古謝 玄太(こじゃ げんた、1983年〈昭和58年〉10月2… 古謝 玄太(こじゃ げんた、1983年〈昭和58年〉10月23日 - )は、日本の政治家。 那覇市副市長、沖縄県薬剤師会副会長、長崎県財政課長などを歴任した。 沖縄県那覇市出身。東京大学薬学部卒業、東京大学在学中は東京大学沖縄県人会の初代会長を務めた。 2006年3月に東京大学卒業後、2008年4月に総務省へ入省し、岡山県庁や長崎県庁に赴任した。 2020年に総務省を退職し、NTTデータ経営研究所に転職した。 第26回参議院議員通常選挙では西銘恒三郎から立候補を打診され、2週間後に立候補を表明し、自由民主党公認・公明党推薦で沖縄県選挙区から立候補する、271,347票を獲得するも次点で落選した。
大山 孝夫(おおやまたかお、1980年12月20日 - )は… 大山 孝夫(おおやまたかお、1980年12月20日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の那覇市議会議員(2期)。元航空自衛官(最終階級:一等空尉)。 1980年、沖縄県那覇市(自衛隊那覇病院)生まれ。現在は那覇市在住。福岡県築上郡築上町築上町立築城小学校、福岡県築上郡築上町立築城中学校を経て1999年(平成11年)に福岡県立豊津高等学校を卒業。航空自衛隊入隊。航空自衛隊幹部候補生学校を経て、救難ヘリコプターパイロットとなる。 UH-60Jの救難パイロットとして航空自衛隊松島基地に所在する松島救難隊、航空自衛隊那覇基地に所在する那覇救難隊で勤務。その後、CH-47Jに機種転換をし、空輸ヘリパイロットとして航空自衛隊那覇基地所在の春日ヘリコプター空輸隊、那覇ヘリコプター空輸隊で勤務した後、2017年(平成29年)3月末、1等空尉で退官。
喜友名 智子(きゆな ともこ、1976年11月24日 - )… 喜友名 智子(きゆな ともこ、1976年11月24日 - )は、日本の政治家。沖縄県議会議員(2期)。立憲民主党沖縄県連代表。 沖縄県那覇市出身。沖縄県立開邦高等学校を経て、慶應義塾大学総合政策学部を卒業。大学卒業後は松下政経塾に入塾し、沖縄の地域振興や自治に関する研究・実践に取り組んだ。 2002年に帰郷後、那覇市のコミュニティFM「エフエム那覇」の運営に関わるほか、国際通りや栄町市場で地域振興活動を行った。2008年からは日本IBMの関連会社に勤務し、沖縄の雇用環境や女性のキャリア形成に関する研究・発表を行っている。 2019年、立憲民主党の活動に参加し、2020年の沖縄県議選で那覇市・南部離島選挙区から立候補し初当選。
當間 盛夫(とうま もりお、1960年 (昭和35年)9月7… 當間 盛夫(とうま もりお、1960年 (昭和35年)9月7日 ‐ )は、日本の政治家。沖縄県議会議員(6期)。那覇市議会議員(1期)、政党そうぞう代表、日本維新の会沖縄県総支部幹事長兼代表代行などを務めた。 沖縄県那覇市出身。沖縄県立豊見城高等学校、阪南大学商学部卒業後、小禄農業協同組合(現:JAおきなわに統合)に就職。1990年1月、合資会社照屋総業などに勤務。 2001年7月8日、第16回那覇市議会議員選挙に当選。 2004年6月6日、第9回沖縄県議会議員選挙当選。以後、6期連続当選。県議会会派「維新の会」を結成。2005年12月、下地幹郎衆議院議員らと「政治団体そうぞう」を結成し政調会長に就任。
渡口 初美(とぐち はつみ、1935年1月15日 - 202… 渡口 初美(とぐち はつみ、1935年1月15日 - 2020年11月26日)は、日本の料理研究家、政治家。那覇市議会議員。 沖縄県那覇市出身。父親は実業家・政治家の高良一。沖縄県立那覇高等学校卒業、東京国際クッキングスクール卒業。 沖縄県那覇市三原の郷土料理店「まんがん」を経営。また、琉球料理研究家として活動。主な著書として『渡口初美の琉球の家庭祭祀』『沖縄の葬祭と祖先供養』『琉球料理と御火の神様』など、沖縄の年中行事、祖先供、伝統料理などの書籍がある 。日本各地での琉球料理の講習会の開催でも活動している。料理漫画『美味しんぼ』では単行本28巻で、主人公に料理を提供する役として登場している。 2020年11月26日、肺炎のため那覇市内の病院で死去。
仲村 正治(なかむら せいじ、1931年9月6日 - 201… 仲村 正治(なかむら せいじ、1931年9月6日 - 2018年11月15日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(7期)、沖縄県議会議員(2期)、那覇市議会議員(1期)などを歴任。 1969年に那覇市議会議員、1976年に沖縄県議会議員となり、沖縄県政界における地位を築く。1983年に第37回衆議院議員総選挙で初当選し、1度の落選を挟んで7回当選(83年当選同期に田中直紀・熊谷弘・二階俊博・額賀福志郎・野呂田芳成・衛藤征士郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・町村信孝・伊吹文明・自見庄三郎・大島理森・野呂昭彦・中川昭一・鈴木宗男・甘利明など)。1993年6月の宮澤内閣不信任案採決直前に沖縄開発庁政務次官を辞任し不信任案に賛成、改革フォーラム21ごと自民党を集団離党する。
島袋 宗康(しまぶく そうこう、男性、1926年10月5日 … 島袋 宗康(しまぶく そうこう、男性、1926年10月5日 - 2022年12月9日)は、日本の政治家。沖縄社会大衆党名誉顧問。元参議院議員(2期)・沖縄社会大衆党委員長。姓は琉球語読み(沖縄の名字)で、日本語読みは「しまぶくろ」とも。 1969年、那覇市議会議員に当選し4期務めた。 1984年、沖縄県議会議員に当選し2期務めた。 1989年から約15年間、沖縄社会大衆党委員長を務めた。 1992年の第16回参院選では第二院クラブ公認で革新共闘の統一候補として沖縄県選挙区に立候補し、PKO法反対などを訴え、341票の僅差で自民党の大城真順を破り初当選。1人区では唯一の野党が獲得した議席となった。
親泊 康晴(おやどまり こうせい、1926年8月28日 - … 親泊 康晴(おやどまり こうせい、1926年8月28日 - 2005年4月11日)は、日本の政治家。1984年から2000年まで沖縄県那覇市長を務めた。
伊江 朝雄(いえ ともお、1921年5月17日 - 2007… 伊江 朝雄(いえ ともお、1921年5月17日 - 2007年5月14日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員。北海道開発庁長官、沖縄開発庁長官。沖縄県出身者初の国務大臣として知られる。
平良 良松(たいら りょうしょう、1907年(明治40年)1… 平良 良松(たいら りょうしょう、1907年(明治40年)11月12日 - 1990年(平成2年)3月19日)は、日本の政治家。沖縄県那覇市長(4期)などを務めた。 那覇市出身。沖縄県立第一中学校(現・沖縄県立首里高等学校)を卒業後上京し、近衛師団兵器部にて働きながら法政大学専門部法律科に通っていたが、赤色救援会の活動への関与が発覚したことや病気療養により、一旦帰郷する。 だが、警察の監視つきで就職さえままならなかったため、1934年、ペルー・リマ市に渡り現地の日本人学校で8年間教鞭を執る。終戦後の1946年に沖縄へ戻り、村会議員や農協会長などを経て、1954年から4期にわたり立法院議員となる。
井之口 政雄(いのぐち まさお、明治28年(1895年)4月… 井之口 政雄(いのぐち まさお、明治28年(1895年)4月28日 - 昭和42年(1967年)6月30日)は、日本の政治運動家、革命家、ジャーナリスト、政治家。衆議院議員(1期)。 沖縄県那覇市出身。1912年(大正元年)鹿児島一中を卒業、1916年(大正5年)慶應義塾大学部予科に入学し、卒業。1918年(大正7年)同大学部理財科に進む(後に中退)。在学中に、「日本社会主義同盟」、山川均らが主宰していた水曜会で活躍。1921年(大正10年)12月より翌年11月まで一年志願兵として鹿児島歩兵連隊に入隊。24年春から秋頃まで大阪の『関西日報』の記者となる。 1923年(大正12年)に日本共産党に入党。
当間 重剛(とうま じゅうごう、當間 重剛、1895年(明治… 当間 重剛(とうま じゅうごう、當間 重剛、1895年(明治28年)3月25日 - 1971年(昭和46年)10月20日)は、戦前の沖縄県および琉球政府の政治家・裁判官。那覇市長・琉球政府行政主席(1956年11月11日 - 1959年11月10日)。フランス語に堪能な人物だった。 ジャーナリストで初代那覇市長だった当間重慎の息子として沖縄県那覇(現・那覇市)に生まれる。沖縄県立第一中学校、旧制第三高等学校を経て、1920年に京都帝国大学法学部を卒業。1939年に那覇市長に選出され、戦時中は大政翼賛会沖縄県支部長を務めた。 沖縄戦後には一転沖縄民政府行政法務部長を歴任し、1946年には戦前の市町村長経験者を市町村長に起用する米軍の特別措置に伴い再度那覇市長に就任。
漢那 憲和(かんな けんわ、1877年(明治10年)9月6日… 漢那 憲和(かんな けんわ、1877年(明治10年)9月6日 - 1950年(昭和25年)7月29日)は、日本の海軍軍人、政治家。衆議院議員、平沼内閣内務政務次官。最終階級は海軍少将。海軍兵学校27期卒。沖縄県出身。 大正年間に当時の皇太子(昭和天皇)の欧州遊学の際、御召艦「香取」の艦長を務めた事で知られる。退役後は地元の沖縄県から選出され、衆議院議員となった。戦前最後の沖縄県選出議員の一人である。 1877年(明治10年)、漢那憲慎・オトの長男として琉球国那覇西村(現・沖縄県那覇市西)に生まれる。先祖は福州との貿易に従事していた。 1892年(明治25年)、沖縄県尋常中学校(後の沖縄県立第一中学校、現在の沖縄県立首里高等学校)に入学。
金城 紀光(かなぐすく / きんじょう きこう、1875年(… 金城 紀光(かなぐすく / きんじょう きこう、1875年(明治8年)11月4日 - 1967年(昭和42年)8月10日)は、沖縄県出身の医師、政治家。衆議院議員、那覇市長。
大城 兼義(おおしろ けんぎ / かねよし、1871年8月1… 大城 兼義(おおしろ けんぎ / かねよし、1871年8月11日(尚泰24年6月25日)- 1951年(昭和26年)11月11日)は、明治から昭和初期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 琉球王国小禄間切宇栄原(のち沖縄県島尻郡小禄村、現那覇市小禄字宇栄原)で、屋号新屋敷・大城三郎の長男として生まれる。小禄小学校、島尻高等小学校を経て、1890年(明治23年)沖縄県立第一中学校(現沖縄県立首里高等学校)に入学したが、3年で退学した。1896年(明治29年)長崎鎮西学館(鎮西学院)神学科沖縄支部を卒業し、伝道師としてキリスト教の布教に従事した。 1901年(明治34年)から臨時沖縄県土地整理事務局で測量に従事。
高嶺 朝教(たかみね ちょうきょう、1869年2月6日(尚泰… 高嶺 朝教(たかみね ちょうきょう、1869年2月6日(尚泰21年12月25日) - 1939年(昭和14年)1月12日)は、沖縄県出身の実業家、政治家。同県選出初の衆議院議員の一人。向氏高嶺家十一世。唐名は向承徳。 首里山川村(現那覇市首里山川町)で、高嶺家十世・高嶺朝長(唐名は向善継)の長男として生まれる。1882年に第1回県費留学生として上京し、学習院、慶應義塾で学ぶ。 1893年9月、尚順、太田朝敷らと協力して『琉球新報』を創刊。1900年、尚家の出資を元に沖縄銀行の設立に参画して頭取に就任。1909年、第1回沖縄県会議員選挙に出馬して当選し、初代県会議長に就任。同年6月28日から1912年5月20日まで務めた。
護得久 朝惟(ごえく ちょうい、1868年10月20日(尚泰… 護得久 朝惟(ごえく ちょうい、1868年10月20日(尚泰21年9月5日) - 1923年(大正12年)7月30日)は、沖縄県出身の実業家、政治家。衆議院議員。向氏護得久家十四世。唐名は向鴻弼。 首里山川村(現那覇市首里山川町)で、護得久家十三世・護得久朝常の長男として生まれる。沖縄県尋常中学校を中退して慶應義塾で学んだが、1889年、経済的な理由で退学し帰郷した。 尚泰王の長女・真鶴金との縁談が持ち上り、王の近習は護得久家の経済状態が良くないことから難色を示したが、王の決断で結婚が認められた。1893年9月、尚順、太田朝敷らと協力して『琉球新報』を創刊。尚家の資金により設立した丸一商会、沖縄広運 (株) の社長を務めたほか、沖縄農工銀行頭取、沖縄土地建物 (株) 監査役などを歴任。
岸本 賀昌(きしもと がしょう、1868年8月18日(尚泰2… 岸本 賀昌(きしもと がしょう、1868年8月18日(尚泰21年7月1日) - 1928年(昭和3年)2月28日)は、沖縄県出身の日本の内務官僚、政治家。 那覇生まれ。1882年(明治15年)に第1回県費留学生として上京し、学習院(中退)、慶應義塾(別科三級に入学し、正科を卒業)で学ぶ。留学後、沖縄県属、次いで内務省地方局に移り、石川県参事官、沖縄県参事官、同事務官・第二部長などを歴任。1912年(明治45年)に沖縄県最初の衆議院議員選挙に立憲政友会公認で出馬し、当選。その後、憲政会、立憲同志会、立憲民政党など政局に合わせて党を移り、衆議院議員を4期務めた。沖縄毎日新報社長、沖縄共立銀行頭取などを経て1925年(大正14年)に那覇市長に選任された。
太田 朝敷(おおた ちょうふ、1865年5月2日(尚泰18年… 太田 朝敷(おおた ちょうふ、1865年5月2日(尚泰18年4月8日)- 1938年(昭和13年)11月25日)は、沖縄の新聞人、政治家。慶應義塾で福沢諭吉の薫陶を受ける。琉球新報(戦前)の設立に参画し、のちに社長となる。また言論人としては沖縄県の本土への同化を強く唱えた。著書に『沖縄県政五十年』など。 太田は日清戦争で親中派の頑固党に対し、親日的開化党の立場で論陣を張り、その後、一貫して沖縄の本土への同化を強く訴えた。 太田は1900年の講演で「沖縄今日の急務は何であるかと云へば、一から十まで他府県に似せることであります。極端にいへば、クシャミすることまで他府県の通りにすると云う事であります」と極端な同化主義を唱えている。
知花 朝章 (ちばな ちょうしょう、1847年7月9日(尚育… 知花 朝章 (ちばな ちょうしょう、1847年7月9日(尚育13年5月27日) - 1929年(昭和4年)5月18日)は、琉球王国時代から大正にかけての沖縄県の唐手家、実業家、政治家。 琉球藩時代は砂糖奉行等を務め、廃藩後は尚家経営の沖縄広運(株)社長。1908年には初の民選首里区長に選ばれた。 唐手は松村宗棍に師事した。 1847年、首里当蔵町(しゅりとうのくら)に生まれる。知花家は尚質王の第五王子、東風平王子朝春(こちんだあんじちょうしゅん)を始祖とする勝連御殿(かちれんうどぅん)から分家した首里士族であり、琉球王国時代は知花殿内(ちばなどぅんち)と呼ばれた名家であった。小林流開祖の知花朝信は甥に当たる。
國場 幸之助 は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(… 國場 幸之助 は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、衆議院外務委員長、自由民主党総裁特別補佐。