谷本 龍哉(たにもと たつや、1966年10月26日 - )… 谷本 龍哉(たにもと たつや、1966年10月26日 - )は、日本の実業家、政治家。元エアアジア・ジャパン代表取締役会長。衆議院議員(3期)を務めた。 和歌山市出身。智辯学園和歌山中学・高等学校を卒業後、東京大学法学部に入学。在学時代から飲食業界にかかわり、大学卒業後28歳までバーテンダーをしながら店舗企画の仕事に従事。 1995年 二階俊博秘書。和歌山県議会議員を経て、2000年に衆議院議員に初当選する。 2003年衆議院議員2期目当選。同年、第40代自由民主党青年局長に就任。 2006年9月発足の安倍内閣で、内閣府大臣政務官(沖縄及び北方対策、科学技術政策、イノベーション、少子化対策、男女共同参画、食品安全行政関係等の施策及び情報通信技術政策などの担当)に任命された。
宮﨑 泉(みやざき いずみ、1959年〈昭和34年〉2月21… 宮﨑 泉(みやざき いずみ、1959年〈昭和34年〉2月21日 - )は、日本の政治家。和歌山県知事(公選第23代)。和歌山県教育委員会教育長、和歌山県副知事などを務めた。 和歌山市出身。和歌山市立野崎小学校、和歌山市立河北中学校、和歌山県立桐蔭高等学校を経て、大阪大学卒業後、1982年に和歌山県庁入庁。県人事課長、知事室長を歴任した後、2019年から2025年3月まで和歌山県教育長、2025年4月から和歌山県副知事を務めた。副知事就任直後の4月15日に岸本周平知事が急死したため、知事の職務代理を務めた。2025年6月の和歌山県知事選挙では自民・公明・立憲・国民・社民・和歌山県・町村会などの推薦を受けて立候補し、当選した。
岸本 周平(きしもと しゅうへい、1956年〈昭和31年〉7… 岸本 周平(きしもと しゅうへい、1956年〈昭和31年〉7月12日 - 2025年〈令和7年〉4月15日)は、日本の政治家、大蔵・財務官僚。位階は従四位。 和歌山県知事(公選第22代)、内閣府大臣政務官兼経済産業大臣政務官(野田第3次改造内閣)、衆議院議員(5期)、国民民主党選挙対策委員長、国民民主党幹事長代行、旧国民民主党選挙対策委員長を歴任。妻はNHK記者の飯田香織。 和歌山県和歌山市生まれ。和歌山県立桐蔭高等学校、東京大学法学部(江頭憲治郎ゼミ)卒業。大学卒業後、大蔵省に入省(大臣官房調査企画課)。入省同期には後藤茂之(衆議院議員、経済再生担当大臣兼内閣府特命担当大臣)、寺田稔(衆議院議員、元総務大臣)、稲垣光隆(国税庁長官)、枝廣直幹(福山市長)、高橋洋一(嘉悦大学教授)、佐藤慎一(財務事務次官、主税局長、大臣官房長、大臣官房総括審議官)、林信光(元国税庁長官)、山崎達雄(元財務官)、森信親(金融庁長官)、西村善嗣(東京国税局長、国税庁次長)ら23人らがいる。
竹中 平蔵(たけなか へいぞう、1951年〈昭和26年〉3月… 竹中 平蔵(たけなか へいぞう、1951年〈昭和26年〉3月3日 - )は、日本の実業家、政治家、経済学者。勲等は旭日大綬章。東洋大学グローバル・イノベーション学研究センター客員研究員。慶應義塾大学名誉教授。専門は経済政策。 世界経済フォーラム理事、SBIホールディングス社外取締役、森ビルアカデミーヒルズ理事長、日本経済研究センター研究顧問、外為どっとコム総合研究所首席研究理事、アドビ International Advisory Board メンバー、特定非営利活動法人万年野党アドバイザリーボードメンバー、一般社団法人外国人雇用協議会顧問、一般財団法人教育支援グローバル基金(BEYOND Tomorrow)アドバイザー、新生ホームサービス株式会社特別顧問、内閣日本経済再生本部産業競争力会議(民間)議員、内閣府国家戦略特別区域諮問会議(有識者)議員、RIZAPグループ経営諮問委員会委員、日本からヘイトをなくす会アドバイザー等を務める。
旅田 卓宗(たびた たくそう、1945年〈昭和20年〉4月4… 旅田 卓宗(たびた たくそう、1945年〈昭和20年〉4月4日 - )は、日本の政治家、元警察官。和歌山市議会議員(3期)、和歌山市長(4期)、和歌山県議会議員(3期)を歴任した。 1945年4月4日、稲荷永一と花子の子として生まれる(4人兄弟の3人目)。幼名は卓三、しかし1948年に両親が離婚し、母方の姓となる。 1964年、和歌山県立和歌山工業高等学校を卒業後、和歌山県警察の巡査となり、和歌山県警察学校に入校。1965年4月に警察学校を首席卒業して海南警察署に配属されたが、同年7月に警察官を辞職し、小学校教員を目指したが果たせなかったため、同年12月に復職して白浜警察署に配属された。 1969年10月、政治家を目指して再び警察官を辞職、1971年の統一地方選挙に無所属で立候補し和歌山市議会議員に初当選して政界入りを果たした。
関 佳哉(せき よしや、1943年10月21日 - 2014… 関 佳哉(せき よしや、1943年10月21日 - 2014年2月14日)は、日本の政治家。元和歌山市議会議員(1期)。
中西 啓介(なかにし けいすけ、1941年〈昭和16年〉2月… 中西 啓介(なかにし けいすけ、1941年〈昭和16年〉2月6日 - 2002年〈平成14年〉1月27日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期)、防衛庁長官(第53代)を歴任した。 和歌山県和歌山市生まれ。和歌山県立桐蔭高等学校を経て、1965年、早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業し、山口喜久一郎事務所に就職した。 1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧和歌山1区から無所属で立候補するも最下位で落選。以後、4年間地道な政治活動を続けて支援者を増やした。 1976年の第34回衆議院議員総選挙では、旧和歌山1区から自由民主党公認で立候補。35歳の若さをアピールするとともに、東京から芸能人を応援に呼ぶなどの積極的な選挙活動が功を奏して初当選を果たした(当選同期に中村喜四郎・鳩山邦夫・中島衛・西田司・池田行彦・堀内光雄・相澤英之・津島雄二・鹿野道彦・塚原俊平・与謝野馨・渡辺秀央・中川秀直・甘利正など)。
田端 正広(たばた まさひろ、1940年〈昭和15年〉1月4… 田端 正広(たばた まさひろ、1940年〈昭和15年〉1月4日 - 2025年〈令和7年〉1月5日)は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)。 和歌山県和歌山市生まれ。大阪府立三国丘高等学校、同志社大学経済学部卒業後、公明新聞に入社。1986年の第14回参議院議員通常選挙では比例区から公明党名簿第14位に登載され立候補したが、この時には落選している。 1993年の第40回衆議院議員総選挙で公明党の公認候補として旧大阪1区(定数3)から立候補し、同区でトップ当選。小選挙区比例代表並立制が導入された1996年の第41回衆議院議員総選挙以降は大阪3区から新進党公認で立候補し、2期連続当選を果たした。その後は新進党の解党により新党平和を経て、再結成された公明党と所属政党を変えつつも、連続当選した。
和田 教美(わだ たかよし、1919年3月21日 - 200… 和田 教美(わだ たかよし、1919年3月21日 - 2001年1月12日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)、朝日新聞論説委員。 和歌山県和歌山市出身。1939年官立和歌山高等商業学校(現和歌山大学経済学部)卒業、朝日新聞社入社、東京本社政治部次長、大阪本社経済部長を歴任。 1964年東京12チャンネル(現テレビ東京)、21時朝日新聞ワイドニュース司会。1969年朝日ジャーナル編集長就任。その後、東京本社出版局次長、朝日新聞論説委員となる。 1983年第13回参議院議員通常選挙に公明党から比例代表で初当選。なお非創価学会員であった[要出典]。1989年第15回参議院議員通常選挙にて再選。1994年新進党結成に加わる。
大橋 正雄(おおはし まさお、1918年1月8日 - 197… 大橋 正雄(おおはし まさお、1918年1月8日 - 1975年10月4日)は、日本の政治家。2人目の和歌山県公選知事(1967年4月23日 - 1975年10月4日)として3期を務めた。長男は前和歌山市長の故 大橋建一。 和歌山市出身。父の仕事の関係で京畿道京城府(現・ソウル特別市)に生まれた。第五高等学校を卒業。1941年10月、高等試験行政科試験に合格。同年12月、東京帝国大学法学部卒業後、内務省に入省し千葉県属となる。千葉県警察部勤務を経て、短期現役海軍主計科士官(8期)を志願。1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年11月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎え解員(復員)した。
今村 長太郎(いまむら ちょうたろう、1900年(明治33年… 今村 長太郎(いまむら ちょうたろう、1900年(明治33年)3月25日 – 1969年(昭和44年)6月1日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(2期)。 和歌山県和歌山市で生まれた。メリヤス製造業を営み、和歌山商工会議所議員、和歌山メリヤス生地工業組合理事長、和歌山県莫大小製造統制組合理事長、同県メリヤス商工業協同組合理事長、日本メリヤス工業会理事、同会生地部全国委員長、日本メリヤス統制取締役などを務めた。 政界では、1940年(昭和15年)から1947年(昭和22年)まで和歌山市会議員に在任。1947年4月、第23回衆議院議員総選挙で和歌山県第1区から日本自由党公認で立候補して当選し、次の第24回総選挙でも当選し、衆議院議員に連続2期在任した。
前田 善治(まえだ ぜんじ、1893年(明治26年)5月31… 前田 善治(まえだ ぜんじ、1893年(明治26年)5月31日 - 1970年(昭和45年)6月2日)は、日本の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。 和歌山県名草郡安原村字吉原(現・和歌山市)で前田和一の長男として生まれ、1910年、前田勝之助の養子となる。北海道庁立上川中学校を経て、慶應義塾大学部理財科で学んだ。北海道に戻り農業を営む。 旭川信用組合監事、北日本無尽 (株) 監査役、下村育英財団理事、前田和一商店社長、旭川小型モータース社長、旭川信用金庫理事、旭川瓦斯 (株) 常任監査役、人事調停委員などを務めた。 政界では、旭川市会議員、同議長、北海道会議員、同参事会員を歴任。この間、旭川市長候補者に推薦されたが承諾しなかった。
高木 正夫(たかぎ まさお、1890年〈明治23年〉1月10… 高木 正夫(たかぎ まさお、1890年〈明治23年〉1月10日 - 1973年〈昭和48年〉1月26日)は、大正から昭和期の鉄道官僚、政治家。参議院議員。 和歌山県和歌山市出身。広島高等師範学校を経て、1922年(大正11年)京都帝国大学経済学部を卒業。同年鉄道省に入省し大臣官房書記に任じられ、1923年(大正12年)12月、高等試験行政科試験に合格した。 以後、大阪鉄道局大阪運輸事務所長、門司鉄道局運輸部長、鉄道省陸運監理官、東京鉄道局事業部長などを歴任。その間、学習院助教授を務めた。1938年(昭和13年)4月に退官して日本通運理事に就任し、大阪支店長、常務取締役などを務めた。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で出馬して当選し、緑風会に所属して参議院議員に1期在任した。
大堀 孝(おおほり たかし、1880年(明治13年)7月20… 大堀 孝(おおほり たかし、1880年(明治13年)7月20日 - 1947年(昭和22年)2月3日)は、日本の衆議院議員(立憲国民党→純正国民党)。 和歌山県和歌山市出身。1900年(明治33年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業。翌年、紀州日報社を創刊して社長兼記者となったが、1903年(明治36年)に廃刊となり、政界入りを志すようになった。1909年(明治42年)、和歌山市会議員に選ばれ、副議長となった。 1915年(大正4年)、立憲国民党から第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。第13回衆議院議員総選挙でも再選を果たしたが、普通選挙を主張し、党議に敗れて離党した。
野村 吉三郎(のむら きちさぶろう、1877年(明治10年)… 野村 吉三郎(のむら きちさぶろう、1877年(明治10年)12月16日 - 1964年(昭和39年)5月8日)は、昭和初期に活躍した海軍軍人、外交官、政治家。海兵26期次席。位階勲功等は海軍大将従二位勲一等功二級。 和歌山県和歌山市出身。国際法の権威として知られ、阿部内閣で外務大臣を勤めた後、第二次近衛内閣成立後に駐米大使に任じられ、真珠湾攻撃の日まで日米交渉に奔走し戦争回避を模索した。 旧紀州藩士・増田喜三郎の三男として和歌山県名草郡(現:和歌山市西釘貫丁)で生まれ、野村正胤の養子となる。1895年(明治28年)、和歌山中学校(現・県立桐蔭高校)を修了。上京後、海軍諸学校への予備校であった私立海軍予備校(現在の海城中学校・高等学校)で学び、海軍兵学校(26期、1898年(明治31年))卒業(次席)。
江羅 直三郎(えら なおざぶろう、1875年12月25日 -… 江羅 直三郎(えら なおざぶろう、1875年12月25日 - 1939年12月8日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。旧姓は北村。 和歌山県和歌山市生まれ。1889年、日蓮宗学林を卒業した。1891年12月に日蓮宗の僧侶である叔父の江羅日明の養子となる。1891年、日蓮宗宮谷大学林を卒業した。1895年、哲学館(現・東洋大学)を卒業する。その後は、京都で僧侶になる為の修行を積んだ。1907年に京華日報が創立すると記者となり、後に副社長となった。 1910年4月に京都市会議員に当選した。以後、1913年、1917年、1929年、1937年と5選を果たした。また、1915年9月には京都府会議員となった。
紀 俊秀(きい としひで、明治3年10月24日(1870年1… 紀 俊秀(きい としひで、明治3年10月24日(1870年11月17日) - 昭和15年(1940年)9月20日)は、日本の政治家、実業家、日前神宮・國懸神宮宮司。栄典は正三位勲三等男爵。貴族院議員(通算6期29年)。 明治3年(1870年)10月24日、日前神宮・國懸神宮宮司・紀俊尚と鶴子の三男として紀伊国名草郡秋月村(現在の和歌山県和歌山市秋月)で生まれる。幼名は文麿(ふみまろ)。学習院高等学科卒業。明治24年(1891年)1月に名を俊秀と改め、同年10月に日前神宮・國懸神宮宮司となる。明治29年(1896年)8月26日、家督を相続して男爵を襲爵した。明治30年(1897年)7月10日の第2回伯子男爵議員選挙で初当選し、貴族院議員に就任した。
初代 谷口 良一(たにぐち りょういち、1857年(安政4年… 初代 谷口 良一(たにぐち りょういち、1857年(安政4年1月)- 1909年(明治42年)5月19日)は、明治期の酒造家、政治家。貴族院多額納税者議員、和歌山県海草郡山口村長。幼名・常之助。 紀伊国名草郡里村(和歌山県名草郡山口村大字里、海草郡山口村を経て現和歌山市)で、酒造業・谷口良吉の息子として生まれた。酒造業を相続して製品の改良などに尽力して事業を拡張し、和歌山県酒造組合連合会副会長などを務めた。 1879年(明治12年)7月、里村外十ヶ村会議員に就任。1879年(明治22年)ころから自由民権運動に加わり、同年4月、山口村会議員に当選。同年5月、初代山口村長に就任し、1903年(明治36年)6月に再選された。
岡崎 邦輔(おかざき くにすけ、1854年4月12日(嘉永7… 岡崎 邦輔(おかざき くにすけ、1854年4月12日(嘉永7年3月15日) - 1936年(昭和11年)7月22日)は、日本の政治家・実業家。号は晩香。 自由党を経て、立憲政友会衆議院議員、加藤高明内閣の農林大臣、貴族院議員を歴任する。陸奥宗光の配下として活躍し、政界の寝業師、策士として知られた。 現在の和歌山市で、嘉永7年(1854年)3月15日(衆議院に提出した履歴による。嘉永6年(1853年)説もあり)、紀州藩士・長坂学弥(がくや)の子として生まれる。孫の岡崎久彦によれば、長坂家は長坂血鑓九郎の末裔であるという。江戸の旗本直参・長坂本家との関係は、系図に明らかでなく、大坂夏の陣後の元和年間に徳川頼宣に従って紀州入りしたときに与えられた1,000石のお墨付が遺るのみという。
加藤 杲(かとう あきら、1854年3月22日〈安政元年2月… 加藤 杲(かとう あきら、1854年3月22日〈安政元年2月24日〉 - 1938年〈昭和13年〉9月20日)は、明治時代後期から昭和時代戦前の政治家。銀行家。和歌山県和歌山市長。旧姓は茨木、旧名は六之助。 和歌山城下出身。紀州藩家臣の茨木藤助の三男として生まれ、のち加藤仁左衛門の養子となる。1880年(明治13年)和歌山区書記となり、和歌山市収入役、助役を経て、1897年(明治30年)9月から1914年(大正3年)11月まで和歌山市長を務める。その間、1890年(明治23年)3月に和歌山県会議員に当選し、再選を経て1898年(明治31年)9月まで務めた。 財界では、1916年(大正5年)紀陽貯蓄銀行取締役となり、1920年(大正9年)頭取に就任。
神崎 修三(こうざき しゅうぞう、1853年1月25日(嘉永… 神崎 修三(こうざき しゅうぞう、1853年1月25日(嘉永5年12月16日)– 1917年(大正6年)5月4日)は、明治・大正期の地主、政治家、実業家。衆議院議員。旧姓・堀内。 紀伊国名草郡神前村(和歌山県名草郡岡崎村、海草郡岡崎村を経て現和歌山市)で堀内伊兵衛の長男として生まれ、豪農・神前吉次郎の養子となる。漢学を修めた。 1888年(明治21年)1月、補欠選挙で和歌山県会議員に当選。1889年(明治22年)、1894年(明治27年)、1898年(明治31年)に再選され、1899年(明治32年)9月に退任。1901年(明治34年)5月に補欠選挙で当選し、1902年(明治35年)8月に衆議院議員に当選のため辞職した。
菅沼 政経(すがぬま まさのり、1851年(嘉永4年2月) … 菅沼 政経(すがぬま まさのり、1851年(嘉永4年2月) - 1912年(大正元年)9月17日)は、明治時代の政治家。官吏。銀行家。和歌山県会議長。幼名は松之凾。 菅沼半兵衛の子として和歌山城下(現和歌山市)に生まれる。維新後の1871年(明治4年)に上京し、1875年(明治8年)慶應義塾を卒業する。 1877年(明治10年)三浦権五郎、長屋喜弥太らと協力し、旧藩主の徳川茂承より10万円の拠出を受け徳義社を設立し、のち社長を務めた。ほか同年、南海新報を発行した。 1878年(明治11年)県御用掛を経て、1879年(明治12年)2月に初代那賀郡長に就任。翌年10月まで在職した。1881年(明治14年)4月、和歌山県会議員選挙に補欠当選し、1882年(明治15年)再選、同年6月から県会議長を務め、1885年(明治18年)8月に退任した。
小幡 儼太郎(おばた げんたろう、1848年12月17日(嘉… 小幡 儼太郎(おばた げんたろう、1848年12月17日(嘉永元年11月22日)– 1909年(明治42年)7月8日)は、明治期の漢学者、政治家。衆議院議員。幼名・正己。号・楽山、水哉。 紀伊国名草郡和歌山城下(和歌山県和歌山区を経て現和歌山市)で、和歌山詰、紀伊田辺藩士・小幡儀左衛門の長男として生まれる。父は早くに没した。 1868年(明治元年)京都で僧・天章に漢学を師事し、その後、大坂の並河華、兵庫の菅野健助に学び、さらに、東京の安井息軒、塩谷宕陰、伊勢の土井有恪に師事した。牟婁郡田辺城下で漢学塾を開き子弟の教育を行った。 1873年(明治6年)第七大区学区取締に就任し、同区一小区長、西牟婁郡書記を歴任し、1881年(明治14年)に退職。