三遊亭 丈助(さんゆうてい じょうすけ、1962年1月15日… 三遊亭 丈助(さんゆうてい じょうすけ、1962年1月15日 - )は、落語協会所属の落語家。本名∶浅野 成司。秋田県男鹿市出身。 1980年秋田県立男鹿高等学校卒業。1982年東京デザイナー学院アニメーション科卒業。テレビ局の大道具係、ダイビングインストラクター、印刷関連会社勤務などを経て2004年、42才で初代三遊亭圓丈に入門。。2005年4月、前座となる、前座名は「たん丈」。 2008年11月11日、二ツ目昇進。 2020年3月下席より春風亭一左、三遊亭志う歌、六代目玉屋柳勢、三遊亭歌扇と共に真打昇進、「丈助」に改名した。 なまはげを題材にしたオリジナルの小噺を得意とする。 落語協会の入門制限規約を作った当事者である。
四代目 柳亭 市馬(りゅうてい いちば、1961年12月6日… 四代目 柳亭 市馬(りゅうてい いちば、1961年12月6日 - )は、落語協会所属の落語家、同協会顧問・第11代会長(在職:2014年 - 2024年)、歌手。本名∶右藤 泰幸。大分県豊後大野市緒方町出身。出囃子は「吾妻八景」。紋は「丸に花菱」。 1980年3月、大分県立竹田高等学校卒業後五代目柳家小さんに入門。前座名「小幸」。初高座は、1981年4月1日、池袋演芸場において、「道灌」であった。 1984年5月に春風亭勢朝と共に二ツ目昇進、「柳家さん好」と改名。 1993年9月に古今亭菊寿、入船亭扇海、柳家喜多八、三遊亭若圓歌、柳家さん生、三代目入船亭扇蔵、柳家はん治、全亭武生、古今亭志ん上と共に真打昇進。
三遊亭 好太郎(さんゆうてい こうたろう、1961年10月2… 三遊亭 好太郎(さんゆうてい こうたろう、1961年10月24日 - )は、円楽一門会所属の落語家。熊本県出身。熊本県立大津産業高等学校(現:熊本県立翔陽高等学校)出身。本名は村上 浩文(むらかみ ひろふみ)。出囃子は『走れコウタロー』。
3代目 桂 小南(かつら こなん、1961年10月20日 -… 3代目 桂 小南(かつら こなん、1961年10月20日 - )は、埼玉県春日部市出身の落語家。本名∶山崎 徳美。落語芸術協会理事。出囃子は『野崎』。父は紙切師の2代目林家正楽、弟は同じく紙切師の林家二楽。 弟で紙切り芸人の林家二楽によると、2代目林家正楽の長男である小南は、元々は紙切り芸人の跡継ぎとしてその技を教わっていた。また、正楽の指示で寄席の空気感に慣れるために、幼い頃から寄席に出入りしていた。ところが、寄席に出入りするうちに落語に傾倒するようになり、父の期待とは裏腹に落語家を目指すようになった。 1980年4月、2代目桂小南に入門。前座名は南らく。1984年8月、二ツ目に昇進し南楽に改名。
三遊亭 道楽(さんゆうてい どうらく、1961年10月19日… 三遊亭 道楽(さんゆうてい どうらく、1961年10月19日 - )は、北海道釧路市出身の落語家。五代目円楽一門会所属。本名∶斎藤 稔哉。出囃子は『のっと』。 北海道釧路北陽高等学校を経て、1980年に北海道教育大学釧路分校(現・北海道教育大学釧路校)小学校教員養成課程に入学した。 1983年3月、五代目三遊亭圓楽に入門、命名「道楽」で初高座。北海道生まれのため「道楽」と名付けられたか、一門などによく「道楽好き」だからそう名付けられたとネタにされる。 1986年10月に二ツ目昇進。 1991年10月、三遊亭栄楽と共に真打に昇進した。
三遊亭 五九楽(さんゆうてい ごくらく、1961年7月20日… 三遊亭 五九楽(さんゆうてい ごくらく、1961年7月20日 - )は、埼玉県越谷市出身の落語家、五代目円楽一門会所属。本名∶藤原 亮。出囃子は『清正の虎退治』。 父は警察官(警視庁警視)だった。春日部市立谷原中学校では、落語研究部に所属。1979年3月に埼玉県立越ヶ谷高等学校を卒業した。 1981年10月、五代目三遊亭圓楽に入門。入門後は三遊亭楽太郎付きとなり、実質的に楽太郎一門の教育係として総領弟子のポジションを担っていた。『ちょび安』の名で初高座。 1984年10月、二ツ目に昇進。昭和59年に昇進したということで「五九楽」に改名した。 1992年3月に真打に昇進する。 入門の際、父から猛反対を受け、説得するのに2年かかった。
5代目 桂 慶枝(かつら けいし、1961年6月26日 - … 5代目 桂 慶枝(かつら けいし、1961年6月26日 - )は、滋賀県草津市出身の上方落語の落語家。本名∶竹田 俊英。吉本興業所属。上方落語協会会員。 京都学園大学経済学部卒業後、1984年3月に桂三枝(現:6代桂文枝)に7番弟子として入門。高座名は、落語界の新しい風に、という願いを込めて桂三風と名付けられた。[要出典] 2001年ころより、客席と高座が一体になって噺を運ぶ、独自のスタイルを考案。これを「客席参加型落語」(後述)として、商標を登録した。[要出典] なんばグランド花月などの吉本の劇場や天満天神繁昌亭などに出演し、創作落語やショート落語などを演じる[要出典]。 2024年1月31日、同年秋より桂枝光改メ4代目桂梅枝とともに、自身は5代目桂慶枝を襲名することを発表した。
桂 福車(かつら ふくしゃ、1961年4月26日 - 201… 桂 福車(かつら ふくしゃ、1961年4月26日 - 2018年2月1日)は大阪市東成区出身の落語家。本名∶大津 康裕。生前は松竹芸能所属。 大阪府立清水谷高等学校卒業後、郵便局へ勤務。郵便局に勤務したまま、1983年11月1日に桂福團治(4代目)に入門(のちに郵便局を退職)。 社会派として教育問題や人権問題などにも取り組んでいた。高校時代は落語研究会に所属していた。 2018年2月1日午前、大阪市内で死去。56歳没。
笑福亭 伯枝(しょうふくてい はくし、本名:白江 修、196… 笑福亭 伯枝(しょうふくてい はくし、本名:白江 修、1961年4月22日 - )は大阪市旭区清水出身在住の落語家。出囃子は『白妙』。松竹芸能所属。既婚、子あり。 実家はペンキ屋で、父は塗装業。19歳の時から付き合い始めた、伯枝にとって初めての人である妻と結婚。恋愛経験は中学校の時に付き合った女性と妻の2人。 1982年10月1日に6代目笑福亭松鶴に入門。 1986年、第7回ABCお笑い新人グランプリ新人賞を受賞。 2008年9月22日から1週間ママチャリのみで滋賀県の琵琶湖を1周しながら各地で落語会を開いた。 2019年2月19日、人生初の手術。以降、禁酒、禁チョコ、禁アイス。後に、進行性直腸癌ステージⅢを公表。
桂 勢朝(かつら せいちょう、1961年3月5日 - )は三… 桂 勢朝(かつら せいちょう、1961年3月5日 - )は三重県伊勢市出身の落語家。本名は中島 勝。米朝事務所→MC企画所属。上方落語協会会員。 皇學館高等学校卒業後、1979年3月3日に3代目桂米朝に入門した。高座名は出身地に由来する[要出典]。米朝に入門した当時、内弟子として修業していたのは桂米二と、米朝の子息である桂小米朝(現・5代目桂米團治)だった。米團治によると、米二が年季明けした後に、米二から受けた注意を勢朝にすると「そりゃ兄さんと僕とは、立場が違いますもん」と言われるなど、もめたという。その後は一番気の許せる相手になったとも述べている。米朝事務所に残らず個人で仕事をする道を選び、米團治は「我々の見えない苦労をしています」と紹介した。
7代目 笑福亭 松喬(しょうふくてい しょきょう、1961年… 7代目 笑福亭 松喬(しょうふくてい しょきょう、1961年3月4日 - )は、日本の落語家。所属事務所は松竹芸能。本名は井田 達夫。血液型はA型。 兵庫県西宮市上ヶ原出身。西宮の病院で生まれる。小学校4年生まで尼崎市杭瀬で育つ。母方の祖父(警察官)は落語好きで『たらちね (落語)』を語っていたといい、母は文楽が好きだった。そんな縁で自身も幼少から落語に興味を持つ。初めて聴いた落語は中学2年の時に深夜ラジオから流れていた『初天神』(演者の記憶はないが3代目笑福亭仁鶴か4代目桂文團治)であった。 兵庫県立西宮高等学校在学中から落語家を目指したが親に反対され、高校の英語教員から「私の教え子に駆け出しの落語家さんがいるから苦労話を聞かせてもらおう」と紹介され、その落語家に学校まで来てもらい、差し向かいで話を聞いたことがある。
笑福亭 岐代松(しょうふくてい きよまつ、1961年1月1日… 笑福亭 岐代松(しょうふくてい きよまつ、1961年1月1日 - )は、大阪府門真市出身の落語家。本名は橋尾 一岐代(はしお かずきよ)。出囃子は『どて福』。 枚方市立第一中学校 部活動は水泳部。 大阪府立淀川工業高等学校(現在の大阪府立淀川工科高等学校)部活動は吹奏楽で全国大会出場の経験がある。卒業後、1982年6月1日に6代目笑福亭松鶴に入門。所属事務所は松竹芸能。上方落語協会会員。 落語家で結成するバンド「ヒロポンズ・ハイ」及び 噺家ディキシーランドジャズバンド「ホーンなあほな」のドラマーでもある。 2025年10月、阿波踊り「噺家連」 にてアメリカ南ネバダ大学・ラスベガス公演出演。 2025年11月、 噺家ディキシーランドジャズバンド「ホーンなあほな」 にてCDデビュー。
桂 九雀(かつら くじゃく、1960年12月2日 - )は広… 桂 九雀(かつら くじゃく、1960年12月2日 - )は広島県広島市出身の落語家。本名は室屋 聖。上方落語協会会員(1994年脱会。2008年12月復帰)。 幼少のわずかの期間を生まれた広島で過ごした。名古屋市立有松小学校(緑区)卒業後、大阪府箕面市へ転居。中学(箕面市立第三中学校)以降は大阪在住で、大阪府立箕面高等学校を卒業。 1979年3月1日に2代目桂枝雀に入門。同年6月4日の「雀の会」での「東の旅発端~煮売屋」にて初舞台。 1984年4月 - 1985年2月、大阪市北区の太融寺にて「九雀パフォーマンス」という自身の落語会を6回開催。 1990年頃、大阪梅田の映画館「シネマヴェリテ」にて「九雀のらくごヴェリテ」という21:30スタートのレイトショーを不定期に開催。
二代 立花家 橘之助(たちばなや きつのすけ、1960年11… 二代 立花家 橘之助(たちばなや きつのすけ、1960年11月3日 - )は、東京都台東区浅草出身、落語協会所属の三味線漫談家。本名∶茂木 康子。 自称「日本(=世界)に2人しかいない女流三味線漫談家」。花柳流日本舞踊の名取りでもあり、芸名は花柳 鳳千佐。母は長唄の杵屋志津和。 和洋女子短期大学卒業のち女優を志す。1979年に三代目三遊亭圓歌にスカウトされ、翌年の3月に圓歌に正式入門。6月に国立演芸場で初高座。高座名は三遊亭あす歌で、演目は「三味線漫談(7分)」。 1992年、初代三遊亭小円歌を襲名。戦後の色物では初のこと。なお、このとき当時の落語協会会長であった五代目柳家小さんから「立花家橘之助」襲名の話が持ちかけられたこともあったが、当時は30代と若かったこともあり、襲名の話は実現しなかった。
三遊亭 小円歌(さんゆうてい こえんか、本名:茂木康子、19… 三遊亭 小円歌(さんゆうてい こえんか、本名:茂木康子、1960年11月3日 - )は、東京都台東区浅草出身、落語協会所属の三味線漫談家。
古今亭 菊輔(ここんてい きくすけ、1960年11月2日 -… 古今亭 菊輔(ここんてい きくすけ、1960年11月2日 - )は、落語協会に所属する落語家。本名∶篠崎 英範。出囃子は『だんじり』。 1979年、千葉県立成東高等学校卒業後、二代目古今亭圓菊に入門。前座名は古今亭菊坊。 1983年に二ツ目昇進、古今亭菊正と改名。 1995年に柳家小三太、三遊亭圓王、橘家富蔵、三遊亭吉窓、初音家左橋、天乃家白馬、柳家一九、林家うん平、桂扇生と共に真打昇進、菊輔に改名。千葉市出身の初の真打となった。 2013年より脳幹出血のため活動休止、左半身まひとなる。2025年12月に開催の円菊一門会のチラシの「ご挨拶」に、倒れて以来の経緯と高座復帰を願う思いが菊輔本人の文章として掲載された。
七代目 月亭 文都(つきてい ぶんと、1960年9月12日 … 七代目 月亭 文都(つきてい ぶんと、1960年9月12日 - )は上方噺家。出囃子は「楠公」(替えは「おかめ」)。吉本興業所属。血液型はB型。本名は宮田 健司。月亭文都の当代であり、初名は「月亭八天」。 大阪府大阪市中央区出身。子供のころに初めて買った笑福亭仁鶴のレコード「仁鶴古典独演会」を聴いて落語に興味持ち、小学校の卒業文集には「将来の夢」と題して落語家になることを宣言している。しかし、高校時代から音楽に傾倒し作詞作曲をはじめる。オリジナル曲の総数約300曲。大学時代は大阪ミナミのライブハウスやキタのパブで弾き語りをしながら音楽アーティストを夢見る。そのときに気のない客がいたため、子どものころ聴いた落語や小咄をMCに挟んでみたところ振り向いてもらえるようになったことから、徐々に子どものころ憧れていた落語家を志すようになる。
桂 坊枝(かつら ぼうし、1960年8月28日 - )は大阪… 桂 坊枝(かつら ぼうし、1960年8月28日 - )は大阪市旭区高殿出身の落語家。本名は中尾 正人(なかお まさと)。出囃子は『鯉』。
4代目 桂 文我(かつら ぶんが、1960年8月15日 - … 4代目 桂 文我(かつら ぶんが、1960年8月15日 - )は三重県松阪市出身の落語家。本名は大東 幸浩。出囃子は「せり」。 松阪市立中部中学校から落語が好きで学校に落語の部活がなかったので教師に頼んで部活を創設するほどであった。その後三重県立松阪工業高等学校でも部活を立ち上げる、卒業後、1979年(昭和54年)3月2代目桂枝雀に入門。同年7月、茨木市での「雀の会」にて桂雀司として初舞台。1995年(平成7年)、4代目桂文我を襲名。現在では東名阪を中心に、全国各地で年間約300回の落語会を開催。また自らの幼少時に落語や浪曲に触れた経験から、とくに1992年(平成4年)ころより、子供を対象にした落語会も多数開いている。
笑福亭 鶴笑(しょうふくてい かくしょう、1960年5月2日… 笑福亭 鶴笑(しょうふくてい かくしょう、1960年5月2日 - )は、兵庫県朝来郡山東町(現在の朝来市)出身の上方の落語家・上方噺家。所属事務所は吉本興業。本名・金田 久和。出囃子『ハリスの旋風』。 パペット落語の創始者。主なネタには「立体西遊記」「スーパー西遊記」「時ゴジラ」「あたま山」「義経千本桜」等がある。何本もテレビやラジオのレギュラーを持っていたが全て辞めて、世界で通用する芸を目指して海外に移住(シンガポールに4年、ロンドンに4年)。ロンドンに住んでいた頃、コベントガーデンで大道芸もしていた。世界48ヵ国、150都市以上で公演。言葉の壁を超えて、就学前の子どもたちからお年寄りまで爆笑させる唯一無二の落語家。
笑福亭 晃瓶(しょうふくてい こうへい、1960年3月24日… 笑福亭 晃瓶(しょうふくてい こうへい、1960年3月24日 - )は落語家。松竹芸能所属。
六代目 立川 文都(たてかわ ぶんと、1960年1月31日 … 六代目 立川 文都(たてかわ ぶんと、1960年1月31日 - 2009年10月29日)は落語家。大阪府大阪市出身。本名∶国府 秀剛。落語立川流所属。出囃子は『せり』。 大阪学院大学外国語学部卒業後の1984年2月、七代目立川談志に入門。関西出身なので「立川関西」と名乗る。 1988年3月、二ツ目昇進して「談坊」と改名。 1998年10月、真打昇進し「六代目立川文都」を襲名。 2009年7月、公式ブログで癌であることを公表したが、10月29日に胃癌のため死去。49歳。 11月5日に千葉県習志野市で開かれた「習志野寄席」は急きょ文都を送る会になり、初めて直弟子を失った師匠の談志もかけつけて高座を務めた。
三遊亭 窓里(さんゆうてい そうり、本名:小林 薫(こばやし… 三遊亭 窓里(さんゆうてい そうり、本名:小林 薫(こばやし かおる)、1959年12月23日 - )は、落語家、政治家。川越市議会議員。落語協会所属。埼玉県川越市出身。埼玉県立志木高等学校卒業。
林家 うん平(はやしや うんぺい、1959年12月20日 -… 林家 うん平(はやしや うんぺい、1959年12月20日 - )は、落語協会に所属する落語家。本名∶佐取 康久。 声優・ナレータープロダクションのアクセントにも所属している。 1959年、東京都八王子市生まれ。東京都立忠生高等学校卒業。 1979年9月、林家こん平に入門、一番弟子となる。大師匠に当たる初代三平が存命時に、こん平に弟子入りした唯一の弟子。1980年12月に楽屋入り。前座名「うん平」。 1983年4月に二ツ目昇進。 1995年3月に柳家小三太、三遊亭圓王、橘家富蔵、三遊亭吉窓、初音家左橋、古今亭菊輔、金原亭生駒、柳家一九、桂扇生とともに真打昇進。 師匠のこん平が監督・発起人を務めていた、らくご卓球クラブの会員でもある。
三遊亭 栄楽(さんゆうてい えいらく、1959年12月16日… 三遊亭 栄楽(さんゆうてい えいらく、1959年12月16日 - )は、福岡県嘉麻市出身の落語家。五代目円楽一門会所属。出囃子は『勧進帳』。本名:川上 昭光。 1984年(昭和59年)3月、皇學館大学文学部国文学科卒業。神職の資格を持つ。2007年(平成19年)より同大学非常勤講師として、「伝統の心と技7≪江戸の芸能史≫」を担当している。 円楽一門会の落語会である両国寄席の他、乃木坂落語会、世田谷落語会、大島落語会などの独演会に出演する。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。
月亭 ハッチ(つきてい ハッチ、1959年9月9日 - )は… 月亭 ハッチ(つきてい ハッチ、1959年9月9日 - )は、大阪府堺市出身の上方落語家。本名は谷口裕司。上方落語協会会員。 大阪府立泉北高等学校出身。高校時代は初め書道部に所属していたが、名ビラ書きを期待されて連れていかれた寄席研究会で落語にはまる。その後、先輩に誘われて大阪芸術大学に入学するも中退。大学在学中の1978年8月21日、月亭可朝に入門。ケーエープロダクションでアルバイトをしていた所、関係者になんば花月に連れていかれて可朝に引き合わされ、そのまま弟子入りになったという。芸名はアニメ『昆虫物語 みなしごハッチ』の主人公・ハッチにちなむ。 入門してからは古典落語を主に演じているが、特に「夢八」を得意とし、師匠・可朝から多く稽古を付けてもらっている。
4代目 桂 梅枝(かつら ばいし、1959年6月21日 - … 4代目 桂 梅枝(かつら ばいし、1959年6月21日 - )は、上方落語の落語家。大阪府大阪市城東区出身。吉本興業所属、上方落語協会会員( - 2025年3月)。本名∶小出 良司。出囃子は『猩々』。 関西大倉高等学校出身で、兄弟子の桂枝女太は高校の先輩である。 1978年10月11日、3代目桂小文枝(後の5代目桂文枝)に11番弟子として[要出典]入門。入門は枝女太が小文枝のもとに連れてきたという。 1980年代に『MBSヤングタウン』(土曜日)、『プロポーズ大作戦』、『ヤングおー!おー!』、『ノンストップゲーム』などに出演[要出典]。関西で人気を獲得する。 1991年、喘息の子供の転地療養のために北海道札幌市へ移住。
四代目 三遊亭 圓歌(さんゆうてい えんか、1959年〈昭和… 四代目 三遊亭 圓歌(さんゆうてい えんか、1959年〈昭和34年〉4月8日 - )は、落語家。本名∶野間 賢。落語協会所属。故郷の鹿児島弁の落語で注目を集めている。出囃子は『二ツ巴』。名跡「三遊亭圓歌」の当代であり、前名は三遊亭歌之介。 鹿児島県肝属郡錦江町(旧:大根占町)出身。末っ子で、兄と姉がいる。 小学校1年生の頃、京都に住んでいた際に両親が離婚し、母・ノキ子に連れられて兄、姉と共に夜行列車を乗り継いで鹿児島県に帰った。 帰郷後、ノキ子は家計を支えるために近所のラーメン屋で働いたが、「賢(圓歌)にラーメンを食べさせてあげる」と老女将の好意で御馳走になった際、「早う食もらんと(麺が)伸びるよ?」と問われた圓歌がおずおずと「このラーメン代、母ちゃんの給料から…引く?」と問い返したのにいたたまれなくなり、大根占に住む母(圓歌曰く「大根占の婆っばん」)に頼んで3人を預かってもらった上で自身は大阪の紡績工場に出稼ぎに行った。
三遊亭 歌之介(さんゆうてい うたのすけ、1959年4月8日… 三遊亭 歌之介(さんゆうてい うたのすけ、1959年4月8日 - )は、日本の落語家。本名、野間 賢(のま さとし)。落語協会所属。故郷の鹿児島弁の落語で注目を集めている。出囃子は『われは海の子』。
いなせ家 半七(いなせや はんしち、1959年3月13日 -… いなせ家 半七(いなせや はんしち、1959年3月13日 - 2023年5月11日)は、大阪府大阪市阿倍野区出身の落語家。落語協会所属。本名:国本 貴久。出囃子は『昼飯』。 山口県熊毛郡大和町(現在山口県光市岩田)で育ち、山口県立徳山高等学校卒、成蹊大学法学部政治学科中退後の1980年5月、五代目春風亭柳朝に入門。翌年11月に前座になる。高座名は朝吉。 1985年3月、二ツ目に昇進、茶々丸に改める。1991年2月、師匠柳朝が亡くなり、兄弟子春風亭勢朝と共に兄弟子春風亭小朝門下に移籍する。 1996年3月に春風亭勢朝、三遊亭窓里、林家とんでん平、柳家さん福、橘家蔵之助、柳家福治、三遊亭らん丈、橘家仲蔵と共に真打昇進し、合わせていなせ家半七に改めた。
三遊亭 らん丈(さんゆうてい らんじょう、1959年2月28… 三遊亭 らん丈(さんゆうてい らんじょう、1959年2月28日 - )は、日本の落語家、政治家。町田市議会議員(6期)。本名は塩原 明(しおばら あきら)。落語協会所属。出囃子は『鳩ぽっぽ』、紋は「三ツ組橘」。 東京都町田市森野に生まれる。東京都立町田高等学校を経て、1981年3月に立教大学文学部キリスト教学科を卒業した(神学士)。 高座では三省堂の『新明解国語辞典』や蔭山英男の漢字ドリルを読み上げる新作を口演することが多い。 クリスチャン落語家でもあり、1997年の復活祭にカトリック浅草教会にて受洗(洗礼名はイサク・パウロ)。 社会人大学生として、下記の大学及び大学院を卒業・修了している。 2006年2月、町田市議会議員に当選。
七代目 柳亭 燕路(りゅうてい えんじ、1959年2月27日… 七代目 柳亭 燕路(りゅうてい えんじ、1959年2月27日 - )は、福岡県小倉市(現:北九州市小倉北区)出身の落語家。落語協会所属。本名:浅間 聖史。 福岡県立小倉高等学校、早稲田大学教育学部卒業後、1982年1月、十代目柳家小三治に入門。前座名「九治」を名乗る。 1987年5月に橘家豊蔵、春風亭あさりと共に二ツ目に昇進。1994年に北とぴあ若手落語家競演会・北とぴあ大賞を、1995年に国立演芸場花形演芸会金賞を受賞。 1997年9月に七代目古今亭志ん馬と共に真打昇進し、七代目柳亭燕路を襲名。北九州市民文化賞奨励賞を受賞した。1999年に林家彦六賞を受賞。 乗馬ライセンス(日本馬術連盟B級認定)、高校・中学社会科教員免許所持。
柳家 亀太郎(やなぎや かめたろう、1959年1月8日 - … 柳家 亀太郎(やなぎや かめたろう、1959年1月8日 - )は、落語協会に所属する三味線漫談家。本名∶町田 時久。 1977年2月、父である三代目柳家亀松に入門。3月に城西大学附属城西高等学校を卒業。 1978年9月、師匠と共に初高座。1988年3月よりひとり高座になる。
水野 晶子(みずの あきこ、1958年12月18日 - )は… 水野 晶子(みずの あきこ、1958年12月18日 - )は、日本のフリーアナウンサー・アマチュアの落語家。 1981年から1991年3月31日までは、大阪テレビタレントビューローに所属しながら、毎日放送(MBS)との間でアナウンサーとしての専属契約を締結。1991年4月1日付でMBSに正社員で入社してからは、2018年12月31日に定年で退職するまで、アナウンサーとして勤務していた。 大阪府生まれの滋賀県育ち(草津市出身)で、滋賀県立膳所高等学校から神戸市外国語大学へ進学した。大学卒業後の1981年4月に、大阪テレビタレントビューローと契約。MBS専属のアナウンサーとして同局の番組へ出演した後に、1991年4月に専門職(アナウンサー、後に一般職)の社員として入社した。
三遊亭 真楽(さんゆうてい しんらく、1958年10月31日… 三遊亭 真楽(さんゆうてい しんらく、1958年10月31日 - )は、五代目圓楽一門会に所属する落語家。 獨協大学外国語学部卒業。大学卒業後、フリーターから未来劇場の劇団員を1年半ほど務めたのち、落語家への夢をあきらめきれずに里吉しげみの許可を得た上で退団。 1985年、五代目三遊亭圓楽に入門、前座名「真楽」。 1989年、二ツ目昇進。 1992年に三遊亭好太郎、三遊亭楽松、三遊亭竜楽、三遊亭良楽、三遊亭愛楽、三遊亭京楽と共に真打昇進。 趣味は、映画鑑賞とマッサージ。 リラクゼーションアドバイザー、笑い療法師、生活改善アドバイザーの資格を所持している。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。
三遊亭 佑行(さんゆうてい ゆうこう 、1958年10月21… 三遊亭 佑行(さんゆうてい ゆうこう 、1958年10月21日 - )は、五代目円楽一門会所属の落語家を経て現在はフリー。千葉県我孫子市出身。本名∶山﨑 博司。出囃子∶「さいこどんどん」、定紋∶三ツ組橘。 2024年の時点で円楽一門会のサイトに名前はあったが、一旦、東京かわら版『東都寄席演芸家名鑑2』(2023年発行)ではプロフィール・系図に掲載されなくなり、リニューアルされた円楽一門会のサイトには記載されていない。その後2026年に刊行された『東西寄席演芸家名鑑3』では、フリーの落語家としてプロフィールおよび系図(五代目円楽門下としてフリーの但し書きあり)に再掲載された。同名鑑プロフィールにおいては「全国の公演活動」がメインで落語は「余芸」と記載されている。
三遊亭 竜楽(さんゆうてい りゅうらく、1958年9月12日… 三遊亭 竜楽(さんゆうてい りゅうらく、1958年9月12日 - )は、群馬県前橋市出身の落語家。本名∶柳井 淳嘉。五代目円楽一門会所属。出囃子は『佃』。 中央大学法学部卒業後、故五代目円楽一門会の門をたたく。落語三遊派の正統的話芸を学び全国各地で独演会を開く一方、大学や講演会講師、ラジオの台本作家、エッセイ・コラム執筆など様々な分野に取り組む。 1986年(昭和61年)1月、三遊亭圓楽 (5代目)に入門。1989年(平成元年)3月、二つ目に昇進。1992年(平成4年)10月、真打ちに昇進。 2008年、フィレンツェのフェスティバルジャポネーゼ(フィレンツェの日伊交流協会LILACが1999年より開催する日本祭り)に出演した際、字幕の予算が無かったためイタリア語を丸暗記して口演を行ったが、会場では好評を博した。
笑福亭 仁勇(しょうふくてい にゆう、1958年9月4日 -… 笑福亭 仁勇(しょうふくてい にゆう、1958年9月4日 - 2017年12月16日)は、大阪市出身の落語家。本名は山澤 健二(やまさわ けんじ)。所属事務所はよしもとクリエイティブ・エージェンシー。上方落語協会会員。 大阪府立桜塚高等学校卒業式の(正式卒業は18年後)後、1977年4月1日に3代目笑福亭仁鶴に入門。 翌1978年、うめだ花月で初舞台。 笑福亭仁智、笑福亭仁福、松旭斎小天正とのコントグループ「大阪パイレーツ」メンバー。 阿波踊り「はなしか連」”中間管理職”。 彦八まつりでは第一回から実行委員を務め、上方落語協会広報誌「んなあほな」の名付け親でもある。 2015年には【大阪W選】の立候補者(柳本顕・栗原貴子)の演説の司会を務め、多くの聴衆を魅了した。
三遊亭 洋楽(さんゆうてい ようらく、1958年6月24日 … 三遊亭 洋楽(さんゆうてい ようらく、1958年6月24日 - 2017年12月28日)は、日本の落語家、政治家。円楽一門会所属。函館市議会議員(1期)。 北海道函館市生まれ。北海道北斗市育ち。北海道函館西高等学校で2年間学び転校、札幌大学経済学部卒業。
笑福亭 仁嬌(しょうふくてい にきょう、1958年4月22日… 笑福亭 仁嬌(しょうふくてい にきょう、1958年4月22日 - )は京都府出身の落語家。本名は岡塚 明(おかつか あきら)。所属事務所は よしもとクリエイティブ・エージェンシー。出囃子は『ぼんちかわいや』。京都市立洛陽工業高等学校卒業。 1977年4月に笑福亭仁鶴に入門。
七代目 古今亭 志ん馬(ここんてい しんば、1958年〈昭和… 七代目 古今亭 志ん馬(ここんてい しんば、1958年〈昭和33年〉3月3日 - 2013年〈平成25年〉10月7日)は、東京都板橋区出身の落語家。本名∶吉野 惠一。落語協会所属。出囃子は『芸者ワルツ』。 日本大学を中退して1981年4月に六代目古今亭志ん馬に入門、前座名は「古今亭志ん吉」。 1985年9月に二ツ目昇進、「志ん次」と改名。 1994年8月に師匠六代目古今亭志ん馬が死去したため三代目古今亭志ん朝門下に移る。 1996年にNHK新人演芸大賞落語部門大賞受賞。演題は「宮戸川」。 1997年9月に七代目柳亭燕路と共に真打昇進し、七代目古今亭志ん馬を襲名。 2013年10月7日、胃がんのため東京都台東区の病院で死去。
桂 三馬枝(かつら さんばし、1958年1月15日 - )は… 桂 三馬枝(かつら さんばし、1958年1月15日 - )は、落語家(上方噺家)。本名∶大森 成二。出囃子は『必殺』。 奈良県宇陀郡出身。奈良県立大宇陀高等学校卒業。1978年4月に6代桂文枝に弟子入り。 2026年1月、上方落語協会を退会した。
桂 三歩(かつら さんぽ、1958年1月15日 - )は和歌… 桂 三歩(かつら さんぽ、1958年1月15日 - )は和歌山県田辺市出身の落語家。本名は大炭 康行(おおすみ やすゆき)。吉本興業所属。上方落語協会会員。愛称は「ぽっくん」。大阪府豊中市在住。 実家は質屋を営んでいた。田辺市立田辺第一小学校、田辺市立高雄中学校、和歌山県立田辺高等学校出身。高校時代はテニス部に所属し、2年B組のクラスメイトにはスポーツアナの楠淳生がいた。 関西大学社会学部在学中、ABCテレビの『ラブアタック!』などに出演し、ゲームでみかんを口にキャッチした時に前歯を強打し折れてしまったと言う逸話がある。かつては差し歯で高座中によく前歯を飛ばしていた、2016年8月現在前歯がない状態。
金原亭 世之介(きんげんてい よのすけ、1957年12月29… 金原亭 世之介(きんげんてい よのすけ、1957年12月29日 - )は、東京都清瀬市出身の落語家。落語協会所属。所属事務所は桃花舎 →ソルトアース→キングプロダクション。本名∶兒玉 亜津志。出囃子は『吉原雀(文のたより)』。 日本舞踊浅茅流の名取り「浅茅 与志寿朗」の名を持つ。俳人としては「かいぶつ句会」所属、俳号は「皀角子」。大正大学客員教授。 父はクラシック音楽の作曲家、兒玉四郎。最初は高校卒業後は医師になりたいと防衛医科大学校を受験するも不合格となり、その後進路を落語家に転換した。 東京都立清瀬高等学校を1976年4月卒業後、十代目金原亭馬生に入門、前座名は「駒平」。 1980年6月に古今亭菊之助、古今亭菊松、古今亭志ん八と共に二ツ目に昇進。
三笑亭 夢三四(さんしょうてい むさし、1957年11月25… 三笑亭 夢三四(さんしょうてい むさし、1957年11月25日 - 1994年4月30日)は、落語芸術協会に所属していた落語家。本名∶塩谷 利次。 工学院大学工業化学科中退。 1978年12月、三笑亭夢楽に入門し三笑亭夢坊となる。1983年5月、三笑亭夢三四に改名して二ツ目昇進。 1991年9月に真打に昇進するも、わずか三年後の1994年4月30日に肺がんで死去。36歳没。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
三遊亭 吉窓(さんゆうてい きっそう、1957年11月21日… 三遊亭 吉窓(さんゆうてい きっそう、1957年11月21日 - )は、埼玉県春日部市出身の落語家。落語協会所属、同協会理事。本名∶泉元 將男。出囃子は『おやおやかっぽれ』。 埼玉県立越ヶ谷高等学校卒業後、陸上自衛隊に入隊。 1978年5月、六代目三遊亭圓窓に入門。前座名窓次。1983年3月に二ツ目昇進、吉窓に改名。 1995年3月に柳家小三太、三遊亭圓王、橘家富蔵、三遊亭吉窓、初音家左橋、古今亭菊輔、金原亭生駒、柳家一九、林家うん平、桂扇生で真打昇進。 2000年、第5回 林家彦六賞を受賞。2010年に落語協会常任理事に就任。2014年に落語協会理事に就任。 池袋演芸場の落語協会特選会で柳家福治、いなせ家半七と共にはなし武芸長という会を開いている。
三遊亭 とん楽(さんゆうてい とんらく、本名:海老原 守、1… 三遊亭 とん楽(さんゆうてい とんらく、本名:海老原 守、1957年8月20日 - 2024年9月)は、千葉県柏市出身、我孫子市在住の落語家、ミュージカルアクター。円楽一門会所属。出囃子は『檄!帝国華撃団』(著作権者公認)、以前は『三匹の子豚』。円楽一門会の会計責任者。 1976年(昭和51年)3月、千葉県立東葛飾高等学校卒業。フリーターを経験したのち落語家に転進。高校の時に聞いた五代目圓楽の「中村仲蔵」に感動して落語家を志した。 1990年(平成2年)、落語家として芝浦工業大学柏高等学校の総合学習「落語を通じて学ぶ江戸文化」講座特別講師(1993年まで)。 2024年9月末頃、千葉県我孫子市の自宅で死去した。
柳家 海舟(やなぎや かいしゅう、1957年7月22日 - … 柳家 海舟(やなぎや かいしゅう、1957年7月22日 - )は、東京都杉並区出身の落語家。落語協会所属。本名は並木 治。出囃子は「二人椀久」。血液型はA型。 東京工業高等学校卒業。1996年に柳家小里んと出会ってから、落語を本格的に学び始める。当初はサラリーマンとして働きながら、素人落語会に参加したり、遊びでエキストラをやったりしていた。40歳を過ぎたあたりから、「もっと面白い人生」としての別の道を歩もうと考えるようになり、プロの落語家になることを決意する。 1999年4月、柳家小里んに入門。2000年4月に前座となり、り助を名乗る。前座時代の2003年7月21日海の日、東京の発展に尽力した勝海舟の功績を顕彰するため、有志らの手によって東京都墨田区役所前の広場に「勝海舟銅像(勝安芳像)」が建てられた。
桂 竹丸(かつら たけまる、1957年3月26日 - )は、… 桂 竹丸(かつら たけまる、1957年3月26日 - )は、日本の落語家、ラジオパーソナリティ。鹿児島県鹿屋市出身。落語芸術協会理事。タレントとしてはトムプロダクション所属。出囃子は『おはら節』。 日本史(戦国武将や西郷隆盛)を題材にした新作落語を得意とする。また、基地の町・鹿屋市出身であることから、鳥濱トメを主人公にした「ホタルの母」、美濃部正を主人公にした「特攻セズ」等、太平洋戦争を題材にした新作落語も手がける。 名城大学附属高等学校卒業後、駒澤大学経済学部商学科に進学する。駒沢大学落語くらぶに所属。在学中のアルバイト先の同僚には作家の原田宗典がおり、その頃のエピソードは原田のエッセイ『はたらく青年』(中公文庫→角川文庫)に詳述されている。
柳家 福治(やなぎや ふくじ、1957年3月2日 - )は、… 柳家 福治(やなぎや ふくじ、1957年3月2日 - )は、広島県広島市出身の落語家。落語協会所属。本名∶山中 英嗣。出囃子∶『駕篭まり』。 崇徳高等学校、広島修道大学商学部商業学科卒業。 1981年5月、十代目柳家小三治に入門。翌年2月に前座になる。前座名「つむ治」。 1986年9月、橘家鷹蔵、三遊亭乱丈と共に二ツ目に昇進。福治に改名。 1996年3月に春風亭勢朝、いなせ家半七、三遊亭窓里、林家とんでん平、柳家さん福、橘家蔵之助、三遊亭らん丈、橘家仲蔵とともに真打に昇進。 池袋演芸場の落語協会特選会で三遊亭吉窓、いなせ家半七と共にはなし武芸長という会を開いている。半七の死後は「吉窓・福治二人会」として開催している。