三浦 敏明(みうら としあき、1936年7月28日 - 20… 三浦 敏明(みうら としあき、1936年7月28日 - 2019年2月13日)は、日本の英文学者・英語学者・歌人。東洋大学名誉教授。 父の任地東京府(現・稲城市)生まれ。徳島県阿波市出身。1961年東洋大学文学部英米文学科卒業。67年同大学院文学研究科博士課程修了。東洋大学工学部助教授、教授、文学部教授。2007年定年退任、名誉教授。R・L・スティーヴンスンの研究、日本文体論学会、日本英語学会、国際異文化学会。湖笛会会員。
奈良 文夫(なら ふみお、1936年7月20日 – 2018… 奈良 文夫(なら ふみお、1936年7月20日 – 2018年2月6日)は、日本の俳人。俳人協会監事を務めていた。本名・奈良文夫。山梨県出身。中村草田男に師事、『萬緑』第5代選者・『群星』元代表。 1936年山梨県上野原町に生まれる。1956年、早稲田大学法学部に入学。二年生の冬、結核で休学。療養中、俳句を知りほとんど同時に「萬緑」に入会。1959年復学。早稲田大学俳句研究会に入部。1962年東京都庁に入庁、台東区役所に配属され、1997年の退職まで勤務。1963年旧姓佐藤寿子(俳人、俳号比佐子)と結婚。1971年榑沼けい一と「群星」創刊。 1973年萬緑新人賞、1985年萬緑賞受賞。1987年香西照雄死去のあと萬緑運営委員。
小久保 晴行(こくぼ はるゆき、1936年(昭和11年)7月… 小久保 晴行(こくぼ はるゆき、1936年(昭和11年)7月20日 - 2025年10月7日[要出典])は、日本の著作家、洋画家、歌人、評論家、経営学博士。 公益財団法人 えどがわボランティアセンター理事長、一般財団法人 国際江戸川文化福祉財団理事長、社会福祉法人 つばき土の会理事長。株式会社トーヨー会長、株式会社エフ・イー・アイ会長。江戸川区文化会会長、江戸川区美術会会長、江戸川区芸能文化協会会長、江戸川区福祉ボランティア団体協議会会長、江戸川区友好団体連絡会会長、江戸川明るい社会づくりの会会長、江戸川第九を歌う会会長、江戸川区ドッジボール協会会長、八代目橘家円蔵一門を励ます会会長。江戸川区短歌連盟顧問、江戸川区都市計画審議会委員、江戸川区民生委員推薦会委員。
奥村晃作(おくむら こうさく、1936年6月14日 - )は… 奥村晃作(おくむら こうさく、1936年6月14日 - )は、日本の歌人。歌誌「コスモス」選者。 長野県飯田市生まれ。長野県飯田高等学校を経て、1962年東京大学経済学部卒業。三井物産に入社後、2年程で退職し学士入学して教員免許を取得。のち芝中学校・高等学校社会科教諭に着任。大学在学中に『コスモス』に入会、宮柊二に師事する。1967年、「荒涼たる風景」で第13回角川短歌賞候補。1985年には「コスモス」の仲間である桑原正紀や高野公彦らと同人誌『棧橋』を創刊。 橘曙覧などの近世和歌を消化し、現代短歌の一領域として「ただごと歌」を認知させた。教師時代の奥村に短歌の手引きを受け、後に『コスモス』に入会した教え子に、影山一男や大松達知がいる。
平井 弘(ひらい ひろし、1936年4月12日 - )は、日… 平井 弘(ひらい ひろし、1936年4月12日 - )は、日本の歌人。 岐阜県岐阜市生まれ。実家は金津の遊郭であったという。3歳のときに父を結核で亡くし、9歳で母も亡くし、祖母に育てられる。1944年に遊郭がまるごと岐阜市郊外の長森に移転して疎開するという経験をする。高校生のときに作歌を始め、1954年に新聞歌壇で高安国世に採用される。 1960年に小瀬洋喜が岐阜青年歌人会の機関誌として発行した同人誌「斧」の創刊メンバーとなり、2年ほど同誌に拠って活動。60年代の前衛短歌運動を牽引した。1961年に第一歌集『顔をあげる』を発表。その後しばらく歌作から離れるが、冨士田元彦のすすめで「現代短歌 雁」誌上にて復帰し、1976年に第二歌集『前線』を発表。
大輪 靖宏(おおわ やすひろ、1936年(昭和11年)4月6… 大輪 靖宏(おおわ やすひろ、1936年(昭和11年)4月6日 - )は、日本の俳人・日本文学研究者。専門は日本近世文学。上智大学名誉教授。公益社団法人日本伝統俳句協会副会長、国際俳句交流協会常務理事、慶大俳句丘の会会長、横浜俳和会顧問、和の句会主宰。 東京府東京市蒲田区生まれ。山梨県、福岡県、大阪府で育ち、大阪府立豊中高等学校を経て、1960年、慶應義塾大学文学部国文学科卒業。同年、日本テレビに入社するも退職し、1961年、慶應大学大学院文学研究科国文学専攻に進学。1968年、博士課程単位取得満期退学。1970年、同大学附属研究所国際センター専任講師、1973年、上智大学文学部専任講師、1974年、助教授、1981年、教授。
池田 澄子(いけだ すみこ、1936年3月25日 - )は、… 池田 澄子(いけだ すみこ、1936年3月25日 - )は、日本の女性俳人。生活の周辺をややアイロニカルに眺めた口語的な文体の俳句を得意としながら、生の孤独、戦争などのテーマを詠んだ句も多い。代表句に「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」「ピーマン切って中を明るくしてあげた」「前ヘススメ前ヘススミテ還ラザル」など。 神奈川県鎌倉市に生まれる。父の出征のため父の郷里である新潟県村上市に疎開し、1947年より結婚まで新潟市に育つ。新潟県立新潟中央高等学校卒業。俳句をはじめた時期は遅く、38歳でたまたま目にした阿部完市の俳句に興味を抱いたのがきっかけである。1975年に堀井鶏主宰の「群島」に入会(のち同人。
中嶋秀子(なかじま ひでこ、1936年3月12日 - 201… 中嶋秀子(なかじま ひでこ、1936年3月12日 - 2017年12月1日)は、日本の俳人。 東京生まれ。本名・川崎三四子。夫は俳人の川崎三郎(1935-1984)。法政大学文学部日本文学科卒。『沖』に参加し、俳誌『響』を創刊、主宰した。1994年度現代俳句協会賞受賞。
角宮 悦子(つのみや えつこ、1936年3月3日 - 201… 角宮 悦子(つのみや えつこ、1936年3月3日 - 2016年3月22日)は歌人。歌誌「はな」代表。旧姓は石塚。 北海道網走郡網走町(現在の網走市)生まれ。父は当時、網走中学校(現在の北海道網走南ヶ丘高等学校)の漢文教師であった。3歳で長野県松本市、5歳で茨城県水戸市に移住。8歳のときに父が村松陸軍通信兵学校の陸軍教官となったため新潟県中蒲原郡村松町(現在の五泉市)に移住する。終戦後は父の故郷である茨城県結城郡に住む。茨城県立水海道第一高等学校、大東文化大学日本文学部卒業。 父の影響により10代の頃から、短歌、俳句、詩を作り始める。1958年、歌誌「一路」に入会、山下陸奥に師事。東京都の豊南高等学校に勤務する。
安井 浩司(やすい こうじ、1936年2月29日 - 202… 安井 浩司(やすい こうじ、1936年2月29日 - 2022年1月14日)は、俳人。秋田県能代市出身。秋田県立能代高等学校、日本歯科大学卒業。 1954年上京、1969年より4年間飛騨高山に住んだのち秋田に帰郷。10代のとき寺山修司編集の「牧羊神」に参加。1958年ころから永田耕衣の「琴座」に投句、のち同人。また1964年より高柳重信の「俳句評論」同人。1968年に加藤郁乎、大岡頌司らと「ユニコーン」を創刊するが、4号で廃刊。1984年「騎」創刊に参加。歯科医師のかたわら句作を行った。しばしばエロティックなイメージを伴う土俗的・秘教的な句風で、俳壇からも距離を置いて句作を続けた。代表句に「ひるすぎの小屋を壊せばみなすすき」など。
京武 久美(きょうぶ ひさよし、1936年2月4日 - 20… 京武 久美(きょうぶ ひさよし、1936年2月4日 - 2023年7月6日)は俳人。青森県出身。 青森市立野脇中学校2年のとき同級だった寺山修司と友人となり、青森県立青森高等学校時代は文芸部にて共に活動し俳句・短歌に熱中した。高校1年のとき、京武の俳句が地方新聞の俳壇に掲載されたことへの競争意識が寺山の句作の原点であり、ライバルであった。 1954年、第1回全国高校生俳句コンクール1位。ちなみに2位は寺山。10代の若者のための全国的俳誌『牧羊神』を寺山とともに始めたことで名を知られている。 1954年、青森高校卒業後、東北海運局職員。金子兜太の「海程」で活躍。2009年に第一句集『二月四日』を発表した。
野村 二郎(のむら じろう、1936年 - )は、日本の歌人… 野村 二郎(のむら じろう、1936年 - )は、日本の歌人。 岐阜県山県市(旧伊自良村)出身。日本大学経済学部卒業後、地方銀行に勤務。退職後本格的に作歌を始め、歌集「樹木に燃ゆる」「二月の雨」を発表。静かに優しく温かく見守る視線がかたちづくる世界観が持ち味[要出典]。
寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年〈昭和10年〉12… 寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年〈昭和10年〉12月10日 - 1983年〈昭和58年〉5月4日)は、日本の歌人・劇作家。演劇実験室を標榜した前衛演劇グループ「天井桟敷」主宰。 「言葉の錬金術師」「アングラ演劇・四天王のひとり」「昭和の啄木」などの異名をとり、上記の他にもマルチに活動、膨大な量の文芸作品を発表した。競馬への造詣も深く、競走馬の馬主になるほどであった。 1935年(昭和10年)12月10日、父・八郎、母・ハツの長男として生を受ける。八郎は東奥義塾弁論部OBで当時弘前警察署勤務の特高警察刑事を務めていた。父の転勤のため、県内各所を転々とする。本人は出生について「走っている列車の中で生まれ、ゆえに故郷はない」などと記していたが、ハツと元妻の九條今日子によると、青森県弘前市紺屋町生まれとされ、戸籍上は1936年(昭和11年)1月10日が出生日となっている。
星野 恒彦(ほしの つねひこ、1935年11月19日 - )… 星野 恒彦(ほしの つねひこ、1935年11月19日 - )は、日本の俳人、英文学者。早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。東京都立日比谷高等学校卒業。1959年早稲田大学第一文学部英文科卒業、同大学院文学研究科博士課程修了。立正大学教養部助教授、早稲田大学法学部教授。2003年退任、名誉教授。 1976年「れもん」に入会、多田裕計に師事。1980年「貂の会」に入り川崎展宏に師事。 2002年『俳句とハイクの世界』で俳人協会評論賞受賞。俳人協会理事(国際部長)、国際俳句交流協会副会長、「貂」代表。
伊藤 通明(いとう みちあき、1935年11月16日 - 2… 伊藤 通明(いとう みちあき、1935年11月16日 - 2015年9月26日)は、福岡県出身の俳人。宗像郡福間町生まれ。西南学院大学文学部英文学科卒。大学時代、安住敦の句文に接したことから俳句をはじめる。1962年、同人誌「裸足」創刊編集。1967年、「春燈」入会、安住敦に師事。1986年、「裸足」を「白桃」に改称し主宰。代表句に「夕月や脈うつ桃をてのひらに」などがあり、みずみずしい叙情句が特色。句集に『白桃』『西国』『蓬莱』『荒神』、編著に『久保田万太郎』などがある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
宇多 喜代子(うだ きよこ、1935年〈昭和10年〉10月1… 宇多 喜代子(うだ きよこ、1935年〈昭和10年〉10月15日 - )は、日本の俳人。現代俳句協会特別顧問、日本芸術院会員、文化功労者。 「草苑」編集長、「草樹」会員代表、大阪俳句研究会理事、現代俳句協会会長などを歴任した。 山口県徳山市(現:周南市)生まれ。武庫川学院女子短期大学家政学科卒。1953年、石井露月門下の遠山麦浪を知り俳句をはじめる。1962年、麦浪が没し前田正治主宰となった「獅林」に入会。1970年、「草苑」創刊に参加し、桂信子に師事、同誌編集長を務める。1976年から1985年まで坪内稔典編集の「現代俳句」に参加。1978年より「草苑」編集担当となり「獅林」退会。1981年「未定」に参加。
大滝 貞一(おおたき ていいち、1935年9月3日 - 20… 大滝 貞一(おおたき ていいち、1935年9月3日 - 2016年7月23日)は、昭和・平成期の日本の歌人。 新潟県東頸城郡浦川原村(現上越市浦川原区)岩室出身。新潟県立安塚高等学校時代に短歌を始め、1958年東洋大学文学部国文科卒。大学在学中「大学歌人会」で活動。『花実』『古今』に参加し、福田栄一に師事。1971年、「騎の会」創設、「十月会」にも参加。 NHK関連の日本放送教育協会編集局に勤務後、1960年博報堂に入る。PR本部ディレクター、中国室室長、営業担当部長など歴任。『雲珠』を主宰。現代歌人協会理事、明海大学非常勤講師、四万十川秀歌百選選者も務めた。
吉行 和子(よしゆき かずこ、1935年〈昭和10年〉8月9… 吉行 和子(よしゆき かずこ、1935年〈昭和10年〉8月9日 - 2025年〈令和7年〉9月2日)は、日本の女優、エッセイスト、俳人。東京府(現:東京都)出身。 父は作家の吉行エイスケ、母は美容師の吉行あぐり。兄は作家の吉行淳之介、妹は詩人の吉行理恵。 2歳で小児喘息を患い、病弱な子ども時代を過ごす。1948年3月、千代田区立番町小学校卒業。 父は和子が4歳のときに死去、母は美容師として働いていたため、ひどい喘息の発作が起こると、岡山県の祖父の元に預けられていた。 1954年、女子学院高等学校を卒業。なお、卒業前に劇団民藝付属水品研究所を受験して入所。女優になるつもりはなく、絵を描くことや裁縫は得意だったことから「衣装係にでもなれれば」と思って受験したところ、思いがけず女優候補として採用された。
小野 興二郎 (おの こうじろう、1935年6月22日 - … 小野 興二郎 (おの こうじろう、1935年6月22日 - 2007年10月28日)は、昭和期から平成期の歌人。歌誌「泰山木」主宰。 愛媛県上浮穴郡面河村(現・久万高原町)の、豊かではない神官の家に生まれる。松山市の「潮音」系短歌結社「にぎたづ」に参加。その後上京し、明治大学文学部に入学するが、結核にかかり帰郷して肺葉切除を受ける。1957年、北原白秋の流れを汲む、木俣修の歌誌「形成」に参加する。大学卒業後、市川学園(千葉県)の国語科教諭となる。1981年に肝生検のショックで入院し、視力障害を患う。以後、入退院を繰り返しながら、歌作を続ける。その作品は、人間存在の根源について鋭く問いかけるものであり、その美しい文語体の歌は多く人々の共感を得た。
松村 多美(まつむら たみ、1935年3月12日 - )は、… 松村 多美(まつむら たみ、1935年3月12日 - )は、日本の俳人。 東京生まれ。1957年東京教育大学国文科卒。高校教師となる。俳人大野林火・野沢節子に師事。1993年6月主宰誌「四葩(よひら)」創刊。俳誌「四葩」主宰。文京学院大学非常勤講師、文京学院大学生涯学習センター講師。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
板宮 清治(いたみや せいじ、1935年〈昭和10年〉2月2… 板宮 清治(いたみや せいじ、1935年〈昭和10年〉2月22日 - 2024年〈令和6年〉4月15日)は、岩手県胆沢郡金ケ崎町出身の歌人、専業農家。 昭和30年代の農村生活と自然を主な内容とする第一歌集『麥の花』は、青春期のみづみづしい作品を特色とする。1964年から2005年にかけて6冊の歌集を発行し、何れも東北の風土に根差した鋭敏な感性と清新な詠風によって貫かれている。病を克服して収めた『杖』は、平成18年度の日本歌人クラブ賞を受賞した。同賞の受賞は、岩手県民では初であった。 地元の金ケ崎町立図書館には特設文庫として「板宮文庫」があり、板宮寄贈による現代歌人の歌集を中心とした書籍が収められている。
矢島 渚男(やじま なぎさお、1935年1月24日 - )は… 矢島 渚男(やじま なぎさお、1935年1月24日 - )は、日本の俳人。2020年旭日小綬章受章。2024年文化功労者。本名は薫。 長野県丸子町(現上田市)生まれ。上田松尾高校、九段高校を経て、東京大学文学部国史学科卒業。大江健三郎と同期だった。卒業後は長野県内で歴史の高校教諭となる。1957年「鶴」に入会し石田波郷に師事したが、波郷没後「寒雷」に移り、加藤楸邨に師事する。1994年、俳誌「梟」主宰。2003年、句集『延年』で第3回俳句四季大賞受賞。2008年、句集『百済野』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2016年、句集『冬青集』で第50回蛇笏賞受賞。読売新聞及び朝日新聞長野版俳壇選者。2020年、旭日小綬章受章。
折笠 美秋(おりがさ びしゅう、1934年〈昭和9年〉12月… 折笠 美秋(おりがさ びしゅう、1934年〈昭和9年〉12月23日 - 1990年〈平成2年〉3月17日)は、俳人、新聞記者。本名・美昭。 神奈川県横須賀市出身、早稲田大学高等学院・中学部国文学科卒。在学中に同人誌に文芸作品を発表するとともに早大俳句会に参加。1958年東京新聞社に入社。同年『俳句評論』が創刊されて同誌の編集同人となり高柳重信に師事、新聞記者として働く傍らで俳句作品や俳句評論を精力的に執筆する。1967年第3回俳句評論賞を受賞(評論の部)。「俳句評論」終刊のちに、有力同人10人限定の同人俳句誌「騎」創刊(1984年)に参加し、その志を継いだ。ほかの創刊同人は、坂戸淳夫、岩片仁次、安井浩司、寺田澄史、川名大、大岡頌司、阿部鬼九男、志摩聰、佐藤輝明。
岸本 マチ子(きしもと マチこ、1934年11月29日 - … 岸本 マチ子(きしもと マチこ、1934年11月29日 - 2023年7月29日)は、日本の俳人、詩人である。 1934年11月29日、群馬県伊勢崎市に生まれる。中央大学卒業。1958年、結婚を機に沖縄県に移住した。琉球放送のアナウンサーを経て、雑貨卸売会社に勤務した。 1978年に詩集『黒風』で第1回山之口貘賞、1984年に詩集『コザ中の町ブルース』で第17回小熊秀雄賞を受賞した。1989年に俳誌『WA』を創刊、主宰した。1994年に第44回現代俳句協会賞を受賞した。 2023年7月29日、肺炎のため沖縄県那覇市の病院で死去した。88歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
綾部 光芳(あやべ みつよし、1934年10月17日 - )… 綾部 光芳(あやべ みつよし、1934年10月17日 - )は、日本の歌人。響短歌会主宰。歌誌「響」(隔月刊)編集人。日本短歌協会副理事長。現代短歌協会会員。日本歌人クラブ会員。埼玉県歌人会理事。牧水研究会会員。埼玉県飯能市出身。 1934年10月17日、埼玉県飯能市に生まれる。現在は埼玉県秩父市在住。大野誠夫に師事し、多大な影響を受ける一方で、斎藤茂吉、若山牧水あるいは日本の古典、仏教、文化財などにも傾倒し、幻想と写実の間を漂うような独自の世界を創造し、2012年にはいくつかの例外を除き、一首のなかに一ヶ所のみ漢字を記した短歌を収録した前代未聞の歌集『水月』を上梓するなど、実験的な活動を行うなどして注目されている。
友岡 子郷(ともおか しきょう、1934年9月1日 - 20… 友岡 子郷(ともおか しきょう、1934年9月1日 - 2022年8月19日)は、兵庫県出身の俳人。本名は清。 神戸市灘区生まれ。兵庫県立神戸高等学校を経て、甲南大学文学部卒業。大学在学中、高浜虚子の「ホトトギス」、波多野爽波の「青」に投句。1957年「椰子会」を結成。1958年より「青」編集。1968年、「青」を辞し「雲母」入会、飯田龍太に師事。同誌同人。同人誌「椰子」創刊。1991年、椰子会代表。1992年、「柚」創刊に参加。1993年、廣瀬直人の「白露」創刊に参加。1998年「椰子」終刊。2012年「椰子会」解散。 1977年、第1回雲母選賞、1978年、第25回現代俳句協会賞、2006年、『雲の賦』で第6回俳句四季大賞、2009年、『友岡子郷俳句集成』で第24回詩歌文学館賞、2013年、『黙礼』で第5回小野市詩歌文学賞受賞、2018年、『海の音』で第52回蛇笏賞受賞。
江國 滋(えくに しげる、1934年8月14日 - 1997… 江國 滋(えくに しげる、1934年8月14日 - 1997年8月10日)は、東京出身の演芸評論家、エッセイスト、俳人。俳号は滋酔郎。 長女は小説家の江國香織。 小学校は慶應義塾幼稚舎であったが、1945年秋、東京から静岡県庵原郡蒲原町(現在の静岡市清水区)に転校して徹底的ないじめを受ける。当時の経験を後に「怨み骨髄、あのときのいじめの下手人たちの顔も名前も身体的特徴も、いまだに忘れていない」と語り、文筆家になってからも紀行文の中で当時の恨みつらみを吐露している。 静岡県立清水東高等学校を経て慶應義塾大学法学部政治学科を卒業した。卒業後は新潮社に入社して、十年間『週刊新潮』の編集部にいたが、1966年に退社。
西岡 瑠璃子(にしおか るりこ、1934年7月22日 - )… 西岡 瑠璃子(にしおか るりこ、1934年7月22日 - )は、日本の政治家、歌人。元日本社会党参議院議員(1期)。 高知県土佐市出身。1953年土佐高校卒。卒業後はNHK高知放送局に就職する。以後、参院選に立候補するまで勤務。労働運動と女性運動に身を投じ、日放労高知分会書記長、高知県労働組合総評議会婦人部長、日本婦人会議高知県本部議長などを歴任。また、「高知歌人」や「新日本歌人」に所属して歌人としても活動する。 1989年の第15回参議院議員通常選挙に高知県選挙区から日本社会党公認で立候補して初当選。小選挙区制導入に反対を表明し、1994年に栗原透(社会党高知県本部委員長、高知県議)らと共に離党。
望月 明(もちづき あきら、1934年7月18日 - 201… 望月 明(もちづき あきら、1934年7月18日 - 2016年8月25日)は、日本の俳人。神奈川県横浜市南区高砂町生まれ。在家得度、法名は、「徹心明道」(みょうどう)。 神奈川県横浜市南区高砂町に生まれる。10歳(小学校4年生)の頃、同区伏見町に転居。横浜市立共進中学校を卒業後、1950年(昭和25年)、横浜市立横浜商業高等学校普通科に入学、同期には、写真家の南信一郎等がいる。 1959年(昭和34年)、結婚を機に、横浜市南区庚台(かのえだい)に転居、ついの住居とする。隣家に、演出家でアニメーターの板野一郎が小中学生時代住んでいた。生粋の横浜子(はまっこ)である。 1948年(昭和23年)、中学の国語の時間で初めて俳句を習い、「横浜の焼跡かなし夏の草」の一句稿が国語教師に激賞され、『少年新聞』の俳句欄では第一席を占めた。
高橋 悦男(たかはし えつお、1934年7月9日 - 202… 高橋 悦男(たかはし えつお、1934年7月9日 - 2024年12月11日)は、日本の俳人・元アメリカ文学者、早稲田大学名誉教授。 静岡県生まれ。早稲田大学文学部英文科卒、同大学院修士課程修了。早大助教授、社会科学部教授。2005年定年、名誉教授。1983年俳誌『海』を創刊、俳句結社海の会主宰。 2024年12月11日、病院で死去した。90歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
大橋 巨泉(おおはし きょせん、1934年〈昭和9年〉3月2… 大橋 巨泉(おおはし きょせん、1934年〈昭和9年〉3月22日 - 2016年〈平成28年〉7月12日)は、日本のテレビタレント、司会者、俳人、放送作家、政治家。この他、競馬評論家、ジャズ評論家、時事評論家としての活動も行い、馬主でもあるなど、日本のマルチタレントの先駆けとなった。実業家・芸能プロモーターとしてもオーケープロダクション(旧・大橋巨泉事務所)を創業し、取締役会長を務めたほか、一部の国で、お土産物屋「オーケーギフトショップ」を経営するオーケーギフトショップグループの取締役社長を務めた。また、政治家として参議院議員を務め、会派は民主党・新緑風会に所属した。 本名は大橋 克巳(おおはし かつみ)。
志垣 澄幸(しがき すみゆき、1934年3月14日 - )は… 志垣 澄幸(しがき すみゆき、1934年3月14日 - )は、日本の歌人。現代歌人協会会員。 台湾台北州台北市生まれ。敗戦後に引き揚げて、母の故郷である宮崎県西都市妻に移住。宮崎大学教育学部卒業後、教職に就く。宮崎県立小林高等学校、宮崎県立宮崎大宮高等学校など県内の公立中高校に勤務。退職後も私立高校に勤め、宮崎第一高等学校校長。 20代で個人誌「丸木舟」を創刊、一人で作歌していた。やがて仲間を得て同人誌に拠るが、1968年に「原型」に入会し斎藤史に師事する。1976年には発起人の一人として、伊藤一彦や浜田康敬らとともに現代短歌南の会を結成する。吉川宏志は宮崎大宮高校時代の教え子であり、京都大学に進学するにあたって永田和宏に紹介状を書いた。
米田 憲三(よねだ けんぞう、1934年(昭和9年)3月12… 米田 憲三(よねだ けんぞう、1934年(昭和9年)3月12日 - )は、日本の歌人、文学者、教育者。富山県歌人連盟名誉会長。1997年、「神苑の森厳寒」で第15回とやま文学賞を受賞。2004年、春の叙勲で瑞宝小綬章を受章。 教職の傍ら作歌を続け、越中万葉や富山県や石川県の郷土文学に関する調査研究に携わる。1962年、戦後歌壇を代表する女性歌人・齋藤史が設立した短歌結社「原型歌人会」にて、歌誌「原型富山」の創刊にかかわり、「原型歌人会」の活動に尽力。1968年に歌集『海蝕』でデビュー。代表作に歌集『ロシナンテの耳』(2004年、角川書店)、『風を抱く』(2024年、青磁社)、エッセイ集『風の落とし文』(2004年、短歌時代社)などがある。
堀内 律子(ほりうち りつこ、1934年1月1日 - )は、… 堀内 律子(ほりうち りつこ、1934年1月1日 - )は、日本の俳人。俳誌 初花の4代目主宰者。夫は俳人の堀内雄之。 広島市で生まれる。1946年、愛媛県に転居。1952年、愛媛県立松山南高等学校を卒業した。 1953年、堀内雄之(俳人)と結婚する。 2002年、「俳誌 初花」の主宰に就任した。 俳人の大本あきらの娘は、律子の生家へ嫁いでいるため大本とは親族関係となる。また大本の曽孫は、手形コレクターの清古尊に当たる。 ・ 俳句の殿堂 ~全国の俳句結社 主宰の代表100句~ 初花|萬翠荘のイベント・展示のご案内|萬翠荘(ばんすいそう)公式ホームページ
石川 不二子(いしかわ ふじこ、1933年11月22日 - … 石川 不二子(いしかわ ふじこ、1933年11月22日 - 2020年6月25日頃)は、日本の歌人。神奈川県藤沢市出身。岡山県吉備中央町在住。歌誌「心の花」選者。本名は黒井不二子。 父は東京朝日新聞の学芸部長を務めた人物。1950年に短歌結社竹柏会「心の花」に入会し、佐佐木信綱に師事。東京農工大学農学部在学中の1954年、『農業実習』にて第1回短歌研究50首詠(現在の短歌研究新人賞)に二席入選。この時の受賞者は中城ふみ子だった。 大学を卒業後、高校教師を経て島根県三瓶山麓の集団共同開拓農場に入植。1973年、岡山県に鳴滝農場を設立し、酪農業に従事する。1977年、第一歌集『牧歌』で第1回現代短歌女流賞受賞。
上田 五千石(うえだ ごせんごく、1933年10月24日 -… 上田 五千石(うえだ ごせんごく、1933年10月24日 - 1997年9月2日)は、東京都出身の俳人。秋元不死男に師事。「畦」創刊主宰。本名は明男。 東京都渋谷区代々木山谷町生まれ。法相宗東京出張所長の三男。この父は古笠(こりゅう)の号を持つ俳人で、五千石も幼少時より父と兄から俳句を教わった。幼時は代々木上原で満ち足りた幼年期を過ごすが、戦時に長野県へ疎開、その間の昭和20年(1945年)に代々木の自宅を空襲で失った。昭和21年(1946年)、静岡県富士郡岩松村(現在の富士市)に転居。昭和22年(1947年)1月に静岡県立清水中学校(現在の清水東高校)に3学期のみ編入学した後、静岡県立富士中学校(翌年静岡県立富士高等学校となる)2年に転入し、校内文芸誌「若鮎」の制作に加わる。
小松原 千里(こまつばら ちさと、1933年9月17日 - … 小松原 千里(こまつばら ちさと、1933年9月17日 - )は、日本のドイツ文学者・歌人。神戸大学名誉教授。 兵庫県武庫郡(現:西宮市)生まれ。大阪外国語大学ドイツ語科卒、1959年大阪大学大学院独文科修士課程修了。大阪工業大学助教授、神戸大学教養部助教授、神戸大学国際文化学部教授、97年名誉教授。
板垣 好樹(いたがき よしき、1933年〈昭和8年〉8月20… 板垣 好樹(いたがき よしき、1933年〈昭和8年〉8月20日 - 1993年〈平成5年〉6月26日)は、日本の俳人。群馬県伊勢崎市生まれ。本名・好昭。月刊『俳句人』編集長(1973 - 1975年)、第6回新俳句人連盟賞受賞。 1933年、群馬県伊勢崎市に生まれる。19歳で結核に罹り、国立療養所大日向荘(現在の国立病院機構西群馬病院)で療養の日々を送る。1954年、療養所で俳句を知り、翌年古沢太穂の結社「道標」に入会、同時に太穂の推薦で新俳句人連盟の会員となる。1956年に療養所を退所、印刷工となり、1962年には現代俳句協会の会員となる。1971年、新聞『赤旗』俳壇時評、翌年日曜版俳句欄選者、1973年には岩間清志の死を受けて月刊『俳句人』編集長となる。
稲葉 京子(いなば きょうこ、1933年6月1日 - 201… 稲葉 京子(いなば きょうこ、1933年6月1日 - 2016年11月19日)は、日本の歌人。歌誌「短歌」選者。 愛知県江南市生まれ。本名は大竹京子。1952年愛知県立尾北高等学校卒。小学校教師となるが、体力がなく翌年退職。童話を書くようになり、与田準一の紹介で同人誌「童話」に入会。1957年『婦人朝日』に投歌、選者の大野誠夫の薦めで「砂廊」(のち「作風」)入会。同年、「中部短歌会」にも入会。1958年銀行員と結婚。 童話を書いていた経験から、初期作品は少女の夢想のような物語性が濃い。第一歌集『ガラスの檻』は青井史に「現代のメルヘン」と評された。後年は人生の悲哀を深く見つめた作風へと変化した。
篠 弘(しの ひろし、1933年3月23日 - 2022年1… 篠 弘(しの ひろし、1933年3月23日 - 2022年12月12日)は、日本の歌人・近代短歌研究者。短歌結社「まひる野」代表。日本現代詩歌文学館館長、日本文藝家協会理事長。日本ペンクラブ会員。近現代短歌史研究に功績を残した。
馬場 駿吉(ばば しゅんきち、1932年11月25日 - )… 馬場 駿吉(ばば しゅんきち、1932年11月25日 - )は、俳人、美術評論家、医師(医学博士)。名古屋市立大学名誉教授(耳鼻咽喉科学)。 愛知県名古屋市東区に生まれる。実家は開業医。名古屋市立大学医学部を卒業後、同大学で耳鼻咽喉科の教授を務める。のち同名誉教授。名古屋市立大学病院では院長を務め、感染やアレルギーなどの生体防御反応を研究。また渡米して耳の欠損の再建技術を研究、500例におよぶ再建手術を手掛けた。 中学時代、親戚の開いていた句会を見て以来俳句に興味を持つ。俳人としては橋本鶏二に師事し、「年輪」ほかの同人として活動。第一句集『断面』までは写実的な句風であったが、第二句集『薔薇色地獄』より絢爛な幻視的作風となった。
岡田 日郎(おかだ にちお、本名:岡田 晃(おかだ ひかる)… 岡田 日郎(おかだ にちお、本名:岡田 晃(おかだ ひかる)、1932年〈昭和7年〉11月3日 - 2022年〈令和4年〉1月2日)は、日本の俳人。 東京都出身。学習院大学文学部卒。福田蓼汀の「山火」に投句、1951年(昭和26年)より「山火」の編集を担当。 1955年「山火」の同人となり、1961年に山火賞を受賞。蓼汀の没後、1990年より「山火」主宰を継承。1993年『連嶺』で第32回俳人協会賞。2014年から俳人協会顧問を務めた。 山岳俳句を多く詠み、「山の俳句歳時記」、句集「水晶」、エッセー集「雲表のわが山々」などの著書がある。2022年(令和4年)1月2日午後3時25分、誤嚥性肺炎のため埼玉県さいたま市内の病院で死去。
村岡 みどり(むらおか みどり、1932年9月13日 - 1… 村岡 みどり(むらおか みどり、1932年9月13日 - 1994年)は、日本の翻訳家・歌人。日本国際児童図書評議会会員。東京市大森区(現・東京都大田区)出身。『赤毛のアン』などの翻訳で知られる翻訳家・村岡花子の養女。東洋英和女学院高等部、青山学院大学英文学科卒業。 1932年(昭和7年)、村岡花子の次妹・梅子と書家・坂田巌の長女として誕生。奇しくも6年前に5歳で早世した、従兄にあたる花子の長男・道雄と同じ誕生日のため、奇妙な縁を感じた花子に溺愛され、後に妹夫婦の理解のもと儆三・花子夫妻の養女として引き取られた。 大学生であった1952年(昭和27年)頃、近所の子供たちが花子の蔵書から童話を借りていたことから、自宅を児童図書館として開放することを提案し、同年に「道雄文庫ライブラリー」が開館に至った。
秋村 功(あきむら いさお、1932年7月24日 - 199… 秋村 功(あきむら いさお、1932年7月24日 - 1990年7月4日)は、日本の歌人・短歌評論家、環境問題を専門とする国際公務員(元国際連合環境計画(UNEP)支援措置部長)。一橋大学商学部卒。本名崎村久夫。宮崎県宮崎市出身。 未来短歌会の同人で、我妻泰(田井安曇)の「未来手帖」のあとを継ぎ、洗練された文章を記していた。その我妻泰と歌誌『河』を編む。岡井隆が吉本隆明と定型論争を繰り広げた際は、アメリカ社会学や社会心理学の知識を授けてブレーンとなった。 1958年、「短歌散文化の性格」で第3回現代短歌評論賞受賞。 晩年は環境問題に取り組み、国際湖沼委員会などの設立に尽力した。 野村総合研究所上席研究員の崎村夏彦は長男。
大野 雑草子(おおの ざっそうし、1932年6月13日 - … 大野 雑草子(おおの ざっそうし、1932年6月13日 - )は、俳人、陶芸評論家。 愛知県出身。本名・幸雄。筆名・秋山峻。南山大学社会学部卒。学生時代より俳句に親しみ、国松ゆたか・高浜年尾・稲畑汀子に師事し「ホトトギス」に所属。加藤唐九郎、十三代今泉今右衛門の知遇を得て日本陶芸史を研究した。芸術文化交流の会理事、西武文理大学客員教授などを歴任。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
伊藤 文學(いとう ぶんがく、英: Bungaku Ito,… 伊藤 文學(いとう ぶんがく、英: Bungaku Ito, 1932年3月19日 - )は、日本の実業家、雑誌編集者、作家、歌人。 日本初の商業ベースの同性愛雑誌『薔薇族』創刊者・編集長。第二書房代表取締役社長、ロマンの泉美術館館長。 男性同性愛者のためのゲイ雑誌刊行により、全国の書店に置くことで「同性愛者の存在を可視化」させ、社会的少数者は「自分だけではない」と明確に分かるようになる。雑誌の投稿欄、読者座談会やカフェ開業など交流の場を設け、コミュニティ作りに尽力。「薔薇族」「百合族」を命名。『薔薇族』編集長を40年間務めた。 東京府に生まれる。荏原小学校代沢分教場(世田谷区立代沢小学校)、世田谷中学校・高等学校を経て、駒澤大学文学部国文科を卒業。
鍵和田 秞子(かぎわだ ゆうこ、1932年(昭和7年)2月2… 鍵和田 秞子(かぎわだ ゆうこ、1932年(昭和7年)2月21日 - 2020年(令和2年)6月11日)は、神奈川県出身の俳人。 秦野生まれ。神奈川県立平塚高等女学校(現・神奈川県立平塚江南高等学校)を経て、1954年にお茶の水女子大学国文学科を卒業。大学在学中、井本農一のもとで俳文学を学ぶとともに、村山古郷の「たちばな」に入会し句作を開始。大学卒業後は教師として勤める。また金尾梅の門の「季節」に入会。1963年、中村草田男主宰の「萬緑」に入会。のち萬緑新人賞、萬緑賞を受賞。1977年、第一句集『未来図』により第1回俳人協会新人賞を受賞。この年に教師を辞す。1984年、草田男の死を経て「未来図」を創刊・主宰。
吉岡 桂六(よしおか けいろく、1932年1月26日- )は… 吉岡 桂六(よしおか けいろく、1932年1月26日- )は、俳人、マレーシア文学者。 本名・一彦。東京生まれ。1954年東京大学工学部卒業。1982年原子燃料開発の職を辞し、日本語教師となり、マレーシア科学大学に赴任。1986年帰国後、アメリカ・カナダ大学連合日本研究センター講師。1990年「林」入会、92年「林」同人、2月小林康治主宰死去により廃刊、「たかんな」創刊同人。1993年「古志」創刊に参加、同人。2006年「たかんな」「古志」退会。2007年「かつしか」創刊・主宰。俳人協会会員。1989『パントン―マレー民衆の唄』(一彦名義)で日本翻訳文化賞 (平松)受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
川村 ハツエ(かわむら ハツエ、1931年11月24日 - … 川村 ハツエ(かわむら ハツエ、1931年11月24日 - 2012年2月11日)は、日本の歌人、翻訳家。 茨城県大宮町(現常陸大宮市)生まれ。茨城大学文理学部英文科卒。 英語教諭を経て1970年「茨城歌人」に入会。1980年「かりん」に入会、馬場あき子に師事。埼玉純真女子短期大学、戸板女子短期大学、流通経済大学講師などをしながら歌作を行った。 また英語による日本文学研究の翻訳や短歌の国際化活動にも携わり、日本歌人クラブ発行の英語短歌誌「TANKA JOURNAL」の編集長を務めた。歌集『孔雀青』で茨城新聞社賞、日本歌人クラブ北関東ブロック優良歌集賞受賞。著書『TANKAの魅力』で日本英学史学会豊田実賞、茨城文学賞受賞。
豊長みのる(とよなが みのる、1931年10月28日- )は… 豊長みのる(とよなが みのる、1931年10月28日- )は、日本の俳人。 神戸生れ。本名・稔。兵庫県立尼崎工業高等学校卒。山口草堂に師事、1966年「南風」新人賞受賞。南風編集同人。1986年1月「風樹」創刊主宰。日本詩歌句協会会長、現代俳句協会理事、関西現代俳句協会副会長、大阪俳人クラブ常任理事、日本ペンクラブ会員、日本現代詩歌文学館振興会評議員、「俳句四季」四季吟詠選者、朝日カルチャーサロン俳句講師ほか。