研究院修了。満州国政府に勤務、戦後文筆家となり、1964年「那覇の木馬」で文学界新人賞受賞、芥川賞候補。鹿児島を拠点に地方文化人として活動を続ける。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
永沢 幸七(ながさわ こうしち、1913年3月24日 - 2… 永沢 幸七(ながさわ こうしち、1913年3月24日 - 2010年9月17日 )は、日本の心理学者、東京家政学院大学名誉教授。 宮城県古川市(現・大崎市古川)生まれ。宮城県古川高等学校卒業。東京文理科大学心理学科卒。(筑波大学卒。)同研究科修了。同大助手、非常勤講師をへて東京家政学院大学教授。1984年定年退任、国士舘大学教授。
渡辺 白泉(わたなべ はくせん、1913年3月24日 - 1… 渡辺 白泉(わたなべ はくせん、1913年3月24日 - 1969年1月30日)は、東京出身の俳人。本名威徳(たけのり)。 昭和初期の新興俳句運動において無季派(超季派)の俳人として活躍。「戦争が廊下の奥に立つてゐた」など、戦争の本質を鋭く突いた「銃後俳句」と呼ばれる無季俳句が特に知られる。 東京市赤坂区青山(現・港区)生。本籍地は山梨県で、父は同地の地主の息子であったが青山で呉服店を営んでいた。白泉は長男で一人っ子だった。青南尋常小学校、慶應義塾普通部を経て、1936年に慶應義塾大学経済学部を卒業。 16歳のとき正岡子規の『子規俳話』を読んで俳句に興味を持つ。大学時代の1933年、水原秋桜子の『俳句の本質』に啓発されて「馬酔木」に投句、翌年より「句と評論」にも投句。
村岡 美枝(むらおか みえ、1913年3月23日 - 没年不… 村岡 美枝(むらおか みえ、1913年3月23日 - 没年不明)は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。 愛知県生まれ。愛知県第一高等女学校(愛知県立明和高等学校の前身校の一つ)在学中の1930年にチェコスロヴァキアのプラハで開かれた第3回国際女子競技大会に代表選手として参加する(参加選手は6人で、人見絹枝、本城ハツ、中西みち、村岡美枝、渡辺すみ子、浜崎千代。人見以外は学生選手)。このとき代表の中心としてチームを引率した人見が翌1931年に死去した際に、葬儀で「お姉さんは女子スポーツに貢献されました。その大きな足跡はけっして消えることがないでしょう。私たちは非力ですが、遺志をつぐよう全力を尽くして頑張るつもりです」と弔辞を読んだ。
志摩 靖彦(しま やすひこ、1913年〈大正2年〉3月23日… 志摩 靖彦(しま やすひこ、1913年〈大正2年〉3月23日 - 1991年〈平成3年〉3月16日)は、日本の俳優。本名は嶋 正朶(しま まさえだ)。旧名は島 泰彦。東京府東京市本所区(現・東京都墨田区本所)出身。 1941年に鉄嶺実業学校を卒業。1942年7月に青少年劇場に入団。1943年4月に関西移動演劇隊に移籍。その後1944年10月にNHK大阪放送劇団を経て、1951年2月に獅子座を結成。1964年に大阪音楽大学演劇科講師。1977年に大阪芸術大学演劇科講師を務めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
麻生 三郎(あそう さぶろう、1913年(大正2年)3月23… 麻生 三郎(あそう さぶろう、1913年(大正2年)3月23日 - 2000年(平成12年)4月5日 )は、東京都生まれの洋画家である。 武蔵野美術大学名誉教授。戦中戦後を通して焼けただれ、焦げ付いたような暗褐色に彩られた家族を中心とした人物像や自己の内面を解体デフォルメし、闇の中から浮かび上がるように描き出す作風で知られる。彫刻家の麻生マユは実娘。 1913年(大正2年)3月23日、東京市京橋区本湊町(現在の東京都中央区湊)に麻生惣兵衛、喜代の三男(3男3女の4番目)として生まれる。麻生家は100年以上の歴史をもつ炭問屋、屋号は「山惣」。実家は当時築地の居留区があった明石町にほど近く、洋館が立ち並ぶその場所に麻生は毎日通い、お小遣いでラスクやレーズンなどを買っていた。
金 東進(キム・ドンジン、김동진、日本名:金森東振、1913… 金 東進(キム・ドンジン、김동진、日本名:金森東振、1913年3月22日 - 2009年7月31日)は、韓国の作曲家、ヴァイオリニスト、指揮者。現在の北朝鮮平安南道安州市出身で日本の日本音楽高等学校への留学経験もある。日本統治下時代にはハルピンで日本人演奏家を中心として1937年に結成された「新京交響楽団」に参加し、第一バイオリン奏者を務めた。 2008年に親日人名辞典編纂委員会より発表された親日人名辞典に名前が掲載された。2009年7月31日、ソウル特別市にて老衰で亡くなった。96歳。
松崎 芳伸'(まつざき よしのぶ、1913年3月22日 - … 松崎 芳伸'(まつざき よしのぶ、1913年3月22日 - 1997年11月6日 )は、日本の厚生労働官僚。日経連専務理事。 福井県小浜市出身。東京帝国大学卒業。昭和13年厚生省入省。のち労働省、中央労働委員会事務局長など経て、36年退官。厚労省在職中は、児童福祉法を起草した。その後、富士製鉄(現・新日本製鉄)に入社。40年子会社の東海製鉄常務。45年桜田武に雇われて、日経連専務理事に就任。第1次石油危機の際に賃上げガイドラインをまとめるなど、労使交渉の調整にあたった。84歳没。
宮本 幹也(みやもと みきや、1913年3月20日 - 19… 宮本 幹也(みやもと みきや、1913年3月20日 - 1993年11月2日)は、日本の作家。本名は正勝(まさかつ)。 長野県上水内郡吉田村(現長野市)生まれ。旧制長野中学(長野県長野高等学校)を経て、明治大学文学部卒業。1932年「青春街」がサンデー毎日新人賞を受賞し、作家デビュー。週刊朝日に「霧の中の獣心」「渋柿」を掲載、1935年日活撮影所脚本部員となり、1937年社会浪漫派同人となる。1940年国民文化建設同盟を結成し、1941年『公論』編集長となる。1943年に軍に応召し、1945年復員、1949年から文筆業に復帰。戦後、ユーモア小説、通俗小説を多く書いたが、50代で筆を折ったようである。
藤井 英男(ふじい ひでお、1913年3月20日 - 200… 藤井 英男(ふじい ひでお、1913年3月20日 - 2002年10月1日)は、日本の弁護士。日本弁護士連合会会長。 東京都出身、山口県育ち。1939年九州帝国大学法学部卒業。高等試験司法科合格後、東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長を経て、1988年日本弁護士連合会会長。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
外山 礼三(とやま れいぞう、1913年3月20日 - 19… 外山 礼三(とやま れいぞう、1913年3月20日 - 1947年)は、日本の植物学者である。コケ類を専門とした。 熊本市に生まれた。第五高等学校から京都帝国大学理学部植物学科に進み、大学入学後から植物学を学び、在学中の1935年に「東亜蘚類考察」という論文を発表し、キブネゴケなどを記載するが、ほとんどの新種はシノニムとなった。キブネゴケは新種・新属のKibunemuscus nipponicus として記載するが新属とは認められず、Rhachithecium nipponicum のシノニムとなった。京都大学にあったフランスの蘚苔類学者、カルド(Jules Cardot)によって同定された、ユルバン・ジャン・フォーリーが収集した標本を調べ、日本各地や朝鮮に採集旅行を行った。
宮本 光庸(みやもと こうよう、本名:宮本 正雄、1913年… 宮本 光庸(みやもと こうよう、本名:宮本 正雄、1913年(大正2年)3月20日 - 2001年(平成13年)3月8日)は、日本の彫刻家。徳島県徳島市出身。帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)卒業。 帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)卒業。清水多嘉示、建畠大夢に師事する。 日本美術展覧会参与を務め、1981年には徳島県文化賞を受賞。また1953年と1954年に朝倉賞を受賞するなど日本の彫刻界に功績を残した。鳴門市の妙見山公園の遊歩道沿いには彼の作品が展示されている。2001年3月8日、腎肺不全のため死去。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
石田 波郷(いしだ はきょう、1913年(大正2年)3月18… 石田 波郷(いしだ はきょう、1913年(大正2年)3月18日 - 1969年(昭和44年)11月21日)は、愛媛県出身の日本の俳人。本名は哲大(てつお)。水原秋桜子に師事、『馬酔木』に拠ったのち、『鶴』を創刊・主宰。初期の青春性のあふれる叙情句から始まり、自己の生活を見つめる、人間性に深く根ざした作風を追求。加藤楸邨、中村草田男らとともに「人間探求派」と呼ばれた。昭和の第二次世界大戦前に流行した新興俳句運動を批判し、韻文精神の尊重を説き、切れ字を重視。戦中には結核を発病し、戦後は病と対峙する自身の生活を題材とする境涯俳句を詠み続けた。 愛媛県温泉郡垣生村大字西垣生に、父惣五郎、母ユウの次男として生まれる。
江尻 勇(えじり いさむ、1913年(大正2年)3月18日 … 江尻 勇(えじり いさむ、1913年(大正2年)3月18日 - 1997年(平成9年)7月21日)は日本の政治家。新潟県西山町長(6期)。 二田尋常高等小学校(現:柏崎市立二田小学校)卒業後、上京して新聞配達や保険外交員として働く。 戦前は刈羽郡二田村役場で戦争事務を担当していたが戦後、それを理由に退職するしかなかった。1950年-1951年(昭和25-26年)頃まで日本社会党派だったが、離れて農業をしていたとき、田中土建社員の江尻の知り合いから田中角栄の秘書本間幸一を通じて、手が空いてるなら手伝って欲しいと言われた。だがその頃の江尻は三宅正一の応援を始めたばかりで社会党で特に小作人の代弁者だった三宅は農地改革の先頭にいた。
石井 みどり(いしい みどり、本名:折田 ハナ、1913年3… 石井 みどり(いしい みどり、本名:折田 ハナ、1913年3月17日 - 2008年3月6日) は、日本の舞踊家。 1913年3月17日、栃木県宇都宮市日野町にて質屋の長女として生まれる。出生名は五十嵐ハナ。ハナは女学校時代に地元で開かれた石井漠の舞踊公演に感銘を受け舞踊家を志した。 1929年、栃木県立宇都宮第一高等女学校(現栃木県立宇都宮女子高等学校)を卒業。この年9月、16歳で石井漠舞踊研究所に入門、現代舞踊の草分け・石井漠に師事。 翌1930年、抜きんでた才能を認められ師の相手役として「石井みどり」の名を与えられ華々しくデビュー。1935年に独立、石井みどり舞踊研究所を開設し、公演活動をはじめる。
西原 忠毅(にしはら ただよし、1913年3月15日 - 2… 西原 忠毅(にしはら ただよし、1913年3月15日 - 2001年6月21日)は、日本の英語学者。 福岡県出身。九州帝国大学文学部英文科卒。九州大学教養部助教授、教授。76年定年退官、名誉教授となり、西南学院大学教授を務めた。英語音声学が専門で、短歌も詠んだ。日本英語音声学会顧問。
大澤 融(おおさわ とおる、1913年3月15日 - 198… 大澤 融(おおさわ とおる、1913年3月15日 - 1983年6月26日)は、日本の農林官僚。 山梨県出身。1936年に高文行政科と高文司法科に合格し、1937年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に農林省に入省。1952年1月に食糧庁長官に就任し、1963年9月から1965年9月までに農林水産事務次官を務め、1966年7月に農林漁業金融公庫総裁を経て、1972年6月から1978年6月までに日本中央競馬会理事長を務めた。 1983年に勲二等旭日重光章を受章。 1983年6月26日肺炎のために死去。70歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
平井 義一(ひらい ぎいち、1913年(大正2年)3月15日… 平井 義一(ひらい ぎいち、1913年(大正2年)3月15日 - 2007年(平成19年)9月6日[要出典])は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。 福岡県築上郡八屋町(現・豊前市)出身。1939年(昭和14年)明治大学法学部卒。東京地方専売局に勤務した後、計理士となり、麹町区議、東京市会議長秘書を歴任する。1947年(昭和22年)の第23回衆議院議員総選挙で福岡4区から日本自由党公認で立候補して初当選。以来5期務める。炭鉱国管疑獄では、1948年(昭和23年)衆議院不当財産取引調査委員会に証人喚問されている。第4次吉田内閣で郵政政務次官に就任する。1955年(昭和30年)の保守合同により自由民主党衆議院議員となる。
江間 章子(えま しょうこ、1913年3月13日 - 200… 江間 章子(えま しょうこ、1913年3月13日 - 2005年3月12日)は昭和を代表する唱歌の作詞家、詩人。代表作に「夏の思い出」、「花の街」などがある。 新潟県高田市(現・上越市)に生まれる。しかし2年後に父が急逝し、岩手県岩手郡平館村(現・八幡平市平舘)の母の実家に移住する。 満12歳となる1925年には静岡県に再度転居し、旧制静岡高等女学校に進学する。『詩と詩論』から影響を受けて学生時代から作詞家を目指した。 高等女学校卒業後に上京し、1930年に駿河台女学院(後の東京YWCA専門学校)に入学する。1936年に詩集『春への招待』を自費出版で発表した。 1938年、北園克衛、村野四郎、山中散生、山本悍右らと『夜の噴水』を編輯。
国井 重典(くにい しげのり、1913年〈大正2年〉3月12… 国井 重典(くにい しげのり、1913年〈大正2年〉3月12日 - 1953年〈昭和28年〉12月27日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第7代市長。 1913年(大正2年)山形県飽海郡酒田町(現・酒田市)に鐙谷一郎の4男として生れ、 国井家の養子となる。1930年(昭和5年)山形県立酒田中学校(山形県立酒田東高等学校)を卒業する。 1936年(昭和11年)に早稲田大学法学部を卒業。卒業後は 鶴岡水力電気株式会社に入社する。 1946年(昭和21年) 加藤精三市長の下で鶴岡市助役に就任し、 鶴岡市消防長も務める。 1951年(昭和26年)4月、鶴岡市会議員に当選する。 1952年(昭和27年)10月に 鶴岡市長に当選する。