貴志 信智(きし のぶとも、1986年(昭和61年)10月2… 貴志 信智(きし のぶとも、1986年(昭和61年)10月27日 - )は、日本の政治家。埼玉県久喜市長(1期)。元久喜市議会議員(3期)。 秋田県秋田市生まれ。秋田県立秋田高等学校卒業後、当時埼玉県久喜市にキャンパスがあった東京理科大学に進学。当時市議だった石川忠義埼玉県議会議員の活動を知り、政治に興味を持つ。大学卒業後、化学メーカーに就職し東京都内で財務経理部門を務めたのち札幌市で営業を経験。その後三谷英弘衆議院議員公設秘書を務める。 2014年4月、久喜市議会議員選挙にみんなの党公認で立候補し、初当選。以後、3期連続当選。2014年、久喜市市議会選挙 27歳で立候補し、初当選(4,719票、トップ当選)2018年、久喜市市議会選挙で再選(7,584票、トップ当選)2022年、久喜市市議会選挙で再選(9,580票、トップ当選) 2026年2月27日、久喜市長選挙への立候補を表明。
中泉 松司(なかいずみ まつじ、1979年(昭和54年)5月… 中泉 松司(なかいずみ まつじ、1979年(昭和54年)5月7日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(1期)。元秋田県議会議員(2期)。 秋田県秋田市下新城の農家に生まれる。曾祖父、祖父、父は地方議会議員を務めた。秋田県立秋田高等学校卒業。1年浪人し、中央大学商学部に進学。2003年3月、同大学卒業。同年、斉藤滋宣参議院議員の事務所に勤務。 2004年7月、斉藤は元秋田テレビアナウンサーの新人、鈴木陽悦に敗れ落選。失業し、家業の農業に従事。 大学の同窓会で、清掃会社の株式会社友愛ビルサービス社長を務める先輩に会う。「農業をやっているが行き詰まっている」旨を話すと、「トイレ掃除からでよければ、うちに来て仕事をしていいよ」と言われ、2005年1月から同社に勤務。
湊 貴信(みなと たかのぶ、1965年(昭和40年)8月26… 湊 貴信(みなと たかのぶ、1965年(昭和40年)8月26日- )は、日本の政治家。秋田県由利本荘市長(2期)。元由利本荘市議会議員(3期)。 秋田県秋田市生まれ。秋田市立八橋小学校、秋田市立高清水中学校、秋田市立秋田商業高等学校卒業。1984年(昭和59年)4月、秋田経済法科大学経済学部(現・ノースアジア大学)に入学。大学1年生の冬、父親の経営する会社が倒産し、生活が一変。学費や生活費を稼ぐためアルバイトに明け暮れる。この影響で2年時に留年。 1989年(平成元年)3月、秋田経済法科大学経済学部卒業。同年4月、日産サニー秋田販売(現・日産サティオ秋田)に就職。1991年(平成3年)4月、結婚を機に由利郡岩城町(現・由利本荘市岩城二古横砂子)の鶴潟団地へ転居。
穂積 志(ほづみ もとむ、1957年4月5日 - )は、日本… 穂積 志(ほづみ もとむ、1957年4月5日 - )は、日本の政治家。秋田市長。秋田市出身。
冨樫 博之(とがし ひろゆき、1955年〈昭和30年〉4月2… 冨樫 博之(とがし ひろゆき、1955年〈昭和30年〉4月27日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、衆議院国土交通委員長。 総務副大臣、復興副大臣、総務大臣政務官、自民党秋田県連会長、秋田県議会議長(第62代)、秋田県議会議員(5期)等を務めた。 秋田県秋田市太平生まれ。生家は農家。秋田県立秋田工業高等学校定時制、秋田経済大学(現ノースアジア大学)経済学部経済学科卒業。大学卒業後、16年にわたり野呂田芳成参議院議員(後に衆議院議員)の秘書を務める。 1995年、秋田県議会議員選挙に出馬し、初当選した。県議を5期務め、2009年に第62代秋田県議会議長に選出された。 2012年11月、秋田県議会議員を5期目の任期途中で辞職し、第46回衆議院議員総選挙に秋田1区から自由民主党公認で出馬。
奥山 恵美子(おくやま えみこ、1951年(昭和26年)6月… 奥山 恵美子(おくやま えみこ、1951年(昭和26年)6月23日 - )は、日本の地方公務員、政治家。旧姓は熊地。 2009年から2017年まで仙台市長を2期務めた。宮城県初の女性首長、政令指定都市初の女性市長である。 1951年、秋田県秋田市生まれ。幼少期から国家公務員だった父親の転勤に伴い各地を転々とした。秋田県立秋田高等学校に入学するが、2年生のときに岩手県立盛岡第一高等学校に転校する。東北大学経済学部卒業後、東京都(世田谷区)勤務を経て、仙台市役所入庁。市役所では生涯学習課長、女性企画課長、せんだいメディアテーク館長、市民局次長、教育長を歴任。副市長に在職中の2007年、仙台市教育委員会教員採用試験の合否通知をめぐる不正問題で渦中の人となった。
鈴木 陽悦(すずき ようえつ、1949年1月10日 - )は… 鈴木 陽悦(すずき ようえつ、1949年1月10日 - )は、日本の政治家。民主党の元参議院議員(1期)。 秋田県秋田市出身。中央大学付属高等学校[要出典]、中央大学経済学部[要出典]卒業。なお、同郷の小倉智昭は高清水小学校、中央大付属高校の1年先輩である。学生時代からSFファンとして、SF同人誌を主催するなど活発に活動。現在も「秋田SF研究所」特別顧問をつとめる他、SF大会などにゲストとして参加。高千穂遥、永井豪らと交友がある[要出典]。 1971年4月に秋田テレビのアナウンサーとして入社、記者やニュースデスクを経験した他、鹿角市の黒又山の学術調査に携わり、これについての本を出版する。2004年1月に退社して、同年7月、第20回参議院議員通常選挙に秋田県選挙区から民主党と社会民主党の推薦を受け、無所属で立候補して初当選する。
小畑 元(おばた はじめ、1948年(昭和23年)7月25日… 小畑 元(おばた はじめ、1948年(昭和23年)7月25日 - )は、日本の政治家、官僚。元大館市長(6期)。叔父は秋田県知事を6期(1955年~1979年)務めた小畑勇二郎。 スピーカー作りが趣味であり自宅に工房を持っている。大館市立中央公民館や大町商店街振興組合に自作の手作りスピーカーを寄贈している。 そして健康に気を使い夜遅い時間帯や土日の休日の朝早い時間帯には、大館市内をウォーキングをしている。 他にストレス解消に皿洗いもする。過去に国政選挙に出馬した際、リーフレットの趣味の欄に皿洗いと書き亡き母に怒られたというエピソードもある。また、市長時代は出勤前に「大館のために」と3回唱えてから出勤していた。
小野 清子(おの きよこ、1936年〈昭和11年〉2月4日 … 小野 清子(おの きよこ、1936年〈昭和11年〉2月4日 - 2021年〈令和3年〉3月13日)は、日本の体操選手、政治家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。旧姓は大泉。 参議院議員(3期)、環境政務次官(第2次海部改造内閣)、社団法人日本音楽著作権協会理事長、国家公安委員会委員長(第69・70代)、内閣府特命担当大臣(青少年育成及び少子化対策担当、食品安全担当)、参議院予算委員長、独立行政法人日本スポーツ振興センター理事長、笹川スポーツ財団理事長などを歴任した。 宮城県岩沼市に生まれ、その後秋田県秋田市に移る。幼少時、病弱だったため体操を始めた。 1952年の国民体育大会で後の夫となる同じ秋田県出身で4学年上の体操選手の小野喬と知り合った。
佐々木 満(ささき まん(実際の読みは、ささき ゆたか)、1… 佐々木 満(ささき まん(実際の読みは、ささき ゆたか)、1926年4月20日 - 2022年4月7日)は、日本の政治家、官僚。自由民主党所属で参議院議員(4期)を務めた。 秋田県雄勝郡山田村出身。秋田県立能代高等学校、東京大学法学部卒業。大学卒業後、自治省に入省。後に秋田県庁に移り、厚生部長などを歴任。山崎五郎の死去に伴う1976年の参議院議員補欠選挙に秋田県選挙区から自民党公認で立候補し初当選。連続当選4回。党内では中曽根康弘→渡辺美智雄派に属し、北海道開発政務次官、自民党参議院政策審議会長などを務めた後、1990年第2次海部改造内閣の総務庁長官として初入閣。1995年には政府が提出した宗教法人法改正案を審議する参議院宗教法人等に関する特別委員長に就任したが、創価学会を基盤とする野党の新進党の強い反発で審議は混乱し、精神的にも肉体的にも自信を失った佐々木は健康上の理由で委員長を辞任。
出口 廣光(でぐち ひろみつ、1925年11月17日 - 2… 出口 廣光(でぐち ひろみつ、1925年11月17日 - 2000年10月30日)は、日本の政治家、官僚、地方公務員。参議院議員(1期、自由民主党)。 秋田県秋田市出身。1949年東北大学法文学部経済学科卒。自治庁に入り、三重県児童課長、青森県広報文書、労政各課長を経て、経済企画庁に出向。福岡県医務、地方各課長、自治大学校教務部長、労働省大臣官房付、大分県企画部長、自治省大臣官房調査官を歴任。1971年に秋田県庁に出向し、総務部長、出納長、副知事を歴任する。1983年の第13回参議院議員通常選挙で秋田県選挙区から自由民主党公認で立候補し当選。1989年の第15回参議院議員通常選挙で落選した。落選後は秋田県信用保証協会会長や県交通安全協会会長などを務めた。
中川 利三郎(なかがわ りさぶろう、1920年2月28日 -… 中川 利三郎(なかがわ りさぶろう、1920年2月28日 - 1997年4月22日)は日本の教育者、政治家、文学者。元衆議院議員(日本共産党公認、3期)。柔道7段。 秋田県秋田市出身。秋田市立川尻小学校を経て秋田市商業学校(現秋田市立秋田商業高等学校)卒業。京都の紡績工場に勤務後、立正大学高等師範科卒業。 戦後は秋田市立高等学校の教師を経て、1951年に教職を辞し秋田市会議員選挙に日本社会党再建派から出馬。この時は落選するものの4年後に秋田市議となり2期務める。初出馬の際に推薦されたことから共産党との縁ができ、市議在任中の1961年12月に日本共産党に入党。1963年から秋田県議3期を経て、1972年に行われた第33回衆議院議員総選挙の秋田県第1区に、日本共産党から立候補し初当選を果たす。
川口 大助(かわぐち だいすけ、1918年3月5日 - 19… 川口 大助(かわぐち だいすけ、1918年3月5日 - 1981年2月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)、秋田市長(3期)を務めた。 秋田県河辺郡新屋町(現在の秋田市新屋)出身。秋田県立秋田中学校(旧制、現在の秋田県立秋田高等学校)を卒業後、国鉄に入り、国労秋田地方本部委員長を務める。その後秋田県議になり、日本社会党秋田県本部書記長、同顧問となり、1959年の秋田市長選では社会党公認で立候補して初当選した。以来3期。1971年の秋田市長選では保守系候補の荻原麟次郎に敗れて落選した。1976年の第34回衆議院議員総選挙で秋田1区から日本社会党公認で立候補して当選。1979年の秋田県知事選に立候補したが落選した。
内藤 良平(ないとう りょうへい、1916年〈大正5年〉3月… 内藤 良平(ないとう りょうへい、1916年〈大正5年〉3月17日 - 1996年〈平成8年〉12月21日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。 秋田県秋田市で生まれる。1933年(昭和8年)秋田市商業学校(現秋田市立秋田商業高等学校)を卒業した。 1935年(昭和10年)鉄道省(のちの日本国有鉄道)に入省。仙台鉄道局秋田運輸事務所、新潟鉄道局秋田管理部総務課などに勤務。国鉄労働組合中央委員、同秋田支部書記長、秋田県労働組合会議議長、同事務局長、護憲連合秋田県代表委員などを務めた。秋田市議会議員に選出され2期在任し、同総務財政委員長、秋田県地方労働委員も務めた。 1949年(昭和24年)日本社会党に入党。
石山 権作(權作、いしやま ごんさく、1909年(明治42年… 石山 権作(權作、いしやま ごんさく、1909年(明治42年)5月25日 - 1968年(昭和43年)8月20日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。 秋田県秋田市手形字大沢で生まれる。1924年(大正13年)中通尋常高等小学校高等科を卒業した。 東北パルプ(現日本製紙)に入社。1948年(昭和23年)東北パルプ労働組合委員長に就任し、秋田市議会議員、秋田県労働組合会議議長、同顧問、秋田県労働金庫(現東北労働金庫)理事長、同顧問、全国紙パルプ労働組合連合会中央執行委員会、日本社会党秋田県本部委員長などを務めた。 1952年(昭和27年)10月の第25回衆議院議員総選挙で秋田県第1区から社会党左派公認で出馬して次点で落選。
佐々木 義武(ささき よしたけ、1909年4月3日 - 19… 佐々木 義武(ささき よしたけ、1909年4月3日 - 1986年12月13日)は、日本の政治家、官僚。位階は正三位、勲等は勲一等。衆議院議員(9期)、科学技術庁長官・通商産業大臣を歴任した。 秋田県河辺郡河辺町(後の秋田市)生まれ。秋田中学(後の秋田県立秋田高等学校)時代は野球部員として甲子園出場の経験がある。1933年東京帝国大学経済学部を卒業後、南満州鉄道に入社し、調査部に配属される。その後興亜院に転じ、ここで大蔵省出身の大平正芳、農林省出身の伊東正義らと知り合い、第二次世界大戦後も「九賢会」と称する会合を持って交流を深めた。以後企画院、大東亜省、内閣調査局にて調査官を歴任した。 戦後の1947年、経済安定本部に転じ、初代経済復興計画室長として、傾斜生産方式による政策の遂行に辣腕を振るった。
金子 洋文(かねこ ようぶん、1894年4月8日 - 198… 金子 洋文(かねこ ようぶん、1894年4月8日 - 1985年3月21日)は、プロレタリア文学の小説家、劇作家、日本社会党参議院議員。 秋田県秋田市土崎港古川町の舟問屋の四男として生まれる。本名・吉太郎。15歳で一旦上京して電気工事の仕事をするが帰郷し、19歳で秋田工業学校機械科を卒業。母校の助手を経て土崎小学校の代用教員を務める。1916年、上京して武者小路実篤の書生となる。 1921年、尋常小学校の同級生だった小牧近江や今野賢三とともに、社会主義思想の文芸雑誌『種蒔く人』を創刊。『解放』に発表した「地獄」が出世作となる。1924年からは『種蒔く人』の後継誌『文藝戦線』を創刊。戯曲、脚本も書いた。
須磨 弥吉郎(すま やきちろう、1892年〈明治25年〉9月… 須磨 弥吉郎(すま やきちろう、1892年〈明治25年〉9月9日 - 1970年〈昭和45年〉4月30日)は、日本の外交官、政治家。スペイン特命全権公使・衆議院議員。 秋田県南秋田郡土崎新城町(現秋田市)生まれ。旧制秋田中学校卒業後広島師範学校に進学するも、一転して法律家を志し中央大学法学部に転学。卒業後、1919年に外務省入省。 外国語6カ国語に堪能でイギリス、ドイツ等の在外公館に勤務を経て、1927年、在中国大使館二等書記官として赴任。在広東領事館領事等を経て、1932年、在上海日本公使館情報部長となり、対蔣介石政権の情報収集に努める。その後、南京総領事に転じる。 この中国での諜報活動の経験から、情報の一元管理と総合判断の必要性を痛感、帰国後、同じ考えを抱いていた山本五十六海軍次官とともに奔走し、1937年、対外情報収集と対外広報を目的にした内閣情報部を設立する。
池田 徳治(いけだ とくじ、1891年8月20日 - 196… 池田 徳治(いけだ とくじ、1891年8月20日 - 1965年4月1日)は日本の政治家。 1891年(明治24年)秋田市保戸野本町に生まれる。秋田県立秋田中学校(旧制)、第二高等学校 (旧制)、東京帝国大学工科大学卒。内務省東北土木出張所長、秋田県土木部長を経て、秋田県初代公選知事蓮池公咲及び自由党・民主党の推薦を得て1951年(昭和26年)の県知事選挙に出馬、小畑勇二郎を破る。以後1期4年にわたり秋田県知事を務めた。在任中の1954年(昭和29年)、秋田県出身の衆議院議員石田博英同席のもと、当時の首相吉田茂と会談し、八郎潟干拓事業の早期着工を要請している。知事退職後は、秋島建設会長、全建興業社長などを務める。
石川 定辰(いしかわ ていしん、1880年〈明治13年〉1月… 石川 定辰(いしかわ ていしん、1880年〈明治13年〉1月4日 - 1947年〈昭和22年〉10月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 秋田県南秋田郡秋田町中長町(現秋田市中通)出身。新聞記者、秋田時事新聞主幹、秋田新聞社、東北拓殖、東北物産商事、能代無尽各(株)取締役、秋田木工、辛酉銀行各(株)代表取締役となる。 1930年(昭和5年)第17回衆議院議員総選挙において秋田1区(当時)から立憲政友会公認で立候補したが次点で落選した。1936年(昭和11年)第19回衆議院議員総選挙で立候補したが次点落選。最下位当選者とは1票差だった。しかし、同年12月に同じ選挙区の中田儀直の当選無効により、更正決定で議員となる。
田中 隆三(たなか りゅうぞう、1864年11月14日〈元治… 田中 隆三(たなか りゅうぞう、1864年11月14日〈元治元年10月15日〉- 1940年〈昭和15年〉12月6日)は、明治から昭和初期の農商務官僚・政治家である。衆議院議員。文部大臣。族籍は秋田県士族。 出羽国楢山(のち秋田県秋田市)出身。田中隆世の長男。秋田中学校(現:秋田県立秋田高等学校)、大学予備門、1889年(明治22年)7月に帝国大学法科大学卒業。農商務省鉱山局長・農商務次官を経て、その後実業界に入り秋田鉱山専門学校(現:秋田大学工学資源学部)の設立に尽力した。ついで政界に転じ、1912年(明治45年)の第11回衆議院議員総選挙で当選した。濱口内閣・第2次若槻内閣で文部大臣を務め、議員を7期務めて1932年(昭和7年)に引退した。
町田 忠治(まちだ ちゅうじ、文久3年3月30日(1863年… 町田 忠治(まちだ ちゅうじ、文久3年3月30日(1863年5月17日) - 昭和21年(1946年)11月12日)は、明治から昭和期の政治家、実業家、ジャーナリスト。 衆議院議員(当選10回)。立憲民政党・日本進歩党総裁、農林大臣・商工大臣・大蔵大臣(兼任)などを歴任したが最晩年は公職追放された。正三位勲一等。号は幾堂。愛称はノンキナトウサン。 出羽国秋田郡久保田城下の秋田保戸野八丁新田上丁(現秋田県秋田市保戸野八丁)に秋田藩士・町田伝治の四男として誕生。父伝治は3歳の時に亡くなったため、祖父町田平治と母シン子によって育てられた。大正期の『中央公論』編集長・滝田樗陰は甥にあたる。 1875年(明治8年)に叔母町田直の養子となり、家督を継いだ。
小泉 吉太郎(こいずみ きちたろう、1851年10月1日〈嘉… 小泉 吉太郎(こいずみ きちたろう、1851年10月1日〈嘉永4年9月7日〉 - 1895年〈明治28年〉6月22日)は、日本の政治家。初代秋田市長。 久保田藩士小泉七郎右衛門の長男に生まれる。戊辰戦争に参加し、由利方面の戦闘で負傷する。1872年(明治5年)、上京し有馬私学校で学ぶ。1874年(明治7年)夏に一度秋田に戻るが、秋に再び上京し、北州舎で学ぶ。1876年(明治9年)、父の死により秋田に戻り、秋田県庁に務める。1884年(明治17年)、士族授産団体秋田社を創立し、社長となる。1889年(明治22年)4月、市制施行により秋田市が発足、市会議員選挙を経て、5月13日に市長に選出され、27日に正式に就任した。
大久保 鉄作(おおくぼ てっさく、嘉永3年11月28日(18… 大久保 鉄作(おおくぼ てっさく、嘉永3年11月28日(1850年12月31日) – 大正10年(1921年)7月5日)は、日本の新聞記者、政治家。 秋田市長(第5代)、衆議院議員(立憲政友会)、秋田県会議長、秋田県会議員などを務めた。 久保田藩士大久保盛実の長男として中谷地町(現秋田市)に生まれる。藩校明徳館で漢学を学んだ後、東京に出て1875年(明治8年)より朝野新聞の記者となった。帰郷後の1881年(明治14年)に秋田日報を創刊し、1883年(明治16年)に秋田改進党を結成した。同年、秋田県会議員に選ばれ、後に議長に就任した。後藤象二郎が大同団結運動を唱えると、これに呼応して東北九州連合の必要性を説いて、精力的に活動した。
金沢 松右衛門(金澤、かなざわ まつえもん、1850年5月3… 金沢 松右衛門(金澤、かなざわ まつえもん、1850年5月3日(嘉永3年3月22日)- 1924年(大正13年)9月18日)は、明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。幼名・平治。 先代金沢松右衛門の二男として出羽国秋田郡土崎湊(秋田県南秋田郡土崎港町を経て現・秋田市)に生まれる。兄は夭折し、二男である松右衛門が家督を継いだ。1883年(明治16年)以降、南秋田郡学務委員、同郡肴町および連合町会議員、南秋田・河辺両郡連合町村会議員、南秋田郡会議員などを歴任する。 のち、秋田県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、1892年(明治25年)6月29日から1897年(明治30年)9月28日まで在任した。
小野崎 通亮(おのざき みちすけ / みちあき、天保4年2月… 小野崎 通亮(おのざき みちすけ / みちあき、天保4年2月29日〈1833年4月18日〉 - 1903年〈明治36年〉7月21日)は、幕末から明治期の久保田藩士、国学者、神職、政治家。貴族院勅選議員。通称・鉄蔵。雅号・琴廼屋、烟水、九春軒。 出羽国秋田郡久保田城下亀ノ丁新町(現秋田県秋田市)で、久保田藩士、郡奉行・小野崎通孝の長男として生まれる。平田篤胤と親交があり神道家であった父通孝から神道を伝えられ、吉川忠行の惟神館で和魂洋才を学び、文久3年(1863年)同志と雷風義塾を設立して講師に就任。慶応4年1月(1868年)藩校明徳館教授兼砲術頭となる。戊辰戦争では吉川忠安らと勤皇を主張して藩論を導き、遊撃隊参謀として秋田戦争に従軍した。