大刀 豊(だいとう ゆたか、1914年2月19日 - 199… 大刀 豊(だいとう ゆたか、1914年2月19日 - 1998年1月10日)は、日本の地方公務員。札幌市交通局長、札幌副都心開発公社社長などを歴任した。 北海道札幌市または石狩郡当別町出身。実家は旅館「大刀館」を営んでいた。札幌第二中学校(現・北海道札幌西高等学校)を経て、1932年に北海道帝国大学予科農類へ入り、1938年に北海道帝国大学農学部卒業、卒業論文は「インドネシアの植民政策」。 大学卒業後は満洲興業銀行に入社、日中戦争の勃発に伴い、入社から8ヶ月後の同年12月に月寒連隊に現役招集され1943年5月まで兵役につき、復職後1945年3月に満州で再招集され、北支戦線で3年間に84回の戦闘を経験し「人斬り大刀中隊長」の異名で報じられ、大尉に進むものの、その後1945年8月にソ連軍に捉えられ、戦後3年間のシベリア抑留の後、1948年に引き揚げし当別町で郵便局長を務めていた弟の家に居候しながら職を求めた。
川原 幸男(かわはら ゆきお、1913年〈大正2年〉8月30… 川原 幸男(かわはら ゆきお、1913年〈大正2年〉8月30日 - 1985年〈昭和60年〉9月24日)は、昭和期の地方公務員、政治家。東京都港区長(3期)。 東京に生まれる。1937年(昭和12年)に法政大学専門部経済科を卒業する。 1935年(昭和10年)に東京市芝区役所に入り、港区総務部長、教育長、助役を務めた。1975年(昭和50年)に初の区長公選で港区長に当選する。三期連続当選するも、任期中の1985年(昭和60年)9月24日に死去。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
河野 義克(こうの よしかつ、1913年7月12日 - 20… 河野 義克(こうの よしかつ、1913年7月12日 - 2003年7月17日)は、日本の内務官僚、国会職員。参議院事務総長、国立国会図書館長。 社会教育家・貴族院議員の田澤義鋪とヨウ(洋子)の次男として、父の任地である静岡県安倍郡安東村(現・静岡市)で生まれた。 旧姓は田澤。1934年、21歳のときに会計検査院長・河野秀男の養子となった。田澤家と河野家とは、父親同士がかねてから親交があってそれが縁となった。 成蹊小学校、旧制・成蹊高等学校(文科甲類)卒業。 1937年、東京帝国大学(現・東京大学)法学部政治学科卒業。在学中、高等文官試験行政科に合格している。 大学卒業後、内務省に採用となり4月に岐阜県属として赴任した。
白井 重麿(しらい しげまろ、1913年(大正2年)7月12… 白井 重麿(しらい しげまろ、1913年(大正2年)7月12日 - 1984年(昭和59年)11月25日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第10代市長、満州国官吏。栄典は正六位・勲四等・旭日小綬章。
大原 久友(おおはら ひさとも、1912年 <大正元年> 1… 大原 久友(おおはら ひさとも、1912年 <大正元年> 12月26日 - 1994年 <平成6年> 9月25日)は、日本の畜産学者・農学者・元地方公務員。専門は、畜産学・酪農学・草地学。学位は、農学博士(北海道大学・1945年)。元帯広畜産大学学長。位階は従三位。恩師は井口賢三。 北海道苫前郡羽幌町生まれ。1936年(昭和11年)北海道帝国大学農学部を卒業し、北海道庁技官。1942年(昭和17年)帯広高等獣医学校教授。1945年、北海道大学より農学博士の学位を取得。学位論文の題は「北海道産笹類の家畜栄養学的研究」。1950年(昭和25年)帯広畜産大学畜産学部教授。1969年(昭和44年)、同学長事務取扱。
曺 在千(チョ・ジェチョン、朝鮮語: 조재천、1912年11… 曺 在千(チョ・ジェチョン、朝鮮語: 조재천、1912年11月9日または11月19日 - 1970年7月5日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の教育者、裁判官、検察官、警察官、政治家。慶尚北道知事、法務部長官、内務部長官、第3~6代韓国国会議員を歴任した。 本貫は昌寧曺氏(朝鮮語版)、号は逸雲(イルン、일운)。カトリック教徒。政治家の曺国鉉は親戚。 全羅南道光陽郡津月面またはソウルまたは慶尚北道達城郡出身。1933年大邱師範学校講習科卒。全羅北道青蝦公立普通学校教師、全羅北道南原公立普通学校訓導、全羅北道産業部農務科嘱託を経て、1940年中央大学法学科卒業または中退。在学中の1940年8月朝鮮弁護士試験合格、同年10月日本高等文官試験司法科合格。
朴 哲雄(パク・チョルン、朝鮮語: 박철웅、1912年6月1… 朴 哲雄(パク・チョルン、朝鮮語: 박철웅、1912年6月14日 - 1999年1月8日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の教育者、公務員、政治家、実業家。朝鮮大学校の共同設立者で第1・4・7代総長、第2・4・5代韓国国会議員(第5代は参議員)。 本貫は密陽朴氏、族譜名は玟洙。漢字表記は朴喆雄とも。父は朝鮮末期の農民戦争に参加した農民軍の朴学俊。実業家の朴誠燮、コラムニストの朴誠賢(朝鮮語版)ら4男3女がいる。 全南高興出身。全州新興学校在学中光州学生運動に参加して全州刑務所に29日間収監された。1941年明治大学政経学部政治科卒。1943年日本高等科法制経済教員免許取得。全羅南道運輸課長、光州夜間大学院設立者、朝鮮大学園設立者・総長、朝鮮大学附属中学院・中学校設立者・校長・理事長、初代・第4・7代朝鮮大学校総長(1948年5月26日~1960年5月26日、1963年11月6日~1980年8月6日、1986年12月2日~1987年12月25日)、光州新報社長、無所属および自由党所属の民議員、無所属の参議員、国際連合韓国協会全南支部長・韓国首席代表、誠実工高技術学校設立者、木浦工業技術校設立者、木浦護国工高校設立者、全羅南道8郡農工技術校設立者、高麗セメント会長を務めた。
塚本 俊雄(つかもと としお、1912年(明治45年)3月2… 塚本 俊雄(つかもと としお、1912年(明治45年)3月29日 - 1990年(平成2年)9月1日)は、昭和から平成初期の地方公務員、政治家。東京都目黒区長(4期)。 静岡県磐田市生まれ。目黒区総務課長、1965年総務部長、監査委員、1970年助役を経て、1975年区長。 1990年9月1日、急性心不全のため任期中に死去。78歳没。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
大瀬 久市(おおせ きゅういち、1912年(明治45年)2月… 大瀬 久市(おおせ きゅういち、1912年(明治45年)2月24日 - 1949年(昭和24年)4月10日)は、昭和前期の教育者、公吏(地方公務員)、政治家。衆議院議員。 長崎県北松浦郡出身。長崎県師範学校を卒業し、長崎県公立小学校訓導、東京市王子小学校訓導、赤羽小学校訓導を務めた。 その後苦学して1939年(昭和14年)東京文理科大学(のち東京教育大学)教育学科を卒業した。東京市役所に入り、同書記、東京都属、同主事を歴任した。 1947(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙に長崎県第2区から民主党公認で出馬して次点で落選。1949(昭和24年)1月の第24回総選挙では無所属で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
権 仲敦(クォン・ジュンドン、朝鮮語: 권중돈/權仲敦、19… 権 仲敦(クォン・ジュンドン、朝鮮語: 권중돈/權仲敦、1912年2月17日または11月17日 - 1983年または1985年6月27日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の公務員、政治家。第10代国防部長官、第2・3・4・5・8代韓国国会議員、国家保衛立法会議議員を歴任した。 本貫は安東権氏(朝鮮語版)。日本名は権田仲敦。 日本統治時代の慶尚北道永川郡(現・永川市)出身。普成高等普通学校(現・普成高等学校(朝鮮語版))を経て、1940年早稲田大学政治経済学部卒。慶尚北道労働局長、永川穀物株式会社理事、初代総選挙慶尚北道選挙委員、民主党慶尚北道党委員長・副議長、憲政同志会宣伝部長、民主党政権の国防部長官(通算第10代、1960年9月12日~1961年1月30日)、新民党中央常任委員会議長(1961年)、民政党中央委員会議長(1964年)・全党大会議長、民衆党指導委員(1967年)、新民党指導委員(1969年)・鍾路区党委員長(1972年)・全党大会議長・政務委員(1973年)、国家保衛立法会議議員(1980年)を務めた。
岸田 實(きしだ みのる、1912年〈明治44年〉1月1日 … 岸田 實(きしだ みのる、1912年〈明治44年〉1月1日 - 2012年〈平成24年〉12月12日)は、日本の台湾総督府官僚、国会職員。参議院事務総長、国立国会図書館長を歴任した。位階は正三位。 台湾出身。出生時より岸田氏に養子に出される。岸田氏は、京都府舞鶴市野村出身。岸田氏方の親戚には岸田久吉、岸田正吉などがいる。実父方の森氏は奄美大島で銃火薬を扱っていた家系である。実母方は大森氏で宮崎県出身。 台北第一師範学校附属小学校、台北高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学法学部卒業。台湾総督府に勤務。同総督府では、法制事務を所管する官房審議室、書記官、台南州北門郡郡守などを歴任。 終戦後は台湾総督府残務整理事務所で勤務後に日本に引揚げ、国会職員として勤務。
吉武 素二(よしたけ もとじ、1911年 <明治44年> 1… 吉武 素二(よしたけ もとじ、1911年 <明治44年> 11月28日 - 1999年 <平成11年> 2月14日)は、日本の気象技官。気象庁長官を務めた。位階は従三位。 山口県防府市出身。1934年に東京帝国大学理学部物理学科を卒業し、後に中央気象台に入庁。1966年に仙台管区気象台長を経て、1969年から1971年までに気象庁長官を務めた。 1981年に勲二等旭日重光章を受章 1999年2月14日に多臓器癌のために死去。87歳没。死没日付をもって従六位から従三位に進階した。
寒川 喜一(かんかわ きいち、1911年(明治44年)10月… 寒川 喜一(かんかわ きいち、1911年(明治44年)10月27日 - 1990年(平成2年)2月3日)は、日本の地方公務員、政治家。衆議院議員。 徳島県出身。1933年に関西大学専門部第1部法科を卒業。大阪府書記となり、地方事務官、大阪府人事委員会事務局長、同府労働部長などを歴任。その後、大阪府職業訓練協会副会長、寒川労働コンサルタント所長、関西大学評議員などを務めた。 1963年(昭和38年)第30回衆議院議員総選挙、次の第31回総選挙で落選。1969年(昭和44年)12月、第32回総選挙で大阪府第1区に民社党から出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた。民社党大阪府支部連合会副会長、同会長代理、同大阪1区連会長、同党本部中央委員、同沖縄対策部会長、民社中小企業政治連合大阪1区連合会会長などを務めた。
新郷 英城(しんごう ひでき、1911年(明治44年)10月… 新郷 英城(しんごう ひでき、1911年(明治44年)10月10日 - 1982年(昭和57年)11月27日)は、日本の海軍軍人、警察官、航空自衛官。海兵59期。最終階級は海軍で中佐、警察で警部補、空自で空将。 1911年10月10日佐賀県に生まれる。佐賀中学校を経て、1928年4月、海軍兵学校に59期生として入校。1931年11月7日兵学校を卒業、少尉候補生として「磐手」乗組、練習航海に出発。1932年7月20日、巡洋艦「羽黒」乗組。1933年2月25日、巡洋艦「愛宕」乗組。4月1日、少尉任官。10月1日、第25期飛行学生拝命。1934年7月2日、館山空付。11月11日、中尉。1935年10月15日、空母「龍驤」乗組。
南波 冀志(なんば きし、明治44年(1911年)10月 -… 南波 冀志(なんば きし、明治44年(1911年)10月 - )は日本の公務員、郷土史家。本名熊夫。 鳥取県日野郡江府町出身。 昭和4年(1929年)10月広島逓信講習所松江支所卒業。松江郵便局採用、以来電信電話事業に従事、鳥取電気通信部庶務課長、鳥取電報電話局次長、郡家電報電話局長歴任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
柄沢 十三夫(からさわ とみお、1911年7月18日 - 1… 柄沢 十三夫(からさわ とみお、1911年7月18日 - 1956年10月20日)は、日本の陸軍軍人、軍医。 長野県小県郡(現・上田市)で小学校教員の次男として生まれた。貧しい柄沢家を背負って立つ跡継ぎとして期待され育てられた。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1929年東京医学専門学校(現東京医科大学)に入学。1933年卒業、陸軍少尉。1936年4月、陸軍軍医学校に入学。軍医中将梶塚隆二が主幹を務める軍陣防疫学教室に所属、細菌学を学んだ。1937年7月、日華事変により学生のまま防疫部の一員として天津に渡り、防疫活動に従事した。この半年前に結婚し、天津にいる間に一女をもうけている。 1939年9月、陸軍軍医学校を卒業。
戸谷 喜一(とや きいち、1911年 - 没年不明)は、日本… 戸谷 喜一(とや きいち、1911年 - 没年不明)は、日本の小説家、元刑務官。 群馬県生まれ。1933年法政大学法科卒。1940年より大審院検事局記録係主任書記官を務める。1943年に出征し、華北方面に派遣される。1944年に復員し、看守長となる。仙台拘置所、大阪拘置所など各地の矯正施設に勤務。1972年に定年退職。その後堺簡易裁判所民事調停委員を11年間務めた。日本カウンセリング学会初回名誉会員、大阪地方裁判所名誉調停委員、勲五等瑞宝章受章。死刑廃止論者。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
山崎 斉(山崎 齊、やまざき / やまさき ひとし、1910… 山崎 斉(山崎 齊、やまざき / やまさき ひとし、1910年(明治43年)11月25日 - 没年不詳)は、昭和期の農林技官及び官僚、政治家。参議院議員(1期)、林野庁長官。板垣退助先生顕彰会創立発起人兼顧問。 高知県香美郡徳王子村(大忍村、徳王子村、香我美町を経て現香南市香我美町徳王子)で、山崎栄の二男として生まれる。1933年(昭和8年)東京帝国大学農学部林学科を卒業した。 農林省に入省し、営林署技師、大館営林署長、農林技官、林野庁林産課長、同業務課長、同計画課長、同指導部長などを歴任し、林野庁長官に1958年(昭和33年)6月から1961年(昭和36年)7月まで在任して退官した。 1962年(昭和37年)7月の第6回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。
山田 利雄(やまだ としお、1910年9月28日 - 200… 山田 利雄(やまだ としお、1910年9月28日 - 2001年10月)は、日本の政治家・元地方公務員。北海道江別市長(1971年 - 1983年)。北海道網走郡美幌町出身。明治大学専門部商科(後の明治大学商学部)卒業。 美幌町の造材屋に生まれるが、早くに父を亡くす。小学校は網走で終えた。 自治講習所で学んだあと、小清水村役場にて4年間勤務する。 それから、東京で新聞販売店を経営していた兄を頼って上京し、1938年(昭和13年)に明治大学商科専門部を卒業した。 芝浦マツダ製作所(後の東芝)の経理として就職し、神戸の子会社に出向するなどしたが、1945年(昭和20年)に故郷近くの湧別町に疎開。太平洋戦争終結後は、湧別定温倉庫の支配人を務めた。
高橋 邦雄(たかはし くにお、1910年〈明治43年〉7月2… 高橋 邦雄(たかはし くにお、1910年〈明治43年〉7月25日 - 1988年〈昭和63年〉8月26日)は、昭和期の地方公務員、政治家。参議院議員(1期)、群馬県副知事。 群馬県群馬郡車郷村富岡(箕郷町を経て現高崎市)で生まれる。旧制高崎中学、旧制松本高校を経て、1936年(昭和11年)京都帝国大学法学部を卒業した。 1936年、群馬県庁に入庁し総務部地方課に配属された。1937年(昭和12年)10月、充員召集令により歩兵第15連隊に入隊し1940年(昭和15年)1月に召集解除となったが、1941年(昭和16年)8月に再度充員召集を受けて東部38部隊に入隊し、1945年(昭和20年)4月に解除された。
山中 吾郎(やまなか ごろう、1910年(明治43年)7月2… 山中 吾郎(やまなか ごろう、1910年(明治43年)7月23日 - 1983年(昭和58年)6月2日)は、昭和期の教育者、地方公務員、政治家。衆議院議員。 和歌山県伊都郡名倉村(高野口町を経て現橋本市高野口町)出身。1933年(昭和8年)東京高等師範学校文科を卒業した。 山形県立山形中学校(現山形県立山形東高等学校)教諭、三重県師範学校教諭、京都府師範学校教諭などを歴任。1943年(昭和18年)7月、高等試験行政科試験に合格。1945年(昭和20年)岩手県庁に入庁。学務課長兼厚生課長、労働部長、教育部長を歴任し、1948年(昭和23年)岩手県教育委員会教育長に就任。その後、公共企業体等労働委員会地方調停委員、岩手大学講師、私立修紅短期大学助教授などを務めた。
植松 雅俊(うえまつ まさとし、1910年(明治43年)6月… 植松 雅俊(うえまつ まさとし、1910年(明治43年)6月19日 - 1958年(昭和33年)11月14日)は、昭和期の宮内官、政治家。京都府華族(子爵)。貴族院議員。正五位。 1910年(明治43年)6月、式部官・植松雅道の長男として生まれる。 1935年(昭和10年)九州帝国大学法文学部を卒業。同年以降、宮内省諸陵寮雇、同嘱託、殿掌などを務めた。 父の死去に伴い、1941年(昭和16年)7月1日、子爵を襲爵した。 1946年(昭和21年)6月28日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選した。研究会に所属し、1947年(昭和22年)5月2日まで在任した。 1958年(昭和33年)11月、死去。
深沢 松美(深澤、ふかさわ まつみ、1910年(明治43年)… 深沢 松美(深澤、ふかさわ まつみ、1910年(明治43年)3月20日 - 1976年(昭和51年)6月21日)は、昭和期の地方公務員、政治家。松本市長(公選第4代)。 位階は正五位。勲三等瑞宝章。 長野県東筑摩郡波田村(現:松本市)で、深沢忠太、か津へ の長男として生まれた。1929年(昭和4年)3月、松本商業学校卒業後、東京片倉生命保険、信濃毎日新聞に勤務。1941年(昭和16年)波田村収入役に就任し、のち助役となる。1951年(昭和26年)から長野県議会議員に5回当選。この間、中小企業振興審議会長、総合開発審議会委員などを務める。 1969年(昭和44年)松本市長に当選し2期務め、病のため1976年(昭和51年)3月に退任した。
平塚 勝一(ひらつか かついち、1910年(明治43年)2月… 平塚 勝一(ひらつか かついち、1910年(明治43年)2月4日 - 1983年(昭和58年)10月29日)は、昭和期の地方公務員、政治家。埼玉県所沢市長。 所沢市出身。1933年(昭和8年)海軍経理学校修了。1948年(昭和23年)所沢町役場に就職。所沢市収入役、助役を経て、1967年(昭和42年)所沢市長に当選し、4期在任した。市長在任中の1983年(昭和58年)10月29日、肝硬変のため73歳で死去。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
宮坂 完孝(みやさか さだたか、1909年 <明治42年> … 宮坂 完孝(みやさか さだたか、1909年 <明治42年> 12月15日 - 1996年 <平成8年> 11月13日)は、日本の朝鮮総督府官僚、国会職員。参議院事務総長、国立国会図書館長を歴任した。位階は正三位。 長野県埴科郡埴生村(現千曲市)出身。旧制長野中学(現、長野県長野高等学校)を経て早稲田大学法学部卒業。朝鮮総督府、貴族院事務局、文部省を経て参議院事務局に奉職。1965年第5代参議院事務総長に就任。1972年に退任し、同年国立国会図書館長に就任。1980年勲一等瑞宝章を受勲した。1996年死去。死没日付をもって従六位から正三位に進階した。
山中 要作(やまなか ようさく、1909年 <明治42年> … 山中 要作(やまなか ようさく、1909年 <明治42年> 12月6日 - 2003年 <平成15年> 12月13日)は、日本の地方公務員、経営者。埼玉県副知事、テレビ埼玉初代社長を歴任。埼玉県出身。 1943年に中央大学法学部を卒業。 山形県地方課長を経て、埼玉県庁で商工部長、企業部長、総務部長を歴任し、1969年には副知事に就任。1973年に埼玉県住宅供給公社理事長を経て、1978年から1983年までにテレビ埼玉初代社長を務めた。 1980年に勲三等旭日中綬章を受章。 2003年12月13日老衰のために死去。94歳没。
鮫島 眞男(さめしま さねお、1909年9月2日 - 199… 鮫島 眞男(さめしま さねお、1909年9月2日 - 1995年10月2日)は、日本の国会職員、日本の法学者。第4代衆議院法制局長。衆議院法制局退官後は、城西大学と近畿大学の教授を務めながら商法を研究。位階は正三位。 鹿児島県日置郡東市来村長里(現・日置市東市来町長里)にて生まれ、1922年3月鶴丸尋常小学校卒業。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)へ入学し、2年次から修了まで首席。1926年に同中を4年修了して、第七高等学校造士館 (旧制)へ進学し同校文科でも首位の成績。1930年3月第七高等学校造士館文科卒業。同年東京帝国大学法学部法律学科に入学、1933年、同学科を卒業。 1932年の高等試験司法科に合格し、1933年大学卒業後函館地方裁判所司法官補に任じられ、1934年12月より判事(東京地方裁判所、水戸地方裁判所)。
高野 務(たかの つとむ、1909年(明治42年)7月20日… 高野 務(たかの つとむ、1909年(明治42年)7月20日 - 1981年(昭和56年)8月9日)は、昭和時代の土木工学者、内務官僚、建設技監。 新潟県に生まれる。1934年(昭和9年)東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、富山県経済部土木課勤務、新潟県土木技師兼道路技師を経て、1940年(昭和15年)内務省土木局に奉職する。1943年(昭和18年)防空総本部技師を兼任し、終戦を経て、建設省関東地方建設局の横須賀国道改良、相模工事事務所長、京浜工事事務所長を歴任し、1952年(昭和27年)道路局国道課長に就任した。 ついで企画課長、技術参事官、中部地方建設局長、道路局長を経て、1961年(昭和36年)建設技監に就任するが、「河野旋風」のため就任から僅か9カ月で退官した。
村岡 重夫(むらおか しげお、1909年(明治42年)4月2… 村岡 重夫(むらおか しげお、1909年(明治42年)4月26日 - 1980年(昭和55年)7月25日は、日本の経済学者・地方公務員。専門は、北海道経済論・経済政策。札幌短期大学教授・同学長を歴任。 大阪市南区生まれ(父金三郎、母須恵長男)。1931年(昭和6年)官立大阪外国語学校卒業。南満州鉄道に入社。満州国産業部勤務を経て、満州国興安総省に入省。昭和16年山本清と婚姻。1945年終戦とともに北海道に引き揚げ。その後、北海道庁に入庁。1955年北海道庁総務部総合企画開発本部係長。札幌短期大学非常勤講師(~1969年)。1962年北海道立総合経済研究所(北海道庁研究機関)主任研究員。1969年札幌短期大学商学科教授。
坂口 敏之(さかぐち としゆき、1909年3月29日 - 1… 坂口 敏之(さかぐち としゆき、1909年3月29日 - 1999年)は、日本の医師、軍医。 熊本県玉名郡梅林村(現・玉名市)に生まれる。熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1927年卒業)を経て、熊本医科大学を卒業した。 1937年7月には上海に派遣され患者輸送部隊の医師として、負傷した兵士を野戦病院から後方へ送る仕事に従事した。太平洋戦争開戦後は軍医として徴兵され、マレー作戦に従軍し、1942年秋まで占領地を移った。 戦後は福岡県大牟田市の三井三池鉱業所病院に勤め、定年退職後に開業医となった。1952年に熊本大学より医学博士号を取得している。1975年には『肥後の子供歳時記』を刊行した。
打田 峻一(うちだ しゅんいち、1909年1月15日 - 1… 打田 峻一(うちだ しゅんいち、1909年1月15日 - 1992年6月19日)は、日本の法学者・弁護士・元国家公務員。 専修大学名誉教授。多数の門下生(研究者)を育てる。 「打田畯一」とも表記される。 1909年1月15日、東京市麹町区三番町に生まれる。東京府立第一中学校・第一高等学校を経て、1932年に東北帝国大学法文学部卒業、1934年には同大学院(旧制)修了。 その後、東京で弁護士として活動し、1945年東京大空襲の戦災に遭遇。再び東北大学の勝本正晃の下で助手を務め、1948年に衆議院法制局入局。1957年から1979年に定年退職するまで専修大学法学部教授にあった。1992年、脳梗塞のため死去。
柴田 淑次(しばた よしじ、1908年 <明治41年> 9月… 柴田 淑次(しばた よしじ、1908年 <明治41年> 9月1日 - 1982年 <昭和57年> 7月26日)は、日本の国土交通技官、理学博士。気象庁長官を務めた。位階は従三位。 京都府出身。旧制京都一中、旧制三高を経て、1931年に京都帝国大学理学部宇宙物理学科を卒業し、同年に気象庁に入庁した。1960年に仙台管区気象台長、1963年に海洋気象部長を経て、1965年3月から1969年3月までに長官を務めた。1969年から1979年までに拓殖大学教授を務めた。 1978年11月に勲二等瑞宝章を受章。 1982年7月26日に急性肺炎のために死去。73歳没。死没日付をもって正六位から正四位、さらに従三位に進階した。
野知 浩之(のち ひろゆき、1908年(明治41年)7月2日… 野知 浩之(のち ひろゆき、1908年(明治41年)7月2日 - 1994年(平成6年)9月9日)は、昭和期の農林技官、政治家。参議院議員(1期)、農学博士。 福島県出身。1935年(昭和10年)東京帝国大学農学部を卒業した。 福島県農地部耕地課長、農林省農地局開墾建設課長、同かんがい排水課長、農林省仙台農地事務局長などを歴任した。 1962年(昭和37年)7月の第6回参議院議員通常選挙で全国区に自由民主党公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。この間、参議院農林水産委員長などを務めた。 その他、全国土地改良事業団体連合会顧問、全国農業土木技術連盟顧問、全国農業土木コンサルタンツ顧問などを務めた。
立花 敏男(たちばな としお、1908年(明治41年)5月7… 立花 敏男(たちばな としお、1908年(明治41年)5月7日 - 1994年(平成6年)3月13日)は、昭和期の労働運動家、地方公務員、政治家。衆議院議員。 兵庫県淡路島出身。1936年(昭和11年)東京帝国大学文学部哲学科を卒業した。 1930年(昭和5年)『第二無産者新聞』の編集に加わる。1931年(昭和6年)逮捕投獄された。小岩井浄、木下半治らの「日本政治経済研究所」に参加。1936年(昭和11年)人民戦線事件で検挙された。 1946年(昭和21年)神戸市役所に入所し、同年、日本共産党に入党。神戸市役所書記、神戸労働保険組合書記、神戸市職員組合副委員長、神戸市労働組合連合会書記長などを歴任。
高橋 浩之(たかはし ひろゆき、1908年3月2日 - 19… 高橋 浩之(たかはし ひろゆき、1908年3月2日 - 1962年1月23日)は、日本の農林省官僚、農林技官。コシヒカリ生みの親。 広島県高田郡川根村(現在の安芸高田市)出身。旧制三次中学(現在の三次高校)、旧制広島高校卒業。三代続いた医者の息子で、医者になることを望まれたが解剖を嫌い九州大学農学部に進み育種学を専攻。中学時代は落第もしたが大学時代の成績は優秀で、1935年卒業時には九大からただ一人推薦されて農林省農事試験場に採用された。農林技官として関東東山農業試験場(現在の埼玉県鴻巣市)に赴任し小麦の品種改良などを研究。5年後の1940年、新潟県農事試験場に転勤し水稲新品種育成試験地の主任となる。
李 鍾純(イ・ジョンスン、朝鮮語: 이종순、1908年または… 李 鍾純(イ・ジョンスン、朝鮮語: 이종순、1908年または1909年 - 1989年4月14日)は、日本統治時代の朝鮮の公務員、大韓民国の政治家。面長、保寧郡・洪城郡の郡守、第2・5代韓国国会議員を歴任した。 忠清南道扶余郡生まれ。漢文修学を経て京城高等予備学院卒、早稲田大学法科・経済科で校外生として卒業。独学で普通文官試験に合格し、忠清南道理財課職員、扶余郡・青陽郡勧業課長、面長、保寧郡(現・保寧市)郡守、洪城郡郡守(1946年)、無所属の第2代民議員、議員公権制限国会審査委員、新民党忠南道党委員長を務めた。1967年時点では農業を営んでいた。 1989年4月14日、ソウル市龍山区梨泰院の自宅アパートで死去。
紅林 麻雄(くればやし あさお、1908年〈明治41年〉 -… 紅林 麻雄(くればやし あさお、1908年〈明治41年〉 - 1963年〈昭和38年〉9月16日)は、日本の警察官。静岡県警察の刑事として担当した事件において、数多くの冤罪被害者を生み出した。 現在の静岡県藤枝市出身。 自身が担当した幸浦事件(死刑判決の後、無罪)、二俣事件(死刑判決の後、無罪)、小島事件(無期懲役判決の後、無罪)、島田事件(死刑判決の後、無罪)の各事件で無実の者から拷問で自白を引き出し、証拠を捏造して数々の冤罪を作った。その捜査手法は紅林の部下も含めて静岡県警の警察官に影響を与えることになり、紅林自身は直接捜査に関与しなかったが袴田事件(死刑判決の後、無罪)などの冤罪事件を生む温床ともなった。
御子柴 博見(みこしば ひろみ、1907年12月22日 - … 御子柴 博見(みこしば ひろみ、1907年12月22日 - 2005年11月24日)は日本の地方公務員。元東京都副知事。 長野県生まれ。一家で上京し、旧制東京府立第一中学(東京都立日比谷高等学校)、旧制松本高校文科を経て、1930年東京帝国大学卒業。東京市役所入庁。東京都衛生局総務部長、総務局監査部長、人事部長、人事委員会事務局長、都東京五輪準備事務局長、総務局長を歴任。 東龍太郎都知事の下、1963年から1967年まで副知事を務め、1964年の東京五輪開催に関わる。退任後は首都高速道路公団副理事長、特別区人事委員会委員長、東京厚生信用組合理事長、虎ノ門コンサルタンツ監査役、東京都体育協会副会長、日本体育評議会評議員、東京都スポーツ振興審議会長、日本プロ野球選手会理事、社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会理事長などを歴任。
伊達 慎一郎(だて しんいちろう、1907年(明治40年)1… 伊達 慎一郎(だて しんいちろう、1907年(明治40年)12月6日 - 1994年(平成6年)10月11日)は、日本の政治家、地方公務員、弁護士。島根県知事(1期)。知事退任後、弁護士に登録。 島根県松江市生まれ。旧制松江高等学校を経て東京帝国大学法学部、大同学院を卒業。満洲国政府に勤務し、西安県副県長、鉄鋼司弁事などを歴任する。 終戦で引き揚げ、1947年(昭和22年)島根県職員となる。漁政、財政各課長、総務部長を経て、田部長右衛門知事の女房役として、1960年(昭和35年)から10年間副知事を務め、3期知事を務めた田部の後継者として選ばれ、1971年(昭和46年)4月の島根県知事選挙に立候補した。
神部 俊郎(かんべ としろう、1907年10月23日 - 1… 神部 俊郎(かんべ としろう、1907年10月23日 - 1995年4月14日)は、日本の政治家、実業家、元地方公務員。北海道滝川市長(1期)。 滝川町(現・滝川市)生まれ。滝川市の前身となる8代目滝川町長神部為蔵の孫。1925年北海道庁立滝川中学校卒。1929年早稲田大学専門部法律科卒業後、農業及び土木建築請負業に従事した。その後、1931年6月、札幌土木事務所職員となる。その後、上川郡鷹栖信用購買販売利用組合書記なり、1939年、鷹栖村助役となった。1941年、北海道人造石油に入社した。戦後は滝川化学労働組合執行委員長となった。 1947年4月5日の滝川町長選に出馬し、臨時町長代理を務めた奥山与作らを破って初当選を果たした。
長嶺 将真(ながみね しょうしん、1907年7月15日 - … 長嶺 将真(ながみね しょうしん、1907年7月15日 - 1997年11月2日)は、沖縄県の空手家、警察官。松林流開祖。昭和期を代表する空手家の一人であり、空手史研究家としても知られている。 1907年(明治40年)、那覇市泊村生まれ。17歳から空手を習い始め、19歳から当時の空手の大家・喜屋武朝徳の高弟であった新垣安吉に師事した。1928年(昭和3年)、那覇市立商業学校(現・沖縄県立那覇商業高等学校)卒業後、翌年には歩兵大分連隊に入隊し、済南事変にも参戦した。 1931年(昭和6年)、沖縄県巡査となり嘉手納警察署勤務になったことから、地元に住む喜屋武朝徳に師事することになった。1936年(昭和11年)には、東京にて本部朝基にも師事する機会に恵まれた。
桜井 志郎(櫻井、さくらい しろう、1907年(明治40年)… 桜井 志郎(櫻井、さくらい しろう、1907年(明治40年)4月9日 - 1976年(昭和51年)3月9日)は、昭和期の農林技官、政治家。参議院議員(2期)。旧姓は南日。 富山県上新川郡山室村(現富山市)で南日恒太郎の四男として生まれる。富山中学校(現富山県立富山高等学校)、第四高等学校を経て、1931年(昭和6年)東京帝国大学農学部農学科を卒業した。 1931年、東礪波郡油田村三郎丸(砺波町を経て現砺波市)の大地主、12代・桜井宗一郎の養子となり、農林省に入省した。三重県耕地課長、和歌山県農地部長、農林省土地改良課長、同設計課長、同建設部長などを歴任。この間、東京大学講師、日本農業土木学会副会長、国際かんがい排水委員会日本代表なども務めた。
渡邉 智哲(わたなべ ちてつ、1907年〈明治40年〉3月5… 渡邉 智哲(わたなべ ちてつ、1907年〈明治40年〉3月5日 - 2020年〈令和2年〉2月23日)は、日本のスーパーセンテナリアン、政治家、地方公務員。新潟県上越市浦川原区に在住していた長寿の男性。日本国内並びに世界最高齢男性であった野中正造が2019年1月20日に死去した時点では、日本国内及び世界最高齢男性となっていた(詳細は後述)。ただし、トーマス・ピナレス・フィゲレオ(1906年3月31日 - 2020年9月24日)が世界最高齢男性に認定された為、世界最高齢の男性では無くなっている。 1907年(明治40年)、新潟県東頸城郡浦川原村(現・上越市浦川原区)の農家に生まれる。新潟県立高田農学校(現・新潟県立高田農業高等学校)卒業後、大日本製糖(現・DM三井製糖ホールディングス)に入社し、終戦まで台湾で働いた。
座光寺 久男(ざこうじ ひさお、1907年〈明治40年〉1月… 座光寺 久男(ざこうじ ひさお、1907年〈明治40年〉1月1日 - 1978年〈昭和53年〉11月28日)は、昭和期の地方公務員、政治家。長野県駒ヶ根市長。 長野県下伊那郡上飯田村(現・飯田市)で、座光寺和作、ゆきの二男として生まれた。上飯田高等小学校卒業後、飯田の松濤義塾に学ぶ。1924年(大正13年)4月、上飯田町役場に入り、1933年(昭和8年)長野県庁に転じ長野県書記となり、学務部社会課勤務、飯田職業紹介所勤務、長野県職業課勤務、知事官房秘書課勤務、下伊那地方事務所兵事厚生課長、同総務課長を歴任した。1947年(昭和22年)6月、飯田市助役に就任し、1956年(昭和31年)6月、駒ヶ根市助役に転じた。
李 錫基(イ・ソッキ、朝鮮語: 이석기、1907年または19… 李 錫基(イ・ソッキ、朝鮮語: 이석기、1907年または1908年1月2日 - 1974年6月25日または1975年6月25日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の公務員、政治家、実業家。牙山郡守、公州郡守、第4・5代大田府尹、ソウル特別市副市長、第2・3・5代韓国国会議員を歴任した。 本貫は洪川李氏。仏教徒。元国会議員の方一弘は娘婿。 忠清南道扶余郡出身。1931年京城法学専門学校卒、1939年中央大学法学部卒。弁護士試験、高等文官試験行政科合格。京畿道内務部を経て、1941年に牙山郡守、1945年に公州郡守、忠清南道地方課長、1946年に第4・5代大田府尹、1948年にソウル特別市副市長、1950年に文教部秘書室長、国会議員、1953年に国会内務委員長、以後弾劾裁判所審判官、民主党院内副総務・総務、1967年に新韓党常務委員を歴任した。
内藤 良一(ないとう りょういち、1906年12月26日 -… 内藤 良一(ないとう りょういち、1906年12月26日 - 1982年7月7日)は、日本の軍医。1950年、日本ブラッドバンク(後のミドリ十字)を創業。医学博士。 京都府綾部町出身。茨木中学校、旧制三高を経て、1927年(昭和2年)京都帝国大学医学部に入学し、1931年(昭和6年)に卒業。1936年(昭和11年)に京大大学院を卒業。「バクテリオファージ研究補遺」で医学博士となる。 1937年(昭和12年)からヨーロッパ、アメリカでの研究、情報収集を行った後、陸軍軍医学校防疫研究室の責任者として、731部隊が主導した細菌兵器の開発・研究や人体実験にも関わったとされる。帰国後、東京・戸山の陸軍軍医学校で終戦まで軍医教官として勤務した。
土屋 尹直(つちや ただなお、1906年(明治39年)5月1… 土屋 尹直(つちや ただなお、1906年(明治39年)5月13日- 1979年(昭和54年)9月24日)は、昭和期の実業家、宮内官、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・堤、旧名・忠雄。 華族・堤雄長の三男として生まれ、子爵・土屋正直の養子となる(剱沢小屋雪崩事故で正直の嫡男土屋秀直が死亡した事による)。1938年(昭和13年)12月28日、尹直と改名した。養父の死去に伴い、1939年(昭和14年)1月16日に子爵を襲爵した。 1930年(昭和5年)、東京商科大学を卒業し、三井物産本社に入社。以後、三輪銀行常任監査役、同頭取、式部官兼主猟官、兼内大臣秘書官などを務めた。 1945年(昭和20年)10月25日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
廣枝 音右衛門(ひろえだ おとえもん、1905年(明治38年… 廣枝 音右衛門(ひろえだ おとえもん、1905年(明治38年)12月23日 - 1945年(昭和20年)2月24日)は、台湾総督府警察の警察官、海軍巡査である。毎年9月第三土曜日か日曜日に、台湾・苗栗県南庄郷の勸化堂で慰霊祭が斎行されている。 1905年(明治38年)12月23日、神奈川県足柄下郡根府川村(片浦村を経て現在の小田原市)に生まれる。片浦尋常高等小学校(現・小田原市立片浦小学校)・逗子開成中学・日本大学予科を経て、1928年(昭和3年)に幹部候補生として佐倉歩兵第57連隊へ入隊。軍曹まで昇進する。 満期除隊後、湯河原町の小学校教員となるが、1930年(昭和5年)に職を辞して台湾に渡り、当時難関の職業であった台湾総督府巡査を志願し晴れて合格した。
仲原 善一(なかはら ぜんいち、1905年〈明治38年〉11… 仲原 善一(なかはら ぜんいち、1905年〈明治38年〉11月6日 - 1980年〈昭和55年〉4月4日)は、日本の農林技官、政治家。参議院議員(2期)。 鳥取県東伯郡旭村湯谷(現・三朝町湯谷)出身。農業・仲原勝治の長男。1932年(昭和7年)京都帝国大学農学部農林経済学科を卒業した。 農林省小作官、農林技師、海軍技師、鳥取県農地部長、同農林部長、同経済部長などを歴任。太平洋戦争初頭に海軍民政府要員として南方に派遣された。 1956年(昭和31年)7月の第4回参議院議員通常選挙に鳥取地方区から自由民主党所属で出馬して当選。第6回通常選挙でも当選し、参議院議員を2期務めた。この間、自民党鳥取県連会長、同党政務調査会農林部会副部会長、参議院自民党副幹事長、同国会対策副委員長、第1次池田内閣北海道開発政務次官、参議院農林水産委員長、同地方行政委員長などを務めた。
神本 利男(かもと としお、1905年〈明治38年〉9月18… 神本 利男(かもと としお、1905年〈明治38年〉9月18日 - 1944年〈昭和19年〉9月30日)は、満州国の警察官、日本陸軍のスパイ。 北海道十勝国中川郡本別町仙美里出身。「ハリマオ」こと谷豊を説得し、諜報員として引き入れた人物である。 1905年(明治38年)9月18日、開拓農民・神本利七の次男として生まれる。利七自身は農家だったが、家系は鳥取で先祖代々戦国時代から続く武家の名家だった。 1911年、釧路国足寄郡足寄村の愛冠小学校に入学、三隅小学校高等科を卒業。1920年4月、島根県の祖父宅に渡り、浜田中学に入学。武道では柔道を選択し、背負い投げの神本と呼ばれる。 1926年3月、拓殖大学予科入学。