倉田 眉貴子(くらた みきこ、1941年 - )は、日本の教… 倉田 眉貴子(くらた みきこ、1941年 - )は、日本の教育者、大手前丸亀中学・高等学校前校長。
職業が教育者:2,211人
倉田 眉貴子(くらた みきこ、1941年 - )は、日本の教… 倉田 眉貴子(くらた みきこ、1941年 - )は、日本の教育者、大手前丸亀中学・高等学校前校長。
松井 信行(まつい のぶゆき、1941年(昭和16年) - … 松井 信行(まつい のぶゆき、1941年(昭和16年) - )は、日本の化学者、教育者。東京外国語大学名誉教授。専門は、無機化学。 広島県出身。高校の化学教諭を経て、大学教官になった珍しい経歴を持つ。主に、国費外国人留学生に対する科学教育の分野で活躍している。2022年、瑞宝中綬章受章。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
片山 和俊(かたやま かずとし、 1941年 - )は、日本… 片山 和俊(かたやま かずとし、 1941年 - )は、日本の建築家、建築研究者・教育者。東京芸術大学名誉教授。 研究者・教育者として集住環境の実測調査および設計に携わる。1989年から2009年まで、東京芸術大学美術学部、大学院美術研究科教授。 東京生まれ。1966年(昭和41年)、東京芸術大学美術学部卒業。1968年(昭和43年)に同大学院修士課程修了。環境設計茂木研究室での建築実務を経て、1989年、東京芸術大学美術学部建築科助教授。2000年(平成12年)に東京芸術大学美術学部建築科教授。2008年(平成20年)に退任。教育・研究の傍らで主に住宅設計を中心に建築設計を多く手がけ、その他各地の町並みや景観計画にも係わる。
難波 平人(なんば ひらと、1941年- )は、山口県出身の… 難波 平人(なんば ひらと、1941年- )は、山口県出身の洋画家、教育者。二紀会委員・監事、広島大学名誉教授。中国文化賞を受賞。 1941年に山口県熊毛郡上関町白井田に生まれる。1964年には広島大学教育学部美術科を卒業する。翌年には同大学の研究生を修了。後に広島大学大学院教育学研究科造形芸術教育学講座の教授として後身を育成する。2004年、広島大学退官記念の作品展を東京芸術劇場、広島県民文化センターで開催。 現在は、二紀会委員、広島大学名誉教授、日本美術家連盟会員、中国新聞情報文化センター講師、NHK文化センター講師を務め、波の会を主催している。 1975年に第18回安井賞展に出品し、受賞候補となる。
市川 喜紀(いちかわ よしき、1941年 - )は、日本の教… 市川 喜紀(いちかわ よしき、1941年 - )は、日本の教育者、岩手県立大学理事長。 1964年武蔵大学経済学部を卒業。同年日本銀行に入行し、貯蓄推進局調査役、仙台支店次長、考査役などを務める。1986年株式会社北日本相互銀行(現 北日本銀行)に入行し、取締役総合企画部長、常務取締役、専務取締役、常勤監査役などを務める。2004年きたぎんビジネスサービス株式会社取締役会長に就任。2005年4月より本学理事長。なお、この間、1999年~2003年岩手県学術研究振興財団理事、1999年度~2000年度岩手県経済同友会代表幹事、2001年~2005年盛岡大学監事などを務める。
鄭 吉生(チョン・ギルセン、朝鮮語: 정길생、1941年 -… 鄭 吉生(チョン・ギルセン、朝鮮語: 정길생、1941年 - )は、大韓民国の教育者、農学者。 第16代建国大学校総長、第6代韓国科学技術翰林院(朝鮮語版)院長などを歴任した。科学技術有功者(朝鮮語版)、建国大学校名誉教授、延辺科学技術大学名誉教授。 1965年に建国大学校畜産大学畜産学科卒、1970年に京都大学大学院、1973年に同校大学院博士課程修了(農学博士)。 国家科学技術諮問会議委員(1995年5月~1997年5月)、第16代建国大学校総長(2002年9月1日~2006年8月31日)、韓国バイオ産業協会(現・韓国バイオ協会(朝鮮語版))副会長(2005年~2008年)、社団法人国民健康増進実践協議会常任顧問、学校法人聖光学院理事、第6代韓国科学技術翰林院(朝鮮語版)院長(2010年3月~2013年2月)などを務めた。
塚本 桓世(つかもと たけよ、1941年(昭和16年) - … 塚本 桓世(つかもと たけよ、1941年(昭和16年) - 2023年8月13日)は、教育者・物理学者。東京都出身。東京理科大学第6代理事長。山口東京理科大学第4代学長。
延藤 安弘(えんどう やすひろ、1940年12月1日 - 2… 延藤 安弘(えんどう やすひろ、1940年12月1日 - 2018年2月8日)は、日本の建築家、都市研究者、都市計画家、教育者、地域プランナー、地域活動家。専攻は生活空間計画学。工学博士。 まち育ての研究と実践、人材育成のほかに各地で「幻燈会」を開いて啓蒙に努める自称「まち育ての語り部」。大阪府大阪市生まれ。 その他、まちの縁側GOGO、神戸市真野地区まち育て、武蔵野市公団緑町団地共同建替、高知赤岡町まち育て等、各地で数多くの地域づくり、まちづくり実践に努める。
佐藤 征一郎(さとう せいいちろう、1940年(昭和15年)… 佐藤 征一郎(さとう せいいちろう、1940年(昭和15年)10月15日 - )は、日本の声楽家(バス、バスバリトン)、オペラ歌手、音楽教育者、合唱指揮者。 宮城県仙台市生まれ。神奈川県立川崎高等学校 卒業。1967年(昭和42年)東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。1970年(昭和45年)同大学院修士課程修了。大学院在学中に第132回芸大オーケストラ定期公演(指揮:山田一雄)ベートーヴェン『第九』バス独唱で音楽界にデビュー。1969年(昭和44年)二期会(指揮:若杉弘)ワーグナー『ラインの黄金』ファフナーでオペラデビュー。その後、読売日本交響楽団第58回定期演奏会(指揮:若杉弘)ベルリオーズ『ファウストの劫罰』ブランデルや、同年帰国した小澤征爾指揮による日本フィルハーモニー交響楽団第180回東京定期演奏会 モーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』(演奏会形式)に出演 したほか、二期会を中心に1971年(昭和46年)2月までの約2年間に計14本 ものプロダクションに出演している。
福江 俊喜(ふくえ としき、1940年8月14日 - )は、… 福江 俊喜(ふくえ としき、1940年8月14日 - )は、日本の教育者。労働運動家。 山口県阿武郡地福村(現・山口市)出身。1959年3月山口県立山口高等学校卒業(第65期)、1963年3月山口大学文理学部東洋史学専攻卒業。同年、山口県立柳井商工高等学校非常勤講師、1964年 同校教諭に就任。以後、山口県立徳佐高等学校、山口県立田布施農業高等学校、山口県立徳山商業高等学校教諭を歴任。山口県高校生交流集会事務局長。1989年 - 2001年 山口県高等学校教員組合(県高教組)執行委員長、1994年 - 2003年 山口県労働組合総連合議長を務めた。
松浦敬紀(まつうら たかのり、1940年7月5日 - )は、… 松浦敬紀(まつうら たかのり、1940年7月5日 - )は、日本の教育者。多摩大学経営情報学部名誉教授。専門は、経営組織論、職業論。
上原 春男(うえはら はるお、1940年3月28日 - 20… 上原 春男(うえはら はるお、1940年3月28日 - 2017年8月11日)は、日本の教育者、工学者。特定非営利活動法人海洋温度差発電推進機構理事長。専門は海洋温度差発電(OTEC)、凝縮熱伝達。効率的な海洋温度差発電システムであるウエハラサイクルの発明者。福島第一原子力発電所・3号機の設計者でプレート式冷却装置の開発者でもある。工学博士を取得。
木村 隆文(きむら たかふみ、1940年1月2日 - 201… 木村 隆文(きむら たかふみ、1940年1月2日 - 2011年11月28日)は、日本の教育者。学校法人青森山田学園の理事長や青森山田高等学校の校長を務めていた。スポーツに力を入れ、卓球や野球、サッカーなどで青森山田高等学校の名前を全国に知らしめた。日本卓球協会副会長を務めており、10段を授与されている。 青森県出身。青森県立青森高等学校、日本大学法学部を卒業、1962年に当時母親が校長だった青森山田高等学校の教諭に赴任し、1995年に同校の校長となった。校長就任後はスポーツに力を入れて、野球の渋谷良弥や卓球の吉田安夫など優れた指導者を招くとともに、優秀な生徒を集め、バドミントンや卓球、サッカー、野球などで実績をあげた。
森 紀旦(もり としあき、1940年1月1日 - 2018年… 森 紀旦(もり としあき、1940年1月1日 - 2018年7月10日)は、日本の聖職者、神学者、教育者。聖公会神学院校長、ウイリアムス神学館館長、日本聖公会中部教区主教。 1940年、埼玉県生まれ。 1966年に聖公会神学院を卒業し、翌1967年に執事叙任。1969年に司祭叙任。 1970年、立教大学大学院文学研究科修士課程修了。 1971年、米国マサチューセッツ州ケンブリッジのエピスコパル神学校に留学。 1976年、立教大学大学院文学研究科博士課程修了。 日本聖公会北関東教区の諸教会で牧会し、立教大学文学部キリスト教学科の講師を務め、ギリシア語や新約聖書を講じる。 聖公会神学院校長、ウイリアムス神学館館長を歴任し、新約聖書学、礼拝学を教える。
遠藤 知恵子(えんどう ちえこ、1940年 - )は、日本の… 遠藤 知恵子(えんどう ちえこ、1940年 - )は、日本の教育学者・教育者。学位は、教育学博士(北海道大学)。元北翔大学学長・北翔大学短期大学部学長。北海道出身。恩師は山田定市。 1959年北海道札幌南高等学校卒業。1963年北海道大学文学部ドイツ文学専攻卒業。その後、道内各地の中学校で教諭を務め、1982年北海道大学教育学部卒業。1991年同大学院教育学研究科社会教育学博士課程単位取得満期退学。1991年弘前学院大学文学部助教授。1994年3月 北海道大学 教育学博士 論文の題は「地域社会教育実践と現代公民館の展開基盤に関する実証的研究」。1994年弘前学院大学文学部文学部教授を経て、1999年弘前学院大学文学部長。
狩野 紀昭 (かのう のりあき、1940年 - )は、日本の… 狩野 紀昭 (かのう のりあき、1940年 - )は、日本の教育者、著述家、コンサルタント(品質管理分野)である。東京理科大学名誉教授。 顧客にとっての品質を左右する、製品に「不可欠な」(当たり前)要素と「他の製品と差別化する」(魅力的)要素とを峻別したシンプルなランキングによる顧客満足モデル(「狩野モデル」として知られる)を開発した。 2010年度にはローマ大学の客員教授を務めた。 1970年代後半から1980年代前半に、狩野とその門下生は、顧客満足モデルについての新たなアプローチの基礎を築いた。狩野は、企業の製品やサービスのあらゆる要素を改善することが顧客満足度の向上につながるという従来の通説に異を唱えた。
千葉 喬三(ちば きょうぞう、1939年11月22日 - )… 千葉 喬三(ちば きょうぞう、1939年11月22日 - )は、日本の農学者、教育者、農学博士。岡山大学教授、理事・副学長、同大学第12代学長、学校法人就実学園理事長などを歴任した。岡山大学名誉教授。ベトナム国立フエ大学名誉教授。 専攻は農学(特に森林科学、環境農学)。
津田 勉(つだ つとむ、1939年10月6日 - )は三重県… 津田 勉(つだ つとむ、1939年10月6日 - )は三重県の政治家で教育者。学校法人津田学園の創設者で初代理事長。津田学園最高顧問(現在)。1975年から1999年までの6期24年間に三重県議会議員として活動していた。元三重県議会議長。三重県四日市市小山田地区の美里町出身。平成21年に旭日小綬章を受勲。平成25年に県民功労者表彰(地方自治功労賞)を受ける。 昭和14年生まれで昭和27年3月に三重郡小山田村立小山田小学校(現在の四日市市立小山田小学校)を卒業。昭和30年3月に三重郡水沢村立水沢中学校(現在の四日市市立西陵中学校)を卒業。東洋町商店街周辺の富洲原地区民になり三重県立四日市高等学校普通科に通う。
小原 敏彦(おばら としひこ、1939年9月7日 - )は日… 小原 敏彦(おばら としひこ、1939年9月7日 - )は日本の教育者、スポーツライター。埼玉県生まれ。埼玉大学教育学部卒業。埼玉県立春日部高等学校教諭、県立高校長などを経て、スポーツライターとして活躍している。 元埼玉陸上競技協会理事長、副会長。読売新聞社「彩の栞」、埼玉新聞社「標点」元執筆者。現朝日スポーツネツト編集委員。 埼玉県体育協会顧問・評議員。埼玉県スポーツ協会100周年特別委員。日本スポーツマンクラブ所属。日中友好体育懇話会代表。埼玉大学陸上競技部OB会長。 人見絹枝研究の第一人者。戦争で失われた多くの記録を集め、書籍としてまとめ上げ「人見絹枝」の名をより世に知らしめた功績をもつ。
河野 伊一郎(こうの いいちろう 1939年9月 - )は、… 河野 伊一郎(こうの いいちろう 1939年9月 - )は、日本の工学者、教育者、工学博士。岡山大学名誉教授。元岡山大学学長、元国立高等専門学校機構理事長。専攻は土木工学、地盤工学。
畑地 正憲(はたち まさのり、1939年 - )は、日本の東… 畑地 正憲(はたち まさのり、1939年 - )は、日本の東洋史学者、教育者。山口大学名誉教授、萩国際大学・山口福祉文化大学元学長。文学博士(九州大学、2012年)。 1939年、長崎県長崎市出身。1957年に長崎県立長崎東高等学校卒業、1961年に長崎大学学芸学部を卒業後、長崎県公立学校の教諭となる。後に九州大学大学院へ進み、1970年同文学研究科史学・東洋史専攻修了、1972年同東洋史学専攻博士課程中途退学。1981年に山口大学人文学部教授となり、同大学共通教育センター長などを歴任し、2002年に定年退官。1999年から萩国際大学国際学科教授となり、2003年副学長を経て、2004年に学長就任。
沢井 鈴一(さわい すずいち、1939年 - 2015年7月… 沢井 鈴一(さわい すずいち、1939年 - 2015年7月21日)は、愛知県春日井市出身の教育者・郷土史家。 明治大学文学部卒業 後、市邨学園高等学校において国語の教員として勤務するかたわら、郷土史を研究した。また、在職中より生徒とともに堀川再生運動にもかかわった。退職後も精力的に活動し、市民団体「堀川文化探索隊」代表も務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
鈴木 守(すずき まもる、1938年11月30日 - )は、… 鈴木 守(すずき まもる、1938年11月30日 - )は、日本の医学者・教育者。元群馬大学学長、医学部長、上武大学学長、医学博士。 専門は寄生虫学。特に、マラリア対策研究、熱帯医学。 静岡県出身。私立武蔵高校卒業後、1964年千葉大学医学部卒業。1969年千葉大学大学院医学研究科博士課程修了。学位論文名は「トキソプラズマ色素試験Acessory Faetorの研究マウス細胞溶解因子の意義」。同年、東京大学医科学研究所細菌感染研究部を経て、1972年WHO上級研究者としてイギリスおよびアメリカに留学。 1974年東海大学助教授。1976年群馬大学教授となる。1998年、群馬大学医学部長。2001年、群馬大学副学長を経て、2003年より群馬大学長。
高 丈二(こう じょうじ、1938年(昭和13年)11月22… 高 丈二(こう じょうじ、1938年(昭和13年)11月22日 - )は、日本の声楽家、テノール歌手、オペラ歌手、音楽教育者。沖縄県立藝術大学・聖徳大学名誉教授。旧名 黄 耀明と書かれた記録が存在する。 兵庫県神戸市出身。1958年(昭和33年)兵庫県立神戸高等学校卒業。1963年(昭和38年)、東京藝術大学卒業。1965年(昭和40年)、同大学院オペラ科修了。渡邊高之助に師事。1965年(昭和40年)モーツァルト『魔笛』タミーノ役で声楽家としてデビュー後、1968年(昭和43年)イタリアに留学。ヴェルディ音楽院に入学し、エットレ・カンポガッリアーニに師事。1970年(昭和45年)ミラノ・レオーネⅩIII劇場でロッシーニ『セヴィリアの理髪師』のアルマヴィーヴァ伯爵を歌い、好評を博す。
東後 勝明(とうご かつあき、1938年〈昭和13年〉11月… 東後 勝明(とうご かつあき、1938年〈昭和13年〉11月16日 - 2019年〈平成31年〉8月14日)は、英語教育者、早稲田大学名誉教授。 兵庫県神戸市生まれ。空襲で兵庫県小野市(当時小野町)に疎開。兵庫県立小野高等学校を経て早稲田大学教育学部英語英文学科卒業、同大学専攻科修了。ロンドン大学大学院教育研究科修士課程修了、博士課程修了。早稲田大学教授、2008年定年退職、名誉教授。東京YMCAインターナショナルスクール校長。1972年から1985年9月までの長きに渡りNHKラジオ「英語会話」の講師を務めた。1995年キリスト教に入信。英語学・英語教育に関する著書多数。英語音声学、英語教育学専攻。
松平 賴武(まつだいら よりたけ、1938年8月17日 - … 松平 賴武(まつだいら よりたけ、1938年8月17日 - )は、日本の教育者。高松松平家14代当主。本郷学園理事長 。公益社団法人香川県教育会会長、ボーイスカウト日本連盟理事、同国際コミッショナー、世界スカウト機構アジア太平洋地域連盟スカウト委員を歴任したほか、世界仏教スカウト協会創設に携わった。
松平 賴武(まつだいら よりたけ、1938年8月17日 - … 松平 賴武(まつだいら よりたけ、1938年8月17日 - )は、日本の教育者。高松松平家14代当主。本郷学園理事長、公益社団法人香川県教育会会長、ボーイスカウト日本連盟副理事長、公益財団法人松平公益会会長。ボーイスカウト日本連盟国際コミッショナー、世界スカウト機構アジア太平洋地域連盟スカウト委員を歴任したほか、世界仏教スカウト協会創設に携わった。2010年(平成22年)旭日小綬章受章。 高松松平家の13代当主松平頼明の長男として生まれ、終戦直後、小学2年までの2年間を香川県で過ごした。頼明(のちにボーイスカウト日本連盟理事)がスカウト運動に携わっていたことから三島通陽、久留島秀三郎、古田誠一郎、岩波信平、鳴海重和、村山有、中村知らが家に出入りしており、賴武も自身もスカウトとなる。
大野 慶人(おおの よしと、1938年〈昭和13年〉7月15… 大野 慶人(おおの よしと、1938年〈昭和13年〉7月15日 - 2020年〈令和2年〉1月8日)は、舞踏家、演出家、ダンスセラピスト、教育者。大野一雄の次男。1986年以降、大野一雄の全作品を演出している。 ソロ作品「花と鳥」(2013年)はヨーロッパ(2014年)ブラジル(2015年)中国 (2016年2017年)を巡演。
三林 輝夫(さんばやし てるお、1938年〈昭和13年〉7月… 三林 輝夫(さんばやし てるお、1938年〈昭和13年〉7月2日 - 2025年〈令和7年〉11月14日)は、日本の声楽家(テノール)、音楽教育者、合唱指揮者、公演監督。 新潟県出身。1961年(昭和36年)東京芸術大学音楽学部声楽科卒業、1963年(昭和38年)同校声楽専攻科修了。木下保、渡邊高之助、古沢淑子に師事。デビューは1963年の東京労音のオペラ『フィガロの結婚』でのバジリオ役で、これ以降二期会や東京室内歌劇場他で数多くのオペラ、オペレッタ、創作歌劇に活躍している。 また、日本におけるフランス歌曲の第一人者として十数回にわたるリサイタルで高い評価を得ている。日本歌曲の演奏でも、その明瞭なディクションと深い表現には定評があり「ビロードのような」と定評のある美しい声を披露してきた。
佐藤 照子(さとう てるこ、1938年6月16日 - 200… 佐藤 照子(さとう てるこ、1938年6月16日 - 2004年6月15日)は、日本の教育者。 埼玉短期大学学長、花咲徳栄高等学校校長を務めた。 東京都中央区出身。大妻高等学校、大妻女子大学家政学部家政学科卒業。夫は学校法人佐藤栄学園理事長の佐藤栄太郎(2008年死去)。息子は同学園の二代目理事長の佐藤孝司(2012年死去)。 結婚後は夫と共に学園運営に携わったほか、運営する学校の校歌や応援歌・賛歌の作詞をした。1996年11月14日に埼玉県知事に表彰、1997年12月1日に文部大臣に表彰される。2001年5月15日に藍綬褒章を受章。 2004年6月15日に脳梗塞のため65歳で死去。同年7月18日に自身が校長を務めていた花咲徳栄高校で「学園葬」が執り行われた。
田村 徹(たむら とおる、1938年1月15日 - )は、日… 田村 徹(たむら とおる、1938年1月15日 - )は、日本の作曲家、教育者、文教大学名誉教授、元学校法人文教大学学園理事長。 現在の北朝鮮沙里院市生まれ。終戦後の1945年、福岡県久留米市に引き揚げる。1962年、武蔵野音楽大学作曲科卒業。渡辺浦人、安部幸明、クラウス・プリングスハイムに師事した。 1963年、管弦楽曲「筑後地方の俗楽によるコンポジッション」が第4回TBS賞特賞受賞。1965年、「フルート、クラリネット、ファゴットのための三重奏」が日本音楽コンクール作曲部門室内楽曲第3位入賞。文教大学、武蔵野音楽大学等で作曲を教授し、文教大学学生部長、文教大学学園理事長を歴任。九州・沖縄作曲家協会元会長、名誉会員、東アジア作曲家協会理事、日本現代音楽協会会員。
柴 順三郎(しば じゅんざぶろう、1938年 - )は、日本… 柴 順三郎(しば じゅんざぶろう、1938年 - )は、日本の地方公務員、教育者。元静岡県副知事、元気象審議会委員、元学校法人三島学園理事等を務めた。 静岡県出身。静岡県立韮山高等学校卒業。1959年(昭和34年)3月、日本大学短期大学部卒業後は静岡県に奉職。県の企画部長・出納長などの職務を経験した後、同県副知事に就任。副知事に就任して以来、静岡県広報協会会長、気象審議会委員、静岡県日中友好協議会理事長などの要職に就いた。 副知事の任期満了に伴い、後任として鈴木雅近氏が選任された。退任後は、学校法人三島学園(知徳高等学校)理事を務めた。 2008年(平成20年)4月、瑞宝中綬章を受賞。
高杉 弘之(たかすぎ ひろゆき、1938年(昭和13年) -… 高杉 弘之(たかすぎ ひろゆき、1938年(昭和13年) - )は、日本の教育者である。国立特殊教育総合研究所研究員として勤務した後、広島大学教育学部教授となる。障害児教育を研究分野としていた。岡山県真庭市出身。 1938年(昭和13年)岡山県阿賀郡呰部村(現:真庭市)の高杉家に出生する。地元に近い岡山県立高梁高等学校へ進学する。同期には、ノンフィクション作家になる河内洋輔がいる。その後、1957年(昭和32年)に同校を卒業する。 その後、東京大学へ進学する。同大学文学部で学び、1962年(昭和37年)に同大学を卒業する。その後、東京大学大学院人文社会系研究科へ進学する。ここで、日本において盲ろう教育の草分的な存在であった梅津八三名誉教授が高杉の指導教官となる。
江口 一雄(えぐち かずお、1937年(昭和12年)9月25… 江口 一雄(えぐち かずお、1937年(昭和12年)9月25日 - 2014年(平成26年)11月27日)は、日本の政治家、教育者。衆議院議員(当選3回)。自民党副幹事長、防衛政務次官、運輸政務次官、衆議院厚生委員長、自民党商工部会長、学校法人八千代松陰学園理事長(事実上の創立者、創業者)、千葉県神社総代会長、日本会議千葉会長などを歴任。 千葉県印旛郡阿蘇村字村上(現・八千代市)出身。1945年4月1日父の義勇が太平洋戦争でフィリピンのルソン島にて戦死。千葉県立佐倉第一高等学校卒業。千葉大学園芸別科修了。 1974年5月、千葉県議会議員補欠選挙に立候補して初当選し、その後4期務める。 1978年、山口久太に約1万5千坪の土地を無償提供し、八千代松陰高等学校創立に尽力。
尾島 俊雄(おじま としお、1937年9月2日 - )は、日… 尾島 俊雄(おじま としお、1937年9月2日 - )は、日本の建築家、建築学者、教育者、環境学者、都市環境工学者、都市科学者。工学博士。早稲田大学名誉教授。 富山県生まれ。早稲田大学で建築都市環境に関する教育と研究、また研究成果の実践につとめた人物。 1970年に、早稲田大学にて日本で初めての都市環境工学講座を建築学科に設けた。 2008年からは 財団法人建築保全センター理事長ほか。アジア都市環境学会会長。 大阪万国博覧会、国際科学技術博覧会など、日本国内で開催された博覧会会場環境設計ほか多数。また、新東京国際空港や多摩ニュータウン・センター地区などの基本設計なども手がけている。 2008年、都市環境工学の発展に対する貢献で、日本建築学会賞受賞。
久野 猛(ひさの たけし、1937年8月20日- )は日本の… 久野 猛(ひさの たけし、1937年8月20日- )は日本の教育者、作家。都立高等学校校長等を歴任。 鹿児島県いちき串木野市出身。鹿児島県立串木野高等学校卒業。1962年東京大学理学部地学科を卒業し、都立高校教諭となる。都立北園高校教頭などを経て、都立足立高校校長に就任する。その後、都立日比谷高校校長となり、1993年~1997年まで全国高等学校体育連盟会長を兼務した。退任後は警視庁教育参与を務めるなど要職を歴任した。 また、松崎陽平名義の小説『狂いだすのは三月』で1977年第14回文藝賞を受賞した。
坂本 泰造(さかもと たいぞう、1937年7月17日 - )… 坂本 泰造(さかもと たいぞう、1937年7月17日 - )は、日本の教育者、評論家。 埼玉県秩父市山田生まれ。埼玉大学教育学部卒業。国語専攻。埼玉県春日部市立備後小学校教諭など小学校教師を務め、教育関係の著書を書いた。全国生活指導研究協議会(全生研)会員。
秋葉 四郎(あきば しろう、1937年(昭和12年)5月18… 秋葉 四郎(あきば しろう、1937年(昭和12年)5月18日 - )は、日本の歌人・文芸評論家・随筆家・教育者。学位は、文学博士。短歌結社「歩道」編集長、斎藤茂吉記念館館長、日本歌人クラブ顧問(第6代会長)。千葉県出身。 第一歌集『街樹』における時代の息吹を反映した新鮮な詠風から出発し、以後現在に至るまで旺盛な作歌活動を続けている歌人。1966年(昭和41年)に「歩道」に入会し佐藤佐太郎に師事。都市風景や現代の世相を鋭敏な感覚で捉えた作品に優れたものが多く、雄渾な歌風を特色とする。また、オーロラ、鯨など、従前の歌人が対象とすることのなかった海外詠も多く、作品の幅が広い。1970年代(昭和40年代後半)から十数年間、歌人佐藤佐太郎を献身的に支え、その随聞をまとめた『短歌清話』上下二巻は、佐藤佐太郎の純粋短歌の世界を余すところなく伝える好著である。
岩崎 淑(いわさき しゅく、1937年(昭和12年)4月3日… 岩崎 淑(いわさき しゅく、1937年(昭和12年)4月3日 - )は、日本のピアニスト、教育者。桐朋学園大学大学院大学教授、尚美学園大学大学院客員教授、くらしき作陽大学、武庫川女子大学客員教授。第3回高松国際ピアノコンクールの音楽監督代行兼審査員長も務める。 岡山県倉敷市出身。設立当時まだ4年制になる前の桐朋学園を経て、アメリカハートフォード大学音楽学部、同ジュリアード音楽院、イタリアキジアーナ音楽院で学ぶ。井口秋子、井口基成、J.ラタイナ、B.ミケランジェリ、S.ロレンツィ、I.フロインドリッヒなどに師事。1967年ミュンヘン国際音楽コンクール、1968年ブダペスト国際コンクール、1970年チャイコフスキー国際コンクール(チェリストである弟の岩崎洸と共に受賞)をはじめ、世界の名だたる国際コンクールにて業績を残してきた。
岩田 信義(いわた のぶよし 1937年 - )は、日本の教… 岩田 信義(いわた のぶよし 1937年 - )は、日本の教育者、著作家、歴史家。神戸連続児童殺傷事件当時加害者の通っていた神戸市立友が丘中学校校長であり、事件に関わる著作を行った。 兵庫県神戸市出身。神戸大学教育学部卒業。神戸市内の学校教諭を経て神戸市立友が丘中学校校長に就任。事件当時は校長として、ことあるごとに記者会見を開き、記者からの質問には一つ一つ答えていた。 1998年には日本精神衛生会の広報誌で、メンタルヘルスについての連載を行っていた。 2000年には新潮45で、神戸連続児童殺傷事件が起きてから3年後に思うことの手記を掲載する。 2001年には『校長は見た!酒鬼薔薇事件の「深層」』という書籍を出版した。
高杉 學(たかすぎ まなぶ、1937年〈昭和12年〉- )は… 高杉 學(たかすぎ まなぶ、1937年〈昭和12年〉- )は、日本の画家、美術教育者。 現在、蒼騎会運営委員、三多摩美術家連盟代表、日本美術家連盟会員。 風景画、静物画を中心とした、油彩を得意とする。2012年の代表作は「水 光る」(油彩、F80)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
中山 理(なかやま ただし、1937年- )は、数学教育者。… 中山 理(なかやま ただし、1937年- )は、数学教育者。 東京生まれ。東京学芸大学卒業。慶應義塾幼稚舎教諭を40年務めた。ほか十文字中学・高等学校講師、大妻女子大学講師。日本私立初等学校算数部会全国委員。
大矢 敏行(おおや としゆき、1937年 - )は、日本の教… 大矢 敏行(おおや としゆき、1937年 - )は、日本の教育者。学校法人大矢学園創立者。前・代々木ライブアニメイション代表取締役。 茨城県生まれ。茨城県立水戸第一高等学校→千葉大学卒業後、東映に入社し、深作欣二に師事。実写映画・合作アニメに携わったのち、1970年にアニメの通信教育を手がける民話社を設立するも、1974年に倒産。 その後、1977年に株式会社代々木ライブアニメーションを興し、代々木マンガ教室(後の代々木アニメーション学院)を開設。数多くのクリエイターを輩出する業界最大手の専門校にのし上げたが、過大な広告費に加え、類似専門校の乱立による入学者減少から資金繰りが悪化し、2006年12月に民事再生法の適用を申請。
大南 英明(おおみなみ ひであき、1937年 - 2018年… 大南 英明(おおみなみ ひであき、1937年 - 2018年10月9日)は、日本の特殊教育学者・教育者。 満洲国奉天市生まれ。東京学芸大学教育学部初等教育学科卒業。同大学臨時養護学校教員養成課程修了。公立小・中学校教諭、養護学校教諭を経て、東京都教育委員会指導主事。文部省初等中等教育局特殊教育課教科調査官、東京都教育庁指導部心身障害教育指導課長、東京都立青鳥養護学校長を経て、1998年帝京大学文学部教育学科教授。2005-07年帝京大学小学校初代校長。2008年帝京大を定年退任、放送大学客員教授。人権擁護推進審議会委員。全国特別支援教育推進連盟理事長。 青鳥養護学校は大江光が在籍していたため大江健三郎の作品に即した特殊教育に関する著作があるが、大江光在籍中の校長ではない。
東 敦子(あずま あつこ、1936年(昭和11年)12月11… 東 敦子(あずま あつこ、1936年(昭和11年)12月11日 - 1999年(平成11年)12月25日)は、日本の声楽家(ソプラノ歌手)、オペラ歌手、音楽教育者。プリマドンナとして世界の一流の歌劇場で活躍した。本名は、二田原 敦子(にたはら あつこ)。 大阪府吹田市出身。1959年(昭和34年)東京藝術大学卒業。1961年(昭和36年)同大学専攻科修了。四家文子に師事。1961年(昭和36年)イタリアに留学してエットレ・カンポガリアーニに師事。1964年(昭和39年)パルマ音楽院を首席で卒業。 1963年(昭和38年)レッジョ・エミリア市立歌劇場でマスカーニ『友人フリッツ』でデビュー。ミラノに居を構え、1967年(昭和42年)ベルリン・ドイツ・オペラにプッチーニ『蝶々夫人』でデビュー。
高野 政晴(たかの まさはる、1936年(昭和11年)11月… 高野 政晴(たかの まさはる、1936年(昭和11年)11月25日 - )は、日本の研究者、教育者。学位は、工学博士(東京大学)。同大学名誉教授。精密工学、機械工学、ロボット工学を専門とし、6自由度ロボットアームの効率的な逆運動学(英語版)解法を提案した。東京大学で助手、講師、助教授、教授、関西大学教授を歴任し、日本学術会議委員(第16期、第5部)も務めた。2016年秋、瑞宝中綬章受勲。 東京大学工学部精密機械工学科を卒業。同大学院工学研究科精密機械工学専攻を1963年3月に卒業し、同年4月に助手へ就任。歯車や振動の研究に従事し、1967年に論文博士で学位を取得する。搬送装置やリンク機構の研究に従事し、1965年10月から講師、1968年4月から助教授となる。
鳥居 泰彦 (とりい やすひこ、1936年(昭和11年)10… 鳥居 泰彦 (とりい やすひこ、1936年(昭和11年)10月15日 - ) は、日本の経済学者(統計学・経済発展理論)であり教育者。学位は経済学博士(慶應義塾大学・1966年)。日本私立学校振興・共済事業団理事長、財団法人交詢社理事長、慶應義塾学事顧問。
高田 直樹(たかだ なおき、1936年9月17日 - )は、… 高田 直樹(たかだ なおき、1936年9月17日 - )は、日本の登山家・教育者・プログラマー。 京都府与謝郡岩滝町生まれ。京都府立大学卒業。京都府宇治市在住。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
井茂 圭洞(いしげ けいどう、1936年9月16日 - )は… 井茂 圭洞(いしげ けいどう、1936年9月16日 - )は、日本の教育者、書家。一東書道会会長、京都教育大学名誉教授、日本芸術院会員、文化功労者。本名は井茂 雅吉(いしげ まさきち)。 高等学校の教員を経て、京都教育大学教育学部教授、公益社団法人日展副理事長などを歴任した。 1936年生まれ、兵庫県出身。本名は雅吉。1954年より深山龍洞に師事。京都学芸大学(現・京都教育大学)卒。大学卒業後は、高等学校の教員として書道を教えていた。 61年「若山牧水の歌」が日展初入選。1991年京都教育大学教授。97年日展評議員。「清流」で2001年日展内閣総理大臣賞、2001年芸術院賞。2012年日本芸術院会員。
古賀 正一(こが まさいち、1936年7月26日 - )は、… 古賀 正一(こが まさいち、1936年7月26日 - )は、日本の実業家、教育者。東芝では副社長まで昇進し、また父で市川学園創立者の古賀米吉の死後は学園理事長となった。 1936年に東京都で生まれた。市川中学校・高等学校を経て、東京大学工学部電気工学科を卒業後、東芝にエンジニアとして入社。1983年6月7日に当時市川学園の理事長と市川中学校・高等学校の校長を務めていた父が亡くなり、11日に理事長に就任した。2017年のインタビューによれば周囲に勧められてのことであり、当時の東芝の人事担当役員は1960年代に東芝を再建した社長の土光敏夫を例に挙げ、土光も母が創立した橘学苑の理事長をしていたのだからと理事長就任を勧めたのだという。