平仲 明信(ひらなか あきのぶ、男性、1963年11月14日… 平仲 明信(ひらなか あきのぶ、男性、1963年11月14日 - )は、日本の元プロボクサー。戸籍上の姓名は平仲 信明(ひらなか のぶあき)、一時期のリングネームは平仲 伸章。沖縄県島尻郡具志頭村(現・八重瀬町)出身。元WBA世界ジュニアウェルター級王者。 沖縄ボクサーの系譜では初めて、地元沖縄のジム(沖縄ジム。現琉球ボクシングジム)から世界王者となった。 元日本フェザー級王者の平仲信敏は5人兄弟の末弟。 南部農林高校2年生の終わりにボクシングを始め、数か月後に同じ沖縄県代表の新垣諭と共にインターハイで優勝。ライバル校たる興南高校の監督であり高校の先輩でもある金城真吉からも指導を受けた。 日本大学農獣医学部時代の1984年にはロサンゼルス五輪ボクシングウェルター級に出場し、初戦となった2回戦で敗退した。
髙橋 良秋(たかはし よしあき、1963年(昭和38年)9月… 髙橋 良秋(たかはし よしあき、1963年(昭和38年)9月28日 - )は、日本のボクサー。 拓殖大学出身。セントラルスポーツ所属で、1988年の夏季オリンピックに男子ウェルター級で出場し、1回戦敗退した。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
田村 栄敏(たむら ひでとし、1963年9月14日 - )は… 田村 栄敏(たむら ひでとし、1963年9月14日 - )は、日本のプロボクサー。大阪府東大阪市出身。 1998年1月16日、大阪で行われたIBFアジアバンタム級王座決定戦に日本代表として出場、アルバート・レシィラー(インドネシア代表)に1RKO負けを喫した。 2001年10月23日、同じく大阪で、同王座を保持し続けていたレシィラーに挑戦し、3RKO勝ち。因縁の対決を制し、IBFアジアバンタム級王座を獲得した。 なお、この間にはIBFの世界ランキング入り(バンタム級・最高位14位)も果たしている。 その後、死去した前会長に代わり、所属していた大光ライトスポーツジムを継承、現在は同ジム会長職にある。
猪﨑 かずみ(いざき かずみ、1963年3月2日 - )は、… 猪﨑 かずみ(いざき かずみ、1963年3月2日 - )は、日本の元女子プロボクサー。鳥取県米子市出身。花形ボクシングジム所属。2児の母親で、最年長女子プロボクサーとしてギネスブック2011からの記録保持者でもあった。 岡山市議会議員の鬼木のぞみは実姉。元米子市議会議員の中川健作は継父[要出典]。アイドルのChelipの藤井美音は姪[要出典]。 鳥取県立米子南商業高等学校(現・鳥取県立米子南高等学校)時代は陸上選手(走り幅跳び)としてインターハイにも出場。卒業後はユニチカに入社して競技を続けるが、2年で退社してエアロビクスのインストラクターに転じる。 ボクシングと出合ったのは2人目を出産してインストラクターに復帰しようとした35歳の時。
猪﨑 かずみ(いざき かずみ、1963年3月2日 - )は、… 猪﨑 かずみ(いざき かずみ、1963年3月2日 - )は、日本の元プロボクサーである。鳥取県米子市出身。花形ボクシングジム所属。2児の母親。最年長女子プロボクサーとしてギネスブック2011からの記録保持者であった。
佐藤 正男(さとう まさお、1963年3月 - )は、日本の… 佐藤 正男(さとう まさお、1963年3月 - )は、日本のキックボクサー。日本キックボクシング連盟第3代日本ライト級王者。渡邉キックボクシングジム所属。トレーナー。法政大学法学部卒業。東京都世田谷区経堂在住。 幼少の頃より、中国拳法、空手、柔道、剣道を学び、20歳の時に東孝率いる空手道大道塾総本部(現・NPO法人国際空道連盟・全日本空道連盟大道塾)に入門。 後に北斗旗空手道選手権歴代王者となる西良典、長田賢一、加藤清尚らと練習を共にする。 その後、国際式ボクシング帝拳ジムに入門。当時トレーナーであったプロボクシング元WBA・WBC世界スーパーフェザー級王者 小林弘(現・TIKYOH小林ボクシングジム会長)の指導を受ける。
黒岩守(くろいわ まもる、1962年12月16日 - )は、… 黒岩守(くろいわ まもる、1962年12月16日 - )は、昭和時代に活躍した日本のボクサー。ロサンゼルスオリンピック、ソウルオリンピックに日本代表として出場した。現役時代はアシックス所属。2007年に退社した後、地元で営業マンの傍らアマチュアボクシングのA級審判員として活動している。 出身地は群馬県前橋市。出身校は群馬県立伊勢崎工業高等学校、日本大学(同級生に赤城武幸)。 同じくロス五輪代表で後にプロデビューした平仲明信・東悟は大学の1年後輩に当たる。
三浦 国宏(みうら くにひろ、1962年8月20日 - )は… 三浦 国宏(みうら くにひろ、1962年8月20日 - )は、日本の元アマチュアボクシング選手。岩手県下閉伊郡岩泉町出身。ロサンゼルス・ソウルオリンピック日本代表。 岩手県立岩泉高等学校でボクシングを始め岩泉町出身でボクシング監督・佐々木達彦と教員住宅でマンツーマンで暮らし、2年の時にはインターハイベスト8、3年のインターハイで優勝。 卒業後、国鉄バス、岩泉農協に勤務して全日本社会人選手権優勝。 1983年、拓殖大学進学。沖縄で行われたアジア選手権ウェルター級で銅メダル獲得。 1984年、瀬川正義とともに岩手初のオリンピックボクシング代表としてロサンゼルスオリンピックに出場、初戦敗退。 1985年、全日本選手権ライトウェルター級で初優勝。
赤城 武幸(あかぎ たけゆき、本名:赤木 武幸、1962年6… 赤城 武幸(あかぎ たけゆき、本名:赤木 武幸、1962年6月27日 - )は、日本の元プロボクサーである。宮崎県宮崎市出身。日章学園高等学校、日本大学卒業。現役時代は新日本木村ボクシングジム所属。元日本ジュニアライト級王者。現在は本千葉ボクシングジム会長。 実母も教員の母子家庭で育ち、中学1年生から近所のボクシングジムに通い、高校3年でインターハイバンタム級制覇、日大在学中の1984年、全日本選手権ライト級で優勝。日本代表としてロサンゼルスオリンピック予選に出場し優勝。しかし、協議の結果補欠にまわされる。 卒業後は鳥取県立米子東高等学校の教員としてアマチュアを続け、全日本3連覇を果たす。1986年の世界選手権、ソウルアジア大会にも出場した。
横田 広明(よこた ひろあき、1961年10月19日 - )… 横田 広明(よこた ひろあき、1961年10月19日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロボクサー(左ボクサーファイター)。現在は横田スポーツジムの会長。 現役時代はアートネイチャー池袋支店長を務めながらリングに上がる「サラリーマンボクサー」として話題を呼んだ。また、2023年に野中悠樹に更新されるまで国内男子プロボクサー最年長勝利記録(45歳7か月)を持っていた。 1979年3月、17歳でプロデビュー。同年9月、4戦目で初黒星を喫し、最初の引退。 1987年6月、8年ぶりの現役復帰。同年の東日本スーパーバンタム級新人王決定戦に出場したが、12月の決勝戦で引き分け、敗者扱いとなる。 1990年10月、日本王座初挑戦。
尾崎 富士雄(おざき ふじお、1961年10月7日 - )は… 尾崎 富士雄(おざき ふじお、1961年10月7日 - )は、日本の元プロボクサー。青森県八戸市出身。帝拳ボクシングジム所属。階級はウェルター級。ニックネームは和製デュラン。 八戸工業大学第一高等学校時代にインターハイライトウェルター級準優勝、1980年5月19日、デビュー戦で奥秋照雄と対戦し、1RKO勝ちを収めた。 東日本ジュニアウェルター級新人王を獲得するが、全日本新人王決定戦では西日本の赤井英和に3RKO負けを喫した。 1982年8月6日、成田城健が持つ日本ライト級王座に挑戦し、判定で奪取。 1983年6月3日、シャイアン山本に判定で敗れ王座陥落するも、9月2日の再戦で判定で奪還。しかし、12月2日、友成光に7RKO負けを喫し、再び陥落。
船木 鷹虎(ふなき たかとら、1961年7月13日 - )は… 船木 鷹虎(ふなき たかとら、1961年7月13日 - )は、日本の男性元キックボクサー。本名は船木 実(ふなき みのる)。 娘がヘラヘラ三銃士のさおりん。 東北高校2年の春に、仙台青葉ジムに入門。1978年11月に「ヤンガー船木」のリングネームでプロデビューを果たした。このリングネームは1988年に所属するジムの会長から改名されるまで変わらなかった。 1982年7月、藤原敏男が返上した新格闘術ライト級王座決定戦を斉藤京二と争い、ドローに終わった。しかし左ハイキックで斉藤のアゴを折る重傷を負わせた。翌月新格闘術世界ライト級王者になった藤原敏男と対戦。5RKO負けするも善戦した。 1987年5月25日に日本ムエタイ連盟設立記念興行の初代ウェルター級王者決定戦に出場。
石津 純一郎(いしづ じゅんいちろう、1961年2月19日 … 石津 純一郎(いしづ じゅんいちろう、1961年2月19日 - )は、香川県高松市出身のボクシング解説者である。プロボクシング姫路木下ボクシングジムのマネージャーを務めている。横浜国立大学経済学部卒業。 姫路木下ジムのマネージャーとして、地方ジムのハンディを乗り越え、スーパーフライ級の川端賢樹、ミドル級の江口啓二を日本チャンピオンに、金井晶聡の連続KO日本記録を作った。 選手にタイトルマッチのチャンスを作ることで定評がある。姫路木下ジムは、2000年からの10年間で20試合のタイトルマッチを行ったが、地方ジムとしては驚異的な多さである。 CS放送のスカイAで、解説者を務めることがある。 東洋太平洋チャンピオンの新田渉世(川崎新田ボクシングジム会長)とは、横浜国立大学の先輩後輩の関係であり、二人一緒にスカイAで解説をしたことがある。
六車 卓也(むぐるま たくや、1961年1月16日 - )は… 六車 卓也(むぐるま たくや、1961年1月16日 - )は、日本の元プロボクサー。大阪府大阪市旭区出身。元WBA世界バンタム級王者。大阪帝拳所属。スタミナとタフネスが身上の連打型の右ファイターで、「エンドレス・ファイター」の異名を持った。 近大附属高校(在学中はラグビーに所属)、近畿大学理工学部卒業。 大学1年の冬休みに大阪帝拳ジムに入門し、アマチュアボクシング3戦2勝1敗を経てプロボクサーとなった。 1981年4月9日、プロデビュー(2RKO勝ち)。 1981年12月7日、西日本フェザー級新人王獲得。同時に全日本新人王決定戦への出場権も得る。 1982年2月15日、杉谷満に判定勝で全日本フェザー級新人王獲得。
大和田 正春(おおわだ まさはる、1961年1月12日 - … 大和田 正春(おおわだ まさはる、1961年1月12日 - )は、日本のプロボクサー。第37代日本ミドル級王者。東京都練馬区出身。 在日米軍兵士であったアメリカ人の父と日本人の母との間に生まれたハーフで、褐色の肌にスキンヘッド、口髭というその風貌から和製ハグラーと呼ばれた。16勝中KO勝利が14との戦績が示す通りの強打者であったが、その反面、11敗中KO負けが9と打たれ弱くキャリアの前半は勝ち負けを繰り返していたが、キャリア後半にはその強打でビッグアップセットや逆転KOを演出し、スリリングな試合を繰り広げた。スーパーフェザー級でデビューの後、徐々に階級を上げ、ミドル級で日本チャンピオンに上り詰めた。
浜田 剛史(はまだ つよし、1960年11月29日 - )は… 浜田 剛史(はまだ つよし、1960年11月29日 - )は、日本の元プロボクサー。本名・旧リングネーム:浜田 剛(読み同じ)。沖縄県中頭郡中城村出身。元WBC世界スーパーライト級王者。沖縄県立沖縄水産高等学校卒業。帝拳ボクシングジム所属。現在はプロボクシング解説者、健康食品会社社長。帝拳プロモーション代表。入場曲は『ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO』。 浜田の育った家は総勢21人もの大所帯であった。浜田自身が7人兄弟の末っ子ということもあり、さすがに親の目が届きにくかったのか、幼いころは朝から晩まで自然の中で遊んで育った。 6歳上の実兄・雄二の影響で小学生の頃からプロボクサーを志す。
高城 正宏(たかぎ まさひろ、1960年8月10日 - )は… 高城 正宏(たかぎ まさひろ、1960年8月10日 - )は、日本の元プロボクサー。リングネームと本名は同一。東京都出身。元日本スーパーフェザー級王者(2度防衛)。現役時代は帝拳所属。 八王子高等学校卒業。 1978年7月4日、プロデビューも敗戦。2戦目で初勝利。 1988年2月16日、今井房男から日本スーパーフェザー級王座を奪取。 1989年1月9日、3度目の防衛戦で赤城武幸に敗れ陥落。 10月9日、赤城との再戦で敗戦、引退。 引退後はスポーツクラブインストラクター経て、2001年8月1日にクラブ会員だった元駒澤大学ボクシング部専属コーチの村野健とともにM.Tボクシングジム開業しオーナー兼マネージャーに。
高見 公明(たかみ ひろあき、1960年8月7日 - )は、… 高見 公明(たかみ ひろあき、1960年8月7日 - )は、アマチュアボクシング選手・指導者である。佐賀県出身。 大阪体育大学浪商高等学校にて2年連続インターハイ優勝。その後大阪体育大学を経て、公立学校教員(地方公務員)として奈良県立王寺工業高等学校に赴任。教員の傍らアマチュアボクサーとして全日本選手権出場し4度優勝。大学の1年先輩に元東洋太平洋フライ級チャンピオン松村謙二がいる。 王寺工業高校教員時代にロサンゼルスオリンピックにバンタム級で出場。(3回戦敗退) 1991年、奈良県立奈良工業高等学校に赴任。同校でボクシング部を設立。アトランタ・シドニー五輪2大会出場、全日本選手権10連覇4階級制覇の辻本和正、元WBA世界スーパーフライ級チャンピオン名城信男、女子アマチュア6連覇の釘宮智子、元東洋太平洋ライトヘビー級チャンピオン寺地永の次男拳四朗らを輩出した。
渡嘉敷 勝男(とかしき かつお、男性、1960年7月27日 … 渡嘉敷 勝男(とかしき かつお、男性、1960年7月27日 - )は、日本の俳優、テレビタレント、YouTuber、元プロボクサー、元WBA世界ライトフライ級王者。現役時代は協栄ボクシングジムに所属。沖縄県コザ市(現・沖縄市)出生、兵庫県宝塚市出身。 沖縄市生まれだが、親の仕事の関係で乳児時代に兵庫県宝塚市に住居を移転したため、同市で高校までを過ごした。浪速工業高等学校中退。 現役時代の代名詞は“ヤンバルクイナ”。タレント転向後は「トカちゃん」という愛称の方が知られている。 高校時代は喧嘩に明け暮れる不良少年であった。 1977年1月30日、テレビでWBA世界ライトフライ級タイトルマッチ具志堅用高対ハイメ・リオス(パナマ)を観たことがきっかけでボクシングを始めようと思い立つ。
野木 丈司(のぎ じょうじ、1960年4月30日 - )は、… 野木 丈司(のぎ じょうじ、1960年4月30日 - )は、日本の元プロボクサー、トレーナー。千葉県出身。 ボクサーを目指すも、持ち前の足の速さから、船橋市立高根中学校では陸上部で活躍。千葉県立佐倉高等学校陸上部監督であった小出義雄から、直々にスカウトされ、1976年4月に同校入学。小出の直接指導を受け、県大会5000mで優勝、さらに県高校駅伝では1区(10km)で区間新をマークし、初優勝に貢献。佐倉高校を第29回全国高等学校駅伝競走大会(1978年)出場に導く。 卒業後、当時の早稲田大学競走部監督であった中村清から誘いを受けるが、ボクサーの夢を捨て切れず小出の紹介でミカドジムに入門。プロボクサーとなり3戦3勝(1KO)をマークしたが、ジムが協栄ジムに吸収合併されることになり、その際起きたトラブルにより、当時の協栄会長金平正紀の圧力を受けた結果10年間1試合の出場も許されずに延々と干され続け、1991年に引退した。
大橋 克行(おおはし かつゆき、1960年4月14日 - )… 大橋 克行(おおはし かつゆき、1960年4月14日 - )は、日本の男性プロボクサー。最高ランクは日本バンタム級1位。神奈川県横浜市磯子区出身。カワイジムに所属していた。171cmと長身のアウトボクサー。横須賀学院高等学校および横浜調理師専門学校出身。
松村 謙二(まつむら けんじ、男性、1960年2月15日 -… 松村 謙二(まつむら けんじ、男性、1960年2月15日 - )は、日本のプロボクサー。兵庫県高砂市出身。JA加古川ジム→KTT河合ジム所属。
松田 利彦(まつだ としひこ、1960年1月 - )は、日本… 松田 利彦(まつだ としひこ、1960年1月 - )は、日本の男性キックボクサー、現マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟審判部長。埼玉県狭山市出身。 プロボクサーとして韓国でIBF世界ジュニアフライ級王座に挑戦した経験もある。 以前から空手に興味を持っていた松田は、高校2年の時に電柱に張られていた道場生募集のポスターを見つけ、空手やキックボクシングを指導する士道館に入門する。入門3か月後に先輩に勧められキックボクシングを始める。18歳でプロデビュー。新格闘術日本フライ級王者になる。第一回格闘技の祭典では林田俊彦とマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟(MA連盟)フライ級王座決定戦にて延長戦の末、判定勝ち、初代王者になる。
友利 正(ともり ただし、1959年12月28日 - )は、… 友利 正(ともり ただし、1959年12月28日 - )は、日本の元プロボクサー。沖縄県那覇市出身。元WBC世界ライトフライ級王者。トレーナーはデビュー当初は三迫将弘、世界戦の直前からエディ・タウンゼント。 私立沖縄高校(現、沖縄尚学高校)3年時に1977年度全日本高校モスキート級チャンピオンとなった。 1978年5月25日、18歳で三迫ジムからプロデビュー。デビューから7連勝(1KO)を飾ると、翌1979年の全日本ライトフライ級新人王を獲得した。 いつしか「具志堅二世」と呼ばれるようになり当然、世界への道も順調に歩むものだと思われた。しかし、世界戦へ挑んだ時の友利は勝ったり負けたりを繰り返す中堅ボクサーになっていたのである(精神面を鍛え直すため、会長三迫仁志が知り合いの僧侶のいる寺院に預けたこともあった)。
トミーズ雅(トミーズまさ、1959年〈昭和34年〉12月24… トミーズ雅(トミーズまさ、1959年〈昭和34年〉12月24日 - )は、日本のお笑い芸人、司会者、俳優、歌手、元プロボクサー。お笑いコンビ・トミーズのボケ(結成当初はツッコミ)担当。立ち位置は向かって右。本名は北村 雅英(きたむら まさひで)。 大阪府大阪市生野区巽出身。大阪市淀川区在住。血液型はA型。身長177 cm、体重80 kg。 大阪府立住吉高等学校卒業、大阪経済大学経済学部中退。趣味はマラソン、料理、ゴルフ、ジェットスキー。既婚者で3女の父親。 漫才師になる前は進光ボクシングジム所属プロボクサーで、1979年西日本ミドル級新人王、最高ランクは日本スーパーウェルター級1位。13戦10勝(9KO)3敗の成績を残し、KO負はなかった。
穂積 秀一(ほずみ しゅういち、1959年12月8日 - 2… 穂積 秀一(ほずみ しゅういち、1959年12月8日 - 2017年1月11日)は、日本のプロボクサー。群馬県邑楽郡出身。帝拳ボクシングジム所属、駒込高等学校卒業。 ライトフライ級とフライ級で日本タイトル2階級制覇(フライ級史上最多6度防衛)、WBA世界フライ級王座に2度挑戦。 担任トレーナーは当初は小林弘、途中から桑田勇。現役時代はKKベストセラーズに勤務していた。 東邦ジム練習生としてアマチュアボクシングを経験(通算16戦8勝8敗)。 1977年11月30日、高校3年でプロデビュー。 1980年8月29日、日本ライトフライ級王者友利正に挑戦し、2-0の判定勝ちで王座を獲得した。その後、王座を返上した。
五代 登(ごだい のぼる、1959年10月14日 - )は、… 五代 登(ごだい のぼる、1959年10月14日 - )は、日本の元プロボクサー。本名は田中 敏之(たなか としゆき)。埼玉県所沢市出身。第27代日本フェザー級王者。第19代日本スーパーフェザー級王者。第35代日本ライト級王者。 現役時代は本名でヨネクラボクシングジム所属選手としてプロデビュー、後にリングネームを田中 健友と改め、さらにトーア・ファイティングボクシングジム(現・ファイティング原田ボクシングジム)への移籍とともに五代登と改めた。現在は五代ボクシングジム会長。 3人兄弟の末弟。高校を1か月で退学し、15歳の時、ガッツ石松、柴田国明らが現役選手として所属していたヨネクラジムに入門。 そのセンスは早くから天才的と評され、日本人選手として初めて同一王座の3階級制覇を達成したが、奔放な性格とむら気のために王座を長く防衛できないこともあった。
杉谷 実(すぎや みのる、1959年7月4日 - )は、日本… 杉谷 実(すぎや みのる、1959年7月4日 - )は、日本の元プロボクサー。北海道茅部郡南茅部町(現:北海道函館市)出身、函館大学付属有斗高等学校卒業。現役時代は協栄ボクシングジム所属。第10代日本スーパーライト級王者。元プロボクサーの杉谷満は弟、元プロ野球選手の杉谷拳士は甥(満の次男)にあたる。 弟である杉谷満も協栄ボクシングジムの元プロボクサーで日本フェザー級王者を獲得し、史上3組目の兄弟日本王者となった。2人の甥姪がおり、甥である杉谷拳士は元プロ野球選手。
新藤 栄作(しんどう えいさく、1958年11月28日 - … 新藤 栄作(しんどう えいさく、1958年11月28日 - )は、日本の俳優、アクティングラボ・無現(旧:劇団無現)の主宰者、元キックボクサー。和歌山県出身。エ・ネスト所属。身長172cm 体重68kg 股下80cm。血液型はAB型。一時期、芸名を同じ読みの進藤 栄作としたが、短期間で元の字に戻した。 和歌山県美山村寒川(現:日高川町)出身。摂陵高等学校(現・早稲田大阪高等学校)、奈良大学中退。 学生時代は大阪スタヂアムにあった芦原道場で石井和義に極真空手を学ぶ。 大学中退後、プロキックボクサーとなるために上京、プロとしてデビューを果たすも「自分の考えていた世界と違う」として進路を変更して演劇集団 円の演技研究所へ入所し俳優に転身。
大竹 重幸(おおたけ しげゆき、1957年12月16日 - … 大竹 重幸(おおたけ しげゆき、1957年12月16日 - )は、日本の男性元プロボクサーである。元協栄ボクシングジムのマネージャーで、会長代行やプロボクシングトレーナーを務めた。福島県白河市生まれ東京都新宿区出身。 西城正三に憧れ中学1年で協栄ジムの門を叩き、中央商業高校1年でインターハイ出場(当大会には興南高校3年だった後の同門具志堅用高も出場)。 卒業後の1978年にプロデビュー。最高位でジュニアライト級5位までランクを上げたが、怪我のため現役続行を断念。通算戦績3勝(1KO)5敗。 引退後は金平正紀会長(当時)の下でトレーナーに転向。後に高橋勝郎の後を受けてマネージャーも兼任。佐藤修、坂田健史を世界王者に育て上げ、第18回(2007年度)エディ・タウンゼント賞を受賞した。
古口 哲(こぐち さとし、男性、1957年11月28日 - … 古口 哲(こぐち さとし、男性、1957年11月28日 - 2021年11月(または10月末)は、日本の元プロボクサー、トレーナーである。古口・協栄ボクシングジム会長。栃木県今市市出身。 作新学院高等学校時代には3年次の1975年と4年次の1976年に全日本高校フライ級王者となり、日本大学進学後までにアマチュア61連勝を記録。2013年に李健太に更新されるまで日本記録であった。1978年世界ボクシング選手権大会にもバンタム級日本代表選手として出場。 モスクワオリンピック出場も期待されながら1979年にプロ転向を宣言。ジムの間では争奪戦となったが、一時国際ジムと契約も、高校時代に笹崎ジムと契約し
鈴木 啓正(すずき ひろまさ、1957年9月24日 - )は… 鈴木 啓正(すずき ひろまさ、1957年9月24日 - )は、日本のアマチュアボクシング選手・プロボクシングトレーナー経験者。東京都新宿区出身。拓殖大学第一高等学校および拓殖大学出身の経済学士。帝拳所属。 高校、大学とアマチュア選手として活躍し、会社員を経て1981年プロボクシング・トレーナーとなる。1987年から1991年までプロボクシング界から離れていたが長野ハルマネージャーの要請で復帰し2010年春まで務めた。 川口力哉や三澤照夫、石本康隆を入門当初に指導。大和心のOPBFタイトル獲得当時、また松田直樹の最強後楽園優勝当時の担当トレーナー。本田明彦帝拳会長の決断により、木村鋭景担当の鈴木が大和を、大和担当の桑田勇が木村を、担当交換した時期がある。
小林 光二(こばやし こうじ、1957年8月27日 - )は… 小林 光二(こばやし こうじ、1957年8月27日 - )は、日本の元プロボクサー。角海老宝石ボクシングジム所属。元WBC世界フライ級王者。元リングマガジン世界フライ級王座。 子供のころは体育を苦手にしており、ボクシングを始めるまで腕相撲で女の子に負ける程の非力な青年であった。元々はデザイナー志望であり、健康維持のためにボクシングを始めた。 1978年12月12日、プロデビュー(3回KO勝ち)。 1979年12月23日、東日本フライ級新人王。全日本同級新人王決定戦への出場権を獲得。 1980年2月21日、全日本フライ級新人王決定戦に出場。渡辺二郎と対戦し、初回KO負け。プロ初黒星。 1984年1月18日、25戦目で世界王座に初挑戦。
荻原 千春(おぎわら ちはる、1957年(昭和32年)2月1… 荻原 千春(おぎわら ちはる、1957年(昭和32年)2月13日 - 2024年(令和6年)6月20日)は、日本のボクサー。 茨城県出身。茨城県立笠間高等学校、東京農業大学を経て、自衛隊体育学校在学中に、1984年ロサンゼルスオリンピックに男子ライトミドル級で出場し、3回戦敗退した。全日本ボクシング選手権大会では8連覇を記録し、1983年のアジア選手権でも優勝を果たした。1986年アジア競技大会で銀メダルを獲得したのを最後に、現役を引退。 その後は自衛隊体育学校にボクシング指導者として勤め、55歳で定年退職後はアマチュア審判を務めたほか、慶應義塾大学でコーチを務めるなどした。 2024年6月20日、心筋梗塞のため埼玉県内の病院で死去。
亀田 昭雄(かめだ あきお、1956年11月19日 - 20… 亀田 昭雄(かめだ あきお、1956年11月19日 - 2022年4月16日)は、栃木県出身の元プロボクサーである。ミカドジム→協栄→バトルホーク風間ジム所属。日本王座2階級を制したが、東洋太平洋王座と世界王座獲得には失敗した。協栄ジム所属時は「具志堅用高を超える逸材。200年に一人の天才」と称された。 1975年に全日本アマチュアボクシング選手権大会優勝。 1977年3月15日、エドモンド・ゴーベイアを2RTKOで沈め、プロデビューを飾る。 1978年4月28日、辻本章次を5RKOで下し、日本ウェルター級王座獲得。この試合まで7戦連続KO勝利。 8度の防衛を重ねた後、1981年日本王座返上。 1982年7月4日、一階級下のジュニアウェルター級でWBA王座に挑むが、アーロン・プライヤーに6RTKO負け。
小田桐 幸雄(おだぎり ゆきお、1956年(昭和31年)2月… 小田桐 幸雄(おだぎり ゆきお、1956年(昭和31年)2月10日 - )は、日本のボクサー。 青森県弘前市出身。弘前電波工業高等学校を経て、拓殖大学に入学する。同校在学中に、1976年モントリオールオリンピックにフェザー級で出場し、3回戦で敗退した。 ほか、1976年(昭和51年)全日本選手権フェザー級優勝、第8回アジア選手権ライト級準優勝、1977年(昭和52年)ベオグラード世界選手権出場などの結果を残した。 引退後は消防署員となり、弘前消防署西北分署などに勤務。ほか、弘前ボクシング協会理事長として後進の育成に当たった。
シーザー武志(シーザーたけし、1955年8月17日 - )は… シーザー武志(シーザーたけし、1955年8月17日 - )は、日本のキックボクサー、シュートボクサー、俳優。シュートボクシング協会およびシーザージム会長。 1972年にキックボクサーとしてプロデビューし、日本キックボクシング協会でウェルター級王座を獲得。UWFへの関与を経て、1985年に投げ技、立った状態での関節技を認める立ち技格闘技「シュートボクシング」を創設。シュートボクシングでは1988年にホーク級(-75kg)で世界王座を獲得。 山口県長門市出身。母子家庭で育ち、少年期は喧嘩に明け暮れ、不良としてその名を轟かせた。更生のため16歳からキックボクシングを始めると、「キックボクシングの方が喧嘩より面白い」と感じるようになり大阪の西尾ジムから1972年にプロデビュー。
渡辺 二郎(わたなべ じろう、1955年〈昭和30年〉3月1… 渡辺 二郎(わたなべ じろう、1955年〈昭和30年〉3月16日 - )は、元プロボクサー(大阪帝拳ジム所属)。 岡山県小田郡矢掛町で生まれ、大阪府で育つ。血液型B型。浪商高等学校(現・大阪体育大学浪商高等学校)、追手門学院大学文学部英米語学文学科卒業。高校時代は水泳部、大学時代は日本拳法部で活躍し、世界選手権で4位となった。 大学卒業後に体重別のボクシングを志向、大阪帝拳ジムにアマチュアとして入門した。アマ戦績は4戦4勝。 引退後も実業家、ボクシング解説者、講演家、テレビタレントなど多方面で活躍していた。 1995年、金融機関からの融資返済に絡む恐喝未遂事件で逮捕され、起訴猶予処分で釈放された。
コング斉藤(コング さいとう、本名:斉藤 明(さいとう あき… コング斉藤(コング さいとう、本名:斉藤 明(さいとう あきら)、1954年12月3日 - )は、日本の元プロボクサー。千葉県柏市出身。ヘビー級ボクサーとして米国を拠点に活動し、日本ではリキジムに所属した。 学生時代はバレーボールの選手だった。 米国に渡り溝口宗男(マック溝口)の下でトレーニングを重ね、1975年4月10日、ハワイでデビューするが2戦連続KO負け。 1977年4月19日、3戦目を1RKOで初勝利。以降KOを重ねる。 ヘビー級ボクサーとしてオクラホマシティを拠点に5戦連続KO勝利を上げると、朝日新聞、読売新聞は特派員を送り、一部には「(モハメド・)アリ、斉藤と防衛戦へ 来年3月」と報じられるなど日本でも話題となった。
石井 幸喜(いしい こうき、1954年8月3日 - )は、日… 石井 幸喜(いしい こうき、1954年8月3日 - )は、日本の元プロボクサーである。北海道千歳市出身。 黒人アメリカ兵の父と日本人の母とのハーフ。 15戦12勝(7KO)2敗1分
内山 昇(うちやま のぼる、1954年4月20日 - )は、… 内山 昇(うちやま のぼる、1954年4月20日 - )は、日本の元アマチュアボクシング選手。鹿児島県鹿屋市出身。 鹿児島県立鹿屋工業高校ボクシング部所属選手としてアマチュア・デビュー。 1973年4月より中央大学ボクシング部所属。全日本アマチュアボクシング選手権大会ではライトフライ級で3連覇(1974・1975・1976年)。1974年には、アジア競技大会銅メダル、1975年にはアジア選手権銀メダルを獲得した。 1976年にカナダ・モントリオールで行われたオリンピックライトフライ級に出場するも、1回戦敗退。 プロからも声がかかるも、大学最後の試合で目を負傷し、引退。
中島 成雄(なかじま しげお、男性、1954年1月18日 -… 中島 成雄(なかじま しげお、男性、1954年1月18日 - )は、日本の元プロボクサー。茨城県出身。ヨネクラボクシングジム所属。WBC世界ライトフライ級王者。駒澤大学卒業。大学出身としてロイヤル小林に続く世界王者第2号。
石垣 仁(いしがき ひとし、1953年9月25日 - )は、… 石垣 仁(いしがき ひとし、1953年9月25日 - )は、日本の元アマチュアボクシング選手、元プロボクサー。1976年モントリオールオリンピックバンタム級日本代表。第35代日本同級王者。プロ現役時代はヨネクラボクシングジム所属。 山形県飽海郡出身。酒田南高等学校、専修大学卒業。 1974年、テヘランで開催されたアジア大会にバンタム級で優勝。1974年から3年連続で全日本選手権同級に優勝を収めた。村田英次郎とは、アマチュア時代に3戦し、1976年モントリオールオリンピック出場権をかけた試合も含め、いずれも判定勝ちしている。 1976年、モントリオールオリンピックにバンタム級の日本代表として出場し、7月20日に行われた1回戦では2R0分36秒DQ(disqualify; 反則などによる失格)勝利を収めたが、7月24日の2回戦でモントリオール・モスクワ2大会連続銅メダリストとなるヴィクトール・リバコフ(英語版)(ソ連)と対戦し、0-5のポイント負けを喫した。
関 義文(せき よしふみ、1953年(昭和28年)4月23日… 関 義文(せき よしふみ、1953年(昭和28年)4月23日 - )は、日本のボクサー。 中央大学在学中に、1976年モントリオールオリンピックに男子ウェルター級で出場し、2回戦で韓国のキム・ジュソク(英語版)を破ったが、3回戦でカナダのカルメン・リンケ(英語版)に敗れた。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
三迫 将弘(みさこ まさひろ、1952年4月14日 - 20… 三迫 将弘(みさこ まさひろ、1952年4月14日 - 2024年4月26日)は、日本の元プロボクサー。戸籍上は三迫 正廣(読み方は同じ)。トレーナー経て現在は、調布三迫ボクシングジム会長(東京都調布市布田1-47-1辰巳ビル6F)。旧名称は、梅ヶ丘ボクシングジム(2020年4月3日から変更)。 愛媛県新居浜市で出生し、少年時代から野球に打ち込み、新田高校から広島県の広陵高校に転校し、高2の夏と高3の春の甲子園にレギュラー、主に2番遊撃手として出場。同期に佐伯和司ら。巨人・山下哲治スカウト部長、角川博(軟式)は1学年下となる。 明治大学進学が内定していたが、野球選手としては決して恵まれていない身長173cmの体格や家庭の経済状態を憂慮しプロボクサーを志し、1971年4月叔父である三迫仁志の経営する三迫ボクシングジム入門し翌月プロデビュー。
バズソー 山辺(バズソー やまべ、1952年4月1日 - )… バズソー 山辺(バズソー やまべ、1952年4月1日 - )は、日本のプロボクサー。本名は山辺 信二(やまべ しんじ)。茨城県水戸市出身。元日本ライト級王者。 1971年、田辺ジム練習生時にハワイ州へ渡り、同年6月22日、ハワイ州ホノルルでプロデビュー。 1973年5月11日、船橋ジム所属として日本デビュー戦で村上広行と対戦し、2回KO勝ち。 1973年7月2日、日本での2戦目で日本ライト級王者高山将孝に挑戦し、10回判定勝ちで王座を獲得した。 1974年2月18日、高山将孝と再戦し、9回KO負けで王座から陥落した。 その後は再度ハワイを主戦場にした。 1976年4月1日、31戦目で世界王座初挑戦。
フリッパー上原(フリッパーうえはら、1952年2月8日 - … フリッパー上原(フリッパーうえはら、1952年2月8日 - )は、日本のプロボクサー。本名は上原 晴治(うえはら はるじ)。沖縄県那覇市出身。興南高校卒、日本大学文理学部体育学科中退。協栄ボクシングジム所属。元日本フェザー級王者。 WBA世界ジュニアライト級王者・上原康恒は実兄である。 日大一年1970年、全日本アマチュアボクシング選手権大会・フェザー級で優勝を果たした。同年、兄・康恒もライトウェルター級で優勝している。 大学を3年で中退して協栄ボクシングジムに入門、1973年1月11日、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスでプロデビュー。ロサンゼルスで4戦4勝し、同年10月28日に5戦目で日本デビュー。
ハリケーン照(ハリケーンてる、本名照喜名 俊三(てるきな し… ハリケーン照(ハリケーンてる、本名照喜名 俊三(てるきな しゅんぞう)、1952年2月3日 - 2014年1月)は、日本の元プロボクサー。第34・36代日本バンタム級王者。プロ現役時代は石川ボクシングジム所属。 沖縄県那覇市出身。沖縄県立沖縄工業高等学校卒業。 沖縄工業高校在学中はアマチュアで活動。 卒業後に上京し、1970年9月23日、石川ジムよりプロデビュー。 1979年7月16日、阿南弘生を2回KOで倒し日本バンタム級王座奪取。 初防衛戦で阿南とのダイレクトリマッチを返り討ちにする。 1980年1月28日、モントリオールオリンピック日本代表からプロ転向した石垣仁に判定で敗れ王座陥落。 リングネームをハリケーン・テルからハリケーン照に改め、ダイレクトリマッチで9回KO勝利し王座に返り咲く。
工藤 政志(くどう まさし、1951年8月24日 - )は、… 工藤 政志(くどう まさし、1951年8月24日 - )は、日本のプロボクサー。身長173cm。元日本ミドル級王者。元WBA世界スーパーウェルター級王者。元リングマガジン世界スーパーウェルター級王座。レスリング出身でインターハイ3位という成績を持ち、ミュンヘンオリンピックの代表から外れたためにプロボクシングに転向したという経歴を持つ。 1951年、秋田県南秋田郡五城目町に生まれる。小学2年生の時に父を亡くした工藤は、新聞配達などで家計を助けた。五城目町はレスリングが盛んで、工藤も進学先の秋田県立五城目高等学校ではレスリング部に所属、インターハイ65kg級3位入賞などの成績を残す。高校卒業後もレスリングを続けるため自衛隊体育学校に入学するも、1972年にミュンヘンオリンピックの代表選考から漏れ、ボクシングへ転向する。
稲毛 忠治(いなげ ちゅうじ、1951年7月26日 - )は… 稲毛 忠治(いなげ ちゅうじ、1951年7月26日 - )は、日本の元キックボクサー。本名は松田正。高知県高知市出身。元日本ウェルター級、元東洋ウェルター級チャンピオン。 キックボクシング全盛時代毎週のようにテレビに登場した。細身ながら、国際式で鍛えた左ストレートを武器に高いKO率を誇った。 1972年5月17日斎藤修治(目黒ジム)を破り、日本キックボクシング協会ウェルター級新人王獲得。 1974年1月5日乗富悦司(目黒ジム)を破り、日本キックボクシング協会(第4代)日本ウェルター級王座獲得。 1975年1月2日富山勝治(目黒ジム)を破り、日本キックボクシング協会(第5代)東洋ウェルター級王座獲得。