八角 三郎(やすみ さぶろう、1880年〈明治13年〉12月… 八角 三郎(やすみ さぶろう、1880年〈明治13年〉12月19日 - 1965年〈昭和40年〉1月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍中将、衆議院議員。 岩手県盛岡市出身。栃内曽次郎海軍大将は叔父。八角が海軍兵学校を志願するきっかけは原敬の激励だったという。 岩手県立盛岡尋常中学校より海軍兵学校(29期)へ進んだ。席次は入校時137名中119番。卒業時は125名中75番。第一駆逐隊所属の駆逐艦「吹雪」乗組み中尉として日本海海戦に参戦。大尉時代に『敵艦進路及び速力の誤測に対する命中限界算法、魚雷動的発射に於ける誤差』と題する論文を発表 し、海軍水雷術の発展に貢献している。海軍水雷学校校長、第二水雷戦隊司令官を務めた水雷の権威である。
横濱 勉(よこはま つとむ、1880年10月15日 - 19… 横濱 勉(よこはま つとむ、1880年10月15日 - 1960年12月23日)は、日本の建築家。旧第九十銀行本店(国の重要文化財)などの設計で知られる。盛岡市出身。
米内 光政(よない みつまさ、旧字体: 米內 光政、1880… 米内 光政(よない みつまさ、旧字体: 米內 光政、1880年〈明治13年〉3月2日 - 1948年〈昭和23年〉4月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。海兵29期・海大12期。最終階級は海軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功一級。 連合艦隊司令長官(第23代)、海軍大臣(第19・24代)、内閣総理大臣(第37代)を歴任した。 1880年(明治13年)、岩手県南岩手郡三割村(現:盛岡市)に旧盛岡藩士・米内受政の長男として誕生する。 1886年(明治19年)、鍛冶町尋常小学校に入学。1890年(明治23年)、盛岡高等小学校に入学。1894年(明治27年)、岩手県尋常中学校に入学。1898年(明治31年)、海軍兵学校29期に入校。
田丸 節郎(たまる せつろう、1879年11月1日 - 19… 田丸 節郎(たまる せつろう、1879年11月1日 - 1944年8月5日)は、日本の化学者。 岩手県盛岡市出身、盛岡中学卒業。 1904年に東京帝国大学理科大学化学科を卒業した。1908年から1917年にかけてドイツのフリッツ・ハーバーの許でアンモニア合成の研究に携わった。1917年に帰国し理化学研究所の研究員となり、1929年に東京工業大学の教授に就任した。日本学術振興会の創設にも尽力した。 田中舘愛橘や寺田寅彦とともに、東京帝大運動会の短距離競走で使用された電気計測器の製作にも携わった。1902年の運動会では、100メートル競走優勝者に対して実施された「優勝者競走」というタイムトライアルに初めてこの装置が使用され、出走した藤井實(当時法科大学生)が10秒24という記録を出したとされる(この記録に関する詳細や議論については藤井の記事を参照)。
出淵 勝次(でぶち かつじ、1878年(明治11年)7月25… 出淵 勝次(でぶち かつじ、1878年(明治11年)7月25日 - 1947年(昭和22年)8月19日)は、日本の外交官、政治家。外務次官、在アメリカ合衆国日本大使、貴族院勅選議員、参議院議員。位階は正三位、勲等は勲一等。 岩手県第一大区一小区仁王村(現盛岡市梨木町)で旧盛岡藩藩士の次男として生まれる。旧制盛岡中学校(岩手県立盛岡第一高等学校の前身)卒、1902年旧制東京高等商業学校(一橋大学の前身)専門部貿易科卒業。同期に山中千之元国際連盟委任統治委員、高嶋菊次郎元中支那振興総裁、上田貞次郎元帝国学士院会員など。 1902年、外交官及び領事官試験に合格し外務省入省。京城在勤、ドイツ在勤、政務局第一課長を歴任。
切田 太郎(きりた たろう、1876年3月1日 - 1937… 切田 太郎(きりた たろう、1876年3月1日 - 1937年7月4日)は、日本の商学者。第6代台北高等商業学校校長。 岩手県盛岡市生まれ。1900年高等商業学校(現一橋大学)卒業。1902年同専攻部卒業。大倉高等商業学校講師、国民英学会講師、日本大学講師、明治大学講師、善隣高等商業学校講師、同教授、大倉高等商業学校教授を経て、1910年から東京高等商業学校教授を務める傍ら、中華民国政府の招きで京師大学堂講師を務め、同大学に商学部を設立した。1918年中村組ニューヨーク支店長。1919年台湾総督府台北高等商業学校教授。1929年同校長事務取扱。1930年同校長。1937年退官、叙正四位。同年鉄道事故にて負傷し死去し、学友の上田貞次郎らが弔問に訪れた。
田丸 卓郎(たまる たくろう、明治5年9月25日(1872年… 田丸 卓郎(たまる たくろう、明治5年9月25日(1872年10月27日)/ 明治5年9月29日(1872年10月31日) - 昭和7年(1932年)9月22日)は、日本の物理学者、ローマ字論者。岩手県盛岡市出身。化学者の田丸節郎は弟。 盛岡大清水小路にて旧盛岡藩士・田丸十郎とセンの次男として生まれた。1879年(明治12年)には伯父である中原雅郎一家とともに暮らし、宮城県師範学校附属小学校、東京師範学校附属小学校へ通った。 1895年(明治28年)、(東京)帝国大学理科大学物理学科卒業。第五高等学校教授、京都帝国大学助教授、1901〜1905年ドイツのハイデルベルク大学留学を経て、1900年(明治33年)に東京帝国大学理科大学助教授。
原 勝郎(はら かつろう、1871年4月15日(明治4年2月… 原 勝郎(はら かつろう、1871年4月15日(明治4年2月26日) - 1924年(大正13年)1月12日)は、日本の歴史学者。京都帝国大学教授、京都帝国大学文学部長。 1871年、岩手県盛岡市で旧盛岡藩士・原勝多の長男として生れた。盛岡中学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学文科大学史学科で学んだ。1896年に卒業。同大学大学院に進んだ。 1896年12月から一年志願兵として近衛歩兵第4連隊に入営。1899年2月、陸軍歩兵少尉に任官し、1904年、歩兵中尉に進級。 1899年9月、第一高等学校教授に就いた。1902年10月、文学博士号を取得。 1907年2月から1909年3月まで、イギリス、アメリカ、ドイツに留学。
大矢 馬太郎(おおや うまたろう、1870年7月24日〈明治… 大矢 馬太郎(おおや うまたろう、1870年7月24日〈明治3年6月26日〉 - 1939年〈昭和14年〉7月11日)は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家、実業家。岩手県盛岡市長。貴族院多額納税者議員、衆議院議員。旧姓は中村。 中村俊太郎の伯父として、現在の盛岡市馬場町(馬場小路)に生まれる。のち大矢五蔵の養子となり家督を相続する。1888年(明治21年)7月、岩手県中学校(現岩手県立盛岡第一高等学校)を卒業し、盛岡市参事会員を経て、1907年(明治40年)11月、盛岡市長に就任。1910年(明治43年)8月、市長の座を退き、岩手県会議員、岩手県参事会員、盛岡市会議員、同議長などを経て、1916年(大正5年)12月、補欠選挙で貴族院議員に当選し、同年12月26日から1918年(大正7年)9月28日まで在任した。
清岡 等(きよおか ひとし、1864年1月16日(文久3年1… 清岡 等(きよおか ひとし、1864年1月16日(文久3年12月8日) - 1923年(大正12年)12月31日)は、日本の政治家、実業家。 陸奥国盛岡(現岩手県盛岡市)生まれ。父親行三の関係で秋田で過ごし太平学校(旧制秋田中学校、現秋田県立秋田高等学校)を卒業。1882年(明治15年)から1894年(明治27年)まで岩手県庁に勤務。1894年から1901年(明治34年)まで盛岡市長を務めた。1902年の第7回衆議院議員総選挙に出馬して原敬に敗れる。その後、盛岡電気社長、巖手日報の主筆、同社長などの事業を手がけた。
葛西 萬司(かさい まんじ、 文久3年7月23日(1863年… 葛西 萬司(かさい まんじ、 文久3年7月23日(1863年9月5日) - 昭和17年(1942年)8月19日)は明治から昭和初期に活躍した設計建築家。盛岡市出身。辰野金吾と建築設計事務所を共同経営したことなどで知られる。 工手学校(現工学院大学)造家学科教員。
北守 政直(きたもり まさなお、安政5年7月21日〈1858… 北守 政直(きたもり まさなお、安政5年7月21日〈1858年8月29日〉 - 大正15年〈1926年〉1月18日)は、明治から大正時代の日本の政治家、実業家。函館区長。通称は縫人、清次郎。 盛岡藩士・北守政智の長男として生まれ、1870年(明治3年)家督を相続し、盛岡藩権大属となる。当時、北守家は御新丸番頭家格で家禄は250石。同年免官し、1876年(明治9年)岩手県に出仕。地租改正係となる。その後、県税係を経て、1878年(明治11年)開拓使函館支庁に出向し、会計課配属となる。翌年の1879年(明治12年)民事課に転じ、1880年(明治13年)岩手県からの出向停止となり、開拓使に採用され准判任官に任官。
伊東 圭介(いとう けいすけ、1857年9月22日(安政4年… 伊東 圭介(いとう けいすけ、1857年9月22日(安政4年8月5日)- 1895年(明治28年)2月5日)は、明治時代の政治家、弁護士。自由民権運動家。衆議院議員(2期)。 盛岡藩目付役の父、伊東元右衛門の子として盛岡に生まれる。幼くして藩校作人館に入り和漢学を修め、大清水の小原洋学塾で学び、上京したのち岩手県聴訴課に奉職する。法律に目覚め、官を辞して法学を研究し、1875年(明治8年)代言人となった。翌年、協同社を、1878年(明治11年)には改進社を設立、さらに同社を合併し自由党盛岡支部を設立するなど自由民権運動に傾倒するが、1884年(明治17年)政談演説会で黒田内閣顧問の職務を誹毀したとして侮辱罪に問われ重禁錮2ヶ月罰金10円に処された。
大隈 英麿(おおくま ひでまろ、安政3年9月11日(1856… 大隈 英麿(おおくま ひでまろ、安政3年9月11日(1856年10月9日) - 1910年(明治43年)5月14日)は、明治時代の教育者、政治家。東京専門学校(早稲田大学の前身)初代校長(1882年 - 1886年)や衆議院議員を務めた。陸奥盛岡藩主南部家に生まれ、一時期は大隈重信の婿養子になったが、後に離縁した。 1856年10月9日(安政3年9月11日)、第14代盛岡藩主南部利剛の次男として盛岡城内に生まれる。幼名(初名)は剛建。1870年(明治3年)、14歳のときに姉・郁子の夫である華頂宮博経親王に従って渡米する(従者に五十川基)。現地の小・中学校を経てダートマス大学へ入学して天文学を専攻、のち指導教授の転任に伴いプリンストン大学に移り、数学を修めた。
鵜飼 節郎(うかい せつろう、1856年6月21日〈安政3年… 鵜飼 節郎(うかい せつろう、1856年6月21日〈安政3年5月19日〉 - 1931年〈昭和6年〉9月5日)は、日本の政治家、衆議院議員(立憲政友会)。 盛岡藩士の子として盛岡に生まれた。藩校で学んだ後、上京して法学・経済学を学んだ。1877年(明治10年)、西南戦争が起こると同志を率いて上京し、警部補・新撰旅団小隊長心得に任命された。その後自由民権運動に参加し、自由党東北常備委員として党勢の拡張に尽力した。1890年(明治23年)の第1回衆議院議員総選挙に、自由党から岩手県第4区で立候補したが落選した。 1902年(明治35年)、第7回総選挙に立憲政友会から岩手県郡部選挙区で立候補し、当選。
小野 慶蔵(おの けいぞう、1854年7月24日〈嘉永7年6… 小野 慶蔵(おの けいぞう、1854年7月24日〈嘉永7年6月30日〉 - 1920年〈大正9年〉10月31日)は、日本の実業家、政治家。 陸奥国盛岡呉服町にて、豪商小野組の支流である芳野屋の子として生まれた。藩校作人舘に学び,1872年(明治5年)、18歳で京都に出て商業の修業をした。帰郷後に金銀・株売買業で産を成し、盛岡の経済界に頭角を現すようになる。盛岡に市制が施行された1889年(明治22年)に35歳で市会議員となり、1912年(明治45年)まで23年間務めた。 1890年(明治23年)第九十国立銀行取締役に就任以来、同行株式を集め、筆頭株主でありながら1907年(明治40年)に(旧)岩手銀行を設立し、これ以来、“盛岡経済界の風雲児”と呼ばれるようになる。
阿部 浩(あべ ひろし、嘉永5年1月3日(1852年1月23… 阿部 浩(あべ ひろし、嘉永5年1月3日(1852年1月23日) - 大正11年(1922年)10月7日)は、日本の内務官僚、政治家。群馬県知事、千葉県知事(2期)、富山県知事、新潟県知事、東京府知事(2期)を歴任。衆議院議員(2期)、貴族院議員、日本赤十字社特別社員を務めた。位階および勲等は正三位・勲一等。陸奥国岩手郡盛岡出身。邸は荏原郡大井町元芝にあった。 南部藩士阿部雄平の子として生まれる。4つ年下の原敬とはいわゆる幼馴染の間柄であり、後に原に郵便報知新聞入社を勧めたのも阿部であったとされている。戊辰戦争後に上京して慶應義塾(後の慶應義塾大学)に学び、苦学の末に卒業して1874年に岡山県職員として採用され、後に工部省職員、鉄道事務官を経て内務省に移籍して社寺局長にまで昇った。
上田 農夫(うえだ のうふ、1848年6月30日(嘉永元年5… 上田 農夫(うえだ のうふ、1848年6月30日(嘉永元年5月30日)- 1895年(明治28年)8月29日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(1期)。幼名は馬太郎。 陸奥国岩手郡、のちの岩手県南岩手郡東中野村(現盛岡市)で盛岡藩士・上田長次の二男として生まれる。藩校作人館を経て1872年(明治5年)東京で遊学し、帰郷後の1876年(明治9年)岩手県に奉職する。聴訟課権少属、警部を経て、久慈警察署長、一関警察署長を歴任。1877年(明治10年)の西南戦争では官軍の新撰旅団小警部心得として出征する。自由民権運動に加わり、政治結社・求我社に加わった。1879年(明治12年)には岩手県会議員に当選し、議長を歴任した。
金田一 勝定(きんだいち かつさだ、1848年3月16日(弘… 金田一 勝定(きんだいち かつさだ、1848年3月16日(弘化5年2月12日) - 1920年(大正9年)12月31日)は、日本の実業家、和算家。 陸奥国岩手郡仁王村四ツ家町(現・岩手県盛岡市本町通二丁目)にて豪商「大豆屋」金田一伊門とリセの長男として生まれる。金田一京助は勝定の妹やすの子。金田一國士の養父。 1868年(慶応4年)、戊辰戦争鹿角口の戦いに従軍して足を負傷した。明治から大正初期の岩手県内実業界で盛岡銀行頭取、盛岡電気株式会社、岩手軽便鉄道株式会社など多くの企業を創立して社長となり、金田一財閥と呼ばれるまでに成長させ、県会議員、盛岡市会議員を務めた。勝定は幼少より学問を好み、盛岡和算に通じた最後の人で、和算書の収集に努力し、多大な費用をかけて和算家の阿部家、鬼柳家の蔵書を購入し、1912年(明治45年)、松原正固の蔵書とともに東北大学に寄贈した。
佐藤 清右衛門(さとう せいえもん、1846年6月7日(弘化… 佐藤 清右衛門(さとう せいえもん、1846年6月7日(弘化3年5月14日)- 1929年(昭和4年)2月5日)は、明治から昭和時代初期の政治家、実業家。徳清の9代目、貴族院多額納税者議員。幼名は種次郎。 盛岡出身。佐藤徳次郎の長男として生まれる。幼少期に小野組の銭店で丁稚奉公する。1879年(明治12年)10月、祖父清右衛門から家督を相続した。ほか、北上回漕会社、交話会、第九十国立銀行重役などを歴任した。1896年(明治29年)には盛岡銀行の創立に参画し、岩手農工銀行の重役も務めた。 1892年(明治25年)岩手県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年6月29日から1897年(明治30年)9月28日まで在任。
佐藤 昌蔵(さとう しょうぞう、1833年7月31日(天保4… 佐藤 昌蔵(さとう しょうぞう、1833年7月31日(天保4年6月25日)- 1915年(大正4年)11月30日)は、日本の政治家。衆議院議員。 1833年(天保4年)6月、岩手県盛岡市に生まれる。盛岡藩士となり、明治維新後は藩の公用人を務める。 廃藩置県後は青森県・岩手県・茨城県などの勧業課長や郡長を経て、1890年(明治23年)の第1回衆議院議員総選挙に岩手県第3区より立候補して当選。以後、第3回衆議院議員総選挙まで3回連続して当選する。当時の佐藤は政党には所属せず、第1回総選挙後は院内会派の大成会、第2回総選挙後は同じく院内会派の中央交渉会に所属したが、第3回総選挙時は、中央交渉会の後身に当たる国民協会を脱退して無所属であった。
大島 高任(おおしま たかとう、文政9年5月11日(1826… 大島 高任(おおしま たかとう、文政9年5月11日(1826年6月16日) - 明治34年(1901年)3月29日)は、明治時代の鉱山学者。父・大島周意は藩医として盛岡藩に勤めた。 文政9年5月11日(1826年6月16日)、盛岡仁王小路にて盛岡藩侍医・大島周意の長男として生まれる。天保13年(1842年)17歳で留学、江戸で蘭方医の箕作阮甫や坪井信道に師事し、長崎では採鉱術を学ぶ。嘉永6年(1853年)、水戸藩主の徳川斉昭から招かれて那珂湊反射炉を建造。大砲の鋳造に成功するが、原材料が砂鉄の為にその性能は高くはなかった。西洋と並ぶ高品質な鉄を造るべく、良質の鉄鉱石が産出する大橋(釜石)の地にU・ヒュゲーニン著の「ロイク王立鉄製大砲鋳造所における鋳造法」を参考として西洋式高炉を建造、安政4年12月1日(新暦1858年1月15日)に鉄鉱石製錬による本格的連続出銑に成功する。
小林 知美(こばやし ともみ、11月15日 - )は、日本の… 小林 知美(こばやし ともみ、11月15日 - )は、日本のタレントである。2015年4月、旧芸名高松 知美(たかまつ ともみ)から本名の小林知美に変更。長野県を拠点に活動中。 岩手県盛岡市出身。元太田プロダクション所属。
神姫楽 ミサ(かぐら ミサ、9月24日 - )は、日本の女子… 神姫楽 ミサ(かぐら ミサ、9月24日 - )は、日本の女子プロレスラー。 小さい頃にプロレス会場でアジャコングと握手した事でプロレスを見るようになる。 その後は芸能事務所に所属し、「カタモミ女子」加入するなどアイドル、撮影会モデルとして活動。当時の所属事務所はウィンドー。アイドル時代、中野たむとはカタモミ女子で同僚であった。性格は明るく努力型である。 TAKAみちのくが開催したグッズのオークションがきっかけで、練習に参加するようになる(練習生M)。しかし練習での技術面が追いつかず、TAKAが下した決断はレスラーではなく「リングアナウンサー」であった。2020年6月の配信マッチでリングアナウンサーとしてデビュー。
丹野 尚子(たんの なおこ、5月25日 - )は元岩手朝日テ… 丹野 尚子(たんの なおこ、5月25日 - )は元岩手朝日テレビアナウンサー。
あゆか(2月3日 - )は、日本のモデル、タレント。岩手県出… あゆか(2月3日 - )は、日本のモデル、タレント。岩手県出身。フリーランス。旧芸名は「安東歩華」および「安東あゆか」。 『大人の女性の保健室』
佐々木 豪(ささき ごう)は、日本の皮膚科医、医学者。岩手県… 佐々木 豪(ささき ごう)は、日本の皮膚科医、医学者。岩手県盛岡市の医療法人佐々木皮膚科の院長・理事長を務め、東京科学大学医学部皮膚科学講座の臨床准教授を兼任している。専門は皮膚免疫学、アトピー性皮膚炎、慢性蕁麻疹など。 岩手県出身。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、東京医科歯科大学医学部を卒業後、同大学大学院医歯学総合研究科皮膚科学講座にて皮膚免疫学を専攻し、医学博士号を取得した。 その後、東京医科歯科大学医学部附属病院皮膚科学講座助手、独立行政法人東京労災病院皮膚科科長などを経て、故郷である盛岡市に戻り、先代院長(佐々木博)の後を継いで医療法人佐々木皮膚科の第6代院長に就任した。現在は院長・理事長を務めている。
和田 圭市 は、日本の俳優。本名は和田 宣房 。身長175c… 和田 圭市 は、日本の俳優。本名は和田 宣房 。身長175cm、体重69kg。太田プロダクション→クラカジャック191→ワイルドシングを経て、合同会社ドリーヴス所属。
日下 歩睦(くさか あゆむ) は、日本のアイドルである。ダン… 日下 歩睦(くさか あゆむ) は、日本のアイドルである。ダンス・ボーカルユニット「A-STEP」メンバー。諸事情により活動休止中。ファンからの愛称は「あゆぷー」。岩手県盛岡市出身。
戸塚 純貴 は、日本の俳優。岩手県盛岡市出身、ボックスコーポ… 戸塚 純貴 は、日本の俳優。岩手県盛岡市出身、ボックスコーポレーション所属。盛岡中央高等学校卒業。
浅沼 晋太郎 は、日本の脚本家、演出家、俳優、声優、コピーラ… 浅沼 晋太郎 は、日本の脚本家、演出家、俳優、声優、コピーライター、デザイナー。
小笠原 佐弥(おがさわら さや)は、日本のフリーアナウンサー… 小笠原 佐弥(おがさわら さや)は、日本のフリーアナウンサー。 地元岩手県内のテレビ・ラジオ局でリポーターの他、関東でも活躍する。本所属事務所はキメラだが、テレビ朝日アスクでアナウンスの勉強をしていたこともあり、同社にも属し「アスクマネージメント」にその業務を一部委託して活動している。
奥野 香耶 は、日本の女性声優。岩手県盛岡市出身。フリー。
斉藤 光子(さいとう みつこ)は、東北地方を拠点に活動してい… 斉藤 光子(さいとう みつこ)は、東北地方を拠点に活動している日本のフリーアナウンサー、元エフエム石川 (HELLO FIVE) のアナウンサー。岩手県盛岡市出身。 学生時代、TBCラジオでアシスタント「おはようギャル」を務めていた(現在では[いつ?]おはようワイド Goodモーニングの「おはようサポーターズ」に相当する)。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
佐々木 未来 は、日本の女性声優。岩手県盛岡市出身。響所属。
森澤 敏哉(もりさわ としや)は、日本の農林水産技官。農林水… 森澤 敏哉(もりさわ としや)は、日本の農林水産技官。農林水産省関東農政局次長等を経て、農林水産省北陸農政局長。 岩手県盛岡市出身。青森県立八戸北高等学校を経て、1984年岩手大学農学部卒業、農林水産省入省。農林水産省生産局種苗課課長補佐、農林水産省農林水産技術会議事務局技術安全課課長補佐、経済産業省産業技術環境局成果普及・連携推進室長、農林水産省大臣官房企画室企画官、農林水産省生産局農産部農業環境対策課鳥獣災害対策室長等を経て、2013年文部科学省研究開発局地震・防災研究課長。2015年に新設の農林水産省農村振興局農村環境課長に就任。2018年から農林水産省関東農政局次長を務め、農産物等の輸出支援の強化などにあたった。
石木 寛人(いしき ひろと)は、日本の医師。専門は緩和医療、… 石木 寛人(いしき ひろと)は、日本の医師。専門は緩和医療、がん支持療法、耳鼻咽喉科学。国立がん研究センター中央病院緩和医療科医長。 日本緩和医療学会理事。 岩手県立高田病院院長などを務めた石木幹人の下に生まれる。岩手大学教育学部附属小学校・中学校、岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1997年に東京大学理科三類に現役合格(中学・高校・大学の同期に佐藤英貴)。東京大学医学部医学科を卒業後、頭頸部外科、腫瘍内科、緩和医療科のキャリアを積む。 静岡県立静岡がんセンター、国立がん研究センター中央病院、国立がん研究センター東病院などで勤務 。2017年より国立がん研究センター中央病院緩和医療科医長、東京大学医科学研究所附属病院緩和医療科特任助教を務めている。
千菅 春香 は、日本の女性声優、歌手。岩手県盛岡市出身。シグ… 千菅 春香 は、日本の女性声優、歌手。岩手県盛岡市出身。シグマ・セブンe所属。
米澤 健(よねざわ たけし)は、日本の総務官僚。内閣府大臣官… 米澤 健(よねざわ たけし)は、日本の総務官僚。内閣府大臣官房審議官や、消防庁次長等を経て、危険物保安技術協会理事長。 岩手県盛岡市出身。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1987年一橋大学法学部卒業、自治省入省。2001年総務省大臣官房秘書課課長補佐。消防庁国民保護・防災部防災課国民保護室長を経て、2008年内閣官房内閣参事官(内閣官房副長官補付)併任。2009年政治資金適正化委員会事務局参事官。2012年辞職、地方公務員共済組合連合会事務局長。2013年消防庁予防課長。 2015年消防庁国民保護・防災部防災課長。2016年兼国民保護・防災部防災課国民保護室長事務取扱。2017年から内閣府大臣官房審議官(防災担当)を務め、災害情報ハブなどの官民連携により対策推進等にあたった。
野田 ヒロ子(のだ ひろこ)は、日本のオペラ歌手(ソプラノ)… 野田 ヒロ子(のだ ひろこ)は、日本のオペラ歌手(ソプラノ)、藤原歌劇団団員。東京音楽大学講師。岩手県盛岡市出身。サントリーホール オペラ・アカデミー講師(コーチング・ファカルティ)。
村松 玲子(むらまつ れいこ)は、日本の合唱指揮者。 岩手県… 村松 玲子(むらまつ れいこ)は、日本の合唱指揮者。 岩手県盛岡市生まれ。岩手県立盛岡第二高等学校を経て、東京学芸大学教育学部特別教科(音楽)教員養成課程を卒業。 1990年(平成2年)、岩手県立不来方高等学校教諭として着任。同校音楽部を指揮・指導し、2022年までに全日本合唱コンクール全国大会において通算22回の金賞、最高賞の文部科学大臣賞を通算8回受賞、現在14大会連続金賞。声楽アンサンブルコンテスト全国大会本選1位等に導く。また2011年の東日本大震災以降は復興支援のための活動、コンサートにも力を入れる。コンクールの審査員や各種講習会の講師なども積極的に務める。2023年の3月をもって同校を退職。
山形 純菜 は、TBSテレビのアナウンサー。
細川 絢加 は、日本の元女子バレーボール選手。
山川 恵里佳 は、日本のタレント、女優。所属事務所はアヴィラ… 山川 恵里佳 は、日本のタレント、女優。所属事務所はアヴィラ。戸籍名:大森 恵里佳。夫はお笑いタレントのおさる。岩手県盛岡市出身。アイアンマンヘビーメタル級王座第93代王者。
高橋 織子(たかはし おりこ)は、日本のソプラノ歌手である。… 高橋 織子(たかはし おりこ)は、日本のソプラノ歌手である。岩手県盛岡市出身。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
吉岡 直人(よしおか なおと)は、日本のクリエイター。200… 吉岡 直人(よしおか なおと)は、日本のクリエイター。2008年から2011年までCEDEC運営委員長を務め、2012年にはフェローを務めた。岩手県盛岡市出身。バンタンゲームアカデミー講師。 この項目は、ゲーム関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝)。
村田 真一(むらた しんいち)は、日本のロシア文学者。上智大… 村田 真一(むらた しんいち)は、日本のロシア文学者。上智大学外国語学部ロシア語学科教授。ウクライナ・古典私立大学栄誉教授。日本スラヴィスト協会会長。 岩手県盛岡市生まれ。1983年東京外国語大学外国語学部ロシヤ語学科卒業。東京外国語大学大学院外国語学研究科スラブ系言語専攻修士課程修了。青山学院大学国際政治経済学部助教授などを経て、2004年上智大学外国語学部ロシア語学科教授。2007年プーシキン・メダル(英語版)受賞。2010年上智大学ヨーロッパ研究所所長。2012年日本ロシア文学会理事。2016年ウクライナ・日本スラブ学会会長、ポルタワ国立教育大学名誉教授。2017年上智大学外国語学部長、ウクライナ・古典私立大学栄誉教授。
田中 美菜子(たなか みなこ)は、日本の漫画家である。 岩手… 田中 美菜子(たなか みなこ)は、日本の漫画家である。 岩手県盛岡市出身。立教大学卒。現在も、岩手県盛岡市在住。 1987年に集英社「セブンティーンDX」から『演劇少女M』でデビュー。翌年からは同社「マーガレット」「ザ・マーガレット」等で長年執筆。2005年からはフリーになり、少女漫画の他4コマ漫画家としても活動している。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
太田 時敏(おおた ときとし)は、江戸時代後期の盛岡藩士。明… 太田 時敏(おおた ときとし)は、江戸時代後期の盛岡藩士。明治維新前の名前は太田練八郎。三本木新田御用掛。維新後は東京で洋品店を経営し、南部家の家令や岩手県下の郡長を務めた。 新渡戸傳の四男として生まれ、盛岡藩士の太田金五郎の養子となる。兄に新渡戸十次郎がおり、後にその子の新渡戸稲造を養子とした。 文久3年(1863年)には三本木新田御用掛を仰せ付けられる。 1868年の秋田戦争では、目付参謀として参加し、毛馬内館二の丸南側の御官所前で戦書を読み上げ、また大館城攻城戦では大館城東門に人やぐらを組み、大館城一番乗りを果たす。 維新後は東京で「時敏堂」という洋品店を経営。警視庁警部も務めた。教育の重要性を認識し、親が早世していた甥の新渡戸稲造を東京に呼び寄せ自らの養子として教育を施した。
西條 幸子(さいじょう ゆきこ)は、日本のアナウンサー、講師… 西條 幸子(さいじょう ゆきこ)は、日本のアナウンサー、講師、交流分析士、西條ユキコ企画室主宰。岩手県盛岡市生まれ。 1968年、岩手放送(現IBC岩手放送)にアナウンサーとして入社。1987年退社後、フリーアナウンサーとなり、西條ユキコ企画室主宰として、キャリアアップアカデミーを開校。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。