森本 葵(もりもと まもる、1939年7月11日 - 202… 森本 葵(もりもと まもる、1939年7月11日 - 2021年2月28日)は、日本の陸上競技選手、陸上競技指導者、体育学者。駒澤大学名誉教授。元800m日本記録保持者。1964年東京オリンピック日本代表。 駒澤大学陸上競技部監督として2000年に箱根駅伝初優勝に導くなど、同大の礎を築いた。同総監督、顧問を歴任。日本学生陸上競技連合参与を務めた。 三重県二見町出身。三重県立宇治山田商業高等学校、中央大学卒業。高校入学時は野球部だったが、脚力を買われ陸上部に加わり高校駅伝に出場。県大会で1区区間賞を獲得したのを契機に陸上の道へと進む。元プロ野球選手の中村稔は高校の同期。東京五輪当時はマラソン優勝の裸足のアベベ・ビキラ選手と同じ身長、体重だった。
辻 重五郎(つじ じゅうごろう、1939年(昭和14年)7月… 辻 重五郎(つじ じゅうごろう、1939年(昭和14年)7月11日 - )は、日本の政治家、教諭。元兵庫県丹波市長(3期)。
佐藤 征治郎(さとう せいじろう、1939年7月11日 - … 佐藤 征治郎(さとう せいじろう、1939年7月11日 - )は、日本の政治家、さいたま市議会議員(1期)、元埼玉県岩槻市長(第13代・第14代〈最終〉)、元社会民主党埼玉県議会議員(4期)、元日本社会党岩槻市議会議員(3期)。 秋田県出身。明治大学法学部卒。1971年に岩槻市議選に日本社会党公認で立候補して初当選。1975年でも再選したが、1979年に岩槻市議を2期目の途中で辞して埼玉県議選に東8区(当時・選挙区域は岩槻市)から社会党公認で立候補して落選、1983年に再び埼玉県議選に東8区から立候補して落選する。だが、1987年に岩槻市議選に8年振りに立候補して復帰当選した。1991年、岩槻市議を通算3期目の途中で辞して、埼玉県議選に東8区から3度目の立候補で初当選を果たし、1995年でも再選。
菅野 光亮(かんの みつあき、1939年7月10日 - 19… 菅野 光亮(かんの みつあき、1939年7月10日 - 1983年8月15日)は日本の作曲家、ジャズピアニスト。宮城県仙台市出身。 国立音楽大学付属高等学校を経て、東京芸術大学音楽学部作曲科に入学し、長谷川良夫に師事。大学在学中の1966年に、第35回日本音楽コンクール作曲部門第2部(室内楽曲)に応募した「弦楽四重奏曲第3番作品24」が3位入賞を果たす。大学卒業後は主にジャズピアニストとして活躍。 男声カルテット「ロイヤルナイツ」の第1回ソ連公演(1966年12月 - 1967年1月)、東欧公演~第3回ソ連公演(1968年5月下旬 - 9月)には、菅野光亮クインテットのピアニストとして同行。 1974年に公開された松竹映画「砂の器」では、ラフマニノフばりの美しいテーマ曲「ピアノと管弦楽のための組曲 宿命」を作曲・ピアノ演奏し、第29回毎日映画コンクール音楽賞、モスクワ映画祭ソビエト作曲家同盟賞を受賞した。
倉田 雅年(くらた まさとし、1939年〈昭和14年〉7月1… 倉田 雅年(くらた まさとし、1939年〈昭和14年〉7月10日 - 2016年〈平成28年〉11月21日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(3期)、総務副大臣(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、財務大臣政務官(第2次小泉内閣改造内閣・第3次小泉内閣)などを歴任した。 静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身。静岡県立清水東高等学校、東京大学法学部卒業。大学在学中に司法試験に合格し、1968年に弁護士開業。 1996年、第41回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で静岡4区から立候補したが、無所属の望月義夫に敗れ落選。2000年の第42回衆議院議員総選挙に比例東海ブロックから単独立候補し、初当選。2003年の第43回衆議院議員総選挙でも比例単独で再選。
石田 博三(いしだ ひろぞう、1939年7月10日 - 20… 石田 博三(いしだ ひろぞう、1939年7月10日 - 2023年4月30日)は、日本のプロ野球選手。滋賀県草津市出身。 滋賀県立大津東高等学校(1956年4月に膳所高等学校に改称)では投手として活躍。2年生の時、1956年春の選抜に出場。2回戦(初戦)で、この大会に優勝した中京商の安井勝(立大 - 丸善石油)と投げ合うが、延長10回裏にサヨナラ負けを喫する。同年夏は京滋大会決勝に進むが平安高に惜敗。翌1957年夏も京滋大会決勝で平安高に再度敗退し、甲子園出場を逸する。高校同期に三塁手の金村清がいた。 1958年に大阪タイガースに入団。高校時代に腰を痛めており、入団後すぐに投手から外野手に転向。
太田 枝雄(おおた はつお、1939年7月10日 - )は、… 太田 枝雄(おおた はつお、1939年7月10日 - )は、鳥取県出身の元プロ野球選手(投手、内野手、外野手)。 境高校では1957年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、米子東高に敗退。1958年に阪急ブレーブスへ投手として入団。1959年に内野手に転向。1961年に一軍に上がり、一塁手として8試合に先発出場。翌1962年は開幕直後から一軍に定着、自己最多の26試合に先発する。4月22日には大毎オリオンズを相手に四番打者としても起用され、4打数1安打を記録。また同年はウエスタン・リーグで1シーズン2本の満塁本塁打を放った。1963年にはウエスタン・リーグの本塁打王を獲得するが、一軍では打撃の低迷が続き、外野手として2試合の先発にとどまる。
海野 弘(うんの ひろし、1939年7月10日 - 2023… 海野 弘(うんの ひろし、1939年7月10日 - 2023年4月5日)は、日本の評論家。世紀末芸術などに関する多くの著書がある。本名は中村 新珠(なかむら あらたま/しんじゅ)。 東京都出身。幼少の一時期、母の故郷の青森県脇野沢村(現在のむつ市)に住む。1962年、早稲田大学第一文学部ロシア文学科を卒業。平凡社に入社、『太陽』編集に関わり、1976年から編集長を務めた。在職中、当時ほとんど評価されていなかったアール・ヌーヴォーに注目し、1968年に処女作『アール・ヌーボーの世界』を刊行。 退社独立後は幅広い分野で著述活動を行い、アール・デコの再評価、都市論、文学、音楽、映画、ファッション史などに加え、小説作品も手掛けた。
柳内 光子(やない みつこ、1939年7月9日 - )は、日… 柳内 光子(やない みつこ、1939年7月9日 - )は、日本の実業家。東京都江戸川区出身。 東京都立江東商業高等学校卒業。1957年に内山甚一商店に入社。1963年に兄とともに内山コンクリート工業(後に内山アドバンス)を設立し、生コンクリートメーカーとして成長させる。1985年に副社長に就任。 1969年に建設資材の総合商社・山一興産株式会社の設立に参画し、1984年に代表取締役社長に就任。1994年に社団法人ニュービジネス協議会の理事に就任し、女性経営者委員会の委員長を務めた。1998年より社会福祉事業にも取り組む。2004年に浦安商工会議所会頭に就任し、全国初の女性会頭となる。学校法人草苑学園学園長、社団法人浦安観光コンベンション協会特別理事。
吉行 理恵(よしゆき りえ、本名:吉行→辻→吉行理恵子、19… 吉行 理恵(よしゆき りえ、本名:吉行→辻→吉行理恵子、1939年〈昭和14年〉7月8日 - 2006年〈平成18年〉5月4日)は、日本の小説家・詩人。 東京府生まれ。母は吉行あぐり、父は吉行エイスケ。兄は吉行淳之介、姉は吉行和子。女子学院中学校・高等学校、早稲田大学第二文学部日本文学専修卒業。 父や兄の影響を受け、早くから文筆活動に目覚める。1964年から1967年まで、工藤直子・吉原幸子ら女性詩人8人による同人「ゔぇが」に参加。詩集『夢のなかで』で1968年第8回田村俊子賞を受賞。 詩人としての評価の方が高かったが、小説『小さな貴婦人』で1981年上期芥川賞を受賞。兄妹で芥川賞を受賞した最初の事例として話題を呼んだ(選考委員の1人には兄がいた)。
橋本 淳(はしもと じゅん、1939年〈昭和14年〉7月8日… 橋本 淳(はしもと じゅん、1939年〈昭和14年〉7月8日 - 2026年〈令和8年〉5月21日)は、日本の作詞家である。本名は与田凖介(よだ じゅんすけ)で、詩人・児童文学者の与田凖一(1905年 - 1997年)は実父である。すぎやまこういちに師事し、弟子に中村容子がいる。作曲家の筒美京平とのコンビでヒット曲を多数手がける。 2,000曲を超える楽曲を発表し、代表作として知られるいしだあゆみ『ブルー・ライト・ヨコハマ』のほか、ジャッキー吉川とブルーコメッツ『ブルー・シャトウ』、ヴィレッジ・シンガーズ『亜麻色の髪の乙女』などグループ・サウンズ(GS)の作詞を多く手がけ、オリコンチャート解析で「GS関連で最も売れた作詞家」とされた。
栃内 香次(とちない こうじ、1939年7月8日 - )は、… 栃内 香次(とちない こうじ、1939年7月8日 - )は、日本の工学者。学位は、工学博士(北海道大学)。北海道における自然言語処理研究の第一人者。多くの門下生を輩出した。北海道大学教授・栃内吉彦の長男。祖父に栃内曽次郎がいる。 1962年に北海道大学工学部電気工学科卒業。1964年北海道大学大学院工学研究科電気工学専攻修了。1964年に北海道大学工学部専任講師に就く。以後、1965年に北海道大学工学部助教授。1986年9月工学博士を受く。1987年に北海道大学工学部教授。1994年に北海道大学大型計算機センター長(1998年まで)。1995年に北海道大学大学院工学研究科教授。2002年に定年退任。
畑 俊二(はた しゅんじ、1939年7月6日 - 2020年… 畑 俊二(はた しゅんじ、1939年7月6日 - 2020年[要出典])は、日本の学生野球指導者。元四国学院大学硬式野球部監督、元国士舘大学硬式野球部監督。広島県呉市出身。 広島県出身。呉阿賀高校を卒業後、立教大学に進学。長嶋茂雄が卒業した後の三塁手として活躍し、社会人野球の電電東京に入社。チームの主力選手として都市対抗野球大会にも出場し、チームをベスト4に導いた。 現役を引退後、東都大学野球の国士舘大学の監督に就任、チームを1部リーグ昇格に導いた。その後、高校野球、社会人野球で監督を務め、中央大学、全日本大学野球選手権大会優勝時の近畿大学、選抜高等学校野球大会優勝時の観音寺中央高の臨時コーチを経て、2005年1月に四国学院大学の監督に就任。
中村 邦夫(なかむら くにお、1939年〈昭和14年〉7月5… 中村 邦夫(なかむら くにお、1939年〈昭和14年〉7月5日 - 2022年〈令和4年〉11月28日)は、日本の実業家。位階は従三位。松下電器産業(パナソニック)元社長。プラズマテレビ事業を推進したが失敗し、社長退任後、1兆円を超える巨額の赤字を2年連続で計上し、経営危機を招いた。 大阪大学経済学部卒業。松下電器産業(現・パナソニック)を根底から180度改革した人物として有名で、幸之助存命時より松下の冠を外すよう進言し、幸之助は呆れて言葉が出なかった逸話を持つ。2008年(平成20年)10月に社名を「パナソニック株式会社」へ変更する礎を築き「旧来の幸之助神話を壊した男」の異名を取る。実際に幸之助の亡くなる直前に、アメリカ社長への栄転の体を取りつつ、飛ばされている。
三谷 英夫(みたに ひでお、1939年7月4日- )は、日本… 三谷 英夫(みたに ひでお、1939年7月4日- )は、日本の歯科医師・歯学者。前東北大学副総長、東北大学歯学部学部長。 1958年に大阪府立天王寺高等学校、1964年に大阪歯科大学卒業後、1969年にイリノイ大学大学院歯学研究科修士課程を修了。以後、東京医科歯科大学歯学部附属病院矯正科医員(1969年)、東京医科歯科大学歯学部矯正科助手(1971年)、イリノイ大学歯学部歯科矯正学講座助教授(1972年)、主任教授代行(1973年)、東北大学歯学部附属病院矯正科講師(1977年)、東北大学歯学部歯科矯正学講座助教授(1978年)を経て1984年東北大学歯学部歯科矯正学講座教授に就任。 1995年には東北大学歯学部学部長・大学院歯学研究科研究科長に、2000年11月には東北大学副総長に就任。
寺本 勇(てらもと いさむ、1939年7月3日 - )は、兵… 寺本 勇(てらもと いさむ、1939年7月3日 - )は、兵庫県芦屋市出身の元プロ野球選手(外野手)・プロ野球審判員。元パシフィック・リーグ審判部長。 芦屋高等学校では1956年、2年生の時に左翼手として春の選抜に出場。準決勝まで進むが中京商に敗れる。一学年上のチームメートに渡海昇二がいた。卒業後は立教大学に進学。東京六大学野球リーグでは1、2年在学中に3度の優勝を経験するが、その後の立大は低迷を続ける。しかし1961年秋季リーグでチームは2位まで順位を戻し、寺本も打率.410(2位)を記録して、同季のベストナインに選出された。大学同期に丸山完二、青野修三がいる。 1962年に大毎オリオンズに入団するが、一軍出場に恵まれないまま1963年に退団。
迫田 穆成(さこた よしあき、1939年7月3日 - )は、… 迫田 穆成(さこた よしあき、1939年7月3日 - )は、高校野球の指導者(監督)である。
永松 博文(ながまつ ひろふみ、1939年7月3日 - )は… 永松 博文(ながまつ ひろふみ、1939年7月3日 - )は、日本の政治家。大分県豊後高田市長(2005年の市町村合併後)を3期、旧豊後高田市長を2期務めた。昭和の町による豊後高田市の地域おこしの推進で知られる。
木村和巨(きむら かずお、1939年7月2日 - )は、日本… 木村和巨(きむら かずお、1939年7月2日 - )は、日本の実業家。元株式会社三貴(じゅわいよ・くちゅーるマキ/ジュエリーマキ)代表取締役社長。 東京都出身。早稲田大学高等学院を経て、早稲田大学商学部を卒業。その後、同大学院商学研究科に進学し、自宅の一間で宝石販売業を始め、1965年に株式会社三貴を設立し、代表取締役社長に就任。 同社は、木村の早大の後輩ら数名でスタートした。 宝飾品・貴金属業界では垂直統合をビジネスモデルとして考案、展開した。 その後、婦人服、子供服事業にも進出。最盛期には全国1,400店舗、物流センター、2ヶ所の海外工場を擁し、売上高は1,800億円を超え、従業員は8,000名を数えた。
青木 弘司(あおき こうじ、1939年7月2日 - 没年不明… 青木 弘司(あおき こうじ、1939年7月2日 - 没年不明)は、日本の演出家、アニメ脚本家。 神奈川県大和市生まれ。藤嶺学園藤沢高校卒、1963年3月、早稲田大学第一文学部国文科卒。大学時代は稲門シナリオ研究会に所属して卒業後に雑誌社勤務を経て、同年9月に東映テレビに契約助監督として入社、家城巳代治や野田幸男らに付いた。 テレビドラマの演出や企業PR、深見弘としてアニメシナリオ、教育映画も制作。日本映画監督協会会員。時期は不明だが同協会サイトでは物故者となっている。
畑 道也(はた みちや、1939年7月2日 - 2008年3… 畑 道也(はた みちや、1939年7月2日 - 2008年3月25日)は、日本の音楽学者。関西学院大学文学部教授、同学院院長(第14代)を歴任した。 西欧音楽史、および音楽を中心とする文化変容が専門。父は畑歓三。 大阪府生まれ、兵庫県西宮市で幼少期を送る。関西学院中学部・高等部卒業後、1964年に関西学院大学文学部を卒業。1970年、関西学院大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。1982年より関西学院大学文学部美学科教授、2004年4月から2007年3月まで、関西学院第14代院長を務めた。この他に、関西学院大学交響楽団で、名誉顧問と常任指揮を務めた。2008年3月25日、気管支肺炎のため死去。
清水 啓吾(しみず けいご、1939年7月2日 - )は、日… 清水 啓吾(しみず けいご、1939年7月2日 - )は、日本の元競泳選手。長崎県出身。慶應義塾大学卒業。1960年ローマオリンピック競泳では男子100m自由形準決勝敗退したが男子4×100mメドレーリレーで銅メダルを獲得した。 1962年のアジア競技大会競泳男子100m自由形で金メダルを獲得した。
池端 雪浦(いけはた せつほ、女性、1939年 <昭和14年… 池端 雪浦(いけはた せつほ、女性、1939年 <昭和14年> 7月2日 - 2023年 <令和5年> 9月20日)は、日本の歴史学者。元東京外国語大学学長(2001年9月 - 2007年8月)。東京外国語大学名誉教授。文学博士(東京大学、1990年)。東南アジア史を専門とする。 日本領朝鮮京城(現韓国ソウル)生まれ。日本の敗戦に伴い家族と引き揚げ、親類を頼って宮崎県へ。次いで長崎県で中高生時代を過ごした。長崎県立長崎西高等学校卒業。東京大学文学部東洋史学科卒業。東京大学大学院人文科学研究科東洋史学専攻修士課程修了。人文学名誉博士(フィリピン大学)。 愛知大学文学部助教授、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授、東南アジア史学会会長(1998年1月 - 1999年12月)を歴任。
森下 一徹(もりした いってつ、1939年〈昭和14年〉7月… 森下 一徹(もりした いってつ、1939年〈昭和14年〉7月1日 - 2021年〈令和3年〉5月4日)は、日本の写真家。 戦時中は福島県二本松に疎開していた。自動車工場の旋盤工をしながら東京都立小山台高等学校(定時制)を卒業。東京綜合写真専門学校で写真を学び、卒業後同校講師となる。 1964年、写真評論家、重森弘淹のすすめで原水爆禁止世界大会の記録を撮影していた時、被爆者のスピーチを初めて聞く。それまでの森下は、被爆者を原子爆弾で心身ともに破壊され、仕事もできずあわれでみじめな生活をしている人たちだと思っていた。しかし、彼らの核廃絶にかける強い意志と生きる力に満ちあふれたスピーチを聞いて深い感銘を受け、自分を恥じる気持ちでいっぱいになる。
馬場 章夫(ばんば ふみお、1939年〈昭和14年〉7月1日… 馬場 章夫(ばんば ふみお、1939年〈昭和14年〉7月1日 - )は日本のタレント、ラジオパーソナリティ、探検家。滋賀県高島郡高島町(現在の高島市)出身。既婚。 中学2年時まで滋賀県高島町で生活した後に、岡崎中学校の3年に編入。左京区北白川別当町に居住。高校3年時に大学を受験したが、1校も合格に至らず、1年間の浪人生活を経て京都市立芸術大学へ入学した。4人兄弟。8歳上の兄、姉がいる。 京都市立芸術大学への在学中に、探検部を創設。大学を6年がかりで卒業した後に、アフリカやミクロネシアを探検しては、その成果を新聞や雑誌に発表していた。本人によれば、日本人で初めて「プロ探検家」の肩書を名乗ったとされる。
落合 畯(おちあい たおさ、1939年(昭和14年)7月 -… 落合 畯(おちあい たおさ、1939年(昭和14年)7月 - )は、日本の元海上自衛官である。最終階級は海将補。自衛隊初の海外任務となった、湾岸戦争後のペルシャ湾掃海派遣部隊の指揮官。現在は鎌倉市在住。 太平洋戦争での沖縄戦において、「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電報を送った事で有名な大田実海軍中将の三男である。
森 仁美 (もり ひとみ、1939年7月 - ) は、日本の… 森 仁美 (もり ひとみ、1939年7月 - ) は、日本の厚生・環境官僚。元環境事務次官。石川県出身。 公衆衛生局老人保健部計画課長・同局企画課長・薬務局企画課長を経て、 その後、TOKYO金澤CLUB会長、目黒石川県人会会長等の肩書を持つ。
山岸 俊之 (やまぎし としゆき、1939年7月 - 201… 山岸 俊之 (やまぎし としゆき、1939年7月 - 2018年1月29日)は、日本の建設技官。国土庁長官官房水資源部長や、井上工業代表取締役社長などを務めた。土木学会技術賞受賞。 埼玉県大宮市生まれ。1963年山梨大学工学部土木工学科卒業。1965年東京大学大学院数物系研究科修士課程修了、建設省入省、中国地方建設局。1974年建設省中国地方建設局河川部河川計画課長。1975年土木学会技術賞受賞。1976年建設省河川局開発課課長補佐。1979年建設省静岡河川工事事務所所長。1981年建設省関東地方建設局八ッ場ダム工事事務所長。1983年国土技術研究センター調査第一部長。1988年建設省近畿地方建設局河川部長。
華山 謙(はなやま ゆずる、1939年6月30日 - 198… 華山 謙(はなやま ゆずる、1939年6月30日 - 1985年12月25日)は、日本の土地問題研究学者。元東京工業大学教授。ダム補償問題や土地問題を中心に研究。博士(農学)(東京大学、1967年)。東京都生まれ。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
平井 克彦(ひらい かつひこ、1939年6月30日- )は… 平井 克彦(ひらい かつひこ、1939年6月30日- )は、日本の経営者。東レ社長、会長を務めた。愛知県出身。 1962年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に東洋レーヨン(のちの東レ)に入社した。1993年6月に取締役に就任し、1996年6月に専務に就任し、1997年6月には社長に昇格した。2002年6月に副会長に就任し、2004年6月から相談役を務めた。 2008年4月から2014年4月までに健康保険組合連合会会長を務めた。 2011年11月に旭日重光章を受章した。
甲斐 靖文(かい やすふみ、1939年6月30日 - )は、… 甲斐 靖文(かい やすふみ、1939年6月30日 - )は、大分県別府市生まれの日本の作曲家・編曲家・明治大学マンドリン倶楽部音楽監督・常任指揮者・OB会会長。古賀政男音楽文化振興財団理事。 1958年、明治大学法学部入学、明治大学マンドリン倶楽部に入部する。1962年に卒業後、大学の先輩にあたる古賀政男に作曲を、佐伯亮に編曲を師事する。 1965年に日本コロムビアに専属作曲家として迎えられ、藤山一郎・島倉千代子・都はるみ・舟木一夫・大川栄策・ペギー葉山・大月みやこ・キム・ヨンジャなどの楽曲、日本相撲協会練成歌(作曲)、器楽曲アルバム、カラオケなどを合わせると、これまでに6,000曲以上の楽譜を制作。
葉山 夏樹(はやま なつき、1939年6月28日 - )は、… 葉山 夏樹(はやま なつき、1939年6月28日 - )は、日本の実業家。田辺三菱製薬(現・田辺ファーマ)株式会社の初代代表取締役社長や、日本製薬工業協会副会長を務めた。
岡下 信子(おかした のぶこ、1939年6月28日 - )は… 岡下 信子(おかした のぶこ、1939年6月28日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(通算2期)を務めた。 香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校、学習院女子短期大学文科英語専攻卒業。 1962年(昭和37年)に大蔵省職員の岡下昌浩と結婚。1989年(平成元年)に夫が大蔵省を退職し、政治活動を始めると、秘書として夫を支える。昌浩は、1990年(平成2年)の総選挙には無所属で、1993年(平成5年)および1996年(平成8年)の総選挙には自由民主党から出馬するがいずれも落選。その後、1998年(平成10年)に昌浩が急逝する。 2000年(平成12年)の総選挙に、岡下は夫の地盤を引き継ぎ、大阪17区から自民党公認で出馬し初当選。
片上 公人(かたかみ こうじん、1939年〈昭和14年〉6月… 片上 公人(かたかみ こうじん、1939年〈昭和14年〉6月28日 - 2010年〈平成22年〉)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。キャッチコピーは『地球人・未来人・片上公人』 神戸市出身。神戸大学経済学部卒業。神戸市職員、創価学会の地元役員、聖教新聞記者などを経て1986年の第14回参議院議員通常選挙に兵庫県選挙区より公明党公認で出馬し、当選。1992年の選挙で再選を果たす。 1995年秋、女性秘書に対するセクハラで告訴される。1995年11月16日には自民党、日本社会党、新党さきがけ、日本共産党の全女性議員22人が事実関係の調査と片上議員の議員辞職を求める超党派の声明を出した。22日には、自民党の石井道子、南野知惠子、社会党の千葉景子、日下部禧代子、大脇雅子、栗原君子、さきがけの堂本暁子、共産党の吉川春子、阿部幸代が参院議長に対して「多くの女性の憤りや疑問に答えるためにも速やかな事実の解明を求める」との申し入れ書を手渡した。
星野 伊佐夫(ほしの いさお、1939年6月27日 - )は… 星野 伊佐夫(ほしの いさお、1939年6月27日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日中綬章。 新潟県長岡市・三島郡選挙区選出の新潟県議会議員(12期)、新潟県議会議長、新潟県議会副議長、自由民主党新潟県連会長、自由民主党新潟県連常任顧問、自由民主党長岡支部長などを歴任した。 新潟県長岡市に生まれる[要出典]。1958年(昭和33年)3月、新潟県立長岡商業高等学校卒業。 1978年(昭和53年)4月、新潟県議会議員補欠選挙に立候補し初当選(1期)。越山会青年部長、越山会県議団長などを務める。 1991年(平成3年)5月16日、新潟県議会副議長に就任。 1996年(平成8年)7月12日、新潟県議会議長に就任。
佐伯 胖(さえき ゆたか、1939年6月27日 - )は、日… 佐伯 胖(さえき ゆたか、1939年6月27日 - )は、日本の認知心理学者。信濃教育会教育研究所所長。東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。 岐阜県生まれ。大阪府立北野高等学校卒業。1964年慶應義塾大学工学部管理工学科卒業。同大学大学院工学研究科管理工学専攻修士課程修了。ワシントン大学大学院心理学専攻修士課程および博士課程修了、Ph.D.(1970年)。 東京理科大学理工学部助教授、東京大学大学院教育学研究科・教育学部長・教授。2000年定年退官、名誉教授、青山学院大学文学部教育学科教授を経て、2008年度から同大学社会情報学部教授、ヒューマン・イノベーション研究センター所長。2013年同大学退職、名誉教授。
長野 祐也(ながの すけなり、1939年6月27日 - 20… 長野 祐也(ながの すけなり、1939年6月27日 - 2018年6月25日)は、日本の政治家・政治評論家。鹿児島県議会議員、衆議院議員(3期)。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島玉龍高等学校第9回卒、同級生には元厚生労働大臣の尾辻秀久がいる。高校時代は弁論部で活動し、1957年10月に広島大学主催の全国高校弁論大会に出場、演題「高校生の使命に思う」で優勝。1963年、中央大学法学部政治学科卒業。 田中茂穂参議院議員秘書や鹿児島県議会議員、新自由クラブ鹿児島県連代表を経て、1980年第36回衆議院議員総選挙では鹿児島1区において自由民主党公認・中曽根派所属の新人候補として初当選、以降3期連続で務める。
恩田 昌史(おんだ まさし、1939年6月27日 - )は、… 恩田 昌史(おんだ まさし、1939年6月27日 - )は、大阪府南河内郡喜志村(現・富田林市)出身のフィールドホッケー選手・指導者である。現役時代のポジションはセンターフォワード。日本ホッケー界の重鎮である。 ホッケーの名門天理大学で活躍。1958年のアジア大会銅メダルに貢献。「天才プレーヤー」と謳われた。卒業後の1963年、天理大に入職。1968年にはメキシコ五輪に選手として出場。大学内では書記、助手、講師、助教授を経て、1983年に教授となる。 1965年、男子ホッケー部監督に就任し、1977年には女子チームも結成した。男女合わせて監督として「全国大会通算102度」の優勝を記録し、1988年には史上初の「アベック3冠」を達成した。
内山 和巳(うちやま かずみ、1939年〈昭和14年〉6月2… 内山 和巳(うちやま かずみ、1939年〈昭和14年〉6月27日 - )は、群馬県伊勢崎市出身の日本の元プロ野球選手(投手、外野手)。 伊勢崎高を経て1958年から1960年にかけて中日ドラゴンズに在籍し、1958年は投手、59-60年は外野手。1960年のシーズン限りで引退した。一軍出場はならなかったが、後に息子の内山憲一がヤクルト入りし、史上初の親子投手として話題となった。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
菊谷 勝利(きくや かつとし、1939年6月26日 - 20… 菊谷 勝利(きくや かつとし、1939年6月26日 - 2015年7月5日)は、日本の政治家。北海道砂川市長(3期)。 北海道増毛郡増毛町出身。1958年、北海道留萌高等学校卒。1961年、砂川市役所に入る。1971年、自治労砂川市職員労働組合特別執行委員となり、同年の砂川市議会議員選挙で当選する。砂川市議は1999年まで務め、この間、副議長と議長を歴任した。同年の砂川市長選挙に立候補し当選し、3期務める。2011年に市長を退任した。
佐藤 栄佐久(さとう えいさく、1939年〈昭和14年〉6月… 佐藤 栄佐久(さとう えいさく、1939年〈昭和14年〉6月24日 - 2025年〈令和7年〉3月19日)は、日本の政治家。 参議院議員(1期)、福島県知事(5期)、全国過疎地域自立促進連盟会長を務めた。 衆議院副議長で元外務大臣の玄葉光一郎は娘婿にあたる。 福島県郡山市生まれ。幼少期、本宮市に転居したが中学生からは再び郡山市で育った。福島県立安積高等学校、東京大学法学部卒業。 日本青年会議所副会頭 等の役職を歴任した後、1983年の第13回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で福島県選挙区から立候補し、初当選を果たした。 1988年、松平勇雄の引退に伴う福島県知事選挙に伊東正義や斎藤邦吉の支援を受け、参議院議員を辞職して立候補し当選を果たした。
平田 正(ひらた ただし、1939年6月24日 - )は群馬… 平田 正(ひらた ただし、1939年6月24日 - )は群馬県出身の実業家。協和醗酵工業会長。
中村 健之介(なかむら けんのすけ、1939年6月24日 -… 中村 健之介(なかむら けんのすけ、1939年6月24日 - 2022年9月22日)は、日本のロシア文学研究者。北海道大学名誉教授。新潟県三条市出身。 国際基督教大学教養学部卒業、東京大学大学院比較文学比較文化博士課程中退、北海道大学助教授、教授を経て1995年より東京大学教養学部教授、2000年定年退官後は大妻女子大学比較文化学部教授、2010年定年退任。 もっぱらドストエフスキー研究に専念してきたが、近年は宣教師ニコライ・カサートキンとその周辺の研究で業績を挙げた。2007年、『宣教師ニコライの全日記』(監訳)で日本翻訳出版文化賞受賞。明治大学教授(英語圏文学)の中村和恵は長女。 2022年9月22日午前4時2分、肺炎のため兵庫県の病院で死去。
木下 長宏(きのした ながひろ、1939年6月24日 - )… 木下 長宏(きのした ながひろ、1939年6月24日 - )は、日本の美術史学者。横浜国立大学名誉教授。私塾「土曜の午後のABC」を主宰。 1966年同志社大学文学部文化学科卒、同大学院美学・美術史博士課程単位取得退学。京都芸術短期大学助教授、教授、1993年『思想史としてのゴッホ』で芸術選奨新人賞受賞。1998年横浜国立大学教授、2005年定年。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
石川 錬治郎(いしかわ れんじろう、1939年6月22日 -… 石川 錬治郎(いしかわ れんじろう、1939年6月22日 - 2021年10月29日)は、日本の政治家。秋田市長(3期)、秋田県議会議員(1期)を務めた。 秋田県南秋田郡五城目町字杉沢生まれ。秋田県立秋田高等学校、早稲田大学文学部を卒業。東京大学大学院農学系研究科農業経済専攻修士課程修了。 千葉大学園芸学部助手などを経て、1983年の第13回参議院議員通常選挙に日本社会党公認で秋田県選挙区より立候補し、落選。1986年の第14回参議院議員通常選挙にも立候補したが、落選。 1989年、秋田市長選挙に立候補したが、現職の高田景次に敗れ落選。1990年、高田の辞任に伴う秋田市長選挙に立候補し初当選。以後3期連続当選する。
渡辺 利夫(わたなべ としお、1939年6月22日 - )は… 渡辺 利夫(わたなべ としお、1939年6月22日 - )は、日本の経済学者。学位は、経済学博士。東京工業大学名誉教授、拓殖大学名誉教授、公益財団法人オイスカ会長。日本李登輝友の会会長。一般社団法人高齢者活躍支援協議会会長。専門は開発経済学と現在アジア経済論。山梨県甲府市生まれ。
飯田 健郎(いいだ たけお、1939年6月22日 - )は、… 飯田 健郎(いいだ たけお、1939年6月22日 - )は、日本の化学者。大阪工業大学名誉教授・工学博士、桜花会元幹事。元日本化学会近畿支部幹事。日本接着学会1990評議員。 専門は、高分子化学・合成化学(特にPVC)。 1962年大阪工業大学工学部応用化学科卒業(応用化学科第一期生)。同大学大学院工学研究科応用化学専攻修士課程修了。同大学工学部応用化学科助手となり、応用化学教室を担当。同学科講師、助教授を経て、1982年工学博士(大阪工業大学)。1995年同学科教授。1996年同大学学生部長などを経て、2007年大阪工業大学名誉教授。 大阪工業大学応用化学科にて、約40年の長きに渡り教鞭を執り、同学科同窓会である桜花会幹事も務めた。
菅野 則子(すがの のりこ、1939年(昭和14年)6月22… 菅野 則子(すがの のりこ、1939年(昭和14年)6月22日 - )は、日本史学者。帝京大学名誉教授。元「公益財団法人市川房枝記念会女性と政治センター」理事長。 東京生まれ。1962年東京女子大学文理学部卒業。1964年東京都立大学 (1949-2011)大学院修士課程修了。1993年「幕末農村社会史研究」で都立大学博士(史学)。一橋大学経済学部助手、帝京大学文学部教授。2010年定年退任、名誉教授。
宮村 忠(みやむら ただし、1939年6月22日 - 202… 宮村 忠(みやむら ただし、1939年6月22日 - 2022年9月3日)は、日本の河川工学者、関東学院大学工学部名誉教授。 東京府東京市深川区(現東京都江東区)生まれ。1966年東京農業大学大学院修士課程修了。1975年「水害と土地利用に関する実証的研究」で東京大学工学博士。関東学院大学工学部助教授、1985年教授。2010年名誉教授。横浜歴史資産調査会代表、NPO法人本所深川代表。宮村河川塾を開いた。2019年、個人として初めて水防功労者国土交通大臣表彰を受けた。2022年9月3日、菌血症のため死去。83歳没。 1987年、当時関東学院大学の工学部の教授であった宮村らが中心となって、工学部土木工学科の中に全国初の「女子クラス」が誕生した。
中山 尚三(なかやま しょうぞう、1939年(昭和13年)6… 中山 尚三(なかやま しょうぞう、1939年(昭和13年)6月21日 - )は実業家。豊田自動織機相談役。同社元代表取締役副会長。 1939年、三重県に出生。 明治大学工学部卒業。 1962年、明大を卒業し、トヨタグループの本家にあたる株式会社豊田自動織機製作所(現・豊田自動織機)に入社。後に、同社の事業の中核を形成することになるコンプレッサー事業の立ち上げを担う。同社コンプレッサーは、ダイムラー、フォルクスワーゲン、ゼネラルモーターズなど、国内外の主要自動車メーカーから採用され、世界No.1シェアを獲得するに至り、同社の事業発展に大きな貢献を果たした。