佐藤鬼房(さとう おにふさ、1919年3月20日 - 200… 佐藤鬼房(さとう おにふさ、1919年3月20日 - 2002年1月19日)は、日本の俳人。岩手県釜石市出身。本名は喜太郎。 塩竈町立商業補習学校(現・塩釜市立第一小学校)卒業。10代からロシア文学を耽読する一方で俳句に目覚め、1935年より新興俳句系の「句と評論」に投句、渡辺白泉の選句を受ける。1936年より長谷川天更の「東南風」同人。1940年、徴兵により入隊、中国・南方に転戦。なお占領地の南京でそれまで面識のなかった鈴木六林男に出会っている。 戦後は西東三鬼に師事し、「青天」「雷光」「梟の会」などに参加。1953年「風」同人。1954年、第3回現代俳句協会賞受賞。1955年、「天狼」同人。
森 澄雄(もり すみお、1919年(大正8年)2月28日 -… 森 澄雄(もり すみお、1919年(大正8年)2月28日 - 2010年(平成22年)8月18日)は、日本の俳人。長崎県出身。本名、森澄夫。加藤楸邨に師事、「杉」を創刊・主宰。 「寒雷」に投句、のちに編集長を務める。日常の哀歓を材とし、古典回帰を重んじた格調高い句を詠んだ。句集に『雪櫟』(1954年)、『花眼』(1969年)、『四遠』(1986年)、『深泉』(2008年)などがある。 兵庫県旭陽村(現・姫路市網干区)に生まれ、5歳より長崎県長崎市で育つ。父・貞雄、母・まゑの長男。父は歯科医で冬比古の俳号を持つ俳人であった。長崎市立朝日尋常小学校、長崎県立瓊浦中学校、長崎高等商業学校(現長崎大経済学部)卒業。
上野 章子(うえの あきこ、大正8年(1919年)1月10日… 上野 章子(うえの あきこ、大正8年(1919年)1月10日 - 平成11年(1999年)1月15日)は、日本の俳人、随筆家。高浜虚子の六女で上野泰の妻。 1919年、高浜虚子の六女として鎌倉市に生まれる。フェリス和英女学校卒。1936年、在学中に虚子の渡欧に随行する。1942年、『ホトトギス』同人の上野泰と結婚する。戦後は夫婦で結社「春潮」を立ち上げるも1973年、泰の急逝により主宰となる。俳人協会会員。俳句の他、高浜家や虚子、夫の泰のことなど多くの随筆も残している。1999年1月15日、心不全により79歳で死去。
原田憲雄(はらだ のりお/けんゆう、1919年 - )は、日… 原田憲雄(はらだ のりお/けんゆう、1919年 - )は、日本の詩人、歌人、中国文学者。弟は歌人の原田禹雄。 京都市の日蓮宗・妙徳寺の生まれ。1941年龍谷大学文学部卒、尾上柴舟門下の歌人となる。1953年雑誌『方向』を発刊。漢詩を軸に古典中国文学を多く翻訳。 唐代詩人の『李賀研究』を、個人雑誌で拠点に発刊、長年かけその作品を全訳注解した『李賀歌詩編』で、日本翻訳文化賞を1999年に受賞した。
宮崎 利秀(みやざき としひで、1919年 - 1982年1… 宮崎 利秀(みやざき としひで、1919年 - 1982年1月1日)は、日本の教員で俳人。 杉森久英の小説『黄色のバット』のモデルになったことで知られる。 群馬県伊勢崎市に生まれる。生後すぐに埼玉県妻沼町(現・熊谷市)に転居した。 熊谷中学校(現・埼玉県立熊谷高等学校、1937年卒業)を経て、横浜高等工業学校(現・横浜国立大学工学部)を卒業した。熊谷中学校では金子兜太と同窓だった。1942年に東京工業大学機械工学科を卒業すると、陸軍兵技将校として相模造兵廠監督課に勤務した。陸軍航空本部付技術少尉として満州派遣されている際に敗戦となる。 敗戦後は占領軍の英語通訳を務めながら、1946年に『東京ジョー』を刊行した。
馬場 移公子(ばば いくこ、1918年12月15日 - 19… 馬場 移公子(ばば いくこ、1918年12月15日 - 1994年2月17日)は、埼玉県出身の俳人。本名は新井マサ子。第25回俳人協会賞受賞。 埼玉県秩父生まれ。実家は蚕種屋。旧制秩父高等女学校(現秩父高等学校)卒。1940年結婚。1944年、夫の戦死により実家に戻り、養蚕をして暮らした。1946年、金子兜太の父、金子伊昔紅の指導を受け「馬酔木」に投句、水原秋桜子に師事。馬醉木賞を受賞。「馬酔木」を代表する女性俳人として活躍した。代表句「いなびかり生涯峡を出ず住むか」など。秩父のひそやかな暮らしのなかで独特の孤独感のある句を作った。1985年『峡の雲』により第25回俳人協会賞受賞。1994年、75歳で没。
松崎 鉄之介(まつざき てつのすけ、1918年12月10日 … 松崎 鉄之介(まつざき てつのすけ、1918年12月10日 - 2014年8月22日)は、神奈川県出身の俳人。本名・敏雄。 横浜市生まれ。横浜商業専門学校(現・横浜市立大学)卒。在学中より俳句をはじめ、「馬酔木」に投句。1939年、加藤楸邨の勧めに従って大野林火に師事し、「石楠」に入会。1947年、復員後に林火の「濱」に同人として参加。1949年、東京国税局に入局。1970年、退職し銀座で税理士事務所を経営する。 1971年、俳人協会設立に参加し理事を務め、俳句文学館建設にも寄与した。1982年、林火の死去にともない「濱」主宰を継承。同年、『信篤き国』により第22回俳人協会賞受賞。同年俳人協会会長に就任。
田中 隆尚(たなか たかひさ、1918年12月7日 - 20… 田中 隆尚(たなか たかひさ、1918年12月7日 - 2002年10月21日)は、歌人、ギリシャ文学者。 山口県豊浦郡長府町(現下関市)生まれ。1947年東京帝国大学文学部卒。群馬大学教養部にてドイツ語教授を務めた。歌人としては斎藤茂吉に師事し、1957年文芸誌「ももんが」を創刊、主宰。独学でギリシャ語を習得し、ギリシアやイタリアで日本の歴史や上代文化について講演活動を行った。1991年11月、ギリシャ政府のフェニックス勲章を受章。
村沢 夏風(むらさわ かふう、1918年11月14日 - 2… 村沢 夏風(むらさわ かふう、1918年11月14日 - 2000年11月29日)は、東京都出身の俳人。本名喜八郎。東京市京橋区生。保善商業学校卒。1942年、「鶴」に入会し石田波郷に師事。1958年鶴賞、1965年鶴散文部門賞受賞。1987年、村山古郷没後の「嵯峨野」を継承主宰。1989年、句集『独坐』により第29回俳人協会賞受賞。人物、作風ともに温雅であった。句集に『寒影』『山望』『彩雲』『独坐』『村沢夏風句集』など、研究書に『石田波郷の俳句』Ⅰ~Ⅳなどがある。また漫画家として『漫画 俳句入門』(共著)の著書がある。
皆川 盤水(みなかわ ばんすい、1918年10月25日 - … 皆川 盤水(みなかわ ばんすい、1918年10月25日 - 2010年8月29日)は、福島県出身の俳人。本名・正巳。 磐城(現いわき市)生。日本大学法学部卒。少年時代に兄・二樓、叔父・山田孤舟の影響で俳句をはじめる。戦後、「かびれ」同人を経て、1958年に「風」同人。1966年、「春耕」創刊・主宰。同誌では棚山波朗、山田春生、伊藤伊那男らを育てた。1993年、句集『寒靄』により第33回俳人協会賞受賞。 代表句に「月山に速力のある雲の峰」などがある。みちのくの風土に即した明るく男性的な句風で、「風」参加以後は即物具象に徹した。また歌人・斎藤茂吉に造詣が深くその影響も受けている。2008年、「春耕」名誉主宰に就任。
清水 基吉(しみず もとよし、1918年(大正7年)8月31… 清水 基吉(しみず もとよし、1918年(大正7年)8月31日 - 2008年3月30日)は、俳人、小説家。本名、清水基嘉(読み同じ)。 現在の東京都渋谷区の宇田川町・道玄坂、港区の青山かいわいに、生まれ育った。1925年(大正14年)、東京府青山師範学校附属小学校(現:東京学芸大学附属世田谷小学校)へ入った。1931年(昭和6年)東京市立第一中学校(現:九段高校)に進むが胸を病んで中退し、1934年16歳、正則英語学校(現:正則学園高等学校)へ転じた。 1938年(昭和13年)から4年近く、各地に転地療養し、その間の1940年横光利一を知り、翌年、句誌『鶴』の主宰者、石田波郷の門に入った。同人誌に参加し、北條誠、巖谷大四、村松定孝らを知った。
島津 亮(しまづ りょう、1918年7月18日 - 2000… 島津 亮(しまづ りょう、1918年7月18日 - 2000年3月1日)は、俳人。 香川県出身。旧制大阪外国語学校(現・大阪大学外国語学部)蒙古語学科卒。1946年、応召先の天津から引揚げ、句作開始。鈴木六林男らの「青天」を通じて西東三鬼に会い師事する。1948年「雷光」創刊同人(1950年廃刊)。1951年「梟」創刊同人。1957年「夜盗派」同人(1960年終刊)。1960年「縄」同人。1962年「海程」創刊同人。1968年「ユニコーン」創刊同人。代表句に「怒らぬから青野でしめる友の首」など。この句は金子兜太が『今日の俳句』(1965年)で取り上げて広く知られるようになった作品で、同性愛的な趣があるとも評されている。
松本 旭(まつもと あさひ、1918年6月29日 - 201… 松本 旭(まつもと あさひ、1918年6月29日 - 2015年10月30日)は、日本の俳人、俳句研究家、国文学者、作詞家。埼玉大学名誉教授、城西大学女子短期大学部教授。従四位。 埼玉県大石村(現・上尾市)出身。本名の読みは「あきら」。東京文理科大学卒業後、埼玉県立浦和高等学校で教鞭を執った。埼玉大学教育学部助教授、教授、1972年から1975年まで埼玉大学教育学部附属小学校校長兼任。1983年定年退官、名誉教授、城西大学女子短期大学部教授。 加藤楸邨、角川源義に師事して俳句を詠み、1978年俳誌『橘』を創刊、主宰。妻も俳人の松本翠。「村上鬼城研究」で俳人協会評論賞受賞。連歌・近代俳句の研究家でもあった。
浜田 到(はまだ いたる、1918年6月19日 - 1968… 浜田 到(はまだ いたる、1918年6月19日 - 1968年4月30日)は、日本の歌人、詩人、医師。ロサンゼルス出身。 1912年、農園を経営していた両親が移住していたロサンゼルスに生まれ、4歳のとき帰国。両親の出身地である鹿児島県国分市(現・霧島市)に育つ。鹿児島県立第一中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)在学中に短歌を始め、旧制姫路高等学校、旧制岡山医科大学を卒業。 1935年に、一中の教員であった安田尚義が主宰する潮音系短歌雑誌『山茶花』に短歌作品を発表。異色ある作品として注目される。以後、『歌宴』『工人』を経由。 1944年に岡山医科大学卒業後、鹿児島市内の済生会病院に勤務(内科医)。 1951年、中井英夫に見出され『短歌研究』8月号の「モダニズム短歌特集」に塚本邦雄らとともに寄稿、1960年には塚本邦雄、寺山修司、山中智恵子、菱川善夫らとともに同人誌「極」に参加。
唐沢 隆三(からさわ りゅうぞう、1918年5月4日 - 2… 唐沢 隆三(からさわ りゅうぞう、1918年5月4日 - 2011年5月6日)は、社会運動研究者・俳人・自由律俳句研究者・作家。「唐沢柳三」の筆名も使用する。石川三四郎に師事する。 長野県に生まれる。滋野尋常高等小学校、長野県上田中学校(現:長野県上田高等学校)、純真学園、東京物理学校(現:東京理科大学)を経て、北海道帝国大学理学部数学科を卒業。北海道大学応用電気研究所に勤務。同研究所を退職後、東京に移住し、東京都立桜町高等学校、東京都立北高等学校ほか都立高校の教員を務めた。 出版のためにソオル社を興し、書籍の編集・発行も行った。 上田中学校時代に荻原井泉水の俳句誌『層雲』に参加した。 個人誌『柳』および『美』の発行者。
後藤 杜三(ごとう もりぞう、1918年1月25日 -199… 後藤 杜三(ごとう もりぞう、1918年1月25日 -1991年5月10日)は日本の眼科医、俳人、作家。北海道生まれ。本名・英三。私立岩手医学専門学校(現・岩手医科大学)卒、1946年北海道帝国大学で医学博士。 1949年、「北海道文学者の会」を石塚喜久三らと結成。鎌倉で後藤眼科医院を開業し、同人誌『南北』を主宰していた。 久保田万太郎に師事し、『新誌』に連載した『わが久保田万太郎』で1974年大宅壮一ノンフィクション賞受賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
岸田 稚魚(きしだ ちぎょ、1918年(大正7年)1月19日… 岸田 稚魚(きしだ ちぎょ、1918年(大正7年)1月19日 - 1988年(昭和63年)11月24日 )は、俳人。本名は順三郎。 東京都北区生まれ。石田波郷に師事。父・録三郎は龍川の俳号で増田龍雨の門下。家は代々酒屋であった。 1936年、巣鴨商業学校卒業。1939年、のちに書家として活躍する兄・稚候に連れられ「馬酔木」(主宰:水原秋桜子)の新年句会に参加。翌年11月、「馬酔木」に投句を始める。1940年、結核の療養のため、茅ヶ崎の南湖院に入院、「療養知識」の俳句欄(選者:石田波郷)に投句。1943年、波郷の主宰誌「鶴」に参加。1948年、「鶴」休刊、波郷の命により、「寒雷」(主宰:加藤楸邨)に移る。
三宅 千代(みやけ ちよ、1918年1月7日-2017年3月… 三宅 千代(みやけ ちよ、1918年1月7日-2017年3月30日)は、昭和・平成期の歌人・作家。 愛知県名古屋市にて眼科医の家系に生まれる。旧姓・杉田。杉田久女の夫・杉田宇内は遠縁にあたる。 母が崖からの転落事故の後遺症で半身不随となったため、幼少期は両親それぞれの実家や親戚宅に預けられて育つ。そうした生活から非行少女的な行動をとるようになったが、小学4年のときに担任教師の綴り方指導を受け、新愛知新聞への投稿で50回入賞するなど文才を認められたことで立ち直った。東京女子大学国文科在学中に歌誌「詩歌」に入会し、前田夕暮に師事。卒業後は名古屋市立大学病院の勤務医・三宅寅三と結婚するが、結婚の翌年に夫が太平洋戦争に召集され、その所属部隊はレイテ島で全員玉砕したと伝えられる。
上野 泰(うえの やすし、大正7年(1918年) - 昭和4… 上野 泰(うえの やすし、大正7年(1918年) - 昭和48年(1973年)2月21日)は、日本の俳人。妻の上野章子は高浜虚子の六女である。 横浜市の出身。立教大学経済学部卒業。昭和17年(1942年)、高浜虚子の六女・章子と結婚した。出征、復員の後、小諸に疎開中の虚子から俳句を学び、戦後の『ホトトギス』の新人として、野見山朱鳥と並び賞された。虚子から「泰の句に接すると世の中の角度が変わって現れてくる。」と評され、「新感覚派と呼んだらどんなものであろう。」と評された。家業の運送業の経営に加わりながら、昭和26年(1951年)『春潮』を主宰した。昭和48年(1973年)2月21日、癌のために急逝した。
塚崎進(つかさきすすむ、1918年 - 2007年9月27日… 塚崎進(つかさきすすむ、1918年 - 2007年9月27日)は、日本の国文学者、民俗学者、歌人。筆号は東籬男(とう りお)。 1941年慶應義塾大学文学部国文学科卒業。折口信夫から国文学、民俗学、短歌作法を学び、折口春洋より短歌実作の指導を受ける。同時に柳田國男にもつき日本民俗学会に属す。
出澤 三太(でざわ さんた、1917年12月25日 - 19… 出澤 三太(でざわ さんた、1917年12月25日 - 1985年5月17日)は、俳人。筆名は出澤珊太郎。作家星新一の異母兄。
田谷 鋭(たや えい、1917年12月15日 - 2013年… 田谷 鋭(たや えい、1917年12月15日 - 2013年11月6日)は、昭和から平成にかけての日本の歌人。国鉄マンの労働現場を詠んだ歌がよく知られ、歌風はつつましさ、はじらいを特徴とする。 千葉県千葉市寒川町生まれ。2歳で父を、7歳で母を結核で失い、4人の兄のうち3人をやはり結核で奪われる。貧苦の中、夜学の千葉関東商業学校(現敬愛学園高等学校)を卒業し、国鉄に勤務。 1934年(昭和9年)に北原白秋顧問、村野次郎主宰の「香蘭」に入会。1935年(昭和10年)、白秋が新たに創刊した「多磨」に移る。1939年(昭和14年)4月に応召、習志野陸軍病院に衛生兵として勤務。1942年(昭和17年)1月召集解除、国鉄に復帰。
大久間 喜一郎(おおくま きいちろう、1917年(大正6年)… 大久間 喜一郎(おおくま きいちろう、1917年(大正6年)12月13日 - 2012年(平成24年)3月24日)は、日本の国文学者・歌人。明治大学名誉教授。若い頃にはラジオアナウンサーを務めた経歴も持つ。 東京府東京市浅草区(現・東京都台東区)に生まれる。1940年、國學院大學文学部国文科を卒業。卒業後、日本放送協会アナウンサーから満洲電信電話勤務となる(満州電信電話には森繁久弥もアナウンサーとして勤務していた)。 戦後、獨逸学協会中学校(現・獨協中学校・高等学校)教師を経て、明治大学経営学部助教授となり、1962年に教授に就任。1972年「古代文学の構想」で國學院大學より文学博士の学位を取得。
森田 愛子(もりた あいこ、1917年11月18日 - 19… 森田 愛子(もりた あいこ、1917年11月18日 - 1947年4月1日)は、福井県坂井市三国町(現坂井市)出身の俳人。高浜虚子の写生文「虹」のヒロインとしても知られる。 1917年(大正6年)、 三国港で回船問屋を営む豪商・森田三郎右衛門と田中よしの娘として生まれる。三国の芸者置屋の娘である田中よしは名妓といわれ、18歳で森田三郎右衛門の側室となった。2人の間には長男武雄、長女敏子がいたがふたりとも夭折している。森田愛子の父・森田三郎右衛門は、銀行業(森田銀行)や森田農園を営み、運送会社、みそ、醤油醸造も手がけていた。父も俳句に親しんでおり、句が残っている。愛子は、森田本家の父母や兄弟にもかわいがられ、裕福で何不自由ない少女時代を送る。
香西 照雄(こうざい てるお、1917年10月30日 - 1… 香西 照雄(こうざい てるお、1917年10月30日 - 1987年6月24日)は、日本の俳人。 香川県木田郡庵治村(現高松市)に生まれる。旧制高松中学、旧制姫路高校を経て、1941年に東京帝国大学文学部国文科を卒業。ラバウルから復員後、1946年に高松で高校教諭となる。俳句ははじめ竹下しづの女に師事。のち東大俳句会で中村草田男を知り終生の師とする。1946年、中村草田男の「萬緑」創刊に参加。1955年、成蹊高等学校にうつり草田男の同僚となる。また大学部の講師も兼任した。1960年、第8回現代俳句協会賞受賞。「萬緑」の誌風のもと季語の象徴性に着目、思想性や社会性のある句を作った。「萬緑」では編集を補佐し、草田男の死去後は選者も務めている。
角川 源義(かどかわ げんよし、1917年(大正6年)10月… 角川 源義(かどかわ げんよし、1917年(大正6年)10月9日 - 1975年(昭和50年)10月27日)は、日本の実業家、国文学者、俳人。KADOKAWAグループ創業者。俳号は源義(げんぎ)、水羊(すいよう)。 辺見じゅん(作家、幻戯書房代表)、角川春樹(俳人、角川春樹事務所会長兼社長)、角川歴彦(角川文化振興財団名誉会長、元KADOKAWA会長)の父。 富山県中新川郡東水橋町(現富山市)に父・源三郎、母・ヤイの三男として生まれた。父・源三郎は源義誕生時は鮮魚を商っていたが、後に米穀商に転じ成功している。 1930年(昭和5年)、富山県立神通中学校(現在の富山県立富山中部高等学校)に入学した。
千代田 葛彦(ちよだ くずひこ、1917年7月10日 - 2… 千代田 葛彦(ちよだ くずひこ、1917年7月10日 - 2003年11月22日)は、俳人。本名次郎。台湾台中州にて生まれる。1934年阿川燕城の「竹鶴」に参加。終戦後に引揚げ。肺湿潤で療養後、中央大学法学部を卒業、教職に就く。1950年、「馬酔木」に入会し水原秋桜子に師事。1964年、『旅人木』で第4回俳人協会賞受賞。2003年、葛飾賞受賞。代表句「眠るまで月をいくつも見て眠る」他。「賜る俳句」を作句信条とした。句集に『旅人木』(1964年)『瀝々集』(1980年)『無邪』(2003年)。
野見山 朱鳥(のみやま あすか、1917年(大正6年)4月3… 野見山 朱鳥(のみやま あすか、1917年(大正6年)4月30日 - 1970年(昭和45年)2月26日)は福岡県出身の俳人。高浜虚子に師事、「菜殻火」主宰。本名は正男(まさお)。
後藤 比奈夫(ごとう ひなお、1917年〈大正6年〉4月23… 後藤 比奈夫(ごとう ひなお、1917年〈大正6年〉4月23日 - 2020年〈令和2年〉6月5日)は、大阪府出身の俳人。本名は日奈夫(読み同じ)。「諷詠」名誉主宰。父は後藤夜半。 大阪府西成郡今宮村に生まれる。神戸一中、旧制一高を経て、1941年に大阪大学物理学科を卒業。戦時中は陸軍の技術研究所に勤務。1947年、大阪市にボン電気会社を設立。1951年、父・夜半について俳句の道に入り、夜半の主宰誌「花鳥集」に拠る。「ホトトギス」「玉藻」にも投句し高濱年尾、星野立子に師事。1954年、「花鳥集」が「諷詠」に改題され、その編集兼発行人となる。1955年、波電子工業所を創業、1960年に株式会社となり代表取締役に就任。
小市 巳世司(こいち みよし、1917年(大正6年)4月18… 小市 巳世司(こいち みよし、1917年(大正6年)4月18日 - 2009年(平成21年)11月23日)は、日本の歌人。『アララギ』最後の編集発行人。中学教師、出版社編集部員、定時制高校教師、大学講師などを務めた。 東京府出身。1937年にアララギへ入会し、土屋文明に師事。第一高等学校を経て、1940年に東京帝国大学文学部を卒業後、岩手県立盛岡中学校(現:岩手県立盛岡第一高等学校)へ勤務。1946年5月から中等学校教科書株式会社(中教出版)編集部へ勤務。1950年3月に退職後、東京書籍株式会社編集部へ勤務。1953年4月に東京書籍退社後、東京都立小石川高等学校定時制へ勤務。1972年に中断していた作歌へ復帰し、アララギ編集委員・選者を務める。
安田 章生(やすだ あやお、1917年〈大正6年〉3月24日… 安田 章生(やすだ あやお、1917年〈大正6年〉3月24日 - 1979年〈昭和54年〉2月13日)は、昭和期の歌人、国文学者。文学博士。 尾上柴舟門下の歌人・安田青風の長男として兵庫県に生まれる。2歳のとき朝鮮・釜山に、4歳のとき京城に移る。1921年、兵庫県揖保郡龍野町(現たつの市)に転居。1925年、宍粟郡山崎町に移る。 龍野中学校(現兵庫県立龍野高等学校)、姫路高等学校文科を経て、東京帝国大学国語国文学科卒。大手前高等女学校教諭となる。戦中は土浦海軍航空隊教授嘱託、海軍教授を務める。1945年、天理語学専門学校(現天理大学)教授。1946年、樟蔭女子専門学校(現大阪樟蔭女子大学)教授。
大塚 雅春(おおつか まさはる、1917年〈大正6年〉3月1… 大塚 雅春(おおつか まさはる、1917年〈大正6年〉3月12日 ‐ 2000年〈平成12年〉5月1日)は、日本の小説家、歌人。 高知県香美郡土佐山田町(現香美市)生まれ。本名は忠雄。1934年、高知県立高知工業学校(建築科)卒業。前職は大阪汽車会社社員。 1949年、大衆文芸賞受賞、長谷川伸主宰の雑誌『大衆文芸』でデビュー。主に歴史小説・時代小説を執筆。 妻は歌人の大塚布見子で、妻の主宰する歌誌「サキクサ」に参加した。孫は劇団アマヤドリの所属俳優・大塚由祈子。
小島 慶三(こじま けいぞう、1917年(大正6年)3月11… 小島 慶三(こじま けいぞう、1917年(大正6年)3月11日 - 2008年(平成20年)8月30日)は、日本のエコノミスト、思想家、教育者、実業家、官僚、政治家、俳人。参議院議員(1期)。
宮 英子(みや ひでこ、1917年2月23日-2015年6月… 宮 英子(みや ひでこ、1917年2月23日-2015年6月26日)は、日本の歌人。夫は宮柊二。別名・滝口英子(1953年 - 1986年)。 富山県富山市出身。旧姓・瀧口。実家は代々医家であった。美術評論家・詩人の瀧口修造の従妹にあたる。 東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)卒。尾上柴舟に学ぶ。1937年(昭和12年)、歌誌「多磨」に入会し、北原白秋に師事。同門の宮柊二と結婚し、1953年に「コスモス」創刊に参加。1970年、第一歌集『婦負野』で第16回日本歌人クラブ推薦歌集(現・日本歌人クラブ賞)受賞。1986年の柊二没後、後を継いで「コスモス」発行人となった。2005年『西域更紗』で第20回詩歌文学館賞受賞。
酒井 忠明(さかい ただあきら、1917年〈大正6年〉1月3… 酒井 忠明(さかい ただあきら、1917年〈大正6年〉1月30日 - 2004年〈平成16年〉2月28日)は、酒井左衛門尉家21代当主、写真家、書家、歌人、財団法人致道博物館名誉館長。1998年勲五等双光旭日章。1999年鶴岡市名誉市民。 1917年(大正6年)、旧庄内藩主 酒井家20代当主・酒井忠良の長男として山形県鶴岡市家中新町に生まれる。母は大給近道長女・萬千子。 1935年(昭和10年)に旧制鶴岡中学(現・山形県立鶴岡南高等学校)を卒業後、酒井家図書研究所文会堂で旧庄内藩校致道館伝統に基づく「庄内学」とも称される儒学や東洋古典などを学びながら短歌を始め、歌人で万葉集研究家の国文学者、佐佐木信綱に師事する。
吉川 泰雄(よしかわ やすお、1917年〈大正6年〉1月7日… 吉川 泰雄(よしかわ やすお、1917年〈大正6年〉1月7日 - 2000年〈平成12年〉1月31日)は、日本の言語学者、国語学者、歌人。國學院大學名誉学長。 東京生まれ。1940年(昭和15年)に國學院大學文学部国文学科を卒業し、同国史学科へ編入学、翌年1941年(昭和16年)に退学して東京帝国大学史料編纂掛雇(のち史料編纂所雇)、1952年(昭和27年)に同事務官、1953年(昭和28年)から國學院大學文学部専任講師、1958年(昭和33年)に同助教授、1963年(昭和38年)に同教授となり、1973年(昭和48年)からは文学部長、1975年(昭和50年)の佐藤謙三学長の死去にともなって学長代理、ついで学長をつとめ、1987年(昭和62年)まで在任、退任後に名誉教授・名誉学長となる。
平松 小いとゞ(ひらまつ こいとど、1916年(大正5年)9… 平松 小いとゞ(ひらまつ こいとど、1916年(大正5年)9月26日 - 1944年(昭和19年)6月7日)は、日本の俳人。 和歌山県新宮市出身。父・竈馬の影響下、高濱虛子に師事、時にユーモアを交えた繊細で家庭的な温もりを持つ作風であったが、学徒動員で出兵、中国河南省での作戦に従軍、戦闘中に敵軍の銃弾に斃れた。《紙白く書き遺すべき手あたゝむ》は、出兵に際しての遺書とも取れ、命日は「白紙忌」と名付けられた。 1916年(大正5年)9月26日、父・平松竈馬(「ホトトギス」俳人、本名義彦、俳号はいとどとも、いとゞとも記される)、母・おとえの長男として、和歌山県東牟婁郡新宮町磐盾に生まれる。本名は一郎。
山川 弘至(やまかわ ひろし、大正5年(1916年)9月10… 山川 弘至(やまかわ ひろし、大正5年(1916年)9月10日 - 昭和20年(1945年)8月11日)は、歌人、詩人、国文学者。 岐阜県奥美濃の郡上市生まれ。國學院大學文学部国文科卒。折口信夫に師事。林富士馬らと文芸同人誌を興す。田中京子(山川京子)と結婚後5日目に召集され、敗戦直前に台湾で爆撃のため28歳で死去。 . NCID BB08934063
中山 周三(なかやま しゅうぞう、1916年(大正5年)8月… 中山 周三(なかやま しゅうぞう、1916年(大正5年)8月13日 - 1999年(平成11年)9月22日)は、日本の歌人、国文学者。北海道出身。 札幌一中を経て、國學院大學高等師範に入学後、北原白秋『桐の花』や、釈迢空の歌との出会いで作歌を始める。卒業後、1936年(昭和11年)に「歌と観照」に入会し、岡山巌に師事する。札幌商業学校に就職し結婚。12月に応召を受けて満州に渡るが、1941年(昭和16年)に帰国して、札幌商業学校に復職。その後、母校札幌一中や、札幌東高校で教職に就く。1946年(昭和21年)「原始林」創刊に参加し、後に山下秀之助に師事して共同で作歌を始めた。 1953年(昭和28年)からは田辺杜詩花没後の後継として同誌編集発行の代表となる。
渡辺 静子(わたなべ しずこ、1916年8月11日 - 20… 渡辺 静子(わたなべ しずこ、1916年8月11日 - 2011年5月2日)は、日本の国文学者・俳人。 東京生まれ。筆名・渡辺 しおり。1937年実践女子専門学校(現・実践女子大学)国文科卒、結婚するが夫を亡くしたあと、1966年東洋大学大学院博士課程満期退学、清和女子短期大学教授、1972年大東文化大学教授、87年名誉教授。1991年「中世日記文学論序説」で大東文化大学文学博士。専門は中世・中世日記文学。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
堀 葦男(ほり あしお、1916年6月10日 - 1993年… 堀 葦男(ほり あしお、1916年6月10日 - 1993年4月21日)は、俳人。 東京都生まれ。東京大学経済学部卒。大阪商船勤務、のち社団法人日本綿花協会専務理事。俳句は岡本圭岳、伊藤消雪、下村槐太に師事。1953年、同じ槐太門の林田紀音夫らとともに「十七音」を創刊。関西の前衛俳句運動の推進者として金子兜太と並び称された。兜太の「海程」創刊に参加、同人会長を務める。俳誌では「火星」顧問も務めた。1962年、第10回現代俳句協会賞受賞。句集に『火づくり』『機械』『山姿水情』『朝空』『過客』など、評論集に『俳句二十章』がある。現代俳句協会全国幹事、同関西地区会議副議長、大阪俳人クラブ副会長、読売俳壇選者などを歴任。
目迫 秩父(めさく ちちぶ、1916年3月24日 - 196… 目迫 秩父(めさく ちちぶ、1916年3月24日 - 1963年3月18日)は、神奈川県出身の俳人。本名は文雄。 横浜市生。県立商工実習学校(現神奈川県立商工高等学校)卒。1941年、昭和特殊製鋼に入社。1946年、スト争議により退社。同年「濱」に入会し大野林火に師事。1949年に結核を発病。貧困生活の中、入退院を繰り返しながら意欲的に病涯を詠んだ。代表句『狂へるは世かはたわれか雪無限』他。1958年、句集『雪無限』により第7回現代俳句協会賞。1963年、喀血による窒息で死去。「濱」(1963年7月号)では追悼号が組まれた。
太田 絢子(おおた あやこ、1916年3月17日 - 200… 太田 絢子(おおた あやこ、1916年3月17日 - 2009年10月31日)は、昭和・平成期の歌人。歌誌『潮音』主宰を務めた。歌人・漢文学者の太田青丘は夫。『潮音』現主宰の木村雅子は娘。旧姓・近藤。 北海道利尻町生まれ。実践女子専門学校(現実践女子大学)国文科卒。在学中は高崎正秀の指導を受ける。同校助手を経て、北海道岩見沢農業高等学校、北海道小樽潮陵高等学校などの教員を歴任。小樽市を第二の故郷として愛した。 1950年(昭和25年)、歌誌『新墾』及び『潮音』に入社。後に『新墾』選者も務める。1957年(昭和32年)、師の小田観螢の媒酌により、太田青丘の後妻に入り、北海道を離れ鎌倉市に住む。1996年(平成9年)に夫の太田青丘の没後、『潮音』主宰を継承。
石黒 清介(いしぐろ せいすけ、1916年3月17日 - 2… 石黒 清介(いしぐろ せいすけ、1916年3月17日 - 2013年1月27日)は、歌人、編集者、出版人。短歌新聞社元社長。 新潟県三条市生まれ、栃尾市育ち。本名は清作。1940年、同郷の詩人内藤鋠策と『抒情詩』を復刊する。1943年応召を受け、中国、仏領インドシナなどで従軍。戦後、郷里新潟県で「越後短歌」を創刊。 1953年東京で短歌新聞社を創立、月刊短歌情報誌『短歌新聞』を発刊。1977年に月刊短歌総合誌『短歌現代』を創刊した。以後、2011年12月の廃業まで一貫して社長を務めた。名歌集を安価で読める「短歌新聞社文庫」、新鋭歌人による「現代歌人叢書」「現代女流短歌全集」の創刊や、短歌現代新人賞の創設、『短歌現代』編集長に高瀬一誌を起用するなどの施策を打ち出し、戦後短歌に大きな影響を与えた。
森岡 貞香(もりおか さだか、女性、1916年3月4日 - … 森岡 貞香(もりおか さだか、女性、1916年3月4日 - 2009年1月30日)は、歌人。
千代 國一(ちよ くにいち、1916年1月30日 - 201… 千代 國一(ちよ くにいち、1916年1月30日 - 2011年8月29日)は、日本の歌人。 新潟県生まれ。大倉高等商業学校(現・東京経済大学)卒。銀行員を経て企業人となり、戦後は大倉製絲の工場復活に尽力した。応召中の兄がくれた岩波文庫の正岡子規歌集を読んで短歌に興味を持ち、窪田空穂に特に感銘を受けて、彼が創刊した歌誌『国民文学』に入会。松村英一に師事し、1987年より編集発行人を担当。師の没後に主宰を継承した。 1952年、歌集『鳥の棲む樹』で第1回新歌人会賞。1966年、歌集『冷気湖』が第9回日本歌人クラブ推薦歌集(現・日本歌人クラブ賞)に選ばれる。1999年、歌集『水草の川』で第7回短歌新聞社賞。
和泉 克雄(いずみ かつお、1916年 - 2010年2月1… 和泉 克雄(いずみ かつお、1916年 - 2010年2月1日)は、日本の詩人、俳人、グッピー研究家。 東京府東京市深川区(現東京都江東区)本所柳島生まれ。本名・牛次。中央大学商業学校卒業、アテネ・フランセ中退。1950-1980年「和泉熱帯魚研究所」を経営、おもにグッピー、卵生メダカ・卵胎生メダカを研究・繁殖。日本グッピー協会会長を務めた。
隈 治人(くま はると、1915年12月8日 - 1990年… 隈 治人(くま はると、1915年12月8日 - 1990年11月23日)は、長崎県出身の俳人。戦災の悲劇を句作の原点とした。 長崎市生。長崎医科大学附属薬学専門部(現長崎大学薬学部)卒。1951年、「かびれ」に入会し大竹孤悠に師事。1954年、長崎原爆忌俳句大会を創設。1959年、長崎新聞俳壇選者。1962年、金子兜太らと「海程」を創刊・同人。1965年、第12回現代俳句協会賞受賞。1971年「土曜」創刊・主宰。1990年、長崎新聞文化章。同年11月23日死去、74歳。1992年、「土曜」会員有志より「雲が首灼く浦上 花をもっと蒔こう」句碑が長崎平和公園周辺に建てられている。
清水 房雄(しみず ふさお、1915年8月7日 - 2017… 清水 房雄(しみず ふさお、1915年8月7日 - 2017年3月3日)は、日本の歌人。 千葉県生まれ。本名・渡辺弘一郎。東京文理科大学卒。大学で加藤楸邨と同期。1938年『アララギ』に入会、土屋文明・五味保義に師事、九州小倉で国語教師、のち予科練の教官になり、土浦、西宮、高野山と移り倉敷海軍航空隊で敗戦を迎える。戦後は都立高校で教え、東京都立九段高等学校教頭、東京都立北園高等学校校長、昭和女子大学教授などを歴任。そのかたわら『アララギ』編集に携わる。1990年から2008年まで読売歌壇選者。97年『アララギ』終刊後、『青南』編集委員。漢詩・漢籍に造詣が深く、宮中歌会始選者も務め、2005年には歌会始の召人も務めた。
吉野 義子(よしの よしこ 1915年7月13日 - 201… 吉野 義子(よしの よしこ 1915年7月13日 - 2010年12月6日)は、俳人。台湾台北市に生まれる。父は言語学者の小川尚義。幼時に母方の伯父の養女となり、愛媛県松山市にて育つ。県立松山高等女学校(現松山南高等学校)を経て、1933年、同志社大学英文科に入学。1934年、結婚のため中退。当初は詩を作っていたが、1947年に俳句に転向。1948年、「濱」に入会、大野林火に師事。1954年、「濱」同人。1972年、濱同人賞受賞。1979年、「芭蕉の精神を基盤とした叙情を継承する」として「星」を創刊・主宰。2001年、『流水』により第1回俳句四季大賞受賞。2003年、「星」終刊。代表句に「むらさき着て掌にあたたむる龍の玉」など。