中園 健司(なかぞの けんじ、1952年10月27日[リンク… 中園 健司(なかぞの けんじ、1952年10月27日[リンク切れ] - 2013年10月6日)は日本の脚本家。 福岡県久留米市生まれ。福岡県立三潴高等学校・西南学院大学商学部卒業。高校、大学と演劇部に所属。高校の時に映画『若者たち』を観て感動し、その時、監督でも役者でもなく、山内久という脚本家に興味を抱く。大学の演劇部時代に、アクセント辞典に書かれていた日本三大アクセント無視地帯に、地元の久留米が含まれていてショックを受ける。 卒業後、福岡での劇団主宰を経て25歳で上京。夕刊紙を新宿駅の売店に数カ所配るバイトや、アルバイト情報の雑誌を配るバイトをする。映画三昧、読書三昧の生活をおくるなか、脚本家中島丈博の自伝的映画『祭りの準備』を見てシナリオ作家への道を決意。
那須 真知子(なす まちこ、1952年10月5日 - )は、… 那須 真知子(なす まちこ、1952年10月5日 - )は、日本の脚本家。夫は映画監督の那須博之(2005年死別)。 福島県いわき市出身。福島県立磐城女子高等学校(現・福島県立磐城桜が丘高等学校)卒業、青山学院大学文学部卒業。中学生時代は短距離走の選手で、元々文学も映画も興味が無かったという。大学卒業後はOLになるも「身に合わなかった」ということで、母親が募集記事を見て勧めてくれたことによりシナリオ学校に入学。1977年、にっかつシナリオコンクールに応募した『横須賀男狩り 少女・悦楽』で脚本家デビューし、翌々年にはテレビドラマ『大都会 PARTIII』で一般作品に進出する。1985年、夫・博之とのコンビで手掛けた『ビー・バップ・ハイスクール』が大ヒットしシリーズ化。
井上 誠吾(いのうえ せいご、1952年〈昭和27年〉9月4… 井上 誠吾(いのうえ せいご、1952年〈昭和27年〉9月4日 - )は、日本の俳優、脚本家、空手家。福岡県宮若市出身。俳優としては本名の他、誠吾 大志の芸名も用いている。 ジャパンアクションクラブ (JAC)に入団後、テレビドラマのレギュラー出演に『大非常線』の伊丹始役、『影の軍団III』の大六役、『柳生十兵衛あばれ旅』の南郷覚之進役、『正義のシンボル コンドールマン』のゼニクレージー役、等がある。 映画では『ラグビー野郎』の有田弘役、『極道渡世の素敵な面々』の白石役、等々に出演。 1990年頃からテレビドラマ・オリジナルビデオ・演劇の脚本を手がけており、Black JAC公演『マグニチュード11』、JAC公演『七人の戦士』、磨心頑公演『モンスタールーム』、等を執筆。
石原 武龍(いしはら ぶりゅう、本名・石原 純一(いしはら … 石原 武龍(いしはら ぶりゅう、本名・石原 純一(いしはら じゅんいち)、1952年7月15日 - 2018年8月24日)は、日本の脚本家。 静岡県生まれ。東京都立両国高等学校卒業(1970年)。武蔵工業大学工学部機械工学科卒業。 かつては、本名の石原純一や石原武竜の名義でも執筆していた。 脚本家の育成にも力を注ぎ、秘かに私塾を開いていた。主な門下生は、旺季志ずか、小澤俊介、末安正子、宮崎健、仲村優果里(中村由加里)、益子梨恵、本田隆朗、政池洋佑がいた。 2018年8月24日、胃がんのため逝去。66歳没。逝去は同年8月29日に公にされた。 公式サイトによると、デビュー作は七人の刑事「俺たちの甲子園」(1979年8月10日、TBS、共同脚本)、実質的なデビュー作は火曜サスペンス劇場「特別病棟の女」(1982年9月14日、日本テレビ)。
寺田 憲史(てらだ けんじ、1952年7月11日 - )は、… 寺田 憲史(てらだ けんじ、1952年7月11日 - )は、日本の作家、脚本家、アニメーション監督。 東京都出身。早稲田大学教育学部卒業。大学在学中に竜の子プロダクションの仕上げのアルバイトとして、アニメーションの仕事に携わるようになる。その後フリーの仕上げマンとして、『宇宙戦艦ヤマト』の波動砲発射時のエアブラシなど様々なスタジオの作品を手がける。また、日活ロマンポルノのコンテストに応募したシナリオが最終選考に残ったことから、アニメーションの仕事と並行してロマンポルノの助監督を務める。 主にアニメの脚本、シリーズ構成や特撮作品の脚本を中心に担当しているが、友人がスクウェアに勤めていた縁でファミコン版『ファイナルファンタジー』の脚本を執筆して以後、家庭用ゲームソフトの制作にも深く携わるようになる。
北浦 嗣巳(きたうら つぐみ、1952年7月8日 - )は、… 北浦 嗣巳(きたうら つぐみ、1952年7月8日 - )は、日本の映画監督、演出家、脚本家、プロデューサー。千葉県出身。 東京造形大学在籍中に実相寺昭雄の監督作品『あさき夢みし』(1974年)にアルバイトで参加し、その後実相寺率いる映像制作集団「コダイ」に所属。円谷プロダクションの『恐竜大戦争アイゼンボーグ』(1977年)に助監督として参加した後、実相寺昭雄監督作品にチーフ助監督として携わる。 その後『西遊記』(1994年)で本編監督と特技監督を務めたのを皮切りに、テレビドラマや映画の監督として活動するほか、舞台やオペラなどの演出も手がける。 『ウルトラマンティガ』(1996年)以降平成ウルトラシリーズの常連スタッフとなる。
土屋 斗紀雄(つちや ときお、1952年6月23日 -)は、… 土屋 斗紀雄(つちや ときお、1952年6月23日 -)は、日本の脚本家・構成作家。「倉成 柊一郎(くらなり しゅういちろう)」の筆名も用いる。1995年から1999年頃まで ”土屋斗紀O”名義を用いていた時期もあった。 東京都品川区出身。小学生から高校生の頃まで広島で過ごす。成蹊大学文学部日本文学科を卒業後は約1年間会社勤め、その後シナリオ学校を経て、30歳少し前の頃に『太陽にほえろ!』のプロット募集に採用されたのをきっかけに脚本家に転身。下積み時代は、小川英に師事した。 シナリオライターとしてのデビュー作は、『太陽にほえろ!』。その後、1980年代半ばからは、テレビアニメの脚本も多数手掛けた。
すずき じゅんいち(本名・鈴木潤一、1952年5月21日 -… すずき じゅんいち(本名・鈴木潤一、1952年5月21日 - )は、日本の映画監督、映画プロデューサー、脚本家。 神奈川県茅ヶ崎市出身。神奈川県立湘南高等学校、東京大学文学部倫理学科卒業。 日活に助監督として入社後、神代辰巳、市川崑らに師事する。日活ロマンポルノ作品でデビューした。 1985年、青年海外協力隊としてモロッコに派遣(昭和60年度2次隊、職種:映像)。モロッコ保健省に配属され、要請の内容は視覚による避妊教育のための映画作成であった。しかし、任期半ばで臀部にできたせつの手術をモロッコで受けるが、予後の状況が芳しくなかった。このため任期を短縮し1年で日本に帰国した。 その後、フリーランスに転じ、多くの作品を発表する。
旦 雄二(だん ゆうじ、1952年3月24日 - )は、日本… 旦 雄二(だん ゆうじ、1952年3月24日 - )は、日本の映画監督、脚本家、CMディレクター、映像クリエイターである。日本映画監督協会会員。 『城戸賞』『ACC賞』『経産省HVC賞』受賞。別名・檀 雄二。大阪府大阪市出身。武蔵野美術大学卒業。 大阪府大阪市生まれ。桃山学院高等学校、武蔵野美術大学(美術デザイン専攻)を卒業。1975年(昭和50年)よりフリーの映画助監督として渡辺護、山本晋也、中村幻児らにつく。見習いサードからセカンドを経てチーフを歴任。 1978年(昭和53年)からCMに従事。CMプロダクション「HAT Inc.(旧CAP)」にて制作、プロダクション・マネージャー、アシスタント・プロデューサー、CMプランナー、アシスタント・ディレクターを担当。
水谷 龍二(みずたに りゅうじ、1952年3月4日 - )は… 水谷 龍二(みずたに りゅうじ、1952年3月4日 - )は、日本の演出家・劇作家・脚本家。水谷竜二名義で活動していた時期もある。 北海道苫小牧市出身。苫小牧工業高等専門学校機械工学科卒。 1952年(昭和27年)生まれ。 工業高等専門学校生時代から映画や文学に傾倒する。 1972年(昭和47年)に上京して大手自動車メーカーに就職するも、5か月で退職。その後テレビで『コント55号のなんでそうなるの?』を観て、自分も台本を書いてみたいと思い、テレビ局に自作のコントの台本を持ち込む。後にその『コント55号のなんでそうなるの?』(日本テレビ系バラエティ番組)で、放送作家デビュー。 1982年(昭和57年)からは、テレビドラマの脚本や、芝居の作・演出を手がける。
大森 一樹(、1952年〈昭和27年〉3月3日 - 2022… 大森 一樹(、1952年〈昭和27年〉3月3日 - 2022年〈令和4年〉11月12日)は、日本の男性映画監督、脚本家。株式会社ファーストウッド・エンタテインメント代表取締役。日本映画監督協会理事、大阪芸術大学芸術学部映像学科学科長。血液型はAB型。 文芸作品から怪獣映画まで幅広いジャンルを手掛ける。独自の視点による人間描写が特徴である。 1952年に大阪府大阪市東住吉区に医師をしている父親の家で生まれる。1961年に父親の転勤で兵庫県芦屋市に転居、芦屋市立精道中学校、六甲高等学校、京都府立医科大学医学部卒業。医師免許を持つ映画監督という希少な人物でもある。 もともと漫画少年であり、手塚治虫や真崎守の作品などに影響を受ける。
村上 龍(むらかみ りゅう、本名:村上 龍之助〈むらかみ り… 村上 龍(むらかみ りゅう、本名:村上 龍之助〈むらかみ りゅうのすけ〉、1952年〈昭和27年〉2月19日 - )は、日本の小説家・映画監督・脚本家。血液型はO型。長崎県佐世保市出身。 武蔵野美術大学在学中の1976年、福生の米軍キャンプで麻薬とセックスに溺れる退廃的な若者たちを描いた『限りなく透明に近いブルー』で群像新人文学賞、及び芥川龍之介賞を受賞。同作は100万部を売り上げた。ベストセラー作家として、村上春樹とともに時代を代表する作家と目された。代表作に、『コインロッカー・ベイビーズ』『愛と幻想のファシズム』『69 sixty nine 』『トパーズ』『五分後の世界』『半島を出よ』などがある。
小林 竜雄(こばやし たつお、1952年 - )は、日本の脚… 小林 竜雄(こばやし たつお、1952年 - )は、日本の脚本家・評論家。東京都出身。 別名・小林竜夫。東京都立北園高等学校を経て、早稲田大学卒業。1978年、『もっとしなやかに、もっとしたたかに』の脚本が城戸賞に準入賞。翌年、藤田敏八監督によって映画化される。以後は脚本、評論を手がけている。
河本 瑞貴(かわもと みずき、1952年 - )は、日本の脚… 河本 瑞貴(かわもと みずき、1952年 - )は、日本の脚本家、演出家。長崎県佐世保市生まれ。長崎県立佐世保北高校卒業。立命館大学中退。 横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)2期卒業。馬場当に師事。 日本映画学校で講師を務める。映像科のほか、俳優科の「漫才」の授業を担当し、ウッチャンナンチャンやナイツの育ての親としても知られている。
中田 信一郎(なかだ しんいちろう、1952年 - )は、日… 中田 信一郎(なかだ しんいちろう、1952年 - )は、日本の映画監督、脚本家。横浜放送映画専門学校(現・日本映画大学)卒業。 慶應義塾大学卒業後、ベルスクール・オブ・ケンブリッジ(英国)に留学。帰国し横浜放送映画専門学校(現・日本映画大学)に入学。卒業後、映画『復讐するは我にあり』等、今村昌平、大林宣彦の助監督を経験。1988年短編映画集『不可思議物語』で映画監督デビューする。 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
今井 詔二(いまい しょうじ、1951年12月27日 - )… 今井 詔二(いまい しょうじ、1951年12月27日 - )は、日本の脚本家。東京都台東区出身。アニメーション執筆時のペンネームは立花あずま。 小学生の時から脚本家志望だった。東京都立墨田川高等学校卒業。大学浪人中にシナリオ研究所へ通い始め、そこの講師だったジェームス三木と知り合い、その縁で1974年、22歳の時に『白い滑走路』(TBS系列、第7話 ジェームス三木との共作)で脚本家デビュー。その後映画監督・山本邦彦の内弟子となり、1976年スタートのテレビドラマ『新・二人の事件簿 暁に駆ける』(大映テレビ、朝日放送 他)で脚本家として一本立ち。その後『はみだし刑事情熱系』、『こちら第三社会部』、『天罰屋くれない 闇の始末帖』のメインライターをつとめ、2時間ドラマでは数多くのシリーズを持つなど活動していた。
長沖 渉(ながおき わたる、1951年10月17日 - )は… 長沖 渉(ながおき わたる、1951年10月17日 - )は、日本のテレビドラマ演出家、脚本家。元大阪芸術大学放送学科教授。 大阪府出身。父は、吉本興業の文芸部長を務めた漫才作家・脚本家で後に帝塚山学院短期大学の学長にもなった長沖一。 大阪府立阿倍野高等学校を経て、1976年に立命館大学文学部(専攻は西洋史)を卒業。同年、NHKに入局。 1996年の『ふたりっ子』など、大阪放送局制作の連続テレビ小説を中心に、多くのドラマ作品の演出を手がけた。 2009年からはフリーの演出家に転向、2010年の朝日放送『夏子と天才詐欺師たち』で初めて民放ドラマの演出を手がけた。 2012年の東海テレビ『鈴子の恋 ミヤコ蝶々女の一代記』(大石静との共同執筆)で脚本家としてもデビュー。
大石 静(おおいし しずか、1951年9月15日 - 、本名… 大石 静(おおいし しずか、1951年9月15日 - 、本名:高橋 静(たかはし しずか))は、日本の脚本家、エッセイスト、作家、女優。 東京都千代田区神田猿楽町出身。日本女子大学文学部卒業。ノート所属。『セカンドバージン』など数々のラブストーリーを手掛け、「ラブストーリーの名手」と評される。夫は舞台監督の高橋正篤。 1951年(昭和26年)東京都千代田区・駿河台にあった旅館「駿台荘」で生まれ育つ(のちに大石の著作のタイトル『駿台荘物語』にもなっている)。同旅館は著名文士等の隠れ場所でもあり、大石の養母がオーナーを務めていた。 1974年(昭和49年)、日本女子大学文学部国文学科(現・日本文学科)卒業。
甲斐 智陽(かい ともあき、本名:高橋茂、1951年8月28… 甲斐 智陽(かい ともあき、本名:高橋茂、1951年8月28日 - )は、日本の演出家、脚本家、音楽家、プロデューサーである。神奈川県相模原市出身。シンガーソングライターとして活動し、1991年にCDをリリース。その後、ポリドール、ポニーキャニオン、ソニーミュージックなどでレーベルプロデューサーを務め、テレビの音楽番組ディレクターを経て、舞台・映像の演出家となる。2003年にタクトバースエンターテイナーズを設立し、代表取締役社長を務める。 1983年、株式会社タクトを設立。 1991年、音源製作、映像制作等を目的とした株式会社シップスエンタープライズ設立、自らアーティスト「甲斐智陽」としてCDリリースを重ねながら新人アーティストの育成に勤める。
斎藤 博(さいとう ひろし、1951年8月17日 - 199… 斎藤 博(さいとう ひろし、1951年8月17日 - 1994年4月24日)は日本の脚本家である。日活ロマンポルノの脚本を多数書いた。 香川県出身。東京都立大学附属高等学校卒業。若松プロダクションで助監督を務めた後、1973年からフリーとなる。1980年代の日活ロマンポルノを支えた脚本家。その後、一般映画の脚本に進出したが、1994年にくも膜下出血のため42歳で死去した。 代表作に『セーラー服 百合族』、『高校教師・成熟』、『不純な関係』等がある。斎藤が脚本担当したTV版『桃尻娘』は、劇中に数々の洋楽のヒット曲(ビートルズ、カーペンターズ、エルトン・ジョン、ビーチボーイズ、スリー・ドッグ・ナイト等)が使われており、著作権管理が数社にまたがり、また高騰化しているのでDVD化は実現されていない。
押井 守(おしい まもる、1951年8月8日 - )は、日本… 押井 守(おしい まもる、1951年8月8日 - )は、日本の映画監督、アニメーション演出家、小説家、脚本家、漫画原作者、劇作家、ゲームクリエイター。東京大学大学院特任教授、東京経済大学客員教授などとしても活動している。2021年時点は静岡県熱海市在住。 東京都大田区大森出身。東京都立小山台高等学校、東京学芸大学教育学部美術教育学科卒。静岡県熱海市在住。2008年度から2009年度まで東京経済大学コミュニケーション学部の客員教授を務めた。 2017年時点で日本SF作家クラブ会員だったが、2024年6月時点の会員名簿には名前がない。 日本のアニメーション監督で、世界三大映画祭すべてに出品したことがある唯一の監督である(2018年現在)。
末谷 真澄(すえたに ますみ、1951年〈昭和26年〉3月3… 末谷 真澄(すえたに ますみ、1951年〈昭和26年〉3月31日 - )は放送作家、脚本家。東京都出身。青山学院大学卒。 テレビやラジオの放送作家として活動したのち、『雨の旅人』(1992年)で小説家としてデビューし、その映画化作品『水の旅人 侍KIDS』(1993年)で自ら脚本を務めた。 ファンタジー性の強い作品を得意とする。米谷は、映像でしかできないものを考えた場合、ビジュアルが面白いものの方が良いと述べている。 『水の旅人 侍KIDS』をはじめ、石井竜也監督作品や平成モスラシリーズなど、エコロジーを題材とした作品を多く手掛けているが、末谷自身の思想ではなく、善悪の対立を作ることができる当時一番やりやすい題材であったと述べており、『ACRI』と『モスラ』では相反する内容を自覚的に書いている。
鷺山 京子(さぎやま きょうこ、1951年2月7日 - )は… 鷺山 京子(さぎやま きょうこ、1951年2月7日 - )は、茨城県出身の映画・テレビドラマ作品の脚本家、小説家。しばしば鷲山京子(わしやまきょうこ)と誤記されているが、鷺山京子が正しい表記である。別名義に瑞樹かりん・三田ゆい子がある。石森史郎の弟子。 高校生時代にロマン・ポランスキーの作品に感銘を受け、映画監督を目指して、日本大学芸術学部に入学。演出コースを専攻する。しかし映像製作の実習を経験して、体力を使う撮影現場の仕事の難しさを感じるようになり、脚本家に志望を転換。石森史郎が講師を務めていた大学のシナリオゼミに出席したことをきっかけに、石森に師事する。当時の同じ門下生には土筆勉、中原朗らがいた。
浦沢 義雄(うらさわ よしお、1951年1月26日 - )は… 浦沢 義雄(うらさわ よしお、1951年1月26日 - )は、日本の放送作家、脚本家。東京都出身。 高校を卒業後、ゴーゴーダンサーを1年半ほど務めた後、河野洋が立ち上げた会社「ペンタゴン」にて台本運びのアルバイトとして入社。1年半ほど続けた後、河野から「ここで何をするか、はっきりした方がいい」と言われ、「作家になります」と答えて、放送作家への道を歩む。放送作家として『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』『カリキュラマシーン』など、数々の番組の構成に参加。脚本家としてのデビューは1979年に日本テレビで放送された『ルパン三世 (TV第2シリーズ)』第68話「カジノ島・逆転また逆転」。 1981年から1993年に放送された東映不思議コメディーシリーズでは、脚本家としては唯一全シリーズに携わり、400本以上の作品を提供した。
磯村 一路(いそむら いつみち、1950年11月30日 - … 磯村 一路(いそむら いつみち、1950年11月30日 - )は日本の映画監督、脚本家。アルタミラピクチャーズ専務取締役。岐阜県出身。 岐阜県立岐阜高等学校、早稲田大学第一文学部社会学専修卒業。 カメラマンを目指していたが大学卒業後はデザイン会社に勤務するかたわら、新宿のジャズ喫茶などで映画の上映会を主催。その上映会のゲストで来ていた若松孝二監督に声をかけられ、ずっと興味があった映画に関わりたいと会社を退職してアルバイトをする。1977年から助監督として若松に師事。神代辰巳、崔洋一、高橋伴明監督らの作品にも携わる。 1979年、『レイプゾーン/犯しの履歴書』により監督デビュー。以後はピンク映画の監督と平行して助監督、製作主任を務める。
片岡 修二(かたおか しゅうじ、1950年11月23日 - … 片岡 修二(かたおか しゅうじ、1950年11月23日 - )は、日本の映画監督・脚本家。北海道旭川市出身。 関東学院大学経済学部中退。獅子プロダクションにて修業を積み、1983年『予告暴行・犯る!刺す!』でデビュー。以降ピンク映画にてアクションタッチの作品を次々と手がけ、一般映画・Vシネマにも進出する。「丘哲民」、「周知安」名義で脚本も手がける。
松崎 健一(まつざき けんいち、1950年10月15日 - … 松崎 健一(まつざき けんいち、1950年10月15日 - )は、日本の脚本家。主にアニメ作品を手がける。日本脚本家連盟会員。 東京都出身。中央大学付属高等学校在学中からSF大会などに参加し、拓殖大学商学部在学中にSFビジュアル系の同人会SFセントラルアートを運営。仲間の高千穂遙(当時は竹川公訓)、宮武一貴、加藤直之と共にクリスタルアートスタジオを設立。1974年にスタジオぬえへ改組する。 初期はイラストレーターとして活動し、『宇宙戦艦ヤマト』の前身の企画ではヤマトの原案となる「アステロイドシップ」をデザインし、同作品中では複数の敵メカニックも手がけていた。『無敵鋼人ダイターン3』より脚本家へ転向した後、日本サンライズ(現・サンライズ)などのロボットアニメ作品に参加。
今井 聖(いまい せい、1950年10月12日 - )は、俳… 今井 聖(いまい せい、1950年10月12日 - )は、俳人、脚本家。本名:今井邦博(くにひろ)。新潟県生まれ、鳥取県鳥取市育ち。 新潟県出身の父親と、鳥取市内の和菓子舗「亀甲や」の娘であった母親のもとに1950年、新潟県に生まれる。 その後、3歳から鳥取市立川町一丁目にて、今井が13歳の米子市に引っ越すまでの間育つ。 米子市立第四中学校、鳥取県立米子東高等学校を経て、明治学院大学経済学部・文学部卒業。のち横浜高校教諭を務めていた。 句作は14歳のときよりはじめ、1971年「寒雷」入会、加藤楸邨に師事。1981年、楸邨の推薦により寒雷集賞受賞。1985年「寒雷」同人。1995年、清山賞受賞(同人賞)。
柳川 茂(やながわ しげる、1950年5月18日 - )は、… 柳川 茂(やながわ しげる、1950年5月18日 - )は、日本の男性脚本家、構成作家である。神奈川県出身。 神奈川県立相模台工業高校を卒業後、アニメーション制作会社の竜の子プロダクション(以下、タツノコプロ)に入社。タツノコプロでは企画文芸部に配属され、『タイムボカン・シリーズ』や『ポールのミラクル大作戦』など、数々のテレビアニメに企画者として関わった。その一方で、『カバトット』や『いなかっぺ大将』等では脚本も手掛けている。 1979年、同僚であったデザイナーの下元明子(現:河井ノア)と結婚。2年後、妻の明子はタツノコプロを退社し、フリーランスの立場に。自身も1983年、同プロから離れて本格的に脚本家としての道を歩み始めた。
渡辺 千明(わたなべ ちあき、男性、本名・山内 千明(やまの… 渡辺 千明(わたなべ ちあき、男性、本名・山内 千明(やまのうち ちあき)、1950年4月19日 - 2021年3月31日)は、日本の脚本家、劇作家、演出家。野田高梧記念蓼科シナリオ研究所理事。 兵庫県出身。横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)卒業。1999年『ニーセーター(若者たち)』で第2回日本シナリオ大賞準入選。 父は国文学の大学教授。2人の兄は共に東京大学を卒業し、それぞれ弁護士と公務員になったという一家であるが、本人曰く「25歳になるまでぶらぶらしていた」とのこと。都立立川高校を卒業後、1976年横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)に進学。 1978年同校卒業。講師だった田村孟、馬場当、富田義朗の助手を経て、テレビドラマ『からっ風と涙』、映画『夜叉が池』などを手伝う。
矢島 正雄(やじま まさお、1950年2月15日 - )は、… 矢島 正雄(やじま まさお、1950年2月15日 - )は、日本の脚本家、漫画原作者。 神奈川県出身。東洋大学卒。1976年、第1回創作テレビドラマ大賞に「回送車」で佳作入選。以後多くのドラマ脚本や漫画原作を手がける。2009年11月24日に自身のシナリオスクール「矢島正雄脚本塾」が開講した。 ※がついているものは、もとになった漫画の原作も担当。
森田 芳光(もりた よしみつ、1950年1月25日 - 20… 森田 芳光(もりた よしみつ、1950年1月25日 - 2011年12月20日)は、日本の映画監督、脚本家である。
池田 博穂(いけだ ひろお、1950年 - )は、日本の映画… 池田 博穂(いけだ ひろお、1950年 - )は、日本の映画監督、脚本家。 秋田県大仙市出身。法政大学を卒業後、全国農村映画協会(全農映)に助監督として参加。山本薩夫、今井正、橘祐典、後藤俊夫などの監督に師事。「天保水滸伝 大原幽学」「東京大空襲・戦争と青春」「ガラスのうさぎ」「マタギ」「オーロラの下で(日ソ合作)」などの作品に助監督他として携わる。 監督作品として「豊饒の大地」「江戸前料理・粋と洒落」「犬張子」、その他テレビドキュメントを含めて多数制作。近作では、特高警察による取調べ中に拷問死したプロレタリア作家 小林多喜二を描いた長編記録映画「時代を撃て 多喜二」、2003年の鹿児島県警察による違法捜査事件(志布志事件)を扱った日弁連制作の短編映画「つくられる自白—志布志の悲劇—」、足尾銅山鉱毒事件を告発した田中正造の生涯を綴った「赤貧洗うがごとき〜田中正造と野に叫ぶ人々〜」等。
田部 俊行(たべ としゆき、1950年 - )は日本の脚本家… 田部 俊行(たべ としゆき、1950年 - )は日本の脚本家。東京都出身。早稲田大学社会科学部卒業。 主に刑事ドラマやアクションものの脚本を中心に活動。2004年の「半落ち」は第28回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。 1995年の「風のロンド」以降、中島丈博が手がける東海テレビの昼ドラマの脚本をアシスタント的に担当。1999年の「愛の流星」からはメインで脚本を手がける。
金子 正次(かねこ しょうじ、1949年12月19日 - 1… 金子 正次(かねこ しょうじ、1949年12月19日 - 1983年11月6日)は、日本の脚本家、俳優。本名、金子松夫。脚本家としてのペンネームは鈴木明夫。愛媛県温泉郡中島町津和地島(現松山市)出身。 実家のある津和地島は、四国本土より山口県屋代島(周防大島)や広島県倉橋島に近い小島で、実家は漁業とミカンの栽培を営む。松山市内に下宿して松山聖陵高等学校自動車科に通う、かなりのツッパリで東映ヤクザ映画の熱心なファンで、ヤクザに憧れていた。 高校を2年で中退して1972年に上京する。新宿歌舞伎町でディスコの呼び込みなどをしてヤクザとも付き合ったが「俺はヤクザにもなれなかった」と語る。 その後に原宿学校(現・東京映像芸術学院)演技科に籍を置く。
かわら 長介(かわら ちょうすけ、本名:長川原 繁(ながかわ… かわら 長介(かわら ちょうすけ、本名:長川原 繁(ながかわはら しげる)、1949年11月13日 - )は、放送作家・コメディー脚本家。関西演芸作家協会会員。岐阜県益田郡萩原町(現下呂市)出身。ニックネームは「長さん」 。血液型AB型。 高校卒業後サラリーマンとなるが、退社し半年間の浪人生活の後、岐阜大学教育学部国語学科に入学。在学中は落語研究会に所属し、漫才の台本を書いていた。 1976年3月に大学在学中に結婚し(後に離婚)、お笑い作家への夢を抱き大阪に移る。雑誌『上方芸能』の編集に携りつつ、大学時代の知人から人生幸朗、青芝フックを紹介され、夢路いとし・喜味こいしややすし・きよしら多くの漫才師の台本を書くこととなる。
清水 喜美子(しみず きみこ、1949年9月10日 - 20… 清水 喜美子(しみず きみこ、1949年9月10日 - 2024年8月13日)は、脚本家。 博多、京都、東京と北上し京都音楽文化協会勤務後、障害児・者専門の歯科診療所(京都府歯科医師会歯科サービスセンター)の歯科衛生士、自閉症児の家庭教師などを経て、1987年、シナリオライターとしてデビュー。 2006年からは、映画専門学校や脚本講座で指導を行っていた。 2024年8月13日、75歳で死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
柏原 寛司(、1949年〈昭和24年〉9月6日 - )は、日… 柏原 寛司(、1949年〈昭和24年〉9月6日 - )は、日本の脚本家、映画監督。東京都中央区日本橋出身。一般社団法人シナリオ作家協会会長、日本シナリオ作家協会副理事長を歴任。 実家は江戸時代末期から代々、東京・人形町に住む一家で、柏原で4代目に当たる。中学生時代は映画少年で、特に西部劇を好み、『アラモ』は36回も観たという。この他にも少年時代は落語も愛好した。高校生以降は友人の勧めで『用心棒』を観て以来、日本映画も好むようになり、高倉健、勝新太郎主演などの作品をよく観るようになる。一方で高校時代は野球部で、野球にも打ち込んでいた。 1969年、日本シナリオ作家協会主催のシナリオ研究所(現在のシナリオ講座の前身)第22期を修了。
平田 勝茂(ひらた かつしげ、1949年7月20日 - )は… 平田 勝茂(ひらた かつしげ、1949年7月20日 - )は、日本の翻訳家、脚本家である。日本脚本家連盟に加盟。 愛媛県出身。青山学院大学卒業。海外作品の吹き替え翻訳で知られる。代表作は『コマンドー』など。 学生時代、親しくなった講師の縁からアルバイトでフランス映画の翻訳をしたことがきっかけで、翻訳家の仕事を始める。当初はベティ・ブープなどカートゥーン作品の訳を行っていたが、『ひまわり』以後は映画番組を筆頭に数々の洋画・海外ドラマの吹き替え翻訳を務めている。 『スター・ウォーズ・シリーズ』など大作の翻訳を数多く担当。最も多忙な時期は、長尺作品だけで年間40本近く担当し、そこにテレビのドラマシリーズも含め年中無休の状態だったという。
崔 洋一(さい よういち、朝: 최양일、男性、1949年〈昭… 崔 洋一(さい よういち、朝: 최양일、男性、1949年〈昭和24年〉7月6日 - 2022年〈令和4年〉11月27日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優。在日韓国人2世。 日本映画監督協会理事長、宝塚大学教授、株式会社ネクステップ顧問、スカパーJSATグループ番組審議会委員、民間放送教育協会理事を歴任。 長野県佐久市生まれ。父は在日朝鮮人、母は日本人のハーフ。 1968年(昭和43年)、東京朝鮮中高級学校高級部を卒業。東京綜合写真専門学校中退。写真学校在学中の20歳のころ、主に近代映画協会で撮影助手の仕事をしていた先輩に勧められ、近代映画協会とは関係のない今井正監督の『婉という女』(ほるぷ映画製作・東宝配給)の現場に就く。
原田 眞人(はらだ まさと、1949年7月3日 - 2025… 原田 眞人(はらだ まさと、1949年7月3日 - 2025年12月8日)は、日本の映画評論家、映画監督、脚本家。 静岡県沼津市出身。スカイホーク所属(業務提携:つばさプロジェクト)。BS朝日番組審議会委員。 静岡県立沼津東高等学校卒業、東京写真専門学校(現:専門学校東京ビジュアルアーツ)、ペパーダイン大学中退。 幼少期より年間100本観るほど映画を愛好し、自身も大勢の観客を沸かせたり感動させたりしたいと考え映画監督を志すようになる。1962年に東京・有楽町で見たドン・シーゲル監督の『突撃隊』に感銘を受け、映画を見るたびに映画に関するメモや論評を書くようになった。 ロンドンに語学留学中の1972年、『ラスト・ショー』の評論を『キネマ旬報』に載せたことをきっかけに映画評論家となり、『キネマ旬報』や『宝島』にアメリカ発の映画情報を寄稿。
水島 総(みずしま さとる、1949年(昭和24年)6月18… 水島 総(みずしま さとる、1949年(昭和24年)6月18日 - )は、日本の経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー、政治活動家、日本文化チャンネル桜代表取締役社長。頑張れ日本!全国行動委員会幹事長
寺島 優(てらしま ゆう、男性、1949年(昭和24年)6月… 寺島 優(てらしま ゆう、男性、1949年(昭和24年)6月- )は、日本の漫画原作者、脚本家。本名:中村 修(なかむら おさむ)。東京都出身。 俳優・中村哲の長男として生まれる。姉の影響で幼少期から少女漫画を読んでおり、高校時代には漫画家を志して自ら少女漫画を描き、「りぼん」に原稿を持ち込んでいた。 武蔵大学人文学部社会学科卒業後、東宝に入社。宣伝部にて山口百恵・三浦友和の文芸シリーズ、アニメ映画の『ルパン三世』『エースをねらえ!』などの宣伝を担当した。 会社員業のかたわら、1978年に「週刊少年ジャンプ」で開催された「ジャンプ原作大募集」に応募し『からくり源内』が準入選。続く1979年に『テニスボーイ』(作画:小谷憲一)で連載デビュー。
中山 幹雄(なかやま みきお、1949年(昭和24年)5月8… 中山 幹雄(なかやま みきお、1949年(昭和24年)5月8日 - 2002年(平成14年)12月26日)は、日本の演劇研究家・脚本家・美術評論家(専門は浮世絵・現代日本絵画)・学習院大学非常勤講師(2001年当時)。東京都深川・白河町生まれ。日本文芸家協会、日本演出者協会、美術評論家連盟各会員。鶴屋南北研究会・江戸深川文学会各代表を務めた。詩や美術評論も書いた。
冨川 元文(とみかわ もとふみ、1949年2月11日 - )… 冨川 元文(とみかわ もとふみ、1949年2月11日 - )は、愛知県出身の脚本家である。
珠 瑠美(たま るみ、1949年1月15日 - )は、日本の… 珠 瑠美(たま るみ、1949年1月15日 - )は、日本の女優、映画監督・脚本家。出生名は小谷 瑠美(こたに るみ)、木俣堯喬との結婚後本名は木俣 瑠美(きまた るみ)。珠 るみ、珠 ルミとクレジットされた作品もある。プロダクション鷹取締役、代表取締役を歴任した。 1949年(昭和24年)1月15日、東京都世田谷区烏山町(現在の同区烏山)に生まれる。父は戦前に日活大将軍撮影所の小道具係であり、戦後も東映東京撮影所や連合映画撮影所で装飾部として活動した小谷春勇(小谷春男)、叔父が大映の撮影技師・渡辺公夫(1918年 - 1983年)、兄がのちに東映の照明部に在籍しており、2歳下の妹がのちに女優なる谷身知子(1951年 - )である。
金子 成人(かねこ なりと、1949年1月15日 - )は、… 金子 成人(かねこ なりと、1949年1月15日 - )は、日本の脚本家、作家。長崎県佐世保市出身。 長崎県立佐世保南高等学校卒業後、サラリーマン生活を送りながらシナリオ研究所に入り、倉本聰に師事。1972年に『おはよう』(TBS)の一篇で脚本家デビューするも、新聞の論評では酷評される結果となり、バーテンや八千草薫のお抱え運転手などのアルバイトと並行しながら日活ロマンポルノなどを執筆し修行生活を送る。1974年に『太陽にほえろ!』のプロット募集に入選し、翌年より『前略おふくろ様』にサブライターとして参加。1976年に執筆した石原プロモーション製作ドラマ『大都会 闘いの日々』の第24話「急行十和田2号」が向田邦子に認められ、向田を通じて制作会社とのコネクションを築く。
桜井 正明(さくらい まさあき、1948年12月10日 - … 桜井 正明(さくらい まさあき、1948年12月10日 - 2010年2月20日)は、日本の脚本家。 東京都出身。早稲田大学高等学院を経て早稲田大学へ。早稲田大学映画研究会に所属。映研では後に脚本家となる金子裕や佐伯俊道らが仲間で、「ケロヨンちゃん」と親しまれた。 アニメ制作会社の虫プロダクションを経て、アニメの脚本家となる。同じく虫プロ文芸部出身で脚本家の星山博之を慕っていたという。晩年は酒に溺れ、肺癌で死去した。
内館 牧子(内舘 牧子、うちだて まきこ、1948年〈昭和2… 内館 牧子(内舘 牧子、うちだて まきこ、1948年〈昭和23年〉9月10日 - 2025年〈令和7年〉12月17日)は、日本の脚本家、作家、作詞家。 東日本大震災復興構想会議委員。東京都教育委員会委員、ノースアジア大学客員教授。元横綱審議委員会委員(2000〜2010年)。学位は造形学士(武蔵野美術大学)、修士 (文学)(東北大学)。 秋田県秋田市土崎港生まれ。父親は岩手県盛岡市、母親は秋田市出身。日本冷蔵(ニチレイ)に勤めていた父の転勤で、4歳から新潟県、小学校3年から高校2年までは東京都大田区雪谷で育った。 新潟では幼稚園に馴染めず、いじめられて退園。それ以来ずっと家で過ごすうちにラジオの大相撲中継を聞くようになった。
筒井 ともみ(つつい ともみ、本名:筒井 共美、1948年7… 筒井 ともみ(つつい ともみ、本名:筒井 共美、1948年7月10日 - )は、日本の脚本家、小説家。 東京都世田谷区出身 。成城大学文芸学部卒。女優の赤木蘭子は伯母、俳優の信欣三は伯父にあたる。名付けの親はカメラマンの宮嶋義勇。 アニメーションから実写ドラマ、映画の脚本を手掛ける一方で、小説、エッセイの執筆と活躍の場を広げている。向田邦子賞の審査員なども務めている。 3歳の頃からヴァイオリンを習って自身の特技となり、後に特技を生かしてヴァイオリンのスタジオミュージシャンも務めている。シナリオ研究所を経て、広告代理店にコピーライターのアルバイトとして勤めるが長続きせず、スタジオミュージシャン(ヴァイオリン)として活動する傍ら脚本家の手伝いも行う。