三春 重雄(みはる しげお、1910年3月17日 - 199… 三春 重雄(みはる しげお、1910年3月17日 - 1996年1月8日)は、宮城県志田郡古川町(現・大崎市古川)生まれ、旧制古川中学校(宮城県古川高等学校)、法政大学出身、日本の政治家。元・宮城県議会議員、日本社会党宮城県本部委員長、日ソ協会(現・日本ユーラシア協会)宮城連合会長、河北新報社厚生部部長などを歴任。第46代内閣総理大臣の片山哲は義理の叔父にあたる。 仙台市博物館にある「魯迅の碑」設置にも尽力をした。
北村 勝衛(きたむら かつえい、1901年8月20日 - 1… 北村 勝衛(きたむら かつえい、1901年8月20日 - 1987年10月27日)は、日本の歯科医師、歯科教育者。松本歯科大学の初代学長を務めた。日本の歯科医療と教育の発展に尽力した。 宮城県に生まれる。1921年(大正10年)に旧制古川中学校(現・宮城県古川高等学校)を卒業後、日本歯科大学に進学し、歯科医学を修めた。大学卒業後、歯科医療に従事しながら教育者としての道を歩み、日本歯科大学で教授として教鞭を執る。特に歯科補綴学の分野で指導を行った。その後、松本歯科大学の初代学長に就任し、大学の発展に寄与した。松本歯科大学では、歯科補綴学第二講座を開設し、補綴治療(入れ歯や被せ物などの治療)の教育と研究に尽力した。
只野 直三郎(ただの なおさぶろう、1900年〈明治33年〉… 只野 直三郎(ただの なおさぶろう、1900年〈明治33年〉10月2日 - 1984年〈昭和59年〉9月26日)は、日本の政治家、衆議院議員 (3期)。陸軍司政官。 宮城県大崎市出身。1932年(昭和7年)、東北帝国大学法文学部を卒業。東北中学の教諭や東北薬学専門学校の講師を経て、1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙に非推薦で立候補したが落選した。同年、陸軍司政官となった。他にも東北中学・商業学校校長代理や東北農学校長などの役職を務め、1946年(昭和21年)に日本人民党を結成して党首となった。同党は実質的に只野の個人政党であったが、1947年(昭和22年)第23回衆議院議員総選挙に宮城1区から立候補し初当選した。
佐左木 俊郎(ささき としろう、1900年(明治33年)4月… 佐左木 俊郎(ささき としろう、1900年(明治33年)4月14日 - 1933年(昭和8年)3月13日)は、日本の小説家。農民(百姓)の辛さ、愚かさ、悲しさ、したたかさ、美しさを、じっと見据えつづけた作家である。宮城県大崎市の農家出身。鉄道員、小学校の代用教員などののち新潮社に入り、『文学時代』などを編集。加藤武雄に兄事し、新興芸術派に属して猟奇小説、探偵小説などを書き、農民文芸会に属し活動したが早世した。 川端康成は、「農民文学」「農民小説」の旗手の佐左木の夭折を惜しみ、不当に扱われた作家として、その才能の「尊さ」を評し、「(農民作家で)見るに足る作品活動を示してゐたのは、芸術派では、実に佐左木氏たゞ一人だつた」とし、「嘉村礒多氏の全集が出るのに、佐左木俊郎氏の農民小説は忘れられかかつてゐる。
早坂 順一郎(はやさか じゅんいちろう、1900年(明治33… 早坂 順一郎(はやさか じゅんいちろう、1900年(明治33年)4月4日 - 1981年(昭和56年)1月22日)は、日本の実業家。徳陽相互銀行、東北放送社長などを務めた。 1917年旧制古川中学校(宮城県古川高等学校)を卒業。建築業に従事し、古川町、古川市議会議員、同議会議長を務め、その傍ら太洋無尽の外交員にもなり、1940年3月には古川出張所長に就いた。1942年4月、太洋無尽、東北無尽、宮城無尽が戦時統合で「三徳無尽」として発足すると、古川支店長、副社長を経て、1950年に社長となった。1951年10月、相互銀行法の施行に伴い、三徳無尽は「徳陽相互銀行」に商号を改めている。 宮城県内企業の首都圏との結びつきに早くから着目し、県外への出店を積極的に進めた。
寺坂 源雄(てらさか もとお、1898年10月12日 - 1… 寺坂 源雄(てらさか もとお、1898年10月12日 - 1991年11月5日)は、日本の医学者、日本薬理学会会長。東北大学医学部名誉教授。朝鮮総督府京城医学専門学校教授。 宮城県古川市(現・大崎市古川)に生まれる。宮城県古川高等学校卒業。東北大学医学部卒業。
斎藤 正久(さいとう まさひさ、1897年7月20日 - 1… 斎藤 正久(さいとう まさひさ、1897年7月20日 - 1996年6月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 宮城県大崎市出身。商業・斎藤庄吉の息子として生まれる。旧制古川中学校(現:宮城県古川高等学校)を経て、1919年(大正8年)10月、海軍兵学校(47期)卒業。1920年(大正9年)8月、海軍少尉任官。1923年(大正12年)11月、第8期航空術学生卒。 1925年(大正14年)12月、海軍大尉に昇進し空母「鳳翔」乗組となる。この補職は、当時特別に技量優秀でなければ難しいとされた空母への着艦が努力次第で可能であることを証明するためであり、相婿である、山本五十六の推薦であった。斎藤は同時に推薦された三和義勇とともに任務を成功させた。
三浦 義男(みうら よしお、1895年(明治28年)1月8日… 三浦 義男(みうら よしお、1895年(明治28年)1月8日 - 1965年(昭和40年)2月8日)は、日本の政治家。参議院議員、宮城県知事を歴任した。 宮城県の大崎地方(旧古川市域)生まれ。宮城県立古川中学校、第二高等学校を経て、1920年(大正9年)に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業、鉄道省に入省した。 1943年(昭和18年)、運輸省(現在の国土交通省)施設局長に就任。1953年(昭和28年)、参議院議員選挙に全国区から無所属で立候補し初当選、参議院議員となった。翌1954年(昭和29年)、日本民主党に入党、国会対策委員長などを務めた。1950年から1951年までは、土木学会の会長職にもあった。
守屋 和郎(もりや わろう、明治26年(1893年)11月2… 守屋 和郎(もりや わろう、明治26年(1893年)11月29日 - 昭和52年(1977年))は、日本の外交官。元駐アフガニスタン公使。 元衆議院議員、元宮城県塩竈市長守屋栄夫の弟。元防衛事務次官守屋武昌の叔父。 宮城県遠田郡富永村(のち古川市、現大崎市古川)出身。守屋徳郎の三男。旧制古川中学(現宮城県古川高等学校)卒業。旧制二高を経て、大正6年(1917年)東京帝大法科を卒業し逓信省に勤務の後関東庁参事官に転じ次いで外務省事務官となる。 英国在勤大使館二等書記官同一等書記官。中華民国在勤公使館一等書記官福州総領事大使館一等書記官大使館参事官満州国在勤を歴任し昭和13年(1938年)特命全権公使に任じアフガニスタン国駐箚被仰付昭和15年(1940年)退官す。
駒泉 徳治郎(こまいずみ とくじろう、1893年4月11日 … 駒泉 徳治郎(こまいずみ とくじろう、1893年4月11日 - 1959年2月24日)は、現在の宮城県大崎市出身で井筒部屋に所属した力士。本名は高橋 徳治郎。10代大嶽。180cm、96kg。最高位は東前頭2枚目。 旧制古川中学(現・宮城県古川高等学校)を中退し、同郷の大関駒ヶ嶽國力を頼って入門。所属は井筒部屋であったが、駒ヶ嶽の内弟子であった。1911年2月初土俵、1915年1月十両昇進。1917年1月新入幕した。四つに組むと勝ちみに乏しい相撲振りであったが、上背を利しての突っ張り・叩き込み・引き落としには威力があった。1919年5月場所には横綱鳳を外掛けから浴びせ倒して現役時代唯一の金星を獲得している。
杉野目 晴貞(すぎのめ はるさだ、1892年10月27日 -… 杉野目 晴貞(すぎのめ はるさだ、1892年10月27日 - 1972年4月14日)は、日本の有機化学者。元北海道大学学長。アルカロイド研究の第一人者として知られた。1967年4月、勲一等瑞宝章。 宮城県大崎市出身。旧制古川中学校(現在の宮城県古川高等学校)。</ref>11期(三浦義男は1期後輩)。旧制二高を経て、東北帝国大学卒業。真島利行に師事。1926年、ロックフェラー財団の国際奨学生としてグレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国に留学。その後スイスに移った。1929年秋に北海道帝国大学への転勤含みで北海道札幌市に転居。理学部が新設された1930年に北海道帝国大学教授となり、「花の色の科学」と題して開学記念学術講演を行った。
柳沢 七郎(やなぎさわ しちろう、1890年〈明治23年〉9… 柳沢 七郎(やなぎさわ しちろう、1890年〈明治23年〉9月25日 - 1978年〈昭和53年〉1月25日)は、元住友金属工業社長。 1890年宮城県大崎市の小松家に生まれ、のちに東京都の柳沢家の養子となる。宮城県古川高等学校、東北大学卒業。 1916年 住友製鋼所入社。1921年住友金属工業設立により住友金属工業に移籍。 1945年11月30日に専務取締役に就任し、1946年1月21日に取締役社長に就任、公職追放により1947年4月21日に取締役社長を辞任した。 1967年勲三等瑞宝章を受章。1978年に死去した。
石原 富松(いしはら とみまつ、1889年7月26日 - 没… 石原 富松(いしはら とみまつ、1889年7月26日 - 没年不詳)は、日本の化学者、鉱物工学者。東北大学名誉教授。鉱物の選鉱製錬研究において重要な業績を残した。特に、金属資源の有効利用に関する研究に従事し、戦前・戦中の日本の工業発展に貢献した。 1889年(明治22年)、宮城県に生まれる。旧制古川中学校(現・宮城県古川高等学校)を経て、1915年(大正4年)東北帝国大学理科大学化学科を卒業。東北帝国大学附属興業専門部、理学部を経て、1923年同大学工学部に勤める。1924年、イギリス、フランス、ドイツへ留学。同年、東北大学工学博士の学位を取得、選鉱製錬研究所の第三代所長に就任。当時、日本は自国の鉱物資源に乏しく、戦争遂行のために鉄や銅などの金属資源確保が急務で、石原は鉱石の選鉱技術や製錬技術を発展させ、より効率的に金属を精錬する方法を研究した。
吉野 信次(よしの しんじ、1888年〈明治21年〉9月17… 吉野 信次(よしの しんじ、1888年〈明治21年〉9月17日 - 1971年〈昭和46年〉5月9日)は、日本の農商務・商工官僚、政治家。 商工大臣、運輸大臣、貴族院議員、参議院議員を歴任。大正デモクラシーを主導した政治学者吉野作造の弟。 宮城県志田郡大柿村(現大崎市古川)に綿屋を営む吉野年蔵、こう夫妻の三男として生まれた。吉野作造は長兄である。 旧制古川中学校(現・宮城県古川高等学校)、一高を経て、1913年(大正2年)東京帝国大学法科大学独法科を首席卒業(銀時計受領)し、農商務省に入省する。農商務大臣秘書官、1925年に農商務省が農林省と商工省に分離し、以後は商工省文書課長、工務局長を経て、1931年(昭和6年)商工次官。
梶塚 隆二(かじつか りゅうじ、1888年5月9日 - 19… 梶塚 隆二(かじつか りゅうじ、1888年5月9日 - 1976年5月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍軍医中将。医学博士。 宮城県大崎市出身。宮城県立古川中学校(現・宮城県古川高等学校)、第二高等学校を経て、1914年、東京帝国大学医学部卒業。その後陸軍軍医学校を卒業し、東京帝国大学伝染病研究所で細菌学・血清学を学ぶ。1924年3月29日、論文「スパスカヤに於けるパラチフスB型菌性食中毒検索例 : 竝原因食(オムレツ)の菌毒汚染動機に関する実験的研究」で医学博士号取得。1939年、満州関東軍軍医部長。1940年、陸軍軍医総監。 731部隊を統括・監督する立場にあったことから戦後ソビエト連邦軍の捕虜となる。
三浦 篤(みうら あつし、1888年(明治21年)1月 - … 三浦 篤(みうら あつし、1888年(明治21年)1月 - 1973年(昭和48年)5月29日)は、宮内官僚。宮城県古川市長。位階は正三位。 宮城県出身。旧制宮城県立古川中学校(現在の宮城県古川高等学校)を経て、1913年(大正2年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業。帝室林野局事務官、内蔵寮主計課長・財務課長、大臣官房大膳課長、内蔵頭、帝室林野局長官を歴任した。 のち古川市長を務めた。
佐々木 家寿治(ささき かずじ / かじゅじ、1886年12… 佐々木 家寿治(ささき かずじ / かじゅじ、1886年12月7日 - 1954年3月2日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、宮城県知事(1期)。「百姓知事」と呼ばれた。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身。宮城県古川高等学校、盛岡高等農林学校農学科(現・岩手大学農学部)で学ぶ。 志田郡志田村(のち古川市、現大崎市)助役、同村長、同村会議員、宮城県会議員、同議長、同参事会員、志田村、志田郡、宮城県各農会長となる。 1930年、仙台市長選挙に立候補したが、市会(市議会)での得票数は4位に終わり、落選した。1932年2月の第18回衆議院議員総選挙に宮城県第1区から出馬して当選。1936年の第19回衆議院議員総選挙の再選時は投票のための買収があり、虚偽の約束手形を手に入れてそれに合わせた証言が行われた偽証証憑偽造偽造証憑使用教唆事件で1937年11月4日、大審院は上告棄却し佐々木は懲役4か月の実刑判決が確定。
松村 松盛(まつむら まつもり、1886年(明治19年)1月… 松村 松盛(まつむら まつもり、1886年(明治19年)1月25日 - 1945年〈昭和20年〉10月)は、日本の内務官僚。朝鮮総督府官僚。 宮城県大崎市出身。1912年(明治45年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業し、高等文官試験に合格。和歌山県属、同那賀郡長、同理事官、福岡県理事官、同視学官を務めた。その後、朝鮮総督府に転じ、全羅北道警察部長、学務課長、外事課長、鉄道局理事、土地改良課長、殖産局長を歴任し、1931年(昭和6年)に退官した。 退官後は帝国軽金属統制株式会社取締役、野村生命保険株式会社監査役、太平洋石油株式会社顧問、東北更新会専務理事などを務めた。
守屋 栄夫(もりや えいふ、守屋 榮夫、明治17年(1884… 守屋 栄夫(もりや えいふ、守屋 榮夫、明治17年(1884年)11月8日 - 昭和48年(1973年)2月1日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士、歌人。衆議院議員、宮城県塩竈市長。宮城県平民。 元駐アフガニスタン公使守屋和郎の兄。元防衛事務次官守屋武昌の父。 明治17年(1884年)、宮城県遠田郡に生まれた。守屋徳郎の長男。宮城県古川高等学校卒業。二高を経て、 明治43年(1910年)東京帝国大学法科大学独法科を卒業。文官高等試験に合格。 内務省に入省。千葉、愛知各県理事官、内務監察官、内務省参事官、朝鮮総督府秘書官、同秘書課長、同庶務部長、内務省社会局社会部長を歴任。1925年(大正14年)3月、社会局第二部長を務めていた際に、第7回国際労働会議政府代表に前田多門とともに選出。
吉野 作造(よしの さくぞう、1878年〈明治11年〉1月2… 吉野 作造(よしの さくぞう、1878年〈明治11年〉1月29日 - 1933年〈昭和8年〉3月18日)は、大正時代を中心に活躍した日本の政治学者、思想家。「民本主義」という訳語の提唱者。袁世凱の長男である袁克定の家庭教師。「黎明会」の設立発起人。東京帝国大学で教壇に立ち、大正デモクラシーの立役者となった。初名は「作蔵」で、大正6年(1917年)5月「作造」と改名した。号は「古川学人」。弟は商工官僚・政治家の吉野信次。 明治11年(1878年)、宮城県志田郡大柿村96番地(現・大崎市古川十日町)に木綿織物の原料を扱う糸綿商吉野屋を営む父・年蔵、母・こうの長男として生まれた。当時の吉野屋には、祖母、両親、5歳と3歳になる二人の姉、そして父の姉夫婦が同居していた。
大嵜 爲之助(おおさき ためのすけ、1874年 - 1929… 大嵜 爲之助(おおさき ためのすけ、1874年 - 1929年6月23日)は、現在の宮城県大崎市出身で尾車部屋、朝日山部屋、再度尾車部屋に所属した力士。世話人。本名は佐々木 爲之助。164cm、75kg。最高位は東前頭5枚目。 1893年5月初土俵、1900年5月十両昇進。その後大坂相撲に属したが、復帰し1905年1月入幕を果たす。大砲万右エ門の太刀持ち、露払いを務め、1910年1月に廃業したが、他に適職がなく1911年2月に角界に復帰。1915年1月に引退し世話人に転じた。 荒川 爲之介→大嵜 爲之助(1898年1月場所-)
佐々木 吉三郎(ささき きちさぶろう、明治5年11月15日(… 佐々木 吉三郎(ささき きちさぶろう、明治5年11月15日(1872年12月15日) – 大正13年(1924年)11月20日)は、日本の教育学者。 宮城県大崎市出身。宮城県師範学校を経て、1899年(明治32年)に東京高等師範学校を卒業。東京高等師範学校附属小学校訓導、東京高等師範学校助教授、同教授を歴任した。1907年(明治40年)から1909年(明治42年)までドイツに留学。帰国後、東京高等師範学校教授・同附属小学校主事を務めた。 その後、東京市視学、同学務課長に就任した。
園部 秀雄(そのべ ひでお、1870年4月18日(明治3年3… 園部 秀雄(そのべ ひでお、1870年4月18日(明治3年3月18日) - 1963年(昭和38年)9月29日)は、女性武道家。直心影流薙刀術第15代宗家。大日本武徳会薙刀術範士。 93歳で死去するまでの生涯で敗北した試合は2回のみといわれる。近代薙刀術史上最高の名人として評価が高い。 仙台藩馬廻役日下陽三郎の六女として現在の宮城県大崎市に誕生する。幼名は「たりた」。これは跡継ぎの誕生を望んでいた父親が、「もう女は足りた」という嘆きから名づけたという。幼い頃から父親の馬を勝手に乗り回すほど活発な少女であったという。 1886年(明治19年)、直心影流剣術の榊原鍵吉門人であった佐竹鑑柳斎(観柳齋)がたりたの住む町で撃剣興行を行う。
鎌田 三之助(かまた さんのすけ、1863年3月2日(文久3… 鎌田 三之助(かまた さんのすけ、1863年3月2日(文久3年1月13日) - 1950年(昭和25年)5月3日)は、日本の公共事業家、政治家。衆議院議員、宮城県鹿島台村(現在の大崎市鹿島台地域)村長。品井沼干拓事業に打ち込み「わらじ村長」の名で知られた。 1863年(文久3年)陸奥国志田郡木間塚村竹谷(現在の宮城県大崎市古川、旧・古川市)に鎌田三治の次男として生まれる。生家の鎌田家は、仙台藩士の流れを汲む家で鳴瀬川に沿った大地主の家柄であり、祖父玄光、父三治とも地元の治水事業に生涯を傾けた。1878年(明治11年)政治家を志し上京し、漢学塾や明治法律学校で学ぶ。郷里に戻り農業に従事しながら木間塚に青年教育の場として大成館を設立し夜学で教える。
永沢 清之助(ながさわ せいのすけ、1855年(安政2年4月… 永沢 清之助(ながさわ せいのすけ、1855年(安政2年4月)- 1906年(明治39年)6月28日)は、明治時代の政治家、実業家、銀行家、大地主。貴族院多額納税者議員。 陸奥仙台藩領志田郡古川村(古川町、古川市を経て現大崎市古川)に生まれる。1889年(明治22年)古川町会議員に当選したのを皮切りに、志田郡会議員、宮城県農工銀行、同商業銀行、古川馬車鉄道各取締役などを歴任した。 1904年(明治37年)高橋徳右衛門の後を受けて宮城県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から務めたが、在任中に死去した。
柴原 紅(しばはら べに、8月26日)は、フリーアナウンサー… 柴原 紅(しばはら べに、8月26日)は、フリーアナウンサー、取材リポーター。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身。古川女子高等学校を経て東海大学教養学部卒業後、2004年4月から2011年3月までNHK盛岡放送局で、2011年4月から2012年3月までの1年間はNHK仙台放送局で契約キャスターを務めた。その後、2012年4月からラジオセンターにうつり『つながるラジオ』(NHKラジオ第1放送)のアンカーを番組終了となる2013年3月まで務めた。 東北地方で契約キャスターを務めていた時に東日本大震災に遭遇している。震災後は被災地関連の取材を行っているほか、災害FM放送の協力のボランティアを行っている。
岩瀬 昭典(いわせ あきのり)は、河北新報社東京支社長。
鹿野 軍勝(かの ぐんかつ)は、日本の元外交官。コロンビア、… 鹿野 軍勝(かの ぐんかつ)は、日本の元外交官。コロンビア、バチカン大使。 この項目は、外交官に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ政治)。
佐々木 恒美(ささき つねみ)は、日本のジャーナリスト。河北… 佐々木 恒美(ささき つねみ)は、日本のジャーナリスト。河北新報社論説委員長。
佐々木 義昭(ささき よしあき)は、日本の教育者。宮城県教育… 佐々木 義昭(ささき よしあき)は、日本の教育者。宮城県教育委員会教育長。
佐藤 直幸(さとう なおゆき)は、日本のテノール歌手。
細谷 浩司(ほそや こうじ)は、ブラジル日本通運社長。宮城県… 細谷 浩司(ほそや こうじ)は、ブラジル日本通運社長。宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身。
横田 紗椰香 は、日本の女子バレーボール選手である。
青柳 力(あおやぎ りき)はスポーツトレーナー、柔道整復師。… 青柳 力(あおやぎ りき)はスポーツトレーナー、柔道整復師。株式会社あおやぎ創業者。「あおやぎ接骨院グループ」総院長。「フィットネススタジオSPORT+」代表取締役社長。「トレーナー活動日本一」を目標に活動している接骨院グループでスポーツ選手のコンディショニングケアに定評がある。また、同門であるBellator MMA所属の総合格闘家ISAO選手のスポンサー及び、「ISAO後援会」事務局代表も務めている。「SPORT+」スタッフには元バレーボール全日本の高橋めぐみらがいる。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
平 一洋(たいら かずひろ)は、日本のボーカリスト、作詞家。… 平 一洋(たいら かずひろ)は、日本のボーカリスト、作詞家。宮城県古川市(現・宮城県大崎市古川)出身。血液型はA型。ステージネームを「てんてん」「点々」としていた時期があり、現在もてんてんの愛称で知られる。アパレルブランド9B2のオーナーでもある。作詞家としては「篠目数尋」の名義を使用することもある。 大崎市立古川東中学校の頃に音楽を志し、文化祭でTHE YELLOW MONKEYの「JAM」をコピーしたことが初ステージとなった。ナイトメアのボーカリストYOMIとは中学校の同級生であり、現在も親交が深い。 複数のバンド活動とソロプロジェクトを経て、現在は3470.monのボーカリストとして活動中。
伊達 邦直(だて くになお)は、江戸時代末期の仙台藩一門・岩… 伊達 邦直(だて くになお)は、江戸時代末期の仙台藩一門・岩出山伊達家10代当主。明治維新後は北海道開拓に身を投じ、当別町の基礎を築いた。その功により正五位を贈られ、当別神社・北海道開拓神社に祀られる。また、孫の正人は邦直の功により男爵を授けられる。亘理伊達家15代で有珠郡伊達村(現・伊達市)開拓に功があり男爵となった伊達邦成は実弟にあたる。 邦直は、伊達義監・りんの長男として陸奥国(のち陸前国)玉造郡岩出山城に生まれる。幼名を太刀、通称を英橘という。 明治維新の際に奥羽越列藩同盟に参加した藩の命により、官軍と交戦した。山形で勝ち戦功を挙げたが、味方の多くは官軍に下ったため、戦に敗れる。 戦後、それまで14000石あった禄高を65石に減封された上、岩出山城を召し上げられ、家臣の士分を剥奪された。
千葉 周作(ちば しゅうさく)は、江戸時代後期の武士・剣術家… 千葉 周作(ちば しゅうさく)は、江戸時代後期の武士・剣術家。北辰一刀流の流祖。幼名於兎松、周作は通称で、諱は成政。合理的かつ実戦的な剣術体系を確立し、宮本武蔵らとともに剣聖の一人に数えられる。創設した江戸時代最大規模の剣術道場の千葉道場は、人格や精神の涵養にも重きを置き、坂本龍馬をはじめとする幕末の志士や、渋沢栄一ら、後の日本を担う人材が多く輩出したことから、現代剣道の発展のみならず、日本の政治・産業の歩みにも影響を及ぼしたとされる。 特に坂本龍馬は千葉家との深い交流を通じて人的ネットワークを広げ、日本初期の商社的組織として評価される海援隊を後に創設した。その事業や人脈の一部は維新後の岩崎弥太郎に受け継がれ、やがて三菱財閥、そして現在の三菱グループの形成へとつながっていく。
二階堂 トクヨ は、宮城県大崎市出身の体育指導者・教育者。日… 二階堂 トクヨ は、宮城県大崎市出身の体育指導者・教育者。日本女子体育大学の創設者にあたり、「女子体育の母」と称される。日本初の女子オリンピック選手である人見絹枝のほか、8名のオリンピック選手を育てた。
蓮 つかさ(れん つかさ、10月25日 - )は、日本の女優… 蓮 つかさ(れん つかさ、10月25日 - )は、日本の女優・モデル・美容インフルエンサー・教育者・親善大使。元宝塚歌劇団月組の男役スター。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)、大崎市立古川東中学校、宮城県古川高等学校出身。身長171cm。血液型O型。愛称は「このちゃん」、「れんこん」。 2013年より出身地宮城県大崎市の親善大使「おおさき宝大使」に就任。 2023年より講談社『VOCE』の公式アンバサダーを務め、同誌の『VOCE』宝塚OG特集でも登場しビューティーインタビューが掲載された(i-VOCE連載)。 2024年よりSCSミュージカル研究所で非常勤講師として演技・ショーダンスを指導し、後進の育成にも注力している。
成田 博之(なりた ひろゆき、9月15日 - )は、日本の… 成田 博之(なりた ひろゆき、9月15日 - )は、日本の声楽家(バリトン)、オペラ歌手、音楽教育者、演奏会プロデューサー、舞台演出家。 1968年(昭和43年)宮城県古川市(現・大崎市古川)出身。古川市立高倉小学校、大崎市立古川西中学校、宮城県古川高等学校卒業。国立音楽大学音楽学部声楽科卒業。同大学院オペラコース修了。二期会オペラスタジオ修了。文化庁オペラ研修所第10期修了。中村健、小川雄二、大賀寛に師事。文化庁派遣芸術家在外研修員としてイタリア・ボローニャにてバリトンのパオロ・コーニのもと研修を積む。 2003年(平成15年)アテネで開催された「国際ミトロプーロス声楽コンクール」で最高位入賞(順位なし)。
菅原 健二(すがわら けんじ、5月7日 - )は、日本の漫画… 菅原 健二(すがわら けんじ、5月7日 - )は、日本の漫画家。男性。宮城県古川市(現・宮城県大崎市古川)出身。 5月7日、宮城県古川市(現・宮城県大崎市古川)で誕生する。麻生羽呂の下でアシスタントを経験。 2009年4月、『クラブサンデー』(小学館)にて、特殊能力バトルコメディ『M・S DOLLS』の連載を開始。同作が菅原にとって初の連載作品となる。2010年2月25日発売の『週刊少年サンデー超』(同)3月号に同作の第11話が掲載され、『クラブサンデー』と同時連載が開始される。 2011年10月、『週刊少年サンデー』(同)46号より恋愛バトルコメディ作品『GAN☆KON』の連載を開始。2014年7月、『月刊ドラゴンエイジ』(富士見書房)にて8月号よりラッキースケベを連発するラブコメ『放課後ラッキーガール』の連載を開始。
青木 正芳(あおき まさよし)は、日本の弁護士。弘前事件、松… 青木 正芳(あおき まさよし)は、日本の弁護士。弘前事件、松山事件弁護士。仙台弁護士会会長、東北弁護士会連合会会長、日本弁護士連合会副会長。 宮城県大崎市出身宮城県古川高等学校卒業。東北大学法学部卒業。 1981年仙台弁護士会会長就任。 1982年日本弁護士連合会副会長就任。1985年日本弁護士連合会人権擁護委員会委員長就任。1992年日本弁護士連合会司法問題対策委員会委員長就任。1994年東北弁護士会連合会会長就任。2006年日本弁護士連合会司法改革実施対策会議座長就任。
今川 和彦(いまかわ かずひこ)は、日本の生物学者。カンザス… 今川 和彦(いまかわ かずひこ)は、日本の生物学者。カンザス州立大学医学部病理学准教授、東京大学大学院農学生命科学研究科教授を経て、東海大学総合農学研究所所長。 宮城県大崎市出身。宮城県古川高等学校卒業、1975年茨城大学農学部畜産学科卒業、1984年ネブラスカ州立大学大学院博士課程修了、プロクター・アンド・ギャンブル主任研究員、1986年ミーズリ大学大学院農学研究科特任研究員、1989年カンザス州立大学医学部産婦人科助教、1995年カンザス州立大学医学部病理学准教授、1997年東京大学大学院農学生命科学研究科助教授、日本内分泌学会評議員、2007年東京大学大学院農学生命科学研究科准教授、2009年日本獣医学会評議員、2011年日本畜産学会監事、2013年関東畜産学会会長、2015年東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学専攻教授、2016年熊本農業大学校くまもと農業経営塾塾長 、2018年東海大学総合農学研究所教授、2020年東海大学総合農学研究所所長。
及川 真一(おいかわ しんいち)は、日本の医学者。「高脂血症… 及川 真一(おいかわ しんいち)は、日本の医学者。「高脂血症・糖尿病治療の第一人者」。[要出典] 宮城県に生まれる。宮城県古川高等学校卒業。東北大学医学部卒業。医学博士(東北大学)。公益財団法人結核予防会複十字病院糖尿病・生活習慣病センター長、日本医科大学名誉教授。1990年より、文部省長期在外研究員として米国ワシントン大学代謝・内分泌・栄養学講座で学ぶ。東北大学医学部附属病院講師などを経て、2000年より日本医科大学付属病院内分泌代謝内科・教授。2014年より公益財団法人結核予防会複十字病院糖尿病・生活習慣病センター長。専門は糖尿病、高脂血症、肥満。日本糖尿病学会専門医、日本糖尿病学会指導医。
大久保 孝義(おおくぼ たかよし)は、日本の医学者。専門は公… 大久保 孝義(おおくぼ たかよし)は、日本の医学者。専門は公衆衛生学、疫学、高血圧学。帝京大学医学部衛生学公衆衛生学講座主任教授、大学院医学研究科教授。家庭血圧測定の国際的な重要性を確立し、日本および世界の高血圧診療ガイドラインに影響を与えた研究者として知られる。Hypertension(AHA)誌のGuest Editor、Hypertension Research誌のAssociate Editor、日本循環器病予防学会誌編集長を歴任。 「家庭で測る血圧」の医学的意義を日本において先駆的に確立した研究者の一人である。岩手県大迫町で1980年代から実施されている「大迫研究(OHASAMA STUDY)」に長年関わり、住民を対象にした長期コホート研究を通して以下の知見を明らかにした。
大和田 雅洋(おおわだ まさひろ)は、日本のサクソフォーン奏… 大和田 雅洋(おおわだ まさひろ)は、日本のサクソフォーン奏者。洗足学園音楽大学教授。東京芸術大学講師 宮城県出身。宮城県古川高等学校を経て1990年に東京藝術大学音楽学部器楽科に入学。同年、第7回日本管打楽器コンクール第2位受賞。1994年、東京藝術大学卒業後、東京藝術大学大学院音楽研究科に入学。同年、第1回アドルフ・サックス国際サクソフォーンコンクールにおいて第5位受賞。第6回宝塚ベカ音楽コンクール室内楽部門において第3位となる(1位なし)。 サクソフォーンは大室勇一、冨岡和男、須川展也に、ジャズサクソフォーンは一戸祐三郎に指導を受けた。 1996年、東京藝術大学大学院修士課程を修了。1998年、デビューリサイタルを浜離宮朝日ホールにて開催する。
金澤 茂(かなざわ しげる)は、日本のトロンボーン奏者の第一… 金澤 茂(かなざわ しげる)は、日本のトロンボーン奏者の第一人者。姓については金沢と表記される場合がある。 宮城県大崎市出身。宮城県古川高等学校卒業後、国立音楽大学でトロンボーンを専攻。卒業時に武岡賞受賞[要出典]。1971年、東京交響楽団に入団。1976年から2年間、文化庁よりウイーンに派遣され、ウイーン国立音楽大学に留学した。 その後、東京交響楽団で首席トロンボーン奏者を務めた。1994年から2011年まで、楽団エグゼクティブマネージャーに就任した。 2012年に、長野県県民文化会館の館長公募に応じて選任される。
今野 一宏(こんの かずひろ)は、日本の数学者、九州大学教授… 今野 一宏(こんの かずひろ)は、日本の数学者、九州大学教授、大阪大学大学院理学研究科教授、関西大学教授。 宮城県に生まれる。宮城県古川高等学校卒業。1982年京都大学理学部卒業。1984年東北大学大学院理学研究科修士課程修了。1987年博士課程修了。
佐野 好昭(さの よしあき)は、日本の地方公務員。宮城県副知… 佐野 好昭(さの よしあき)は、日本の地方公務員。宮城県副知事、株式会社ベガルタ仙台取締役、王城寺原演習場対策協議会会長などを経て、宮城大学理事長。 宮城県大崎市に生まれる。大崎市立田尻中学校から宮城県古川高等学校を経て、1983年東北大学法学部卒。大学卒業後宮城県庁入り。企画、財政、人事の各部門を歴任し、環境生活部長を経て、2017年から総務部長を務めた。2018年、宮城県庁を退職し、山田義輝の後任として宮城県副知事に就くとともに、株式会社ベガルタ仙台取締役に就任。王城寺原演習場対策協議会会長も兼務し、2019年には在日米軍の実弾砲撃訓練に際し、防衛省の伊藤茂樹東北防衛局長に対し、訓練の住民への公開を求めるなどした。
菅原 清春(すがわら きよはる)は、宮城県大崎市出身の卓球選… 菅原 清春(すがわら きよはる)は、宮城県大崎市出身の卓球選手。宮城県古川高等学校を経て慶應義塾大学に進学。 宮城県大崎市出身。高校は地元の宮城県古川高等学校に進学、卓球部に入り長谷川順平先生のフットワークを重視した指導を受ける。1961年(昭和36年)にダブルスランキング全国3位、東北1位、個人ランキングでは東北5位。一学年上の久光貞夫とダブルスを組みインターハイ全国3位に入賞。シングルスでは二回戦名門京都東山高校のエースに快勝、三回戦は秋田県代表の森川に勝利、四回戦ランク決勝で千葉県代表の野平に敗れる。この後、菅原、森川、野平の三人は大学時代まで良きライバルとしてしのぎをけずることになる。 慶應義塾大学に進学。