坪井 清志郎(つぼい きよしろう、2000年2月1日 - )… 坪井 清志郎(つぼい きよしろう、2000年2月1日 - )は、富山県南砺市出身のプロサッカー選手。カターレ富山所属。ポジションは、フォワード(FW)。 川崎市に住んでいた小学校1年生からサッカーを始めた。小学校2年時に南砺市へ転入し、井波サッカースポーツ少年団に入団。中学校時代はカターレ富山U-15でプレーしたがU-18に昇格できず、富山第一高校へ進学。高校3年次のプリンスリーグ北信越では24得点を上げて得点王となり、チームの優勝に貢献した。 2018年より、徳島ヴォルティスへ加入。 2019年より、ブラウブリッツ秋田へ育成型期限付き移籍した。 2020年、JFLに昇格した高知ユナイテッドSCに育成型期限付き移籍。
橋本 星奈(はしもと せいな、1994年9月3日 - )は、… 橋本 星奈(はしもと せいな、1994年9月3日 - )は、チューリップテレビのアナウンサー。 富山県南砺市出身。富山県立砺波高等学校、富山大学芸術文化学部文化マネジメントコース卒業。大学時代は15代目プリンセスチューリップに選ばれる。 2016年(平成28年)北陸朝日放送(テレビ朝日系列)に入社。報道制作局報道部で報道記者を担当。事件や事故、地域のニュースを取材。ゼロから企画を立案、深掘りする特集枠を担当したり、高校野球や県警24時のディレクター(取材・構成・編集)も務めた。番組内では自らリポーターを務め、現場の臨場感をお茶の間に発信。 2020年(令和2年)ラジオ局のTOKYO FMに転職。
天津 いちは(あまつ いちは、1991年3月11日 - )は… 天津 いちは(あまつ いちは、1991年3月11日 - )は、日本のモデル、コスプレイヤー、YouTuber、TikToker。富山県南砺市出身、東京都在住。 露出系コスプレイヤーとしてコミックマーケットなどで知名度を上げたグラビアモデル。神奈川大学工学部第一フロンティア学科卒。前職は東日本旅客鉄道(JR東日本)社員。研修でターミナル駅の駅員として勤務した後、設備管理部署に在籍した。 幼少時は人と話すことを苦手としており、ここから人と関わるより漫画やアニメを見て過ごす。 大学卒業後の2016年4月、職場の上司に誘われ池袋のコスプレイベント「acosta!」に参加し初めてコスプレを経験。ここから写真に撮られる喜び、作りこむ楽しさを知る。
神本 千佳(かみもと ちか、1987年8月12日 - )は、… 神本 千佳(かみもと ちか、1987年8月12日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 富山県南砺市出身。小学校6年生で既に身長が162cmあったことや仲の良い友人の誘いによりバレーボールを始める。当初のポジションはライト。 また、同年に観戦した全日本のバレーボールの試合で、将来は全日本のベテランセッターでもある竹下佳江のトスを打てるような選手になりたいという夢を周囲に話していたという。 バレーボールは中学に進学しても続ける。当時の体型はかなり痩せており、また、成長期に伴い、急激な成長痛と重度の貧血に悩まされ、厳しい練習についていくのがやっとだった。中学2年にポジションをライトからセンターに。
eba(えば、1987年6月20日 - )は、日本の作曲家、… eba(えば、1987年6月20日 - )は、日本の作曲家、編曲家、ギタリスト。廃墟系ポップユニットcadodeのメンバー。富山県南砺市出身。F.M.F所属。 2009年10月、川口進との出会いをきっかけにF.M.Fに参加。2010年9月、TVアニメ『Starry☆Sky』のエンディングテーマ「Starry☆Days」で作曲家デビュー。OLDCODEXの楽曲プロデュースでの活動が多い。コシマサヒロ、谷原亮と共に、Music Product「cadode」を立ち上げた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
高堀 和也(たかほり かずや、1987年6月11日 - )は… 高堀 和也(たかほり かずや、1987年6月11日 - )は、富山県南砺市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 富山県南砺市(井波)出身。砺波工業高校を卒業後、三菱自動車岡崎に入る。所属部署は試作部の試作工務課。 伸びしろと将来性を考慮され、2009年プロ野球ドラフト会議にて東北楽天ゴールデンイーグルスから4位指名を受け、11月12日に契約金5000万円、年俸1000万円(いずれも推定)で仮契約した。 2012年、9月に一軍初登板。主に先発投手が早々に降板した時のロングリリーフや大量リード、ビハインド時などの起用となった。9月5日の北海道日本ハムファイターズ戦(東京ドーム)で1点ビハインド時に登板し、無失点に抑えると直ぐ後の味方の攻撃で逆転、試合に勝利したためプロ初勝利を挙げた。
水戸 健史(みと たけし、1985年4月23日 - )は、富… 水戸 健史(みと たけし、1985年4月23日 - )は、富山県南砺市出身のプロバスケットボール選手である。日本男子プロバスケットボールリーグB.LEAGUEの富山グラウジーズ所属。ポジションはシューティングガード。185cm、75kg。背番号は9。スピードを活かしたプレーが持ち味。 福野中学校3年生の時には副主将を勤め、県大会に進出。[要出典]高岡商業高校に進学し、2年生時の2002年に、全国高等学校総合体育大会バスケットボール競技大会(インターハイ)と全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会(ウィンターカップ)に出場。 近畿大学進学後は2・4年次に全日本学生バスケットボール選手権大会(インカレ)に出場。
重原 克也(しげはら かつや、1984年 - )は、日本のア… 重原 克也(しげはら かつや、1984年 - )は、日本のアニメ監督、アニメーター、演出家。 富山県南砺市福野出身。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
平田 典靖(ひらた のりやす、1983年11月17日 - )… 平田 典靖(ひらた のりやす、1983年11月17日 - )は、富山県東礪波郡利賀村(現南砺市)出身のバドミントン選手。バドミントン日本代表ナショナルチームに選出されている。富山県南砺市立利賀中学校、富山県立高岡工芸高等学校、日本体育大学卒業。 富山県利賀村(現南砺市)に生まれる。 小学校時代は、野球に夢中だった。中学時代は、バドミントン部しかない小規模の学校だったためそのまま入部。中学3年生で県大会シングルス優勝。 高校時代は、ダブルスで前衛として大活躍をする。高校2年生で米隆夫(元トナミ運輸)と組んでインターハイで3位に。また、高校選抜で劉志遠と組んで全国優勝。 大学生時代は、日本体育大学で活躍。
武部 知春(たけべ ちはる、1982年5月5日 - )は、北… 武部 知春(たけべ ちはる、1982年5月5日 - )は、北日本放送の元アナウンサー。富山県東砺波郡井波町高瀬地域(現・南砺市)出身。血液型AB型。8歳下の弟がいる。
大家 健(おおか けん、1977年4月8日 - )は、日本の… 大家 健(おおか けん、1977年4月8日 - )は、日本の男性プロレスラー。ガンバレ☆プロレス所属。富山県福野町(現:南砺市)出身。血液型A型。
山村 美樹(やまむら みき、1976年8月13日 - )は、… 山村 美樹(やまむら みき、1976年8月13日 - )は、北日本放送の元アナウンサー。富山県西礪波郡福光町(現在の南砺市)出身。1999年に入社し、1年目から夕方ワイド番組『KNBわいどプラス1』の司会を担当する。2007年に出産のため退社。 2010年11月よりセラピストとして活動を開始し、富山市内にサロン「ボディーワーク Jalan-Jalan」を開店した。
尾山 敦(おやま つとむ、1970年4月11日 - )は、富… 尾山 敦(おやま つとむ、1970年4月11日 - )は、富山県東砺波郡城端町(現:南砺市)出身の元プロ野球選手(投手)。
松原 秀典(まつばら ひでのり、1965年11月15日 - … 松原 秀典(まつばら ひでのり、1965年11月15日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、イラストレーター。富山県西礪波郡福光町(現・南砺市)出身。5歳より高岡市在住。元・ガイナックス所属、現所属はカラー。別名義に、ピエール松原やヒデ松原がある。既婚、現在東京都在住中。 主な代表作は、『サクラ大戦』『ああっ女神さまっ』など。ガイナックスでアニメーターとして頭角を現し、キャラクターデザイナーとしてその才能を開花させた。ガイナックス退社後も様々な作品にキャラクターデザイン・作画監督・原画などで参加する。「サクラ大戦シリーズ」以降は、ゲーム関係の仕事にも多数携わっている。 2001年8月には、初の個展「サクラ大戦松原秀典原画展」を渋谷で開催した。
河森 正治(かわもり しょうじ、1960年2月20日 - )… 河森 正治(かわもり しょうじ、1960年2月20日 - )は、日本のメカニックデザイナー、アニメーション監督・演出家。富山県東礪波郡平村(現南砺市)生まれ。株式会社Vector Vision所属、株式会社サテライト特別顧問。 監督としての代表作は「マクロスシリーズ」「アクエリオンシリーズ」など。おもなメカニックデザインとしては「マクロスシリーズ」の可変戦闘機(バルキリー)や、「新世紀GPXサイバーフォーミュラシリーズ」のサイバーフォーミュラ、「エウレカセブンシリーズ」のLFO、ゲーム「アーマード・コアシリーズ」のアーマード・コアなどがある。 1980年代初頭のアニメブーム期に、アニメファン世代の大学生デザイナーとして頭角を現す。
神岡 政夫(かみおか まさお、1957年12月23日 - )… 神岡 政夫(かみおか まさお、1957年12月23日 - )は、日本のラリードライバー。富山県南砺市(旧井波町)出身。 18歳で免許を取得し、近所の山を走り込みドライビングテクニックを磨く。当時走っていた場所の中では、井波町にある不動滝近くの橋の後に続く右カーブがお気に入りとのこと。19歳で国内ラリーに参戦を開始し、翌年には山梨県で開催されたウィンターラリーで優勝。これをきっかけにラリーの世界で戦うことを決める。 1980年に全日本ラリー選手権に参戦開始し、優勝する。1982年に三菱・ランサーEXで史上最年少でのチャンピオンを獲得(この時24歳。この記録は未だに破られていない)。その後1985年に日産・フェアレディZで、1993年にスバル・インプレッサでそれぞれチャンピオンを獲得した。
越村 勲(こしむら いさお、1953年 - )は、日本の歴史… 越村 勲(こしむら いさお、1953年 - )は、日本の歴史学者。 専門は東欧史で、クロアチアのアニメーションなどの表象文化と社会史の関係等を研究対象とする。 東京造形大学教授。東京造形大学副学長や、東欧史研究会委員長等を務めた。現在、東京造形大学名誉教授。 富山県南砺市出身。富山県立福野高等学校を経て、1977年一橋大学法学部卒業後、ユーゴスラビア政府奨学生として留学し、1980年ザグレブ大学大学院政治学研究科修士課程修了、政治学修士。1985年一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得。1992年『東南欧農民運動史の研究』で一橋大学社会学博士。審査員油井大三郎、土肥恒之、加藤哲郎。 1985年一橋大学社会学部助手。
山田 義昭(やまだ よしあき、1949年1月1日 - )は、… 山田 義昭(やまだ よしあき、1949年1月1日 - )は、日本のテロ組織である日本赤軍の元メンバー。富山県東礪波郡平村(現・南砺市)生まれ。 高校卒業後、アルバイトをしながら早稲田予備校に通っていたが、大学受験に失敗し、板橋区の精密機械メーカーで勤務。 1973年6月、パリに行った際に日本赤軍入りする。1974年にはシンガポール事件に参加。7月26日、パリ・オルリー空港で、偽造旅券4通と偽ドル所持のためにフランスの警察に逮捕される。勾留されている間はフルヤと偽名を名乗った。その供述から、西ドイツ・デュッセルドルフの日本総合商社支店長を身代金目的で誘拐する計画が発覚した。このままだと山田の自供により、当局に組織全容を解明されると考えた日本赤軍はハーグ事件を起こし、山田は超法規的措置で釈放され逃亡する。
大瀬 国隆(おおせ くにたか、1947年〈昭和22年〉 - … 大瀬 国隆(おおせ くにたか、1947年〈昭和22年〉 - )は、日本の弦楽器弓職人、こきりこささら職人、越中五箇山こきりこ唄保存会会長、社会福祉法人南砺市社会福祉協議会評議員。
金田 章裕(きんだ あきひろ、1946年5月22日 - )は… 金田 章裕(きんだ あきひろ、1946年5月22日 - )は、日本の地理学者。京都大学名誉教授、京都府公立大学法人理事長。元人間文化研究機構機構長。京都府立京都学・歴彩館館長。 1946年、富山県東礪波郡福野町(現:南砺市)で生まれた。1965年に富山県立高岡高等学校を卒業し、京都大学文学部史学科に入学。地理学を専攻し、1969年に卒業した。京都大学大学院文学研究科に進学し、1974年に博士課程を単位取得退学。 その後は京都大学研修員となり、1975年5月に同教養部助手に採用された。1977年、追手門学院大学講師となり、後に助教授昇格。1987年8月、京都大学文学部助教授に転じた。1993年5月、学位論文『日本古代中世景観の歴史地理学的研究』を京都大学に提出して文学博士の学位を取得。
真田 信治(さなだ しんじ、1946年2月24日 - 202… 真田 信治(さなだ しんじ、1946年2月24日 - 2022年11月13日)は、日本の日本語学者。大阪大学名誉教授。文学博士(大阪大学、1990年)。専門は社会言語学・方言学・接触言語学。 1946年(昭和21年)、富山県上平村(現・南砺市)に生まれる。1964年(昭和39年)、富山県立砺波高等学校卒業。1968年(昭和43年)、金沢大学教育学部卒業。1970年(昭和45年)、東北大学大学院文学研究科国語学専攻修士課程修了。1972年(昭和47年)、同博士課程退学。 椙山女学園大学専任講師、国立国語研究所研究員などを経て、1993年(平成5年)、大阪大学文学部教授。1999年(平成11年)、大阪大学大学院文学研究科教授(日本語学担当)。
斎藤 侊琳(さいとう こうりん、1937年〈昭和12年〉 -… 斎藤 侊琳(さいとう こうりん、1937年〈昭和12年〉 - 2016年〈平成28年〉9月18日)は、現代日本の仏師。本名は秀明。日展作家・竹部豊、大仏師・松久朋琳、松久宗琳の流れを汲む。富山県福野町(現・南砺市)に生まれる。 15歳で日展作家・竹部豊に弟子入り。自身も日展作家として活動。その後松久朋琳、松久宗琳に仏像彫刻、仏画を師事。富山県にて仏師として活躍。日展入選回数6回。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
安丸 良夫(やすまる よしお、1934年〈昭和9年〉6月2日… 安丸 良夫(やすまる よしお、1934年〈昭和9年〉6月2日 - 2016年〈平成28年〉4月4日)は、日本の歴史学者。専門は近世・近代の日本思想史、宗教史。一橋大学名誉教授。 1934年6月2日、富山県東礪波郡高瀬村(現:南砺市)に生まれる。高瀬小学校(現:南砺市立井波小学校)、井波中学校、富山県立福野高等学校を経て、1957年に京都大学文学部史学科を卒業(国史学専攻)、1959年に京都大学大学院文学研究科修士課程修了(国史学専攻)。1962年、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学(国史学専攻)。 同年、名城大学法商学部に専任講師として赴任し、1966年に同大学助教授。1970年、一橋大学社会学部助教授に転じ、1977年に教授となる。
山田 直稔(やまだ なおとし、1926年4月16日 - 20… 山田 直稔(やまだ なおとし、1926年4月16日 - 2019年3月9日)は、日本の実業家。 ワイヤーロープの販売を行う浪速商事株式会社の経営を行う傍ら、羽織、袴に金色の帽子、金色の扇子という格好でオリンピックや大相撲を観戦したことから「オリンピックおじさん」としても知られた。 富山県東礪波郡井波町(現南砺市)出身。富山市立工業学校(現在の富山県立富山工業高等学校)を経て、日本大学旧工学部(現日本大学理工学部)建築学科に進む。 山田は大学生だったときに阿部定事件の犯人だった阿部定と出逢い、『あんたね、男は人生一代だよ!』と激励されたことを生前に語っている。 大学卒業後にワイヤーロープ業界に入り、1960年に浪速商事株式会社を設立する。
藤元 政信(ふじもと まさのぶ、1914年(大正3年)9月2… 藤元 政信(ふじもと まさのぶ、1914年(大正3年)9月20日 - 1998年(平成10年)8月5日)は、昭和期の労働運動家、政治家。東京都武蔵野市の第3代市長。 富山県東礪波郡利賀村栗当(現南砺市)に生まれた。1931年(昭和6年)家出して上京し、政治家の書生を希望したが果たせず、洋服問屋に勤めた。1938年(昭和13年)中島飛行機へ入社し武蔵製作所に勤務、武蔵野町民となる。1945年(昭和20年)早稲田高等工学校機械工学科を卒業。1951年(昭和26年)富士重工業(現SUBARU)の労働組合執行委員長に就任する。1954年(昭和29年)日本社会党武蔵野支部書記長となる。 1955年(昭和30年)4月に社会党公認で武蔵野市議会議員に立候補、1963年(昭和38年)10月まで3期務める(3期目は6ヶ月間)。
堀 豊次(ほり とよじ、1913年 - 2007年)は、富山… 堀 豊次(ほり とよじ、1913年 - 2007年)は、富山県井波町(現:南砺市)出身の川柳家。 詩集「天馬 (1), (2),(3), (4) , (5), (6), (7), (8) , (10 ), (11), (12)」 国立国会図書館所蔵 天馬発行所1956- この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
山崎 栄次郎(やまざき えいじろう、1911年〈明治44年〉… 山崎 栄次郎(やまざき えいじろう、1911年〈明治44年〉4月17日 - 1987年〈昭和62年〉2月3日)は、日本の政治家。東京都墨田区長(3期)。甥は墨田区長を4期務めた山崎昇。 富山県西礪波郡西野尻村(のち福野町、現・南砺市)出身。小学校卒業後は東礪波郡福野町(現・南砺市)役場に就職する。その後、上京し、目白商業学校(現・目白研心中学校・高等学校)で学ぶ。東京市向島区役所に入り、戦時中に召集され、ソ連軍に抑留される。戦後、帰国し、墨田区役所に復帰。1963年〈昭和38年〉墨田区助役に就任。1974年〈昭和49年〉に区長となる。 翌1975年〈昭和50年〉区長公選制復活で墨田区長選挙に立候補し、当選。
大坪 十喜雄(おおつぼ ときお、1908年(明治41年)3月… 大坪 十喜雄(おおつぼ ときお、1908年(明治41年)3月3日 - 1993年(平成5年)1月9日)とは、シテ方宝生流能楽師である。宝生会常務理事、能楽協会東京支部理事長。 富山県南砺市福野出身。東京に生まれ、宝生流宗家十七世宝生九郎(重英)に入門。1965年(昭和40年)に日本能楽会に入会。1979年(昭和54年)勲五等双光旭日章を受章。 嗣子は大坪喜美雄(重要無形文化財各個認定保持者(人間国宝))。
川南 豊作(かわなみ とよさく、かわみなみ とよさく、190… 川南 豊作(かわなみ とよさく、かわみなみ とよさく、1902年〈明治35年〉7月28日 - 1968年〈昭和43年〉12月11日)は、日本の実業家、右翼活動家。 1902年(明治35年)富山県に生まれ、1919年(大正8年)県立富山水産講習所を卒業後、東洋製罐株式会社に入社。 1931年(昭和6年)結婚後、退職して、朝鮮に渡り、トマト・サージン工場を建設してイワシのトマト煮缶詰の製造を始める。 1934年(昭和9年)、佐賀県にて合名会社川南工業所を設立し、缶詰製造業から曹達・硝子事業に転換する。曹達原料である塩を安く輸入するためには船が必要であるという考えから、1936年(昭和11年)、長崎県西彼杵郡香焼村(現:長崎市香焼町)にある閉鎖中の松尾造船鉄工所を買収し、川南工業所とともに吸収合併し、川南工業株式会社を設立し、造船業に進出する。
川原 忠平(かわはら ちゅうへい、1899年〈明治32年〉 … 川原 忠平(かわはら ちゅうへい、1899年〈明治32年〉 - 1976年〈昭和51年〉1月3日)は、日本の教育者。学校法人高岡第一学園及び高岡第一高等学校の創設者、同初代理事長兼初代校長。 富山県西礪波郡福光町(現・南砺市)才川七にて、教育者であった父・川原忠孝の次男として生まれる。父の影響で教育者を目指し、福光高等小学校卒業後に富山師範学校(後の富山大学旧教育学部、現人間発達学部)を受験するも、人見知り・小心な性格の上、田舎育ちで富山の街中に慣れず、緊張して試験に失敗する。農業を手伝いながら、翌春に再挑戦するも再び不合格となる。富山師範学校にしか進学を許さないとの父の方針から、代用教員をしながら勉学に励み、三度目の受験にして、競争率5倍という狭き門を突破し、富山師範学校に入学する。
中川 文蔵(なかがわ ぶんぞう、1892年(明治25年) /… 中川 文蔵(なかがわ ぶんぞう、1892年(明治25年) / 1893年(明治26年) - 1978年(昭和53年))は、日本の農民、商人(雑貨商兼家畜商)、政治家。北海道広尾町議会議員を務めた。通称、“拙者(せっしゃ)文蔵”。 政治家中川一郎・中川義雄の父、中川昭一の祖父。 富山県西砺波郡福光町(現:南砺市福光)出身。14歳の時に北海道に渡り、道東の僻地を選んで開拓に従事した。 19歳で父を失った。以来、文蔵はひとりで一家眷族を養うことになった。ある時は田畑の作物が全滅し、また牛馬が人手に渡ったことも何度かあった。 長男の一郎が小学校2年生の時、文蔵は開拓地を離れて町中に住み、雑貨商兼家畜商に転じた。
佐々木 嘉平(ささき かへい、1889年(明治22年)7月7… 佐々木 嘉平(ささき かへい、1889年(明治22年)7月7日 - 1983年(昭和58年)5月2日)は社寺大工。富山県東礪波郡福野町(現在の南砺市福野)で代々宮大工であった佐々木家に生まれた。 父であった三代目佐々木嘉平に師事し、独学で技術・知識を身に付け、全国各地で数々の国宝や重要文化財の修復・保存に携わった。昭和46年黄綬褒章を受章。この四代目佐々木嘉平は、棟梁としては佐々木棟慶とも名乗った。戒名は平等院釈棟慶居士。 日本建築文様宝典 2003年 文芸社刊 清水稔次 佐々木健 編
山田 毅一(やまだ きいち、1887年(明治20年)1月21… 山田 毅一(やまだ きいち、1887年(明治20年)1月21日 – 1953年(昭和28年)4月15日)は、衆議院議員(立憲民政党)、ジャーナリスト。 富山県東礪波郡福野町(現在の南砺市)出身。早稲田大学・東京外国語学校に学んだ後、『東京日日新聞』・『やまと新聞』・『國民新聞』の記者を務めた。その間、樺太・沿海州・南洋諸島・欧米諸国などを歴訪した。その後、復興通信社を創業し、社長に就任した。 1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第17回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。 その後、南進社、南方産業調査会を主宰し、南方政策を研究した。
河合 良成(かわい よしなり、明治19年(1886年)5月1… 河合 良成(かわい よしなり、明治19年(1886年)5月10日 - 昭和45年(1970年)5月14日)は、日本の農商務官僚、政治家、実業家。富山県高岡市名誉市民。
石崎 光瑤(いしざき こうよう、明治17年(1884年)4月… 石崎 光瑤(いしざき こうよう、明治17年(1884年)4月11日 - 昭和22年(1947年)3月25日)は、日本の大正時代から昭和の初めにかけて活躍した日本画家。文展・帝展を中心に活動し、写実に基づく鮮やかで装飾的な花鳥画を得意とした。 富山県西礪波郡福光町(現在の南砺市)で、素封家・石崎和善の五男として生まれる。本名は石崎猪四一。石崎家は和泉屋の屋号で本業は麻布業だったが、江戸時代から蔵宿業を営み、町役人も務めた豪商だった。幼少より画才があり、明治29年(1896年)12歳頃東京から金沢に移り住んだ琳派の絵師・山本光一に師事する。光瑤の「光」は師から貰っており、この頃の光瑤は福光や金沢近郊を写生して廻ったという。
綿貫 栄(榮、わたぬき さかえ、1880年〈明治13年〉4月… 綿貫 栄(榮、わたぬき さかえ、1880年〈明治13年〉4月 - 1965年〈昭和40年〉3月7日)は、日本の実業家、富山県東砺波郡井波町(現在の南砺市)長。勲五等瑞宝章。元衆議院議員の綿貫民輔の祖父。 1880年、富山県礪波郡井波町の井波八幡宮の神官の家に生まれる。地元井波小学校の代用教員や裁判所、富山県庁に勤める。30歳で富山県庁を退職し、砺波地方の鉄道事業に着手する。この後石川県に進出、事業を拡大し、新聞社や映画館などを経営した。 栄の長男が交通事故で死去したため、日本電力の社員であった南佐民を長女和子と結婚させ婿に迎えた。事業の傍ら、1931年から井波町長を務めた。 1947年、娘婿の佐民とともに公職追放となった。
山田 少年(やまだ しょうねん / せいねん、1879年(明… 山田 少年(やまだ しょうねん / せいねん、1879年(明治12年)4月3日 - 1961年(昭和36年)1月29日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、富山県東礪波郡福野町長。福野町豪農・山田家8代。 石川県礪波郡福野村(現:富山県南砺市)で、山田家7代・山田正景(初代福野町長、石川県会議員)の長男として生まれる。福野農学校(現富山県立南砺福野高等学校)で学んだ。 酒造業を営む。福野町会議員、富山県会議員を務めた。1915年3月、第12回衆議院議員総選挙に富山県郡部から立憲同志会所属で出馬して当選。第13回総選挙でも再選され、衆議院議員を連続二期務めた。立憲国民党、立憲同志会、憲政会、立憲民政党に所属して、県支部の幹部を務めた。
筏井 甚吉(いかだい じんきち、1867年9月12日(慶応3… 筏井 甚吉(いかだい じんきち、1867年9月12日(慶応3年8月15日) - 1914年(大正3年)2月19日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 越中国礪波郡福野村(富山県東礪波郡福野町を経て現南砺市)で福冨平一郎の二男として生まれ、18歳で現在の高岡市宮脇町の先代・筏井甚吉の養子となり、翌年、甚吉を襲名した。漢学を学ぶ。高岡市会議員、同議長、同参事会員、富山県会議員、高岡市長となる。また、中越汽船(株)、高岡貯蓄銀行各取締役、高岡電燈(株)、高岡銀行各監査役、高岡市教育会長、富山県工業会副会頭を務めた。 1908年の第10回衆議院議員総選挙において高岡市選挙区から立憲政友会公認で立候補して当選した。
磯千鳥 重五郎(いそちどり じゅうごろう、1867年(慶応2… 磯千鳥 重五郎(いそちどり じゅうごろう、1867年(慶応2年12月)- 1922年(大正11年)9月)は、明治時代の大相撲力士。本名笹島 重太郎。最高位十両5枚目。年寄9代玉ノ井。 富山県砺波郡東石黒村(のち西砺波郡東石黒村→東砺波郡福野町、現南砺市)生まれ。玉ノ井部屋に入門し、1889年1月磯千鳥の四股名で序ノ口に就く。1895年幕下に上がる。1900年に師匠玉ノ井が亡くなり、1902年1月より二枚鑑札となり玉ノ井に改名。1902年5月新十両。十両在位3場所で幕下に陥落し、最終的には1909年6月場所で三段目にまで陥落して引退し、年寄専務になる。 1922年9月死去、55歳没。
西能 源四郎(さいのう げんしろう、1859年12月4日(安… 西能 源四郎(さいのう げんしろう、1859年12月4日(安政6年11月11日)- 1916年(大正5年)12月6日)は、日本の実業家、政治家。富山県会議員や衆議院議員を務め、両砺銀行を設立し頭取となった。幼名・源之助、本名・義彰、通称・源四郎。号・五州、士強、耕萬里。 越中国礪波郡広安村(のち富山県東礪波郡福野町を経て、現南砺市)で、先代・西能源四郎の長男として生まれる。11歳で父が死去したため、母の実家で養育され、祖父・天富鼎太郎の薫陶を受けた。その後、富山藩儒・岡田呉陽の家塾で漢文、詩文を修めた。 自由民権運動に加わり、島田孝之らの越中改進党に参加した。富山県会議員を3期務めた(明治19年9月〜同12年2月、同21年3月〜同25年6月、同29年8月〜同年10月)。
松村 精一郎(まつむら せいいちろう、嘉永2年(1849年)… 松村 精一郎(まつむら せいいちろう、嘉永2年(1849年) - 1891年(明治24年)5月10日)は明治時代の漢学者、聾啞教育者。越中国福光町(富山県南砺市)出身。幼少時奇病により聾啞者となる。稲坂謙吉、中村正直等に学び、金沢に聾学校金沢盲啞院を創立したが、2年で廃校となり、その後福光、富山、金沢で漢詩文を教え、また一時期富山で『中越新聞』客員を務めた。 嘉永2年(1849年)越中国砺波郡福光村新町(富山県西砺波郡福光町新町村44番地)旧家松村与三郎の次男として生まれた。5歳で宮永菽園に経史の句読を学んだが、6歳で天然痘に罹患、奇病を併発し、7年間病床に伏した結果、聴覚・発話・歩行に障害を負った。
水上 善治(みずかみ ぜんじ、1828年8月11日(文政11… 水上 善治(みずかみ ぜんじ、1828年8月11日(文政11年7月1日)- 1898年(明治31年)4月28日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけての、富山県東礪波郡平村(現・南砺市)の実業家、政治家。当初は水上善三郎と名のっていたが、1888年(明治21年)に善治と改めた。本稿では便宜上「水上善治」と統一して表記する。 明治維新後に五箇山地域を取り巻く環境が激変する中で、五箇山の殖産興業・交通路の開拓・文化教育の振興に私費を投じて尽力したことで知られる。『平村史』では「五箇山開発・開化の偉大なる先覚者で、その名と業績は不朽である」と評されている。 水上善治は文政11年(1828年)7月1日に高草嶺集落の藤井家に生れ育った後、安政3年(1856年)5月に下梨集落の水上家を継いだ人物である。
鷹西 美佳 は、日本テレビの社員(コンプライアンス推進室番組… 鷹西 美佳 は、日本テレビの社員(コンプライアンス推進室番組審議会事務局所属)、元アナウンサー。