久保 夏葵(くぼ なつき、1999年7月14日 - )は、日… 久保 夏葵(くぼ なつき、1999年7月14日 - )は、日本の元女子プロ野球選手。ポジションは投手。 岩手県八幡平市出身で、3人きょうだいの真ん中に生まれた。2018年に高知県立室戸高等学校を卒業し、レイアに入団。 1年目は野手として公式戦に出場し、7打数 1安打 打率.143で終えた。 2019年に愛知ディオーネに移籍し、投手に専念。11登板し1勝2敗1ホールド、防御率4.60で終えた。同年11月1日に退団することが発表された。 2020年2月4日に兵庫ブルーサンダースに加入することが発表された。同年12月退団したことを発表した。 2021年4月に平成国際大学に入学、同大学の女子硬式野球部に入部した。
時乃平 亜睦(ときのひら あむ、1999年4月8日 - )は… 時乃平 亜睦(ときのひら あむ、1999年4月8日 - )は、岩手県八幡平市出身で、時津風部屋所属の現役大相撲力士。本名は津志田 亜睦(つしだ あむ)。身長180.1cm、体重160.0kg、血液型はA型。最高位は東幕下32枚目(2019年11月場所)。 小学校2年生の時に、八幡平市にある岩手県立平舘高等学校の相撲道場を拠点に活動している寺田道場で相撲を始めた。4年次から6年次にわんぱく相撲全国大会に出場し、6年次は8強入りしている。八幡平市立西根第一中学校在学中は、2年次に全国中学校相撲選手権大会で団体準優勝を経験している。中学校卒業後は平舘高校に進学し、3年次に高校総体で8強入りしている。高校卒業後は実業団の道を選んで三研ソイルに入社したが、「自分の力を試したい」という理由から大相撲入門を決意したため入社から1か月で会社を退職し、時津風部屋に入門した。
小林 陵侑(こばやし りょうゆう、1996年〈平成8年〉11… 小林 陵侑(こばやし りょうゆう、1996年〈平成8年〉11月8日 - )は、日本のスキージャンプ選手、YouTuber。岩手県岩手郡松尾村(現:八幡平市)出身。 盛岡中央高等学校を経て2022-23シーズンまで土屋ホーム所属。日本人男子初のスキージャンプ・ワールドカップ総合優勝者(2018-19、2021-22シーズン)。日本人男子ではFISワールドカップで最多の通算35勝。スキージャンプ週間総合優勝3回(2018-19、2021-22、2023-24シーズン)で2018-19シーズンは全勝優勝。2022年北京オリンピックのジャンプ男子ノーマルヒル金メダリスト、男子ラージヒル銀メダリスト。紫綬褒章受賞者(2022年4月29日)、県民栄誉賞受賞者(岩手県、2019年5月8日、2022年5月5日)。
小林 諭果 (こばやし ゆか、1994年5月16日 - )は… 小林 諭果 (こばやし ゆか、1994年5月16日 - )は、岩手県岩手郡松尾村(現八幡平市)出身のスキージャンプ選手である。盛岡中央高等学校 - 早稲田大学 - CHINTAIスキークラブ。兄の小林潤志郎、弟の小林陵侑、小林龍尚もスキージャンプ選手である。 小学校4年生から柏台スポーツ少年団でジャンプ競技を始めた。2008年3月8日に開かれた蔵王大会でコンチネンタルカップに初出場し、1日目29位、2日目30位でポイントを獲得した。国際大会参加初期は国内開催の大会のみの参加であった。2008/09シーズンは好調で、蔵王大会で1日目26位、2日目25位であった。2009年シーズンは1日目30位、2日目32位。
晴山 ケビン(はれやま けびん、男性、1993年1月14日 … 晴山 ケビン(はれやま けびん、男性、1993年1月14日 - )は、岩手県岩手郡西根町(現八幡平市)出身のバスケットボール選手である。ポジションはスモールフォワード。身長191cm、体重93kg。広島ドラゴンフライズ所属。 父親が米国人で母親が日本人。八幡平市立西根第一中学校では野球部、盛岡市立高等学校でバスケットボールに転向し、インターハイ出場。[要出典]東海大学卒業。 2015年、東芝ブレイブサンダース神奈川に入団。 2016年9月、東芝ブレイブサンダース神奈川がプロ化し、川崎ブレイブサンダースが発足。 2017年7月、京都ハンナリーズへ移籍。 2019年6月6日 千葉ジェッツへ移籍。 2020年6月、滋賀レイクスターズに期限付き移籍。
小林 潤志郎(こばやし じゅんしろう、1991年6月11日 … 小林 潤志郎(こばやし じゅんしろう、1991年6月11日 - )は、日本岩手県岩手郡松尾村(現在の八幡平市)出身のノルディック複合、スキージャンプ選手。盛岡中央高等学校、東海大学を経て2023-24シーズンまで雪印メグミルクスキー部所属。2024-25シーズンよりWynn.所属。妹の小林諭果、長弟の小林陵侑、末弟の小林龍尚もスキージャンプ選手である。 高校時代はノルディック複合の選手として活躍し、3年時にはノルディックスキージュニア世界選手権の複合・個人スプリントで優勝、小林範仁以来日本人2人目となる金メダルを獲得した。 しかし、元々ジャンプが得意であり、高校1年時の全国高等学校スキー大会(インターハイ)で優勝、高校3年時の第11回伊藤杯シーズンファイナル大倉山ナイタージャンプ大会では天候不良のため1本のみで決勝したものの、成年組の選手を押さえて優勝する などジャンパーとしての才能の片鱗を見せた。
藤嶋 洸(ふじしま ひかる、1989年4月5日 - )は、岩… 藤嶋 洸(ふじしま ひかる、1989年4月5日 - )は、岩手県八幡平市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 遠野高校3年時に、レギュラーとして選手権に出場。2試合連続ゴールを上げ第86回全国高等学校サッカー選手権大会ベスト8入りに貢献し大会優秀選手にも選出された。 その後は日本体育大学体育学部に進学。2012年、地元グルージャ盛岡に入団した。 2015年より、JFLのヴァンラーレ八戸 に移籍も、その年に退団。
岩手 蛍(いわて けい、1984年 -)は、日本の女装家タレ… 岩手 蛍(いわて けい、1984年 -)は、日本の女装家タレントである。岩手県八幡平市出身。 東京都八王子市にある株式会社ZET-ON所属。 血液型はA型。性別は男性。本名は非公開。 これまで女装家として、ホステス、アパレルモデル、トークショー、レースクイーン、イベントMC、ローカルテレビ出演、コラムニスト、美容講師などを経験。 岩手県八幡平市生まれ。 岩手県盛岡市でスカウトをされ、岩手県で初めての女性に混じった女装ホステスとなった。これが話題となりテレビでの活動もするようになった。 2014年1月から女装活動を開始し、イベント司会や飲食店のキャラクターを務め2015年5月からタイと岩手県の交流の為、タイのリゾート地パタヤで試験的に活動を開始し、日本での活動を中心にしながら、女装というジャンルが一般的には存在していないタイでも女装というジャンルを認めてもらうために動いて行く方針。
三ヶ田 礼一(みかた れいいち、1967年1月14日 - )… 三ヶ田 礼一(みかた れいいち、1967年1月14日 - )は、1990年代に活躍したスキーノルディック複合の選手。
佐々木 孝弘(ささき たかひろ、1962年2月20日 - )… 佐々木 孝弘(ささき たかひろ、1962年2月20日 - )は、日本の政治家。岩手県八幡平市長(2期)。 岩手県岩手郡西根町(現・八幡平市)大更出身。1980年岩手県立盛岡商業高等学校を卒業。卒業後は地元の農協や岩手県盛岡土木事務所勤務を経て、1983年に西根町役場に入る。2005年に西根町は合併により八幡平市となり、八幡平市役所勤務となる。2016年同市市民課長、2019年企画財政課長となり、2020年八幡平市役所を退職し、副市長に就任する。2021年初代市長田村正彦が勇退、9月に行われた市長選挙に立候補し、元市議ら2人を破って当選した。2025年9月、無投票で再選。
小田 ひで次(おだ ひでじ、1962年 - )は、日本の漫画… 小田 ひで次(おだ ひでじ、1962年 - )は、日本の漫画家。岩手県八幡平市出身。ストイックで美しいファンタジーの名手と評価され、世界と人間のかかわりを追求する姿勢をもつ 。 宇都宮文星短期大学地域総合文化学科特任教授。 1991年『魚』でアフタヌーン四季賞を受賞後、1992年『拡散』でデビュー。 2000年に発表された『クーの世界』は前作『拡散』の鋭いタッチの線画から柔らかな絵柄へと作風が変わっており、さらに「続き夢の旅」「不思議な生き物たちの登場(イッポ、モノキビルなど)」といったファンタジー要素を採り入れ、より読者を意識した作品になっている。 2003年4月からミステリーボニータで連載された『ミヨリの森』では「ボクリコ」「ネゴ爺」など数多くの精霊が登場しており、前作『クーの世界』に観られたファンタジー要素は継承しつつ「身寄りのない少女の歪んだ心が、自然の中で再生されていく」といった、これまでの作品に観られた哲学的・観念的世界から写実的な人間描写へと変わっている。
菅野 修(かんの おさむ、1953年5月[要出典] - )は… 菅野 修(かんの おさむ、1953年5月[要出典] - )は、日本の漫画家。 岩手県岩手郡西根町(現:八幡平市)出身。[要出典]岩手県盛岡市在住。 1971年に画家をめざして上京するが、つげ義春、白土三平、勝又進などの影響を受け漫画家を目指すようになる。 1973年に漫画雑誌『夜行3』(北冬書房)から「憂鬱デス」でデビューする。同年、『ガロ』6月号に「星の夜の物語」を掲載。 ジャズ音楽の活動経験もあり、山下洋輔トリオ盛岡公演のポスターイラストをはじめ、装幀家菊池信義の単行本のカバーイラストにも採用された。その独特な作風はマンガ界以外にもファンが多い。 2011年、沼田元氣責任編集『こけし時代』に『こけしを愛した作家たち』を連載開始。
田村 正彦(たむら まさひこ、1948年(昭和23年)2月5… 田村 正彦(たむら まさひこ、1948年(昭和23年)2月5日 - )は、日本の政治家。岩手県八幡平市長(4期)。元岩手県議会議員(3期)、元西根町議会議員(2期)。 岩手県平舘村(現・八幡平市)出身。岩手県立盛岡工業高等学校卒業。1970年(昭和45年)3月、駒澤大学経済学部経済学科卒業。同年4月、岩手県農業共済組合連合会に就職。1989年(平成元年)9月、同連合会を退職し西根町議会議員に就任。1993年(平成5年)9月、再選。1995年(平成7年)4月、西根町議会議員を辞職し、岩手県議会議員に就任。1999年(平成11年)4月、再選。2003年(平成15年)4月、3期目の当選。 2005年(平成17年)9月1日、西根町、松尾村、安代町が合併し八幡平市が誕生する。
高橋 温(たかはし あつし、1941年7月23日 - )は、… 高橋 温(たかはし あつし、1941年7月23日 - )は、日本の経営者。住友信託銀行社長・会長を務めた。岩手県岩手郡松尾村(現・八幡平市)出身。 岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1965年に京都大学法学部を卒業し、住友信託銀行に入行した。1991年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務、1997年6月に専務を経て、1998年3月に社長に就任。2005年6月に会長を経て、2011年4月には相談役に就任。 2007年6月に京阪電気鉄道社外取締役に就任。 岳父は通産省大臣官房審議官の池永光弥、光弥の母方叔父に青柳瑞穂がいる。
花光 節夫(はなひかり せつお、1940年6月21日 - 没… 花光 節夫(はなひかり せつお、1940年6月21日 - 没年不明)は、岩手県岩手郡松尾村(現在の同県八幡平市)出身で、花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は遠藤 節夫(えんどう せつお)。身長178cm、体重130kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭3枚目(1968年1月場所)。 父、兄とも松尾鉱山の採鉱夫で、松尾鉱山中学校、松尾鉱山高校(定時制)時代は相撲部に所属して岩手県大会などに出場するなど活躍した。 高校時代に岩手県大会定時制の部で優勝したことにより大相撲にスカウトされ、高校を3年生で中退して花籠部屋に入門し、1958年(昭和33年)5月場所で初土俵を踏んだ。 1962年(昭和37年)9月場所で新十両に昇進し、その後19場所を要したが1965年(昭和40年)9月場所にて12勝3敗という好成績を収めて十両優勝を果たし、翌11月場所で新入幕を決めた。
工藤 雅樹(くどう まさき、1937年(昭和12年)12月1… 工藤 雅樹(くどう まさき、1937年(昭和12年)12月18日 - 2010年(平成22年)1月29日)は、日本の考古学者、歴史学者。福島大学名誉教授。専門は蝦夷を中心とした東北地方の古代史。 岩手県岩手郡松尾村(現・八幡平市)出身。岩手県立盛岡第一高等学校を経て東北大学文学部史学科入学、1966年には東北大学大学院文学研究科の博士課程を修了した。その後は東北歴史資料館(現在の東北歴史博物館)勤務を経て、宮城学院女子大学に教授として迎えられた。1989年からは福島大学の教授となり、2003年に退官するまで務めた。2004年には再び東北歴史博物館へと戻り、館長を2年間務めた。 2004年からは平泉の世界遺産登録を目指した推薦書作成委員会委員長になったが、2008年7月6日、国際記念物遺跡会議より普遍的価値の証明が不十分との指摘を受け、世界遺産の登録は見送りとなった。
小武方 信一(こぶかた しんいち、1933年12月17日 -… 小武方 信一(こぶかた しんいち、1933年12月17日 - 2009年6月2日)は、元プロ野球選手。 1933年(昭和8年)12月17日、小武方寅次郎・テルの長男として、岩手県岩手郡大更村(現在の八幡平市大更)で出生。父・寅次郎は大更村村長を務めていたが昭和17年、急病のため死去 岩手高校では、エースとして1951年夏の甲子園予選奥羽大会に進むが、1回戦で七戸高に敗れる。卒業後は富士製鐵釜石に入社。1954年の都市対抗では、3完投勝利で準決勝に進み八幡製鐵の福嶋一雄と投げ合うが敗退。 1955年に南海ホークスへ入団。同年は15試合に登板し、4月5日に近鉄から初勝利を挙げるが、1956年限りで退団。
大海 竹郎(たいかい たけろう、1933年8月8日 - 没年… 大海 竹郎(たいかい たけろう、1933年8月8日 - 没年不明 )は、現在の岩手県八幡平市出身で花籠部屋に所属した元大相撲力士。本名は佐藤 竹郎(さとう たけろう)。176cm、86kg。最高位は東十両10枚目。得意技は左四つ、寄り。 1954年1月場所に初土俵。1958年7月場所に十両昇進。腕力を活かした左四つの相撲が得意であったが、押し相撲の力士を苦手にしていた。幕下で2場所連続で負け越した1960年3月場所で26歳で廃業した。
尾澤 淸太郞(おざわ せいたろう、1896年3月5日 - 1… 尾澤 淸太郞(おざわ せいたろう、1896年3月5日 - 1964年10月30日)は、日本の拓務官僚、実業家。弁護士。階級は樺太庁警視。位階は正五位。勲等は勲五等。姓の「澤」は「沢」の旧字体、名の「淸」は「清」の異体字、「郞」はJIS X 0208では「郎」と同一の区点が割り当てられていることから、尾澤 清太郎、尾沢 清太郎などとも表記される。 樺太庁警察部警務課課長、敷香支庁支庁長、大泊支庁支庁長、樺太庁農林部林務課課長、樺太庁殖産部林務課課長、樺太開発株式会社林務課課長、樺太製材株式会社取締役などを歴任した。 岩手県出身の拓務官僚である。樺太庁属として入庁し、樺太庁警察部にて警務課の課長などを歴任した。
工藤 寛得(くどう かんとく、1849年1月11日〈嘉永元年… 工藤 寛得(くどう かんとく、1849年1月11日〈嘉永元年12月17日〉 - 1911年〈明治44年〉12月17日)は、明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。幼名は六太郎。 陸奥国岩手郡大更村(岩手県北岩手郡大更村、西根村、西根町を経て現八幡平市大更)で、工藤織人の長男として生まれる。生家は古くから林業や商業などで財を成した。藩校作人館を経て、江戸に出て安井息軒の門に学び、帰郷後の1879年(明治12年)北岩手郡会議員に当選する。自由民権運動に際しては多くの資金援助を行った。ほか、北岩手郡各村連合会議員、岩手県会議員、岩手県農工銀行発起人などを歴任した。 1890年(明治23年)岩手県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から翌年の6月12日まで在任。