鈴木 理雄(すずき ただお、1946年9月24日 - 200… 鈴木 理雄(すずき ただお、1946年9月24日 - 2007年12月31日)は、疎開先の三重県生まれの演出家。 武蔵中学校・高等学校で高平哲郎、景山民夫と知り合う。1970年(昭和45年)早稲田大学英文科卒業後、サントリーに入社、宣伝部でCMの企画制作担当に関わる。後にサントリー・ブロードウェイ・ミュージカルの招聘担当となり、ボブ・フォッシー「DANCIN’」から「ジェローム・ロビンズ・ブロードウェイ」までを手がける。また、在社中からさまざまな舞台の構成演出も担当し、2007年12月31日、肺がんのため死去、61歳没。サントリー退職後、2007年10月にサントリーホールで上演されたポエティック・ドラマ「みすヾとテルと母さまと」が遺作となった。
楠田 泰之(くすだ やすゆき、1946年9月16日 - )は… 楠田 泰之(くすだ やすゆき、1946年9月16日 - )は、テレビプロデューサー・演出家。アベクカンパニー所属の後、現在フリー。父は木下惠介映画のカメラマンも務めた撮影技師の楠田浩之、母は木下惠介および作曲家の木下忠司の妹で脚本家の楠田芳子である。立教大学卒業。 1946年9月 神奈川県に生まれる。 1969年、立教大学文学部を卒業。 1970年、木下恵介プロダクション(ドリマックス・テレビジョンの前身)に入社し、1975年 TBSテレビ「木下恵介・人間の歌シリーズ」『旅への誘い』にて監督デビュー。後、数々のテレビドラマを演出する。 1988年に同じ木下プロに所属していた阿部祐三・赤羽博らと共に映像制作会社アベクカンパニー(AVEC)の設立に参画する。
草薙 良一(くさなぎ りょういち、1946年5月17日 - … 草薙 良一(くさなぎ りょういち、1946年5月17日 - 2023年8月2日)は、日本の俳優、演出家。秋田県仙北市出身。秋田県立角館高等学校卒業。最終所属は現代制作舎。 1970年代から1980年代前半にかけて日活ロマンポルノ映画で活躍。テレビでは刑事ドラマへの悪役としての出演が多数ある。 近年は時代劇や2時間ドラマに出演する一方、舞台公演を軸に活動し、2008年5月よりなぎプロダクション代表として、自身の作・演出による創作演劇のプロデュースに取り組んでいた。2008年11月には同プロダクションの旗揚げ記念公演として、故郷・秋田を舞台とした『新説 おばこ旅館物語 かたくりの花編』を上演した。 俳優の草薙幸二郎は同姓から兄と誤解されがちだったが、両者に縁類関係はない。
金子 裕(かねこ ゆたか、1946年4月20日 - )は、日… 金子 裕(かねこ ゆたか、1946年4月20日 - )は、日本の脚本家、演出家。東京都出身。現在は引退している。 息子は映画監督・脚本家の金子遊。 東京都で2人兄妹の兄として出生。高校の頃は日活映画に熱中して映画の仕事を志すようになる。早稲田大学在学時に早稲田大学映画研究会に所属。同期に脚本家の荒井晴彦、桜井正明。脚本作りを始め、雑誌の編集やルポライターを経験した後に20代後半のとき、先輩の草川隆の紹介によりテレビアニメ『巨人の星』で脚本家になった。当初は東京ムービーのアニメーションを中心に脚本を手がけたが、その後『太陽にほえろ!』に参加。以降は東宝製作の刑事・アクションものを中心に、ドラマの脚本も多く手がける。
岸田 理生(きしだ りお、女性、1946年3月10日 - 2… 岸田 理生(きしだ りお、女性、1946年3月10日 - 2003年6月28日)は、日本の劇作家、演出家、シナリオ作家、小説家、翻訳家。本名︰林 寛美(はやし ひろみ)。 小劇場運動の旗手の一人と目された。怪奇幻想的な作風で、小説も書いたほか、テレビドラマのシナリオを多数執筆した。 長野県岡谷市出身。中央大学法学部卒業。 1974年(昭和49年)、寺山修司が選考委員を務めていた第1回新書館フォアレディース賞を『不眠症の猫』で受賞。それをきっかけに劇団天井桟敷に参加。1983年(昭和58年)に寺山が病没するまでの間、寺山との共作で戯曲『身毒丸』『奴婢訓』『レミング』などを執筆、他に映画『草迷宮』『ボクサー』などの脚本も手掛けた。
石井 愃一(いしい けんいち、1946年2月24日 - )は… 石井 愃一(いしい けんいち、1946年2月24日 - )は、日本の俳優、演出家。群馬県沼田市出身。 小学生の頃から映画好きで、高校生時代には演劇やコントをしていた。群馬県立沼田高等学校卒。高校卒業後は化学関係の会社に就職するが、1965年、渥美清の付き人となる。この頃は専らストリップ劇場や映画館などをはしごして通いながらコントの研究をする日々を送る。その後舞台芸術学院に1年間在籍し、1970年に蜷川幸雄の「現代人劇場」に入る。そして「櫻社」「風屋敷」などを経て1975年、劇団東京ヴォードヴィルショーに入団。オフィスボードビル所属。以後、多数のテレビドラマ、CM、映画、舞台に出演。 息子は俳優の石井智也。
芥 正彦(あくた まさひこ、1946年1月7日 - )は、日… 芥 正彦(あくた まさひこ、1946年1月7日 - )は、日本の俳優、劇作家、演出家、舞踏家、詩人、音楽プロデューサー。劇団ホモフィクタス主宰者。本名、斎藤正彦。学生時代、東大全共闘随一の論客と呼ばれていた。 東京都に生まれる。埼玉県立浦和高等学校卒業後、1年間の浪人生活を経て1965年に東京大学文科III類に入学。在学中に全学共闘会議(全共闘)のオーガナイザーとして活躍する傍ら、劇団駒場で夏際敏生と共にアングラ演劇運動を指導。在学中、東大美学科4年の女子学生と結婚。 「彗星のように(寺山修司)」、「危険な男(土方巽)」、「砂漠の住人(三島由紀夫)」と言われる。 《パフォーマンスの時代》を築く。
森田 雄三(もりた ゆうぞう、1946年 - 2018年10… 森田 雄三(もりた ゆうぞう、1946年 - 2018年10月29日)は、日本の演出家。 金沢美術工芸大学に入学した年、劇団雲の金沢公演を鑑賞し、出演者の小池朝雄や仲谷昇らと語らう機会を得る。翌年中退。 上京し、その劇団雲に入る。芥川比呂志主演の「リヤ王」に台詞なしの兵隊役で出演。金沢弁が抜けないことを指摘されたのが契機で、翌年クビとなる。 演劇学校のアクターズスタジオで会計係をしていた時に、イッセー尾形と出会う。 1970年、自由劇場の公演で初戯曲「ボクシング悲歌」を演出。 1980年から「イッセー尾形のこれからの生活 2012 in 真夏のクエスト」まで、イッセー尾形の一人芝居の演出を手がけた。
山田 修爾(やまだ しゅうじ、1945年9月10日 - 20… 山田 修爾(やまだ しゅうじ、1945年9月10日 - 2013年8月28日)は、日本の演出家、プロデューサー。愛称は「修爾さん」、「マムシ」。 東京都渋谷区出身。1969年4月、TBSに入社。アナウンサー、ラジオ制作を経て『ザ・ベストテン』、『輝く!日本レコード大賞』を企画・演出等、TBS音楽番組の中心的存在として活躍した人物でもある。2005年9月にTBSを定年退職後は、TBSグループのキャスト・プラス(クリエイティブ・メディア・エージェンシー)に移り常務取締役→代表取締役社長(2008年)→取締役相談役(2013年)を歴任、演出・プロデュース活動も行う。 清廉潔白であり、曲がった事が大嫌いで、えらく真面目で几帳面な部分があり、銀行の総務課や経理課の様な人物だったという。
東 由多加(ひがし ゆたか、1945年5月12日 - 200… 東 由多加(ひがし ゆたか、1945年5月12日 - 2000年4月20日)は、日本の劇作家、演出家。東京キッドブラザース主宰。 台湾生まれ。長崎県長崎市育ち。長崎県立長崎西高等学校卒業、早稲田大学教育学部中退。自らの作・演出によるミュージカル80作品を上演。 作家の柳美里はかつて女優を志して、東の劇団に所属していたが、東は柳に「あなたは演じるより、書きなさい」と作家になる事をすすめた。柳は自身を18歳から31歳頃まで東と同棲した「伴侶」だと言っているが、東が多数の愛人を作ったことで破局し、柳がある既婚男性との子供を身ごもり破局した際には東が柳と同居し、柳の子供の育児のサポートを務めた。
織田 紘二(おりた こうじ、1945年3月1日 - )は、日… 織田 紘二(おりた こうじ、1945年3月1日 - )は、日本の伝統芸能の制作者、演出家、脚本家、著述家。国立劇場(現・日本芸術文化振興会)で43年間勤務し、主に歌舞伎の制作・演出に携わった。2006年に日本芸術文化振興会理事に就任。現在、日本演劇協会専務理事、日本舞踊協会副会長などを務める。 1945年3月1日、北海道勇払郡安平村(現・安平町)字追分に、織田要と妻ミイの次男として生まれた。父の要は地元追分町の町会議員を40年間務め、町議会議長を務めた。 地元の追分高校を卒業後、1963年4月、國學院大學文学部日本文学科に入学。同大学では西角井正慶、高崎正秀、岡野弘彦、三隅治雄らから教えを受けた。
長石 多可男(ながいし たかお、1945年1月7日 - 20… 長石 多可男(ながいし たかお、1945年1月7日 - 2013年3月31日)は、映画・テレビドラマ作品の監督・演出家。広島県出身。広島県立広島国泰寺高等学校卒業。 1965年頃、ピンク映画で前衛的な作品を発表していた映画監督の若松孝二と知り合ったことがきっかけで、映画界入りを志す。当初は若松プロダクションへの参加を考えていたが、当時の若松プロは足立正生・沖島勲・小水一男(=ガイラ)をはじめ多くの助監督を抱えていたことから断念し、他社でピンク映画作品の助監督となる。その後、『特命捜査室』(1969年、東映・フジテレビ)で初のテレビドラマ助監督を務めた。 『柔道一直線』の助監督を経て、チーフ助監督を務めた『仮面ライダー』では、原作者・石森章太郎(=石ノ森章太郎)が監督を務めた第84話「危うしライダー! イソギンジャガーの地獄罠」で監督補を務めた。
太田 哲則(おおた てつのり、1945年 - )は、元宝塚歌… 太田 哲則(おおた てつのり、1945年 - )は、元宝塚歌劇団所属の演出家。兵庫県西宮市出身。 1968年、関西学院大学社会学部を卒業し、宝塚歌劇団に就職する。元月組トップの榛名由梨は小学校の同級生。 1979年、宝塚大劇場「カリブの太陽」で演出家デビューする。海外留学を経て、その後歌劇団で海外の文芸作品や都会風のコメディを手がける。 1986年より宝塚音楽学校の演劇講師を務め、大阪音楽大学、大阪芸術大学でも講師を務め指導に当たっている。 2005年、12月宝塚歌劇団を退職した。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役)
三ツ村 鐵治(みつむら かねはる、1945年 - )は、主に… 三ツ村 鐵治(みつむら かねはる、1945年 - )は、主に特撮テレビドラマ作品の元演出家。愛知県出身。 1968年に日本大学藝術学部を卒業後、東映テレビプロダクションに入社。以後、一貫してテレビ映画の助監督を務める(その時のスタッフクレジットには「三村道治」と表記された)。『非情のライセンス』、『特別機動捜査隊』、『特捜最前線』といった一般ドラマ、『電子戦隊デンジマン』、『太陽戦隊サンバルカン』などのキャラクターものの東映テレビプロ制作の作品に携わった。 1985年、『特捜最前線』で監督デビュー(同作品のシナリオは藤井邦夫)。同番組では誠直也の指名で、誠演じる吉野刑事の殉職編の演出を果たしている。
日下部 光雄(くさかべ みつお、1945年- )は、日本のア… 日下部 光雄(くさかべ みつお、1945年- )は、日本のアニメーション監督・演出家。スタジオ・ザイン所属。 昭和38年、東京都立新宿高等学校を卒業。 虫プロダクションの撮影マンとしてアニメ業界のキャリアをスタート。その後アニメーターに鞍替えした後演出家に転向。スタジオ・ザインのメンバーとして様々な作品に参加する。 初監督作品は『生徒諸君!心に緑のネッカチーフを』。『星のカービィ』では、吉川惣司の下でアニメーション監督を勤め、2年間に渡る長期シリーズを支えた。海外のアニメーション作品にも演出家として携わっており、近年の国内での活動が少ないのもそのためである。
高田 拓土彦(たかだ たつひこ、1944年10月15日 - … 高田 拓土彦(たかだ たつひこ、1944年10月15日 - 2012年10月1日)は、日本の俳優、脚本家、映画監督、演出家。本名は高田 龍彦。旧芸名は高田 裕史、高田 守弘、高田 大嗣。ペンネームは土筆 勉。師は脚本家の石森史郎。弟子は俳優の三木崇史。 福井県出身。桐朋学園大学芸術学部演劇科卒業。 劇団「ぶどうの会」、劇団俳優座を経て、「アメリカン・プロダクションサービス」を設立後、ボクサー、フリーとして活動していた。俳優としてはグループ71 、一騎プロに所属 。 女優の浅茅陽子とは同棲していたが、浅茅の意志で入籍しなかった。 2012年10月1日、間質性肺炎と肺癌のため東京都文京区の病院で死去。
東 隆明(あずま りゅうめい、1944年9月28日 - )は… 東 隆明(あずま りゅうめい、1944年9月28日 - )は、日本の男性作家、脚本家、演出家、作詞家、俳優、コミュニティネットワーク自然会会長。和歌山県和歌山市出身。旧芸名は東 龍明。 近衛文隆の庶子を称する。隆明の生年に文隆は大谷正子と結婚し、隆明の生母とは婚姻を結ばなかったという。 和歌山県立和歌山商業高等学校卒業後、19歳で上京。俳優、演出、脚本、企画制作などに携わる。また、情操教育を通じて青少年の健全育成に尽力すべく、学校演劇も手がける。 1983年、自然会(現コミュニティネットワーク自然会)発足、主宰。愛と究極の平和を説き続けている。講演会多数。 1992年より始められた島原復興支援活動では、復興ビルを創設して運営しながら常駐者を置き、地域のコミュニケーションに尽力する。
あらい 汎(あらい はん、1944年7月30日 - )は、日… あらい 汎(あらい はん、1944年7月30日 - )は、日本の役者、演出家、作家。パントマイム劇団「汎マイム工房」主宰。本名は荒井 範昭(あらい のりあき)。旧劇団転形劇場 プロダクション旧ザッコ所属。 劇団、及び付属養成所の主事、東京女子体育大学非常勤講師、他劇団、養成所講師暦任。日本児童青少年演劇協同組合会員。 長野県岡谷市出身。舞台芸術学院15期卒業。下村正夫、兼八善兼に師事。新劇系劇団研究生を経て小劇団設立。児童劇団などにも関わる。パントマイムグループ「ザ・パントマ」と知り合いパントマイムとのコラボレーション作品に関わる。 銀座のシャンソン喫茶やシャンソンレストランでパントマイムを演じながら、表で看板代わりの人形ぶりを演じる。
葉方 丹(はかた たん、1944年7月8日 - )は、演出家… 葉方 丹(はかた たん、1944年7月8日 - )は、演出家、脚本家、作家、作詞家。 日本アカデミー賞協会、日本音楽著作権協会、日本シナリオ作家協会、日本放送作家協会に所属する。東京都在住。別名、「はがたたん」。 京都市出身。大将軍(白梅町)で生まれる。父は西陣の職人。京都府立山城高等学校卒業後、日本大学芸術学部在学中から映像関係の仕事に携わる。後に大学中退。 アルバイトで日本劇場で働いていた時に叡南覚照と知り合い、「ごぜんさま」と呼ぶようになり、世話になる。ある時、叡南に将棋で勝ち、叡南に「おまえには歯が立たない。おまえ、はがたたん、にせえ」と言われる。また、叡南に「八百屋で行け」と言われ、「来るもの拒まず」で種々の仕事をするようになった。
西澤 敬一(にしざわ けいいち、1944年(昭和19年)6月… 西澤 敬一(にしざわ けいいち、1944年(昭和19年)6月6日 - 2014年(平成26年)10月18日)は、日本のオペラ演出家。西沢敬一という表記も見られる。 宮城県仙台市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業と同時に二期会オペラの制作部に所属。演出家としてのデビューは1967年(昭和42年)7月の東京声専音楽学校研究科第一回オペラ公演フロトー『マルタ』である。1968年(昭和43年)9月には日本オペラ研究会創立10周年記念創作オペラシリーズNo.4 林光『あまんじゃくとうりこひめ』菅野浩和『イソップの森』において林三好のもとで舞台監督助手。1968年(昭和43年)10月の東京声専音楽学校オペラ科第10回公演グルック『タウリスのイフィゲニア』(日本語上演)では歌詞の日本語訳と舞台監督を担当している。
井上 茂(いのうえ しげる、1944年2月2日 - )は、日… 井上 茂(いのうえ しげる、1944年2月2日 - )は、日本の俳優、演出家、殺陣師。大阪府出身。表現集団・茂組代表。元:ピラニア軍団。兄はタレントのゆうき哲也。 興國商業高校卒業後の1963年に原健策に弟子入りし、翌年に東映京都テレビプロダクションに入社。10年間所属した後、東京に進出し田村企画に所属。川谷拓三の影響でピラニア軍団に入団。その後は京都に戻る。2004年に表現集団・茂組を結成。
江守 徹(えもり とおる、本名:加藤 徹夫〈かとう てつお〉… 江守 徹(えもり とおる、本名:加藤 徹夫〈かとう てつお〉、1944年〈昭和19年〉1月25日 - )は、日本の俳優、声優、タレント、ナレーター、劇作家、演出家、翻訳家。文学座所属。身長171cm、体重75kg。血液型はA型。 芸名は、フランスの俳優・劇作家モリエールから。文学座に入所当時、文学座では同じ苗字を持つ二人の俳優がすでに演劇界に知られており(加藤和夫、加藤武)、加藤姓が多いため自身で芸名を考えたところ、はじめ「もりえるい」という芸名を思いついたが安直なため却下し、文字を分解した「えもり」、かつ本名の「徹」の字が入る「えもりとおる(江守徹)」という芸名をそのまま名乗ることにしたのが由来である。
服部 和彦(はっとり かずひこ、英: Kazuhiko Ha… 服部 和彦(はっとり かずひこ、英: Kazuhiko Hattori、1944年 - )は、日本の音楽家・音楽批評家・音楽プロデューサー・作曲家・朗読演出家。 1966年日本大学第二工学部卒業。1976年から1977年まで民族音楽研究のため、アジア、中東、アフリカの各国を歴訪。 1973年に作曲コンクールに1位入賞すると音楽活動を開始。 1975年、国際芸術連盟会長に就任。琴祥流琴祥会(大正琴)会長、日韓音楽文化交流委員会代表などを歴任している。 室内楽を中心に独奏曲、管弦楽、劇音楽など数多くのジャンルで活躍。Asia Composers Leagueのフェスティバルで室内楽作品が6回・声楽アンサンブルが1回入選。
古賀 義弥(こが よしや、1943年12月8日 - )は、日… 古賀 義弥(こが よしや、1943年12月8日 - )は、日本の作曲家、ギタリスト、演出家、ボイストレーナー。旧芸名:古賀 修。 福岡県福岡市出身。福岡大学法学部法律学科卒業。 音楽大学を志すも家族(特に姉)の反対により断念し、法学部に進学。地元の福岡でカントリーバンド「シュガーフット・ブラザース」を結成しボーカルを担当。1966年に渡辺プロダクションにスカウトされて上京、GSグループの「レオ・ビーツ」を結成し、ギター・ボーカルを担当。キングレコードから『霧の中のマリアンヌ』でデビュー。 1973年に渡辺プロから独立し、レオ・ビーツ6名のうち3名に新しいメンバー1名を加えて「ブルー・ジャッカス」結成。
出﨑 統(でざき おさむ、1943年11月18日 - 201… 出﨑 統(でざき おさむ、1943年11月18日 - 2011年4月17日)は、日本のアニメ監督、演出家、脚本家、漫画家。東京都目黒区生まれ。クレジットタイトル上では「出崎統」と表記されることもある。別名義として「崎枕」「さきまくら」「斉九洋」「斎九陽」「松戸館」「松戸完」「矢吹徹」「多井雲」など。生前は日本映画監督協会会員。アニメ監督、プロデューサーの出﨑哲は実兄。 1943年、東京都目黒区で、航空科学専門学校の教授であった出﨑晶の次男として誕生。明治時代に福島県相馬郡(現・福島県相馬市)で干拓事業を行った出﨑栄太郎の曾孫にあたる。終戦後に相馬に移り住んだが、小学1年生のときに父が結核で死去。
出﨑 統(でざき おさむ、1943年11月18日 - 201… 出﨑 統(でざき おさむ、1943年11月18日 - 2011年4月17日)は、日本のアニメ監督、演出家、脚本家、漫画家。東京都目黒区生まれ。クレジットタイトル上では「出崎統」と表記されることもある。別名義として「崎枕」「さきまくら」「斉九洋」「斎九陽」「松戸館」「松戸完」「矢吹徹」「多井雲」など。生前は日本映画監督協会会員。アニメ監督、プロデューサーの出﨑哲は実兄。
杉田 成道(すぎた しげみち、1943年〈昭和18年〉10月… 杉田 成道(すぎた しげみち、1943年〈昭和18年〉10月5日 - )は、日本の演出家、映画監督。フジテレビ役員待遇エグゼクティブディレクター、日本映画放送社長を務めた。 『北の国から』シリーズなどの演出家として知られる。日本映画テレビプロデューサー協会会長(2003年 - 2015年)。 「すぎた せいどう」と呼ぶ者もある。 愛知県豊橋市新本町 で3人兄弟の末っ子として出生。生家は江戸時代から300年続く老舗の酒問屋。成道という名は、父と親交のあった陸軍大将の宇垣一成から1字をとって名付けられた。兄はピアニストの杉田谷道。 1962年(昭和37年)愛知県立時習館高等学校を卒業し、慶應義塾大学文学部へ進学。
高谷 信之(たかや のぶゆき、1943年3月26日 - )は… 高谷 信之(たかや のぶゆき、1943年3月26日 - )は、日本の劇作家、放送作家、演出家、脚本家。東京都出身。 1943年、東京に生まれる。1961年、静岡県立静岡高等学校卒業。早稲田大学第二文学部演劇科中退。1972年、演劇集団 八騎人(ハッキジン) 創立、主宰。「魔都彷徨」「蛍よ、妖しの海を翔べ」等20本以上を作・演出。1999年、劇団ギルドを創立。2018年までに35回の舞台を作・演出して劇団は解散。若手俳優、演出家、脚本家の育成にも力を注いでいる。 放送の分野では、1975年 NHKラジオドラマ 『風に舞う木の葉のように』でデビュー。NHKラジオドラマ 約80本。同テレビドラマ「中学生日記」「風・ふたり」等20本。
麿 赤兒(まろ あかじ、本名:大森 宏、1943年2月23日… 麿 赤兒(まろ あかじ、本名:大森 宏、1943年2月23日 - )は、日本の俳優、舞踏家、演出家。暗黒舞踏集団・大駱駝艦主宰。所属事務所は同傘下の芸能事務所・キャメルアーツ。 父は海軍大佐の大森潤一(海兵54期卒)。長男は映画監督の大森立嗣、次男は俳優の大森南朋。 石川県金沢市生まれ。父親の潤一は大日本帝国海軍の軍人(中佐)で、第一航空艦隊参謀としてテニアン島に赴任。1944年(昭和19年)7月から始まるテニアンの戦いに参加して、翌8月2日、角田覚治司令長官らと塹壕に設えた司令部にて手榴弾で自決した(死後特進して大佐)。また母親の裕子が夫の戦死をきっかけに精神を病んだため、小学5年生の時に奈良県桜井市三輪山麓に住むおじ夫婦に預けられる。
麿 赤兒(まろ あかじ、1943年2月23日 - )は、日本… 麿 赤兒(まろ あかじ、1943年2月23日 - )は、日本の俳優、舞踏家、演出家。本名は大森 宏。暗黒舞踏集団・大駱駝艦主宰。所属事務所は同傘下の芸能事務所・キャメルアーツ。長男は映画監督の大森立嗣、次男は俳優の大森南朋。
畑中 美耶子(はたなか みやこ、1943年 - )は、フリー… 畑中 美耶子(はたなか みやこ、1943年 - )は、フリーアナウンサー、実業家、演出家、方言指導家。岩手県大迫町(現・花巻市)生まれ。 岩手県立盛岡第一高等学校卒業後、児童劇団時代から出入りしていた岩手放送(現・IBC岩手放送)に1962年、アナウンサーとして入社(同期に前田正二がいる)。1969年に当時の同僚でもある畑中茂夫と結婚。同時に岩手放送を退社して、フリーアナウンサーとなる。また、児童劇団「CATSきゃあ」主宰や、朗読、小学生中心の子供だけの劇団などの活動を開始。 また、岩手の方言(盛岡弁など)のスペシャリストとして、岩手県を舞台にしたテレビドラマや映画において「方言指導」を担当する。
河村シゲル(かわむら シゲル、1943年 - )は、日本の放… 河村シゲル(かわむら シゲル、1943年 - )は、日本の放送作家・演出家・プロデューサー・小説家。 日本脚本家連盟理事、教育部長。2013年日本脚本家連盟スクール放送作家クラスを設立。株式会社RightPockets代表取締役会長。2016年3月YouTube【公式】名作朗読チャンネルBun-Geiを制作。2017年7月株式会社ジェーシー・コムサ顧問就任。2018年2月株式会社OTOZURE顧問就任。 横浜市中区松蔭町(当時名称)で生を受け、6男1女の末子として生まれる。伊勢佐木町に親の営む豆問屋屋号「いさご豆」が在り、当時横浜の繁華街伊勢佐木町で幼少期を過ごす。 その後横浜市立東小学校に入学するが、小学校低学年に藤沢市鵠沼海岸へ家族と移り住む。
草野 旦(くさの あきら、1943年 - )は、日本の演出家… 草野 旦(くさの あきら、1943年 - )は、日本の演出家。 神戸市生まれ。甲南大学文学部卒業後の1966年、宝塚歌劇団に入団。1971年、宝塚大劇場公演『ハレルヤ』で演出家デビュー。1977年、草野が構成・演出を担当した『ザ・レビュー』第3部夢人で、文化庁芸術祭優秀賞を受賞。 1982年、バウホール『永遠物語』で初めてドラマの脚本・演出を手がけ、再演を繰り返す作品を生み出している。1992年、ニューヨーク・ジョイスシアターの海外公演『TAKARAZUKA“夢”』の作・演出を担当。 1996年、歌劇団理事に就任。 2000年、『源氏物語 あさきゆめみし』で、初めて大劇場公演の芝居の作・演出を手掛ける。
竹澤 嘉明(たけざわ よしあき、1943年 - )は、日本の… 竹澤 嘉明(たけざわ よしあき、1943年 - )は、日本の声楽家(バリトン)、オペラ歌手、音楽教育者、オペラ演出家。新字体の竹沢嘉明という表記が多く見られる。 東京芸術大学卒業、同大学院修了。伊藤亘行、柴田睦陸に師事。 オペラデビューは1969年(昭和44年)藝大オペラ ロッシーニ『セヴィリアの理髪師』バジリオ。初出の記録は同年12月15日、16日、17日の東京室内歌劇場 中世典礼劇『ダニエル物語』ハバクックである。1975年(昭和50年)東京室内歌劇場 プーランク『ティレジアスの乳房』亭主でウィンナーワルド・オペラ賞を受賞。1976年 - 1977年(昭和51年 - 52年)ウイーン留学。1979年(昭和54年)には劇団四季のミュージカル『リトルナイト=ミュージック』にも出演。
竹内 大三(たけうち だいぞう、1943年 - )は、日本の… 竹内 大三(たけうち だいぞう、1943年 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、演出家。長野県塩尻町(現・塩尻市)出身。 テレビ番組『笑点』のオープニング・アニメーションやイラストを手掛けていることで知られる。 小学生の頃より、通信教育で大人向け漫画を学び描いていた。その一方で、落語にも傾倒していたという。 長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。卒業と同時に上京し絵本出版社に就職したのち、美術大学の通信学生にもなる。 1963年、20歳の時に東映動画へ入社。同期には宮崎駿がいる。 東映動画退社後は放送動画制作を経て、フリーで活動。アニメのほか、絵本や漫画、似顔絵など様々な仕事をこなす。
竹之下 寛次(たけのした ひろつぐ 1942年11月30日 … 竹之下 寛次(たけのした ひろつぐ 1942年11月30日 - )は、テレビプロデューサー・演出家。ドリマックス・テレビジョン(現・TBSスパークル)所属のエグゼクティブプロデューサー兼演出家。兵庫県出身。 1966年、東京大学卒業後にTBSに入社。以後、多くのドラマに関わり、1979年から始まった『3年B組金八先生』の第1シリーズと第2シリーズでチーフディレクターを務めた。制作一部ドラマ担当部長などの管理職を経て、2008年現在、ドリマックス・テレビジョンに所属。 また、『3年B組金八先生』では1979年10月26日放送の第1シリーズ第1話の演出を手掛けたディレクターでもある。 3年B組金八先生(ゲーム) - 1年B組新八先生 - 2年B組仙八先生 - 3年B組貫八先生 - 東中学3年5組 生徒一覧(金八先生 - 新八先生 - 仙八先生 - 貫八先生) 贈る言葉 - 人として - 声援 - スタートライン - 新しい人へ - まっすぐの唄 - 初恋のいた場所 - いつか見た青い空 - 萌ゆる想い - 重い翼 - だけど泣かないさ 桜中学音楽大全集 - 3年B組金八先生 オリジナル・サウンドトラック(第7シリーズ - 1996年) 世情 - 贈る言葉 - Jupiter - ソーラン節 - 若い翼は - JODAN JODAN - さよなら - 生きとし生ける物へ 足立区立第二中学校 - 荒川橋梁 - 東京未来大学 - 東京都立足立特別支援学校 - 足立区立千寿桜堤中学校 - 足立区立鹿浜中学校 - 東京都立葛飾野高等学校 - 神奈川県立田奈高等学校 - 東京都立晴海総合高等学校 - 聖坂支援学校 武田鉄矢 - 杉田かおる - 直江喜一 - 沖田浩之 - 佐野泰臣 - 星野真里 - 川谷拓三 - 岸田敏志 - 三原じゅん子 - さとう宗幸 - 南こうせつ - ユニット(シブがき隊 - たのきんトリオ - TU→YU - 海援隊 - Ya-Ya-yah)
串田 和美(くしだ かずよし、1942年8月6日 - )は、… 串田 和美(くしだ かずよし、1942年8月6日 - )は、日本の俳優、演出家。日本大学芸術学部特任教授。佐々木高行は高祖父にあたる。所属事務所は鈍牛倶楽部。 東京都小金井市出身。成蹊小学校、成蹊中学校・高等学校卒業。日本大学芸術学部演劇学科中退。 父は哲学者・詩人の串田孫一。弟はグラフィックデザイナーの串田光弘。祖父は三菱銀行初代会長を務めた串田万蔵。母方の祖父は國學院大學理事長・学長を務めた侯爵の佐佐木行忠。行忠の祖父が佐々木高行。 1965年俳優座養成所を卒業し劇団文学座入団。 1966年佐藤信、斎藤憐、吉田日出子らと共に自由劇場を結成。六本木の「アンダーグラウンド自由劇場」を本拠地とする。
加藤 省吾(かとう しょうご、1942年7月11日 - 20… 加藤 省吾(かとう しょうご、1942年7月11日 - 2019年4月30日)は、愛知県名古屋市出身の演出家である。 1942年7月11日、愛知県名古屋市で生まれる。 愛知県立中村高等学校を卒業し、慶應義塾大学文学部英文科に在籍中にアメリカの演劇に興味を持ち、ユージン・オニールを卒業論文に選ぶ。大学卒業後の1966年に劇団新舞台に入団し、フランツ・カフカ原作アンドレ・ジイド脚色の「審判」、ペーター・ヴァイスの「マラー/サド」、エドワード・オールビーの「動物園物語」等、主に海外作品の翻訳・演出を担当するも意図せぬ内容、台詞の変更等により限界を感じ、同じ思いをする仲間と「ステージ67」を創立し、カフェ、区民会館、ガレージ等で新しい作品を発表した。
桂 邦彦(かつら くにひこ、1942年6月5日 - )は日… 桂 邦彦(かつら くにひこ、1942年6月5日 - )は日本のテレビプロデューサー、演出家。元TBSプロデューサー。神奈川県出身。東京都立新宿高等学校、日本大学芸術学部卒業。趣味は相撲、テニス。 1965年、TBSに入社。以来、多くの番組を制作。主にビートたけし出演のバラエティ番組を手がけた。代表作は1986年に放送を開始した『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』。この番組の大ヒットでプロデューサーから副部長に昇進を果たす。野外で出場者に豚汁を振舞うサービスを見せた。この他に審査員や出演者としても活躍した。たけしがオールナイトニッポン担当時、桂の名前を実名でよく出して、いじっていた。 ネットチェンジによりTBSでネット開始された『ヤングおー!おー!』(MBS制作)では、月1回行われていた東京収録でディレクターを担当。
奥村 正彦(おくむら まさひこ、1942年1月20日 - 2… 奥村 正彦(おくむら まさひこ、1942年1月20日 - 2021年7月31日)は、日本の演出家、映画監督。日本映画監督協会会員。 福井県勝山市出身。実家は美容院。福井県立勝山高等学校卒、1965年、日本大学芸術学部映画学科卒業後、東京映画に入社。豊田四郎、佐伯幸三、小林正樹、増村保造らに師事。助監督を経て、1982年、花王 愛の劇場『トラック母ちゃん』で監督デビューする。 その後、東京映画を退社し、フリーランスの監督として現在まで多数のTVドラマを手がける。1999年には、初の劇場映画作品『虹の岬』を発表した。
古市馨(ふるいちかおる、1942年 - )は、舞台演出家。劇… 古市馨(ふるいちかおる、1942年 - )は、舞台演出家。劇団カッパ座主宰者。 日本音楽著作権協会会員 古市カオル、日本放送作家協会会員 あがた夢童(ペンネーム)。日本劇場演出空間技術協会会員。室蘭市生まれ。 カッパ座座長 古市馨の思想紹介 | 神戸カッパ友の会 – 1961年 伴淳三郎に師事 渡米し、レットスケルトンに学ぶ。1963年 芸映プロに入社 *役者として、テレビ出演「男は太郎」「おーい雲」「テンテコママ」等レギュラー出演 舞台「雲の上団五郎一座」(座長 森繁久弥)「南の島に雪が降る」(座長 伴淳三郎)等にレギュラー出演。 1965年 日本大学芸術学部演劇学科卒業。1968年 劇団カッパ座を設立。
昭和 精吾(しょうわ せいご、本名:鎌田 賢、1941年12… 昭和 精吾(しょうわ せいご、本名:鎌田 賢、1941年12月14日 - 2015年8月29日)は、日本の俳優、演出家。昭和精吾事務所設立者。満州生まれ。 昭和16年(1941年)12月14日、満洲の大日本帝国陸軍大佐であった父の官舎で誕生。終戦間際、父の実家に引き揚げ、秋田県大館市の農家で育つ。県立大館鳳鳴高校卒業後上京、演劇の道へと進む。 1967年、劇団東俳演劇研究所に入所。のち東映演劇研究所に移籍。高倉健主演『網走番外地』シリーズ、渥美清主演『初詣列車』、日本テレビの東映刑事物のドラマにチンピラ等で出演。 1969年、寺山修司の演劇実験室◎天井桟敷に入団。主に詩をマイクで語るマイクアジテーションを担当。
知念 正真(ちねん せいしん、1941年12月4日 - 20… 知念 正真(ちねん せいしん、1941年12月4日 - 2013年9月25日)は、沖縄県沖縄市出身の劇作家、演出家。 1941年生まれ。沖縄県立コザ高等学校卒業。二松學舍大学中退。 琉球放送勤務を経て、劇団創造に所属する。 1976年に『人類館事件』より発想を得た『人類館』を雑誌『新沖縄文学』33号に発表。1978年に『人類館』で岸田國士戯曲賞を受賞する。 2013年9月25日に肝臓がんのため死去。71歳没。
富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年〈昭和16年〉11… 富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年〈昭和16年〉11月5日 - )は、日本のアニメ監督、演出家、脚本家、漫画原作者、作詞家、小説家。日本芸術院会員。本人は演出家・原案提供者としている。日本初の30分テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』の制作に携わるなど、日本のテレビアニメに草創期から携わる。祖父は東京府南葛飾郡大島町(現・東京都江東区の一部)町長を務めた富野喜平次。 代表作は『機動戦士ガンダム』などのガンダムシリーズ、『伝説巨神イデオン』、または『聖戦士ダンバイン』他のバイストン・ウェル関連作品など。 キャリアを通じて複数のペンネームを用いている。 本名は富野 喜幸()で両親の喜平と幸子の一文字ずつをとって付けられた。
鳥海 永行(とりうみ ひさゆき、1941年10月29日 - … 鳥海 永行(とりうみ ひさゆき、1941年10月29日 - 2009年1月23日)は、日本のアニメーション監督、演出家、小説家。神奈川県伊勢原市出身。中央大学法学部政治学科卒。 アニメーションの監督として、その演出は非常にシャープで完成されたものであり、同じアニメ監督の押井守に強い影響を与えている。押井は鳥海のことを「師匠」と公言している。「演出家であろうがアニメーターであろうが、やりたい奴にやらせてはいかん。こっちがやらせたい奴にやらせろ」というのが持論で、押井も参考にしているという。そのため、「やりたい」と自ら手を上げる人間よりも彼自身が「こいつは才能がある」と思う人間を重視し、そうではない人間は早々に切っていたという。
小笠原 猛(おがさわら たけし、1941年8月18日 - 2… 小笠原 猛(おがさわら たけし、1941年8月18日 - 2011年12月26日)は、主に特撮テレビドラマ作品を手掛けた日本の映画監督・演出家。東京都港区出身。 父親は東映のプロデューサーの小笠原久豊。その関係からか映画監督を志し、日本大学藝術学部入学。しかし、1961年に中退し、NET(現・テレビ朝日)に契約社員として入社。その後1962年に東映テレビ・プロダクションに移籍。以後『ザ・ボディガード』、『特別機動捜査隊』、『特捜最前線』、『鉄道公安官』などの一般ドラマや『快傑ズバット』、『忍者キャプター』などのキャラクターものの東映テレビプロ制作の作品で助監督を務める。特に村山三男、田中秀夫、奥中惇夫らに師事していた。
石橋 蓮司(いしばし れんじ、1941年〈昭和16年〉8月9… 石橋 蓮司(いしばし れんじ、1941年〈昭和16年〉8月9日 - )は、日本の俳優、声優、演出家。本名は同じ。 東京府荏原区出身。日本大学高等学校卒業、日本大学藝術学部映画学科中退。アートプランニング、第七企画を経て、「劇団第七病棟」主宰。オフィス・ロータス所属、株式会社アルファエージェンシーに業務委託。 身長178cm。血液型はAB型。妻は緑魔子。 建具職人だった父と母が離婚し、母のほうについた。母、姉、弟の4人と戸越の連れ込み旅館で育つ。 中学生時代の1954年、母親に連れられ当時近所にあった劇団若草に所属。同年13歳のとき東映児童劇映画第1回作品『ふろたき大将』で主役デビュー。17歳で劇団若草を辞め、東映児童劇団に身を預ける。
真崎 守(まさき もり、本名:森 柾(もり まさき)、194… 真崎 守(まさき もり、本名:森 柾(もり まさき)、1941年3月10日 - )は、日本の漫画家、アニメーション映画の演出家、脚本家、監督。 神奈川県横浜市生まれ。5歳で岐阜県高山市に移る。ディズニー、フライシャーといった短編アニメや杉浦茂、手塚治虫などの漫画作品、貸本劇画などに没頭する少年時代を過ごす。 1959年に岐阜県立斐太高等学校卒業。様々な職業に就いた後に、1960年に劇画短編誌『街』(セントラル文庫)に『雨の白い平行線』『暗い静かな夜』が掲載されて貸本漫画家デビュー。だが、漫画家を続ける意思を持てず1963年に虫プロダクションに入社、『佐武と市捕物控』などのTVアニメーションの演出に携わる。
岡田 敬二(おかだ けいじ、1941年2月19日 - )は、… 岡田 敬二(おかだ けいじ、1941年2月19日 - )は、日本のレビュー演出家、宝塚歌劇団の演出家。東京市(現東京都港区)生まれ。 日本レビュー界の第一人者。宝塚歌劇団では近年『ロマンチック・レビュー』路線を提唱。『ロマンチック・レビュー』は最新作『GRAND MIRAGE!』を含め22本になる。 1959年、東京都立大森高等学校卒業。早稲田大学第一文学部入学。 1963年、早稲田大学第一文学部を卒業後、宝塚歌劇団演出部に就職。 1967年、『若者たちのバラード』で演出家デビュー。 1974年、文化庁海外研修員として、1年間の海外留学。 1977年、『ザ・レビュー』で文化庁芸術祭大衆芸能部門2部 優秀賞を受賞。
粟國 安彦(あぐに やすひこ、1941年2月6日 - 199… 粟國 安彦(あぐに やすひこ、1941年2月6日 - 1990年1月14日)は、日本のオペラ演出家。 沖縄県南大東島に生まれる。 東京声楽専門学校(昭和音楽大学の前身)を卒業し、藤原歌劇団に参加、1969年5月の藤原歌劇団公演「ラ・ボエーム」で演出助手を務める。その後1970年にイタリアへ渡り、ローマの聖チェチーリア音楽院卒業後、日本人としては初めてローマ歌劇場の演出助手になった。 1977年に帰国し、以降、藤原歌劇団や二期会などのオペラを数多く演出し、昭和音楽大学助教授も務めた。1979年にジロー・オペラ賞、芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。 晩年の粟國は癌を患っていたが、家族は本人に告知をしなかった。