小椋 健司(おぐら けんじ、1995年6月8日 - )は、日… 小椋 健司(おぐら けんじ、1995年6月8日 - )は、日本の陸上選手。やり投を専門とする。 鳥取県琴浦町出身。琴浦町立以西小学校、琴浦町立赤碕中学校、鳥取県立倉吉総合産業高等学校、日本大学卒業。栃木県スポ協やエイジェックに所属した。 2025年10月にシーズン限りでの引退を発表した。
鳥取県 琴浦町:15人
※有名人ナビに登録されている15人を職業別に数えました。複数の職業を持つ人は、それぞれの職業に数えています。
小椋 健司(おぐら けんじ、1995年6月8日 - )は、日… 小椋 健司(おぐら けんじ、1995年6月8日 - )は、日本の陸上選手。やり投を専門とする。 鳥取県琴浦町出身。琴浦町立以西小学校、琴浦町立赤碕中学校、鳥取県立倉吉総合産業高等学校、日本大学卒業。栃木県スポ協やエイジェックに所属した。 2025年10月にシーズン限りでの引退を発表した。
川中 香緖里(かわなか かおり、1991年8月3日 - )は… 川中 香緖里(かわなか かおり、1991年8月3日 - )は、日本の女子アーチェリー選手。鳥取県東伯郡琴浦町出身。以西小学校→赤碕中学校→米子南高等学校→近畿大学経営学部卒業、ミキハウス所属。 2012年ロンドンオリンピック日本代表、団体銅メダリスト。2016年リオデジャネイロオリンピック日本代表。 1991年8月3日、鳥取県東伯郡赤碕町(現・琴浦町)で生まれる。小学校ではバレーボール部、中学校ではソフトテニス部に所属。高校在学中にジュニアナショナルメンバー入り。 2011年10月、テヘランでのアジア選手権で団体優勝。 2012年6月、ロンドンオリンピック最終予選で出場権を獲得。7月29日、ロンドンオリンピック女子団体で早川漣、蟹江美貴とともに3位決定戦のロシア戦に勝利し、オリンピック団体戦日本初の銅メダルを獲得。
川中 香緒里(かわなか かおり、1991年8月3日 - )は… 川中 香緒里(かわなか かおり、1991年8月3日 - )は、日本の女子アーチェリー選手。鳥取県東伯郡琴浦町出身。 以西小学校→赤碕中学校→米子南高等学校→近畿大学経営学部卒業、ミキハウス所属。
河端 朋之(かわばた ともゆき、1985年2月7日 - )は… 河端 朋之(かわばた ともゆき、1985年2月7日 - )は、鳥取県琴浦町出身の競輪選手、自転車競技選手。日本競輪選手会岡山支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第95期生。師匠は竹本茂(81期)。 鳥取県立倉吉工業高等学校を経て、同校の実習助手等の職に就きながらレース活動を行い、2005年の全日本自転車競技選手権大会(以下、全日本選手権)のスプリントで3位に入る。さらに2006年の兵庫国体ではチームスプリントで、2007年の秋田国体ではスプリントでそれぞれ優勝。その後第95期生として競輪学校に入校し、在校競走成績は23勝を挙げ第10位であった。 2009年1月1日、ホームバンクとなる玉野競輪場でデビューし6着。
丸山 聡美(まるやま さとみ、1984年8月15日 - )は… 丸山 聡美(まるやま さとみ、1984年8月15日 - )は、山陰放送(BSS)のアナウンサー。鳥取県東伯郡出身。 鳥取県東伯郡東伯町(現:琴浦町)出身。鳥取県立倉吉東高等学校、鳥取大学卒業後、BSSに2007年入社。 同期は坪山奏子で、いわゆる“初鳴き”は坪山ともども『しんじないと倶楽部』への出演であった。坪山とはその後も2009年から2010年にかけてテレビで随時放送された『ラッテちゃんダンス』で共演するなど因縁が深かった。 坪山が2010年3月いっぱいで山陰放送を退社したため、坪山が務めていた地上デジタル放送推進大使を引き継いだ。 「春のBSSまつり」や「秋のBSSまつり」などのイベントではMCを務めている。
小松 弘明(こまつ ひろあき、1958年〈昭和33年〉 - … 小松 弘明(こまつ ひろあき、1958年〈昭和33年〉 - )は、日本の政治家。元鳥取県東伯郡琴浦町長。 鳥取県東伯郡琴浦町出身。1981年に麻布大学獣医学科卒業、同年鳥取県庁へ入庁する。畜産課長などを歴任する。 2014年に琴浦町副町長。2018年2月に琴浦町長、同年3月に東伯地区土地改良区連合理事に就任。鳥取県町村会副会長をつとめる。2022年1月23日、任期満了に伴う鳥取県琴浦町長選が投開票され、元町議で新人の福本まり子に敗れる。 2025年11月21日、2026年1月の鳥取県琴浦町長選に立候補を表明した。琴浦町長選挙が2026年1月25日に投開票され、小松は落選した。 獣医師の資格を持つ。
小林 繁(こばやし しげる、1952年11月14日 - 20… 小林 繁(こばやし しげる、1952年11月14日 - 2010年1月17日)は、鳥取県東伯郡赤碕町(現・琴浦町)出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家、スポーツキャスター・タレント・俳優。 8歳の時に父親から野球用のグラブを渡され、キャッチボールを日課とするようになった。小学校時代にソフトボールをプレーし、中学時代は野球部に所属。当時は胃腸が弱かったこともあり、身長170cmに対して体重が50kgほどしかなかった。 中学卒業後の1968年に由良育英高校へ入学し、野球部に入部。当時監督を務めていた牧野紀史は当時の小林について、「特にボールが速かったわけではない。コントロールは悪くなかったが、抜群に良いというほどでもなかった」、「投げるボール自体は大したことはない」、「『どうしても欲しい』と思うようなピッチャーではありませんでした」と語る一方、「印象的だったのは、マウンドで常に小林は冷静だった」、「タテに割れるカーブを織り交ぜて、相手バッターのタイミングを上手く外す。
福本 まり子(ふくもと まりこ、1952年〈昭和27年〉11… 福本 まり子(ふくもと まりこ、1952年〈昭和27年〉11月13日 - )は、日本の政治家。鳥取県東伯郡琴浦町長(1期)。 鳥取県東伯郡琴浦町出身。1971年、鳥取県立米子南商業高等学校卒業。1978年、東伯町役場に入庁。2013年、琴浦町役場農林水産課参事で退職する。 2014年、琴浦町シルバー人材センター事務局長に就任する。 2018年、琴浦町議会議員に初当選する。 2022年1月23日に実施された琴浦町長選挙で現職の小松弘明を破り、初当選。山陰両県初の女性首長となる。 ※当日有権者数:14,066人 最終投票率:67.07%(前回比:pts) 琴浦町議会事務局の職員人事で、任免権者である議長の決裁を得ないまま、権限のない福本が辞令交付を行っていたことが、2025年11月17日までに町への随時監査で判明し、同年12月17日に琴浦町議会は福本に対する問責決議案を賛成2、反対12(欠員1、欠席1)の賛成少数で否決した。
川上 義博(かわかみ よしひろ、1950年10月26日 - … 川上 義博(かわかみ よしひろ、1950年10月26日 - )は、日本の政治家。 内閣総理大臣補佐官(野田第3次改造内閣)、参議院議員(1期)、衆議院議員(1期)、鳥取県議会議員(2期)などを歴任した。 鳥取県東伯郡琴浦町の農家に生まれる。鳥取県立由良育英高等学校(現鳥取県立鳥取中央育英高等学校)、青山学院大学経営学部経営学科卒業。大学卒業後、相澤英之衆議院議員事務所に入所し、相澤の秘書を務める。1990年、相澤が第2次海部内閣で経済企画庁長官に任命された際は、大臣秘書官も務めた。 1995年、鳥取県議会議員選挙に東伯郡選挙区から出馬し、初当選した。県議時代は自由民主党に所属していた。2003年の第43回衆議院議員総選挙に際しては、自民党で鳥取2区での公認を目指していたが、公認争いでは相澤英之に敗北。
佐伯 昌優(さえき よしまさ、1936年8月4日 - )は、… 佐伯 昌優(さえき よしまさ、1936年8月4日 - )は、将棋棋士、九段。2002年、引退。坂口允彦九段門下。棋士番号は79。鳥取県東伯郡赤碕町(現・琴浦町)出身。 5歳の頃、将棋を趣味としていた兄の影響を受けて将棋を覚える。 1952年に奨励会入会。1959年前期の予備クラスにおいて関東優勝をし、東西決戦で関西の星田啓三六段に勝ち、1959年10月1日付けで四段昇段(プロ入り)。 順位戦では、初参加から2期目の第16期(1961年度)C級2組で10勝2敗・1位となり初昇級。1年置いて、第18期(1963年度)C級1組順位戦で8勝3敗・2位の成績でB級2組に昇級。 1962年、第6回古豪新鋭戦で米長邦雄(三段)に勝ち決勝進出するが、大内延介(三段)に敗れて準優勝。
横山 薫範(よこやま しげのり、1917年(大正6年)11月… 横山 薫範(よこやま しげのり、1917年(大正6年)11月23日 - 1941年(昭和16年)12月8日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争劈頭の真珠湾攻撃において特殊潜航艇「甲標的」搭乗員として戦死した九軍神の一人。二階級特進により最終階級は海軍特務少尉。 鳥取県出身。横山家は農業を営み、三男一女の末子である。小学校高等科を卒業し、海軍を志願したが一度目は失敗し、二度目の挑戦で合格した。1934年(昭和9年)6月呉海兵団に入団。同期生に同じく九軍神とされた稲垣清がいる。 海軍水兵としての基礎訓練を受け、戦艦「扶桑」乗組となる。水雷学校及び潜水学校を卒業。横山は成績優秀で、水雷学校は優等卒業であり、懐中時計を授与された。
大杉 久雄(おおすぎ ひさお、1909年6月21日 - 19… 大杉 久雄(おおすぎ ひさお、1909年6月21日 - 1995年6月20日)は、日本の編集者。講談社の編集者として戦前〜戦後へと活躍した。主な編集誌に幼年クラブ、少年倶楽部などがある。のらくろの作者である、田河水泡と交流があった。 孫に大杉正人(オーストラリアシドニー在住)がいる。 本来大杉家は、地元の大地主であり大きな山林を所有していたが、大正恐慌のあおりを受け没落する。久雄は父より大杉家再興の為医者になることを命じられ、京都大学の受験の為の旅費を渡されるが、幼いころからの夢である文学への思いが立ちきれず京都へ向かう汽車で京都では下車せずそのまま東京へ向かう。 久雄は早稲田大学第一文学部への入学を決めるが、父は立腹しその年の正月の餅を久雄に送らなかったというエピソードが残されている。
堀江 実蔵(實藏、ほりえ じつぞう、1903年(明治36年)… 堀江 実蔵(實藏、ほりえ じつぞう、1903年(明治36年)4月10日 - 1986年(昭和61年)1月9日)は、昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員。 鳥取県東伯郡八橋町(のち東伯町、現・琴浦町)出身。農業を営む。 八橋町会議員、同町農地委員会長、同町農業会理事、鳥取県果実協会副会長、日本園芸農協連理事会長などを務めた。また、日本農民組合東伯郡協議会長、日本労働農民党鳥取県支部常任執行委員、日本労働党鳥取県支部常任執行委員、日本農民組合鳥取県支部連合会副会長、鳥取県農民総同盟常任執行委員中部協議会長なども務めた。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で鳥取県全県区から鳥取県農民総同盟公認で出馬して当選し、労働者農民党に所属して衆議院議員に1期在任した。
小川 貞一(おがわ ていいち、1882年(明治15年)1月1… 小川 貞一(おがわ ていいち、1882年(明治15年)1月19日 - 1943年(昭和18年)10月27日)は、大正から昭和時代初期の政治家、銀行家、実業家。貴族院多額納税者議員。旧姓・山崎。 鳥取県八橋郡赤崎宿(赤崎村、東伯郡赤崎村、赤碕町を経て現琴浦町赤碕)で山崎元一の長男として生まれ、東伯郡倉吉町(現倉吉市河原町)の小川貞四郎の養子となる。1915年(大正4年)倉吉町会議員に就任したのを皮切りに、東伯郡会議員、鳥取県会議員などを歴任。女子教育の振興に貢献し、鳥取県立倉吉高等女学校(現鳥取県立倉吉西高等学校)、鳥取県女子師範学校、鳥取高等農業学校の設立に尽力した。 また、小川合名会社を設立して酒・醤油醸造業、製糸業を経営した。
川合 清丸(かわい きよまる、嘉永元年11月21日(1848… 川合 清丸(かわい きよまる、嘉永元年11月21日(1848年12月16日) - 大正6年(1917年)6月24日)は、神道・禅・儒学の三道を融合して、「日本の国教」を確立しようとした思想家、宗教家。字は子徳、号は山陰道士、無々道人。 伯耆国箆津(現、鳥取県琴浦町)出身。父親が太一垣神社の神職であったので、幼少から神道を学び、太一垣神社の社掌となった。 明治6年(1873年)に大神山神社の権宮司となる。大神山神社と大山寺との関係から生じた神仏分離問題に関する庶務で東京に出た時に、神仏への信仰や道徳心の荒廃した風潮を目の当たりにしたという。これをきっかけに、神道のみならず儒教・仏教・キリスト教や西洋の学問を広く学ぶ必要を痛感し、遊学した。