神作 光一(かんさく こういち、1931年10月4日 - 2… 神作 光一(かんさく こういち、1931年10月4日 - 2025年9月11日)は、日本の歌人・国文学者。専門は平安朝文学。学位は、文学博士(東洋大学・論文博士・1979年)(学位論文「曽禰好忠集の研究」)。東洋大学名誉教授。元東洋大学学長。日本歌人クラブ名誉会長。短歌結社誌「花實」代表。市川市文化振興財団理事。子息は国文学者、国文学研究資料館教授の神作研一。 千葉県出身。1955年東洋大学文学部卒業。1961年同大学院文学研究科国文学専攻博士課程満期退学。1979年「曽禰好忠集の研究」で、東洋大学より文学博士の学位を取得。 同文学部助教授、教授、学長。2002年定年退任、名誉教授。 学長時代に現代学生百人一首を発起。
三田 きえ子(みた きえこ、1931年9月29日 - 202… 三田 きえ子(みた きえこ、1931年9月29日 - 2025年7月8日)は、日本の俳人。本名は三田 きい。 1931年9月29日、茨城県結城市に生まれる。1968年、産経学園自由ヶ丘教室で秋元不死男の指導を受け「氷海」入会。あわせて上田五千石に師事。1974年、氷海賞受賞、「氷海」同人となる。1975年、「畦」同人。1994年、第九回俳句研究賞受賞。2000年1月、「かなえ」改め「萌」の主宰となる。俳人協会評議員、日本文芸家協会会員、国際俳句交流協会評議員。 2025年7月8日、老衰のため死去。93歳没。
来嶋 靖生(きじま やすお、1931年8月28日 - )は、… 来嶋 靖生(きじま やすお、1931年8月28日 - )は、日本の歌人、編集者。
鎌田 弘子(かまだ ひろこ、1931年7月24日-2017年… 鎌田 弘子(かまだ ひろこ、1931年7月24日-2017年1月22日)は、歌人、鎌倉彫作家。 東京生まれ。慶應義塾大学卒。短歌のほか、鎌倉彫作家としても活動した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
山上 樹実雄(やまがみ きみお、1931年7月22日 - 2… 山上 樹実雄(やまがみ きみお、1931年7月22日 - 2014年8月6日)は、日本の俳人。本名・公夫。大阪府出身。 大阪市生まれ。大阪大学医学部卒。卒業後は眼科医として勤務。1948年に「馬酔木」入会、水原秋櫻子に師事。また1949年より「南風」入会し山口草堂にも師事する。「馬酔木」「南風」同人、「南風」副主宰を経て、2004年に「南風」代表に就任。 句集に『眞竹』『白蔵』『山麓』『翠微』『四時抄』『晩翠』『春の顔』。1995年、『翠微』により第35回俳人協会賞、2003年『四時抄』により第3回山本健吉文学賞および第4回俳句四季大賞を受賞。ほかに馬酔木新人賞、南風賞などを受賞。俳人協会名誉会員、日本文藝家協会会員。
槇 弥生子(まき やよいこ、1931年7月13日 - 201… 槇 弥生子(まき やよいこ、1931年7月13日 - 2015年5月19日)は、日本の歌人。 東京市生まれ。二松学舎大学文学部国文科卒業。本名・森本早百合。歌人・万葉学者の森本治吉は夫の父、歌人の森本平は息子。 1946年、万葉講座にて森本治吉と出会い、後日「白路」に入会、1953年、「醍醐」に入会。その後、「醍醐」選者を経て、2004年に「開耶(さくや)」を創刊、主宰。この間、日本歌人クラブ中央幹事(1990年-1993年)。1975年、歌集『ふりむくことなし』にて第1回短歌公論処女歌集賞受賞。2015年5月19日、誤嚥性の窒息のため死去。
倉橋 羊村(くらはし ようそん、1931年〈昭和9年〉4月2… 倉橋 羊村(くらはし ようそん、1931年〈昭和9年〉4月28日 - 2020年〈令和2年〉2月11日)は、日本の俳人。俳誌「波」主宰。本名は倉橋 裕(くらはし ゆたか)。 神奈川県横浜市に生まれる。戦時中の1945年、厚木市へ縁故疎開し神奈川一中(現神奈川県立希望ヶ丘高等学校)から厚木中学(現神奈川県立厚木高等学校)に転入、学徒動員を受ける。青山学院大学経済学部卒業。1952年、水原秋桜子に師事し、1954年には俳誌「馬酔木」の雑詠欄「馬酔木集」の巻頭を飾るなど主力として活躍し、青の会賞を受賞する。1964年には「鷹」を創刊した藤田湘子にしたがい編集長として参加するも、後に退会。1989年、青木泰夫より「波」主宰を継承。
大牧 広(おおまき ひろし 1931年4月12日 - 201… 大牧 広(おおまき ひろし 1931年4月12日 - 2019年4月20日)は、日本の俳人。 東京府荏原区(現品川区)出身。弦巻学園高等学校卒。1965年、「馬酔木」「鶴」に入会。1971年、「沖」に入会し能村登四郎、林翔に師事。1974年、沖新人賞、83年、沖賞受賞。1989年、「港」を創刊・主宰。2009年、第64回現代俳句協会賞受賞。2015年、『正眼』で第30回詩歌文学館賞受賞。2016年、第15回山本健吉賞受賞。2019年、『朝の森』で第53回蛇笏賞受賞。市井人の哀愁をたたえつつ俳諧味のあふれる作風。門人に櫂未知子、仲寒蝉がいる。 2019年4月20日、膵臓癌のため死去。88歳没。蛇笏賞の授賞式の前に死去したため、授賞式では仲寒蝉が代理出席した。
平井 照敏(ひらい しょうびん、1931年(昭和6年)3月3… 平井 照敏(ひらい しょうびん、1931年(昭和6年)3月31日 - 2003年(平成15年)9月13日)は、日本の俳人・フランス文学者。青山学院女子短期大学名誉教授。本名・てるとし。 東京都生まれ。1954年(昭和29年)東京大学文学部仏文科卒業、同大学院比較文学比較文化修士課程入学。1959年(昭和34年)詩集『エヴァの家族』を刊行、詩人として活動を始め、またフランス詩の研究も行う。青山学院短期大学に勤務しのち教授。2001年(平成13年)青山学院女子短期大学名誉教授。 1965年(昭和40年)ごろから俳句を作りはじめ、加藤楸邨に師事、「寒雷」に入会。寒雷賞受賞、同誌編集長になる。1974年(昭和49年)句集『猫町』を刊行、主宰誌「槇」を創刊する。
辻田克巳(つじた かつみ、1931年〈昭和6年〉3月28日 … 辻田克巳(つじた かつみ、1931年〈昭和6年〉3月28日 - 2022年〈令和4年〉8月24日)は、俳人。日本文藝家協会会員。俳人協会副会長、朝日新聞京都俳壇選者を務めた。 京都市生、京都大学文学部卒、中学校教員を経て高校教員となる。 1957年(昭和32年)、「天狼」「氷海」に同時に入会し、山口誓子、秋元不死男に師事。 1960年(昭和35年)「氷海」同人。 1974年(昭和49年)「天狼」同人。 1978年(昭和53年)「氷海」終刊、「狩」創刊同人。 1989年(平成元年)に教職を辞し、1990年(平成2年)「幡」を創刊・主宰。 句集に『明眸』『オペ記』『頬杖』『昼寝』『焦螟』『稗史』『ナルキソス』『春のこゑ』など。
井上雪(いのうえ ゆき、1931年2月9日-1999年4月2… 井上雪(いのうえ ゆき、1931年2月9日-1999年4月20日)は、日本の作家、随筆家、俳人。 石川県金沢市出身。本名・幸子。金沢女子専門学校文科(現・金沢学院大学)卒。金沢市の浄土真宗本願寺派の光徳寺の住職の妻(堂守)。1981年「廓のおんな」で大宅壮一ノンフィクション賞佳作となり、その他多くの著作をなした。俳人としては俳誌『雪垣』に拠った。
赤松 蕙子(あかまつ けいこ、1931年1月18日 - 20… 赤松 蕙子(あかまつ けいこ、1931年1月18日 - 2012年5月7日)は、広島県出身の俳人。本名蕙。 大柿町(現江田島市)生。旧制広島県立広島第一高等女学校を経て広島県広島有朋高等学校卒業。1947年、俳誌「雪解」に入会、皆吉爽雨に師事。1953年、山口県徳応寺に嫁ぐ。「鶴啼いて月に一滴づつの金」「眠りみなこの世にさめて櫻どき」など、宗教性を持ちつつ着想に富む句風。1975年、『白亳』により第15回俳人協会賞受賞。1994年、山口県選奨(芸術文化功労)受賞。 句集に『子菩薩』『白亳』『天衣』『散華』『月幽』『海戀』『佩香』。また、俳人協会の「自註現代俳句シリーズ(3期)」に『赤松蕙子集』がある。
豊田 都峰(とよた とほう 1931年1月13日 - 201… 豊田 都峰(とよた とほう 1931年1月13日 - 2015年7月25日)は、日本の俳人。京都府出身。立命館大学文学部卒。卒業後は京都府内の高校で教諭として務める。1948年、鈴鹿野風呂の「京鹿子」に入会。1973年、同編集長。1993年、同副主宰。1999年、丸山海道から引継ぎ「京鹿子」主宰。2006年より関西現代俳句協会の会長を務める。 2004年、『雲の唄』により第1回文学の森俳句大賞受賞。2010年、『土の唄』により第10回俳句四季大賞受賞。2013年、京都市芸術振興賞受賞。京都の風土性と現代との接点を探索。長谷川素逝の研究家でもある。
稲畑 汀子(いなはた ていこ、1931年1月8日 - 202… 稲畑 汀子(いなはた ていこ、1931年1月8日 - 2022年2月27日)は、神奈川県出身の俳人。俳人高浜年尾の娘で、俳人高浜虚子の孫。『ホトトギス』名誉主宰、日本伝統俳句協会名誉会長。 神奈川県横浜市に、父高濱年尾、母喜美の次女として生まれる。幼児期を鎌倉で過ごしたのち、1935年に兵庫県芦屋市に転居する。小学校のころから祖父高濱虚子と父年尾のもとで俳句を教わった。小林聖心女子学院高校卒業、1949年同英語専攻科在学中に病を得て中退する。英語専攻科中退後、俳句修行に専念し、祖父と父に同行して全国を廻る。1956年、24歳で稲畑勝太郎の孫、稲畑順三と結婚。のち2男1女の母となる。1965年『ホトトギス』同人。
篠原 三郎(しのはら さぶろう、1930年12月26日- )… 篠原 三郎(しのはら さぶろう、1930年12月26日- )は、日本の経営学者、会計学者、歌人、経営・労働評論家。 静岡大学名誉教授。日本福祉大学教授、京都自由大学講師。専門は排除論・芸術論。 東京生まれ。一橋大学卒、1960年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。高島善哉の指導を受けた。 関東学院大学講師、立命館大学経営学部助教授、教授、1979年静岡大学人文学部教授。94年定年退官、名誉教授。
石本 隆一(いしもと りゅういち、1930年12月10日 -… 石本 隆一(いしもと りゅういち、1930年12月10日 - 2010年3月31日)は、日本の歌人。 東京市芝区白金志田町の鉄工場の家に生まれる。戦時中は茨城県樺穂村に疎開した。茨城県立真壁高等学校を卒業後、中学校助教諭を経て早稲田大学第一文学部英文科卒。専攻はイギリス演劇。在学中に香川進主宰の歌誌『地中海』に参加する。大学院進学後、早稲田大学短歌会に入会。同じく会員であった小野茂樹を『地中海』に導いた。 大学院を中退後、東京商業高等学校教諭を経て1964年に角川書店に入社。「短歌」編集部に勤務する。同年、第一歌集『木馬騎士』を刊行し、第9回現代歌人協会賞候補となる。1971年、第二歌集『星気流』で第18回日本歌人クラブ推薦歌集(後の日本歌人クラブ賞)に選ばれる。
菅野 昭彦(かんの てるひこ、1930年12月7日 - 19… 菅野 昭彦(かんの てるひこ、1930年12月7日 - 1974年12月12日)は、日本の脚本家、歌人。 宮城県仙台市出身。1945年、短歌雑誌のぬはり社に入り、菊池知勇に師事した。1953年東京大学文学部国文学科卒業。 脚本家として、松竹配給の映画やテレビドラマを多数手掛けた。 1974年12月12日、脳溢血のため死去。44歳没。 ※『ユートピア』以外松竹配給作品
本宮 哲郎(もとみや てつろう、1930年11月17日 - … 本宮 哲郎(もとみや てつろう、1930年11月17日 - 2013年12月18日)は、新潟県出身の俳人。小池村(現燕市)生。1948年、「雲母」入会、飯田蛇笏、飯田龍太に師事。1970年、「河」入会。1981年、齋藤美規の「麓」創刊より参加。1985年、河賞。1986年、「雪国雑唱」50句により第1回俳句研究賞受賞。1988年、麓賞受賞。2000年、『日本海』により第40回俳人協会賞受賞。「河」「麓」同人。代表句に「花冷えの田より抜きたる足二本」など。新潟の風土を叙情豊かに詠む。句集に『雪嶺』『信濃川』『日本海』他。2013年12月18日、胃癌により死去。83歳。
石田 比呂志(いしだ ひろし、1930年10月27日 - 2… 石田 比呂志(いしだ ひろし、1930年10月27日 - 2011年2月24日)は、日本の歌人。福岡県出身。本名は裕志。 福岡県京都郡小波瀬村二崎(現苅田町)に父嘉平次、母清香の長男として生まれる。1944年、福岡県立豊津中学校(旧制)を素行不良によって退学処分となる。1945年、国家総動員法によって筑豊の炭鉱に徴用されて採炭に従事させられる。乙種飛行練習生(海軍)に合格するも8月敗戦。 1946年、石川啄木の『一握の砂』を読んで歌人を志す。水道工事人夫、キャバレーの支配人など40以上の職を転々とする。1954年、山口県宇部市の土方飯場からの投稿歌が「毎日歌壇」(窪田空穂選)に採用され、自作が初めて活字となる。
原 裕(はら ゆたか、1930年10月11日 - 1999年… 原 裕(はら ゆたか、1930年10月11日 - 1999年10月2日)は、茨城県出身の俳人。本名・昇。旧姓・堀込。原石鼎に師事、石鼎の死後、夫人原コウ子の養子となり、コウ子のあとを継いで「鹿火屋」を主宰した。 真壁郡大田村(現・筑西市)生まれ。農家の長男であった。1943年、茨城県立下館商業学校に入学。1947年、下館第一高等学校工業科2年に編入。県内高校生投句誌「はいく」に処女作が掲載される。同年、書店で「鹿火屋」を見て入会、投句をはじめる。のち「朝霧」「かびれ」「ひろば」にも参加。1949年、商工省へ入省。明治大学二部商学科へ進学。また鹿火屋東京句会に参加、「鹿火屋」編集部員となる。1951年、原石鼎の通夜の席上で、石鼎夫人の原コウ子に養子縁組を懇請され、承諾(実際にはその半年前から打診があり、郷里の親族会議を経て決断を保留していたものだった)。
鷹羽 狩行(たかは しゅぎょう、1930年(昭和5年)10月… 鷹羽 狩行(たかは しゅぎょう、1930年(昭和5年)10月5日 - 2024年(令和6年)5月27日)は、日本の俳人、日本芸術院会員。本名・髙橋行雄(たかはし ゆきお)。 山形県出身。山口誓子と秋元不死男に師事。「狩」を創刊・主宰。知的な構成でウィットに富む句風で現代社会を描く。第一句集『誕生』(1965年)のほか、『月歩抄』(1977年)、『十五峯』(2007年)など。 山形県新庄市生まれ。父は土木技師。父の仕事の関係で、少年期を旧豊田郡瀬戸田町(尾道市)で育ち、1943年、旧制尾道商業高校に入学。1946年、同校の教師新開千晩の教えを受け、校内俳句雑誌「銀河」で俳句を始める。1947年より佐野まもる「青潮」に投句。
小見山 輝(こみやま てる、1930年10月1日 - 201… 小見山 輝(こみやま てる、1930年10月1日 - 2018年7月1日) は、日本の歌人。本名・輝(あきら)。龍短歌会代表(1995 - 2018)。 1930年、岡山県笠岡市神島に生れる。1945年14歳で満蒙開拓青少年義勇軍に参加し満州に渡り、1946年に引き揚げ帰郷。1950年「林間」に入会。1951年「龍」入会。服部忠志に師事。1953年加藤克巳の「近代」に参加。1995年「龍」代表。万葉集や釈迢空の歌に親しみ、人間存在の根源的な虚ろを見つめ、生の華やぎや、かそけさをすくいとる作風に特徴がある。岡山県歌人会会長、日本歌人クラブ中国地区代表幹事などを歴任。万葉歌碑建立にも尽力した。2012年岡山地域文化賞受賞。
有馬 朗人(ありま あきと、1930年〈昭和5年〉9月13日… 有馬 朗人(ありま あきと、1930年〈昭和5年〉9月13日 - 2020年〈令和2年〉12月6日)は、日本の物理学者(原子核物理学)、俳人、政治家。位階は正三位。旭日大綬章。学位は理学博士(東京大学、1958年)。東京大学名誉教授、財団法人日本科学技術振興財団会長、科学技術館館長、武蔵学園学園長、公立大学法人静岡文化芸術大学理事長(初代)。文化勲章受章者。 国立大学協会会長(第14代)、東京大学総長(第24代)、理化学研究所理事長(第7代)、参議院議員、文部大臣(第125代)、科学技術庁長官(第58代)などを歴任した。 主に、原子核物理学の分野で国際的に知られ、原子核構造論などで多くの業績を上げた。
伊藤 郁男(いとう いくお、1930年9月11日 - 202… 伊藤 郁男(いとう いくお、1930年9月11日 - 2020年10月26日)は、日本の政治家、俳人。元民社党参議院議員(1期)。長男は作家・ミュージシャン、タレントのいとうせいこう。 長野県諏訪市出身。長野県岡谷南高等学校を卒業後、1953年日本社会新聞記者を経て、1960年に民社党本部書記局に入り、機関誌局事務長、1977年に組織局次長などを経て、1980年の第12回参議院議員通常選挙に民社党公認で全国区から立候補し初当選を果たす。1986年、第14回、1989年、第15回の各参院通常選挙に比例区から立候補するもいずれも落選した。 2000年11月の秋の叙勲で勲三等に叙され、旭日中綬章を受章する 2020年10月26日、老衰のため、東京都八王子市の老人ホームで死去した。
成瀬 正俊(なるせ まさとし、1930年〈昭和5年〉9月3日… 成瀬 正俊(なるせ まさとし、1930年〈昭和5年〉9月3日 - 2008年〈平成20年〉4月4日)は、日本の俳人。国宝・犬山城の元城主であり、旧所有者。称号としては愛知県犬山市初の名誉市民を贈られている。角川書店やテレビ朝日にも勤務していた。 父は尾張藩付家老・犬山藩主成瀬正成の末裔で、成瀬家11代当主の成瀬正勝。母は旧松尾藩主太田資美の長男で子爵である資業の娘、文子。東京都生まれ。学習院大学文学部卒業。学位は文学士。1972年(昭和47年)に父の正勝の死去に伴い第12代城主をつとめる。犬山城は2004年(平成16年)4月に成瀬家が設立した財団法人の犬山城白帝文庫に移管された。 長女は財団法人犬山城白帝文庫理事長の成瀬淳子、長男は成瀬正浩。
筒井 富栄(つつい とみえ、1930年6月22日 - 200… 筒井 富栄(つつい とみえ、1930年6月22日 - 2000年7月23日)は歌人。 1930年、物理学者・筒井俊正の長女として東京都に生まれる。1943年に跡見高等女学校に入学するが、戦時下のため山梨県甲府市に疎開し、山梨県立第一高等女学校(現山梨県立甲府西高等学校)に転校。終戦後は東京転入規制のため、埼玉県浦和市立高等女学校(現さいたま市立浦和高等学校)に転校する。 1948年に住友銀行東京支社に入社し秘書を務めるが、社会人になってまもなく脊椎カリエスに罹り、2年間寝たきりの生活を送った。快癒後始めた染色を通じて荻野須美子と知己を得、1956年、歌誌「近代」(1963年に「個性」と改題)に入会、加藤克巳に師事する。
高瀬 善夫(たかせ よしお、1930年5月20日 - 199… 高瀬 善夫(たかせ よしお、1930年5月20日 - 1999年1月28日)は、日本のジャーナリスト、文筆家、歌人。 福島県若松市(現・会津若松市)出身。 1953年、東京大学文学部社会学科を卒業後、毎日新聞社に入り、学芸部副部長、特別報道部編集委員を務める。1975年に学芸部編集委員となる。 林達夫に師事し鎌倉アカデミアにかかわった。
河原 枇杷男(かわはら びわお、1930年4月28日 - )… 河原 枇杷男(かわはら びわお、1930年4月28日 - )は、俳人。本名は田中 良人(たなか よしひと)。兵庫県宝塚市に生まれる。龍谷大学文学部卒。 1954年より永田耕衣に師事し「琴座」同人、1958年に高柳重信の「俳句評論」創刊に参加。1984年「序曲」を創刊・主宰(1989年まで)。第3回俳句評論賞、第2回鬣TATEGAMI俳句賞、第4回正岡子規国際俳句賞を受賞。また西宮市大谷記念美術館事務局長などを歴任。代表句に「野菊まで行くに四五人斃れけり」「身のなかのまつ暗がりの螢狩り」「或る闇は蟲の形をして哭けり」など。存在論的な深みを持つ幻想的な句風。句集に『烏宙論』『流灌頂』『蝶座』などがある。
黛 執(まゆずみ しゅう、1930年〈昭和5年〉3月27日 … 黛 執(まゆずみ しゅう、1930年〈昭和5年〉3月27日 - 2020年〈令和2年〉10月21日)は、俳人。長女は俳人・黛まどか。神奈川県生まれ。明治大学専門部政治経済科卒業。俳人協会顧問、日本文藝家協会会員。 神奈川県足柄下郡湯河原町に、父・完、母・フサヨの長男として生まれる。1936年4月、湯河原町立尋常高等小学校に入学。翌年に日中戦争が勃発。1942年4月、前年12月に起った太平洋戦争下、小田原商業学校に進学。1944年、14歳で横浜市・杉田の日本飛行機の工場に学徒勤労動員され、寮生活に入る。動員先で終戦を迎え、郷里に帰る。1946年、明治大学専門部政治経済科に入学するが、ほとんど大学へは行かず文芸書を乱読。
大久保 白村(おおくぼ はくそん、1930年3月27日-)は… 大久保 白村(おおくぼ はくそん、1930年3月27日-)は俳人。東京都生まれ。本名は泰治。日本伝統俳句協会副会長、元・東京都俳句連盟会長。「ホトトギス」、「玉藻」同人。父も俳人で初代海上保安庁長官の政治家、大久保武雄(俳号・橙青)。 1930年、蕉門の俳人、大久保長水(八左衛門宗雅)を先祖に持つ大久保家、大久保武雄の子として東京都に生まれる。学生時代より父親の影響で高濱虚子の「ホトトギス」や水原秋桜子の「馬酔木」、富安風生の「若葉」に投句。立教大学経済学部卒業後、1952年、富士銀行に入行。同行の職場句会がきっかけで風生に師事、後に「ホトトギス」、星野立子の「玉藻」同人となる。父とともに日本伝統俳句協会の設立に尽力し後年、父と同じ副会長となる。
田井 安曇(たい あずみ、1930年2月19日 - 2014… 田井 安曇(たい あずみ、1930年2月19日 - 2014年11月2日)は、日本の歌人。本名、我妻 泰(わがつま とおる)。ペンネームの安曇は安曇野よりとっているが出身は飯山市である。クリスチャン。 長野県飯山市出身。旧制飯山中学校(現・長野県飯山北高等学校)、岡崎高等師範学校(現・名古屋大学)社会科卒業。中学校の社会科教師となる。立原道造の影響で詩作を始め、のちに短歌に専念。「花実」を経て、1950年に「アララギ」中部青年の会「環」に参加。1951年には近藤芳美を中心にして創刊された短歌雑誌「未来」の創刊に関わる。岡井隆は同じく創刊メンバーである。秋村功と歌誌「河」を編集。1988年、柳川創造らとともに「綱手」創刊。
木村 草弥(きむら くさや、1930年2月7日 - 2023… 木村 草弥(きむら くさや、1930年2月7日 - 2023年6月12日)は、日本の歌人、詩人。本名は重夫(しげお)。 京都府綴喜郡青谷村(現在の城陽市)の宇治茶問屋・丸京山城園製茶場の経営者であった木村重太郎とトヨの三男として出生。姉兄妹六人きょうだいの四番目である。太宰治が『パンドラの匣』の元とした日誌の書き手である木村庄助は長兄であり、大阪大学教授、国立国際美術館館長、兵庫県立美術館館長などを歴任した美術史家の木村重信は次兄。 青谷小学校、京都府立桃山中学校(旧制)を卒業後、1948年に大阪外事専門学校(後の大阪外国語大学、現在の大阪大学外国語学部)フランス語科入学。同級生に言語学・国語学者の玉村文郎や田辺保らがいた。
木下 照嶽(照岳、きのした てるたけ、1930年1月30日 … 木下 照嶽(照岳、きのした てるたけ、1930年1月30日 - )は、日本の会計学者、俳人。明星大学名誉教授。俳号・星城。 長野県下伊那郡泰阜村生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。1973年早稲田大学大学院商学研究科博士課程満期退学。 1949年から1952年まで東京都庁勤務。1974年早稲田大学産業技術専修学校講師、1977年明星大学文学部教授。1994年「社会報告に関する会計の研究」で商学博士の学位を取得。明星大学教授、2000年定年、名誉教授。神奈川大学非常勤講師。文化会計学会代表。俳句療法学会会長。心の文化研究所(附属富嶽出版)代表。
吉村 睦人(よしむら むつひと、1930年(昭和5年)1月2… 吉村 睦人(よしむら むつひと、1930年(昭和5年)1月26日 - 2019年(令和元年)12月4日)は、日本の歌人。 東京都出身。8人兄弟の7番目で四男。父・幸夫は萬朝報記者を経て「婦人タイムス」「音楽画報」などを編集発行、その後には作歌指導や万葉集講義などで生計を立てた。母・千原代志は結婚まで伊藤野枝のもとで「青鞜」などに小説を書いていた。小学生のときから父に短歌を作らされていた。 1948年に父のすすめで國學院大學予科に入学し、釈迢空の研究室をたびたび訪ね、武田祐吉の万葉集輪読会に参加。当初は「国民文学」に出詠していたが、1949年に父に内証で「アララギ」に入会。五味保義の指示で校正等の仕事をする。
岡崎 万寿秀(おかざき ますひで、1930年1月1日 - 2… 岡崎 万寿秀(おかざき ますひで、1930年1月1日 - 2024年12月21日)は、日本の政治家、俳人。元衆議院議員(日本共産党公認、2期)。日本共産党名誉幹部会顧問を経て、同党名誉役員。俳号は万寿(まんじゅ)。 佐賀県唐津市出身。1953年に中央大学法学部を卒業後、日本共産党の理論誌『前衛』の編集長を経て、1983年の第13回参議院議員通常選挙の比例代表から出馬し日本共産党の第7位に登載されたが落選。同年の第37回衆議院議員総選挙に榊利夫の後継として旧東京2区から出馬し初当選。以後1986年の第38回衆議院議員総選挙でも再選を果たすものの、第39回、第40回の各衆院選で次点に終わる。 2024年12月21日死去。
北原 由夫(きたはら よしお、1930年〈昭和5年〉 - 2… 北原 由夫(きたはら よしお、1930年〈昭和5年〉 - 2018年〈平成30年〉)は、歌人、日本文学研究者、江戸川短期大学名誉教授・元学長。長野県上伊那郡高遠町(現伊那市)出身。東洋大学卒。東京文化短期大学教授、江戸川女子短期大学教授、2003年江戸川短期大学学長、同名誉教授。島木赤彦研究会名誉会長。新井章に兄事した。 2010年春、瑞宝小綬章を受章。
松林 尚志(まつばやし しょうし、1930年 – 2022年… 松林 尚志(まつばやし しょうし、1930年 – 2022年10月16日)は、日本の詩人、俳人。 長野県松本市出身。松本県ヶ丘高校、慶應義塾大学経済学部卒業。現代俳句協会、現代詩人会の各会員。俳句雑誌「木魂」代表、「海原」同人。 1985年、第4回現代俳句評論賞受賞。1998年–2018年[要出典]、現代俳句協会現代俳句評論賞選考委員。
髙瀬 一誌(たかせ かずし、1929年12月7日 - 200… 髙瀬 一誌(たかせ かずし、1929年12月7日 - 2001年5月12日)は昭和から平成期の歌人。本名、高瀬公一郎。 東京府豊多摩郡井荻町(現・杉並区)に生まれる。父は東京商科大学(現・一橋大学)教授・文部大臣・郵政大臣などを歴任した高瀬荘太郎、母方の祖父は台湾銀行副頭取・東洋海上保険(現・日新火災海上保険)社長などを歴任した下坂藤太郎。 1942年に暁星中学校に入学し、戦時中は父の郷里である静岡県富士宮市に疎開して富士宮農学校(現・静岡県立富岳館高等学校)に転校した。1946年に歌誌「をだまき」に入会し、中河幹子(小説家・中河与一の妻)に師事。1951年、蒔田さくら子とともに歌誌「短歌人」に入会し小宮良太郎に師事。
御木 白日(みき しらひ、1929年12月1日 - )は、日… 御木 白日(みき しらひ、1929年12月1日 - )は、日本の歌人。父、御木徳近はパーフェクト リバティー教団(PL教団)第2代教主。 愛媛県松山市生まれ。1956年(昭和31年)学習院大学文学部仏文科卒、ソルボンヌ大学に学ぶ。1959年(昭和34年)大正大学大学院文学研究科修了。1965年(昭和40年)短歌芸術賞受賞。1985年(昭和60年)、「日本近代史とリズム」により、大正大学より文学博士を取得。PL学園高等学校の校長、PL学園女子短期大学の学長も歴任した。
大塚 布見子(おおつか ふみこ、1929年11月30日 -2… 大塚 布見子(おおつか ふみこ、1929年11月30日 -2020年4月12日 )は、日本の歌人。1977年歌誌『サキクサ』創刊。歌集、評論集など多数。夫は小説家・歌人の大塚雅春。孫に劇団アマヤドリ所属の女優・大塚由祈子。 香川県観音寺市出身。香川県立三豊高等女学校(現・香川県立観音寺第一高等学校)在学中に、「形成」同人で同校の南信一校長に短歌を学ぶ。東京女子大学国語科在学中、担任の藤森朋夫に万葉集を学ぶ。一時勤務したスタイル社の『スタイル』、ロマンス本社の『モダン・ロマンス』で、宇野千代、北原武夫、和田芳恵のもとで編集者として仕事をする。歌誌『藝林』を経て、1977年歌誌「サキクサ」を創刊、サキクサ短歌会を主宰。
宮津 昭彦(みやつ あきひこ、1929年11月10日- 20… 宮津 昭彦(みやつ あきひこ、1929年11月10日- 2011年1月10日)は、昭和・平成期の俳人。神奈川県横浜市生まれ。横浜商工実習学校商業部(現・神奈川県立商工高等学校)で担任であった大野林火の指導を受けたのをきっかけに俳句をはじめる。卒業後は大阪住友海上保険(のちの三井住友海上火災保険)に入社、同時期に林火の「濱」同人。濱賞、濱同人賞を受賞、林火死去後の1998年より「濱」副主宰を務める。林火の句風を受け継いだ叙情性のある句風。1997年、句集『遠樹』で第37回俳人協会賞受賞。俳人協会副会長も務めた。2011年1月10日死去、81歳。
千田 一路(せんだ いちろ、1929年10月17日 - 20… 千田 一路(せんだ いちろ、1929年10月17日 - 2022年7月4日)は、日本の俳人。 石川県珠洲市生まれ。本名・一郎。「風港」名誉主宰。珠洲市役所に勤め、観光・広報・社会教育行政に携わり、福祉事務所長。1954年に俳句結社「風」に入会し、沢木欣一に師事。「風」同人、「白山」顧問を経て、「風港」を主宰。公益社団法人俳人協会評議員、公益社団法人俳人協会石川支部顧問、珠洲並びに石川県俳文学協会顧問、日本ペンクラブ会員、日本文藝家協会会員。 2022年7月4日、病気のため死去。92歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
石川 一成(いしかわ かずしげ、1929年9月8日 - 19… 石川 一成(いしかわ かずしげ、1929年9月8日 - 1984年10月23日)は、昭和時代の歌人・高等学校国語科教諭(神奈川県立厚木高等学校教頭)。竹柏会「心の花」編集委員。 千葉県佐原市に生まれる。旧制東京文理科大学漢文学専攻科を卒業。在学当時から歌人佐佐木信綱に師事。1950年竹柏会に入会し、後に歌誌「心の花」編集委員に就任。神奈川県立藤沢高等学校を経て、1954年から1972年まで神奈川県立湘南高等学校国語科教諭を歴任。神奈川県立総合教育センター国語研究室在職中に中華人民共和国四川省重慶市の四川外語学院に派遣され、同校で2年間、日本人として初めて日本語教師を務めた(1979年から1981年まで)。
大峯 顕(おおみね あきら、1929年7月1日 - 2018… 大峯 顕(おおみね あきら、1929年7月1日 - 2018年1月30日)は、日本の哲学者、浄土真宗僧侶、俳人。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1976年)。大阪大学名誉教授、元龍谷大学教授。専立寺前住職。学者としての専攻は宗教哲学。中期フィヒテ研究・西田幾多郎研究で知られる。俳号は大峯 あきら。 奈良県吉野郡大淀町出身。旧制奈良県立畝傍中学校を経て、1953年、京都大学文学部宗教学科卒業、1959年、京都大学大学院文学研究科博士課程修了。 1959年、京都大学文学部助手。1966年、大阪外国語大学助教授。1971年より1972年まで、文部省在外研究員としてハイデルベルク大学留学。1973年、大阪外国語大学教授。
菱川 善夫(ひしかわ よしお、1929年6月3日 - 200… 菱川 善夫(ひしかわ よしお、1929年6月3日 - 2007年12月15日)は、日本の歌人・文芸評論家・国文学者。北海学園大学名誉教授。戦後の前衛短歌運動を批評の立場から推し進めた。 北海道小樽市出身。旧制小樽中学(現北海道小樽潮陵高等学校)、1953年北海道大学文学部国文学科卒業、1958年同大学院文学研究科博士課程満期退学。1957年北海道苫小牧西高等学校教諭。1959年北海道札幌西高等学校教諭、1962年旭川工業高等専門学校助教授、1969年北海道工業大学助教授。1972年同教授、1977年北海学園大学教養部教授。1993年同人文学部教授。北海学園大学教養部長や、同学生部長、同附属図書館長、同人文学部長・大学院文学研究科長を歴任。
後藤 安彦(ごとう やすひこ、1929年5月28日 - 20… 後藤 安彦(ごとう やすひこ、1929年5月28日 - 2008年2月16日)は、日本の翻訳家、歌人。本名は二日市 安。 兵庫県西宮市生まれ。 生来の脳性麻痺のため、堺市立熊野国民学校卒業後は自宅で暮らす。少年期から青年期にかけては幽閉同然に大分県で育った。1958年に桐三樹夫の推挙で短歌結社「中央線」入会。1964年に結社新人賞、1972年に作品賞を受賞。数か国語を独学で学び、翻訳家となる。ジョン・ガードナーやトマス・チャステイン(Thomas Chastain)など、推理小説を翻訳。障害者運動にも積極的に活動した。「車椅子の国会議員をつくる会」を立ち上げて代表をつとめようとしたこともあるが、すぐにつぶれたという。
廣瀬 直人(ひろせ なおと、1929年5月16日 - 201… 廣瀬 直人(ひろせ なおと、1929年5月16日 - 2018年3月1日)は、日本の俳人。 山梨県一宮町(笛吹市)生まれ。本名は直瀬。東京高等師範学校を卒業。卒業後は郷里で高校教師として務める。祖父の影響で句作をはじめ、1948年「雲母」入会、飯田蛇笏に師事。1961年「雲母」同人、1968年第4回山蘆賞受賞。蛇笏の没後は飯田龍太に師事。1992年「雲母」廃刊、翌年その後継誌として「白露」を創刊・主宰。一貫して自然と生活を主題として句作し、2008年には句集『風の空』で第43回蛇笏賞、第1回小野市詩歌文学賞を受賞した。また福田甲子雄とともに『飯田龍太全集』(2005年、角川書店)を監修している。
高嶋 健一(たかしま けんいち、1929年4月14日 - 2… 高嶋 健一(たかしま けんいち、1929年4月14日 - 2003年5月18日)は、日本の教育学者(教育心理学)・歌人。静岡県立大学名誉教授。 池田市教育研究所所員、兵庫県立湊川高等学校教諭、静岡女子短期大学助教授、静岡女子大学文学部教授、水甕選者、水甕運営委員長などを歴任した。 1929年4月14日、兵庫県神戸市にて生まれた。その後、広島文理科大学に進学し、教育学科にて学んだ。なお、広島文理科大学は、国立学校設置法により広島大学に包括されることが決まったことから、大学名を広島大学広島文理科大学と改称したうえで、在学生の卒業後に廃止されることになった。1953年、広島文理科大学を卒業した。1953年をもって広島文理科大学としての学生は全員卒業したため、広島大学広島文理科大学は研究科などの残務整理のうえ1962年に廃止された。
小沢 昭一(おざわ しょういち、本名:小澤 昭一(読み同じ)… 小沢 昭一(おざわ しょういち、本名:小澤 昭一(読み同じ)、1929年(昭和4年)4月6日 - 2012年(平成24年)12月10日)は日本の俳優、タレント、俳人、エッセイスト、芸能研究者、元放送大学客員教授。日本新劇俳優協会会長。俳号は小沢 変哲。劇団「しゃぼん玉座」主宰。見世物学会顧問。
鳥海 昭子(とりのうみ あきこ、1929年4月6日 - 20… 鳥海 昭子(とりのうみ あきこ、1929年4月6日 - 2005年10月9日)は、歌人、エッセイスト。 山形県鳥海山麓生まれ。1949年歌誌「アララギ」入会。その後「歌と観照」「短詩型文学」に所属する。家出同然で上京して、様々な仕事を経験しながら学費を稼ぎ、1955年國學院大學文学部日本文学科卒業。児童養護施設に洗濯婦として働き始め、身寄りのない子供たちの継母として26年間勤め上げた。1985年、歌集「花いちもんめ」で第29回現代歌人協会賞受賞。1992年東京都文化功労賞受賞。現代歌人協会会員。児童養護施設勤務経験をもとにした随筆も執筆している。2005年、NHKラジオの「ラジオ深夜便」にて誕生日の花にちなんだ短歌を一年間発表。