若林 時郎(わかばやし ときお、1933年 - )は、日本の… 若林 時郎(わかばやし ときお、1933年 - )は、日本の都市計画家。高蔵寺ニュータウンなど日本住宅公団の初期ニュータウン計画に取り組み、筑波研究学園都市の建設に尽力。 東和大学工学部建設工学科建築学専攻教授。研究者としての専門分野は都市計画。研究テーマは都市計画の策定過程、地方都市の市街化過程、都市と大学の空間的関係など。長野ユネスコ協会副会長及び善光寺の世界遺産登録をすすめる会専門委員。昭和61年度日本都市計画学会賞論文賞受賞。工学博士。 1933年、栃木県に生まれる。 1957年に京都大学を卒業し建設会社に就職するが、もっと勉強したいと考えて職を辞し母校の大学院に入学、西山夘三(当時教授)の研究室で都市計画などを学ぶ。
蓑原 敬(みのはら けい、1933年 - )は、日本の都市計… 蓑原 敬(みのはら けい、1933年 - )は、日本の都市計画家。蓑原計画事務所代表。神戸芸術工科大学客員教授ほか。
工藤 和男(くどう かずお、1933年 - )は、日本の画家… 工藤 和男(くどう かずお、1933年 - )は、日本の画家、洋画家。大分県大分市出身。漁師など海、働く人物をテーマに描く作品が多い。
小林 一枝(こばやし かずえ、1933年〈昭和8年〉 - 2… 小林 一枝(こばやし かずえ、1933年〈昭和8年〉 - 2011年〈平成23年〉11月)は、日本の洋画家。夫は文筆家の小林昭三。 千葉県習志野市に生まれる。1937年(昭和12年)には山梨県韮崎市へ移住し、山梨大学美術科において洋画を学ぶ。山梨大学卒業後は山梨において教員を務める傍ら制作を行い、峡北美術協会や1937年(昭和12年)に創設された山梨美術協会へ出品を行っている。1954年(昭和29年)には山梨美術展奨励賞を受賞する。1955年(昭和30年)には峡北美術協会会員となる。1959年(昭和34年)には第20回山梨美術協会20周年記念展で会員に推薦されている。 小林は二科会の織田廣喜の知縁を得て、織田の推薦で二科展に出展を行い、1959年(昭和34年)には初入選している。
田中 良平(たなか りょうへい、1933年 - 2019年)… 田中 良平(たなか りょうへい、1933年 - 2019年)は、日本の版画家である。 田中良平は、日本の原風景や京都の寺などを多く手がけた。いくつかの作品は、ボストン美術館、メトロポリタン美術館、クリーブランド美術館、シンガポール国立博物館にも作品が収められている。 田中良平は1933年、大阪府高槻市に生まれる。1955年に高槻高等学校を卒業、1963年に古野由男に師事し、エッチングを学んだ。そして1966年に日本版画協会に作品を出展し始め、1973年に正会員となり、すべてにおいて「完璧であれ」をモットーに制作を続ける。1975年に、リュブリアナ国際版画ビエンナーレ・買取賞を受賞。その後も、精力的に作品を発表し、高い評価を受ける。
高橋 英生(たかはし えいせい、1933年 - 2017年)… 高橋 英生(たかはし えいせい、1933年 - 2017年)は、北海道稚内市出身の画家。札幌を中心として東京、パリなどで活動し、現在は稚内市上勇知南部にアトリエを構える。15歳から国鉄に入社し鉄道員だったが33歳に退職し本格的に画家を志す。若いころは前衛的な作品が多かったが、のちにパリの街並みを描いた作品や風景画など作成し高い評価を得ている。稚内に移住してからは上勇知や利尻富士など地元の風景を中心に描いている。 北海道稚内市上勇知南部にある画家高橋英生のアトリエ。平成18年にいちど火災で全焼したが、その後再建される。1階はギャラリー、2階はカフェとなっており、地域のサロンとなっている。すぐそばには牛舎を改造した「ぎゃらりー華」があり自身や地元住人の様々な作品を展示するスペースが存在する。
岡本 信治郎(おかもと しんじろう、1933年 - 2020… 岡本 信治郎(おかもと しんじろう、1933年 - 2020年4月8日)は、日本の画家。 漫画やアニメーションを取り入れた「日本のポップアートの先駆的作家」として知られる。 ユーモラスな形態のなかにもニヒルさを込めたシリーズの制作を手がけ、主題としては下町の大衆文化から美術、宗教、歴史など幅広く選んでいる。 水彩画から始めているが、リトグラフやシルクスクリーン、立体絵画、オブジェといった様々なジャンルの作品も残している。 21世紀には、自身の戦争体験と2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件をテーマにした連作を発表する、岡本自身が「見る絵画・読む絵画・笑う絵画として機能する」と語るように、その作品は常に社会とともにあり、ユーモアのなかに社会への評言を客観的な視点をもっている。
佐野 ぬい(さの ぬい、旧姓:佐々木、1932年11月16日… 佐野 ぬい(さの ぬい、旧姓:佐々木、1932年11月16日 - 2023年8月23日)は、日本の洋画家。位階は正五位。 女子美術大学名誉教授(第16代学長)。日本美術家連盟洋画部理事、新制作協会会員。1950年代から青色を基調とする作品を多く発表し、自身は「青の画家」、作品の青使いは「ぬいブルー」「佐野ブルー」と称される。 青森県弘前市百石町出身。実家は「和菓子さゝき」(現・ラグノオささき)。青森県立弘前高等女学校(現・青森県立弘前中央高等学校)、1955年女子美術大学芸術学部洋画科卒業。25歳で結婚。夫は元新聞記者でエッセイストの佐野寧。寧との間に2男を儲ける。 女子美術大学助手(1955年 - 1961年)、同講師(1961年 - 1976年)、同助教授(1976年 - 1987年)、同教授(1987年 - 1994年)。
中村 宏(なかむら ひろし、1932年9月20日 - )は、… 中村 宏(なかむら ひろし、1932年9月20日 - )は、日本の画家。日本大学藝術学部美術学科卒業。東京造形大学客員教授。児童文学の挿絵を担当する際は「中村ヒロシ」の表記も使用する。静岡県浜松市出身。
松本 英一郎(まつもと えいいちろう、1932年7月8日 -… 松本 英一郎(まつもと えいいちろう、1932年7月8日 - 2001年6月17日)は、日本の洋画家である。 福岡県久留米市出身、福岡県立明善高等学校から東京芸術大学に進学、卒業時に大橋賞を受ける。独立展を拠点に活動する。東京都立駒場高等学校で教鞭をとり、その後多摩美術大学に転じ、教授職をつとめ、後進の指導に力を注いだ。 風景画を中心に描き、〈平均的肥満体 1965~1970〉〈退屈な風景 1971~1986〉〈さくら・うし 1987~1996〉〈花と雲と牛 1997~2001〉の連作をのこす。 義父は教育学者の石川謙、義兄に石川松太郎がいる。 青森県立美術館、栃木県立美術館、東京都現代美術館、府中市美術館、多摩美術大学美術館、八王子市夢美術館、青梅市立美術館、佐久市立近代美術館、池田20世紀美術館、愛知県美術館、京都国立近代美術館、広島市現代美術館、高松市美術館、北九州市立美術館、福岡県立美術館、福岡市美術館、久留米市美術館、熊本県立美術館、宇城市不知火美術館、都城市立美術館
塗師 祥一郎(ぬし しょういちろう、1932年4月24日 -… 塗師 祥一郎(ぬし しょういちろう、1932年4月24日 - 2016年9月21日)は、日本の洋画家(浦和画家)。2010年から日洋会理事長。石川県小松市生まれ。雪深い北国の風景画で知られた。陶芸家・塗師淡斉の長男。
瀬川 康男(せがわ やすお、1932年4月5日 - 2010… 瀬川 康男(せがわ やすお、1932年4月5日 - 2010年2月18日)は、日本の画家、版画家、絵本作家。愛知県岡崎市出身。本姓は鈴木。 福音館書店のこどものともの仕事を皮切りに、新しい技法を次々と使いながら多彩なタブロー、版画、スケッチ、絵本の制作を続けた。彼の初期の絵本は松谷みよ子、松野正子などの文に挿絵をつける形で作成されたが、1975年以降は文・絵ともに自作の絵本も制作。その仕事は、童画の枠を超えた現代的な「児童出版美術」の域に達し、BIB(ブラチスラヴァ絵本原画展)グランプリや国内の出版文化賞を受賞するなど、国内外で高い評価を獲得している。 なお年・名前・仕事の協力関係とも似通っている瀬川拓男は親族ではなく、血縁・家系とも他人である。
浜田泰介(はまだたいすけ、1932年〈昭和7年〉3月28日 … 浜田泰介(はまだたいすけ、1932年〈昭和7年〉3月28日 - )は愛媛県宇和島市出身の画家。 1985年(昭和60年) ART GRAPH 9月号に巻頭特集
髙橋 忠雄(たかはし ただお、男性、1932年3月11日 -… 髙橋 忠雄(たかはし ただお、男性、1932年3月11日 - 2012年5月23日)は、日本の洋画家、彫刻家、陶芸家である。 兵庫県加西市生まれ。34歳で二科会彫刻部会員となり、木彫をはじめ、石膏、ブロンズ、金属、陶芸等あらゆる素材を駆使した立体を得意とした。1981年49歳で脳梗塞に倒れ、半身不随の車椅子生活ながら絵画制作を行う。大作を続々と国内外に発表し髙橋芸術を確立。立体、平面とも日本国内外に多数作品が収蔵されている。
井上 員男(いのうえ かずお、1932年 - )は、日本の版… 井上 員男(いのうえ かずお、1932年 - )は、日本の版画家。ペーパー・ドライポイント(紙凹版画)において独自の技法を開発した。 香川県観音寺市出身。1950年(昭和25年)香川県立観音寺第一高等学校卒業。1954年(昭和29年)香川大学教育学部美術科卒業、地方公務員として公立高校の教員となり兵庫県立高校美術教諭となる。1970年(昭和45年)紙凹版画独創技法開拓。1979年(昭和54年)香川県立高校美術教諭を辞め、東京都羽村市に転居。1988年(昭和63年)在仏日本大使館主催ユネスコ日本週間展覧会に招待出品(『版画平家物語』、『雪国』、『アヤメ』)。2003年(平成15年)8月、香川県中学校美術教育研究会の活動の一環として、香川県の中学の美術教員に対して紙凹版画の技法を教えるなど、技法の普及にも力を入れている。
大野忠男(おおの ただお、1932年 - 没年不詳)は、日本… 大野忠男(おおの ただお、1932年 - 没年不詳)は、日本の画家、アイルランド研究家。 埼玉県浦和市出身。1955年東京大学工学部応用化学科卒。科学技師となるが、1963年画家となる。 1966年明治大学工学部建築学科を卒業後、西アジア、ヨーロッパ旅行、1966年オーストリア巡回個展、東ヨーロッパ旅行、1968年北アフリカ、西アジア旅行、1971年窯を作り作陶を始める。1973-1980年アイルランド遺跡拓本採集。 上野学園大学短期大学部教授を務めた。
福井 昭雄(ふくい あきお、1932年 - )は、洋画家。東… 福井 昭雄(ふくい あきお、1932年 - )は、洋画家。東京学芸大学卒。 文教大学教育学部美術専修教授を務め、児童画教育に明るい。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
鈴木 美江(すずき みえ、1932年 - )は、日本画家。一… 鈴木 美江(すずき みえ、1932年 - )は、日本画家。一般社団法人日本画院理事長。産経学園自由が丘の日本画講師。 1932年、日本画家の望月春江の長女として、東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区)池之端にて出生。 193年、川﨑小虎、望月春江ら日本画院設立する。1939年、御茶ノ水大学付属小学校に入学する。1994年、甲府市に縁故疎開、甲府市立相生小学校に通う。1945年、甲府高等女学校に入学する。1946年、春江の生家である山梨県増坪町より一家で帰京する。御茶ノ水女子大中学校に編入学する。 1948年、寺内萬治郎(洋画家)と朝倉摂(舞台美術家) にデッサンの指導を受ける。1951年、御茶ノ水高等学校卒業する。
内藤 綱男(ないとう つなお、1932年 - )は、日本の画… 内藤 綱男(ないとう つなお、1932年 - )は、日本の画家、元俳優。山梨県出身。 明治大学卒業後、大映に入社。大映京都撮影所、西岡プロ、エヌ・エー・シー所属を経て、画家に転向。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
奥津 国道(おくつ くにみち、1932年 - 2016年)は… 奥津 国道(おくつ くにみち、1932年 - 2016年)は、日本の画家。 日本の画家で、水彩画が高く評価されている。1952年に、二科展へ入選を果たしているが、しばらくは画家としてでなく美術担当の会社員として長い間活躍していた。一般大衆誌の「平凡パンチ」の表紙を手がけて、その「作品」を多くの人が目を通すに至った。職業の画家としての作品も、数多く手がけていて、1980年ごろより精力的に個展を開催している。 最近では、一般向けの水彩画指導の本「水彩画プロの裏ワザ」シリーズを出版していて、生涯学習として水彩画を手がける人から重宝されてきた。 1932年、神奈川県秦野市に生まれる。1945年、神奈川県下の私立湘北中学校に入学するが、在学中、美術教師の藤井白映に絵の才能を見出されて指導を受ける。
笠井 誠一(かさい せいいち、1932年 - 2025年6月… 笠井 誠一(かさい せいいち、1932年 - 2025年6月12日)は、日本の洋画家。立軌会同人、愛知県立芸術大学名誉教授。シンプルな描線で、緻密に構築された静物画を描いた。 1932年、北海道札幌市生まれ。生家は札幌時計台近くに店を構えるマリヤ手芸店。北海道札幌西高等学校を経て、1957年東京芸術大学卒業。1959~66年、滞仏。1985年から立軌会同人。1991年、名古屋市芸術賞芸術特賞。2001年、安田火災東郷青児美術館大賞受賞・同記念展。2015年、笠井誠一展(札幌芸術の森美術館)、2018年、笠井誠一展(練馬区立美術館)。2018年、瑞宝中綬章受章。 2025年6月12日、老衰のため、自宅で亡くなった。
小川游(おがわ ゆう、1932年 - )は、満洲国出身の洋画… 小川游(おがわ ゆう、1932年 - )は、満洲国出身の洋画家。浦和画家のひとり。一水会代表。さいたま市美術家協会会長。 満洲国四平街に生まれ、戦後引き揚げて浦和中学校に編入学、在学中に高田誠に師事してデッサンや油彩画を学んだ。東京芸術大学美術科卒業後、浦和市内の中学校の美術教師となった。2016年(平成28年)には北海道河西郡中札内村にある中札内美術村にて小川游作品館が開館。
渡辺 定夫(わたなべ さだお、1932年 - )は、日本の都… 渡辺 定夫(わたなべ さだお、1932年 - )は、日本の都市計画家。教育者。東京大学名誉教授。日本でアーバンデザインの指導及び実践、人材育成を担った人物。工学博士。東京生まれ。
矢野 眞(やの まこと 1932年 - 2012年11月3日… 矢野 眞(やの まこと 1932年 - 2012年11月3日)は、福岡県出身の画家。
秋葉 杜紫(あきは とし、AKIHA Toshi、1931年… 秋葉 杜紫(あきは とし、AKIHA Toshi、1931年〈昭和6年〉12月13日 - 2018年〈平成30年〉12月12日)は、日本の現代水墨画家。現代水墨画創始者。女性日本画家。 中央公論画廊にて墨画展を皮切りに国内外で活躍。小山富士夫、河北倫明、谷川徹三等、著名人から多くの評価を得た。 趣味はピアノ、声楽、東洋古陶磁研究。 大阪府大阪市に生まれる。 1957年(昭和32年)に25才で女子美術大学に入学。1961年(昭和36年)に女子美術大学日本画科卒業。卒業後は1962年(昭和37年)1月から1968年(昭和43年)まで愛知県立保育専門学校にて講師を務める。 1965年(昭和40年)春には中央公論画廊(丸の内)にて主に掛軸の個展を開催した。
千葉 喜彦(ちば よしひこ、1931年12月1日 -2022… 千葉 喜彦(ちば よしひこ、1931年12月1日 -2022年2月 )は、日本の時間生物学者、画家、山口大学名誉教授。 朝鮮・平壌生まれ。東北大学理学部生物学科卒、同大学院博士課程修了、東北大学理学博士。東北大学助手、山口大学理学部助教授、教授。1995年定年退官、名誉教授。1975年『生物時計の話』で毎日出版文化賞受賞。 画家としても活動し、西日本美術展、青木繁記念大賞西日本美術展などで入選した。
芳野満彦(よしの みつひこ、1931年(昭和6年)11月8日… 芳野満彦(よしの みつひこ、1931年(昭和6年)11月8日 - 2012年(平成24年)2月5日)は、日本の登山家・RCC IIの創立同人・画家。東京都荒川区日暮里生まれ。アルムクラブ所属。ボート選手の芳野法一は弟。 第一日暮里小学校卒業、旧制の早稲田中学校入学。 1948年(昭和23年)、早稲田中学2年の17歳のとき八ヶ岳の主峰赤岳で遭難して両足指をすべて欠くが、不屈の精神で登山を続けた。1957年(昭和32年)3月の前穂高岳IV峰正面壁積雪期初登攀など多くの初登攀を記録。 1963年(昭和38年)、大倉大八とともにアイガー北壁に日本人として初挑戦。 1965年(昭和40年)、渡部恒明とともにマッターホルン北壁の日本人初登攀を達成し、アルプスの岩峰への先鞭をつけた。
小松崎 邦雄(こまつざき くにお、1931年9月2日 - 1… 小松崎 邦雄(こまつざき くにお、1931年9月2日 - 1992年12月28日)は、東京都出身の画家。浦和画家のひとり。 日暮里に生まれ、9歳の時、浦和で料亭を営んでいた叔母の縁で浦和市高砂町に転居。浦和中学校(現埼玉県立浦和高等学校)に入学し、2年生だった14歳の時に高田誠につきデッサン、油彩を学んだ。 東京芸術大学油画科に入学すると高田の師であった安井曾太郎の教室に入った。翌年に安井が退職したため林武の教室に入った。大学卒業後、同大学油絵専攻科に進み、一水会への出品が始まった。東京芸術大学講師も務めた。
伊藤 滋(いとう しげる、1931年8月20日 - )は、日… 伊藤 滋(いとう しげる、1931年8月20日 - )は、日本の都市計画家。早稲田大学特命教授、慶應義塾大学大学院客員教授、東京大学名誉教授。学位は工学博士(東京大学)。専門は、都市防災論、国土及び都市計画。 伊藤滋都市計画事務所主宰。一般財団法人日本地域開発センター理事長、NPO法人日本都市計画家協会会長、アジア防災センター・センター長、内閣官房都市再生戦略チーム座長、国土審議会、都市計画中央審議会委員を歴任。2030年の東京都心市街地像研究会座長。さいたま新都心計画チーフプロデューサー。環長崎港地域アーバンデザイン専門家会議座長。 東京都杉並区生まれ。父は評論家・詩人・小説家の伊藤整。成蹊学園を経て、旧制成蹊高校(理科甲類)卒業。
井上 洋介(いのうえ ようすけ、1931年(昭和6年)3月7… 井上 洋介(いのうえ ようすけ、1931年(昭和6年)3月7日 - 2016年(平成28年)2月3日)は、日本の絵画・版画美術家、日本の絵本作家、イラストレーター。本名 井上洋之助(いのうえ ようのすけ)。 東京都港区赤坂出身。武蔵野美術学校西洋画科卒。1960年「こどものとも」(福音館書店)で初の絵本「おだんごぱん」刊行。以後、多数創作絵本出版。 1965年第11回文藝春秋漫画賞、第4回東京イラストレーターズ・クラブ賞受賞。『ぶんぶくちゃがま』他で小学館絵画賞、『でんしゃえほん』で日本絵本賞大賞、『月夜のじどうしゃ』で講談社出版文化賞、『ぼうし』でJBBY賞を受賞。 ※ 公開展示・個展は1960年代より毎年2~3回開催。
高坂 卓至(こうさか たかし、昭和6年(1931年)3月3日… 高坂 卓至(こうさか たかし、昭和6年(1931年)3月3日 - 平成19年(2007年))は、昭和から平成時代の日本の洋画家。 昭和6年(1931年)富山県新湊市庄西町(現・射水市)に生まれる。金沢美術工芸大学美術科卒業、宮本三郎、高光一也に師事。1951年金沢現代美術展知事賞。1954年、東京都公立中学校教諭となる。1979年、東京銀座の日動画廊で開催の「第2回現代裸婦展」にて出品、準大賞を受賞。翌年、同画廊にて海をモチーフとする作品発表。1981年モスクワ、レニングラード、キエフを訪れ滞欧作品を制作する。1982年故郷の新湊市中央文化会館にて個展開催。1988年、高岡市美術館にて異色作家シリーズ特別展「高坂卓至展」開催。
金 壽根 (キム・スグン、김수근、1931年2月20日 - … 金 壽根 (キム・スグン、김수근、1931年2月20日 - 1986年6月14日) は、大韓民国の建築家、都市計画家。金重業(1922-1988)と共に韓国近代建築の巨匠と称される。 生涯に韓国内に200以上の建物を設計し、代表作として、ソウル蚕室総合運動場 (1977年)、空間社屋(1978年)、馬山聖堂(1979年)、国立清州博物館(1986年)などが挙げられる。 金は1966年に韓国で初めての建築・芸術総合誌である月刊『空間』を創刊し、1972年には空間舍廊を建立して文化活動の場所として開放した。また弘益大学校や建国大学校、国民大学校で教鞭をとった。これらの活動を通して多様な芸術活動を支援し、芸術運動を展開した。
吉原 英雄(よしはら ひでお、1931年(昭和6年)1月3日… 吉原 英雄(よしはら ひでお、1931年(昭和6年)1月3日 - 2007年(平成19年)1月13日)は、日本の画家、版画家。 広島県因島市出身。大阪府立天王寺高等学校卒業。京都市立芸術大学名誉教授。2007年に膵臓癌のため死去。 初期にはリトグラフの制作を行なうが、後にリトグラフと銅版を併用した。女性や静物などをモチーフとし、臨場感のある虚構空間を描き出すことで知られる。作品は現代人の不安や心理的真空感を反映したものと評される。
平野 侃三(ひらの かんぞう、1931年 - )は、日本の官… 平野 侃三(ひらの かんぞう、1931年 - )は、日本の官僚、造園家、都市計画家、東京農業大学名誉教授。勲四等瑞宝章受章。 東京大学を卒業し、1955年建設省都市局都市計画課入省後、建設省都市局公園緑地課都市緑地対策室長、国土庁大都市圏整備局整備課長、公害防止事業団常任顧問等を歴任し、1986年より東京農業大学農学部造園学科教授となる。 2002年3月東京農業大学を定年で退官し、同5月名誉教授、同6月(財)都市緑化基金理事長に就任する。 1984年第8回日本公園緑地協会北村賞受賞。2002年秋の叙勲で勲四等瑞宝章を受章。 日本都市計画学会会長、総理府歴史的風土審議会委員、都市緑化技術開発機構理事兼研究所長
中出 那智子(なかで なちこ 1931年 - 2017年12… 中出 那智子(なかで なちこ 1931年 - 2017年12月8日)は、日本の画家。主に油絵。東京都伊豆七島最北の島、大島村本村(現・東京都大島町元町)の出身。 中出那智子は、師事した宮本三郎との出会いについて、以下のように語っている。 「私が23歳になった時、再び宮本三郎先生は奥様とご来島され、『あれ、貴女があのときの赤ちゃん?』と思わぬ再会に家中喜びに湧きたちました。その時は、牛のスケッチが目的だったので、私が牛のたむろする砂浜にご案内いたしました。大島旅行が終わっていよいよお帰りになる日の乗船前のひととき、私は思い切って少女時代に描いた例の赤い表紙の絵日記と画帖を先生に見ていただくことにしました。
寺田 健一郎(てらだ けんいちろう、1931年 - 1985… 寺田 健一郎(てらだ けんいちろう、1931年 - 1985年10月23日)は、洋画家。福岡県福岡市出身。西南学院大学卒業。明るい原色がうねる生命力あふれる抽象画を描いた。 1951年(昭和26年)二科展初入選。1959年(昭和34年)二科特選。その後会友となるが、1977年(昭和52年)退会。 一時期、西南学院中学校の美術担当講師をつとめ、1950年代谷川雁らの文学運動“サークル村”に参加。「午前」同人。食通で、西日本新聞に「昭和一ケタのくいしんぼ日記」「エカキの小休止」を連載するなど、随筆やテレビで幅広く活動。またがん手術の体験記「直腸切断」を出版。 長男は造形作家の寺田太郎、次男はTHE GOGGLESのギタリストでアトリエてらたの店主である瀬下黄太。
米谷 ふみ子(こめたに ふみこ、1930年11月15日 - … 米谷 ふみ子(こめたに ふみこ、1930年11月15日 - )は、日本出身の作家・画家。本名は富美子。ロサンゼルス近郊パシフィック・パリセイズに在住。 大阪市に生まれる。大阪府立夕陽丘高等女学校、大阪女子大学(現在の大阪府立大学)国文科卒業。1957年、油絵を二科展に出品して関西女流美術賞を受ける。1960年に奨学金を受けて渡米。抽象画家としてアメリカ合衆国ニューハンプシャー州の芸術家村マクダウェル・コロニー(MacDowell Colony)に移住したとき、ジョシュ・グリーンフェルドと出会う。 ニューヨークでジョシュと結婚し、夫との間に二人の息子を持つ(長男のカール・タロウは現在文筆家)。 自閉症の次男ノアの子育てと画家活動が両立困難になったことから文筆活動に転じた。
山岸 純(やまぎし じゅん、1930年 <昭和5年> 9月1… 山岸 純(やまぎし じゅん、1930年 <昭和5年> 9月14日 - 2000年 <平成12年> 12月17日)は、日本画家、日本芸術院会員。位階は正四位。 京都市生まれ。1953年京都市立美術大学日本画科卒。1955年同研究科修了、徳岡神泉に師事。1955年日展初入選。1961年日展特選・白寿賞。1966年日展菊花賞。1974年京都市立美術大学助教授、日展評議員。1975年日展文部大臣賞、京都市立芸術大学教授。1990年京都府文化賞功労賞受賞。1992年日本芸術院賞受賞。1993年日展理事。1996年京都市立芸術大学を退職、名誉教授、京都市文化功労者。1997年名古屋芸術大学教授。1999年日本芸術院会員。
小野 かおる(おの かおる、1930年8月19日 - 202… 小野 かおる(おの かおる、1930年8月19日 - 2020年10月13日)は、日本の絵本作家・画家、スペースデザイナー。東京造形大学名誉教授。 本名は成子(=しげこ)。父は詩人でロシア文学者の中山省三郎。娘は絵本作家おのりえん(小野里宴)。 東京芸術大学美術学部油絵科卒業。2007年、長年にわたる昔話絵本の創作活動に対して第30回巖谷小波文芸賞受賞。厚生大臣賞、サンケイJR賞、吉村証子賞のほか、『オンロックがやってくる』(福音館書店)で第43回産経児童出版文化賞受賞。
高塚 省吾(たかつか せいご、1930年7月26日 - 20… 高塚 省吾(たかつか せいご、1930年7月26日 - 2007年5月28日)は、日本の洋画家。美人画・裸婦で絶大な人気を誇った。 岡山市出身、東京芸術大学で梅原龍三郎、林武、硲伊之助に師事、1953年卒業。同年、恩師で日本美術会の委員長を務めた硲伊之助の影響から、第7回日本アンデパンダン展(日本美術会主催)に出品。以後、第11回まで出品。新東宝撮影所美術課に勤務のかたわら「8人の会」を結成、個展を開くなどしたが作品に恵まれず、1955年には谷桃子バレエ団の美術担当となり台本も書く。1956年NHK広報室嘱託となり、1968年まで勤める。1957年より小津安二郎監督映画のタイトルを担当するなど多方面に活躍。
高橋 秀(たかはし しゅう、1930年〈昭和5年〉6月30日… 高橋 秀(たかはし しゅう、1930年〈昭和5年〉6月30日 - )は、日本の画家、版画家、彫刻家。元独立美術協会会員、倉敷芸術科学大学名誉教授、文化功労者。本名は髙橋 秀夫(たかはし ひでお)。本名の姓の「髙」 はいわゆる「はしごだか」であるが、筆名の姓の「高」 はいわゆる「くちだか」である。 広島県立府中中学校(現、広島県立府中高等学校)を卒業後に化粧品の訪問販売をしながら絵を描いていた頃(1948年)、終戦後に府中町(現、広島県府中市)に疎開していた二科会の画家、北川実のアトリエに出入りするようになる。そこで北川の油彩画、およびピカソやマティスの画集を目にして、美術の世界に目覚める。 高橋は1959年の第3回安井賞候補新人展、翌年の第4回展に安井賞候補として出品した後、1961年に3回目の候補となり《月の道》でようやく安井賞を受賞した。
平山 郁夫(ひらやま いくお、1930年6月15日 - 20… 平山 郁夫(ひらやま いくお、1930年6月15日 - 2009年12月2日)は、日本の日本画家、教育者。位階は従三位。勲等は文化勲章。東京芸術大学名誉教授、文化功労者。 東京芸術大学美術学部教授、東京芸術大学美術学部学部長、東京藝術大学学長(第6・8代)、財団法人文化財保護振興財団理事長、日本育英会会長、財団法人日本美術院理事長、東京国立博物館特任館長などを歴任した。 広島県出身の日本画家、教育者である。日本美術院理事長、一ツ橋綜合財団理事、第6代・第8代東京芸術大学学長などを務めた。文化功労者として顕彰され、のちに文化勲章を受章した。広島県名誉県民、広島市名誉市民、鎌倉市名誉市民などの称号を授与されている。
坂本 寧(さかもと やすし、さかもと ねい。1930年5月1… 坂本 寧(さかもと やすし、さかもと ねい。1930年5月17日 - 2023年12月2日)は、日本の医師、画家、元坂本善三美術館名誉館長。 1930年(昭和5年)、熊本県菊池郡大津町に生まれる。1946年(昭和21年)より、絵を描き始める。熊本大学大学院医学研究科を修了した医師であり、熊本県宇城市で開業医として医業にたずさわりつつ作家活動を続けてきた。西孝親、坂本善三、海老原喜之助らに師事する。 特に坂本善三には、自身が10代の頃より善三が亡くなるまで長く師事した。善三の死後、坂本善三美術館の立ち上げに関わり、1995年(平成7年)、坂本善三美術館館長に就任する。なお、坂本善三と姓は同じであるが、血縁関係はない。
小林 トミ(こばやし トミ、1930年5月15日 - 200… 小林 トミ(こばやし トミ、1930年5月15日 - 2003年1月2日)は、日本の市民運動家、画家。市民グループ「声なき声の会」の中心メンバーとして安保闘争、反戦活動に従事し、鶴見俊輔や高畠通敏らとベ平連スタイルの市民運動の原型をつくった。 茨城県土浦市に生まれる。父親はパン屋を営んでいたが、米相場に手を出して事業不振に陥り、1934年(昭和9年)に一家で千葉県浦安町(現・浦安市)に移って下駄と鼻緒の行商を始めた。 東京都立葛飾高等女学校(現・東京都立南葛飾高等学校)に進学するも、1944年(昭和19年)11月以降は授業はなかった。1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲後、一家は浦安も危ないと判断し、土浦市に疎開。
長尾 弘子(ながお ひろこ、1930年5月6日 - 2023… 長尾 弘子(ながお ひろこ、1930年5月6日 - 2023年10月5日)は、日本画家。徳島県徳島市出身。徳島市立高等女学校(現徳島市立高等学校)卒業。 1939年に和田青華のもとで日本画を学び、1946年には徳島市立高等女学校にて高岡何有に師事。その後、第1回徳島県展初出品で特選となって以降、特選を重ね、現在は特別出品となる。 1993年にそごう徳島店美術画廊にて個展を開く。2010年に徳島県郷土文化会館にて画業70年を記念した個展「日本画展-この道七十年のあしあと」を開く。 2001年に徳島新聞文化賞、徳島県文化賞、地域文化功労者文部科学大臣表彰を受賞。
橘野 富彦(きつの とみひこ、1930年4月29日 - 19… 橘野 富彦(きつの とみひこ、1930年4月29日 - 1994年12月24日)は、日本の洋画家。国画会会員。 山口県生まれ。肖像画を描きながら全国を旅していた洋画家の父の影響で、幼い頃から絵画に没頭する。1950年、東京芸術大学油学科卒業後、フランスのパリで洋画に影響を受け、帰国し洋画家安井曽太郎に師事。国画会で第29回国画会展1955年にプールブ賞、1956年に30周年記念賞を受賞し、翌年には早くも同会会員となり、異例の若さで入会する。数々の賞を受賞し、名誉会員として名が刻まれる。妻は二科会会員の恵委子(1932年 - 2002年1月)。女子美術大学を卒業し渡仏していた彼女と、パリで知り合った。
菊地 隆知(きくち りゅうち、1930年2月28日 - 20… 菊地 隆知(きくち りゅうち、1930年2月28日 - 2018年11月3日)は日本の版画家。山形県長井市出身。版画家棟方志功の兄弟弟子(版画家平塚運一に師事)。古民家、廃屋などの田舎の風景、子ども、最上川や雪景色など郷土の風景を題材とした作風で知られる。 その他、山形県長井市の文化誌、月刊「芳文」の表紙を長らく担当した。
保田 春彦(やすだ はるひこ、1930年2月21日 - 20… 保田 春彦(やすだ はるひこ、1930年2月21日 - 2018年1月20日)は、日本の彫刻家・画家。武蔵野美術大学名誉教授。 1930年和歌山県生まれ。父は、南方熊楠の肖像彫刻で有名な彫刻家の保田龍門。娘婿は彫刻家の西村浩幸。 東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業。1958年2月より10年近くヨーロッパ各地で滞在、制作を行う。オシップ・ザッキン等に師事。1968年、日本に帰国。1975年に武蔵野美術大学教授に就任し、1999年まで在職した。2018年1月20日、老衰のため死去。
浮田 克躬(うきた かつみ、1930年2月17日 - 198… 浮田 克躬(うきた かつみ、1930年2月17日 - 1989年8月30日)は、洋画家。 1930年2月17日、東京都杉並区に江幡寛夫の長男として生まれる。母が病気のため、母方の祖父である政治学者の浮田和民により育てられる。のち離婚のため、浮田姓を名乗る。高座郡茅ケ崎尋常高等小学校の4年時に第1回聖戦美術展を見て感動し、油絵画家を志す。その後、藤嶺学園藤沢中学校に入学。14歳の時には小林萬吾に石膏デッサンの個人指導を受けている。 中学3年修了後に15歳で東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)油画科に特例で入学する。安井教室に入り、安井曾太郎と伊藤廉の指導を受ける。1950年に20歳で東京美術学校油画科を卒業。
後藤 純男(ごとう すみお、1930年1月21日 - 201… 後藤 純男(ごとう すみお、1930年1月21日 - 2016年10月18日は、日本画の画家。 昭和5年(1930年)、千葉県東葛飾郡木間ヶ瀬村(現野田市)に生まれる。昭和7年(1932年) に埼玉県北葛飾郡金杉村(現松伏町)へ転居。昭和61年(1986年)に内閣総理大臣賞を受賞、昭和63年(1988年)から平成9年(1997年)まで東京藝術大学美術学部の教授を務めた。平成18年(2006年)に旭日小綬章受章。平成28年(2016年)に日本芸術院賞・恩賜賞を受賞する。 歌人の米川千嘉子は姪。 2016年10月18日、敗血症により死去。86歳没。