豊島 輝彦(とよしま てるひこ、1938年 - 2014年1… 豊島 輝彦(とよしま てるひこ、1938年 - 2014年12月14日)は、日本の洋画家。北海道小樽市出身。北海道学芸大学(現北海道教育大学)特設美術課程卒業。元札幌大谷大学短期大学部教授。元北海道美術協会事務局長。日本美術家連盟会員。風景画を中心とした写実絵画で知られる。 1959年、学生時代に北海道美術協会展協会賞を受賞。大学卒業後、1962年から1969年まで母校の北海道札幌東高等学校に赴任し美術教師をつとめた。この時代、阿部典英、米谷雄平らとともに美術グループに参加し創作活動を行った。1967年には、一水会賞を受賞。その後、一水会会員として一水会会員賞を多数受賞した。1972年からヨーロッパに滞在し作品を制作、画集も出版している。
松任谷 國子(まつとうや くにこ、1938年 - 2010年… 松任谷 國子(まつとうや くにこ、1938年 - 2010年7月26日)は、日本の画家。1960年代には、タレントとしてラジオやテレビで活躍した。 頭山満の孫娘・尋子と、松任谷健太郎の娘として、東京に生まれる。 少女時代は「幼稚園の先生になりたかった」という。 1959年に森村学園を卒業した後、フジテレビのオーディションに合格して『バースデークイズ』のアシスタントとしてタレント活動を始めた。以降、司会者、俳優、インタビュアーなどとして活躍したが、当時から本業は画家としていた。 二科展では、1961年に初入選し、その後も1965年にローマ賞、1969年に金賞を受賞した。ローマ賞でイタリアへ留学した後もベルギーやアメリカ合衆国で画業を続け、またアフリカ諸国にも滞在した。
高橋 靖夫(たかはし やすお、1938年 - 2021年4月… 高橋 靖夫(たかはし やすお、1938年 - 2021年4月29日)は、日本の洋画家。女子美術大学名誉教授。国画会会員。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京芸術大学美術学部油画科卒業。1962年国展初入選。女子美術大学教授。2004年定年退官後、同大学名誉教授。大学で後進の育成に尽力した。故郷の岡谷市にアトリエがあり、絵画教室を主宰した。
矢田作十路(やた さくじゅうろう、1937年〈昭和12年〉1… 矢田作十路(やた さくじゅうろう、1937年〈昭和12年〉12月24日 - 2018年〈平成30年〉5月30日)は、日本画家。雅号は白羊。日本の荒海や山間の静寂を題材にした作品や、中国の古典にならった虎や鷹の作品を多く残している。仏教にも造詣があり羅漢山宝住寺の釈迦三尊像や十八羅漢の石像の下絵を制作、城西山安養寺と羅漢山宝住寺の七条袈裟なども制作した。 1937年(昭和12年)、京都府何鹿郡中上林村(現在の綾部市)の京友禅の家系に生まれる。友禅の職人であった父・矢田茂久雄に師事し幼少時から筆を握っていた。 『作十路』の命名は禅僧によるもので、十牛図にみる十段階の悟りの境地をただ追い求める姿勢を表したものである。
神田 日勝(かんだ にっしょう、1937年12月8日 – 1… 神田 日勝(かんだ にっしょう、1937年12月8日 – 1970年8月25日)は日本の画家。 東京市板橋区練馬(現東京都練馬区練馬)生まれ。7歳のときに戦火を逃れる為に一家で北海道鹿追町へ疎開し、そのまま定住。農業をするかたわら独学で油絵をはじめ、その後、平原社美術協会展(平原社展)や全道美術協会展(全道展)、独立美術協会展(独立展)で活躍。北海道を代表する画家として評価を得つつも、32歳で死去した。 ベニヤ板にペインティングナイフで描く力強いタッチのリアリズム絵画で知られる。農家でもあったことから、農耕馬や牛などをモチーフにした絵も多い。 同じく画家で北海道教育大学教授であった神田一明は兄。
林家 木久扇(はやしや きくおう、1937年〈昭和12年〉1… 林家 木久扇(はやしや きくおう、1937年〈昭和12年〉10月19日 - )は、日本の落語家、漫画家、画家、実業家。所属事務所のトヨタアートの代表取締役社長である。 血液型はA型、出囃子は「宮さん宮さん」、定紋は林家彦六一門の定紋である「中陰光琳蔦」。前名の初代林家木久蔵としても知られる。 1937年10月19日、東京市日本橋区久松町の雑貨問屋に生まれる。比較的裕福な幼少期を過ごしたが、太平洋戦争による使用人の出征、東京大空襲による店の全焼、自身は青森県への疎開など被害に巻き込まれ、家族が離散。小学4年生の時から新聞配達をして家計を支えた。自分を支える経済、お金の入ってくる道を発見工夫して上昇していくことが大切で、「金はあるに越したことはない」という考えを持つに至る。
福井 爽人 (ふくい さわと、1937年9月20日 - )は… 福井 爽人 (ふくい さわと、1937年9月20日 - )は、日本画家。平山郁夫門下。北海道旭川市生まれ、小樽市育ち。 旭川市新町で福井貞一・チエの長男として生まれる。1939年より小樽市潮見台、1954年より琴似町字東牧場に住む。 北海道小樽潮陵高等学校から北海道札幌北高等学校に転入して卒業後、日本大学芸術学部に進学するが、東京芸術大学助手だった平山郁夫との出会いから芸大進学を決意。1961年に東京芸術大学美術学部日本画専攻に進学。芸大時代はボクシング部に所属するなどスポーツマンだった。同大学院修士課程修了後、芸大助手となり法隆寺金堂壁画再現模写に参加。1973年、イタリア初期ルネサンス壁画調査団員として初渡欧。
森本 草介(もりもと そうすけ、1937年8月14日 - 2… 森本 草介(もりもと そうすけ、1937年8月14日 - 2015年10月1日)は、日本の洋画家である。 1937年(昭和12年)、画家・森本仁平の長男として朝鮮全羅北道に生まれる。アジア・太平洋戦争中の1943年(昭和18年)に内地へ帰ったものの再度朝鮮へ戻り、1945年(昭和20年)に日本が敗戦すると、一家での逃避行を強いられた。岩手・東京で育つ。子の森本純(1970- )も画家で美人画を描く。 1951年(昭和26年)墨田区立堅川中学校へ転入学。 1958年(昭和33年)、東京芸術大学絵画科油画専攻に入学し、在学中の1961年(昭和36年)に安宅賞を受賞した。 1962年(昭和37年)に大学を卒業すると専攻科に進んで翌年に修了、東京芸術大学の助手となった。
伊東 章夫(いとう あきお、1937年5月19日 - )は、… 伊東 章夫(いとう あきお、1937年5月19日 - )は、石川県金沢市出身の漫画家、挿絵画家。伊東 あきお名義で貸本漫画を手がけた。 1975年、科学まんがシリーズ『先祖をたずねて億万年』(原作:井尻正二、新日本出版社)で日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
伊丹 潤(いたみ じゅん、1937年5月12日 - 2011… 伊丹 潤(いたみ じゅん、1937年5月12日 - 2011年6月26日)は、韓国の建築家、画家。在日韓国人2世で本名は庾東龍 (ユ・ドンヨン、유동용)。本貫は茂松庾氏。 伊丹潤の名は、生まれて初めて韓国行きの飛行機に乗った伊丹空港の「伊丹」と、親しく交流していた朝鮮出身の作詞・作曲家・歌手であった吉屋潤(よしやじゅん、またはキル・オギュン(길옥윤))の「潤」とを合わせて作ったものである。姓の漢字「庾(ユ)」が、常用漢字として認められていなかったためもあるという(人名用漢字の項も参照)。 東京都出身。1964年、武蔵工業大学工学部建築学科卒業。1968年に伊丹潤建築研究所設立。2007年から2008年まで、日本民藝館運営委員。
松田 松雄(まつだ まつお、1937年4月26日 - 200… 松田 松雄(まつだ まつお、1937年4月26日 - 2001年4月25日)は、日本の洋画家。無所属。第10回昭和会展昭和50年度(1975年)林武賞受賞。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年〈昭和12年〉4月1… 加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年〈昭和12年〉4月11日 - )は、日本の歌手、俳優、タレント、ギタリスト、ピアニスト、ウクレレ演奏者、画家。本名、池端 直亮(いけはた なおあき)。ニックネームは、若大将。作曲家として、弾 厚作(だん こうさく)のペンネームを用いる。 神奈川県横浜市生まれ、茅ヶ崎市出身。公益財団法人日本セーリング連盟応援団長、文化功労者。勲等は旭日小綬章。 父は俳優の上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子(池端具子)。妹は池端亮子。母方の高祖父は明治の元勲・岩倉具視である。 神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷の家に生後8か月まで、次の東京都大田区田園調布には1歳9か月までいた。
雪村 いづみ(ゆきむら いづみ、1937年〈昭和12年〉3月… 雪村 いづみ(ゆきむら いづみ、1937年〈昭和12年〉3月20日 - )は、日本の歌手、女優、画家。一般社団法人日本歌手協会相談役。本名は朝比奈 知子(あさひな ともこ)。愛称は本名から「トン子」「トンちゃん」。 1937年(昭和12年)3月20日、東京府東京市目黒区大岡山(現在の東京都目黒区大岡山)に商社員の朝比奈愛三とその妻千恵子の長女として生まれる。 父・愛三は事業の傍らハワイアンバンド「カルア・カマアイナス」に参加する熱心な音楽家でもあり、幼少期のいづみは戦時下においてもモダンな音楽に日常的に接して育った。1946年(昭和21年)、いづみが9歳の時、当時通信社に勤務していた父・愛三が自殺。
五月女 幸雄 Saotomé Yukio(さおとめ ゆきお、… 五月女 幸雄 Saotomé Yukio(さおとめ ゆきお、1937年2月18日 - )は、前衛美術出身、フランス在住の画家。 栃木県宇都宮市に生まれる。教師であった両親の下で、幼少時より絵を描き始める。栃木県立石橋高等学校に進み、社会科教諭・大島清次に出会う。後に栃木県立美術館および世田谷美術館の館長となる大島は、当時の社会状況や現代思想について、ことあるごとに生徒たちに語って聞かせていた。社会の実相を見つめる目、美術への志向がこうして養われていく。 蕨画塾(埼玉県蕨市)に入り、彫刻を長谷秀雄に、絵画を寺内萬次郎、金子徳衛に学ぶ。同じ頃彫刻家・石井鶴三に出会ってその芸術観に感動し、東京芸術大学彫刻科の石井教室を目指して数度の受験に臨むが入学は叶わず、最後に合格通知を受け取った埼玉大学教育学部の美術科に入学することとなった。
山本文彦(やまもと ふみひこ、1937年2月16日 - )は… 山本文彦(やまもと ふみひこ、1937年2月16日 - )は、日本の洋画家、筑波大学名誉教授、日本藝術院会員、美術団体の一般社団法人二紀会常任理事である。茨城県牛久市在住。 1937年に東京で生まれる。疎開によって約10年間、現在の長野県佐久市で過ごした。長野県野沢北高等学校を経て、1961年東京教育大学 (現在の筑波大学) 教育学専攻科芸術専攻修了。1961年千葉県立長生高等学校教諭となる。1969年山口大学助教授となる。1985年筑波大学芸術学系教授となる。1996年NHK教育テレビ 趣味百科「油絵を描く」の講師となる。2000年定年退官し、筑波大学名誉教授となる。2010年日本藝術院会員となる。
黒崎 彰(くろさき あきら、1937年(昭和12年)1月10… 黒崎 彰(くろさき あきら、1937年(昭和12年)1月10日 - 2019年(令和元年)5月14日)は、日本版画界を代表する版画家の1人。京都精華大学名誉教授。浮世絵の伝統木版画技法を用い、現代木版画世界から、紙という素材そのものを生かし造形するペーパーワークまで、幅広い作品を生み出す。版画史研究家、版画教育家 としても広く活躍。 「洋画と日本画の概念・範疇差を認めず、いずれも「ペインティング」とすべき」「聾唖者は世界共通(没母国性・没地域性)の手話言語を使用すべき」など独自な主張を持っていることでも知られている。 1960年代後半、現代木版画の旗手として華々しく登場。浮世絵が完成させた精緻な刷技術を駆使して抽象的な形象の世界を万華鏡の様に展開していった黒崎彰は、「ほぼ10年ごとにその作風を変容していった」。
舘井 啓明(たてい ひろあき、1937年 - 1995年 )… 舘井 啓明(たてい ひろあき、1937年 - 1995年 )は韓国京城府(現・ソウル特別市)出身の画家。新作家美術会、赤光社、福島青美会、会員 舘井は1981年の個展開催に際して、こう記している。「いつの頃からか ふと。一人で旅をするのが好きになりました。それは僕の内なるものが駆り立てる未知への憧憬でしょうか。太陽の下できらきらと光る海、そして山、湖 赤い屋根のある白壁の静かなたたずまい 知らず知らずに手が動くまま心に書き留めたのがこれらのスケッチです。」
粟田 哲夫(あわた てつお、1937年 - )は、日本の画家… 粟田 哲夫(あわた てつお、1937年 - )は、日本の画家。岐阜県土岐郡笠原町(現多治見市)出身。岐阜県大垣市のシューニャ美術館を運営し、自らの作品を展示している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
井上 公三(いのうえ こうぞう、1937年 - 2017年)… 井上 公三(いのうえ こうぞう、1937年 - 2017年)は、日本の画家。 大阪府出身。1960年慶應義塾大学文学部美学美術史学科卒業。同年渡仏し、 アカデミー・ドゥ・ラ・グランド・ショミエールにて学ぶ。 1969年オーパベ大賞、1971年毎日現代美術展コンクール賞、1980年カーニュ・シュメール国際美術ビエンナーレ展審査委員長賞を受賞。 漫画家、井上三太は長男にあたる。
土田 旭(つちだ あきら、1937年 - )は、日本の都市計… 土田 旭(つちだ あきら、1937年 - )は、日本の都市計画家、アーバンデザイナー。都市環境研究所代表所員(会長)。京都造形芸術大学客員教授。 兵庫県生まれ。1960年、東京大学工学部建築学科卒業。1965年、東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程単位取得。同大学工学部都市工学科助手を経て、1970年、都市環境研究所を設立。
高杉 學(たかすぎ まなぶ、1937年〈昭和12年〉- )は… 高杉 學(たかすぎ まなぶ、1937年〈昭和12年〉- )は、日本の画家、美術教育者。 現在、蒼騎会運営委員、三多摩美術家連盟代表、日本美術家連盟会員。 風景画、静物画を中心とした、油彩を得意とする。2012年の代表作は「水 光る」(油彩、F80)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
小池 暢子(こいけ のぶこ、1937年 - )は、日本の銅版… 小池 暢子(こいけ のぶこ、1937年 - )は、日本の銅版画家である。 1937年に高知市で生まれた。父は医師であった。1941年に士別市に引っ越した。上京して女子美術大学に進学し、一時期は安保闘争のデモ活動に参加していた。1961年に女子美術大学を卒業した。その後、壁画を作成する会社で働くようになり、1964年6月頃から東京オリンピックの準備として国立競技場の壁画制作作業の現場監督として働いた。1960年代頃までは油絵を描いており、油絵の個展も行っていた。 1972年、35歳の時に東京では制作に没頭できないと考え、渡仏してパリで活動するようになった。ローマなどにも滞在した。ヨーロッパ在住中は「アラプペ」と呼ばれる一版多色刷りの銅版画を多数制作した。
木葉井 悦子(きばい えつこ、1937年 - 1995年7月… 木葉井 悦子(きばい えつこ、1937年 - 1995年7月)は、日本の絵本作家、画家。 東京都小金井市出身。武蔵野美術大学油絵科中退。 1970年代に2年間アフリカのナイジェリアで過ごし、帰国後の1978年に初めての絵本作品となる『あかいめのしろヘビ』を銀河社より出版。 1995年7月、癌により死去。生涯に17冊の絵本を出版した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
青島 三郎(あおしま さぶろう、1937年-2001年)は、… 青島 三郎(あおしま さぶろう、1937年-2001年)は、日本の油彩画家。青島左門は息子。 2001年、フィンランドGALERIE NOVO、VIITASAARIのARTPORTにて遺作展。 ※フィンランド ヘルシンキ中央駅
曽根 幸一(そね こういち、1936年12月7日 - )は日… 曽根 幸一(そね こういち、1936年12月7日 - )は日本の都市計画家。建築家。アーバンデザイナー。曽根幸一環境設計研究所所長。芝浦工業大学システム工学部環境システム学科名誉教授。静岡県出身。息子は国際的なアーティストの曽根裕。
長岡 秀星(ながおか しゅうせい、1936年11月26日 -… 長岡 秀星(ながおか しゅうせい、1936年11月26日 - 2015年6月23日)は、日本のイラストレーター・画家。宇宙やSFをイメージした作風で国際的に活躍し、レコードジャケットのアートワークを多数手掛けたことで知られる。本名は長岡 秀三(ながおか しゅうぞう)。
佐々木 壮六(ささき そうろく、1936年11月21日 - … 佐々木 壮六(ささき そうろく、1936年11月21日 - 2000年2月13日)は日本の画家、洋画家。油彩で静物画や欧州の古都の風景などを、温かく柔らかな作風で描き出すことに特徴。本名は佐々木弘安。 1936年(昭和11年)大阪府に生まれる。大阪明星学園と京都市立美術大学を卒業し、大石七凰に師事。関西地方で活動して出品を重ねた。主な受賞歴はシェル美術展で一等など。その後は居を神奈川県藤沢市に移し活動を続けた。 1977年(昭和52年)ユーゴスラビア国際美術展選抜出品、1983年(昭和58年)第1回上野の森美術館絵画大賞展特別優秀賞、1991年(平成3年)サロン・ドートンヌに出品、1993年(平成5年)雪梁舎美術館フィレンツェ賞展顧問。
金子 國義(かねこ くによし、1936年7月23日 - 20… 金子 國義(かねこ くによし、1936年7月23日 - 2015年3月16日)は、日本の画家。
小久保 晴行(こくぼ はるゆき、1936年(昭和11年)7月… 小久保 晴行(こくぼ はるゆき、1936年(昭和11年)7月20日 - 2025年10月7日[要出典])は、日本の著作家、洋画家、歌人、評論家、経営学博士。 公益財団法人 えどがわボランティアセンター理事長、一般財団法人 国際江戸川文化福祉財団理事長、社会福祉法人 つばき土の会理事長。株式会社トーヨー会長、株式会社エフ・イー・アイ会長。江戸川区文化会会長、江戸川区美術会会長、江戸川区芸能文化協会会長、江戸川区福祉ボランティア団体協議会会長、江戸川区友好団体連絡会会長、江戸川明るい社会づくりの会会長、江戸川第九を歌う会会長、江戸川区ドッジボール協会会長、八代目橘家円蔵一門を励ます会会長。江戸川区短歌連盟顧問、江戸川区都市計画審議会委員、江戸川区民生委員推薦会委員。
林 泰義(はやし やすよし、1936年7月13日 - 202… 林 泰義(はやし やすよし、1936年7月13日 - 2023年12月8日)は、日本の都市計画家、まちづくりプランナー。東京都生まれ。千葉大学客員教授。 東京大学工学部建築学科卒業、同大学大学院数物系研究科博士課程修了。1969年、都市コンサルタントの計画技術研究所を設立。 現在では特定非営利活動法人玉川まちづくりハウスの運営委員をつとめ、1990年以降はNPO法とNPO法人の実現に参画、NPOセクターの確立に取り組む。また市民参加のワークショップにより住民の活気を引き出すまちづくりを提唱し全国に広めることに尽力する。 「NPOとまちづくりの一連の研究及び活動」により、1997年、日本都市計画学会賞(石川賞)を受賞する。
岩倉 壽(いわくら ひさし、1936年6月30日 - 201… 岩倉 壽(いわくら ひさし、1936年6月30日 - 2018年10月11日)は、日本画家。元日本藝術院会員。元日展常務理事。京都市立芸術大学名誉教授。 香川県三豊郡山本町(現 三豊市山本町)出身。香川県立観音寺第一高等学校、京都市立美術大学(現 京都市立芸術大学)日本画科卒業。同大学専攻科修了。 風景や花鳥などの題材を淡い色彩で描く。京都市立美術大学在学中に日展への初入選を果たす。1959年(昭和34年)同大学卒業後、晨鳥社に入り、山口華楊に師事。日展を中心に活躍する一方、大学に残り、後進の指導に当たってきた。1961年(昭和36年)同大学専攻科修了。1962年(昭和37年)同大学教授に就任。
横尾 忠則(よこお ただのり、1936年6月27日 - )は… 横尾 忠則(よこお ただのり、1936年6月27日 - )は、日本の美術家、グラフィックデザイナー、版画家、作家。 実弟の成瀬政博は画家・イラストレーター。長女の横尾美美も美術家。日本芸術院会員。 兵庫県西脇市出身。20歳までを西脇で過ごす。幼少期に西脇でさまざまな超常現象を経験。死の世界に憧れを抱く。 神戸新聞社にてグラフィックデザイナーとして活動後、独立。三島由紀夫に出会い三島の「聖俗一体」的言動に触発される。1970年の三島の死をきっかけにその後の15年間をオカルティズムや神秘主義まで包括した精神世界に傾斜してゆくが、それらが大いなる錯覚だったと気づき「私」の探求の延長線上で絵画に出会う。
村上 豊(むらかみ ゆたか、1936年6月14日‐)は静岡県… 村上 豊(むらかみ ゆたか、1936年6月14日‐)は静岡県出身の画家。
野田 弘志(のだ ひろし、1936年 6月11日 - )は、… 野田 弘志(のだ ひろし、1936年 6月11日 - )は、日本の画家。近縁の画風で知られる中山忠彦、森本草介とは同世代で旧知の間柄。 野田は、凡そ10年単位でその個人様式を大きく転換させるという特徴的な変遷を見せる。しかしその核心は一貫しており、モチーフを細密に写真で記録し徹底した描写でカンバスに再現する粘り強いリアリズム表現が際立つ。1992年以降は低彩度の明るい色(ライトグレーや白)などを中心としており、安定している。 1970年代から1997年頃まで、藤田吉香にも似た、シンプルな大面積の背景を特徴として画面を構成してきた所があるが、近年では、大面積でシンプルな背景は影を潜めている。 1970年から絵画制作に専念し先ず制作された絵画は、黒い背景によって特徴づけられる絵画である。
髙野 公男(たかの きみお、1936年6月5日 - 2015… 髙野 公男(たかの きみお、1936年6月5日 - 2015年6月6日)は、日本の都市計画家、建築家で「まちづくり家」と称した。東北芸術工科大学名誉教授。マヌ設計連合(現マヌ都市建築研究所)創始者。 山形県都市計画審議会会長、日本学術会議社会環境工学研究連絡委員会都市地域計画専門委員会委員長、最上川水系流域委員会委員、草加市緑の基本計画策定委員会委員長、出羽三山地域世界遺産登録 育成推進委員会委員長などを歴任。専門は建築学、都市計画・都市防災計画など。一級建築士、技術士。工学博士。 神奈川県横須賀市逸見町生まれ。1959年(昭和34年)千葉大学工学部建築学科卒業。東京大学生産技術研究所研究生に。
梶田 達二(かじた たつじ、1936年〈昭和11年〉5月24… 梶田 達二(かじた たつじ、1936年〈昭和11年〉5月24日 - 2011年〈平成23年〉10月8日)は、日本の画家、イラストレーター。ボックスアートを得意とした。愛知県名古屋市港区出身。理科美術協会、ミロの会会員。 愛知県立惟信高等学校を卒業。家業の楽器製造会社を手伝う傍ら、挿絵画家の小松崎茂の作品を摸写。1959年(昭和34年)、集英社より単行本の挿絵でデビュー。同年、上京。 秋田書店「冒険王」9月号で雑誌デビュー。また、小学館、講談社、光文社、少年画報社、徳間書店、学習研究社などの少年誌、学年誌に表紙、口絵、挿絵を発表する。また、プラモデルの箱に航空機や艦船を描くボックスアートの世界で活躍。
木村 光佑(きむら こうすけ、1936年5月24日 - )は… 木村 光佑(きむら こうすけ、1936年5月24日 - )は 日本の版画家・彫刻家・作家・画家。京都工芸繊維大学名誉教授(第9代学長)。 大阪府大阪市生まれ。日本経済の高度成長と同時に美術の大衆化が顕著となる中、木村光佑は30歳を超えた1968年に作家としてデビューを果たした。シルクスクリーンや写真製版をはじめ多様な製版・印刷の最新技術を駆使し、現在社会の虚像と実像入り交じる様々なイメージを重ね合わせることで、情報過剰な同時代人の視覚的経験を作品化し、デビューと同時に「時代の申し子」として立て続けに国際コンクールでの受賞を重ねていく。一方で、自由な版表現への挑戦は、当時の日本版画界においては異色であり、版画の範疇や概念に対する議論を巻き起こした。
井上 稔(いのうえ みのる、1936年4月16日 -)は日本… 井上 稔(いのうえ みのる、1936年4月16日 -)は日本画家。京都府京都市生まれ。日展会友(出品委嘱)、朴土グループメンバー。
早川 義孝(はやかわ ぎこう、1936年4月15日 - 20… 早川 義孝(はやかわ ぎこう、1936年4月15日 - 2012年7月25日)は、日本の画家。東京都出身。新槐樹社名誉会長。
佐善 明(さぜん あきら、1936年〈昭和11年〉4月3日 … 佐善 明(さぜん あきら、1936年〈昭和11年〉4月3日 - 1991年〈平成3年〉3月23日)は、日本の洋画家。千葉大学工学部工業意匠学科教授。 新潟県新潟市東大畑通(現 新潟市中央区東大畑通)出身。1955年(昭和30年)3月に新潟高等学校を卒業、1960年(昭和35年)3月に新潟大学教育学部芸能科絵画科を卒業、4月から千葉大学工業短期大学部工業意匠科で教務員として勤務。 1976年(昭和51年)10月に文化庁芸術家在外研修員としてアメリカに渡り、1年間、カリフォルニア大学ロサンゼルス校とマサチューセッツ工科大学で客員研究員として研修。 1985年(昭和60年)10月に文部省在外研究員として再びアメリカに渡り、1年間、カリフォルニア大学ロサンゼルス校芸術学部デザイン科で客員教授として勤務。
久下塚 青蘭(くげづか せいらん、1936年〈昭和11年〉3… 久下塚 青蘭(くげづか せいらん、1936年〈昭和11年〉3月17日 - 没年不明)は、日本の洋画家。「久下田の塚田」を略して「久下塚」とした。「青蘭」は東郷青児から与えられた雅号である。 1936年(昭和11年)3月17日、栃木県芳賀郡久下田町(1954年に町村合併で芳賀郡二宮町になり、2009年に真岡市に編入)に生まれる。養子縁組して塚田貞輔・富美子夫妻の長男となる。資産家の一人息子として育った久下塚は何一つ不自由のない少年時代を過ごした。しかし、陸軍大尉であった父・貞輔が28歳の若さで戦死を遂げた。久下塚が中学2年の時には母の富美子が子供よりも女としての幸せを選んで再婚。久下塚は父母の愛情に満たされずに育った言わばおばあちゃん子であり女中っ子であった。
中里 斉(なかざと ひとし、1936年3月15日 - 201… 中里 斉(なかざと ひとし、1936年3月15日 - 2010年7月18日)は、日本の画家。東京都生まれ。ニューヨークにて制作活動をした。2010年、製作中の不慮の事故により急逝した。 東京府南多摩郡忠生村(現 東京都町田市)生まれ。1948年桜美林中学校に入学、1954年桜美林高等学校を卒業。1956年多摩美術大学美術学部絵画科(油画)に入学し、大沢昌助らに師事。1960年同大学卒業。半年ほど『北海タイムス』の美術記者として勤務した後、桜美林学園の専任講師となる。1962年アメリカに渡り、ウィスコンシン大学大学院(絵画専攻、版画副専攻)に入学。1964年ミルウォーキーのセント・ジェームス・ギャラリーで初個展を開催。
大矢 紀(おおや のり、1936年2月11日 - )は、日本… 大矢 紀(おおや のり、1936年2月11日 - )は、日本画家。「生命の胎動」をテーマに、山、樹木、花鳥静物を描く。雪山や火山など壮大な自然、山岳風景また花を得意とする、日本画家である。 日本橋三越本店を始め、個展、グループ展多数。現在日本美術院評議員、NHK文化センター講師、川崎市文化財団理事、長岡市名誉市民、川崎市市民文化大使、五泉市観光大使。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
間瀬 延幸(ませ のぶゆき、1936年1月25日 - 199… 間瀬 延幸(ませ のぶゆき、1936年1月25日 - 1991年11月11日)は、日本の都市計画家、造園家。日本都市計画学会常務理事も務めた。 愛知県出身。1958年に東京大学農学部農学科を卒業し、愛知県土木部計画課に配属される。 1966年6月、建設省都市局公園緑地課に転任し、1967年4月からは都市局都市計画課に勤務した。1968年5月に茨城県土木部計画第二課に出向する。 1972年10月、工業再配置公団工業再配置第一部事業課長に就任する。1975年4月に建設省に復帰し、都市局都市計画課建設専門官となる。1976年7月から徳島県土木部計画課長に出向する。1978年8月に建設省に戻り、都市局公園緑地課都市緑地対策室長に就任した。
富張 広司(とみはり ひろし、1936年(昭和11年) - … 富張 広司(とみはり ひろし、1936年(昭和11年) - )は、日本の木版画家。 茨城県猿島郡境町に生まれる。茨城県立境高等学校を経て、1957年(昭和32年)に茨城大学教育学部美術科を修了し、茨城県の公立小学校の学校教員となる。その後、独学で木版画制作を始め、ノースウエスト国際版画展をはじめとした様々な作品を出展していった。 1978年(昭和53年)には文化庁芸術家海外研修員および日米友好基金の日米芸術家交換生としてニューヨークに一年間滞在した。 その後、1981年(昭和56年)に教員を退職して、画業に専念し始め、1983年(昭和58年)にホノルル美術館にて個展を開催した。 1992年(平成4年)に栃木県小山市に富張木版画美術館を開館し、栃木県小山市に移り住んだ。
寺岡 政美(てらおか まさみ、1936年(昭和11年)- )… 寺岡 政美(てらおか まさみ、1936年(昭和11年)- )は、日系アメリカ人の画家である。広島県尾道市出身で米国ハワイ州ホノルル郡ワイマナロ(英語版)に在住し、エイズ問題を浮世絵で描いたエイズシリーズなどの作品がある。 以降現在までほぼ毎年、大半を米国で若干を欧州やアジア諸国で、現在まで75回ほど開催している。 以降ほぼ毎年、大半を米国で若干を欧州やアジア各国で、現在まで多数開催している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
福島 瑞穂(ふくしま みずほ、1936年 - )は、日本の洋… 福島 瑞穂(ふくしま みずほ、1936年 - )は、日本の洋画家。独立美術協会会員、女流画家協会委員、21美術協会代表、女子美術大学大学院客員教授。 広島県尾道市生まれ。広島県立尾道東高等学校、女子美術大学芸術学部洋画科卒業。 1986年「タナトス」が安井賞佳作となった。他に受賞多数。
大野みつ子(おおの みつこ、1936年 - )は、日本の女流… 大野みつ子(おおの みつこ、1936年 - )は、日本の女流洋画家、美術教員。 千葉県野田町生まれ。 千葉大学教育学部を卒業。千葉県野田市にて、中央小学校美術教員となる。1964年に日展において初入選、光風会にて1965年に桜賞を受賞。1979年 には日展会友となった。 1990年 、鬼頭鍋三郎賞を受賞。1991年 、ル・サロンにおいて優秀賞を受賞、女流画家協会にて、1993年にマツダ賞を受賞。 『千葉県美術家名鑑』(千葉日報社、2005年) この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
岩谷 徹(いわや とおる) (1936年-)は、日本の版画家… 岩谷 徹(いわや とおる) (1936年-)は、日本の版画家。銅版画の一種であるメゾチント・カラーメゾチント技法作家。 福島県郡山市にて1936年に生まれる。福島県立安積高等学校を卒業し、東京水産大学(現在の東京海洋大学)に19歳のとき入学した。24歳で 郡山市へ帰省。1965年29歳で菅野慶子と結婚。1971年35歳でフランスに渡り、パリの屋根裏で28年間一度も引っ越す事なく生活し、150点のメゾチントを作成した。それらの作品のサイズは中から小作品が多く、カラー作品は主版ばかりでなく他のすべての色版もメゾチント技法を使った。35年間で大作20点を含む30数点の能面シリーズを完成させた。1999年に帰国した。
沢田 哲郎(さわだ てつろう、1935年(昭和10年)11月… 沢田 哲郎(さわだ てつろう、1935年(昭和10年)11月5日 - 1998年(平成10年)1月16日)は、日本の昭和・平成期の絵師、版画家。澤田哲郎 (画家)とは別人。