山田 孝雄(やまだ よしお、1875年〈明治8年〉8月20日… 山田 孝雄(やまだ よしお、1875年〈明治8年〉8月20日 - 1958年〈昭和33年〉11月20日)は、日本の国語学者、国文学者、歴史学者。東北帝国大学教授を歴任。文化勲章受章。 独学の人として知られる。「契沖、真淵、宣長以来の国学の伝統に連なる最後の国学者」とも評される。 1873年、富山県富山市総曲輪(そうがわ)に於保多神社宮司山田方雄の次男として生れる。父は前田利保に歌を学んだ連歌の宗匠でもあった。履新小学校卒業。富山県尋常中学校を中退後、独学で小、中学校教員検定試験(文検)に合格。富山県内の小学校や兵庫、奈良、高知などの中学校で教員を務める。 1907年(明治40年)文部省国語調査委員会補助委員、1920年(大正9年)日本大学講師、1921年(大正10年)日本大学文学部国語科主任、1925年(大正14年)東北帝国大学講師、1927年(昭和2年)同教授に昇格。
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堀 英四郎(ほり えいしろう、1874年11月24日 - 1… 堀 英四郎(ほり えいしろう、1874年11月24日 - 1963年7月6日)は、日本の英語学者。 愛媛県今治市出身。1884年徳冨蘆花の英語塾に学び、1888年上京、東京英語学校入学、1894年東京専門学校(早稲田大学)英文科卒、ここで坪内逍遙の講義を受け、神田の国民英学会で英語を教えた。1894年東京府立城北中学校、1897年岡山県立第一中学校に勤め、1902年江田島海軍兵学校教授。1916年-1945年慶応義塾大学教授。この間1932年-1941年NHK英語講座担当。1949年-1954年戸板女子短期大学英文科長。
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中目 覚(なかのめ あきら、1874年5月23日 - 195… 中目 覚(なかのめ あきら、1874年5月23日 - 1959年3月27日)は、宮城県仙台市出身の地理学者、言語学者、教育行政官、エスペランティスト。 1874年、仙台藩一家 十七家の一つ中目氏の一族として宮城県仙台市に生まれる。9歳で宮城師範学校付属小学校に入学し、14歳で退学、宮城県尋常中学校に入学する。翌年同校を退学し、第二高等中学校に入学する。23歳で同校を卒業し、帝国大学文科大学独逸文学科に入学する。 1899年(明治32年)、東京帝国大学を首席卒業。恩賜の銀時計を授与。第四高等学校(後の金沢大学)でドイツ語教授をしていたが、1903年(明治36年)、30歳の時に創立された広島高等師範学校(後の広島大学)でドイツ語と地理学を三ヶ月ほど教えたのち、3年間オーストリア・ハンガリーへの留学を文部省から命じられる。
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保科 孝一(ほしな こういち、明治5年9月20日(1872年… 保科 孝一(ほしな こういち、明治5年9月20日(1872年10月22日) - 昭和30年(1955年)7月2日)は、日本の国語学者、文部官僚。 1872年、置賜県米沢(現・山形県米沢市)に米沢藩士の保科忠次郎の子として生まれた。第一高等学校を経て、1897年(明治30年)に帝国大学国文科を卒業。卒業後は、上田萬年の創設した国語研究室の助手となった。 1898年(明治31年)に文部省図書課嘱託となり、国語国字問題の研究調査に当たる。以来1947年(昭和22年)まで50年にわたって国語政策に関わった。1901年(明治34年)に国語調査委員会設置にあたり補助委員。1902年(明治35年)に東京帝国大学助教授。
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藤岡勝二(ふじおか かつじ、1872年8月12日 – 193… 藤岡勝二(ふじおか かつじ、1872年8月12日 – 1935年2月28日)は、日本の言語学者。上田萬年を継いで東京帝国大学言語学教授をつとめた。
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金沢 庄三郎(かなざわ しょうざぶろう、明治5年5月7日(1… 金沢 庄三郎(かなざわ しょうざぶろう、明治5年5月7日(1872年6月12日) - 昭和42年(1967年)6月2日)は、日本の言語学者、国語学者。本来の名前は金澤 庄三郎である。雅号は濯足(たくそく)で、その出典は屈原の詩集『楚辞』の中の「漁夫」である。 大阪生まれ、東京帝国大学卒。アジアの各言語の比較研究を行った。北海道(アイヌ語)、大韓帝国(朝鮮語)、琉球、シベリア(ロシア語)、満洲(満洲語、蒙古語)などでフィールドワークを行い、さらに中国語も修めた。また、國學院大學教授を務め、東京帝国大学、東京外国語学校、駒澤大学にも出講した。 日本語と朝鮮語を対象とした、「日韓両国語同系論」(1910年(明治43年))や「日鮮同祖論」(1929年(昭和4年))は、朝鮮半島併合を理論的に正当化するため、併合推進者が頻繁に引用した。
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青木 昌吉(あおき しょうきち、明治5年4月5日(1872年… 青木 昌吉(あおき しょうきち、明治5年4月5日(1872年5月11日) - 昭和14年(1939年)3月2日)は、日本のドイツ語学者。日本ゲーテ協会初代会長。 東京府南多摩郡鶴川村大蔵(現・東京都町田市)出身。旧姓は中溝。神奈川県議会議長の中溝昌弘(東京都知事の鈴木俊一の曾祖父)の長男にあたる。衆院議員で京浜電鉄社長の青木正太郎の娘婿。 小学校には行かず、寺小屋に学び、医者になるつもりで私塾で独語を一年半学んだのち、第一高等中学校で6年間学ぶ。東京帝国大学文科大学独逸文学科卒業後、大学院に進んだが翌年退学し、熊本の第五高等学校教授となる。当時の校長は中川元、教員仲間に夏目漱石、上田整次、児島献吉郎、小島伊佐美、田丸卓郎らがおり、多大な影響を受けた。
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三矢 重松(みつや しげまつ、明治4年11月29日(1872… 三矢 重松(みつや しげまつ、明治4年11月29日(1872年1月9日) - 大正12年(1923年)7月18日)は、日本の国語学者・国文学者。学位は文学博士。國學院大學教授。 折口信夫の師。弟に三矢宮松がいる。いわゆる「三矢文法」を築き、「最後の国学者」と呼ばれる壮烈な学風で知られる。 1872年(明治4年)1月9日、酒田県田川郡鶴岡大字二百人町(現・山形県鶴岡市)で生まれた。父・三矢維顕、母・町子の二男。実家は代々庄内藩に使えた士族の家で、祖父の静は藩校の典学を勤めた人物であった。1877年(明治10年)、鶴岡朝暘学校に入学。朝暘学校卒業後、西田川郡中学校を経て山形県尋常中学校に転入。在学中、中台直矢、角田俊次について漢学を学び、庄内英学会に加わって英語を身につけた。
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佐伯 好郎(さえき よしろう、明治4年8月1日(1871年9… 佐伯 好郎(さえき よしろう、明治4年8月1日(1871年9月15日)広島県 - 1965年6月26日)は、日本の言語学者・英語学者・西洋古典学者・ローマ法学者・東洋学者・東洋宗教史家。キリスト者でもある。英語名は「ピーター・(ヨシロウ・)サエキ」。 言語学・法学・歴史学など複数分野にまたがる西洋古典学の研究・教育で大きな業績を残したが、特にネストリウス派キリスト教(景教)の東伝史に関する研究で国際的に有名になり「景教博士」と称された。また日本人とユダヤ人が同祖であるとする日ユ同祖論の最初期の論者としても知られ、独自の歴史観を唱えた。戦後は故郷・廿日市の町長を務めるなど、戦災や原爆で荒廃した広島県の再建に尽くした。
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畔柳 芥舟(くろやなぎ かいしゅう、1871年7月4日(明治… 畔柳 芥舟(くろやなぎ かいしゅう、1871年7月4日(明治4年5月17日) - 1923年(大正12年)2月12日)は、日本の英語学者。 山形県生まれ、本名・都太郎(くにたろう)。東京帝国大学英文科卒。1898年第一高等学校教授。戯号は牛涎子(ぎゅうせんし)。芥川龍之介、久米正雄らを教えた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
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岡田 正美(おかだ まさよし、1871年5月17日(明治4年… 岡田 正美(おかだ まさよし、1871年5月17日(明治4年3月28日) - 1923年(大正12年)10月21日)は、日本の国語学者。号は雲亭。位階は従四位、勲等は勲五等。 長野県出身。1897年に東京帝国大学文科大学国文科卒。1900年、議会に国語・国文の改良に関する請願書を提出。国語調査会の補助委員として国語の整理、改革に参与。東京帝大講師、東京外国語学校教授。墓所は染井霊園1-ロ-12にある。
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木村 鷹太郎(きむら たかたろう、明治3年9月18日〈187… 木村 鷹太郎(きむら たかたろう、明治3年9月18日〈1870年10月12日〉 - 昭和6年〈1931年〉7月18日)は、主に明治・大正期に活動した日本の歴史学者、哲学者、言語学者、思想家、翻訳家。 通称「キムタカ」。独自の歴史学説「新史学」の提唱者として知られる。 1870年(明治3年)9月18日、愛媛県宇和島市に生まれる。 明治学院を経て、東京帝国大学文科大学(現・東京大学文学部)史学選科課程に入学、後に同学哲学選科課程に転じて1893年7月修了。陸軍士官学校英語教授職等を務める。 1897年(明治30年)に井上哲次郎・湯本武比古らと大日本協会を組織、同年5月に機関誌『日本主義』を創刊し、日本主義を提唱する。
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宮井 安吉(みやい やすきち、1870年(明治3年)7月24… 宮井 安吉(みやい やすきち、1870年(明治3年)7月24日 - 1924年(大正13年)10月14日)は、明治・大正期の英語学者・教育者。岐阜県出身。 「英文法を独自の立場で研究したことは斎藤秀三郎に次ぐもので、この二氏以外には日本人として独自の立場から英文法を研究した者はそれ迄にはなかったといっても過言ではないであろう。」と評価されている。 「卯の花庵主人」の筆名での翻訳がある。 学問以外では謡曲に精通し、観世清之、その後観世喜之に師事すると共に早大教授の多くを謡道へ引き入れた。
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小川 尚義(おがわ なおよし、明治2年2月9日(1869年3… 小川 尚義(おがわ なおよし、明治2年2月9日(1869年3月21日) - 昭和22年(1947年)11月20日)は明治から昭和前期の言語学者、台湾語と台湾諸語研究者、辞書編纂者。台北帝国大学名誉教授。 1869年(明治2年)2月9日(新暦では3月21日)、伊予国温泉郡(現在の愛媛県松山市勝山町)に士族・丹下尚逸・ムラの三男として生まれる。1872年(明治5年)5月、松山・御宝町77番地(現在の松山市一番町2丁目3番)の小川武一の養子になる。1883年(明治16年)、松山中学を卒業する。1887年(明治20年)9月、第一高等中学校予科に入学。正岡子規と親しくなる。しかし1889年には脚気のため一時休学、留年。
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福井 久蔵(ふくい きゅうぞう、1867年12月13日(慶応… 福井 久蔵(ふくい きゅうぞう、1867年12月13日(慶応3年11月18日) - 1951年(昭和26年)10月23日)は、日本の国語学者・国文学者。号は白陽子、楽山、小松園など。 但馬国二方郡熊谷村(後に兵庫県温泉村、現在の新温泉町熊谷)に生まれる。1890年、兵庫尋常師範学校を卒業し、神戸小学校教諭となる。1893年、上京して上田萬年の指導を受ける。1895年、中等学校国語科教員検定試験に合格し、山口中学校教諭となる。1898年、東京府立第一中学校教諭へ転任。1905年、学習院教授。1912年12月18日、勲六等瑞宝章。1925年、駒澤大学教授。1936年「連歌の史的研究」で京都帝国大学より文学博士号を授与される。
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上田 萬年(うえだ かずとし / うえだ まんねん、1867… 上田 萬年(うえだ かずとし / うえだ まんねん、1867年2月11日(慶応3年1月7日) - 1937年(昭和12年)10月26日)は、日本の国語学者、言語学者。東京帝国大学名誉教授、國學院大學学長、神宮皇學館館長、貴族院議員。国語研究室の初代主任教授、東京帝国大学文科大学長や文学部長を務めたほか、文部省専門学務局長や臨時仮名遣調査委員会の委員等を務めた。小説家円地文子の父。 1867年(慶応3年)、尾張藩士の息子として江戸大久保(現在の東京都新宿区)の尾張藩下屋敷で生まれる。 東京府第一中学変則科(現・都立日比谷)の同期には、澤柳政太郎、狩野亨吉、岡田良平、幸田露伴、尾崎紅葉らがいた。またこの頃、教育令改正のため、のちに第一中学から新制 大学予備門へ繰上げ入学した。
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赤堀 又次郎(あかほり またじろう、1866年10月18日〈… 赤堀 又次郎(あかほり またじろう、1866年10月18日〈慶応2年9月10日〉 - 1945年〈昭和20年〉)は、日本の国学者、国語学者、書誌学者、図書館学者。 明治10年代初頭の東京大学文学部は、洋学尊重の時代的風潮に影響されて和漢文学を専攻する学生は乏しかった。これを憂えた小中村清矩の献策に基づいて、文学部に古典講習科が付設された。赤堀はここに入学し、修業年限3年の後に卒業した。本科に比してこの科に学ぶものが多く、落合直文らの実力を有する学者が輩出して、古典研究の発展に寄与するものが少なくなかった。 1888年(明治21年)創立の私立言語取調所(会長伊達宗城)で、のちに『国語学書目解題』として出版される書籍の編纂に、林 美、落合直澄、逸見仲三郎とともに着手したが出版に至らず、1890年(明治23年)10月9日に取調所の図書、器具、金員の帝国大学への寄付が願い出られて許されたときに、この初稿も含まれていた。
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浅田 栄次(あさだ えいじ、慶応元年4月28日(1865年5… 浅田 栄次(あさだ えいじ、慶応元年4月28日(1865年5月22日) - 大正3年(1914年)11月10日)は、日本の英語学者、エスペランティスト、聖書学者。 徳山藩の家に生まれ、京都中学校を1883年7月に同校を優等賞にて卒業。その後、上京し、東京英和学校(現:青山学院)を経て、1886年に工部大学校予科を優等賞にて卒業。学制改革に伴い、第一高等学校を経て、帝国大学理科大学(現:東京大学理学部)へ進学。キリスト教に対する信仰心の高まりもあり、中退後に渡米しノースウェスタン大学にて神学と言語学を学ぶ。1893年、シカゴ大学にて第一号となる博士号を取得した(博士論文:旧約聖書ゼカリヤ書(第1章 - 第8章)の原典比較研究)。
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簡野 道明(かんの どうめい(みちあき)、慶応元年4月9日〈… 簡野 道明(かんの どうめい(みちあき)、慶応元年4月9日〈1865年5月3日〉 - 昭和13年〈1938年〉2月11日)は日本の漢文学者(漢字学者)・言語学者・教育者である。 江戸八丁堀で伊予国吉田藩藩士の子として生まれる。幼名は米次郎である。 4歳の時伊予国吉田(現在の愛媛県宇和島市吉田町)に戻り、小学校に入ってから漢学・習字に学び、中学を卒業後小学校の教員を経て愛媛県師範学校に入学する。卒業後は南予地区で教鞭を執る。 1892年に上京後苦労の生活の日々を送り、30歳で東京高等師範学校に入学し、卒業後は東京で再び師範学校教師になる。在任中に「漢文読本」「故事成語大辞典」の編集を担当した。 1923年に漢和辞典「字源」を編集し刊行した。
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菅 虎雄(すが とらお、1864年11月17日(元治元年10… 菅 虎雄(すが とらお、1864年11月17日(元治元年10月18日) - 1943年(昭和18年)11月13日)は、明治-昭和前期の日本のドイツ語学者・書家。号は無為、白雲、陵雲。夏目漱石の親友で、第一高等学校の名物教授としても知られた。芥川龍之介から尊敬され、芥川の処女刊行本『羅生門』の題字の揮毫をした挿話も有名である。 筑後国御井郡呉服町(現・福岡県久留米市城南町)の医師、菅京山の次男として生まれた。1880年(明治13年)、17歳の時上京し、1891年(明治24年)日本初のドイツ文学士として帝国大学文科大学独逸文学科を卒業する。卒業後、教師として、東京外国語学校、第五高等学校、第三高等学校教授等を歴任。
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鮎貝 房之進(あゆかい ふさのしん、文久4年1月4日(186… 鮎貝 房之進(あゆかい ふさのしん、文久4年1月4日(1864年2月11日) - 昭和21年(1946年)2月24日)は、日本の言語学者、歴史学者、歌人。号は槐園(かいえん)。 言語学的なアプローチからの古代朝鮮の地名・王号などの考証を行い、また民俗学的な研究にも努めた。その成果は雑攷9集としてまとめられ、今日でも優れた先行研究として扱われている。李朝時代の禁書『鄭鑑録』の収集研究を行った。 京都・秦氏の名前由来を「波旦」(ハダ)説を提起した。1986年に韓国慶尚北道で新羅古碑が発見され、それには古地名「波旦」が明らかにあり、京都大学名誉教授・上田正昭が当地を訪れ、鮎貝説を支持している。 原書は1931年5月から1938年5月にかけて京城にて出版されたものであり、国内13箇所の大学図書館において揃って所蔵される。
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武信 由太郎(たけのぶ よしたろう、1863年9月5日(文久… 武信 由太郎(たけのぶ よしたろう、1863年9月5日(文久3年7月23日) - 1930年(昭和5年)4月26日)は、明治・大正期を代表する日本の英語学者。 因幡国気多郡潮津村(現在の鳥取県鳥取市青谷町)出身。1876年、官立愛知英語学校(のちの愛知県立第一中学校)に入学、同校廃止後は愛知県中学校に編入となり、1880年に卒業する。同年、札幌農学校の第4期生となる。1884年同校卒業、長野県中学校飯田支校の英語教員、1887年『ジャパン・メール』の記者となった。一時期三重県の教員を務め、1897年に頭本元貞と『ジャパン・タイムズ』を創刊。頭本元貞(1863年-1943年) とは同郷同卒で親しく、福澤諭吉ら政財界の後押しによって、『ジャパン・タイムス』の刊行が実現した。
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松井 簡治(まつい かんじ、1863年7月3日〈文久3年5月… 松井 簡治(まつい かんじ、1863年7月3日〈文久3年5月18日〉 - 1945年〈昭和20年〉9月26日)は、日本の国語学者(文学博士)。旧姓は宮内。号は刀水、碧湾。東京文理科大学名誉教授。 下総国銚子(現・千葉県銚子市)出身。父は国学者の宮内嘉雄。帝国大学特約生教育学科を修了後、文科大学国文学科選科に在籍。その後学習院教授、東京高等師範学校教授、東京文理科大学教授を歴任。墓所は雑司ヶ谷霊園。 20年近くかけて国語辞典『大日本国語辞典』を著し、刊行後も修訂を続けた。 この項目は、言語学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 言語学)。
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井上 十吉(いのうえ じゅうきち、文久2年10月28日(18… 井上 十吉(いのうえ じゅうきち、文久2年10月28日(1862年12月19日) - 昭和4年(1929年)4月7日)は、明治期の英語学者、和英辞典編纂者、官吏。ヘボンの影響を脱した最初の和英辞典である『新訳和英辞典』を完成させた。 阿波国徳島藩に井上高格の次男として生まれ、藩主の命により江戸に出て明治4年(1871年)慶應義塾に入学(『慶應義塾入社帳」第一巻487頁)。同塾卒業後の明治6年(1873年)、旧藩主蜂須賀茂韶に選抜された7人の留学生の1人として随行し、イギリスに渡る。一行のうち最年少だった。 1873年にロンドンの小学校に入り、1878年卒業、ラグビー校初の日本人生徒として進学し、成績優秀のため賞と年金を獲得。
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大島 正健 (おおしま まさたけ、安政6年7月15日(185… 大島 正健 (おおしま まさたけ、安政6年7月15日(1859年8月13日) - 昭和13年(1938年)3月11日) は日本人の宗教家・教育者・言語学者。札幌農学校(現在の北海道大学)の第1期生であり、クラーク博士の教育指導を直接受けた一人となった。クラークの 'Boys, be ambitious' (青年よ、大志をいだけ) との言葉を後世に残す上で大きな役割を果たした。甥に大島正徳。 1859年(安政6年)、相模国高座郡中新田村(現在の神奈川県海老名市)の名主、大島彦三郎正博・その妻 縫(縫子)の四男(実質次男)として生まれた。幼名は金太郎。兄(三男、実質長男)の頼三郎正義が温厚でおとなしかったのに対し、金太郎は活発な性格であったという。
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高橋 五郎(たかはし ごろう、1856年4月24日(安政3年… 高橋 五郎(たかはし ごろう、1856年4月24日(安政3年3月20日) - 1935年9月7日)は、明治時代から昭和初期の翻訳家、啓蒙的英文学者、英語学者、言語学者、評論家、教育者である。 聖書の翻訳や英語教育を行い、立教大学、早稲田大学、駒澤大学で教授を歴任した。 1856年(安政3年)に越後国柏崎の庄屋の家に生まれる。本名は吾良である。1868年、群馬県高崎に行き、竜門寺で市川左近に漢学や仏学を学ぶ。1871年より牧野再竜、高崎藩校の田中毛野に学ぶ。 1873年に洋学を学ぶために上京し、緒方塾で緒方惟孝(緒方城次郎、緒方洪庵の三男)に学び、植村正久と知り合いになる。1875年(明治8年)に横浜へ行き、植村の紹介でアメリカ・オランダ改革派教会の宣教師S・R・ブラウンのブラウン塾で英学と英語、仏語、独語を習った。
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大矢 透(おおや とおる、1851年1月4日(嘉永3年12月… 大矢 透(おおや とおる、1851年1月4日(嘉永3年12月3日) - 1928年(昭和3年)3月16日)は、日本の国語学者。仮名の歴史的変遷や上代日本語の音韻を解明したことで有名。また、『隋唐音図』において、反切に基づく漢字の音読み(漢音部分)を網羅的に比定した。 越後国蒲原郡根岸村(現新潟県新潟市)出身。幼名は又七郎。号は蔦廼舎(つたのや)水斎。戊辰戦争時には新発田藩の兵として従軍した。1875年、新潟師範学校卒業。山梨県師範学校、茨城県師範学校、茨城第二中学校で教職を務めた後、1886年より文部省勤務。1899年から1901年には台湾総督府民政部の職員となった。1909年文部省国語調査委員会委員。
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浜野 定四郎(はまの さだしろう、1845年(弘化2年) -… 浜野 定四郎(はまの さだしろう、1845年(弘化2年) - 1909年(明治42年)11月14日)は、日本の教育者・英語学者・翻訳家。「慶應義塾仮憲法」制定後の初代慶應義塾長をつとめた。 1845年(弘化2年)、豊前中津藩士浜野覚三の子に生まれ、はじめは丑之助と称す。1864年(元治元年)、福澤諭吉帰郷の際、小幡篤次郎ら同藩の子弟五人とともに福澤に伴われて出府、同年6月に慶應義塾に入塾した。卒業後は教員となり、1874年(明治7年)から1878年(明治11年)までの間、中津市学校の校長として赴任した以外は一貫して慶應義塾に教鞭をとった。中津市学校の校長を辞してのち、再び義塾に戻って、1878年(明治11年)ごろから塾長の任についていたが、1881年(明治14年)1月「慶應義塾仮憲法」の制定により改めてそれにもとづいて初代慶應義塾長に選ばれた。
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司馬 凌海(しば りょうかい、天保10年2月28日(1839… 司馬 凌海(しば りょうかい、天保10年2月28日(1839年4月11日) - 明治12年(1879年)3月11日)は、医学者・言語学者。愛知医学校校長。佐渡島新町(現:新潟県佐渡市真野新町)生まれ。日本初の独和辞典を刊行した。 諱は盈之(みつゆき)、凌海は通称。他に、号に「揖軒」「無影樹下」「船楼」があった。本名は「司馬津」。 幼名、島倉伊之助(なお「島倉亥之助」の表記もある。弟に島倉家を譲り、司馬と改姓した。 語学の天才と言われ、独・英・蘭・仏・露・中の6か国語に通じていた。松本良順、ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールトに師事していたことから、特に医学用語の日本語訳を多く作っている。
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藤井 俊博 は、日本の国語学者。同志社大学文学部国文学科教授… 藤井 俊博 は、日本の国語学者。同志社大学文学部国文学科教授、表現学会代表理事。金田一京助博士記念賞受賞。
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野田 春美(のだ はるみ)は、日本の言語学者、日本語学者。神… 野田 春美(のだ はるみ)は、日本の言語学者、日本語学者。神戸学院大学人文学部人文学科教授。専門は日本語文法。
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山田 俊雄 は、日本の国語学者。第10代成城大学学長、成城大… 山田 俊雄 は、日本の国語学者。第10代成城大学学長、成城大学名誉教授。
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水本 篤(みずもと あつし)は、日本の応用言語学者。 日米英… 水本 篤(みずもと あつし)は、日本の応用言語学者。 日米英語学院京都四条校、ベルリッツ・ジャパンTOEIC/TOEFL講座講師、甲南女子大学特別専任講師、流通科学大学専任講師、関西大学准教授を経て、関西大学外国語学部教授、博士。 専門は第二言語語彙学習研究、統計手法を用いた教育測定研究、英語コーパスの教育利用など。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
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永野 芳郎(ながの よしお、 - 1997年1月7日)は、日… 永野 芳郎(ながの よしお、 - 1997年1月7日)は、日本の英文学、比較言語学者。京都大学名誉教授。父は、民俗学者の永野忠一(ながのただかず)。 1950年京都大学文学部卒業。 1990年に京大教養部を退官、桃山学院大学教授となる。 主な著作として、『比較言語学入門』(ロックウッド著 永野芳郎訳 大修館書店)、『英語学から英文学へ』(英宝社)、『英語学要説』(英宝社)、『言語と文学』(北星堂書店)がある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
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今尾 康裕(いまお やすひろ)は、日本の言語学者。大阪大学大… 今尾 康裕(いまお やすひろ)は、日本の言語学者。大阪大学大学院人文学研究科教授。 論文一覧(KAKEN) この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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谷口 龍子(たにぐち りゅうこ)は、日本の言語学者。学位は、… 谷口 龍子(たにぐち りゅうこ)は、日本の言語学者。学位は、博士(学術)。東京外国語大学国際日本研究センター特任研究員。専門は言語学・語用論・日本語教育。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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小野寺 典子(おのでら のりこ)は、日本の言語学者。青山学院… 小野寺 典子(おのでら のりこ)は、日本の言語学者。青山学院大学文学部教授。日本語用論学会副会長。東京都出身。 産能短期大学能率科専任講師、日本女子大学英文学科非常勤講師などを経て現職。英語および日本語における、談話標識の研究をしている。また、表現の機能や意味を歴史的に視点から分析するという歴史語用論も専門とする。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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柳澤 絵美(やなぎさわ えみ)は、日本の言語学者。専門は、日… 柳澤 絵美(やなぎさわ えみ)は、日本の言語学者。専門は、日本語音声学・日本語教育学。明治大学国際日本学部准教授、博士(学術)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
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大川 道代(おおかわ みちよ - )は日本の言語学者。青山学… 大川 道代(おおかわ みちよ - )は日本の言語学者。青山学院大学文学部英米文学科准教授。専門は英語教育、パフォーマンス・スタディーズ、スピーチ・コミュニケーション。東京国際大学を卒業後、南イリノイ大学大学院修士課程にてM.A.を取得(スピーチ・コミュニケーション)。 獨協大学外国語学非常勤講師、茨城大学専任講師・助教授を経て、青山学院大学准教授に就任。。
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糟谷 啓介(かすや けいすけ)は、日本の言語学者。一橋大学名… 糟谷 啓介(かすや けいすけ)は、日本の言語学者。一橋大学名誉教授。田中克彦門下。指導学生に鳥羽美鈴など。
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松村 昌紀(まつむら まさのり)は、日本の応用言語学者、外国… 松村 昌紀(まつむら まさのり)は、日本の応用言語学者、外国語教育学者。名城大学理工学部教授。 従来、還元主義的・表象主義的な観点から捉えられていた第二言語発達観に疑問を投げかけ、分散認知的・生態学的な見方へと転換する必要性に言及している。また前者の認識論的立場は、従来型のPPP型言語指導の言語教育観とリンクしているとしてこれを批判し、そこに含まれる問題点をタスクに基づく言語指導法によって克服することを提唱している。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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藤田 総平(ふじた そうへい)は、日本のドイツ文学者・ドイツ… 藤田 総平(ふじた そうへい)は、日本のドイツ文学者・ドイツ語学者。埼玉大学経済学部教授。
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五十嵐 陽介(いがらし ようすけ)(1976年 - )は、日… 五十嵐 陽介(いがらし ようすけ)(1976年 - )は、日本の言語学者。学位は博士(言語学)。国立国語研究所教授。 日琉語族内の言語ないし方言の分岐過程に関して2016年より以下のような新説を提示している: 東京都稲城市生まれ、都立三鷹高校出身、躰道二段。 元々は日本語の諸方言の音声の研究をしていたが、宮古島のアクセントを調査するため現地に行った際に偶然トマ・ペラールと知り合い、話すうちに歴史言語学が面白いと感じ日本語の歴史の研究を始めた旨、対談で語っている。
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平川 眞規子(ひらかわ まきこ)は、神奈川県出身の言語学者。… 平川 眞規子(ひらかわ まきこ)は、神奈川県出身の言語学者。 神奈川県立湘南高等学校、神奈川県立外語短期大学を経て、1983年津田塾大学学芸学部卒業、1989年カナダ・マギル大学大学院修士課程修了(M.A. 言語学)、2000年同大学院博士課程修了(Ph.D. 言語学)。茗渓学園中学校・高等学校英語科教諭、東京国際大学国際関係学部講師・助教授・教授、文教大学文学部教授を経て、2016年より中央大学文学部教授。。2009年から2015年まで日本第二言語習得学会の会長を務めた。 2016年4月 中央大学文学部教授 2008年4月 文教大学文学部英米語英米文学科 教授 2005年4月 東京国際大学国際関係学部 教授 2000年9月 University of Oxford, St. Antony's College, Nissan Institute of Japanese Studies 客員研究員 1998年4月 東京国際大学国際関係学部 助教授 1995年4月 東京国際大学国際関係学部 専任講師 1983年4月 茗渓学園中学校高等学校英語科 専任教諭 著書として『Unaccusativity in Second Language Japanese and English』(単著、ひつじ書房、2003)、『ことばのおもしろ事典』(共著、中島平三編集、朝倉書店、2016)、ほか。
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平高 史也(ひらたか ふみや)は、日本の言語学者。専門は社会… 平高 史也(ひらたか ふみや)は、日本の言語学者。専門は社会言語学、言語教育学、言語政策。慶應義塾大学名誉教授、元日本独文学会会長。文化庁長官表彰、義塾賞受賞。 横浜市出身。栄光学園高等学校を経て、1978年東京外国語大学外国語学部ドイツ語学科卒業。1981年東京外国語大学大学院外国語学研究科ゲルマン系言語専攻修士課程修了。1990年慶應義塾大学総合政策学部助教授。1993年日本語教育学会評議員。1994年義塾賞受賞。1999年ベルリン自由大学大学院博士課程修了、Dr. Phil.(文学博士)。2000年慶應義塾大学総合政策学部教授。2006年国際交流基金『世界の日本語教育』編集委員長。2007年日本独文学会会長。
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大矢 政徳(おおや まさのり)は、日本の言語学者、明治大学国… 大矢 政徳(おおや まさのり)は、日本の言語学者、明治大学国際日本学部専任教授。専門はコーパス言語学と依存文法。
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会津 洋(あいづ よう)は、日本のフランス語学者。早稲田大学… 会津 洋(あいづ よう)は、日本のフランス語学者。早稲田大学名誉教授。 長野県諏訪郡富士見町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京都立大学人文学部仏語仏文学科卒業。同大学大学院人文科学研究科修士課程修了。早稲田大学語学教育研究所教授。同大学名誉教授。フランスの社会言語学研究に取り組み、一般向けの実践的な手引も執筆していた。
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小澤 悦夫(こざわ えつお)は、日本の英語学者。専門は、英文… 小澤 悦夫(こざわ えつお)は、日本の英語学者。専門は、英文法。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、松田徳一郎、竹林滋に師事し、東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業。長谷川欣佑、池上嘉彦、国広哲弥、金田一春彦、南不二男に師事し、東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。1986年早稲田大学商学部専任講師。1988年同大学助教授。1994年同大学教授。2021年同大学退官。
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熊谷 明泰(くまたに あきやす)は、日本の言語学者。専門は社… 熊谷 明泰(くまたに あきやす)は、日本の言語学者。専門は社会言語学、朝鮮語学。関西大学名誉教授、元北東アジア学会理事。東崇学術賞受賞。 大阪市生まれ。1967年桃山学院高等学校卒業。1975年大阪府立大学経済学部経済学科卒業。1977年大阪外国語大学外国語学部朝鮮語学科中退。1981年大阪外国語大学大学院外国語学研究科東アジア語学専攻修士課程修了。1983年高麗大学校国語国文学科大学院博士課程朝鮮語学専攻入学(文部省国費留学)。1989年一橋大学大学院社会学研究科社会言語学専攻博士課程単位取得満期退学、ソウル大学校大学院国語国文学科朝鮮語学専攻博士課程入学。指導教官田中克彦。 1984年大田実業専門大学観光日語科専任講師。
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大内 覚之助(おおうち かくのすけ、(1898年1月 - 1… 大内 覚之助(おおうち かくのすけ、(1898年1月 - 1965年3月16日)は、日本の教育者、英語学者。 大内義生の長男として、福岡県朝倉郡朝倉町大字古毛(現・朝倉市古毛)に生まれる。福岡県立朝倉中学校(現・福岡県立朝倉高等学校)、1920年広島高等師範学校(広島大学教育学部の前身)文科第二部英語科を経て、1924年京都帝国大学文学部文学科英文学専攻を卒業。 旧制福岡高等学校教授を経て、1941年福岡県女子専門学校(現・福岡女子大学)教授兼福岡県中学修猷館(現・福岡県立修猷館高等学校)校長に就任。 戦後、福岡商科大学(現・福岡大学)教授、熊本女子大学(現・熊本県立大学)教授を歴任した後、1961年久留米大学附設高等学校校長に就任。
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