東 俊希(ひがし しゅんき、2000年7月28日 - )は、… 東 俊希(ひがし しゅんき、2000年7月28日 - )は、愛媛県大洲市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・サンフレッチェ広島所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 サンフレッチェ広島ユース在籍中の2018年よりトップチームに2種登録され、同年8月22日の天皇杯3回戦、名古屋グランパス戦でトップチームデビューした。同年9月にはプロ契約を締結。 2019年3月12日、ACL第2節のメルボルン・ビクトリーFC戦でプロ入り初得点を決めた。4月23日、ACL第4節の大邱FC戦でプロA契約を達成した。 2020年10月3日、第20節のサガン鳥栖戦でJ1初ゴールを決めた。 2018年、AFC U-19選手権の代表に選出された。
宮本 大句見(みやもと たくみ、1999年6月13日-)は、… 宮本 大句見(みやもと たくみ、1999年6月13日-)は、ウェザーマップ所属の気象予報士。さくらんぼテレビジョン (SAY) の元アナウンサー。 愛媛県大洲市出身。愛媛県立大洲高等学校、中央大学文学部人文社会学科(フランス語文学文化専攻)卒業。大学在学時にはフジテレビアナウンストレーニング講座アナトレとテレビ朝日アスクにも通っていた。 大学を卒業後、2020年4月にさくらんぼテレビに入社。報道部に配属され、同期の今野花織、古畑あずみとともに同局のアナウンサーになる。 2023年にさくらんぼテレビを退社。その後は気象予報士になるための勉強を重ね、翌年2024年の気象予報士試験に合格。同年ウェザーマップに所属し、2025年4月より同社の佐藤俊和予報士と交代でRSK山陽放送の気象キャスターに起用された。
徳田 耕太郎(とくだ・こうたろう、1991年7月21日 - … 徳田 耕太郎(とくだ・こうたろう、1991年7月21日 - )は、日本のフリースタイルフットボーラー。ニックネームは Tokura (トクラ)。レッドブル・ストリートスタイル・ワールドファイナル2012優勝者。身長169cm。 愛媛県大洲市出身。帝京第五高等学校、帝京大学経済学部卒。小学1年生からサッカーを始め、中学校1年生当時に『NIKE フリースタイルフットボール』という本に影響を受けてフリースタイルフットボールを始める。中学3年生の時に、フリースタイルフットボールの練習中に頭部を強打。医師に脳挫傷と診断され、サッカーなど長距離系の運動は控えるようにと言われたが、リフティングは続ける事ができたため、フリースタイルフットボールの練習により熱中するようになる。
彩風 咲奈(あやかぜ さきな、1990年2月13日 - )は… 彩風 咲奈(あやかぜ さきな、1990年2月13日 - )は、元宝塚歌劇団雪組トップスター。 愛媛県大洲市、市立大洲北中学校出身。身長173 cm。血液型O型。愛称は「さき」。 2005年、宝塚音楽学校入学。 2007年、音楽学校卒業後、宝塚歌劇団に93期生として首席入団。星組公演「さくら/シークレット・ハンター」で初舞台。その後、雪組に配属。 舞台映えする容姿と抜群のスタイルを生かしたダンスで注目を集め、2008年の阪急阪神初詣ポスターモデルに起用される。 2010年の「ソルフェリーノの夜明け」で新人公演初主演。その後も、劇団最多タイとなる5度に渡って新人公演主演を務める。 2011年のバウ・ワークショップ「灼熱の彼方」で、彩凪翔とバウホール公演初主演。
立川 志ら門(たてかわ しらもん、1984年7月24日 - … 立川 志ら門(たてかわ しらもん、1984年7月24日 - )は、落語立川流に所属する落語家。立川志らく15番目の弟子。落語家で唯一のトミー・ジョン手術経験者。 当初は桂米助に入門志願するが断られ、文治を紹介される。前座名のしゃも治は米助の名物番組が由来。しかし、師匠に内緒で行った早朝野球で右膝を骨折。師匠から自宅謹慎処分を命じられる。足も治りようやく歩けるようになった矢先、パチンコ屋に入って同じく師匠もそのパチンコ屋に居合わせて、破門される。それでもまだ、落語をやりたいと協会を変える。 乳幼児期にミルク性中耳炎になり、人工鼓膜への手術を受けており、耳に少し障害が残っているが生活に支障は無い。小学校時代はプロ野球選手になることを夢見ていたが、断念。
大森 敬仁(おおもり たかひと、1980年1月29日 - )… 大森 敬仁(おおもり たかひと、1980年1月29日 - )は、日本のテレビドラマ・映画プロデューサー。愛媛県大洲市出身。 愛媛県立八幡浜高等学校卒業。渡米し、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校で映画学を専攻。カリフォルニア州立大学ロングビーチ校映画学科を卒業。 日本に帰国し、2003年に東映へ入社。翌年の2004年に『はぐれ刑事純情派 第17シーズン』でプロデューサー補を担当。2005年に『仮面ライダー響鬼』でプロデューサー補を務めて以降、特撮ヒーロー番組に関わる機会が多くなる。 2008年、『仮面ライダーキバ』でプロデューサーに昇格した。日笠淳、白倉伸一郎、武部直美、宇都宮孝明の下で携わるようになる。
大山 貴広(おおやま たかひろ、1979年12月10日 - … 大山 貴広(おおやま たかひろ、1979年12月10日 - )は、愛媛県大洲市出身の元プロ野球選手(内野手)。
丑尾 健太郎(うしお けんたろう、1976年5月28日 - … 丑尾 健太郎(うしお けんたろう、1976年5月28日 - )は、日本の脚本家である。愛媛県大洲市出身で、所属事務所はsacca株式会社。 愛媛県大洲市立大洲南中学校、愛媛県立大洲高等学校、神戸大学経済学部を卒業した。大学卒業後、映画やテレビドラマ、舞台等の台本を手がける印刷会社に入社し、さまざまな脚本を校正し、創作・執筆技術を身につける。 福澤克雄演出の脚本を担当することが多い。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
遠藤 真理子(えんどう まりこ、1976年4月4日 - )は… 遠藤 真理子(えんどう まりこ、1976年4月4日 - )は、日本の篤農家。株式会社テレファーム取締役。農林水産省農業女子プロジェクトメンバー。愛媛県松山市で、ICTを活用した中山間地の耕作放棄地再生と新規就農支援の地域支援型農業(Community Supported Agriculture) サービス「Ragri」による地方創生に尽力している。 1976年4月4日、愛媛県大洲市の兼業農家に生まれる。健康診断(臨床検査技師:夫婦共)で過疎地域の現状を知り、2007年3月12日に株式会社テレファームを設立。2010年9月、ゲーミフィケーションを取り入れた有機野菜の遠隔栽培サービスを提供。 2014年11月15日、林芳正前農林水産大臣が視察。
山本 大輔(やまもと だいすけ、1975年3月25日 - )… 山本 大輔(やまもと だいすけ、1975年3月25日 - )は、愛媛県大洲市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションは、MF。
富永 ゆかり(とみなが ゆかり、1971年12月15日 - … 富永 ゆかり(とみなが ゆかり、1971年12月15日 - )は、日本の4コマ漫画家、愛媛県大洲市出身。愛媛大学教育学部卒業。 1989年、投稿作「ひろこ先生」が『女流新人まんが賞』(まんがホーム1990年1月号)に入選。 大学卒業後、団体職員勤務を経て、1999年に上京。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
池田 暁子(いけだ きょうこ、1969年5月3日 - )は、… 池田 暁子(いけだ きょうこ、1969年5月3日 - )は、日本のイラストレーター。 愛媛県大洲市出身。1988年愛媛県立松山東高等学校卒業。1992年神戸大学教育学部教育学科卒業、同年筑波大学芸術専門学群に入学も、のちに中退、セツ・モードセミナー修了。神戸大学時代は映研、軽音部などに所属。映研の1年後輩に映画監督、脚本家の安田真奈がいる。 20代前半で上京、1997年よりデザイナー。編集プロダクション、デザインプロダクション等で、雑誌、広告、書籍、HP等の制作に携わる。2001年創刊のガンダムエースではデザイナーを務めていた。2003年よりフリー。憧れていたイラストレーターの仕事をはじめ、エッセイ風の漫画の連載も始める。
西川 慎一(にしかわ しんいち、1967年2月26日 - )… 西川 慎一(にしかわ しんいち、1967年2月26日 - )は、愛媛県大洲市出身の元プロ野球選手(投手)。 大洲農高から進んだNTT四国では渡辺智男、左腕・山部太とも同僚。1993年度のNPBドラフト会議前に近鉄バファローズを逆指名し、ドラフト会議当日に近鉄から2位指名を受け、同年11月29日に契約金8000万円、年俸1000万円の契約条件で仮契約した。 即戦力として期待されながら思うような結果が残せなかったが、1996年の後半からリリーフで1軍登板を重ね、1997年に51試合、1998年にはチーム最多の61試合に登板し、中継ぎの柱として活躍する。 しかし翌年以降は不振の投球が目立ち2000年シーズン途中、杉山賢人との1対2の交換トレードで吉田剛と共に阪神タイガースへ移籍。
らくさぶろう(1965年5月18日 - )は、愛媛県大洲市生… らくさぶろう(1965年5月18日 - )は、愛媛県大洲市生まれのローカルタレント。本名は冨永幸伸。
菊原 共基(きくはら ともき、1961年4月7日 - )は、… 菊原 共基(きくはら ともき、1961年4月7日 - )は、愛媛県大洲市出身の放送作家(構成作家)、脚本家、元お笑い芸人。別名義に菊原 智岐、ファニー菊原などがある。日本脚本家連盟会員。 1980年、日本大学藝術学部映画学科入学。1982年、コントグループ「ファニーズ」結成。日本テレビお笑いスター誕生9週勝ち抜き、ゴールデンルーキー賞獲得。1984年、前衛劇団「超薄的ワルツ」結成。1985年、コピーライターとして広告デザイン会社に入社。フランスベッドなどの広告を担当。1987年、放送作家に転向。秋元康に二番弟子として弟子入りし、SOLD-OUT、オフィスクレッシェンド、エイティーワン・エンタテインメント、イキナを経て現在はフリー。
二宮 隆久(にのみや たかひさ、1955年〈昭和30年〉3月… 二宮 隆久(にのみや たかひさ、1955年〈昭和30年〉3月7日 - )は、日本の政治家。愛媛県大洲市長(3期)。 愛媛県大洲市出身。立命館大学法学部卒業。卒業後は大洲市役所に入庁。税務課長、財政課長、教育委員会教育長などを歴任した経験がある。 2018年3月30日に清水裕大洲市長が任期中に死去。それに伴い行われた大洲市長選挙に、清水市政を支えてきた各種団体の関係者らでつくる「大洲市を元気にする会」から候補者として指名を受け立候補。1万2967票を獲得し、前市議会議員の上田栄一を5463票差で制し初当選を果たした。
村上 保(むらかみ たもつ、1950年7月7日 - )は、愛… 村上 保(むらかみ たもつ、1950年7月7日 - )は、愛媛県大洲市出身の彫刻家・イラストレーター。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
たきの えいじ(本名:滝野 英治(読み同じ)、1949年8月… たきの えいじ(本名:滝野 英治(読み同じ)、1949年8月31日 - )は、日本の作詞家・作曲家である。愛媛県大洲市出身。日本音楽著作権協会(JASRAC)理事、日本作詩家協会(JLA)理事。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
大森 隆雄(おおもり たかお、1948年(昭和23年)9月1… 大森 隆雄(おおもり たかお、1948年(昭和23年)9月13日 - 2009年(平成21年)8月15日)は、日本の政治家。愛媛県大洲市長、大洲市議会議員などを歴任した。 愛媛県大洲市生まれ。農業協同組合職員を経て、1978年(昭和53年)旧大洲市の市議会議員に当選して政界入り、以後連続7期務めた。 平成の大合併で新設合併により誕生した2005年(平成17年)の新・大洲市の市長選挙に出馬、旧大洲市長ら2人を破り、初当選。2009年(平成21年)には新人を退け、2期目の当選を果たしたものの、任期途中に60歳で病没した。 市長在任中は、懸案であった大洲市立図書館の整備、循環バスの運行開始のほか、農産物直売所の整備などに道筋をつけた。
河東 義之(かわひがし よしゆき、1943年3月22日 - … 河東 義之(かわひがし よしゆき、1943年3月22日 - )は、日本の建築史研究者。小山工業高等専門学校名誉教授。専門は近代建築史。藤森照信、堀勇良らが結成した「東京建築探偵団」のメンバーの一人。 愛媛県大洲市出身。1967年東京工業大学工学部建築学科卒、同年東京工業大学工学部助手。1976年小山工業高等専門学校助教授、1989年教授。1999年名誉教授、千葉工業大学工学部建築都市環境学科教授。2008年退職。 1980年からは宇都宮大学工学部非常勤講師を併任。1985年栃木県文化財保護審議会委員。2011年日本大学芸術学部非常勤講師。2013年日本大学大学院芸術学研究科非常勤講師。 2025年4月瑞宝小綬章受章。
高野 公彦(たかの きみひこ、1941年12月10日 - )… 高野 公彦(たかの きみひこ、1941年12月10日 - )は、日本の歌人。歌誌「コスモス」編集人、選者。本名は、日賀志康彦。 「コスモス」に入会し、宮柊二に師事。厳選された端正な表現で人生の深奥をうたう。「桟橋」創刊。歌集に『汽水の光』(1976年)、『天泣』(1996年)、『水苑』(2000年)、『河骨川』(2012年)、『流木』(2014年)などがある。 愛媛県喜多郡長浜町(現・大洲市)出身。東京教育大学文学部国文科卒業。1964年、「コスモス」に入会し、宮柊二に師事する。河出書房新社の編集者を26年間務めた後、青山学院女子短期大学国文学科教授。日経歌壇選者(1993年~2004年)、朝日歌壇選者(2004年~)、新潟日報読者文芸選者 、南日本新聞南日歌壇選者。
三瀬 顕(みせ けん、1940年1月19日 - )は、日本の… 三瀬 顕(みせ けん、1940年1月19日 - )は、日本の弁護士。愛媛県大洲市出身。本名は三瀬顕(みせあきら)。
市川 憲和(いちかわ のりかず、1940年1月2日 - 20… 市川 憲和(いちかわ のりかず、1940年1月2日 - 2021年11月21日)は、日本の実業家、情報技術者。株式会社デジタル・インフォメーション・テクノロジー創業者・名誉会長。 愛媛県大洲市出身。1968年東京理科大学理学部二部数学科卒業後、日本電信電話公社入社。プログラマーの資格を取得し、1976年データ通信システム(のちのDTS)入社。1996年東洋インフォネットを設立し、同社代表取締役社長に就任。2002年東洋アイティーホールディングスを設立し、同社代表取締役社長に就任。2006年にはデジタル・インフォメーション・テクノロジーへ社名を変更し、2015年には東京証券取引所JASDAQに上場させ、2017年に東京証券取引所一部への市場変更を果たした。
井関 清(いせき きよし、1938年2月11日 - 2015… 井関 清(いせき きよし、1938年2月11日 - 2015年11月6日)は、日本の実業家。ハウスメイト創業者。元日本賃貸住宅管理協会会長。元関東愛媛県人会会長。 愛媛県大洲市出身。2歳の時に父が死去し母子家庭に育つ。1956年愛媛県立松山東高等学校卒業。1961年中央大学法学部卒業。1974年井関商事を創業。1977年ハウスメイト設立。1999年日本賃貸住宅管理業協会会長。2001年日本賃貸住宅管理協会会長。2009年関東愛媛県人会会長。2015年11月6日、胆管癌のため死去。
野地 潤家(のじ じゅんや、1920年11月4日 - 201… 野地 潤家(のじ じゅんや、1920年11月4日 - 2016年5月15日)は、日本の国語教育学者、広島大学名誉教授。愛媛県大洲市出身。
松村 正恒(まつむら まさつね、1913年1月12日 - 1… 松村 正恒(まつむら まさつね、1913年1月12日 - 1993年2月28日)は、愛媛県大洲市出身の日本の建築家である。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中野 忠晴(なかの ただはる、1909年5月27日 - 19… 中野 忠晴(なかの ただはる、1909年5月27日 - 1970年2月19日) は、愛媛県大洲市出身の歌手・作曲家。服部良一、ディック・ミネとともに、アメリカのポピュラーソングを戦前期の日本に広め和製ポップスの基礎を築く。
曽根 定丸(そね さだまる、1904年12月4日 - 没年不… 曽根 定丸(そね さだまる、1904年12月4日 - 没年不詳)は愛媛県出身の民間飛行家。1925年、愛媛県下初の認可飛行場を開設し、後に南米ペルーへ移民として渡った。 1904年(明治37年)12月4日、愛媛県喜多郡宇和川村で生まれる。1922年(大正11年)には東京蒲田駅前にある日本自動車学校航空科へ入学し、機体及び発動機に関して学ぶと同年卒業。続いて同年12月に千葉市寒川海岸で飛行練習場を開いていた白戸栄之助の門下となり、練習部及び研究科で研鑚を積む。1923年(大正12年)9月、関東大震災の影響で同所が閉鎖となると、定丸は白戸により同県津田沼の伊藤音次郎に委託された。同年11月に三等飛行機操縦士の試験を受け、12月付けで航空局より免状を得る。
赤岩 栄(あかいわ さかえ、1903年4月6日 - 1966… 赤岩 栄(あかいわ さかえ、1903年4月6日 - 1966年11月28日)は、日本基督教団の牧師。牧師をしながら共産党入党宣言をしたことが教団内の大きな問題になった。椎名麟三に洗礼を授けた牧師としても知られる。 愛媛県喜多郡肱川村の牧師の家に生まれた。広陵中学中退後、神戸神学校に入学する。その後、大阪神学院に転校したが、キリスト教に懐疑を抱き中退する。 さらに、東京神学社で学び校長高倉徳太郎の神学に傾倒し、回心を経験する。卒業後、日本基督教会佐渡伝道所に赴任する。 高倉の要請で『福音と現代』の編集のために上京する。1931年(昭和6年)中原伝道所を開き、翌1932年に上原教会(現:日本基督教団代々木上原教会)を設立する。
出口 宇知麿(でぐち うちまる、1903年(明治36年)1月… 出口 宇知麿(でぐち うちまる、1903年(明治36年)1月15日 - 1973年(昭和48年)5月6日)は、日本の宗教家。大本教主補佐。教祖の出口王仁三郎の第三女・八重野の夫。本名は伊佐男で、「宇知麿」は王仁三郎に命名された宗教名。 愛媛県喜多郡大洲村(現・大洲市)の佐賀家に生まれる。1918年(大正7年)8月23日、綾部の皇道大本へ初参拝。10月に愛媛県立八幡浜商業学校(現愛媛県立八幡浜高等学校)本科1年を中退して、綾部へ移住し、大本で奉仕生活に入る。 1922年(大正11年)、王仁三郎の近侍となる。 1924年(大正13年)2月、八重野と結婚して出口家に婿入りする。同年4月、大本教主補佐に任命される。
中山 吾一(なかやま ごいち、1900年 - 1995年)は… 中山 吾一(なかやま ごいち、1900年 - 1995年)はカナダで活動した聖公会の司祭。 19歳で単身カナダに渡り、英国人の牧師の説教を契機に神学を学び、聖公会の司祭となった。伝道活動に生涯を捧げ、参事司祭(Canon)の称号をたまわり、イギリス女王エリザベス2世から銀メダルを授与された。娘は詩人・作家のジョイ・コガワ。 1900年(明治34年)、愛媛県喜多郡蔵川村(現 大洲市)に生まれた。14歳の時、京都に上洛。新聞配達をしながら京都市左京区聖護院にあった京都正則予備学校(現在の京都両洋高等学校)に学び、ここで中根正親(後の両洋学園長)に邂逅した。1918年(大正7年)同校を卒業後、立命館大学予科に進学したが、ある日、日本を離れて世界に雄飛しようとの大志を立て、バンクーバー在住のおばを頼って単身カナダへ渡った。
沼田 恒夫(ぬまた つねお、1895年3月29日 - 196… 沼田 恒夫(ぬまた つねお、1895年3月29日 - 1967年4月9日)は、日本の政治家。元愛媛県大洲市長、今治市長。 旧制大洲中学校(現:愛媛県立大洲高等学校)卒業。喜多郡役所書記を経て、1939年愛媛県属となり、地方課長・商工課長などを歴任した。1942年に今治市長阿部秀太郎に招かれて助役になり、1943年12月今治市長に就任して戦時下の市政を担当した。敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の政令第3号によって市長職を離れた。 1954年に大洲市長選挙に立候補し元菅田村村長の有友寿次郎を破り初当選、初代大洲市長に就任した。1958年の市長選挙において無投票で当選を果たし、2選。3選を目指し、1962年の大洲市長選挙に立候補したが新人で愛媛県議会議員の森永冨茂に破れ落選。
三瀬 俊蔵(みせ しゅんぞう、1868年(慶応4年) - 1… 三瀬 俊蔵(みせ しゅんぞう、1868年(慶応4年) - 1936年(昭和11年))は、日本の政治家・愛媛県会議員、愛媛県喜多郡大谷村長、篤農家。 伊予国喜多郡大谷村(現・愛媛県大洲市)出身。里正・三瀬通綱の三男。1902年から1918年、大谷村長を務めて村政を担当した。篤農家として知られた。畜牛の改良発展に尽力した。 『喜多郡の華 附・上浮穴郡小田郷』には「本郡今日に於ける産牛の進歩は一に氏の尽力に帰すものと謂うべし、本県に於ける畜産王として世人の推称浅からず」とある。1911年から1915年、県会議員に在職して政友会に所属した。1922年、再び大谷村長に選任された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
高山 長幸(たかやま ながゆき/ながよし、1867年8月7日… 高山 長幸(たかやま ながゆき/ながよし、1867年8月7日(慶応3年7月8日) - 1937年(昭和12年)1月19日)は、明治から昭和にかけての衆議院議員(6期)、銀行家、帝国商業銀行取締役会長、東洋拓殖総裁等を歴任。号は孤竹。勲四等瑞宝章。 伊予国喜多郡大洲城下中村(喜多村、大洲村、大洲町を経て現大洲市)出身。大洲藩士・高山文兵衛の長男。上京して慶應義塾に入り一時東京英語学校に遊学し、明治23年(1890年)に慶應義塾大学部を卒業。 1893年(明治26年)三井銀行に入り、大阪支店を経て函館・長崎などの要所の支店長を歴任し、三井銀行本店副支配人に就任する。また、明治石油、大日本製糖、朝鮮産業鉄道、蓬莱相互生命保険、東邦炭鉱、三井物産、雨龍炭鉱、第一火災海上保険、名古屋製糖などで重役を歴任。
井上 要(いのうえ かなめ、旧姓・有友 、1865年5月29… 井上 要(いのうえ かなめ、旧姓・有友 、1865年5月29日(慶応元年5月5日) - 1943年(昭和18年)3月18日)は、日本の弁護士、政治家・衆議院議員(憲政本党)、実業家。松山商工会議所会頭。早稲田大学評議員。松山高等商業学校理事。北予中学会理事。族籍は愛媛県士族。号は不去庵。伊予鉄道会社(現伊予鉄グループ)3代・5代社長。 伊予国喜多郡菅田村(現在の愛媛県大洲市)の庄屋の家に生まれた。有友平衛の長男。のちに井上家の養嗣子となる。地元の小・中学校を経て1882年(明治15年)に上京して丸山作楽塾、岡松甕谷塾で学び、翌年漢学者鈴村譲の海南書院(松山)で学ぶ。法学を独習して代言人(弁護士)試験に合格。
井上 仁郎(いのうえ にろう、1864年6月27日(元治元年… 井上 仁郎(いのうえ にろう、1864年6月27日(元治元年5月24日) - 1920年(大正9年)1月11日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 伊予国喜多郡新谷(現・愛媛県大洲市)の新谷藩士の家に生まれる。小学校時代の友人に井上要(のちの実業家、衆議院議員)がいた。陸軍士官学校(旧7期)に入り、1885年(明治18年)6月、陸軍工兵少尉任官。同期には宇都宮太郎・島川文八郎両大将や柴勝三郎中将らがいた。1887年(明治20年)に陸士を卒業。軍用鉄道研究のためドイツに派遣された。 日清戦争時には寺内正毅少将の副官を務めた。1904年(明治37年)3月、鉄道大隊長に就任し、日露戦争では大本営臨時軍用鉄道監督部長となった。
有友 正親(ありとも まさちか、旧姓・檜田、1855年11月… 有友 正親(ありとも まさちか、旧姓・檜田、1855年11月30日(安政2年10月21日)‐ 1913年(大正2年)2月15日) は、明治期の篤農家、名望家、実業家、政治家。衆議院議員。族籍は愛媛県平民。 伊予国喜多郡若宮村(現愛媛県大洲市) の檜田家に生まれ、9歳で同郡菅田村(現大洲市)の有友平右衛門(正盛)の養子となる。藩校で学んだが、ほとんどは独学で学問を習得した。農業を営む。 明治維新後、喜多郡租税掛、愛媛県地租改正顧問、戸長、学務委員、県勧業委員などを務めた。1882年(明治15年)に結成された立憲改進党に入党。1884年(明治17年)5月、愛媛県会議員に選出された。松方デフレで困窮した農民たちを代弁して、県の四国新道開削計画に反対した。
桜井 昭悳(さくらい あきのり、1845年3月22日(弘化2… 桜井 昭悳(さくらい あきのり、1845年3月22日(弘化2年2月15日) - 1917年(大正6年)2月16日)は日本基督教会の牧師である。 神官宇都宮若狭の長男として、伊予国喜多郡若宮村(現愛媛県大洲市若宮)に生まれる。神官になるのを嫌い、上京する。海軍に入隊し、海軍少尉に昇進する。 1872年に平野ちかと結婚する。妻の感化でキリスト教に入信する。1876年にディビッド・タムソンより洗礼を受ける。 海軍を辞め、北海道開拓使の御用船の船員になるが、北海道伝道のために献身し、日本基督教会の牧師になる。函館で開拓伝道を行った。 その頃、東京で桜井女学校を開いていた妻ちかが、函館女子師範学校の英語教師になり、共に伝道をする。
武田 斐三郎(たけだ あやさぶろう、1827年11月4日(文… 武田 斐三郎(たけだ あやさぶろう、1827年11月4日(文政10年9月15日)- 1880年(明治13年)1月28日)は、日本の武士(伊予大洲藩士)、科学者、教育者、陸軍軍人。函館時代までは斐三郎、明治政府時代からは成章(しげあきら)の名を使った。竹塘(ちくとう)と号す。 緒方洪庵や佐久間象山らから洋学などを学び、箱館戦争の舞台として知られる洋式城郭「五稜郭」を設計・建設した。明治7年(1874年)3月、陸軍大佐。陸軍大学校教授、陸軍士官学校教授、陸軍幼年学校長(初代)。 文政10年(1827年)、伊予大洲藩士・武田敬忠の次男として伊予国喜多郡中村(現在の愛媛県大洲市)にて誕生。先祖は甲斐武田氏の出で、大洲藩加藤氏に仕えたが、名をはばかって江戸時代は竹田姓を名乗っていたこともある。
巣内 式部(すのうち しきぶ、1818年(文政元年)11月7… 巣内 式部(すのうち しきぶ、1818年(文政元年)11月7日 - 1872年10月5日)は、江戸時代幕末から明治時代の尊攘運動家、国学者、歌人。 伊予国(愛媛県)大洲比地町の代々染物屋を営む松井八郎兵衛の子として生まれる。諱は信善。幼名は民三郎。幼くして、書籍と薬種を商っていた巣内(丸屋)久兵衛の養子となった。青年時代に阿蔵村の八幡神社宮司の常盤井厳戈の塾古学堂に入り、国学や漢学、和歌を学んだ。同門の塾生に武田竹塘や青野完治、矢野玄道、大村益次郎の暗殺犯となる神代直人がいた。その後家業を継ぎ、養父と同じ久兵衛を名乗ったが、尊王攘夷思想に傾倒していき、安政の大獄や桜田門外の変が起こると、43歳にして遂に家業を廃して国事に奔走する道を選んだ。