笑福亭 伯鶴(しょうふくてい はっかく、1957年〈昭和32… 笑福亭 伯鶴(しょうふくてい はっかく、1957年〈昭和32年〉2月26日 - )は大阪府東大阪市出身の落語家である。本名は丹羽 透。出囃子は『陽気に行こう』。 子供のころから祖父の落語好きの影響で道頓堀角座に連れられて通うようになる。素人名人会(毎日放送)に何度も出演し名人賞を受賞、大阪府立盲学校高等部卒業後、1975年3月10日に6代目笑福亭松鶴に入門。1975年に初舞台。 落語会のほか、人権公演なども積極的に行っている。 出囃子の『陽気に行こう』はカントリーソングのアレンジしたのを使用している。 2008年12月1日23時ごろ、仕事の打ち合わせからの帰宅途中に大阪市淀川区の阪急宝塚線三国駅でホームと電車の間に足を踏み外し10m程引きずられ、両足骨折や脳挫傷などで意識不明の重体に。
笑福亭 小松(しょうふくてい こまつ、1957年2月22日 … 笑福亭 小松(しょうふくてい こまつ、1957年2月22日 - 2014年8月2日)は、元落語家。本名は夏 東雁(하동안 / か とうがん、ハ トンアン)で、韓国籍。別名 夏川鴈二郎。滋賀県草津市出身。 兄弟弟子の笑福亭鶴瓶にかわいがられた。師匠から破門された際、他の弟子のように罵詈雑言を並べて怒鳴られることなく、逆に頭を下げられ「頼むから辞めておくんなはれ」と懇願される。1998年2月から130日かけて、鹿児島から北海道まで徒歩で全国縦断を達成。これが雑誌、新聞、テレビで取り上げられ、映画『勇気の3000キロ』のモデルにもなった。各地で「がん克服落語会」のチャリティー高座を開催した。 後述する略歴のとおり、落語家を廃業した現状が明らかとなっている。
柳家 一九(やなぎや いっく、1957年2月21日 - )は… 柳家 一九(やなぎや いっく、1957年2月21日 - )は落語協会所属の落語家。本名∶西本 裕。石川県金沢市出身。出囃子は『祇園小唄』。 石川県金沢市生まれ、幼少時代はかほく市(旧宇ノ気町)で過ごした。東海大学工学部通信工学科卒業。 1980年2月、三代目柳家小満んに入門。前座名「小まめ」。1983年4月に二ツ目に昇進して「小満女」と改名 1995年3月に柳家小三太、三遊亭圓王、橘家富蔵、初音家左橋、古今亭菊輔、三遊亭吉窓、金原亭生駒、林家うん平、桂扇生共に真打昇進。同時に金沢にあった寄席(一九亭)にちなむ名である柳家一九と改名。 趣味∶ゴルフ、川柳(安部川川柳句会会員) 絵手紙さくら会会員。
葡萄亭 わいん(ぶどうてい わいん、1957年2月21日 -… 葡萄亭 わいん(ぶどうてい わいん、1957年2月21日 - )は日本の落語家、ラジオパーソナリティ。「桃太郎電鉄」をこよなく愛しており、作者であるさくまあきらが芸名を名付けた。血液型はA型。杉田わいんとも。本名は杉田直美。 広島県広島市安佐南区沼田町出身。廿日市市在住。広島県立広島商業高等学校卒業。 かつては演劇をしており、活動の幅を広げるために2007年頃より落語を学び始める。現在では各地で落語の公演に回っており、年間約70回高座に立っている。 2023年には、NHKにて落語仲間との交流や広島愛が取り上げられた。その際、「広島に恩返しというほどではないが、笑顔をちょっとでも増やしたい。」と話した。
桂 福六(かつら ふくろく、1957年1月25日 - 没年不… 桂 福六(かつら ふくろく、1957年1月25日 - 没年不詳)は和歌山市出身の落語家。本名は岩田 善英。 1984年4月1日に4代目桂福団治に入門。古典落語の他、手話落語にも取り組んでいる。上方落語協会会員。福六という名前だが、五番弟子である。 2025年1月現在、上方落語協会公式プロフィールには「故人」と表記があるが、訃報は発表されておらず、没年月日は不明である。
笑福亭 笑瓶(しょうふくてい しょうへい、1956年〈昭和3… 笑福亭 笑瓶(しょうふくてい しょうへい、1956年〈昭和31年〉11月7日 - 2023年〈令和5年〉2月22日)は、日本の落語家、お笑いタレント、司会者。最終所属は太田プロダクション。上方落語協会会員。既婚。趣味はゴルフ。 1956年11月7日、兄と姉がいる末っ子として誕生。大阪府出身。興國高等学校、大阪芸術大学芸術学部文芸学科卒業。 高校在学中の1972年、スクールメイツに入団。もともと芸能界入りしたい意向を持っており、特に「役者になりたい」という意志が強かったため、学生時代より石原プロなどに直接「自分をドラマに出演させてください」と書いた自薦の売り込みはがきを多々出していた。 その後、ラジオ番組『MBSヤングタウン』での笑福亭鶴瓶のトークに魅せられて1981年に弟子入りを志願し、最初の弟子となる。
山田 隆夫(やまだ たかお、芸名:山田 たかお、高座名:鈴々… 山田 隆夫(やまだ たかお、芸名:山田 たかお、高座名:鈴々舎 鈴丸〈れいれいしゃ すずまる〉、1956年〈昭和31年〉8月23日 - )は、日本のタレント、シンガーソングライター、落語家、俳優、6代目座布団運び。5代目鈴々舎馬風門下でもある。東京都江東区深川出身。親類は、山田純大、杉良太郎(山田勝啓)がいる。愛称は、山田君。 1956年8月23日、東京都江東区で生まれ育つ。6人兄弟姉妹の末っ子として誕生する。幼少期、材木問屋の実家が詐欺に遭い全財産を失う。それにより両親がいつも暗い顔をしていたので、山田は落語で両親を心から笑わせたいと思うようになり、これが落語に興味を持つきっかけになった。 渋谷区猿楽小学校時代には学芸会で演目に参加して人気があった。
古今亭 菊千代(ここんてい きくちよ、1956年7月24日 … 古今亭 菊千代(ここんてい きくちよ、1956年7月24日 - )は、女流落語家。本名:野口 泰代。東京都板橋区出身。 桜美林大学文学部卒業。大学で落語研究会に属し、広告代理店に勤めていた。偶然対談した柳家小さんの「(女性でも)要はうまけりゃいいんだ」の一言で退職願を出し、末広亭の楽屋口で二代目古今亭圓菊を待ち伏せ、弟子入りを直訴したという。 1984年7月に二代目古今亭圓菊に27歳で入門。同年10月古今亭菊乃を名乗り前座修行。1988年9月に二ツ目昇進。 1993年3月に三遊亭歌る多と共に落語四百年の歴史の中で初の女真打に昇進。菊千代を名乗る。同年、噺家修業の旅に出る。東京・日本橋から京都・三条大橋まで、東海道五十三次の辻々で落語を演じる。
桂 喜丸(かつら きまる、1956年7月19日 - 2004… 桂 喜丸(かつら きまる、1956年7月19日 - 2004年4月14日)は上方噺家。兵庫県加西郡泉町(現・加西市)出身。本名は酒井 公弘(さかい きみひろ)。法政大学工学部建築学科卒。 大学の落語研究会に所属していた頃には落語関連の全国大会でチャンピオンになったこともある。1981年4月21日、桂朝丸(現:2代目桂ざこば)に入門。1985年にはABC漫才落語新人コンクールで最優秀新人賞を受賞。 同期の桂む雀や桂米平とともに開催した「むきへい隊」、桂小米朝(現:桂米團治)と開催した「月とすっぽん」などの落語会や、出身地の加西市で開催した「きまやんの会」(後に「らくごDEわっしょい」と改名)や、東京で開催した「らくごDEきまる」などの独演会で、精力的に活動する中で持ちネタを増やし、ファンを獲得していった。
八代目 春風亭 柳橋(しゅんぷうてい りゅうきょう、1956… 八代目 春風亭 柳橋(しゅんぷうてい りゅうきょう、1956年5月30日 - )は、茨城県古河市出身・在住の落語家。落語芸術協会副会長。本名は、竹内 秀男。 古河市立古河第三小学校、古河市立古河第二中学校、栃木県立栃木高等学校、東京経済大学経営学部を卒業した。大学時代は落語研究会に所属し落語家の道を志し、七代目春風亭柳橋の門を叩くが断られ、東証一部上場企業で2年間サラリーマンを経験する。1982年5月、七代目春風亭柳橋に入門を許され、春風亭べん橋で初高座を迎えた。 1986年9月に二ツ目に昇進し、柏枝に改名した。 1994年5月、三遊亭右左喜、三遊亭遊吉、三遊亭とん馬と共に真打に昇進した。 2008年9月21日、八代目春風亭柳橋を襲名した。
3代目 桂 文之助(かつら ぶんのすけ、1956年5月28日… 3代目 桂 文之助(かつら ぶんのすけ、1956年5月28日 - )は、上方落語の落語家、桂文之助の当代。本名∶片岡 尚人。所属事務所は米朝事務所で、上方落語協会会員。 兵庫県神戸市出身。小学校の頃から落語に興味持ち、中学卒業と同時に2代目桂枝雀の元に弟子入りを懇願するが高校卒業してからでも遅くないと断られる、兵庫県立兵庫高等学校に通いながらいろんな落語会に足を運び多くの噺家の知遇を得る。高校3年の夏休みに弟子入りが許され、卒業後、1975年3月に桂枝雀に正式に入門、雀松となる。高座名は『船弁慶』の「雀のお松」に由来し大師匠の3代目桂米朝が命名した。「雀の会」にて初舞台を踏む。[要出典] 2003年3月に気象予報士を取得、「落語もできる気象予報士」となる。
笑福亭 竹林(しょうふくてい ちくりん、1956年4月13日… 笑福亭 竹林(しょうふくてい ちくりん、1956年4月13日 - )は奈良県吉野郡上北山村出身の落語家(上方噺家)。出囃子『やぎの郵便やさん』。 本名、仲村敬(なかむらけい)。血液型はA型。奈良県立五條高等学校卒業後、桃山学院大学へ進学(卒業はしていないらしい)。1980年4月1日に6代目笑福亭松鶴に入門。 後ろに束ねたロングヘアーが印象的であり、女性の表現には独特の味がある。 趣味は子育て、散歩。スキーインストラクターの資格有り。
三遊亭 貴楽(さんゆうてい きらく、本名:佐藤雅仁、1956… 三遊亭 貴楽(さんゆうてい きらく、本名:佐藤雅仁、1956年3月26日 - )は、円楽一門会に所属する落語家。現在、神奈川県在住。出囃子は『東京音頭』。
桂 扇生(かつら せんしょう、1956年3月17日 - )は… 桂 扇生(かつら せんしょう、1956年3月17日 - )は、落語家。本名∶合田 雅一。福岡県北九州市出身。出囃子は『藤娘』。 東京都立大泉高等学校卒業。 1974年3月、三笑亭夢楽に入門。前座名小夢。1975年4月3日に上野・鈴本演芸場で初高座、演目は「桃太郎」。 1980年2月、春風亭柳若と共に二ツ目昇進。1984年1月に三代目桂文生門下へ移籍し「桂きん治」と改名、師匠文生、桂文朝、桂南喬とともに落語芸術協会を脱退して落語協会に移籍。 1995年3月 柳家小三太、三遊亭圓王、橘家富蔵、初音家左橋、古今亭菊輔、三遊亭吉窓、天乃家白馬、柳家一九、林家うん平と共に真打昇進、「桂扇生」と改名した。 「桂扇生落語会in岩舟」が栃木県栃木市(旧・岩舟町)で2004年以来毎年秋に開催されている。
桂 米八(かつら よねはち、1956年2月4日 - 2015… 桂 米八(かつら よねはち、1956年2月4日 - 2015年1月20日)は、兵庫県姫路市白浜町出身の落語家、曲独楽師。本名∶山本 悦次。姫路工業高等学校卒業。出囃子は「八兵衛」。米朝一門ではあるが米朝事務所には所属していない。愛称は「八ちゃん」。 1974年3月に3代目桂米朝に入門。同期に落語家では桂小枝、桂千朝、桂吉朝などがおり、芸能界では、明石家さんまや島田紳助、オール阪神・巨人、関根勤などがいる。 1984年11月に芸の肥やしのために曲独楽の伏見紫水に入門。その後は落語活動よりも曲独楽の活動が中心になっていた。 近鉄文化サロン 阿倍野校にて第2・4木曜日曲独楽の講座を行っていた。 曲独楽の伏見紫水に入門するきっかけは、紫水らと談笑している際に紫水から「わしのうなったら(亡くなったら)、この芸も途絶える」とボソっと洩らしたのを周囲に伝えたところみんなに薦められ、米朝に相談し弟子入りにいたった。
露の 都(つゆの みやこ、1956年1月21日 - )は、大… 露の 都(つゆの みやこ、1956年1月21日 - )は、大阪府堺市出身の落語家。露の都事務所(自らの個人事務所)所属。本名は小山 眞理子。出囃子は『都囃子』。 枕で話す身の回りに起こった出来事や女性目線のテーマを生かした噺は「みやこ噺」と呼ばれている。 子供の頃は笑福亭仁鶴のファンで毎日放送の『素人名人会』に出演し好評価を得る、その日の放送の審査員が3代目桂米朝ではなく2代目露乃五郎(のちの2代目露の五郎兵衛)だった。住吉学園高等学校卒業後、入門を何度か断られるも1974年3月に2代目露乃五郎に入門。1975年京都花月で初舞台。現役の中では、東西落語界で最年長の女性落語家である。 特技は「南京玉すだれ」「ご祝儀舞」。
初音家 左橋(はつねや さきょう、1956年1月4日 - )… 初音家 左橋(はつねや さきょう、1956年1月4日 - )は、神奈川県川崎市出身の落語家。本名∶鈴木 宏和。落語協会所属。出囃子は『春はうれしや』。紋は『梅』。 法政大学経済学部卒業後1979年6月、十代目金原亭馬生に入門。翌年3月、前座となる。前座名は金原亭小駒。 1982年9月に師匠馬生が死去したため、兄弟子金原亭伯楽門下へ移籍する。 1983年3月 二ツ目昇進。 1987年にっかん飛切落語会努力賞 1993年にっかん飛切落語会奨励賞 1994年にっかん飛切落語会奨励賞 1995年3月「初音家左橋」で真打に昇進。(亭号の初音家は、三代目春風亭柳朝〈江戸嘉永5年1月25日生〉別名、初音屋柳朝に由来、名前の左橋は、音に響くのきょうの意味合い) 1995年国立演芸場花形演芸会金賞 2002年平成14年度文化庁芸術祭優秀賞 2006年法政大学で講師を務める。
桂 三象(かつら さんぞう、1956年1月3日 - )は高知… 桂 三象(かつら さんぞう、1956年1月3日 - )は高知県高知市出身の落語家。本名および旧芸名は梶原 一弘(かじわら かずひろ)。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。上方落語協会会員。
橘家 富蔵(たちばなや とみぞう、1955年12月27日 -… 橘家 富蔵(たちばなや とみぞう、1955年12月27日 - )は、北海道常呂郡常呂町(現:北見市)出身の落語家。落語協会所属。出囃子は『富蔵』。本名∶高橋 英義。 札幌旭丘高等学校、札幌大学経営学部経営学科卒業。大学1年生のときに怪我で野球部を退部し、ちょうど発足したばかりだった落語研究会に入部。2年生でプロの落語家を目指し、卒業後に上京する。1979年4月に五代目月の家圓鏡に入門。翌年6月に前座になる。名は月の家杵助。 1983年3月に二ツ目昇進、橘家舛蔵に改名。 1995年3月に柳家小三太、三遊亭圓王、初音家左橋、古今亭菊輔、三遊亭吉窓、金原亭生駒、柳家一九、林家うん平、桂扇生と共に真打昇進。
笑福亭 鶴志(しょうふくてい かくし、1955年8月24日 … 笑福亭 鶴志(しょうふくてい かくし、1955年8月24日 - )は大阪市出身の落語家。本名は冨松 和彦。出囃子『鶴志囃子』。四條畷市在住。
三代目 露の五郎(つゆのごろう、1955年4月13日 - )… 三代目 露の五郎(つゆのごろう、1955年4月13日 - )は、福岡県出身の落語家。本名∶植山 真吾。出囃子は「炭坑節」。 福岡県立戸畑工業高等学校出身。1977年3月7日、二代目露乃五郎(後の二代目露の五郎兵衛)に入門。翌1978年、京都会館での「露乃五郎30周年リサイタル」において初舞台。 2024年11月13日、上方落語協会での会見で、翌2025年10月に師匠の前名で空き名跡となっていた「露の五郎」の名跡を受け継ぎ、三代目露の五郎を襲名することを発表した。 2025年10月24日、国立文楽劇場で三代目露の五郎襲名披露興行が行われた。 落語の他、百面相、上方にわかでは、1986年に四代目一輪亭花咲を襲名している。
春風亭 小朝(しゅんぷうてい こあさ、1955年(昭和30年… 春風亭 小朝(しゅんぷうてい こあさ、1955年(昭和30年)3月6日 - )は、落語協会に所属する落語家。出囃子は『三下りさわぎ』。 俳優・タレント・指揮者としても活動する。東京都北区出身。東京電機大学高等学校卒業。 芸能事務所・春々堂を経営して自らのマネジメントを行っている。以前はオフィスてるてる(師匠・5代目春風亭柳朝の会社)に所属していた。キャッチフレーズ∶「横丁の若様」。元妻はシンガーソングライターの泰葉。 1955年3月6日、作家の花岡太郎の息子として東京都北区に生まれた。2歳ごろまで祖父の静一郎が乃木坂に建設した芸能人や文化人が集ったアパート「テキサスハウス(花岡アパート)」で育つ。
桂 昇蝶(かつら しょうちょう、1955年3月1日 - )は… 桂 昇蝶(かつら しょうちょう、1955年3月1日 - )は、大阪府大阪市出身の落語家。松竹芸能所属、上方落語協会会員。本名∶東中 勉。出囃子は『馬かけ』。 大阪府立港高等学校卒業。 1973年6月14日に二代目桂春蝶に入門、「さなぎ」を名乗る。 1987年3月、「昇蝶」に改名。
三遊亭 楽之介(さんゆうてい らくのすけ、1955年2月24… 三遊亭 楽之介(さんゆうてい らくのすけ、1955年2月24日 - )は、落語家。五代目円楽一門会の副会長。静岡県駿東郡小山町出身。本名は渡辺 英機。出囃子は『将門』。紋は『三ツ組橘』。 小山町立小山中学校、静岡県立御殿場南高等学校を経て、1977年(昭和52年)に神奈川大学法学部法律学科を卒業した。 1978年(昭和53年)1月、五代目三遊亭圓楽に入門し、三遊亭賀楽太と名乗る。1978年(昭和53年)4月、林家こぶ平と共に前座となる。同年5月、師・圓楽に従い落語協会を脱会(落語協会分裂騒動)。 1981年(昭和56年)3月 、二つ目に昇進。
4代目 桂 塩鯛(かつら しおだい、1955年2月9日 - … 4代目 桂 塩鯛(かつら しおだい、1955年2月9日 - )は、上方落語の落語家。本名∶山下 眞史。所属事務所は米朝事務所で、上方落語協会理事。2代目桂ざこば一門の筆頭弟子で、桂塩鯛の当代。出囃子は「鯛や鯛」。 京都府京都市生まれ。京都市立朱雀第七小学校、京都市立朱雀中学校(陸上部)、京都市立堀川高等学校卒業。立命館大学経営学部中退。[要出典] 1977年1月3日に桂朝丸に入門。当初は3代目桂米朝に入門を申し出ているが、住み込み修行中の弟子が多いため断られる。その後、2代目桂枝雀にも申し出たものの、米朝同様弟子がいたため断られている。[要出典] そして、KBSラジオでパーソナリティーをしていた「桂朝丸のモーニングサークル」の放送終了後に出待ちをし弟子入り志願したが、朝丸が当時29歳と若かったためいったん弟子入りを断られた。
桂 幸丸(かつら ゆきまる、本名:二瓶 眞一 <にへい… 桂 幸丸(かつら ゆきまる、本名:二瓶 眞一 <にへい しんいち>、1954年12月23日 - )は、福島県岩瀬郡岩瀬村(現:須賀川市)出身、落語芸術協会所属の噺家。出囃子は『会津磐梯山』。
橘家 半蔵(たちばなや はんぞう、1954年12月1日 - … 橘家 半蔵(たちばなや はんぞう、1954年12月1日 - )は、落語家。落語協会所属の真打。紋は『三ツ組橘』。出囃子は『ふじの山』。本名∶長田 衛。 静岡県駿東郡小山町出身。小山町立北郷中学校、静岡県立沼津工業高校を卒業。 1975年5月、五代目月の家圓鏡(後の八代目橘家圓蔵)に入門、前座名は「かがみ」。 1980年2月に春風亭正朝、林家錦平と共に二ツ目昇進、「靖鏡」と改名する。 1990年3月に林家しん平、林家錦平、古今亭菊丸とともに真打昇進、直木賞作家の半村良より一字貰い「橘家半蔵」と改名した。 趣味∶歩きながらの読書、部屋の模様替え、など。 橘家竹蔵、柳家さん枝、橘家仲蔵、橘家圓十郎と池袋演芸場特選会で「一八落語会」を開催している。
桂 吉朝(かつら きっちょう、1954年11月18日 - 2… 桂 吉朝(かつら きっちょう、1954年11月18日 - 2005年11月8日)は、大阪府堺市出身の落語家。出囃子は、当初『芸者ワルツ』、のちに『外記猿』。本名:上田 浩久。 5人兄弟の末っ子で、生家は印刷業だった。大阪府立今宮工業高等学校では落語研究会に所属。高校時代から『素人名人会』に出演。このころ3代目桂米之助の元に稽古に通った。これは米之助が、吉朝も参加した素人寄席の「落語村」(福島勤労青少年ホーム)の指導をしていた縁による。3代目桂米之助からは『東の旅』をネタ付けされる。 高校卒業後は家業の手伝いを経て、1974年1月に3代目桂米朝に弟子入り。米朝を選んだ理由は、噺の知的センスだったという。
立川 談幸(たてかわ だんこう、1954年(昭和29年)7月… 立川 談幸(たてかわ だんこう、1954年(昭和29年)7月29日 - )は、落語家。落語芸術協会に所属する。本名∶高田 正博。東京都新宿区出身。出囃子は『三下がりかっこ』。 1978年3月、明治大学商学部卒業と同時に七代目立川談志に入門。内弟子として「立川談吉」を名乗り三遊亭歌吾と共に楽屋入り。落語協会の前座となる。 1982年4月、三遊亭歌吾、柳家小三太、三遊亭新窓と共に二ツ目に昇進、「立川談幸」に改名。1983年、立川談志一門が落語協会を脱退し、「落語立川流」発足。同所属となる。 1987年5月、立川流真打昇進。 2014年12月、落語立川流を脱退し、2015年1月より落語芸術協会に準会員としての加入を発表。
柳家 はん治(やなぎや はんじ、1954年7月24日 - )… 柳家 はん治(やなぎや はんじ、1954年7月24日 - )は、東京都八王子市出身の落語家。落語協会所属の真打。本名∶荒井 良雄。出囃子は『雛鶴三番嫂』、紋は『変り羽団扇』。 日野高校を卒業。高校の3学年上に忌野清志郎がいる。國學院大學出身。 1977年5月、十代目柳家小三治に入門して「柳家小はぜ」を名乗る。初高座は10月、師匠の会で「道灌」。 1982年3月に柳家小勇、川流亭かっぱと共に二ツ目昇進し、「はん治」と改名。1992年3月、北とぴあ若手落語家競演会大賞受賞。 1993年9月に古今亭菊寿、入船亭扇海、三遊亭若圓歌、四代目柳亭市馬、柳家さん生、三代目入船亭扇蔵、柳家喜多八、全亭武生、古今亭志ん上と共に真打に昇進。
古今亭 菊寿(ここんてい きくじゅ、1954年4月8日 - … 古今亭 菊寿(ここんてい きくじゅ、1954年4月8日 - )は、落語家。落語協会所属の真打。紋∶鬼蔦。出囃子∶「おんこと」。 1954年、東京都三鷹市上連雀に生まれる。日本大学文理学部教育学科卒業。大学時代は、落語研究会(日本大学文理学部落語研究会)に属した。 1976年4月、二代目古今亭圓菊に入門。翌年1月に、前座となる。名前は「菊八」。 1981年2月、入船亭扇海と共に二ツ目昇進し「菊枝」と改名。 1993年9月に入船亭扇海、柳家喜多八、三遊亭若圓歌、四代目柳亭市馬、三代目入船亭扇蔵、柳家さん生、柳家はん治、全亭武生、古今亭志ん上と共に真打に昇進。「菊寿」に改名。 落語界随一の酒豪で「菊寿さんにかなうものはいない」と言われている。
笑福亭 学光(しょうふくてい がっこ、1954年3月6日 -… 笑福亭 学光(しょうふくてい がっこ、1954年3月6日 - )は徳島県阿南市羽ノ浦町古毛出身の落語家・タレント。「お笑い福祉士」創設者。本来の表記は笑福亭 學光。本名は多田 政信(ただ まさのぶ)。現在は大阪府茨木市に在住。 上方落語協会会員で、阿波踊りの「はなしか連」連長も務める。 徳島県立富岡西高等学校を卒業。徳島相互銀行(現在の徳島大正銀行)に勤めたのち、1975年10月に内弟子として笑福亭鶴光に入門。高座名の「学光」は、鶴光と飲み友達だった漫画家のはらたいらが命名した。鶴光一門の筆頭弟子となった。 1976年に神戸「柳笑亭」にて初舞台。 『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』では、「鶴光の初弟子に何かレポートさせよう」というディレクターのアイディアで、「学光のドッキリマイク只今参上」のコーナーを担当。
三遊亭 圓王(さんゆうてい えんおう、1954年2月20日 … 三遊亭 圓王(さんゆうてい えんおう、1954年2月20日 - )は、静岡県磐田市出身の落語家。落語協会所属。本名∶廣岡 新。出囃子、『正札附』。 名古屋大学理学部 地球科学科卒業。国立大学・理系学部卒業者としては初のプロ落語家である。 1977年4月、六代目三遊亭圓生一門の六代目三遊亭圓窓に入門し前座名「窓一」。1978年5月に落語協会分裂騒動勃発。大師匠六代目三遊亭圓生・師匠圓窓に従って落語協会を脱退、落語三遊協会所属の前座となる。時期は不明だが、六代目三遊亭圓生門下となったときもあった。 1980年1月に落語三遊協会が解散。翌月、師匠圓窓の落語協会復帰に従い、落語協会所属の前座となる。 1982年4月、二ツ目に昇進し新窓に改名。
立川 志の輔(たてかわ しのすけ、1954年〈昭和29年〉2… 立川 志の輔(たてかわ しのすけ、1954年〈昭和29年〉2月15日 - )は、日本の落語家、タレント、司会者。本名:竹内 照雄(たけうち てるお)。富山県新湊市(現:射水市)出身。一般社団法人落語立川流代表。オフィスほたるいか所属。出囃子は『梅は咲いたか』。血液型はA型。 富山県(富山市)岩瀬で生まれたが、幼いころに両親が離婚。その1年後に母親が亡くなり、新湊市で古道具店を営む母方の祖父母宅で祖父母と母親の兄の伯父夫婦家族と5歳のころから共に生活し、伯父夫婦には実の子のように育てられた。祖父が落語を好み、落語との出会いは家族がテレビで見ていた5代目柳家小さんだったが、大学生になるまでは落語には興味を持っていなかった。
林家 錦平(はやしや きんぺい、1953年12月12日 - … 林家 錦平(はやしや きんぺい、1953年12月12日 - )は、落語家。落語協会所属の真打。紋は「中陰唐花菱」。出囃子「大漁節」。本名:飯島 喜久雄。 1953年12月、神奈川県横浜市青葉区出身。1971年、東海大学工学部に入学。大学時代は、落語研究会に所属した。 1975年3月大学中退後、大学の先輩でもある演芸作家元木すみおの紹介で初代林家三平に入門。前座名は「うし平」。 1980年2月に春風亭正朝、月の家靖鏡と共に二ツ目に昇進し「錦平」と改名。初代三平の没後は、林家こん平門下に移る。 1990年3月に林家しん平、橘家半蔵、古今亭菊丸と共に真打に昇進した。 主に古典落語を演じる。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。
古今亭 志ん輔(ここんてい しんすけ、1953年9月25日 … 古今亭 志ん輔(ここんてい しんすけ、1953年9月25日 - )は、東京都品川区出身の落語家。落語協会所属、同協会相談役。出囃子∶『越後獅子』。本名:大塚 英夫。 中央大学附属高等学校出身。1972年3月に三代目古今亭志ん朝に入門、前座名は朝助。1977年3月に二ツ目に昇進。師匠志ん朝の前名古今亭朝太に改名。1978年から入船亭扇好と「朝太・扇好の会」を始める。志ん輔・扇遊の会を合わせ、30年におよぶ二人会である。 1985年9月、四代目桂三木助、林家かん平、七代目桂才賀、入船亭扇遊、林家らぶ平、柳家小ゑん、林家時蔵、柳家三寿、春風亭正朝と共に真打に昇進して志ん輔を襲名した。この年の落語協会の真打昇進は、試験制度による抜擢を受けた桂三木助の26人抜きが話題を集めたが、10人の昇進者中のトップとして三木助と共に9月下席から単独で披露興行を行った。
入船亭 扇遊(いりふねてい せんゆう、1953年7月5日 -… 入船亭 扇遊(いりふねてい せんゆう、1953年7月5日 - )は静岡県熱海市出身の落語家。本名は岩田 茂(いわた しげる)。落語協会理事。出囃子は「道成寺(合の手)」。静岡県立伊東高等学校卒業。
立川 談之助(たてかわ だんのすけ、1953年6月22日 -… 立川 談之助(たてかわ だんのすけ、1953年6月22日 - )は、日本の落語家、元参議院議員秘書。本名∶山林 博。出囃子は『ぜんづと』。 群馬県前橋市出身。群馬大学教育学部附属中学校、群馬県立前橋高等学校、明治大学商学部卒業。 1974年7月に立川談志に入門し、立川談Qを名乗る。 1978年9月、柳家〆治、古今亭菊弥、林家正雀と共に二ツ目昇進。立川談之助を名乗る。 1992年9月、快楽亭ブラック(2代目)と共に真打昇進。
桂 伸乃介 (かつら しんのすけ、1953年5月16日 - … 桂 伸乃介 (かつら しんのすけ、1953年5月16日 - 2020年1月1日)は、落語家。落語芸術協会に所属していた。本名∶傳川 博。出囃子は『越後獅子前弾き』。紋は『丸に蔦』または『結三柏』。 東京都渋谷区出身。保谷市立青嵐中学校、東京都立小平高等学校を卒業。 ジャズピアニストの和田肇が親戚筋にあたり、その影響で幼少期よりピアノを始める。高校2年の時に将来ピアノ弾きか芸人になりたいと二代目桂伸治に相談したところ、「それならうちで落語家になって二ツ目になれば、あとから何にだってなれる」と言われて入門を決意した。 1970年(昭和45年)10月に二代目桂伸治に入門、一番弟子となる。 1972年(昭和47年)4月に前座となり、桂ひろ治と名乗る。
らぶ平(らぶへい、1953年3月30日 - )は、石川県鹿島… らぶ平(らぶへい、1953年3月30日 - )は、石川県鹿島郡田鶴浜町(現∶七尾市)出身の落語家。本名:平見 孝一。 1970年1月 - 初代林家三平に入門。前座名:林家公平。前座時代には立川寸志、林家種平、柳家ほたるの4人で「少女ふれんど」というバンドを結成しレコードを出している。 1975年11月 - 古今亭八朝、柳家さん光と共に二ツ目昇進。林家らぶ平に改名。1980年9月20日に師匠三平が死去したことに伴い、兄弟子林家こん平一門に移籍。 1985年9月 - 真打昇進。 2005年8月 - 2005年に友人の保証人となり負った債務が右翼団体に渡り、債権取りて立てに関する問題が週刊誌に取り沙汰され、その一連の問題が原因で林家こん平一門から破門される。
柳亭 楽輔(りゅうてい らくすけ、1953年1月25日 - … 柳亭 楽輔(りゅうてい らくすけ、1953年1月25日 - )は、静岡県静岡市駿河区出身の落語家。落語芸術協会所属で、協会理事。本名∶笹本 邦雄。出囃子は『砧』。紋は『蔓結び片喰』。 1968年に静岡市立大里中学校卒業。1971年に静岡市立高等学校卒業。 1972年3月に舞台芸術学院を中退し、7月に四代目柳亭痴楽に入門、「楽輔」を名乗る。1973年10月、師匠痴楽が病に倒れたため、三笑亭夢楽の預かり弟子となる。 1976年11月、二ツ目昇進。 1987年5月、三遊亭右紋と共に真打昇進。 古典落語を中心に演じる。主な演目には『明烏』『幾代餅』『死神』『寝床』『風呂敷』などがある。 趣味は映画鑑賞、プロ野球観戦(阪神タイガースファン)、ゴルフ、宝塚歌劇観劇。
春風亭 正朝(しゅんぷうてい しょうちょう、1953年1月1… 春風亭 正朝(しゅんぷうてい しょうちょう、1953年1月12日 - )は、山口県防府市出身の落語家。落語協会所属。本名∶藤原 義和。 防府高校を経て、1972年4月に明治学院大学入学。在学中の1975年7月に五代目春風亭柳朝に入門、「正朝」を名乗る。初めて会う先輩方に「正朝と言います。」と自己紹介をしたところ、「(大師匠の八代目林家正蔵と師匠の五代目春風亭柳朝の名前を合わせた)すごい名前だ。」と言われたという。 1980年2月に林家錦平、月の家靖鏡と共に二ツ目昇進。 1985年9月に古今亭志ん輔、四代目桂三木助、七代目桂才賀、入船亭扇遊、林家かん平、柳家三寿、林家らぶ平、林家時蔵、柳家小ゑんと共に真打に昇進した(当時の香盤で10人抜きの抜擢真打)。
二代目 快楽亭 ブラック(かいらくてい ブラック、1952年… 二代目 快楽亭 ブラック(かいらくてい ブラック、1952年5月26日 - )は、日本の落語家。本名∶福田 秀文。日本国籍。出囃子∶『青い眼の人形』。 初妻は日活ロマンポルノ女優・川口朱里(1979年結婚)、東京都町田市出身、堀越高校中退。 好物は桃で、嫌いな物は乳製品。 立川談志の命により2代目快楽亭ブラックを襲名するまで、16回の改名をしたことでも知られている。しかし、借金が元で落語立川流Aコースを自主退会(破門は免れている)。2回の離婚を経験しており、娘と息子・孫が3人いる。 艶話や放送規制にかかるような不謹慎ネタを盛り込んだ新作を得意としている。そのため出入禁止になった寄席も数多い。だが決してキワモノ新作一辺倒という訳ではなく古典落語をきっちりと演じる技量も持ち合わせており、次の御用日では上方の船場言葉風の言葉を使っている。
三代目 桂 伸治(かつら しんじ、1952年5月14日 - … 三代目 桂 伸治(かつら しんじ、1952年5月14日 - )は、東京都渋谷区出身の落語家。本名∶板倉 克己。落語芸術協会所属。出囃子は「外記猿」。 東京都立東村山高等学校を経て、1974年4月に東洋大学を中退し二代目桂伸治に入門する。前座名は初代桂平治で初高座。 1979年4月に二ツ目昇進。 1989年4月に三遊亭笑遊、二代目雷門福助と共に真打昇進し、三代目桂伸治を襲名。
三代目 入船亭 扇蔵(いりふねてい せんぞう、1952年5月… 三代目 入船亭 扇蔵(いりふねてい せんぞう、1952年5月1日 - 1999年5月8日)は、落語家。本名∶広藤 郁夫。生前は落語協会所属。出囃子は『お七くずし』。 東京の生まれ、立教大学卒業後に職を転々。 1977年9月、九代目入船亭扇橋に入門し前座名扇ていを名乗る。 1981年9月、二ツ目昇進し入船亭扇太と改名。 1993年9月、古今亭菊寿、入船亭扇海、柳家喜多八、三遊亭若圓歌、柳家さん生、柳家はん治、全亭武生、古今亭志ん上と共に真打昇進し、三代目入船亭扇蔵を襲名。 1999年5月8日、47歳没。落語家の中でも特筆すべき酒豪だったが、乱れることのない悠々自適の飲みっぷりであったという。 没後4年経った2003年、兄が生前の扇蔵の俳句と文章、扇橋と一門弟子による追悼文をまとめた遺文集『扇蔵落とし文』を制作、関係者に配布している。
古今亭 菊龍(ここんてい きくりゅう、1952年〈昭和27年… 古今亭 菊龍(ここんてい きくりゅう、1952年〈昭和27年〉4月29日 - )は、落語協会所属の落語家。神奈川県横浜市磯子区出身。本名∶皆川 修一。出囃子∶二上がり甚句、定紋∶総陰鬼蔦。 横浜市立金沢高等学校卒業。立正大学文学部を中退し、ラジオ局でアシスタントディレクターとして落語の演芸番組を手掛ける。 1973年4月に二代目古今亭圓菊に入門、菊次と名乗る。 1978年3月、金原亭馬治、夢月亭歌麿と共に二ツ目に昇進し菊龍に改名。 1987年3月に金原亭馬治、柳家〆治、古今亭志ん彌と共に真打昇進。
入船亭 扇海(いりふねてい せんかい、1952年〈昭和27年… 入船亭 扇海(いりふねてい せんかい、1952年〈昭和27年〉3月22日 - 2025年〈令和7年〉2月15日)は、落語家。本名∶関川 博之。落語協会会員。出囃子は『乗合船』。東京都足立区出身。 東京都立江北高等学校を卒業後ミュージシャンを志し、ベーシストとしてビッグバンドに所属。海外渡航後に落語に触れたことで落語家の道に入る。 1976年に九代目入船亭扇橋に入門。翌々年前座となる。前座名は扇たく。 1981年、古今亭菊枝と共に二ツ目昇進。扇海となる。 1993年に古今亭菊寿、柳家喜多八、三遊亭若圓歌、三代目入船亭扇蔵、四代目柳亭市馬、柳家さん生、柳家はん治、全亭武笙、桂ひな太郎と共に真打昇進。
7代目 笑福亭 松鶴(しょうふくてい しょかく、1952年2… 7代目 笑福亭 松鶴(しょうふくてい しょかく、1952年2月19日 - 1996年9月22日)は、日本の落語家。出囃子は、『独楽』。前名は笑福亭 松葉で、死後7代目松鶴を追贈された。本名∶倉本 雅生。 大阪府大阪市西成区岸里に生まれる。小中学校(在学したのは、港区内の大阪市立波除小学校・大阪市立市岡中学校)を通じて学業成績はよかったが、「これからは手に職をもっている者が勝つ」という父の意向で大阪市立都島工業高等学校に進学する。高校卒業後、キリンビール尼崎工場に入社したが、まもなく落語家になることを決意し、1970年7月11日に6代目笑福亭松鶴に入門した。この弟子入りに際しては、「一番怖そう」という理由で松鶴を選び、弟子入りを認めるかどうかの返信を求める往復ハガキを出した。
笑福亭 鶴瓶(しょうふくてい つるべ、1951年〈昭和26年… 笑福亭 鶴瓶(しょうふくてい つるべ、1951年〈昭和26年〉12月23日 - )は、日本の落語家、タレント、司会者、俳優。出囃子は『トンコ節』または『新ラッパ』。本名は、駿河 学(するが まなぶ)。身長170 cm。 大阪府中河内郡長吉村(現・大阪市平野区)出身で、兵庫県西宮市在住。所属事務所はデンナーシステムズ で、長年所属していた松竹芸能にも籍を残している。前述の通り、西宮市に本宅があるが、活動の拠点が東京であるため、港区にも別宅を持っている。 愛称は「べーさん」「べー師匠」「鶴瓶ちゃん」「まーちゃん」「まなぶくん」など。落語家として上方落語協会相談役を務めている。2025年現在、6代目笑福亭松鶴の存命の弟子の中では上から5番目にあたる。
五代目 柳亭 痴楽(りゅうてい ちらく、1951年11月30… 五代目 柳亭 痴楽(りゅうてい ちらく、1951年11月30日 - 2009年9月7日)は、北海道石狩郡当別町生まれの落語家。落語芸術協会所属、同協会常任理事を務めたが、病臥後は相談役に退いていた。出囃子は『将門』、定紋は「蔓結びかたばみ」、本名:澤邊 幸三。 札幌商業高校中退後、1968年1月に四代目柳亭痴楽に入門。前座名は「痴太郎」。 1972年5月に二ツ目昇進、「小痴楽」と改名。1976年にNHK新人落語コンクール優秀賞を、1979年に文化庁芸術祭優秀賞を受賞。 1983年5月に四代目春雨や雷蔵、古今亭寿輔、三笑亭夢之助、桂京丸、五代目春風亭柳條、三遊亭春馬と共に真打昇進。 1989年、国立演芸場花形新人大賞受賞。