東 博樹(あずま ひろき、1966年7月10日 - )は、日… 東 博樹(あずま ひろき、1966年7月10日 - )は、日本の元サッカー選手。 1966年7月10日、京都府出身。同志社大学卒業後、1989年に日本サッカーリーグのクラブチーム、松下電器(後のガンバ大阪)に入団。ディフェンダーとして多くの試合に出場したが、活躍の場は1993年シーズンに減少した。 1994年、横浜フリューゲルスに移籍し、2シーズンプレーしたものの、大きな活躍はできなかった。 1996年にはジャパンフットボールリーグのクラブチームであるヴィッセル神戸に移籍。ヴィッセル神戸は1996年に2位を獲得し、 J1リーグに昇格したものの、東は1997年の試合ではまったく活躍の場がなく、1997年シーズンの終わりに引退した。
神川 明彦(かみかわ あきひこ、1966年7月9日 - )は… 神川 明彦(かみかわ あきひこ、1966年7月9日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 神奈川県立鎌倉高等学校の2年時にインターハイでベスト16、第62回全国高等学校サッカー選手権大会に出場。3年時に国民体育大会の神奈川県代表に選出され優勝した。なお、高校時代の同級生に元ベルマーレ平塚の公文裕明、一学年下には元浦和レッズの堀孝史と本吉剛がいる。堀は明治大学でも後輩だった。女優の鈴木保奈美も高校の同級生である。 1985年に明治大学政治経済学部に入学して、サッカー部に入部。卒業後の1989年より明治大学職員となった。1994年から明治大学に在職のままサッカー部のコーチに就任。
岩渕 弘幹(いわぶち ひろもと、1966年7月3日 - )は… 岩渕 弘幹(いわぶち ひろもと、1966年7月3日 - )は、岩手県出身の元サッカー選手。現在は、川崎フロンターレ育成普及担当で専修大学サッカー部のコーチ。日本サッカー協会公認 S級ライセンス保持者。 岩手県立遠野高等学校から川崎フロンターレの前身チームである富士通サッカー部に入団。1995年に引退し、翌年より富士通サッカー部のコーチに就任。以降、川崎フロンターレのコーチ、ユース監督などを務めた。 2019年4月までは川崎フロンターレ育成普及担当・スクールグループ長・兼普及活動グループ長を務めながら専修大学サッカー部のコーチもしていたが、2019年4月より山梨学院大学サッカー部監督に就任した
森川 徹(もりかわ とおる、1966年6月29日 - )は、… 森川 徹(もりかわ とおる、1966年6月29日 - )は、石川県出身の元サッカー選手。 大阪体育大学卒業。ガンバ大阪で活躍。 1992年のJリーグカップにおいてはディフェンダーとして多くの試合に出場したものの、1993年シーズンではほとんどプレーできなかった。 1994年、日本サッカーリーグクラブ京都パープルサンガに移籍。1994年シーズンの終わりに引退。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
神田 勝夫(かんだ かつお、1966年6月21日 - )は、… 神田 勝夫(かんだ かつお、1966年6月21日 - )は、新潟県新潟市出身の元プロサッカー選手、大学教授。兄(昭夫・日立)と弟(勝利・NKK)は共にJSLでプレーした経験を持つ。 NKK在籍時まではフォワードであったが、1994年に移籍したセレッソ大阪で左サイドバックに転向。同年JFLのベストイレブンに選出される。アウトサイドのプレーヤーとして中盤でもプレーした。 1995年に新潟県出身者として初めて日本代表に選ばれ、1995年5月28日のキリンカップ・エクアドル代表戦で1キャップを記録。1998年より横浜F・マリノス、2000年よりアルビレックス新潟でプレーし、2003年をもって現役を引退した。
山本 富士雄(やまもと ふじお、1966年5月27日 - )… 山本 富士雄(やまもと ふじお、1966年5月27日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者である。 フィジカルコンタクトに強く、ミッドフィールダーまたはディフェンダーとして守備的なポジションをいずれもこなす 選手だった。 神奈川県立小田原高等学校出身、卒業後筑波大学に進学した。 1990年に日本サッカーリーグ1部に復帰した三菱自動車に加入し2シーズンでJSL5試合1得点を記録するが浦和レッドダイヤモンズになってから出場機会がなく、翌年はNKKに移籍した。翌1994年にはベルマーレ平塚に移籍し、守備のバックアッパーとして活躍し、1996年に引退した。 1997年にはサッカー指導者として桐蔭学園高等学校サッカー部の監督に就任。
平田 英治(ひらた えいじ、1966年5月16日 - )は、… 平田 英治(ひらた えいじ、1966年5月16日 - )は、山口県山口市出身の元サッカー選手(FW、MF)、サッカー指導者(JFA公認A級コーチ)。 現、徳島ヴォルティスユース監督 兼 育成チーフ。 スピードのあるドリブルと正確なヘディングシュートが持ち味。 マツダ時代の90-91シーズンを日本サッカーリーグ2部で戦うマツダはシーズン中盤以降に故障者が続出したが、平田がそれを見事にカバーし1部昇格に貢献した。1992年サンフレッチェ広島設立にも在籍。翌1993年SKベネショフへ移籍。 帰国後は山口教員団(現、レノファ山口FC)、1995年から大塚製薬でプレーし、1998年引退。 その後は大塚製薬スタッフ、徳島ヴォルティス誕生後もスタッフとして活躍している。
白井 淳(しらい あつし、1966年4月18日 - )は、大… 白井 淳(しらい あつし、1966年4月18日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、サッカー指導者(GKコーチ)。現役時代のポジションはゴールキーパー。熊本県を出身とする資料もある。 京都産業大学から1989年に田辺製薬サッカー部に入団。その後、東芝サッカー部(現・北海道コンサドーレ札幌)を経て1994年にガンバ大阪へ加入。しかし、本並健治の壁は高く1996年に本並が試合中の大怪我で離脱後は岡中勇人がレギュラーに据えられたため、1995年にリーグ1試合に出場したのみに終わった。 その後、古巣札幌への復帰を経て1997年にはジェフ市原に移籍。ここでも日本代表経験もある下川健一の控えであったが、下川負傷時は出番を得た。
佐藤 康之(さとう やすゆき、1966年4月12日 - )は… 佐藤 康之(さとう やすゆき、1966年4月12日 - )は、広島県広島市安芸区矢野出身の元サッカー選手。ポジションはDF。 スピードとフィジカルの強さが売り。パンチパーマがトレードマークで、広島のみならず、Jリーグ屈指の強面選手だったが、愛嬌がありおしゃべりだったため、当時人気選手の一人だった。 森崎和幸・浩司兄弟は矢野中学校の後輩。広島国泰寺高校の野村雅之、吉田安孝は同い年で高校時代のライバルであった。地元山陽高校からマツダ入り。1988年には日本代表のメンバーに選ばれ中東遠征に参加した。Jリーグ開幕の頃にはマンチェスター・ユナイテッドFCへ修行に出されていた。1994年にレギュラー獲得、柳本啓成とともにコンビを組み活躍、サントリーシリーズ制覇に貢献した。
長谷 忠志(はせ ただし、1966年4月11日 - )は、和… 長谷 忠志(はせ ただし、1966年4月11日 - )は、和歌山県出身のサッカー審判員。和歌山県立那賀高等学校、和歌山大学教育学部卒。2008年はJ1で副審を務めている。過去にはJ2で主審を務めていた時期もある。本職は高等学校の教員である。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
江本 城幸(えもと じょうこう、1966年4月9日 - )は… 江本 城幸(えもと じょうこう、1966年4月9日 - )は、富山県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。 富山県富山市の出身で、小学6年時に岩瀬少年団の一員として全日本少年サッカー大会に出場し優秀選手に選出された。 中学から高校にかけて郷里の富山を離れて静岡県にサッカー留学。東海大学第一高校では2学年上に行徳浩二、同期に郷司弘和、1学年下に杉本雅央や山田泰寛らがいる。1年時には日本ジュニアユース代表に選ばれ、シンガポールで開催されたライオンシティカップ(16歳以下の国際大会)に出場した。高校選手権は1年時と3年時の静岡県予選で決勝進出を果たすも、1年時は清水東高校に、3年時は藤枝東高校に敗れたため出場はならなかった。
鋤柄 昌宏(すきがら まさひろ、1966年4月2日 - )は… 鋤柄 昌宏(すきがら まさひろ、1966年4月2日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、指導者。ポジションはFW。 1983年、1984年、帝京高校在学中に全国高等学校サッカー選手権大会で2度優勝を経験。 1988年、筑波大学在籍中にカタールで行われたAFCアジアカップに出場する日本代表Bのメンバーに選ばれる。 同年、読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)入団。Jリーグに移行し、ヴェルディ川崎と改称された後も所属するが、カップ戦のみの出場で、Jリーグのリーグ戦には不出場。1994年途中に浦和レッドダイヤモンズに移籍し、古巣のV川崎戦でJリーグ初出場を飾る。1995年にジャパンフットボールリーグの福島FCに移籍。
石田 順子(いしだ じゅんこ、1966年3月11日 - )は… 石田 順子(いしだ じゅんこ、1966年3月11日 - )は、日本の元女子サッカー選手。元サッカー日本女子代表。 西山高校、西山高クラブでプレー。1981年に1981 AFC女子選手権のために初めてサッカー日本女子代表が編成された際に代表に選出された。6月7日、この大会の初戦、チャイニーズタイペイ代表との試合で日本代表デビューした。この試合は日本代表にとって初めての国際Aマッチだった。この大会で2試合に出場した。その後、9月のポートピア'81国際女子サッカーのイングランド戦にも出場し、日本代表には通算で3試合に出場した。
中村 順(なかむら じゅん、1966年3月1日 - )は、日… 中村 順(なかむら じゅん、1966年3月1日 - )は、日本の元アマチュアサッカー選手、サッカー指導者。 1966年3月1日、大阪府出身。大阪府立高槻南高等学校を経て天理大学体育学部卒業。高等学校、大学とサッカー部に入部してプレーした。天理大学卒業後、ドイツに渡り、ドイツ体育大学ケルン(ケルンスポーツ大学)に留学。留学の理由は『ドイツの強さの理由を知りたかったから』。 ドイツ留学中にはケルンのサッカークラブ・BC Efferenでプレーしつつ、サッカー指導者を目指して勉学に励む。 帰国後、1995年に通訳兼コーチとしてガンバ大阪に入団したのを皮切りにブランメル仙台、ジェフユナイテッド市原・千葉、京都パープルサンガなどでコーチを歴任。
前田 和明(まえだ かずあき、1966年1月22日 - )は… 前田 和明(まえだ かずあき、1966年1月22日 - )は東京都中野区出身の元サッカー選手。翻訳家。現役時代のポジションはフォワード(FW)。
田邊 伸明(たなべ のぶあき、1966年1月19日 - )は… 田邊 伸明(たなべ のぶあき、1966年1月19日 - )は日本のサッカー選手代理人である。株式会社ジェブエンターテイメント代表取締役。 東京都世田谷区出身。中学、高校時代はサッカー部に所属。和光大学時代、ヨーロッパなどを放浪してサッカーを観戦するバックパッカー生活を送る。大学卒業後、レコード会社への就職が内定していたが、それを断りスポーツイベント運営会社のジェブに就職。入社当初はゴルフ運営の業務を担当したが、その後増加するサッカー絡みの仕事に携わるようになっていく。 1991年、北澤豪のマネジメント業務を始める。1998年にFIFAワールドカップ・フランス大会のサッカー日本代表メンバーから北澤が落選したことや、同年末に所属クラブのヴェルディ川崎が若返りを図る中で北澤に移籍話が持ち上がった経験を通して、より近い立場で選手をサポートできる代理人の資格を取ることを決断する。
小島 伸幸(こじま のぶゆき、1966年1月17日 - )は… 小島 伸幸(こじま のぶゆき、1966年1月17日 - )は、群馬県前橋市出身の元サッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。ポジションはゴールキーパー(GK)。同志社大学商学部卒業。サッカー解説者、アドバイザーとしても活動している。 小学4年生の時にサッカーと出会い、小学5年生から本格的にサッカーを始める。新島学園高等学校時代にGKに転向した。同志社大学を経て、1988年に日本サッカーリーグのフジタ(後のベルマーレ平塚、現湘南ベルマーレ)に加入。フジタ時代は古島清人の控えに甘んじたが、ベルマーレ平塚となりJリーグ昇格1年目の1994年、不調の古島に代わる形で試合に出場し、正GKとして定着した。
向島 建(むこうじま たつる、1966年1月9日 - )は、… 向島 建(むこうじま たつる、1966年1月9日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手である。ポジションはFW。現在は川崎フロンターレの強化部スカウト。
越後 和男(えちご かずお、1965年12月28日 - )は… 越後 和男(えちご かずお、1965年12月28日 - )は、三重県三重郡出身の元サッカー選手、サッカー指導者。JFA 公認S級コーチ。 選手時代のポジションはミッドフィールダー。 三重県立四日市中央工業から1984年に日本サッカーリーグ1部の古河電気工業サッカー部(現 ジェフユナイテッド市原・千葉)へ入部。2年目の1985年シーズンに9年ぶり2度目のリーグ優勝に貢献し、新人王を受賞した。この活躍により日本代表に選出され、1987年のソウル五輪アジア予選を始め国際Aマッチ6試合に出場した。 その後も、後藤義一らと共に古河電工やJリーグ創世期のジェフ市原の中盤を支え、1996年からはジャパンフットボールリーグのブランメル仙台(現 ベガルタ仙台)へ移籍した。
柴田 峡(しばた けい、1965年12月8日 - )は、東京… 柴田 峡(しばた けい、1965年12月8日 - )は、東京都練馬区出身 のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。東京都立石神井高等学校、東京学芸大学卒、東京学芸大学大学院修士課程修了。日本サッカー協会公認S級ライセンス所持。 大学卒業後、全日空サッカークラブ(後の横浜フリューゲルス)へ入団。東京ガスサッカー部(現、FC東京)移籍後現役を引退し、東京ガス主催によるサッカースクール「東京ペレフットボールクラブ」にて指導者としての活動をスタート。FC東京の下部組織で指導に当たり、2001年にはFC東京U-18第1期生 を率いて、クラブユース選手権優勝を果たした。
上田 滋夢(うえだ じむ、1965年11月11日 - )は、… 上田 滋夢(うえだ じむ、1965年11月11日 - )は、京都府京都市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。京都教育大学大学院教育学研究科修了。追手門学院大学社会学部社会学科教授。 ジム・ウェーダー(Jim Weder)という英語風の名前も用いる。 大学在学中に渡英し、イングランド2部、イングランド3部、スコットランド1部で3季、プロ選手としてプレー。1988年3月引退。また日本では数少ないUEFA公認コーチのライセンス保有者である。 サッカークラブ代表の傍ら、スカパー!やKBS京都でサッカー解説者として活動している。解説者活動ではアナウンサーから「じむさん」と呼びかけられることが多い。
梶野 智(かじの さとし、1965年11月9日 - )は、愛… 梶野 智(かじの さとし、1965年11月9日 - )は、愛知県出身の元サッカー選手である。現役時代のポジションはDF(ストッパー)、MF(守備的MF)。GSsports株式会社代表取締役。兄の梶野智幸も元サッカー選手、現サッカー指導者。 岡崎城西高等学校、東京農業大学卒業。1988年にヤンマーディーゼルサッカー部に入団。1993年にチームがセレッソ大阪となってからは初代キャプテンを務め、1995年のJリーグ昇格時には守備の要として活躍し、「ヒゲカジ」の愛称で親しまれた。1998年にコンサドーレ札幌に移籍し、翌年に現役を引退。 現役を引退した梶野は、2000年にセレッソ大阪にサッカースクールスタッフに就任 し、2004年まで運営責任者として活動した。
五十嵐 和也(いがらし かずや、1965年10月24日 - … 五十嵐 和也(いがらし かずや、1965年10月24日 - )は岩手県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF(センターバック、右サイドバック)。 岩手県立遠野高校を卒業後、1984年に古河電工に入団。2年目の1985年にレギュラーの座を掴み、同シーズンの日本サッカーリーグ(JSL)優勝に貢献。1986-1987シーズンには日本のクラブとして初のアジア制覇となったアジアクラブ選手権のタイトルを獲得する。 1992年にJリーグが発足した後も古河電工の後身クラブであるジェフユナイテッド市原でプレーし、94年はレギュラーだった。1996年までプレー。ジェフ退団後は、当時関東リーグ所属の横河電機に移籍し、1999年より日本フットボールリーグ昇格、2000年シーズンで現役を退いた。
長谷川 健太(はせがわ けんた、1965年9月25日 - )… 長谷川 健太(はせがわ けんた、1965年9月25日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード(ウイング)。2025年までJリーグ・名古屋グランパスの監督を務めた。 小学6年時には清水FCの一員として全日本少年サッカー大会優勝、静岡県立清水東高等学校時代は小学生時代からの盟友大榎克己、堀池巧と共に清水東三羽烏として高校サッカーで活躍した。 筑波大学を経て1988年に日本サッカーリーグ1部の日産自動車サッカー部(現横浜F・マリノス)へ入部。同年からの2年連続三冠(リーグ、天皇杯、JSL杯)に貢献した。1990年、アジア大会終了後の怪我で日産を退部、怪我をしていながらオファーを出した清水への移籍を決断した。
田口 禎則(たぐち よしのり、1965年9月14日 - )は… 田口 禎則(たぐち よしのり、1965年9月14日 - )は、日本のサッカー選手、サッカー指導者、政治家。埼玉県浦和市(後のさいたま市浦和区)出身。息子の田口翔太郎もサッカー選手であり、関東サッカーリーグのさいたまサッカークラブに所属している。 浦和市立岸中学校から浦和市立南高等学校(後のさいたま市立浦和南高等学校)へ進学。高校時代は大型フォワードとして注目され、2年時の全国高等学校サッカー選手権大会ではベスト8進出に貢献し 大会優秀選手に選出された。卒業後の1985年に筑波大学体育専門学群へ進学し蹴球部に入部。大学の同期には伊達倫央、鋤柄昌宏、山本富士雄らがいる。大学時代にセンターバックへコンバートされレギュラーを獲得すると、3年時から4年時にかけて関東大学サッカーリーグ戦連覇、4年時に関東選手権優勝、総理大臣杯優勝に貢献。
堀池 巧(ほりいけ たくみ、1965年9月6日 - )は、静… 堀池 巧(ほりいけ たくみ、1965年9月6日 - )は、静岡県清水市(現・静岡県静岡市清水区)出身の元サッカー選手、サッカー指導者、サッカー解説者。現役時代はディフェンダーとして活躍、日本代表にも選ばれた。 清水東高校時代は大榎克己、長谷川健太とともに「清水東三羽烏」として知られ、日本サッカーリーグ(JSL)の読売クラブ(現東京ヴェルディ)を経て1992年、Jリーグ発足に備えて設立された清水エスパルスに入団。エスパルス草創期の中心的な選手として活躍した。セレッソ大阪への期限付き移籍を経て、1999年シーズン限りで引退した。 主に右サイドバックを務め、日本代表や清水エスパルスでもこのポジションが多かったが、読売クラブ時代の1988年に守備的MF、1989年から1992年までセンターバックとして加藤久とコンビを組み、セレッソ大阪に移籍した晩年にもこのポジションを務めるなど守備のユーティリティープレーヤーとして活躍した。
前田 治(まえだ おさむ、1965年9月5日 - )は、日本… 前田 治(まえだ おさむ、1965年9月5日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW(センターフォワード)。福岡県福岡市出身。 現役時代はスピード豊かな突破とボールの落下点に絶妙に合わせるポジショニングの良さが特徴のストライカーであった。高校サッカーの強豪帝京高校へ進学すると1983年度の高校選手権決勝の清水東高校戦では決勝点となるボレーシュートを決め同校を4度目の選手権制覇に導く原動力となった。 卒業後の1984年に東海大学に進学。東海大は当時、関東大学リーグ2部に在籍していたが、2年間で1部に昇格させ、昇格初年度の1986年に関東大学リーグ1部優勝に導く原動力となった。
山本 健二(やまもと けんじ、1965年8月28日 - )は… 山本 健二(やまもと けんじ、1965年8月28日 - )は、山梨県出身の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(左サイドバック)。 山梨県立韮崎高等学校では1学年上に保坂孝、羽中田昌がいる。全国高等学校サッカー選手権大会では2年時に準優勝(第61回)、3年時にベスト4進出(第62回)に貢献。両大会で優秀選手に選ばれ、日本高校選抜のヨーロッパ遠征に参加した。 駒澤大学を卒業後、1988年に日本サッカーリーグの古河電工に加入。加入初年度の1988-89シーズンのJSL1部では第1節から出場機会をつかみ19試合に出場。4シーズンの間にJSL1部通算53試合に出場した。 1992年、プロ化によりジェフユナイテッド市原へと移行後もチームに在籍し、同年のJリーグカップでは1試合に出場 したが同年限りで退団。
上野 展裕(うえの のぶひろ、1965年8月26日 - )は… 上野 展裕(うえの のぶひろ、1965年8月26日 - )は、滋賀県甲賀市(旧甲賀郡信楽町)出身の元サッカー選手・指導者(JFA 公認S級コーチ)。 滋賀県立膳所高等学校から一浪で早稲田大学に進学、同期に松山吉之がいる。在籍時にはユニバーシアード代表を経験したほか、AFCアジアカップ1988に出場する日本代表Bのメンバーに選ばれた。 大学時代からマリウス・ヨハン・オフト率いるマツダSC(現サンフレッチェ広島F.C)のモダンなサッカーに魅せられており、卒業後はマツダでサッカーをやりたいという意志を持っていたが、なぜか誘いはなく、大学を卒業後は日本サッカーリーグ(JSL)1部の全日空サッカークラブ(横浜フリューゲルスの前身)に入団。
簔口 祐介(みのぐち ゆうすけ、1965年8月23日 - )… 簔口 祐介(みのぐち ゆうすけ、1965年8月23日 - )は、千葉県出身の元日本代表のサッカー選手。ポジションはFW。 現役引退後、現在は北海道栄高校サッカー部の監督を務めている。
中西 大介(なかにし だいすけ、1965年8月14日 - )… 中西 大介(なかにし だいすけ、1965年8月14日 - )は、公益社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の元常務理事、公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(Bリーグ)の元理事。 東京都立駒場高等学校、神戸商船大学(現神戸大学海事科学部)卒業。株式会社ナガセの運営する東進ハイスクールの映像配信、衛星事業を経て、1997年にJリーグに入局した。主にJリーグ中継の権利販売を担当。2002年FIFAワールドカップでは札幌ベニューのマネージャーを務めた。 2005年、ヒューマンリソースディベロップメントグループに異動。復帰後は企画部や事業部でアシスタントマネージャー、マネージャーなどを務め、2010年に事業戦略室室長、2011年に競技・事業統括本部長に就任。
平岡 和徳(ひらおか かずのり、1965年7月27日 - )… 平岡 和徳(ひらおか かずのり、1965年7月27日 - )は、熊本県下益城郡松橋町(現・宇城市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 小学生時代より将来を嘱望された選手であり、熊本県松橋中学から帝京高等学校へサッカー留学。 3年生の時には主将としてFWの前田治やMFの広瀬治らと共に、1983年度全国高校サッカー選手権において3度目の全国制覇を果たした。清水東高校との決勝戦において前田治の決勝点となるアシスト(左サイドからのクロス)をした。 1984年に筑波大学へ進学。4年生の時には主将を務め、副主将の長谷川健太と共に1987年の総理大臣杯準優勝、4年ぶり6度目の関東大学リーグ制覇に貢献し名門復活の足掛りを築いた(元日本代表の中山雅史、井原正巳は2年後輩にあたる)。
菅野 淳(かんの あつし、1965年7月18日 - )は、山… 菅野 淳(かんの あつし、1965年7月18日 - )は、山形県出身のサッカー指導者(フィジカルコーチ)。日本サッカー協会公認A級コーチ。
三浦 泰年(みうら やすとし、1965年7月15日 - )は… 三浦 泰年(みうら やすとし、1965年7月15日 - )は、静岡県静岡市出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手、サッカー解説者であり、元日本代表。現役時代のポジションはDF、(MF)。 静岡学園高校時代からテクニシャンとして名を馳せたが、全国の舞台とは無縁であった。同期には向島建がいる。1984年に卒業し、ブラジルのサントスFCでのサッカー留学を経験した。 1986年に読売サッカークラブに入団。1990年に弟知良も読売に入団した。1991年3月10日、ヤマハ発動機戦では、高校時代以来となる知良からのアシストでのゴールを決めた。 Jリーグ発足に伴い、1992年に前身となるチームを持たず新規に立ち上げられた清水エスパルスに移籍し初代主将を務める。
美濃部 直彦(みのべ なおひこ、1965年7月12日 - )… 美濃部 直彦(みのべ なおひこ、1965年7月12日 - )は、滋賀県守山市幸津川町出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
石川 恭司(いしかわ きょうじ、1965年6月25日 - )… 石川 恭司(いしかわ きょうじ、1965年6月25日 - )は、島根県出身のサッカー審判員。元Jリーグ担当審判員。高校教諭。島根県立益田高等学校卒業。
広瀬 治(ひろせ おさむ、1965年6月6日 - )は、埼玉… 広瀬 治(ひろせ おさむ、1965年6月6日 - )は、埼玉県与野市(現:さいたま市中央区)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。 小学校3年生の時にサッカーを始め、5年生の時にクラブチームの三菱養和SCへ加入。中学は地元の与野西中学校へ進学したが中学ではサッカー部に所属せず、引き続き三菱養和でサッカーを学んだ。 高校進学の際には「全国高校サッカー選手権でプレーをしたい」という希望から東京都の帝京高等学校へ進学。1年次からレギュラーの座を掴むと同期の平岡和徳と共に中盤を形成し、1983年の高校選手権でベスト4進出。3年次の全国高校サッカー選手権では膝の故障もあって万全のコンディションではなかった が、同校の3度目の全国高校選手権制覇に貢献した。
礒田 由和(いそだ よしかず、1965年5月27日 - )は… 礒田 由和(いそだ よしかず、1965年5月27日 - )は、日本出身のサッカー選手、指導者。ポジションはDF、FW。JFA公認A級コーチ。 同志社大学を経て1988年に日本サッカーリーグ1部のNKKサッカー部へ入部。当初はFWとしてプレーしていたが、入部3年目にDFへコンバートされた。
伊藤 裕二(いとう ゆうじ、1965年5月20日 - )は、… 伊藤 裕二(いとう ゆうじ、1965年5月20日 - )は、三重県桑名市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはGK。中部大学第一高等学校事務職員(担当課長)・サッカー部監督。 Jリーグ開幕前までは、ディド・ハーフナーが正GKを務めていたが、Jリーグ開幕から正GKの地位を固め、1997年のオールスターにファン投票によって選出、出場を果たした。 1999年、合併により消滅した横浜フリューゲルスから加入した楢﨑正剛にレギュラーと背番号1を奪われ、出場機会を求めて2000年に湘南ベルマーレへ移籍。移籍初年度は若手の水谷雄一と激しくポジションを争った後、水谷が移籍した2001年になると正GKに昇格したものの、2002年の後半戦以降は鈴木正人にポジションを奪われて同年限りで現役引退。
吉田 暢(よしだ とおる、1965年5月17日 - )は、岩… 吉田 暢(よしだ とおる、1965年5月17日 - )は、岩手県紫波郡紫波町出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 現役時代はサイドバックとして古河電工/ジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)、ブランメル仙台(現:ベガルタ仙台)でプレーし、1997年に現役を引退。 1998年よりソニー仙台FCのコーチに就任。2001年からソニー仙台FCの監督に就任。2005年にJFA 公認S級コーチライセンスを取得。 2006年から2011年までグルージャ盛岡の監督を6年間務め、東北社会人サッカーリーグ1部で優勝4回、準優勝2回の成績を残した。2012年、グルージャ盛岡の育成・普及スタッフ代表統括に就任。
半田 悦子(はんだ えつこ、1965年5月10日 - )は、… 半田 悦子(はんだ えつこ、1965年5月10日 - )は、静岡県清水市(現在の静岡市清水区)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはフォワード。 清水市立入江小学校の3年(1974年)からサッカーを始める。1980年に清水第八SCに入団して、チームの一員として全日本選手権7連覇を果たし、1982年の第3回全日本女子サッカー選手権大会では最優秀選手に選ばれた。 1989年に清水第八SCの選手らによって発足した鈴与清水FCラブリーレディース(1989年は清水FCレディース)へ移籍して日本女子サッカーリーグ(L・リーグ)に参加した。1991年には静岡県体育協会から優秀選手章を木岡二葉らとともに受賞し、第8回(1996年)まで131試合出場70ゴールを記録した。
利重 孝夫(とししげ たかお、1965年4月21日 - )は… 利重 孝夫(とししげ たかお、1965年4月21日 - )は、日本の実業家、元サッカー選手およびサッカー指導者。 高校時代は読売サッカークラブのユースに所属。1984年に東京大学へ入学し、在学中はア式蹴球部に在籍した。1988年に東大教養学部を卒業して日本興業銀行(現:みずほフィナンシャルグループ)に入行。その後、コロンビア大学に留学して1994年6月に同大学経営大学院修士号を修得した。 2001年9月、楽天に入社。2005年5月に執行役員、2007年3月に取締役、同年4月に常務執行役員、2008年1月にコンテンツ事業部長を歴任した。また、この間にショウタイム(現:楽天ショウタイム)の副社長やクリムゾンフットボールクラブ(日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するヴィッセル神戸の運営会社)の取締役も務めた。
大榎 克己(おおえのき かつみ、1965年4月3日 - )は… 大榎 克己(おおえのき かつみ、1965年4月3日 - )は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 清水市(現・静岡市清水区)に生まれ、地元の小学校選抜チームである清水FCから両河内中学校を経て、静岡県立清水東高等学校に入学した。同期の長谷川健太、堀池巧とともに清水東三羽烏と称され、1983年度全国高等学校サッカー選手権大会優勝に貢献した。大会終了後には研修生という形で日本代表候補合宿に招集され、日本B代表の一員としてマレーシア遠征に参加するなど若年時から将来を嘱望された選手であった。 その後早稲田大学を経て1988年にヤマハ発動機サッカー部(現ジュビロ磐田)に社員選手として入部。
大野 俊三(おおの しゅんぞう、1965年3月29日 - )… 大野 俊三(おおの しゅんぞう、1965年3月29日 - )は、千葉県船橋市出身の元サッカー選手。ポジションはDF。 習志野高校出身で、同級生に藤川久孝がいる。卒業後に住友金属工業に入社し住友金属工業蹴球団に入部。1992年に同クラブが鹿島アントラーズとなると共にプロ契約を結んだ。鹿島では、奥野僚右や杉山誠とコンビを組み、ヘディングや1on1に強く、パワフルで粘り強いマンマークとロングスローでディフェンダー(センターバック)として活躍し、チームの黄金期を支えた。1993年、Jリーグ1stステージで大きく成長、守備面でチームの優勝に大きく貢献、日本代表にも選出され、国際Aマッチの出場こそ無かったものの、同年10月28日のドーハの悲劇もメンバーの一人として経験している。
武田 亘弘(たけだ のぶひろ、1965年3月22日 - )は… 武田 亘弘(たけだ のぶひろ、1965年3月22日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。現在はセレッソ大阪でGKコーチを務める。 大阪体育大学卒業後、本田技研工業でプレー。1989 FIFAフットサル世界選手権にフットサル日本代表として出場した。1994年に地元のセレッソ大阪に移籍、正GKとしてC大阪のJリーグ昇格に貢献する。しかし、Jリーグに昇格した1995年には武田治郎が起用され、元ブラジル代表GKジルマールの加入したこと、若手の下川誠吾の成長もあり出番が激減。1997年に引退した。 引退後はC大阪や日本協会ナショナルコーチングスタッフを歴任。
島田 貴裕(しまだ たかひろ、1965年2月9日 - )は、… 島田 貴裕(しまだ たかひろ、1965年2月9日 - )は、大阪府出身のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 1987年、大阪体育大学を卒業して松下電器産業サッカー部(後のガンバ大阪)に入団。10年以上に渡ってセンターバック、ストッパーとしてプレーし、1997年に現役を引退。 引退後はガンバ大阪下部組織の指導者を務めている。2009年5月にJFA 公認S級コーチライセンスを取得。
行德 浩二(ぎょうとく こうじ、1965年1月28日 - )… 行德 浩二(ぎょうとく こうじ、1965年1月28日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。日本サッカー協会公認S級コーチライセンス保有。 サッカー選手の行德瑛は子にあたる。 ユース代表の経験を持ち、西ドイツ留学後、日本サッカーリーグのトヨタ自動車に加入し、3シーズンにわたってプレーした。Jリーグの発足を前に引退。 1994年以降、清水エスパルスのコーチングスタッフを歴任。2002年3月にJFA公認S級コーチライセンスを取得。2003年12月にはリーグ終了後に解任された大木武監督に代わってトップチーム監督に就任。天皇杯で清水をベスト4に導いた。2005年には清水エスパルスユース監督としてJユースカップに優勝した。
行徳 浩二(ぎょうとく こうじ、1965年1月28日 - )… 行徳 浩二(ぎょうとく こうじ、1965年1月28日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。日本サッカー協会公認S級コーチライセンス保有。
和田 昌裕(わだ まさひろ、1965年1月21日 - )は、… 和田 昌裕(わだ まさひろ、1965年1月21日 - )は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。次男の和田篤紀および三男の和田倫季もサッカー選手である。
平川 弘(ひらかわ ひろし、1965年1月10日 - )は、… 平川 弘(ひらかわ ひろし、1965年1月10日 - )は、神奈川県藤沢市出身の元サッカー選手、サッカー解説者。元サッカー日本代表。ポジションはDF(左サイドバック)、MF(左ウイングバック)、FW(左ウイング)。愛称は「デンさん」。 元プロサッカー選手の平川元樹は実子。 若い頃から俊足フォワードとして名を馳せ、順天堂大学在籍時の1985年に日本代表に選出。同年のワールドカップ・メキシコ大会予選に参加。スーパーサブとして最終予選進出に貢献した。 1987年に日本サッカーリーグの日産自動車サッカー部に入部。当時のポジションは左ウイングであったが、1988年に横山兼三日本代表監督の下で左ウイングバックにコンバート、後に日産でもこのポジションを務めた。