久永 辰徳(ひさなが たつのり、1977年12月23日 - … 久永 辰徳(ひさなが たつのり、1977年12月23日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 1977年、鹿児島県姶良郡姶良町(現・姶良市)生まれ。1976年夏に高校野球で東海大学付属相模高等学校の原辰徳の活躍が有り全国的に新生児に「辰徳」と言う名前を付けることが流行った。 鹿児島実業高等学校在学時に第74回全国高等学校サッカー選手権大会に優勝。 松澤隆司監督から同校卒業後の東京ガスサッカー部への加入を持ちかけられたものの就職試験がうまくいかなかったため、1996年よりアビスパ福岡へ入団。2002年、横浜F・マリノスに1年間の期限付き移籍。
佐伯 直哉(さえき なおや、1977年12月18日 - )は… 佐伯 直哉(さえき なおや、1977年12月18日 - )は、東京都多摩市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー(ボランチ)。 小学校3年生でサッカーを始める。中学入学時に読売日本サッカークラブジュニアユースに入団し、高校入学時に読売ユースに昇格。1993年にU-17日本代表に招集された経歴も持つ。国士舘大学に進学後、ユニバーシアード代表での活躍などが認められ、2000年にジュビロ磐田に入団。 2001年9月よりヴィッセル神戸に期限付き移籍 してレギュラーの座を掴む。2002年も移籍期間を延長、2003年より神戸に完全移籍。2003年4月6日の京都パープルサンガ戦にて右膝前十字靭帯断裂の重傷を負い、約1年をリハビリに費やすも復活。
塩川 岳人(しおかわ たけと、1977年12月17日 - )… 塩川 岳人(しおかわ たけと、1977年12月17日 - )は、元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF(両サイド)。 両サイドのMFをこなす選手であるが、元々はFWの選手であり、大分トリニータ時代はFWとして出場していた。さらに、チームによってはDFとしての起用もあるが、スピードを生かしたサイド攻撃を期待されるプレースタイルは変わりがない。横浜では試合出場数は少なかったが、シーズン中の徳島移籍までの2シーズンで選手会長を務めた。 また、山形で初めてプロ選手として指導を受けた石崎信弘とは同時に大分に移籍した。その後、塩川は石崎を離れて川崎に移籍したが、2001年途中には石崎が川崎監督に就任し、合計で7シーズンにわたって石崎の下でプレーしている。
山本 正男(やまもと まさお、1977年12月16日 - )… 山本 正男(やまもと まさお、1977年12月16日 - )は、東京都出身の元サッカー選手。現役時のポジションはMF。
佐野 智之(さの ともゆき、1977年12月14日 - )は… 佐野 智之(さの ともゆき、1977年12月14日 - )は、東京都北区出身の元サッカー選手、サッカー指導者で現役時代のポジションはGK。 城北高等学校から日本文理大学を経て、2000年に関東サッカーリーグに昇格した佐川急便東京SCに加入。翌2001年よりJFL昇格したチームにおいて、至近距離への反応の良さを生かしてレギュラーGKとして活躍し、12月9日の天皇杯3回戦ではJ1の名古屋グランパスエイトを相手に、4-0と圧勝した試合にも出場した。 2002年にプロ経験の豊富な加藤竜二が加入して以降はリザーブとして過ごす時期も長くなったものの、2005年には再度レギュラーGKとしてリーグ戦全試合出場を果たした。
小島 宏美(こじま ひろみ、1977年12月12日 - )は… 小島 宏美(こじま ひろみ、1977年12月12日 - )は福岡県直方市出身の元サッカー選手である。ポジションはFW、MF(トップ下、ボランチ)。 高校時代は東福岡高校で山下芳輝とのコンビで活躍し、1996年にガンバ大阪に入団する。 1997年、この年のJリーグ得点王を獲得する事になるパトリック・エムボマや松波正信に次ぐFWの選手として徐々に試合に出場するようになる。 1998年は前年の得点王でクラブの上位進出に貢献したエムボマが退団、その後釜として期待されたアント・ドロブニャクがチームになかなかフィットしなかったため、レギュラーに定着。その年、34試合に出場して17得点という自己最高の記録を残す。
松本 大樹(まつもと だいじゅ、1977年12月9日 - )… 松本 大樹(まつもと だいじゅ、1977年12月9日 - )は、日本の群馬県出身の元サッカー選手。ポジションはDF。 群馬県立前橋商業高等学校から1996年にガンバ大阪に入団。1997年5月31日にJリーグ初出場を果たす。2000年から大宮アルディージャに移籍。2002年9月14日にJリーグ初ゴールをマーク。2004年限りで引退。通算成績はJ1で13試合に出場・J2で60試合に出場、1得点である。 引退後も大宮に残り、普及部コーチを経て2007年より強化部でスカウトを担当。2014年からは強化部長、2015年からは強化本部長(強化本部の新設に伴う)を務めた。2017年11月5日、監督の伊藤彰とともに解任が発表された。
高田 純(たかた じゅん、1977年12月6日 - )は、広… 高田 純(たかた じゅん、1977年12月6日 - )は、広島県三原市出身の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。 1993年、サンフレッチェ広島ユース一期生として入団、同級生は原田紘介ら。1995年には小林伸二監督のもと10番を背負い第3回Jリーグユース選手権大会優勝に貢献した。 1996年、トップチームに昇格、ユースから初めてのトップ昇格選手である。同期入団は、服部公太、影山貴志、金本圭太、松永一慶、山口哲治、秋満勝二、上田実。たたトップチームであるサンフレッチェ広島では公式戦に全く出場できなかった。 1997年、当時旧JFLのブランメル仙台(現ベガルタ仙台)へ期限付き移籍、徐々に出場機会を増やし1998年には鈴木武一監督に抜擢され一時はレギュラーに抜擢される。
土橋 宏由樹(どばし ひろゆき、1977年11月27日 - … 土橋 宏由樹(どばし ひろゆき、1977年11月27日 - )は、山梨県甲府市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィルダー。 ヴァンフォーレ甲府に在籍していた土橋功は実兄。 高校卒業後、ドイツ留学を経て1998年にヴァンフォーレ甲府へ入団。守備的MFとしてレギュラーを獲得していたが負傷を頻発させ、年単位での出場試合数にばらつきがあった。同じ地元・山梨出身の仲田建二とともに経営危機問題に直面していた甲府を支え続けていたが、世代交代や怪我の影響により2005年は出場機会がなく、チームのJ1昇格が決まる直前に戦力外通告を受けた。なおフランチェスコ・トッティにならった「ドッティ」というニックネームはこの当時の同僚だった小倉隆史の命名。
式田 高義(しきだ たかよし、1977年11月25日 - )… 式田 高義(しきだ たかよし、1977年11月25日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。 市立船橋高校2年生時の1994年度の高校選手権において、1学年上の森崎嘉之、鈴木和裕、茶野隆行らとともに優勝を経験。同学年に城定信次、松森亮らがいる。1学年下には、北嶋秀朗、中村直志、吉川京輔、佐藤陽彦らがいる。 1996年にジェフユナイテッド市原に加入し、2シーズン所属した。1998年から中央学院大学に通学していたが、1999年9月にアルビレックス新潟に加入。2000年シーズン終了後に戦力外通告を受けた。 現在は市立船橋高校のOBを中心に作られたジョカーレフットボールクラブの代表と市立船橋高校のコーチを務めている。
服部 公太(はっとり こうた、1977年11月22日 - )… 服部 公太(はっとり こうた、1977年11月22日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。渋谷教育学園幕張高等学校卒業。 現在は広島経済大学で監督を務めている。 5歳のころからサッカーを始める。主に攻撃的なMFとしてプレー、高校は渋谷幕張高校へ進学、宗像マルコス望から指導を受けている。高校3年次には千葉県選抜としてふくしま国体少年部門優勝、U-18日本代表にも選ばれた。東京ガスサッカー部(当時JFL)からの熱心なオファーを受けるつもりでいたが、渋谷幕張高校のコーチからJリーグでの挑戦を後押しされ、翻意する。 1996年、サンフレッチェ広島に入団。
山下 芳輝(やました よしてる、1977年11月21日 - … 山下 芳輝(やました よしてる、1977年11月21日 - )は、福岡県福岡市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。 福岡県福岡市出身で、東福岡高校サッカー部でプレー。当時の東福岡高校は志波芳則監督の指導で隆盛期にあり、山下が3年生として参加した1995年度の第74回高校選手権では小島宏美とのFWコンビでベスト4に進出した。同期には生津将司、西政治、1学年下に古賀正紘、2学年下に本山雅志・手島和希、古賀大三らがいる。 高校卒業後、山下は1996年にJリーグへ同年昇格したアビスパ福岡へ入団。地元出身の希望の星として注目され、開幕戦 でJリーグデビューを果たした。以後、下位に低迷する苦しいチーム事情の中、上野優作と2トップを組み、1997年のJ1参入決定戦では1回戦(J1参入決定予備戦)の川崎フロンターレ戦で後半途中から出場し、ロスタイムに同点ゴールを決め、クラブを2部(J2)降格の危機から救った。
百武 義成(ひゃくたけ よしなり、1977年11月21日 -… 百武 義成(ひゃくたけ よしなり、1977年11月21日 - )は、長崎県東彼杵郡川棚町出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。セレッソ大阪に所属していた。 川棚小学校でサッカーを始め、その恵まれた体格でメキメキと実力を発揮し当時のライバルでもあった石木小学校、小串小学校からも注目を浴びた。川棚中学校に進学して2年でレギュラーを掴みチームに貢献した。同中学は長崎県ではベスト4に入る程の強豪であった。3年時に長崎県立国見高等学校の小嶺忠敏監督の目に止まり、熱心な勧誘を受けた後に国見高校へ進学した。国見高校では船越優蔵、河口真一と共に国見山脈と呼ばれ、セットプレーでは相手チームの脅威であった。
松森 亮(まつもり あきら、1977年11月19日 - )は… 松森 亮(まつもり あきら、1977年11月19日 - )は、千葉県出身の元プロサッカー選手、実業家。 高校時代は市立船橋高校サッカー部に所属し、1995年(1994年度)の全国高校選手権に優勝。1996年にジュビロ磐田に入団、同年のAFCユース選手権にU-19日本代表として出場した。 ジュビロ磐田での2年間にJリーグ公式戦出場は無く、1997年シーズン後に戦力外通告を受けて現役を引退する。 引退後の1999年に明生情報ビジネス専門学校に入学。システム会社勤務を経て、サッカービジネス会社を設立。 その後、芸能事務所にも所属しライター活動やモデル活動も行う。 フリーでの活動を経て、ジュビロ磐田に在籍。
川上 直子(かわかみ なおこ、1977年11月16日 - )… 川上 直子(かわかみ なおこ、1977年11月16日 - )は、兵庫県明石市出身の元女子サッカー選手であり、サッカー指導者、タレント。 明石市立高丘西小学校で男子児童に混じりサッカーを始める。 TASAKIペルーレFC所属時はミッドフィールダーの選手であったが、代表(なでしこジャパン)でディフェンダー(サイドバック)として起用され、ベレーザ移籍後はディフェンダーとして登録されるようになった。右サイドバックが主戦場になり、オーバーラップでドリブルを仕掛ける際には、相手選手の横を、ボールと通した側とは逆の側を駆け抜ける、いわゆるハーフムーン(または裏街道)を得意技としていた。[要出典]ニックネームの「ハワイ」は子どものころ、日焼けした姿がハワイアン人形のようだったことに由来している。
松永 一慶(まつなが かずよし、1977年11月13日 - … 松永 一慶(まつなが かずよし、1977年11月13日 - )は、大分県中津市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW。 1996年、サンフレッチェ広島と練習生契約。同期は、服部公太、影山貴志、金本圭太、高田純、山口哲治、秋満勝二、上田実。その後活躍が認められプロ契約にこぎつけた。その後、久保竜彦や高橋泰などの台頭や怪我の連続で出場機会が与えられず、アビスパ福岡へ移籍した。 福岡では1年で退団し、その後Jリーグ入りを目指して設立されたプロフェソール宮崎FCに入団。翌2002年にSリーグのジュロンFCへ移籍するものの同年にP宮崎に復帰。給料未払い等、問題が多発しクラブが混迷したため同年末にP宮崎を退団し、翌2004年に栃木SCへ移籍した。
佐藤 悠介(さとう ゆうすけ、1977年11月2日 - )は… 佐藤 悠介(さとう ゆうすけ、1977年11月2日 - )は、埼玉県北本市出身の元サッカー選手。ポジションはMF。サッカー解説者、株式会社スポーツキングダム代表取締役。 1996年に当時Jリーグに在籍していたドラガン・ストイコビッチに憧れ名古屋グランパスエイトに入団。だが、本人曰く「生意気」な性格が首脳陣との軋轢を生み名古屋を2年で退団。その後も移籍してはトラブルを繰り返し、各クラブを転々としていた。 2001年に4クラブ目となるモンテディオ山形へ移籍。ここで当時監督だった柱谷幸一にその素質を評価され、主力として起用されるようになる。この頃になると「生意気」な性格も徐々に影を潜めるようになった。
池内 友彦(いけうち ともひこ、1977年11月1日 - )… 池内 友彦(いけうち ともひこ、1977年11月1日 - )は、北海道石狩郡当別町出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDFでセンターバックとサイドバックを務めた。 室蘭大谷高3年時に全国高等学校サッカー選手権大会でベスト8。[要出典] 1996年に鹿島アントラーズに入団。同期に柳沢敦、平瀬智行がいる。入団当初は右サイドバックでプレーする入団当初は右サイドバックでプレーする[要出典]が、選手層が厚く出番を与えられなかった。当時の鹿島は、鈴木隆行や平瀬に見られるように期待の若手で試合に出られない選手をブラジルに留学させる習慣があり、池内も平瀬と共に留学した。 1998年に一旦鹿島に戻ったもののまたもや出番を得られず、1999年にコンサドーレ札幌にレンタル移籍。
井上 雄幾(いのうえ ゆうき、1977年10月31日 - )… 井上 雄幾(いのうえ ゆうき、1977年10月31日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。
藤本 主税(ふじもと ちから、1977年10月31日 - )… 藤本 主税(ふじもと ちから、1977年10月31日 - )は、山口県出身の元プロサッカー選手(MF)。元日本代表。サッカー指導者。徳島県育ちであることから、ゴールを決めると阿波踊りのパフォーマンスをすることで有名だった。 山口県で生まれ、2歳で徳島県鳴門市に移り、小学2年生からサッカーを始める。徳島市立高等学校を卒業後、1996年にアビスパ福岡へ加入。1年目は10試合に出場したが、2年目の1997年は監督のカルロス・オスカール・パチャメと衝突し、1試合の出場にとどまる。監督が代わった1998年にはリーグ戦30試合に出場して6ゴールを記録。2ゴールを決めた開幕戦の鹿島アントラーズ戦にて、のちに藤本の代名詞となる阿波おどりパフォーマンスを初披露する。
福田 健二(ふくだ けんじ、1977年10月21日 - )は… 福田 健二(ふくだ けんじ、1977年10月21日 - )は、愛媛県新居浜市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。 小学2年生の時に兄の影響でサッカーを始めた。両親の離婚により母子家庭に育ち、5年生の時に母が生活苦から自殺するという少年時代を過ごした。 父に引き取られて千葉県袖ケ浦市へ転居した後も金銭的な問題からサッカーを諦めかけたが、同級生で同じサッカークラブに所属していた廣山望ら友人たちの助けもあって 中学でもサッカーを続け、1992年のU-15クラブ選手権で全国3位の成績を残した。Jリーグ開幕前だったこともあり、中学卒業時にはサッカーのためにブラジルへの移住を考えるなど当時から海外志向を持っていた。
内田 潤(うちだ じゅん、1977年10月14日 - )は、… 内田 潤(うちだ じゅん、1977年10月14日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代の主なポジションは右サイドバックで、左サイドバック、センターバック、ボランチもこなすユーティリティープレーヤーだった。 ユース時代は桐蔭学園高校、駒澤大学に所属。 2000年に鹿島アントラーズに入団し、2000年・2001年のJ1リーグ2連覇を経験するが、鹿島時代は満足な出場機会を得られず、2006年6月よりアルビレックス新潟へ完全移籍。2008年から2010年まで選手会長を務めた。 2013年11月18日に新潟との契約満了が、同年12月30日には現役引退とアカデミーコーチ就任が発表された。
海本 幸治郎(かいもと こうじろう、1977年10月14日 … 海本 幸治郎(かいもと こうじろう、1977年10月14日 - )は、大阪府吹田市出身の元プロサッカー選手。ポジションはDF。兄の海本慶治も元プロサッカー選手。 Kリーグ時代の登録名は海本(ハングル: 가이모토)。 1996年にガンバ大阪に入団。年代別日本代表にも招集される期待の若手選手だったが、1997年末以降は骨折を繰り返し、2000年にクラブから戦力外通告を受けた。 2001年にKリーグの城南一和に移籍して日本人初のKリーガーとなる。1997年末から数えて計8回の骨折とリハビリの末に2001年10月にKリーグでのデビュー戦に出場した。この試合は自身3年ぶりの公式戦であると同時に、城南がリーグ優勝を決めた試合でもあった。
柿本 倫明(かきもと みちあき、1977年10月6日 - )… 柿本 倫明(かきもと みちあき、1977年10月6日 - )は、福岡県京都郡みやこ町(旧犀川町)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード (FW)。 大阪体育大学在学中の1999年、ユニバーシアードマヨルカ大会で日本代表に選出され2ゴールをあげるなど活躍し、2000年、J1・アビスパ福岡へ入団。しかし、出場機会を得られないまま1年で戦力外通告を受け退団、シンガポールリーグのクレメンティー・カルサFCに移籍した。そこで29試合に出場し14得点と結果を出すと、福岡在籍時にサテライト監督を務めていた当時の大分トリニータ監督、小林伸二から声がかかり、2002年シーズンからJリーグに復帰。
桑野 智一(くわの ともかず、1977年9月29日 - )は… 桑野 智一(くわの ともかず、1977年9月29日 - )は、大分県出身の元Jリーグ・アビスパ福岡所属のサッカー選手。ポジションはDF。 プロサッカー選手を目指し、アマチュア契約選手として2000年にアビスパ福岡にてサテライトリーグに出場。アビスパ在籍中に、ノーザン・スピリット(オーストラリアリーグ)でプロテストを受けているが、契約には至っていない。同時期、同チームにニコラ・ベルティ(元イタリア代表)が移籍している。
神田 文之 (かんだ ふみゆき、1977年9月29日 - )… 神田 文之 (かんだ ふみゆき、1977年9月29日 - ) は、山梨県田富町(現:中央市)出身の元サッカー選手、実業家。サッカー選手時代のポジションはMFであった。 山梨県立甲府昭和高校および東京学芸大学を経て、2000年にヴァンフォーレ甲府に入団。入団1年目でJ2リーグ戦13試合に出場したが、生活面での安定を図るために経営危機に陥っていた甲府を同年限りで退団した。 2001年より群馬FCフォルトナ (その後、群馬FCホリコシおよびFCホリコシと名称を変更) に入団して2005年8月まで在籍した。 2005年9月、松本山雅FCに入団。同年11月に退団して現役を引退した 2006年より東京都内の不動産会社に入社し営業として勤務。
牛鼻 健(うしばな たけし、1977年9月21日 - )は、… 牛鼻 健(うしばな たけし、1977年9月21日 - )は、鹿児島県薩摩郡樋脇町(現薩摩川内市)出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
ダビド・ソリア・ヨシナリ(David Soria Yoshi… ダビド・ソリア・ヨシナリ(David Soria Yoshinari、1977年9月18日 - )は、ペルー出身の元サッカー選手。MF。日本名、吉成 大(よしなり だい)。 ペルーから日本の帝京高校に留学し、卒業後の1996年には当時JFLのコンサドーレ札幌に入団。同期入団に吉原宏太がいる。当時の札幌には優秀な外国人選手が多くいたため、若い吉成大は外国人枠から弾き出されるケースが多く、1997年限りでペルーに帰国。スポルティング・クリスタルで主力となった2000年にはペルー代表にも選ばれた。 日系人のためニックネームはチーノ(中国人)、サムライ。兄のハビエル・ソリアもペルー代表経験を持つサッカー選手である。
小田島 隆幸(おだじま たかゆき、1977年9月15日 - … 小田島 隆幸(おだじま たかゆき、1977年9月15日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。ポジションはDF。 習志野高校時代は1995年インターハイ優勝・1995年国民体育大会優勝(千葉県選抜)を経験。同級生には福田健二・廣山望らがいる。関東選抜、東日本選抜、U-18日本代表候補。 中央大学では2年生からレギュラーになり、4年時には主将。同期にはお笑い芸人のパンサー尾形、寮の同部屋の後輩には中村憲剛がいた。 大学卒業後にはモンテディオ山形に入団し、その年は開幕スタメンで23試合に出場。しかし2年目はシーズン前に原因不明の急性肝炎を患い、2カ月間入院をして出場機会がないままシーズンを終える。
西入 俊浩(にしいり としひろ、1977年9月13日 - )… 西入 俊浩(にしいり としひろ、1977年9月13日 - )は東京都出身のサッカー指導者(日本サッカー協会公認A級コーチ)。
久永 啓(ひさなが けい、1977年9月10日 - )は、岡… 久永 啓(ひさなが けい、1977年9月10日 - )は、岡山県出身のサッカー指導者。 取得している資格はJFA公認B級コーチライセンス、イングランドサッカー協会公認コーチングライセンスレベル1コーチ。2021年度より岡山理科大学経営学部准教授。。 2003年から指導者の道へ進み、2007年よりサンフレッチェ広島ジュニアのコーチに就任。2012年からは森保一の下でトップチームのコーチ(分析担当)を務めた。 広島での経験からデータ分析の可能性を見出し、2014年からはデータスタジアムでアナリストとして勤務。 2021年度より岡山理科大学経営学部准教授。
戸田 光洋(とだ みつひろ、1977年9月10日- )は、宮… 戸田 光洋(とだ みつひろ、1977年9月10日- )は、宮崎県都城市出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。 現役時代のポジション登録はフォワード(FW)だったが、ミッドフィールダー(MF、サイドハーフ)や、ディフェンダー(DF、サイドバック)も務めた。 元サッカー選手の戸田賢良は実弟。 体育教師で 高校サッカー指導者でもあった 父の影響でサッカーを始める。都城泉ヶ丘高校在学中には、進学校で無名の同校サッカー部を県内有数の強豪へと押し上げ 宮崎県選抜として2年連続で国体に出場。父のように将来指導者になることを考えて、1996年に筑波大学へ進学。4年時(1999年)には関東大学リーグで優勝、得点王、ベストイレブン、MVPの4冠に輝いた。
山口 哲治(やまぐち てつはる、1977年9月8日 - )は… 山口 哲治(やまぐち てつはる、1977年9月8日 - )は、長崎県出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 1996年にサンフレッチェ広島に入団。同期は、服部公太、影山貴志、金本圭太、高田純、松永一慶、秋満勝二、上田実。当時GKには前川和也、河野和正、下田崇といたため、出場機会はまったく与えられなかった。 1999年からはサガン鳥栖へ移籍。3年目にはレギュラーポジションを奪うも、家庭の事情で2002年末に引退した。 引退後は、地元諫早市にて飲食店経営。 長﨑に帰郷後、母校でもある長崎県立諫早商業高等学校サッカー部の指導をし、長崎県の国体チームのGKコーチとして活躍。長崎県サッカー協会一種技術委員長として、長崎県内のサッカー普及活動を行っている。
根引 謙介(ねびき けんすけ、1977年9月7日 - )は、… 根引 謙介(ねびき けんすけ、1977年9月7日 - )は、大阪府出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。 1996年に柏レイソルに入団。2004年途中からベガルタ仙台に期限付き移籍していたが、2006年に柏レイソルへ復帰。しかし、2006年シーズン終了後に戦力外通告を受け、現役引退。柏レイソルの育成・普及部の普及コーチに就任した。
阿岸 勝(あぎし まさる、1977年9月2日 - )は、石川… 阿岸 勝(あぎし まさる、1977年9月2日 - )は、石川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
小澤 一郎(おざわ いちろう、1977年9月1日 - )は、… 小澤 一郎(おざわ いちろう、1977年9月1日 - )は、京都市出身のサッカージャーナリスト、サッカー解説者。主にスペインのサッカーを扱っている。 平安高等学校(現・龍谷大学付属平安高等学校)を経て、早稲田大学教育学部教育学科教育学専修を卒業。サラリーマン生活を経験後、2004年にスペインへ渡り、バレンシアCFの練習に参加。その模様を発信したブログが注目され、2005年からスポーツライターの活動を本格的に開始した。ブログにはスペインのサッカーについての分析・レポートを掲載していた。2010年 帰国。 (2023年3月現在) この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
御厨 景(みくりや けい、1977年8月29日 - )は、千… 御厨 景(みくりや けい、1977年8月29日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(サイドバック)。 習志野高校卒業後、1996年横浜マリノスに入団。高校の同級生では廣山望、福田健二が同じくプロに進み、小田島隆幸、西脇徹也、桜井啓も大学卒業後にプロ選手となる。横浜Mでは1年目から右サイドハーフとして活躍するが、翌年は監督交代の影響で出場機会が激減。 1997年にはU-20日本代表の右サイドハーフとして、中村俊輔らと共にワールドユース選手権に出場。 1998年にJFLのブランメル仙台に移籍。仙台では主に左サイドバックとしてプレーした。2000年に現役を引退。
城定 信次(じょうじょう しんじ、1977年8月28日 - … 城定 信次(じょうじょう しんじ、1977年8月28日 - )は、東京都出身の元サッカー選手。ポジションは(ディフェンダー)。 息子の城定幹大もサッカー選手で、2026年現在サガン鳥栖に所属している。 市立船橋高等学校では、3年の夏までは2軍でありそれからレギュラーの座を掴む。 1996年に浦和レッドダイヤモンズに入団。2年目から左サイドバックまたは左ウイングバックのレギュラーの座を掴んだ。また同年にはU-20日本代表として永井雄一郎らと共にFIFAワールドユースに出場しベスト8進出に貢献した。 その後もU-23日本代表候補に選出されていたが、浦和ではスタメンから外れる事が多くなり、 現役終盤は出場機会を求めアルビレックス新潟や湘南ベルマーレへ移籍しプレーを続けた。
鏑木 豪(かぶらき ごう、1977年8月26日 - )は、東… 鏑木 豪(かぶらき ごう、1977年8月26日 - )は、東京都品川区出身のサッカー選手、サッカー指導者。関東サッカーリーグ2部・tonan前橋サテライト所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。 1994年及び1995年には東京都選抜として国体に出場。1996年、国士舘大学に進学。同年の全日本大学選手権で優勝し、ベストGKに選出された。1997年には大学選抜としてユニバーシアードに出場した。 1999年よりプロ入りしたが、Jリーグでは中々活躍の機会を得られず、複数のクラブを渡り歩く。2003年のJ2第1節アビスパ福岡対水戸ホーリーホックでJリーグ初出場。 2005年に加入したJFL・FCホリコシ(後のアルテ高崎)では正GKとして出場を続けたが、クラブの資金難による選手一斉解雇により2006年シーズン途中に退団。
佐藤 光治(さとう こうじ、1977年8月24日 - )は、… 佐藤 光治(さとう こうじ、1977年8月24日 - )は、熊本県出身の元プロサッカー選手、フットサル選手である。ポジションはディフェンダー。現在は熊本国府高等学校サッカー部の監督を務める。
中村 彰宏(なかむら あきひろ、1977年8月23日 - )… 中村 彰宏(なかむら あきひろ、1977年8月23日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはMF。 小学校時代からサッカーを始め、東海大付属浦安高等学校、東海大学においてサッカー部に所属。卒業後は一般企業に就職しサラリーマンとして生活していたが、休暇中にSリーグの選考に合格し、シンガポールへ移住。2005年に在籍したバレスティア・カルサFCでは背番号10番を得、キャプテンを務めた。その後Sリーグのタンピネス・ローバースFCに所属。2012年限りで現役引退。 2013年より同リーグのホーム・ユナイテッドのコーチに就任。
小石 龍臣(こいし たつおみ、1977年8月22日 - )は… 小石 龍臣(こいし たつおみ、1977年8月22日 - )は、佐賀県鳥栖市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。恵日山妙昭寺 副住職 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
花山 英二(はなやま えいじ、1977年8月21日 - )は… 花山 英二(はなやま えいじ、1977年8月21日 - )は、栃木県出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー、ミッドフィルダー。 浦和に大型MFとして加入するも、出番はなく、ガンバに移籍。ベガルタ仙台後はDFとしてプレイした。
中島 浩司(なかじま こうじ、1977年8月20日 - )は… 中島 浩司(なかじま こうじ、1977年8月20日 - )は、日本の実業家、元サッカー選手。大阪府堺市南区赤坂台出身。仙台育英学園高等学校卒業。 株式会社ベアフット 執行役員スポーツ事業アドバイザー。 実兄の影響で小学5年生から地元赤坂台JSCでサッカーを始め、赤坂台中学時代は一学年下の岡山一成らとプレーした。高校時代は仙台育英高校へ越境入学、高校3年時に東北代表として高円宮杯出場。 1996年、当時JFLのブランメル仙台(現ベガルタ仙台)に入団。同期に千葉直樹などがいる。チームは1999年から始まったJ2に加盟、中島は背番号10番を背負った時期もあったが、その後出場機会が激減。2002年限りで戦力外通告を受けた。
轟 奈都子 (とどろき なつこ、1977年8月17日 - )… 轟 奈都子 (とどろき なつこ、1977年8月17日 - )は、大阪府出身の元女子サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。 東海大学付属仰星高在学中は交野FCに所属。1996年に卒業後は松下電器パナソニックバンビーナ(→スペランツァF.C.高槻)に入団。2002年7月には日本女子代表候補トレーニングキャンプメンバーに選ばれたが、代表での試合出場はない。 2004年にアルビレックス新潟レディースに移籍。レギュラーとして活躍し、2006年にはディビジョン2優勝と翌2007年のディビジョン1昇格に貢献。引退後も同チームでゴールキーパーコーチを務めていた。 好きな食べ物にはバナナを挙げており、1日に2本は食べているほか食べ過ぎておなかを壊したこともある。
砂川 誠(すなかわ まこと、1977年8月10日 - )は、… 砂川 誠(すなかわ まこと、1977年8月10日 - )は、千葉県習志野市出身の元サッカー選手・サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。 憧れのサッカー選手はヨハン・クライフ。好きなサッカー選手は三浦知良、ロベルト・バッジョ などがいる。コンサドーレ札幌に10年以上在籍した初の選手であり、2009年に札幌を一度も離れることなく引退した曽田雄志に次ぐ「ミスターコンサドーレ」と称される。また、曽田と同様にクラブの激動の時代を支え、J1クラブからのオファーを蹴って札幌に残留した「チーム愛」 や、後述の再契約の経緯にも見られるように、サポーターからの人気は高く、チャント(応援歌)では「俺達の砂川誠」と歌われている。
藏川 洋平(くらかわ ようへい、1977年8月10日 - )… 藏川 洋平(くらかわ ようへい、1977年8月10日 - )は、元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー(右サイドバック)。 大学を卒業後、横浜F・マリノスに入団するもプロの壁は厚く、自由契約となった後に群馬県リーグ1部の群馬のFCホリコシ(現 アルテ高崎)に入団する。ホリコシではチームを引っ張り、群馬県リーグから関東リーグ、そしてJFLへと昇格させチームの躍進に貢献した。2004年の天皇杯4回戦では、後に所属する柏と対戦。フル出場し見事勝利を収めている。 2005年にFCホリコシの監督を務めた小見幸隆が2006年より柏レイソルのチーフスカウトに就任し、その小見とともに当時J2の柏に入団。
酒井 良(さかい りょう、1977年8月9日 - )は、神奈… 酒井 良(さかい りょう、1977年8月9日 - )は、神奈川県相模原市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF、FW。 2000年に東京農業大学から湘南ベルマーレに入団。1年目からリーグ戦40試合に出場。 2006年、ユース時代を過ごしたFC町田ゼルビアに移籍。2012年限りで現役を引退後は同クラブのスクールコーチに就任。2017年にはセルビア共和国のFKヴォイヴォディナ・ノヴィ・サドに派遣され、アカデミーコーチを務めた。 2024年、新潟医療福祉大学サッカー部のコーチに就任。
依田 光正(よだ みつまさ、1977年8月7日 - )は、東… 依田 光正(よだ みつまさ、1977年8月7日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。 帝京高校では、1学年上には熱田眞、同級生には松波和幸(松波正信の弟)、留学生の吉成大 と江田広(共にペルー人)、2学年下には中田浩二、木島良輔がいた。 2004年にモンテディオ山形よりザスパ草津(現:ザスパクサツ群馬)に加入。主に右サイドバックとして、13試合に出場。2004年、翌年のJ2リーグ参戦が決定していた草津において、その年に行われた天皇杯・5回戦の横浜F・マリノス戦においてVゴールを決め、その年の年間王者を破る大金星に貢献した。2006年オフに戦力外通告を受ける。 2007年からは群馬の育成スタッフとなり、若い世代を育てる一方でサッカー中継の解説も務めた。
小坂 雄樹(こさか ゆうき、1977年8月6日 - )は、福… 小坂 雄樹(こさか ゆうき、1977年8月6日 - )は、福島県出身のサッカー指導者。 東洋大学、筑波大学大学院などを経て、2004年に横浜F・マリノスのアシスタントコーチに就任。2006年からは横浜FMが提携する日本工学院F・マリノスの監督を務めた。2008年に復帰し、再びトップチームのアシスタントコーチ就任、2010年からはトップチームコーチとして指導。2018年、浦和レッドダイヤモンズ トップチームコーチに就任。 2019年、モンテディオ山形 トップチームコーチに就任。 2020年、木山隆之監督と共に山形から移籍し、ベガルタ仙台トップチームコーチに就任。 2022年、ファジアーノ岡山トップチームコーチに就任。