浅香 あき恵(あさか あきえ、1956年10月23日 - )… 浅香 あき恵(あさか あきえ、1956年10月23日 - )は、日本のお笑いタレント、コメディエンヌ。吉本新喜劇の座員。大分県大分市出身。吉本興業所属。 本名は佐藤 秋恵(さとう あきえ)、旧姓は首藤。旧名は浅香 秋恵、小田 真理。夫は新喜劇団員で元Wヤングの佐藤武志。 高校2年生で家庭が大分から大阪に引っ越し、大阪市立天王寺商業高等学校卒業。中学生の頃、学芸会で誰も引き受けなかった老婆役を任され、その演技が好評だったことで演劇に目覚め、高校時代は演劇部に所属する。高校卒業後は一時期東京にも出て映画『愛と誠』の早乙女愛役や文学座養成所に応募するなど様々な女優オーディションに応募していたが果たせず。
中村 有志(なかむら ゆうじ、1956年7月8日 - )は、… 中村 有志(なかむら ゆうじ、1956年7月8日 - )は、中村 ゆうじの芸名で活動している日本のお笑いタレント、コメディアン、俳優、司会者で新劇、パントマイム、コメディアン経験者。なお、本名で活動していた期間もある。福岡県小倉市(現:北九州市小倉北区)出身。国籍は日本。所属事務所は現在はなく、フリーで活動中。 福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)の旦過市場内にあった「中村靴店」で自宅出産で誕生。3人の兄と2人の姉がいる6人きょうだいの末っ子で、父56歳、母44歳の時の子のため、母親は恥ずかしくて中絶しようとしたそうだが、直前に知った父親に産んでほしいと強く言われ思いとどまったことで生まれたという。
松本 竜助(まつもと りゅうすけ、1956年〈昭和31年〉4… 松本 竜助(まつもと りゅうすけ、1956年〈昭和31年〉4月6日 - 2006年〈平成18年〉4月1日)は、日本のお笑い芸人。本名、松本 稔(まつもと みのる)。徳島県生まれ。大阪市立都島工業高等学校卒業。 大阪市立東都島小学校、大阪市立桜宮中学校、大阪市立都島工業高等学校を卒業後、大手食品会社の味の素ゼネラルフーヅ(味の素グループ)に就職しサラリーマンとなったものの早々と退職、京都花月の舞台裏方として芸人修行に入る。 1977年、松本竜介の名前で島田紳助と共に漫才コンビ「紳助・竜介」を結成。紳助が明石家さんまと組もうとして断られ紹介されたのが竜介である(ただし、紳助著『自己プロデュース力』にはさんまに断られたという記述はない。
竹中 直人(たけなか なおと、1956年〈昭和31年〉3月2… 竹中 直人(たけなか なおと、1956年〈昭和31年〉3月20日 - )は、日本の俳優、映画監督、声優、タレント、コメディアン、歌手。 神奈川県横浜市金沢区出身。多摩美術大学美術学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。レディバード所属。多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科客員教授。妻は元アイドル歌手、女優の木之内みどり。 神奈川県横浜市金沢区富岡にて、横浜市役所に勤務する地方公務員夫妻の一人息子として誕生する。 幼少期は家で一人遊びすることを好む内気な性格であったが、両親と共にしばしば映画鑑賞に足を運んでいたことなどがきっかけで映画業界に関心を持つようになる。横浜市立富岡小学校後、関東学院六浦中学校入学を機に、内気な性格を克服すべく習得したモノマネ芸で同級生からの注目が集まるようになる。
渡辺 正行(わたなべ まさゆき、1956年〈昭和31年〉1月… 渡辺 正行(わたなべ まさゆき、1956年〈昭和31年〉1月24日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、コメディアン、俳優。 多くの芸能人やファンたちからはリーダー、明石家さんまや島田紳助、山田邦子など同年代の芸能人からはナベ(さん、ちゃん)と呼ばれている。 個人事務所・なべや所属(石井光三オフィスからの暖簾分け)で、ホリプロコムとマネジメント提携している。ピンクの電話の名付け親である。 千葉県夷隅郡夷隅町(現在のいすみ市)出身。夷隅町立(現:いすみ市立)国吉中学校、千葉県立大多喜高等学校、明治大学経営学部卒業。明治大学落語研究会に所属し、同会に受け継がれた名跡である「紫紺亭志い朝」(6代目)を5代目だった立川志の輔から受け継いだ。
ルビー天禄(ルビーてんろく、1955年11月25日 - 20… ルビー天禄(ルビーてんろく、1955年11月25日 - 2022年4月15日)は、大阪府大阪市北区出身のマジシャン・お笑い芸人。 芸名は出身地の天神橋六丁目(天六)に由来する。イリュージョンマジック、ステージマジック、テーブルマジックをこなし、国内でのホテルディナーショーや海外でのマジックコンベンションなどにも出演した。 中学3年生に進級したばかりの1970年4月8日、天六ガス爆発事故が自宅付近で発生し、この爆発事故で父が死亡した。 1994年10月19日に北新地でテーブルマジックが楽しめるマジックバー「Vernon's Bar(バーノンズバー)」を開く。ステージショーの前に数名のマジシャンが各テーブルを回るホッピングショーを行うスタイルを2000年頃から行い、この手法を確立した人物とされる。
鷲田 豊明(わしだ とよあき、1955年1月30日 - )は… 鷲田 豊明(わしだ とよあき、1955年1月30日 - )は、日本の経済学者、お笑い芸人。上智大学名誉教授、前上智大学大学院地球環境学研究科教授。元環境経済・政策学会副会長。福井県出身。松竹芸能所属。なお、本項目ではお笑い芸人として活動している「わっしー教授」についても記述する。 出典は上智大学ウェブサイト。 1978年3月に、名古屋大学工学部電気工学科を卒業した。その後神戸大学大学院経済学研究科に進み、1986年3月に博士課程後期課程を中途退学する。 1986年4月より岩手大学人文社会科学部専任講師となり、1989年4月に助教授に昇格した。 1990年10月、和歌山大学経済学部助教授に転任。1995年4月に教授に昇格した。
ぶっちゃあ(1954年11月25日 - )は、日本のお笑い芸… ぶっちゃあ(1954年11月25日 - )は、日本のお笑い芸人。リッキーとブッチャーブラザーズを組む。本名、山部 薫(やまべ かおる)。 京都府福知山市出身。福知山商業高等学校(現・福知山成美高等学校)卒業。 趣味は宴会を仕切ること、卓球、競馬、草野球、サッカー。特技は料理、殺陣、関西弁。 好きな言葉は「粋に生きる」。
轟 二郎(とどろき じろう、本名:三浦 康一(みうら こうい… 轟 二郎(とどろき じろう、本名:三浦 康一(みうら こういち)、1954年8月19日 - 2020年8月2日)は、日本のコメディアン、タレント、殺陣師。 静岡県三島市出身。小学生から中学生時代、体操部と卓球部で活動。高校生時代にはビリヤードの大会で優勝したことがある。日大三島高等学校卒業。高校卒業後1973年に若駒プロに入り、殺陣師(居合道三段)兼スタントマンから芸能活動を開始。 『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(日本テレビ)に出演したことでお茶の間の人気者となる。芸名は、この『うわさのチャンネル!!』の会議中に同番組のスタッフの一人がふと「轟」とつぶやいたことから決まっていったという。
小林 まさひろ(こばやし まさひろ、1953年9月15日 -… 小林 まさひろ(こばやし まさひろ、1953年9月15日 - 2016年6月22日)は、日本の元お笑い芸人、フグ料理料理人。ボクシングの親父大会に参戦、シルバー・ウエルター級チャンピオン。本名:小林 正弘(読み同じ)。横浜市鶴見区出身。横浜市立平安小学校、横浜市立市場中学校、桐蔭学園高等学校卒業。 TBS系列で1972年から放送された素人参加型のバラエティ番組『ぎんざNOW!』の素人コメディアン道場でデビュー。その後、1975年に渡辺プロダクションよりザ・ハンダースを結成。 「ありがとうの小林君」と呼ばれリーダー格の人物であったが、デビュー時の営団地下鉄銀座線全区間のルートに相当する道路を休まず歩き抜くプロモーションを桜金造がサボった責任を取り、グループを脱退。
川上 泰生(かわかみ やすお、1953年8月30日 - )は… 川上 泰生(かわかみ やすお、1953年8月30日 - )は、日本のタレント、お笑い芸人。大分県大分市出身。PINES所属。現在は九州地方で、ローカルタレントとして活躍している。 コントユニット「ヒップアップ」の一員として、『オレたちひょうきん族』などに出演。主にネタ考案の役割を持っており、「アダモステ」のネタも川上が考案した。 トリオ解散(自然消滅)後、1990年代後期から地元である九州に活躍の場を移す。『めんたいワイド』のレギュラー(イムズ前レポーター)を皮切りに、『朝はポレポレ』など、様々な地元ローカル番組に出演。 40代に入るころから頭髪が薄くなり、1998年ころからカツラを被りはじめる。
関根 勤(せきね つとむ、1953年〈昭和28年〉8月21日… 関根 勤(せきね つとむ、1953年〈昭和28年〉8月21日 - )は、日本のお笑いタレント、コメディアン、俳優、歌手、司会者、YouTuber。旧芸名はラビット関根。東京都港区出身。浅井企画所属。娘はタレントの関根麻里。愛称は、ラビー。 所属事務所の後輩で長年の親友でもある小堺一機とのコンビは、コサキンとして知られている。 4人兄弟の末っ子(兄2人に姉1人)として生まれる。父は東京消防庁高輪消防署勤務の消防士で、謹厳実直な家庭だったと回想している。「勤」の名前の由来は、関根が生まれた年(1953年)が父にとって勤続25年目の年に当たったことに由来する。幼少時代は奔放かつ我が儘であり、父にはよく「勤、怒鳴るなよ」と窘められていた。
研 ナオコ(けん ナオコ、本名:野口 なを子(旧姓:浅田)、… 研 ナオコ(けん ナオコ、本名:野口 なを子(旧姓:浅田)、1953年7月7日 - )は、日本の歌手、タレント、女優、コメディエンヌである。所属事務所は田辺エージェンシー。 身長162cm、体重51.5kg、血液型A型。一男一女の母。娘は歌手・タレントで、Bro.KONEの長女・近藤麗奈と田代まさしの長女・田代小夏と組んでいた小夏・ひとみ・レイナのひとみ(本名:野口ひとみ)。
ぼんち おさむ(本名:長瀬 修一(ながせ しゅういち)、19… ぼんち おさむ(本名:長瀬 修一(ながせ しゅういち)、1952年〈昭和27年〉12月16日 - )は、日本の漫才師、お笑いタレント・俳優。漫才コンビ「ザ・ぼんち」のボケ担当。吉本興業所属。大阪府大阪市大正区出身。旧芸名はおさむ。血液型O型。興國高等学校卒業。愛称は、おさむちゃん。 なお、父親が宮崎県東臼杵郡北浦町(現:延岡市)出身で、本人も「宮崎はボクのふるさととも言えるルーツですね」とコメントしている。 少年時代、土曜日となれば吉本新喜劇、道頓堀アワー、松竹新喜劇とお笑い番組のTV放送に夢中だったという。高校卒業後、曾我廼家明蝶が主宰する明蝶芸術学院の演劇科で学び、喜劇役者を目指すがその演劇科が閉鎖となり、タイヘイトリオに師事し漫才に転向する。
上方 よしお(かみがた よしお、1952年〈昭和27年〉12… 上方 よしお(かみがた よしお、1952年〈昭和27年〉12月16日 - )は日本の漫才師。大阪府守口市出身。本名は松倉 善弘(まつくら よしひろ)。お笑いコンビ『のりお・よしお』のツッコミ担当。吉本興業大阪本部所属。上方柳次・柳太の弟子。かりあげとオールバック風の髪型が特徴。 1972年、大阪府立淀川工業高等学校(現大阪府立淀川工科高等学校)卒業と同時に上方柳次・柳太に入門。また松竹芸能のタレント養成所でも学ぶ。2年後の1973年に吉本興業に移籍、『上方真一』の芸名で漫才コンビ『B&B』の2代目メンバーとして島田洋七(当時は島田洋一)とコンビを結成。B&Bは若手漫才コンビの中で高い評価を受けるが、洋七の東京進出に反対し、また楽器を持つよう洋七に要求されるようになるなど芸の方向性が合わず、コンビは解消。
すわ 親治(すわ しんじ、1952年〈昭和27年〉11月14… すわ 親治(すわ しんじ、1952年〈昭和27年〉11月14日 - )は、日本のコメディアン、タレント、俳優。旧芸名はすわ しんじ。本名は諏訪園 親治(すわぞの ちかはる)で、本名名義で活動することもある。 ザ・ドリフターズの元付き人で、「ドリフ第六の男」とも言われる。ザ・ニュースペーパーの元メンバーでもある。 鹿児島県鹿児島市吉野町で生まれ育ち、中学および鹿児島実業高等学校時代はバンド活動を行っていた。当初はベンチャーズに傾倒する音楽少年であったが、『8時だョ!全員集合』を見るようになって、ドリフに憧れ、音楽の要素の入ったお笑いを目指すようになる。 お笑い芸人を目指し1970年に上京する。当初は同郷のフランキー堺に弟子入りするつもりだったが、すれ違いが起こり弟子入りを果たせなかった。
九十九 一(つくも はじめ、1952年〈昭和27年〉11月1… 九十九 一(つくも はじめ、1952年〈昭和27年〉11月1日 - )は、日本のお笑い芸人、俳優、脚本家、演出家。 ピン芸人(漫談・ひとりコント)として芸能活動開始。現在は俳優(主に喜劇)として活動テリトリーを拡げ、放送作家としても活動している。 本名:福地 隆(ふくち たかし)。大阪府大阪市出身。エンパシィ所属。過去にE-Pin企画に所属していた。 高校時代から落語家を目指し、3代目桂米朝への弟子入りを志すも、3代目笑福亭仁鶴らによる落語ブームが生じたため断念する。母親からは高校だけは卒業するようにと言われ、高校卒業後は全国各地を転々と放浪した。 帰阪後の1976年、滝あきらの門下から「滝たかし」の芸名でデビューする。
松元ヒロ(まつもとヒロ、1952年10月19日 - )は、鹿… 松元ヒロ(まつもとヒロ、1952年10月19日 - )は、鹿児島県出身のピン芸人。血液型はA型。本名は松元広人。 鹿児島実業高等学校、法政大学法学部政治学科を卒業後、パントマイマーとなり全国を巡業。 その後ばんきんや、石倉チョッキとコミックバンド「笑パーティー」を結成、ベーシストとして活動。『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ)に出場し、第4回オープントーナメントサバイバルシリーズで優勝した。 解散後はコントグループ「ザ・ニュースペーパー」の結成に参加。1998年11月に独立し、ピン芸人になる。 2019年7月、FNS九州8局共同制作・ドキュメント九州『テレビで会えない芸人…-松元ヒロの世界-』(制作:KTS鹿児島テレビ)(制作:野元俊英、プロデューサー:四元良隆、ディレクター:牧 祐樹、撮影:鈴木哉雄)放送。
おおくぼ 良太(おおくぼ りょうた、1952年9月10日 -… おおくぼ 良太(おおくぼ りょうた、1952年9月10日 - )は、日本のシンガーソングライター、コメディアン。本名、大久保 芳正。所属していた事務所は「ゆうせん企画」。 千葉県八日市場市(現・匝瑳市)出身。父は千葉県内の中学校の校長で本人曰く「厳しい家庭に育った」とのこと。千葉県敬愛高等学校(現:横芝敬愛高等学校)機械科卒業。ジャニーズのタレントのカッコ良さに憧れ、高校卒業後にダンサーになりたくて芸能界を目指す。21歳の時に本場のダンスを習得するためにアメリカへ渡って1年間ウェイターや皿洗いなどのアルバイトをしながらダンスやエンターテインメントの勉強をし、タップダンスの修業を積んで帰国。 帰国後はダンサーや振り付けの仕事などをしていた一方で、1976年にコントも行うフォークグループ「チャチャーズ」を結成。
イッセー尾形(イッセーおがた、1952年〈昭和27年〉2月2… イッセー尾形(イッセーおがた、1952年〈昭和27年〉2月22日 - )は、日本の俳優、コメディアン。一人芝居のスタイルを確立した「日本における一人芝居の第一人者」と呼ばれる。 本名は尾形 一成(おがた かずしげ)。「一成」の名は宇垣一成に因むという。芸名の「イッセー」は、本名の音読みからつけたものである。 福岡県福岡市生まれ。父は保険会社のサラリーマンで転勤を繰り返し、まもなく北九州市小倉に移り、幼稚園から小学校1年まで長崎県佐世保市、その後また福岡市に戻り小学校3年の時、東京都杉並区に引越す。高校3年の時千葉県津田沼に移る。東京都立豊多摩高等学校卒業。 美術大学受験に失敗して浪人していた19歳の時に新宿の演劇養成所「アクターズスタジオ」に入る。
オール巨人(オールきょじん、1951年〈昭和26年〉11月1… オール巨人(オールきょじん、1951年〈昭和26年〉11月16日 - )は、日本の漫才師、歌手。漫才コンビオール阪神・巨人のメンバーで、主にボケ担当。相方はオール阪神。吉本興業所属。本名は南出 繁(みなみで しげる)。 1951年、大阪市天王寺区にて出生後、家業の都合で転居を繰り返す。その後、結婚までの時期を豊中市の北条で暮らす。中学3年生のころには身長が180cmほどになる。特に乱暴者や不良だったわけではないが、いつしかケンカが強い「設定」になっていた。学校では一目置かれるようになり、気がつけばたくさんの子分がいたという。 私立大阪商業高等学校(現・大商学園高等学校)卒業後は、学生時代から手伝っていた実家の鶏卵卸売り業に勤務する。
南部 虎弾(なんぶ とらた、1951年〈昭和26年〉7月14… 南部 虎弾(なんぶ とらた、1951年〈昭和26年〉7月14日 - 2024年〈令和6年〉1月20日)は、日本のコメディアン、パフォーマー。電撃ネットワークメンバー。ダチョウ倶楽部初代リーダー。 本名は佐藤 道彦(さとう みちひこ)。愛称は南部ちゃん。身長168cm。血液型RHマイナスO型。既婚。オフィス電撃ネットワーク所属。メディア関係は主に、芸能プロダクション「ビッグ・ブッキング・エンターテインメント(株式会社BBE)」に委託していた。芸名の名付け親は市原悦子。 山形県鶴岡市出身。実家は佐辰輪店という自転車屋。高崎経済大学中退。 第一生命営業マンを経て渡仏。帰国後、ロシア音楽舞踏団を経て、コント赤信号がいるテアトル・エコーに参加する。
西川 のりお(にしかわ のりお、1951年〈昭和26年〉5月… 西川 のりお(にしかわ のりお、1951年〈昭和26年〉5月12日 - )は、日本の漫才師である。本名は北村 紀夫(きたむら のりお)。吉本興業所属。茨城県坂東市のねぎ大使でもある。愛称は「のりやん」「笑いの暴走機関車」。奈良県吉野郡川上村生まれ、大阪府大阪市都島区育ち。血液型はA型。 大阪市立桜宮中学校、大阪工業大学高等学校(現在の常翔学園高等学校)機械工学科卒業。高校時代は応援団員として活動し、大きな独特のダミ声はその時から磨いていた。 高校卒業前に西川きよしに入門した。入門の契機はきよしと喋ってもらえるという理由であった。ある日同級生と株主優待券を使って花月劇場に横山やすし・西川きよしを見に行った際に面白半分で野次を飛ばしたところ、きよしから「なんや君! あとで楽屋に来い」と言われ、扱われたと思っていい気になっていた。
小林 のり一(こばやし のりかず、本名:田沼 則一〈たぬま … 小林 のり一(こばやし のりかず、本名:田沼 則一〈たぬま のりかず〉、1951年5月9日 - 2022年7月6日)は、日本のコメディアン・漫画家。以前は、三木のり一と名乗っていたが、結婚後改名。舞台、TV、映画、漫画、お笑いとこなすマルチ活動している。 父親の三木のり平は、昭和を代表する喜劇役者。東京都中央区日本橋浜町出身。母方の祖父は新宿末廣亭の高座上の額「和気満堂」を書いた中山呑海。息子はものつくり株式会社の田沼遊歩。 父・三木のり平と仕事で何度も共演したが、私生活では三木は小林たちの育児に一切関わらなかったことから父子としての触れ合いはあまりなかった。本人によると「父と一緒に外出することや家族団欒で食事をした記憶も数えるほどしかなく、『おはよう』の挨拶のやり取りすらほとんどなかった。
大空 遊平(おおぞら ゆうへい、1951年5月3日 - )は… 大空 遊平(おおぞら ゆうへい、1951年5月3日 - )は、日本のお笑い芸人。本名∶小野寺 正幸。宮城県金成町(現栗原市)出身。血液型:O型。出囃子は『わたり拍子』。 岩手県立花泉高等学校、東海大学中退。当初は落語家志望で、六代目蝶花楼馬楽の四番弟子として入門、前座名「楽三」と名乗るも、8か月で廃業。その後、大空ヒットに入門する。「大空遊平・泳平」のコンビで活動後となる1982年7月、大空ヒット・三空ますみ門下にて「大空遊平・大海かほり」を結成。浅草松竹演芸場で初舞台、1983年、テレビ朝日「ザ・テレビ演芸」第20代チャンピオンとなる。 1992年、落語協会に入会。1993年に第55回国立演芸場花形演芸会金賞を、1994年に第14回国立演芸場花形演芸大賞特別賞を、1996年に第51回文化庁芸術祭演芸部門芸術祭新人賞を受賞。
北野 幹子(きたの みきこ、1951年 - )は、1970年… 北野 幹子(きたの みきこ、1951年 - )は、1970年代に活動した大阪府出身の女性漫才師。旧姓:松田。 元夫はタレント・漫才師・映画監督のビートたけし(北野武)。子供は長男の北野篤と、長女の北野井子。また、弟はレーシングドライバーの松田秀士。 実家は大阪の寺で、母方の祖父が高知県の社会運動家小原教応。武庫川女子大学附属高等学校を経て、武庫川女子大学短期大学部卒業。在学中にピンアップトリオのピンアップ敦子の門下に入る。司ミキの名で司ミワと組んで、ミキ&ミワの女子大生コンビとして1971年に漫才師デビュー。すぐ渚ミキに改名させられる。その後、前田五郎に一時師事した後、東京に移り内海桂子・内海好江の門下となり、内海ミキと名乗り内海ミチ(野々深知)と組むも2年で解散。
野口 寅次郎(のぐち とらじろう、本名:野口 陽一(のぐち … 野口 寅次郎(のぐち とらじろう、本名:野口 陽一(のぐち よういち)、1950年3月7日 - )は、日本のお笑い芸人。東京都新宿区生まれ。 NTTの関連会社勤務の傍ら、「5時から芸人」、「サラリーマン芸人」と称してものまね漫談を披露していた。現在は寅さんのものまねを中心に活動をしている。ボーイズバラエティ協会所属。元東京都ヘブンアーティスト。東京善意銀行会員(東京都社会福祉協議会)。血液型はAB型。別名義に「野口よういち」がある。 埼玉県立与野高等学校を卒業し、大学に入るために浪人するも2浪して諦め、フリーターを経てNTTグループ関連会社に就職する。芸人を目指した理由は、1979年4月に声帯模写の桜井長一郎が主催者であり、上野本牧亭で行われた第1回おおむの会のものまねコンテストでグランプリを獲得したことに始まる。
志村 けん(しむら けん、1950年〈昭和25年〉2月20日… 志村 けん(しむら けん、1950年〈昭和25年〉2月20日 - 2020年〈令和2年〉3月29日)は、日本のコメディアン、ギタリスト、俳優、司会者。ザ・ドリフターズのメンバー。東村山市名誉市民。 1973年までの芸名の表記は「志村 健」。活動名「志村 けん」本名は志村 康徳(しむら やすのり)で、構成作家としては本名名義でクレジットされた。 2020年3月、当時パンデミック初期であった新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による肺炎で死去(後述)。生前は渡辺プロダクションを経てイザワオフィスに属し、死去したザ・ドリフターズのメンバーのいかりや長介や仲本工事と同様、没後も籍を残している。 志村家の三男として東京都北多摩郡東村山町(現:東京都東村山市)に生まれる。
島田 洋八(しまだ ようはち、1950年〈昭和25年〉2月1… 島田 洋八(しまだ ようはち、1950年〈昭和25年〉2月13日 - )は、日本の漫才師、俳優。漫才コンビB&Bのひとり。岡山県笠岡市生江浜出身。福山盈進高等学校卒業。俳優活動する時の芸名は藤井洋八。かつては吉本興業に所属していたが、2016年から株式会社ポートレーブに所属、2022年に株式会社オフィスコットンに移籍している。兄は笠岡市議会議員で第45代議長の藤井義明。 ※B&Bとしての出演作はB&B (お笑いコンビ)参照。
島田 洋七(しまだ ようしち、1950年〈昭和25年〉2月1… 島田 洋七(しまだ ようしち、1950年〈昭和25年〉2月10日 - )は、日本の漫才師、タレント、作家。漫才コンビ「B&B」のメンバー。広島県広島市中区白島九軒町出身(基町生まれ)、佐賀県佐賀市在住。本名は徳永 昭広(とくなが あきひろ)。島田オフィス所属。 1980年代、漫才ブームのパイオニアとなり、月収1億円の時代から、人気急降下、そして2000年代のベストセラー作家と、ジェットコースターの様な激動の人生を歩むお笑い芸人である。その上がり下がりの人生を「シーソーか」と茶化したビートたけしの親友としても知られる。下の名前の読みは「ようひち」との表記説が多く言われているが、本人にいわく「どっちでもいいがわかりやすい『ようしち』が良い」との事(関西弁では質や七を「しち」ではなく、「ひち」と読むためである。
でんでん(本名:緒方 義博(おがた よしひろ)、1950年1… でんでん(本名:緒方 義博(おがた よしひろ)、1950年1月23日 - )は、日本の俳優、元・お笑い芸人である。福岡県中間市生まれ、水巻町育ち。アルファエージェンシー所属。 福岡県立八幡中央高等学校卒業後、19歳の時に渥美清に憧れ、弟子入り志願のために上京するが、本人には会えず断念。しかし東京に居れば何かしらチャンスが巡って来ると信じて帰郷せず、遠い親戚で丸井に勤めている人のツテで、夏場にあった丸井の就職試験を受けて、丸井に就職。丸井で4年ほど、下北沢→池袋→横須賀と転勤しながらサラリーマンとして働く。 そんな時に丸井時代の後輩が劇団ひまわりの募集広告を見せてくれたのをきっかけに、退社して劇団ひまわりに入団し、エキストラとして3か月ほど活動。
ビートきよし(1949年12月31日 - )は、日本の漫才師… ビートきよし(1949年12月31日 - )は、日本の漫才師、お笑い芸人、コメディアン、俳優。本名、兼子 二郎(かねこ にろう)。旧芸名は松鶴家二郎、空きよし、兼子きよし、ビートキヨシ。 漫才ブーム(MANZAIブーム)全盛時から現在まで活動を続ける人気漫才コンビ「ツービート」のツッコミ役であり、たけしの毒舌に対するツッコミの「よしなさい!」は流行語になり、今も世間で使われている。神奈川県横浜市在住。 ボケ役である相方のビートたけし(北野武)のことは親しみを込めて相方と呼ぶ。かつてはダテ企画の所属だったが、2014年4月から相方の所属のオフィス北野所属となった。しかし相方の独立に伴い、2018年3月をもってオフィス北野から離れることになった。
芦川 百々子(あしかわ ももこ、1949年〈昭和24年〉11… 芦川 百々子(あしかわ ももこ、1949年〈昭和24年〉11月29日 - )は、日本のタレント、歌手、元漫才師。兵庫県三原郡福良町(現:南あわじ市)出身。兵庫県立三原高等学校卒業。 1971年 - 1977年、海原千里・万里の海原万里として、妹の上沼恵美子と共にコンビ活動をしていた。 1971年、実妹の上沼恵美子と漫才コンビ「海原千里・万里」を結成しデビュー。アイドル的な人気を誇った。1977年、恵美子の結婚に伴い芸能界を引退。万里もコメディアンの夢大作と同年6月8日に椿山荘で結婚。1978年2月、長女出産。1990年に本名の「芦川百々子」名義で、恵美子の番組出演で復帰。現在は、神奈川県川崎市に在住し、主婦業の傍ら、恵美子の番組やYouTubeチャンネルにゲスト出演することもある。
星 ルイス(ほし ルイス、本名:藤江 充夫(ふじえ みつお)… 星 ルイス(ほし ルイス、本名:藤江 充夫(ふじえ みつお)、1948年11月17日 - 2005年3月10日)は、日本の漫才師。東京都出身。 1972年、星セントと共に星セント・ルイスを結成。1980年代、漫才ブームをリードする存在として活躍し「田園調布に家が建つ!!」などのギャグを取り入れて人気を集めた。 しかし、セントの体調不良をきっかけとして2003年に32年間の長きに渡るコンビを解消した。その後のルイスは俳優・司会などソロ活動を行っていた。2004年には、NHK大河ドラマ『新選組!』にも出演している。 2005年3月7日に体調不良を訴えて入院。3日後の3月10日午後2時5分、肺癌により埼玉県越谷市内の病院で死去した。
高石 太(たかいし ふとし、1948年10月4日 - )は、… 高石 太(たかいし ふとし、1948年10月4日 - )は、元吉本新喜劇、松竹新喜劇の座員、元漫才師。本名は鈴木雄偉。愛媛県出身。貝塚高校普通科卒業。
星 セント(ほし セント、1948年1月16日 - 2004… 星 セント(ほし セント、1948年1月16日 - 2004年7月22日)は、日本の漫才師、俳優。本名、村山 袈娑夫(むらやま けさお)。1970年代に一世を風靡した漫才コンビ「星セント・ルイス」の1人。 長野県長野市出身。長野中央高等学校を卒業。 高校時代から芸人を志望しており、森繁久彌・谷啓・関敬六といったコメディアンにファンレターを熱心に送る様な青年だった。ファンレターを送る中で、獅子てんや・瀬戸わんやからは「(高校を)卒業後に来る様に」と返事を貰った。高校卒業後、商業デザイナーを目指して上京。東京プリンスホテルで勤務するなど様々な職業を転々とした後、1969年にてんや・わんやへ弟子入りをする。
辻イト子(つじ いとこ、1947年12月3日 - 2021年… 辻イト子(つじ いとこ、1947年12月3日 - 2021年5月24日)は、日本の女優、漫才師、講師である。本業はみかん農家の主婦。 大阪府岸和田市阿間河滝町出身。1971年に伯母を通して知り合った辻マガルと結婚し、2女を儲ける。長女は軽度の知的発達障害があり、中学校から養護学校に編入学したという。また、芸能活動を始める前には実父母の介護もしていた。 1994年4月よりタレント養成事務所に所属し、CMやテレビ等に出演。特にCMは2年間の在籍期間中に30数本出演するというめざましい活躍を見せた。1996年4月にタレント養成事務所を卒業して独立、個人事務所「みかん山プロダクション」を開業した。 1998年10月、夫との夫婦漫才コンビ「辻イト子・まがる」を結成し、吉本興業に所属。
泉 ピン子(いずみ ピンこ、1947年〈昭和22年〉9月11… 泉 ピン子(いずみ ピンこ、1947年〈昭和22年〉9月11日 - )は、日本の女優、コメディアン、漫談家、歌手、タレント。東京都中央区日本橋生まれ。静岡県熱海市在住。所属は pi企画株式会社。血液型はB型。身長154cm。戸籍名:坂井 小夜(さかい さよ)、旧姓:江口(えぐち)。デビュー直後の芸名は三門 マリ子(みかど マリこ)。 東京都品川区立第二日野小学校、品川区立日野中学校卒業。日本音楽高等学校中退後の1966年、牧伸二に師事し三門 マリ子(みかど まりこ)の芸名で歌謡漫談家としてデビューするがキャバレー巡りを続ける。1975年に日本テレビ『テレビ三面記事 ウィークエンダー』で出演者に欠員が生じた際に話しぶりの面白さでリポーターに起用され、芸名を泉ピン子へ改名する。
せんだ みつお(1947年〈昭和22年〉7月29日 - )は… せんだ みつお(1947年〈昭和22年〉7月29日 - )は、日本のタレント、コメディアン。 駒澤大学仏教学部中退、服部栄養専門学校卒業。調理師の免許を取得。実息は俳優・せんだ雄太、実娘はタレント・せんだるか。 芸名の由来は、慣用句の「千三つ」から。 後述の『東芝ワイドワイドサンデー』の仕事の際に、ニッポン放送ディレクターの上野修が名付けたものである。当初は漢字だったが、声優の千田光男がいることからひらがなにした。 千田光男とは血縁関係はなく、名前の読みが同じだけの全くの別人だが、誤って千田のギャラがせんだに振り込まれるなどの出来事があり、互いに意識していた。 この2人は海外テレビドラマ『特捜刑事マイアミ・バイス』と、映画『ブルース・ブラザース』の吹替えで共演している。
末成 映薫(すえなり ゆみ、1947年〈昭和22年〉3月1日… 末成 映薫(すえなり ゆみ、1947年〈昭和22年〉3月1日 - )は、日本のお笑いタレント、コメディエンヌ、女優。本名および旧芸名は末成 由美(読み同じ)。吉本新喜劇の座員。山口県宇部市生まれの滋賀県大津市膳所育ち。吉本興業所属。後輩芸人からの呼び名は「ゆみ姉(ねえ)」。 両親の疎開先の山口県宇部市で生まれ、4歳で滋賀県大津市膳所に戻った。比叡山高等学校卒業。7人兄弟。過去に結婚を2回経験しているが、現在は独身である。 特徴は四角い顔に吊り目。 未知やすえから当時付き合っていた内場勝則の恋愛相談を受けたり、サプライズで山田花子と一緒に内場夫妻の婚前旅行に同行したこともある。当時若手だった五十嵐サキが新喜劇を退団しようとした時に、それを察知して自身の自宅に招き、涙を流して辞めないように説得したりと後輩思いの一面を持っている。
井上 順(いのうえ じゅん、本名同じ、1947年〈昭和22年… 井上 順(いのうえ じゅん、本名同じ、1947年〈昭和22年〉2月21日 - )は、日本のタレント、歌手、俳優、コメディアン。東京都渋谷区生まれ・在住。一時は井上 順之(いのうえ じゅんじ)の芸名も使用していた。身長171cm。血液型はAB型。 東京都渋谷区の代々木公園前で馬場を営む家の3人兄弟の末子として生まれる。麻布龍土町で育った。祖父は日本で初めて競走馬を輸入し、富ヶ谷で「井上馬場」を経営していた。父は馬場専属の獣医師である。 父の影響もあり、幼少期は獣医に憧れていた。 渋谷区立大和田小学校、渋谷区立松濤中学校卒業。小学校の時分は映画が好きで、当時は保護者同伴の場合には小学生は無料であったため、父に相当する年齢の男性に付いて入館し、数多く鑑賞したという。
おばあちゃん(1947年〈昭和22年〉2月12日 - )は、… おばあちゃん(1947年〈昭和22年〉2月12日 - )は、吉本興業に所属する日本のピン芸人。 東京都国分寺市出身。身長155 cm、体重70 kg、血液型はO型。4人きょうだいの第2子・長女(唯一の女子。兄が1人、弟が2人)。実際は2人の弟の後に更に弟が3人生まれているが、その3人の弟たちはいずれも1歳になる前に亡くなっている。趣味は近場の温泉へ行くこと。お笑いは子供の頃から好きで、本人によると中田ダイマル・ラケット、花菱アチャコ・横山エンタツ、京唄子・鳳啓助などのしゃべくり漫才を聞いて育ったとのこと。 身近に大学生がいたこともあって小学生の頃から漠然と大学に行きたく、中学卒業後は進学を希望するも、母親が「女の子には学問はいらない」という方針で反対に遭い、中学の先生による奨学金の案内も拒否したことで、家の生活のために中学卒業後に就職して無線会社で事務職として務める。
高田 純次(たかだ じゅんじ、1947年1月21日 - )は… 高田 純次(たかだ じゅんじ、1947年1月21日 - )は、日本の俳優、コメディアン、実業家、タレント、司会者である。芸能事務所・テイクワン・オフィス所属で、代表取締役も務める。 愛称は純ちゃん、純じい、Mr適当、TJ、ミスター無責任、テキトー男、5時から男。 東京都北多摩郡調布町大字国領(現:調布市国領町)出身。4歳時に母親が32歳で病没し、東京ガス勤務の父親と再婚相手たる継母との家庭で育つ。 調布市立第二小学校、調布市立第三中学校、東京都立府中高等学校卒業後、東京ガスへの就職や弁護士などを志し、中央大学・明治大学・法政大学・青山学院大学を受けるが全て不合格となる。その後一浪し、東京藝術大学・武蔵野美術大学・多摩美術大学・日本大学芸術学部などの美大系や成城大学を受験するがいずれも不合格となり、東京デザイナー学院グラフィックデザイン科 へ進学した。
井山 淳(いやま じゅん、1945年 - )は、日本の元お笑… 井山 淳(いやま じゅん、1945年 - )は、日本の元お笑い芸人。 志村けんの元相方。お笑いコンビ「マックボンボン」の元メンバー(ボケ)で、ザ・ドリフターズの付き人でもあった。渡辺プロダクションに所属していた。 北海道富良野市出身。高校時代は柔道部。中学3年生の時に家庭にTVが設置され、その際目にしたハナ肇とクレイジーキャッツに衝撃を受け、お笑いの世界に憧れるようになる。高校1年の時、由利徹に「弟子にしてください」と手紙を書く。一人でもこんなお笑いが出来るんだというのが理由である。由利徹からの返事は「高校を卒業しなさい。その時考える」だった。その後、由利の返事通り高校生活を送ったが、徐々にザ・ドリフターズやコント55号のお笑いの方へと興味が移っていったという。
高土 新太郎(こうづち しんたろう、1944年10月26日 … 高土 新太郎(こうづち しんたろう、1944年10月26日 - 2024年1月22日)は、日本の俳優、お笑い芸人、漫談家。 岐阜県岐阜市出身。東京都東村山市を経て現在は神奈川県横浜市在住。人喰企画所属。 岐阜東高等学校、日本大学経済学部出身。
鯉川 のぼる(こいかわ のぼる、1944年10月14日 - … 鯉川 のぼる(こいかわ のぼる、1944年10月14日 - )は、東京演芸協会に所属する声帯模写の芸人。本名∶鈴木 雅一。出囃子は『こいのぼり』。 この項目は、お笑いタレント・コメディアン(これらの関連記事を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:お笑い/PJ:お笑い)。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。
島木 譲二(しまき じょうじ、1944年〈昭和19年〉9月1… 島木 譲二(しまき じょうじ、1944年〈昭和19年〉9月13日 - 2016年〈平成28年〉12月16日)は、日本のお笑い芸人、プロボクサー、俳優、役者。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。興國商業高等学校卒業。 本名は濵 伸二(はま しんじ)。芸名は石原裕次郎が演じた映画『俺は待ってるぜ』の元ボクサーの「島木譲次」役に由来する。 兵庫県尼崎市に生まれる。小学校の時に見た映画『俺は待ってるぜ』で石原裕次郎が演じた元プロボクサーのレストラン店主である島木譲次役に憧れ、中学生の頃から本名(濵伸二)と役名(島木譲次)をもじって「ワシは島木譲二や!」と勝手に名乗っていたという。また、長嶋茂雄や中西太にも憧れて野球に打ち込み、強豪校である興國商業高等学校(現在の興國高等学校)に進学しているが、2年生の時に肩を壊して甲子園への道は断念した。
とっこねぇ(本名:井上 時子(いのうえ ときこ)、1944年… とっこねぇ(本名:井上 時子(いのうえ ときこ)、1944年6月5日 - )は、日本の女性ピン芸人。所属事務所は山中企画。血液型はO型。栃木県那須塩原市出身。 特技は栃木弁丸出しのしゃべりである。公式ブログも栃木弁で更新されている。 鉄道弘済会に勤務ののち、23歳で離婚。 2005年、矢板のぞみ(旧名・井上のぞみ)とお笑いコンビ「時子とのぞみ」を結成。ツッコミを担当していた。 結成直後からライブを中心に活動。テレビには『エンタの神様』に一度だけ出演した。 2007年、相方である矢板がお笑い学校を退団したため、コンビは解散。 その後は「とっこねぇ」と改名し、ピン芸人として活動している。
加藤 茶(かとう ちゃ、1943年3月1日 - )は、日本の… 加藤 茶(かとう ちゃ、1943年3月1日 - )は、日本のコメディアン、歌手、俳優、ドラマー。ザ・ドリフターズ、こぶ茶バンドのメンバーである。本名は加藤 英文(かとう ひでゆき)。身長163cm、体重60kg。血液型はA型(長年AB型としていたが間違いが判明)。愛称は「加ト茶」「加トちゃん」「カトちゃん」「ヒデ坊」「チャー坊」など。父はギタリストの平八郎(たいら はちろう)。
チャンス 青木(チャンス あおき、本名:青木 博志、1943… チャンス 青木(チャンス あおき、本名:青木 博志、1943年もしくは1944年 - 2016年11月29日)は、漫才協会所属のお笑い芸人。熊本県熊本市出身。漫才協会理事。既婚。熊本県立済々黌高等学校、西南学院大学経済学部卒業。2008年1月に青木チャンスから「チャンス青木」に改名。 大学在学中は演劇部部長として活動、卒業後はパルプ会社に勤務。 退職後の1972年に元Wけんじの宮城けんじに弟子入りし、1977年に斎藤チャンスと「Wチャンス」を結成。主に浅草松竹演芸場、浅草木馬館に出演。1983年のコンビ解消後は、浅草松竹演芸場、浅草ゴロゴロ会館等で漫談、司会を行っている。 Wチャンス解散後は「鋭才・鈍才」(青木は鋭才)、「チャンス・コダマ」(コダマはケーシー高峰門下)のコンビで活動したが、長続きはしなかった。