平河 悠(ひらかわ ゆう、2001年1月3日 - )は、佐賀… 平河 悠(ひらかわ ゆう、2001年1月3日 - )は、佐賀県鹿島市出身のプロサッカー選手。EFLチャンピオンシップ・ハル・シティAFC所属。ポジションはフォワード(FW)。元日本代表。 高校時代は無名の存在で、卒業後に就職することも考えていたが、3年時に出場したインターハイでのプレーが評価され、山梨学院大学への進学を選んだ。 2021年9月、2023年シーズンからの町田加入内定と特別指定選手承認が発表された。12月5日、シーズン最終戦のアルビレックス新潟戦で途中出場し、Jリーグデビューを果たした。翌2022年も引き続き特別指定選手として町田に在籍し、3月13日のJ2第4節・ファジアーノ岡山FC戦でJ初ゴールを決めた。
石橋 朋美(いしばし ともみ、1992年10月1日 - )は… 石橋 朋美(いしばし ともみ、1992年10月1日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 佐賀県鹿島市出身。鹿島市立東部中学校を経て鹿島実業高校に進学し、3年次の春高バレーでは主将としてベスト8進出を果たした。 卒業後は東海大学に進学し、1年次に全日本バレーボール大学男女選手権大会で優勝を経験した。 2014年12月、PFUブルーキャッツの内定選手となった。2015年7月のユニバーシアード大会に出場した。 2016年11月5日のNECレッドロケッツ戦でプレミアリーグデビューを果たした。 2018年5月の黒鷲旗大会をもって現役引退。 Vプレミアリーグレギュラーラウンドにおける個人成績は下記の通り。
野口 彩佳(のぐち あやか、女性、1987年8月20日 - … 野口 彩佳(のぐち あやか、女性、1987年8月20日 - )は、日本の元バレーボール選手、現指導者。 佐賀県鹿島市出身。近所の友人に誘われて小学2年次よりバレーボールを始める。九州文化学園在学時に、春高バレー2004年優勝、2005年準優勝、岡山国体優勝などでチームに貢献。 2006年広島大学進学後は、エーススパイカーとして中国大学バレーボールリーグ戦(春季秋季)8連覇に貢献し、自身も2009年の春季・秋季リーグでMVPを連続受賞。また2008年、第6回東アジア地区バレーボール選手権大会に日本代表メンバーとして出場し優勝を経験している。 2010年1月、岡山シーガルズの内定選手となり、同年1月9日の対JT戦で途中出場しプレミアデビューを飾った。
川内 将嗣(かわち まさつぐ、男性、1985年11月25日 … 川内 将嗣(かわち まさつぐ、男性、1985年11月25日 - )は、日本のアマチュアボクシング選手。北京オリンピック・ライトウェルター級日本代表。佐賀県鹿島市出身。ヒット&アウェイを得意とするサウスポースタイルのボクサータイプ。陸上自衛官で、階級は2等陸曹である。 剣道一家に生まれ育ったこともあり、父親に勧められて小学校3年から中学までは剣道に打ち込んでいたが、佐賀龍谷高校に入学後ボクシングを始める。3年時にはライト級(57kg - 60kg)で三冠(全国高校選抜、全国高校総体、国体で優勝)を達成。 2004年専修大学進学後、2年で全日本選手権ウェルター級(64kg - 69kg)で優勝。3年、4年時には全日本選手権ライトウェルター級で優勝。
高井 和治(たかい かずはる、1984年5月10日 - )は… 高井 和治(たかい かずはる、1984年5月10日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は長距離走。佐賀県鹿島市出身。佐賀県立白石高等学校、駒澤大学卒業。現役時代は九電工に所属していた。 同級生には箱根駅伝10区区間記録保持者の松瀬元太(順天堂大学卒)、2005年ユニバーシアードハーフマラソン銀メダルの田上貴之(城西大学卒)がいる。また在学時期は重なっていないが、九電工のチームメイト前田和浩は3学年上の先輩である。 2002年のインターハイ1500mで5位入賞。同年の第53回全国高校駅伝では4区に出走し、13年ぶりに区間記録を塗り替える力走(記録:22分53秒)。3区を担当した松瀬、7区で区間賞を獲得した田上らとともに白石高校史上最高成績である準優勝に貢献した。
YUKI JOLLY ROGER/YUKI"Jolly Ro… YUKI JOLLY ROGER/YUKI"Jolly Roger"(ユキ・ジョリー・ロジャー、1984年2月23日 - )は、日本の音楽ユニット「BENNIE K」のボーカリスト。大阪府生まれ、佐賀県鹿島市育ち。2009年よりコンポーザー、サウンドプロデューサーへ転身。島袋寛子の『私のオキナワ』プロデュースで第55回日本レコード大賞の企画賞を受賞。 14歳の頃、歌手を目指していろいろなオーディションを受け始める。最初に受けたオーディションのコネクションで渡米し、著名なボイストレーナーのもとで本格的なボイストレーニングを始める。帰国後、現地で知り会ったCICOと「BENNIE K」を結成する。 2001年、「BENNIE K」のメンバーとしてデビュー。
山田 全自動(やまだ ぜんじどう、1983年3月4日 - )… 山田 全自動(やまだ ぜんじどう、1983年3月4日 - )は、日本のイラストレーター、ウェブデザイナー。本名は山田 孝之(やまだ たかゆき)。 丁髷、着物姿の江戸時代の町人が現代にタイムスリップしたようなイラストに加えられたシュールなコメントが特徴。 佐賀県鹿島市出身。佐賀県立鹿島高等学校、近畿大学卒業後、ウェブ制作会社に勤務。 2011年に福岡市にウェブデザイン会社「クラウドナイン」を設立した。他社との差別化のため、浮世絵を独学で学び、Instagramへ投稿したところ好評を得て、2016年2月からあるあるネタを盛り込んで笑える俳画の制作を始めたところ、有名人のフォロワーが付いたりメディアの取り上げに注目されるようになった。
ウラケン・ボルボックス(1983年 - )は、日本のイラスト… ウラケン・ボルボックス(1983年 - )は、日本のイラストレーター、漫画家、コンテ・マン。佐賀県鹿島市出身。日本大学芸術学部映画学科(撮影・録音コース)卒業。旧ペンネームはウラケン。 幼少期から絵を描くことが好きで、佐賀県立鹿島高等学校在学中は美術部に所属していた。映画監督を目指して日本大学芸術学部映画学科に進学したが、「映画での『食べ方』が分からず、CMも面白そうだったから」との理由で、卒業後はCM制作会社に就職した。 しかし、映像制作の現場は「性に合わなかった」といい、ストレスから椎間板ヘルニアを患い入院した。入院中にエッセイ漫画を描いてみたところ、「絵の方が性に合っている」と感じ、職場復帰後にコンテ・マンの仕事を奨められたこともあって、入社3年目で退職し独立した。
白濱 孝次(しらはま こうじ、1979年12月27日 - )… 白濱 孝次(しらはま こうじ、1979年12月27日 - )は、日本の俳優。スーツアクター。 佐賀県鹿島市出身。佐賀県立塩田工業高等学校出身。 愛称は「ハマーン」「はまさん」 スーツアクターとして2003年に『超星神グランセイザー』でセイザーリオンを演じることになり、『超星艦隊セイザーX』のビートルセイザーまで演じた。 舞台を中心に活動。スタントや、モーションキャプチャーなどでも活躍。 演出やアクションコーディネートも手掛ける。
木原 友香(きはら ゆうか、1972年4月16日 - )は、… 木原 友香(きはら ゆうか、1972年4月16日 - )は、フリーアナウンサー。佐賀県鹿島市出身。元夫は九州朝日放送アナウンサーの近藤鉄太郎。一児の母。 佐賀県立鹿島高等学校を経て、西南学院大学文学部卒業。かつてはエフエム福岡アナウンサーであった。 西南大2回生だった1992年度にRKBラジオ『HiHiHi』のアシスタント集団「象足シスターズ」の第7期生として活躍。当番組のディレクターであった放送作家の種田守倖に見込まれ、1993年より種田が制作とパーソナリティを担当するエフエム佐賀の「ウィークエンド・ストリーツ」でも活躍。 大学卒業後の1995年、エフエム福岡に入社。同局の人気アナウンサーとして『クラシックがいい!!』や『ライヴのじかん』など多くの番組のパーソナリティを務めたが、近藤との結婚を機に2003年に同局を退社。
吾郎(ごろう、1964年4月26日 - )は、大相撲の呼出。… 吾郎(ごろう、1964年4月26日 - )は、大相撲の呼出。大嶽部屋所属。本名は赤山 正春(あかやま まさはる)。 1982年5月場所、16歳で初土俵。入門当初は押尾川部屋所属だった。入門した頃は一郎、次郎、三郎という3人の呼出がいたため、吾郎という名を与えられた。なお、押尾川部屋には吾郎の兄弟子に志朗(2023年現在は大嶽部屋所属の三役呼出)、弟弟子に禄郎(2023年現在は二所ノ関部屋所属の十両呼出)も所属していた。2005年3月場所後に押尾川部屋が閉鎖になったため、同じ二所ノ関一門所属の大嶽部屋に移籍した。 2021年9月30日に開かれた日本相撲協会の定例理事会で、同年12月24日付で三役呼出に昇進することが決定した。
石田 夏子(いしだ なつこ、1962年8月5日 - )は、佐… 石田 夏子(いしだ なつこ、1962年8月5日 - )は、佐賀県鹿島市出身の元女優。血液型はO型。5人兄弟の末っ子。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
久我 秀樹(くが ひでき、1960年8月17日 - )は、日… 久我 秀樹(くが ひでき、1960年8月17日 - )は、日本の写真家、 久我写真事務所・久我スタジオプロダクション代表。公益社団法人日本広告写真家協会正会員。佐賀インターナショナルバルーンフェスタ公式フォトグラファー。 佐賀県鹿島市出身。中学生の頃より写真に興味を持ち、撮影や現像に熱中する。佐賀県立佐賀西高等学校2年生の時、文化祭発表用にコメディ短編映画「ドキュメント陸上部」を8ミリフィルムで撮影。 1980年、日本大学芸術学部写真学科に進学。1981年、キヤノンヤングヤングフォトコンテスト入選。在学中に写真同人誌「Le Vent」の編集に参加する。1983年『カメラ毎日』3月号に「金の町・鴻之舞」を発表した。
宮園 浩平(みやぞの こうへい、1956年9月15日 -)は… 宮園 浩平(みやぞの こうへい、1956年9月15日 -)は、日本の医学者(腫瘍生物学)。東京大学卓越教授。主な業績はがん細胞におけるTGF-βの作用機構の発見。医学博士(東京大学)。 佐賀県鹿島市出身。1981年東京大学医学部医学科卒業。ウプサラ大学ルートヴィヒ癌研究所留学を経て、1995年癌研究会癌研究所生化学部長。2000年東京大学大学院医学系研究科教授。 2011年医学部長。2015年から2017年まで日本癌学会理事長。2017年日本学士院会員選出。2019年東京大学理事・副学長。2025年3月6日時点で総合科学技術・イノベーション会議の常勤議員であり、同月17日に新たに総合科学技術・イノベーション会議(第77回)に参加している。
井手 洋子(いで ようこ、1955年 - 2023年8月13… 井手 洋子(いで ようこ、1955年 - 2023年8月13日)は、日本の映画監督。佐賀県鹿島市出身。 佐賀県立鹿島高等学校卒業。1979年、明治学院大学文学部英文学科卒業。1985年にドキュメンタリー監督の羽田澄子と出会い、1986年、演出アシスタントとして映像制作の仕事に従事。同監督の『安心して老いるために』(1985年度キネマ旬報文化映画部門ベスト・ワン)、『歌舞伎役者 片岡仁左衛門』 で助監督としてつく。その後、独り立ちして、「仕事、君はどう思う?」、「東京のモダニズム建築 学校篇」、布川事件を扱ったドキュメンタリー映画『ショージとタカオ』などを監督。2012年4月に文芸春秋社より、単行本「ショージとタカオ」が刊行された。
松尾 勝利(まつお かつとし、1954年8月5日 - )は、… 松尾 勝利(まつお かつとし、1954年8月5日 - )は、日本の政治家。佐賀県鹿島市長(1期)、元鹿島市議会議員(4期)。 佐賀県鹿島市出身。佐賀県立鹿島高等学校出身。長崎大学水産学部卒業後、鹿島市内の実家に戻り農漁業を継ぎ、2008年からは佐賀県有明海漁業協同組合で監事及び鹿島支所の運営委員長も務めた。2007年に有明海漁協の仲間から「漁業者の声を議会に届けてほしい」と後押しされ、鹿島市議に初当選し、4期務めた。 2021年12月22日、翌年4月の鹿島市長選挙への立候補を表明し、2022年1月11日付で市議を辞職。4月24日の投開票の結果、元市議の稲富雅和を1,412票差で破り、初当選を果たした。
鈴田 滋人(すずた しげと 1954年6月20日 - )は日… 鈴田 滋人(すずた しげと 1954年6月20日 - )は日本の染織作家。重要無形文化財「木版摺更紗(もくはんずりさらさ)」の各個認定の保持者(いわゆる人間国宝)。公益社団法人日本工芸会常任理事。 佐賀県鹿島市出身。武蔵野美術大学日本画学科卒業。鍋島更紗の復元に取り組んだ父・鈴田照次の跡を継ぎ、1981年から木版と型紙を併用する「木版摺更紗」の研究を重ねた。その作品は、緻密かつ豊かな色構成で、独自の作風を確立している。工芸技術としての「木版摺更紗」は、2008年9月11日に国の重要無形文化財に指定され、同日付けで鈴田滋人がその保持者として各個認定された(いわゆる人間国宝)。 1982年、第29回日本伝統工芸展で初入選を果たす。
宮園 雅敬(みやぞの まさたか、1953年〈昭和28年〉4月… 宮園 雅敬(みやぞの まさたか、1953年〈昭和28年〉4月19日 - )は、日本の実業家。 佐賀県鹿島市出身。ラ・サール中学校・高等学校を経て、1976年(昭和51年)3月、東京大学法学部を卒業。「金融を知れば世の中の仕組みが分かるのではないか」という考えと「農林水産業を支援したい」という願望から、同年4月、農林中央金庫に入庫。 入庫後、資金証券部資金課⻑、総務部総務課長、熊本支店長、総合企画部副部長、総務部副部長、秘書役、人事部長、総合企画部長などを歴任。宮園は自身の農林中央金庫職員時代について「47都道府県の生産現場を回り、生産者と膝をつき合わせた経験が金融マンとしての基礎をつくった。」とインタビューで語っている。
喜多 秀喜(きた ひでき、1952年9月28日 - )は、佐… 喜多 秀喜(きた ひでき、1952年9月28日 - )は、佐賀県鹿島市出身の元陸上競技選手、流通経済大学社会学部教授、陸上競技部監督。 佐賀県立鹿島実業高等学校を卒業後、福岡大学に進学。福岡大学卒業後、神戸製鋼所に入社。武冨豊らと陸上部を引っ張った。 1978年12月の福岡国際マラソンでは優勝した瀬古利彦に次ぐ2位、1979年2月の別府大分毎日マラソンで優勝。日本が不参加となった1980年モスクワオリンピックには、マラソンの選考レースだった福岡国際マラソンは惨敗したものの、5000、10000メートルの代表に選ばれている。1981年には海外の強豪を抑え第1回東京国際マラソンで優勝を果たした。その後北京国際マラソン、青梅マラソンを制した。
今村 雅弘(いまむら まさひろ、1947年〈昭和22年〉1月… 今村 雅弘(いまむら まさひろ、1947年〈昭和22年〉1月5日 ‐ )は、日本の政治家。カンボジア首相顧問。 衆議院議員(9期)、国土交通大臣政務官(第2次森改造内閣)、外務大臣政務官(第1次小泉内閣)、農林水産副大臣(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、衆議院決算行政監視委員長、衆議院国土交通委員長、復興大臣(第6代)等を務めた。 佐賀県鹿島市生まれ。佐賀県立鹿島高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1970年、日本国有鉄道に入社した。国鉄では主に人事・労務関係の部署に所属し、民営化後の九州旅客鉄道では経営管理室長や関連事業本部企画部長を務めた。 1996年、第41回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で佐賀2区より立候補し、新進党新人の横尾俊彦らを破り初当選した。
樋口 久俊(ひぐち ひさとし、1946年〈昭和21年〉2月1… 樋口 久俊(ひぐち ひさとし、1946年〈昭和21年〉2月12日 - )は、日本の政治家、農林水産官僚。元佐賀県鹿島市長(3期)。 佐賀県鹿島市出身。1964年(昭和39年)3月、佐賀県立鹿島高等学校卒業。1969年(昭和44年)6月、東京大学法学部(私法)卒業。そのまま学士入学し、1970年(昭和45年)3月、東京大学法学部(公法)卒業。同年4月、農林水産省に入省。2001年(平成13年)1月、退官。2002年(平成14年)4月から2004年(平成16年)3月まで神田外語大学の客員教授を務めた。 2003年(平成15年)4月13日に行われた佐賀県知事選挙に出馬し落選。 2010年(平成22年)4月11日公示、4月18日投票の鹿島市長選挙で無投票で初当選。
宮崎 昭二(みやざき しょうじ、1943年4月16日 - )… 宮崎 昭二(みやざき しょうじ、1943年4月16日 - )は、佐賀県鹿島市出身の元プロ野球選手(投手)。 鹿島高校では2年次の1960年に投手として夏の甲子園に出場し、熊本商、平安高、明石高を降して勝ち進む。準決勝ではこの大会に優勝した法政二高と対戦するが、同じ2年生エースの柴田勲らに抑えられ完封負けするが、佐賀県勢初のベスト4入りの原動力となった。同年の熊本国体にも出場するが、1回戦で秋田商の今川敬三(早大-秋田商監督)に完封を喫する。3年次の1961年夏には西九州大会準決勝に進出するが、海星高のエース池辺巌を崩せず惜敗、夏の選手権への連続出場はならなかった。 卒業後の1962年に東映フライヤーズへ入団し、1年目の同年から一軍に上がる。
矢川 元基(やがわ げんき、1942年 - )は、日本の工学… 矢川 元基(やがわ げんき、1942年 - )は、日本の工学者。工学博士。佐賀県鹿島市出身。 計算力学ならびに原子力構造工学の研究者。工学博士(東京大学、論文タイトルは『構造物の応力集中に関する研究:有限領域を有する円筒殻の応力集中を中心として』)。東京大学大学院教授、東洋大学教授、原子力安全研究協会理事長、日本学術会議会員、日本応用数理学会、日本シミュレーション学会会長、IACM(国際計算力学連合)会長、韓国成均館大学校ワールドクラスユニヴァーシティ教授等を歴任。 1995年、当時の科学技術庁に設置された計算科学技術推進会議の座長として、我が国初のスーパーコンピュータ開発国家プロジェクト「地球シミュレータ」計画をまとめた。
中野 尚弘(なかの なおひろ、旧姓:池田、1940年1月17… 中野 尚弘(なかの なおひろ、旧姓:池田、1940年1月17日 - 2021年1月3日)は、元オリンピックバレーボール選手、バレーボール日本男子代表監督。中野蒲鉾店(長崎県の企業)代表取締役社長。 佐賀県鹿島市出身。福岡大学卒業後、八幡製鐵に入社。 バレーボール日本男子代表選手として1964年東京オリンピックに出場、銅メダルを獲得し、1968年メキシコシティーオリンピックでは選手兼任コーチとして登録されて出場、銀メダルを獲得した。 指導者としては、日本が金メダルを獲得した1972年のミュンヘンオリンピックでは松平康隆監督の下で日本男子代表コーチを、1984年のロサンゼルスオリンピックでは代表監督、1992年バルセロナオリンピックでは総監督をそれぞれ務めた。
納冨 常天(のうどみ じょうてん、1927年 - 2024年… 納冨 常天(のうどみ じょうてん、1927年 - 2024年1月3日)は、日本の仏教学者、博士。神奈川県立金沢文庫長、鶴見大学教授、神奈川県文化財協会会長などを歴任。専門は日本仏教史。表記に納富常天も。 佐賀県鹿島市生まれ。1950年、駒澤大学文学部仏教学科卒業。1955年、神奈川県立金沢文庫勤務。1974年、論文「中世東国仏教成立過程の研究」で博士号(文学、駒澤大)取得。1975年、「中世文化の研究」で神奈川県知事奨励賞を受賞。 神奈川県立博物館文芸部長を経て、1981年に神奈川県立金沢文庫長。1989年に鶴見大学文学部教授、1997年に同大学副学長。2000年、曹洞宗大本山總持寺宝物殿館長。
鍋島 綱利(なべしま つなとし、1910年4月14日 - 1… 鍋島 綱利(なべしま つなとし、1910年4月14日 - 1969年9月26日)は、日本の実業家。住友電気工業元社長。佐賀県鹿島市出身。 朝鮮総督府通信技手・鍋島鋼三の長男。1927年(昭和2年)に第五高等学校に入学、弓道部で主将を務めた。 1933年に東京帝国大学法学部を卒業し、住友電気工業に入社した。翌年には、高校の後輩でのち住友ゴム工業社長となる下川常雄も入社し、下宿先を貸し出した。1939年4月1日、第2期経理部甲種幹部候補生として陸軍経理学校に入学し、同年9月23日卒業。歩兵第56連隊(55連隊とも)附主計少尉として太平洋戦争を迎える。淡路山丸よりコタバル上陸作戦に参加。翌年2月のジョホール水道上陸作戦では自ら戦線を志願し、背中に銃創を負う。
尾崎 天風(おざき てんぷう、1886年〈明治19年〉12月… 尾崎 天風(おざき てんぷう、1886年〈明治19年〉12月25日 - 1960年〈昭和35年〉3月24日)は、日本のジャーナリスト、実業家、政治家。衆議院議員。初名・百平。 佐賀県藤津郡古枝村(現鹿島市)で尾崎重吉の三男として生まれる。1898年頃、父の移住先北海道常呂郡常呂村に来住。すぐに働きはじめ、農業、出前持ち、馬橇の御者、馬喰などを経て、料理屋経営を行う。 1916年頃、釧路新聞通信所記者となる。北見実業新聞記者を経て、1920年、札幌に出て休刊中の『北海道報』を継承し『北海道新聞』(現『北海道新聞』とは異なる)に改題して経営を行う。同年4月、裁判所の許可を得て「天風」と改名した。その後、常呂郡置戸村の公有林伐採事件で検挙されて『北海道新聞』が休刊となり、釈放後上京して、雑誌「建設ノ日本」社長となった。
吉田 駛馬(よしだ はやま、1885年〈明治18年〉10月2… 吉田 駛馬(よしだ はやま、1885年〈明治18年〉10月25日 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。新竹市尹。 吉田兼徳の二男として、佐賀県藤津郡山浦村(能古見村を経て現鹿島市)に生まれる。のち本籍を東京市赤坂区に置いた。1912年(大正元年)渡台し、同年9月、台中庁庶課にて勤務する。松岡拓殖合資会社庶務課長、新竹製糖庶務課長を経て、台中州属兼台中州郡属に任じ豊原郡に勤務し、台中州内務部地方課勤務、豊原郡庶務課長、大屯郡庶務課長、大屯郡守代理、台中州内務部地方課地方係長兼庶務課長を歴任し、1932年(昭和7年)4月、台北州文山郡守に就任した。 1935年(昭和10年)9月、新竹州中壢郡守に転じ、1937年(昭和12年)8月16日、新竹市尹に就任した。
田澤 義鋪(たざわ よしはる、1885年(明治18年)7月2… 田澤 義鋪(たざわ よしはる、1885年(明治18年)7月20日 - 1944年(昭和19年)11月24日)は、大正期及び昭和初期の社会教育家、政治家、思想家。佐賀県鹿島市出身。 青年教育と政治教育そして選挙粛正に一生を捧げた。とりわけ青年団運動及び青年教育に尽力した活動が知られており、「青年団の父」と称されている。 1885年(明治18年)7月20日、佐賀県藤津郡鹿島村(現鹿島市)大字高津原434番地に、父義陳・母みすの長男として生まれる。4歳で鹿島小学校に入学。幼少時は、旧鹿島藩主鍋島直彬の薫陶を受ける。1901年(明治34年)旧制佐賀県立鹿島中学校(現佐賀県立鹿島高等学校)卒業。熊本第五高等学校 (旧制)を経て1909年(明治42年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。
井原 喜代太郎(いはら きよたろう、1863年8月5日(文久… 井原 喜代太郎(いはら きよたろう、1863年8月5日(文久3年6月21日)- 1920年(大正9年)8月6日)は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員、佐賀県会議長、佐賀県藤津郡南鹿島村長。俳号・黄渓。 肥前国藤津郡高津原村(佐賀県藤津郡南鹿島村、鹿島町、現鹿島市横田)で、鹿島藩士・井原五兵衛(陶一、為助)の長男(長子)として生まれる。谷口藍田(中秋)から漢学を学び、鹿島変則中学で普通学を修めた。その後上京し、専修学校(現専修大学)で学び、慶應義塾を卒業した。1882年(明治15年)12月、家督を相続した。 1886年(明治19年)鹿島銀行の創立に参画し、佐世保支店長、取締役、頭取を歴任。
永野 静雄(ながの しずお、1850年11月18日(嘉永3年… 永野 静雄(ながの しずお、1850年11月18日(嘉永3年10月15日)- 1927年(昭和2年)4月1日)は、幕末の鹿島藩士、明治から昭和初期の官吏・実業家・政治家。衆議院議員。旧姓・愛野。 肥前国藤津郡、のちの佐賀県藤津郡南鹿島村(鹿島町を経て現鹿島市)で、鹿島藩士の愛野家に生まれる。鹿島藩校弘文館で学んだ。慶応2年(1866年)鹿島藩に副島種臣が逃れた際に原忠順の命を受け永田佐次郎と共に副島の警護に当たった。1877年(明治10年)東京の同人社を卒業した。 勧農局雇となり、その後、内務省取調局御用掛を務めた。1879年(明治12年)旧藩主鍋島直彬が沖縄県令として赴任した際に従い、沖縄県属となる。
永田 佐次郎(ながた さじろう、1850年11月10日(嘉永… 永田 佐次郎(ながた さじろう、1850年11月10日(嘉永3年10月7日)- 1928年(昭和3年)1月7日)は、幕末の鹿島藩士、明治から昭和初期の公吏、実業家、政治家。衆議院議員。 肥前国藤津郡高津原村(佐賀県藤津郡南鹿島村大字高津原、鹿島町を経て現鹿島市横田)で、鹿島藩士・永田佐一の長男として生まれる。鹿島藩校弘文館で学んだ。慶応2年(1866年)鹿島藩に副島種臣が逃れた際に原忠順の命を受け永野静雄と共に副島の警護に当たった。藩では学校寮監、仏式練兵教師、予備隊長を務め、慶応4年(1868年)戊辰戦争で鹿島藩の北陸道出陣に従軍した。 1870年5月(明治3年4月)藩命で大阪兵学寮(のち陸軍士官学校)に入学したが、同年11月、父の病により退学した。
中村 良謙(なかむら よしかね / りょうけん、1844年1… 中村 良謙(なかむら よしかね / りょうけん、1844年11月17日〈弘化元年10月8日〉 - 1921年〈大正10年〉11月6日)は、明治から大正期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、佐賀県藤津郡七浦村名誉職村長。幼名・與(与)一郎。 肥前国藤津郡音成村(佐賀県藤津郡七浦村音成を経て現鹿島市音成)で、鹿島藩士・中村良晴の息子として生まれる。12歳で鹿島藩校弘文館に入学。その後、諫早の蓮池良山、佐賀藩校弘道館で学んだ。天保13年(1842年)から鹿島藩の財産均等政策の影響を受けて家産に打撃を受けたが、業務に精励し質素倹約に努めた結果、家産の回復を果たした。 1889年(明治22年)6月、七浦村名誉村長に就任。
原 忠順(はら ただゆき、1834年9月23日(天保5年8月… 原 忠順(はら ただゆき、1834年9月23日(天保5年8月21日) - 1894年(明治27年)10月28日)は、幕末から明治時代の政治家、武士。貴族院多額納税者議員。通称は弥太右衛門。 肥前鹿島藩士。藩命で江戸の昌平黌に学ぶ。藩主鍋島直彬の側近を務め藩論を尊王に纏めた。鹿島藩大参事を経て、東京府に出仕する。1872年(明治5年)には直彬と共にアメリカに留学し『米政撮要』を著した。1874年(明治7年)内務省補となり、1879年(明治12年)直彬が初代沖縄県令に就任した際に沖縄県少書記官、同大書記官を歴任し、1881年(明治14年)9月に辞任するまでの2年半、県令と共に県政運営にあたった。 1890年(明治23年)佐賀県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から務めたが、在任中に死去した。