荒木 千陽(あらき ちはる、1982年〈昭和57年〉3月1日… 荒木 千陽(あらき ちはる、1982年〈昭和57年〉3月1日 - )は、日本の政治家、行政書士。都民ファーストの会所属の東京都議会議員(4期)。同顧問兼総務会長(初代・第4代)。 都民ファーストの会代表(第4代)、同特別顧問、ファーストの会代表(初代)を歴任。 熊本県熊本市生まれ。熊本県立第一高等学校、久留米大学法学部を経て、久留米大学法務研究科(法科大学院)を修了した。 2011年8月に、議員会館の小池百合子事務所を事前予約せずに飛び込みで訪問し、私設秘書として雇われる。2012年から公設第二秘書に、2016年1月1日より公設第一秘書となる。小池の元では計6年間勤め、うち1年半は小池の自宅で同居していた。
朝日 健太郎(あさひ けんたろう、1975年〈昭和50年〉9… 朝日 健太郎(あさひ けんたろう、1975年〈昭和50年〉9月19日 - )は、日本のバレーボール・ビーチバレーボール選手、政治家。自由民主党所属の参議院議員(2期)。 NPO法人日本ビーチ文化振興協会理事長。一般財団法人日本スポーツ振興会代表理事。公益財団法人日本バレーボール協会事業本部運営委員・ビーチバレーボール事業本部企画競技部長。株式会社フォーバル男子バレーボールチーム監督。 熊本県熊本市北区出身。 熊本市立楠中学校でバレーボールを始める。バレーボールの名門の鎮西高等学校で春の高校バレーとインターハイの準優勝を経験。法政大学時代には1995年に全日本大学選手権で優勝、1997年にはユニバーシアードに出場。
原田 博美(はらだ ひろみ、1975年5月20日 - )は、… 原田 博美(はらだ ひろみ、1975年5月20日 - )は、日本の政治家。東京都清瀬市長(1期)。元清瀬市議会議員(6期)。 熊本市出身。日本福祉大学社会福祉学部I部卒業。病院勤務を経て、2003年、東京都清瀬市議会議員選挙に日本共産党公認で立候補し初当選した。以降連続6期当選。在任中は副議長を務めた。 2024年3月、清瀬市は利用率が低迷しているなどとして、2025年3月31日付で6館ある図書館を2館に減らす条例案を市議会に提出し、可決された。議案の提出直前まで閉館方針を明らかにしかなったことから、一部市民らが反発し、市民団体「市民とともに市政を変えるきよせの会」を結成した。2025年1月、関連団体の「住民投票で夢のある図書館を創るきよせの会」は直接請求に必要な署名数(1263筆)を大幅に上回る7674筆の有効署名を渋谷桂司市長に提出し、住民投票の実施を求めた。
松野 明美(まつの あけみ、本名:前田明美、1968年4月2… 松野 明美(まつの あけみ、本名:前田明美、1968年4月27日 - )は、日本の政治家、タレント、元陸上競技長距離走・マラソン選手。 1988年・ソウルオリンピック女子10000m日本代表。その後、女子マラソンでもオリンピックを目指したが、マラソンの種目で五輪代表に選出されることは一度も無かった。 選手引退後はタレント活動を経て政界入りし、熊本市議会議員(2期)、熊本県議会議員(2期)を経て、第26回参議院議員通常選挙に日本維新の会比例代表候補として出馬し当選した。 1968年、スイカ・メロンの全国一の産地である熊本県鹿本郡植木町(現:熊本市北区)の農家に生まれる。小学生の頃は無口でいじめられっ子だったが、小学校5年生の時に市内のマラソン大会で優勝。
大西 一史(おおにし かずふみ、1967年(昭和42年)12… 大西 一史(おおにし かずふみ、1967年(昭和42年)12月9日 - )は、日本の政治家。熊本県熊本市長(3期)。元熊本県議会議員(5期)。九州市長会会長。指定都市市長会副会長(危機管理担当)。全国市長会防災対策特別委員長。 熊本県熊本市出身。父親は熊本県議会議員を4期務めた大西靖一。熊本市立白川小学校、熊本市立白川中学校卒業。高橋幸宏の演奏に衝撃を受け、ドラマーを志す。1983年4月、熊本県立熊本北高等学校に進学。高校時代は多い時には10ぐらいのバンドと組んでいた。プロになることを目指して、3年生のときにSONYのオーディションを受けたところグランプリを受賞。日本大学文理学部心理学科に進学し、大学でも音楽活動を続けるが「上には上がある」現実を目の当たりにし、ドラマーの道はあきらめる。
後藤 英友(ごとう ひでとも、1966年9月23日 - )は… 後藤 英友(ごとう ひでとも、1966年9月23日 - )は、日本の政治家。民主党所属の元衆議院議員(1期)。 熊本県熊本市出身。菊陽町立武蔵ヶ丘小学校、熊本大学教育学部附属中学校、熊本県立熊本高等学校、上智大学を経て東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了後、ハーバードビジネススクールに留学。電通に勤務する。 2003年、第43回衆議院議員総選挙に初めて立候補するが落選し、その後補欠選挙も含め落選。2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙において比例九州ブロックで復活し初当選した。自治労、連合から支援を受けていた。 しかし、選挙直後に後藤の出納責任者が選挙運動に日当を支払ったことが公職選挙法で禁じられている日当買収にあたるとして、出納責任者が起訴され、2010年7月29日に最高裁判所で懲役1年6ヶ月執行猶予5年の判決が確定。
福嶋 健一郎(ふくしま けんいちろう、1966年4月22日 … 福嶋 健一郎(ふくしま けんいちろう、1966年4月22日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(1期)。熊本県熊本市出身。 八代市立代陽小学校、久留米大学附設中学校・高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部卒業。1991年に富士銀行(現:みずほ銀行)に入行。みずほコーポレート銀行審査第一部調査役、営業第十五部上席部長代理、同部次長を経て2007年に業務監査部参事役を最後に退職。 2009年の第45回衆議院議員総選挙熊本2区に民主党公認で出馬。社会民主党、国民新党の推薦を受け、104,876票を獲得し自由民主党副幹事長の林田彪を破り初当選した。 2010年2月16日、衆議院本会議において、政権交代後初めての通常国会での新人を含めた民主党議員で初の登壇質疑に選ばれ国税関連法案について質疑を行う。
藏原 隆浩(くらはら たかひろ、1965年〈昭和40年〉8月… 藏原 隆浩(くらはら たかひろ、1965年〈昭和40年〉8月30日 - )は、日本の政治家。熊本県玉名市長(3期)、元玉名市議会議員(3期)。 熊本県熊本市生まれ。1988年(昭和63年)3月、熊本商科大学(現・熊本学園大学)卒業。同年4月、熊本第一信用金庫に就職。1992年(平成4年)4月、自動車整備会社の代表取締役に就任。 2005年(平成17年)1月、日本青年会議所熊本ブロック協議会会長に就任。 2009年(平成21年)、玉名市議会議員に初当選。2013年(平成25年)10月20日に行われた玉名市長選挙に自由民主党の推薦を受けて立候補するも、現職の高嵜哲哉に敗れ落選。 2017年(平成29年)6月26日、任期満了に伴う玉名市長選挙に再度挑戦する意向を表明。
幸山 政史(こうやま せいし、1965年(昭和40年)6月1… 幸山 政史(こうやま せいし、1965年(昭和40年)6月10日 - )は、日本の政治家。熊本県熊本市長(3期)、熊本県議会議員(2期)を歴任した。 熊本県熊本市生まれ。父親は熊本県議会議長を務めた幸山繁信。熊本県立済々黌高等学校、九州大学経済学部卒業。大学卒業後、日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)に入行。 1995年、熊本県議会議員選挙に出馬し、初当選を果たした。県議時代は自由民主党に所属した。1999年、再選。 2002年、熊本市長選挙に無所属での出馬を表明。現職の三角保之は自民党や公明党の推薦に加え、連合や業界団体の支援も受けて組織型選挙を行っていたが、幸山は規模の大きくない会合やイベントに積極的に参加し、草の根的な選挙運動を展開。
馬場 成志(ばば せいし、1964年〈昭和39年〉11月30… 馬場 成志(ばば せいし、1964年〈昭和39年〉11月30日 - )は、日本の政治家、自由民主党所属の参議院議員(3期)。 総務副大臣、厚生労働大臣政務官、参議院外交防衛委員長、熊本県議会議長(第81代)、同副議長(第85代)、熊本県議会議員(5期)、熊本市議会議員(2期)、自由民主党副幹事長、同国会対策委員会副委員長、全国都道府県議会議長会副会長を歴任した。 熊本県熊本市小山町生まれ。父親は熊本県議会議長を務めた馬場三則。託麻東小学校、二岡中学校、熊本工業高等学校建築科を経て、1984年、熊本県産業開発青年隊訓練所修了。 1991年、熊本市議会議員選挙に史上最年少で初当選。1997年12月5日、2期目の途中で熊本市議会議員を辞職。
藤末 健三(ふじすえ けんぞう、1964年2月18日 、ボク… 藤末 健三(ふじすえ けんぞう、1964年2月18日 、ボクシングリングネーム:アイアン・フジスエ)は、日本の政治家・研究者。自由民主党所属の元参議院議員(3期)。東京大学工学部助教授を経て、中国清華大学客員教授、カーネギーメロン大学サイラボ特任フェロー、早稲田大学未来イノベーション研究所客員上級研究員、早稲田大学研究院客員教授、東京理科大学大学院経営学研究科技術経営専攻上席特任教授。 民進党参議院政策審議会長、総務副大臣(野田第3次改造内閣)、参議院総務委員長を歴任。現在は、東京大学大学院情報学環・学際情報学府客員教授を経て、慶應義塾大学経済学部及びグローバルリサーチインスチチュート特任教授。
山下 慶一郎(やました けいいちろう、1959年(昭和34年… 山下 慶一郎(やました けいいちろう、1959年(昭和34年)12月10日 - )は、日本の政治家。元熊本県荒尾市長(1期)。 熊本県熊本市出身。熊本学園大学付属高等学校卒業。1982年(昭和57年)3月、明治大学法学部法律学科卒業。同年4月、熊本県庁に入庁。2005年(平成17年)4月、水俣病公式確認50年事業実行委員会事務局長に就任。2010年(平成22年)4月、荒尾市副市長に就任。2012年(平成24年)4月、熊本県庁エネルギー政策課長に就任。 2014年(平成26年)12月の荒尾市長選挙で初当選。2015年(平成27年)1月18日、市長就任。 2016年(平成28年)2月3日、荒尾市議選の当選者全員に鉢植えを贈ったり、自身の市長選直前に新嘗祭が開かれた市内の神社10箇所に日本酒を贈ったりしたとして、公職選挙法(寄付の禁止)違反の疑いで、熊本県警に書類送検された。
但馬 久美(たじま くみ、本名:林 久美子 <はやし … 但馬 久美(たじま くみ、本名:林 久美子 <はやし くみこ>、1944年1月12日 - )は 日本のタレントで宝塚歌劇団卒業生(元花組・星組・専科男役)、元参議院議員。
宮本 勝彬(みやもと かつあき、1943年12月13日 - … 宮本 勝彬(みやもと かつあき、1943年12月13日 - )は、日本の政治家、教諭。元熊本県水俣市長(2期)。 熊本県熊本市出身。東洋大学文学部卒業。1967年(昭和42年)、中学校教諭として水俣市に赴任。小中学校の教諭、小中学校長を経て、2001年(平成13年)4月、市教育委員会教育長に就任した。 2003年(平成15年)、東亜道路工業の子会社のIWD東亜熊本が、市内山間部(同市長崎、同市湯出)に産業廃棄物処理施設建設を計画。同年5月11日に地元説明会を開催すると、これを契機として2004年(平成16年)6月、産廃反対の市民団体「水俣の命と水を守る市民の会」(以下、水の会)が発足。水の会は約2万人分の署名を集めて,反対運動を展開した。
春田 重昭(はるた しげあき、1940年8月25日 - )は… 春田 重昭(はるた しげあき、1940年8月25日 - )は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(6期)。 熊本県熊本市出身。1960年熊本県立熊本工業高等学校卒業。同年神戸電機入社。1967年から守口市議会議員、1975年に大阪府議会議員となり、翌1976年の第34回衆議院議員総選挙で旧大阪7区から立候補して初当選。6期務めた。1993年に引退した。
木村 仁(きむら ひとし、1934年6月24日 - 2023… 木村 仁(きむら ひとし、1934年6月24日 - 2023年11月15日)は、日本の政治家、自治官僚。位階は従三位。 消防庁長官(第17代)、自治大学校長、参議院議員(2期)、防災情報機構顧問などを歴任。 熊本県出身。熊本市立白川中学校、熊本県立熊本高等学校卒業。 1958年、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。地方自治庁入省。大阪府総務部地方課。 1961年、大阪府総務部庶務課兼総務部地方課。その後、福島県地方課長、奈良県総務部長で勤務。 1979年4月1日、自治省行政局振興課長。1982年4月1日 - 自治省行政局公務員部公務員第一課長。1983年11月15日 - 自治省行政局行政課長。
田尻 靖幹(たじり やすもと、1926年(大正15年)3月2… 田尻 靖幹(たじり やすもと、1926年(大正15年)3月27日 - 2013年(平成25年)5月1日)は、日本の政治家。熊本市長(2期)。位階は正六位。勲四等旭日小綬章。 熊本県熊本市出身。1950年早稲田大学専門部卒。1954年熊本市役所に入り、観光、総務の各部長、経済、総務の各局長を経て、1980年助役に就任。1984年まで務めた後、1986年の熊本市長選に立候補して当選し、2期8年務めた。在任中は全国に先駆けて環境基本条例を制定、1991年には近隣の旧飽託郡4町合併などを行った。1994年に市長を引退。1999年春の叙勲で勲四等旭日小綬章を受章。2013年死去。死没日付をもって正六位を追贈された。
守住 有信(もりずみ ゆうしん、1924年8月11日 - 1… 守住 有信(もりずみ ゆうしん、1924年8月11日 - 1999年11月14日)は、日本の政治家。参議院議員。熊本県熊本市出身。
大久保 武雄(おおくぼ たけお、1903年11月24日 - … 大久保 武雄(おおくぼ たけお、1903年11月24日 - 1996年10月14日)は、日本の政治家。労働大臣(第36代)、衆議院議員(7期)。俳人でもあり、俳号は大久保 橙青(おおくぼ とうせい)で、息子も俳人の大久保白村。 1903年、熊本城下西通町にある醤油屋の三男坊として生まれる。祖先の大久保八左衛門宗雅は、長水と号し近郊では有名な蕉門の俳人であった。 1928年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。在学中は、五高時代から親しんだ野球の主力として全国高等専門学校野球大会優勝を果たしている。逓信省に入省すると、先輩の富安風生の紹介で、東大俳句会に入り高浜虚子に師事。郷土熊本が橙の産地であることから橙の字を使い、俳号を橙青とつける。
内村 清次(うちむら せいじ、1902年(明治35年)4月8… 内村 清次(うちむら せいじ、1902年(明治35年)4月8日 - 1964年(昭和39年)11月22日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員。 熊本県飽託郡春日村(春日町、熊本市春日町を経て現:熊本市西区春日)で、内村政平、ノトの息子として生まれる。古町小学校を経て、1918年(大正7年)3月、西部高等小学校を卒業した。 1918年4月、鉄道院(のち鉄道省)熊本機関区の機関夫試傭試験に合格。1919年(大正8年)2月、機関科教習所に入所し、同年5月に卒業。1922年(大正11年)4月、機関士見習に合格し、1923年(大正12年)4月、機関士科を卒業。同年6月、機関士に任じられた。1924年(大正13年)1月、徴兵され歩兵第13連隊に入隊し満洲に派遣され、1925年(大正15年)11月に除隊した。
細川 隆元(ほそかわ りゅうげん、1900年〈明治33年〉1… 細川 隆元(ほそかわ りゅうげん、1900年〈明治33年〉1月17日 - 1994年〈平成6年〉12月19日)は、日本の政治評論家、衆議院議員。熊本県熊本市出身。 中学濟々黌、旧制第五高等学校大学予科(現熊本大学)を経て1923年、東京帝国大学法学部を卒業、同年朝日新聞社に入社する。記者を務め1936年政治部長、1940年ニューヨーク支局長、1944年編集局長。 1947年朝日新聞社に在籍したまま熊本県知事選に出馬するも落選した。同年、朝日新聞を退社して日本国憲法成立直後の第23回衆議院議員総選挙で日本社会党から熊本2区から出馬して初当選、衆議院議員を1期務めた。 その後、政治評論家に転身し1957年から始まったTBSの『時事放談』で小汀利得(後に藤原弘達)とホストを務めた。
佐々 弘雄(さっさ ひろお、1897年〈明治30年〉1月23… 佐々 弘雄(さっさ ひろお、1897年〈明治30年〉1月23日 - 1948年〈昭和23年〉10月9日)は、日本の政治学者、ジャーナリスト、参議院議員。 1897年(明治30年)1月23日、衆議院議員佐々友房の三男として東京府東京市四谷区四谷箪笥町に生まれる。 東京府立第四中学校・第五高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治学科に入学。吉野作造や美濃部達吉の薫陶を受け法学者・政治学者として将来を嘱望される。東京帝大では新人会に参加した。1920年(大正9年)卒業。 卒業後は直ちに東京帝国大学法学部副手・助手を経て、外務省欧米局の嘱託となり英仏独に2年間留学。特にドイツにおいては、ハイパーインフレの惨状やヴァイマル共和国の行き詰まり、そしてナチス勃興を目の当たりにし、反ヒトラー派となって帰国した。
野田 武夫(のだ たけお、1895年2月8日 - 1972年… 野田 武夫(のだ たけお、1895年2月8日 - 1972年6月7日)は、昭和期の日本の政治家。総理府総務長官・自治大臣。位階は正三位。元衆議院議員の野田毅は娘婿。 熊本県飽託郡川口村(現・熊本市南区)出身。 旧制熊本中学校(現熊本県立熊本高等学校)を経て、1923年早稲田大学法学部独法科を卒業後、国民新聞記者、東京朝日新聞政治部記者、神奈川新聞社社長、町田忠治商工大臣秘書官を経て、1936年第19回衆議院議員総選挙に立憲民政党公認で旧神奈川2区より立候補して当選を果たす。以後戦後も含めて当選8回。戦前は軍需政務次官、商工省参与などを務めた。政党解消後は翼賛議員同盟→翼賛政治会→大日本政治会に所属した。
上塚 司(うえつか つかさ、1890年(明治23年)5月1日… 上塚 司(うえつか つかさ、1890年(明治23年)5月1日 - 1978年10月22日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期)。
荒川 真郷(あらかわ まさと、1881年(明治14年)7月2… 荒川 真郷(あらかわ まさと、1881年(明治14年)7月25日 - 1951年(昭和26年)10月26日)は、日本の陸軍軍人、政治家。衆議院議員、陸軍少将。 熊本市出身。1903年(明治36年)11月、陸軍士官学校(15期)を卒業。1903年(明治37年)2月12日、歩兵少尉に任官。その後、日露戦争・済南事件に従軍した。1928年(昭和3年)8月10日、歩兵大佐に昇進し富山連隊区司令官に就任。1931年(昭和6年)8月1日、歩兵第21連隊長に転じた。1933年(昭和8年)8月1日、陸軍少将に進級し待命となり、同年8月30日、予備役に編入された。 その後、熊本県選挙粛正地方委員、九州司法保護事業聯盟評議員、熊本県社会教育協会副会長、帝国在郷軍人会熊本市聯合分会長などを務めた。
小山 令之(おやま よしゆき、1881年(明治14年)4月1… 小山 令之(おやま よしゆき、1881年(明治14年)4月14日 - 1938年(昭和13年)10月25日)は、衆議院議員(立憲民政党)、弁護士。 熊本県飽田郡奥古閑村(天明村、天明町を経て現熊本市南区)出身。熊本中学校、第五高等学校を経て、1909年(明治42年)に東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業した。卒業後は熊本中学の教諭兼舎監となったが、辞して熊本市で弁護士を開業した。 熊本県会議員を2期務めた後、1930年(昭和5年)の第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。 その後、満州に渡り、弁護士業のかたわら熊本海外協会満洲本部長に就任した。奉天市で客死。
橋本 信次郎(はしもと しんじろう、1879年(明治12年)… 橋本 信次郎(はしもと しんじろう、1879年(明治12年)4月11日 - 没年不明)は日本の実業家、政治家。内国通運(現:日本通運)社長、極東煉乳(現:明治)創業者及び専務。東京市会議員。 橋本忠次郎の長男で、熊本県熊本市出身。工手学校卒業。1916年(大正5年)家督相続。父が創業した土木鉱山業の橋本店を受け継ぎ、北海道倶知安の鉄山売却で手腕を発揮する。1917年(大正6年)極東煉乳創業者の1人として取締役となる。1921年(大正10年)千原伊之吉を利用して河村寛裕一派の工作によるお家騒動で内国通運を乗っとる形で社長就任。1923年(大正12年)同社長辞任。 1929年(昭和4年)3月、東京市会議員となり、関東大震災からの復興に携わる。
井上 匡四郎(いのうえ ただしろう、1876年〈明治9年〉4… 井上 匡四郎(いのうえ ただしろう、1876年〈明治9年〉4月30日 - 1959年〈昭和34年〉3月18日)は、明治後期から昭和前期の工学者、政治家。工学博士、貴族院子爵議員。 熊本県出身。熊本藩儒学者・岡松甕谷の四男として生まれ、井上毅の養嗣子となる。1895年(明治28年)4月5日、養父の死去に伴い子爵を襲爵。東京府尋常中学、第一高等学校を経て、1899年(明治32年)7月、東京帝国大学工科大学採鉱冶金学科を優等で卒業し銀時計を授与された。さらに大学院に進み、同時に工科大学講師に就任。1900年(明治33年)2月、東京帝大工科大学助教授に進んだ。1901年(明治34年)9月、採鉱冶金学研究のため留学し、ドイツ、アメリカで学んだ。
井島 義雄(いじま よしお、1875年(明治8年)3月10日… 井島 義雄(いじま よしお、1875年(明治8年)3月10日 - 1920年(大正9年)6月27日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。弁護士。 熊本県熊本市出身。1903年(明治36年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業した。弁護士を開業し、熊本市会議員、熊本県会議員に選出された。 1917年(大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 その他に肥後酒精株式会社監査役を務めた。
深水 清(ふかみ きよし、明治2年5月10日(1869年6月… 深水 清(ふかみ きよし、明治2年5月10日(1869年6月19日) - 昭和17年(1942年)12月3日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党→国民同盟)。ジャーナリスト。 熊本市出身。1894年(明治27年)、日本法律学校(現在の日本大学)を卒業。朝鮮に渡り、『漢城新聞』主幹、日韓殖産株式会社取締役、『京城日報』主幹を務めた。さらに京城居留民団議員、京城学校組合議員、京城商業会議所副会頭などを歴任した。 1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第17回、第18回でも再選を果たした。 その他、熊本米穀取引所理事、九州日日新聞社社長を務めた。
則元 由庸(のりもと なおつね、1862年3月21日〈文久2… 則元 由庸(のりもと なおつね、1862年3月21日〈文久2年2月21日〉 – 1931年〈昭和6年〉8月6日)は、日本の政治家、弁護士。勲等は勲三等。位階は従五位。 熊本市生まれ。明治法律学校(現・明治大学)中退。 長崎県で弁護士を開業し、1899年(明治32年)長崎市会議員となった。1901年(明治34年)3月11日から1908年(明治41年)1月14日までと、1909年(明治42年)1月21日から1910年(明治43年)4月8日までの2度に亘り、市会議長を務める。 また、国政にも進出し、1912年(明治45年)に衆議院議員となり、以後、立憲民政党などから計7回当選する。 1917年(大正6年)に長崎日日新聞社長に就任した。
有吉 平吉(ありよし へいきち、1855年(安政2年9月) … 有吉 平吉(ありよし へいきち、1855年(安政2年9月) - 1904年(明治37年)4月5日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 肥後国熊本(のち熊本県熊本区、現・熊本市)生まれ。熊本藩黌で学ぶ。熊本藩家老職となる。 1892年の第2回衆議院議員総選挙において熊本1区から中央交渉会で立候補して当選した。1894年3月の第3回衆議院議員総選挙では国民協会から立候補して再選した。衆議院議員を2期務め、同年9月の第4回衆議院議員総選挙は不出馬。1904年に死去した。
大畑 純次(おおはた じゅんじ、1854年6月30日(安政元… 大畑 純次(おおはた じゅんじ、1854年6月30日(安政元年6月6日)- 1936年(昭和11年)5月24日)は、明治から昭和前期の弁護士、政治家。衆議院議員、熊本県会議長。 肥後国、現在の熊本県熊本市で生まれた。漢学、法律学を修めた。 弁護士を開業し、熊本県弁護士会長、熊本商業会議所特別議員などを務めた。 政界では、熊本市会議員、同参事会員、熊本県会議員、同参事会員、同議長などに在任。 1904年(明治37年)3月、第9回衆議院議員総選挙(熊本県熊本市、帝国党)で当選し、その後、大同倶楽部に所属して衆議院議員に1期在任した。
岡 次郎太郎(おか じろうたろう、1854年(安政元年2月)… 岡 次郎太郎(おか じろうたろう、1854年(安政元年2月) - 1929年(昭和4年)9月5日)は、明治から大正時代の政治家、実業家、銀行家。鉱山経営者。衆議院議員(1期)。 岡権内の第二子として熊本城下内坪井町(現熊本市中央区内坪井町)に生まれる。藩校に入ったのち岡松甕谷の門に入る。第百五十一国立銀行の創立に尽くし、観光社などの重役を務め、鉱山業を営んだ。1884年(明治17年)大蔵省御用掛となり、翌年、秋田県収税長を任ぜられ1889年(明治22年)10月まで務めた。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では熊本県第4区から出馬し当選。大成会に所属し衆議院議員を1期務めた。
井上 毅(いのうえ こわし、天保14年12月18日〈1844… 井上 毅(いのうえ こわし、天保14年12月18日〈1844年2月6日〉- 明治28年〈1895年〉3月17日)は、明治期の日本の官僚、政治家。大日本帝国憲法起草者の一人。栄典は正三位勲一等子爵。 肥後国熊本藩家老・長岡是容(監物)の家臣・飯田家に生まれ井上茂三郎の養子になる。必由堂、藩校時習館で学び、江戸や長崎へ遊学。明治維新後は大学南校で学び明治政府の司法省に仕官、1年かけた西欧視察におもむく。帰国後に大久保利通に登用され、その死後は岩倉具視に重用される。明治十四年の政変では岩倉具視、伊藤博文派に属する。 安定政権を作れる政府与党が出来る環境にない現在の日本で議院内閣制を導入することの不可を説いて、ドイツ式の国家体制樹立を説き、国学等にも通じ、伊藤と共に大日本帝国憲法や皇室典範、教育勅語、軍人勅諭などの起草に参加した。
嘉悦 氏房(かえつ うじふさ、天保5年(1834年)1月 -… 嘉悦 氏房(かえつ うじふさ、天保5年(1834年)1月 - 明治41年(1908年)10月30日)は、日本の政治家。 熊本藩士の子として肥後国託麻郡本山村(現在の熊本県熊本市)に生まれ、横井小楠に師事した。その後、宮部鼎蔵に従って尊王運動に参加。たびたび上京して、橋本左内・坂本龍馬・西郷隆盛らと交わった。 明治維新後、熊本藩は新政府に反旗を翻そうとしているとの嫌疑をかけられたが、氏房が長崎に赴いて知事の澤宣嘉に釈明して事なきを得た。明治3年(1870年)5月、民部省に出仕し、7月に大蔵省に移った。9月に胆沢県大参事に就任し、その後、熊本県少参事、八代県権参事を歴任した。明治6年(1873年)、白川県権参事となるが、権令の安岡良亮と対立し、野に下った。